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☆☆★イスラーム史総合スレ その4★☆★
- 1 :世界@名無史さん:2011/04/17(日) 10:49:08.86 0.net
- イスラーム世界の歴史について語るスレッドです。
前スレ
★☆★イスラーム史総合スレ その3★☆★
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1289735509/
- 42 :世界@名無史さん:2011/04/21(木) 23:35:38.67 0.net
- それ、カザフスタンとかキルギスみたいなとこでしょ。
もともと大乗仏教の素地があるところに
現地語訳のクルアーンが導入されているし
宗教指導者がおらず、シャーマニズムも混入されているでしょう。
- 43 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/22(金) 00:04:51.12 0.net
- >>41
トルコにおいて一部のウラマーが国内における世俗主義を、
イスラムの教義的に考えても正しいと言ってるみたいだよ。
これは近代思想と合わさったと言えるんじゃないかな?後、
近代的な汎アラブ主義にイスラムが利用されたのもそれに、
近いかも。ナショナリズムの高揚は近代化に繋がるからね。
- 44 :世界@名無史さん:2011/04/26(火) 23:20:35.84 0.net
- 「中東革命」発端の警官、無罪に=焼身青年平手打ち疑惑―チュニジア
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110420-00000087-jij-int
- 45 :世界@名無史さん:2011/04/27(水) 00:27:14.42 0.net
- >>43
1858年に公布されたオスマン帝国の刑法は、フランス1810年刑法のトルコ語訳を基本とし、
これを「タアズィール」(裁判官の裁量に任された刑罰)として法典化したものだが、
草案は、イスラーム法の最高権威シェイヒュルイスラムのもとへ送付されて、
若干の条項をつけ加えた上で成立している。
近代になると、オスマン帝国では新しい裁判機関や教育機関がつくられるが、
そこで判事や教師をつとめたのはウラマーたちであることが多かった。
新しい学校でも、文学などの伝統的な科目の教師にはウラマーが動員されることがあり、
総じてウラマーは、新たな体制を批判するより、むしろその体制に取り込まれ、
そこに自らの居場所を見いだすことが多かったようだ。
・新井政美
『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』 青土社 2009年
・秋葉淳
「オスマン帝国近代におけるウラマー制度の再編」
『日本中東学会年報』13号 1998年
・田村真奈
「オスマン帝国における師範学校の制度的発展と近代国民教育」
『お茶の水史学』51号 2008年
- 46 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/04/27(水) 06:03:00.22 0.net
- >>45
トルコの近代化っていうのは、政教分離などのせいで宗教を排除した、
近代化というイメージが強いけどどっちかというとウラマーたちを体制に、
取り込むことで統制することによる近代化なんだよね。現在のトルコの、
政治もそんな感じだし。宗務庁というのがあってそこで国内のウラマーを、
統制してる感じ。こういうのはオスマン帝国時代からそうだったんだろうね。
- 47 :世界@名無史さん:2011/04/27(水) 12:20:40.10 0.net
- オツガイ ◆EAbyJft1LY 荒し
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4ADBF_jaJP272JP273&q=%e3%82%aa%e3%83%84%e3%82%ac%e3%82%a4+%e2%97%86EAbyJft1LY%e3%80%80%e8%8d%92%e3%81%97
- 48 :世界@名無史さん:2011/04/27(水) 20:06:49.42 0.net
- 革命端緒の事件で無罪 チュニジアの警察官
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110420/mds11042022160008-n1.htm
「中東革命」発端の警官、無罪に=焼身青年平手打ち疑惑−チュニジア
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201104/2011042000576
- 49 :世界@名無史さん:2011/05/02(月) 09:52:10.27 0.net
- 近々イランに旅行に行くのですがイランについての本でおすすめあります?
ペルセポリスとマシュハド楽しみです!
- 50 :世界@名無史さん:2011/05/02(月) 12:59:23.33 0.net
- ビンラディンが殺されたそうだけど、
イスラム史で取り上げるのが適当な人物かね?
この人、コーランもまともに読んでいないと想像できるし、
宗教的人物として扱うよりも
連合赤軍の系列の人として扱うべきかも知れないが?
- 51 :世界@名無史さん:2011/05/02(月) 13:06:46.56 0.net
- ビンラディンに つ菊
- 52 :世界@名無史さん:2011/05/02(月) 13:07:55.45 0.net
- おい、ビンラディンがついにアメリカの手によって殺されたらしいな。
おまえらイスラム史厨的にはどう解釈するの?
