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【三代】夏殷周を語る【理想】

1 :寂しい唐揚:2010/09/15(水) 23:14:04 0.net
汲めども尽きぬロマンを語れ!

111 :世界@名無史さん:2010/11/12(金) 02:25:56 0.net
>>110
オレだけじゃない。
吉田さんのペトログラフ通信を引用している大学教授だっている。
UFOキチ以前に吉田さんが書いた本に書いてたが、そういう情報があったというだけだ。
無いというから、有ると言うただけだ。信用してないよ。写真とか載せてないんだから。
それに、「中南米で甲骨文字なんて聞いておかしいと思わないのか? 」ってナンだよ。
調べる前から「おかしい」と決め付けるほうがおかしいよ。
「おかしい」から調べるんだろうが。

DNAだけで何でも分るんですか?
考古学・歴史学・言語学など諸学から考える方がいいんじゃないんですか?

「余り意味ないんだよ」ってなんだよ。説明しろよ。


112 :世界@名無史さん:2010/11/12(金) 03:15:13 0.net
最近、ニコーリ笑っていますか?

113 :世界@名無史さん:2010/11/12(金) 03:29:16 O.net
インダス文明はインド北西部に興った文明で構成民族は南インド系とされる。
つまり、インド東部由来と分かってるならインダス文字と関係ない事は明らか。
白川先生は無駄な仕事はしなかったって事だね。

114 :世界@名無史さん:2010/11/12(金) 05:00:53 0.net
>無いというから、有ると言うただけだ。信用してないよ。

信用してないなら出すな。根拠もない、自分でも信じてないのを出すのは
反論とは言わないんだよ。
調べるも何も、吉田信啓がただの岩のひびまでペトログラフだ!って騒い
でるのも、ニュージーランドにフェニキア文字があるとか、どう考えても
フェニキア人が足を踏み入れない北米中央にフェニキア文字があるとか
トンデモ説を言いまくってるバリー・フェルと交流してトンデモを高め
あってるのも知ってるわ。

中南米に甲骨文字があるかどうかなんて、人類の新大陸到達、甲骨文字の
出現時期、中南米の文明の出現時期、文字の出現と特徴くらい知ってりゃ
滅茶苦茶なこと言ってるのくらい分かる。甲骨文字が出来た頃にゃ、新大
陸への道は閉ざされてるんだよ。
こんな常識的な判断で済むことにここまで言われないといけないのが、
お前さんの一番の問題だよ。文明とか古代遺跡をよりマクロレベルで言い
たいなら、もっと他の文明の基礎知識くらい持ってろ。

>DNAだけで何でも分るんですか?
考古学・歴史学・言語学など諸学から考える方がいいんじゃないんですか?

お前、人が書いてるのをまともに読んでないな。お前がDNAがどうのと
こだわるから、「DNA系統は文明史においてあまり意味がない」と
言ってるだろうが。自分で鏡に向かって何言ってるんだ?

多分、俺は相当お人よしなほうだぞ。基本を手取り足取りお前に教えてる
ようなもんなんだからな。今の所、お前の言ってることは妄想、よくて
夢想に過ぎない。論理的整合性も文明比較をするための基礎知識も欠けてる。
お前がこれ以上言うと、オカ板行けとかチラシの裏に書けって言われるだ
けだぞ。

115 :世界@名無史さん:2010/11/12(金) 09:17:04 0.net
>>114
>多分、俺は相当お人よしなほうだぞ。
まったくだ。俺はとうに匙を投げたよ。

116 :世界@名無史さん:2010/11/12(金) 17:32:19 0.net
商の饕餮紋
http://www.cntca.com/tuan/ruishou/2008/10/31/2329553719.html
ニコーリ笑っていますか?

117 :世界@名無史さん:2010/11/12(金) 18:37:53 0.net
>>114
バリー・フェルだけじゃないよ。
中南米へは後藤ショウイチが染織α11号でフェニキア由来の貝紫染織を述べ、
南米ではパライバ碑文に関して柴山栄が雑誌オリエントに紀元前4世紀のフェニキア文字
とする旨を書いている。
何にも知らねぇのはテメェじゃねぇか。

川崎真治は日本で甲骨文字と同じのを発見してるよ。
とすると、中南米の例はどうなんかなと思っただけだよ。
アンタが「ない」と断言したから、「ある」と言うてる人がいるよと言うただけやんか。
オレが信用するかしないかアンタに関係無いだろ。

石川三四郎はゲリニ報告を無批判に載せているけど、ゲリニ報告を載せた本文は
東洋大学にあるけど、写真も無く、phoenician writtingとだけある。オレは
ブラフミー石碑のと勘違いしたんじゃないかと思う。

崎谷の近著はDNA分析とアイヌの言語・文化との関係に言及してるじゃねぇか。
関係ないとか言うけど、関係ありと考えてる崎谷もいる。
それに、崎谷は斉藤成也と植田信太郎らとの共同研究成果である春秋期山東半島
のDNA分析でヨーロッパ系の確認できた旨を否定したよ。なんだよこれ。
DNA分析なんて所詮いいかげんな代物じゃないんか?
そんなに立派なもんじゃねぇだろ。

何度も言うが、調べる前から結論が分るなら、調査なんか必要ないじゃねぇか。
何が基本だ。笑わすな。

アンタの基本は「調べる前から分る」なんだろ?
そんなもん、捏造した藤村と何が違うんだ?


118 :世界@名無史さん:2010/11/12(金) 19:56:04 0.net
>南米ではパライバ碑文に関して柴山栄が雑誌オリエントに紀元前4世紀のフェニキア文字
>とする旨を書いている。

その論文、1970年のものだろうが。それが40年後の今も認められてないのはなぜだ?
この頃はまだ、文明の起源を古代オリエントに求める風潮が抜け切ってないんだよ。
古い文献を当たるのにそこを注意するのは当然だ。
それにパライバ碑文そのものは1870年代の発見の上、コピーだけで現物はないわけだろ?
100年間、誰も指摘もしてないのもおかしな話だが。
南米に文字文化の形跡がないという基本学説は、その1970年の発表後も何も変わってない、
パライバ碑文とやらに続く痕跡がないのをお前、説明できるのか?
碑文以外にフェニキア文化を示す遺跡は?
普通はそういうのは検証に耐えられないから消えていった説だということだ。
今、ざっと検索しただけで5分でこの程度は分かったし疑問点はもっとでたが、
検索結果、理解どっか間違ってるか?それにお前は俺の疑問に答えられるのか?

