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大航海時代
- 1 :世界@名無史さん:2010/11/24(水) 19:41:57 0.net
- 大航海時代でほぼ世界一周を終え、アフリカのクロンボ
アメリカ大陸やオーストラリアにいた未開土人
トルコや中国、日本らの半未開国を見て、ヨーロッパ白人が
最も優れていて世界を征服できると素直に思っただろうな。
- 737 :世界@名無史さん:2011/12/04(日) 16:00:43.99 0.net
- 弁財船より前って、保存船の現物が見られないよなw
- 738 :世界@名無史さん:2011/12/04(日) 19:28:22.02 O.net
- >>737
瀬戸内のどっかの自治体が安宅船を作って、大河ドラマにも出したけど、維持費が大変で数年で解体したそうな。
- 739 :世界@名無史さん:2011/12/04(日) 20:25:08.79 0.net
- >>732
長崎の船大工は技術を習得していて、唐船を修繕したり時には新造し、
清国商人が購入して帰ることもあった。
隔壁がなぜ和船に取り入れられなかったのかは不明。
ただ、ジャンクの隔壁は水密目的よりも、船体の構造材としての
役割が重視されているという説もある。(隔壁の一部が切り取られ
ビルジの通り道となっているとか。。。)
- 740 :世界@名無史さん:2011/12/04(日) 23:30:53.80 0.net
- 北東航路は綿密な計画であっさり成功したのに比べて、北西航路の酷いこと。
- 741 :世界@名無史さん:2011/12/04(日) 23:32:34.78 0.net
- 現在でもそうだが基本的に国内需要で経済が十分に成り立ち、近距離貿易で旨みもあったから、船強度より積載量を採ったのかな?
- 742 :世界@名無史さん:2011/12/05(月) 19:38:16.91 0.net
- そういう風習だった
コピー船は作ってもそれをオリジナル和船に生かそうとすると親方に許されなかった
- 743 :世界@名無史さん:2011/12/05(月) 23:02:30.36 0.net
- 航海術・造船技術の発展とか、航海法の歴史
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1323000695/l50
- 744 :世界@名無史さん:2011/12/23(金) 17:40:01.29 0.net
- 江戸時代の和船というと先鞭一律で変化が乏しいイメージもあるが
中国の船体構造や西洋船の補助帆を取り入れた実験船「三国丸」が
1786年に作られたことがあった。
フランスのラ・ペルーズ探検隊が1787年に日本海で遭遇した和船を
スケッチしているが、この絵を見ると通常の和船とはかなり異なる
洋式の帆装をしており、三国丸ではないかといわれている。
http://www.mizu.gr.jp/fudoki/people/010_adachi.html
- 745 :世界@名無史さん:2011/12/23(金) 17:55:45.72 0.net
- >>696
日本は普通に豊かだよ
豊富な水資源・栄養豊富な土壌
本当に豊かな国だよ
農業に適している
- 746 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 09:52:37.43 0.net
- それは、北陸と東京を比べたら、前者の方が豊かだ、という答えと同じだな。
そういう答えも否定はしないけど、このスレのやり取りとしては、単に話をはぐらかしているだけ。
- 747 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 16:54:51.31 0.net
- だからそれは交易品の話だろ
銀や銅、茶とか絹織物とか
- 748 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 20:13:50.17 0.net
- 交易品というより、冨だろ。
GDPを当時の諸国と比較した場合、日本は到底多いとは言えない。
- 749 :世界@名無史さん:2011/12/24(土) 20:54:17.51 0.net
- まあ需要と市場規模の問題もあるよな。
欧州は希少価値の交易品持って帰れば、自国以外の欧州諸国にも売りさばけるから多大な儲けを得られるけど、
日本の場合は国内市場のみ。投機額と見込める収益とリスクを天秤に掛けたら利益が少ないかも。
- 750 :世界@名無史さん:2011/12/25(日) 17:07:17.22 0.net
- 質問で、インド洋で活躍していたバニア商人というのは、
インド人商人のことなんでしょうか?
