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【三代】夏殷周を語る【理想】

1 :寂しい唐揚:2010/09/15(水) 23:14:04 0.net
汲めども尽きぬロマンを語れ!

72 :世界@名無史さん:2010/10/24(日) 17:15:19 0.net
でも甲骨文字の字体や記録内容から考えて、武丁から帝辛(紂王)の時代のものだというのは、ほぼ間違いないじゃない?

73 :世界@名無史さん:2010/10/24(日) 20:56:41 0.net
>>72
>内容
これをいつ作成したかが問題だ。


74 :世界@名無史さん:2010/10/24(日) 22:12:10 0.net
>>73
戦国時代に殷の時代の事を占って何の得が有るのか?

75 :世界@名無史さん:2010/10/25(月) 19:27:33 0.net
>>74
知らねぇよ。宮崎がそう言うんだからさ。全集読んでこいよ。


76 :世界@名無史さん:2010/10/25(月) 21:25:09 0.net
宮崎氏は西周以前のことには保守的で、考古成果を軽視するきらいがあった
ようだな。さすがに今はもっと考古学成果が出てるから、殷墟と甲骨文に関
しては疑う余地がほとんどなくなってるぞ。

殷墟のすぐ側に都城遺跡が発見されてるし、土器の編年でも二里岡文化との
連続性が確認されてる。

77 :世界@名無史さん:2010/10/26(火) 12:29:54 0.net
>>76
たからさ、殷墟はどうなんだって。
遺物比較するだけで分るんじゃないの?

>殷墟のすぐ側に都城遺跡が発見されてるし、土器の編年でも二里岡文化との
連続性が確認されてる
こっちの方が殷墟なんじゃないの?


78 :世界@名無史さん:2010/10/26(火) 15:42:19 0.net
>>77
遺物比較なんかとっくにされてる。今まで見つかっていた殷墟は墓域だけ
だったのがネックで、本当に殷の都かどうかで論争があったんだよ。
それが、すぐ側に同時代の都城遺跡が出たから決定的になったってことだよ。

79 :世界@名無史さん:2010/10/26(火) 18:04:22 0.net
>>78
決定したんだ。ヘー。

>すぐ側に同時代の都城遺跡が出た
論文とか教えてちょ。


80 :世界@名無史さん:2010/10/26(火) 21:52:30 0.net
>>79
悪いが論文紹介するまで専門じゃないが、講談社の「中国の歴史1」でその時点での
最新の考古学成果は一通り紹介されてる。言っておくが、お前さん考古学に疎いみた
いだから、概説書でも相当ややこしいぞ。

んで、殷墟に隣接した形で城壁のある洹北商城遺跡が発見されてる。この本のP328
には二里岡前期から殷墟後期までの土器の編年図もしっかり載ってるから自分で確認
してくれ。
あっちの考古学は90年代からでも色々出てるんだよ。夏殷周のこと語りたいなら
向こうの情報がなかなか届かなかった時代の話を根拠にせずに、概説書くらい読んで
考古学情報くらい仕入れておけ。

宮崎先生は俺が最も尊敬してる中国史の大家だが、なんでもかんでも絶対視はしてな
いんだよ。

81 :世界@名無史さん:2010/10/27(水) 01:22:26 0.net
>>71
>飯島忠夫が甲骨文字は戦国時代の文字だとかいう話が現実味
を持つし


持たないよ。
そんなDQN説を唱えているのは世界でも飯島だけ
日本の恥さらしだ


82 :世界@名無史さん:2010/10/27(水) 19:06:23 0.net
飯島の息子は確か東大教授だよね。
日本の恥さらしだと言ってこいよ。

考古学に疎いヤツが本より論文教えろなんて言うか。
知らないなら、概説書どまりの知識ですがとか言うとけ。

夏はない。落合も言うてるし。


83 :世界@名無史さん:2010/10/27(水) 19:24:04 0.net
>>82
知らないもくそも、知らなかったのはお前じゃないかw
俺はちゃんと論文だせるような専門家じゃないこと断ってる。
概説書も読んでない、殷代の遺物比較も知らない、素人の俺より知識がない
のを露呈した奴が偉そうに論文要求してどうすんだ?

宮崎市定全集読めた所見ると、学生辺りだろうが、詳しく突っ込まれると
「全集読め」なんて言うのは内容をきちんと消化せずにあやふやな記憶で物
しゃべってる証拠だよ。
しかも全集全集って言うが、あれにはそれまでに書かれた概説書も入ってる。
お前さんが言ってるのは多分、全集の中の概説書の「中国史」だろ。
それすらまともに消化してないんだから、概説書を馬鹿にできるレベルじゃ
ないし、もし俺が専門家で論文出せたとしても、いきなり専門論文なんか
無理だよw

84 :世界@名無史さん:2010/10/27(水) 19:39:38 0.net
いやいや悪かった。

別件なんだが、埃及文字と中国の古い時代の文字が似てるとかなんとか書いてるようで。
http://www.google.co.jp/search?q=%E5%9F%83%E5%8F%8A%E3%80%80%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%80%80%E6%96%87%E5%AD%97&hl=ja&safe=off&rls=ig&biw=1003&bih=423&ei=HT7HTJb_GoyyuAPK1dDwDw&start=20&sa=N
中訳できないが、google翻訳でそれらしい内容でした。
以前に埃及文字と中国・甲骨文字との比較された日本の学者の本があったが、
誰だったかな?


85 :世界@名無史さん:2010/10/28(木) 00:58:14 0.net
>>82

残念だけどな、世界から見たら東大なんて
DQN大学に過ぎんよ

86 :世界@名無史さん:2010/10/29(金) 01:34:04 0.net
そうだな。

87 :世界@名無史さん:2010/10/30(土) 23:53:36 0.net
最近、心の底から大笑いしてますか?  縄文・弥生土器でした(爆






◆江南中国土器の様々な器形 (6000年前の河姆渡文化後期の江南土器)

鼎のオンパレード。鼎の初期器形の釜形鼎、日本には弥生末まで無い蓋に注意。
http://www.hemudusite.com/products.asp?sort_id=5&page=5
水差しのオンパレード。盉(カ)、簋(サン)、長頸壺、鳥型の三足土器の鬹(キ)。単耳、把手、圏足に注意。
http://www.hemudusite.com/products.asp?sort_id=5&page=4
日本には弥生末まで無い蓋、器座という器台。使用目的さえ分からない支架。甑の双耳に注意。
http://www.hemudusite.com/products.asp?sort_id=5&page=3
日本には無い器種、盂のオンパレード。日本には弥生末まで無い蓋。
http://www.hemudusite.com/products.asp?sort_id=5&page=2









88 :世界@名無史さん:2010/11/07(日) 19:25:43 0.net
ニコーリ 藁ってますよ

89 :世界@名無史さん:2010/11/09(火) 12:22:20 0.net
五帝时代中华文明的重心不在中原
http://economy.guoxue.com/article.php/12428/2
破译吴城神秘陶文密码
http://www.29trip.com/jd/5139.html

90 :世界@名無史さん:2010/11/09(火) 12:50:31 0.net
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/18-4inkyohakutu2.htm
清江呉城遺址の陶文
文字数からすると、インダス文字とも言えるか?


