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【三代】夏殷周を語る【理想】

728 :世界@名無史さん:2015/12/10(木) 20:59:43.76 0.net
>>724
つ 国民革命

729 :世界@名無史さん:2015/12/10(木) 21:42:45.49 0.net
                イスラム国のテロ ≒ イソロク国の真珠湾テロ



「1572」番 副島隆彦 2015・12・9

後藤健二の奥さんは外務省JICA(ジャイカ)の幹部職員である。つまり夫婦して情報部員である。
通訳や現地ガイド、戦場タクシー運転手という人間たち自身が、ゲリラ活動家たちである。
カネで傭(やと)って味方だと思った彼らに、捕まって連れてゆかれるのだ。

この9月に、700人の対IS用に、ヨルダンと、サウジアラビアの砂漠の中にあるアメリカ空軍の秘密基地(飛行場)で育てた、イラク人とシリア人の傭兵部隊が、
シリアに投入されたとたんに、武器と資金を持ったままISに寝返る、という事件が起きた。これで、アメリカのネオコン派で反共右翼であるペンタゴンの将軍たちは、
自分たちの作戦(軍事政策。現地人を育てて戦わせる。アメリカ兵が死なないで済む)が大失敗して、大恥を書いて、黙りこくった。

すでに、ISの軍事部門と情報部門の極悪人の幹部たちは、強がりを言ってたが、ロシアの猛攻でもう、自分たちが負けると自覚したようだ。
だから自分たちだけさっさと逃げるのだ。あとのISの兵士たちをほったらかしにして。旧日本軍の幹部たちも同じことをした。


広島司令部の畑俊六司令官。こいつだけ民間地帯の広島駅に逃げてて助かった。日本側も原子爆弾投下を事前に知ってたのは明白だね。
https://twitter.com/SyntaxUGS/status/663013454584881153


「1532」

戦後作られた「海軍善玉論」神話(海軍は、ずっと平和主義者だった。悪いのは陸軍だった、という歴史の捏造。)。
海軍の“海軍反戦トリオ(米内、井上、山本)”は、戦後の創作(でっちあげ、虚構)であり、彼らは始めから敵と内通していた英米派だった。
海軍は、陸軍とは断固協調しないで、日本を始めから戦争に負けるように仕向けたのだ。

米内(光政、よないみつまさ。開戦時もずっと海軍大臣だった。こいつが軍人では最大のアメリカの手先。
極東軍事裁判でも、絞首刑になったのは、東條英機以下6人陸軍ばかりで、あと一人は外交官の広田弘毅=ひろたこうき=だ。
海軍は、ひとりも死刑になっていない。起訴さえされていない。このことのおかしさを、日本国民は、真剣に考えなければいけない。

730 :世界@名無史さん:2015/12/10(木) 23:27:44.70 0.net
>>724
国民政府の北伐忘れてるだろ。

731 :世界@名無史さん:2015/12/10(木) 23:28:39.16 0.net
>>730
>>728

732 :世界@名無史さん:2015/12/11(金) 19:02:16.20 0.net
北朝(曹魏)=中国共産党
南朝(孫呉)=国民党
だとしたら、
鮮卑や烏桓=張学良
象使いとの同盟者孟獲=李宗仁 ぐらいになるのかな?

地政学的には20世紀になっても、三国志時代が通用する不思議さ。

733 :世界@名無史さん:2015/12/11(金) 20:06:27.52 0.net
華南つまり昆明とか大理とか雲南省の連中はなまじ暖かくて作物に困らないから
わざわざ北上して天下取ろうとする奴はあまり生まれそうもない
現状維持で十分なんだろう

734 :世界@名無史さん:2015/12/11(金) 20:42:17.71 0.net
そういうところは、ラサとかミャンマーに攻め込むんだよ()

735 :世界@名無史さん:2015/12/12(土) 09:54:54.32 0.net
温暖な場所でも、交易路を押さえて贅沢品を得たり、より暖かいところへ奴隷を求めたり
それはそれで欲望が寒冷な地とは違う方向にいくだけで、争いは絶えないのだ。

