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【三代】夏殷周を語る【理想】

1 :寂しい唐揚:2010/09/15(水) 23:14:04 0.net
汲めども尽きぬロマンを語れ!

395 :世界@名無史さん:2013/01/19(土) 03:15:09.92 O.net
>>394
どうだろう?
日本でもヤマトが中国の三代に相当するような存在になるまでのことなんか
全くわからないだろうし。

396 :世界@名無史さん:2013/01/28(月) 20:47:40.78 P.net
今日三国志の本を読んでいたがその中に殷周夏の事が
書かれたページがあったけど
夏のページで二里頭遺跡で城壁が発見されたと書かれていたのって
本当?
なんでも一辺が一キロメートルから1.7qと厚さ38センチの土壁
らしいが

397 :世界@名無史さん:2013/02/01(金) 01:49:12.89 0.net
まあ板築ですがな。
板築の城壁は山東龍山文化ごろからあるんで珍しないですけどね。

398 :世界@名無史さん:2013/02/09(土) 12:49:18.52 P.net
夏王朝の豊かさの秘密は
五種類の穀物を育てる技術を入手できた事
これは気候変動でも柔軟に対処できる点の他に
五種類の穀物を使った料理の数々を作ることができたのも
ポイントかもしれない。
他の邑国家にはない種類の豊富な料理を宴で
出されれば、ほかの邑の代表も二頭里の文化や国力
の豊かさを実感できるわけだし

399 :世界@名無史さん:2013/02/09(土) 12:57:52.41 0.net
中夏

400 :世界@名無史さん:2013/02/17(日) 23:41:55.22 0.net
>>393
殷の姓が「子」だっていうのは
王族の名の頭についてる「子」を姓と誤認したからで
あれは単に王子=王族って身分を表してるだけらしいね

>>398
伝説上のイメージでは夏のよさは質素さであって
あんまり豊かさを武器にしたようなのはイメージ違うなぁ

401 :世界@名無史さん:2013/02/21(木) 04:24:52.87 0.net
バタバタ遺跡が廃絶される時代に安定してるってことだけで豊かだったんだろうし
質素さ≠貧しさなんだから質素で豊かは両立するだろ。

402 :世界@名無史さん:2013/03/01(金) 18:03:13.71 0.net
>>394
その頃の争いは国と国と言うよりは部族の争いと言う感じだな。日本で言う所の百余国による倭国大乱の時代に相当する。
竜山文化は強大な勢力が生まれる前で二里頭でも第一期の遺跡は城壁を作って
部族同士が睨みあっている感じだし。第二期で城壁が壊されて同一の文化圏になった感じ。
つまりこの第二期が夏王朝であろうと言われている。同一文化圏になれば争う必要ないから
城壁は壊される。狭い範囲の城壁は壊されたが二里頭文化圏から離れるとまた城壁が現れる。
別の国の文化圏に遭遇したと言うわけだ。だが二里頭文化圏内では第二期から城壁が壊されている。
存在する城壁は文化圏外の敵に対するもの。

403 :世界@名無史さん:2013/03/01(金) 18:05:16.92 0.net
>>398
二里頭で産出された物が遠く離れた地域でも発掘されているから他の邑でも二里頭の
作った物の優位性は認めていたわけだろうね。

404 :世界@名無史さん:2013/03/02(土) 13:19:05.71 0.net
中国の古典を読んでると、
夏が優れた暦を持っていたという話が出てくるんだよね。
夏はその暦を諸侯に配布する事で中華に君臨していたのかもしれない。
(考古学的な実証は難しいだろうけれども。)

405 :世界@名無史さん:2013/03/02(土) 13:26:56.03 P.net
龍の文様がついた玉樟って二里頭だけでなく
四川省や遥南方のベトナム国境近くでも見つかっているけど
これらの邑とも二里頭は当時から交流があったのかな

406 :世界@名無史さん:2013/03/02(土) 18:01:26.83 0.net
玉樟って何?

407 :世界@名無史さん:2013/04/27(土) 17:24:03.84 0.net
司馬遷も「三皇は史料や口伝が少なく史実とは思えないので史記には載せないと明言しているし」
「五帝も実在の人物とは思えないが何らかのモデルとなった史実はあったと思うので参考程度に載せておく、だがその中でも黄帝は
一番実在性が乏しい」と言っている。「黄帝について語られる物語が一番少ない上に人によって逸話が全然違うし
教養ある人は黄帝について口を濁すばかりで良く分からない」とも言っている。
司馬遷が歴史に詳しい古老達から色々取材しても黄帝はあいまいな存在だったと言うわけだ。