119 :世界@名無史さん:2010/11/12(金) 19:58:23 0.net
あと、貝からの紫染色料の採取方法が共通してるからフェニキア起源だってのは乱暴
だってくらい分からないか?土器の制作方法が共通してるからオリエントの土器は
日本起源だと言ってるのと同じレベルだ。
それと、南米には当時の地中海世界にでやってた虫から取る赤色染色料より遥かに効率が
高く赤色が取れるブラジルウッドという木があるんだが、そっちは無視か。
それにその貝を求めて来たんなら何らかの拠点を設けてるはずだが、前述したようにその
遺跡なり遺構なりが出ているか?でなければ、仮説か共通点の指摘のレベルの話で、それ
にこだわるなら、お前が証明するだけの話だ。

>DNA分析なんて所詮いいかげんな代物じゃないんか?
お前は何がいいたい?DNAの話を持ってきたのはお前であって俺じゃない。
それに俺は「全然関係ない」じゃなく、「あまり意味がない」と言ってるし、
その理由も挙げてあるだろうが。最初に言い出したきっかけを自分で投げるな。

>何度も言うが、調べる前から結論が分るなら、調査なんか必要ないじゃねぇか。

お前、なんで俺がこれだけお前の戯言潰せるか分かってるのか?基本を徹底的に
抑えてるからだよ。
それだけ今までの各文明の遺跡調査結、文明の性格、歴史、関連するもの、トンデモ
も含めて、みんな、それぞれもっと沢山の史学者や考古学者がとっくにもっと調べて
るし、色んな成果を出してるからだよ。その中にお前の主張を補強するようなもんは
ないだけだ。
こっちはネットもない時代から自分でアンテナ張ってそれを調べてチェックして本読ん
で、疑うべきは疑ってと、時間と手間をかけて、理解するための努力をしてるんだよ。
はっきり言えば、未だに全集自慢とか70年代の論文しか出せないお前と蓄積が違うの。

120 :みゃお♪ ◆vHMONGpYyo :2010/11/13(土) 12:17:48 0.net
ありゃりゃ、「楚にドラビダ人が船で来た」とか言ってた人
ここに来てたんだ。。。
                / 待  |
_               | っ  |
.:.:.:.\            | て  |
.:.:.:.:.:.:.ヽ      , .:´.:.:..| い  |
.:.:.:.:.朴ト!     / .i、:.:.ィ.| ろ /
:.:.,:,、| } _    |ィlノ'i^'´iレL./
:/レ/ いヽ    |、 r‐.、 /.:.',
┴、.   ヽY|`.ー尖h〒彳>、:.',
  ィ\.   `\:.:.:.:.:.:^水_〃.i.\!
.//   ヽ    `ヽ:.|.:.ヽ「.:.:.:|.:.:.:.ヽ

真面目に答えを書くには、2週間ぐらい調べものする必要があるから
わたしゃ数日間ガン無視して、チャット状態を回避したんよね。
こんな喧嘩みたいなんじゃ、不満たまって嵐スパイラルになるよ。

121 :世界@名無史さん:2010/11/13(土) 14:17:58 0.net
>>120
別に調べなくても、とっくの昔に一通り調べた話と知識だし、折角全集まで読んで
るのにそれを無駄にしてるから、突っ込みたくなるんだけどね。
けど、確かにちょっとイラついてるな。少し頭冷やすとするよ。

122 :世界@名無史さん:2010/11/13(土) 15:51:06 0.net
>>120
http://www.mekong.ne.jp/column/eguchi/eguchi10.html
そいつはメコン仙人とかいう人。


123 :世界@名無史さん:2010/11/13(土) 16:05:56 0.net
>>119
説明めんどくせぇから、ブログでも読んでろ。
http://blog.livedoor.jp/osouji60/archives/2006-10.html
2006年10月28日の記事。

なんだよ。蓄積の違いとやらを明確に見せてみろよ、バカ野郎。
見せてから言えや。

まず川崎真治はどうなんだい。蓄積とやらで意見しろや。
どうせつまんねぇ説教か?


124 :世界@名無史さん:2010/11/13(土) 18:36:28 0.net
>>123
そのブログ、とっくに読んだ。具体性が全然ないから、聞いてるんだけど?
川崎真治が日本で甲骨文字を発見したなんて話、この流れに全然関係ない。
中南米と日本じゃ全然違う話で、中南米に甲骨文字の伝播の可能性がないことを
出しただけで十分。日本の話にするのは単なる話のすり替え。詭弁の「関係
ありそうで実は関係ないを持ち出す」の典型例だな。

そこまで付き合ったら際限なく話をずらされてくだけだ。

「DNA分析なんて所詮いいかげんな代物じゃないんか?」

と言った段階で、最初にお前さん自身で持ち出したインド東部と呉城文化の話を
自分で否定したから、それで終わっちゃったの。

結局、お前さんの言ってるのは誰々が書いているってだけで、何も具体的な例、
その著書の論理的な内容解説すら出なかったから、後はこっちが状況を聞くしか
ないだけだったんだがな。>>118->>119の疑問に具体的に答える努力くらいして
くれ。

ただ、まあ、それやったら、完全スレ違いだから、どうしても主張したいなら、
スレ立ててくれや。よく分かったのは、お前さんは学問的思考法の訓練をして
ないことだけだ。お前さんの主張することに理があるかどうかの判断は、他の
住人に任せるわ。

125 :世界@名無史さん:2010/11/13(土) 19:21:33 0.net
ああ、あと追加。こないだパオが消えた翌日に、パオが追及に必死に対応してた
時間に何故か一切現れなかったパオ擁護をする連中(?)が、アンチパオの人間に
中傷散々やり始めて、そのズレ指摘したらピタッと止まって消えていったが、そ
ういう連中の判断は勘弁な(笑)

126 :世界@名無史さん:2010/11/13(土) 23:50:22 0.net
>>124
どうでもいいから、蓄積を披瀝してみろよ。
グダグダ言わずによ。
オレの批判なんかいいから、なんだよ蓄積バカが。
やれよ。聞いてやるからよ。バカが。


127 :このAA気に入った:2010/11/14(日) 00:05:08 0.net
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128 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 00:23:42 0.net
>>124
お前さんの戯言全部、根拠もって潰しただろ?
お前さんがもう罵って煽ることしかできなくなってること自体が、披露し
た結果じゃん。ってかお前さんの主張に一貫性も何にもなかったんだが。
俺をやり込めることばかりに夢中になって自分の主張までひっくり返し
ちゃった奴が、どうやってこれ以上俺から何か引き出すんだ?w

お前さんが主流でもなんでもない一部の本を鵜呑みにして疑いもしない、
学問的な懐疑精神が欠けてるのを叱り付けてるのも、その辺の経験と蓄
積の差だよ。十分身を持って体験させてあげただろ?