736 :世界@名無史さん:2015/12/13(日) 03:40:07.84 0.net
>>734
>ラサとかミャンマーに攻め込むんだよ

そんなとこあったか
ラサとか攻め込んだのは中共が初めてだろ

737 :世界@名無史さん:2015/12/13(日) 13:30:48.19 0.net
モンゴルとかオイラトとかの勢力がラサに攻め入った例はあるが、
雲南の勢力がラサに攻め入った例はちょっと思いつかない。
雲南は東チベットのカム地方との結びつきは強くて、あのへんは色々あったはず。

738 :世界@名無史さん:2015/12/13(日) 14:32:26.84 0.net
西康の土司が連衡してラサと争った例は
ゴンポ・ナムギャル(bo rog mgon po rnam rgyal, 清朝の記録には波日工布朗結)の乱がある。
雲南だと迪慶の勢力もこの乱に加わっている。

739 :世界@名無史さん:2015/12/14(月) 22:18:49.86 0.net
逆に、吐番が暑い夕クラマカン砂漠の都市国家に侵攻したことはあるな  唐から奪った

740 :世界@名無史さん:2016/01/03(日) 13:53:38.57 0.net
吐番って南のインド側にもちょっかい出したこともあったはず
下山するだけで大変なのにw

741 :世界@名無史さん:2016/01/04(月) 16:58:15.21 0.net
吐蕃は遊牧民が支配層なので、騎牛できたりして機動力があったよ。
唐の長安に来た時も騎牛部隊が記録されている。
カム地方の住民やアムドの純遊牧民は牛を操るよ。
ネパール側のシェルパも牛を操る。

742 :世界@名無史さん:2016/01/04(月) 17:19:32.80 0.net
今夜は僕が  牛よけ吐蕃 ♪

743 :世界@名無史さん:2016/01/04(月) 17:45:21.00 0.net
牛は集団で人を襲ったりする割と凶暴な生き物らしいな

744 :世界@名無史さん:2016/01/04(月) 22:36:24.94 0.net
木曽義仲は倶利伽羅峠の戦いで牛の角に松明をすえつけ、平家軍に突進させた

745 :世界@名無史さん:2016/01/15(金) 01:21:48.81 0.net
http://www.kaogu.cn/cn/xccz/20160113/52739.html
なんか二里頭遺跡で新たな発見があった模様っぽい
宮殿区域でお墓が見つかったそうだが

746 :世界@名無史さん:2016/01/15(金) 02:31:57.30 0.net
朱か赤いな以外に中国は骨が残るのか?

747 :世界@名無史さん:2016/01/15(金) 21:55:52.84 0.net
>>745
未盗掘だといいがな

748 :世界@名無史さん:2016/01/16(土) 00:47:17.46 0.net
人間が思いつくようなことはすでに周代までに書物になっていて、
日本人は唐代にそれと接触したんだろうな
日本人にはもう何も開拓する余地がなかった

749 :世界@名無史さん:2016/01/16(土) 14:11:18.33 0.net
>>745
そろそろスレ名通りにレスの流れを軌道修正したい所だな
明らかに漢より後の話が多すぎるしね
先秦時代が主であるべき

750 :世界@名無史さん:2016/01/16(土) 17:24:21.11 0.net
誰か中国語を訳してくれる人いないかな
gooole翻訳だとどうも変で
一応翡翠とか宝飾品は見つかったそうだけど

751 :世界@名無史さん:2016/01/16(土) 17:30:07.73 0.net
google翻訳だとこう

宮殿エリア貴族の決済システムの探査領域の東側では、
店は厚い朱色の十三陵(2015XM7)があり、その後、
救助発掘を行っ見つけました。 2015XM7大規模は、よく保存。
厚手の辰砂で覆われた墓の終わりには、30以上の作品を含め
、漆器、翡翠、陶器や他の葬祭オブジェクトを含む発掘、
棺を描いている可能性があります。

