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☆◇●新大陸古代文明総合スレッド○◆☆

1 :世界@名無史さん:2012/02/23(木) 21:21:22.38 0.net
新大陸にあった古代文明について語るスレッドです。
アメリカ先住民でもマヤ文明でもインカ帝国でも何でもおk。

近現代以降はこっちでお願いします。
ラテンアメリカ・中南米諸国の歴史〜その2〜
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1314909549/
南米独立戦争を語ろう
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1326994612/

関連スレ(現行スレ)
探検の歴史
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284172512/
【斜陽の】スペイン帝国【太陽の没することなき】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1325185458/
大航海時代
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1290595317/

42 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/06(火) 02:19:29.04 0.net
>>41
ありがとう!!
とりあえず1日1ネタを目標でw

トウモロコシに関してはテオシンテから品種改良した説が有力らしいが
テオシンテは食用にならんから別の種類とかけ合わせた説とかもあるね。

あとは中米と南米で同時に品種改良が進んだ説もある。
中米原産のトウモロコシが南米に行って改良とかだと時間が早すぎるとかなんとからしい。
この辺は発掘とかDNA検査などの成果を待たないとダメだろうね。

アステカにもトウモロコシの神もいたし神話でも重要な役割を果たしてるね。
重要なトウモロコシだったが品種改良がイネやムギから比べ難しかった。
お陰で文明の発展が遅れたとか言われているね。

43 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/06(火) 10:44:12.11 0.net
そういえば中米とかでも最古の栽培植物はヒョウタンだったな。
食用にもなり器として使えたり栽培も結構簡単だったとか。

44 :世界@名無史さん:2012/03/06(火) 11:01:47.99 0.net
>>43
あれ、そうなの?
俺はヒョウタンはヒエやゴマなどと共にニジェール川中流の耕作地帯から拡散したと読んだ記憶が。
そうなると、旧大陸から新大陸に伝わったとは想定し難いので、似た原種が新大陸にもあったってことに。
もっともサバンナ農耕文化の研究はややアバウトな印象なので、どこまで信頼できるか分からんけども。

45 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/06(火) 11:40:33.55 0.net
>>44
ヒョウタンは新大陸にもあったよ。種が同じかどうかわからんけど。
約9000年前には中米に野生種があったそうだ。
7000年前〜6000年前くらいには南米中米で栽培が始まっているようだね。
ついで古いのがカボチャ。こっちは中米原産だね。

46 :世界@名無史さん:2012/03/06(火) 19:23:50.34 0.net
基本的な質問で悪いけど、なんでスペイン人はアステカインカをいきなり滅ぼしにかかったの?

あと入植者より先に宣教師が来てキ教が広まってたらどうなってたんだろ

47 :世界@名無史さん:2012/03/06(火) 22:42:50.32 P.net
アステカって犬を食用にしていたよね
どういう調理法だったのかな?
また貴族の贅沢だったの?
それとも庶民でもある程度は食べれた廉価な肉だったの?

48 :◆TCygujgOWY :2012/03/07(水) 00:19:09.87 0.net
>>46
ピサロはいきなりだけどコルテスはすぐに征服戦争しかけたわけではないよ。
コルテスは先住民の土地に入って町とかの長に会うとキリスト教を受け入れて
カルロス1世だったかその王の支配下に入れとか話したんだよな。
ベラクルスとかの町建設してスペイン領の宣言したりもしたね。

最初は未開地域の探検と教化を兼ねた探検だったんだよ。
コルテスの場合は探検に行くとかだったけどコルドバだったか、そいつに中止命令
出されたがそれを察知したコルテスが先に出発した。まあ命令違反ってわけだな。
もうただでは帰れなかった。

探検と教化を目的にアステカの領土に入ったけど「たまたま」先住民が反アステカ
勢力になりえたので、先住民を味方に付けていったんだよな。
でテノチティトランに入った後コルドバ命を受けたナルバエスの追撃隊が来た。
コルテスがナルバエスを迎え撃ちにテノチティトランを空けたときに悲しき夜事件が起きた。
コルテス軍がテノチティトランを追い出されたあと、コルテスが反アステカ勢力を集めて
テノチティトランを一斉攻撃ってわけ。

コルテスは先住民を味方に付けても戦闘中に5回くらいは捕縛されかかって味方に
救出されてるw まあいきなり滅ぼしたくてもできなかったんだね。続く

49 :◆TCygujgOWY :2012/03/07(水) 00:29:01.95 0.net
>>46
ピサロの場合はあれだ、コルテスに助言をもらっていた。
王を押さえてしまえば勝てると。
んでアタワルパとの会見に臨んだわけ。最初から奇襲攻撃狙ってた。
アタワルパもピサロをなめきっていて上にも書いたけど会見の時には既に
ピサロ軍を捕虜にした際の分配とかも決めてた。
アタワルパもワイナ・カパックに従って経験も豊富だったからね。

まあ結果はみんなの知ってるとおりだね。首都を押さえた後内部分裂を起こさせてインか帝国は崩壊したね。
コルテスと違ってピサロは資金調達係のルーケとかと組んでいて最初から征服狙ってた。

先に宣教師が来ていてもトルデシリャス条約があるからそれを盾にスペインに
滅ぼされてたんじゃね?

50 :◆TCygujgOWY :2012/03/07(水) 00:41:44.83 0.net
>>47
犬も食用になっていたね。食用の犬が飼育されてた。
あとは殉死とか湯たんぽのように使われたんだっけ。
犬は庶民でも食べれたけどあんまり食べられなかったな。
王侯貴族とかになると毎食食えたやつもいたようだが。

煮込んだり焼いたりとかシチューのようなスープとかあった。
トマトソースなんかもあったからそういうのでも味付けされた。
粥にも入れたんだろうか。
具体的にどんな料理といわれるとすまんがよく分らん。
トルティーリャとかタマリとかそんなのはあったね。
メキシコ料理が参考になるのかな?