91 :世界@名無史さん:2010/11/09(火) 13:21:42 0.net
呉城は年代的に新しすぎる
竜山文化から500年以上後の時代
ttp://www.peopleschina.com/zhuanti/2010-08/24/content_293453.htm

92 :世界@名無史さん:2010/11/09(火) 13:36:42 0.net
簋(サン)というのは現代でも華南の土鍋の形だ
http://news.xinhuanet.com/food/2008-03/21/content_7831749.htm

青銅器の基礎知識
http://www.diasu.cn/news/read/07116152110GCJDC19KI72D3K3FKKK9.htm

陶器の時代も簋(サン)は存在し、陶文も簋(サン)や甕についているものなのである。

93 :世界@名無史さん:2010/11/09(火) 13:39:18 0.net
>>90
タイ・カダイ語族であろう

94 :世界@名無史さん:2010/11/09(火) 18:30:02 0.net
>>93
根拠は?


95 :93:2010/11/09(火) 19:11:24 0.net
>>94
文字種が多いということは
閉音節が多く
声調の存在があると考えられるからだ

96 :世界@名無史さん:2010/11/09(火) 19:41:58 0.net
สวัสดีครับの ค と บ は母音字がなく子音字しかない
こういうのを表現するのは音節文字では難しく
北方の陶文と違い、南方の陶文は文字種が多い
華南の文化は、タイ・カダイが基層にあるから
使用される漢字も非常に複雑なのだ

最近、ニコーリ笑っていますか?

97 :世界@名無史さん:2010/11/09(火) 21:22:34 0.net
>>84
似てない。
文法的にも、文字としても。


98 :世界@名無史さん:2010/11/09(火) 21:36:05 0.net
hieroglyphs、ヒエログリフ、聖刻文字、聖書體、碑銘體
だいたいエジプトのことを指すぉ

99 :世界@名無史さん:2010/11/09(火) 21:37:08 0.net
埃及文字≒ヒエログリフ

100 :世界@名無史さん:2010/11/10(水) 00:21:35 0.net
だけどさ、白川先生の批判して悪いけど、全集ではインドに関する指摘が殆ど
無かったのが残念。オリエントの楔形文字との関係に否定的なのは分るが。

やっぱ呉城遺跡の陶文はインド由来では無いんだな。
タイ・カダイ語族か。エバーハルトみたいだな。


101 :世界@名無史さん:2010/11/10(水) 08:10:15 O.net
述べて作らず古を好む

102 :世界@名無史さん:2010/11/10(水) 09:12:46 0.net
>>52 >>100
東アジアにおけるインドからの民族移動
おそらくこの7000年以内の話ではないでせう
交易通商ルートか宗教ルートでインドから人を招聘した話は
五胡十六国時代以降に結構記録されとります

そういうのを遠心分離機にかけてからでないと
こういうレスが自動的につくようになるでしょう
  ↓
それを一生涯かけての研究テーマにしてください。
学士院会員を目指して。

103 :世界@名無史さん:2010/11/10(水) 10:25:09 0.net
崎谷満と白川静ではスコープになっている年代が全く違うじゃろ。
そんな5万年前の地学の話と4000年前の出土物の話が
ごっちゃになってればお話になりません。

104 :世界@名無史さん:2010/11/10(水) 19:39:04 0.net
>>103
崎谷の近著で呉城遺跡人骨DNA分析でインド東部由来の結論なのよ。
呉城遺跡からは陶文という甲骨文字に似た文字が出てるのよ。
だから、インダス文字と関係ありかなと思ったが、違うらしいのでね。
白川さんの全集を全部読んだが、インドは関心が無いようで、殆ど指摘が無かった。
年代がごっちゃになってませんから。
崎谷の近著と白川全集全部読んでから書けや、ボゲ。


105 :世界@名無史さん:2010/11/10(水) 19:41:09 0.net
それを一生涯かけての研究テーマにしてください。
学士院会員を目指して。

106 :世界@名無史さん:2010/11/10(水) 19:53:56 0.net
タイ族が氷河時代にインド東部から来たんだろ?
崎谷は何電波とばしてるんだ!?

107 :世界@名無史さん:2010/11/10(水) 21:47:10 0.net
>>106
インド東部由来でも、104の言い分じゃいつ頃の由来か分からんからな。電波かど
うかも判断できない。
104は多分、前にも言った奴だと思うが、読め読め言う前に自分できちんと内容を
説明できてからインダス文字だのを言え。新大陸のインディオ達のDNAがアジア
のモンゴロイド由来だからって、マヤ文字と甲骨文字に関係ないだろうが。

んで、そのインド由来のはいつ頃のものだと書いてあったんだ?
書いてなければ普通読み手は、氷河時代や文明以前のものと取るぞ。

すぐに他の文明の古代文字との類似を指摘をする奴は大抵、象形段階の文字は
似た形のものができやすいのを忘れてる。
インダス文字とロンゴロンゴ文字の類似性を指摘する意見に、旧ソ連の古代史
家のコンドラトフが随分以前に注意している話だ。

108 :世界@名無史さん:2010/11/11(木) 11:34:10 0.net
二上旦上二本与卉亠十廿卞广下广卞廿十亠卉与本二上旦上二本与卉亠十廿卞
广下下广卞廿十亠卉与本二上旦上二本与卉亠十廿卞广下广卞廿十亠卉与本二
二上旦上二本与卉亠十廿卞广下广卞廿十亠卉与本二上旦上二本与卉亠十廿卞
广下下广卞廿十亠卉与本二上旦上二本与卉亠十廿卞广下广卞廿十亠卉与本二

109 :世界@名無史さん:2010/11/11(木) 19:16:09 0.net
>>107
悪いけどさ、中南米の遺跡から甲骨文字らしき出土文字例が吉田信啓さんの本
にありましたよ。否定的扱いされてるがハイネ・ゲルデルンの伝播説を思わせるよ。