実在性の低い順
三皇>黄帝(五帝の中で一番実在性が低い)>他の五帝>禹>夏王朝
の順だろうね。竹書紀年や西周中期の金文に既に禹(この時は神であって夏王朝の始祖としては扱われていない)や夏王朝
の名が出ているのに対して三皇や五帝は戦国時代まで時代を下らないと名前が出てこない。
中でも黄帝は神武天皇と比較されるようなものだから、実在しないでしょうね

408 :世界@名無史さん:2013/04/28(日) 08:16:27.27 P.net
しかし夏王朝前に良瀦文化や紅山文化等
各地で王朝に匹敵する宮殿や神殿を築いた
文化圏をまとめる首長がいたのは確かなんだよな

それらが何らかの形で五帝伝説として伝わったのは
間違いないと思うし

409 :世界@名無史さん:2013/04/28(日) 17:42:02.61 0.net
春秋が書かれた時代は紀元前500年前後
竹書紀年が書かれた時代は紀元前300年前後
史記が書かれた時代は紀元前100年前後
戦国策が書かれた時代は紀元前10年前後

春秋から竹書紀年まで200年、竹書紀年から史記まで200年後、史記から戦国策まで100年後
おおよそこんな感じになる。春秋が書かれた時点では三皇も五帝も無かったが、後で付け加えられた。
>>408
何とかして長江文明で見つかった文字状の記号の解読が出来ればね
何らかのモデルになった人物は居たんだろうけど、史記の言う三皇や五帝とそのままイコールじゃないだろうけど。
日本でも日本書紀や古事記では神武天皇以前の人物?(正確には神様だが)が
載っているけど何らかの史実を表していると思うしね。

410 :世界@名無史さん:2013/04/28(日) 20:47:32.32 0.net
>>409
「春秋経」には堯舜は出て来なかったかなぁ…?
春秋と同時代の説話集を用いて春秋に注をつけた左氏伝や、
左氏伝の補遺とも言われる国語には堯舜が出てくるけどね。
ついでに言うと、西周から春秋時代の何時頃かに成立したらしい
尚書も堯舜より始まる。

この事から、五帝の中でも、初めは尭舜の神話があり、
そこに五帝という概念が後付けされた事が分かる。

411 :世界@名無史さん:2013/04/29(月) 16:28:42.69 0.net
禹に関しては西周の初期も初期の紀元前1000年の少し前に金文に名前が出ているようだ。
ただ夏王朝の始祖とはされていない

412 :世界@名無史さん:2013/04/29(月) 16:30:06.34 0.net
だが禹と夏王朝は全く無関係とも思えない。夏人が信仰していた神様の名前なのだろう。
初代王と言う事になったのは後の世代の事

413 :世界@名無史さん:2013/04/29(月) 16:58:30.66 P.net
史記でも夏王朝以前に各地に諸侯が収める国があり
それを神農氏、黄帝、が纏め上げていた話があるけど

これは各邑国家の戦争を回避するための連合としての意味合いが時代
を経る事で王と諸侯という周や戦国各国の都合に合わせたものに
編纂された感じなんだろうか

414 :世界@名無史さん:2013/04/29(月) 17:57:04.05 0.net
黄帝は名前からして五行説が出来てからだろうから割と新しいと思う。

415 :世界@名無史さん:2013/04/29(月) 18:33:42.29 P.net
>>414
黄帝はたぶん実在しないか
もしくは本名である軒轅という人物はいたかもしれないが
姫姓ではないだろうな。姫姓は周王室と同じ家だし
周王室の拍をつけるためにした可能性があるかも。

神農氏は姓は姜だそうだが羌族との関連もあるのかな

416 :世界@名無史さん:2013/04/30(火) 19:38:33.85 0.net
黄帝とかモデルになった人物は単なる小規模の邑の代表ぐらいの人物だろうな。
一邑だけを代表しているような感じで帝とはとても言えないみたいな。
古代イスラエル王国のダビデ王とかもモデルはただの村長みたいな立場の奴が武装蜂起
した話を大げさにした感じらしいし。
イギリスのアーサー王のモデルになった奴なんてただの傭兵隊長とかそんなのだからな。

417 :世界@名無史さん:2013/04/30(火) 20:32:17.52 P.net
>>416
そもそも邑の諸侯が連盟を組み、疑似家族としての契りを
結ぶ際、に共通の先祖が必要だろうという事で生まれた概念的
存在みたいだしね、

当時はチベット系、ツングース系、タイ族、など様々な民族が
都市国家を形成し、それぞれ戦争や同盟などの駆け引き
を巡らせていた辺りはギリシャのポリス間の抗争の歴史と似ているのかな

418 :世界@名無史さん:2013/04/30(火) 22:30:55.91 0.net
《牧誓》に出てくる 3000年前の民族・・・
> 蜀、羌、髳、微、盧、彭、濮人。

内陸にはツングース系はいなかったかもしれん。
 蜀、羌 ・・・チベット系確定
 髳、彭 ・・・ミャオヤオ系?
 濮 ・・・オーストロアジア系確定

419 :世界@名無史さん:2013/05/01(水) 20:46:37.15 0.net
粛慎はツングースじゃないのか?

