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【三代】夏殷周を語る【理想】

1 :寂しい唐揚:2010/09/15(水) 23:14:04 0.net
汲めども尽きぬロマンを語れ!

171 :世界@名無史さん:2010/12/24(金) 13:36:26 0.net
印鑑遠からず

172 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 15:58:49 0.net
テレビ東京の「鑑定団」に出品された殷の時代の青銅器が「本物」と鑑定され、
2億円の値がつけられていたな。

依頼人はアメリカで華道の先生をしていた折、生徒が使っていた「生け花の器」を
カメラと交換して手に入れたという。

さて、元の持ち主のアメリカ人は、どうやってその青銅器を手に入れたものか。
アロー戦争で分捕ってきたのかな?

173 :世界@名無史さん:2010/12/26(日) 20:00:24 0.net
>>172
多分殷の青銅器なら、アロー戦争以後の出土だと思うが。殷墟の発掘が戦
争で中断してたから、その間に盗掘・密売がかなり行われて、個人所蔵で
結構世界中に拡散してる。

そういえば、もっと昔の日テレのEXテレビでやってた頃の鑑定団の前身
コーナーじゃ後漢の外戚の竇憲だったか竇融だったかの墓から出た印が確
か4億ついた事あったなあ。
あの時は戦争でゴタゴタ状態の時に中国人の知り合いにもらって、文化財
保護の観念も薄かったから持って帰れたとか言ってたかな?

174 :世界@名無史さん:2010/12/27(月) 08:40:48 0.net
近年でも晋公墓郡が盗掘されて、
貴重な青銅器が海外流出するところを香港で買い戻しに成功した、
なんて事件があったくらいだからなぁ。
しかもそれが355字もの銘文を持ち、
史記周本紀の記述を肯定する貴重なものだったりする。

175 :世界@名無史さん:2010/12/27(月) 12:27:33 0.net
>>161-163
それ、平勢説だろ。春秋三伝が孔子に仮託して戦国国家が編纂したものって、決定的な
根拠ないし、平勢説を完全に正しいという前提で、強引に解釈してる可能性の方が高い
と思うがな。
その辺、清の時代から、数世紀も考証学の検証経てるんだが、そういう解釈したのは平
勢氏だけ、と言うこと念頭に置くべきだろうし、はっきり言えば、全然通説にもなって
いない。単に中国の歴史や世界の歴史の概説書にあるってだけだ。
昔、ここで平勢説の専用スレがあったが、そもそも本人が漢文をまともに読めないこと
とか、滅茶苦茶問題指摘されてたぞ。

176 :世界@名無史さん:2010/12/27(月) 17:01:40 0.net
そもそも春秋が孔子の編纂てのは怪しい。

177 :世界@名無史さん:2010/12/28(火) 09:27:38 0.net
黄河中流域の乾燥農耕地帯から発生したタイ系の都市国家、夏王朝。
これを、北方の森林地帯から南下してきた商が滅ぼし、都市国家と
そのネットワークを発達させた。さらにこれを、西方の遊牧民出身、
周が滅ぼして、受け継いだ。中華はその黎明期からして、タイ系とアルタイ系の
混血文化であり、はじめから「中原」に確固とした厳然たる中華的なものが
存在したわけではないことをわれわれに教えてくれる。

178 :みゃお♪ ◆vHMONGpYyo :2010/12/28(火) 22:04:54 0.net
仰韶文化は焼畑。ミャオヤオも焼畑。タイ系のわけがない。
                    ,、
                  , ''  ̄``ヽ、     ノ i
                ,:'         、`"'' ‐'´,r'
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      、,,. -_-_,---‐''           !
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179 :世界@名無史さん:2010/12/28(火) 22:13:22 0.net
伏羲も神農も陳(河南の淮陽)に都を置いた。

180 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 17:05:44 0.net
三皇を司馬遷は神話に過ぎないと切り捨て
五帝の事もかなり実在性を疑っていたが逸話が豊富だったので一応載せた感じがする。
三皇五帝や盤古は割りと新しい神、もちろんモデルになった人物は居ただろう。
禹王はかなり古く西周初期の段階で名前が見られる金石文が存在するようだ。
香港かどこかで所有している人物が居る。ただ夏王朝との関連性は薄い。洪水を治める神であり
旅行をつかさどる旅行神の側面があるだけだ。

181 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 17:08:09 0.net
>>175
>>176
ヤッパリ孔子が春秋を書いたってのは嘘なん?

