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☆☆★イスラーム史総合スレ  その4★☆★

1 :世界@名無史さん:2011/04/17(日) 10:49:08.86 0.net
イスラーム世界の歴史について語るスレッドです。

前スレ
★☆★イスラーム史総合スレ  その3★☆★
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/whis/1289735509/

86 :世界@名無史さん:2011/06/19(日) 12:43:17.90 0.net
>>81-85
イスラームでは聖職者を否定しているが、
ロシア帝国では、1788年にエカチェリーナ2世が、ウファにムスリム宗務協議会を設置し、
そこを中心にして、各地の宗教指導者(ムッラー)を組織化して社会に秩序をもたらす政策が採られた。
帝国の法律は、正教会の理解に基づいて、教会を中心とする教区や聖職者といった用語でムスリムの共同体を規定し、
ヴォルガ・ウラル地域のムスリム自身も、金曜モスクを中心とする共同体をマハッラと呼ぶようになった。
中央アジアでは、マハッラが居住地区に基づく共同体であり、モスクが副次的なのとは異なっている。

ヴォルガ・ウラル地域のムスリムは、ムッラーを「聖職者」とも呼んでおり、
帝政末期に彼らは、「イスラームに聖職者はいるのか」という論争を起こしたくらいだが、
このときもクルアーンやハディースを引きながら聖職者の存在を肯定する論者がいた。

長縄宣博「ロシア帝国のムスリムにとっての制度・地域・越境―タタール人の場合」
 宇山智彦編『講座スラブ・ユーラシア学第2巻 地域認識論―多民族空間の構造と表象』
 講談社 2008年。

87 :世界@名無史さん:2011/06/19(日) 22:02:20.07 0.net
イスラム世界の周縁地域の話だな
アラブ世界には僧侶なんていない

88 :世界@名無史さん:2011/06/20(月) 06:55:54.10 0.net
建前だけで、実際には僧侶だろ

89 :世界@名無史さん:2011/06/21(火) 11:54:47.67 0.net
スーフィーは、「行者様」であって
聖職者でも僧侶でもなく、シャーマンに近い。

90 :世界@名無史さん:2011/06/21(火) 13:02:26.22 0.net
>>84だよな。
そもそも、アラビア語のアーレム(学者)の複数形がウラマーだからな。

91 :世界@名無史さん:2011/06/23(木) 21:18:26.09 0.net
>>68-70
中東のキリスト教徒、ユダヤ教徒については、次の文献を参照。

菅瀬晶子『新月の夜も十字架は輝く―中東のキリスト教徒』(イスラームを知る6)
 山川出版社 2010年。
松田俊道『聖カテリーナ修道院文書の歴史的研究』 中央大学出版部 2010年。

深沢克己編『ユーラシア諸宗教の関係史論』 勉誠出版 2010年。所収の以下の論文
宮武志郎「オスマン帝国とユダヤ教徒」、
黒木英充「オスマン帝国におけるギリシア・カトリックのミッレト成立
 ―重層的環境における摩擦と変容」、
田村愛理「漂着聖女信仰とユダヤ教徒―チュニジア、ジェルバ島の事例から」

92 :世界@名無史さん:2011/06/27(月) 19:19:38.33 0.net
コーランに直接禁酒とは書いてないんだけど
何時から本格的にダメってことになったんだろ

93 :世界@名無史さん:2011/06/27(月) 20:50:51.70 0.net
段階は踏んだけど
禁酒については食卓編90〜91節で「忌み嫌われる悪魔の業」と呼んで
「これを避けなさい」と言っている
雌牛編219節でも、「益もある。だがその罪は、益よりも大である」と述べている

啓示の時期だけど、この2編はヒジュラ以降とされているから
政治組織として発展していく段階で禁酒が定められた
どれだけ本格的だったかは、ウマイヤ朝のカリフたちが離宮で隠れて飲酒していたから、
一般的には禁酒が当然守るべき規範として受け取られていたんだろう

94 :世界@名無史さん:2011/06/27(月) 20:51:50.19 0.net
>>93
×禁酒については食卓編〜
○飲酒については食卓編〜

95 :世界@名無史さん:2011/06/27(月) 20:53:11.62 0.net
カザフスタンやキルギスでは禁酒になった時代が全くないよ。

96 :世界@名無史さん:2011/06/27(月) 20:58:54.63 0.net
サファヴィーのイスマイル1世も愛飲してたよな

97 :世界@名無史さん:2011/06/27(月) 21:11:13.22 0.net
コーヒーも「イスラム法に反する」として長らく禁令が出されていたが
庶民はあまり気にしなかったようだ