- 53 :世界@名無史さん:2011/05/02(月) 13:18:40.34 0.net
- >>52
イスラムにカミカゼの思想を植えつけたと
解釈するな
カミカゼ→連合赤軍→自爆テロ
- 54 :世界@名無史さん:2011/05/02(月) 13:23:33.86 0.net
- ビンラディン死亡と聞いて
- 55 :世界@名無史さん:2011/05/02(月) 20:12:03.07 0.net
- >>50-54
現代に関心のある人はこっちでお願いします。
中東・北アフリカ近現代史
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1297336647/
- 56 :世界@名無史さん:2011/05/04(水) 22:39:32.09 0.net
- >>49
イランのモスクについては次の図書を参考に。
羽田正『モスクが語るイスラム史』 中央公論社 1994年
- 57 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/05/04(水) 23:21:57.36 0.net
- >>56
羽田正氏はもうこういうイラン史を取り扱った著書を書く気はないのかな?
「イスラーム世界の創造」以降はグローバル・ヒストリー的な分野ばかり、
書いてるからつい気になった。まぁそれはそれで良いと思うし彼が自著で、
述べてたイスラーム世界という概念への疑問はうなずける点もあるので、
分からなくはないんだけど、イラン近世史を研究してる日本人は貴重な、
気がするから少し残念だなぁと思ってしまう。とは言え、僕は彼の新しい、
研究分野も面白いと思ってるんだけどね。イラン史も少しは書いて欲しい。
- 58 :世界@名無史さん:2011/05/05(木) 21:49:16.21 0.net
- >>49、>>57
イラン近世史については、
樺山紘一他編『イスラーム・環インド洋世界』(岩波講座世界歴史14) 岩波書店 2000年。
近世イスラーム史を扱うこの本には、イラン関係の論文が多く収録されている。
近藤信彰論文はペルシア語文学を、深見奈緒子論文は建築を扱っている。
絨毯については、
坂本勉『ペルシア絨毯の道―モノが語る社会史』 山川出版社 2003年。
- 59 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/05/05(木) 22:09:04.85 0.net
- >>58
なるほど、ありがとう。確かに岩波講座のはイラン関係の論文が結構あったね。
坂本勉氏のほうはイラン史じゃなくてペルシャ絨毯についての著書だったけど、
それなりに面白かった。イランに旅行に行くのだったら確かに読むべきかもね。
- 60 :世界@名無史さん:2011/05/12(木) 20:14:37.49 0.net
- >>49
マシュハドについては、
守川知子「サファヴィー朝支配下の聖地マシュハド
―十六世紀イランにおけるシーア派都市の変容」『史林』80巻2号 1997年
イスファハーンについては、
羽田正編著『シャルダン『イスファハーン誌』研究―17世紀イスラム圏都市の肖像』
東京大学出版会 1996年
坂本勉「イスラーム都市の市場空間とイスファハーン」
佐藤次高・岸本美緒編『市場の地域史』(地域の世界史9) 山川出版社 1999年
- 61 :世界@名無史さん:2011/05/15(日) 00:34:21.02 0.net
- あげ
- 62 :世界@名無史さん:2011/05/15(日) 19:41:33.10 0.net
- >>58
ペルシア語文学については、最近出た次の本も参照。
森本一夫編
『ペルシア語が結んだ世界―もうひとつのユーラシア史』
北海道大学出版会 2009年。
この本で扱うペルシア語文化圏は、東は中国から西はクリミアにまで及ぶ。
- 63 :世界@名無史さん:2011/05/26(木) 20:12:15.14 0.net
- よく、ペルシア文学はサファヴィー朝以降に衰退していったって言うけどさ、
そもそも文学の衰退って具体的に言うと、どういう事なんだろ?
