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【三代】夏殷周を語る【理想】

1 :寂しい唐揚:2010/09/15(水) 23:14:04 0.net
汲めども尽きぬロマンを語れ!

322 :世界@名無史さん:2012/10/15(月) 21:30:49.96 0.net
ちょいと、笑えたのでコピペ



231 名前:名無し 投稿日:2012/10/14(日) 21:39:13 ID:wujd2clK
中国夏王朝、身分の高い女性の墓より
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ttp://up2.pandoravote.net/up24/img/pan2jij00034079.jpg
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ttp://up2.pandoravote.net/up24/img/pan2jij00034082.jpg
232 名前:名無し 投稿日:2012/10/14(日) 22:02:07 ID:/geXEU6o
>>231
綺麗な顔してるだろ
死んでるんだぜ、それで
233 名前:名無し 投稿日:2012/10/14(日) 22:03:45 ID:oP8Q8iuF
むしろそれで生きてたら怖いって

323 :世界@名無史さん:2012/10/15(月) 21:34:46.37 0.net
女王を殺して股間に牛の角ぶちこんでゴミ捨て場に捨てるとか
あいつらのやってることは四千年来あんまり変わらんな

324 :世界@名無史さん:2012/10/15(月) 21:46:23.49 P.net
やっている事知らなかった。
再放送まで待った方がいいのかな

オンデマンドでも無料みたいだけど
このためだけにオンデマンドに登録するのもちょっとだし…

325 :世界@名無史さん:2012/10/15(月) 22:31:12.15 P.net
一応二里頭遺跡のCGのみをホームページで見たけど
宮殿部ってあんなにでかかったの?
今までよく知られていた主殿と塀部分のみかと思ったら
他にも建物があって250m×250mって日本の城並みの大きさ
があって驚いた

326 :世界@名無史さん:2012/10/15(月) 22:34:13.17 0.net
>>324 大体水曜深夜(木曜だが)に再放送のことが多いな

327 :世界@名無史さん:2012/10/18(木) 19:43:03.44 P.net
再放送見た

とりあえず夏王朝が前時代の地方豪族と違う点は

五種類の穀物を育てていた
洛陽盆地が中国の交通の要衝で文化の集積地だった。
儀礼を効果的なイベントとして見せる事で王の権威を印象付けた。
という事かな

328 :世界@名無史さん:2012/10/18(木) 19:54:13.33 O.net
夏も途中で単なる地方豪族から
王朝に脱皮した感じ?
日本でいうと弥生時代から古墳時代への流れみたいなもんか

329 :世界@名無史さん:2012/10/18(木) 20:05:27.27 P.net
>>328
実際二里頭の復元の印象だと
庶民区は邪馬台国の印象だけど
貴族区、宮殿区は大和朝廷のような建物が密集、整備された区画造りなんだよね

宮殿は想像以上にでかかったな

330 :世界@名無史さん:2012/10/18(木) 20:30:12.04 0.net
王朝といい朝廷というのは、宮殿の前庭(廷)で朝礼を行っていたから。
周礼に「左祖右社、面朝背市」とあるように、宮殿の後ろには市場があり、
祖霊と土地神(社、土)を祀る朝礼のあとに、近隣部族間の商取引が行われた。

331 :世界@名無史さん:2012/10/18(木) 20:33:40.56 O.net
三韓と倭は何倍速かで中国の古代史を再現したようなもんか

332 :世界@名無史さん:2012/10/18(木) 22:11:24.03 0.net
そのへんの国家作成フォーマットを秦漢人が持ち込んだんだろう
現地の酋長を神輿にかついだかもしれんが

333 :世界@名無史さん:2012/10/18(木) 22:15:43.49 0.net
確か何年前かのNHKスペシャルだと、神中心の宗教から人中心の宗教への転換が殷周の交替のときとされてたけど、
夏の時点で王の権威が神威から独立したものとなっていたということは、殷の宗教などについての学説もここ数年で大きく見直しがあったのかな