断っておくが、蓄積と言っても、俺とお前さんの差であって、お前さん
の相手をしなかった人間たちは俺より遥かにその辺分かってる人間がい
ることも確か。俺は所詮アマチュアだし、他の地域や時代にもあちこち
趣味持ってるからな。俺相手でそんなにムキになっちゃここで偉そうに
語れないぞ。

俺の言うことにまともに受け答えもせずに、煽ることしかできなくなっ
た以上、ここでのお前さんの知識自慢はおしまい。
読書量はまあたいした物だし、その辺もうちょっときちんとした思考法
できるようになるかなってちょっとは期待したんだけどな。

129 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 00:49:40 0.net
ああ、あとお前さんが専門分野で言うこと何もなくなった以上、披瀝し
てみろって言うのは、お前さんが俺に「講義してくれ」って言ってる
のと同じことだぞ?
どこをどうひっくり返して考えても、この状況で俺がお前に講義して
やる義理ないだろ?
俺はマゾ趣味も野郎へのツンデレ趣味もないからなw

今後関心持てばまたお前さんの言うことに突っ込みいれるかもしれんが、
今のところこれ以上お前さんと絡む気はないから、勝手に勝利宣言でも
なんでもやってくれ。

130 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 02:01:40 0.net
なんだ。何も言えねぇじゃんかwww
ただの文句言うだけじゃねぇか。
消えろ。

131 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 11:45:02 0.net
>>129
おい、中央アジアで世界最古といわれる分銅が出土しているというが、
これがインダス文明圏出土例と似てるそうだ。なんで?
蓄積とやらで何か言うてみろや。この野郎。


132 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 12:29:05 0.net
>>131
うるさいなあ・・・しょうがないなあ。一回だけ相手してやるよ。

お前さん出典もどこで出土したかも言わないから、本来相手しようがな
いんだけどな。

インダス文明圏自体が西はアラビア半島、北は中央アジアのタジキスタン
までのメソポタミアやエジプトより遥かに広い文明圏なんだよ。どうせ、
ハラッパーとかモヘンジョ・ダロみたいな西インドだけの文明圏だと勘
違いしてるんだろ?
広い範囲の文明圏と言うことは、相互作用して文明を作っていった文化・
技術も多いということ。インダス文明自体が中央アジアまで及んでるん
だから、当然中央アジアの文化の影響も受けてる可能性あるだろ?

計量史学者にはこの先インダス文明をトルクメニスタンまで広げる人も
いるみたいだけど、それに関しては俺は保留しておく。

どっちにしても中央アジアから出てるのは面白い事実だけどお前さんが
鬼の首とったみたいに大騒ぎするほど常識はずれな話じゃないよ。

ほんとに消えろと言ったり答えろと言ったり首尾一貫しない奴だな。どうせ
検索か何かでさっき見つけて、分からないから聞いてるだけだろ。
もう相手しないからな。今後そういうことふっかけてきても相手してや
らんからな。そもそも完全にスレ違いじゃないか。

ほんと、俺もお人よしだよ。

133 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 15:13:47 0.net
アンタの本は出してないんか。
論文とか。

134 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 17:14:05 0.net
>>133
だから、単なるアマチュアだって言っただろ。こんな程度の知識、論文と
か本なんかのレベルじゃない。

ちょっとインダスの分銅の単位見てみたけど、2進法と10進法の二通りある
らしい。んで、中央アジアの分銅も同じ形式ということだろ?
>>132は考えられる一つの可能性で、インダス文明圏の広がりとインダス式
分銅の一般化がどう繋がってるか分からないから、本当は何も言いようが
ない。
中央アジアとインダスとそれぞれの現在出土している最古の分銅の差が
2千年もあるなら、インダス文明初期に中央アジアルートの何らかの交易
でインダス人が取り入れた可能性もあるし、分銅の単位が合理的なものに
なってるから、偶々それぞれが同じ計量方式に達したのかもしれない。
もしかしたら、また別の場所に同じ形式のもっと古い分銅が埋もれてるかも
しれない。色々な可能性は考えられる。
分銅の研究をした堀晄氏はもっと大胆にインダス文明自体がいわゆる
アーリア人による中央アジア由来だと言ってるみたいだが、大胆な新説には
慎重に当たるべき。

アマチュアであちこち手を出してるから、基本概説書程度しか触れないし、
専門家より遥かに浅いが、それを自覚さえしてれば、幅は広い分、それは
それで見えてくるし、保守的と言われても慎重に考えられる。
いきなり専門書1回読むより同じ概説書10回でも何年でも読んで基本を頭
に入れておいたほうが、よほど専門的な話についていけるし、ペトログラ
フとかバリー・フェルの言ってることを鵜呑みにすれば矛盾が生じておか
しいって分かるもんなんだよ。
バリー・フェルはアメリカで6千年前の古代文字を見つけたから見て欲しいっ
て吉田信啓に言って、実際に見に行ったら近代のアメリカ移民の墓石だった
なんてレベルの人間だぞ。んなの信用しようがないだろ。

俺の言ってることをどう考えるかは、後はお前さん次第。

135 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 18:46:43 0.net
ブログとかは?
是非読みたいよ。

堀さんの名前が出たので。
殷の馬車の車輪に関しては林巳奈夫の東方学報の論文が既にオリエント由来と述べ、
殷の二頭立て車馬は西アジアから草原地帯でスポーク式車輪に改良されたものと
高浜秀さんが指摘(「馬の博物館研究紀要」6号、1993)。
堀さんの近著では殷の馬とのDNA比較する旨を述べている。

実は中央アジアの分銅を取り上げたのは古代における基礎単位の比較に関して述べたかったから。
殷尺と周尺の違いはどうも分らんが、殷尺は身体尺によるかと思っている。

インダスとオリエントの単位に関して共通する旨を小泉袈裟勝(「単位の起源事典」)
が述べている。古代中国では黒キビだが、古代オリエントでは小麦と共通する。

「文明は虹の大河」(麗澤大学出版会、2009)は比較文明研究7号の「メソアメリカと
アジア文明-海の道はあったか?」を載せている。私の説明よりも的確に指摘している
かもしれないから一読を勧めたい。


136 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 20:08:09 0.net
F5アタックか

137 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 20:34:13 0.net
>>135
ブログも今は特にやってない。気が向いたら他の掲示板に書くこともあるが、俺は
匿名でやりたいから、それまでは教えられんし、2ちゃんじゃ文体も変えてるからな。

殷尺は身体尺なんだろうな。たしか、尺の字の字形が手の形から来てると思ったが。
エジプトもそうだが、長さの単位の基本は人間の身体だし。

度量衡はほとんど詳しくないし、戦車のオリエント起源説は昔からあるが、今は
どうなってるか俺も知らない。それを決定するのに必要なのはオリエントから
中国までの経路にある、中間を埋める戦車の遺物だが、それが見つかってるのか
は把握してないしな。見つかってないのなら、まだ諸説紛々じゃないのか?