その後も、ペルシアでは宮廷詩人とかは登場してるし・・・。
- 64 :世界@名無史さん:2011/05/27(金) 21:40:00.42 0.net
- >>63
詩以外の文学作品について言えば、
ガージャール朝時代には、旅行記や小説などの散文には優れた作品があるし。
ガージャール朝時代の旅行記については、
守川知子『シーア派聖地参詣の研究』 京都大学学術出版会 2007年。
杉田英明『日本人の中東発見』 東京大学出版会 1995年。
- 65 :世界@名無史さん:2011/05/28(土) 09:04:42.51 0.net
- >文学の衰退って具体的に言うと、どういう事
まんねりになって独創性がなくなること。
イランには今でも詩の愛好家は大勢います。
- 66 :世界@名無史さん:2011/06/06(月) 19:47:59.38 0.net
- >>63-65
近代には、
学校教育制度の普及、新聞や演劇などの新しい情報媒体の出現があるが、
これらは、小説などの新しい文学のジャンルを普及させるのに貢献している。
「イスラーム世界の文学が近代には衰退した」というのは、
勝手な思い込みに過ぎないと思うが。
- 67 :世界@名無史さん:2011/06/08(水) 01:28:57.05 0.net
- http://www.tube555.com/tube-watch/1355506/asian-guy-white-girl-interracial-sex-scene-.html
- 68 :世界@名無史さん:2011/06/12(日) 10:05:19.80 0.net
- >>32-35
中東というと、ムスリムばかりに目がいきがちですが、
中東のキリスト教徒について知るのに良い本は何かありませんか?
- 69 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/12(日) 11:52:31.95 0.net
- >>68
探してみたら、「中東キリスト教の歴史」というそのまんまのタイトルの本が、
あった。僕自身は読んでないのでどれぐらい詳しいのかは分からないけど。
- 70 :世界@名無史さん:2011/06/13(月) 16:28:46.32 0.net
- イラクのキリスト教徒といえばアッシリア人だな。
あの古代民族のアイディンティーが現在ではキリスト教徒であることらしいが。
イラクには古代の多神教を信じる小数民族がまだのこっているらしい。
イスラム教って、僧侶階級を否定したはずなのに、ウラマーやらイマームやらが
他の宗教の僧侶以上にでかい面してるよね?
ありゃ何故なんだろ?
- 71 :世界@名無史さん:2011/06/13(月) 17:51:52.82 0.net
- ファーティマとアリーの子孫がイマームの始まり
本願寺の世襲みたいなもの?
- 72 :世界@名無史さん:2011/06/13(月) 23:05:00.10 0.net
- ファーティマはカトリックの聖地と関係あるの?
- 73 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/13(月) 23:29:52.76 0.net
- >>70
アッシリア人は中東のキリスト教徒の中でもかなりマイナーなほうに入るね。
クルド人が自分たちはメディア人の末裔であるという説を出したりエジプトの、
コプト正教徒が儀礼などでエジプト語(コプト語)を使ったりと、あそこら辺の、
少数民族は古代オリエントの民族とのつながりを強調しがちな傾向にあると、
思う。アッシリア人もそのパターンかなという気がする。まぁただの推測だけど。
イマームはシーア派のほうだからまたちょっと違うけど、ウラマーの権限は、
同時代のキリスト教の聖職者とかと比べて特にでかいというほとでもないでしょ。
まぁ、僧侶階級を否定したって、人間社会なんだから宗教におけるそのような、
階級が出てくるのはある程度は不可抗力だと思うよ。イスラームとか関わらず。
- 74 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/13(月) 23:34:08.34 0.net
- >>72
ポルトガルの聖地のことを言ってるのかな?ファーティマというのは、
イスラーム圏では良くある女性名で、ポルトガルはイスラーム国に、
支配されてたから、その時の影響でそういう地名になったんじゃないの。
まぁ詳しくは知らないけど。
- 75 :世界@名無史さん:2011/06/13(月) 23:35:34.59 0.net
- ファーティマはムハンマドの娘
アリーはムハンマドの女婿の人名である。
- 76 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/13(月) 23:50:47.52 0.net
- >>75
そうだね。だからファーティマはイスラーム圏では昔から良くある、
女性名になってるよ。ポルトガルのファティマもその関係だと思う。
- 77 :世界@名無史さん:2011/06/14(火) 00:58:51.22 0.net
- ファティマ(Fátima)は、ポルトガルの都市。1917年に起こったとされる、ファティマの聖母の出現と呼ばれる宗教的幻視によって著名である。
ファティマは面積71 km² 人口およそ10,000人の町で、オポルトから187km南部、リスボンから123km北部のポルトガル中央部に位置する。
元来は小さな農村の町であったが、現在はローマ・カトリックの巡礼者を中心に国際的な巡礼地として知られる。
ファティマの名前は、アラビア語の女性名ファーティマ(Fāţimah, アラビア語表記: فاطمة )に由来する。
ムーア人の姫ファティマがレコンキスタの最中にキリスト教国側に捕らえられ、洗礼を受けキリスト教徒となり、
1158年にオウレン伯と結婚したという伝説がこの地に伝わっている。
- 78 :世界@名無史さん:2011/06/14(火) 01:01:17.34 0.net
- このオツカイとかいう人は、1次資料が読める訳でもないのに、あちこちで学者気取りなのですね?
