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歴史上最も逃げることがうまかったヤツって誰だ?

1 :世界@名無史さん:2012/02/10(金) 20:28:59.98 0.net
桂小五郎と劉備がぱっと思い浮かんだけど

41 :世界@名無史さん:2012/02/12(日) 10:30:48.01 0.net
そりゃ大陸だからな
狭い列島で逃げおおせたヒロヒトの凄さがわかろうってもんだ

42 :世界@名無史さん:2012/02/12(日) 16:03:38.34 0.net
逃げちゃだめだ
逃げちゃだめだ
逃げちゃだめだ

43 :世界@名無史さん:2012/02/12(日) 16:05:41.71 0.net
ベーラ4世かな
モンゴル軍から逃げ切った

44 :世界@名無史さん:2012/02/12(日) 17:46:07.33 O.net
ほうじゃのう、わしも親父と毛沢東が五寸か云われちゃ物も云えんのう。

45 :世界@名無史さん:2012/02/12(日) 18:23:35.48 O.net
まあ…ええ

46 :世界@名無史さん:2012/02/12(日) 19:07:59.54 0.net
レーニンも逃亡に逃亡を重ねて革命を成し遂げたな

47 :世界@名無史さん:2012/02/12(日) 19:26:35.46 0.net
ドイツに助けられてな。革命のためならば売国も辞さない覚悟で。

48 :世界@名無史さん:2012/02/12(日) 21:58:45.67 0.net
トロツキーは逃げ切れなかったな

49 :世界@名無史さん:2012/02/12(日) 22:09:55.57 0.net
アロイス・ブルンナー

50 :世界@名無史さん:2012/02/12(日) 22:19:10.92 0.net
朝比奈義秀

51 :世界@名無史さん:2012/02/13(月) 02:43:33.84 0.net
モーリツ・ベニョヴスキー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%84%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%8B%E3%83%A7%E3%83%B4%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC
ロシアで逮捕→カムチャッカ送り→脱走して日本へ→奄美大島
→台湾→マカオ→フランス→マダガスカル→イギリス→マダガスカルで死去

52 :世界@名無史さん:2012/02/13(月) 20:37:25.90 0.net
>>51
戦間期の人物かと思ったら江戸時代かよ
すげーな

53 :世界@名無史さん:2012/02/13(月) 22:26:05.81 O.net
みなもと先生原稿描いてくださいよ

54 :世界@名無史さん:2012/02/13(月) 22:44:40.31 0.net
>>4
>マッカーサーに単身会いに行かれただろ。

命乞いのためにマッカーサーのチンポにラップ巻いてヘラチオしたんだろうよw

55 :世界@名無史さん:2012/02/14(火) 02:25:07.66 0.net
まあアメリカが天皇は生かしたほうが占領やりやすいと思ったからなんだろうけど

56 :世界@名無史さん:2012/02/14(火) 20:07:27.32 0.net
>>54
普通に命乞いとも取れるし
逃げなかった証にはならないな

57 :世界@名無史さん:2012/02/14(火) 20:27:31.51 0.net
>>30 日中戦争がなければ毛沢東は国民党に始末されてたね。その後の文革は無しかな。今頃中国は人口16億の世界覇権国かも。

58 :世界@名無史さん:2012/02/14(火) 21:55:54.23 0.net
>>56
命乞いしてないじゃん。命乞いしたって史料あるの?
アチソン電とか読むと寧ろ正反対でしょ。

59 :世界@名無史さん:2012/02/14(火) 22:08:54.99 0.net
やっぱ劉備かな

60 :世界@名無史さん:2012/02/16(木) 00:24:26.05 0.net
まあ直接「私の命は助けてください」とは言わなかったろうけれど
広島に行って「原子爆弾は戦争だから仕方ない」て言ったほどだし
アメリカに恩義は感じてんたんだろ

