2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

【速報】AKB48「フライングゲット」MV1億再生達成!公開から13年。AKBとしては3作品目。前田敦子センターでは初の快挙

113 :名無し48さん:2024/08/20(火) 04:16:59.63 .net
>>112
ニュース あっちゃん、恋愛解禁も「現実には…」(2012年8月28日)
国民的アイドル集団、AKB48の前田敦子(21)が27日、東京・秋葉原のAKB48劇場で卒業公演を行い、約7年間慣れ親しんだグループを巣立った。ラストステージでは、高橋みなみ(21)ら初期メンバーをはじめとする27人と一緒に思い出の楽曲を披露。笑顔を貫いていたが、最後のあいさつでは「すごく幸せでした」と言葉を噛み締め、「皆さんのおかげで無事に卒業できました。これから頑張っていきます」と涙した。
250人のあっちゃんコールを浴びながらステージを降りた。
終演後、前田は1人でステージに立つと涙を流した。
「ファンの皆さんの前に、東京ドームの次の日に戻ってこられたことがすごくうれしかった。これがAKB48だなって改めて思いました。すごいところにいることができたんだと。私にはもったいないくらい幸せでした。皆さんのおかげで無事に卒業できました。ここから頑張っていきます」
卒業は自身の原点である劇場で迎えると決めていた。前夜に結成時から夢見た東京ドーム公演を大成功のうちに終え、ホームグラウンドでの卒業式、板野友美(21)らメンバーからの贈る言葉、
ずっと笑顔を貫いていた前田だったが、最後は涙なしではいられなかった。
この日はチームA公演の後に「会いたかった」や「桜の花びらたち」など思い出の楽曲を披露。原点の場所でラストステージを駆け抜けた。
「この7年間、AKBとしてすごく大変なこともあった。みんなで辞めたいとしか言わない時期もあった。それを乗り越えてこられたのは、メンバーがいたから」と苦楽をともにした仲間にも感謝。続けて「私はこの劇場が大好き。長かったのか短かったのか分かりませんが、最高の7年間でした」と笑顔が弾けた。
幼いころは内気で人見知りだった少女の運命を変えたのは、14歳だった2005年の夏。本人はアイドルには興味はなかったが、自ら受けたオーディションに合格し、初期メンバーの一員となった。そこから、前田のAKBのストーリーが始まった。
最初は歌やダンスも不得意。結成2年目に劇場公演でセンターに選ばれると泣いて嫌がった。「不器用」と自負した少女は、苦節の時を経て、国民的アイドルグループの不動のセンターとして走り続けた。
前田がいなくなるAKBの今後については、「誰が卒業してもずっとAKB48というグループは残っていってほしいです」。

 前夜には出番終了後、ほかのメンバーが歌う姿を舞台裏で見ていた。
「客観的に初めてAKBを見ることができた。笑顔になれたし、みんなの顔を見て安心した。これからみんなの活躍をそばで見るのが楽しみ」
卒業することから、恋愛も解禁に。総合プロデューサーの秋元康氏(54)からお墨付きが出て、「秋元先生から冗談で『前田、28日0時0分になったら恋愛していいよ』と言ってくださいましたが、現実にはそういう人がいない。自分の中では先の話。何も分からない」と笑った。
満員の250人で埋まった劇場の外はファンが取り囲んだ。空前絶後のあっちゃんフィーバー。最後はファンに拡声器で「ありがとうございました。気を付けて帰ってください」と呼びかけた。
「4日間幸せでした」
AKB48を巣立った前田敦子は次のステージへ向け、原点の地・秋葉原から歩き出した。
彼女はこれから新たな道を歩き始める。

47 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
名前: E-mail (省略可) :

read.cgi ver.24052200