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【三代】夏殷周を語る【理想】

423 :世界@名無史さん:2013/05/01(水) 22:14:25.04 0.net
封神演義に周公但は出てくるな。
漫画なら事務能力に優れた、平和時の優良官僚って感じだったが原作じゃどんな扱いなのだろう?

中国の「神」のイメージって三国志、西遊記、封神演義などの物語から逆輸入される傾向が高いんだよな。
史実→物語が作られる→その物語を元に伝説や廟が作られる→物語がさらに変容→

ってな感じで。

424 :世界@名無史さん:2013/05/01(水) 23:09:48.06 0.net
>>422
それを言ったら毛利元就の外交僧、安国寺恵瓊の父親は元就に滅ぼされた安芸武田氏だ。

425 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 01:29:44.36 0.net
>>423
気になるならなんで自分で調べないの?

426 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 12:09:44.55 0.net
二里頭第一期=龍山文化
二里頭第二期=夏前期
二里頭第三期=夏後期
二里頭第四期=殷

甲骨文字に良く似た文字状の記号も見つかっているから、解読が待たれる
その前に蜀の巴蜀文字を是非とも解読してほしいところだ。
「説文解字」を書いた人たちは蜀の文字の存在を知っており「彼らは異形の文字を使い
我らには理解不能」とちゃんと書いているのに。なぜそれを解読してやろうと言う人物が
出てこなかったのか?せっかく戦国七雄の文字の変遷を調べて書物にしたのに蜀の文字に
なぜか関心が無かったのが不思議だ。

427 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 12:14:10.02 0.net
殷は伝説にすぎず存在しない→殷墟発見
長江上流の蜀に巨大な王国は無い→三星堆遺跡発見
始皇帝陵は司馬遷の妄想→始皇帝陵発見

昔は史記は信憑性が低いと懐疑的に見られてきたけど、結構事実を語っている

428 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 13:04:17.09 P.net
>>427
司馬遷は歴史と神話の区別を積極的におこなっていたみたいだしね
実在性に乏しいと思わしき話は注釈をつけていたようだし

429 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 18:17:58.70 0.net
>>426
あんた、エジプトのヒエログリフ解読に何年掛かったか知ってるか?
ロゼッタストーンのような手がかりが無い限り不可能なんだよ。

430 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 19:06:56.88 P.net
確かマヤ文字やインダス文字の一部がコンピュータの解析で解けたという話も
あったような

431 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 19:57:37.10 0.net
マヤ文字は解読されている。インダス文字は言語としての規則性の一部が解析されたという話で、
文字を読む事はまだ出来ていない。

432 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 23:36:37.98 0.net
>>430
でも現在の我々が調べるよりも2000年前の紀元1世紀ぐらいの説文解字を書き記した
連中の方がまだ時代が近い(と言っても巴蜀が秦に滅ぼされたのは更に400年前だが)
からまだ探せばどうにか解読出来たと思うけどな。秦は蜀を併合した後で彼らの文字や言語の
矯正にだいぶ苦労したみたいだが。あの頃ならまだロゼッタストーンみたいなのがあったんじゃなかろうか?
まあ説文解字を書いた人たちは金石文までしか知らず、甲骨文字の存在を知らなかったみたいだから調べるのには限度があったのかもしれないが。

433 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 23:40:07.81 0.net
それから巴蜀文字の印章とインダス文字が酷似しているそうな。
巴蜀を南下すると文明とは言えず村社会だけど昆明に独自の文化があったみたいだし
そこを通してインダス文明と交流があったのかも?

434 :世界@名無史さん:2013/05/02(木) 23:54:50.53 0.net
ねーよ

435 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 00:07:59.03 0.net
http://my.chiebukuro.yahoo.co.jp/my/hurutatiitiro

436 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 13:05:39.38 0.net
ロゼッタストーン=神聖文字(ヒエログリフ)→民衆文字(デモティック)→ギリシア文字
ギリシャ文字は既に分かっていたのでデモティックもヒエログリフも解読出来た

ベヒストゥン碑文=アッカド語(楔形文字)→古代ペルシャ語→エラム語(新バビロニア語)
古代ペルシャ語から解読され、新バビロニア語であるエラム語とアッカド語もそののちに解読された。
更に100年近くたってからアッカド語を元にシュメール語も解読出来た

三体石経=古文→篆書→隷書
篆書と隷書は既に解読されていた、照らし合わせて古文も解読出来た。古文は金石文に良く似ているので
金石文も合わせて解読出来た。

巴蜀文字とインダス文字にもこのような複数の文字が併記された物が発見される事が待たれる。
個人的にはインダス文字が一番解読されてほしい文字だが、巴蜀文字はその次ぐらいに解読されてほしいと思っている。
そのさらに次は線文字Aとオルメカ文字だが。
ロゼッタストーンの様なものが見つからない限り解読は不可能だろうね。

437 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 13:08:26.87 0.net
前漢時代の学者なんて遅れた蛮族扱いの蜀人の文字や言語になんて感心無いだろうな。
もしロゼッタストーンみたいなのが見つかるなら、蜀の遺跡の方だろうね。
秦や漢の遺跡探しても多分見つからない。

438 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 15:48:19.65 0.net
巴蜀文字ってせいぜい戦国時代だろ
甲骨文字のほうが古くね?

439 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 19:20:00.97 0.net
巴蜀文字は一番古いと考えても紀元前850年ぐらい?

440 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 20:03:34.12 0.net
敦煌莫高窟に、漢字・西夏文字・青唐吐蕃文字のロゼッタストーンみたいなのがあったから
交易をしていて帳簿付けをしていることは、古文書分析に有利に働くよ。

441 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 20:13:11.99 0.net
>>440
そういや西夏文字も長い事、未解読文字だったんだよな

442 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 20:59:07.61 P.net
4000年前の邑の戦国時代
言語が違う邑は制圧して、奴隷にするか
お互いの言語を覚えて、交渉相手とするのか

漢字が表意文字なのも元々違う言語同士の通訳も
かねていたのかな

443 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 21:22:49.78 0.net
甲骨文字は占いの記録の為のものでそういう使い方はしなかった。

444 :世界@名無史さん:2013/05/03(金) 23:08:37.60 0.net
>>442
春秋時代や戦国時代になればそういう使い方になって行ったね
春秋時代と戦国時代では巴蜀以外では通訳者と言う職が見られないのもそういう事なんだろう
>>443
甲骨文字の殷の時代はその通りで、占いの為だったね

445 :世界@名無史さん:2013/05/04(土) 00:20:14.45 0.net
殷の遺民たちが、文字通り「商人」となって、商売の記録を甲骨文字で取り始めたってコトなのかな?

446 :世界@名無史さん:2013/05/04(土) 16:08:16.99 0.net
>>445
殷の遺民たちが使っていた文字は金石文とその改良の古文と言う文字だよ。
甲骨文字は王族以外は使ってはならなかった。
だから説文解字を前漢の学者が書き記した時に学者たちは金石文までしか知らなかったんだよ。
金石文は殷の王族が家臣に褒美として与えたものだから他国にも広まっていたけど甲骨文字は
王族の占いの為の文字だから王族しか使っていない。だから甲骨文字はよその国には基本的には
広まっていない。唯一例外が周だったけど、この周が殷の時代に既に殷から甲骨文字を教えてもらって
使用している。でも周も家臣には甲骨文字は渡さなかった。渡したのは金石文を書いた食器などだけ。
殷墟の発見、その後の周源の発見を持って初めて甲骨文字の存在が明らかにされた。
春秋時代の諸侯の墓からは金石文は出てきても甲骨文字が出て来る事はあり得ない。

447 :世界@名無史さん:2013/05/04(土) 16:09:43.08 0.net
王族でも無い「商人」が甲骨文字を使う事は許されない。
だから殷も周も甲骨文字は独占して門外不出とした。

448 :世界@名無史さん:2013/05/04(土) 17:36:40.42 0.net
甲骨文字=殷や周の王族が占いの為に独占しているから殷や周以外では発見されない

金石文=殷や周の王族が諸侯に褒美として与える食器にその食器の由来を金石文として
書いて与える。だから金石文は諸侯の国から多く発見される。また金石文を元に古文が
作られ戦国七雄を始めとする国で庶民にまで広がり商売の記録としても使われるようになる。

449 :世界@名無史さん:2013/05/04(土) 17:58:40.07 0.net
食器と言っても祖先の霊にお供えする時に使う祭器だけどね。

450 :世界@名無史さん:2013/05/05(日) 22:59:46.39 0.net
殷を滅ぼした周の民が紅毛だった件…

漢民族っていったい何…

451 :世界@名無史さん:2013/05/05(日) 23:27:41.10 0.net
>>450
漢民族っていろんな部族のまじりあいだから・・・・

452 :世界@名無史さん:2013/05/05(日) 23:39:11.89 0.net
でも、客家の来歴をみていると
五胡十六国時代に東晋へ逃れ
さらに黄巣の乱の時に華南に逃れたとする宗族が多い。

客家は客民であって、土着民ではない。
河南省からやってきたというのも外れてはいないだろう。

453 :世界@名無史さん:2013/05/05(日) 23:56:01.20 0.net
客家に限らんだろごった煮だよ。

454 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 00:04:23.55 0.net
漢王朝も成立してない時期に漢民族なんぞおるか

455 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 00:13:50.87 0.net
大和民族真似し最近やり出した事だろw
あ、不味いっつて中華民族移行中だが足踏みしてる。考古歴史分子生物学など駆使して民度低い連中を教育修正は必ず演るだろな

456 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 00:17:15.12 0.net
>>454
それもそうだが。
五胡十六国でDNA的には異民族になってるけど
これも漢民族って言っていいん?
喋ってる言葉と漢字はそのままだが…

457 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 02:47:29.41 0.net
漢人固有のDNAなどないし、発音も文法も文字も相当に変化した
匈奴の劉淵は漢を再興したし、モンゴルは金の領内にいた多様な連中(女真・契丹・渤海・高麗)を漢人と総称した
それでも彼らは(胡系の)漢人なのだ

458 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 06:48:07.29 P.net
もし漢族の源流があるとしたら
竜山文化の担い手だった民族だろうが
たしか二里頭文化は越人かチベット系という説があるんだっけ

459 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 07:07:11.06 0.net
漢なんだから当然漢中盆地に住んでた民族が源流じゃねーの?w

460 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 11:32:08.79 0.net
劉邦は現在の江蘇省徐州市沛県出身
遡ると帝堯陶唐氏の末裔ともいうが後付設定

461 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 11:47:53.02 0.net
>>457
なんでもありかよw

462 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 13:15:25.16 0.net
漢民族って言うのがそもそもあいまいな定義だからな。

463 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 13:26:11.53 0.net
>>462
同化力が半端ないのはわかるけどやっぱ漢字の威力かな?

464 :世界@名無史さん:2013/05/06(月) 15:23:44.02 0.net
今の「漢族」が中華人民共和国の戸籍人口の94%以上を占めている時点でお察しください

465 :世界@名無史さん:2013/05/07(火) 14:31:12.85 0.net
>>409
春秋が書かれた時代は紀元前500年前後
竹書紀年が書かれた時代は紀元前300年前後
史記が書かれた時代は紀元前100年前後
戦国策が書かれた時代は紀元前10年前後

春秋から竹書紀年まで200年、竹書紀年から史記まで200年後、史記から戦国策まで100年後

2001年に上博楚簡「容成氏」と言う竹簡が解読されて、これが楚の歴史書である事が判明して
時期は竹書紀年とほぼ同じ時期。割りと夏の記述にドライで他の春秋系や竹書紀年程には理想国家とは
見なしていない。やはり楚が中華から離れた蛮族扱いだった事と関係あるかな?

466 :世界@名無史さん:2013/05/07(火) 18:25:45.87 0.net
1、春秋系=魯春秋(原本)・斉春秋・燕春秋・宋春秋・周春秋・百国春秋・春秋左氏伝(斉)・春秋公羊伝(韓)・春秋穀梁伝(中山)
2、逸周書
3、秦記(呂氏春秋)
4、晋乗
5、楚梼杌(容成氏)
6、竹書紀年(魏)
7、趙の歴史書(詳細不明)

平勢氏は楚梼杌(容成氏)の事は知らないのかな?あの人は春秋系を重視しすぎる気がする。
あと全部春秋が起源で他の歴史書に書かれている事は基本的に全部同じとか言う説も平勢氏じゃなかったかもしれないけど
聞いたな。「秦記、晋乗、楚梼杌(容成氏)も全部春秋と同じでただのコピペでしか無く
秦春秋、晋春秋、楚春秋が正しい名前」だと言う説を。
でも個人的には全ての歴史書の起源が春秋で後は全てコピーと言うのは賛同しかねるね。儒家は春秋を絶対視しているけど。
竹書紀年も容成氏(おそらくこれが楚梼杌で炭素年代測定法で年代は測定済み)も明らかに儒教精神に反するような事柄が
書かれている。間違いなく春秋系の歴史書じゃ無い。

467 :世界@名無史さん:2013/05/07(火) 18:48:05.47 0.net
自分が昔読んだ本では
「魯春秋春・燕春秋・宋春秋・周春秋・百国春秋・春秋左氏伝(斉)・春秋公羊伝(韓)・春秋穀梁伝(中山)
が真の名前で、逸周書、秦記、晋乗、楚梼杌は後世の人間が勝手に付けた名前に過ぎない。
内容はすべて春秋と同じであり、別の物では無い」と言っている学者が居たのを覚えている。
あまりにも春秋だけを絶対視しすぎる気がしてならない。
楚梼杌(容成氏)なんか夏も殷も強大な国であったが、春秋の言うような聖王が建国した理想国家では無い事が
書かれている。

468 :世界@名無史さん:2013/05/07(火) 23:43:48.94 0.net
楚は華夏の外の国だから夏・殷・周を強国で文化も優れた存在と認めつつも、絶対視は
しない。華夷秩序の外だと自ら認識していたし、中原の王朝もそう思っていた。
だから楚の歴史書は夏の記述も儒教フィルターがかかっていない。春秋コピペと言う事はあり得ない。
ただ文化が優れていた事を認めており、積極的に周王朝から文化を学び楚は楚文字とでも言うべき
独自の漢字を発展させてその思想も多く書き記した。
多分戦国七雄の中で一番漢字が普及して居た国だろう。焚書を免れた書物の多くは楚の遺跡から発見されている。
あまりにも膨大ゆえに、偽物も多いが近年の炭素年代測定法で後世の唐や宋の時代に楚の物であると捏造された楚簡は現在では排除されている。