鹿とかウサギとかカタツムリも食ってた。
あとアステカ人は1日3食だった。宴会を除くと昼飯が一番豪華だった。

51 :世界@名無史さん:2012/03/07(水) 00:51:13.94 0.net
新大陸原産のサツマイモがハワイやイースター島やニュージーランドにあったことから
バルサ船に乗って昔はポリネシアとの間を行き来してただろうけど、スペイン人が来たころには
行き来が無くなっていたのは何でなんだろうか


52 :◆TCygujgOWY :2012/03/07(水) 01:04:52.25 0.net
農作物はとてたさんが詳しいんだがまあいいか。
なんか航海技術が低下したとかそんな理由じゃないか?
文明化された地域は蛮族の侵略とかあったし征服直前なんかは
既存の文化圏が滅ぼされたり衰退しちまってた。
イースター島とかはインカ帝国が交易してたとかそんな説があるとか
誰かがいってた気がするが。

でもそうすると向こうから来た場合の説明ができないんだよな。
交易品がたいした物がなく諦めたとか?
まあ中南米の国が巨大化しちまったから中南米の国からしたら貴重品とかが
ないとお互いにメリットないと思うんだよな。
ニュージーランドとかハワイとかそっちの方は航海技術とか高かったのかな?
あんまり答えになってなくて悪いがこのくらいしか分らん。

53 :世界@名無史さん:2012/03/07(水) 02:20:27.26 0.net
ポリネシア系同士の話はともかく、東端の諸島と南米大陸との間についていえば、
交易レベルじゃなくて特殊イベント(せいぜい1世紀に1度とか)だったみたいよ、伝承から察するに。
海流の関係で、エルニーニョのときしか上手く上陸できなかったとか云々で、簡単じゃないらしい。
何で読んだか忘れたけど。飢饉とかお告げとかで切羽つまって、死を賭して冒険をしたという感じでねぇの。

54 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/07(水) 10:40:20.38 0.net
>>53
完全に漂流じゃねーか、、、、、
古代世界じゃこの辺が限界か。

ヘイエルダール関連の研究結果が参考になるのかな。
かなりの人間が海の藻屑になったんだろうな、、、、

55 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/07(水) 13:32:17.89 0.net
とりあえず暇だしネタでも投下するか。

悲しき夜で思い出したがアステカ軍にももちろん斥候とかいた。
斥候の絵が残されているけど荒野のサボテンの影に隠れてるんだよな。
地形が地形だけに見つかるんじゃねーのかと思うんだけど案の定見つかるんだよな。

アステカには馬がないから斥候も徒歩なんだがスペイン人に見つかると
馬で追いかけられて斬られた。
アステカの斥候は大変だった。というかなんか悲惨だな。

56 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/07(水) 13:42:14.06 0.net
悲惨だといえば太った領主(本名忘れた)。
この人物はトトナコ族のセンポアラの市長だったんだが
コルテスがセンポアラに到着するとコルテスを歓待してアステカの非道を
訴えて協力を申し出ていた。
そしたらなんか噂をすれば影でテノチティトランの徴税官が訪問してきた。

太った領主はもうビビってガクブルだったがコルテスが物怖じもせず投獄すると
領主も覚悟を決めたのかコルテスをバックアップした。
道案内と補給部隊1000人出した。

コルテスが負けたら大変なことになってた。
最後には勝ったから悲惨ではないか。
でも最後まで気が気ではなかっただろう。

57 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/07(水) 13:55:51.18 0.net
そういえば人名間違えてるぞw
>>48 はコルドバじゃなくてディエゴ・ベラスケスだった。
訂正しお詫び申し上げます。

コルドバはユカタン半島を探検したんだがマヤ人の襲撃にあって
重症を負ったがそのまま死んでしまったんだよな。
この探検にはベルナール・ディアスも参加してた。

ディエゴ・ベラスケスがキューバ総督だった。

つうかベルナール・ディアスは小競り合いも含めて
119回の戦闘に参加したというが実は結構強かったのかな。
無傷ではなかったようだけど。
この戦闘では怪我がないものはいなかったとかそんな記述してる戦闘もあった。

58 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/07(水) 14:15:34.58 0.net
有名な話だがとりあえず。アギラールとゲレロ。
この人は修道士だったんだが商戦に乗り込んでいてユカタン付近で難破しちまった。
20人くらいがユカタンに漂着したんだがマヤ人に襲撃されて
アギラールとゴンサロ・ゲレロを除いてみんな生贄にされた。

なんでこの二人だけ残ったのかは分かっていないようだが
ゲレロは族長の娘を娶っていたから何か族長と通じる所があったのかも知れんし
何か風貌が気に入られたのかも知れない。

俺が思うにアギラールはあれだ。変人扱いされてただろw
修道士だったせいか捕虜になっても聖書を服に紐で括りつけていたんだよな。
奴隷生活が8年もあったがコルテスにあったとき
服は漂着時の服着てて相変わらず聖書ぶら下げてた。
信仰心の厚い人間だった。

ゲレロは族長の娘もらって出世?しちゃったのにアギラールは相変わらず
ボロボロの服を着て奴隷やってたのはこの辺に差があったのではないかと思う。

ゲレロはアギラールと同じ町にいたけどコルテス達には面会せずアギラールを通じて
コルテスに先住民と暮らす旨を伝えたんだよな。
先住民と結婚して先住民の服を着ているしもうスペイン人には戻れないような話だった。

その後先住民を率いて抵抗戦争に参加したとか伝説があるらしいが消息は不明だ。

59 :世界@名無史さん:2012/03/07(水) 21:13:36.60 0.net
>>54
> ヘイエルダール関連の研究結果が参考になるのかな。

 ヘイエルダールも理論的にだけは可能ということを証明しただけで、本人も漂流に近かったんじゃないの?

