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☆☆★イスラーム史総合スレ  その4★☆★

1 :世界@名無史さん:2011/04/17(日) 10:49:08.86 0.net
イスラーム世界の歴史について語るスレッドです。

前スレ
★☆★イスラーム史総合スレ  その3★☆★
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1289735509/

137 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 23:49:14.08 O.net
イスラム教はあくまでも宗教であって文明は派生的なものだと思う

138 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 23:54:27.56 O.net
文明にしても、別々に出たり消えたりするのではなくて、その中のある要素は受け継がれある要素は捨てられたり(また復活したり)して、形を変えて繋がっていくものだと思う

139 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 00:01:49.90 0.net
>>136
しかし一つの文明がここまで世界に普及して世界の根幹となってる状況は歴史的には無いからなぁ。今までの文明の興亡とは比べられん気もするけど。

140 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 07:28:48.39 0.net
>>139
だったらバーナード・ルイスの主張するように、西欧文明について学ぶか、
あるいは近代化を諦めるかどちらかの道しかないだろ



141 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 07:59:58.98 0.net
ケマルやズィヤーは、イスラムはその最初期においては一種の議会制を採用しており、
したがって議会制に関して西洋はイスラムから学んだに過ぎず、今われわれはこれを
「取りもどす」だけだ、という信念を持っていたらしい
これはエジプトのリファー・アル・タフターウィーが、ヨーロッパの科学はもともと
イスラムから学んだものであるから、近代科学はイスラムの脅威ではないとしたのと同じ
西欧文明を自らとはまったく異質な文明とした上で、その優位性を認めているわけではない
でもここを乗り越えない限り、真の近代化はできないだろ

142 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 08:12:26.53 0.net
>>141
そう言わないとウラマーなどの保守派が近代化政策に納得しなかったからだと思う。
まぁ、実際西欧文明がイスラムの影響を受けてる面は全くない訳ではないんだけど。
近代化の中心となってた人たちは西欧の優位を普通に認めてたから近代化政策を、
やったんでしょ。とは言え自分たちの文明の完全否定までは行きにくかっただろうね。
こういうのは非西欧圏の近代化では良く見られることだけど(日本の和魂洋才とか)。

143 : ◆axCVsGomao :2011/09/21(水) 08:57:43.13 0.net
ケマルは信じがたいな
アラビア文字まで否定してるのに


144 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 09:16:10.75 0.net
>>143
あそこまで徹底した政教分離や近代化を行なったケマルが西欧文明の優位を、
認めてなかったとは考えにくいね。国内の保守派向けの建前かも知れないけど。

145 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 09:19:06.38 0.net
後は、ナショナリズムの高揚のためというのもあるかも知れないなぁ。
革命直後のトルコをまとめるためには、ある程度のナショナリズムは、
必要だし。まぁ、没落したエンヴェルほどには唱えてなかったけどね。

146 : ◆axCVsGomao :2011/09/21(水) 09:19:56.20 0.net
ケマルはイスラム教は古臭いものとして完全に切り離そうと思ってたと思う
現実主義なだけでしょ 今の日本人が宗教をみる感覚に近いと思う


147 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 09:20:37.47 0.net
>>143>>144
ソースは新井政美『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』(青土社)

148 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 09:23:11.35 0.net
>>146
ケマルはかなりのリアリストだと思う。
エンヴェルとの対比で余計にそう思えるのかも知れないけど。

>>147
あれ?それ読んだけど、そのケマルってトルコ革命したケマルじゃなくて、
ナムク・ケマルのほうじゃなかった?ケマルだけだと2人いてややこしい。

149 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 09:31:51.58 0.net
ttp://am.jungle-jp.com/song06_2.html
トルコ・ナショナリズムの虚構性は、次のような逸話に端的に見ることができる。
マスター・プランを作ったムスタファ・ケマルは、一九二八年に、その協力者の一人、
アフェト・イナンがある本の中で、トルコ民族は黄色人種に属しているゆえに
下等な民族であるという主張を発見したとの報告を受けて、驚愕した。
これ以後、彼はトルコ民族の歴史の基本テーゼを模索し、一九三二年の
トルコ歴史学会第一回大会で確立された。その骨子は、
1)トルコ民族の歴史はオスマン帝国のそれにとどまらず、太古にさかのぼるものであり、
トルコ民族こそが文明を他の民族に伝えた功労者である。
2)トルコ人は黄色人種でなく、白色人種であり、トルコ人は最古の文明を
うみだした人々の末裔である。
3)トルコ民族は中央アジアに起源を発し、その移住した先々、すなわち、
イラン、アナトリア、エジプト、エーゲ海沿岸の文明の創始者たちも
中央アジアに起源を発している。
というものであった。こうした極度に誇張されたエスノ・セントリズムは
現在にも引き継がれて、前トルコ首相トゥルグト・オザルはその著書
『ヨーロッパの中のトルコ』の中で、タレース、アナクシマンドロス、
ピタゴラス、クセノフォントといった哲学や歴史、地理学などの始祖は
いずれもトルコ人であったと主張している。トルコの世俗主義、ケマリズムの
内部にはこうした過度の西洋信仰が埋め込まれており、ナショナリズムの
もう一方の構成要素であるイスラム的伝統との不整合が、政治的安定を損なっている。