469 :世界@名無史さん:2013/05/08(水) 10:36:09.82 0.net
>>467
それ平勢説だろ。

470 :世界@名無史さん:2013/05/08(水) 10:38:52.93 0.net
清華簡「繋年」はどこに位置づけりゃいいんだ。

471 :世界@名無史さん:2013/05/08(水) 11:56:59.46 0.net
>>469
平勢って孔子と孔子が書いたとされる?春秋を絶対視して崇拝しているよな。
他の国が書いた歴史書は全部春秋のパクリコピペでしか無いとか・・・
上にあがっている魏の竹書紀年は春秋と別物だし、平勢は楚の容成氏をなぜか
無視しているし。春秋と食い違うから軽視してんのかな?
容成氏や竹書紀年では益が啓に自ら王位を譲ったと言う春秋に対して、啓は益を攻め滅ぼして世襲王朝を作ったと書いてあるし
成湯の事もかなりの野心家として書かれている。策略をめぐらして商より巨大な夏を滅ぼしたと。
聖人君主の代名詞みたいな記述の春秋の方こそ儒教のあるべき姿として脚色したんじゃないかと思うな。

472 :世界@名無史さん:2013/05/08(水) 12:20:44.03 0.net
>>470
まだ全てが公開されたわけじゃないけど竹書紀年に良く似た内容らしいね。
全公開はおそらく2014年ぐらいになる様子。

北宋時代から古文尚書の一部は偽造であると言われており、昔の学者たちが偽物であると
断定した物があったが、近代になって「いやいやヤッパリ本物では?」と言う学者が現れ
賛否両論だったが。清華簡のおかげで確かに北宋の学者の言うように偽物である事が判明したみたい。

473 :世界@名無史さん:2013/05/08(水) 23:02:12.92 0.net
平勢隆郎は
岩波『春秋左氏伝』のおかげで研究進んだとか迷言が多いし、
漢文読めないことでも定評がある。
ttp://www.amazon.co.jp/review/R14DEYA6SG5833/ref=cm_cr_pr_viewpnt#R14DEYA6SG5833
ttp://www.logsoku.com/r/whis/1123502212/
その学説もあまりまともに相手されてないから安心しろ。

474 :世界@名無史さん:2013/05/09(木) 12:21:31.17 0.net
>>473
清華簡の記述が春秋と異なっても、春秋の方が正しいといいだしそうだな。
清華簡に関しては今の所何も語っていないけど2014年ごろに完全公開された後の
コメントが楽しみだ。それにしても平勢隆郎は夏王朝にはかなり否定的だったな。
春秋以前の西周中期には夏王朝の事が金石文に書かれているのに。
孔子が生まれるよりも200年以上も前の物に桀と夏王朝の話は既に出ている。

475 :世界@名無史さん:2013/05/09(木) 14:59:22.22 0.net
話が出てるから実在するんならアトランティスも実在するのか?

476 :世界@名無史さん:2013/05/09(木) 18:54:45.76 0.net
>>475
アトランティスは文字資料自体が少ないし、それらしい遺跡すら発見されていない
檀君神話とかシュメール以前のメソポタミア文明の1万歳の王様とかそんなレベル。
中国で言えば三皇が実在すると真顔で言うようなものだ。

477 :世界@名無史さん:2013/05/09(木) 18:58:54.45 0.net
夏王朝はせいぜい邪馬台国レベルの物だ。あっただろうしそれらしい遺跡も見つかっている。
だがそれを確実に証明するとまでは行かない。纒向遺跡や二里頭遺跡は見つかっている。
アトランティスはそれらしい遺跡すら見つかっていない。
先日発見された大西洋の大陸が見つかったけど、アレは元陸地だっただけで遺跡があったわけじゃない。
もし遺跡があったら夏王朝や邪馬台国レベルとみなしてよい

478 :世界@名無史さん:2013/05/09(木) 19:29:52.47 0.net
アトランティスはクレタ文明が伝説化されたものだと思うが

479 :世界@名無史さん:2013/05/12(日) 22:45:55.22 0.net
今の中国に「純粋な漢族」など存在しない!DNA検査で明らかに―中国紙
http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=39558

480 :世界@名無史さん:2013/05/13(月) 00:02:13.37 0.net
純粋なアメリカ民族

481 :世界@名無史さん:2013/05/13(月) 01:27:42.22 0.net
中国人は周辺民族を飲み込んできたことを誇りとしてるくらいなんだがなぁ。

482 :世界@名無史さん:2013/05/13(月) 11:33:00.54 0.net
>>480
純粋なアメリカ民族=インディアンの事だけどな

483 :世界@名無史さん:2013/05/13(月) 11:34:37.84 0.net
>>478
それで間違いないよな。実際にクレタのミノア文明は火山の噴火で大打撃を
受けた後でギリシャ本土から別の民族(純粋ギリシャ人?)が攻めてきて滅ぼされたんだから

484 :世界@名無史さん:2013/05/13(月) 20:42:14.69 0.net
>>479
それ二系統の学者用意し中国当局は否定に動きかけたが足踏みしてるな中華民族への戦略的なながれだ。大和民族真似た漢民族でヘマこいたから必然な流れなんだがw本来の血統論は裏に潜んでる。

485 :世界@名無史さん:2013/05/15(水) 06:35:35.10 0.net
日本語でおk

486 :世界@名無史さん:2013/05/19(日) 22:58:31.05 P.net
誰か>>484を和訳してくれ

487 :世界@名無史さん:2013/05/19(日) 23:25:40.84 0.net
まだわからんのかw

生半可な知識蓄えた奴用の学者と民間伝承の身体の特徴で龍の子孫だ演ってる連中用の学者両系統の学者揃え漢民族否定に動きかけたが反発くらい控えたが「中華民族の偉大復興」っつう中身の無い看板だけ挙げた。

民族は政治センズリの結果だ本来の血統論は羊と貝龍の子孫信仰だどっちにしろ修正し真実を曝す方向に動く

488 :世界@名無史さん:2013/05/19(日) 23:41:25.33 0.net
適度に改行や句読点を使いましょうね

489 :世界@名無史さん:2013/05/19(日) 23:55:50.16 P.net
>>487の和訳も頼む

490 :世界@名無史さん:2013/05/20(月) 00:02:58.89 0.net
民衆に漢民族センズリ演られると中共が困るのよ。民衆の反発で足踏みしてるがこれは俺ん処は助かる。中華民族のタガは看板として嵌めてるがな琉球どうのに踏み込む事になる。

491 :世界@名無史さん:2013/05/20(月) 23:11:27.67 0.net
《大紀元時報》も日本国内に来るとカルト宗教だからなー
大陸中国を敵としていれば、台湾のどこかの勢力と共闘するのかといえば違うし
日本人や華人や在日華僑とも利害関係が一致しない。

>>487とか>>490って、《大紀元時報》だろ?w

492 :世界@名無史さん:2013/05/22(水) 07:38:37.12 0.net
古代中国の夏・殷は私たちの歴史、漢字は東夷族が作った文(契)〜陳泰夏、仁済大客員教授

1.黄河文明の主役は東夷族
私たち韓民族の発祥地は松花江と遼河を中心に満州野原に雄拠した狩猟騎馬民族として鴨緑江
と豆満江を越え韓半島で南下する前にすでに黄河流域に進出して世界4大文明発祥地の一つで
ある黄河文明を形成するのに主導的な役割をした民族であることを明らかにしなければ、私たち
韓民族の古代史を正しく明らかにはできない。

中国の史学界でもこれまで新しく出土した遺跡を通じて黄河地域の古代文物より遼河地域の古代
文物がさらに発達していたと考証している。これで遼河側の私たちの先祖である東夷族の文明が
黄河側に南下したことが分かる。黄河流域に住んだいわゆる本来の漢族は農耕民族として北側
から南下する騎馬民族の東夷族に押され南に追われて今日の中国の南方と東南アジア一帯に
居住し今は55族の少数民族の一つの客家族というものだ。客家族は今でも自分たちが純粋漢族
だと叫んでいる。

従って黄河文明の主役は漢族ではなく、東夷族であることは中国史学界ではすでに公認された事
実だ。まだ私たちの史学界では黄河文明は漢族が作った文明と一般的に認識しているのは非常
に残念なことだ。今でも私たちは過去の誤った我が韓民族の歴史を一つ一つ正しく探して整理し、
確固たる民族史観と民族精気を確立しなければならない。

2.檀君より先んじた蚩尤天王
(中略)

493 :世界@名無史さん:2013/05/22(水) 07:40:59.32 0.net
3.漢字は東夷族が創造
中国の文字学者李敬斎は「…在武功方面、諸夏雖獲勝利、而在文化方面則同化於東夷矣.…夫
東夷果何等人耶.乃ト悌慈祥、薄武力而崇芸術之人也.其代表人物如舜(孟子曰舜、東夷之人也).
至仁至孝、能使人譲以天下、而以復以天下譲人、真古今中外無比至聖也.…可見我国文字東夷
人亦多所創造、而為契所推広因以造字之功帰之契.如将東土西土古文略一比較、即東夷対於
文字之智慧優於西夏、東夷人既握有教育権、故諸夏尽受東夷之文化。」(武功方面で諸夏がたと
え勝利を得たが文化方面では東夷に同化された。…そもそも東夷とは果たしていかなる人々なの
か。すなわち和睦キメ細かくて、武力よりは芸術を崇める人々だった。その代表的人物を聞けば
舜だ。(孟子は舜を東夷人だと言った)至仁至孝にして、他人に天下を譲位し、天下をまた他人に
譲位することは真に古今中外に他にない極めて聖らしいことである。(中略)私たちの中国文字は
東夷人がみな創造したものといえ、契が広く普及したので造字の球が契に帰すことになったのだ。
東土と西土の古文を概略比較してみれば、すなわち東夷が文字の知恵については西夏より優秀
で、東夷人が先に教育権を掌握したので諸夏が全部東夷の文化を受け入れた。)(整理文化中途
自述)と論及した通り中国文化の根源は東夷文化で成したことが分かる。ここでより一層重要なの
は中国文化の根幹をなすいわゆる漢字を本来、東夷族が創造したということだ。この事実は今後、
私たちの韓民族の古代史を正しく究明するのに非常に貴重な資料だ。

494 :世界@名無史さん:2013/05/22(水) 07:42:09.01 0.net
4.夏国を東夷族がたてたと見る証拠
漢字は東夷族が創造したという学説を土台にしていかなる字が東夷族によって作られたかを具体
的に考証してみようと思う。一般的に中国最初の王朝の「夏」に対し文字学的に調べれば次のよう
だ。殷代の甲骨文で「夏」の字形を探してみれば派手な姿をした対人の姿を描き「大きい」の意を
現わしたものだ。(中略:夏の字の変遷)「夏」の字形は甲骨文から楷書体に至るまで多く変わった
が、字音は「ハ(ha)」として反切音の「胡駕切」と見る時、上告音がそのまま維持されていることが
分かる。しかし中国では現在[shiah]と音が変化して使われている。韓国語では「ハ(ha)」が大きい、
またはマンタの意味で昔から現在まで使われている。

‘大きい’という意味で国を建てるなら「ハ(ha)」を昔から‘大きい’の意味で使っている民族がたて
たことは疑問の余地がない。また「夏」の字形を作ったのも「ハ(ha)」(大きい)という言葉を持ってい
る民族が作ったのも問わずして知ることだ。その民族がすなわち私たちの先祖の東夷族ならどれ
ほど誇らしいことなのか。中国史学者らの考証によれば夏と商これら全て黄河北側の北方族すな
わち東夷族によって樹立された国々だ。

しかしはるか時代がすぎて指南により主客が転倒し私たち韓国人自らも「夏」は中国最初の国名
と認識していることは無知の招いた結果で己の国の古代史を失ってしまったのだ。

495 :世界@名無史さん:2013/05/22(水) 20:27:22.73 0.net
以上がセンズリの例ですね

496 :世界@名無史さん:2013/06/17(月) 07:58:40.16 0.net
中華文明の象徴たる「竜」が紅山文化由来っぽいし
本来の漢民族の源流は黄河流域じゃなくて遼河文明だろ

497 :世界@名無史さん:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN P.net
ところで南門のすぐ近くに回廊で囲んだ広大な広間があり
その奥に王が座る正殿がある構造って
本当に二里頭遺跡が初めてなのかな

そして殷、周、秦、漢の宮殿もこの構造だったの?

498 :世界@名無史さん:2014/03/18(火) 13:16:19.02 0.net
商は前の王朝(夏?)の宮殿をしばらく再利用していたらしい

499 :世界@名無史さん:2014/03/19(水) 10:05:38.44 0.net
>>459>>460>>464
中国人の94%が夏族を自称し、漢族が苗族に近い華中の少数民族にされてる可能性も高いわな。

500 :世界@名無史さん:2014/03/19(水) 10:14:08.34 O.net
(´-`).。oO(自尊心をクスグル悠久なる中華文明なんだろう…)

501 :世界@名無史さん:2014/03/19(水) 11:28:08.39 0.net
もし項羽が勝ってたら
いま我らは漢字ではなく楚字を使ってただろう

502 :世界@名無史さん:2014/03/20(木) 00:59:40.17 0.net
項羽の認識では、
楚は夏殷周に続く、
中原の正統王朝だったのではなかろうか

503 :世界@名無史さん:2014/03/20(木) 01:07:33.60 0.net
いや、さすがにどんな拡大解釈しようと楚を中原とは思えないだろう

504 :世界@名無史さん:2014/03/20(木) 01:14:54.11 0.net
楚の首都だった陳は中原だし、
項羽の出身地もかなり中原に近いから大丈夫じゃないだろうか

505 :世界@名無史さん:2014/03/20(木) 22:28:48.62 0.net
楚の国と言えばタイ系語族だったらしいが

506 :世界@名無史さん:2014/03/20(木) 22:51:10.65 0.net
楚も歴史が進むにつれ、
中原との交流が増えていったからでは

507 :世界@名無史さん:2014/03/20(木) 23:18:23.65 0.net
楚は、ミャオ・ヤオ語族であろう

508 :世界@名無史さん:2014/03/20(木) 23:24:47.58 0.net
Hmong–Mien(苗瑤) languages
http://en.wikipedia.org/wiki/Hmong%E2%80%93Mien_languages

三苗
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E8%8B%97
> 近年来,有学者认为三苗即现在苗族的祖先

509 :世界@名無史さん:2014/03/22(土) 13:39:36.17 0.net
殷の時代、なぜ人々は占いなんて信じたのか教えて。

510 :世界@名無史さん:2014/04/07(月) 21:49:31.05 0.net
楚は中原の文化を大々的に取り入れて漢字も大量に書き残している。
おかげで戦国時代の文字の遺物は楚の物が最も多い
結構中原を尊敬していたのは間違いない

511 :世界@名無史さん:2014/04/10(木) 20:49:51.66 0.net
ひろゆきの関わる関連事業が2chから弾き出されてひろゆき激怒
ひろゆきは2chが乗っ取られたと主張しているが2chの管理者は否定している

ひろゆきは自身の養分サービスを復活させるため、新たに2chを作るらしい
一方で、各板の転載禁止が増えたことを受けて、アフィブロガー達がおーぷん2chをプッシュし始めてる

そのため、本家2ch、ひろゆき2ch、養分2chに分裂する動きがあります

512 :世界@名無史さん:2014/05/01(木) 16:43:14.13 0.net
科学は結果を出しているからなー。ちょい違うんじゃないの?