420 :世界@名無史さん:2013/05/01(水) 21:03:06.31 0.net
>>417でいう同盟などの駆け引きには、粛慎でてこないだろう。
周の武王との交渉相手に出てこないから、まだ没交渉かもしれんし
粛慎は殷側に同盟しちゃったかも。

421 :世界@名無史さん:2013/05/01(水) 21:38:48.04 P.net
殷商そのものがツングース系ではなかったかという説もあるね

422 :世界@名無史さん:2013/05/01(水) 21:59:51.19 P.net
しかし殷の系譜について調べて見たら孔子の家系の先祖
だったとは驚いた。

孔子が夢にまで見た周公但は先祖の国、殷を滅ぼした時の周の
宰相であり、普通だったらどうかと思うけど
先祖が神を崇めるために人々を生き埋めにしたりする資料を
見たから逆にそれをやめた周の礼学に感化されたのかな

423 :世界@名無史さん:2013/05/01(水) 22:14:25.04 0.net
封神演義に周公但は出てくるな。
漫画なら事務能力に優れた、平和時の優良官僚って感じだったが原作じゃどんな扱いなのだろう?

中国の「神」のイメージって三国志、西遊記、封神演義などの物語から逆輸入される傾向が高いんだよな。
史実→物語が作られる→その物語を元に伝説や廟が作られる→物語がさらに変容→

ってな感じで。

424 :世界@名無史さん:2013/05/01(水) 23:09:48.06 0.net
>>422
それを言ったら毛利元就の外交僧、安国寺恵瓊の父親は元就に滅ぼされた安芸武田氏だ。

425 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 01:29:44.36 0.net
>>423
気になるならなんで自分で調べないの?

426 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 12:09:44.55 0.net
二里頭第一期=龍山文化
二里頭第二期=夏前期
二里頭第三期=夏後期
二里頭第四期=殷

甲骨文字に良く似た文字状の記号も見つかっているから、解読が待たれる
その前に蜀の巴蜀文字を是非とも解読してほしいところだ。
「説文解字」を書いた人たちは蜀の文字の存在を知っており「彼らは異形の文字を使い
我らには理解不能」とちゃんと書いているのに。なぜそれを解読してやろうと言う人物が
出てこなかったのか?せっかく戦国七雄の文字の変遷を調べて書物にしたのに蜀の文字に
なぜか関心が無かったのが不思議だ。

427 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 12:14:10.02 0.net
殷は伝説にすぎず存在しない→殷墟発見
長江上流の蜀に巨大な王国は無い→三星堆遺跡発見
始皇帝陵は司馬遷の妄想→始皇帝陵発見

昔は史記は信憑性が低いと懐疑的に見られてきたけど、結構事実を語っている

428 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 13:04:17.09 P.net
>>427
司馬遷は歴史と神話の区別を積極的におこなっていたみたいだしね
実在性に乏しいと思わしき話は注釈をつけていたようだし

429 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 18:17:58.70 0.net
>>426
あんた、エジプトのヒエログリフ解読に何年掛かったか知ってるか?
ロゼッタストーンのような手がかりが無い限り不可能なんだよ。

430 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 19:06:56.88 P.net
確かマヤ文字やインダス文字の一部がコンピュータの解析で解けたという話も
あったような

431 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 19:57:37.10 0.net
マヤ文字は解読されている。インダス文字は言語としての規則性の一部が解析されたという話で、
文字を読む事はまだ出来ていない。

432 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 23:36:37.98 0.net
>>430
でも現在の我々が調べるよりも2000年前の紀元1世紀ぐらいの説文解字を書き記した
連中の方がまだ時代が近い(と言っても巴蜀が秦に滅ぼされたのは更に400年前だが)
からまだ探せばどうにか解読出来たと思うけどな。秦は蜀を併合した後で彼らの文字や言語の
矯正にだいぶ苦労したみたいだが。あの頃ならまだロゼッタストーンみたいなのがあったんじゃなかろうか?
まあ説文解字を書いた人たちは金石文までしか知らず、甲骨文字の存在を知らなかったみたいだから調べるのには限度があったのかもしれないが。

433 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 23:40:07.81 0.net
それから巴蜀文字の印章とインダス文字が酷似しているそうな。
巴蜀を南下すると文明とは言えず村社会だけど昆明に独自の文化があったみたいだし
そこを通してインダス文明と交流があったのかも?