150 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 09:44:33.87 0.net
>>149
何かかなり電波っぽい内容だけど、実際前に読んだトルコの歴史教科書には、
これと似たようなことが書いてあったなぁ。確かに、現在のトルコ人にはかなり、
古代アナトリア辺りの血も混じってるだろうし古代オリエントには中央アジアと、
関わりの深い部分もあるけどそれでもこの主張がかなり極端なのは否めない。
まぁ、ケマルは領土をアナトリアに押さえ大トルコ主義には走らなかったけどね。
(前に読んだトルコの歴史教科書はかなり古いから今も同じなのかは知らない)

151 : ◆axCVsGomao :2011/09/21(水) 09:48:23.67 0.net
トルコ人の最大の矛盾は古代ローマ帝国を滅ぼした民族だということだな


152 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 09:49:56.65 0.net
やっぱりトルコ人は西欧文明を理解できていない

153 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 11:33:00.92 0.net
>>142
日本人は議会制がもともとは日本起源だなんて主張していないがなw

154 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 11:43:23.56 0.net
>>153
それは日本は近世まで西欧との付き合いがほとんどなかったからだと思う。
イスラーム圏は地理的に西欧と近いせいか、実際いくつかの面では西欧に、
影響を与えてるからね。西欧の議会が本当にイスラーム起源かはともかく、
日本と違ってそのような主張がしやすかったというのはあると思う。日本は、
歴史的に西欧との付き合いが薄いから西欧の○○が日本起源なんていう、
主張はしにくい。イスラーム圏のほうがまだマシな根拠をこじつけられるね。
まぁ本当に西欧の議会がイスラーム起源なのかどうかはまた別の話だけど。

155 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 11:49:58.67 0.net
>>154
かつて中国では、「西学中原起源論」が唱えられていたぞw
日本と同様、近世まで西欧との付き合いがほとんどなかったのになw

156 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 11:57:39.32 0.net
>>155
う〜ん、そこら辺は中国的な大国思想の基づいてる気がする。まぁ、そういう意味では、
イスラーム圏も同じかな。日本と違って中国やイスラーム圏はかつて先進地域だった、
経験があるからね。議会制の起源云々を唱えたのはオスマン帝国のエリート階級だし、
それらの人々の間にオスマン帝国はかつて大国だったという自負がまだあったのかな。

157 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 12:01:25.83 0.net
だからもはや中国やイスラム圏が近代化するのは絶望的だと…

158 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 12:08:35.48 0.net
>>157
と言っても、いつまでもそうとは限らないでしょ。実際、オスマン帝国及びトルコ共和国では、
近代化政策を進めてきた歴史があるからね。純粋に西欧の優位を認めてた人がいたから、
近代化を行なってたんだし。大国意識もあるけどその一方でケマルみたいに冷静に現実を、
認識してたタイプもいたしね。実際、トルコはそれなりに近代化政策に成功してる国だと思う。

159 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 12:53:18.81 0.net
ムスリムは中世ヨーロッパの業績をを認めようとしないよな
ちょうど中韓人が中世や江戸時代の日本人の業績を認めようとしないように
これが奴らの限界

160 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 12:54:51.76 0.net
変な奴が沸いてるな (^^)

161 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 13:20:41.69 0.net
古代ギリシャ厨、ローマ厨(w

162 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 19:07:45.02 0.net
日本は江戸時代までの文化も宗教も伝統もを全て捨て去って素直に西欧文化を受け入れた。
中国やイスラムは今までの文化や宗教や伝統に固執し過ぎて中途半端だった。

その差が日本と中国イスラム、さらには他のアジアアフリカオセアニア諸国の差

163 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 19:12:40.97 0.net
>>150

そもそも佐原はセルビア研究者。ケマルが晩年狂ったのは事実だけど、そのリンク先の文章みると電波だよ
例えばチェルケス人のことを「コーカサス山岳部のトルコ系諸民族」とか言っている。