最後の本は、機会あったら目を通しておくよ。古田史学かメガース女史の影響強そう
なのが気になるがな。今のところ関心が強いのは元代の中国史とオスマン帝国だから、
古代文明にいつ関心が戻るか分からないからなあ。

138 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 22:15:26 0.net
ペトログリフと神代文字
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1289693388/

139 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 23:23:33 0.net
ずいぶん親切な人がいるもんだと感心した

140 :世界@名無史さん:2010/11/15(月) 01:26:45 0.net
>>137
>古田史学かメガース女史の影響
古田史学は無いが、メガース女史の論文が参考文献にあった。


141 :世界@名無史さん:2010/12/08(水) 11:20:16 0.net
中国の学会では夏の実在が定説になっているらしいけど
やっぱりトンデモなんでしょ
曲学阿世

142 :世界@名無史さん:2010/12/08(水) 11:57:47 0.net
李学勤という文献史学の人は、夏は強大な王朝であるとしているが
考古学の李伯謙は、二里頭文化が周に匹敵する王朝であるという見解に否定的。
日本の岡田英弘のほうが独自理論っぽい。

143 :世界@名無史さん:2010/12/08(水) 13:50:19 0.net
二里頭遺跡が夏の遺構だと
何を以って言っているのか?

144 :世界@名無史さん:2010/12/08(水) 18:33:06 0.net
殷墟に匹敵する規模を持ち、
かつ同時代に同規模の遺跡が見当たらないため。

日本の考古学者が邪馬台国を明らかに特殊な遺跡である
纒向遺跡に比定するのと同じ要領。

145 :世界@名無史さん:2010/12/09(木) 00:14:50 0.net
しかし邪馬台国は実在した筈だが、夏が実在した証拠は無いからなぁ。

146 :世界@名無史さん:2010/12/09(木) 23:36:20 0.net
神武東征は架空で神武天皇も実在しなくても
モデルになった人物や出来事はあったと考えるのが自然。
禹は神武天皇みたいなもんだ。祟神天皇が最初の実在の天皇とされており啓に相当すると思われる。
神武天皇も祟神天皇も両方とも「ハツクニシラススメラミコト」つまり始めて国を開いた天皇という意味。
二代目の王である啓も「開く、開ける」という意味で初代王だという意味になる。

禹は元々洪水神で時代が遡るほど非人間性が高くなる。明らかに人間ではない。後世の人間が禹を夏王朝と結びつけて
しまっただけで本来は無関係だったのだろう。ただ夏人の信じていた神の一人だったのだろう。
初代帝王は禹では無く啓であろう。




147 :世界@名無史さん:2010/12/09(木) 23:52:07 0.net
ユーラシア八大文明

1、メソポタミア文明=イラク
2、エジプト文明=エジプト(及び現在のイスラエル・パレスチナのあるカナン地方含む)
3、インダス文明=インド(及びパキスタン)
4、黄河文明=中国北部
5、エーゲ文明=クレタ島・キプロス島(ギリシャ文明の原型)
6、トランスエラム文明=イラン
7、長江文明=中国南部
8、オクサス文明=中央アジア(トルクメニスタン・タジキスタン)
(番外)
9、オルメカ文明=メキシコ
10、縄文文明=日本

上記のトランスエラム文明がインダス文明とメソポタミア文明間を取り持った独自の文明
オクサス文明がインダス文明の北部にあり後にスキタイに発展すると思われる。
1、メソポタミア文明→エジプト文明→エーゲ文明=ギリシャ文明に発展
2、メソポタミア文明→エジプト文明(カナン地方)=古代ユダヤ王国に発展
3、メソポタミア文明→トランスエラム文明→インダス文明
4、メソポタミア文明→トランスエラム文明→オクサス文明→黄河文明
5、メソポタミア文明→トランスエラム文明→インダス文明→長江文明

メソポタミアやインダスから黄河は遠いが、間の中継地点のトランスエラムとオクサスに
大きな文明が存在しているからそこを経由すれば西方の文化が中原までやってくるのも可能。
馬に乗ったらオクサスから簡単に中原まで行ける、かなり平坦な土地だから

148 :世界@名無史さん:2010/12/10(金) 01:19:06 0.net
>>147
>馬に乗ったらオクサスから簡単に中原まで行ける
中原では馬に乗らなかったのに?中原で馬に乗るのは、はるか後の戦国期の武霊王からだよ。

149 :世界@名無史さん:2010/12/10(金) 10:26:28 0.net
杞の現地読み=キとかクィと呼ぶ
啓の現地読み=キとかクィと呼ぶ

向こうは同音異義語が非常に少なく夏の末裔とされる杞と初代帝王啓が同音なのは
たまたまにしては出来すぎている。
既に殷時代の甲骨文字に杞の字が登場している。よく西周から杞国が始まったみたいな
事が言われているが殷の時に西周の杞寄りも前に杞国が存在した。
「杞侯」とか言われて貴族の一人として殷からも尊重されていた。


150 :世界@名無史さん:2010/12/10(金) 10:34:57 0.net
武丁の后の墓から西洋由来と思われる馬が出ているのが気になりますね。
西方の商人から買ったんでしょうかね。
オクサスの北方にはカラスク(西戎)と呼ばれる遊牧民がスポーク型車輪のついたチャリオットを
使用しており、これが殷墟から出土した物と酷似している。
明らかに西方起源でしょうね。

あと夏人(二里頭)は「焼肉文化」で殷人は「肉煮込み文化」という違いもある。
夏人は農耕民、殷人は遊牧民でしょうね。だから西戎ことカラスクと繋がりが深いと。

151 :世界@名無史さん:2010/12/10(金) 16:54:50 0.net
武丁以前の王墓が分かれば甲骨文字の原型も分かるでしょう。
呉城遺跡の文字らしき物も規則性があって文字として使われていた形跡があり。
文字を書いたところに赤墨で塗っていたようだし。何より甲骨文字に類似している。
西方起源か南方起源かそれとも独自か夏王朝から受け継いだのか不明。
二里頭からも一文字づつと思われる刻印符号が出土していてヤッパリ甲骨文字に似ている。
楔形文字やヒエログリフ、インダス文字、線文字A、原エラム文字とは似ていない。

152 :世界@名無史さん:2010/12/11(土) 18:47:54 0.net
まさにそれが待たれるね
「夏」なり「杞」なり「禹」なり「啓」なり「桀」なりに
比定が可能な文字こそが
二里頭を掘って出てくれば
「夏本紀第二」が伝説でなくて史実だったんだと
初めて言えるんじゃなかろうか
でなければ二里頭はただの先殷文化のひとつに過ぎないし
夏の実在も証明されたとは言えません

153 :世界@名無史さん:2010/12/11(土) 19:11:21 0.net
二里頭遺跡からは文字らしきものは出土してるの?

