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【三代】夏殷周を語る【理想】

1 :寂しい唐揚:2010/09/15(水) 23:14:04 0.net
汲めども尽きぬロマンを語れ!

2 :世界@名無史さん:2010/09/17(金) 02:33:26 0.net
双脚羊うめぇ

3 :世界@名無史さん:2010/09/17(金) 03:13:53 O.net
夏王朝だけでなく三皇五帝時代も歴史的事実アルヨ

4 :世界@名無史さん:2010/09/17(金) 03:33:18 0.net
>>2
五胡十六国時代に逆襲されちゃったくせにw

5 :世界@名無史さん:2010/09/17(金) 07:28:49 0.net
夏=古羌

6 :世界@名無史さん:2010/09/17(金) 07:36:40 0.net
夏人が匈奴の先祖と記されている

匈奴の支配層はトルコ民族というが

匈奴の一部族長は夏人だったのかもしれない

7 :世界@名無史さん:2010/09/17(金) 08:24:32 0.net
羌の生き埋めうめぇ

8 :世界@名無史さん:2010/09/17(金) 15:40:45 0.net
天乙
「雷怖いから帰るね」

9 :世界@名無史さん:2010/09/17(金) 18:42:30 0.net
スープー

10 :世界@名無史さん:2010/09/17(金) 22:04:42 0.net
太伯
「tattoo似合ってる?」

11 :世界@名無史さん:2010/09/17(金) 22:43:31 0.net
>>6
トルコ系の王 ビルマ系の臣民 → 吐谷渾
五胡に追放されて、殷や周の子孫は華北にはいなくなりました。

12 :世界@名無史さん:2010/09/18(土) 08:30:54 0.net
夏はチベット

13 :世界@名無史さん:2010/09/18(土) 13:23:44 0.net
慕容てトルコ系だっけ

14 :世界@名無史さん:2010/09/18(土) 13:28:16 0.net
慕容の王はトルコ(突厥)系orツングース(東胡)系
モンゴロイドであることが確かでイラン系ではなさそう。

15 :世界@名無史さん:2010/09/18(土) 13:45:41 0.net
五胡は、生き埋めにされていた弱小グループだったのに
後の時代に強大になったのは、河西回廊あたりでスキタイ文明を
突厥によって注入されたからだろう。

16 :世界@名無史さん:2010/09/18(土) 13:57:29 0.net
夏は羌だろう
夏が滅亡して以降
敵対していた殷に生き埋めされるようになった。

17 :世界@名無史さん:2010/09/18(土) 14:04:03 0.net
2008年にも生き埋めになっちゃいましたか _| ̄|○
ナムナム(-人-)

18 :世界@名無史さん:2010/09/18(土) 14:08:20 O.net
陳も古いんだろ?

19 :世界@名無史さん:2010/09/18(土) 16:37:07 0.net
シナ・チベット祖語が分裂したのはいつごろだ?

20 :世界@名無史さん:2010/09/19(日) 14:44:39 0.net
夏のころはまだシナ語族とチベット語族は分れていないぽい

21 :世界@名無史さん:2010/09/19(日) 14:54:00 0.net
漢語はミャオヤオやタイカダイとのクレオール言語っぽいわな

22 :世界@名無史さん:2010/09/19(日) 17:40:42 O.net
西楚の義帝は夏殷周の王、覇王は覇者から取ったんだな。
今まで気づかなかった。

23 :世界@名無史さん:2010/09/20(月) 15:37:06 O.net
なるほど

24 :世界@名無史さん:2010/09/20(月) 17:38:16 P.net
しかし殷の頃から宮殿ってむちゃくちゃ大きかったんだな
再現CGでやっていたけど藁葺き屋根と木造の見張り櫓だけど
規模は日本の戦国時代の小田原城クラスはあったんだな。

こうなると夏王朝の宮殿も吉野ヶ里クラスはあったんだろうか

25 :世界@名無史さん:2010/09/21(火) 17:15:43 0.net
ゲルのテントなんじゃねーの?

