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【三代】夏殷周を語る【理想】

1 :寂しい唐揚:2010/09/15(水) 23:14:04 0.net
汲めども尽きぬロマンを語れ!

207 :世界@名無史さん:2011/02/21(月) 01:35:39.18 0.net
>>203 日本の音読みでは啓の母音は「エイ」(実際は「エー」)、古語の特徴を残す広東語では「アイ」なので中古音では二重母音だったように思えるけど、
さらに遡ると普通話みたいに単母音「イー」に戻るのか

208 :世界@名無史さん:2011/02/21(月) 18:48:42.16 0.net
日本語読みだと「啓」はケイでしかないな。
どっちにしろ啓と杞が中国読みで発音がおなじ事に変わりは無いが。qiか・・・クィ?

209 :世界@名無史さん:2011/02/21(月) 18:55:56.28 0.net
なまじ漢字が同じだから発音問題は厄介(もちろん左が中国語読みで右が日本語読み)

胡錦濤=フーチンタオ=コキントウ

小泉純一郎=シャオチュアンイーラン=コイズミジュンイチロウ
麻生太郎=マーシェンタイラン=アソウタロウ

金正日=ジンジョンリー=キンショウニチ=キムジョンイル(韓国語読み)
李明博=リーミンボー=リアキヒロ=イミョンバク(韓国語読み)

シャオチュアンイーランとかマーシェンタイランとか最早なに人か分からん(笑)

210 :世界@名無史さん:2011/02/24(木) 08:02:54.12 0.net
中国でも地域によって読みが全然違うからねー

211 :世界@名無史さん:2011/02/25(金) 16:49:29.58 0.net
北京語と広東語は沖縄方言とアイヌ語ぐらい違う

212 :世界@名無史さん:2011/02/25(金) 21:48:33.42 0.net
南方の方言は、シナ・チベット語族というより
タイ・カダイ語族といったほうがいいのかもしれん。

213 :世界@名無史さん:2011/02/26(土) 01:56:25.33 P.net
ところで夏王朝や殷王朝の頃
それに連合する邑諸侯以外本当に国家と呼ばれる体制はなかったのだろうか
周の時代、いつの間にか南方に楚が王朝を名乗っていたとあるけど
殷や夏の時代も中原の人が三苗族とかと蔑むだけで
実際は楚の前身たる三苗王朝や
蜀の前身たる三星堆も候ではなく王朝と名乗っていたのではないだろうか

214 :世界@名無史さん:2011/02/26(土) 03:33:45.53 0.net
古代の発音がどこまで正確に現代まで残ってるか?
残ってないとちゃうかなあ。

当時今で言う王朝の概念はなかったんと違うかな。
自身も「大邑商」といってるくらいだし。他よりおおきいぞー
くらいなもんだったのでは?

215 :世界@名無史さん:2011/02/26(土) 17:30:40.68 0.net
>>213
王朝と言うよりも部族社会だったのでしょう。蜀は相当発展しているけど中原には
及ばないし下流の方も王朝と言うよりはデカイ部族の集合体みたいな感じだしさ。

216 :世界@名無史さん:2011/02/26(土) 22:04:18.17 0.net
中原文化来自三星堆?
http://www.hynews.cc/sc/2009/0525/article_888.html

217 :世界@名無史さん:2011/02/28(月) 19:48:38.52 0.net
>>216
三星堆が中原の文化の源流?

218 :世界@名無史さん:2011/04/08(金) 21:25:27.05 P.net
夏王朝以前にも史記に記述がないだけで
日本の邪馬台国クラスの国家はいろいろあったようだね
五帝時代がそれを伝説として伝えているのだろうか


219 :世界@名無史さん:2011/04/17(日) 13:34:23.98 0.net
>>218
国家と言うよりも部族社会の集団だろうね。二里頭文化の初期は明らかに龍山文化だったし。
龍山文化の時に城壁みたいなのが村々を囲っていたのに二里頭の中期から城壁の様なものが壊されて
統一された用になっている。城壁が無くなると言うのは隣の村々が合併して国家になって行った過程だろう。
二里頭の後期は殷だと思うけどね。

五帝もおそらくは部族長とかの地位だったでしょう。それが伝説化されて強大な王になったと。


220 :世界@名無史さん:2011/04/17(日) 16:32:24.78 0.net
部族と国家の違いがよくわからん。
部族のでかいのが国家なのか?
いくつかの部族が連合・融合して国家になるのか?