61 :世界@名無史さん:2012/02/17(金) 04:51:24.61 0.net
曹操も結構逃げるのがうまい

62 :大関泉山:2012/02/25(土) 16:16:14.16 0.net
>>15
>>21
アブドゥル・ラフマーン1世と同一人物ですよね?
イスラム史は名前の表記が難しい。

63 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/02/25(土) 17:53:05.32 0.net
>>62
そうだよ。そこら辺はアラビア語の発音をどう表記するかの違いだからね。

64 :世界@名無史さん:2012/02/25(土) 19:43:38.01 0.net
ヴォロシーロフとブジョーンヌイ

無能のくせに粛清から逃れた

65 :世界@名無史さん:2012/02/25(土) 20:00:19.05 0.net
スキタイ
東方から落ち伸びた

66 :世界@名無史さん:2012/02/25(土) 20:16:17.26 0.net
荒木村重
荒木貞夫

67 :世界@名無史さん:2012/02/25(土) 22:10:44.06 0.net
メロダクバラダン2世を忘れないでほしい。

68 :世界@名無史さん:2012/02/25(土) 23:14:35.56 0.net
嶋田海軍大臣

よく死刑を免れたと思う

69 :世界@名無史さん:2012/02/26(日) 01:34:23.35 0.net
トゥジマン
ミロシェヴィッチに罪をすべて転嫁して天寿を全う。まあパルチザンと党官僚では勝負は見えていたようなものだが。

70 :井戸魔神F ◆Yyby928XKw :2012/02/26(日) 06:40:56.63 0.net
玄徳くん

71 :世界@名無史さん:2012/02/26(日) 09:43:35.99 O.net

オサマ・ビン・ラーディン

サダム・フセイン

カダフィ

みんな逃げて隠れている中で頃された



72 :世界@名無史さん:2012/02/26(日) 11:54:04.87 0.net
>>71
> みんな逃げて隠れている中で頃された

スレ違いじゃんw

73 :世界@名無史さん:2012/02/26(日) 11:57:15.47 0.net
ヨーゼフ・メンゲレ

74 :世界@名無史さん:2012/02/26(日) 12:01:55.19 0.net
狡兎死して走狗烹らるをうまく回避した奴をあげろ

75 :世界@名無史さん:2012/02/26(日) 12:06:34.16 0.net
ヨーロッパに現れた遊牧民
ほとんど東方の別の遊牧民に押し出されて
ヨーロッパに逃げてきた連中

76 :世界@名無史さん:2012/02/26(日) 12:12:08.39 0.net
>>74
ブジョーンヌイ

77 :世界@名無史さん:2012/02/26(日) 12:46:26.79 0.net
第二次長沙とシコウ作戦で撤退した部隊
連隊旗焼却の上全滅してもおかしくなかった

78 :世界@名無史さん:2012/02/26(日) 14:39:27.15 0.net
a

79 :世界@名無史さん:2012/02/26(日) 14:42:14.19 0.net
余程万(1902〜1955)は国民革命軍74軍57師団長として、「東方戦線のスターリングラード」と呼ばれた常徳防衛戦で奮闘。
8000人以上の師団が残り100人程度になりながらも何とか持ちこたえた。広東省出身。黄埔軍官学校第一期生。
25歳で少将になるなど、キャリアは長く、上司であった74軍軍長の兪済時、王耀武より下位とはいえ年齢やキャリアは上であったため一目置かれていた。
1943年常徳会戦。
11月18日から日本軍第68師団が空と陸から常徳に猛攻をかけ、余率いる第74軍57師8315名は5日間の戦闘を経て23日には残り300人になってしまった。
同時期にあったカイロ会談でこの事を聞いた米大統領ルーズベルトは大いに衝撃を受け、蒋介石より師団番号と師団長の名前を聞きメモしたという。
余は200名率いて一度脱出。残った柴意新連隊長ら100人は全滅し、常徳は一度は陥落。
しかしのちに援軍が到着し、日本軍を長江北岸まで撤退させることに成功した。
しかしこの一連の戦いで中国軍は3人の師団長が戦死、57師団の生存者は83人だった。
余が脱出した際、カイロ帰りの蒋介石は余が兵を残し逃げてきたと思い怒って死刑にしようとしたが、周囲の説得で思いとどまった。