26 :世界@名無史さん:2010/09/23(木) 00:19:25 O.net
羌は遊牧のイメージがあるからなぁ

定住用の宮殿、住宅みたいな建築技術は巨大化より簡素化、運搬性に向けられてたかも知れないな


でも元のカラコルムは巨大なゲルの回りには廻廊と木造の官庁街に囲まれていたみたいだし


どうなんだろうな

27 :世界@名無史さん:2010/09/23(木) 07:30:02 0.net
羌族はチベット系ではない
チベット族こそ羌族(チャン系)民族と言われないと

28 :世界@名無史さん:2010/09/23(木) 10:47:25 P.net
確か夏時代の邑と思われる都市遺跡で
100mくらいの宮殿の基壇が発掘されていたよね

29 :世界@名無史さん:2010/09/23(木) 11:20:15 0.net
>>27
雍正帝乾隆帝の時代にチベット仏教を雲南四川に布教させたので
チベット人以外のチベット族が増える結果となり、民族内人口も清朝期に逆転してしまった。
チベット人が800万人もいるはずないよ。中の人は雲南四川少数民族みたいなのばっかりだから。

30 :世界@名無史さん:2010/09/24(金) 22:24:01 0.net
殷墟はウソって宮崎市定。
黄帝はマルドゥークって金光仁三郎、森雅子、貝塚茂樹。

以前の中国史の本では殷が無かったが、甲骨文字により殷が確認された。
夏朝が存在するという判断基準からすると、とっくに殷なんて存在確認されてたんじゃないの?
つまり、文字資料による追認がなければ、二里頭期辺りが夏時代だとするわけには
いかない。
甲骨文字研究の落合淳思だってそう書いてたぐらいだから。


31 :世界@名無史さん:2010/09/25(土) 09:05:51 0.net
マルドゥクwww確かに甲骨文字は楔形文字にそっくりだけどさww

32 :Ryuju ◆RlujhF6VrA :2010/09/25(土) 12:04:29 0.net
>>29
えーと、いわゆる「チベット人」と「チベット族」は別物で
「チベット人」はチベット高原に住んでいる(いた)人、
チベット仏教を信じている人がチベット族という理解で良いのかな。


33 :世界@名無史さん:2010/09/25(土) 16:20:06 0.net
チベット人とされている白馬族なんて
あれはチャン族だ。

34 :世界@名無史さん:2010/09/25(土) 17:21:57 0.net
気にしない、気にしない。
ダライラマ14世猊下は、信者に対してチベット人(藏人)という風に呼びかけず
チベット族(藏民,藏族)という呼びかけをしている。
血統がどうであれ、ポン教信者であっても、みんな広義の信者というスタンスをとっている。

35 :世界@名無史さん:2010/09/29(水) 21:28:17 0.net
なんだクソスレか。

36 :世界@名無史さん:2010/09/30(木) 17:29:50 0.net
ユダヤも基本的にユダヤ教を信仰していれば
ユダヤだったと思うけど。
ノーベル賞の受賞者もユダヤが多いとか言われているけど
実際は近親者にユダヤが居れば、ユダヤに認定されているだけとかな。

37 :世界@名無史さん:2010/09/30(木) 19:21:43 0.net
シナ・チベット祖語族が夏を立てたのか?

38 :世界@名無史さん:2010/09/30(木) 20:19:33 0.net
Y-D系絡みじゃないの?
語は変化しやすいだろ民族移動量の大きい集団は異民族やチベット仏教
導入の文化的影響も受ける。

39 :世界@名無史さん:2010/09/30(木) 20:30:25 0.net
3300年前ぐらいからの歴史書を読んでいけば
古羌族が、甘粛からどんどん南下してミャンマーまで達していることがわかる。
しかし、犬戎などのチュルク系の民族が北から追いかけてきて
南に進んだ古羌族は、ほとんど犬戎の奴隷になってしまっていた。
犬戎がチュルク系からシナチベット系へ言語が変化していることになる。

40 :世界@名無史さん:2010/09/30(木) 23:02:47 0.net
涼山彝文
http://www.weblio.jp/img/dict/sknmj/85-5a.gif
突厥文字
http://www.weblio.jp/img/dict/sknmj/84-2a.gif