占いは色々結果を心の中で捏造したり、外れたりするような都合の悪いことを忘れたり、曖昧な表現を
勝手に補完しないとちょいダメダメだよね。

513 :世界@名無史さん:2014/05/01(木) 22:58:11.19 0.net
>>509
現代人が占いを信じてるのと同じでしょ

514 :世界@名無史さん:2014/05/02(金) 21:16:43.83 0.net
>>512
結果を出してるかどうか本当に知ってるのは一部の専門的な科学者だけだ
民衆はただそう思ってるだけにすぎない
現代の科学者ってのは古代の神官たちと同じなんだよ社会学的な役割は

515 :世界@名無史さん:2014/05/02(金) 21:29:06.12 0.net
>>514
一般人が科学の成果をいちいち検証したりしないだろう
でもやろうと思えばできるんだよ

たとえば惑星の軌道を計算して検証してみることは
いま俺の目の前にあるPCでもできるし、そのためのソフトだって出回ってる
俺はそんなことしたことないけど、世の中にはそれをやる物好きも何千人だか何万人だか居るんだ
そうでなきゃそのためのソフトが出回ったりしない

516 :世界@名無史さん:2014/05/04(日) 01:53:18.24 0.net
>>515
なんの反証にもなってないね
古代人だろうが現代人だろうが占いぐらいできるし、
「わー、やっぱ星占いって当たるんだ、すごーい」っていってるアホは無数にいる
ちょうどおまえが「惑星の軌道計算したったw(キリッ」って言ってるのと何も変わらんわ

517 :世界@名無史さん:2014/05/04(日) 02:38:19.70 0.net
でも、検証可能性は担保されているよね。昔は、全く担保されていなかった。

こいつは大きな違いだ。

518 :世界@名無史さん:2014/05/04(日) 15:31:36.03 0.net
自分で検証してその真実性を確認したら
それは「知っている」であって「信じている」にならないのでは?

まあ、ここまで来たら言葉遊びの領域だけど

519 :世界@名無史さん:2014/05/06(火) 01:54:14.91 0.net
中華王朝には、王朝が制作した暦の正確さを万人が検証する機会として
日食月食の予言を重視する伝統があった。

520 :世界@名無史さん:2014/05/06(火) 03:05:20.14 0.net
「組織のトップ」と「女性」は占いが好き、って最近の何かの本にあったね。
俺も、知り合いの事務所経営してる人が、理系なのに神頼みモードになっててびっくりしたことがあったわ。
昔の王様も、責任と孤独の中で、占いでも何でもすがりたかったんだろうね。
俺みたいなリーマンには理解できない境地だけど。

521 :世界@名無史さん:2014/05/06(火) 04:08:53.42 0.net
ニュートンも晩年は神学者になったからなぁ。

522 :世界@名無史さん:2014/05/06(火) 15:33:03.88 0.net
合理的に考えても結論を出せなければ、占いにすがりたくもないよね。

逆に信心深いはずの古代中毒でも、春秋左氏伝に
「合理的に結論出てるんだから占い不要!」と言い切る話が出てきたりするけど。

523 :世界@名無史さん:2014/05/06(火) 21:32:49.59 0.net
占いや託宣とは情報を利用して人心を操る手段

524 :世界@名無史さん:2014/05/08(木) 00:30:49.53 0.net
>>522-524
そこは古代っつっても長いわけで変化があるでしょう
神々を祀ることにあけくれてた殷の時代と
春秋戦国の気風をごっちゃに言っても意味ないと思う

525 :世界@名無史さん:2014/05/08(木) 01:56:15.19 0.net
>>524
ところが、殷の時代の王も結構現実的な判断をしていたと思うんだよ。

というのも、殷の卜占ってのは、
卜師が具体的な提案を書き記した上で祖霊にお伺いを建てるというもの。
つまり、王が特定の案件を意図的に卜占のリストから外してしまえば
その案件は占われることはなく、占いの結果として採用される事もない。
当然、こういう仕組みを利用して我意を通していた王はいただろう。

そして、そのような事情があっても後々に語り継がれることは稀だし、
甲骨文字に証拠は残らないというわけさ。

526 :世界@名無史さん:2014/05/08(木) 02:05:21.74 0.net
>>525
そんなの王にも自由裁量の余地があって
神の奴隷ではなかったってことにすぎないんじゃないの?
占いってのは一から十まであらゆることを聞くんじゃなくて
聞きたいこと(人智の及ばないこと)を聞くんだから。当たり前だけど。

527 :世界@名無史さん:2014/05/08(木) 12:54:13.39 0.net
そう。例えば戦争するべきかどうかと尋ねるんじゃなくて、
戦争する為にこの日に出陣するのは吉か凶かと尋ねる。
凶と出たら別の日にちで占うという事を吉が出るまで繰り返す。
戦争するかどうかは王の判断。

528 :世界@名無史さん:2014/05/14(水) 04:25:41.85 0.net
夏=忠、殷=敬、周=文。

529 :世界@名無史さん:2014/06/15(日) 13:22:55.95 0.net
http://zhuwenhua1953.blog.163.com/blog/static/38221255201152731036900/
巴蜀文字が大量に書かれた遺物

甲骨文字とはちょっと違うな。でも似ている点もある。インダス文字や線文字Aに
よく似ている気がする。だが楔形文字やヒエログリフには似ていない。マヤ文字やオルメカ文字とも
ヒッタイト象形文字とも似ていない。

530 :世界@名無史さん:2014/06/15(日) 13:24:58.50 0.net
巴蜀文字は明らかに記号の域を超えている。確実に漢字以外の文字だ。
だが未解読なのが残念。インダス文字とともに解読が待たれる。
インダス文字との関係も気になるしね

531 :世界@名無史さん:2014/06/15(日) 23:09:10.79 0.net
普通に内陸チャイナのナシ・トンパ文字やリス文字の系統だと思うよ。

532 :世界@名無史さん:2014/06/16(月) 20:46:50.90 0.net
トンパ文字は7世紀ぐらいに誕生したらしいが、何らかの影響は受けているかもしれない。
当時まだ巴蜀文字の痕跡は残ってたかもしれないし。
トンパ文字との比較で何とか解読できないものか・・・・

533 :世界@名無史さん:2014/06/20(金) 21:17:39.19 0.net
http://www.geocities.jp/haruhara1658/china8.htm
巴蜀王朝よりも更に南には現雲南省にある昆明文化があった。
この昆明文化から南西に向かえばガンジス川に到達する
インド最古の民族と言われるムンダ人やドラビダ人が住む地だ。交流は先秦時代より
あったのだろう。昆明文化の地に強大な権力を持った王は居そうにないけど
何らかの権力者は居ただろう。昆明に明確な王が出現したのは戦国時代になってから。
インダス文明の末裔とされるムンダ人やドラビダ人と昆明の関係が気になる。
巴蜀は分からないけど昆明は確実にインド文明と関係が深そう。

534 :世界@名無史さん:2014/06/20(金) 21:19:45.74 0.net
蜀=成都、巴=重慶
この二つは割かし近くのちに合併して巴蜀王朝を作ったが、昆明は離れすぎていて
別の文明である。インド系の住民が住んでたかもしれないと思う。

535 :世界@名無史さん:2014/06/20(金) 21:51:33.46 0.net
インドと雲南の間には、虎が出るから、容易に行き来できなかったよ。
ミャンマーに入ったら、イラワジ川下ってパテインに出て沿岸回っていただろうよ。
11世紀以前のミャンマーには、クメール系の住民がいて、パガン朝ぐらいまでは
クメール系の言語も使われていた。

ムンダ系の言語は、クメール系の言語は近いので
東南アジア研究では、古代の住民についてクメールがキーになるといわれとるよ。

536 :世界@名無史さん:2014/06/21(土) 11:58:07.14 0.net
蜀(成都)と周(長安)より
蜀(成都)と雲南(昆明)の方が距離が離れている。蜀の事は殷の頃から知られているけど
昆明なんて中原の連中は認識して居なかったと思われる。
広義の意味では当時の雲南は中華文明から外れているね(蜀はギリ中華文明)、今は違うけどさ

537 :世界@名無史さん:2014/06/21(土) 18:18:32.64 0.net
13世紀の時点で、ベトナム・高麗より漢化されてないだろ雲南は

538 :世界@名無史さん:2014/06/21(土) 18:24:11.43 0.net
百越(南越)が漢化されるのは秦から始まり、前漢で完了
西隣の夜郎が前漢で漢化が完了
更に西隣の雲南は明の時代に漢化が完了

539 :世界@名無史さん:2014/06/22(日) 20:35:32.82 0.net
雲南は制圧→反乱→独立→制圧→反乱→独立→制圧
を秦〜明まで繰り返していて。漢化が完全になるのは明から
秦や漢も支配下には置いているけど末期には反乱起こされて独立される。
春秋戦国時代にも楚に攻められている。
司馬遷も若い頃に昆明や大理と言った雲南奥地まで従軍して居て直にその地を見聞きしている。
おかげで史記では中華圏から微妙に離れているにもかかわらず雲南の異民族に異常に詳しく書かれている。
匈奴とか鮮卑とかの北方民族よりも遥かに詳しい。直接自分の目で見たのと他人から聞いたのとでは
違うわけだ。

540 :世界@名無史さん:2014/06/22(日) 21:37:55.42 0.net
つーか、南詔国と唐、大理国と宋の間で盟約があったはず。
大理国と宋のは石碑はないが公文書上に残っている。
宋揮玉斧 http://www.zwbk.org/MyLemmaShow.aspx?zh=zh-tw&lid=202916

元朝以降になると大理国の領地は、地方の県城単位ぐらいに、土司や土官といった世襲の領主に自治させるようになり
清朝になると宣撫使という世襲官の制度に引き継がれる。
共通文書として漢字が流通するのは、元朝以降という。
規模の大きい土司・宣撫使は、麗江のチベット系木氏や洪景のタイ系刀氏など。

明や清の時代の宣撫使は、冊封とは違っていて、世襲であっても任官の形をとり、雲貴総督の支配下という扱い。
領主同士の争いは結構起こっている。

541 :世界@名無史さん:2014/08/30(土) 00:36:49.11 0.net
http://www.47news.jp/CN/201408/CN2014082901002218.html
中国で西周時代の都市発見か 長江文明の解明期待

【北京共同】中国四川省広元市で29日までに、
西周時代(紀元前1050年ごろ―同771年)の都市とみられる遺跡が見つかった。
四川地方では近年、長江(揚子江)流域で栄えた文明の多様性を示す遺跡発掘が続いており、
今回の発見にも古代中国の謎を解く手掛かりが期待されている。

古代都市の遺跡は長方形で約5万平方メートル。
中国メディアによると、四川地方で西周時代の都市の遺跡が見つかるのは初めてという。
四川省文物考古研究所が7〜8月にかけて地質調査などを行い、43カ所で都市や墓群などの遺跡を発見した。

2014/08/29 19:56 【共同通信】

542 :世界@名無史さん:2014/09/06(土) 17:06:06.54 0.net
>>530
画像を見ると似ていると受け取ったんだけど。

543 :世界@名無史さん:2014/09/06(土) 19:23:51.18 0.net
三星堆玉盤(?)の真ん中の文字は明らかに「蜀」だな。

544 :世界@名無史さん:2014/09/07(日) 08:00:09.45 O.net
ネットで見る殷や周の文字と似ているから全く別だとは言えないと思う

545 :世界@名無史さん:2014/09/07(日) 19:02:48.46 0.net
夏ってさ
どうやったら王朝として存在していたことを証明できるんだ?
文字まだないだろ

546 :世界@名無史さん:2014/09/07(日) 20:02:25.90 0.net
字は有るかもしれないし無いかもしれない
もし有ったとしても現代の字とは全然違うはずだし
現代の言語とは全く違う言語で解読は困難だろう

547 :世界@名無史さん:2014/09/07(日) 23:20:29.81 0.net
文字が無い頃の大和政権とか邪馬台国みたいな感じで証明する?

548 :世界@名無史さん:2014/09/07(日) 23:43:01.20 0.net
第三者の記録という手がかりがあるとないとじゃ、大違いなんじゃねーの

549 :世界@名無史さん:2014/09/08(月) 00:03:12.03 0.net
敦煌莫高窟の西夏文書みたいな「ロゼッタストーン」がないと解読できんでしょ

550 :世界@名無史さん:2014/09/10(水) 12:18:23.23 0.net
それより現行の甲骨文字より一段古い漢字を探すのが先だね。

551 :世界@名無史さん:2014/09/10(水) 18:14:41.35 O.net
そう、問題なのは同じ内容の分かる文章と併記されないと解読できないこと

552 :世界@名無史さん:2014/09/10(水) 22:25:31.48 0.net
夏文字・シュメール語のロゼットストーンなんて出土しないかなw

553 :世界@名無史さん:2014/09/10(水) 23:19:04.26 0.net
絵付きで字を教えるのが発見されればあるいは

554 :世界@名無史さん:2014/09/11(木) 02:43:27.08 0.net
甲骨文字以前の文字は文字なのかどうかよくわからんって事じゃなかったのか?