334 :世界@名無史さん:2012/10/19(金) 00:14:36.47 0.net
今のNHKがそこまで考えて番組作ってるかな〜
先日の古代ギリシャの番組も以前NHK教育が放送していた知への旅を全否定している箇所があったし
番組のまとめ方も玉虫色的な終わらせ方だったぞ
なんか迷走しているって感じ

335 :世界@名無史さん:2012/10/19(金) 00:23:37.97 P.net
>>333
むしろ殷王朝は人から神の政治に戻したかった勢力なのかもね
それが史記を書いた作者には、暴君に見えたとか

336 :世界@名無史さん:2012/10/19(金) 00:57:11.87 O.net
遅れた殷が進んだ夏を滅ぼした?

337 :世界@名無史さん:2012/10/19(金) 01:27:11.93 0.net
>>334
単に制作者が違っているだけだろw

338 :世界@名無史さん:2012/10/19(金) 08:36:26.65 0.net
>>329
庶民は平安時代になっても意外と竪穴式住居だったりする。

>>335
殷末期の悪評は、殷を滅ぼした周の自己正当化の為と考えるべき。
でも神を祀って(神とともに)しきりに酒を飲んでいたのは有るようだ。
そこが酒浸りで政治をおろそかにしていると見えたかもしれない。

339 :世界@名無史さん:2012/10/19(金) 10:33:51.82 0.net
そういえば殷を自称であるはずの商とは呼んでなかったな

340 :世界@名無史さん:2012/10/20(土) 15:04:17.50 0.net
>>339
商と呼んでない時点で自分の歴史じゃないと言ってる様なもんではないか?

今に連なる民族と違うから異民族を呼ぶ蔑称なりなんなりで呼んでるんだろうから

341 :世界@名無史さん:2012/10/20(土) 21:44:49.00 P.net
>>338
けど、殷が、占いのたびに異民族を捕え
数十人殺したり、王の死の際には兵士や家族まで生き埋めにしたり
と現在の感覚からするとかなり残酷なのは事実なんだよな
甲骨文字や発掘された王墓から見ると

夏王朝はあまり生贄はなかったみたいだし

史記を書いたころの人から見ても生贄制度はかなり異常と感じるものだっただろうし

342 :世界@名無史さん:2012/10/21(日) 08:03:23.06 0.net
>占いのたびに異民族を捕え数十人殺したり
祖霊や神へのお供えにする羌は10人ですか、20人ですか、と占うんだろ。
その度に捕らえるんじゃなくてあらかじめ狩っておいたようだ。

>王の死の際には兵士や家族まで生き埋めにしたり
日本だって江戸時代まで殉死の風習が有った。

343 :世界@名無史さん:2012/10/21(日) 08:41:19.31 0.net
日本の場合は殉死は功績扱いで
子孫が優遇されたそうだけと商王朝はどうだったんだろうね

344 :世界@名無史さん:2012/10/21(日) 10:36:01.20 0.net
功績というか、死ぬのが当然で死なないと風当たりが強くなったりするという話が森鴎外の「阿部一族」。
一人だけ殿に殉死を禁じられたのが元で族滅することになってしまう話だ。小説だが。

345 :世界@名無史さん:2012/10/21(日) 18:10:49.62 0.net
今日的な観点からネガティブな例証に、「朝鮮」を持ち出す
と、すかさず冷笑的なレスを付けて、「朝鮮」だけは比較し
てはいけないと、言い出す輩が常駐している世界史板で、
同時代に国家の体を成してもいない、中華文明圏下の
「日本」を引っ張ってきても、誰も何をいわずにレスが淡々
と続く不思議。


346 :世界@名無史さん:2012/10/21(日) 19:01:58.83 0.net
そうすか
頑張ってね

347 :世界@名無史さん:2012/10/30(火) 21:14:11.24 P.net
ところでNHKの二里頭の復元CGを見て気になることが
あの時代って都市のまわりに城壁があるのが普通なのに
二里頭は王宮のまわりに塀があるだけなのはなぜだろう