154 :世界@名無史さん:2010/12/12(日) 10:04:57 0.net
>>152
まあ、ここは世界史版だから仕方ないにしても、
考古学の手法を8割方否定するような言い分はどうかと思うけど。

ぜひその論理を宮内庁にも聞かせてあげてほしいものだ。
日本の古墳で埋葬者を特定できる文字資料なんてまず出てないから、
陵墓指定を片っ端から根拠なしにできるんだがw

155 :世界@名無史さん:2010/12/12(日) 10:52:24 0.net
大邑商に杞侯がやってきたという記述が殷時代の甲骨文字にハッキリ書かれている。
だが夏とは書かれていない事からも。夏王朝の末裔とされる杞こそが本来の国の名前だったのかもしれない。
殷の甲骨文字には湯以前の王の名前や夏と言う記述が無くあるのは杞だったり、殷は大邑商の前の大邑とされていたり
禹の名前も出てこない。

禹に関しては西周末期に初めて名が登場するがその時は夏王朝の始祖とはされておらず
洪水神とか旅行神と言う扱いで人間ではなく神と言う扱い。夏王朝とは関係ないように見える。
あと香港かどっかで西周初期の禹について書かれた金石文があるそうだがそこでもやはり夏王朝の始祖とは
書かれていない。ただこれは真贋が分からないので保留しており、禹の記述が初めて登場したのは西周末期と言うのが
定説。上記の遺物が本物であると決まったら禹は西周初期から記述されているという事になる。
>>153
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/17-ka.htm
これの事ですね。

156 :世界@名無史さん:2010/12/12(日) 12:57:45 0.net
大邑商と言うのが自称で殷と言うのはその前の大邑の名前だったはず。
西周初期も大邑商と呼んでたのに西周中期から殷と呼び始め。その後、西周後期に夏王朝
の名前が出てきた。
夏も殷も周が勝手につけた名前。
彼らの自称は杞であり商(商の前は殷で遷都するごとに自称を変えた)であったと考えられる。

春秋時代の杞国は都を20年に一度ぐらいの感覚で遷都を繰り返していた。
楚に滅ぼされたが楚の歴史書(難しい漢字の題名で文字化けする)は始皇帝によって焼き払われたので現存していない。
おそらく杞や宋、越を滅ぼした時の記録も書かれていたはず。
杞の事も楚の歴史書に詳しく書かれていただろう。楚の歴史書は一連の春秋系の歴史書と違い儒教色が薄い書物だから
見つかると歴史を塗り替える事になるだろう。
個人的には楚の歴史書と、秦記(焚書前の完全版)、晋乗、燕春秋(春秋系だが紀元前の倭国や朝鮮半島・満洲の事が判明するだろう)
の四冊が発見されることを願う。
絶対どっかに眠っているはず。特に楚関連は近年になってよく書物が発見されているから期待できる。
蜀王朝の事も分かるかも知れない。

157 :世界@名無史さん:2010/12/12(日) 19:14:50 0.net
炭素測定法で11世紀だといわれる「楚簡」ばかりじゃ期待できんわw

158 :世界@名無史さん:2010/12/13(月) 06:57:35 0.net
あんまり難しい話はわかんないです><

159 :世界@名無史さん:2010/12/16(木) 16:37:06 0.net
晋の文公

160 :世界@名無史さん:2010/12/18(土) 01:22:21 0.net
清華簡の『竹書紀年』に似た「編年体史書」ってのが何なのか、ずっと気になってるんだが。

161 :世界@名無史さん:2010/12/18(土) 17:28:00 0.net
1、春秋系=魯春秋(原本)・斉春秋・燕春秋・宋春秋・周春秋・百国春秋・春秋左氏伝(斉)・春秋公羊伝(韓)・春秋穀梁伝(中山)
(孔子が編纂したとされる魯の春秋を原本にそれぞれの各国が自国の正当性を訴えるために書いた歴史書、解釈が異なるだけで基本は同一)
2、逸周書
3、秦記(始皇帝の即位前に商鞅が秦にとって都合の悪い記述を削除済みで司馬遷はこの不完全な秦記を元に史記を書く)
4、晋乗
5、楚梼杌
6、竹書紀年(魏)
7、趙の歴史書(あるはずだが現在存在自体不明、もしかして編年体史書かも?)


162 :世界@名無史さん:2010/12/18(土) 17:37:18 0.net
これらの書物はいずれも春秋末期から戦国初期にかけて書かれた書物。
司馬遷の時代には不完全な秦記しか無かったが司馬遷の死後に孔子の家の壁から
春秋系統の書物が発見され、更に年月を過ぎてから魏の王の墓から竹書紀年が発見されて
現在に至る。ほとんどの書物は始皇帝の焚書にあって現存しない。ただ春秋戦国時代の
王墓から見つかる可能性は高い。孔子の弟子は春秋系を優先して壁の中に隠した。
おかげで歴史書は儒教フィルターのかかった物に偏ってしまったきらいがある。
楚梼杌なんかはおそらく儒教フィルターがかかっていないから発見が待たれる。
>>160
編年体史書はひょっとしたら散逸した竹書紀年の原本かもしれない。しかし、名称が違うとなると
正体不明の趙の歴史書かも知れませんね。なぜか趙の歴史書のみ名前すら伝わっていないのが不可解です。
あと個人的には燕春秋に倭国や高句麗の前身や半島の事が書かれているんじゃないかと期待している。

163 :世界@名無史さん:2010/12/18(土) 17:48:02 0.net
現存しているのは
春秋系の魯春秋・斉春秋・春秋の解釈書である春秋左氏伝(斉)・春秋公羊伝(韓)・春秋穀梁伝(中山)
と儒教フィルターのかかっていない竹書紀年と不完全な秦記を元にした史記があるだけ。
他は断片的な事が史記に載っているだけで不明。司馬遷も歴史書が焼き払われた事で始皇帝を痛烈に批判しています。
司馬遷の史記に竹書紀年に書かれていた事柄が載っていなかったのはその時点で竹書紀年が
失われていた証拠。
編年体史書の正体がなんなのかはわかりませんが気になりますね。
西周初期の事はまだ分からない事実が多いので今後の解明に期待する。
西周初期に起こった三監の乱とかいろいろ気になるところもありますし。

164 :世界@名無史さん:2010/12/18(土) 19:59:00 0.net
>>160
清華簡 盗掘されたものが骨董屋に出てきたという代物
http://zh.wikipedia.org/zh-cn/%E6%B8%85%E8%8F%AF%E7%B0%A1
http://info.huicong.com/2008/10/24092866956.shtml
http://beijing.qianlong.com/3825/2010/02/01/4202@5482103.htm