60 :◆TCygujgOWY :2012/03/07(水) 21:27:17.77 0.net
>>59
なんかペルー海流を越えるまでだか海流に乗るまでは船で引っ張っていってもらったとか。
漂流の実験だけど交易出来なかったというか難しかったという参考になる、という意味だね。
あの程度の筏しかないんじゃ交易厳しいよな。というか輸送能力も乏しい。

61 :世界@名無史さん:2012/03/08(木) 01:20:21.25 0.net
太平洋を南米から出発して南米に帰るには、フィリピン沖、日本沖を北に向かって
回って北米西海岸を通って帰るしかないんでバルサ船で交易するには難しいよな
この航路を開拓するのにスペインも莫大な金を使い、何度も失敗してやっとできた訳だし
こうなるとサツマイモは漂流者がポリネシアに持ち込んだと考えたほうがいいのかな?


62 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/08(木) 11:26:14.27 0.net
バルサ船っていうんだっけ?南米の船。帆があるね。
ttp://www.la-balsa.com/project_balsa.html
(なんか色々書いてあるがwとりあえず船だけ参考になるか)
アステカではカヌーしかなかったようだがアステカでも
沿岸地域にはこの船あったのかな? まあカヌーじゃ無理だろうね。

海流図ね。
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7b/Ocean_currents_1943.jpg
ルートはよく分らんが>>61のルートだと日本とかフィリピンに漂着する可能性もあるね。
このルートは>>61の言うとおり難しいだろうね。サツマイモも伝播してないしね。

バルサ船の積載能力とか考えるとまともな交易なんかまず無理だろうね。
食料はともかく水の確保とかできたのかなぁ。

ただ結果を見るとサツマイモがポリネシアに伝播してるからポリネシアの漂着者が
ポリネシアでは食えなかったサツマイモを大切に持って帰ったんだろうね。
南米からの漂着者ならサツマイモとかありふれてるから持って行っても途中で食うだろ。
多分往復した猛者がいたんだろうね。

63 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/08(木) 12:07:31.98 0.net
おいみんなすげー論文見つけたぞ。
ttp://yakushi.pharm.or.jp/FULL_TEXT/126_12/pdf/1341.pdf
ペルー→ポリネシアへのサツマイモの伝播に関する論文だね。

なんかポリネシアのカヌーってすげーんだな。
アステカのカヌーには帆がない。

64 :53:2012/03/08(木) 12:46:47.24 0.net
あー、これこれ。
このペルー沖の強力な海流がエルニーニョの時には弱くなるんだ。
大陸側のどこぞの伝承で、西方の海からやってきて戻っていった、て感じのがあるそうで。
田家康「世界史を変えた異常気象」ちゅう本だったわ、けっこう粗のある内容だったが。

65 :世界@名無史さん:2012/03/08(木) 12:52:07.71 0.net
ああ、ごめん、>>64>>62に対してね。
>>63はあとで読んでみる。

66 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/08(木) 13:25:06.33 0.net
>>64
エルニーニョじゃないときに出航しちゃったやつは散っていったのかな?
海流乗り間違えちゃったやつとかも悲惨そうだ。

なんかどんな感じで航行していたのか気になるね。

67 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/08(木) 15:59:35.67 0.net
なんかカヌーが出たところで船ネタか。
テノチティトランが湖上の都市だったことは有名だが
テノチティトランには街中に水路網があってカヌーでも移動できたんだよな。
ベネチアを思い出させられる街並みだったそうだ。

テノチティトランがコルテス軍に包囲されていたときコルテスは先住民にベルガンティン船
を造らせているが先住民兵はベルガンティンをカヌーで護衛してた。
護衛艦(?)がカヌーってのもしょぼいんだがクワゥテモツィンがテノチティトランを
脱出したときに使用していたのもカヌーだったな。

テスココ湖だとこのくらいで十分だったんだろうか。

確か大西洋側だと先住民のカヌーのような船の目撃例が記録されてた。

68 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/08(木) 23:51:20.97 0.net
ネタが尽きてきたんでまあ他のスレに書いたやつコピペしとくかw

そういえばコルテスのチョルーラでの虐殺があったけど
当時死んだのが8000人だったか?
なんかチョルーラで歓待を受けていたコルテスが出発するときに
急にチョルーラへ攻撃を開始したとかいう話。

なんか詳しい経緯とかはあまり良く分かっていないようだが、
チョルーラ側がコルテス襲撃計画を立てていたのをコルテス側の先住民が
立ち聞きしたとかいう話だな。

偽情報を味方から掴まされた説も根強くて
チョルーラとトラスカラが仲が悪かった説とかマリンチェの怨恨説なんかもある。
チョルーラ軍の抵抗があまりにも薄かったためこの説が根強い。
コルテス軍の残虐ぶりがよく聞かれるが実はトラスカラ兵もかなり頑張ってた。

69 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/08(木) 23:52:25.23 0.net
204 名前:!kab 【東電 86.3 %】水 ◆TCygujgOWY [sage]: 2012/02/17(金) 19:03:21.18 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis)
まあ子供といえば有名なやつがある。
アステカだと子供の精神に悪影響があるとかで唐辛子は子供に食わせなかった。

子供をしかるときはぶん殴る親もいたのだろうが、コディセに残されてる記述によると
煙で子供を燻すというものがあった。
テノチティトランの場合は庶民の子供でも学校に通っていた。
女の子でも学校に通えた。

貴族用の学校もあり、貴族の子供とか神官志望の子供はカルメカックという
学校に通ってたな。

貴族が犯罪を犯すと庶民よりも重い刑罰を受けることになっているが
カルメカックでの教育が良いせいなのか貴族は普通に受け入れていた。
王も堕落した王ってのは貴族から受け入れられなかった。

205 名前:!kab 【東電 86.3 %】水 ◆TCygujgOWY [sage]: 2012/02/17(金) 19:06:15.91 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis)
アステカの場合生贄とかがあるから人間は大切にされないと思われるかも知れんが
子供は大切に育てられていた。
子供のうちに死んでしまった場合でも丁重に弔われていた。

70 :世界@名無史さん:2012/03/09(金) 10:58:31.17 0.net
レイフ・エリクソンが北米東海岸に到達した時に持っていた鉄器の技術が新大陸に
広がっていればどうなっていたんだろう