- 79 :世界@名無史さん:2011/06/14(火) 01:19:20.00 0.net
- ポルトガルのファティマは、この地にいたムーア人の姫君ファーティマに由来する。
彼女はレコンキスタの最中にキリスト教徒に捕らえられたが、洗礼を受けてキリスト教徒となり、
1158年にオウレン伯と結婚したという。これは伝説ではあるが、まあそんなふうなことがあったのだろう。
アッシリア人は近代まで長らく「シリア人」と呼ばれており、言語もシリアで使われたアラム語。
「アッシリア東方教会」は、5世紀半ばにシリアのエデッサからニシビスに亡命したネストリウス派のこと。
20世紀になってオスマン帝国やアラブやクルドから迫害されまくり、欧米に離散していったが、
民族主義に目覚めて「古代アッシリア帝国の末裔だ」と言い出したらしい。
- 80 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/14(火) 05:53:57.91 0.net
- >>77>>79
やっぱりイスラーム圏のファーティマと関連性があるのね。
ポルトガルのファティマ自体はキリスト教の聖地だけど。
- 81 :世界@名無史さん:2011/06/18(土) 10:53:29.88 0.net
- >>70
ウラマーはイスラム法学者
コーランとシャリーアを解釈する学者であって僧侶ではない
- 82 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/18(土) 19:23:17.65 0.net
- >>81
イスラームは、教義の上では僧侶階級というのを否定してるから、
ウラマーというのは単にイスラーム学に関して詳しい学者を漠然と、
指してるに過ぎないんだよね。ただし、オスマン帝国ではウラマーに、
なるには試験などを受けてちゃんと国家に認められなければならず、
そういう意味では聖職者に近いかも。これは政教一致というよりは、
宗教を中央政府の管理下に治めようという意図のほうが大きいね。
このような宗教政策は現在のトルコにおいても少し共通してる。
- 83 :世界@名無史さん:2011/06/18(土) 19:29:12.15 0.net
- ウラマーはちょうど「儒者」のようなもの。
- 84 :世界@名無史さん:2011/06/18(土) 20:57:10.90 0.net
- そうだな儒者に近い
あくまでも学者であって僧侶じゃない
- 85 :世界@名無史さん:2011/06/19(日) 02:44:56.10 0.net
- ウラマーのほかにスーフィー、サーレフ、シャリーフ、ワリー、フキーなどが
存在するが、どれも「僧侶」じゃないよな
- 86 :世界@名無史さん:2011/06/19(日) 12:43:17.90 0.net
- >>81-85
イスラームでは聖職者を否定しているが、
ロシア帝国では、1788年にエカチェリーナ2世が、ウファにムスリム宗務協議会を設置し、
そこを中心にして、各地の宗教指導者(ムッラー)を組織化して社会に秩序をもたらす政策が採られた。
帝国の法律は、正教会の理解に基づいて、教会を中心とする教区や聖職者といった用語でムスリムの共同体を規定し、
ヴォルガ・ウラル地域のムスリム自身も、金曜モスクを中心とする共同体をマハッラと呼ぶようになった。
中央アジアでは、マハッラが居住地区に基づく共同体であり、モスクが副次的なのとは異なっている。
ヴォルガ・ウラル地域のムスリムは、ムッラーを「聖職者」とも呼んでおり、
帝政末期に彼らは、「イスラームに聖職者はいるのか」という論争を起こしたくらいだが、
このときもクルアーンやハディースを引きながら聖職者の存在を肯定する論者がいた。
長縄宣博「ロシア帝国のムスリムにとっての制度・地域・越境―タタール人の場合」
宇山智彦編『講座スラブ・ユーラシア学第2巻 地域認識論―多民族空間の構造と表象』
講談社 2008年。
- 87 :世界@名無史さん:2011/06/19(日) 22:02:20.07 0.net
- イスラム世界の周縁地域の話だな
アラブ世界には僧侶なんていない
- 88 :世界@名無史さん:2011/06/20(月) 06:55:54.10 0.net
- 建前だけで、実際には僧侶だろ