>>162
>魏の王の墓から竹書紀年
魏の襄王の墓から出たのは西晋時代
http://www.hudong.com/wiki/%E6%B1%B2%E5%86%A2%E7%AB%B9%E4%B9%A6

165 :世界@名無史さん:2010/12/18(土) 21:46:16 0.net
とりあえず始皇帝と商鞅が全部悪い。要らん事した政で先秦時代が訳分からなくなってしまったじゃないか。
春秋初期に秦の王が夏王の後継者を名乗ったりして秦自体は楚と違って夏・殷・周を軽視せず
重視していただけに惜しい。
秦記にももっと重大な事実が書かれていたはず。二里頭は魏にあったけど秦ともかなり近いし
無関係とも思えない。

166 :世界@名無史さん:2010/12/19(日) 11:53:53 0.net
二里頭の目と鼻の先に杞が存在する。桀が湯に攻められて最初に逃げ込んだのが
竹書紀年で有名な魏の土地。その後更に湯の軍に追い立てられて長江下流の良渚文化が
かつてあった巣(巣湖)まで逃げ込みここで没した。その地は禹が会盟を開いた地にも近く
また夏の末裔とされる越の地とも近い。そして、巣湖には「大昔に湖に沈んだ大都会」と言う伝説もあり
実際に近年巣湖から都市遺跡が発見されている。
ただその大都会は桀が逃げ込んだ時点では既に水没していたとも言われており実情は定かではない。
二里頭のすぐ近くに杞が存在し、桀の逃亡ルートにも夏とゆかりの土地が多い。
・桀が最初に逃げ込んだのが竹書紀年の出土した魏の地であったこと
・桀が最後を迎えた巣は湖に沈んだ大都会の伝説があり良渚文化の地であること
・また桀が最後を迎えた巣は禹が会盟を開いた会稽のすぐ近くである。ここで夏と禹が結びついたと推測される。
・そして、夏の末裔を名乗る越が起こったのもこの地方である

167 :世界@名無史さん:2010/12/19(日) 13:23:39 0.net
東北北海道に置ける義経伝説に似てるな。

168 :世界@名無史さん:2010/12/19(日) 14:14:30 0.net
越人の夏人の末裔説もまんざら根拠が無い訳ではないと。
ただ匈奴が夏人の末裔を自称したのは完全に眉唾。二里頭と匈奴の支配地域は離れすぎだし
どう考えても匈奴はスキタイの末裔

169 :世界@名無史さん:2010/12/19(日) 14:29:36 0.net
吐火羅=大夏、白匈奴=エフタル
五胡十六国の匈奴とはあんまり関係ない。

170 :世界@名無史さん:2010/12/19(日) 16:25:16 0.net
>>166
越(粤)はずっと離散せずに華南に留まり、タイ系の文化を保持し
広東福建浙江の基層になっているし、
トン族やタイランドと近縁なチワン族のほうは、タイ系言語のまま残っている。
わりあい追跡が可能な系統だよ。

171 :世界@名無史さん:2010/12/24(金) 13:36:26 0.net
印鑑遠からず

172 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 15:58:49 0.net
テレビ東京の「鑑定団」に出品された殷の時代の青銅器が「本物」と鑑定され、
2億円の値がつけられていたな。

依頼人はアメリカで華道の先生をしていた折、生徒が使っていた「生け花の器」を
カメラと交換して手に入れたという。

さて、元の持ち主のアメリカ人は、どうやってその青銅器を手に入れたものか。
アロー戦争で分捕ってきたのかな?

173 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 20:00:24 0.net
>>172
多分殷の青銅器なら、アロー戦争以後の出土だと思うが。殷墟の発掘が戦
争で中断してたから、その間に盗掘・密売がかなり行われて、個人所蔵で
結構世界中に拡散してる。

そういえば、もっと昔の日テレのEXテレビでやってた頃の鑑定団の前身
コーナーじゃ後漢の外戚の竇憲だったか竇融だったかの墓から出た印が確
か4億ついた事あったなあ。
あの時は戦争でゴタゴタ状態の時に中国人の知り合いにもらって、文化財
保護の観念も薄かったから持って帰れたとか言ってたかな?

174 :世界@名無史さん:2010/12/27(月) 08:40:48 0.net
近年でも晋公墓郡が盗掘されて、
貴重な青銅器が海外流出するところを香港で買い戻しに成功した、
なんて事件があったくらいだからなぁ。
しかもそれが355字もの銘文を持ち、
史記周本紀の記述を肯定する貴重なものだったりする。

175 :世界@名無史さん:2010/12/27(月) 12:27:33 0.net
>>161-163
それ、平勢説だろ。春秋三伝が孔子に仮託して戦国国家が編纂したものって、決定的な
根拠ないし、平勢説を完全に正しいという前提で、強引に解釈してる可能性の方が高い
と思うがな。
その辺、清の時代から、数世紀も考証学の検証経てるんだが、そういう解釈したのは平
勢氏だけ、と言うこと念頭に置くべきだろうし、はっきり言えば、全然通説にもなって
いない。単に中国の歴史や世界の歴史の概説書にあるってだけだ。
昔、ここで平勢説の専用スレがあったが、そもそも本人が漢文をまともに読めないこと
とか、滅茶苦茶問題指摘されてたぞ。

176 :世界@名無史さん:2010/12/27(月) 17:01:40 0.net
そもそも春秋が孔子の編纂てのは怪しい。

177 :世界@名無史さん:2010/12/28(火) 09:27:38 0.net
黄河中流域の乾燥農耕地帯から発生したタイ系の都市国家、夏王朝。
これを、北方の森林地帯から南下してきた商が滅ぼし、都市国家と
そのネットワークを発達させた。さらにこれを、西方の遊牧民出身、
周が滅ぼして、受け継いだ。中華はその黎明期からして、タイ系とアルタイ系の
混血文化であり、はじめから「中原」に確固とした厳然たる中華的なものが
存在したわけではないことをわれわれに教えてくれる。

178 :みゃお♪ ◆vHMONGpYyo :2010/12/28(火) 22:04:54 0.net
仰韶文化は焼畑。ミャオヤオも焼畑。タイ系のわけがない。
                    ,、
                  , ''  ̄``ヽ、     ノ i
                ,:'         、`"'' ‐'´,r'
               , '          i `"''' ´
      、,,. -_-_,---‐''           !
      =f  `<'              ,r'
      〈, '´r=ニ..         {    ,:':'
      _,>='-'´      ,...ヘ   ,'/
  r ,=ニ´‐' ´  ,,,,.---‐''"  ,,ノ ,:'ノ
  `''┴―‐ ''' ´         '-'- ''´

179 :世界@名無史さん:2010/12/28(火) 22:13:22 0.net
伏羲も神農も陳(河南の淮陽)に都を置いた。

180 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 17:05:44 0.net
三皇を司馬遷は神話に過ぎないと切り捨て
五帝の事もかなり実在性を疑っていたが逸話が豊富だったので一応載せた感じがする。
三皇五帝や盤古は割りと新しい神、もちろんモデルになった人物は居ただろう。
禹王はかなり古く西周初期の段階で名前が見られる金石文が存在するようだ。
香港かどこかで所有している人物が居る。ただ夏王朝との関連性は薄い。洪水を治める神であり
旅行をつかさどる旅行神の側面があるだけだ。

181 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 17:08:09 0.net
>>175
>>176
ヤッパリ孔子が春秋を書いたってのは嘘なん?