71 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 12:01:12.48 0.net
>>70
無知ですまんがレイフ・エリクソンってバイキングのやつ?
新大陸に広まっていればというがもうこの時点で時間的に厳しい気がするんだがw
根拠は南米の青銅器の伝播だね。プレ・インカで青銅器が作られていたけどメキシコまで
届いていなかった。
機動力が低いから文化の伝播が遅いみたいなんだよな。
天然痘とかの病気は速かったけど。

もし鉄器技術が広まったとしたら中米と北米の間(アメリカの西の方も)には蛮族が
めちゃくちゃ多くてメキシコへ南下してたからこの蛮族がメキシコの各都市を滅ぼして
たんじゃね?蛮族はチチメカとか呼ばれてたナワ系民族だな。
トルテカだって蛮族を抑えきれずに崩壊してたし。
トルテカもナワ系の蛮族だったがすげー長期間にわたって蛮族ってのは続々と南下
してきてたんだよな。後発の部族が先発の部族を滅ぼすような感じだった。

続く

72 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 12:02:15.84 0.net
蛮族はその後南下するだろうけどパナマあたりで止まって鉄だけ南米に伝播したかもね。
蛮族はメキシコに入ると既存の文明圏で文明化されて留まってしまったからね。
中米の南の方は鉄器で文明化された蛮族に対抗できたかも知れんが蛮族の
これ以上の南下は無かったかも知れない。

征服者が来るときには各地が混乱してたかどうかは分らんがどちらにしろ中米は
都市国家中心だったから外交とか巧みに利用されて征服されてたと思う。
南米は大規模な国家が生まれてたからどう転ぶか分らんね。
カハマルカの奇襲のように鮮やかに決まれば征服できたかも。

続く(なげーから分けて書くw)

73 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 12:06:14.13 0.net
大小のアンティル諸島なんかはどちらにしろすぐ征服されただろうね。
ヨーロッパには火器があったし。
今の歴史と大筋は変わらなかったかもね。

ポイントはコルテスとピサロは「先住民対先住民」という構図の上で技術的な
イニシアティブを保持し続け先住民を従えていったということだね。
火薬なんかは製造法が先住民に渡らないようにわざわざ本国から輸送してた。

馬とか軍用犬とかも結構活躍してたから鉄以外にも戦闘で重要な働きをするもの
が多かったね。クロスボウとかもそうだ。

74 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 12:14:25.59 0.net
まあでも色々と妄想を書いてみたが征服者が返り討ち食う可能性も十分あるね。
まずコルテスの場合センポアラとトラスカラではほぼ自分の部隊だけで戦ってる。
ここで勝利できなかったらベラクルス建設しただけで終わってた。
多分先住民が鉄器持ってたらスペイン人ももっと大きい部隊を出してきたんだと思うけどね。

南米の場合もそうだけど。
アタワルパを捕らえてから帝国の分裂が始まってるけど皇帝を捕らえなければ
分裂は無かったと思う。(皇位継承以外では国は分裂しなかったと思う)
皇位継承の戦争を上手く利用しても小規模なスペイン人が先住民を支配下におけるかは
疑問だ。

可能性はいくらでもあるからどう転ぶか分らん。

75 :世界@名無史さん:2012/03/09(金) 12:27:54.09 0.net
そもそも論だと面白くないが、鉄鉱石の鉱山が簡単には見つからんのじゃないか。
ノルド人の船団ごときに鉱山技術師がいるとは思えんから、拉致してなんとかもできんわな。
アイスランドに住んでた連中って、鉄材はほとんど貿易で手に入れたものな気もするし。

76 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 12:41:33.75 0.net
鉄鉱山はあるんだけど技術がなかったから実用化されなかったんだよな。
まあ鉱山開発の技術もなかったんだがw

77 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 13:21:28.21 0.net
>>76
なんかこれおかしいなw
鉱山はなかったね。鉄産出できたけど>>75のいうとおり鉱山を見つける技術がないし
開発できる技術もない。
ということだね。

78 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 13:40:59.86 0.net
勢い5になったな。記念になんか書くか。
記念といえばやっぱりあれだ。テンプロ・マヨールだったか?
メシコの大神殿だな。
落成記念にはすげー数の生贄が捧げられた。
数万とかいう記録だか説があるらしいがまあ多くても数百人じゃないかな。
でも3日だかそのくらいぶっ続けで生贄捧げまくってたんだよな。
神官は交代してたけど。
儀式のスピードとかよく分らんから数とか計算してもあんま意味ないか。

大神殿はトラロックとウィツィロポチトリが祀られてた。
それぞれに最高の神官がいてアステカで最も地位の高い神官だったな。

79 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 13:50:40.77 0.net
そういえばテスココのネサワルコヨトルは名前なんだっけ?
忘れたけど偶像のない神を信仰していたとかでも有名だな。
生贄に懐疑的だったとかそんな話だが先住民の信仰は否定していなかった。

なんかカトリック導入後の後付のような気もしないでもないが
ネサワルコヨトルの孫イシュトリルショチトルとかその孫テソソモクとかが
ネサワルコヨトルを含めたテスココの歴史をまとめてたな。

賢君だったとかいう話だがネサワルコヨトルの子供のネサワルピリの存命していた
時期まではテスココはテノチティトランと対等の同盟者だったから賢君だったというのは
否定はできんね。
テノチティトランでなにか困ったことがあったりするとネサワルコヨトルに意見を求めたとか。
代表的なものにネサワルコヨトルの堤防なんてものがテスココ湖にあった。
防潮とか洪水対策と言われているね。
テスココ湖は場所によって濃度の差が大きかったが塩湖だった。

80 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 13:58:14.70 0.net
ネサワルコヨトルってのはテノチティトランがアスカポツァルコに服属していたとき
アスカポツァルコに攻撃されて滅亡寸前だった。
もちろんアステカもテスココを攻撃していたね。

ネサワルコヨトルはほぼ逃げ回っているような状況だったがなんとかテノチティトランと
トラコパンと同盟を組むことに成功したわけだ。
同盟によってアステカ王国(帝国)が誕生した。
反撃に成功して滅亡は免れた上にテノチティトランがアスカポツァルコを滅ぼしたんだよな。

そんなわけでテスココは繁栄した。
テスコトリという植物が繁茂する土地という意味だからテスココとかいう名前なんだと。

81 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 17:12:36.80 0.net
とりあえず明後日までに100目標にするか。

みんなはどんなネタが興味がある?
やっぱり〜は〜と交流があったのかネタか?