ぐぐってもよく分からなくて。
- 751 :世界@名無史さん:2011/12/25(日) 21:07:05.44 0.net
- >>749
納得が行った。
- 752 :世界@名無史さん:2011/12/26(月) 06:28:19.18 0.net
-
ワイ日本の人間が聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしいで
もう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうやまず無理
その世界では有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報やで(こっそりとな)
まあお前らほど頭のきれる連中には、今さらなくらいのネタやな、
お前らからすればもうすでに常識的なくらいの知識やろ?
2ちゃんねるやってるやつならすでにこの情報で大儲けしてるしな
- 753 :世界@名無史さん:2011/12/26(月) 16:05:39.43 0.net
- >>745
日本は水資源豊富とか無知披露はやめましょうね
- 754 :世界@名無史さん:2011/12/26(月) 23:57:26.41 0.net
- >>750
バニアBaniaというのはインドの商業カーストのひとつなので
バニア商人はインド商人の一種ということでいいと思います。
かのマハトマ・ガンジーの出身カーストもバニアだそうです。
- 755 :750:2011/12/27(火) 00:00:46.91 0.net
- レスありがとうございます。
そのバニアというカーストは、特に商人として有名な理由が何かあったのでしょうか?
また、バニアについての説明がある、サイトか本があったら教えてください。
- 756 :世界@名無史さん:2011/12/28(水) 23:20:39.88 0.net
- 65 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/12/15(木) 00:03:03.90 0
じゃあガレオン船に使われている木材は?
66 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/12/17(土) 12:16:37.10 0
ぐぐると、大抵フィリピンの木材とだけ書いてあるね。
67 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/12/20(火) 20:21:27.90 0
そいつはいわゆるマニラガレオンだからフィリピンの木材使っていただけなんじゃ・・・
68 名前:世界@名無史さん 投稿日:2011/12/20(火) 23:07:35.04 0
じゃあ、一番一般的なガレオン船は何を使ってたの?
- 757 :水 ◆TCygujgOWY :2011/12/29(木) 11:19:43.56 0.net
- >>756
質問に答えて欲しいのか?
一般的なガレオン船にはオークとか松を使ってたよ。
竜骨にはオークを使用して船体やデッキには松とかだな。
- 758 :世界@名無史さん:2011/12/29(木) 11:22:01.64 0.net
- 松って、やっぱり松脂のお陰で耐腐食性があるのがいいのかな?
- 759 :世界@名無史さん:2011/12/29(木) 11:30:29.74 0.net
- マニラガレオンってのがあるのか?
- 760 :世界@名無史さん:2011/12/29(木) 11:32:03.34 0.net
- 松の他にハードウッドという種類の木材が好まれたんだと。
樫・楢・ケヤキとか。
腐りにくいから使われていたようだ。
- 761 :水 ◆TCygujgOWY :2011/12/29(木) 11:41:38.99 0.net
- >>759
護送船団のことで、マニラガレオンって種類のガレオン船ではないと思う。
- 762 :世界@名無史さん:2011/12/29(木) 12:11:59.79 0.net
- >>760
そういう大航海時代の船の材質について書いてある本かサイトって、何かないでしょうか?
- 763 :世界@名無史さん:2011/12/29(木) 12:29:03.74 0.net
- なお、樫・楢など(ブナ科コナラ属)の総称がオーク
- 764 :世界@名無史さん:2011/12/29(木) 12:32:02.28 0.net
- 船の材質を決める要因って、耐腐食性、堅さ、加工しやすさ、価格、ぐらい?
重量って関係するんだろうか?
- 765 :世界@名無史さん:2011/12/29(木) 15:45:43.40 0.net
- >>759
マニラ⇔アカプルコ間商品をガレオン使って貿易してたからそう言われる
だから「アカプルコ・ガレオン」と呼ぶ人もいる
- 766 :世界@名無史さん:2011/12/31(土) 14:32:12.63 0.net
- フィリピンって、いろいろ造船に適した材料があったんだっけ?