何と二里頭王朝は漆器が作られていた模様

752 :世界@名無史さん:2016/01/16(土) 18:54:44.12 0.net
>>751
下っ端の役人じゃ無くて王族の墓が見つかるといいね
もちろん未盗掘なのは大前提だが

753 :世界@名無史さん:2016/01/16(土) 19:33:06.56 0.net
でも見つかった副葬品を見ると小役人ではないと思う

巨大な墓とあるし
水銀を使った朱塗りの棺室
副葬の豚と共に埋葬された従者らしき屍
トルコ石の珠と四角系の器、陶器、漆器、そして百枚の
貝?銅の鐘、玉細工

特に貝は割と重要な発掘じゃないかな、洛陽盆地で貝が流通していた
という証拠だし

754 :世界@名無史さん:2016/01/17(日) 19:49:53.38 0.net
昔は貝を貨幣代わりに使用してたと言われていたし、凄い発見かもね

755 :世界@名無史さん:2016/01/30(土) 12:59:35.00 0.net
>>712
高句麗とか沃沮とかは玄菟郡が廃止された後

756 :世界@名無史さん:2016/01/30(土) 22:00:25.25 0.net
<解読して欲しい未解読文字>
1、インダス文字
2、巴蜀文字
3、線文字A
4、オルメカ文字

<完全にすべて解読して欲しい文字>
1、甲骨文字(一部未解読)
2、金石文字(一部未解読)
3、マヤ文字(10%ほどが未解読)


これで人類の歴史の始まりの時期の大半が判明するだろう

757 :世界@名無史さん:2016/01/30(土) 22:15:58.98 0.net
マヤ文字って9割も読めるようになってたのか
ちょっと前は6割程度って話だったけど、随分進歩したんだなあ

758 :世界@名無史さん:2016/01/31(日) 00:07:46.31 0.net
ロンゴロンゴ

759 :世界@名無史さん:2016/02/01(月) 07:35:11.39 0.net
あなたは40代新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?

それともいくつですか?

それともいくつですか?

それともいくつですか?

760 :世界@名無史さん:2016/02/01(月) 08:51:33.88 0.net
甲骨や金石の「一部未解読」って、現行の漢字との類縁が切れてる文字だから、いつまで経っても読めるようにはならないのでは。

761 :世界@名無史さん:2016/02/01(月) 11:06:58.79 0.net
そういうのは今の漢字に置き換えられなくても意味が判ればいいんだよ。
以前聞いた誰かのお気に入りの甲骨文字は
「農耕が始まる前の春先に王が畑で立ちションベンして地に霊力を与える」
の象形だそうだ。

762 :世界@名無史さん:2016/02/01(月) 21:06:02.91 0.net
>>756
にしても西夏文字を完璧に解読した人すげーわ

763 :世界@名無史さん:2016/02/02(火) 17:37:20.38 0.net
二里頭遺跡でも文字みたいに見える文様がいくつか見つかっているそうだけど

764 :世界@名無史さん:2016/02/03(水) 14:48:49.19 0.net
>>763
甲骨文字に似ている
ただ資料が少なすぎて意味不明
今後の発掘調査に期待だな
甲骨文字の前段階はほぼ確実にあっただろうしさ

765 :世界@名無史さん:2016/02/03(水) 14:49:59.68 0.net
>>762
契丹文字の方は確かまだ未解読だったはず
漢字によく似た字なのに分からないとは・・・・

766 :世界@名無史さん:2016/02/03(水) 20:14:47.22 0.net
敦煌莫高窟みたいに、同じ内容で3種類の言語で書かれたものが出てこなけりゃ進展しない

767 :世界@名無史さん:2016/02/06(土) 00:12:14.60 0.net
>>765
突厥文字はほぼ解明されてるんだっけ?