182 :世界@名無史さん:2010/12/31(金) 21:12:45 0.net
>>181
孔子が書いた証拠は何も無い。普通に考えて魯の国の歴史書なんだから魯の史官が書いたと考えるのが妥当。

183 :世界@名無史さん:2011/01/12(水) 01:58:23 0.net
>>182
ちょっと待て。

春秋なんて本当にメモ程度の書き方で
左伝が無きゃ何が書かれてるのかわからんほどだ。
史官が書いたものならもうっちょっとちゃんと記録するだろ。

あれはやっぱり専門家でない学者(孔子かどうかはわからんが)
が自分用メモとして書いたものだと思う。
他人に読ませる為に書いたにしては省略し過ぎ、断片的過ぎ、不親切このうえない。


184 :世界@名無史さん:2011/01/12(水) 19:13:07 0.net
春秋
竹書紀年
史記(秦記)
の夏・殷・西周・春秋時代に対する記述は多くで一致している。「共和」の意味の解釈が
違ったりするが大筋では一致している。
ただ甲骨や殷時代の金石文ではこれらの書物に載っていない事柄も書かれている。
三皇五帝の名前は無いが天帝とかは出てくる。夏も無いが代わりに杞は記述されており
殷の時代で既に杞国が存在しているのは興味深い。
二代目王「啓」と夏人の国「杞」が現地では同音異義語なのは興味深い。中国では日本に比べて遥かに
同音異義語が少なく偶然の一致にしては出来すぎ

185 :世界@名無史さん:2011/01/12(水) 22:28:08 0.net
>>183
そうかなぁ。当時の史書が他人に読ませる為の物かどうかすら判らんじゃないか。歴史を司る事を専門職とする
自分や後継者が理解出来ればそれで充分な、メモだったと考えたらどうだろう。(流石に無理があるか。)

186 :世界@名無史さん:2011/01/13(木) 06:35:16 0.net
>>183 >>185
元の春秋にも伝に相当するものがあっただろうが、
魯の国の史書だけに魯以外の事情には詳しくなかったため、
晋や楚の史書からも記事を収録した左氏伝の方が便利であるとして、
左氏伝が生き残り元の伝は失われたんだろう。

187 :世界@名無史さん:2011/01/14(金) 21:07:44 0.net
左氏伝に比べて公羊伝と穀梁伝はやや影が薄い

188 :世界@名無史さん:2011/01/15(土) 22:07:08 P.net
良渚文化って城壁も発見されて
宮殿らしき基壇も見つかったと(しかも二頭里より大きい)
記述があるけど
夏王朝以前だと神農を祖とする炎帝一族の国家だろうか

189 :世界@名無史さん:2011/01/15(土) 22:42:49 0.net
文化の性質からすると九黎かもしれんね

190 :世界@名無史さん:2011/01/16(日) 16:25:30 0.net
長江上流の巴蜀王朝も気になりますね。あそこは独自の文字が発見されていますしね。
まだ未解読のようですが。

191 :世界@名無史さん:2011/01/17(月) 20:03:01 0.net
夏の系譜って、魚系(コン)・夏(カ)・啓(ケイ)・康(コウ)・槐(カイ)・
降(コウ)・戸同(ケイ)・甲(コウ)・皐(コウ)・敬(ケイ)・癸(キ)・桀(ケツ)と、やたらにk音が多い気がするな
杞もキだし

192 :世界@名無史さん:2011/01/19(水) 15:01:49 0.net
前445年に楚に滅ぼされた「杞」は、河南杞県に残っていた本国(本家)で、
山東安丘へ移住していた杞は分家(杞伯・杞子)であろう。
楚は同時期に陳・蔡などを滅ぼしているが、まだ安丘まで深く斉に攻め込んではいない。
前431年には楚がシ斤水をさかのぼってキョ国を征服し、
その前には越(夏の末裔を称する)がキョと同緯度の琅邪まで北上しているが、どちらも安丘には届いていない。

「管鮑の交わり」の鮑叔は斉に移住した杞人の子孫で、杞の隣の陳からも田完が斉へ亡命している。
前445年以後、安丘や新泰の杞はどうなったのか。斉や魯に同化したのか。
孔子が「杞に夏の礼が伝わらぬ」と嘆いたのは、魯に程近い山東の杞か、陳蔡の間を放浪した時の河南の杞か。

古都・開封は杞県の北西にあるが、前8世紀に鄭の荘公が築いたときには「啓封」といい、
漢の景帝の本名を避けて「開封」となったという。夏后啓も同様に開と改字された。

193 :世界@名無史さん:2011/01/20(木) 16:55:37 0.net
>>191
中国語で発音すると啓も(キ)だからな、ついでに杞も中国語でも(キ)と発音で
啓と全く同じ同音異義語。上でも書いてあるが向こうの同音異義語は非常に少ない。
関連は大いにありだろう。殷の甲骨にも「杞侯」と呼ばれる諸侯の存在が確認されているしね。
>>192
啓は開くと言う意味で向こうで言う「ハツクニシラススメラミコト」なんでしょうね。
実質的な初代天皇であるとされる祟神天皇の様な存在でしょう。
禹は神武天皇のような存在で実在人物ではないでしょう。
要するに王家の祖を神格化した架空の存在だと。