- 89 :世界@名無史さん:2011/06/21(火) 11:54:47.67 0.net
- スーフィーは、「行者様」であって
聖職者でも僧侶でもなく、シャーマンに近い。
- 90 :世界@名無史さん:2011/06/21(火) 13:02:26.22 0.net
- >>84だよな。
そもそも、アラビア語のアーレム(学者)の複数形がウラマーだからな。
- 91 :世界@名無史さん:2011/06/23(木) 21:18:26.09 0.net
- >>68-70
中東のキリスト教徒、ユダヤ教徒については、次の文献を参照。
菅瀬晶子『新月の夜も十字架は輝く―中東のキリスト教徒』(イスラームを知る6)
山川出版社 2010年。
松田俊道『聖カテリーナ修道院文書の歴史的研究』 中央大学出版部 2010年。
深沢克己編『ユーラシア諸宗教の関係史論』 勉誠出版 2010年。所収の以下の論文
宮武志郎「オスマン帝国とユダヤ教徒」、
黒木英充「オスマン帝国におけるギリシア・カトリックのミッレト成立
―重層的環境における摩擦と変容」、
田村愛理「漂着聖女信仰とユダヤ教徒―チュニジア、ジェルバ島の事例から」
- 92 :世界@名無史さん:2011/06/27(月) 19:19:38.33 0.net
- コーランに直接禁酒とは書いてないんだけど
何時から本格的にダメってことになったんだろ
- 93 :世界@名無史さん:2011/06/27(月) 20:50:51.70 0.net
- 段階は踏んだけど
禁酒については食卓編90〜91節で「忌み嫌われる悪魔の業」と呼んで
「これを避けなさい」と言っている
雌牛編219節でも、「益もある。だがその罪は、益よりも大である」と述べている
啓示の時期だけど、この2編はヒジュラ以降とされているから
政治組織として発展していく段階で禁酒が定められた
どれだけ本格的だったかは、ウマイヤ朝のカリフたちが離宮で隠れて飲酒していたから、
一般的には禁酒が当然守るべき規範として受け取られていたんだろう
- 94 :世界@名無史さん:2011/06/27(月) 20:51:50.19 0.net
- >>93
×禁酒については食卓編〜
○飲酒については食卓編〜
- 95 :世界@名無史さん:2011/06/27(月) 20:53:11.62 0.net
- カザフスタンやキルギスでは禁酒になった時代が全くないよ。
- 96 :世界@名無史さん:2011/06/27(月) 20:58:54.63 0.net
- サファヴィーのイスマイル1世も愛飲してたよな
- 97 :世界@名無史さん:2011/06/27(月) 21:11:13.22 0.net
- コーヒーも「イスラム法に反する」として長らく禁令が出されていたが
庶民はあまり気にしなかったようだ
- 98 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/28(火) 00:11:56.13 0.net
- 結構イスラーム圏では禁酒がそこまで厳密に守られてないからね。向こうの、
詩なんかを読むと酒を飲んでる場面が割りとあるし、オスマン帝国スルタンの、
セリム2世なんかは大酒飲みとして有名だし、バーブルとかも酒好きだからね。
- 99 :世界@名無史さん:2011/06/28(火) 00:55:10.32 0.net
- 「ルバイヤート」を忘れては困る
- 100 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/28(火) 08:11:55.22 0.net
- >>99
オマル・ハイヤーム自身が割りと無神論者に近い人だったしね。
彼の詩であるルバイヤートを読むと、当時のイスラーム圏でも、
人によっては結構普通に酒を飲んでたことがうかがえるね。
- 101 :世界@名無史さん:2011/07/02(土) 15:09:50.77 0.net
- 吉川弘文館というところから出てる『標準世界史地図』というのを見ていたら
「十三世紀後半の世界」でアラビア半島のヒジャーズのあたりに「シェリフ領」という勢力が根を張っているのですが
これがどういう勢力であったのかわかる人いますか?
- 102 :世界@名無史さん:2011/07/02(土) 16:27:22.68 0.net
- ヨルダン王家の先祖なのでは?