555 :世界@名無史さん:2014/09/11(木) 18:12:04.04 O.net
文字は表音でも表意でも元々は絵からだよね

556 :世界@名無史さん:2014/09/13(土) 17:54:16.51 0.net
畑作の北の民が遊牧民と混淆、水田耕作の南の民を征服

「長江中流域にB.C.14000頃に稲作を行っていたとされる遺跡が発見されました。
これまでは、中国の最古の文明は、黄河流域と考えられており、 また世界的に見ても小麦農業は
B.C.12000頃に始まったとされているので、長江の稲作農業は世界最古と考えられるようになりました。
中国の古代文明は黄河一極ではなく、少なくとも二元的あるいは多元的な起源があると考えなくては
ならないようになったのです。・・・

長江流域では、多くの余剰を持つ者と持たない者との貧富の差は広がり、富を持つ者は自らの財産を
守る必要性がでてきました。 そこで城壁都市が発生したのです。・・・これは、富の争奪が激しい戦争
が行われるようになったことを意味しています。・・・

さて、B.C.2000頃は夏王朝が勃興したとされています。古代の聖王堯・舜・禹はしばしば南征を行い
ましたが、 この神話は実際の勢力争いを反映していると考えられます。すなわち、・・・黄河文明圏
勢力と争い、・・・長江文明は衰退したのです。しかしその文化は確実に黄河文明に引き継がれました。」
http://www006.upp.so-net.ne.jp/china/point39.html

557 :世界@名無史さん:2014/09/13(土) 18:00:16.22 0.net
>>556

稲作地域出身の人々は小麦生産地域出身の人々に比べ、考え方が相互依存的で全体の和を重んじる
という科学的知見や、遊牧民のリーダーを選挙で選ぶという民主主義的側面ないし民本主義的側面、
更には、南は水田耕作文化で北は畑作文化と遊牧文化の複合体という実態、等を踏まえれば、
南の人民は人間主義的で北は非人間主義的であったのに対し、南の支配者に比して北の支配者は、
より民主主義的でかつ民本主義的であった、と考えたいところです。

遊牧民系である鮮卑系たる唐の2代目の太宗と、女真たる清の2代目の康煕帝が稀代の名君であった
とされてきたことは偶然とは思われません。支那には真に民本主義的な統治を行った皇帝が少なく、
しかも、その少ない代表例が2人とも遊牧民系の王朝の初期の皇帝であったわけです。

さて、この両者のそれぞれの長所は相互に打ち消し合い、短所は相乗的に増幅された形で、統一支那
文明が形成された、と私は見ています。

すなわち、北の支配層は、北の支配層間にその痕跡が残っていた可能性がある広義の選挙制に、
新たに隷属させた南の旧支配層を参加させないためにも、選挙制の痕跡を払拭するとともに、
北の人民に対する民本主義的統治を、信頼関係の全くない南の人民(及び旧支配層)に及ぼす
必要性を認めず、実質的に止めてしまい、形式的には引き続き民本主義的統治を標榜しつつも、
それを叛乱を生起させないギリギリの範囲で搾取を続ける統治へと堕してしまった、と見るわけです。

そして、南の人民は、かつては北の人民に比して、より人間主義的であったがゆえに、水田耕作に
よって生じた余剰を巡っての争いに関しても、一族郎党が集住する環濠集落を本格的な都市国家へ、
そして更には領域国家へと拡大強化するまでもなく対処が可能であったことから、人間主義が一族
郎党を超える域まで達しないうちに、南における寒冷化による米収量の減少も与って、北の諸国
更には北の統一国家によって個別に次々と征服されてしまい、人間主義未満の一族郎党命主義が
北の人民の非人間主義、すなわち利己主義と混淆し、利己主義/一族郎党命主義をエートスとする
統一支那文明が形成された、と見るわけです。

558 :世界@名無史さん:2014/09/13(土) 21:48:06.94 0.net
きもっ

559 :世界@名無史さん:2014/09/13(土) 22:23:54.60 O.net
清は幸せな社会だったとは思えない。

560 :世界@名無史さん:2014/10/12(日) 17:17:25.86 0.net
昨日、母校の研究室行ったんです。研究室。
そしたらなんか学生がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか就職した同期が座ってて、就職したけど
博士号が取りたくて、退職して院生になった
とか言ってるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前な、人文系博士号如きで会社辞めて研究室に戻ってに来てんじゃねーよ、ボケが。
人文系博士号だよ、人文系。
なんか嫁も子供とかもいるらしいし。一家4人で無職生活か。おめでてーな。
よーしパパ塾講師のバイト行っちゃうじゃうぞー、とか言ってるの。もう見てらんない。
お前らな、博士号やるからその就職しろとと。
研究室ってのはな、もっとはつらつとしてるべきなんだよ。
テーブルの向かいに座った女といつ恋愛が始まってもおかしくない、
恋するか恋されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。30過ぎのおっさんは、すっこんでろ。
で、やっと35にして博士号が取れたと思ったら、その後の消息が不明なんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、博士号持ってる新卒なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、「私は博士号を持っています」だ。
お前は本当に博士号を取りたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、就職したけど、プライドだけが高くて、社会に順応できなかっただけちゃうんかと。
行方不明博士通の俺から言わせてもらえば今、行方不明博士通の間での最新流行はやっぱり、
同窓生名簿に40近くになっても院生、これだね。
卒業生名簿就職先が空欄。これが通の博士号の取り方。
博士号取得まではにそいつの名前でグーグルで検索すると入ってる。そん代わり35過ぎて博士号取得後は検索0。これ。
で、「あのひと検索」のはずが、いつの間にか「あのひとは今」状態。これ最強。
しかしこれを書くとと次から「留学して日本にいないから」噂を意図的に流されるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、まじめに就職でもしてなさいってこった。

561 :世界@名無史さん:2014/11/01(土) 19:44:48.64 0.net
>>529
甲骨文字に似ているようですが、未解読文字なのね
前漢時代既に蜀の文字は当時の学者たちも読めなかったみたいだし(戦国七雄の文字は読めた)
蜀を支配した秦人が蜀人の文字の矯正を強引に進めた結果だ
ロゼッタストーンの発見が期待される

562 :世界@名無史さん:2014/11/02(日) 14:20:13.83 0.net
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E6%9C%9D#mediaviewer/File:%E4%BA%8C%E9%87%8C%E5%A4%B4%E9%81%97%E5%9D%80%E4%B8%89%E6%9C%9F%E9%99%B6%E7%BA%B9.png
二里頭から発見された夏文字?
甲骨文字に一応似ている事は似ている

563 :世界@名無史さん:2014/11/03(月) 21:06:06.39 0.net
夏文字?から発展したのが甲骨文字だとする、巴蜀文字も同じく夏文字?から発展したと
考えるといいかも?
夏文字?→甲骨文字→金文→秦文字・燕文字・楚文字・晋文字・斉文字(戦国七雄の文字を便宜上の名)
夏文字?→巴蜀文字

甲骨文字から巴蜀文字が発生したなら秦や漢の学者が巴蜀文字を読めないのはおかしい
彼らは秦文字以外の戦国六国の文字も全部読めたのだから。
巴蜀文字は甲骨文字の子では無く兄弟であるならつじつまは合うな。
見比べてみるとヒエログリフとか楔形文字とかとは違って、だいぶ近い
でもまあそれでも未解読なのは甲骨文字が起源じゃないからだろう

564 :世界@名無史さん:2014/11/09(日) 20:42:07.70 0.net
秦恵文王
巴蜀

秦昭襄王
鄭、西周

始皇帝
東周(東周公)、韓、趙、魏、楚、燕、斉、百越、匈奴

漢武帝
匈奴、大宛、衛氏朝鮮、ビン越、百越、テン、キョウト、夜郎、昆明族、且蘭、筰、徙、ゼンボウ

後漢明帝
哀牢、鹿タ

滅ぼした、又は服属させた国或は部族
始皇帝と漢武帝が抜きんでている。これが後の漢族の真の領域になるわけだ。
何度か分裂・独立したりもしたが、明の時代に漢族の版図はこれで確定した。

565 :世界@名無史さん:2014/11/09(日) 22:05:08.32 0.net
多民族帝国と漢族を同一視してはいけない

566 :世界@名無史さん:2014/11/10(月) 16:32:12.98 0.net
>>564
ここにウイグルチベットモンゴルは含まれていない点が味噌

567 :世界@名無史さん:2014/11/11(火) 19:49:13.25 0.net
あほか、三代や秦漢の話で、ウイグルだのモンゴルだのいう単語が出てくるほうが時代錯誤だわ。
どこまで現代に毒された頭で歴史を解釈してるんだ。

568 :世界@名無史さん:2015/01/26(月) 11:24:25.54 0.net
https://www.youtube.com/watch?v=u-6cQE4YTLs nyu-youku wai-kikihotelヨーフォーピクシイリストラクチャリング作画光金



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569 :世界@名無史さん:2015/02/24(火) 00:25:36.62 0.net
>>39
犬戎ってチベットビルマ系が起源?って書いてある書物もあるし、
のちの匈奴の源流じゃないかと書いてある資料もある
(この場合、淳維、鬼方、けん允、葷粥なども匈奴ひいてはフンの源流としてる場合が多い)
どっちなんだろ

570 :世界@名無史さん:2015/03/24(火) 20:28:14.57 0.net
>>39>>569
ここでは鎬京を陥落させた犬戎がフン族ということになってるね
匈奴がフンの前身ならば、犬戎も匈奴の前身即ちフンの前身ともいえるっていうことか

771 BC Huns (Ch. Jungs) invasion of Zhou China. Zhou capital Hao falls

http://s155239215.onlinehome.us/turkic/70_Dateline/71_Huns/hun_dateline_1_En.htm

571 :世界@名無史さん:2015/04/02(木) 16:14:51.33 0.net
英語の文献の充実ぶりは素晴らしい。
日本語だと犬戎やケン允などに言及した資料はほんと少ない、、、
匈奴、鮮卑より後ならそこそこ増えてくるけど。

572 :世界@名無史さん:2015/04/06(月) 00:12:14.19 0.net
中国の全土を覆い尽くした大洪水ってノアのヤツと同時代?

573 :世界@名無史さん:2015/04/06(月) 11:58:24.47 0.net
堯舜禹の時代の洪水は紀元前21世紀ぐらいなので
ヘブライ語版聖書でのノアの洪水より200年ばかり後になる
七十人訳聖書では洪水の年代を1000年ほど遡らせているので
ノアの洪水は伏羲の頃ではないかとも云われた

574 :世界@名無史さん:2015/04/06(月) 13:45:15.79 0.net
西周末期の紀元前780年頃に、中国でかなりの大地震があったようだな
犬戎がヒャッハーする直前期

575 :世界@名無史さん:2015/04/06(月) 21:04:46.06 0.net
ノアの洪水が前2300年くらいなの?

576 :世界@名無史さん:2015/04/07(火) 01:19:14.26 0.net
その時代は半ば伝説の時代だからなぁ・・

577 :世界@名無史さん:2015/04/09(木) 04:54:47.52 O.net
>>1
妲己と姜子牙しか思い浮かばん…

578 :世界@名無史さん:2015/05/10(日) 17:31:01.33 0.net
幽王は殺されたが、連れ去られた褒姒は犬戎の野蛮な兵どもにレイプされたんだろうなぁー

579 :世界@名無史さん:2015/06/02(火) 01:21:17.80 0.net
だね

580 :世界@名無史さん:2015/06/14(日) 17:59:29.31 0.net
>>574
天変地異が国を混乱に陥れる、もしくは天下を動かす
昔は結構あったんだろうな

581 :世界@名無史さん:2015/07/04(土) 03:33:15.95 0.net
鬼方、厳允、薫育、匈奴

582 :世界@名無史さん:2015/08/08(土) 21:17:30.98 0.net
中国にも夏王朝の実在を疑う人が居るんだな。
"伪造夏王朝"で検索すると結構ヒットする。

583 :世界@名無史さん:2015/08/08(土) 22:06:28.75 0.net
曖昧な夏に比定しようとするからそういう人もでる、二里頭文化そのものだけで十分

584 :世界@名無史さん:2015/08/09(日) 02:29:01.95 0.net
>>578
褒姒もエロかったんだろうが妲己のが上だなw

585 :世界@名無史さん:2015/08/09(日) 20:28:37.86 0.net
そもそも夏って初期の殷にとっての強敵に過ぎない、
一介の小国の可能性もあるんでしょ?

586 :世界@名無史さん:2015/08/09(日) 21:15:55.36 0.net
中国ってアジアの古代国みたいに思われてるけど、中東 インド ギリシャに比べたら浅いよね

587 :世界@名無史さん:2015/08/09(日) 21:33:00.82 0.net
西アジアには劣るけど
ギリシャより先行してるっしょ
あっちみたいに海の民みたいな断絶は……
周の東遷があるか

インドはよくわからん

588 :世界@名無史さん:2015/08/09(日) 21:34:45.03 0.net
華北に都市っぽいものが現れたのは、龍山文化時代の前2500年ごろかな
中東やインドに比べれば、あきらかに遅いね
クレタ島とギリシャよりは早いと思う、トロイア文化まで含めちゃうなら遅くなるけど

589 :世界@名無史さん:2015/08/10(月) 01:54:39.43 0.net
>>581
最近、鬼方や厳允はキンメリア(およびスキタイの一派)なんじゃないかって説も出てきてるようだな
時代的にはあってるのかもしれんが、眉唾物だと思わないか?

590 :世界@名無史さん:2015/08/10(月) 11:09:11.51 0.net
>>589
それって時代が合ってる以外に何か根拠あんのん?

591 :世界@名無史さん:2015/08/10(月) 13:35:36.20 0.net
>>585
それほど取るに足らない存在だったってことは無いんじゃないかな
王朝はあったかなかったかまだわからないけど
殷文化や周文化とならぶ「夏の文化」と認識されるものはあったみたいだし

592 :世界@名無史さん:2015/08/10(月) 20:02:17.42 0.net
「夏の文化」って具体的に何?