98 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/28(火) 00:11:56.13 0.net
結構イスラーム圏では禁酒がそこまで厳密に守られてないからね。向こうの、
詩なんかを読むと酒を飲んでる場面が割りとあるし、オスマン帝国スルタンの、
セリム2世なんかは大酒飲みとして有名だし、バーブルとかも酒好きだからね。

99 :世界@名無史さん:2011/06/28(火) 00:55:10.32 0.net
「ルバイヤート」を忘れては困る

100 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/06/28(火) 08:11:55.22 0.net
>>99
オマル・ハイヤーム自身が割りと無神論者に近い人だったしね。
彼の詩であるルバイヤートを読むと、当時のイスラーム圏でも、
人によっては結構普通に酒を飲んでたことがうかがえるね。

101 :世界@名無史さん:2011/07/02(土) 15:09:50.77 0.net
吉川弘文館というところから出てる『標準世界史地図』というのを見ていたら
「十三世紀後半の世界」でアラビア半島のヒジャーズのあたりに「シェリフ領」という勢力が根を張っているのですが
これがどういう勢力であったのかわかる人いますか?

102 :世界@名無史さん:2011/07/02(土) 16:27:22.68 0.net
ヨルダン王家の先祖なのでは?

103 :世界@名無史さん:2011/07/02(土) 17:39:37.27 0.net
カリフ・アリーとファーティマの子ハサンの末裔を称する、ハーシム(ファーティマ、ハサニー)家の政権。
10世紀頃からメッカなどヒジャーズ地方におり、13世紀以後はエジプトを支配した政権の宗主権のもと、
ヒジャーズ地方の太守として一定の自治を認められた。シャリーフ(シェリフ)とは「聖なる、高貴な出身」という程度の意味。

第一次大戦では、イギリスと結んでオスマン帝国に対する「アラブの反乱」を起こし、ヒジャーズ・ヨルダン・シリア・イラクにハシミテ王家を立てる。
しかしヒジャーズ王国は「アラブ人の王」「カリフ」を僭称し、10年もたずにナジュドのサウード家に征服された。
シリアを追い出されてイラクに来た王家も1958年の革命でつぶれ、今はヨルダンのみにハシミテ王家が残る。

104 :世界@名無史さん:2011/07/02(土) 19:25:11.37 0.net
>>103
サンクス
現代のヨルダン王家にも連なる政権なんですね

105 :世界@名無史さん:2011/07/06(水) 01:01:48.17 0.net
http://kinpatsugaijinmail.dtiblog.com/category35-8.html

106 :世界@名無史さん:2011/07/08(金) 00:33:07.11 0.net
カリフ・アリーとファーティマの子ハサンの末裔を称するのであれば、シーアじゃないの?

107 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/07/08(金) 05:39:26.82 0.net
>>106
たとえハサンの末裔を主張したとしても、自分たちがイマームだと
主張したのでなければ、別にシーア派ということにはならないでしょ。

108 :世界@名無史さん:2011/08/20(土) 13:14:43.38 0.net
クルアーン読誦(第89章)と日本語意訳(Surah Al-Fajr)
http://www.youtube.com/watch?v=QrME0GQDOz4&feature=related




109 :世界@名無史さん:2011/08/25(木) 12:47:08.97 0.net
>>63
確かにペルシア文学の本を読むと、大抵14世紀くらいで記述が終了しているよね。
サファヴィー朝〜立憲革命前夜までの数百年間に、ペルシア詩人の中で見るべきものがいなかったのは、なぜか?

それは、イランにおけるシーア派の台頭と関係があるように思う。というのは、
サファヴィー朝が権力を掌握すると、シーア派を国教として、その普及を強力に推進し、
国家の保護下で、シーア派のウラマーたちがイラン社会を支配することになったんだが、
それにより、自由な創作活動は阻害されることとなり、ペルシア文学は衰退していったのではないだろうか?

思い出してみれば分かる通り、ペルシア文学が盛んだった時代(フェルドゥーシー、ハイヤーム、サアディーたちの頃)には、
未だシーア派がイラン社会でそれほど一般的ではなかったのだ。それゆえに、文人たちは自由な創作活動が出来たのだろう。

110 :世界@名無史さん:2011/08/26(金) 13:28:55.03 0.net
ラマダン

111 :世界@名無史さん:2011/09/01(木) 08:41:48.95 0.net
>>109
ひょっとしたら、それは研究者の興味がそこで終わっているから、という
落ちは無し?「ペルシア語が結んだ世界」を読んでると、そんな可能性も
想像してしまう。

112 :世界@名無史さん:2011/09/01(木) 19:47:26.49 0.net
だから 現在でも イラン国民は 詩文オタクなんだって!

