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歴史上最も逃げることがうまかったヤツって誰だ?

79 :世界@名無史さん:2012/02/26(日) 14:42:14.19 0.net
余程万(1902〜1955)は国民革命軍74軍57師団長として、「東方戦線のスターリングラード」と呼ばれた常徳防衛戦で奮闘。
8000人以上の師団が残り100人程度になりながらも何とか持ちこたえた。広東省出身。黄埔軍官学校第一期生。
25歳で少将になるなど、キャリアは長く、上司であった74軍軍長の兪済時、王耀武より下位とはいえ年齢やキャリアは上であったため一目置かれていた。
1943年常徳会戦。
11月18日から日本軍第68師団が空と陸から常徳に猛攻をかけ、余率いる第74軍57師8315名は5日間の戦闘を経て23日には残り300人になってしまった。
同時期にあったカイロ会談でこの事を聞いた米大統領ルーズベルトは大いに衝撃を受け、蒋介石より師団番号と師団長の名前を聞きメモしたという。
余は200名率いて一度脱出。残った柴意新連隊長ら100人は全滅し、常徳は一度は陥落。
しかしのちに援軍が到着し、日本軍を長江北岸まで撤退させることに成功した。
しかしこの一連の戦いで中国軍は3人の師団長が戦死、57師団の生存者は83人だった。
余が脱出した際、カイロ帰りの蒋介石は余が兵を残し逃げてきたと思い怒って死刑にしようとしたが、周囲の説得で思いとどまった。

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