593 :世界@名無史さん:2015/08/11(火) 18:45:37.93 0.net
冬の文化のほうがいいよ
暑いの嫌い

594 :世界@名無史さん:2015/08/12(水) 09:33:12.95 0.net
支那大陸の冬の寒さ厳しさを知らないのか?

595 :世界@名無史さん:2015/08/12(水) 17:07:20.12 0.net
>>582
殷・夏の非実在論って元々近世中国の学説だから。

それが日本にも伝搬して大手を振って歩いていたのだけど、
20世紀後半以降、二里頭を始めとした夏代の遺跡が多数出土し、
誤りであることが明らかになったわけで。

596 :世界@名無史さん:2015/08/13(木) 20:02:59.50 0.net
>>595
ところが現在の中国サイト上に見られる夏王朝に対する疑念は、
二里頭遺跡もその対象に含んでいる。

597 :世界@名無史さん:2015/08/13(木) 20:59:34.44 0.net
実際殷の前の時代だから「夏に相当する」というだけの事で「夏王朝」という程の
実態があったかどうかは怪しいからな。

598 :世界@名無史さん:2015/08/13(木) 22:05:02.13 0.net
殷のように文字資料が出て、王統なんかの情報でも得られないと
殷の前の王朝が夏である事の証明にはならんからね。

599 :世界@名無史さん:2015/08/13(木) 22:40:29.66 0.net
殷(商)崩壊前は、商行為やそれに携わる人を何と呼んでたのか気になる

600 :世界@名無史さん:2015/08/13(木) 23:08:35.64 0.net
夏って文字がなかっただろうに、後世何で夏の字を当てたのかね?

601 :世界@名無史さん:2015/08/14(金) 00:10:21.88 0.net
案外発音が同じだけという事も多い。

602 :665:2015/08/14(金) 00:29:23.38 0.net
自称の商と他称の殷に何の関係も無いように
夏だって自称と何の関係も無い他称だろうよ。

603 :世界@名無史さん:2015/08/14(金) 00:59:55.41 0.net
>>598
殷なんて王朝は存在しないぞ
商王朝は存在したけど

604 :世界@名無史さん:2015/08/14(金) 02:27:01.38 0.net
いんきょ

605 :世界@名無史さん:2015/08/14(金) 03:02:25.48 0.net
漢族の本来の自称は華だったのかな
夏も同源か。字だけ違うだけで

606 :世界@名無史さん:2015/08/14(金) 03:06:48.97 0.net
華と夏じゃ字が違うだけでなく音も違うんだが

607 :世界@名無史さん:2015/08/14(金) 03:39:22.92 0.net
漢と匈奴は英語にすると Han&Hun でどっちもハンって聞こえるな
発音記号は微妙に違うようだが

608 :世界@名無史さん:2015/08/14(金) 03:45:55.63 0.net
ハンとフンじゃ全然違うだろ

609 :世界@名無史さん:2015/08/14(金) 10:35:02.63 0.net
漢は劉邦が漢王に封じられたからだろ
楚人や秦人や燕人や斉人も漢人になるのは漢帝国ができてからだ

610 :世界@名無史さん:2015/08/14(金) 11:26:26.15 0.net
そうだな。それ以前はヨーロッパみたいにあっちもこっちも異民族だ。
民族という概念は無いけど。

611 :世界@名無史さん:2015/08/14(金) 14:58:30.09 0.net
もし項羽が勝ってたら今我々は漢字ではなく楚字を使ってたはず。

612 :世界@名無史さん:2015/08/14(金) 15:15:22.09 0.net
項羽にそんな安定した王朝が作れたとも思えないけど

613 :世界@名無史さん:2015/08/14(金) 15:30:48.05 0.net
>>607
漢をHanと読むのは清代以降の北京方言の話では?

古代の漢はHanではなく日本語のカンに近い音だと思うよ
呉音、漢音ともにカンだから唐代辺りはカンと読んでるんだよな

614 :世界@名無史さん:2015/08/14(金) 16:05:16.74 0.net
>>613
漢字古今音資料庫によれば、『漢』中古音の各学者見解は次の通り
B・カールグレン「xan」、董同ワ「xan」、周法高「xan」、李方桂「xa^n」、王力「han」

615 :世界@名無史さん:2015/08/14(金) 17:14:40.37 0.net
>>613 今の北京語同様摩擦の強い音だったのに加え、当時の日本では後にハ行となる子音はφかpで、hの音はなかったからじゃないの

616 :世界@名無史さん:2015/08/14(金) 17:42:43.11 0.net
>>613
当時の日本語では「ハ」は「PA」と発音してたから「HA」は「カ」と印写してた。
つまり呉音だろうが漢音だろうが当時の日本人が「HA」を発音できなかったが故の代用であって
それが当時の字音だと思ったら大間違い。

昔は「ハ」が「PA」だったという日本語史の基礎知識すらない癖に
過去の字音について論評するというのはいかがなものか。

617 :世界@名無史さん:2015/08/15(土) 04:06:18.81 0.net
楚って英語ではChuだな  チュとかなんか間抜けだw

618 :世界@名無史さん:2015/08/15(土) 04:52:40.95 0.net
楚は三戸と雖も、618を亡すものは必ず楚ならん。

619 :世界@名無史さん:2015/08/15(土) 05:01:51.53 0.net
>>617
英語でなくても「楚」の音は「CHU」なんだが
なぜわざわざ英語を引き合いに出す?

620 :世界@名無史さん:2015/08/15(土) 12:28:55.47 0.net
西欧各国語もCHUが多いな 
ロシア語・ウクライナ語はЧуでやっぱりチュだなw

621 :世界@名無史さん:2015/08/15(土) 22:15:57.30 0.net
>>617 広東語あたりから入ったChoにはならないんだな

622 :世界@名無史さん:2015/08/15(土) 22:40:45.11 0.net
北京音でCHUなんだから
なにもおかしくないだろ
おそらく中古音も同じ

623 :世界@名無史さん:2015/08/15(土) 23:56:20.88 0.net
匈奴も広東語ではションヌでなくフンヌなんだっけか

624 :世界@名無史さん:2015/08/16(日) 01:51:22.75 0.net
加齢臭を語るスレはここですか?

625 :世界@名無史さん:2015/08/16(日) 18:43:08.62 0.net
>>606
あれ?音は同じだろ?

626 :世界@名無史さん:2015/08/17(月) 03:05:43.94 0.net
カカ族

627 :世界@名無史さん:2015/08/17(月) 05:22:52.72 0.net
>>625
夏の音はxia
華の音はhua

628 :世界@名無史さん:2015/08/17(月) 09:37:50.29 0.net
Hanの英語音とHunのそれも日本人には区別がなかなか難しい。
日本人の外国語ヒアリング能力はかなり低い。

629 :世界@名無史さん:2015/08/17(月) 11:20:26.02 0.net
なぜ英語で読む
フン族はアングロサクソンなのか

630 :世界@名無史さん:2015/08/17(月) 11:43:46.50 0.net
フン族は朝青龍顔

631 :世界@名無史さん:2015/08/17(月) 18:39:49.52 0.net
糞族

632 :世界@名無史さん:2015/08/17(月) 18:41:05.01 0.net
>>628
ハンとフンなら明らかに違うだろ阿呆
ハンとフンの区別が難しいってお前はいったいどこの出身だ

633 :世界@名無史さん:2015/08/17(月) 19:13:50.43 0.net
お前のようなグックには容易かもしれんなw変な記号いっぱいあるしww

634 :世界@名無史さん:2015/08/17(月) 19:25:00.64 0.net
フングルい むぐるうなふ

635 :世界@名無史さん:2015/08/19(水) 12:57:48.30 0.net
>>614
やっぱそうだよな

フン族が漢が元になるってこたないよな

636 :世界@名無史さん:2015/08/19(水) 13:26:41.11 0.net
古モンゴル語で人間の意

637 :世界@名無史さん:2015/08/20(木) 07:07:59.35 0.net
蒙古文語ではkumunと綴ってkunと読む謎

638 :世界@名無史さん:2015/08/20(木) 10:36:28.99 0.net
柔然も蒙古語ではニルンだっけか これがアヴァールになるんだから面白い

639 :世界@名無史さん:2015/09/12(土) 02:47:48.91 0.net
>>638
もともと別の言葉なんだから
柔然が訛ってアヴァールになったわけじゃない
面白くもなんともないだろうが

640 :世界@名無史さん:2015/09/12(土) 07:14:27.09 0.net
英語で柔然はローラン、楼蘭と混同しやすい  場所も近いしw

641 :世界@名無史さん:2015/09/13(日) 02:42:27.97 0.net
なあ、何でフン人の遺骨とモンゴル人の遺骨でDNA鑑定しないの?

642 :世界@名無史さん:2015/09/13(日) 15:56:46.63 0.net
柔然=Rouran
楼蘭=Loulan

LとRの区別ができればなんてことない

643 :世界@名無史さん:2015/09/13(日) 21:02:12.76 0.net
つかここ夏殷周のスレだよね?
脱線しすぎでは。

644 :世界@名無史さん:2015/09/13(日) 22:30:51.67 0.net
>>639 アヴァールを音訳したのは烏丸(「からすま」じゃないよ、念のため)らしいな
https://en.wiktionary.org/wiki/%E4%B8%B8#Chinese
丸 wán ‹ hwan › /*ɦʷˤar (< *[ɢ]ʷˤar)/ 烏丸 Wūhuán: Avars (W. Hàn)

645 :世界@名無史さん:2015/09/14(月) 02:09:34.55 0.net
柔然<烏丸(烏桓)<東胡<山戎<屠何=無終

646 :世界@名無史さん:2015/09/14(月) 02:58:42.85 0.net
>>643
東周まで含めていいなら柔然は当時「屠何」または「無終」と呼ばれていた
(「屠何」または「無終」が柔然の先祖)

647 :世界@名無史さん:2015/09/14(月) 03:58:39.30 0.net
山戎って西戎じゃなくて北狄か東夷だよね? 場所からすると

648 :世界@名無史さん:2015/09/14(月) 10:11:25.11 0.net
屠何=トファラルの先祖?

649 :世界@名無史さん:2015/09/14(月) 10:19:06.52 0.net
殷代〜周代にかけての鬼方、犬戎、厳允はのちの匈奴の先祖?

650 :世界@名無史さん:2015/09/14(月) 17:29:29.51 0.net
>>647
山戎はチベット系の民族が何かの理由でどうかして
なぜか遼西地方に進出したんだろう。
でも「無終」と音韻的な関係があって戎の字も当て字なら
チベット系も糞もないことになるが

651 :世界@名無史さん:2015/09/15(火) 01:57:29.39 0.net
逆に吐谷渾は鮮卑の一派として西蔵方面に移っていったのとは逆だな
北狄→西戎パターン

652 :世界@名無史さん:2015/09/17(木) 23:41:03.87 0.net
東夷・北狄・西戎・南蛮という分類自体が、
後世になって四方の代表的な異民族でもって一括りにしたもので、
上古の時代には必ずしも夷狄戎蛮が各方面にいたわけではない。

特に羌姓(後のチベット系)の氏族は春秋初期の頃まで
洛陽から程遠くない中華のど真ん中で遊牧活動を行っていた。

653 :世界@名無史さん:2015/09/18(金) 09:27:55.72 0.net


654 :世界@名無史さん:2015/09/18(金) 11:03:41.77 0.net


655 :世界@名無史さん:2015/09/18(金) 12:10:58.89 0.net
匈奴に追われる前の月氏なんかも最初は結構近くにいたな

656 :世界@名無史さん:2015/09/18(金) 12:56:48.73 0.net
驪戎

657 :世界@名無史さん:2015/09/18(金) 15:48:47.73 0.net
月氏はトルコ系→イラン系→トハラ系(が有力) と時代が経つにつれ変わってきてるな
諸説紛々

658 :世界@名無史さん:2015/09/19(土) 02:29:40.95 0.net
テュルク系のときは知らんが、そのあとは言語からのアプローチだよね
大月氏から派生したクシャーン朝でバクトリア語が使われてたからイラン系かと思ったら、
トカラ語を話していた天山南路の都市民が月氏遺民であることが判明して趨勢が変わったと

659 :世界@名無史さん:2015/09/19(土) 12:38:10.28 0.net
甲骨文字に出てくる異民族の兎方の
字面から来るやたら可愛い第一印象

660 :世界@名無史さん:2015/09/19(土) 13:09:07.60 0.net
>>658
月氏はトルコ系じゃなくて印欧語族でしょ
トルコ系だった時っていうのは印欧語に同化されたって意味?

661 :世界@名無史さん:2015/09/19(土) 16:09:26.25 0.net
>>660
> テュルク系(だと見なす説)のときは知らんが、そのあとは・・・・・・

その上のレスからの流れで類推できるだろ

662 :世界@名無史さん:2015/09/19(土) 21:48:55.80 0.net
>>659
そこは甲骨文字で確認しなきゃダメだろう。

と思って甲骨文字見てきたけど、やっぱかわいいな!

663 :世界@名無史さん:2015/09/20(日) 21:43:05.65 0.net
月氏って敦煌あたりにいたらしいが遺跡とかないのかよ。

664 :世界@名無史さん:2015/09/21(月) 01:00:55.75 0.net
遊牧民だから遺跡といっても墳墓とかのことかな?

665 :世界@名無史さん:2015/09/22(火) 00:33:17.13 0.net
月氏もそうだが鬼方や犬戎の痕跡ももっとないのかね

666 :世界@名無史さん:2015/10/15(木) 21:55:35.66 0.net
殷が主力を東方に送っていたが、その敵は人方と呼ばれていた。
すると、人というのは元来悪い意味だったのかもしれない。
鬼方もあって、鬼は幽霊のことだというが原語はどうだったのだろう。

667 :世界@名無史さん:2015/10/15(木) 22:11:01.42 0.net
鬼方はカラスクなのか?

668 :世界@名無史さん:2015/10/15(木) 23:19:13.27 0.net
甲骨文だと、ちょっと前に臣下だった奴が敵側になった時に、
名前+方で呼ばれてたから、悪い意味なのは「方」なんじゃね

669 :世界@名無史さん:2015/10/16(金) 00:03:06.98 0.net
じゃあ「方」姓って....