768 :世界@名無史さん:2016/02/06(土) 13:18:00.09 0.net
ところで夏に比類される二里頭文化の支配地域と殷に比類される二里岡文化に
挟まれるように輝衛文化という独自の土器を有する文化圏が同時代にあったそうだが
史記だと輝衛文化は何国になるんだろう
夏の同盟国?

769 :世界@名無史さん:2016/02/06(土) 19:06:47.02 0.net
>>768
史記でも夏の周囲にいろんな豪族の名前出ているしそれらのうちのどれかなんだと思う。
情報がほとんど無い岳石文化もすぐ近くにあるしこれも夏が滅ぶときに殷に付いたか夏に付いたかわからないけど
史記に出て来る有力者達の出身地だろうね。

770 :世界@名無史さん:2016/02/06(土) 19:10:00.99 0.net
輝衛文化って先商文化に滅ぼされてるし
湯王に滅ぼされた九夷あたりなんじゃない?

771 :世界@名無史さん:2016/02/14(日) 19:28:57.03 0.net
史記に出て来る夏に朝貢にやって来る連中は周辺の文化圏からやって来ているんだろうね
彼らの自称は全然わからないままだが当てはめるのも不可能じゃ無いはず

772 :世界@名無史さん:2016/02/16(火) 12:23:17.97 0.net
二里頭文化より先に青銅器文化が栄えていた斉家文化は
もしかして夏の王位継承を認めなかった有扈氏だろうか

773 :世界@名無史さん:2016/02/25(木) 11:07:27.30 0.net
調べてみたらどうも二里頭遺跡では以前から宮殿区域で大量の宝貝が
発掘されていた模様
宝貝は南方の海でしか取れず、当時の二里頭王朝の勢力範囲では
到底とれる訳がないのでなんらかの交易ルートがあったと思われる

774 :世界@名無史さん:2016/02/25(木) 16:55:08.80 0.net
それが東夷でしょ

775 :世界@名無史さん:2016/02/26(金) 15:08:03.50 0.net
>>773
その部分は中共も掘り下げんだろ。

776 :こんなオカルトな説を見つけた。。。:2016/06/14(火) 22:31:18.74 0.net
53 :   :03/03/07 02:51 ID:???
NAME:白根 英夫

(略)

54 :Å番外編・日本原理主義 /白根:03/03/07 02:54 ID:???

(略)

さて、僕は、邪馬台国など封印されている日本の古代史を、これから暴露していくつも
りだが、中国の古代の歴史の概要は、次ぎのようなものであって、日本人は中国人によ
るニセの歴史観から解放されるべきだと思う。


【平和珍軍は精神の軍隊ニダ!】
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1044023059/53-57n

777 :こんなオカルトな説を見つけた。。。:2016/06/14(火) 22:32:15.65 0.net
55 :53 54:03/03/07 02:55 ID:???
古代中国の「夏」王朝は、日本の縄文時代人によって開かれた世界文明のことであって
この世界文明は、古代オリエントからアフリカ大陸・南北アメリカ大陸・オーストラ
リア大陸・そしてヨーロッパを除くユーラシア大陸全体に広がっていたのです。

古代インドのインダス文明や、古代オリエントのシュメール文明は、この日本の縄文人
によって開かれた世界文明を継承した文明です。 このことは古代日本の神代文字で、
いままで解読不能であったインダス文字などが解読できた事実によって明らかなことで
す。

司馬遷(前145頃-前86年頃)という古代中国の歴史家は、前漢の武帝によって、牢獄に
つながれたまま「史記」を書かされましたが、その古代史は、日本の縄文人の世界文明
を「夏」と置き換えていますし、同様に次の「殷」王朝は、インダス文明のことで、
さらに次の「周」王朝とは、シュメール文明のことです。
だから、いくら「夏」「殷」「周」を中国領土内で探しても見つからないのです。(笑