348 :世界@名無史さん:2012/10/31(水) 09:01:47.05 0.net
俺も疑問に思ったが、「城壁が有るのが普通」というのが固定観念だったのかもしれないと思った。

349 :世界@名無史さん:2012/10/31(水) 11:27:22.74 0.net
>>347-348
二里頭で確かな城壁跡が出ていないはず。

ちなみに、殷墟も長らく城壁が発見されなかったが、
近年、近隣に城壁と宮殿跡が発見されて、
殷墟は都城郊外の祭祀区であった事が明らかになった。

二里頭でも殷墟のような何かの事情があるのかもしれない。

350 :世界@名無史さん:2012/11/01(木) 02:17:35.65 0.net
良渚でも城壁が見つかったのは最近というし、何が埋まってるやらわからんねえ

351 :世界@名無史さん:2012/11/10(土) 23:33:49.49 0.net
東大・東洋文化研究所〔公開講座〕『アジアの文』の小寺敦「古代中国簡牘資料研究の現状」
これ今日だったのかよ…日曜だと思ってたよ……
行った人いたら内容教えて

352 :世界@名無史さん:2012/11/11(日) 02:11:33.25 O.net
インダス文明の人間が使っていた言葉は
サンスクリットではなく、
シュメール語はセム語ではなく、
エラム語はペルシャ語ではなく
クレタ語はギリシャ語ではない。
夏語も中国語ではなかったんでは。

353 :世界@名無史さん:2012/11/11(日) 04:02:40.45 0.net
だからどうしたの?

354 :世界@名無史さん:2012/11/11(日) 10:20:27.79 0.net
ミャオ族の言葉に近い物だったとか?

355 :世界@名無史さん:2012/11/11(日) 12:28:26.17 0.net
三苗は上古から長江流域にいたろ。

356 :世界@名無史さん:2012/11/11(日) 13:45:28.25 O.net
>>352
エトルリア語もラテン語でないね

357 :世界@名無史さん:2012/11/11(日) 19:52:42.41 0.net
古代エジプトもアラビア語じゃないし

358 :世界@名無史さん:2012/11/11(日) 20:37:39.09 0.net
>>357
でも一応それは仲間ではあるんだよな。
エラム語やシュメール語は全く仲間が残っていない。
夏語もそうかもしれない。

359 :世界@名無史さん:2012/11/12(月) 23:22:41.59 O.net
>>358
帝堯、帝舜みたいな言い方ってタイガダイ語族と近いという。
同系統でなくとも関係ある言葉かも知れない。
今の中国語はシナ“チベット”語族だから周由来?

360 :世界@名無史さん:2012/11/12(月) 23:35:01.20 0.net
夏の民を根絶やしにせよ!

361 :世界@名無史さん:2012/11/12(月) 23:58:47.13 0.net
NHKで殷と周をやっていた

362 :世界@名無史さん:2012/11/13(火) 04:56:02.37 0.net
NHKの録画してるよ。
残酷なのは殷と周もだが、夏も貴婦人のマンコに牛のツノを突っ込むなどして殺してる。
あの骸骨は凄いわ・・・ 中国は漢字と皆殺しの上に築かれた歴史だ。今も変わらんぞ。

363 :世界@名無史さん:2012/11/13(火) 09:40:53.31 0.net
「お供えの羌は罪人などを当てたと考えられていたが、特定の部族であった事が判明した」(オイオイ)
文献では捕まえてきた羌族をお供えにした、としか書いてないぞ。

364 :世界@名無史さん:2012/11/13(火) 11:27:41.46 0.net
>二里頭は王宮のまわりに塀があるだけなのはなぜだろう
河に囲まれていたから必要なかった。

365 :世界@名無史さん:2012/11/13(火) 14:43:55.70 0.net
>>363 羌としかないから、特定の部族をさすのか、生贄の人間と言う意味か分からなかったけど、骨の中の放射性物質を調べたら甘粛省の部族と一致したということだな。比較のために用いた人骨って
現代のだろうか。それとも羌と同じ時代の、それぞれの地域の遺跡から出土した人骨だろうか
とはいえこれまた何年か前のNHKのこんな番組だと、羌はチベット系のチャン(羌)族のことだと言ってたけど。羌がチャン族そのものではないにしても、チベット系と言うのは既にほぼ定説だったんじゃ?