434 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 23:54:50.53 0.net
ねーよ

435 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 00:07:59.03 0.net
http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/hurutatiitiro

436 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 13:05:39.38 0.net
ロゼッタストーン=神聖文字(ヒエログリフ)→民衆文字(デモティック)→ギリシア文字
ギリシャ文字は既に分かっていたのでデモティックもヒエログリフも解読出来た

ベヒストゥン碑文=アッカド語(楔形文字)→古代ペルシャ語→エラム語(新バビロニア語)
古代ペルシャ語から解読され、新バビロニア語であるエラム語とアッカド語もそののちに解読された。
更に100年近くたってからアッカド語を元にシュメール語も解読出来た

三体石経=古文→篆書→隷書
篆書と隷書は既に解読されていた、照らし合わせて古文も解読出来た。古文は金石文に良く似ているので
金石文も合わせて解読出来た。

巴蜀文字とインダス文字にもこのような複数の文字が併記された物が発見される事が待たれる。
個人的にはインダス文字が一番解読されてほしい文字だが、巴蜀文字はその次ぐらいに解読されてほしいと思っている。
そのさらに次は線文字Aとオルメカ文字だが。
ロゼッタストーンの様なものが見つからない限り解読は不可能だろうね。

437 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 13:08:26.87 0.net
前漢時代の学者なんて遅れた蛮族扱いの蜀人の文字や言語になんて感心無いだろうな。
もしロゼッタストーンみたいなのが見つかるなら、蜀の遺跡の方だろうね。
秦や漢の遺跡探しても多分見つからない。

438 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 15:48:19.65 0.net
巴蜀文字ってせいぜい戦国時代だろ
甲骨文字のほうが古くね?

439 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 19:20:00.97 0.net
巴蜀文字は一番古いと考えても紀元前850年ぐらい?

440 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 20:03:34.12 0.net
敦煌莫高窟に、漢字・西夏文字・青唐吐蕃文字のロゼッタストーンみたいなのがあったから
交易をしていて帳簿付けをしていることは、古文書分析に有利に働くよ。

441 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 20:13:11.99 0.net
>>440
そういや西夏文字も長い事、未解読文字だったんだよな

442 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 20:59:07.61 P.net
4000年前の邑の戦国時代
言語が違う邑は制圧して、奴隷にするか
お互いの言語を覚えて、交渉相手とするのか

漢字が表意文字なのも元々違う言語同士の通訳も
かねていたのかな

443 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 21:22:49.78 0.net
甲骨文字は占いの記録の為のものでそういう使い方はしなかった。

444 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 23:08:37.60 0.net
>>442
春秋時代や戦国時代になればそういう使い方になって行ったね
春秋時代と戦国時代では巴蜀以外では通訳者と言う職が見られないのもそういう事なんだろう
>>443
甲骨文字の殷の時代はその通りで、占いの為だったね

445 :世界@名無史さん:2013/05/04(土) 00:20:14.45 0.net
殷の遺民たちが、文字通り「商人」となって、商売の記録を甲骨文字で取り始めたってコトなのかな?

446 :世界@名無史さん:2013/05/04(土) 16:08:16.99 0.net
>>445
殷の遺民たちが使っていた文字は金石文とその改良の古文と言う文字だよ。
甲骨文字は王族以外は使ってはならなかった。
だから説文解字を前漢の学者が書き記した時に学者たちは金石文までしか知らなかったんだよ。
金石文は殷の王族が家臣に褒美として与えたものだから他国にも広まっていたけど甲骨文字は
王族の占いの為の文字だから王族しか使っていない。だから甲骨文字はよその国には基本的には
広まっていない。唯一例外が周だったけど、この周が殷の時代に既に殷から甲骨文字を教えてもらって
使用している。でも周も家臣には甲骨文字は渡さなかった。渡したのは金石文を書いた食器などだけ。
殷墟の発見、その後の周源の発見を持って初めて甲骨文字の存在が明らかにされた。
春秋時代の諸侯の墓からは金石文は出てきても甲骨文字が出て来る事はあり得ない。

447 :世界@名無史さん:2013/05/04(土) 16:09:43.08 0.net
王族でも無い「商人」が甲骨文字を使う事は許されない。
だから殷も周も甲骨文字は独占して門外不出とした。

448 :世界@名無史さん:2013/05/04(土) 17:36:40.42 0.net
甲骨文字=殷や周の王族が占いの為に独占しているから殷や周以外では発見されない