221 :よろずこ:2011/04/25(月) 00:08:53.03 0.net
文字資料と伝承資料の違いだよ。

文字資料は、文字にした時点の事実。

伝承資料は、言い伝え・聞き伝え、
事実-αと考えるのがよいんでは?

222 :世界@名無史さん:2011/04/25(月) 10:42:12.56 0.net
>>220
いくつかの部族が連合・融合して国家になるのか?

その通りでしょう。いくつかの部族が合併して1つの文化圏を作ったのが国家。
違う部族が乱立していて城壁で囲んでけん制しあっている段階は国家とはいえない。
龍山文化は城壁で囲まれた部族社会でしかなく国家ではない。
ギリシャのポリスとも違い本当に分裂した状態。

223 :世界@名無史さん:2011/04/25(月) 10:50:20.70 0.net
部族のデカイのが大抵ほかの部族を吸収して国家になる。
邪馬台国連合とか大和朝廷(邪馬台国が発展した物だろうが)が国家。
その前の別れて100国が争う段階は国家とはいえない。
一応、奴国とか「国」と言う名前はあったりするけど部族社会に過ぎない。
国家とは中心になる存在があって複数の部族を束ねる存在が出て初めて存在しえる物。
ギリシャもポリスは独立した存在だったけど、アテネなりテーバイなりスパルタなりがその時々に
盟主となって「ギリシャ」と言う共通の国家を形作っていた。
これと似た感じで殷や夏がその盟主となってその他の勢力を束ねてきていたから夏や殷は国家だ。
夏以前の龍山文化は国家ではない。誰も指導者となるような勢力が存在しないからね。
各邑は勝手に行動してたし。隣の邑とは交流があっても同一感は全然無かったわけで。
夏が盟主となって初めて違う邑の間にも「中華」「中原」と言う統一感が生まれた。

224 :世界@名無史さん:2011/04/25(月) 11:03:49.66 0.net
二里頭第一期=龍山文化

二里頭第二期=夏前期

二里頭第三期=夏後期

二里頭第四期=殷

225 :世界@名無史さん:2011/04/25(月) 14:27:59.85 0.net
近代的な国家(state)でなくとも、都市国家だろうと一つの「国家」だろう。
各ポリスは数個の部族(phyle)からなり、部族は胞族(phratria)から、胞族は氏族(genos)からなる。
ローマも三つの部族(tri-bus)、三十の胞族(curia)、三百の氏族(gens)から始まった。
すべてのポリスを統一的に支配するような政治機構は存在せず、隣保同盟に過ぎなかった。

226 :世界@名無史さん:2011/04/26(火) 19:04:30.27 P.net
>>223
夏以前にも各諸侯をまとめた五帝がいるから
夏が最初の盟主って訳ではないと思う。

おそらく南の三苗(石家河文化)や東の東夷(岳石文化)
と戦うために有力な部族長であった黄帝を中心とする
連合体が生まれたのではなかろうか

227 :世界@名無史さん:2011/04/28(木) 22:20:33.56 0.net
夏は実在していたと思うニ里頭はかなり有望

半径100km以内で杞国があるし、竹書紀年が発見されているし、桀が最初に逃げ込んだ地もニ里頭から100km以内だし
後に魏が夏墟は我が国にあると言ったのもこの地だし。
かなり有望だ。文字状の刻印符号も発見されているし。

ただ夏以前の三皇五帝や禹の実在性を照明するのは神武天皇やアマテラスオオミカミの存在を立証するぐらい難しい。

228 :世界@名無史さん:2011/04/28(木) 22:28:44.48 0.net
>>224
二里頭第一期=龍山文化→それ以前から1000年以上続いている龍山文化そのもの。邑が城壁で囲まれていて互いにけん制しあっている。