これ程極端じゃなくとも、ブルガリア北西部のトルコ語をあたかもトルコのトルコ語とかなりの差異があるかの
様に書いているけど、実際のトルコ語の専門家に言わせると
ttp://www.cc.okayama-u.ac.jp/~kuri/hokoku.htm
>この村で使用されているトルコ語は進行形の形に特徴があるものの、その他の点ではトルコ語とよく似ている(も
>ちろん細かな語彙的・音韻的相違は沢山ある)。トルコ語の一方言という感じであるし、実際にそうだ
 
という風になる。

164 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 19:31:02.46 0.net
>>163
リンク先読んでなかった。この文章、佐原徹哉氏のなのか。まぁ、
確かにいくつか間違いのある文章っていう気はするね。ケマルは、
トルコナショナリズムを唱えたけど、そこまで過激ではなかったと、
思うし。まぁ、トルコ語の純化とかは多少行き過ぎてた気もするか。

165 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 19:33:43.81 0.net
永田雄三氏によると、アタテュルクの提唱によって生まれた「トルコ史テーゼ」では、
トルコ人の故地が中央アジアにあり、トルコ人はすでにその頃から高度な文明を
有していたことが強調された後、中国、インド、イラン、エジプトなど古い文明を誇る
諸国の歴史でトルコ人が果たした大きな役割が叙述される。そして、中央アジアから
移住したトルコ人とされるシュメール人の文明の優秀さとギリシア文明に対する
アナトリアのヒッタイト文明の先行性が説明され、この二つの文明がギリシア、
ローマ文明の母体となったとの主張がなされているそうです。

166 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 19:45:58.19 0.net
>>165
トルコの歴史教科書でシュメール人は移住したトルコ人だみたいなことが、
書いてあったのを読んだ時は面食らったなぁ。「匈奴=トルコ人」程度でも、
本当かどうか疑わしいのに、シュメール人なんてかなり無理あるような気が、
するからね。まぁ確かにシュメール人は系統不明の民族ではあるんだけど。
だいぶ古い歴史教科書だから今でもそう書いてあるのかは分からないけど、
かなりトルコナショナリズムに基づいた歴史教育が長い間なされてたみたい。

167 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 20:05:02.69 O.net
なんか韓国期限説に似たものを感じるけど、そういうのって韓国やトルコだけじゃないんだろうね

168 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 20:06:15.40 0.net
ギリシャ共和国もかなりのデムパ国家だけどな

169 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 20:12:20.34 0.net
>>167
>韓国期限説
「起源説」の間違いなんだろうけど、韓国には国の存在が期限切れして欲しいわwww

170 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 20:21:59.97 0.net
43 :世界@名無史さん:03/07/26 23:17
>>29
 やっぱしギリシャ人で笑えるのは19世紀末まで自分たちを「キリスト教系トルコ人」と言っていた事実を隠蔽していることでしょう。

>>30
 ファルメライヤーは確か禁書扱いの筈。

>>34
ビザンチンの「歴史」といっても自分たちに都合のいい部分は「古代ギリシャからの伝統」などと言って継続性を主張しているが、ビザンツ史の中でも都合の悪い部分は「実はギリシャ人でなかった」とかなり切り捨てているね。
例として鼻の削ぎ落とし、宮刑、前皇帝一族の目潰しなんかは「外来」扱い。ユスティニアヌスは奥さんのせいで「ヴラフ人」にさせられてるし、アルメニア人だったバシレイオス2世は「侵略者を懲罰した」ということだけで「ギリシャ人」にされていた。

171 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 21:56:14.40 0.net
トゥラニズムには政治的な事情も大きいよな。
トルコ民族の国家を形成するに当たり、その歴史的支柱が必要だったからね。
だから、ヒッタイトもトルコじゃね?とか言い出すし。


172 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 22:23:37.13 0.net
ヒッタイトは年代古すぎ。
匈奴ぐらいなら、なんとなく漢文などの手がかりあるけど、ヒッタイトはマジで古過ぎ

173 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 22:36:05.66 0.net
1935年には、人類のすべての言語が、太古、中央アジアで話されていた言語から
発展したとする「太陽言語説」がアタテュルクに支持され、世界言語の中で
トルコ語が占める特殊な位置が強調されるに至る。


174 :世界@名無史さん:2011/09/22(木) 18:56:31.47 0.net
最近、トルコではオスマン帝国が再評価されるようになっているってマジ?