んじゃそういうことで生贄ネタ。
ナワ語でトラチトリだったか中米の球技。アステカだとこれに勝つと生贄になった。
生贄捧げる祭りとか限定だろうね。毎回生贄になったらこのスポーツ(?)育たないだろ?

ルールだけど一応コートの横に設置されてる壁についてる輪に
ボールをくぐらせるのが目的だね。
ボールを床に落としたら相手の点数になってしまうんだよな。

ボールが輪の中を通過したらゲームセットだがあまり入らなかったようで制限時間か
点数かでゲームセットしていたようだ。
地方ルールも多くこれがルールだってやつが伝わっていない。

基本的にというか手は使えないがプロテクターが特殊な形をしていたらしく
腰とか腕に付けたプロテクターのようなものでボールを弾いたり足で蹴ったりした。

ボールの材質はゴムだけど軟式野球のボールのように空洞ではなくて中心までゴムが
詰まっていたので勢いがいいボールにぶつかると痛かった。
というかあたりどころが悪くて死ぬ奴もいたな。

アステカやマヤではすげー人気で賭けの対象にもなってた。
この球技は北限は知らないが南限はコスタリカあたりでも見られた。

82 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 17:28:24.44 0.net
ヌエバ・エスパーニャでの某カシケへの尋問

修道士「おめーキリスト教徒なのかよ?」
カシケ「自分ではそう思ってる」
修道士「んじゃ天地を創造したのは誰か言ってみろ」
カシケ「男神のタガマスタードと女神のシポトッバルだろ」
修道士「そんなもんどこから聞いたんだよ?」
カシケ「先祖」

既存の多神教宗教から改宗させるってのは大変だったってわけだ。
元インカ帝国でもそうだが隠れて生贄捧げてたりする事件が頻発してた。

83 :世界@名無史さん:2012/03/09(金) 18:55:53.53 0.net
勝ったら生贄なら負けた方はどうなるんだ?

84 :世界@名無史さん:2012/03/09(金) 19:00:15.99 0.net
そもそも偶像崇拝禁止なのに何故か
中南米の土着の宗教とアフリカから連れて来られた黒人の文化が混ざって
黒いキリスト像みたいなものができるような物か?
あ、でもフィリピンにも黒いキリスト像ってあったような?


85 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 19:04:19.91 0.net
>>83
笑われただけで済んだとかいう話だ。
アステカだと生贄は名誉なことだったから勝利したほうが生贄なんだと。
アステカでも地方都市は記録が残っていなかったりするから全国統一だったかは
分からないね。

もっと前の時代とかのマヤとかだと負けた方が生贄だったとからしいよ。
マヤだと勝ったチームの選手が観客の装飾品とか略奪(?)してよかったとか
そんなルールもあるらしい。略奪というか貰っていい権利を得たんだね。

勝ち負けのどちらが生贄になったかは地域とか時代で変わっていたようだが
テノチティトランでは勝ったほうが生贄だった。

86 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 19:13:29.86 0.net
>>84
宣教をスムースに進められるように土着の宗教の神をキリスト教に取り入れたんだよな。
あとの時代に宣教師が批判されてたね。

サアグンにしても世界を作ったのはテスカトリポカ=創造主(キリスト教の神)
とした上で神をすり替えてこれを浸透させてからテスカトリポカの存在を忘れさせて
最後にはテスカトリポカを悪魔として先住民から既存の宗教の神を捨てさせようと
していたとかそんな計画だったとか。
まあこんな話が出るくらいだからかなり宣教は難航したんだよな。

しょうがないので生贄とかはやめさせた上で先住民の神を許容したおかげで
今のようになったと。

87 :◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 20:26:59.65 0.net
>>84
黒いキリスト像はフィリピンと南米にもあるらしい。
見たことないからよく分らんが顔つきも違うのかなぁ。

88 :世界@名無史さん:2012/03/09(金) 21:23:53.36 0.net
>>71 今のカナダあたりからディネ系(ナバホなど)が南下してきてナワ系の祖先は追われて南下したのかな

89 :世界@名無史さん:2012/03/10(土) 03:35:18.36 0.net
>>81
それって、腰バレーみたいなのとはまた別?
ヒストリーチャンネルだかで現地人がやってたのは、壁の輪にボールくぐらせるって仕様はなかったなぁ。
勝ったほうが生贄ってのはそこでも紹介されてた。ナレーターが誰得やねんって言ってたな。

90 :世界@名無史さん:2012/03/10(土) 08:21:20.00 0.net
テスカトリポカなんか別に何の利益も無い上に生贄を要求する誰得野郎なのに
アステカ人はよくこんなものを熱心に信仰したもんだ。割とマジで。
これなら悪魔のほうがまだマシだぜ。

91 :世界@名無史さん:2012/03/10(土) 09:48:16.27 P.net
40年前に刊行された古い百科事典に「カリブ族の主食は蟹」とか書いてあってオイオイと思ったんだけど
カリブ族の主食ってやっぱしキャッサバorトウモロコシ?

92 :世界@名無史さん:2012/03/10(土) 13:57:41.66 0.net
インカ帝国には、球技は無かったの?