二里頭第二期=夏前期→城壁が壊されて同一文化圏が出現しており。文化レベルが大幅にアップして建造物や青銅器などが段違いに。

二里頭第三期=夏後期→第二期をそのままなぞった形で拡大している。

二里頭第四期=殷→ここで新たな文化圏が誕生しており。以前の文化を吸収してしまっている。殷の文化の始まり。






229 :世界@名無史さん:2011/04/29(金) 09:53:46.56 0.net
城壁が壊されると言うのは重要。城壁が必要無くなったというわけだから。
邑同士が連合して同一の存在になったわけだ。
二里頭で初めてそれが生じた

230 :世界@名無史さん:2011/05/01(日) 14:15:10.53 0.net
実在性を日本に無理やり当てはめるとこんなもんだろうな

天照大神を始めとする八百万の神=三皇五帝
神武天皇=禹
祟神天皇=啓
武烈天皇=桀
継体天皇=湯

三皇は文字通り神様なので問題外だが、五帝も戦国時代の始め頃に初めて名前が登場した。
夏や禹の方がずっと古い。夏や禹は春秋初期に既に名前が見える(この時は禹は夏の初代王ではなく
洪水や旅行をつかさどる神であって人間ではなく夏とは切り離されていた)
夏の話が登場してから数百年たって始めて五帝の話が登場した。
最も何らかの人物がモデルになっていたであろうし五帝そのものは存在しなかったがそれに準じる
人物は居たであろう



231 :世界@名無史さん:2011/05/05(木) 11:00:30.06 0.net
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/18-4inkyohakutu2.htm
呉城遺跡の文字は殷墟より古いから甲骨文字の原型かもしれない

232 :世界@名無史さん:2011/06/01(水) 16:05:14.97 0.net
中国最古の長城、風力発電プロジェクトのため破壊される―
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=51706
新華網によると、中国・万里の長城で最古とされている「楚長城」が、
地で進められている風力発電建設プロジェクトによって、長さ2km余りに
わたって破壊されていることがわかった。

233 :世界@名無史さん:2011/06/18(土) 16:19:41.13 0.net
二里頭遺跡のあたりは立ち入り禁止ですか?

234 :世界@名無史さん:2011/06/20(月) 13:54:53.38 0.net
>>233
私有地みたいだから立ち入り禁止だと思うよ。
夏の間は麦畑かなんかみたいだし
発掘できるのは農作物の刈り上げが終わった冬から春にかけてだけ

土地を国が買い取ればいいのにっていつも思うけど、大規模な農場はそう簡単に立ち退きさせる事はできない
これが経済的理由だったら喜んで立ち退きさせるだろうけど学術調査だから向こうの政府も動きが鈍い

235 :世界@名無史さん:2011/07/10(日) 14:47:12.87 P.net
そういえば今年の調査で
夏王朝(二頭里)の同盟国、葛国らしい都市跡が発掘された
ってニュースで言っていたけど
葛国って殷にいろいろ嫌がらせしていたみたいだが

236 :寂しい唐揚げ:2011/07/19(火) 00:24:57.31 0.net
>>235
いつのニュース?ネットにある?
年代と規模は?文字資料は出たの?

237 :世界@名無史さん:2011/07/21(木) 01:28:56.36 P.net
河南の望京楼遺跡で夏代と殷代の大型城址を発見
http://jp.xinhuanet.com/2011-01/13/c_13688750_3.htm

238 :よろずこ:2011/07/21(木) 20:04:51.99 0.net
>237
>235

前殷王朝とか、前商王朝とか、というのが科学的な考え方のような気もするのだが。。。



239 :世界@名無史さん:2011/07/21(木) 20:21:24.42 0.net
クソコテの考え方は非科学的だな

240 :世界@名無史さん:2011/07/22(金) 01:06:19.18 0.net
>>237
二里頭が夏都に比定られてる理由の一つは、
他にめぼしい遺跡がさっぱり出てこなかった事とか。
新遺跡が夏の比定に与える影響はいかに?

