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【三代】夏殷周を語る【理想】

1 :寂しい唐揚:2010/09/15(水) 23:14:04 0.net
汲めども尽きぬロマンを語れ!

356 :世界@名無史さん:2012/11/11(日) 13:45:28.25 O.net
>>352
エトルリア語もラテン語でないね

357 :世界@名無史さん:2012/11/11(日) 19:52:42.41 0.net
古代エジプトもアラビア語じゃないし

358 :世界@名無史さん:2012/11/11(日) 20:37:39.09 0.net
>>357
でも一応それは仲間ではあるんだよな。
エラム語やシュメール語は全く仲間が残っていない。
夏語もそうかもしれない。

359 :世界@名無史さん:2012/11/12(月) 23:22:41.59 O.net
>>358
帝堯、帝舜みたいな言い方ってタイガダイ語族と近いという。
同系統でなくとも関係ある言葉かも知れない。
今の中国語はシナ“チベット”語族だから周由来?

360 :世界@名無史さん:2012/11/12(月) 23:35:01.20 0.net
夏の民を根絶やしにせよ!

361 :世界@名無史さん:2012/11/12(月) 23:58:47.13 0.net
NHKで殷と周をやっていた

362 :世界@名無史さん:2012/11/13(火) 04:56:02.37 0.net
NHKの録画してるよ。
残酷なのは殷と周もだが、夏も貴婦人のマンコに牛のツノを突っ込むなどして殺してる。
あの骸骨は凄いわ・・・ 中国は漢字と皆殺しの上に築かれた歴史だ。今も変わらんぞ。

363 :世界@名無史さん:2012/11/13(火) 09:40:53.31 0.net
「お供えの羌は罪人などを当てたと考えられていたが、特定の部族であった事が判明した」(オイオイ)
文献では捕まえてきた羌族をお供えにした、としか書いてないぞ。

364 :世界@名無史さん:2012/11/13(火) 11:27:41.46 0.net
>二里頭は王宮のまわりに塀があるだけなのはなぜだろう
河に囲まれていたから必要なかった。

365 :世界@名無史さん:2012/11/13(火) 14:43:55.70 0.net
>>363 羌としかないから、特定の部族をさすのか、生贄の人間と言う意味か分からなかったけど、骨の中の放射性物質を調べたら甘粛省の部族と一致したということだな。比較のために用いた人骨って
現代のだろうか。それとも羌と同じ時代の、それぞれの地域の遺跡から出土した人骨だろうか
とはいえこれまた何年か前のNHKのこんな番組だと、羌はチベット系のチャン(羌)族のことだと言ってたけど。羌がチャン族そのものではないにしても、チベット系と言うのは既にほぼ定説だったんじゃ?

こないだの放送を見て思ったけど、甲骨文字で表された文ってかなりはしょった感じと言うか、動詞とかいろんなものが欠けてるがする
まだあまり文字が作られてなかったのかな。

366 :世界@名無史さん:2012/11/13(火) 17:15:08.53 0.net
太公望が羌族だってのは決定事項?

367 :世界@名無史さん:2012/11/13(火) 19:05:22.12 O.net
>>366
同じ「姓」というのは娘を嫁がせて、同族になったということかも知れないよな。
晋や呉は異民族が周から嫁を迎えただけかも知れない。

368 :世界@名無史さん:2012/11/13(火) 21:47:05.02 0.net
中国は夫婦別性だから嫁を迎えても同族にならないだろ。

369 :世界@名無史さん:2012/11/13(火) 23:19:57.93 O.net
>>368
姓にはみんな女が付いてるじゃん
姫とか姜とか

370 :世界@名無史さん:2012/11/14(水) 00:30:33.76 0.net
趙とか羋姓熊氏(楚の王族)とか付いてないぞ。

371 :世界@名無史さん:2012/11/14(水) 01:04:08.96 0.net
趙はついてるだろう。秦と一緒だから

女系相続→基本男系だが一部女系もあり→完全男系
の順番かな?