175 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/22(木) 19:22:51.40 0.net
>>174
トルコでオスマン帝国が悪評だったのは革命直後ぐらいで僕が前に読んだ、
トルコの歴史教科書(結構古いやつだけど)でも普通に評価されてたと思うし、
前から再評価されてたんじゃないの。まぁあれだけの大帝国を築いてたのに、
歴史教育において、それを全く誇らずに教えるっていうのも無理な気はするし。
とは言え、ケマルの名誉のため革命直前に関しては今でも悪評みたいだけど。
ちなみに最近のトルコではビザンツ帝国のほうも再評価されてきてるらしいね。

176 :世界@名無史さん:2011/09/23(金) 11:00:27.46 0.net
>>159
中世ヨーロッパも馬鹿に出来ないよな。
12世紀の段階で、すでにイスラムに文化圏では並んでいた。
13世紀以後は完全にヨーロッパのほうが上だった。
13世紀以後は全くアラビア科学を学ばなかったよな、ギリシャローマ古典にあたりだしたから。

177 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/23(金) 11:12:24.86 0.net
>>176
文化っていうか学問面ではそうかもね。中世ヨーロッパ暗黒説はもはや古いし。
学問の分野に関して言えば12世紀頃から中東では衰退の兆しが見えてたから、
ヨーロッパのほうが完全に上というと言いすぎだと思うけど中東が圧倒的だった、
時代はもう過ぎてるかな。その他の文化に関してはその後も結構発展したけど。
でも、13世紀以後ヨーロッパが全くイスラーム科学を学ばなかった訳じゃないよ。
イブン・スィーナーやフワーリズミーとかは13世紀以後も割りと影響を保ってた。
とは言え、十字軍以降は中世ヨーロッパもそれなりに発展してきてたとは思うね。

178 : ◆axCVsGomao :2011/09/23(金) 12:13:44.57 0.net
>>176
アラビアではギリシア古典に注釈書をつける習慣があったんだよ
注釈書に自分の説をのせたわけ
ヨーロッパはアラビア経由でギリシア哲学学んだわけで
当然のことながら原典のみではなく注釈書から学んでいる

179 :世界@名無史さん:2011/09/23(金) 16:03:24.73 0.net
711 : 名無し三等兵: 2011/07/07(木) 18:38:59.36 ID:??? [947回発言] 日本でアジア人の視点から、あれはコーランじゃなくてクルーアンと発音した方が良いという所から入る独特のイスラム学があるな

一回あの視点で見ちゃうと、国際社会がどうやったらイスラム教国家と平和に共存できるか?という考え方が
ますます分からなくなっちゃうんだよなw
まさに「全員アッラーに帰依しなさいさもなくば貢納か戦いだ」本当にそれだけ

180 :世界@名無史さん:2011/09/24(土) 19:38:41.50 0.net
http://japanese.joins.com/article/276/143276.html?servcode=100§code=120
【コラム】韓国の歴史、モンゴル−トルコベルトまで広めるべき


181 :世界@名無史さん:2011/09/24(土) 23:25:33.48 0.net
エマニュエル・トッドさん 「アラブの春」を予言、背景と見通しは?
http://mainichi.jp/select/opinion/approach/news/20110924ddm004070007000c.html

182 : ◆axCVsGomao :2011/09/25(日) 08:50:54.62 0.net
エマニュエル・トッドはイスラム圏は西欧化の最中だといっていたけど
まさにそのとおりだったわけか

183 :世界@名無史さん:2011/09/25(日) 12:08:06.03 0.net
『世界の教科書=歴史001 トルコ:1』(E・オクタイ/N・アクシト、ほるぷ出版)

20世紀の初頭に、中央アジアで考古学的調査を行った米国人の学者グループは、
カスピ海の東、アシハバード付近のアナヴで2つの古墳を発掘した。
この発掘で、世界のその他の地域では人類がまだきわめて未開であった当時に、
ここに居住していたトルコ人は文化面で進歩していたことが明らかになった。
発掘が行われた最下層には、家々を日干し煉瓦で造った村落が発見された。
出土品の中には、手回しの石臼や家の中で炭化した大麦・小麦の穀粒があった。
これは、ここの人々が農業に従事していたこと、穀物を石臼でひいてパンを
作る方法を知っていたことを示すものである。また、この層からは、
彩色・模様入りの粘土製の土鍋や、人間や動物の粘土像が出土した。
動物はこのころに家畜化されはじめたものと考えられている。
さらに上部の諸層には多量の銅器や、ろくろにかけた、もっと装飾を施した
壺や土鍋も見つかっている。この地域で行われた他の発掘の結果、トルコ人の
故地における最初の文明は広い範囲に伝播していたことがわかった。