まあ奴隷主はトルコ系っぽい
でも話しているのはシナチベット系言語

41 :世界@名無史さん:2010/10/03(日) 02:19:59 0.net
治殷 治殷 主!主!主!・・・ (ちんちんしゅっしゅっしゅっ)
(1) 殷王朝最後の皇帝である紂王は寵愛する妲己にそそのかされ、悪政を重ねた後、
周の武王により打ち倒されたのはあまりにも有名な話である。
紂王は、牧野の戦いで大敗後、都へと逃げ戻り、鹿台に火を放って自刃するのだが、
自刃の直前、紂王の元で贅沢の限りを極めた役人や宦官たちは、
かつての贅沢がもうできないのを悔やみ、紂王に対し、泣きながら
「治殷 治殷 主!主!主!
(※注・治殷=殷を治めて下さい、主=我らが主紂王よ!)」と懇願した。
その懇願ぶりは、悲惨としかいいようがなく、ある者は燃えゆく宮殿の中で
「治殷 治殷 主!主!主!」とヨダレを垂らしながら、
柱に体を激しくこすりつけ、そのこすりつけようは柱の塗装が剥がれ落ち、
血が噴出し肉がずたずたになるほどであったという。
なお、現代日本の匿名掲示板において「ちんちん シュッ! シュッ! シュッ!」
という文言と共にヨダレを垂らした肥えた初老の男性のAAが貼られるのは、
根底にこの逸話が元になっていることはいうまでもない。

民明書房刊 『古代中国王朝滅亡全書』より抜粋


42 :世界@名無史さん:2010/10/04(月) 01:54:06 0.net
>>25 ポン教信者にも日本の神社の氏子みたいに仏教との掛け持ちをしてる人はいるってことかな

43 :世界@名無史さん:2010/10/05(火) 07:17:25 0.net
>>42
違う。仏教側が本地垂迹説で取り込みしている。道教のように埋蔵経典で
いくらでも新解釈を付加して、悪神でも格付けが決められ一定の地位をあてがう。
さすがに後期密教でも、イスラムまで取り込めなかったので
15世紀に布教戦略を変え、浄土思想を注入し被差別民がイスラム化するのを防止した。

44 :寂しい唐揚:2010/10/05(火) 23:59:31 0.net
みんな辺境民族が好きなんだね…。
中原大好きな俺涙目

45 :世界@名無史さん:2010/10/08(金) 18:42:57 0.net
>>39
>3300年前ぐらいからの歴史書
詩経?

46 :世界@名無史さん:2010/10/08(金) 22:24:53 0.net
山海経じゃろ

47 :世界@名無史さん:2010/10/09(土) 01:15:00 0.net
>>46
誰がそう決めたんだ?
論拠となる論文は誰が書いた?


48 :世界@名無史さん:2010/10/09(土) 07:36:15 0.net
司馬遷が、「史記」において「山海経」の解釈しているだろう。
その後の史書でも「山海経」に出てくる集団と
その時点の民族のリンク付けを継続している。
明代の「殊域周諮録」がそういうののサマリーをした体系的な民族移動論。

49 :世界@名無史さん:2010/10/09(土) 11:44:35 0.net
史書が触れている有史時代というのは
氷河期や旧石器時代の民族移動については
一切触れてないからな。

彩陶黒陶が出てくる6000年ぐらいから後しか
文物の流行や土木遺構の伝播などが一切判明しない。

それ以前は先史時代であり地球科学の範疇だ。

50 :世界@名無史さん:2010/10/09(土) 11:59:22 0.net
殊域周諮録は和訳解説無しだろ。
専門書が平易でなければ、一般に分らんのと同じだな。
挙句、Geniiでも論文著作の類無し。

それから、解説はいいから、論文著作を明記しないと独りよがりのウソぐらいにしか
見られないよw

史記に書いてあるからどうしたってんだ。
警察の調書はウソだらけだぞ。そんでも信頼しろか。甘いよ。
書類てのは所詮その程度なの。

3300年前ぐらいからの歴史書ていうなら、3300年前ぐらいに書かれた証拠が必要。
つまり、3300年前ぐらいの文字資料とか。陶文・甲骨文・金文。

要するに、「3300年前ぐらい」の情報を含んだ「歴史書」と言うべきで、
同時代史料である考古資料との整合性の精査が必要となるわけ。

でも、知らなかったな。アンタ、博学だな。民族移動論か。
今では否定されたが、ハイネ・ゲルデルンの民族移動説は大林太良が
中公新書「邪馬台国」に確か書いてたな。


51 :世界@名無史さん:2010/10/09(土) 13:03:35 0.net
竜山陶書が約4000年前
「突厥系が中原にいた」といわれているのはそのあたりが根拠らしいな
それがコーカソイドであるという尾ひれまでついて流布しとる

52 :世界@名無史さん:2010/10/09(土) 22:19:59 0.net
>>51
竜山陶書て丁公村のか。
http://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:SUhICa1kjCkJ:lycos75381.w155.bizcn.com/wj/sdtopgaikuang.html+%E7%AB%9C%E5%B1%B1%E9%99%B6%E6%9B%B8&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
文字なら何て読むんだ?