113 :世界@名無史さん:2011/09/18(日) 16:07:20.62 0.net
井筒俊彦が、アラブ人は本来現実主義者、感覚的、非論理的で、イスラーム以前の
アラブ人の理想は「永生」を得ること、未来永劫に生きて行くことだったと
書いているんだが、なんだか中国人を連想させね?

114 :世界@名無史さん:2011/09/18(日) 19:31:11.69 0.net
むしろ、「現実の向こう側の世界」に異様に執着するほうが少数派なんじゃね。
 エジプト・ゾロアスター・ユダヤ  → 死後の世界
 ギリシア・インド  → イデア or ブラフマン
この2系統が拡散しただけで、残りはせいぜい呪術的な世界把握でお茶を濁す感じ。

115 :世界@名無史さん:2011/09/19(月) 18:17:35.91 O.net
後代道教的な中国人なら連想する

116 :世界@名無史さん:2011/09/19(月) 18:33:26.53 0.net
所詮イスラームなど中国以下
中国のデッドコピーに過ぎん

117 :世界@名無史さん:2011/09/19(月) 18:51:58.33 O.net
イスラム教は中国より広い地域と民族を制してるけどね

そもそもイスラム教と中国とは関係ない

118 :世界@名無史さん:2011/09/19(月) 19:42:50.49 0.net
日本では『歴史序説』のせいでイブン・ハルドゥーンがやたら有名だが、
彼は典型的なアラブの思想家というわけではないよな
本来のアラブ的歴史観では時間はあくまで非連続であって、連続ではない


119 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/19(月) 22:13:04.45 0.net
>>118
イブン・ハルドゥーンは、確かに当時の中東では変わり者だったかも知れないね。
まぁ、人と違った面があるからこそ有名になれたんだろうけど。アラブの歴史観が、
非連続かどうかは置いといても独自の法則に基づく歴史論とか普通に変わってる。

120 :世界@名無史さん:2011/09/19(月) 23:09:28.15 0.net
>>116
論拠を示してくれ
全く理解できない

121 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 00:24:45.27 0.net
イブンハルドゥーンに続く学者が登場しなかったが、
15世紀からイスラム圏の学問に独創性が失われていくのはなぜなんだろうか。
経済と政治に限って言えば、この後も繁栄は続いていくんだけど・・・。

122 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/20(火) 05:43:36.02 0.net
>>121
前に世界史板でその理由として良く言われてたのはスーフィズムの流行だったね。
スーフィズムが流行ったせいでイスラーム系の学問から合理性が失われたらしい。

123 : ◆axCVsGomao :2011/09/20(火) 06:57:39.97 0.net
トルコ系遊牧民はスーフィー好きなんじゃないのか
トルコ系がイスラムを支配するようになって学問が停滞したイメージ

124 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 08:54:34.98 0.net
誤字脱字だらけの中国製海賊版コーラン、イランに出現
http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20110908017/1.htm
「世界の偽物大国」中国。ありとあらゆる分野の偽物商品を製造し続けているのはよく知られるところだが、
あまりにもヤバすぎる偽物商品を作っていたことが明らかとなった。2011年9月7日、RFI中国語版はイランに
中国製の偽コーランが出回っていると報じた。しかも誤字脱字だらけだという。

中国製コーラン、誤植だらけ…イランが輸入禁止
http://news.nifty.com/cs/world/worldalldetail/yomiuri-20110919-00484/1.htm
イスラム教に基づく厳格な統治が行われるイランで、出版社が最も大切な書物である聖典コーランを中国企業に発注した。
ところが発売前の検閲の段階で聖典に多数の誤植が見つかり、イラン政府は中国からのコーラン輸入を禁止した。

125 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 10:03:07.67 0.net
逆じゃねえの
ムウタズィラ派やスンナ派では満足できなくなったからスーフィズムが出てきた


126 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 10:21:13.39 0.net
回教神学や哲学や法学はいずれも此の神の超越性のみを強調して、
神の温かい慈愛を完全に忘れてしまった。彼等の説く神は信徒から
あまりにも遠く離れ去って、喚べど叫べど答えぬ神であった。
或は抽象作用の極限に見出される必然的存在者というような冷たい一個の概念であった。
神学や哲学に於てイスラムが生んだ優れた思想家達が論争に論争を重ねて行く間に、
論理学は発達したであろう、弁証法の技術は進んだであろう、神学や哲学の
雄大な体系が堂々と樹立されたであろう、併し乍ら、昔日のかの偉大なる人格神、
あの懐かしい神は何処へ行って了ったのであろうか。人々は不安になって来た。
もう一度愛の神の懐に帰りたくなって来た。換言すれば、神の超越的側面ではなくて、
内在的側面が恋しくなってきたのである。