184 :世界@名無史さん:2011/09/25(日) 12:09:50.79 0.net
「トルコ人」の定義によって、だいぶ変わってくるよね

185 :世界@名無史さん:2011/09/25(日) 12:28:21.25 0.net
『世界の教科書=歴史001 トルコ:1』(E・オクタイ/N・アクシト、ほるぷ出版、P.30)

……東方・南方・西方の3方向へ移動した。西方へいった人々の一部はカスピ海の
北部を経由して南ロシアと中部ヨーロッパへ、他の一部はカスピ海の南部から
イラン・メソポタミア・アナトリア・シリア・エジプト・エーゲ海地方へと広がった。
短頭で中央アジア系のこの人々は、移動した先ざきで石器時代の段階にある
人々を磨製石器や金属器時代へと向上させ、農耕や動物の飼育や金属の
使い方を教えたのである。


186 :世界@名無史さん:2011/09/25(日) 12:59:02.20 0.net
ttp://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/25ff2af4b305cea2a84a88208743b4f8

シリアにもクルド人が30万ほどおり、彼らはここでも貧しい生活を強いられている。
歴史の授業の描写は面白い。生徒からも軽く見られている教師がウマイヤ朝(661-750)について、
周辺諸国は輝かしいアラブ文明の前に門戸を開放して野蛮状態を脱した、と講義したのだ。
実際は後の西欧帝国主義と変わらぬ軍事征服を“門戸開放”と表現するが、生徒の一人が
「では、トルコに4百年間、フランスに25年、我々は門戸を開放していたのですね」と混ぜ返す。
すると教師は憤然として「それは植民地主義で、事情が違う」と答えた。
この教師は十字軍時代のサラディンを「アラブの英雄」と呼んだ所、著者のクルド人の友人・
ヌーがすかさず「サラディンはクルド人ですよ」と抗議する。著者は初めて彼をクルド人と知ったらしい。
周辺で誰もサラディンをクルド人と言った者はなかったから。反論された先生は
「サラディンは素晴らしいイスラムの戦士だった。アラブの心を持っていた。
だからアラブ人だ」と我田引水気味の説をぶつ

187 :世界@名無史さん:2011/09/25(日) 16:19:52.18 0.net
サイイド・クトゥブは、
「現代の西洋の史学者たちの労作を見ると、イスラム史についての形而上の、
または直観的の接近が欠けている。この直観的接近というものによって、
それぞれの歴史的時代に活動していた諸勢力を大幅に把握できるのであるが、
西欧においては、このことの代わりに、歴史の微細な外皮的事実を科学的に
綿密な方法で究明してゆこうとする実証的方法が用いられているのである」
と主張する。

でも、イスラム史研究に必要な形而上的・直観的方法というのは具体的にどんなもの?


188 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/25(日) 16:20:33.13 0.net
>>183-185
あぁ、僕が読んだのは確かその教科書だったよ。古い教科書だから今も同じなのか、
分からないけど、読んだ時は結構ナショリナズム旺盛な教育をしてるなぁと思ったね。

189 :世界@名無史さん:2011/09/25(日) 21:52:26.13 0.net
>>187
イスラム神学・哲学の変遷を辿れば、自然とイスラム史も理解できるって話じゃね?
日本人的にいえば、井筒センセを読みましょうみたいな。
実際は、歴史の一部分にすぎないんだが、それだけが本質であとは枝葉でイラネって考えでしょ。

190 :世界@名無史さん:2011/10/01(土) 15:38:38.04 0.net
イスラーム史の研究のために大学に入ったのに・・・。
なぜか中国語やらされたわ、マジイラネ。
フランス語あたりをやるべきだったorz

イスラム史書の翻訳本を見付けたのに、それが仏語訳だった時の絶望感は最悪。
てか、イスラム関係の翻訳本に仏語訳が多いんだな、ビックリしたわ

191 :世界@名無史さん:2011/10/01(土) 15:44:09.83 0.net
>>190
>イスラム関係の翻訳本に仏語訳が多い
フランスは、20世紀の半ば頃まで北アフリカと中東にも植民地を持っていたのだから、当然の話。

フランス植民地
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3b/French_Empire_1919-1939.png

192 :世界@名無史さん:2011/10/01(土) 15:47:33.51 0.net
唐の時代やイスラーム化以後の中央アジア諸国の史料を読むためだったら、
中国語が少しは役に立つかも知れない。読み書きだけで会話は必要ないが。

193 :世界@名無史さん:2011/10/02(日) 02:19:21.87 0.net
>>190
つか、アラビア語やれよwww

194 :世界@名無史さん:2011/10/02(日) 09:59:24.39 0.net
どうせ教授もアラビア語は、まともに読めず、二次資料ばかりで論文書いているって落ちだろ。