呉城遺跡からも陶文があったね。
「DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史」(崎谷満)によると、
呉城遺跡からの出土人骨のDNAからインド東部由来とする旨が述べられている。
とすると、インド文字との関連を考えるべきだが、白川静著作集でもインドに関しては
殆ど触れていない。同じ立命館大学のインド哲学の大家・中村元先生がいたからか不詳だが、
白川先生はオリエントに関しては多く述べられていただけに残念。
最近、白川先生関連の著作を目にするようになったが、誰もこの点での指摘すらなく、
ヨイショに忙しいらしい。


53 :世界@名無史さん:2010/10/10(日) 20:23:49 0.net
竜山陶書は古彝文だという説もある
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/whis/1087694006/775-

シナチベット語族の古彝文はS+O+V 通常の修飾は後置。
現代のチュルク(突厥)系言語もS+O+V 通常の修飾は前置。
現代彝語には助詞があるので語順がフレキシブルだが、無い場合はS+O+V
助詞を使わない場合の修飾は後置。
チュルク系かチベットビルマ系かの区別は
古い時代に関しては難しいのではないだろうか?



54 :世界@名無史さん:2010/10/11(月) 01:09:16 0.net
考古学の人って、比較神話学の森雅子、諏訪春雄、金光仁三郎などの中国
神話に関心ないみたい。貝塚茂樹はいろいろ言ってたけど、御手洗勝が
なんで森雅子にだけ噛み付いたんだか。所詮中国という狭い視野だけしか
研究範囲としかしない学者の癖だろうな。論文でボロクソに森のことを書くなよ。

>>53
>http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/whis/1087694006/775-
インド文字との関係について述べてた人がいたが、三星堆遺跡研究してた徐朝龍
はインド考古学の論文を書いてたね。関連ありと見てたのかな。

張騫の前漢武帝帰朝報告以前にインドとのルートがあったわけだが、
福田一郎は西周時代に既にインドから織工が来ていたとか言ってた。

確か「文物」は和訳されてたと思うが、「考古」「考古学報」「中原文物」とかは
和訳されてないだろうな。中文なんてわからんよ。

松本克己は語順は変わるとか最近刊行の著書で言ってた。
むしろ別の基準で言語の系統関係を見るべきとか。

ロロだかヤオだかタイ系だか忘れたが、オリエントからウラル山脈経由で中国付近へ
来て、その後、プロト漢民族の南下に押されて南下して四川以南へ至ったとか
いう話が確かサビナの論文だったかで言ってたという。(「ケシをつくる人々」菊池一雅)

チュルク系が中央アジアから四散したとかいう内容を佐治芳彦が著書名を挙げて
述べてたんだが、なんという本だったかド忘れ。確か何かに書いてたな。
中央アジアに湖があったとかな。


55 :世界@名無史さん:2010/10/11(月) 01:56:34 0.net
北から入ってきたとしか思えないロロ人よりも
西のベンガルあたりと交流があったかもしれない
リス族なんかのほうがインドとの関係の手がかりがあるかもしれないネ。
ttp://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/56663

56 :55:2010/10/11(月) 02:16:29 0.net
南側で越境している民族だとラフ族の研究が存在する。
ttp://repository.tufs.ac.jp//handle/10108/37520

ラフ族は雲南の側にほんの少ししか顔を出していない。
だから、中国という視野ではわかりにくい。情報不足になる点ではリス以上の難関。
南のハニにしてもアカと行ったりきたりしているから
そこも一体化して眺めると見えてくるものがあるかもしれない。

彝族(ロロ)とか納西族からアプローチすると、どうしても突厥とか鮮卑側に交易範囲で
つながってしまうから、ベンガルとの関係なんか期待できないよ。

57 :55:2010/10/11(月) 02:32:52 0.net
他の蔵緬系集団については、北方のロロ人の影響が強いので
ベンガルとの交流史の手がかりがありそうなのは、
やはり、リス・ラフ・ハニに絞られてしまう。