>>238
夏という語を使いたくなければ、二里頭期という言葉がある。
意見しに来る前に、きちんと勉強して来てほしいのだけど。

241 :世界@名無史さん:2011/07/22(金) 07:35:13.58 P.net
いずれにせよ夏に比定されている王朝が
史記にある通り、
複数の都市国家からなる連合体と言う事は明らかになったんじゃなかろうか

これまでの史記でも葛国とかは、マイナーだったし
(周の建国史を殷に当てはめただけだというのが今までの考えだったけど)

242 :世界@名無史さん:2011/07/26(火) 19:06:44.18 0.net
夏はあっただろう。
しかし、それは周が殷の前を夏と呼んだだけで夏の自称や殷が夏をどう呼んでいたのか不明。
だから殷の甲骨文に夏に当たる国の名前が出ていたとしても文字だけではそれが夏なのか別の国なのかは分からない。
ただ杞は殷の時代から存在するのでこれが夏の末裔の可能性が高い


243 :世界@名無史さん:2011/08/19(金) 08:01:00.44 0.net
朝歌と殷墟(大商邑)は別の場所にあって、殷墟は滅亡まで250年首都
朝歌を首都と書いたのは司馬遷だっけ?
どういう理屈で書いたんだ?

244 :世界@名無史さん:2011/08/19(金) 08:38:45.75 0.net
まず日本語を勉強しようぜ

245 :世界@名無史さん:2011/08/21(日) 01:14:02.41 0.net
朝歌は殷の首都になったことがない

246 :世界@名無史さん:2011/08/21(日) 12:52:09.23 0.net
なぜ周は殷と呼び始めたのか?大邑商なら商と呼べばいいのに。
そもそも殷は大邑商の前の大邑殷の事、つまりは殷墟の前の殷王朝中期の都だったのでは?

247 :世界@名無史さん:2011/08/21(日) 14:23:18.36 0.net
殷は燕のことで、瀛や奄、偃、衛、允と同じ。
契や大業は玄鳥(燕)の卵を嚥下した母から生まれ、河北や山東に国を建てた。
北京は燕の都であったことから燕京と呼ばれるが、中原にも燕国や奄国があった。
殷の同族である孤竹や箕侯は燕京より東にあり、契の末裔には北殷氏がおり、
武庚の乱ののち朝歌付近には衛国が封建された。

248 :世界@名無史さん:2011/08/27(土) 16:01:54.58 0.net
殷は間違いなく東夷で遊牧民。夏は中原に根を張っていた農耕民族にして商業国家。
殷に夏が乗っ取られてその文化も全て殷の物となった。
夏は龍神信仰が強い王朝、それに対して殷や周は鳥神信仰が強い王朝。後の漢王朝に居たり
龍神信仰が復活した。そして、禹は龍神であり夏の信じる神であり、決して初代王などでは無い

249 :世界@名無史さん:2011/08/30(火) 20:53:28.82 0.net
遊牧がそんな早くに成立してたなんて初耳だなあ(棒

250 :世界@名無史さん:2011/09/04(日) 10:30:42.80 0.net
スキタイの前身カラスクが西戎の事である。殷は東方の民族だから関係ないかも知れんが

251 :世界@名無史さん:2011/09/10(土) 15:36:45.22 0.net
殷墟から西方由来のスポーク付き車輪のある乗り物が馬の骨とともに発見されている。
殷が滅ぶ250年前ぐらいの殷墟最初期の墓からこれらが出土している事から考えて
かなり前から西方との繋がりが示唆される。
紀元前1300年ごろの話でかなり興味深い。西方との交流はどの程度だったのか気になるな。
発見された馬のDNAも将来可能ならやる予定もあるらしいし

252 :世界@名無史さん:2011/09/27(火) 21:08:18.66 P.net
今日、本屋で城とか攻防戦とかの分厚い解説書があって
古代中国編というタイトルがあったから興味深く見ていたんだけど
(燕の都の復元イラストとか描いてあってなかなか良かった。)