195 :世界@名無史さん:2011/10/02(日) 12:34:04.22 0.net
ナスターリークで書いてあったらチェックメイトだな。
活字体で書けよって思うわ。

196 :世界@名無史さん:2011/10/04(火) 16:33:01.73 0.net
日本では「イスラーム世界」という言葉がよく使用されるが、現実の中東では
ほとんどの国が国民国家単位で歴史を考えているよな
中国や韓国で「東アジア」という言葉がほとんど使われていないのと同じ


197 :世界@名無史さん:2011/10/04(火) 16:37:28.66 0.net
「イスラーム世界」にバルカンは含まれるのか、
「東アジア」にチベットやウイグルが含まれるのかというのは微妙な問題だな
どちらもオスマン帝国や清朝の遺産だが

198 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/10/04(火) 17:46:10.67 0.net
>>196
羽田正氏の「イスラーム世界の創造」によるとそもそもイスラーム世界という概念自体が、
イスラームによる連帯を強調したがるイスラーム主義者の影響の強い概念らしいからね。
それだけじゃなく、西欧人たちによるオリエンタリズム的意味合いも入ってるらしいけどね。
中東諸国でイスラーム世界という言葉が使われる場合はこのようなイスラーム主義的な、
思想に基づいてる部分が大きいと思う。そのような思想じゃない国民国家単位で考えてる、
人はあまり「イスラーム世界」という言葉を使わないだろうね。中東にもそういう人は多いし。

199 :世界@名無史さん:2011/10/04(火) 18:58:55.56 0.net
>>198
頼むからお前、ストーカー行為はやめてくれ

200 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/10/04(火) 19:10:52.54 0.net
>>199
ストーカー行為って何のこと?
頼むから、荒らしだったらやめて。

201 :世界@名無史さん:2011/10/04(火) 19:21:25.03 0.net
>>197
雲南や四川にチベット族カム人がいて、類似の信仰を持っているので
民族人口の過半数は東アジア扱いという位置づけ。
ここは大理国の旧領なので、東アジアから外すと東南アジア(ミャンマー+タイ)に入ることになる。
で、大理旧領には、鄭和の家系のようなイスラムも多くいて扱いは難しい。

青海や甘粛の場合は、チベット語チベット人でしかもダライラマの宗派なので、ここをどう扱うかが難しい。
青海の回族をどこにいれるのか? 信仰は宗派違いではなく別個のイスラム教になる。
モンゴル語を使っているのに、チベット族で申告している住民もいてなおさらカオス。

カシュガルやアクス、ホータンのオアシス都市住民のウイグル族は、もともとトルファン・高昌回骨ではないはずで
ウイグルの名が相応しいかわからない。ソグドだった可能性がある。彼らを東アジアというのは相応しくなく
イラン・タジク世界のほうが近縁なのかもしれない。

静岡県の熱海や伊東の文化圏を関東にするか、東海にするか・・・マージナルな領域は両方に属すると扱うので
きっちりわけなくてもいい。

202 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/10/04(火) 19:23:31.26 0.net
>>201
トルコ及びオスマン帝国をヨーロッパに入れるか中東に入れるかのようなものかな。
両方の地域の特徴にそれぞれ当てはまってる部分があるからどっちとも言えるしね。

203 :世界@名無史さん:2011/10/04(火) 19:26:43.44 0.net
>>200
おまえの存在が荒れるから消えてくれ。頼む。

204 :世界@名無史さん:2011/10/04(火) 19:42:19.84 0.net
パキを中東にいれるかインド亜大陸にいれるか微妙だな

205 :世界@名無史さん:2011/10/04(火) 20:03:56.18 0.net
アフガンはさらに微妙だ
中央アジアでもあり南アジアでもあり西アジアだともいえる

206 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/10/04(火) 20:43:30.37 0.net
>>205
アフガニスタンは昔から様々な民族や国家の交差点みたいな場所だからね。
現在の国名にもなってるアフガン人という民族自体は中世のインドや近世の、
イランなんかにおいて見られる民族だね。まぁインドのほうが目立ってるかな。

207 :世界@名無史さん:2011/10/04(火) 20:48:26.03 0.net
インドよりイラン系だろう。アフガンは。

208 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/10/04(火) 20:51:39.67 0.net
>>207
確かにそうなんだけど、世界史的にはインド史のほうが「アフガン人」という名前を、
良く聞くなぁと思ったから。イラン史も18世紀以降はアフガン人が目立ってくるけど。