                         by 井筒俊彦

127 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 13:30:31.96 0.net
>>124
アラビア語を読み書きできないところに発注するなんてw

128 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 13:35:17.59 0.net
だな。回族やカザフ族は翻訳クルアーンを使っている

129 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 14:42:35.97 0.net
翻訳ではなく他言語による解説書、な。
クルアーンはアラビア語以外への翻訳を禁止している。

130 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 14:53:17.77 0.net
トルコ系カザフ民族にはそんなのカンケーない。
スーフィー(コ爾維希)は師匠であり、スーフィー教団(蘇非派)がいいといえば
小児錦だろうが回回文だろうが禁止されない。

131 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/20(火) 16:13:07.83 0.net
>>123
まぁ、そういう面はあるかもね。トルコ系の進出とスーフィズムの流行は時期が、
かぶってるし。セルジューク朝などが進出した11世紀頃になってガザーリーが、
現れたせいでスーフィズムが認められるようになり哲学が廃れていったからね。
哲学以外の科学や数学とかもこの頃から衰退した感じ。トルコ系の進出のない、
イベリア半島のほうはその後もイブン・ルシュドみたいな哲学者が活躍したけど、
それもレコンキスタの進行などによって廃れていった。何か永田雄三氏によると、
トルコ人は哲学や科学のような抽象的な学問よりも音楽や絵画や文学みたいな、
分かりやすい芸術などを好んだらしい。特に建築面は結構力が入れられてたし。
だから、15世紀頃からは主にそっち方面では発展したけど学問のほうは廃れた。

>>125
そうだろうね。民衆にとってムウタズィラ派みたいな理屈っぽくて分かりにくい宗派よりは、
スーフィズムのように感覚的に理解するような宗派のほうが受け入れやすかったのかな。
そうしてスーフィズムが流行るようになって、>>126のような法学や哲学に対する批判が、
高まったため、そのようなイスラーム的な学問が徐々に廃れていったということだろうね。

132 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 16:59:00.50 0.net
ムウタズィラ派って宗派じゃなくて学派じゃないの

133 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/20(火) 17:01:00.26 0.net
>>132
まぁ正確にはそうだけど神学上の学派だから宗派と言っても大差ないかなと思って。

134 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 19:17:05.38 0.net
正直言って、古代ギリシャ文明やビザンツ文明と同じく、イスラーム文明も
その役割は終えたんじゃね?

135 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 20:26:24.28 0.net
そういうこと言うと殺されかねない

136 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 21:09:43.53 0.net
だってさ、人類の歴史はシュメール文明から始まって、数多の文明が興っては
滅ぶということを繰り返してきたんだ
ちなみに俺は、西欧文明だって永遠不滅ではあり得ないと思っているよ
西欧文明が生み出したサイエンスが普遍的だとも考えていない

137 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 23:49:14.08 O.net
イスラム教はあくまでも宗教であって文明は派生的なものだと思う

138 :世界@名無史さん:2011/09/20(火) 23:54:27.56 O.net
文明にしても、別々に出たり消えたりするのではなくて、その中のある要素は受け継がれある要素は捨てられたり(また復活したり)して、形を変えて繋がっていくものだと思う

139 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 00:01:49.90 0.net
>>136
しかし一つの文明がここまで世界に普及して世界の根幹となってる状況は歴史的には無いからなぁ。今までの文明の興亡とは比べられん気もするけど。

140 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 07:28:48.39 0.net
>>139
だったらバーナード・ルイスの主張するように、西欧文明について学ぶか、
あるいは近代化を諦めるかどちらかの道しかないだろ



141 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 07:59:58.98 0.net
ケマルやズィヤーは、イスラムはその最初期においては一種の議会制を採用しており、
したがって議会制に関して西洋はイスラムから学んだに過ぎず、今われわれはこれを
「取りもどす」だけだ、という信念を持っていたらしい
これはエジプトのリファー・アル・タフターウィーが、ヨーロッパの科学はもともと
イスラムから学んだものであるから、近代科学はイスラムの脅威ではないとしたのと同じ
西欧文明を自らとはまったく異質な文明とした上で、その優位性を認めているわけではない
でもここを乗り越えない限り、真の近代化はできないだろ

142 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 08:12:26.53 0.net
>>141
そう言わないとウラマーなどの保守派が近代化政策に納得しなかったからだと思う。
まぁ、実際西欧文明がイスラムの影響を受けてる面は全くない訳ではないんだけど。
近代化の中心となってた人たちは西欧の優位を普通に認めてたから近代化政策を、
やったんでしょ。とは言え自分たちの文明の完全否定までは行きにくかっただろうね。
こういうのは非西欧圏の近代化では良く見られることだけど(日本の和魂洋才とか)。