670 :世界@名無史さん:2015/10/16(金) 00:53:54.21 0.net
方は地方とか領域って意味じゃないかな

671 :世界@名無史さん:2015/10/16(金) 01:05:11.78 0.net
さすがに甲骨文までいくと、字義が変化して久しいものが沢山あるだろ

672 :世界@名無史さん:2015/10/16(金) 09:42:23.15 0.net
鬼方は一連の北方の非華夏遊牧民だよ
で、蛮族視して酷い文字を当ててるのは匈奴や犬戎と同じ

673 :世界@名無史さん:2015/10/16(金) 20:46:02.69 0.net
>>541
亀レスだけどロゼッタストーン的な物が発見されるといいね
巴蜀文字は夏文字の名残と言う説もあるしさ

674 :世界@名無史さん:2015/10/16(金) 22:32:51.29 0.net
>>352で出てるように
中原人の言葉はもともと違う言葉だった可能性はあると思う
中国語はシナチベット語族だというから
周人や羌族によって広まったものでは

675 :世界@名無史さん:2015/10/16(金) 22:58:48.77 0.net
中原は、シナチベットではなく
ミャオヤオやタイカダイだったという説あるわな

676 :世界@名無史さん:2015/10/16(金) 23:04:24.52 0.net
中原のすぐ北西までチュルク系遊牧民の領域だったんだよね。
狄、或いはテキ(曜のつくり)とは、チュルクの音訳説もある。

677 :世界@名無史さん:2015/10/17(土) 01:26:08.26 0.net
>>668
魍魎の別名に方良と言うのがありますね
北方、南方など他の字が付けば問題ないですが方だけだと鬼方を表すとか
方はまたこの世とあの世の境を表すともいいます
井戸から幽霊がでるのは井戸が方だからだとか

山形県の山形は本来は山方と書いたのですが
字が良くないという事で今の字に変わったそうです

678 :世界@名無史さん:2015/10/17(土) 01:41:57.68 0.net
周、秦、漢が結構西よりだからそいつらがシナチベット語族なせいで
今の中国語がそうなのかもしれないね

679 :世界@名無史さん:2015/10/17(土) 01:58:34.27 0.net
>>675
タイカダイは長江中流域からタイまで逃げていった感があるよな

680 :世界@名無史さん:2015/10/17(土) 08:24:45.51 0.net
>>676
西安のすぐ北西に住んでいた犬戎は、
穆王が戦闘後、(監視しやすくするために)都の近くに移住させてきたやつらもいたはず
これは、のちの武帝や曹操などの(南)匈奴に対する移住策とも似てもいる

681 :世界@名無史さん:2015/10/17(土) 14:02:28.87 0.net
アナトリアのハッティ絵文字(ヒッタイト象形文字)が西に伝わりクレタ島で線文字Aとなり
東に伝わり甲骨文字と巴蜀文字(夏文字?)に進化した説を唱えてみる
線文字Aと甲骨文字は良く似ているしね
ハッティ絵文字は本当に絵を文字にした感じでこっから甲骨文字や線文字Aに進化したと思いたくなる

682 :世界@名無史さん:2015/10/18(日) 13:30:54.30 0.net
鬼方・犬戎といえば土方、犬方、犬夷、昆夷って表記もある
もちろん蛮族視の一環ということで侮蔑的な漢字が充てられた

683 :世界@名無史さん:2015/10/18(日) 15:10:59.31 0.net
新羅、辰韓 - Wikipedia

後漢書』辰韓伝、『三国志』魏書辰韓伝、『晋書』辰韓伝によると、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人がおり、
馬韓はその東の地 .... そこでは国を邦「邦人」「中国、朝鮮では華僑の僑と言う」、弓を弧「括弧」、賊を寇「元寇」、
 
行酒を行觴(酒杯を廻すこと、俺の杯が飲めぬかと)と称し、互いを徒「生徒」と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓 ...
『隋書』は(筑紫国の東、秦王国有り)と・・・
 

684 :世界@名無史さん:2015/10/18(日) 15:12:52.16 0.net
馬韓は馬鹿ん

685 :世界@名無史さん:2015/10/18(日) 21:25:09.95 0.net
方の中で特別なのが人方だと思う
人という字を使って蔑視していない
これの討伐のために主力を東方に送った

686 :世界@名無史さん:2015/10/18(日) 22:40:59.89 0.net
方国
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E5%9B%BD

龍方も祝方も示方も光方もある
人は単なるあて字だろ

687 :世界@名無史さん:2015/10/19(月) 01:03:13.12 0.net
>>682
ひじかた?

688 :世界@名無史さん:2015/10/19(月) 07:08:06.08 0.net
どかた

689 :世界@名無史さん:2015/10/20(火) 10:04:14.74 0.net
土方歳三の源流がこんなところに

690 :世界@名無史さん:2015/10/20(火) 12:40:15.05 0.net
>>378
日本も「東海姫氏国」って言われてたからそうかもね。

691 :世界@名無史さん:2015/10/20(火) 12:56:30.04 0.net
お姫様萌え

692 :世界@名無史さん:2015/10/20(火) 13:37:02.57 0.net
呉の太伯の裔とか勝手に呼ばれただけじゃねえか

693 :世界@名無史さん:2015/10/20(火) 14:12:09.31 0.net
刺青いれて潜水してんなら呉人の末裔ってことでいいんじゃね?(テキトー

694 :世界@名無史さん:2015/10/20(火) 15:50:30.30 0.net
楚人は洞庭湖や呉人は太湖に潜っておったんかのう

古代の倭国では瀬戸内海かのう

695 :世界@名無史さん:2015/10/25(日) 11:03:55.08 0.net
奴国の連中が前漢の使者に「呉の太伯の裔」と自称したのが最初だったな
昔から倭国と会稽は紀元前の先秦時代からずっと交流があったからあながち間違いでもなさそうだが
王族の血を引いているかは不明だ

696 :世界@名無史さん:2015/10/25(日) 11:31:29.29 0.net
越もあったしな

697 :世界@名無史さん:2015/11/08(日) 21:31:12.39 0.net
今の中国人って昔の中国人が野蛮人だと見なしていた異民族の子孫だよね

698 :世界@名無史さん:2015/11/08(日) 23:04:57.05 0.net
まあほとんどはそうだな

699 :世界@名無史さん:2015/11/08(日) 23:20:51.20 0.net
◆台湾人の顔面


淡褐色、広鼻、突顎、タラコ唇


ラオスっぽいような、ポリネシアっぽいような、

つか、ハノイですね〜

実にハノイ!

https://www.youtube.com/watch?v=5bE6lSX4yK0
http://www.ksnews.com.tw/upload/2014-04-20_20b06004_.jpg
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https://i.ytimg.com/vi/9YL_k_JZ_dI/hqdefault.jpg
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700 :世界@名無史さん:2015/11/08(日) 23:21:21.85 0.net
https://www.youtube.com/watch?v=5bE6lSX4yK0
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701 :世界@名無史さん:2015/11/09(月) 00:18:48.02 0.net
>>697
今のロシア人だってそうなんじゃないか

702 :世界@名無史さん:2015/11/09(月) 01:08:47.22 0.net
版図を広げるという事はそういう事だよね

703 :世界@名無史さん:2015/11/09(月) 13:12:28.09 0.net
匈奴や突厥、堅昆などあまたの蛮族が蟠踞してたもんなぁー

704 :世界@名無史さん:2015/11/09(月) 13:24:11.53 0.net
周や秦だって蛮族だし

705 :世界@名無史さん:2015/11/09(月) 15:51:22.44 0.net
隋や唐だって鮮卑系って見る向きもある

706 :世界@名無史さん:2015/11/09(月) 16:34:08.16 0.net
やなぎ(楊)さん、すもも(李)さん

707 :世界@名無史さん:2015/11/09(月) 16:41:12.80 0.net
しかし煬帝は日本のことを上から目線で見て(倭)蛮族視してたわけだ

708 :世界@名無史さん:2015/11/09(月) 17:24:52.40 0.net
やっぱ武川鎮出自だから武力に自信があったのでしょう。

709 :世界@名無史さん:2015/11/09(月) 17:43:58.51 0.net
でも高句麗に3回も負けて自滅・・・

710 :世界@名無史さん:2015/11/09(月) 18:01:50.60 0.net
高句麗って今の北朝鮮の版図より全然でかいね 重ね合わせると
今の満洲やロシアの一部も含まれてるじゃん
もしかして失偉などモンゴル系の領域も一部含まれていたのか??
だいぶ夏殷周とはずれちゃったけど

711 :世界@名無史さん:2015/11/09(月) 19:39:26.37 0.net
隋も疲れてたしな

712 :世界@名無史さん:2015/11/09(月) 23:15:52.35 0.net
高句麗の北部もやはり蛮族の領域だったな
粛慎、穢貊、沃沮など  かなり古くからいたようだ

713 :世界@名無史さん:2015/11/09(月) 23:25:26.70 0.net
殷も北狄が建国した可能性もある 
夏を滅ぼした後

714 :世界@名無史さん:2015/11/10(火) 00:36:27.57 0.net
粛慎は殷代からいるんじゃないか?

715 :世界@名無史さん:2015/11/28(土) 10:22:22.48 0.net
一番多くの殉死者を

出したのは

どの王朝ぢや?

716 :世界@名無史さん:2015/11/28(土) 13:41:22.46 0.net
歴代中華王朝なら南宋一択間違いなしですな

夏殷周の中だと、記述が少ない夏・最早殉死が時代遅れな周で、殷が最も多い

717 :世界@名無史さん:2015/11/29(日) 02:06:25.99 0.net
粛慎は鬼方、土方の時代からいるよ かなり古参なはず

718 :世界@名無史さん:2015/11/29(日) 12:25:03.21 0.net
>>715
殷かな?

719 :世界@名無史さん:2015/11/29(日) 16:41:27.30 0.net
言葉が即時には通じない異民族を殺害してたのは殉死ではなかろ

720 :世界@名無史さん:2015/12/10(木) 12:38:45.16 0.net
夏商(華北閥)→周秦(西北閥)→楚漢(華中閥)
→漢成立以降は華北・西北閥が覇権闘争から脱落し、モンゴル閥と華中閥と東北閥の三つ巴の繰り返し
→北伐でモンゴル・東北閥が覇権闘争から脱落→中国共産党内の華北閥と華中閥の抗争続く

721 :世界@名無史さん:2015/12/10(木) 13:16:49.12 0.net
今の中国の首都が北京である必然性はあまりない
明の首都が南京から北京に変わったのは北京が基盤で南京に基盤がない簒奪者が
「南京大虐殺」で帝位を簒奪して恨みを買ったからだ 
それに対して中国共産党は毛沢東が湖南省出身で上海で結成されたから
別に国民党から共産党に代わっても南京が首都のままでもおかしくない
毛沢東自身の故郷、思想的な原点、師範学校という学びの場はあくまで華中にあった
ただ南京は明初期以外は首都になってない 首都を元明清三代の権威を持つ北京にすることで
毛は皇帝化はしたが、思想的原点は捨てたのではないか 
中国人と人類にとっては毛が一生北京大学の司書補の方が良かったかも知れない

722 :世界@名無史さん:2015/12/10(木) 13:23:56.90 0.net
>>721
ヒトラーが絵描きで、スターリンが靴職人で終わってたらベストだったね
あとカンボジア人にとってはポルポトが農民で終わって欲しかっただろう
ムッソリーニとかは別の職に就いていても政治家になっても大差ないけど

723 :世界@名無史さん:2015/12/10(木) 14:04:14.71 0.net
妄想垂れ流しだな

724 :世界@名無史さん:2015/12/10(木) 14:56:28.35 0.net
華南から政権を取った国は無さそうだな
戦国で言う楚より南の勢力が北上して天下統一と言うのは今まで一度もないはず

725 :世界@名無史さん:2015/12/10(木) 16:32:52.72 0.net
華南と西南の勢力はずっとローカルでとどまったな 倭寇は荒らすだけで蒙古みたいな全土制圧は出来てない 
でも阿片戦争と辛亥革命で華南のイメージが変わったかも

726 :世界@名無史さん:2015/12/10(木) 17:01:38.82 0.net
広東出身の洪秀全が広西から北上して、南京まで陥れたのが最大の事例かな?

727 :世界@名無史さん:2015/12/10(木) 19:16:18.69 0.net
毛沢東の戦略は朱徳によるもので
長征で内陸に入って四川まで達したところで
北上して陝西や山西のあたりに籠り力を蓄えることにした。

征服王朝は秦や五胡十六国・南北朝・隋唐といった西北から全土へ展開した。
あの清であっても、河北からではなくオルドス→山西のルートで入ってきた。

歴史を学んでの結果だろう。

728 :世界@名無史さん:2015/12/10(木) 20:59:43.76 0.net
>>724
つ 国民革命

729 :世界@名無史さん:2015/12/10(木) 21:42:45.49 0.net
                イスラム国のテロ ≒ イソロク国の真珠湾テロ



「1572」番 副島隆彦 2015・12・9

後藤健二の奥さんは外務省JICA(ジャイカ)の幹部職員である。つまり夫婦して情報部員である。
通訳や現地ガイド、戦場タクシー運転手という人間たち自身が、ゲリラ活動家たちである。
カネで傭(やと)って味方だと思った彼らに、捕まって連れてゆかれるのだ。

この9月に、700人の対IS用に、ヨルダンと、サウジアラビアの砂漠の中にあるアメリカ空軍の秘密基地(飛行場)で育てた、イラク人とシリア人の傭兵部隊が、
シリアに投入されたとたんに、武器と資金を持ったままISに寝返る、という事件が起きた。これで、アメリカのネオコン派で反共右翼であるペンタゴンの将軍たちは、
自分たちの作戦(軍事政策。現地人を育てて戦わせる。アメリカ兵が死なないで済む)が大失敗して、大恥を書いて、黙りこくった。

すでに、ISの軍事部門と情報部門の極悪人の幹部たちは、強がりを言ってたが、ロシアの猛攻でもう、自分たちが負けると自覚したようだ。
だから自分たちだけさっさと逃げるのだ。あとのISの兵士たちをほったらかしにして。旧日本軍の幹部たちも同じことをした。


広島司令部の畑俊六司令官。こいつだけ民間地帯の広島駅に逃げてて助かった。日本側も原子爆弾投下を事前に知ってたのは明白だね。
https://twitter.com/SyntaxUGS/status/663013454584881153


「1532」

戦後作られた「海軍善玉論」神話(海軍は、ずっと平和主義者だった。悪いのは陸軍だった、という歴史の捏造。)。
海軍の“海軍反戦トリオ(米内、井上、山本)”は、戦後の創作(でっちあげ、虚構)であり、彼らは始めから敵と内通していた英米派だった。
海軍は、陸軍とは断固協調しないで、日本を始めから戦争に負けるように仕向けたのだ。

米内(光政、よないみつまさ。開戦時もずっと海軍大臣だった。こいつが軍人では最大のアメリカの手先。
極東軍事裁判でも、絞首刑になったのは、東條英機以下6人陸軍ばかりで、あと一人は外交官の広田弘毅=ひろたこうき=だ。
海軍は、ひとりも死刑になっていない。起訴さえされていない。このことのおかしさを、日本国民は、真剣に考えなければいけない。

730 :世界@名無史さん:2015/12/10(木) 23:27:44.70 0.net
>>724
国民政府の北伐忘れてるだろ。

731 :世界@名無史さん:2015/12/10(木) 23:28:39.16 0.net
>>730
>>728

732 :世界@名無史さん:2015/12/11(金) 19:02:16.20 0.net
北朝(曹魏)=中国共産党
南朝(孫呉)=国民党
だとしたら、
鮮卑や烏桓=張学良
象使いとの同盟者孟獲=李宗仁 ぐらいになるのかな?