そして「周」の後の「秦」は、アッシリアやバビロニアに滅ぼされた古代イスラエルの
12部族のうちのユダ族が中心になって建国した王朝です。 そして秦の始皇帝もユダヤ
人で、秦始皇帝の側近の方士の徐福もユダヤ人でした。
ここで言うユダヤ人とは、現在のアシュケナージ・ユダヤ人とは異なるセム系民族の
ことで、全部、日本に渡来してきて混血してしまいました。

発掘された秦の始皇帝稜を中国政府が公開しないのは、なんと全てペルシャ仕様の遺物
だけだったからです。 司馬遷は、前漢の武帝によって「史記」を書き終わったあとに
歴史偽造の秘密を漏らさないように殺されてしまいましたが、現代の中国人も、この
偽造史書である「史記」の虚偽が発覚するのを恐れて始皇帝稜を公開できないのです。




【平和珍軍は精神の軍隊ニダ!】
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1044023059/55n

778 :こんなオカルトな説を見つけた。。。:2016/06/14(火) 22:35:29.65 0.net
56 :右や左の名無し様:03/03/07 02:58 ID:???

紀元前の弥生時代の日本に、秦帝国(前221-前206)を動かしたユダ族が大挙して渡来
してきました。 これ以外にも縄文時代末期から弥生時代前期にかけて、縄文人の末裔
であるシュメール・エジプト・インダス文明の担い手であった渡来人(イスラエル・
スキタイ・エジプト・インド、その他、ポリネシアン・アフリカン)が全部、日本に
来ているのでした。 日本の古代遺跡からは、その証拠が豊富に発掘されています。

この当時の「倭国」は、土着の縄文人の豪族の国々(この筆頭が邪馬台国です)と、
渡来人の国々との間で内乱状態だったのでしたが、姻戚関係を結ぶことによって混血化
していき、縄文時代とは異なる金属文明である弥生時代化が進んだのです。 

「魏志倭人伝」での邪馬台国は、現在の北部九州地方・山陰地方から近畿地方の日本海
沿いに展開しており、それと対抗していた「狗奴国」とは、失われたイスラエル10部族
の国であり、南部九州地方・瀬戸内海 四国地方・近畿地方に展開していたのですが、
最終的に倭人の「狗奴国」が平和的な姻戚関係を結ぶことによって大和朝廷を建国した
のです。

朝鮮半島の「馬韓」「辰韓」「弁韓」は、その後に「高句麗」「新羅」「百済」と国名
を変えましたが、この3国は、「倭国」と、それに続く「大和朝廷」によって完全に
コントロールされていたのです。

弥生時代や古墳時代の日本(倭国)は、朝鮮半島の3国を徹底的に任那日本府によっ
てコントロールしており、また原住民の民度向上のためのテコ入れをしていたのです。
朝鮮半島と日本海は、日本(倭国)と大陸との通商ルートであり、同朋民族の渡来経路
だったので、大和朝廷としては、何が何でも統制下に置いておく必要性がありました。




【平和珍軍は精神の軍隊ニダ!】
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1044023059/56n

779 :こんなオカルトな説を見つけた。。。:2016/06/14(火) 22:36:14.24 0.net
57 :右や左の名無し様:03/03/07 02:58 ID:???

飛鳥時代の聖徳太子が、かつての植民地人にすぎない古代中国の末裔「隋」(581年
-619年)に向かって「日の没する処の天子へ書を下す。 つつがなきや」と卑下した
外交文書を送付したのも当たり前のことだったのですが、その後の663年の「白村江の
戦い」で日本が「唐」(618年-907年)に敗北していらい、唐の占領軍が日本に進駐し
てきて、かつての正しい歴史記録文書(日本史と世界史)をすべて焼却してしまい、
神代文字は廃止されて漢字文化一色になってしまったのです。