呉城遺跡だから紀元前1500頃の殷代中期遺跡。甲骨文字出土直前なだけに重要。
しかも、崎谷はその呉城遺跡からインド東部と同じタイプのDNAが出てると述べてるよ。

パターニ(港、ドラビダ語)の派生地名、パタニ、バタンなどが東南アジア島嶼部などに
あり、西日本は谷(タニ)地名が多く、パタニ(patani)のp音が省略されたとするなら、
patani→atani→atami(熱海)となるのでは。田中孝顕は別の説だけど無関係としていない。
上野喜一郎はビルマのディンギーはエジプト的影響、ニーダムは中国のジャンク
に西方的影響をそれぞれ述べていて、赤羽正春はエジプト・太陽の船にチキリ・タタラ技術
が既にあり、「楼蘭」(赤羽正春)では7世紀の楼蘭出土例があるというが、船製造技術なら
海路から伝播と思うが。
インド・中近東間交易は紀元前3000前後から見られるわけだが、インドから東へも同様に
開拓されていたとすれば、上記技術・地名の伝播も考えられよう。
言語は大野晋。
インドの太鼓は「トゥントゥンビ」と言い、叩く部分の皮を紐締めする技術は
中国は釘締めだから中国経由ではなく、東南アジア一帯に広がる紐締め技術も含めて
インド由来と考えられ埴輪にも見られ弥生期渡来という。日本では「つつみ」ですね。

つまり、縷々述べたような流れの中でDNA遺伝子出土例を考えられるのではなかろうか。


110 :世界@名無史さん:2010/11/11(木) 20:15:42 0.net
>>109
吉田信啓をマジ出ししてる時点で、相手のしようがないな。読書は結構だが、少
しは「疑う・考える」ということを覚えろ。中南米で甲骨文字なんて聞いておか
しいと思わないのか?

ミトコンドリアでもY染色体でもいいけど、多分ミトコンドリアDNAだとして
聞くが、呉城遺跡と同時代の東インドの遺跡の遺体が同じハブログループなのか、
現東インドの住民と同じハブログループなのか、どこか他の場所に住んでいた同じ
ハブログループの集団がそれぞれに分かれたと思われるのかとか、共通しているだ
けでなくて、長江と東インドのどちら、あるいは別のどこかが由来なのか、とか
そういうことだ。そういうことが書いてなかったか?とな。
文明の共通点じゃなくて、もっと長い人類史のスパンで聞いてるんだよ。

とりあえず、文明を起こした集団とDNAグループの集団は別に考えろ。系統的に
近くても、同じ文化集団に属しているわけじゃないんだからな。
共通してるだけじゃ、同じ文明圏の人間とは限らないんだよ。人類はもっと古くから
色々移動してDNAグループが分岐してるから、ここ数千年以内のDNAの比較なん
て文明史じゃ余り意味ないんだよ。

多分、これだけ言っても分からないだろうが、一応の忠告だ。

111 :世界@名無史さん:2010/11/12(金) 02:25:56 0.net
>>110
オレだけじゃない。
吉田さんのペトログラフ通信を引用している大学教授だっている。
UFOキチ以前に吉田さんが書いた本に書いてたが、そういう情報があったというだけだ。
無いというから、有ると言うただけだ。信用してないよ。写真とか載せてないんだから。
それに、「中南米で甲骨文字なんて聞いておかしいと思わないのか? 」ってナンだよ。
調べる前から「おかしい」と決め付けるほうがおかしいよ。
「おかしい」から調べるんだろうが。

DNAだけで何でも分るんですか?
考古学・歴史学・言語学など諸学から考える方がいいんじゃないんですか?

「余り意味ないんだよ」ってなんだよ。説明しろよ。


112 :世界@名無史さん:2010/11/12(金) 03:15:13 0.net
最近、ニコーリ笑っていますか?

113 :世界@名無史さん:2010/11/12(金) 03:29:16 O.net
インダス文明はインド北西部に興った文明で構成民族は南インド系とされる。
つまり、インド東部由来と分かってるならインダス文字と関係ない事は明らか。
白川先生は無駄な仕事はしなかったって事だね。

114 :世界@名無史さん:2010/11/12(金) 05:00:53 0.net
>無いというから、有ると言うただけだ。信用してないよ。

信用してないなら出すな。根拠もない、自分でも信じてないのを出すのは
反論とは言わないんだよ。
調べるも何も、吉田信啓がただの岩のひびまでペトログラフだ!って騒い
でるのも、ニュージーランドにフェニキア文字があるとか、どう考えても
フェニキア人が足を踏み入れない北米中央にフェニキア文字があるとか
トンデモ説を言いまくってるバリー・フェルと交流してトンデモを高め
あってるのも知ってるわ。

中南米に甲骨文字があるかどうかなんて、人類の新大陸到達、甲骨文字の
出現時期、中南米の文明の出現時期、文字の出現と特徴くらい知ってりゃ
滅茶苦茶なこと言ってるのくらい分かる。甲骨文字が出来た頃にゃ、新大
陸への道は閉ざされてるんだよ。
こんな常識的な判断で済むことにここまで言われないといけないのが、
お前さんの一番の問題だよ。文明とか古代遺跡をよりマクロレベルで言い
たいなら、もっと他の文明の基礎知識くらい持ってろ。

>DNAだけで何でも分るんですか?
考古学・歴史学・言語学など諸学から考える方がいいんじゃないんですか?

お前、人が書いてるのをまともに読んでないな。お前がDNAがどうのと
こだわるから、「DNA系統は文明史においてあまり意味がない」と
言ってるだろうが。自分で鏡に向かって何言ってるんだ?

多分、俺は相当お人よしなほうだぞ。基本を手取り足取りお前に教えてる
ようなもんなんだからな。今の所、お前の言ってることは妄想、よくて
夢想に過ぎない。論理的整合性も文明比較をするための基礎知識も欠けてる。
お前がこれ以上言うと、オカ板行けとかチラシの裏に書けって言われるだ
けだぞ。

115 :世界@名無史さん:2010/11/12(金) 09:17:04 0.net
>>114
>多分、俺は相当お人よしなほうだぞ。
まったくだ。俺はとうに匙を投げたよ。

116 :世界@名無史さん:2010/11/12(金) 17:32:19 0.net
商の饕餮紋
http://www.cntca.com/tuan/ruishou/2008/10/31/2329553719.html
ニコーリ笑っていますか?