80 :世界@名無史さん:2012/02/26(日) 14:48:15.90 0.net
後醍醐天皇


81 :世界@名無史さん:2012/02/26(日) 14:51:21.77 0.net
>>74
范蠡

82 :世界@名無史さん:2012/02/26(日) 14:55:21.78 0.net
やっぱ毛沢東だろう

83 :世界@名無史さん:2012/02/26(日) 15:45:14.13 0.net
逃げ戦の上手さならワシントンも入る気が。

84 :世界@名無史さん:2012/02/26(日) 16:28:09.18 0.net
ピョートル大帝も

85 :世界@名無史さん:2012/02/26(日) 20:58:29.40 0.net
辻政信、高野長英

86 :世界@名無史さん:2012/02/27(月) 05:20:38.36 0.net
大日本帝国陸海軍もいざとなった時の逃げっぷりの見事なこと。
例)キスカ撤退

87 :世界@名無史さん:2012/02/27(月) 06:30:52.08 0.net
関ヶ原の島津軍

88 :世界@名無史さん:2012/02/27(月) 09:48:03.67 0.net
義経

89 :世界@名無史さん:2012/02/27(月) 10:29:32.45 0.net
カエサルやら信長やら曹操やら急速に拡大しつつ時間切れが近かった厨指導者は
結構、無理な戦いや裏切りなんかで撤退がおおいな
一方、ゆっくりでも着実に拡大していった連中は、撤退せざるを得ないような無理な戦いはしてないのかな


90 :世界@名無史さん:2012/02/27(月) 15:24:13.94 0.net
指導者として必要な論理や判断は一般人の道徳と無縁なもの。
部下の危機に同情して自分も死地に留まるなんて、良い人では
あっても政治家として失格ですわ。
まぁ、基本は自分の命が大事なだけにしてもねw

91 :世界@名無史さん:2012/02/27(月) 22:44:35.16 0.net
おっと広瀬中佐の悪口はそこまでだ。

92 :世界@名無史さん:2012/02/28(火) 00:44:11.02 0.net
勝てる戦いしかしない百戦百勝に将と
積極的に戦うが、決定的な敗北を避ける百戦無敗の将では
どちらが偉大なのか


93 :世界@名無史さん:2012/02/28(火) 23:02:32.07 0.net
百戦百勝も百戦無敗も存在しない

94 :世界@名無史さん:2012/02/29(水) 04:25:26.70 0.net
百戦百敗に一番近い将軍は誰ですか?

95 :世界@名無史さん:2012/02/29(水) 23:44:54.05 0.net
劉邦は自分で百戦百敗と言ってる。

96 :世界@名無史さん:2012/03/01(木) 03:52:54.10 0.net
死ぬまで負け続けた周昴とかあげとくか

>>95
劉邦が百戦百敗ってどこで言ってる?


97 :世界@名無史さん:2012/03/01(木) 06:15:23.86 0.net
第三者だが、劉邦の記録なんて史記がほぼ全てだろ。

98 :世界@名無史さん:2012/03/01(木) 21:52:49.02 0.net
>>94
大鳥圭介

99 :世界@名無史さん:2012/03/01(木) 23:48:32.52 0.net
>>96
史記で臣下を前にして功績第一位は誰かを論じた時に、百戦百敗の自分が戦い続けられたのは
蕭何の功績である、と言っている。

100 :世界@名無史さん:2012/03/02(金) 17:48:48.34 0.net
>>99
すまん、俺の探し方が悪いんだうが
蕭相国世家にも高祖本記にも、劉邦が百戦百敗と述べているところを見つけられなかった
史記のどの部分に書いてあるのか教えてくれるとありがたい