209 :世界@名無史さん:2011/10/05(水) 08:15:08.49 0.net
EU統合とか、汎アラブ主義とか、汎イスラーム主義とか、東アジア共同体とか、
しょせん一部の知識人の頭の中にしか存在しないのかもしれんな

韓国が戦前の日本と同様、自国史しか教えていないのは有名だが、実は世界では
自国とその周辺地域のことしか歴史の時間に教えない国のほうが多数派
日本みたいに日本史と世界史の両方を教えるのはむしろ例外的
『ヨーロッパの歴史―欧州共通教科書』(フレデリック・ドリューシュ、東京書籍)も
欧州以外の地域のことには触れていない
欧州人はよくアメリカ人のことを「アメリカ以外のことは全然知らない」というが、
自分たちもヨーロッパ以外のことは知らない
グローバル・ヒストリーの研究もアメリカのほうが進んでいるんじゃねえの?


210 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/10/06(木) 00:08:19.09 0.net
>>209
中東じゃどうなんだろう?僕は中東のはトルコの歴史教科書しか読んだことないんだけど、
トルコでも普通に自国史(正確に言えば自民族史)しか教えてなかった。他の中東諸国も、
同じような感じなのかな。エジプトやイランとかは自国史だけ教えてるイメージがあるけど。

211 :世界@名無史さん:2011/10/06(木) 14:36:53.42 0.net
>>210
頼むからもう俺につきまとわないでくれ
お前がいるとスレのみんなが白ける

212 :世界@名無史さん:2011/10/06(木) 14:50:34.18 0.net
パレスチナに原発を造ったら紛争解決すると思う。
下手に戦争とか自爆テロしたらお終いになるから。

213 :世界@名無史さん:2011/10/06(木) 15:15:01.80 0.net
核戦争一回起こればいいのに・・・

214 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/10/06(木) 19:01:23.69 0.net
>>212
ていうか、イスラエルは核兵器を持ってる疑いがすでにあったと思うんだけど。

215 :世界@名無史さん:2011/10/08(土) 10:55:42.61 0.net
>>211
お前うざいよ、目障り

216 :世界@名無史さん:2011/10/08(土) 12:32:45.60 0.net
>>215
オツガイ乙

217 :世界@名無史さん:2011/10/08(土) 13:47:12.45 0.net
>>216
もうちっとひねれ、頭悪いやつだ

218 :世界@名無史さん:2011/10/08(土) 14:48:45.40 0.net
こんなとこでも案山子ととたてPが暴れてるのか?

219 :世界@名無史さん:2011/10/08(土) 16:37:29.32 0.net
スケは苦労するか

220 :世界@名無史さん:2011/10/08(土) 19:41:27.26 0.net
『ムスリムのヨーロッパ発見(下)』(バーナード・ルイス、春風社)に、

……イスラム世界のきわめて多様な民族と文化に比べて、中世のフランクの
ヨーロッパは、きわめて単調なところのように思えたにちがいない。
したがってそこは一つの信仰、一つの民族、大部分は一つの文化の地域であった。
少数の重要な社会階級のそれぞれには、一種類の衣服があった。すべてこのことは
イスラム世界における絶えず変化する多種多様な民族、信条、衣服、文化と
著しく対照的である。フランクのクリステンダムは、画一性を大切にした。
少なくともそれはなんらかの偏向を大目に見たり、順応させることに困難を
もっていたようであるし、異端者、魔女、ユダヤ教徒、規範からはずれた他の人たちを、
追跡することにおびただしい精力を使った。

とある。ヨーロッパの強みは多様性だという、欧州人がよくいう言葉は
間違っているということか?

221 :世界@名無史さん:2011/10/08(土) 21:16:19.64 O.net
イスラム教自体は素敵な宗教だと思うが、それを国教にするとどうもおかしなことになる

申し訳ないけど、イスラム教を国教とし政教一致を採用してる国でまともなのって、ホント数少ない。
サウジアラビアとかパキスタンとかアフガンとかイランとか刑法犯に対する処罰が半端ない
公開処刑やむち打ち、手首切断、石打ち、鼻切断…

女性蔑視も半端ない。レイプされたのに、姦通罪適用とかマジ狂ってる。逆にレイプした男はお咎めなし。最悪、レイプされた女性が一族の恥だという理由で家族に殺されたケースもある