117 :世界@名無史さん:2010/11/12(金) 18:37:53 0.net
>>114
バリー・フェルだけじゃないよ。
中南米へは後藤ショウイチが染織α11号でフェニキア由来の貝紫染織を述べ、
南米ではパライバ碑文に関して柴山栄が雑誌オリエントに紀元前4世紀のフェニキア文字
とする旨を書いている。
何にも知らねぇのはテメェじゃねぇか。

川崎真治は日本で甲骨文字と同じのを発見してるよ。
とすると、中南米の例はどうなんかなと思っただけだよ。
アンタが「ない」と断言したから、「ある」と言うてる人がいるよと言うただけやんか。
オレが信用するかしないかアンタに関係無いだろ。

石川三四郎はゲリニ報告を無批判に載せているけど、ゲリニ報告を載せた本文は
東洋大学にあるけど、写真も無く、phoenician writtingとだけある。オレは
ブラフミー石碑のと勘違いしたんじゃないかと思う。

崎谷の近著はDNA分析とアイヌの言語・文化との関係に言及してるじゃねぇか。
関係ないとか言うけど、関係ありと考えてる崎谷もいる。
それに、崎谷は斉藤成也と植田信太郎らとの共同研究成果である春秋期山東半島
のDNA分析でヨーロッパ系の確認できた旨を否定したよ。なんだよこれ。
DNA分析なんて所詮いいかげんな代物じゃないんか?
そんなに立派なもんじゃねぇだろ。

何度も言うが、調べる前から結論が分るなら、調査なんか必要ないじゃねぇか。
何が基本だ。笑わすな。

アンタの基本は「調べる前から分る」なんだろ?
そんなもん、捏造した藤村と何が違うんだ?


118 :世界@名無史さん:2010/11/12(金) 19:56:04 0.net
>南米ではパライバ碑文に関して柴山栄が雑誌オリエントに紀元前4世紀のフェニキア文字
>とする旨を書いている。

その論文、1970年のものだろうが。それが40年後の今も認められてないのはなぜだ?
この頃はまだ、文明の起源を古代オリエントに求める風潮が抜け切ってないんだよ。
古い文献を当たるのにそこを注意するのは当然だ。
それにパライバ碑文そのものは1870年代の発見の上、コピーだけで現物はないわけだろ?
100年間、誰も指摘もしてないのもおかしな話だが。
南米に文字文化の形跡がないという基本学説は、その1970年の発表後も何も変わってない、
パライバ碑文とやらに続く痕跡がないのをお前、説明できるのか?
碑文以外にフェニキア文化を示す遺跡は?
普通はそういうのは検証に耐えられないから消えていった説だということだ。
今、ざっと検索しただけで5分でこの程度は分かったし疑問点はもっとでたが、
検索結果、理解どっか間違ってるか?それにお前は俺の疑問に答えられるのか?

119 :世界@名無史さん:2010/11/12(金) 19:58:23 0.net
あと、貝からの紫染色料の採取方法が共通してるからフェニキア起源だってのは乱暴
だってくらい分からないか?土器の制作方法が共通してるからオリエントの土器は
日本起源だと言ってるのと同じレベルだ。
それと、南米には当時の地中海世界にでやってた虫から取る赤色染色料より遥かに効率が
高く赤色が取れるブラジルウッドという木があるんだが、そっちは無視か。
それにその貝を求めて来たんなら何らかの拠点を設けてるはずだが、前述したようにその
遺跡なり遺構なりが出ているか?でなければ、仮説か共通点の指摘のレベルの話で、それ
にこだわるなら、お前が証明するだけの話だ。

>DNA分析なんて所詮いいかげんな代物じゃないんか?
お前は何がいいたい?DNAの話を持ってきたのはお前であって俺じゃない。
それに俺は「全然関係ない」じゃなく、「あまり意味がない」と言ってるし、
その理由も挙げてあるだろうが。最初に言い出したきっかけを自分で投げるな。

>何度も言うが、調べる前から結論が分るなら、調査なんか必要ないじゃねぇか。

お前、なんで俺がこれだけお前の戯言潰せるか分かってるのか?基本を徹底的に
抑えてるからだよ。
それだけ今までの各文明の遺跡調査結、文明の性格、歴史、関連するもの、トンデモ
も含めて、みんな、それぞれもっと沢山の史学者や考古学者がとっくにもっと調べて
るし、色んな成果を出してるからだよ。その中にお前の主張を補強するようなもんは
ないだけだ。
こっちはネットもない時代から自分でアンテナ張ってそれを調べてチェックして本読ん
で、疑うべきは疑ってと、時間と手間をかけて、理解するための努力をしてるんだよ。
はっきり言えば、未だに全集自慢とか70年代の論文しか出せないお前と蓄積が違うの。

120 :みゃお♪ ◆vHMONGpYyo :2010/11/13(土) 12:17:48 0.net
ありゃりゃ、「楚にドラビダ人が船で来た」とか言ってた人
ここに来てたんだ。。。
                / 待  |
_               | っ  |
.:.:.:.\            | て  |
.:.:.:.:.:.:.ヽ      , .:´.:.:..| い  |
.:.:.:.:.朴ト!     / .i、:.:.ィ.| ろ /
:.:.,:,、| } _    |ィlノ'i^'´iレL./
:/レ/ いヽ    |、 r‐.、 /.:.',
┴、.   ヽY|`.ー尖h〒彳>、:.',
  ィ\.   `\:.:.:.:.:.:^水_〃.i.\!
.//   ヽ    `ヽ:.|.:.ヽ「.:.:.:|.:.:.:.ヽ

真面目に答えを書くには、2週間ぐらい調べものする必要があるから
わたしゃ数日間ガン無視して、チャット状態を回避したんよね。
こんな喧嘩みたいなんじゃ、不満たまって嵐スパイラルになるよ。

121 :世界@名無史さん:2010/11/13(土) 14:17:58 0.net
>>120
別に調べなくても、とっくの昔に一通り調べた話と知識だし、折角全集まで読んで
るのにそれを無駄にしてるから、突っ込みたくなるんだけどね。
けど、確かにちょっとイラついてるな。少し頭冷やすとするよ。

122 :世界@名無史さん:2010/11/13(土) 15:51:06 0.net
>>120
http://www.mekong.ne.jp/column/eguchi/eguchi10.html
そいつはメコン仙人とかいう人。


123 :世界@名無史さん:2010/11/13(土) 16:05:56 0.net
>>119
説明めんどくせぇから、ブログでも読んでろ。
http://blog.livedoor.jp/osouji60/archives/2006-10.html
2006年10月28日の記事。

なんだよ。蓄積の違いとやらを明確に見せてみろよ、バカ野郎。
見せてから言えや。

まず川崎真治はどうなんだい。蓄積とやらで意見しろや。
どうせつまんねぇ説教か?