この「白村江の戦い」での日本の敗北は、日本国内に蔓延した仏教を原因とする日本の
指導部の無能化(平和主義と、客観性を無視した主観性重視の傾向)のためであり、
また神国を自覚しない民に対する神罰と、法華経という至高の仏法を護法しない民に
対する仏罰とも言える現象です。 これによって縄文時代の世界文明の記録も、渡来人
の記録も全て消されてしまったのてすが、これも、よくよく考えてみると、神様の計画
だつたのかもしれません。

しかしながら、ようやく21世紀に至り、全世界の諸学者が「日本はシュメール粘土板
文書に書かれていた楽園の”ティルムン”であり、旧約聖書でいう”東の方・エデンの
園”であり、日本人は神の民だった」と理解しはじめているのです。    (続く)




【平和珍軍は精神の軍隊ニダ!】
http://tmp.2ch.net/test/read.cgi/sisou/1044023059/57n

780 :世界@名無史さん:2016/07/01(金) 10:19:31.84 0.net
 
 
      膨張する集団がコントロールされる。

781 :世界@名無史さん:2016/07/01(金) 10:41:05.58 0.net
他スレで犬戎についてかなり言及されてるなw

782 :世界@名無史さん:2016/07/19(火) 16:45:09.72 0.net
夏は中国の学者が調査して再び埋めてしまって保存している。
日本の学者は手を出せない。
殷の遺跡は地区全体が博物館になっているが日本人の訪問は
非常に少ない。中国人にとっては上野公園みたいになっている。
周は遺跡は少ないが中国人ガイドによると日本の書道家のグループが
文字の研究に来ると言っていた。
中国古代史は日本人が手を出せなくなっている。

783 :世界@名無史さん:2016/07/19(火) 23:45:14.94 0.net
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

784 :世界@名無史さん:2016/07/20(水) 01:41:18.71 0.net
鬼方、ケンイン、犬戎

785 :世界@名無史さん:2016/08/05(金) 16:44:50.03 0.net
夏の初代皇帝の禹は治水に功績があったそうだが、
その黄河の大洪水の跡が見つかったという話が出ている。
越の先祖は夏の皇帝の庶子の説があるが地理的にも不自然。
長江文明の王朝の子孫のほうが地理的には説明がつきやすい。
長江文明の研究がすすむと夏王朝との関係が出てくるかも知れないが・・

786 :世界@名無史さん:2016/08/05(金) 18:17:24.77 0.net
夏と思われる二里頭遺跡からは米も出てるんだぞ
夏は長江文明だよ

787 :世界@名無史さん:2016/08/05(金) 22:10:49.71 0.net
禹(う、紀元前2070年頃)は<支那>古代の伝説的な帝で、<支那最初の王朝である>夏朝の創始者。
・・・帝堯の時代に、禹は治水事業に失敗した父の後を継ぎ、舜に推挙される形で、黄河の治水にあたった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%B9

という話は伝説だと思われてきたが、4,000年前の黄河の大洪水が確認され、
史実説が有力になっているんだと。↓
Scientific Evidence of Flood May Give Credence to Legend of China’s First Dynasty
http://www.nytimes.com/2016/08/05/science/china-great-flood-xia-emperor-yu.html

788 :世界@名無史さん:2016/08/21(日) 18:03:49.44 0.net
>>147
何が縄文文明だよw
ペタペタ土器作ってた原始人が文明なら世界中文明だらけだわ

789 :世界@名無史さん:2016/08/25(木) 10:10:08.29 0.net
黄河は時代によって、泗水、淮河と複雑に変化している。
変化のきっかけは洪水だろうから、それを制御できたはずがない。

790 :世界@名無史さん:2016/08/25(木) 17:32:50.14 0.net
太古の水路の変化が神話化されたのが禹王の神話だと考えれば問題ないな。

791 :世界@名無史さん:2016/09/04(日) 11:34:50.41 0.net
中共の地球化学者による漢人ヒクソス人説を紹介している。

<司馬遷の「夏」の地理的描写は黄河地域ではなくエジプトに酷似。↓>
・・・<Chinese Academy of Science, Guangzhou Institute of Geochemistry> geochemist・・・Sun Weidong
<(孫衛東)>・・・ quoting historian Sima Qian’s description of the topography of the Xia empire -
traditionally regarded as China’s founding dynasty, dating from 2070 to 1600 B.C. “Northwards the stream
is divided and becomes the nine rivers,” wrote Sima Qian in his first century historiography, the Records
of the Grand Historian. “Reunited, it forms the opposing river and flows into the sea.”