その中で二里頭遺跡の後期の宮殿の地層の下から最近になって
二里頭初期の宮殿遺跡が見つかったと書いてあったんだけど…

253 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 19:04:38.43 0.net
二里頭遺跡は上でもあるように第一期〜第四期まである。
これまで発見されていたのは第四期の殷初期にあたる物で甲骨文字の原型とされる文字状の物が
発見されたのもこの時期に当たる。第四期の前の第三期は夏後期に当たるので
新たな宮殿が発見されたとすると真の意味で夏の宮殿であろう。
何が発見されるのか楽しみである。エジプトやインドでも次々に古い遺跡が発掘されているので
中国で発見されてもおかしくは無い。イラクだけは湾岸戦争直前に大規模な遺跡がせっかく発掘されたのに
戦争のせいで20年も放置された状態。まだ夏は恵まれている方だ。


254 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 19:15:08.58 0.net
付近の二里岡遺跡は昔から殷の初期の都亳だと言われてきたが長い間無視されていた。
殷は伝説上の王朝に過ぎず実在しないと言う懐疑派があまりにも長い間中国で支配的だったからだが。
史記にも項羽と劉邦が亳の遺跡の前で戦った逸話が出てくるし。二里岡遺跡のある場所から「亳」と書かれた
戦国時代の文字も見つかっている。ちょっとした看板みたいな物で、ここが亳なんだという認識は戦国時代に既にあった。
でも長い間それらの証拠を無視し続けてきたのが19世紀末までの状況。
戦国時代から考えても殷は700年ほど昔だがそれでも今よりは殷の情報は今よりも遥かに残っていた事だろう。

255 :世界@名無史さん:2011/12/01(木) 20:24:58.57 0.net
長い間って、、、殷が伝説だと言われていたのは19世紀の一時期だけじゃないの?

256 :世界@名無史さん:2011/12/01(木) 21:33:09.42 0.net
俺が小学生の頃は周ですら疑問符付きで殷は伝説にすぎないと担任は言っていたけどな

257 :世界@名無史さん:2011/12/01(木) 22:25:05.35 0.net
小学生の頃って、お前は幾つなんだ!!

>>255
春秋戦国の頃には既に伝説と考えられていた。五帝の実在性と同じ程度には信じてたろうが。

258 :世界@名無史さん:2011/12/07(水) 17:29:28.27 0.net
孫子の兵法ドラマは面白い
このスレの連中は絶対見ているな

259 :世界@名無史さん:2011/12/07(水) 19:34:30.17 0.net
高校の学芸会レベルの演技演出には食傷気味
かといって大作とかいわれている映画のワイヤーアクション・CGてんこ盛りもなぁ…

日本・中国・韓国と香港映画の差ってなんなんだろうか

260 :世界@名無史さん:2011/12/09(金) 00:14:11.86 0.net
あっているようであっていない
どうなんだろう
孫子兵法ドラマはまぁまぁだろ

261 :世界@名無史さん:2011/12/10(土) 01:34:07.54 0.net
いやいや
孫子兵法ドラマはいい加減なシナリオではねえよ
ただ国王が頻繁につり出されているのが日本人特有の違和感か

262 :世界@名無史さん:2011/12/10(土) 06:21:10.08 0.net
あのドラマを史実だと信じ込んでいる痛いやつがいた
ドラマは作り話なんだっての

263 :世界@名無史さん:2011/12/12(月) 00:04:33.42 0.net
だったら造り話は何だ?
偉そうに言ったからにはそれなりのことを言え

264 :世界@名無史さん:2011/12/12(月) 00:21:05.08 0.net
?ドラマは監督と脚本が作った作り話でしょ

265 :世界@名無史さん:2011/12/12(月) 00:29:40.00 0.net
>264
具体的にはどのような?