地政学的には20世紀になっても、三国志時代が通用する不思議さ。

733 :世界@名無史さん:2015/12/11(金) 20:06:27.52 0.net
華南つまり昆明とか大理とか雲南省の連中はなまじ暖かくて作物に困らないから
わざわざ北上して天下取ろうとする奴はあまり生まれそうもない
現状維持で十分なんだろう

734 :世界@名無史さん:2015/12/11(金) 20:42:17.71 0.net
そういうところは、ラサとかミャンマーに攻め込むんだよ()

735 :世界@名無史さん:2015/12/12(土) 09:54:54.32 0.net
温暖な場所でも、交易路を押さえて贅沢品を得たり、より暖かいところへ奴隷を求めたり
それはそれで欲望が寒冷な地とは違う方向にいくだけで、争いは絶えないのだ。

736 :世界@名無史さん:2015/12/13(日) 03:40:07.84 0.net
>>734
>ラサとかミャンマーに攻め込むんだよ

そんなとこあったか
ラサとか攻め込んだのは中共が初めてだろ

737 :世界@名無史さん:2015/12/13(日) 13:30:48.19 0.net
モンゴルとかオイラトとかの勢力がラサに攻め入った例はあるが、
雲南の勢力がラサに攻め入った例はちょっと思いつかない。
雲南は東チベットのカム地方との結びつきは強くて、あのへんは色々あったはず。

738 :世界@名無史さん:2015/12/13(日) 14:32:26.84 0.net
西康の土司が連衡してラサと争った例は
ゴンポ・ナムギャル(bo rog mgon po rnam rgyal, 清朝の記録には波日工布朗結)の乱がある。
雲南だと迪慶の勢力もこの乱に加わっている。

739 :世界@名無史さん:2015/12/14(月) 22:18:49.86 0.net
逆に、吐番が暑い夕クラマカン砂漠の都市国家に侵攻したことはあるな  唐から奪った

740 :世界@名無史さん:2016/01/03(日) 13:53:38.57 0.net
吐番って南のインド側にもちょっかい出したこともあったはず
下山するだけで大変なのにw

741 :世界@名無史さん:2016/01/04(月) 16:58:15.21 0.net
吐蕃は遊牧民が支配層なので、騎牛できたりして機動力があったよ。
唐の長安に来た時も騎牛部隊が記録されている。
カム地方の住民やアムドの純遊牧民は牛を操るよ。
ネパール側のシェルパも牛を操る。

742 :世界@名無史さん:2016/01/04(月) 17:19:32.80 0.net
今夜は僕が  牛よけ吐蕃 ♪

743 :世界@名無史さん:2016/01/04(月) 17:45:21.00 0.net
牛は集団で人を襲ったりする割と凶暴な生き物らしいな

744 :世界@名無史さん:2016/01/04(月) 22:36:24.94 0.net
木曽義仲は倶利伽羅峠の戦いで牛の角に松明をすえつけ、平家軍に突進させた

745 :世界@名無史さん:2016/01/15(金) 01:21:48.81 0.net
http://www.kaogu.cn/cn/xccz/20160113/52739.html
なんか二里頭遺跡で新たな発見があった模様っぽい
宮殿区域でお墓が見つかったそうだが

746 :世界@名無史さん:2016/01/15(金) 02:31:57.30 0.net
朱か赤いな以外に中国は骨が残るのか?

747 :世界@名無史さん:2016/01/15(金) 21:55:52.84 0.net
>>745
未盗掘だといいがな

748 :世界@名無史さん:2016/01/16(土) 00:47:17.46 0.net
人間が思いつくようなことはすでに周代までに書物になっていて、
日本人は唐代にそれと接触したんだろうな
日本人にはもう何も開拓する余地がなかった

749 :世界@名無史さん:2016/01/16(土) 14:11:18.33 0.net
>>745
そろそろスレ名通りにレスの流れを軌道修正したい所だな
明らかに漢より後の話が多すぎるしね
先秦時代が主であるべき

750 :世界@名無史さん:2016/01/16(土) 17:24:21.11 0.net
誰か中国語を訳してくれる人いないかな
gooole翻訳だとどうも変で
一応翡翠とか宝飾品は見つかったそうだけど

751 :世界@名無史さん:2016/01/16(土) 17:30:07.73 0.net
google翻訳だとこう

宮殿エリア貴族の決済システムの探査領域の東側では、
店は厚い朱色の十三陵(2015XM7)があり、その後、
救助発掘を行っ見つけました。 2015XM7大規模は、よく保存。
厚手の辰砂で覆われた墓の終わりには、30以上の作品を含め
、漆器、翡翠、陶器や他の葬祭オブジェクトを含む発掘、
棺を描いている可能性があります。

何と二里頭王朝は漆器が作られていた模様

752 :世界@名無史さん:2016/01/16(土) 18:54:44.12 0.net
>>751
下っ端の役人じゃ無くて王族の墓が見つかるといいね
もちろん未盗掘なのは大前提だが

753 :世界@名無史さん:2016/01/16(土) 19:33:06.56 0.net
でも見つかった副葬品を見ると小役人ではないと思う

巨大な墓とあるし
水銀を使った朱塗りの棺室
副葬の豚と共に埋葬された従者らしき屍
トルコ石の珠と四角系の器、陶器、漆器、そして百枚の
貝?銅の鐘、玉細工

特に貝は割と重要な発掘じゃないかな、洛陽盆地で貝が流通していた
という証拠だし

754 :世界@名無史さん:2016/01/17(日) 19:49:53.38 0.net
昔は貝を貨幣代わりに使用してたと言われていたし、凄い発見かもね

755 :世界@名無史さん:2016/01/30(土) 12:59:35.00 0.net
>>712
高句麗とか沃沮とかは玄菟郡が廃止された後

756 :世界@名無史さん:2016/01/30(土) 22:00:25.25 0.net
<解読して欲しい未解読文字>
1、インダス文字
2、巴蜀文字
3、線文字A
4、オルメカ文字

<完全にすべて解読して欲しい文字>
1、甲骨文字(一部未解読)
2、金石文字(一部未解読)
3、マヤ文字(10%ほどが未解読)


これで人類の歴史の始まりの時期の大半が判明するだろう

757 :世界@名無史さん:2016/01/30(土) 22:15:58.98 0.net
マヤ文字って9割も読めるようになってたのか
ちょっと前は6割程度って話だったけど、随分進歩したんだなあ

758 :世界@名無史さん:2016/01/31(日) 00:07:46.31 0.net
ロンゴロンゴ

759 :世界@名無史さん:2016/02/01(月) 07:35:11.39 0.net
あなたは40代新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?

それともいくつですか?

それともいくつですか?

それともいくつですか?

760 :世界@名無史さん:2016/02/01(月) 08:51:33.88 0.net
甲骨や金石の「一部未解読」って、現行の漢字との類縁が切れてる文字だから、いつまで経っても読めるようにはならないのでは。

761 :世界@名無史さん:2016/02/01(月) 11:06:58.79 0.net
そういうのは今の漢字に置き換えられなくても意味が判ればいいんだよ。
以前聞いた誰かのお気に入りの甲骨文字は
「農耕が始まる前の春先に王が畑で立ちションベンして地に霊力を与える」
の象形だそうだ。

762 :世界@名無史さん:2016/02/01(月) 21:06:02.91 0.net
>>756
にしても西夏文字を完璧に解読した人すげーわ

763 :世界@名無史さん:2016/02/02(火) 17:37:20.38 0.net
二里頭遺跡でも文字みたいに見える文様がいくつか見つかっているそうだけど

764 :世界@名無史さん:2016/02/03(水) 14:48:49.19 0.net
>>763
甲骨文字に似ている
ただ資料が少なすぎて意味不明
今後の発掘調査に期待だな
甲骨文字の前段階はほぼ確実にあっただろうしさ

765 :世界@名無史さん:2016/02/03(水) 14:49:59.68 0.net
>>762
契丹文字の方は確かまだ未解読だったはず
漢字によく似た字なのに分からないとは・・・・

766 :世界@名無史さん:2016/02/03(水) 20:14:47.22 0.net
敦煌莫高窟みたいに、同じ内容で3種類の言語で書かれたものが出てこなけりゃ進展しない

767 :世界@名無史さん:2016/02/06(土) 00:12:14.60 0.net
>>765
突厥文字はほぼ解明されてるんだっけ?

768 :世界@名無史さん:2016/02/06(土) 13:18:00.09 0.net
ところで夏に比類される二里頭文化の支配地域と殷に比類される二里岡文化に
挟まれるように輝衛文化という独自の土器を有する文化圏が同時代にあったそうだが
史記だと輝衛文化は何国になるんだろう
夏の同盟国?

769 :世界@名無史さん:2016/02/06(土) 19:06:47.02 0.net
>>768
史記でも夏の周囲にいろんな豪族の名前出ているしそれらのうちのどれかなんだと思う。
情報がほとんど無い岳石文化もすぐ近くにあるしこれも夏が滅ぶときに殷に付いたか夏に付いたかわからないけど
史記に出て来る有力者達の出身地だろうね。

770 :世界@名無史さん:2016/02/06(土) 19:10:00.99 0.net
輝衛文化って先商文化に滅ぼされてるし
湯王に滅ぼされた九夷あたりなんじゃない?

771 :世界@名無史さん:2016/02/14(日) 19:28:57.03 0.net
史記に出て来る夏に朝貢にやって来る連中は周辺の文化圏からやって来ているんだろうね
彼らの自称は全然わからないままだが当てはめるのも不可能じゃ無いはず

772 :世界@名無史さん:2016/02/16(火) 12:23:17.97 0.net
二里頭文化より先に青銅器文化が栄えていた斉家文化は
もしかして夏の王位継承を認めなかった有扈氏だろうか

773 :世界@名無史さん:2016/02/25(木) 11:07:27.30 0.net
調べてみたらどうも二里頭遺跡では以前から宮殿区域で大量の宝貝が
発掘されていた模様
宝貝は南方の海でしか取れず、当時の二里頭王朝の勢力範囲では
到底とれる訳がないのでなんらかの交易ルートがあったと思われる

774 :世界@名無史さん:2016/02/25(木) 16:55:08.80 0.net
それが東夷でしょ

775 :世界@名無史さん:2016/02/26(金) 15:08:03.50 0.net
>>773
その部分は中共も掘り下げんだろ。

776 :こんなオカルトな説を見つけた。。。:2016/06/14(火) 22:31:18.74 0.net
53 :   :03/03/07 02:51 ID:???
NAME:白根 英夫

(略)

54 :Å番外編・日本原理主義 /白根:03/03/07 02:54 ID:???

(略)

さて、僕は、邪馬台国など封印されている日本の古代史を、これから暴露していくつも
りだが、中国の古代の歴史の概要は、次ぎのようなものであって、日本人は中国人によ
るニセの歴史観から解放されるべきだと思う。


【平和珍軍は精神の軍隊ニダ!】
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1044023059/53-57n

777 :こんなオカルトな説を見つけた。。。:2016/06/14(火) 22:32:15.65 0.net
55 :53 54:03/03/07 02:55 ID:???
古代中国の「夏」王朝は、日本の縄文時代人によって開かれた世界文明のことであって
この世界文明は、古代オリエントからアフリカ大陸・南北アメリカ大陸・オーストラ
リア大陸・そしてヨーロッパを除くユーラシア大陸全体に広がっていたのです。

古代インドのインダス文明や、古代オリエントのシュメール文明は、この日本の縄文人
によって開かれた世界文明を継承した文明です。 このことは古代日本の神代文字で、
いままで解読不能であったインダス文字などが解読できた事実によって明らかなことで
す。

司馬遷(前145頃-前86年頃)という古代中国の歴史家は、前漢の武帝によって、牢獄に
つながれたまま「史記」を書かされましたが、その古代史は、日本の縄文人の世界文明
を「夏」と置き換えていますし、同様に次の「殷」王朝は、インダス文明のことで、
さらに次の「周」王朝とは、シュメール文明のことです。
だから、いくら「夏」「殷」「周」を中国領土内で探しても見つからないのです。(笑

そして「周」の後の「秦」は、アッシリアやバビロニアに滅ぼされた古代イスラエルの
12部族のうちのユダ族が中心になって建国した王朝です。 そして秦の始皇帝もユダヤ
人で、秦始皇帝の側近の方士の徐福もユダヤ人でした。
ここで言うユダヤ人とは、現在のアシュケナージ・ユダヤ人とは異なるセム系民族の
ことで、全部、日本に渡来してきて混血してしまいました。

発掘された秦の始皇帝稜を中国政府が公開しないのは、なんと全てペルシャ仕様の遺物
だけだったからです。 司馬遷は、前漢の武帝によって「史記」を書き終わったあとに
歴史偽造の秘密を漏らさないように殺されてしまいましたが、現代の中国人も、この
偽造史書である「史記」の虚偽が発覚するのを恐れて始皇帝稜を公開できないのです。




【平和珍軍は精神の軍隊ニダ!】
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1044023059/55n

778 :こんなオカルトな説を見つけた。。。:2016/06/14(火) 22:35:29.65 0.net
56 :右や左の名無し様:03/03/07 02:58 ID:???