だから、各国の船が集まったって何かで読んだ気が
- 767 : 【28.2m】 忍法帖【Lv=6,xxxP】 【東電 67.1 %】 水 ◆TCygujgOWY :2012/01/04(水) 17:19:18.94 0 ?2BP(7777).net
- >>766
フィリピンだとマホガニーがあるね。
ラワン材も船に使えるようだけどガレオン船に使われたかは知らね。
- 768 :世界@名無史さん:2012/01/07(土) 00:42:47.15 0.net
- >>764
入手難易度
難しい素材で船作るとあっちこっちの港で修理できない
- 769 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/01/07(土) 03:04:03.94 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
- 所々違った木材で補修されたりしたらなんか嫌だなw
- 770 :世界@名無史さん:2012/01/07(土) 17:44:52.29 0.net
- テセウスの船・・・
- 771 :世界@名無史さん:2012/01/08(日) 20:56:27.84 0.net
- 英国帆船で使用された木材のうち主なもの
カシ・ナラ
→肋材、甲板材、船首・船尾材、外板、木釘他
モミ
→円材(マスト・ヤード他)、甲板材、喫水線下の外板
ニレ
→竜骨・竜骨周りの外板、砲架、滑車
- 772 :世界@名無史さん:2012/01/08(日) 21:08:58.61 0.net
- この他にもマツやブナ、リグナムバイタ、チーク等が挙げられるが
英国はカシ・ナラ(所謂オーク)に重きを置いていた。
時代は前後するが、ヴェネツィアやジェノヴァでも同様である。
ポルトガルは大航海時代当初より木材調達に苦しみ、植民地での
船舶建造へと進んだ。ゴアではインド産チークを、ブラジル東部の
バイア州では現地産の硬木を、船材として使用した。
- 773 :世界@名無史さん:2012/01/10(火) 01:06:39.79 0.net
- 木造帆船て今本気で作ったらどれくらいのサイズまでいけるのかな
- 774 :世界@名無史さん:2012/01/10(火) 02:33:29.34 0.net
- 予算に糸目をつけないのであれば物理的に木材が耐えられるサイズ
どっかで数値を見た記憶があるが忘れてしまった
あと中国が主張する鄭和宝船のサイズはこの限界超えているので捏造確定
- 775 :世界@名無史さん:2012/01/10(火) 10:20:50.13 0.net
- 櫓の大きさから逆算しているだけなので
ガビン・メンジースなどがメートル法に換算して100mを超えると言っているだけ。
- 776 :世界@名無史さん:2012/01/11(水) 00:08:12.95 0.net
- 一応帆もあるけど外輪船の木造船Adriatic(Collins Line・1857年)
は全長108m、幅15m、3670総トンだそうです。参考までに
- 777 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/01/11(水) 04:45:38.45 0.net
- ノアの方舟なんかも限界超えてるのかな?
全長130メートルだったか?