93 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/10(土) 14:07:37.97 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
>>89
腰バレー? 多分それだと思うよ。
壁の輪にボールくぐらせるのは地域によるんじゃないか?
時代により変わっていったりしていたので地方ルールが多いらしい。
>>81だけど足は使えなかったかも。多分間違ったw
肘とか腰中心なんだよな。
でも勝ったほうが生贄ってのはマジで誰得だよなw 買ったやつ涙目だよ。

>>90
テスカトリポカってのは簡単に言うと善悪兼ねてるんだよな。
色んな神の化身だから全知全能だったとかいう話もある。
泥棒の神として盗賊から信仰されていたし奴隷の神として奴隷からも
信仰を集めてた。
奴隷が虐待されるとテスカトリポカの神殿に逃げ込んで庇護を求めたりもした。
テスカトリポカという神を調べてみるとどれだけ重要な神だったかが分かるよ。
とりあえず夜にでも詳しく書いてみるよ。

94 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/10(土) 14:15:27.95 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
>>91
そうだね。キャッサバ、トウモロコシとかイモ類か。
大小アンティル諸島でも食い物は大陸とあんまり変わらなかった。
主食カニってみんな痛風になっちまうよなw

>>92
メソアメリカと同じような球技はなかった。
トラチトリとかウラマだとか呼ばれてるやつ。

違う球技はあったかもしれんがよく分らん。

95 :世界@名無史さん:2012/03/10(土) 20:47:22.71 0.net
>>94
テスカリポカって、聞いてると破壊神でもあるシヴァに似てるように思えるな。
まあ、シヴァは生贄を要求するものではないが。

96 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/11(日) 18:08:30.81 0.net
テスカトリポカってのはトルテカ人が崇拝していた神なんだよな。
神話では一番最初の太陽の時代の支配者だったし
今の第五の世界を造ったときとかに活躍してる。
基本的にはケツアルコアトルと敵対してるが第五の世界を造ったときは共闘した。

トルテカでは宗派対立も起きた。予言で有名なセ・アカトル・トピルツィンは
ケツアルコアトル派でテスカトリポカ派によって追放されたやつ。

アステカでは色んな姿(化身)をもっているとされていてウィツィロポチトリ、シペ・トテック、
ケツアルコアトル、トラロックはみんなテスカトリポカの化身だな。
盗賊とか奴隷の神でもあったけど貴族の守護神でもあった。
誰かに呪いをかけるときにはテスカトリポカに祈ることで呪詛をしていた。

トルテカ人が信仰していたのでアステカも取り入れた。
アステカ族の主神はウィツィロポチトリなのにテスカトリポカの化身とされていたことで
この神の重要性が判る。
テオティワカンでは特に重要視されていなかったようだ。テスカトリポカ自体無かったのかも。

97 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/11(日) 18:13:37.30 0.net
そういえばケツアルコアトルが生贄禁止したとかどうとか言われるが
テオティワカンとかではケツアルコアトルが重要で生贄捧げてたな。

98 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/11(日) 18:29:05.58 0.net
テオティワカンといえばテオティワカンも北方の蛮族に悩まされていたな。
テオティワカンはどの民族が住民だったかもよく分かっていないようだがナワ系では
ないようだね。
アステカ人が発見したときには既に廃墟だったというし蛮族の攻撃とかに続いて
飢饉とかで住民が逃げてしまったのかも知れん。

トルテカなんかは王国は滅びたけど住民はクルワカンにいたし中米各地に逃げた
トルテカ人難民は色んな都市で受け入れてもらえた。
テオティワカンとは違って記録も残ってるからどうなったのか分かってる。
テノチティトランの初代の王もトルテカ系だったな。

99 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/11(日) 22:37:30.72 0.net
そういやあの中米の球技だけど
英語でメソアメリカン・ボールゲームっていうんだと。(そのまんまだがw)

やっぱり遺跡によって輪があるパターンと無いパターンがあるようだ。
コパンやモンテ・アルバンには輪がない。
輪のルールはなんか新しく付け足されたそうだ。

地域や時代によってラケットとかバットも使われた所があるようだ。

100 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/11(日) 22:42:35.74 0.net
この球技だけどタイノ族には似たようなものが伝播していたとの事。

101 :世界@名無史さん:2012/03/11(日) 23:46:05.64 0.net
>>99
あー、そうそう、俺が見たのはコパンのだった。
ルールは腰テニスみたいな感じ(ただしネットはなし)。

102 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/12(月) 00:03:16.44 0.net
Youtube にあった。
ttp://www.youtube.com/watch?v=xnFjsbn36QI
腰しか使ってないしこのルールだとこれすげー難しそうだ。
ここは輪がないね。
なんかラケットとか使いたくなる気持ちが解るw
ttp://www.youtube.com/watch?v=jKvQjgC9sIY
こっちは腰のみで壁に輪があるタイプだね。

ttp://www.youtube.com/watch?v=aNYsPuvKlRY
こっちはアステカルールなんだろうね。
肘使ってるし皆で壁の輪を狙ってる。
片面しか壁がないようだが簡易タイプなんだろうか。

103 :世界@名無史さん:2012/03/12(月) 08:28:38.81 0.net
つーか、なんで腰でタマを打つんだろうな?
蹴る、棒でたたく、腕をつかう、とか地域によらず普遍的に行われているのから外れてるよな。
新大陸は、やっぱオリジナリティあるわ。文化人類学を考えるうえで貴重な場所だよな。

104 :!kab 忍法帖【Lv=10,xxxPT】◆TCygujgOWY :2012/03/12(月) 12:40:08.38 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
>>103
なんか俺のほうが上手いぜー、とか言ってる奴がたくさんいて
段々にルールが厳しくなったんだろうかw
あれだけ普及していたというのに遊びやすさがこれ程欠如してるってのが興味深いね。


このメソアメリカン・ボールゲームだけどウィキペディアの英語版が詳しい。
なんか本家?のスペイン語のよりも記述が詳しいね。
テオティワカンの壁画には棒を使っているバージョンが書かれてるそうだ。
なんかアステカの球技は負けた方が斬首で首が神に捧げられたとか書いてあるぞ。
よく分らんがなんで資料により結果が違ったりしてるんだろうか。
他の地域とか参考にして本書いてる人が多いのか?