- 103 :世界@名無史さん:2011/07/02(土) 17:39:37.27 0.net
- カリフ・アリーとファーティマの子ハサンの末裔を称する、ハーシム(ファーティマ、ハサニー)家の政権。
10世紀頃からメッカなどヒジャーズ地方におり、13世紀以後はエジプトを支配した政権の宗主権のもと、
ヒジャーズ地方の太守として一定の自治を認められた。シャリーフ(シェリフ)とは「聖なる、高貴な出身」という程度の意味。
第一次大戦では、イギリスと結んでオスマン帝国に対する「アラブの反乱」を起こし、ヒジャーズ・ヨルダン・シリア・イラクにハシミテ王家を立てる。
しかしヒジャーズ王国は「アラブ人の王」「カリフ」を僭称し、10年もたずにナジュドのサウード家に征服された。
シリアを追い出されてイラクに来た王家も1958年の革命でつぶれ、今はヨルダンのみにハシミテ王家が残る。
- 104 :世界@名無史さん:2011/07/02(土) 19:25:11.37 0.net
- >>103
サンクス
現代のヨルダン王家にも連なる政権なんですね
- 105 :世界@名無史さん:2011/07/06(水) 01:01:48.17 0.net
- http://kinpatsugaijinmail.dtiblog.com/category35-8.html
- 106 :世界@名無史さん:2011/07/08(金) 00:33:07.11 0.net
- カリフ・アリーとファーティマの子ハサンの末裔を称するのであれば、シーアじゃないの?
- 107 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/08(金) 05:39:26.82 0.net
- >>106
たとえハサンの末裔を主張したとしても、自分たちがイマームだと
主張したのでなければ、別にシーア派ということにはならないでしょ。
- 108 :世界@名無史さん:2011/08/20(土) 13:14:43.38 0.net
- クルアーン読誦(第89章)と日本語意訳(Surah Al-Fajr)
http://www.youtube.com/watch?v=QrME0GQDOz4&feature=related
- 109 :世界@名無史さん:2011/08/25(木) 12:47:08.97 0.net
- >>63
確かにペルシア文学の本を読むと、大抵14世紀くらいで記述が終了しているよね。
サファヴィー朝〜立憲革命前夜までの数百年間に、ペルシア詩人の中で見るべきものがいなかったのは、なぜか?
それは、イランにおけるシーア派の台頭と関係があるように思う。というのは、
サファヴィー朝が権力を掌握すると、シーア派を国教として、その普及を強力に推進し、
国家の保護下で、シーア派のウラマーたちがイラン社会を支配することになったんだが、
それにより、自由な創作活動は阻害されることとなり、ペルシア文学は衰退していったのではないだろうか?
思い出してみれば分かる通り、ペルシア文学が盛んだった時代(フェルドゥーシー、ハイヤーム、サアディーたちの頃)には、
未だシーア派がイラン社会でそれほど一般的ではなかったのだ。それゆえに、文人たちは自由な創作活動が出来たのだろう。
- 110 :世界@名無史さん:2011/08/26(金) 13:28:55.03 0.net
- ラマダン
- 111 :世界@名無史さん:2011/09/01(木) 08:41:48.95 0.net
- >>109
ひょっとしたら、それは研究者の興味がそこで終わっているから、という
落ちは無し?「ペルシア語が結んだ世界」を読んでると、そんな可能性も
想像してしまう。
- 112 :世界@名無史さん:2011/09/01(木) 19:47:26.49 0.net
- だから 現在でも イラン国民は 詩文オタクなんだって!
- 113 :世界@名無史さん:2011/09/18(日) 16:07:20.62 0.net
- 井筒俊彦が、アラブ人は本来現実主義者、感覚的、非論理的で、イスラーム以前の
アラブ人の理想は「永生」を得ること、未来永劫に生きて行くことだったと
書いているんだが、なんだか中国人を連想させね?