こないだの放送を見て思ったけど、甲骨文字で表された文ってかなりはしょった感じと言うか、動詞とかいろんなものが欠けてるがする
まだあまり文字が作られてなかったのかな。

366 :世界@名無史さん:2012/11/13(火) 17:15:08.53 0.net
太公望が羌族だってのは決定事項?

367 :世界@名無史さん:2012/11/13(火) 19:05:22.12 O.net
>>366
同じ「姓」というのは娘を嫁がせて、同族になったということかも知れないよな。
晋や呉は異民族が周から嫁を迎えただけかも知れない。

368 :世界@名無史さん:2012/11/13(火) 21:47:05.02 0.net
中国は夫婦別性だから嫁を迎えても同族にならないだろ。

369 :世界@名無史さん:2012/11/13(火) 23:19:57.93 O.net
>>368
姓にはみんな女が付いてるじゃん
姫とか姜とか

370 :世界@名無史さん:2012/11/14(水) 00:30:33.76 0.net
趙とか羋姓熊氏(楚の王族)とか付いてないぞ。

371 :世界@名無史さん:2012/11/14(水) 01:04:08.96 0.net
趙はついてるだろう。秦と一緒だから

女系相続→基本男系だが一部女系もあり→完全男系
の順番かな?

372 :世界@名無史さん:2012/11/14(水) 01:25:45.12 0.net
秦は嬴姓だけど、付いてると言えば付いてるのか?

373 :世界@名無史さん:2012/11/14(水) 07:09:44.54 O.net
>>372
下に

374 :世界@名無史さん:2012/11/14(水) 13:03:09.32 0.net
夏までさかのぼっても紀元前2000年頃か
インダスの300年後とはな

375 :世界@名無史さん:2012/11/14(水) 13:05:57.34 0.net
古代中国が中世ヨーロッパ的なのは何故だろう
殷王はローマ教皇のようだ
辺境の地域はある部分だけ先鋭化するというが中国でもそれが働いたのか?

376 :世界@名無史さん:2012/11/14(水) 17:56:09.52 0.net
全然似てないから調べ直せ。

377 :世界@名無史さん:2012/11/14(水) 19:41:01.44 0.net
コテハンつけろ

378 :世界@名無史さん:2012/11/17(土) 20:40:19.39 O.net
>>367
姫姓諸侯のほとんどが周から嫁か婿を迎えただけかもな

379 :世界@名無史さん:2012/11/28(水) 22:33:54.37 0.net
http://seiji.yahoo.co.jp/vote/result/201211270001/

380 :世界@名無史さん:2012/12/04(火) 22:42:27.96 0.net
NHKのに平勢が出ていた

381 :世界@名無史さん:2012/12/04(火) 23:13:58.97 0.net
夏応欽

382 :世界@名無史さん:2012/12/23(日) 15:24:04.46 0.net
姫姓やら?姓やら?姓が廃れて、姜姓や姚姓が残ってるのは何故だろう

383 :世界@名無史さん:2012/12/23(日) 22:13:03.15 0.net
姫姓、嬴姓、子姓は、
客家や華南華中沿海部、そして華僑・華人に多いのですよ。
出版されている族譜なんて、カネ払えば載せてもらえるし。。。

姜姓や姚姓は北方騎馬民族であり、五胡や北魏の頃に
増えたのです。

384 :世界@名無史さん:2013/01/01(火) 19:53:19.06 0.net
夏も殷も周も女偏の姓だな

385 :世界@名無史さん:2013/01/06(日) 14:12:57.61 0.net
>>384
殷の姓って?