372 :世界@名無史さん:2012/11/14(水) 01:25:45.12 0.net
秦は嬴姓だけど、付いてると言えば付いてるのか?

373 :世界@名無史さん:2012/11/14(水) 07:09:44.54 O.net
>>372
下に

374 :世界@名無史さん:2012/11/14(水) 13:03:09.32 0.net
夏までさかのぼっても紀元前2000年頃か
インダスの300年後とはな

375 :世界@名無史さん:2012/11/14(水) 13:05:57.34 0.net
古代中国が中世ヨーロッパ的なのは何故だろう
殷王はローマ教皇のようだ
辺境の地域はある部分だけ先鋭化するというが中国でもそれが働いたのか?

376 :世界@名無史さん:2012/11/14(水) 17:56:09.52 0.net
全然似てないから調べ直せ。

377 :世界@名無史さん:2012/11/14(水) 19:41:01.44 0.net
コテハンつけろ

378 :世界@名無史さん:2012/11/17(土) 20:40:19.39 O.net
>>367
姫姓諸侯のほとんどが周から嫁か婿を迎えただけかもな

379 :世界@名無史さん:2012/11/28(水) 22:33:54.37 0.net
http://seiji.yahoo.co.jp/vote/result/201211270001/

380 :世界@名無史さん:2012/12/04(火) 22:42:27.96 0.net
NHKのに平勢が出ていた

381 :世界@名無史さん:2012/12/04(火) 23:13:58.97 0.net
夏応欽

382 :世界@名無史さん:2012/12/23(日) 15:24:04.46 0.net
姫姓やら?姓やら?姓が廃れて、姜姓や姚姓が残ってるのは何故だろう

383 :世界@名無史さん:2012/12/23(日) 22:13:03.15 0.net
姫姓、嬴姓、子姓は、
客家や華南華中沿海部、そして華僑・華人に多いのですよ。
出版されている族譜なんて、カネ払えば載せてもらえるし。。。

姜姓や姚姓は北方騎馬民族であり、五胡や北魏の頃に
増えたのです。

384 :世界@名無史さん:2013/01/01(火) 19:53:19.06 0.net
夏も殷も周も女偏の姓だな

385 :世界@名無史さん:2013/01/06(日) 14:12:57.61 0.net
>>384
殷の姓って?

386 :世界@名無史さん:2013/01/06(日) 21:35:52.48 0.net
>>385 子姓だろ?

387 :世界@名無史さん:2013/01/06(日) 22:33:39.55 0.net


388 :世界@名無史さん:2013/01/07(月) 02:07:32.53 0.net
どっち?

389 :世界@名無史さん:2013/01/08(火) 00:14:39.82 0.net
>>385
「子」とも「好」とも説がある

390 :世界@名無史さん:2013/01/08(火) 01:14:44.63 0.net
婦好は好姓にとついだ
なんて後世的背・徳・感☆

391 :世界@名無史さん:2013/01/08(火) 19:22:53.82 0.net
日本語でおk

392 :世界@名無史さん:2013/01/08(火) 23:09:50.34 0.net
>>374
文明そのものなら夏王朝よりも前からあったぞ

393 :よろずこ:2013/01/11(金) 23:47:21.76 0.net
>386
>387
>389
子姓でしょ?

はぁお姓?

394 :世界@名無史さん:2013/01/17(木) 19:39:56.30 P.net
夏以前の都市国家間の闘争も史記に伝承と言う形で
残っているのかな
洪水は実際4000年前中国をはじめ世界各地で多発していたようだけど

395 :世界@名無史さん:2013/01/19(土) 03:15:09.92 O.net
>>394
どうだろう?
日本でもヤマトが中国の三代に相当するような存在になるまでのことなんか
全くわからないだろうし。

396 :世界@名無史さん:2013/01/28(月) 20:47:40.78 P.net
今日三国志の本を読んでいたがその中に殷周夏の事が
書かれたページがあったけど
夏のページで二里頭遺跡で城壁が発見されたと書かれていたのって
本当?
なんでも一辺が一キロメートルから1.7qと厚さ38センチの土壁
らしいが