- 778 :世界@名無史さん:2012/01/15(日) 10:57:21.70 0.net
- バビロンの神官ベロッソスが「バビロニア史」に記した大洪水伝説では
いにしえのバビロニア王クシストロスが洪水を乗り切るため方舟を作ったことになっている。
何しろ王様が作った方舟であるから、聖書のノアがDIYで作った方舟よりもはるかに巨大であり、
そのサイズは全長900m×全幅が360m(5スタディア×2スタディア)に及んだという。
- 779 :世界@名無史さん:2012/01/16(月) 20:32:52.42 0.net
- 木造船は長くなると船首尾が垂れさがり、板の継ぎ目から水が入る。
西洋では経験から竜骨長の限界を約60mとしており、それ以上の
長い船を造れるようになったのは斜め肋材が考案された19世紀初め
であった。
- 780 :世界@名無史さん:2012/01/16(月) 20:43:51.91 0.net
- 鄭和の船隊の主力は「宝船」と呼ばれ、明史によると長さ約140m、
幅約58m、9本マストの巨大船になる。
1957年、南京の北西にある明代の造船所「宝船廠」跡から、長さ
11mの一本の舵軸が発見された。これを基に中国の学者が現代の
河船と舵軸の比率から、全長154〜170mの船を推定し、宝船の
記録は正しいと論じた。英国の科学史家ニーダムがこれを認めたので
中国の学者は勢いづいた。だが中国の学者の中にも、海船型の舵棹と
考え、長さは約50m程度と考える者もいる。
中国の造船技術が高い水準にあったのは間違いないが、その後の中国
の造船に150mを超える船の遺産はなく、木造船の最高峰に達した
19世紀のヨーロッパにも、このような超巨大船は無い。
- 781 :世界@名無史さん:2012/01/16(月) 20:48:50.97 0.net
- 明の船は戎克(ジャンク)だから 竜骨のある西洋船や弁材船とは構造がちがうよ
- 782 :世界@名無史さん:2012/01/16(月) 21:14:22.53 0.net
- ジャンクにも竜骨に相当する縦通材はあるよ。
- 783 :世界@名無史さん:2012/01/16(月) 21:42:04.77 0.net
- 中国の船はJunkだから
- 784 :世界@名無史さん:2012/01/17(火) 19:10:28.59 0.net
- そもそも中国船=ジャンクというのがおかしいことだけどな
- 785 :世界@名無史さん:2012/01/17(火) 21:41:33.90 0.net
- 中国の船員の食べ物がジャンクフードと呼ばれ広く普及した
- 786 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/02/22(水) 10:52:56.85 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
- そういえばコルテスがテノチティトランを攻略したときに
ベルガンティンを何隻か先住民に作らせてるけど造船の指導とかしたのって
兵隊なんだよな。
どの本でも簡単にしか触れられてないけど作業とかってそんなに簡単だったのかね?
通訳とかするのも大変だったろうな。
- 787 :世界@名無史さん:2012/03/04(日) 22:43:52.26 0.net
- なんかインカの主食がイモでトウモロコシは酒用みたいなレスをどっかで見たが
酒用とかありえねーから
酒は余剰で作るもんだから。どっちも食ってたが正解。
- 788 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/05(月) 15:19:41.63 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
- インカはトウモロコシで酒作ってたのか。
- 789 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/05(月) 15:26:13.08 0.net
- >>788
チチャのことだね。インカ帝国において皇帝の支配の正統性を高めるためにも重要だったらしい。
- 790 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/05(月) 16:20:35.79 0.net
- >>789
ありがとう、チチャって噂のあれかw
- 791 :世界@名無史さん:2012/03/06(火) 17:03:53.08 0.net
- マチュピチュの棚田で作られていたトウモロコシは儀式等で使う酒造用だったけどな
- 792 :世界@名無史さん:2012/04/07(土) 19:00:52.14 0.net
- ああそうだな
- 793 :世界@名無史さん:2012/05/13(日) 03:04:53.79 0.net
- 保守
- 794 :世界@名無史さん:2012/05/13(日) 07:01:14.30 0.net
- 現代の蒸留酒にもトウモロコシをブレンドしてしているものもあるな。
- 795 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/05/13(日) 13:16:53.17 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
- リキュールとかトウモロコシ原料のがあるよね。
- 796 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/05/13(日) 15:06:08.48 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
- >>50
>・モンテスマ王は最高位の神官であり同時に最高の技術を持った占星術師でもあった。
今更つっこんで悪いがモクテスマ・ショコヨツィンってのは神官だか占い師に不吉な
予兆について聞いてたいした回答もらえなかったから処刑してたしテスココとかにも
質問投げてたよね。
最高位の神官だったってのも違う。王はその上だし最高位の神官はテンプロ・マヨール
にいた2人だよ。
モクテスマは王につく前は軍人だな。武器庫の長官(アステカでは最高ランクの軍人)だった。
悲しき夜でモクテスマが殺された時なんかはモクテスマは民衆を抑えられなかったし
「神の意志」ほどの影響力は無かったと思う。
- 797 :世界@名無史さん:2012/05/13(日) 18:59:00.15 O.net
-
近代資本主義や偽善的市民革命の前提が、航海時代だからな!?