386 :世界@名無史さん:2013/01/06(日) 21:35:52.48 0.net
>>385 子姓だろ?

387 :世界@名無史さん:2013/01/06(日) 22:33:39.55 0.net


388 :世界@名無史さん:2013/01/07(月) 02:07:32.53 0.net
どっち?

389 :世界@名無史さん:2013/01/08(火) 00:14:39.82 0.net
>>385
「子」とも「好」とも説がある

390 :世界@名無史さん:2013/01/08(火) 01:14:44.63 0.net
婦好は好姓にとついだ
なんて後世的背・徳・感☆

391 :世界@名無史さん:2013/01/08(火) 19:22:53.82 0.net
日本語でおk

392 :世界@名無史さん:2013/01/08(火) 23:09:50.34 0.net
>>374
文明そのものなら夏王朝よりも前からあったぞ

393 :よろずこ:2013/01/11(金) 23:47:21.76 0.net
>386
>387
>389
子姓でしょ?

はぁお姓?

394 :世界@名無史さん:2013/01/17(木) 19:39:56.30 P.net
夏以前の都市国家間の闘争も史記に伝承と言う形で
残っているのかな
洪水は実際4000年前中国をはじめ世界各地で多発していたようだけど

395 :世界@名無史さん:2013/01/19(土) 03:15:09.92 O.net
>>394
どうだろう?
日本でもヤマトが中国の三代に相当するような存在になるまでのことなんか
全くわからないだろうし。

396 :世界@名無史さん:2013/01/28(月) 20:47:40.78 P.net
今日三国志の本を読んでいたがその中に殷周夏の事が
書かれたページがあったけど
夏のページで二里頭遺跡で城壁が発見されたと書かれていたのって
本当?
なんでも一辺が一キロメートルから1.7qと厚さ38センチの土壁
らしいが

397 :世界@名無史さん:2013/02/01(金) 01:49:12.89 0.net
まあ板築ですがな。
板築の城壁は山東龍山文化ごろからあるんで珍しないですけどね。

398 :世界@名無史さん:2013/02/09(土) 12:49:18.52 P.net
夏王朝の豊かさの秘密は
五種類の穀物を育てる技術を入手できた事
これは気候変動でも柔軟に対処できる点の他に
五種類の穀物を使った料理の数々を作ることができたのも
ポイントかもしれない。
他の邑国家にはない種類の豊富な料理を宴で
出されれば、ほかの邑の代表も二頭里の文化や国力
の豊かさを実感できるわけだし

399 :世界@名無史さん:2013/02/09(土) 12:57:52.41 0.net
中夏

400 :世界@名無史さん:2013/02/17(日) 23:41:55.22 0.net
>>393
殷の姓が「子」だっていうのは
王族の名の頭についてる「子」を姓と誤認したからで
あれは単に王子=王族って身分を表してるだけらしいね

>>398
伝説上のイメージでは夏のよさは質素さであって
あんまり豊かさを武器にしたようなのはイメージ違うなぁ

401 :世界@名無史さん:2013/02/21(木) 04:24:52.87 0.net
バタバタ遺跡が廃絶される時代に安定してるってことだけで豊かだったんだろうし
質素さ≠貧しさなんだから質素で豊かは両立するだろ。

402 :世界@名無史さん:2013/03/01(金) 18:03:13.71 0.net
>>394
その頃の争いは国と国と言うよりは部族の争いと言う感じだな。日本で言う所の百余国による倭国大乱の時代に相当する。
竜山文化は強大な勢力が生まれる前で二里頭でも第一期の遺跡は城壁を作って
部族同士が睨みあっている感じだし。第二期で城壁が壊されて同一の文化圏になった感じ。
つまりこの第二期が夏王朝であろうと言われている。同一文化圏になれば争う必要ないから
城壁は壊される。狭い範囲の城壁は壊されたが二里頭文化圏から離れるとまた城壁が現れる。
別の国の文化圏に遭遇したと言うわけだ。だが二里頭文化圏内では第二期から城壁が壊されている。
存在する城壁は文化圏外の敵に対するもの。