194 :世界@名無史さん:2011/01/21(金) 04:34:41 0.net
下七垣文化の北狄商族が南下して河南に進出し、
偃師商城を築いて夏后を滅ぼしたようであるが、斉魯の東夷諸族はどう関連していたのか。
宋の商丘は淮水に近いが、商族は北狄に東夷が混じたものか。東夷に多く鳥祖神話があり、北狄にもまたある。
夏は盛んに東夷と争っており、有窮氏には一時滅ぼされたほどだが、
その前には帝丘(僕陽)まで進出していたともいう。
少康も有虞氏に逃れて夏を復興し、その庶子は越に住み着いたとすらいう。

五帝の高陽も帝丘に都を置いたというが、彼は禹の祖父とされ、
「蜀に生まれ、洪水を治め、三苗九黎を討つ」との事績が禹に酷似する。
高陽は禹が夏の始祖となったのち、それをもとに加上されたものか。
そもそも禹が高陽の孫なのに、虞舜は高陽の八代の子孫でまったくあわず、
別々の創作系譜を下手につぎはぎしたものに過ぎない。

195 :世界@名無史さん:2011/01/21(金) 15:05:21 0.net
巴蜀文字が夏文字の痕跡であるという説も聞いた事がある

196 :世界@名無史さん:2011/01/22(土) 23:00:16 0.net
熊本.チブサン古墳「三山角冠を被った人物像」
http://www2.ttcn.ne.jp/kobuta/bunnka3/cibu.jpg
http://kyuhaku.jmc.or.jp/kofun_img/chibusan.jpg
呉越時代.臨し出土.三山角冠を被った「水軍戦闘図」
http://img3.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/0a/2d/kawakatu_1205/folder/1585292/img_1585292_44914340_3?1219768360

197 :世界@名無史さん:2011/01/26(水) 13:00:14 0.net
生きているうちに解明してほしい事

1、邪馬台国の所在地と大和朝廷の関係の判明(宮内庁は古墳を掘らせるように)
2、夏王朝の実在性の照明
3、インダス文明のインダス文字の解読
4、メソポタミア文明のウル・ウルクの水没している都市の発掘(イラク人がポンプ使って水を吸い出して欲しい)
5、エジプトの三大ピラミッドのそばの衛星ピラミッド(多分コレがクフ王やカフラー王の墓)とスフィンクスの地下通路を完全に発掘
6、長江文明の巣湖の遺跡発掘
7、巴蜀文字の解読
8、クレタ島のA線文字の解読
9、南米のオルメカ文字の解読

二里頭は夏は広大な麦畑であるため発掘が出来ない。麦を刈り取った後の今の時期以外に発掘できないのが
最大の難点。春の種まきの季節の前までに発掘を終えて埋め戻し、また秋の刈入れ後に発掘を再開すると言う
ローテーションを組んでいるから効率が悪い。
麦畑の農民も生活かかっているから仕方が無い。実質冬しか発掘調査が出来ないのはほぼ年中発掘できる纒向と比べて
効率が悪すぎる。新しい宮殿が埋まっているのも発覚しているのに中々そこまで行き着けず時間切れになる。

198 :世界@名無史さん:2011/01/26(水) 13:04:08 0.net
二里頭の畑は麦よりもトウモロコシの産地みたいですね

199 :世界@名無史さん:2011/01/26(水) 13:12:56 0.net
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/chinaphoto/beijing/chinese/page/1-04-1.htm
コレが夏文字かも知れませんね

200 :世界@名無史さん:2011/01/30(日) 02:35:49 0.net
韓国の遺跡から土笛の出土例がない不思議?後世雅楽の楽器としては有るが。
日本では日本海側の縄文、弥生遺跡を中心に数多く(100個近く)出土し(前4後2穴)で中国と同じ作りである。

【土笛の歴史】http://images.china.cn/images/108952.jpg
http://www2.wind.ne.jp/ocarina/oca/ken.jpg
中国の殷や長江の河姆渡(かぼと)遺跡から約6千年前塤(けん)と呼ばれる土笛が発見され、これが最も古い ...
土笛の役割 陶塤(とうけん)である土笛は、中国の朝廷の儀式で使われたものですし、貴族がたしなむ楽器の一部でした........