124 :世界@名無史さん:2010/11/13(土) 18:36:28 0.net
>>123
そのブログ、とっくに読んだ。具体性が全然ないから、聞いてるんだけど?
川崎真治が日本で甲骨文字を発見したなんて話、この流れに全然関係ない。
中南米と日本じゃ全然違う話で、中南米に甲骨文字の伝播の可能性がないことを
出しただけで十分。日本の話にするのは単なる話のすり替え。詭弁の「関係
ありそうで実は関係ないを持ち出す」の典型例だな。

そこまで付き合ったら際限なく話をずらされてくだけだ。

「DNA分析なんて所詮いいかげんな代物じゃないんか?」

と言った段階で、最初にお前さん自身で持ち出したインド東部と呉城文化の話を
自分で否定したから、それで終わっちゃったの。

結局、お前さんの言ってるのは誰々が書いているってだけで、何も具体的な例、
その著書の論理的な内容解説すら出なかったから、後はこっちが状況を聞くしか
ないだけだったんだがな。>>118->>119の疑問に具体的に答える努力くらいして
くれ。

ただ、まあ、それやったら、完全スレ違いだから、どうしても主張したいなら、
スレ立ててくれや。よく分かったのは、お前さんは学問的思考法の訓練をして
ないことだけだ。お前さんの主張することに理があるかどうかの判断は、他の
住人に任せるわ。

125 :世界@名無史さん:2010/11/13(土) 19:21:33 0.net
ああ、あと追加。こないだパオが消えた翌日に、パオが追及に必死に対応してた
時間に何故か一切現れなかったパオ擁護をする連中(?)が、アンチパオの人間に
中傷散々やり始めて、そのズレ指摘したらピタッと止まって消えていったが、そ
ういう連中の判断は勘弁な(笑)

126 :世界@名無史さん:2010/11/13(土) 23:50:22 0.net
>>124
どうでもいいから、蓄積を披瀝してみろよ。
グダグダ言わずによ。
オレの批判なんかいいから、なんだよ蓄積バカが。
やれよ。聞いてやるからよ。バカが。


127 :このAA気に入った:2010/11/14(日) 00:05:08 0.net
                / 待  |
_               | っ  |
.:.:.:.\            | て  |
.:.:.:.:.:.:.ヽ      , .:´.:.:..| い  |
.:.:.:.:.朴ト!     / .i、:.:.ィ.| ろ /
:.:.,:,、| } _    |ィlノ'i^'´iレL./
:/レ/ いヽ    |、 r‐.、 /.:.',
┴、.   ヽY|`.ー尖h〒彳>、:.',
  ィ\.   `\:.:.:.:.:.:^水_〃.i.\!
.//   ヽ    `ヽ:.|.:.ヽ「.:.:.:|.:.:.:.ヽ

128 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 00:23:42 0.net
>>124
お前さんの戯言全部、根拠もって潰しただろ?
お前さんがもう罵って煽ることしかできなくなってること自体が、披露し
た結果じゃん。ってかお前さんの主張に一貫性も何にもなかったんだが。
俺をやり込めることばかりに夢中になって自分の主張までひっくり返し
ちゃった奴が、どうやってこれ以上俺から何か引き出すんだ?w

お前さんが主流でもなんでもない一部の本を鵜呑みにして疑いもしない、
学問的な懐疑精神が欠けてるのを叱り付けてるのも、その辺の経験と蓄
積の差だよ。十分身を持って体験させてあげただろ?

断っておくが、蓄積と言っても、俺とお前さんの差であって、お前さん
の相手をしなかった人間たちは俺より遥かにその辺分かってる人間がい
ることも確か。俺は所詮アマチュアだし、他の地域や時代にもあちこち
趣味持ってるからな。俺相手でそんなにムキになっちゃここで偉そうに
語れないぞ。

俺の言うことにまともに受け答えもせずに、煽ることしかできなくなっ
た以上、ここでのお前さんの知識自慢はおしまい。
読書量はまあたいした物だし、その辺もうちょっときちんとした思考法
できるようになるかなってちょっとは期待したんだけどな。

129 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 00:49:40 0.net
ああ、あとお前さんが専門分野で言うこと何もなくなった以上、披瀝し
てみろって言うのは、お前さんが俺に「講義してくれ」って言ってる
のと同じことだぞ?
どこをどうひっくり返して考えても、この状況で俺がお前に講義して
やる義理ないだろ?
俺はマゾ趣味も野郎へのツンデレ趣味もないからなw

今後関心持てばまたお前さんの言うことに突っ込みいれるかもしれんが、
今のところこれ以上お前さんと絡む気はないから、勝手に勝利宣言でも
なんでもやってくれ。

130 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 02:01:40 0.net
なんだ。何も言えねぇじゃんかwww
ただの文句言うだけじゃねぇか。
消えろ。

131 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 11:45:02 0.net
>>129
おい、中央アジアで世界最古といわれる分銅が出土しているというが、
これがインダス文明圏出土例と似てるそうだ。なんで?
蓄積とやらで何か言うてみろや。この野郎。


132 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 12:29:05 0.net
>>131
うるさいなあ・・・しょうがないなあ。一回だけ相手してやるよ。

お前さん出典もどこで出土したかも言わないから、本来相手しようがな
いんだけどな。

インダス文明圏自体が西はアラビア半島、北は中央アジアのタジキスタン
までのメソポタミアやエジプトより遥かに広い文明圏なんだよ。どうせ、
ハラッパーとかモヘンジョ・ダロみたいな西インドだけの文明圏だと勘
違いしてるんだろ?
広い範囲の文明圏と言うことは、相互作用して文明を作っていった文化・
技術も多いということ。インダス文明自体が中央アジアまで及んでるん
だから、当然中央アジアの文化の影響も受けてる可能性あるだろ?

計量史学者にはこの先インダス文明をトルクメニスタンまで広げる人も
いるみたいだけど、それに関しては俺は保留しておく。

どっちにしても中央アジアから出てるのは面白い事実だけどお前さんが
鬼の首とったみたいに大騒ぎするほど常識はずれな話じゃないよ。

ほんとに消えろと言ったり答えろと言ったり首尾一貫しない奴だな。どうせ
検索か何かでさっき見つけて、分からないから聞いてるだけだろ。
もう相手しないからな。今後そういうことふっかけてきても相手してや
らんからな。そもそも完全にスレ違いじゃないか。

ほんと、俺もお人よしだよ。

133 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 15:13:47 0.net
アンタの本は出してないんか。
論文とか。

134 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 17:14:05 0.net
>>133
だから、単なるアマチュアだって言っただろ。こんな程度の知識、論文と
か本なんかのレベルじゃない。