金石文=殷や周の王族が諸侯に褒美として与える食器にその食器の由来を金石文として
書いて与える。だから金石文は諸侯の国から多く発見される。また金石文を元に古文が
作られ戦国七雄を始めとする国で庶民にまで広がり商売の記録としても使われるようになる。

449 :世界@名無史さん:2013/05/04(土) 17:58:40.07 0.net
食器と言っても祖先の霊にお供えする時に使う祭器だけどね。

450 :世界@名無史さん:2013/05/05(日) 22:59:46.39 0.net
殷を滅ぼした周の民が紅毛だった件…

漢民族っていったい何…

451 :世界@名無史さん:2013/05/05(日) 23:27:41.10 0.net
>>450
漢民族っていろんな部族のまじりあいだから・・・・

452 :世界@名無史さん:2013/05/05(日) 23:39:11.89 0.net
でも、客家の来歴をみていると
五胡十六国時代に東晋へ逃れ
さらに黄巣の乱の時に華南に逃れたとする宗族が多い。

客家は客民であって、土着民ではない。
河南省からやってきたというのも外れてはいないだろう。

453 :世界@名無史さん:2013/05/05(日) 23:56:01.20 0.net
客家に限らんだろごった煮だよ。

454 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 00:04:23.55 0.net
漢王朝も成立してない時期に漢民族なんぞおるか

455 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 00:13:50.87 0.net
大和民族真似し最近やり出した事だろw
あ、不味いっつて中華民族移行中だが足踏みしてる。考古歴史分子生物学など駆使して民度低い連中を教育修正は必ず演るだろな

456 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 00:17:15.12 0.net
>>454
それもそうだが。
五胡十六国でDNA的には異民族になってるけど
これも漢民族って言っていいん?
喋ってる言葉と漢字はそのままだが…

457 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 02:47:29.41 0.net
漢人固有のDNAなどないし、発音も文法も文字も相当に変化した
匈奴の劉淵は漢を再興したし、モンゴルは金の領内にいた多様な連中(女真・契丹・渤海・高麗)を漢人と総称した
それでも彼らは(胡系の)漢人なのだ

458 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 06:48:07.29 P.net
もし漢族の源流があるとしたら
竜山文化の担い手だった民族だろうが
たしか二里頭文化は越人かチベット系という説があるんだっけ

459 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 07:07:11.06 0.net
漢なんだから当然漢中盆地に住んでた民族が源流じゃねーの?w

460 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 11:32:08.79 0.net
劉邦は現在の江蘇省徐州市沛県出身
遡ると帝堯陶唐氏の末裔ともいうが後付設定

461 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 11:47:53.02 0.net
>>457
なんでもありかよw

462 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 13:15:25.16 0.net
漢民族って言うのがそもそもあいまいな定義だからな。

463 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 13:26:11.53 0.net
>>462
同化力が半端ないのはわかるけどやっぱ漢字の威力かな?

464 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 15:23:44.02 0.net
今の「漢族」が中華人民共和国の戸籍人口の94%以上を占めている時点でお察しください

465 :世界@名無史さん:2013/05/07(火) 14:31:12.85 0.net
>>409
春秋が書かれた時代は紀元前500年前後
竹書紀年が書かれた時代は紀元前300年前後
史記が書かれた時代は紀元前100年前後
戦国策が書かれた時代は紀元前10年前後

春秋から竹書紀年まで200年、竹書紀年から史記まで200年後、史記から戦国策まで100年後

2001年に上博楚簡「容成氏」と言う竹簡が解読されて、これが楚の歴史書である事が判明して
時期は竹書紀年とほぼ同じ時期。割りと夏の記述にドライで他の春秋系や竹書紀年程には理想国家とは
見なしていない。やはり楚が中華から離れた蛮族扱いだった事と関係あるかな?

466 :世界@名無史さん:2013/05/07(火) 18:25:45.87 0.net
1、春秋系=魯春秋(原本)・斉春秋・燕春秋・宋春秋・周春秋・百国春秋・春秋左氏伝(斉)・春秋公羊伝(韓)・春秋穀梁伝(中山)
2、逸周書
3、秦記(呂氏春秋)
4、晋乗
5、楚梼杌(容成氏)
6、竹書紀年(魏)
7、趙の歴史書(詳細不明)

平勢氏は楚梼杌(容成氏)の事は知らないのかな?あの人は春秋系を重視しすぎる気がする。
あと全部春秋が起源で他の歴史書に書かれている事は基本的に全部同じとか言う説も平勢氏じゃなかったかもしれないけど
聞いたな。「秦記、晋乗、楚梼杌(容成氏)も全部春秋と同じでただのコピペでしか無く
秦春秋、晋春秋、楚春秋が正しい名前」だと言う説を。
でも個人的には全ての歴史書の起源が春秋で後は全てコピーと言うのは賛同しかねるね。儒家は春秋を絶対視しているけど。
竹書紀年も容成氏(おそらくこれが楚梼杌で炭素年代測定法で年代は測定済み)も明らかに儒教精神に反するような事柄が
書かれている。間違いなく春秋系の歴史書じゃ無い。