弥生時代前期の土笛http://www2.wind.ne.jp/ocarina/oca/yayoi.jpg
http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/pics/iseki/ayaragikyoutsuchifue.jpg
http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/isekivisit/ayaragikyou.html
綾羅木郷遺跡(下関市)から弥生土器とともに出土した弥生笛のレプリカこれも「けん」と同様の方法で音を出します。
縄文時代中期http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/pics/iseki/dofue.jpg
縄文笛http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/08/000301.html

201 :世界@名無史さん:2011/01/30(日) 03:20:38 0.net
>>199
卜辞は結構知ってるが、上から二番目右のカラー画像とかみると
どうだかねえー。
▽に。とかありえん。一、二、三みたいなのも縦書きってのはねー。
単なるマークではなかろーか?

上から三番目真ん中は「貞」。
呉城刻符(帯字陶鉢)のとこは、右下が「土」、左下が「田」かな?
あとはちょっと判別つかん。俺ではね。

202 :世界@名無史さん:2011/02/14(月) 22:50:17 0.net
age

203 :世界@名無史さん:2011/02/19(土) 19:12:55 0.net
二代目王啓の発音は日本語で「キ」、中国語でも「キ」そして、杞も同じく日本語で「キ」、中国語でも「キ」
キとはメソポタミア文明のシュメール語で「君主」あるいは「世界の中心」、「大地」と言う意味である。
支配する者、この世の中心、大地そのもの・・・・
そう言う意味だ。
まったく脈絡もない上に無関係なのは濃厚だけど無理やりあてはめてみた。
たまたま発音が同じで意味が似通っていただけでこじつけてみましたが。

シュメール人が崑崙山脈を越えてやってきたという説も面白いかもしれません。

204 :よろずこ:2011/02/19(土) 20:26:51.43 0.net
>203
「啓」はふつう「ケイ」と読むと思うのだが。

205 :世界@名無史さん:2011/02/19(土) 22:20:26.43 0.net
>>203
日本語で「き」と発音する例を挙げてみて欲しいもんだ。

206 :世界@名無史さん:2011/02/20(日) 02:56:18.29 0.net
中国語の「啓」はqiの3声だが、これは「キ」じゃないと思うんだ。

207 :世界@名無史さん:2011/02/21(月) 01:35:39.18 0.net
>>203 日本の音読みでは啓の母音は「エイ」(実際は「エー」)、古語の特徴を残す広東語では「アイ」なので中古音では二重母音だったように思えるけど、
さらに遡ると普通話みたいに単母音「イー」に戻るのか

208 :世界@名無史さん:2011/02/21(月) 18:48:42.16 0.net
日本語読みだと「啓」はケイでしかないな。
どっちにしろ啓と杞が中国読みで発音がおなじ事に変わりは無いが。qiか・・・クィ?

209 :世界@名無史さん:2011/02/21(月) 18:55:56.28 0.net
なまじ漢字が同じだから発音問題は厄介(もちろん左が中国語読みで右が日本語読み)

胡錦濤=フーチンタオ=コキントウ

小泉純一郎=シャオチュアンイーラン=コイズミジュンイチロウ
麻生太郎=マーシェンタイラン=アソウタロウ

金正日=ジンジョンリー=キンショウニチ=キムジョンイル(韓国語読み)
李明博=リーミンボー=リアキヒロ=イミョンバク(韓国語読み)

シャオチュアンイーランとかマーシェンタイランとか最早なに人か分からん(笑)

210 :世界@名無史さん:2011/02/24(木) 08:02:54.12 0.net
中国でも地域によって読みが全然違うからねー

211 :世界@名無史さん:2011/02/25(金) 16:49:29.58 0.net
北京語と広東語は沖縄方言とアイヌ語ぐらい違う

212 :世界@名無史さん:2011/02/25(金) 21:48:33.42 0.net
南方の方言は、シナ・チベット語族というより
タイ・カダイ語族といったほうがいいのかもしれん。

213 :世界@名無史さん:2011/02/26(土) 01:56:25.33 P.net
ところで夏王朝や殷王朝の頃
それに連合する邑諸侯以外本当に国家と呼ばれる体制はなかったのだろうか
周の時代、いつの間にか南方に楚が王朝を名乗っていたとあるけど
殷や夏の時代も中原の人が三苗族とかと蔑むだけで
実際は楚の前身たる三苗王朝や
蜀の前身たる三星堆も候ではなく王朝と名乗っていたのではないだろうか

214 :世界@名無史さん:2011/02/26(土) 03:33:45.53 0.net
古代の発音がどこまで正確に現代まで残ってるか?
残ってないとちゃうかなあ。

当時今で言う王朝の概念はなかったんと違うかな。
自身も「大邑商」といってるくらいだし。他よりおおきいぞー
くらいなもんだったのでは?