397 :世界@名無史さん:2013/02/01(金) 01:49:12.89 0.net
まあ板築ですがな。
板築の城壁は山東龍山文化ごろからあるんで珍しないですけどね。

398 :世界@名無史さん:2013/02/09(土) 12:49:18.52 P.net
夏王朝の豊かさの秘密は
五種類の穀物を育てる技術を入手できた事
これは気候変動でも柔軟に対処できる点の他に
五種類の穀物を使った料理の数々を作ることができたのも
ポイントかもしれない。
他の邑国家にはない種類の豊富な料理を宴で
出されれば、ほかの邑の代表も二頭里の文化や国力
の豊かさを実感できるわけだし

399 :世界@名無史さん:2013/02/09(土) 12:57:52.41 0.net
中夏

400 :世界@名無史さん:2013/02/17(日) 23:41:55.22 0.net
>>393
殷の姓が「子」だっていうのは
王族の名の頭についてる「子」を姓と誤認したからで
あれは単に王子=王族って身分を表してるだけらしいね

>>398
伝説上のイメージでは夏のよさは質素さであって
あんまり豊かさを武器にしたようなのはイメージ違うなぁ

401 :世界@名無史さん:2013/02/21(木) 04:24:52.87 0.net
バタバタ遺跡が廃絶される時代に安定してるってことだけで豊かだったんだろうし
質素さ≠貧しさなんだから質素で豊かは両立するだろ。

402 :世界@名無史さん:2013/03/01(金) 18:03:13.71 0.net
>>394
その頃の争いは国と国と言うよりは部族の争いと言う感じだな。日本で言う所の百余国による倭国大乱の時代に相当する。
竜山文化は強大な勢力が生まれる前で二里頭でも第一期の遺跡は城壁を作って
部族同士が睨みあっている感じだし。第二期で城壁が壊されて同一の文化圏になった感じ。
つまりこの第二期が夏王朝であろうと言われている。同一文化圏になれば争う必要ないから
城壁は壊される。狭い範囲の城壁は壊されたが二里頭文化圏から離れるとまた城壁が現れる。
別の国の文化圏に遭遇したと言うわけだ。だが二里頭文化圏内では第二期から城壁が壊されている。
存在する城壁は文化圏外の敵に対するもの。

403 :世界@名無史さん:2013/03/01(金) 18:05:16.92 0.net
>>398
二里頭で産出された物が遠く離れた地域でも発掘されているから他の邑でも二里頭の
作った物の優位性は認めていたわけだろうね。

404 :世界@名無史さん:2013/03/02(土) 13:19:05.71 0.net
中国の古典を読んでると、
夏が優れた暦を持っていたという話が出てくるんだよね。
夏はその暦を諸侯に配布する事で中華に君臨していたのかもしれない。
(考古学的な実証は難しいだろうけれども。)

405 :世界@名無史さん:2013/03/02(土) 13:26:56.03 P.net
龍の文様がついた玉樟って二里頭だけでなく
四川省や遥南方のベトナム国境近くでも見つかっているけど
これらの邑とも二里頭は当時から交流があったのかな

406 :世界@名無史さん:2013/03/02(土) 18:01:26.83 0.net
玉樟って何?

407 :世界@名無史さん:2013/04/27(土) 17:24:03.84 0.net
司馬遷も「三皇は史料や口伝が少なく史実とは思えないので史記には載せないと明言しているし」
「五帝も実在の人物とは思えないが何らかのモデルとなった史実はあったと思うので参考程度に載せておく、だがその中でも黄帝は
一番実在性が乏しい」と言っている。「黄帝について語られる物語が一番少ない上に人によって逸話が全然違うし
教養ある人は黄帝について口を濁すばかりで良く分からない」とも言っている。
司馬遷が歴史に詳しい古老達から色々取材しても黄帝はあいまいな存在だったと言うわけだ。