467 :世界@名無史さん:2013/05/07(火) 18:48:05.47 0.net
自分が昔読んだ本では
「魯春秋春・燕春秋・宋春秋・周春秋・百国春秋・春秋左氏伝(斉)・春秋公羊伝(韓)・春秋穀梁伝(中山)
が真の名前で、逸周書、秦記、晋乗、楚梼杌は後世の人間が勝手に付けた名前に過ぎない。
内容はすべて春秋と同じであり、別の物では無い」と言っている学者が居たのを覚えている。
あまりにも春秋だけを絶対視しすぎる気がしてならない。
楚梼杌(容成氏)なんか夏も殷も強大な国であったが、春秋の言うような聖王が建国した理想国家では無い事が
書かれている。

468 :世界@名無史さん:2013/05/07(火) 23:43:48.94 0.net
楚は華夏の外の国だから夏・殷・周を強国で文化も優れた存在と認めつつも、絶対視は
しない。華夷秩序の外だと自ら認識していたし、中原の王朝もそう思っていた。
だから楚の歴史書は夏の記述も儒教フィルターがかかっていない。春秋コピペと言う事はあり得ない。
ただ文化が優れていた事を認めており、積極的に周王朝から文化を学び楚は楚文字とでも言うべき
独自の漢字を発展させてその思想も多く書き記した。
多分戦国七雄の中で一番漢字が普及して居た国だろう。焚書を免れた書物の多くは楚の遺跡から発見されている。
あまりにも膨大ゆえに、偽物も多いが近年の炭素年代測定法で後世の唐や宋の時代に楚の物であると捏造された楚簡は現在では排除されている。

469 :世界@名無史さん:2013/05/08(水) 10:36:09.82 0.net
>>467
それ平勢説だろ。

470 :世界@名無史さん:2013/05/08(水) 10:38:52.93 0.net
清華簡「繋年」はどこに位置づけりゃいいんだ。

471 :世界@名無史さん:2013/05/08(水) 11:56:59.46 0.net
>>469
平勢って孔子と孔子が書いたとされる?春秋を絶対視して崇拝しているよな。
他の国が書いた歴史書は全部春秋のパクリコピペでしか無いとか・・・
上にあがっている魏の竹書紀年は春秋と別物だし、平勢は楚の容成氏をなぜか
無視しているし。春秋と食い違うから軽視してんのかな?
容成氏や竹書紀年では益が啓に自ら王位を譲ったと言う春秋に対して、啓は益を攻め滅ぼして世襲王朝を作ったと書いてあるし
成湯の事もかなりの野心家として書かれている。策略をめぐらして商より巨大な夏を滅ぼしたと。
聖人君主の代名詞みたいな記述の春秋の方こそ儒教のあるべき姿として脚色したんじゃないかと思うな。

472 :世界@名無史さん:2013/05/08(水) 12:20:44.03 0.net
>>470
まだ全てが公開されたわけじゃないけど竹書紀年に良く似た内容らしいね。
全公開はおそらく2014年ぐらいになる様子。

北宋時代から古文尚書の一部は偽造であると言われており、昔の学者たちが偽物であると
断定した物があったが、近代になって「いやいやヤッパリ本物では?」と言う学者が現れ
賛否両論だったが。清華簡のおかげで確かに北宋の学者の言うように偽物である事が判明したみたい。

473 :世界@名無史さん:2013/05/08(水) 23:02:12.92 0.net
平勢隆郎は
岩波『春秋左氏伝』のおかげで研究進んだとか迷言が多いし、
漢文読めないことでも定評がある。
ttp://www.amazon.co.jp/review/R14DEYA6SG5833/ref=cm_cr_pr_viewpnt#R14DEYA6SG5833
ttp://www.logsoku.com/r/whis/1123502212/
その学説もあまりまともに相手されてないから安心しろ。

474 :世界@名無史さん:2013/05/09(木) 12:21:31.17 0.net
>>473
清華簡の記述が春秋と異なっても、春秋の方が正しいといいだしそうだな。
清華簡に関しては今の所何も語っていないけど2014年ごろに完全公開された後の
コメントが楽しみだ。それにしても平勢隆郎は夏王朝にはかなり否定的だったな。
春秋以前の西周中期には夏王朝の事が金石文に書かれているのに。
孔子が生まれるよりも200年以上も前の物に桀と夏王朝の話は既に出ている。

475 :世界@名無史さん:2013/05/09(木) 14:59:22.22 0.net
話が出てるから実在するんならアトランティスも実在するのか?