ちょっとインダスの分銅の単位見てみたけど、2進法と10進法の二通りある
らしい。んで、中央アジアの分銅も同じ形式ということだろ?
>>132は考えられる一つの可能性で、インダス文明圏の広がりとインダス式
分銅の一般化がどう繋がってるか分からないから、本当は何も言いようが
ない。
中央アジアとインダスとそれぞれの現在出土している最古の分銅の差が
2千年もあるなら、インダス文明初期に中央アジアルートの何らかの交易
でインダス人が取り入れた可能性もあるし、分銅の単位が合理的なものに
なってるから、偶々それぞれが同じ計量方式に達したのかもしれない。
もしかしたら、また別の場所に同じ形式のもっと古い分銅が埋もれてるかも
しれない。色々な可能性は考えられる。
分銅の研究をした堀晄氏はもっと大胆にインダス文明自体がいわゆる
アーリア人による中央アジア由来だと言ってるみたいだが、大胆な新説には
慎重に当たるべき。

アマチュアであちこち手を出してるから、基本概説書程度しか触れないし、
専門家より遥かに浅いが、それを自覚さえしてれば、幅は広い分、それは
それで見えてくるし、保守的と言われても慎重に考えられる。
いきなり専門書1回読むより同じ概説書10回でも何年でも読んで基本を頭
に入れておいたほうが、よほど専門的な話についていけるし、ペトログラ
フとかバリー・フェルの言ってることを鵜呑みにすれば矛盾が生じておか
しいって分かるもんなんだよ。
バリー・フェルはアメリカで6千年前の古代文字を見つけたから見て欲しいっ
て吉田信啓に言って、実際に見に行ったら近代のアメリカ移民の墓石だった
なんてレベルの人間だぞ。んなの信用しようがないだろ。

俺の言ってることをどう考えるかは、後はお前さん次第。

135 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 18:46:43 0.net
ブログとかは?
是非読みたいよ。

堀さんの名前が出たので。
殷の馬車の車輪に関しては林巳奈夫の東方学報の論文が既にオリエント由来と述べ、
殷の二頭立て車馬は西アジアから草原地帯でスポーク式車輪に改良されたものと
高浜秀さんが指摘(「馬の博物館研究紀要」6号、1993)。
堀さんの近著では殷の馬とのDNA比較する旨を述べている。

実は中央アジアの分銅を取り上げたのは古代における基礎単位の比較に関して述べたかったから。
殷尺と周尺の違いはどうも分らんが、殷尺は身体尺によるかと思っている。

インダスとオリエントの単位に関して共通する旨を小泉袈裟勝(「単位の起源事典」)
が述べている。古代中国では黒キビだが、古代オリエントでは小麦と共通する。

「文明は虹の大河」(麗澤大学出版会、2009)は比較文明研究7号の「メソアメリカと
アジア文明-海の道はあったか?」を載せている。私の説明よりも的確に指摘している
かもしれないから一読を勧めたい。


136 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 20:08:09 0.net
F5アタックか

137 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 20:34:13 0.net
>>135
ブログも今は特にやってない。気が向いたら他の掲示板に書くこともあるが、俺は
匿名でやりたいから、それまでは教えられんし、2ちゃんじゃ文体も変えてるからな。

殷尺は身体尺なんだろうな。たしか、尺の字の字形が手の形から来てると思ったが。
エジプトもそうだが、長さの単位の基本は人間の身体だし。

度量衡はほとんど詳しくないし、戦車のオリエント起源説は昔からあるが、今は
どうなってるか俺も知らない。それを決定するのに必要なのはオリエントから
中国までの経路にある、中間を埋める戦車の遺物だが、それが見つかってるのか
は把握してないしな。見つかってないのなら、まだ諸説紛々じゃないのか?

最後の本は、機会あったら目を通しておくよ。古田史学かメガース女史の影響強そう
なのが気になるがな。今のところ関心が強いのは元代の中国史とオスマン帝国だから、
古代文明にいつ関心が戻るか分からないからなあ。

138 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 22:15:26 0.net
ペトログリフと神代文字
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1289693388/

139 :世界@名無史さん:2010/11/14(日) 23:23:33 0.net
ずいぶん親切な人がいるもんだと感心した

140 :世界@名無史さん:2010/11/15(月) 01:26:45 0.net
>>137
>古田史学かメガース女史の影響
古田史学は無いが、メガース女史の論文が参考文献にあった。


141 :世界@名無史さん:2010/12/08(水) 11:20:16 0.net
中国の学会では夏の実在が定説になっているらしいけど
やっぱりトンデモなんでしょ
曲学阿世

142 :世界@名無史さん:2010/12/08(水) 11:57:47 0.net
李学勤という文献史学の人は、夏は強大な王朝であるとしているが
考古学の李伯謙は、二里頭文化が周に匹敵する王朝であるという見解に否定的。
日本の岡田英弘のほうが独自理論っぽい。

143 :世界@名無史さん:2010/12/08(水) 13:50:19 0.net
二里頭遺跡が夏の遺構だと
何を以って言っているのか?

144 :世界@名無史さん:2010/12/08(水) 18:33:06 0.net
殷墟に匹敵する規模を持ち、
かつ同時代に同規模の遺跡が見当たらないため。

日本の考古学者が邪馬台国を明らかに特殊な遺跡である
纒向遺跡に比定するのと同じ要領。

145 :世界@名無史さん:2010/12/09(木) 00:14:50 0.net
しかし邪馬台国は実在した筈だが、夏が実在した証拠は無いからなぁ。

146 :世界@名無史さん:2010/12/09(木) 23:36:20 0.net
神武東征は架空で神武天皇も実在しなくても
モデルになった人物や出来事はあったと考えるのが自然。
禹は神武天皇みたいなもんだ。祟神天皇が最初の実在の天皇とされており啓に相当すると思われる。
神武天皇も祟神天皇も両方とも「ハツクニシラススメラミコト」つまり始めて国を開いた天皇という意味。
二代目の王である啓も「開く、開ける」という意味で初代王だという意味になる。

禹は元々洪水神で時代が遡るほど非人間性が高くなる。明らかに人間ではない。後世の人間が禹を夏王朝と結びつけて
しまっただけで本来は無関係だったのだろう。ただ夏人の信じていた神の一人だったのだろう。
初代帝王は禹では無く啓であろう。




147 :世界@名無史さん:2010/12/09(木) 23:52:07 0.net
ユーラシア八大文明

1、メソポタミア文明=イラク
2、エジプト文明=エジプト(及び現在のイスラエル・パレスチナのあるカナン地方含む)
3、インダス文明=インド(及びパキスタン)
4、黄河文明=中国北部
5、エーゲ文明=クレタ島・キプロス島(ギリシャ文明の原型)
6、トランスエラム文明=イラン
7、長江文明=中国南部
8、オクサス文明=中央アジア(トルクメニスタン・タジキスタン)
(番外)
9、オルメカ文明=メキシコ
10、縄文文明=日本