101 :世界@名無史さん:2012/03/02(金) 23:54:00.72 0.net
>>100
あれ?そこに無ければ俺の記憶違いだ。スマン。

102 :世界@名無史さん:2012/03/03(土) 12:53:48.31 0.net
曹操ほど逃げる奴がうまい奴はいないだろw
董卓、呂布、赤壁、関中、漢中と曹操は逃げることによって生き延びて来た様な奴だ
正に逃げの曹操w

103 :世界@名無史さん:2012/03/03(土) 19:12:18.52 0.net
檀道済
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%80%E9%81%93%E6%B8%88
「三十六計逃げるに如かず」の語源になった人

104 :世界@名無史さん:2012/03/03(土) 20:03:30.68 0.net
>>93
百選百勝に一番近いのは?
やっぱベリサリウス?

105 :世界@名無史さん:2012/03/03(土) 23:11:44.75 0.net
蒋介石だろうなやはり

106 :世界@名無史さん:2012/03/03(土) 23:15:20.37 0.net
>>104
トティラに追い返された事があるからなぁ

霍去病じゃないか負けた事ないのは

107 :世界@名無史さん:2012/03/03(土) 23:35:35.53 0.net
百戦百勝はアレクサンダー大王がいらっしゃる

108 :世界@名無史さん:2012/03/03(土) 23:38:34.56 0.net
アレクサンドロスはソグド人に半殺しにされている

109 :世界@名無史さん:2012/03/04(日) 00:08:53.33 0.net
ティムールは百戦百勝に近いかな?
45戦43勝とか、ほぼ全勝なら何人でもいるんだろうけどねえ

>>104
ベリサリウスはササン朝のカワードに敗北している

110 :世界@名無史さん:2012/03/04(日) 09:05:30.36 0.net
義経は最後の一戦までは連戦連勝

111 :世界@名無史さん:2012/03/04(日) 09:13:50.57 0.net
百戦百勝に近いのならダヴー
何故ダヴーをワーテルローに参加させなかったんだろう
あれだけ大規模な会戦だと、もう一人のナポレオンが必要だった
当時のフランス軍内でもう一人のナポレオン足り得たのはダヴーだけ

112 :世界@名無史さん:2012/03/04(日) 12:15:00.04 0.net
100戦100勝のはずなのに逃げっぱなしの金日成

113 :世界@名無史さん:2012/03/04(日) 14:39:33.40 0.net
>>111
ワーテルローで勝ったとしてもいつか負けてるよ

114 :世界@名無史さん:2012/03/04(日) 14:47:55.11 0.net
>>108
全滅させられたのはソグド人の方じゃん

115 :世界@名無史さん:2012/03/04(日) 23:07:33.93 0.net
>>106
霍去病は20代前半で死んでるから
無敗と云っても評価出来ない

116 :世界@名無史さん:2012/03/05(月) 01:12:53.08 0.net
ここまでフリードリヒ大王なし

117 :世界@名無史さん:2012/03/05(月) 01:34:30.87 0.net
百戦百勝に関してなら、ダメだろ
大王は結構負け戦多いし

逃げの上手さなら上手いかも
形勢良くないと、部下から離脱するよう説得されて
よく戦場から離脱してる
そして避難先で部下からの「勝っちゃいました」って報告を受けて
自分に逃げるよう具申した部下にプンスカ怒ったりしてる
まぁ愛すべき君主だ

118 :世界@名無史さん:2012/03/05(月) 03:59:06.55 0.net
スヴォーロフが一応史実では生涯不敗となってるな
バトゥも恐らく不敗じゃなかったか、征服対象は全て征服してる
あと不敗に近いのではバイバルス

119 :世界@名無史さん:2012/03/05(月) 20:45:10.98 0.net
ハーリドも無配に近いかも
最初の東ローマ帝国の戦いはハーリドが指揮した戦いではないけど

120 :世界@名無史さん:2012/03/06(火) 19:22:18.96 0.net
漢で不敗ならマイナーだが耿夔も。

89年、竇憲に従い稽落山にて北匈奴を破り単于を降す。(『後漢書』和帝紀及び耿夔伝)