こんなんでイスラム教に対するイメージがよくなる訳でもないだろうが。トルコみたいにとっとと政教分離して近代法典を採用すべき。イスラム教世界の法の精神は一体いつまで7世紀の状態で止まったままなのだろうか。
どうも順番があべこべのような気がする。
宗教のために人がいるのではなく、人のために宗教というものがあるはずなのに
でもこんなことイスラム圏で言ったら、頭に血が上った信者がアラーへの冒涜だ!とか、わめくんだろうな。全然イスラム教もアラーの神の悪口も言ってないのに。
テロリストも妄信的な信者も都合悪くなったらアラーへの冒涜だとかわめいて反対者を殺害するんだろうな。

おーこわ。

222 : ◆axCVsGomao :2011/10/08(土) 21:34:06.32 0.net
そりゃ中東は地政学的に物や人が集まる場所だったから多様性は
ヨーロッパよりはあるよ

223 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/10/09(日) 05:25:55.16 0.net
>>220
時代にもよると思うけど、フランク王国後期頃のイスラーム圏は基本的に先進地域で、
バグダードなどの有名な都市は大抵多くの民族でごった返していて賑わってたからね。
多様性はあったと思う。ただ、同時代の西欧について詳しくないからそんなにこの頃の、
西欧が単一的だったのかは知らないけど。イスラーム圏は確実に多様性あったと思う。

224 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 13:05:39.77 0.net
西ヨーロッパが多様性を意識しだしたのは宗教改革以降だろうな

225 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 16:25:31.86 0.net
古代のギリシャ人にとって不揃い、ばらつきというのは悪だった

226 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 19:03:21.45 0.net
古代ギリシャ人の地理感覚

エジプト、アナトリア、シリア:先進地域
アルプスの北:人食い青鬼の住む魔境

227 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 21:49:09.11 0.net
あれだけ文武両道だったギリシア人が、今や怠け者の公務員ばかり・・・どうしてこうなったw

228 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 22:00:06.30 0.net
議論と戦争が仕事で生産活動は奴隷がやるモノと思っていた古代ギリシア人。
政府批判とデモが仕事で生産活動は他のEU諸国がやってくれるモノだと思っている
現代ギリシア人。

229 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 22:11:26.37 0.net
>>227
ヒント 古代ギリシア人の肌の色は?

230 :世界@名無史さん:2011/10/09(日) 22:36:01.46 0.net
>>229
黒いアテナって、彫刻見る限り黒人には見えんぞ。
古代彫刻って、今のギリシャ・イタリアの南欧系よりパツキンに見える。
まあ、欧州はね、地形が複雑だからね、アルバニアも欧州なんだからそりゃ多様だわな。
環地中海の風土と人種というのは遺跡だけでなく、現在も確かにある。
サハラ砂漠の北の中東地域は砂漠地帯にしては豊かな物産がある。
逆にアルプス以北は1920年代までは貧しい地域だったが、30〜50年代に工業化と社会保障改革で一気に豊かになった。
第一次大戦前まではお世辞にも中東より欧州の方が住みやすい地域には見えない。19世紀ならまだ中東の方がいい。
特にイギリスは1930年代までは最悪だった。モロッコ、チュニジアの青い空。ロンドン、ベルリンの灰色い世界。

231 :世界@名無史さん:2011/10/10(月) 00:22:45.32 0.net
>>228
確かに、戦争が下手になった以外は変わってないなwww

232 :世界@名無史さん:2011/10/10(月) 00:40:42.91 0.net
>>230
何故か「少女革命うてな」を思い出した

233 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/10/10(月) 06:37:43.06 0.net
>>230
>19世紀ならまだ中東の方がいい。
19世紀の中東の暮らしって少しだけ西欧化の波が覆ってはいるものの基本的には、
伝統的な衣食住のままというイメージだなぁ。まぁ、地域によって大分違うだろうけど、
同時代のヨーロッパと比べて特別暮らしやすかったかどうかは微妙な気がするなぁ。
イスタンブルやカイロ辺りだったらそれなりに暮らしやすかったように思えるけどね。

234 : ◆axCVsGomao :2011/10/10(月) 09:34:11.40 0.net
欧州は寒いからな
イギリスなんて夏でも20度くらいしかないし


235 :世界@名無史さん:2011/10/10(月) 10:52:38.87 O.net
19世紀の中東なんて奴隷制度バリバリだろ
一部特権階級は暮らしやすいんだろうが

236 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/10/10(月) 11:23:40.56 0.net
>>235
奴隷制度ならアメリカ大陸やヨーロッパも19世紀前半までは残ってた地域もあったけどね。
でも正直奴隷制度の有無と庶民の暮らしやすさはあまり関係ないような気がするけどなぁ。
奴隷自身とそれを使うことの出来る一部の裕福な階層を除けば庶民には無関係な話だし。
まぁ、だからと言って当時の中東がヨーロッパより暮らしやすかったという訳ではないけど。

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