上記のトランスエラム文明がインダス文明とメソポタミア文明間を取り持った独自の文明
オクサス文明がインダス文明の北部にあり後にスキタイに発展すると思われる。
1、メソポタミア文明→エジプト文明→エーゲ文明=ギリシャ文明に発展
2、メソポタミア文明→エジプト文明(カナン地方)=古代ユダヤ王国に発展
3、メソポタミア文明→トランスエラム文明→インダス文明
4、メソポタミア文明→トランスエラム文明→オクサス文明→黄河文明
5、メソポタミア文明→トランスエラム文明→インダス文明→長江文明

メソポタミアやインダスから黄河は遠いが、間の中継地点のトランスエラムとオクサスに
大きな文明が存在しているからそこを経由すれば西方の文化が中原までやってくるのも可能。
馬に乗ったらオクサスから簡単に中原まで行ける、かなり平坦な土地だから

148 :世界@名無史さん:2010/12/10(金) 01:19:06 0.net
>>147
>馬に乗ったらオクサスから簡単に中原まで行ける
中原では馬に乗らなかったのに?中原で馬に乗るのは、はるか後の戦国期の武霊王からだよ。

149 :世界@名無史さん:2010/12/10(金) 10:26:28 0.net
杞の現地読み=キとかクィと呼ぶ
啓の現地読み=キとかクィと呼ぶ

向こうは同音異義語が非常に少なく夏の末裔とされる杞と初代帝王啓が同音なのは
たまたまにしては出来すぎている。
既に殷時代の甲骨文字に杞の字が登場している。よく西周から杞国が始まったみたいな
事が言われているが殷の時に西周の杞寄りも前に杞国が存在した。
「杞侯」とか言われて貴族の一人として殷からも尊重されていた。


150 :世界@名無史さん:2010/12/10(金) 10:34:57 0.net
武丁の后の墓から西洋由来と思われる馬が出ているのが気になりますね。
西方の商人から買ったんでしょうかね。
オクサスの北方にはカラスク(西戎)と呼ばれる遊牧民がスポーク型車輪のついたチャリオットを
使用しており、これが殷墟から出土した物と酷似している。
明らかに西方起源でしょうね。

あと夏人(二里頭)は「焼肉文化」で殷人は「肉煮込み文化」という違いもある。
夏人は農耕民、殷人は遊牧民でしょうね。だから西戎ことカラスクと繋がりが深いと。

151 :世界@名無史さん:2010/12/10(金) 16:54:50 0.net
武丁以前の王墓が分かれば甲骨文字の原型も分かるでしょう。
呉城遺跡の文字らしき物も規則性があって文字として使われていた形跡があり。
文字を書いたところに赤墨で塗っていたようだし。何より甲骨文字に類似している。
西方起源か南方起源かそれとも独自か夏王朝から受け継いだのか不明。
二里頭からも一文字づつと思われる刻印符号が出土していてヤッパリ甲骨文字に似ている。
楔形文字やヒエログリフ、インダス文字、線文字A、原エラム文字とは似ていない。

152 :世界@名無史さん:2010/12/11(土) 18:47:54 0.net
まさにそれが待たれるね
「夏」なり「杞」なり「禹」なり「啓」なり「桀」なりに
比定が可能な文字こそが
二里頭を掘って出てくれば
「夏本紀第二」が伝説でなくて史実だったんだと
初めて言えるんじゃなかろうか
でなければ二里頭はただの先殷文化のひとつに過ぎないし
夏の実在も証明されたとは言えません

153 :世界@名無史さん:2010/12/11(土) 19:11:21 0.net
二里頭遺跡からは文字らしきものは出土してるの?

154 :世界@名無史さん:2010/12/12(日) 10:04:57 0.net
>>152
まあ、ここは世界史版だから仕方ないにしても、
考古学の手法を8割方否定するような言い分はどうかと思うけど。

ぜひその論理を宮内庁にも聞かせてあげてほしいものだ。
日本の古墳で埋葬者を特定できる文字資料なんてまず出てないから、
陵墓指定を片っ端から根拠なしにできるんだがw

155 :世界@名無史さん:2010/12/12(日) 10:52:24 0.net
大邑商に杞侯がやってきたという記述が殷時代の甲骨文字にハッキリ書かれている。
だが夏とは書かれていない事からも。夏王朝の末裔とされる杞こそが本来の国の名前だったのかもしれない。
殷の甲骨文字には湯以前の王の名前や夏と言う記述が無くあるのは杞だったり、殷は大邑商の前の大邑とされていたり
禹の名前も出てこない。

禹に関しては西周末期に初めて名が登場するがその時は夏王朝の始祖とはされておらず
洪水神とか旅行神と言う扱いで人間ではなく神と言う扱い。夏王朝とは関係ないように見える。
あと香港かどっかで西周初期の禹について書かれた金石文があるそうだがそこでもやはり夏王朝の始祖とは
書かれていない。ただこれは真贋が分からないので保留しており、禹の記述が初めて登場したのは西周末期と言うのが
定説。上記の遺物が本物であると決まったら禹は西周初期から記述されているという事になる。
>>153
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/17-ka.htm
これの事ですね。

156 :世界@名無史さん:2010/12/12(日) 12:57:45 0.net
大邑商と言うのが自称で殷と言うのはその前の大邑の名前だったはず。
西周初期も大邑商と呼んでたのに西周中期から殷と呼び始め。その後、西周後期に夏王朝
の名前が出てきた。
夏も殷も周が勝手につけた名前。
彼らの自称は杞であり商(商の前は殷で遷都するごとに自称を変えた)であったと考えられる。

春秋時代の杞国は都を20年に一度ぐらいの感覚で遷都を繰り返していた。
楚に滅ぼされたが楚の歴史書(難しい漢字の題名で文字化けする)は始皇帝によって焼き払われたので現存していない。
おそらく杞や宋、越を滅ぼした時の記録も書かれていたはず。
杞の事も楚の歴史書に詳しく書かれていただろう。楚の歴史書は一連の春秋系の歴史書と違い儒教色が薄い書物だから
見つかると歴史を塗り替える事になるだろう。
個人的には楚の歴史書と、秦記(焚書前の完全版)、晋乗、燕春秋(春秋系だが紀元前の倭国や朝鮮半島・満洲の事が判明するだろう)
の四冊が発見されることを願う。
絶対どっかに眠っているはず。特に楚関連は近年になってよく書物が発見されているから期待できる。
蜀王朝の事も分かるかも知れない。