90年、竇憲の命で精鋭八百騎を率い遠征して金微山にて北匈奴を破り単于の母を捕殺、他五百余騎を捕殺。(『後漢書』和帝紀及び耿夔伝)

92年、北匈奴の全面降伏を受けに蒲類海まで向かう。
竇憲失脚で罷免されるが、複数の官を経て遼東太守に遷る。(『後漢書』耿夔伝)

105年1月、侵入してきた高句麗を撃破、追撃をかけて渠帥を殺害。(『後漢書』耿夔伝、高句麗伝及び『三国史記』太祖大王紀)
朝鮮の『三国史記』と中国の『北史』の太祖大王在位期間の違いを勘案するに、太祖大王の前の王を殺害した可能性がある。
太祖大王は在位期間が長すぎる(全て信じるなら享年119歳)ため複数の王の事績が合わされている疑いが強い。

105年9月、貊人を撃破。(『三国史記』太祖大王紀及び『後漢書』和帝紀)

113年、南匈奴の離反に鮮卑騎兵の新兵を率いて参加。車騎将軍の推薦で先鋒として二千騎を率い先行。
南匈奴は薁鞬日逐王に三千騎を率いさせて迎撃、日逐王は前方を塞ぐ。
耿夔は漢人騎兵と鮮卑騎兵に分け、それぞれ司馬の耿溥と劉祉に率いさせて挟撃、包囲して敗走せしめ、千余級を挙げ、王号を持つ者六人を殺害。
しかし、鮮卑騎兵に病が発生して漢軍で一人だけ塞外までの追撃を断念、左遷される。
(『後漢書』安帝紀、耿夔伝)

115年、行度遼将軍事となるも、使匈奴中郎将鄭戩の領域に何度も侵入し投獄され、過去の功績によって死を免れる。(『後漢書』耿夔伝)

121年、長年の酷使から鮮卑が叛乱し、雲中郡が落ちて太守が殺され、烏桓校尉徐常が包囲されるも、度遼将軍に任じられこれを救援する。
夜分に乗じて烏桓校尉が脱出してきたので、幽州刺史とともに二列に並んで進行し鮮卑を塞外まで追撃する。
(『後漢書』安帝紀、耿夔伝、鮮卑伝)

122年、羌族の叛乱があり、度遼将軍として烏桓騎と諸郡兵を用いて虚人羌を撃破。(後漢書』安帝紀、西羌伝)

125年、安帝の外戚となっていた親族が、安帝の死に乗じた外戚同士の政争に敗れ自殺、耿夔も連座で罷免され家に戻る、後に死去。
(『後漢書』安帝紀、耿夔伝)

121 :世界@名無史さん:2012/03/07(水) 00:44:47.63 0.net
>>117
ロシア、フランス、オーストリア同時に相手して国体維持しただけでも神業

122 :世界@名無史さん:2012/03/07(水) 04:05:43.62 0.net
絶体絶命のときにババァが死んでラッキーっておかげじゃね
まあ孫が自分のシンパだったのは実力だが

123 :世界@名無史さん:2012/03/07(水) 04:34:04.63 0.net
戦術的勝利をいくら積み重ねても戦略的敗北は覆せないけど運があればひっくり返ることを示した偉人

124 :世界@名無史さん:2012/03/07(水) 09:47:25.35 0.net
>>123
ナセルのスエズ戦争並みの運だな。

125 :世界@名無史さん:2012/03/08(木) 13:41:14.40 0.net
では、「歴史上最も運がよかったヤツ」とすると誰がノミネートされる?

126 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/08(木) 14:03:47.98 0.net
>>125
サラディンやフリードリヒ3世みたいにちょうど良いタイミングで敵が死んでくれるのは、
まさに運が良かったやつと言えると思う。暗殺を疑われてるくらいだからね。

127 :世界@名無史さん:2012/03/08(木) 14:45:17.54 0.net
I shall return.