つうか>>102の映像を見る限りだと死ぬような打球は飛んでこなそうだw
昔の人はもっと激しかったんだろうかw

105 :世界@名無史さん:2012/03/12(月) 19:02:31.41 0.net
生贄ネタが一番盛り上がっている件w

>>81
20年位前にどっかの番組でみたんだが、日没まで続いて蹴って輪に通すとかいう話だった。
運動量が激しくて参加者がバタバタ死んで行ったそうだ。地方や時代によっていろんなルールが
あったんだろう。

106 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/13(火) 00:53:35.67 0.net
>>105
負けたら死ぬとかだったら皆必死だったんだろうな。
俺は死にたくねぇえええ→過労死とか死んでも死にきれん。
つうかそんなに本気じゃ打球で人死ぬなw

107 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/13(火) 01:03:20.90 0.net
>>99でも書いているがトルテカの影響下の街は輪が付いているようだね。
チチェン・イツァとかウシュマルとか。
テオティワカンのコートは壊れていてよく分からないそうだ。

ナワ系の人間はこんな一発逆転できるようなルールが好きだったんだろうかw

108 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/14(水) 17:18:18.96 0.net
斬首で思い出したけどコルテスがテノチティトラン攻撃してたとき
スペイン人はもちろん馬まで生贄にされてた。
馬も斬首されて首の陳列棚に飾られてたな。絵が残っているね。
マカナは馬の首が落とせるくらい鋭かったとかいう話もある。

アステカ人が初めて馬を見たとき人馬一体の不死身の化物だと想像されてたが
馬が死んだのをアステカ人が見てから恐怖の対象ではなくなった。
獰猛な軍用犬の方が恐ろしかったようだ。

109 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/14(水) 17:25:52.58 0.net
なんかアステカ人は通常の戦闘と生贄確保の戦闘を分けていたようだが
コルテスがテノチティトランを包囲している時でも征服者を生贄にするよう
戦っていたようだ。

コルテス軍の被害が少ないとかコルテスが何回も捕らえられてアステカ兵士に
連れていかれそうなのを味方が救出したとかそんな話が残っているね。
馬も貴重?だったらしくて生贄用にとアステカ兵士から狙われていた。

110 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/14(水) 18:35:29.15 0.net
そういやアステカ人は鉄砲とかクロスボウに苦しめられていたというか
殺傷力が高いから警戒していたがジグザグに走って敵陣に向かっていくことで
射撃のスピードを遅くさせていたね。
やっぱり打つ方も狙って撃っていたのでジグザグに走られると狙いがつけ難かった。

アステカ人はスペイン人と戦うのが恐怖で追い散らされていたとかよく書かれている
けど結構冷静に観察していた人もいたようだ。
アステカには弓矢しか無かったけど射撃の時に狙いをつけ難くするコツとか
知っていた人がいたんだろうね。

チチメカと呼ばれたメキシコ北部の蛮族は弓矢の射撃が上手かったとか
いう記録があるがアステカ人も元々はチチメカだったからそんなノウハウがあったのかも。


111 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/14(水) 18:39:00.65 0.net
チチメカというのは蛮族の代名詞になっているが
犬を連れた人々とかそんな意味があるらしい。
狩猟の際に犬を使っていたそうだ。
比較的中央高原に近いところの蛮族は半農・半狩猟だった。

気候の良し悪しとかで農耕の北限が移動したとか言われてるが
農耕が上手くいかず不作だったり飢饉だったりすると南下が始まったりした。
狩猟だけじゃ足りなかったからなんだろう。
テオティワカン・トルテカなんかは蛮族からの防衛が重要課題だったな。

112 :世界@名無史さん:2012/03/18(日) 18:39:49.23 0.net
何だかんだで、先住民に対して一番効果があったのは天然痘だろうな。
別にスペイン人も意図しなかっただろうけど。

113 :世界@名無史さん:2012/03/19(月) 00:48:18.19 0.net
ヨーロッパでもペストが流行った時とかはバタバタ死んでるし、病気はどうにもならないよね
スペイン人が最初に新大陸に行ったから悲劇が起きたみたいに言われることもあるけど
最初に他のヨーロッパ諸国やイスラム圏、太平洋側から東洋人が来たとしても
同じことが起こったと思うのは自分だけなんだろうか?

114 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/19(月) 14:40:23.44 0.net
>>112
天然痘も強毒性だったらしいね。
弱毒性だったら多分他の病気のほうが脅威だったかも。
ペストやコレラ、はしかなんかも持ち込まれたからね。
征服よりも病気の伝染の方が速かったとか。

>>113
病気も怖かったけどやっぱり植民地支配の過酷さも同じかそれ以上に酷かった。
俺もどの国のやつが来ても大して変わらなかったと思う。
開発されてない鉱山とか大量にあったしね。どの国が来ても同じような結果になったと思う。

115 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/19(月) 14:48:34.40 0.net
まあ当時の新大陸にはたいした投資とかしなくても奪える富があったというわけだね。
主に農園と鉱山だね。
金出さずに奴隷と同じように強制労働させられる先住民は奴隷以上に酷使されてた。

奴隷と違って金出しても解放される権利もなかったしね。
奴隷は法律上は金出せば解放された。
解放されてもそのまま奴隷と同じ生活続けた人も多かったそうだが
先住民はそれも許されなかった。

116 :世界@名無史さん:2012/03/20(火) 01:21:58.55 0.net
これは新大陸だけじゃなくオーストラリアや太平洋の島々にも言える事だけど
どうすればこの悲劇を回避できたんだろうか
現代レベルまで医学が進歩し、人権に対する考え方も進歩してからアメリカに到達
していれば変わったかも知れないけど、大航海時代も経験せずアメリカの資源、
芋とか鉱物もなしに現代レベルにユーラシアのみで到達するのは無理っぽいしな・・・・

117 :世界@名無史さん:2012/03/20(火) 12:08:54.02 0.net
人類の代わりにイルカが知的生物になってたら海とか関係なかっただろ。

118 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/20(火) 13:29:11.97 0.net
>>116
旧大陸とか新大陸がどんな進歩をしていても衝突は必至だから
同じ程度に進歩して対抗させる以外にないと思う。
どう転んでも多数の犠牲者はでるだろうね。

>>117
これか?
ttp://plaza.rakuten.co.jp/kenohaetaikimono/diary/200705220001/

119 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/20(火) 17:04:28.31 0.net
病気の話だけど先住民の間で天然痘とか流行してんのにスペイン人は
平気だったとか先住民の間で神の祟だとかなんだとか言われてたな。

アステカ攻略後に南下した征服者が既に病気が蔓延してる村とか見つけてたな。
事情がよくわからん人間にとっては相当不気味だったと思う。
というか征服者たちも原因がよく分かっていなかったようだ。

120 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/20(火) 17:56:46.35 0.net
そういやアステカ征服の主要メンバーって病気とかかかってなかったな。
クィトラワクくらいか。マリンチェもなんともないようだったし。

あとインカのワイナ・カパックも天然痘説あったな。
良い物食ってたやつらは病気にかかりにくかったんだろうか?