- 114 :世界@名無史さん:2011/09/18(日) 19:31:11.69 0.net
- むしろ、「現実の向こう側の世界」に異様に執着するほうが少数派なんじゃね。
エジプト・ゾロアスター・ユダヤ → 死後の世界
ギリシア・インド → イデア or ブラフマン
この2系統が拡散しただけで、残りはせいぜい呪術的な世界把握でお茶を濁す感じ。
- 115 :世界@名無史さん:2011/09/19(月) 18:17:35.91 O.net
- 後代道教的な中国人なら連想する
- 116 :世界@名無史さん:2011/09/19(月) 18:33:26.53 0.net
- 所詮イスラームなど中国以下
中国のデッドコピーに過ぎん
- 117 :世界@名無史さん:2011/09/19(月) 18:51:58.33 O.net
- イスラム教は中国より広い地域と民族を制してるけどね
そもそもイスラム教と中国とは関係ない
- 118 :世界@名無史さん:2011/09/19(月) 19:42:50.49 0.net
- 日本では『歴史序説』のせいでイブン・ハルドゥーンがやたら有名だが、
彼は典型的なアラブの思想家というわけではないよな
本来のアラブ的歴史観では時間はあくまで非連続であって、連続ではない
- 119 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/19(月) 22:13:04.45 0.net
- >>118
イブン・ハルドゥーンは、確かに当時の中東では変わり者だったかも知れないね。
まぁ、人と違った面があるからこそ有名になれたんだろうけど。アラブの歴史観が、
非連続かどうかは置いといても独自の法則に基づく歴史論とか普通に変わってる。
- 120 :世界@名無史さん:2011/09/19(月) 23:09:28.15 0.net
- >>116
論拠を示してくれ
全く理解できない
- 121 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 00:24:45.27 0.net
- イブンハルドゥーンに続く学者が登場しなかったが、
15世紀からイスラム圏の学問に独創性が失われていくのはなぜなんだろうか。
経済と政治に限って言えば、この後も繁栄は続いていくんだけど・・・。
- 122 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/20(火) 05:43:36.02 0.net
- >>121
前に世界史板でその理由として良く言われてたのはスーフィズムの流行だったね。
スーフィズムが流行ったせいでイスラーム系の学問から合理性が失われたらしい。
- 123 : ◆axCVsGomao :2011/09/20(火) 06:57:39.97 0.net
- トルコ系遊牧民はスーフィー好きなんじゃないのか
トルコ系がイスラムを支配するようになって学問が停滞したイメージ
- 124 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 08:54:34.98 0.net
- 誤字脱字だらけの中国製海賊版コーラン、イランに出現
http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20110908017/1.htm
「世界の偽物大国」中国。ありとあらゆる分野の偽物商品を製造し続けているのはよく知られるところだが、
あまりにもヤバすぎる偽物商品を作っていたことが明らかとなった。2011年9月7日、RFI中国語版はイランに
中国製の偽コーランが出回っていると報じた。しかも誤字脱字だらけだという。
中国製コーラン、誤植だらけ…イランが輸入禁止
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/yomiuri-20110919-00484/1.htm
イスラム教に基づく厳格な統治が行われるイランで、出版社が最も大切な書物である聖典コーランを中国企業に発注した。
ところが発売前の検閲の段階で聖典に多数の誤植が見つかり、イラン政府は中国からのコーラン輸入を禁止した。
- 125 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 10:03:07.67 0.net
- 逆じゃねえの
ムウタズィラ派やスンナ派では満足できなくなったからスーフィズムが出てきた
- 126 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 10:21:13.39 0.net
- 回教神学や哲学や法学はいずれも此の神の超越性のみを強調して、
神の温かい慈愛を完全に忘れてしまった。彼等の説く神は信徒から
あまりにも遠く離れ去って、喚べど叫べど答えぬ神であった。
或は抽象作用の極限に見出される必然的存在者というような冷たい一個の概念であった。
神学や哲学に於てイスラムが生んだ優れた思想家達が論争に論争を重ねて行く間に、
論理学は発達したであろう、弁証法の技術は進んだであろう、神学や哲学の
雄大な体系が堂々と樹立されたであろう、併し乍ら、昔日のかの偉大なる人格神、
あの懐かしい神は何処へ行って了ったのであろうか。人々は不安になって来た。
もう一度愛の神の懐に帰りたくなって来た。換言すれば、神の超越的側面ではなくて、
内在的側面が恋しくなってきたのである。
by 井筒俊彦
- 127 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 13:30:31.96 0.net
- >>124
アラビア語を読み書きできないところに発注するなんてw
- 128 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 13:35:17.59 0.net
- だな。回族やカザフ族は翻訳クルアーンを使っている
- 129 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 14:42:35.97 0.net
- 翻訳ではなく他言語による解説書、な。