215 :世界@名無史さん:2011/02/26(土) 17:30:40.68 0.net
>>213
王朝と言うよりも部族社会だったのでしょう。蜀は相当発展しているけど中原には
及ばないし下流の方も王朝と言うよりはデカイ部族の集合体みたいな感じだしさ。

216 :世界@名無史さん:2011/02/26(土) 22:04:18.17 0.net
中原文化来自三星堆?
http://www.hynews.cc/sc/2009/0525/article_888.html

217 :世界@名無史さん:2011/02/28(月) 19:48:38.52 0.net
>>216
三星堆が中原の文化の源流?

218 :世界@名無史さん:2011/04/08(金) 21:25:27.05 P.net
夏王朝以前にも史記に記述がないだけで
日本の邪馬台国クラスの国家はいろいろあったようだね
五帝時代がそれを伝説として伝えているのだろうか


219 :世界@名無史さん:2011/04/17(日) 13:34:23.98 0.net
>>218
国家と言うよりも部族社会の集団だろうね。二里頭文化の初期は明らかに龍山文化だったし。
龍山文化の時に城壁みたいなのが村々を囲っていたのに二里頭の中期から城壁の様なものが壊されて
統一された用になっている。城壁が無くなると言うのは隣の村々が合併して国家になって行った過程だろう。
二里頭の後期は殷だと思うけどね。

五帝もおそらくは部族長とかの地位だったでしょう。それが伝説化されて強大な王になったと。


220 :世界@名無史さん:2011/04/17(日) 16:32:24.78 0.net
部族と国家の違いがよくわからん。
部族のでかいのが国家なのか?
いくつかの部族が連合・融合して国家になるのか?

221 :よろずこ:2011/04/25(月) 00:08:53.03 0.net
文字資料と伝承資料の違いだよ。

文字資料は、文字にした時点の事実。

伝承資料は、言い伝え・聞き伝え、
事実-αと考えるのがよいんでは?

222 :世界@名無史さん:2011/04/25(月) 10:42:12.56 0.net
>>220
いくつかの部族が連合・融合して国家になるのか?

その通りでしょう。いくつかの部族が合併して1つの文化圏を作ったのが国家。
違う部族が乱立していて城壁で囲んでけん制しあっている段階は国家とはいえない。
龍山文化は城壁で囲まれた部族社会でしかなく国家ではない。
ギリシャのポリスとも違い本当に分裂した状態。

223 :世界@名無史さん:2011/04/25(月) 10:50:20.70 0.net
部族のデカイのが大抵ほかの部族を吸収して国家になる。
邪馬台国連合とか大和朝廷(邪馬台国が発展した物だろうが)が国家。
その前の別れて100国が争う段階は国家とはいえない。
一応、奴国とか「国」と言う名前はあったりするけど部族社会に過ぎない。
国家とは中心になる存在があって複数の部族を束ねる存在が出て初めて存在しえる物。
ギリシャもポリスは独立した存在だったけど、アテネなりテーバイなりスパルタなりがその時々に
盟主となって「ギリシャ」と言う共通の国家を形作っていた。
これと似た感じで殷や夏がその盟主となってその他の勢力を束ねてきていたから夏や殷は国家だ。
夏以前の龍山文化は国家ではない。誰も指導者となるような勢力が存在しないからね。
各邑は勝手に行動してたし。隣の邑とは交流があっても同一感は全然無かったわけで。
夏が盟主となって初めて違う邑の間にも「中華」「中原」と言う統一感が生まれた。

224 :世界@名無史さん:2011/04/25(月) 11:03:49.66 0.net
二里頭第一期=龍山文化

二里頭第二期=夏前期

二里頭第三期=夏後期

二里頭第四期=殷

225 :世界@名無史さん:2011/04/25(月) 14:27:59.85 0.net
近代的な国家(state)でなくとも、都市国家だろうと一つの「国家」だろう。
各ポリスは数個の部族(phyle)からなり、部族は胞族(phratria)から、胞族は氏族(genos)からなる。
ローマも三つの部族(tri-bus)、三十の胞族(curia)、三百の氏族(gens)から始まった。
すべてのポリスを統一的に支配するような政治機構は存在せず、隣保同盟に過ぎなかった。

226 :世界@名無史さん:2011/04/26(火) 19:04:30.27 P.net
>>223
夏以前にも各諸侯をまとめた五帝がいるから
夏が最初の盟主って訳ではないと思う。

おそらく南の三苗(石家河文化)や東の東夷(岳石文化)
と戦うために有力な部族長であった黄帝を中心とする
連合体が生まれたのではなかろうか

227 :世界@名無史さん:2011/04/28(木) 22:20:33.56 0.net
夏は実在していたと思うニ里頭はかなり有望

半径100km以内で杞国があるし、竹書紀年が発見されているし、桀が最初に逃げ込んだ地もニ里頭から100km以内だし
後に魏が夏墟は我が国にあると言ったのもこの地だし。
かなり有望だ。文字状の刻印符号も発見されているし。