157 :世界@名無史さん:2010/12/12(日) 19:14:50 0.net
炭素測定法で11世紀だといわれる「楚簡」ばかりじゃ期待できんわw

158 :世界@名無史さん:2010/12/13(月) 06:57:35 0.net
あんまり難しい話はわかんないです><

159 :世界@名無史さん:2010/12/16(木) 16:37:06 0.net
晋の文公

160 :世界@名無史さん:2010/12/18(土) 01:22:21 0.net
清華簡の『竹書紀年』に似た「編年体史書」ってのが何なのか、ずっと気になってるんだが。

161 :世界@名無史さん:2010/12/18(土) 17:28:00 0.net
1、春秋系=魯春秋(原本)・斉春秋・燕春秋・宋春秋・周春秋・百国春秋・春秋左氏伝(斉)・春秋公羊伝(韓)・春秋穀梁伝(中山)
(孔子が編纂したとされる魯の春秋を原本にそれぞれの各国が自国の正当性を訴えるために書いた歴史書、解釈が異なるだけで基本は同一)
2、逸周書
3、秦記(始皇帝の即位前に商鞅が秦にとって都合の悪い記述を削除済みで司馬遷はこの不完全な秦記を元に史記を書く)
4、晋乗
5、楚梼杌
6、竹書紀年(魏)
7、趙の歴史書(あるはずだが現在存在自体不明、もしかして編年体史書かも?)


162 :世界@名無史さん:2010/12/18(土) 17:37:18 0.net
これらの書物はいずれも春秋末期から戦国初期にかけて書かれた書物。
司馬遷の時代には不完全な秦記しか無かったが司馬遷の死後に孔子の家の壁から
春秋系統の書物が発見され、更に年月を過ぎてから魏の王の墓から竹書紀年が発見されて
現在に至る。ほとんどの書物は始皇帝の焚書にあって現存しない。ただ春秋戦国時代の
王墓から見つかる可能性は高い。孔子の弟子は春秋系を優先して壁の中に隠した。
おかげで歴史書は儒教フィルターのかかった物に偏ってしまったきらいがある。
楚梼杌なんかはおそらく儒教フィルターがかかっていないから発見が待たれる。
>>160
編年体史書はひょっとしたら散逸した竹書紀年の原本かもしれない。しかし、名称が違うとなると
正体不明の趙の歴史書かも知れませんね。なぜか趙の歴史書のみ名前すら伝わっていないのが不可解です。
あと個人的には燕春秋に倭国や高句麗の前身や半島の事が書かれているんじゃないかと期待している。

163 :世界@名無史さん:2010/12/18(土) 17:48:02 0.net
現存しているのは
春秋系の魯春秋・斉春秋・春秋の解釈書である春秋左氏伝(斉)・春秋公羊伝(韓)・春秋穀梁伝(中山)
と儒教フィルターのかかっていない竹書紀年と不完全な秦記を元にした史記があるだけ。
他は断片的な事が史記に載っているだけで不明。司馬遷も歴史書が焼き払われた事で始皇帝を痛烈に批判しています。
司馬遷の史記に竹書紀年に書かれていた事柄が載っていなかったのはその時点で竹書紀年が
失われていた証拠。
編年体史書の正体がなんなのかはわかりませんが気になりますね。
西周初期の事はまだ分からない事実が多いので今後の解明に期待する。
西周初期に起こった三監の乱とかいろいろ気になるところもありますし。

164 :世界@名無史さん:2010/12/18(土) 19:59:00 0.net
>>160
清華簡 盗掘されたものが骨董屋に出てきたという代物
http://zh.wikipedia.org/zh-cn/%E6%B8%85%E8%8F%AF%E7%B0%A1
http://info.huicong.com/2008/10/24092866956.shtml
http://beijing.qianlong.com/3825/2010/02/01/4202@5482103.htm

>>162
>魏の王の墓から竹書紀年
魏の襄王の墓から出たのは西晋時代
http://www.hudong.com/wiki/%E6%B1%B2%E5%86%A2%E7%AB%B9%E4%B9%A6

165 :世界@名無史さん:2010/12/18(土) 21:46:16 0.net
とりあえず始皇帝と商鞅が全部悪い。要らん事した政で先秦時代が訳分からなくなってしまったじゃないか。
春秋初期に秦の王が夏王の後継者を名乗ったりして秦自体は楚と違って夏・殷・周を軽視せず
重視していただけに惜しい。
秦記にももっと重大な事実が書かれていたはず。二里頭は魏にあったけど秦ともかなり近いし
無関係とも思えない。

166 :世界@名無史さん:2010/12/19(日) 11:53:53 0.net
二里頭の目と鼻の先に杞が存在する。桀が湯に攻められて最初に逃げ込んだのが
竹書紀年で有名な魏の土地。その後更に湯の軍に追い立てられて長江下流の良渚文化が
かつてあった巣(巣湖)まで逃げ込みここで没した。その地は禹が会盟を開いた地にも近く
また夏の末裔とされる越の地とも近い。そして、巣湖には「大昔に湖に沈んだ大都会」と言う伝説もあり
実際に近年巣湖から都市遺跡が発見されている。
ただその大都会は桀が逃げ込んだ時点では既に水没していたとも言われており実情は定かではない。
二里頭のすぐ近くに杞が存在し、桀の逃亡ルートにも夏とゆかりの土地が多い。
・桀が最初に逃げ込んだのが竹書紀年の出土した魏の地であったこと
・桀が最後を迎えた巣は湖に沈んだ大都会の伝説があり良渚文化の地であること
・また桀が最後を迎えた巣は禹が会盟を開いた会稽のすぐ近くである。ここで夏と禹が結びついたと推測される。
・そして、夏の末裔を名乗る越が起こったのもこの地方である

167 :世界@名無史さん:2010/12/19(日) 13:23:39 0.net
東北北海道に置ける義経伝説に似てるな。

168 :世界@名無史さん:2010/12/19(日) 14:14:30 0.net
越人の夏人の末裔説もまんざら根拠が無い訳ではないと。
ただ匈奴が夏人の末裔を自称したのは完全に眉唾。二里頭と匈奴の支配地域は離れすぎだし
どう考えても匈奴はスキタイの末裔

169 :世界@名無史さん:2010/12/19(日) 14:29:36 0.net
吐火羅=大夏、白匈奴=エフタル
五胡十六国の匈奴とはあんまり関係ない。

170 :世界@名無史さん:2010/12/19(日) 16:25:16 0.net
>>166
越(粤)はずっと離散せずに華南に留まり、タイ系の文化を保持し
広東福建浙江の基層になっているし、
トン族やタイランドと近縁なチワン族のほうは、タイ系言語のまま残っている。
わりあい追跡が可能な系統だよ。

171 :世界@名無史さん:2010/12/24(金) 13:36:26 0.net
印鑑遠からず

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