143 : ◆axCVsGomao :2011/09/21(水) 08:57:43.13 0.net
ケマルは信じがたいな
アラビア文字まで否定してるのに


144 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 09:16:10.75 0.net
>>143
あそこまで徹底した政教分離や近代化を行なったケマルが西欧文明の優位を、
認めてなかったとは考えにくいね。国内の保守派向けの建前かも知れないけど。

145 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 09:19:06.38 0.net
後は、ナショナリズムの高揚のためというのもあるかも知れないなぁ。
革命直後のトルコをまとめるためには、ある程度のナショナリズムは、
必要だし。まぁ、没落したエンヴェルほどには唱えてなかったけどね。

146 : ◆axCVsGomao :2011/09/21(水) 09:19:56.20 0.net
ケマルはイスラム教は古臭いものとして完全に切り離そうと思ってたと思う
現実主義なだけでしょ 今の日本人が宗教をみる感覚に近いと思う


147 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 09:20:37.47 0.net
>>143>>144
ソースは新井政美『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』(青土社)

148 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 09:23:11.35 0.net
>>146
ケマルはかなりのリアリストだと思う。
エンヴェルとの対比で余計にそう思えるのかも知れないけど。

>>147
あれ?それ読んだけど、そのケマルってトルコ革命したケマルじゃなくて、
ナムク・ケマルのほうじゃなかった?ケマルだけだと2人いてややこしい。

149 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 09:31:51.58 0.net
ttp://am.jungle-jp.com/song06_2.html
トルコ・ナショナリズムの虚構性は、次のような逸話に端的に見ることができる。
マスター・プランを作ったムスタファ・ケマルは、一九二八年に、その協力者の一人、
アフェト・イナンがある本の中で、トルコ民族は黄色人種に属しているゆえに
下等な民族であるという主張を発見したとの報告を受けて、驚愕した。
これ以後、彼はトルコ民族の歴史の基本テーゼを模索し、一九三二年の
トルコ歴史学会第一回大会で確立された。その骨子は、
1)トルコ民族の歴史はオスマン帝国のそれにとどまらず、太古にさかのぼるものであり、
トルコ民族こそが文明を他の民族に伝えた功労者である。
2)トルコ人は黄色人種でなく、白色人種であり、トルコ人は最古の文明を
うみだした人々の末裔である。
3)トルコ民族は中央アジアに起源を発し、その移住した先々、すなわち、
イラン、アナトリア、エジプト、エーゲ海沿岸の文明の創始者たちも
中央アジアに起源を発している。
というものであった。こうした極度に誇張されたエスノ・セントリズムは
現在にも引き継がれて、前トルコ首相トゥルグト・オザルはその著書
『ヨーロッパの中のトルコ』の中で、タレース、アナクシマンドロス、
ピタゴラス、クセノフォントといった哲学や歴史、地理学などの始祖は
いずれもトルコ人であったと主張している。トルコの世俗主義、ケマリズムの
内部にはこうした過度の西洋信仰が埋め込まれており、ナショナリズムの
もう一方の構成要素であるイスラム的伝統との不整合が、政治的安定を損なっている。

150 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 09:44:33.87 0.net
>>149
何かかなり電波っぽい内容だけど、実際前に読んだトルコの歴史教科書には、
これと似たようなことが書いてあったなぁ。確かに、現在のトルコ人にはかなり、
古代アナトリア辺りの血も混じってるだろうし古代オリエントには中央アジアと、
関わりの深い部分もあるけどそれでもこの主張がかなり極端なのは否めない。
まぁ、ケマルは領土をアナトリアに押さえ大トルコ主義には走らなかったけどね。
(前に読んだトルコの歴史教科書はかなり古いから今も同じなのかは知らない)

151 : ◆axCVsGomao :2011/09/21(水) 09:48:23.67 0.net
トルコ人の最大の矛盾は古代ローマ帝国を滅ぼした民族だということだな


152 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 09:49:56.65 0.net
やっぱりトルコ人は西欧文明を理解できていない

153 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 11:33:00.92 0.net
>>142
日本人は議会制がもともとは日本起源だなんて主張していないがなw

154 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 11:43:23.56 0.net
>>153
それは日本は近世まで西欧との付き合いがほとんどなかったからだと思う。
イスラーム圏は地理的に西欧と近いせいか、実際いくつかの面では西欧に、
影響を与えてるからね。西欧の議会が本当にイスラーム起源かはともかく、
日本と違ってそのような主張がしやすかったというのはあると思う。日本は、
歴史的に西欧との付き合いが薄いから西欧の○○が日本起源なんていう、
主張はしにくい。イスラーム圏のほうがまだマシな根拠をこじつけられるね。
まぁ本当に西欧の議会がイスラーム起源なのかどうかはまた別の話だけど。