128 :世界@名無史さん:2012/03/08(木) 21:08:58.78 0.net
西園寺公望は二二六事件を事前に察知して逃げてた。
普段からいつでも逃げられるよう準備してたらしい。

129 :世界@名無史さん:2012/03/08(木) 21:11:13.38 0.net
ヨーゼフ・メンゲレだろう

130 :世界@名無史さん:2012/03/08(木) 21:15:12.61 0.net
運がよかったのは織田信長
斎藤義龍、三好長慶、武田信玄といったライバルになりえそうな連中が死んでる

131 :世界@名無史さん:2012/03/08(木) 21:46:33.55 0.net
>>128
毎回逃げられずに痛い目に遭うが生き延びる鈴木貫太郎も終戦クーデターでは逃げ切れたね。

132 :世界@名無史さん:2012/03/08(木) 22:21:16.18 0.net
運が良かったと云えば、13世紀半ばの大陸欧州
当時神聖ローマ帝国は皇帝派と教皇派で内紛
フランス王のルイ9世は戦略戦術ともダメダメの戦下手
オゴテイがあと5年存命してたら
ポーランド、ハンガリーを破ったバトゥに
イベリア半島の先っぽまで蹂躙されてたろう

133 :世界@名無史さん:2012/03/08(木) 22:48:47.97 0.net
>>117
後で流れぶった切っていたことに気が付いた、レスサンクス。

しかしベルリン落とされてもおかしくない敗戦を喫していたことを考えると、
逃げるのもうまいしツキもあるな。

134 :世界@名無史さん:2012/03/08(木) 23:34:29.52 0.net
徳川家康
今川義元戦死と遠州騒乱で独立達成
水野信元というたよれる伯父のおかげで浜松城陥落免れ
信玄病死
もしかしたら信長に粛清されていたかもしれない所に本能寺
(本能寺を攻めた明智の兵士が「家康を襲っていると思ってた」と証言
水野は始末された。武田滅亡、北条服属となれば家康も用済みと
粛清されていた可能性大)

135 :世界@名無史さん:2012/03/08(木) 23:45:24.16 0.net
いつも逃げ遅れる自分には迷いがあるんだよな。
周りよりも先に逃げたらダメなんじゃないか、
自分が幸せになったらダメなんじゃないかって。
そういう力点の置き方に問題があるんだろうとは思うんだが・・・
上手く逃げていくにはどうしたらいいんだろうな。

136 :世界@名無史さん:2012/03/09(金) 09:41:57.17 0.net
まずは真っ先に逃げても恥ずかしくはない立場を得ましょう
偉大なリーダーならお逃げくだせいってもんだが、雑兵が即逃げしたら銃殺だ


137 :世界@名無史さん:2012/03/09(金) 20:03:12.60 0.net
昔の海軍でも脳筋は船で危ない個所に配置され
主計は逃げられるような所にいた

138 :世界@名無史さん:2012/03/10(土) 07:43:18.86 0.net
武士道と云は死ぬ事と見付けたり。二つ二つの場にて早く死方に片付ばかり也。別に子細なし。胸すわって進む也、
図に当らず犬死などいふ事は、上方風の打上りたる武道なるべし。

武士の道とは死ぬ事である。二つのうち一つを選ばなければならない場合では、死ぬ方に進む方がよい。難しいことではない。腹をすえて進むのだ。
思ったようにいかない場合を考えたり、それでは犬死だなどという意見は、上方風の思い上がった武士道である。
(『葉隠』佐賀藩士山本常朝)

139 :世界@名無史さん:2012/03/10(土) 20:40:51.15 0.net
>>138
大阪の陸軍第4師団は第二次大戦を乗り切ったな。

140 :世界@名無史さん:2012/03/10(土) 21:29:28.21 0.net
第4師団はマニラ一番乗りを果たした事もある
じつは勇敢で勝率10割の師団

だいたい大阪と言うのは河内源氏発祥の地であり
ストイックで勤勉な人も多いから
戦いだけ弱いなんて事はあり得ない

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