実在性の低い順
三皇>黄帝(五帝の中で一番実在性が低い)>他の五帝>禹>夏王朝
の順だろうね。竹書紀年や西周中期の金文に既に禹(この時は神であって夏王朝の始祖としては扱われていない)や夏王朝
の名が出ているのに対して三皇や五帝は戦国時代まで時代を下らないと名前が出てこない。
中でも黄帝は神武天皇と比較されるようなものだから、実在しないでしょうね

408 :世界@名無史さん:2013/04/28(日) 08:16:27.27 P.net
しかし夏王朝前に良瀦文化や紅山文化等
各地で王朝に匹敵する宮殿や神殿を築いた
文化圏をまとめる首長がいたのは確かなんだよな

それらが何らかの形で五帝伝説として伝わったのは
間違いないと思うし

409 :世界@名無史さん:2013/04/28(日) 17:42:02.61 0.net
春秋が書かれた時代は紀元前500年前後
竹書紀年が書かれた時代は紀元前300年前後
史記が書かれた時代は紀元前100年前後
戦国策が書かれた時代は紀元前10年前後

春秋から竹書紀年まで200年、竹書紀年から史記まで200年後、史記から戦国策まで100年後
おおよそこんな感じになる。春秋が書かれた時点では三皇も五帝も無かったが、後で付け加えられた。
>>408
何とかして長江文明で見つかった文字状の記号の解読が出来ればね
何らかのモデルになった人物は居たんだろうけど、史記の言う三皇や五帝とそのままイコールじゃないだろうけど。
日本でも日本書紀や古事記では神武天皇以前の人物?(正確には神様だが)が
載っているけど何らかの史実を表していると思うしね。

410 :世界@名無史さん:2013/04/28(日) 20:47:32.32 0.net
>>409
「春秋経」には堯舜は出て来なかったかなぁ…?
春秋と同時代の説話集を用いて春秋に注をつけた左氏伝や、
左氏伝の補遺とも言われる国語には堯舜が出てくるけどね。
ついでに言うと、西周から春秋時代の何時頃かに成立したらしい
尚書も堯舜より始まる。

この事から、五帝の中でも、初めは尭舜の神話があり、
そこに五帝という概念が後付けされた事が分かる。

411 :世界@名無史さん:2013/04/29(月) 16:28:42.69 0.net
禹に関しては西周の初期も初期の紀元前1000年の少し前に金文に名前が出ているようだ。
ただ夏王朝の始祖とはされていない

412 :世界@名無史さん:2013/04/29(月) 16:30:06.34 0.net
だが禹と夏王朝は全く無関係とも思えない。夏人が信仰していた神様の名前なのだろう。
初代王と言う事になったのは後の世代の事

413 :世界@名無史さん:2013/04/29(月) 16:58:30.66 P.net
史記でも夏王朝以前に各地に諸侯が収める国があり
それを神農氏、黄帝、が纏め上げていた話があるけど

これは各邑国家の戦争を回避するための連合としての意味合いが時代
を経る事で王と諸侯という周や戦国各国の都合に合わせたものに
編纂された感じなんだろうか

414 :世界@名無史さん:2013/04/29(月) 17:57:04.05 0.net
黄帝は名前からして五行説が出来てからだろうから割と新しいと思う。

415 :世界@名無史さん:2013/04/29(月) 18:33:42.29 P.net
>>414
黄帝はたぶん実在しないか
もしくは本名である軒轅という人物はいたかもしれないが
姫姓ではないだろうな。姫姓は周王室と同じ家だし
周王室の拍をつけるためにした可能性があるかも。

神農氏は姓は姜だそうだが羌族との関連もあるのかな

416 :世界@名無史さん:2013/04/30(火) 19:38:33.85 0.net
黄帝とかモデルになった人物は単なる小規模の邑の代表ぐらいの人物だろうな。
一邑だけを代表しているような感じで帝とはとても言えないみたいな。
古代イスラエル王国のダビデ王とかもモデルはただの村長みたいな立場の奴が武装蜂起
した話を大げさにした感じらしいし。
イギリスのアーサー王のモデルになった奴なんてただの傭兵隊長とかそんなのだからな。