476 :世界@名無史さん:2013/05/09(木) 18:54:45.76 0.net
>>475
アトランティスは文字資料自体が少ないし、それらしい遺跡すら発見されていない
檀君神話とかシュメール以前のメソポタミア文明の1万歳の王様とかそんなレベル。
中国で言えば三皇が実在すると真顔で言うようなものだ。

477 :世界@名無史さん:2013/05/09(木) 18:58:54.45 0.net
夏王朝はせいぜい邪馬台国レベルの物だ。あっただろうしそれらしい遺跡も見つかっている。
だがそれを確実に証明するとまでは行かない。纒向遺跡や二里頭遺跡は見つかっている。
アトランティスはそれらしい遺跡すら見つかっていない。
先日発見された大西洋の大陸が見つかったけど、アレは元陸地だっただけで遺跡があったわけじゃない。
もし遺跡があったら夏王朝や邪馬台国レベルとみなしてよい

478 :世界@名無史さん:2013/05/09(木) 19:29:52.47 0.net
アトランティスはクレタ文明が伝説化されたものだと思うが

479 :世界@名無史さん:2013/05/12(日) 22:45:55.22 0.net
今の中国に「純粋な漢族」など存在しない!DNA検査で明らかに―中国紙
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=39558

480 :世界@名無史さん:2013/05/13(月) 00:02:13.37 0.net
純粋なアメリカ民族

481 :世界@名無史さん:2013/05/13(月) 01:27:42.22 0.net
中国人は周辺民族を飲み込んできたことを誇りとしてるくらいなんだがなぁ。

482 :世界@名無史さん:2013/05/13(月) 11:33:00.54 0.net
>>480
純粋なアメリカ民族=インディアンの事だけどな

483 :世界@名無史さん:2013/05/13(月) 11:34:37.84 0.net
>>478
それで間違いないよな。実際にクレタのミノア文明は火山の噴火で大打撃を
受けた後でギリシャ本土から別の民族(純粋ギリシャ人?)が攻めてきて滅ぼされたんだから

484 :世界@名無史さん:2013/05/13(月) 20:42:14.69 0.net
>>479
それ二系統の学者用意し中国当局は否定に動きかけたが足踏みしてるな中華民族への戦略的なながれだ。大和民族真似た漢民族でヘマこいたから必然な流れなんだがw本来の血統論は裏に潜んでる。

485 :世界@名無史さん:2013/05/15(水) 06:35:35.10 0.net
日本語でおk

486 :世界@名無史さん:2013/05/19(日) 22:58:31.05 P.net
誰か>>484を和訳してくれ

487 :世界@名無史さん:2013/05/19(日) 23:25:40.84 0.net
まだわからんのかw

生半可な知識蓄えた奴用の学者と民間伝承の身体の特徴で龍の子孫だ演ってる連中用の学者両系統の学者揃え漢民族否定に動きかけたが反発くらい控えたが「中華民族の偉大復興」っつう中身の無い看板だけ挙げた。

民族は政治センズリの結果だ本来の血統論は羊と貝龍の子孫信仰だどっちにしろ修正し真実を曝す方向に動く

488 :世界@名無史さん:2013/05/19(日) 23:41:25.33 0.net
適度に改行や句読点を使いましょうね

489 :世界@名無史さん:2013/05/19(日) 23:55:50.16 P.net
>>487の和訳も頼む

490 :世界@名無史さん:2013/05/20(月) 00:02:58.89 0.net
民衆に漢民族センズリ演られると中共が困るのよ。民衆の反発で足踏みしてるがこれは俺ん処は助かる。中華民族のタガは看板として嵌めてるがな琉球どうのに踏み込む事になる。

491 :世界@名無史さん:2013/05/20(月) 23:11:27.67 0.net
《大紀元時報》も日本国内に来るとカルト宗教だからなー
大陸中国を敵としていれば、台湾のどこかの勢力と共闘するのかといえば違うし
日本人や華人や在日華僑とも利害関係が一致しない。

>>487とか>>490って、《大紀元時報》だろ?w

492 :世界@名無史さん:2013/05/22(水) 07:38:37.12 0.net
古代中国の夏・殷は私たちの歴史、漢字は東夷族が作った文(契)〜陳泰夏、仁済大客員教授

1.黄河文明の主役は東夷族
私たち韓民族の発祥地は松花江と遼河を中心に満州野原に雄拠した狩猟騎馬民族として鴨緑江
と豆満江を越え韓半島で南下する前にすでに黄河流域に進出して世界4大文明発祥地の一つで
ある黄河文明を形成するのに主導的な役割をした民族であることを明らかにしなければ、私たち
韓民族の古代史を正しく明らかにはできない。