紀元前の弥生時代の日本に、秦帝国(前221-前206)を動かしたユダ族が大挙して渡来
してきました。 これ以外にも縄文時代末期から弥生時代前期にかけて、縄文人の末裔
であるシュメール・エジプト・インダス文明の担い手であった渡来人(イスラエル・
スキタイ・エジプト・インド、その他、ポリネシアン・アフリカン)が全部、日本に
来ているのでした。 日本の古代遺跡からは、その証拠が豊富に発掘されています。

この当時の「倭国」は、土着の縄文人の豪族の国々(この筆頭が邪馬台国です)と、
渡来人の国々との間で内乱状態だったのでしたが、姻戚関係を結ぶことによって混血化
していき、縄文時代とは異なる金属文明である弥生時代化が進んだのです。 

「魏志倭人伝」での邪馬台国は、現在の北部九州地方・山陰地方から近畿地方の日本海
沿いに展開しており、それと対抗していた「狗奴国」とは、失われたイスラエル10部族
の国であり、南部九州地方・瀬戸内海 四国地方・近畿地方に展開していたのですが、
最終的に倭人の「狗奴国」が平和的な姻戚関係を結ぶことによって大和朝廷を建国した
のです。

朝鮮半島の「馬韓」「辰韓」「弁韓」は、その後に「高句麗」「新羅」「百済」と国名
を変えましたが、この3国は、「倭国」と、それに続く「大和朝廷」によって完全に
コントロールされていたのです。

弥生時代や古墳時代の日本(倭国)は、朝鮮半島の3国を徹底的に任那日本府によっ
てコントロールしており、また原住民の民度向上のためのテコ入れをしていたのです。
朝鮮半島と日本海は、日本(倭国)と大陸との通商ルートであり、同朋民族の渡来経路
だったので、大和朝廷としては、何が何でも統制下に置いておく必要性がありました。




【平和珍軍は精神の軍隊ニダ!】
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1044023059/56n

779 :こんなオカルトな説を見つけた。。。:2016/06/14(火) 22:36:14.24 0.net
57 :右や左の名無し様:03/03/07 02:58 ID:???

飛鳥時代の聖徳太子が、かつての植民地人にすぎない古代中国の末裔「隋」(581年
-619年)に向かって「日の没する処の天子へ書を下す。 つつがなきや」と卑下した
外交文書を送付したのも当たり前のことだったのですが、その後の663年の「白村江の
戦い」で日本が「唐」(618年-907年)に敗北していらい、唐の占領軍が日本に進駐し
てきて、かつての正しい歴史記録文書(日本史と世界史)をすべて焼却してしまい、
神代文字は廃止されて漢字文化一色になってしまったのです。

この「白村江の戦い」での日本の敗北は、日本国内に蔓延した仏教を原因とする日本の
指導部の無能化(平和主義と、客観性を無視した主観性重視の傾向)のためであり、
また神国を自覚しない民に対する神罰と、法華経という至高の仏法を護法しない民に
対する仏罰とも言える現象です。 これによって縄文時代の世界文明の記録も、渡来人
の記録も全て消されてしまったのてすが、これも、よくよく考えてみると、神様の計画
だつたのかもしれません。

しかしながら、ようやく21世紀に至り、全世界の諸学者が「日本はシュメール粘土板
文書に書かれていた楽園の”ティルムン”であり、旧約聖書でいう”東の方・エデンの
園”であり、日本人は神の民だった」と理解しはじめているのです。    (続く)




【平和珍軍は精神の軍隊ニダ!】
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1044023059/57n

780 :世界@名無史さん:2016/07/01(金) 10:19:31.84 0.net
 
 
      膨張する集団がコントロールされる。

781 :世界@名無史さん:2016/07/01(金) 10:41:05.58 0.net
他スレで犬戎についてかなり言及されてるなw

782 :世界@名無史さん:2016/07/19(火) 16:45:09.72 0.net
夏は中国の学者が調査して再び埋めてしまって保存している。
日本の学者は手を出せない。
殷の遺跡は地区全体が博物館になっているが日本人の訪問は
非常に少ない。中国人にとっては上野公園みたいになっている。
周は遺跡は少ないが中国人ガイドによると日本の書道家のグループが
文字の研究に来ると言っていた。
中国古代史は日本人が手を出せなくなっている。

783 :世界@名無史さん:2016/07/19(火) 23:45:14.94 0.net
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

784 :世界@名無史さん:2016/07/20(水) 01:41:18.71 0.net
鬼方、ケンイン、犬戎

785 :世界@名無史さん:2016/08/05(金) 16:44:50.03 0.net
夏の初代皇帝の禹は治水に功績があったそうだが、
その黄河の大洪水の跡が見つかったという話が出ている。
越の先祖は夏の皇帝の庶子の説があるが地理的にも不自然。
長江文明の王朝の子孫のほうが地理的には説明がつきやすい。
長江文明の研究がすすむと夏王朝との関係が出てくるかも知れないが・・

786 :世界@名無史さん:2016/08/05(金) 18:17:24.77 0.net
夏と思われる二里頭遺跡からは米も出てるんだぞ
夏は長江文明だよ

787 :世界@名無史さん:2016/08/05(金) 22:10:49.71 0.net
禹(う、紀元前2070年頃)は<支那>古代の伝説的な帝で、<支那最初の王朝である>夏朝の創始者。
・・・帝堯の時代に、禹は治水事業に失敗した父の後を継ぎ、舜に推挙される形で、黄河の治水にあたった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%B9

という話は伝説だと思われてきたが、4,000年前の黄河の大洪水が確認され、
史実説が有力になっているんだと。↓
Scientific Evidence of Flood May Give Credence to Legend of China’s First Dynasty
http://www.nytimes.com/2016/08/05/science/china-great-flood-xia-emperor-yu.html

788 :世界@名無史さん:2016/08/21(日) 18:03:49.44 0.net
>>147
何が縄文文明だよw
ペタペタ土器作ってた原始人が文明なら世界中文明だらけだわ

789 :世界@名無史さん:2016/08/25(木) 10:10:08.29 0.net
黄河は時代によって、泗水、淮河と複雑に変化している。
変化のきっかけは洪水だろうから、それを制御できたはずがない。

790 :世界@名無史さん:2016/08/25(木) 17:32:50.14 0.net
太古の水路の変化が神話化されたのが禹王の神話だと考えれば問題ないな。

791 :世界@名無史さん:2016/09/04(日) 11:34:50.41 0.net
中共の地球化学者による漢人ヒクソス人説を紹介している。

<司馬遷の「夏」の地理的描写は黄河地域ではなくエジプトに酷似。↓>
・・・<Chinese Academy of Science, Guangzhou Institute of Geochemistry> geochemist・・・Sun Weidong
<(孫衛東)>・・・ quoting historian Sima Qian’s description of the topography of the Xia empire -
traditionally regarded as China’s founding dynasty, dating from 2070 to 1600 B.C. “Northwards the stream
is divided and becomes the nine rivers,” wrote Sima Qian in his first century historiography, the Records
of the Grand Historian. “Reunited, it forms the opposing river and flows into the sea.”

エジプトから追い出されたヒクソス人の一部が、青銅器文化をひっさげて、海上から支那にやってきた。
In other words, “the stream” in question wasn’t China’s famed Yellow River, which flows from west to east.“
・・・argues that China’s Bronze Age technology, widely thought by scholars to have first entered the northwest
of the country through the prehistoric Silk Road, actually came by sea. According to him, its bearers were
the Hyksos, the Western Asian people who ruled parts of northern Egypt as foreigners between the 17th
and 16th centuries B.C., until their eventual expulsion.

792 :世界@名無史さん:2016/09/04(日) 11:35:14.54 0.net
ヒクソスの青銅器文化は、「夏」の次の「殷」のそれと酷似。
He notes that the Hyksos possessed at an earlier date almost all the same remarkable technology
- bronze metallurgy, chariots, literacy, domesticated plants and animals - that archaeologists discovered
at the ancient city of Yin, the capital of China’s second dynasty, the Shang, between 1300 and 1046 B.C.
Since the Hyksos are known to have developed ships for war and trade that enabled them to sail the Red
and Mediterranean seas, Sun speculates that a small population escaped their collapsing dynasty using
seafaring technology that eventually brought them and their Bronze Age culture to the coast of China.・・・
http://foreignpolicy.com/2016/09/02/did-chinese-civilization-come-from-ancient-egypt-archeological-debate-at-heart-of-china-national-identity/

https://scholar.google.com/citations?user=44fns5kAAAAJ&hl=en (<>内)

ヒクソスについては、下掲参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%82%B9
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E7%AC%AC15%E7%8E%8B%E6%9C%9D

793 :世界@名無史さん:2016/09/04(日) 13:52:07.03 0.net
>>787
世界各地で伝説に何らかの裏づけがあることが証明されているからね

794 :世界@名無史さん:2016/09/05(月) 02:55:44.59 0.net
歴史畑の学者が唱えているならともかく、広州の地球化学研究所研究員の唱えてる無駄に壮大なだけの説を持ち上げられてもな。
トンデモ発掘乙としか。

795 :世界@名無史さん:2016/10/04(火) 03:37:46.35 0.net
夏王朝は実在したよ
その王都が二里頭なのか、龍山なのな
ここがポイントなわけで

796 :世界@名無史さん:2016/10/04(火) 09:29:39.61 0.net
鬼方、土方も実在したのか

797 :世界@名無史さん:2016/10/04(火) 12:37:25.16 0.net
夏王朝が新石器時代
殷王朝から青銅器時代

夏王朝時代に国家権力らしきものが確立したのだろうね
それまでは単なる集落社会
だから夏王朝の前は神話時代になっている

798 :世界@名無史さん:2016/10/04(火) 12:50:51.51 0.net
イケメンだったエジプト人は、シナにきたらブサイクになっちゃったのかw

799 :世界@名無史さん:2016/10/04(火) 13:43:26.46 0.net
さすがに漢チベット語族を中東に起源を求めるのは無理すぎるだろう
ヒクソス語から発展したと考えるには娘言語が広範囲に多数ありすぎる
孫氏はどう考えてるんだろう

800 :世界@名無史さん:2016/10/04(火) 16:35:54.03 0.net
【中公新書】
周―理想化された古代王朝
佐藤信弥 著
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/09/102396.html

801 :世界@名無史さん:2016/10/12(水) 01:39:50.00 0.net
>>800
本日これと、同じ中公新書の殷を買ってきました
当方は白川先生のファンですが

802 :世界@名無史さん:2016/10/12(水) 10:37:54.94 0.net
>>795
邪馬台国も実在したよ
その王都が畿内なのか、九州なのか
ここがポイントなわけで

803 :世界@名無史さん:2016/10/16(日) 18:20:26.88 0.net
そろそろ夏殷周ってのやめて夏商週に変えようぜ

804 :世界@名無史さん:2016/10/16(日) 18:21:10.56 0.net
夏商周だなスマン

805 :世界@名無史さん:2016/10/17(月) 14:24:52.22 0.net
確かに、英語文献でもYinよりShangと表記してあることが多いな

806 :世界@名無史さん:2016/10/17(月) 15:32:21.94 0.net
今日から商って呼ぶわ

807 :世界@名無史さん:2016/10/17(月) 21:40:12.32 0.net
https://en.wiktionary.org/wiki/%E5%95%86#Pronunciation
Old Chinese▼
(Baxter-Sagart): /*s-taŋ/
(Zhengzhang): /*hljaŋ/

スタンだったのかフリャンだったのか

808 :世界@名無史さん:2016/10/17(月) 22:23:08.59 0.net
殷墟は今では商墟なわけ?

809 :世界@名無史さん:2016/10/17(月) 22:29:37.89 0.net
殷墟ってのは商滅亡後の周側からの呼称なので、殷墟のままで問題ないような。

810 :世界@名無史さん:2016/10/17(月) 22:32:30.04 0.net
ところが漢籍を読むと圧倒的に「殷」のほうが多いのだ

811 :世界@名無史さん:2016/10/17(月) 22:49:56.86 0.net
商の後期を殷と呼ぶ使い分けしている人も多いよね

812 :世界@名無史さん:2016/10/18(火) 00:14:11.75 0.net
>>811
なんで二種の呼び方があるんでしょうか

813 :世界@名無史さん:2016/10/18(火) 00:16:21.82 0.net
>>812
自称と他称

814 :世界@名無史さん:2016/10/18(火) 02:11:57.05 0.net
中国が呼称を商の方に切り替えた経緯を知らない人もいるのかな?

商と殷の二通りの呼称がある事については早い時期に理由が忘れられてしまい、
たぶん史記が殷を採用したことで殷と呼ぶことが定着していた。
ところが、殷墟で発見された甲骨文を解読していったところ、
商のみが使われていたため、正式な国号は商であると分かった。
殷については周側からの他称とみられてるが、都市名説を取る人もいたはず。

で、中国は考古学的成果を反映して商に切り替えたのに対し、
日本は保守的に伝統的な呼称の殷を使っているという次第。

815 :世界@名無史さん:2016/10/18(火) 02:20:43.56 0.net
インシュウシンカンサンゴクシン♪がショウシュウシンカンサンゴクシン♪に変わったら唄いにくいだろ!!

816 :世界@名無史さん:2016/10/18(火) 02:27:58.09 0.net
漢文の文書にはたいがい殷と書かれてる
商と書かれてる文は見かけない

817 :世界@名無史さん:2016/10/18(火) 03:31:35.60 0.net
最近変わったんだから殷が多いのは当たり前

818 :世界@名無史さん:2016/10/18(火) 09:51:44.16 0.net
消臭震撼三獄死ん

819 :世界@名無史さん:2016/10/18(火) 09:53:49.26 0.net
>>815,818
夏は?

820 :世界@名無史さん:2017/04/12(水) 15:20:17.69 0.net
夏殷周も大事だが
長江文明&遼河文明もお忘れなく

821 :世界@名無史さん:2017/04/12(水) 16:25:05.67 0.net
装飾音符のように、カショウシュウ〜で歌える

822 :世界@名無史さん:2017/07/12(水) 19:05:24.46 ID:l3x0lAAvJ
巴蜀にもあったろ。独自の文明が。
一説には商に滅ぼされた夏王朝の影響が残ってるとか言うけど。

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