121 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/20(火) 21:23:11.90 0.net
>>120
あれ?マリンチェって天然痘みたいなのにかかったって、
どこかで読んだ気がするんだけど。結構若くして亡くなったみたいだし。

122 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/20(火) 22:38:59.97 0.net
>>121
マジで!?
なんか若く死んだとかいうのは聞いたことがあるが天然痘とかは知らんかった。
晩年の詳細は不明とか書いてあった本は読んだんだが。

123 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/20(火) 22:50:12.70 0.net
>>122
はっきりと天然痘かどうかは分からないけどそういう系の感染症みたいなものと聞いた。
ソースのあやふやな話なので信憑性は保障できないけど。

124 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/20(火) 22:58:57.15 0.net
おお、ありがとう!
まあ若いうちに死ぬくらいだから伝染病とかだったんだろうね。
旧大陸のたくさんの種類の病気持ち込まれたしな。

125 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/20(火) 23:09:46.26 0.net
>>124
多分そうだと思う。後でちゃんとした資料探してみるか。

126 :世界@名無史さん:2012/03/21(水) 12:26:11.11 0.net
一方、新大陸の梅毒が旧大陸で猛威を奮った

127 :世界@名無史さん:2012/03/21(水) 21:20:54.21 0.net
>>116 ニューギニア高地人も最初の外部との接触がずっと早かったら、やはり悲劇的なことが起きてたんだろうか。
白人といきなり接触して人口減少が起きてないのはあそこくらいだな。

128 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/22(木) 16:58:01.40 0.net
>>125
よろしくお願いします。

>>126
他に驚異的な病気がなかったのかが不思議だ。

>>127
確かポルトガル人入ってきたけど大した利用価値がなかったとか。
金鉱とかがあれば悲惨だったろうけど。

129 :世界@名無史さん:2012/03/23(金) 00:06:47.38 0.net
マチュピチュ遺跡に本名? 古文書に「パタジャクタ」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120322/amr12032215250003-n1.htm
スペイン紙パイスなどは22日までに同国の歴史家の調査結果として、
ペルー南部の世界遺産マチュピチュ遺跡(15世紀ごろ)の本当の名称は
「パタジャクタ」だった可能性があると報じた。
ペルーを征服したスペイン人が1551年に書いた古文書に記載があるという。


130 :世界@名無史さん:2012/03/23(金) 01:56:06.03 0.net
ジャはどれで表記されるんだろう。ya?lla?あるいは昔のスペイン語はxが今のポルトガル語のxと同じ音価だったそうだから、
jも今のjの音じゃなくてポルトガル語のと同じなのかな。
もしyaかllaだったら、正しくはパタジャクタじゃなくてパタヤクタかパタリャクタかも

131 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/23(金) 09:21:06.98 0.net
>>128
とりあえずスペイン語版ウィキペディアだと天然痘か何かの病気で死んだみたいなことが書いてある。
スペイン語ちゃんと読める訳でもないしウィキペディアの情報なので断言はできないけど。

132 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/23(金) 11:28:55.77 0.net
>>129-130
英語版のWikipedia にはソース中にある同名のPatallactaが乗っているね。
Lla だからパタヤクタとかパタリャクタでもいいんだろうね。

でも同じ名前2箇所につけるのかな?

>>131
なんか英語版だと死因まで載ってないんだよな。
スペイン語版には確かに天然痘と書いてあるね。
まあ天然痘致死率20〜30%とかいう話だからなぁ。やっぱりこれなんだろう。

133 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/23(金) 14:41:31.16 0.net
>>132
当時のアメリカ大陸の先住民の間には天然痘がだいぶ流行してたから、
マリンチェの場合もおそらくそうなんだろうね。

134 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/23(金) 15:28:30.05 0.net
>>133
やっぱり他のサイトにも天然痘で死去とあるわ。
まあ死亡年については1527〜29年とかバラついてるけど。

135 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/23(金) 16:35:08.07 0.net
>>134
やっぱりそうなんだ。マリンチェってあまり史料残ってないのかな。
死亡年にも随分ばらつきあるみたいだし。

136 :世界@名無史さん:2012/03/23(金) 16:46:02.17 0.net
【占い】遊びと賭博の系譜【シミュレーション】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1325143584/l50

137 :世界@名無史さん:2012/03/23(金) 23:15:30.41 0.net
【太陽信仰】太陽と人類の関係史【天動説】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1332425520/l50

138 :世界@名無史さん:2012/03/24(土) 03:11:20.25 0.net
>>38
-tzinはナワトル語の敬称の接尾辞な

139 :世界@名無史さん:2012/03/24(土) 03:32:08.24 0.net
""

140 :世界@名無史さん:2012/03/24(土) 06:07:41.87 0.net
>>129
マチュピチュを見るといつも松本の途中にあった塩嶺病院という結核病棟を思い出す。
階段状になり空気の流れを良くして結核患者を療養した。感染症の患者を隔離した
場所ではないか?

141 :世界@名無史さん:2012/03/24(土) 09:05:08.17 0.net
要は、サナトリウムってことか

142 :世界@名無史さん:2012/03/24(土) 09:27:55.08 0.net
精神病、結核、らい病その他さまざまな病気の人が共同生活した場所ではないか。
不治の病の人の隔離場。

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