417 :世界@名無史さん:2013/04/30(火) 20:32:17.52 P.net
>>416
そもそも邑の諸侯が連盟を組み、疑似家族としての契りを
結ぶ際、に共通の先祖が必要だろうという事で生まれた概念的
存在みたいだしね、

当時はチベット系、ツングース系、タイ族、など様々な民族が
都市国家を形成し、それぞれ戦争や同盟などの駆け引き
を巡らせていた辺りはギリシャのポリス間の抗争の歴史と似ているのかな

418 :世界@名無史さん:2013/04/30(火) 22:30:55.91 0.net
《牧誓》に出てくる 3000年前の民族・・・
> 蜀、羌、髳、微、盧、彭、濮人。

内陸にはツングース系はいなかったかもしれん。
 蜀、羌 ・・・チベット系確定
 髳、彭 ・・・ミャオヤオ系?
 濮 ・・・オーストロアジア系確定

419 :世界@名無史さん:2013/05/01(水) 20:46:37.15 0.net
粛慎はツングースじゃないのか?

420 :世界@名無史さん:2013/05/01(水) 21:03:06.31 0.net
>>417でいう同盟などの駆け引きには、粛慎でてこないだろう。
周の武王との交渉相手に出てこないから、まだ没交渉かもしれんし
粛慎は殷側に同盟しちゃったかも。

421 :世界@名無史さん:2013/05/01(水) 21:38:48.04 P.net
殷商そのものがツングース系ではなかったかという説もあるね

422 :世界@名無史さん:2013/05/01(水) 21:59:51.19 P.net
しかし殷の系譜について調べて見たら孔子の家系の先祖
だったとは驚いた。

孔子が夢にまで見た周公但は先祖の国、殷を滅ぼした時の周の
宰相であり、普通だったらどうかと思うけど
先祖が神を崇めるために人々を生き埋めにしたりする資料を
見たから逆にそれをやめた周の礼学に感化されたのかな

423 :世界@名無史さん:2013/05/01(水) 22:14:25.04 0.net
封神演義に周公但は出てくるな。
漫画なら事務能力に優れた、平和時の優良官僚って感じだったが原作じゃどんな扱いなのだろう?

中国の「神」のイメージって三国志、西遊記、封神演義などの物語から逆輸入される傾向が高いんだよな。
史実→物語が作られる→その物語を元に伝説や廟が作られる→物語がさらに変容→

ってな感じで。

424 :世界@名無史さん:2013/05/01(水) 23:09:48.06 0.net
>>422
それを言ったら毛利元就の外交僧、安国寺恵瓊の父親は元就に滅ぼされた安芸武田氏だ。

425 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 01:29:44.36 0.net
>>423
気になるならなんで自分で調べないの?

426 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 12:09:44.55 0.net
二里頭第一期=龍山文化
二里頭第二期=夏前期
二里頭第三期=夏後期
二里頭第四期=殷

甲骨文字に良く似た文字状の記号も見つかっているから、解読が待たれる
その前に蜀の巴蜀文字を是非とも解読してほしいところだ。
「説文解字」を書いた人たちは蜀の文字の存在を知っており「彼らは異形の文字を使い
我らには理解不能」とちゃんと書いているのに。なぜそれを解読してやろうと言う人物が
出てこなかったのか?せっかく戦国七雄の文字の変遷を調べて書物にしたのに蜀の文字に
なぜか関心が無かったのが不思議だ。

427 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 12:14:10.02 0.net
殷は伝説にすぎず存在しない→殷墟発見
長江上流の蜀に巨大な王国は無い→三星堆遺跡発見
始皇帝陵は司馬遷の妄想→始皇帝陵発見