クルアーンはアラビア語以外への翻訳を禁止している。
- 130 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 14:53:17.77 0.net
- トルコ系カザフ民族にはそんなのカンケーない。
スーフィー(コ爾維希)は師匠であり、スーフィー教団(蘇非派)がいいといえば
小児錦だろうが回回文だろうが禁止されない。
- 131 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/20(火) 16:13:07.83 0.net
- >>123
まぁ、そういう面はあるかもね。トルコ系の進出とスーフィズムの流行は時期が、
かぶってるし。セルジューク朝などが進出した11世紀頃になってガザーリーが、
現れたせいでスーフィズムが認められるようになり哲学が廃れていったからね。
哲学以外の科学や数学とかもこの頃から衰退した感じ。トルコ系の進出のない、
イベリア半島のほうはその後もイブン・ルシュドみたいな哲学者が活躍したけど、
それもレコンキスタの進行などによって廃れていった。何か永田雄三氏によると、
トルコ人は哲学や科学のような抽象的な学問よりも音楽や絵画や文学みたいな、
分かりやすい芸術などを好んだらしい。特に建築面は結構力が入れられてたし。
だから、15世紀頃からは主にそっち方面では発展したけど学問のほうは廃れた。
>>125
そうだろうね。民衆にとってムウタズィラ派みたいな理屈っぽくて分かりにくい宗派よりは、
スーフィズムのように感覚的に理解するような宗派のほうが受け入れやすかったのかな。
そうしてスーフィズムが流行るようになって、>>126のような法学や哲学に対する批判が、
高まったため、そのようなイスラーム的な学問が徐々に廃れていったということだろうね。
- 132 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 16:59:00.50 0.net
- ムウタズィラ派って宗派じゃなくて学派じゃないの
- 133 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/20(火) 17:01:00.26 0.net
- >>132
まぁ正確にはそうだけど神学上の学派だから宗派と言っても大差ないかなと思って。
- 134 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 19:17:05.38 0.net
- 正直言って、古代ギリシャ文明やビザンツ文明と同じく、イスラーム文明も
その役割は終えたんじゃね?
- 135 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 20:26:24.28 0.net
- そういうこと言うと殺されかねない
- 136 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 21:09:43.53 0.net
- だってさ、人類の歴史はシュメール文明から始まって、数多の文明が興っては
滅ぶということを繰り返してきたんだ
ちなみに俺は、西欧文明だって永遠不滅ではあり得ないと思っているよ
西欧文明が生み出したサイエンスが普遍的だとも考えていない
- 137 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 23:49:14.08 O.net
- イスラム教はあくまでも宗教であって文明は派生的なものだと思う
- 138 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 23:54:27.56 O.net
- 文明にしても、別々に出たり消えたりするのではなくて、その中のある要素は受け継がれある要素は捨てられたり(また復活したり)して、形を変えて繋がっていくものだと思う
- 139 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 00:01:49.90 0.net
- >>136
しかし一つの文明がここまで世界に普及して世界の根幹となってる状況は歴史的には無いからなぁ。今までの文明の興亡とは比べられん気もするけど。
- 140 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 07:28:48.39 0.net
- >>139
だったらバーナード・ルイスの主張するように、西欧文明について学ぶか、
あるいは近代化を諦めるかどちらかの道しかないだろ
- 141 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 07:59:58.98 0.net
- ケマルやズィヤーは、イスラムはその最初期においては一種の議会制を採用しており、
したがって議会制に関して西洋はイスラムから学んだに過ぎず、今われわれはこれを
「取りもどす」だけだ、という信念を持っていたらしい
これはエジプトのリファー・アル・タフターウィーが、ヨーロッパの科学はもともと
イスラムから学んだものであるから、近代科学はイスラムの脅威ではないとしたのと同じ
西欧文明を自らとはまったく異質な文明とした上で、その優位性を認めているわけではない
でもここを乗り越えない限り、真の近代化はできないだろ
- 142 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 08:12:26.53 0.net
- >>141
そう言わないとウラマーなどの保守派が近代化政策に納得しなかったからだと思う。
まぁ、実際西欧文明がイスラムの影響を受けてる面は全くない訳ではないんだけど。
近代化の中心となってた人たちは西欧の優位を普通に認めてたから近代化政策を、
やったんでしょ。とは言え自分たちの文明の完全否定までは行きにくかっただろうね。
こういうのは非西欧圏の近代化では良く見られることだけど(日本の和魂洋才とか)。
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