266 :世界@名無史さん:2011/12/12(月) 00:49:25.40 0.net
>>265
歴史を題材にした作り話

267 :世界@名無史さん:2011/12/12(月) 00:59:43.34 0.net
>>266
日本はこの当時は稲作に精を出し神頼みのだよな

268 :世界@名無史さん:2011/12/12(月) 09:59:39.94 0.net
中国の春秋戦国ドラマは日本の歴史ものにくらべてかなり史書に
忠実。中国人は原作を改変されるのを好まない。
但し、史書が恣意的に編纂されたものかが問題。

269 :世界@名無史さん:2011/12/13(火) 01:02:28.69 0.net
甲冑に馬に河で軍を醸し策略だとか
凄いな大陸は
日本島民といえば...

270 :世界@名無史さん:2011/12/13(火) 23:39:54.26 0.net
戦国時代の人々から見て
現在の日本人が歴史上の人物を想像するとなると
三皇=天照大神の時代
五帝=神武天皇〜欠史八代
夏=大和(飛鳥)時代
殷=室町時代
西周=江戸時代初期
ぐらいを想像するようなもの

271 :世界@名無史さん:2011/12/15(木) 21:41:31.53 0.net
>>270
殷は鎌倉幕府ぐらいだな

戦国時代の始まりを紀元前400年ごろと仮定し、そこを起点とするとして
現在の日本人から見て見ると
三皇=イザナミ・イザナギ
五帝=天照大神
禹=神武天皇
啓=祟神天皇
湯=聖徳太子
周武王姫発=源頼朝
東周平王=徳川家康

今の日本人がこれぐらい昔の人間を想像するようなものだ。

272 :世界@名無史さん:2011/12/15(木) 21:49:30.41 0.net
家康以降日本の400年と中国の2800年は等しいということですね分かります

273 :世界@名無史さん:2011/12/20(火) 20:07:14.21 0.net
>>272
いや戦国時代の開始された紀元前400年ぐらいの中国人から見た古代中国の歴史と現在の日本人から見た
古代日本を当てはめてみました。
戦国時代というから日本の戦国時代と紛らわしいですけどね。
年代的に考えたら戦国時代の中国人から見た湯は、現在の日本人から見た聖徳太子を想像するようなものだ。
法隆寺は残っているけど聖徳太子がどんな奴だったか詳細までは分からない。
同様に戦国時代の中国人から見て湯がどんな奴だったかは詳細までは分からない。
でもそれぞれ東周平王や徳川家康の事はもっと分かっている。

要するに戦国時代の歴史書は現在の日本人から見た日本書紀みたいな代物と言う事で
かなり伝説が含まれているということだね

ちょっと無理やり年代的なものだけで当てはめてみましたが
同時代の金石文や甲骨文字の方が信憑性はより高いのでしょう



274 :世界@名無史さん:2011/12/20(火) 20:37:04.98 0.net
戦国時代の人間から見て殷の湯王は1300年〜1400年前の人間。
今の日本人が聖徳太子とか天武天皇あたりを想像するようなものだ。

275 :世界@名無史さん:2011/12/20(火) 20:38:36.65 0.net
夏王朝なんて戦国時代の人間から見たら、今の日本人が邪馬台国を想像するようなレベル

276 :世界@名無史さん:2011/12/23(金) 12:17:32.77 0.net
ヘロドトスがピラミッド建設時を想像するのは邪馬台国どころか奴国を現在の日本人が
想像するようなものだからな・・・・
戦国時代の歴史書で夏を想像するのはかなり難しいと言う事だね

277 :世界@名無史さん:2012/01/08(日) 23:32:25.24 0.net
少なくとも殷に関しては宋にそこそこ記録があったのでは?


278 :世界@名無史さん:2012/01/09(月) 14:19:50.69 0.net
>>277
宋に関してはここ近年に遺跡が発掘されて文字資料も出てきている。
初代の王?と思しき人物について書かれているとされているが字が似ているだけで
別人かもしれないとも言われている。現在のところは鑑定中とか。
ただ杞の方はまだ発掘が進んでいない。杞の王墓が発見されれば夏も殷並みとは言わないまでも
ある程度は分かるでしょう。もうひとつは西周の王墓の発見だな。こちらも全く見つかっておらず
謎のまま。文字資料がおそらく大量に見つかるだろうから発見が待たれる。

279 :世界@名無史さん:2012/01/16(月) 19:55:05.48 O.net
紂王と箕子は近い血族だったの?