155 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 11:49:58.67 0.net
>>154
かつて中国では、「西学中原起源論」が唱えられていたぞw
日本と同様、近世まで西欧との付き合いがほとんどなかったのになw

156 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 11:57:39.32 0.net
>>155
う〜ん、そこら辺は中国的な大国思想の基づいてる気がする。まぁ、そういう意味では、
イスラーム圏も同じかな。日本と違って中国やイスラーム圏はかつて先進地域だった、
経験があるからね。議会制の起源云々を唱えたのはオスマン帝国のエリート階級だし、
それらの人々の間にオスマン帝国はかつて大国だったという自負がまだあったのかな。

157 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 12:01:25.83 0.net
だからもはや中国やイスラム圏が近代化するのは絶望的だと…

158 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 12:08:35.48 0.net
>>157
と言っても、いつまでもそうとは限らないでしょ。実際、オスマン帝国及びトルコ共和国では、
近代化政策を進めてきた歴史があるからね。純粋に西欧の優位を認めてた人がいたから、
近代化を行なってたんだし。大国意識もあるけどその一方でケマルみたいに冷静に現実を、
認識してたタイプもいたしね。実際、トルコはそれなりに近代化政策に成功してる国だと思う。

159 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 12:53:18.81 0.net
ムスリムは中世ヨーロッパの業績をを認めようとしないよな
ちょうど中韓人が中世や江戸時代の日本人の業績を認めようとしないように
これが奴らの限界

160 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 12:54:51.76 0.net
変な奴が沸いてるな (^^)

161 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 13:20:41.69 0.net
古代ギリシャ厨、ローマ厨(w

162 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 19:07:45.02 0.net
日本は江戸時代までの文化も宗教も伝統もを全て捨て去って素直に西欧文化を受け入れた。
中国やイスラムは今までの文化や宗教や伝統に固執し過ぎて中途半端だった。

その差が日本と中国イスラム、さらには他のアジアアフリカオセアニア諸国の差

163 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 19:12:40.97 0.net
>>150

そもそも佐原はセルビア研究者。ケマルが晩年狂ったのは事実だけど、そのリンク先の文章みると電波だよ
例えばチェルケス人のことを「コーカサス山岳部のトルコ系諸民族」とか言っている。

これ程極端じゃなくとも、ブルガリア北西部のトルコ語をあたかもトルコのトルコ語とかなりの差異があるかの
様に書いているけど、実際のトルコ語の専門家に言わせると
ttp://www.cc.okayama-u.ac.jp/~kuri/hokoku.htm
>この村で使用されているトルコ語は進行形の形に特徴があるものの、その他の点ではトルコ語とよく似ている(も
>ちろん細かな語彙的・音韻的相違は沢山ある)。トルコ語の一方言という感じであるし、実際にそうだ
 
という風になる。

164 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 19:31:02.46 0.net
>>163
リンク先読んでなかった。この文章、佐原徹哉氏のなのか。まぁ、
確かにいくつか間違いのある文章っていう気はするね。ケマルは、
トルコナショナリズムを唱えたけど、そこまで過激ではなかったと、
思うし。まぁ、トルコ語の純化とかは多少行き過ぎてた気もするか。

165 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 19:33:43.81 0.net
永田雄三氏によると、アタテュルクの提唱によって生まれた「トルコ史テーゼ」では、
トルコ人の故地が中央アジアにあり、トルコ人はすでにその頃から高度な文明を
有していたことが強調された後、中国、インド、イラン、エジプトなど古い文明を誇る
諸国の歴史でトルコ人が果たした大きな役割が叙述される。そして、中央アジアから
移住したトルコ人とされるシュメール人の文明の優秀さとギリシア文明に対する
アナトリアのヒッタイト文明の先行性が説明され、この二つの文明がギリシア、
ローマ文明の母体となったとの主張がなされているそうです。

166 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/21(水) 19:45:58.19 0.net
>>165
トルコの歴史教科書でシュメール人は移住したトルコ人だみたいなことが、
書いてあったのを読んだ時は面食らったなぁ。「匈奴=トルコ人」程度でも、
本当かどうか疑わしいのに、シュメール人なんてかなり無理あるような気が、
するからね。まぁ確かにシュメール人は系統不明の民族ではあるんだけど。
だいぶ古い歴史教科書だから今でもそう書いてあるのかは分からないけど、
かなりトルコナショナリズムに基づいた歴史教育が長い間なされてたみたい。