ただ夏以前の三皇五帝や禹の実在性を照明するのは神武天皇やアマテラスオオミカミの存在を立証するぐらい難しい。

228 :世界@名無史さん:2011/04/28(木) 22:28:44.48 0.net
>>224
二里頭第一期=龍山文化→それ以前から1000年以上続いている龍山文化そのもの。邑が城壁で囲まれていて互いにけん制しあっている。

二里頭第二期=夏前期→城壁が壊されて同一文化圏が出現しており。文化レベルが大幅にアップして建造物や青銅器などが段違いに。

二里頭第三期=夏後期→第二期をそのままなぞった形で拡大している。

二里頭第四期=殷→ここで新たな文化圏が誕生しており。以前の文化を吸収してしまっている。殷の文化の始まり。






229 :世界@名無史さん:2011/04/29(金) 09:53:46.56 0.net
城壁が壊されると言うのは重要。城壁が必要無くなったというわけだから。
邑同士が連合して同一の存在になったわけだ。
二里頭で初めてそれが生じた

230 :世界@名無史さん:2011/05/01(日) 14:15:10.53 0.net
実在性を日本に無理やり当てはめるとこんなもんだろうな

天照大神を始めとする八百万の神=三皇五帝
神武天皇=禹
祟神天皇=啓
武烈天皇=桀
継体天皇=湯

三皇は文字通り神様なので問題外だが、五帝も戦国時代の始め頃に初めて名前が登場した。
夏や禹の方がずっと古い。夏や禹は春秋初期に既に名前が見える(この時は禹は夏の初代王ではなく
洪水や旅行をつかさどる神であって人間ではなく夏とは切り離されていた)
夏の話が登場してから数百年たって始めて五帝の話が登場した。
最も何らかの人物がモデルになっていたであろうし五帝そのものは存在しなかったがそれに準じる
人物は居たであろう



231 :世界@名無史さん:2011/05/05(木) 11:00:30.06 0.net
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/18-4inkyohakutu2.htm
呉城遺跡の文字は殷墟より古いから甲骨文字の原型かもしれない

232 :世界@名無史さん:2011/06/01(水) 16:05:14.97 0.net
中国最古の長城、風力発電プロジェクトのため破壊される―
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=51706
新華網によると、中国・万里の長城で最古とされている「楚長城」が、
地で進められている風力発電建設プロジェクトによって、長さ2km余りに
わたって破壊されていることがわかった。

233 :世界@名無史さん:2011/06/18(土) 16:19:41.13 0.net
二里頭遺跡のあたりは立ち入り禁止ですか?

234 :世界@名無史さん:2011/06/20(月) 13:54:53.38 0.net
>>233
私有地みたいだから立ち入り禁止だと思うよ。
夏の間は麦畑かなんかみたいだし
発掘できるのは農作物の刈り上げが終わった冬から春にかけてだけ

土地を国が買い取ればいいのにっていつも思うけど、大規模な農場はそう簡単に立ち退きさせる事はできない
これが経済的理由だったら喜んで立ち退きさせるだろうけど学術調査だから向こうの政府も動きが鈍い

235 :世界@名無史さん:2011/07/10(日) 14:47:12.87 P.net
そういえば今年の調査で
夏王朝(二頭里)の同盟国、葛国らしい都市跡が発掘された
ってニュースで言っていたけど
葛国って殷にいろいろ嫌がらせしていたみたいだが

236 :寂しい唐揚げ:2011/07/19(火) 00:24:57.31 0.net
>>235
いつのニュース?ネットにある?
年代と規模は?文字資料は出たの?

237 :世界@名無史さん:2011/07/21(木) 01:28:56.36 P.net
河南の望京楼遺跡で夏代と殷代の大型城址を発見
http://jp.xinhuanet.com/2011-01/13/c_13688750_3.htm

238 :よろずこ:2011/07/21(木) 20:04:51.99 0.net
>237
>235

前殷王朝とか、前商王朝とか、というのが科学的な考え方のような気もするのだが。。。



239 :世界@名無史さん:2011/07/21(木) 20:21:24.42 0.net
クソコテの考え方は非科学的だな

240 :世界@名無史さん:2011/07/22(金) 01:06:19.18 0.net
>>237
二里頭が夏都に比定られてる理由の一つは、
他にめぼしい遺跡がさっぱり出てこなかった事とか。
新遺跡が夏の比定に与える影響はいかに?