エジプトから追い出されたヒクソス人の一部が、青銅器文化をひっさげて、海上から支那にやってきた。
In other words, “the stream” in question wasn’t China’s famed Yellow River, which flows from west to east.“
・・・argues that China’s Bronze Age technology, widely thought by scholars to have first entered the northwest
of the country through the prehistoric Silk Road, actually came by sea. According to him, its bearers were
the Hyksos, the Western Asian people who ruled parts of northern Egypt as foreigners between the 17th
and 16th centuries B.C., until their eventual expulsion.

792 :世界@名無史さん:2016/09/04(日) 11:35:14.54 0.net
ヒクソスの青銅器文化は、「夏」の次の「殷」のそれと酷似。
He notes that the Hyksos possessed at an earlier date almost all the same remarkable technology
- bronze metallurgy, chariots, literacy, domesticated plants and animals - that archaeologists discovered
at the ancient city of Yin, the capital of China’s second dynasty, the Shang, between 1300 and 1046 B.C.
Since the Hyksos are known to have developed ships for war and trade that enabled them to sail the Red
and Mediterranean seas, Sun speculates that a small population escaped their collapsing dynasty using
seafaring technology that eventually brought them and their Bronze Age culture to the coast of China.・・・
http://foreignpolicy.com/2016/09/02/did-chinese-civilization-come-from-ancient-egypt-archeological-debate-at-heart-of-china-national-identity/

https://scholar.google.com/citations?user=44fns5kAAAAJ&hl=en (<>内)

ヒクソスについては、下掲参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%AF%E3%82%BD%E3%82%B9
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E7%AC%AC15%E7%8E%8B%E6%9C%9D

793 :世界@名無史さん:2016/09/04(日) 13:52:07.03 0.net
>>787
世界各地で伝説に何らかの裏づけがあることが証明されているからね

794 :世界@名無史さん:2016/09/05(月) 02:55:44.59 0.net
歴史畑の学者が唱えているならともかく、広州の地球化学研究所研究員の唱えてる無駄に壮大なだけの説を持ち上げられてもな。
トンデモ発掘乙としか。

795 :世界@名無史さん:2016/10/04(火) 03:37:46.35 0.net
夏王朝は実在したよ
その王都が二里頭なのか、龍山なのな
ここがポイントなわけで

796 :世界@名無史さん:2016/10/04(火) 09:29:39.61 0.net
鬼方、土方も実在したのか

797 :世界@名無史さん:2016/10/04(火) 12:37:25.16 0.net
夏王朝が新石器時代
殷王朝から青銅器時代

夏王朝時代に国家権力らしきものが確立したのだろうね
それまでは単なる集落社会
だから夏王朝の前は神話時代になっている

798 :世界@名無史さん:2016/10/04(火) 12:50:51.51 0.net
イケメンだったエジプト人は、シナにきたらブサイクになっちゃったのかw

799 :世界@名無史さん:2016/10/04(火) 13:43:26.46 0.net
さすがに漢チベット語族を中東に起源を求めるのは無理すぎるだろう
ヒクソス語から発展したと考えるには娘言語が広範囲に多数ありすぎる
孫氏はどう考えてるんだろう

800 :世界@名無史さん:2016/10/04(火) 16:35:54.03 0.net
【中公新書】
周―理想化された古代王朝
佐藤信弥 著
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2016/09/102396.html

801 :世界@名無史さん:2016/10/12(水) 01:39:50.00 0.net
>>800
本日これと、同じ中公新書の殷を買ってきました
当方は白川先生のファンですが