昔は史記は信憑性が低いと懐疑的に見られてきたけど、結構事実を語っている

428 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 13:04:17.09 P.net
>>427
司馬遷は歴史と神話の区別を積極的におこなっていたみたいだしね
実在性に乏しいと思わしき話は注釈をつけていたようだし

429 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 18:17:58.70 0.net
>>426
あんた、エジプトのヒエログリフ解読に何年掛かったか知ってるか?
ロゼッタストーンのような手がかりが無い限り不可能なんだよ。

430 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 19:06:56.88 P.net
確かマヤ文字やインダス文字の一部がコンピュータの解析で解けたという話も
あったような

431 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 19:57:37.10 0.net
マヤ文字は解読されている。インダス文字は言語としての規則性の一部が解析されたという話で、
文字を読む事はまだ出来ていない。

432 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 23:36:37.98 0.net
>>430
でも現在の我々が調べるよりも2000年前の紀元1世紀ぐらいの説文解字を書き記した
連中の方がまだ時代が近い(と言っても巴蜀が秦に滅ぼされたのは更に400年前だが)
からまだ探せばどうにか解読出来たと思うけどな。秦は蜀を併合した後で彼らの文字や言語の
矯正にだいぶ苦労したみたいだが。あの頃ならまだロゼッタストーンみたいなのがあったんじゃなかろうか?
まあ説文解字を書いた人たちは金石文までしか知らず、甲骨文字の存在を知らなかったみたいだから調べるのには限度があったのかもしれないが。

433 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 23:40:07.81 0.net
それから巴蜀文字の印章とインダス文字が酷似しているそうな。
巴蜀を南下すると文明とは言えず村社会だけど昆明に独自の文化があったみたいだし
そこを通してインダス文明と交流があったのかも?

434 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 23:54:50.53 0.net
ねーよ

435 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 00:07:59.03 0.net
http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/hurutatiitiro

436 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 13:05:39.38 0.net
ロゼッタストーン=神聖文字(ヒエログリフ)→民衆文字(デモティック)→ギリシア文字
ギリシャ文字は既に分かっていたのでデモティックもヒエログリフも解読出来た

ベヒストゥン碑文=アッカド語(楔形文字)→古代ペルシャ語→エラム語(新バビロニア語)
古代ペルシャ語から解読され、新バビロニア語であるエラム語とアッカド語もそののちに解読された。
更に100年近くたってからアッカド語を元にシュメール語も解読出来た

三体石経=古文→篆書→隷書
篆書と隷書は既に解読されていた、照らし合わせて古文も解読出来た。古文は金石文に良く似ているので
金石文も合わせて解読出来た。

巴蜀文字とインダス文字にもこのような複数の文字が併記された物が発見される事が待たれる。
個人的にはインダス文字が一番解読されてほしい文字だが、巴蜀文字はその次ぐらいに解読されてほしいと思っている。
そのさらに次は線文字Aとオルメカ文字だが。
ロゼッタストーンの様なものが見つからない限り解読は不可能だろうね。

437 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 13:08:26.87 0.net
前漢時代の学者なんて遅れた蛮族扱いの蜀人の文字や言語になんて感心無いだろうな。
もしロゼッタストーンみたいなのが見つかるなら、蜀の遺跡の方だろうね。
秦や漢の遺跡探しても多分見つからない。

438 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 15:48:19.65 0.net
巴蜀文字ってせいぜい戦国時代だろ
甲骨文字のほうが古くね?

439 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 19:20:00.97 0.net
巴蜀文字は一番古いと考えても紀元前850年ぐらい?