>>238
夏という語を使いたくなければ、二里頭期という言葉がある。
意見しに来る前に、きちんと勉強して来てほしいのだけど。

241 :世界@名無史さん:2011/07/22(金) 07:35:13.58 P.net
いずれにせよ夏に比定されている王朝が
史記にある通り、
複数の都市国家からなる連合体と言う事は明らかになったんじゃなかろうか

これまでの史記でも葛国とかは、マイナーだったし
(周の建国史を殷に当てはめただけだというのが今までの考えだったけど)

242 :世界@名無史さん:2011/07/26(火) 19:06:44.18 0.net
夏はあっただろう。
しかし、それは周が殷の前を夏と呼んだだけで夏の自称や殷が夏をどう呼んでいたのか不明。
だから殷の甲骨文に夏に当たる国の名前が出ていたとしても文字だけではそれが夏なのか別の国なのかは分からない。
ただ杞は殷の時代から存在するのでこれが夏の末裔の可能性が高い


243 :世界@名無史さん:2011/08/19(金) 08:01:00.44 0.net
朝歌と殷墟(大商邑)は別の場所にあって、殷墟は滅亡まで250年首都
朝歌を首都と書いたのは司馬遷だっけ?
どういう理屈で書いたんだ?

244 :世界@名無史さん:2011/08/19(金) 08:38:45.75 0.net
まず日本語を勉強しようぜ

245 :世界@名無史さん:2011/08/21(日) 01:14:02.41 0.net
朝歌は殷の首都になったことがない

246 :世界@名無史さん:2011/08/21(日) 12:52:09.23 0.net
なぜ周は殷と呼び始めたのか?大邑商なら商と呼べばいいのに。
そもそも殷は大邑商の前の大邑殷の事、つまりは殷墟の前の殷王朝中期の都だったのでは?

247 :世界@名無史さん:2011/08/21(日) 14:23:18.36 0.net
殷は燕のことで、瀛や奄、偃、衛、允と同じ。
契や大業は玄鳥(燕)の卵を嚥下した母から生まれ、河北や山東に国を建てた。
北京は燕の都であったことから燕京と呼ばれるが、中原にも燕国や奄国があった。
殷の同族である孤竹や箕侯は燕京より東にあり、契の末裔には北殷氏がおり、
武庚の乱ののち朝歌付近には衛国が封建された。

248 :世界@名無史さん:2011/08/27(土) 16:01:54.58 0.net
殷は間違いなく東夷で遊牧民。夏は中原に根を張っていた農耕民族にして商業国家。
殷に夏が乗っ取られてその文化も全て殷の物となった。
夏は龍神信仰が強い王朝、それに対して殷や周は鳥神信仰が強い王朝。後の漢王朝に居たり
龍神信仰が復活した。そして、禹は龍神であり夏の信じる神であり、決して初代王などでは無い

249 :世界@名無史さん:2011/08/30(火) 20:53:28.82 0.net
遊牧がそんな早くに成立してたなんて初耳だなあ(棒

250 :世界@名無史さん:2011/09/04(日) 10:30:42.80 0.net
スキタイの前身カラスクが西戎の事である。殷は東方の民族だから関係ないかも知れんが

251 :世界@名無史さん:2011/09/10(土) 15:36:45.22 0.net
殷墟から西方由来のスポーク付き車輪のある乗り物が馬の骨とともに発見されている。
殷が滅ぶ250年前ぐらいの殷墟最初期の墓からこれらが出土している事から考えて
かなり前から西方との繋がりが示唆される。
紀元前1300年ごろの話でかなり興味深い。西方との交流はどの程度だったのか気になるな。
発見された馬のDNAも将来可能ならやる予定もあるらしいし

252 :世界@名無史さん:2011/09/27(火) 21:08:18.66 P.net
今日、本屋で城とか攻防戦とかの分厚い解説書があって
古代中国編というタイトルがあったから興味深く見ていたんだけど
(燕の都の復元イラストとか描いてあってなかなか良かった。)

その中で二里頭遺跡の後期の宮殿の地層の下から最近になって
二里頭初期の宮殿遺跡が見つかったと書いてあったんだけど…

253 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 19:04:38.43 0.net
二里頭遺跡は上でもあるように第一期〜第四期まである。
これまで発見されていたのは第四期の殷初期にあたる物で甲骨文字の原型とされる文字状の物が
発見されたのもこの時期に当たる。第四期の前の第三期は夏後期に当たるので
新たな宮殿が発見されたとすると真の意味で夏の宮殿であろう。
何が発見されるのか楽しみである。エジプトやインドでも次々に古い遺跡が発掘されているので
中国で発見されてもおかしくは無い。イラクだけは湾岸戦争直前に大規模な遺跡がせっかく発掘されたのに
戦争のせいで20年も放置された状態。まだ夏は恵まれている方だ。