中国の史学界でもこれまで新しく出土した遺跡を通じて黄河地域の古代文物より遼河地域の古代
文物がさらに発達していたと考証している。これで遼河側の私たちの先祖である東夷族の文明が
黄河側に南下したことが分かる。黄河流域に住んだいわゆる本来の漢族は農耕民族として北側
から南下する騎馬民族の東夷族に押され南に追われて今日の中国の南方と東南アジア一帯に
居住し今は55族の少数民族の一つの客家族というものだ。客家族は今でも自分たちが純粋漢族
だと叫んでいる。

従って黄河文明の主役は漢族ではなく、東夷族であることは中国史学界ではすでに公認された事
実だ。まだ私たちの史学界では黄河文明は漢族が作った文明と一般的に認識しているのは非常
に残念なことだ。今でも私たちは過去の誤った我が韓民族の歴史を一つ一つ正しく探して整理し、
確固たる民族史観と民族精気を確立しなければならない。

2.檀君より先んじた蚩尤天王
(中略)

493 :世界@名無史さん:2013/05/22(水) 07:40:59.32 0.net
3.漢字は東夷族が創造
中国の文字学者李敬斎は「…在武功方面、諸夏雖獲勝利、而在文化方面則同化於東夷矣.…夫
東夷果何等人耶.乃ト悌慈祥、薄武力而崇芸術之人也.其代表人物如舜(孟子曰舜、東夷之人也).
至仁至孝、能使人譲以天下、而以復以天下譲人、真古今中外無比至聖也.…可見我国文字東夷
人亦多所創造、而為契所推広因以造字之功帰之契.如将東土西土古文略一比較、即東夷対於
文字之智慧優於西夏、東夷人既握有教育権、故諸夏尽受東夷之文化。」(武功方面で諸夏がたと
え勝利を得たが文化方面では東夷に同化された。…そもそも東夷とは果たしていかなる人々なの
か。すなわち和睦キメ細かくて、武力よりは芸術を崇める人々だった。その代表的人物を聞けば
舜だ。(孟子は舜を東夷人だと言った)至仁至孝にして、他人に天下を譲位し、天下をまた他人に
譲位することは真に古今中外に他にない極めて聖らしいことである。(中略)私たちの中国文字は
東夷人がみな創造したものといえ、契が広く普及したので造字の球が契に帰すことになったのだ。
東土と西土の古文を概略比較してみれば、すなわち東夷が文字の知恵については西夏より優秀
で、東夷人が先に教育権を掌握したので諸夏が全部東夷の文化を受け入れた。)(整理文化中途
自述)と論及した通り中国文化の根源は東夷文化で成したことが分かる。ここでより一層重要なの
は中国文化の根幹をなすいわゆる漢字を本来、東夷族が創造したということだ。この事実は今後、
私たちの韓民族の古代史を正しく究明するのに非常に貴重な資料だ。

494 :世界@名無史さん:2013/05/22(水) 07:42:09.01 0.net
4.夏国を東夷族がたてたと見る証拠
漢字は東夷族が創造したという学説を土台にしていかなる字が東夷族によって作られたかを具体
的に考証してみようと思う。一般的に中国最初の王朝の「夏」に対し文字学的に調べれば次のよう
だ。殷代の甲骨文で「夏」の字形を探してみれば派手な姿をした対人の姿を描き「大きい」の意を
現わしたものだ。(中略:夏の字の変遷)「夏」の字形は甲骨文から楷書体に至るまで多く変わった
が、字音は「ハ(ha)」として反切音の「胡駕切」と見る時、上告音がそのまま維持されていることが
分かる。しかし中国では現在[shiah]と音が変化して使われている。韓国語では「ハ(ha)」が大きい、
またはマンタの意味で昔から現在まで使われている。

‘大きい’という意味で国を建てるなら「ハ(ha)」を昔から‘大きい’の意味で使っている民族がたて
たことは疑問の余地がない。また「夏」の字形を作ったのも「ハ(ha)」(大きい)という言葉を持ってい
る民族が作ったのも問わずして知ることだ。その民族がすなわち私たちの先祖の東夷族ならどれ
ほど誇らしいことなのか。中国史学者らの考証によれば夏と商これら全て黄河北側の北方族すな
わち東夷族によって樹立された国々だ。

しかしはるか時代がすぎて指南により主客が転倒し私たち韓国人自らも「夏」は中国最初の国名
と認識していることは無知の招いた結果で己の国の古代史を失ってしまったのだ。

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