167 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 20:05:02.69 O.net
なんか韓国期限説に似たものを感じるけど、そういうのって韓国やトルコだけじゃないんだろうね

168 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 20:06:15.40 0.net
ギリシャ共和国もかなりのデムパ国家だけどな

169 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 20:12:20.34 0.net
>>167
>韓国期限説
「起源説」の間違いなんだろうけど、韓国には国の存在が期限切れして欲しいわwww

170 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 20:21:59.97 0.net
43 :世界@名無史さん:03/07/26 23:17
>>29
 やっぱしギリシャ人で笑えるのは19世紀末まで自分たちを「キリスト教系トルコ人」と言っていた事実を隠蔽していることでしょう。

>>30
 ファルメライヤーは確か禁書扱いの筈。

>>34
ビザンチンの「歴史」といっても自分たちに都合のいい部分は「古代ギリシャからの伝統」などと言って継続性を主張しているが、ビザンツ史の中でも都合の悪い部分は「実はギリシャ人でなかった」とかなり切り捨てているね。
例として鼻の削ぎ落とし、宮刑、前皇帝一族の目潰しなんかは「外来」扱い。ユスティニアヌスは奥さんのせいで「ヴラフ人」にさせられてるし、アルメニア人だったバシレイオス2世は「侵略者を懲罰した」ということだけで「ギリシャ人」にされていた。

171 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 21:56:14.40 0.net
トゥラニズムには政治的な事情も大きいよな。
トルコ民族の国家を形成するに当たり、その歴史的支柱が必要だったからね。
だから、ヒッタイトもトルコじゃね?とか言い出すし。


172 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 22:23:37.13 0.net
ヒッタイトは年代古すぎ。
匈奴ぐらいなら、なんとなく漢文などの手がかりあるけど、ヒッタイトはマジで古過ぎ

173 :世界@名無史さん:2011/09/21(水) 22:36:05.66 0.net
1935年には、人類のすべての言語が、太古、中央アジアで話されていた言語から
発展したとする「太陽言語説」がアタテュルクに支持され、世界言語の中で
トルコ語が占める特殊な位置が強調されるに至る。


174 :世界@名無史さん:2011/09/22(木) 18:56:31.47 0.net
最近、トルコではオスマン帝国が再評価されるようになっているってマジ?



175 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/22(木) 19:22:51.40 0.net
>>174
トルコでオスマン帝国が悪評だったのは革命直後ぐらいで僕が前に読んだ、
トルコの歴史教科書(結構古いやつだけど)でも普通に評価されてたと思うし、
前から再評価されてたんじゃないの。まぁあれだけの大帝国を築いてたのに、
歴史教育において、それを全く誇らずに教えるっていうのも無理な気はするし。
とは言え、ケマルの名誉のため革命直前に関しては今でも悪評みたいだけど。
ちなみに最近のトルコではビザンツ帝国のほうも再評価されてきてるらしいね。

176 :世界@名無史さん:2011/09/23(金) 11:00:27.46 0.net
>>159
中世ヨーロッパも馬鹿に出来ないよな。
12世紀の段階で、すでにイスラムに文化圏では並んでいた。
13世紀以後は完全にヨーロッパのほうが上だった。
13世紀以後は全くアラビア科学を学ばなかったよな、ギリシャローマ古典にあたりだしたから。

177 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2011/09/23(金) 11:12:24.86 0.net
>>176
文化っていうか学問面ではそうかもね。中世ヨーロッパ暗黒説はもはや古いし。
学問の分野に関して言えば12世紀頃から中東では衰退の兆しが見えてたから、
ヨーロッパのほうが完全に上というと言いすぎだと思うけど中東が圧倒的だった、
時代はもう過ぎてるかな。その他の文化に関してはその後も結構発展したけど。
でも、13世紀以後ヨーロッパが全くイスラーム科学を学ばなかった訳じゃないよ。
イブン・スィーナーやフワーリズミーとかは13世紀以後も割りと影響を保ってた。
とは言え、十字軍以降は中世ヨーロッパもそれなりに発展してきてたとは思うね。

178 : ◆axCVsGomao :2011/09/23(金) 12:13:44.57 0.net
>>176
アラビアではギリシア古典に注釈書をつける習慣があったんだよ
注釈書に自分の説をのせたわけ
ヨーロッパはアラビア経由でギリシア哲学学んだわけで
当然のことながら原典のみではなく注釈書から学んでいる