403 :世界@名無史さん:2013/03/01(金) 18:05:16.92 0.net
>>398
二里頭で産出された物が遠く離れた地域でも発掘されているから他の邑でも二里頭の
作った物の優位性は認めていたわけだろうね。

404 :世界@名無史さん:2013/03/02(土) 13:19:05.71 0.net
中国の古典を読んでると、
夏が優れた暦を持っていたという話が出てくるんだよね。
夏はその暦を諸侯に配布する事で中華に君臨していたのかもしれない。
(考古学的な実証は難しいだろうけれども。)

405 :世界@名無史さん:2013/03/02(土) 13:26:56.03 P.net
龍の文様がついた玉樟って二里頭だけでなく
四川省や遥南方のベトナム国境近くでも見つかっているけど
これらの邑とも二里頭は当時から交流があったのかな

406 :世界@名無史さん:2013/03/02(土) 18:01:26.83 0.net
玉樟って何?

407 :世界@名無史さん:2013/04/27(土) 17:24:03.84 0.net
司馬遷も「三皇は史料や口伝が少なく史実とは思えないので史記には載せないと明言しているし」
「五帝も実在の人物とは思えないが何らかのモデルとなった史実はあったと思うので参考程度に載せておく、だがその中でも黄帝は
一番実在性が乏しい」と言っている。「黄帝について語られる物語が一番少ない上に人によって逸話が全然違うし
教養ある人は黄帝について口を濁すばかりで良く分からない」とも言っている。
司馬遷が歴史に詳しい古老達から色々取材しても黄帝はあいまいな存在だったと言うわけだ。

実在性の低い順
三皇>黄帝(五帝の中で一番実在性が低い)>他の五帝>禹>夏王朝
の順だろうね。竹書紀年や西周中期の金文に既に禹(この時は神であって夏王朝の始祖としては扱われていない)や夏王朝
の名が出ているのに対して三皇や五帝は戦国時代まで時代を下らないと名前が出てこない。
中でも黄帝は神武天皇と比較されるようなものだから、実在しないでしょうね

408 :世界@名無史さん:2013/04/28(日) 08:16:27.27 P.net
しかし夏王朝前に良瀦文化や紅山文化等
各地で王朝に匹敵する宮殿や神殿を築いた
文化圏をまとめる首長がいたのは確かなんだよな

それらが何らかの形で五帝伝説として伝わったのは
間違いないと思うし

409 :世界@名無史さん:2013/04/28(日) 17:42:02.61 0.net
春秋が書かれた時代は紀元前500年前後
竹書紀年が書かれた時代は紀元前300年前後
史記が書かれた時代は紀元前100年前後
戦国策が書かれた時代は紀元前10年前後

春秋から竹書紀年まで200年、竹書紀年から史記まで200年後、史記から戦国策まで100年後
おおよそこんな感じになる。春秋が書かれた時点では三皇も五帝も無かったが、後で付け加えられた。
>>408
何とかして長江文明で見つかった文字状の記号の解読が出来ればね
何らかのモデルになった人物は居たんだろうけど、史記の言う三皇や五帝とそのままイコールじゃないだろうけど。
日本でも日本書紀や古事記では神武天皇以前の人物?(正確には神様だが)が
載っているけど何らかの史実を表していると思うしね。

410 :世界@名無史さん:2013/04/28(日) 20:47:32.32 0.net
>>409
「春秋経」には堯舜は出て来なかったかなぁ…?
春秋と同時代の説話集を用いて春秋に注をつけた左氏伝や、
左氏伝の補遺とも言われる国語には堯舜が出てくるけどね。
ついでに言うと、西周から春秋時代の何時頃かに成立したらしい
尚書も堯舜より始まる。

