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【三代】夏殷周を語る【理想】

109 :世界@名無史さん:2010/11/11(木) 19:16:09 0.net
>>107
悪いけどさ、中南米の遺跡から甲骨文字らしき出土文字例が吉田信啓さんの本
にありましたよ。否定的扱いされてるがハイネ・ゲルデルンの伝播説を思わせるよ。

呉城遺跡だから紀元前1500頃の殷代中期遺跡。甲骨文字出土直前なだけに重要。
しかも、崎谷はその呉城遺跡からインド東部と同じタイプのDNAが出てると述べてるよ。

パターニ(港、ドラビダ語)の派生地名、パタニ、バタンなどが東南アジア島嶼部などに
あり、西日本は谷(タニ)地名が多く、パタニ(patani)のp音が省略されたとするなら、
patani→atani→atami(熱海)となるのでは。田中孝顕は別の説だけど無関係としていない。
上野喜一郎はビルマのディンギーはエジプト的影響、ニーダムは中国のジャンク
に西方的影響をそれぞれ述べていて、赤羽正春はエジプト・太陽の船にチキリ・タタラ技術
が既にあり、「楼蘭」(赤羽正春)では7世紀の楼蘭出土例があるというが、船製造技術なら
海路から伝播と思うが。
インド・中近東間交易は紀元前3000前後から見られるわけだが、インドから東へも同様に
開拓されていたとすれば、上記技術・地名の伝播も考えられよう。
言語は大野晋。
インドの太鼓は「トゥントゥンビ」と言い、叩く部分の皮を紐締めする技術は
中国は釘締めだから中国経由ではなく、東南アジア一帯に広がる紐締め技術も含めて
インド由来と考えられ埴輪にも見られ弥生期渡来という。日本では「つつみ」ですね。

つまり、縷々述べたような流れの中でDNA遺伝子出土例を考えられるのではなかろうか。


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