179 :世界@名無史さん:2011/09/23(金) 16:03:24.73 0.net
711 : 名無し三等兵: 2011/07/07(木) 18:38:59.36 ID:??? [947回発言] 日本でアジア人の視点から、あれはコーランじゃなくてクルーアンと発音した方が良いという所から入る独特のイスラム学があるな

一回あの視点で見ちゃうと、国際社会がどうやったらイスラム教国家と平和に共存できるか?という考え方が
ますます分からなくなっちゃうんだよなw
まさに「全員アッラーに帰依しなさいさもなくば貢納か戦いだ」本当にそれだけ

180 :世界@名無史さん:2011/09/24(土) 19:38:41.50 0.net
http://japanese.joins.com/article/276/143276.html?servcode=100§code=120
【コラム】韓国の歴史、モンゴル−トルコベルトまで広めるべき


181 :世界@名無史さん:2011/09/24(土) 23:25:33.48 0.net
エマニュエル・トッドさん 「アラブの春」を予言、背景と見通しは?
http://mainichi.jp/select/opinion/approach/news/20110924ddm004070007000c.html

182 : ◆axCVsGomao :2011/09/25(日) 08:50:54.62 0.net
エマニュエル・トッドはイスラム圏は西欧化の最中だといっていたけど
まさにそのとおりだったわけか

183 :世界@名無史さん:2011/09/25(日) 12:08:06.03 0.net
『世界の教科書=歴史001 トルコ:1』(E・オクタイ/N・アクシト、ほるぷ出版)

20世紀の初頭に、中央アジアで考古学的調査を行った米国人の学者グループは、
カスピ海の東、アシハバード付近のアナヴで2つの古墳を発掘した。
この発掘で、世界のその他の地域では人類がまだきわめて未開であった当時に、
ここに居住していたトルコ人は文化面で進歩していたことが明らかになった。
発掘が行われた最下層には、家々を日干し煉瓦で造った村落が発見された。
出土品の中には、手回しの石臼や家の中で炭化した大麦・小麦の穀粒があった。
これは、ここの人々が農業に従事していたこと、穀物を石臼でひいてパンを
作る方法を知っていたことを示すものである。また、この層からは、
彩色・模様入りの粘土製の土鍋や、人間や動物の粘土像が出土した。
動物はこのころに家畜化されはじめたものと考えられている。
さらに上部の諸層には多量の銅器や、ろくろにかけた、もっと装飾を施した
壺や土鍋も見つかっている。この地域で行われた他の発掘の結果、トルコ人の
故地における最初の文明は広い範囲に伝播していたことがわかった。

184 :世界@名無史さん:2011/09/25(日) 12:09:50.79 0.net
「トルコ人」の定義によって、だいぶ変わってくるよね

185 :世界@名無史さん:2011/09/25(日) 12:28:21.25 0.net
『世界の教科書=歴史001 トルコ:1』(E・オクタイ/N・アクシト、ほるぷ出版、P.30)

……東方・南方・西方の3方向へ移動した。西方へいった人々の一部はカスピ海の
北部を経由して南ロシアと中部ヨーロッパへ、他の一部はカスピ海の南部から
イラン・メソポタミア・アナトリア・シリア・エジプト・エーゲ海地方へと広がった。
短頭で中央アジア系のこの人々は、移動した先ざきで石器時代の段階にある
人々を磨製石器や金属器時代へと向上させ、農耕や動物の飼育や金属の
使い方を教えたのである。


186 :世界@名無史さん:2011/09/25(日) 12:59:02.20 0.net
ttp://blog.goo.ne.jp/mugi411/e/25ff2af4b305cea2a84a88208743b4f8

シリアにもクルド人が30万ほどおり、彼らはここでも貧しい生活を強いられている。
歴史の授業の描写は面白い。生徒からも軽く見られている教師がウマイヤ朝(661-750)について、
周辺諸国は輝かしいアラブ文明の前に門戸を開放して野蛮状態を脱した、と講義したのだ。
実際は後の西欧帝国主義と変わらぬ軍事征服を“門戸開放”と表現するが、生徒の一人が
「では、トルコに4百年間、フランスに25年、我々は門戸を開放していたのですね」と混ぜ返す。
すると教師は憤然として「それは植民地主義で、事情が違う」と答えた。
この教師は十字軍時代のサラディンを「アラブの英雄」と呼んだ所、著者のクルド人の友人・
ヌーがすかさず「サラディンはクルド人ですよ」と抗議する。著者は初めて彼をクルド人と知ったらしい。
周辺で誰もサラディンをクルド人と言った者はなかったから。反論された先生は
「サラディンは素晴らしいイスラムの戦士だった。アラブの心を持っていた。
だからアラブ人だ」と我田引水気味の説をぶつ

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