802 :世界@名無史さん:2016/10/12(水) 10:37:54.94 0.net
>>795
邪馬台国も実在したよ
その王都が畿内なのか、九州なのか
ここがポイントなわけで

803 :世界@名無史さん:2016/10/16(日) 18:20:26.88 0.net
そろそろ夏殷周ってのやめて夏商週に変えようぜ

804 :世界@名無史さん:2016/10/16(日) 18:21:10.56 0.net
夏商周だなスマン

805 :世界@名無史さん:2016/10/17(月) 14:24:52.22 0.net
確かに、英語文献でもYinよりShangと表記してあることが多いな

806 :世界@名無史さん:2016/10/17(月) 15:32:21.94 0.net
今日から商って呼ぶわ

807 :世界@名無史さん:2016/10/17(月) 21:40:12.32 0.net
https://en.wiktionary.org/wiki/%E5%95%86#Pronunciation
Old Chinese▼
(Baxter-Sagart): /*s-taŋ/
(Zhengzhang): /*hljaŋ/

スタンだったのかフリャンだったのか

808 :世界@名無史さん:2016/10/17(月) 22:23:08.59 0.net
殷墟は今では商墟なわけ?

809 :世界@名無史さん:2016/10/17(月) 22:29:37.89 0.net
殷墟ってのは商滅亡後の周側からの呼称なので、殷墟のままで問題ないような。

810 :世界@名無史さん:2016/10/17(月) 22:32:30.04 0.net
ところが漢籍を読むと圧倒的に「殷」のほうが多いのだ

811 :世界@名無史さん:2016/10/17(月) 22:49:56.86 0.net
商の後期を殷と呼ぶ使い分けしている人も多いよね

812 :世界@名無史さん:2016/10/18(火) 00:14:11.75 0.net
>>811
なんで二種の呼び方があるんでしょうか

813 :世界@名無史さん:2016/10/18(火) 00:16:21.82 0.net
>>812
自称と他称

814 :世界@名無史さん:2016/10/18(火) 02:11:57.05 0.net
中国が呼称を商の方に切り替えた経緯を知らない人もいるのかな?

商と殷の二通りの呼称がある事については早い時期に理由が忘れられてしまい、
たぶん史記が殷を採用したことで殷と呼ぶことが定着していた。
ところが、殷墟で発見された甲骨文を解読していったところ、
商のみが使われていたため、正式な国号は商であると分かった。
殷については周側からの他称とみられてるが、都市名説を取る人もいたはず。

で、中国は考古学的成果を反映して商に切り替えたのに対し、
日本は保守的に伝統的な呼称の殷を使っているという次第。

815 :世界@名無史さん:2016/10/18(火) 02:20:43.56 0.net
インシュウシンカンサンゴクシン♪がショウシュウシンカンサンゴクシン♪に変わったら唄いにくいだろ!!

816 :世界@名無史さん:2016/10/18(火) 02:27:58.09 0.net
漢文の文書にはたいがい殷と書かれてる
商と書かれてる文は見かけない

817 :世界@名無史さん:2016/10/18(火) 03:31:35.60 0.net
最近変わったんだから殷が多いのは当たり前

818 :世界@名無史さん:2016/10/18(火) 09:51:44.16 0.net
消臭震撼三獄死ん

819 :世界@名無史さん:2016/10/18(火) 09:53:49.26 0.net
>>815,818
夏は?

820 :世界@名無史さん:2017/04/12(水) 15:20:17.69 0.net
夏殷周も大事だが
長江文明&遼河文明もお忘れなく

821 :世界@名無史さん:2017/04/12(水) 16:25:05.67 0.net
装飾音符のように、カショウシュウ〜で歌える

822 :世界@名無史さん:2017/07/12(水) 19:05:24.46 ID:l3x0lAAvJ
巴蜀にもあったろ。独自の文明が。
一説には商に滅ぼされた夏王朝の影響が残ってるとか言うけど。

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