- 798 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/05/20(日) 22:18:41.86 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
- >>48
またつっこんでしまって悪いがインカもアステカも内乱期じゃなかったぞ。
インカの場合はワスカルとっ捕まえてすでに内乱終わってたし
アステカはコルテスがきっかけで内乱というか有力都市がテノチティトランに
反旗を翻した。
- 799 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/05/20(日) 22:30:59.35 0.net
- >>798
確かに、インカ帝国の場合は内乱期というより内乱直後と言ったほうが無難かな。
ワスカルを捕らえたすぐ後にフランシスコ・ピサロと戦うことになった訳だからね。
アステカの場合は、そのエルナン・コルテスがきっかけになって有力都市が反旗を翻したのを、
内乱と言ってしまったんだけど、これはコルテスが引き起こしたものだから、確かに、
内乱期にあったという言い方はおかしいね。まぁ、その前から対立の火種はあったのかも知れないけど。
とは言え、両国ともこのような内乱で国力を消費してしまったことが征服された一因ではあると思う。
- 800 :世界@名無史さん:2012/05/22(火) 03:02:37.32 0.net
- インカアステカでは行政上の命令ってどうやって伝えたの?口伝え?
文字がないと内容を一定に保てなくね?
- 801 :世界@名無史さん:2012/05/22(火) 03:21:35.91 0.net
- アステカは文字ありでしょ。
インカは徴税についてはキープ(紐結び目)で伝達してたんじゃなかったかな。
- 802 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/05/22(火) 09:40:37.25 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
- >>800-801
アステカは普通に文書と口頭での命令だね。パピルスみたいな紙とかもあった。
コデックスで各都市の貢納のリストとかが残ってる。
インカはインカ文字とインカ語があったんだけどインカ人はそれを捨ててキープと
ケチュア語に換えたんだよな。
キープは色とか変えたりして数字以外の複雑な内容も記録していたようだが
イースター島のように植民地時代にキープの技術者が全滅して伝承されなかったから
詳しい内容がわからなくなってしまった。
- 803 :世界@名無史さん:2012/05/22(火) 20:04:02.17 0.net
- インカ文字ってどんなの?
社会的に普及してたの?
- 804 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/05/23(水) 01:13:38.93 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
- >>803
俺も見たことがないが文字があったらしい。
ただインカ語を捨てたときに文字も捨てたので、たいしたものが残っていないとの事。
- 805 :世界@名無史さん:2012/05/27(日) 02:32:58.58 0.net
- インカ文字???
kwsk
- 806 :世界@名無史さん:2012/05/28(月) 00:34:53.85 0.net
- インカじゃなくてカラササヤに象形文字があるんじゃないかというところから誤って伝わったんじゃねぃ
ググったら変なねーちゃんの書き込みがひっかかったが司教像が持つ本云云のタネ本は多分俺の手元にあるやつと同じだと思う
- 807 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/05/28(月) 00:48:17.64 0.net
- 詳しくは知らないんだがなんかケチュア語を取り入れるときに文字と共に言語も
捨てたとかなんとかって読んだ記憶があるんだよな。
ただインカ語ってのも植民地時代までは残ってたが文字は無いとか新大陸自然文化史に書いてあった。
- 808 :山田廼案山子 ◆kMBuLEbO42 :2012/05/28(月) 01:00:58.81 0.net
- 嘘が前提でないと会話ができないコテに付きまとわれるのは迷惑だし
日本中世史を除く全てのテーマは俺にとって片手間の興味にすぎない
専門外の浅い知見だが「インカ文字」について一行だけかかれた本は何冊もみかけたが
「インカ文字」に一つの章をさいて言及した書物なんぞみたことがない
だから俺は「インカ文字」の実在については誤って伝わったと思っている
専門家の御高説を詳しく賜りたいね
おっと俺のコテはNGワードに指定したと以前宣言されているからコノコテに俺のレスは読めんのか
マコトニザンネン(苦笑
- 809 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/05/28(月) 02:55:54.55 0.net
- これがクスコ近郊のパウカルタンボ渓谷から出た文字だね。
http://www.nacos.com/information/character/charset/112.php
よく憶えていなくて悪いんだがこれとインカ文字?の因果関係とかも知らんけど
インカ人がケチュア語を取り入れる時インカ語と文字を捨てたとか読んだ記憶があるんだ。
まあトンデモ本かも知れないけどさ。
>>808
何書いてるか分からんけど黄金のコディセ見つかるといいな。
何が書いてあるのか気になるよ。
- 810 :世界@名無史さん:2012/06/14(木) 17:32:50.45 0.net
- この時代の交易の実態、東インド会社及びプランテーション経営などについて知りたいのですが、
何か良い書籍、webページはないでしょうか?