182 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 21:12:45 0.net
>>181
孔子が書いた証拠は何も無い。普通に考えて魯の国の歴史書なんだから魯の史官が書いたと考えるのが妥当。

183 :世界@名無史さん:2011/01/12(水) 01:58:23 0.net
>>182
ちょっと待て。

春秋なんて本当にメモ程度の書き方で
左伝が無きゃ何が書かれてるのかわからんほどだ。
史官が書いたものならもうっちょっとちゃんと記録するだろ。

あれはやっぱり専門家でない学者(孔子かどうかはわからんが)
が自分用メモとして書いたものだと思う。
他人に読ませる為に書いたにしては省略し過ぎ、断片的過ぎ、不親切このうえない。


184 :世界@名無史さん:2011/01/12(水) 19:13:07 0.net
春秋
竹書紀年
史記(秦記)
の夏・殷・西周・春秋時代に対する記述は多くで一致している。「共和」の意味の解釈が
違ったりするが大筋では一致している。
ただ甲骨や殷時代の金石文ではこれらの書物に載っていない事柄も書かれている。
三皇五帝の名前は無いが天帝とかは出てくる。夏も無いが代わりに杞は記述されており
殷の時代で既に杞国が存在しているのは興味深い。
二代目王「啓」と夏人の国「杞」が現地では同音異義語なのは興味深い。中国では日本に比べて遥かに
同音異義語が少なく偶然の一致にしては出来すぎ

185 :世界@名無史さん:2011/01/12(水) 22:28:08 0.net
>>183
そうかなぁ。当時の史書が他人に読ませる為の物かどうかすら判らんじゃないか。歴史を司る事を専門職とする
自分や後継者が理解出来ればそれで充分な、メモだったと考えたらどうだろう。(流石に無理があるか。)

186 :世界@名無史さん:2011/01/13(木) 06:35:16 0.net
>>183 >>185
元の春秋にも伝に相当するものがあっただろうが、
魯の国の史書だけに魯以外の事情には詳しくなかったため、
晋や楚の史書からも記事を収録した左氏伝の方が便利であるとして、
左氏伝が生き残り元の伝は失われたんだろう。

187 :世界@名無史さん:2011/01/14(金) 21:07:44 0.net
左氏伝に比べて公羊伝と穀梁伝はやや影が薄い

188 :世界@名無史さん:2011/01/15(土) 22:07:08 P.net
良渚文化って城壁も発見されて
宮殿らしき基壇も見つかったと(しかも二頭里より大きい)
記述があるけど
夏王朝以前だと神農を祖とする炎帝一族の国家だろうか

189 :世界@名無史さん:2011/01/15(土) 22:42:49 0.net
文化の性質からすると九黎かもしれんね

190 :世界@名無史さん:2011/01/16(日) 16:25:30 0.net
長江上流の巴蜀王朝も気になりますね。あそこは独自の文字が発見されていますしね。
まだ未解読のようですが。

191 :世界@名無史さん:2011/01/17(月) 20:03:01 0.net
夏の系譜って、魚系(コン)・夏(カ)・啓(ケイ)・康(コウ)・槐(カイ)・
降(コウ)・戸同(ケイ)・甲(コウ)・皐(コウ)・敬(ケイ)・癸(キ)・桀(ケツ)と、やたらにk音が多い気がするな
杞もキだし

192 :世界@名無史さん:2011/01/19(水) 15:01:49 0.net
前445年に楚に滅ぼされた「杞」は、河南杞県に残っていた本国(本家)で、
山東安丘へ移住していた杞は分家(杞伯・杞子)であろう。
楚は同時期に陳・蔡などを滅ぼしているが、まだ安丘まで深く斉に攻め込んではいない。
前431年には楚がシ斤水をさかのぼってキョ国を征服し、
その前には越(夏の末裔を称する)がキョと同緯度の琅邪まで北上しているが、どちらも安丘には届いていない。

「管鮑の交わり」の鮑叔は斉に移住した杞人の子孫で、杞の隣の陳からも田完が斉へ亡命している。
前445年以後、安丘や新泰の杞はどうなったのか。斉や魯に同化したのか。
孔子が「杞に夏の礼が伝わらぬ」と嘆いたのは、魯に程近い山東の杞か、陳蔡の間を放浪した時の河南の杞か。

古都・開封は杞県の北西にあるが、前8世紀に鄭の荘公が築いたときには「啓封」といい、
漢の景帝の本名を避けて「開封」となったという。夏后啓も同様に開と改字された。

193 :世界@名無史さん:2011/01/20(木) 16:55:37 0.net
>>191
中国語で発音すると啓も(キ)だからな、ついでに杞も中国語でも(キ)と発音で
啓と全く同じ同音異義語。上でも書いてあるが向こうの同音異義語は非常に少ない。
関連は大いにありだろう。殷の甲骨にも「杞侯」と呼ばれる諸侯の存在が確認されているしね。
>>192
啓は開くと言う意味で向こうで言う「ハツクニシラススメラミコト」なんでしょうね。
実質的な初代天皇であるとされる祟神天皇の様な存在でしょう。
禹は神武天皇のような存在で実在人物ではないでしょう。
要するに王家の祖を神格化した架空の存在だと。

194 :世界@名無史さん:2011/01/21(金) 04:34:41 0.net
下七垣文化の北狄商族が南下して河南に進出し、
偃師商城を築いて夏后を滅ぼしたようであるが、斉魯の東夷諸族はどう関連していたのか。
宋の商丘は淮水に近いが、商族は北狄に東夷が混じたものか。東夷に多く鳥祖神話があり、北狄にもまたある。
夏は盛んに東夷と争っており、有窮氏には一時滅ぼされたほどだが、
その前には帝丘(僕陽)まで進出していたともいう。
少康も有虞氏に逃れて夏を復興し、その庶子は越に住み着いたとすらいう。

五帝の高陽も帝丘に都を置いたというが、彼は禹の祖父とされ、
「蜀に生まれ、洪水を治め、三苗九黎を討つ」との事績が禹に酷似する。
高陽は禹が夏の始祖となったのち、それをもとに加上されたものか。
そもそも禹が高陽の孫なのに、虞舜は高陽の八代の子孫でまったくあわず、
別々の創作系譜を下手につぎはぎしたものに過ぎない。