280 :世界@名無史さん:2012/01/16(月) 23:07:40.37 0.net
文丁の子で帝乙の弟。帝辛(紂王)の叔父にあたる。

281 :世界@名無史さん:2012/01/17(火) 05:49:07.62 O.net
謝謝
箕子が檀君かもしれませんね

282 :世界@名無史さん:2012/01/21(土) 13:44:52.64 0.net
ヒカンとキシはどちらが兄だったのでしょうかね。
ブコウロクホはチュウオウの三男だったのでしょうか。

283 :世界@名無史さん:2012/01/21(土) 17:27:05.21 0.net
>日本はこの当時は稲作に精を出し神頼みのだよな

後に呉越人が日本に渡来かw遺伝子判定で否定的論調が多いが
この時代で渡来可能性は造船技術をみれば間違いないな

284 :世界@名無史さん:2012/01/23(月) 00:21:43.66 0.net
>>282
>ヒカンとキシはどちらが兄だったのでしょうかね。
書いた物が無いから判りません。

>ブコウロクホはチュウオウの三男だったのでしょうか。
何かに書いてありましたか?

285 :世界@名無史さん:2012/02/10(金) 01:32:24.83 P.net
http://www.xinhua.jp/socioeconomy/politics_economics_society/286915/
去年二里頭遺跡で見つかった3600年前の宮殿後は
果たして夏か殷か?

286 :世界@名無史さん:2012/02/11(土) 23:24:41.05 0.net
>>285
麦畑だかトウモロコシ畑だかが私有地なので秋から冬にかけてしか発掘できないのが難点だね
今の季節は最後の追い込みと言った感じ。4月になれば農家の人が種まきを始めるんで埋め戻して撤収のいつもの流れ。
農家の人も生活が懸かっているからしょうがないけど

287 :世界@名無史さん:2012/02/12(日) 00:04:25.43 0.net
今の中国に私有地があるのか?

288 :世界@名無史さん:2012/02/12(日) 01:46:06.11 0.net
私有地あるよ
欧米と同じ方式でウルトラ長期の借地権方式

289 :世界@名無史さん:2012/02/17(金) 16:47:58.18 0.net
まあ農家の人は遺跡も大事だけど生活も大事だからな・・・・


290 :世界@名無史さん:2012/02/19(日) 12:29:10.56 0.net
今回の二里頭の発掘にNHK取材陣も訪れている模様
NHKで今年特集するってさ。殷より古い時代の中華王朝の原型がどうたらこうたらとテレビでやってた

291 :世界@名無史さん:2012/03/04(日) 00:19:52.93 0.net
たまには海外旅行に行きたいんだけど、このスレ的にはどこがオススメ?
鄭州の殷代城壁は第1候補なんだけど、
他に竜山〜夏の遺跡や博物館等で楽しいところがあったら教えてくださいm(。・_・。)m

292 :世界@名無史さん:2012/03/04(日) 01:23:43.56 0.net
インパクトのある兵馬俑で

293 :世界@名無史さん:2012/03/04(日) 12:11:15.45 0.net
核実験で放射能

294 :世界@名無史さん:2012/03/04(日) 19:25:05.92 0.net
グリーとかモバゲーとかグリーとかモバゲーとか

295 :世界@名無史さん:2012/03/18(日) 21:18:55.82 0.net
秦以前の王朝って全部捏造なんだってね

296 :世界@名無史さん:2012/03/19(月) 10:18:46.64 0.net
つ、釣られないぞー;

297 :世界@名無史さん:2012/03/21(水) 19:46:52.68 0.net
甲骨文字の未解読部分は固有名詞がほとんどだが、何とか完全に解読できると
もっと詳しい事が分かるだろう
殷が夏を同呼称していたのか全く不明だしさ
杞こそが本来の名前だったのではないかと思う