ヤオだかタイ系・・・そっちもインドとの関係は望み薄。神話的には南下していることになるから。

でも、モン・クメール系の民族から手がかりを得るならば結構有望。
そちらは太古から東南アジアに住んでいた。
ラフ族視点だと、ワ族に注目するといい。ワ族は広義のモン・クメール系。

58 :世界@名無史さん:2010/10/11(月) 13:08:14 0.net
つ 古い時代ならば「扶南国」でggr

59 :世界@名無史さん:2010/10/11(月) 17:47:53 0.net
ロロ−ミャオ・ヤオ−タイ・カダイの抱き合わせ隔離スレがあったな〜
クメールやチャムパの話題も投下可能だろw

60 :世界@名無史さん:2010/10/11(月) 18:31:49 0.net
>>57
ワ族と倭族が関係ありと鳥越憲三郎さんが言ってたが、弥生式土器は雲南式
の製造方法との指摘もある。
http://www.asukanet.gr.jp/tataki/unnan2.html


61 :世界@名無史さん:2010/10/14(木) 03:05:48 P.net
このスレにいる人なら既にご存知とは思うけど
このサイトは3代を民族、住居、食事などいろいろな角度から
考察していて面白い
http://www.h3.dion.ne.jp/~china/point.html

62 :世界@名無史さん:2010/10/15(金) 02:47:28 0.net
>>59
チベットビルマ・ミャオヤオ・タイカダイ抱き合わせ +オーストロアジア スレ
【壮・苗・彝】中華 南方少数民族史3【白・瑶】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284786173/

満・蒙・カザフ・ハカス・キルギス・エベンキ・オロチョン・ナナイ・ダフール・
土・裕固・散拉・保安・東郷・シボ 抱き合わせスレ
  ↓
女真・満州族の歴史総合
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1286963979/

ウイグル・タジク・ウズベクなども守備範囲に広げている広域抱き合わせスレ
サモエド、フィン、マジャール、タタール、バシコルト、アルタイなどもok
アンチ・モンゴル
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284132147/


【北魏・北斉】北朝総合スレッド2【北周・隋】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284115117/

事実上の南朝総合スレ
  ↓
東晉のおはなし
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284114057/

63 :世界@名無史さん:2010/10/18(月) 10:51:33 0.net
西安 陝西省のイメージ

黄土高坡
http://www.youtube.com/watch.php?v=0V4GRbyRpbk
牧羊姑娘
http://www.56.com/u29/v_MjI5OTY5NzA.html

64 :世界@名無史さん:2010/10/19(火) 03:00:05 0.net
>>60
前から思ってたんだけど、「雲南」っていう地名は、越南と同じように、
「雲」の南っていう事でしょ?
大和朝廷の前は「出雲」っていう事は、やっぱりその辺から来てる可能性が有るんじゃ?


65 :世界@名無史さん:2010/10/19(火) 08:56:18 0.net
越南は「粤」の南のことである
ベトナムは「粤」そのものではない
「出ず」はYizuである
彝族はピンインでYizuである

66 :世界@名無史さん:2010/10/19(火) 09:18:04 0.net
なんで中国の西部に住んでる人って頬が赤いというか赤ら顔なの?

陝北民俗 黄河魂
http://www.tudou.com/programs/view/dYFatzwfc1o/

67 :世界@名無史さん:2010/10/19(火) 10:16:41 0.net
標高が高く紫外線がきついのです
髪の毛も砂塵の日に出歩くと痛んで変な癖がつくのです

68 :世界@名無史さん:2010/10/19(火) 12:06:30 0.net
兵馬俑博物館の近く
http://www.youtube.com/watch?v=cMhfbC1d_8Y
西安のガキは小さい頃から顔が赤い
http://www.youtube.com/watch?v=mOD7pZ1E9gQ

69 :68:2010/10/19(火) 12:12:47 0.net
顔つきがオイラート・モンゴルとか土族みたいだな・・・
東方だとダフール族が似ている。

70 :世界@名無史さん:2010/10/23(土) 15:16:32 P.net
http://www.youtube.com/watch?v=GGmOlbw-mg4
の冒頭部で出ている殷の宮殿はかなりでかいね。

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