- 811 :世界@名無史さん:2012/06/14(木) 20:45:16.48 0.net
- 大航海時代にプランテーションってあったっけ?
- 812 :世界@名無史さん:2012/06/14(木) 22:44:00.43 O.net
- 興亡の世界史シリーズの「東インド会社とアジアの海」がおすすめ
- 813 :世界@名無史さん:2012/06/15(金) 20:01:06.39 0.net
- >>811
すいません、知識がないもので
大航海時代から植民地経営に乗り出す過程や、植民地化された地域の王権などとの関係に興味があるのです。
>>812
よさそうですね、他にご存知ありませんか?
欧州系商人がインド洋〜東南アジア〜東アジア商圏に参入した当初は、
在来の生産者や商人の集まる既存の市場で交易していたと思うのですが、
後の、インドやインドネシアの植民地などでは、軍事力を背景に市場を独占していたように理解しています。
その場合、その市場で取引可能なのは宗主国の商人だけだったのでしょうか?
- 814 :世界@名無史さん:2012/06/15(金) 23:58:09.64 0.net
- そんなことはないだろ。アラブ系商人、ペルシャやインド商人もいたでしょ。
そもそも倭寇すらいて、スペイン軍を破ったとの説もある。そういう文献があるらしい。
ソースは倭寇かなんかでググってくれ。
- 815 :810:2012/06/16(土) 11:26:40.43 0.net
- >>814
言葉足らずで誤解を招いてしまったようです。
植民地経営に乗り出し、主要品の生産から一次流通までを管理するようになり、
商品の集積地(市場)もその軍事的な保護下に置かれていたと思うのですが、
そこでムスリム系・華人系(偽倭?)などの他国の商人も取引できたのか?
と言う趣旨だったのです。
- 816 :世界@名無史さん:2012/06/17(日) 01:57:11.23 0.net
- 時と場所と、細かい内容によるとしか、、、
例えばイギリスのアジア圏植民地は世界恐慌まで自由貿易
しかもポンド決済なので当時の安かろう悪かろうの日本製品はここで外貨を稼いだ。
戦後もポンド圏でしたので朝鮮戦争直前まで主要輸出先でした(というか他で売れない)。
- 817 :810:2012/06/17(日) 16:53:25.17 0.net
- >>816
やっぱり地道に資料に当たっていくしかなさそうですね。
ご回答ありがとうございました。
- 818 :世界@名無史さん:2012/08/12(日) 22:29:45.09 O.net
- スマトラ島を南回りでインドに向かう航路ってなかったの?
っていう疑問がうまれたのは、17世紀初頭の勢力関係を考えてたから。
スンダ海峡はオランダが主に使ってるし、
マラッカ海峡はポルトガルが睨みを利かせてる。
となると、モルッカ諸島で入手した香辛料を、どのルートで運んでたのかって疑問が出てきた。
もちろんマラッカ海峡とか通る方法もあったんだろうが、リスクが大きいのでは?