298 :世界@名無史さん:2012/03/21(水) 23:57:26.79 O.net
捏造言う奴は華麗にスルー o(^-^o)(o^-^)o
でいこうよ

299 :世界@名無史さん:2012/03/22(木) 00:51:55.77 0.net
夏は実在したのでしょうか…

300 :世界@名無史さん:2012/03/22(木) 00:58:38.19 0.net
大夏と称していた政権はいくつかある
その中ではトカラが一番古い。
西夏も国号は大夏。


301 :世界@名無史さん:2012/03/24(土) 21:22:09.97 0.net
夏人の自称が何なのか不明なのが一番問題を複雑にしている。
夏王朝の記述が始めて登場するのは西周後期だし。禹は西周初期とされる金文(香港で個人が所有している鼎に記述あり)で
登場しているが明らかに描写からして人間ではなく神様そのもので夏王朝の創始者とは書かれて居ない。
よって禹は初代の王ではなく、夏人の信じている神様なのだろう。それが後になって夏の初代王になって行った。
禹が夏の初代王と言う記述は夏が記述された時代よりも更に後の春秋時代後期あたり。明らかに後の世になって神様を初代王に
してしまったのがよく分かる。三皇五帝に関してはそれよりも更に後の戦国時代中期まで行かないと記述は見つからない。
殷の甲骨文字に関して言えば杞国や杞侯と言う記述はあるのでそれが夏の可能性もある。

302 :世界@名無史さん:2012/03/25(日) 19:36:10.21 0.net
バクトリアがなぜか大夏と言われている。
バクトリアの地はトルクメニスタンのオクサス文明と言われる古い文明が存在していた地でもある。
紀元前2200年〜1700年ごろまで続いたと言われる文明で殷よりも古い。
この文明はその南のインダス文明とも関係が深いとかゾロアスター教の発祥地とも言われている。
文字状の物もチラホラ出ている。アンダーソンの中華文明西方起源説のアナウもすぐ近くにある。
なんらかの関係があったので大夏なんて名づけたのかもしれない。

303 :世界@名無史さん:2012/03/27(火) 21:53:59.53 0.net
禹は天神にして水神であり旅行神でもある。長江周辺から幅広い範囲で信じられてきた
神である。中原のみならず南方の人々に信仰されてきた。
夏王朝の神と言うよりはもっと広範囲の神である。天神であって人王では決してない。
天照大神やスサノオを人王とは決して言わないのと同じである。
三皇五帝に至っては夏王朝の逸話よりも遥かに新しい後世の神話に過ぎない。
もちろんモデルになった神や人は居ただろうが、夏王朝伝説どころか殷王朝伝説よりも時代は後の話だ。
西周後期に既に名が出てくる夏王朝と違い三皇五帝は春秋時代は愚か戦国時代まで行かないと記述は見つからない。
三皇五帝は歴史と言うよりも戦国時代の人々が理想の君主像を思い描いて生み出した話なのだろう。


304 :世界@名無史さん:2012/03/27(火) 22:52:12.34 P.net
盤古に関してはどうなんだろう

305 :世界@名無史さん:2012/04/08(日) 14:01:04.26 0.net
>>304
盤古はだいぶ後になって生まれた神のようで。三国志の孫呉の時代の書物に初めて登場する。
モデルとなった神は南方起源でインドの神とも言われている

306 :世界@名無史さん:2012/05/09(水) 20:54:43.63 P.net
三皇五帝時代って禅定による聖君の時代と言われているけど
実際は、春秋時代の覇者のような都市国家を纏める取りまとめ役を
各国家が相談の上で決めていた感じなのかな

それと魏という国名が五帝時代にもうあったとは…

307 :世界@名無史さん:2012/05/26(土) 16:50:01.15 0.net
後世の伝説(というか、古代史に仮託した理想論)を歴史と混同するのもいかがなものか。

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