195 :世界@名無史さん:2011/01/21(金) 15:05:21 0.net
巴蜀文字が夏文字の痕跡であるという説も聞いた事がある

196 :世界@名無史さん:2011/01/22(土) 23:00:16 0.net
熊本.チブサン古墳「三山角冠を被った人物像」
http://www2.ttcn.ne.jp/kobuta/bunnka3/cibu.jpg
http://kyuhaku.jmc.or.jp/kofun_img/chibusan.jpg
呉越時代.臨し出土.三山角冠を被った「水軍戦闘図」
http://img3.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/0a/2d/kawakatu_1205/folder/1585292/img_1585292_44914340_3?1219768360

197 :世界@名無史さん:2011/01/26(水) 13:00:14 0.net
生きているうちに解明してほしい事

1、邪馬台国の所在地と大和朝廷の関係の判明(宮内庁は古墳を掘らせるように)
2、夏王朝の実在性の照明
3、インダス文明のインダス文字の解読
4、メソポタミア文明のウル・ウルクの水没している都市の発掘(イラク人がポンプ使って水を吸い出して欲しい)
5、エジプトの三大ピラミッドのそばの衛星ピラミッド(多分コレがクフ王やカフラー王の墓)とスフィンクスの地下通路を完全に発掘
6、長江文明の巣湖の遺跡発掘
7、巴蜀文字の解読
8、クレタ島のA線文字の解読
9、南米のオルメカ文字の解読

二里頭は夏は広大な麦畑であるため発掘が出来ない。麦を刈り取った後の今の時期以外に発掘できないのが
最大の難点。春の種まきの季節の前までに発掘を終えて埋め戻し、また秋の刈入れ後に発掘を再開すると言う
ローテーションを組んでいるから効率が悪い。
麦畑の農民も生活かかっているから仕方が無い。実質冬しか発掘調査が出来ないのはほぼ年中発掘できる纒向と比べて
効率が悪すぎる。新しい宮殿が埋まっているのも発覚しているのに中々そこまで行き着けず時間切れになる。

198 :世界@名無史さん:2011/01/26(水) 13:04:08 0.net
二里頭の畑は麦よりもトウモロコシの産地みたいですね

199 :世界@名無史さん:2011/01/26(水) 13:12:56 0.net
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/chinaphoto/beijing/chinese/page/1-04-1.htm
コレが夏文字かも知れませんね

200 :世界@名無史さん:2011/01/30(日) 02:35:49 0.net
韓国の遺跡から土笛の出土例がない不思議?後世雅楽の楽器としては有るが。
日本では日本海側の縄文、弥生遺跡を中心に数多く(100個近く)出土し(前4後2穴)で中国と同じ作りである。

【土笛の歴史】http://images.china.cn/images/108952.jpg
http://www2.wind.ne.jp/ocarina/oca/ken.jpg
中国の殷や長江の河姆渡(かぼと)遺跡から約6千年前塤(けん)と呼ばれる土笛が発見され、これが最も古い ...
土笛の役割 陶塤(とうけん)である土笛は、中国の朝廷の儀式で使われたものですし、貴族がたしなむ楽器の一部でした........

弥生時代前期の土笛http://www2.wind.ne.jp/ocarina/oca/yayoi.jpg
http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/pics/iseki/ayaragikyoutsuchifue.jpg
http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/isekivisit/ayaragikyou.html
綾羅木郷遺跡(下関市)から弥生土器とともに出土した弥生笛のレプリカこれも「けん」と同様の方法で音を出します。
縄文時代中期http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/pics/iseki/dofue.jpg
縄文笛http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/08/000301.html

201 :世界@名無史さん:2011/01/30(日) 03:20:38 0.net
>>199
卜辞は結構知ってるが、上から二番目右のカラー画像とかみると
どうだかねえー。
▽に。とかありえん。一、二、三みたいなのも縦書きってのはねー。
単なるマークではなかろーか?

上から三番目真ん中は「貞」。
呉城刻符(帯字陶鉢)のとこは、右下が「土」、左下が「田」かな?
あとはちょっと判別つかん。俺ではね。

202 :世界@名無史さん:2011/02/14(月) 22:50:17 0.net
age

203 :世界@名無史さん:2011/02/19(土) 19:12:55 0.net
二代目王啓の発音は日本語で「キ」、中国語でも「キ」そして、杞も同じく日本語で「キ」、中国語でも「キ」
キとはメソポタミア文明のシュメール語で「君主」あるいは「世界の中心」、「大地」と言う意味である。
支配する者、この世の中心、大地そのもの・・・・
そう言う意味だ。
まったく脈絡もない上に無関係なのは濃厚だけど無理やりあてはめてみた。
たまたま発音が同じで意味が似通っていただけでこじつけてみましたが。

シュメール人が崑崙山脈を越えてやってきたという説も面白いかもしれません。

204 :よろずこ:2011/02/19(土) 20:26:51.43 0.net
>203
「啓」はふつう「ケイ」と読むと思うのだが。

205 :世界@名無史さん:2011/02/19(土) 22:20:26.43 0.net
>>203
日本語で「き」と発音する例を挙げてみて欲しいもんだ。

206 :世界@名無史さん:2011/02/20(日) 02:56:18.29 0.net
中国語の「啓」はqiの3声だが、これは「キ」じゃないと思うんだ。

207 :世界@名無史さん:2011/02/21(月) 01:35:39.18 0.net
>>203 日本の音読みでは啓の母音は「エイ」(実際は「エー」)、古語の特徴を残す広東語では「アイ」なので中古音では二重母音だったように思えるけど、
さらに遡ると普通話みたいに単母音「イー」に戻るのか

208 :世界@名無史さん:2011/02/21(月) 18:48:42.16 0.net
日本語読みだと「啓」はケイでしかないな。
どっちにしろ啓と杞が中国読みで発音がおなじ事に変わりは無いが。qiか・・・クィ?

209 :世界@名無史さん:2011/02/21(月) 18:55:56.28 0.net
なまじ漢字が同じだから発音問題は厄介(もちろん左が中国語読みで右が日本語読み)

胡錦濤=フーチンタオ=コキントウ

小泉純一郎=シャオチュアンイーラン=コイズミジュンイチロウ
麻生太郎=マーシェンタイラン=アソウタロウ

金正日=ジンジョンリー=キンショウニチ=キムジョンイル(韓国語読み)
李明博=リーミンボー=リアキヒロ=イミョンバク(韓国語読み)

シャオチュアンイーランとかマーシェンタイランとか最早なに人か分からん(笑)

210 :世界@名無史さん:2011/02/24(木) 08:02:54.12 0.net
中国でも地域によって読みが全然違うからねー

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