440 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 20:03:34.12 0.net
敦煌莫高窟に、漢字・西夏文字・青唐吐蕃文字のロゼッタストーンみたいなのがあったから
交易をしていて帳簿付けをしていることは、古文書分析に有利に働くよ。

441 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 20:13:11.99 0.net
>>440
そういや西夏文字も長い事、未解読文字だったんだよな

442 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 20:59:07.61 P.net
4000年前の邑の戦国時代
言語が違う邑は制圧して、奴隷にするか
お互いの言語を覚えて、交渉相手とするのか

漢字が表意文字なのも元々違う言語同士の通訳も
かねていたのかな

443 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 21:22:49.78 0.net
甲骨文字は占いの記録の為のものでそういう使い方はしなかった。

444 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 23:08:37.60 0.net
>>442
春秋時代や戦国時代になればそういう使い方になって行ったね
春秋時代と戦国時代では巴蜀以外では通訳者と言う職が見られないのもそういう事なんだろう
>>443
甲骨文字の殷の時代はその通りで、占いの為だったね

445 :世界@名無史さん:2013/05/04(土) 00:20:14.45 0.net
殷の遺民たちが、文字通り「商人」となって、商売の記録を甲骨文字で取り始めたってコトなのかな?

446 :世界@名無史さん:2013/05/04(土) 16:08:16.99 0.net
>>445
殷の遺民たちが使っていた文字は金石文とその改良の古文と言う文字だよ。
甲骨文字は王族以外は使ってはならなかった。
だから説文解字を前漢の学者が書き記した時に学者たちは金石文までしか知らなかったんだよ。
金石文は殷の王族が家臣に褒美として与えたものだから他国にも広まっていたけど甲骨文字は
王族の占いの為の文字だから王族しか使っていない。だから甲骨文字はよその国には基本的には
広まっていない。唯一例外が周だったけど、この周が殷の時代に既に殷から甲骨文字を教えてもらって
使用している。でも周も家臣には甲骨文字は渡さなかった。渡したのは金石文を書いた食器などだけ。
殷墟の発見、その後の周源の発見を持って初めて甲骨文字の存在が明らかにされた。
春秋時代の諸侯の墓からは金石文は出てきても甲骨文字が出て来る事はあり得ない。

447 :世界@名無史さん:2013/05/04(土) 16:09:43.08 0.net
王族でも無い「商人」が甲骨文字を使う事は許されない。
だから殷も周も甲骨文字は独占して門外不出とした。

448 :世界@名無史さん:2013/05/04(土) 17:36:40.42 0.net
甲骨文字=殷や周の王族が占いの為に独占しているから殷や周以外では発見されない

金石文=殷や周の王族が諸侯に褒美として与える食器にその食器の由来を金石文として
書いて与える。だから金石文は諸侯の国から多く発見される。また金石文を元に古文が
作られ戦国七雄を始めとする国で庶民にまで広がり商売の記録としても使われるようになる。

449 :世界@名無史さん:2013/05/04(土) 17:58:40.07 0.net
食器と言っても祖先の霊にお供えする時に使う祭器だけどね。

450 :世界@名無史さん:2013/05/05(日) 22:59:46.39 0.net
殷を滅ぼした周の民が紅毛だった件…

漢民族っていったい何…

451 :世界@名無史さん:2013/05/05(日) 23:27:41.10 0.net
>>450
漢民族っていろんな部族のまじりあいだから・・・・

452 :世界@名無史さん:2013/05/05(日) 23:39:11.89 0.net
でも、客家の来歴をみていると
五胡十六国時代に東晋へ逃れ
さらに黄巣の乱の時に華南に逃れたとする宗族が多い。

客家は客民であって、土着民ではない。
河南省からやってきたというのも外れてはいないだろう。

453 :世界@名無史さん:2013/05/05(日) 23:56:01.20 0.net
客家に限らんだろごった煮だよ。

454 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 00:04:23.55 0.net
漢王朝も成立してない時期に漢民族なんぞおるか

455 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 00:13:50.87 0.net
大和民族真似し最近やり出した事だろw
あ、不味いっつて中華民族移行中だが足踏みしてる。考古歴史分子生物学など駆使して民度低い連中を教育修正は必ず演るだろな

456 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 00:17:15.12 0.net
>>454
それもそうだが。
五胡十六国でDNA的には異民族になってるけど
これも漢民族って言っていいん?
喋ってる言葉と漢字はそのままだが…

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