254 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 19:15:08.58 0.net
付近の二里岡遺跡は昔から殷の初期の都亳だと言われてきたが長い間無視されていた。
殷は伝説上の王朝に過ぎず実在しないと言う懐疑派があまりにも長い間中国で支配的だったからだが。
史記にも項羽と劉邦が亳の遺跡の前で戦った逸話が出てくるし。二里岡遺跡のある場所から「亳」と書かれた
戦国時代の文字も見つかっている。ちょっとした看板みたいな物で、ここが亳なんだという認識は戦国時代に既にあった。
でも長い間それらの証拠を無視し続けてきたのが19世紀末までの状況。
戦国時代から考えても殷は700年ほど昔だがそれでも今よりは殷の情報は今よりも遥かに残っていた事だろう。

255 :世界@名無史さん:2011/12/01(木) 20:24:58.57 0.net
長い間って、、、殷が伝説だと言われていたのは19世紀の一時期だけじゃないの?

256 :世界@名無史さん:2011/12/01(木) 21:33:09.42 0.net
俺が小学生の頃は周ですら疑問符付きで殷は伝説にすぎないと担任は言っていたけどな

257 :世界@名無史さん:2011/12/01(木) 22:25:05.35 0.net
小学生の頃って、お前は幾つなんだ!!

>>255
春秋戦国の頃には既に伝説と考えられていた。五帝の実在性と同じ程度には信じてたろうが。

258 :世界@名無史さん:2011/12/07(水) 17:29:28.27 0.net
孫子の兵法ドラマは面白い
このスレの連中は絶対見ているな

259 :世界@名無史さん:2011/12/07(水) 19:34:30.17 0.net
高校の学芸会レベルの演技演出には食傷気味
かといって大作とかいわれている映画のワイヤーアクション・CGてんこ盛りもなぁ…

日本・中国・韓国と香港映画の差ってなんなんだろうか

260 :世界@名無史さん:2011/12/09(金) 00:14:11.86 0.net
あっているようであっていない
どうなんだろう
孫子兵法ドラマはまぁまぁだろ

261 :世界@名無史さん:2011/12/10(土) 01:34:07.54 0.net
いやいや
孫子兵法ドラマはいい加減なシナリオではねえよ
ただ国王が頻繁につり出されているのが日本人特有の違和感か

262 :世界@名無史さん:2011/12/10(土) 06:21:10.08 0.net
あのドラマを史実だと信じ込んでいる痛いやつがいた
ドラマは作り話なんだっての

263 :世界@名無史さん:2011/12/12(月) 00:04:33.42 0.net
だったら造り話は何だ?
偉そうに言ったからにはそれなりのことを言え

264 :世界@名無史さん:2011/12/12(月) 00:21:05.08 0.net
?ドラマは監督と脚本が作った作り話でしょ

265 :世界@名無史さん:2011/12/12(月) 00:29:40.00 0.net
>264
具体的にはどのような?

266 :世界@名無史さん:2011/12/12(月) 00:49:25.40 0.net
>>265
歴史を題材にした作り話

267 :世界@名無史さん:2011/12/12(月) 00:59:43.34 0.net
>>266
日本はこの当時は稲作に精を出し神頼みのだよな

268 :世界@名無史さん:2011/12/12(月) 09:59:39.94 0.net
中国の春秋戦国ドラマは日本の歴史ものにくらべてかなり史書に
忠実。中国人は原作を改変されるのを好まない。
但し、史書が恣意的に編纂されたものかが問題。

269 :世界@名無史さん:2011/12/13(火) 01:02:28.69 0.net
甲冑に馬に河で軍を醸し策略だとか
凄いな大陸は
日本島民といえば...

270 :世界@名無史さん:2011/12/13(火) 23:39:54.26 0.net
戦国時代の人々から見て
現在の日本人が歴史上の人物を想像するとなると
三皇=天照大神の時代
五帝=神武天皇〜欠史八代
夏=大和(飛鳥)時代
殷=室町時代
西周=江戸時代初期
ぐらいを想像するようなもの

271 :世界@名無史さん:2011/12/15(木) 21:41:31.53 0.net
>>270
殷は鎌倉幕府ぐらいだな

戦国時代の始まりを紀元前400年ごろと仮定し、そこを起点とするとして
現在の日本人から見て見ると
三皇=イザナミ・イザナギ
五帝=天照大神
禹=神武天皇
啓=祟神天皇
湯=聖徳太子
周武王姫発=源頼朝
東周平王=徳川家康

今の日本人がこれぐらい昔の人間を想像するようなものだ。

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