ってことで「スマトラ島を南回りでインドに向かう航路ってなかったの?」
- 819 :世界@名無史さん:2012/08/13(月) 16:52:02.34 0.net
- ジャワ・スマトラ南の海岸は寄港地がろくにない難所なんで基本的に避けられる。
しかしポルトガルがマラッカを占拠したんで、イスラム商人はやむなくジャワ・スマトラ南ルートを採るようになった。
スンダ海峡経由のスマトラ南ルートはオランダの主要ルート
- 820 :世界@名無史さん:2012/08/15(水) 21:17:28.15 0.net
- オランダがスマトラの南を通るようになったのは季節風の関係じゃなかったっけ。
- 821 :世界@名無史さん:2012/08/17(金) 01:50:25.92 0.net
- 帆船時代の詳細な航路って、どの本見ればいいのやら。
おおまかな航路は世界史の教科書にだって乗ってるが、
>>819の示したような航路なんか俺は見たことがない。各国ごとの航路なんてなおさら。
資料を読み込めば、見えてくる部分もあるけどね。
>>820スンダ海峡を西進し、そのまままっすぐ喜望峰をまわるルートなら季節風も利用できるオランダ人お得意の航路だな。
しかし、スンダ海峡を通ってスマトラ島西海岸をまわるルートはきいたことないなあ
- 822 :世界@名無史さん:2012/08/20(月) 03:32:38.86 0.net
- パダンぐらいはルートに含みそうだが
- 823 :世界@名無史さん:2012/11/27(火) 23:06:31.22 0.net
- パダンにはオランダ商館があったね。
おおまかな航路図としてはこんな感じか。
http://www.kyuhaku.com/pr/exhibition/images/s_19/z01l.jpg
- 824 :世界@名無史さん:2012/11/30(金) 13:09:17.26 0.net
- http://seiji.yahoo.co.jp/vote/result/201211270001/
- 825 :世界@名無史さん:2013/02/15(金) 23:32:45.26 0.net
- >>758
その認識であってますね
保存する時は松脂が抜けないように海水に漬けてたとか
- 826 :世界@名無史さん:2013/09/27(金) 17:09:13.50 0.net
- age
- 827 :世界@名無史さん:2013/10/04(金) 13:53:00.96 0.net
- 宮城県慶長使節船ミュージアム サン・ファン館 11/3リニューアルオープン!
http://www.santjuan.or.jp/
高速もドラ割で安いし、いっちょ行ってみるかな
- 828 :世界@名無史さん:2013/10/07(月) 21:33:00.70 0.net
- あげ
- 829 :世界@名無史さん:2013/12/05(木) 23:37:11.25 O.net
- 1412年に小浜にポルトガルが来てるぞ。
随分早いな。
- 830 :世界@名無史さん:2013/12/06(金) 00:12:39.37 O.net
- この南蛮は東南アジアだな。
- 831 :世界@名無史さん:2013/12/06(金) 00:33:29.96 0.net
- 南蕃のほうが誤解うまなくていいな、1408年にも小浜にきとるよ
亜烈進卿の使いで、「生象一疋黒、山馬一隻、孔雀二対、鸚鵡二対」を贈呈品として持参
アラジン卿ってのは、明からパレンバン宣慰使に任命されていた施進卿やね
- 832 :世界@名無史さん:2013/12/07(土) 08:45:25.77 0.net
- 藤本
志村
有田
大宮
大蔵
- 833 :世界@名無史さん:2013/12/08(日) 16:15:41.78 0.net
- >>831
室町時代に日本に来たアラビア人で足利将軍家の貿易顧問になって
その後、日本に帰化した人がいたそうだね。
日本人と結婚して子孫は堺で商人として栄えたとか。
今でも子孫いるのかな?
もっと古い話だと飛鳥時代に聖徳太子に仕えた帰化人の秦氏も西域の出自で
キリスト教徒(ネストリウス派)ゆえに他の宗教に迫害され、日本に渡ったとか。
- 834 :世界@名無史さん:2013/12/09(月) 14:10:58.72 0.net
- はげああほいあ
- 835 :世界@名無史さん:2013/12/11(水) 20:04:30.85 0.net
- バルボアGJ
- 836 :世界@名無史さん:2013/12/13(金) 15:55:43.27 O.net
- 海流でアフリカから南米まで意外と早く行けるんだな
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