この事から、五帝の中でも、初めは尭舜の神話があり、
そこに五帝という概念が後付けされた事が分かる。

411 :世界@名無史さん:2013/04/29(月) 16:28:42.69 0.net
禹に関しては西周の初期も初期の紀元前1000年の少し前に金文に名前が出ているようだ。
ただ夏王朝の始祖とはされていない

412 :世界@名無史さん:2013/04/29(月) 16:30:06.34 0.net
だが禹と夏王朝は全く無関係とも思えない。夏人が信仰していた神様の名前なのだろう。
初代王と言う事になったのは後の世代の事

413 :世界@名無史さん:2013/04/29(月) 16:58:30.66 P.net
史記でも夏王朝以前に各地に諸侯が収める国があり
それを神農氏、黄帝、が纏め上げていた話があるけど

これは各邑国家の戦争を回避するための連合としての意味合いが時代
を経る事で王と諸侯という周や戦国各国の都合に合わせたものに
編纂された感じなんだろうか

414 :世界@名無史さん:2013/04/29(月) 17:57:04.05 0.net
黄帝は名前からして五行説が出来てからだろうから割と新しいと思う。

415 :世界@名無史さん:2013/04/29(月) 18:33:42.29 P.net
>>414
黄帝はたぶん実在しないか
もしくは本名である軒轅という人物はいたかもしれないが
姫姓ではないだろうな。姫姓は周王室と同じ家だし
周王室の拍をつけるためにした可能性があるかも。

神農氏は姓は姜だそうだが羌族との関連もあるのかな

416 :世界@名無史さん:2013/04/30(火) 19:38:33.85 0.net
黄帝とかモデルになった人物は単なる小規模の邑の代表ぐらいの人物だろうな。
一邑だけを代表しているような感じで帝とはとても言えないみたいな。
古代イスラエル王国のダビデ王とかもモデルはただの村長みたいな立場の奴が武装蜂起
した話を大げさにした感じらしいし。
イギリスのアーサー王のモデルになった奴なんてただの傭兵隊長とかそんなのだからな。

417 :世界@名無史さん:2013/04/30(火) 20:32:17.52 P.net
>>416
そもそも邑の諸侯が連盟を組み、疑似家族としての契りを
結ぶ際、に共通の先祖が必要だろうという事で生まれた概念的
存在みたいだしね、

当時はチベット系、ツングース系、タイ族、など様々な民族が
都市国家を形成し、それぞれ戦争や同盟などの駆け引き
を巡らせていた辺りはギリシャのポリス間の抗争の歴史と似ているのかな

418 :世界@名無史さん:2013/04/30(火) 22:30:55.91 0.net
《牧誓》に出てくる 3000年前の民族・・・
> 蜀、羌、髳、微、盧、彭、濮人。

内陸にはツングース系はいなかったかもしれん。
 蜀、羌 ・・・チベット系確定
 髳、彭 ・・・ミャオヤオ系?
 濮 ・・・オーストロアジア系確定

419 :世界@名無史さん:2013/05/01(水) 20:46:37.15 0.net
粛慎はツングースじゃないのか?

420 :世界@名無史さん:2013/05/01(水) 21:03:06.31 0.net
>>417でいう同盟などの駆け引きには、粛慎でてこないだろう。
周の武王との交渉相手に出てこないから、まだ没交渉かもしれんし
粛慎は殷側に同盟しちゃったかも。

421 :世界@名無史さん:2013/05/01(水) 21:38:48.04 P.net
殷商そのものがツングース系ではなかったかという説もあるね

422 :世界@名無史さん:2013/05/01(水) 21:59:51.19 P.net
しかし殷の系譜について調べて見たら孔子の家系の先祖
だったとは驚いた。

孔子が夢にまで見た周公但は先祖の国、殷を滅ぼした時の周の
宰相であり、普通だったらどうかと思うけど
先祖が神を崇めるために人々を生き埋めにしたりする資料を
見たから逆にそれをやめた周の礼学に感化されたのかな

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