2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

☆◇●新大陸古代文明総合スレッド○◆☆

64 :53:2012/03/08(木) 12:46:47.24 0.net
あー、これこれ。
このペルー沖の強力な海流がエルニーニョの時には弱くなるんだ。
大陸側のどこぞの伝承で、西方の海からやってきて戻っていった、て感じのがあるそうで。
田家康「世界史を変えた異常気象」ちゅう本だったわ、けっこう粗のある内容だったが。

65 :世界@名無史さん:2012/03/08(木) 12:52:07.71 0.net
ああ、ごめん、>>64>>62に対してね。
>>63はあとで読んでみる。

66 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/08(木) 13:25:06.33 0.net
>>64
エルニーニョじゃないときに出航しちゃったやつは散っていったのかな?
海流乗り間違えちゃったやつとかも悲惨そうだ。

なんかどんな感じで航行していたのか気になるね。

67 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/08(木) 15:59:35.67 0.net
なんかカヌーが出たところで船ネタか。
テノチティトランが湖上の都市だったことは有名だが
テノチティトランには街中に水路網があってカヌーでも移動できたんだよな。
ベネチアを思い出させられる街並みだったそうだ。

テノチティトランがコルテス軍に包囲されていたときコルテスは先住民にベルガンティン船
を造らせているが先住民兵はベルガンティンをカヌーで護衛してた。
護衛艦(?)がカヌーってのもしょぼいんだがクワゥテモツィンがテノチティトランを
脱出したときに使用していたのもカヌーだったな。

テスココ湖だとこのくらいで十分だったんだろうか。

確か大西洋側だと先住民のカヌーのような船の目撃例が記録されてた。

68 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/08(木) 23:51:20.97 0.net
ネタが尽きてきたんでまあ他のスレに書いたやつコピペしとくかw

そういえばコルテスのチョルーラでの虐殺があったけど
当時死んだのが8000人だったか?
なんかチョルーラで歓待を受けていたコルテスが出発するときに
急にチョルーラへ攻撃を開始したとかいう話。

なんか詳しい経緯とかはあまり良く分かっていないようだが、
チョルーラ側がコルテス襲撃計画を立てていたのをコルテス側の先住民が
立ち聞きしたとかいう話だな。

偽情報を味方から掴まされた説も根強くて
チョルーラとトラスカラが仲が悪かった説とかマリンチェの怨恨説なんかもある。
チョルーラ軍の抵抗があまりにも薄かったためこの説が根強い。
コルテス軍の残虐ぶりがよく聞かれるが実はトラスカラ兵もかなり頑張ってた。

69 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/08(木) 23:52:25.23 0.net
204 名前:!kab 【東電 86.3 %】水 ◆TCygujgOWY [sage]: 2012/02/17(金) 19:03:21.18 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis)
まあ子供といえば有名なやつがある。
アステカだと子供の精神に悪影響があるとかで唐辛子は子供に食わせなかった。

子供をしかるときはぶん殴る親もいたのだろうが、コディセに残されてる記述によると
煙で子供を燻すというものがあった。
テノチティトランの場合は庶民の子供でも学校に通っていた。
女の子でも学校に通えた。

貴族用の学校もあり、貴族の子供とか神官志望の子供はカルメカックという
学校に通ってたな。

貴族が犯罪を犯すと庶民よりも重い刑罰を受けることになっているが
カルメカックでの教育が良いせいなのか貴族は普通に受け入れていた。
王も堕落した王ってのは貴族から受け入れられなかった。

205 名前:!kab 【東電 86.3 %】水 ◆TCygujgOWY [sage]: 2012/02/17(金) 19:06:15.91 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis)
アステカの場合生贄とかがあるから人間は大切にされないと思われるかも知れんが
子供は大切に育てられていた。
子供のうちに死んでしまった場合でも丁重に弔われていた。

70 :世界@名無史さん:2012/03/09(金) 10:58:31.17 0.net
レイフ・エリクソンが北米東海岸に到達した時に持っていた鉄器の技術が新大陸に
広がっていればどうなっていたんだろう



71 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 12:01:12.48 0.net
>>70
無知ですまんがレイフ・エリクソンってバイキングのやつ?
新大陸に広まっていればというがもうこの時点で時間的に厳しい気がするんだがw
根拠は南米の青銅器の伝播だね。プレ・インカで青銅器が作られていたけどメキシコまで
届いていなかった。
機動力が低いから文化の伝播が遅いみたいなんだよな。
天然痘とかの病気は速かったけど。

もし鉄器技術が広まったとしたら中米と北米の間(アメリカの西の方も)には蛮族が
めちゃくちゃ多くてメキシコへ南下してたからこの蛮族がメキシコの各都市を滅ぼして
たんじゃね?蛮族はチチメカとか呼ばれてたナワ系民族だな。
トルテカだって蛮族を抑えきれずに崩壊してたし。
トルテカもナワ系の蛮族だったがすげー長期間にわたって蛮族ってのは続々と南下
してきてたんだよな。後発の部族が先発の部族を滅ぼすような感じだった。

続く

72 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 12:02:15.84 0.net
蛮族はその後南下するだろうけどパナマあたりで止まって鉄だけ南米に伝播したかもね。
蛮族はメキシコに入ると既存の文明圏で文明化されて留まってしまったからね。
中米の南の方は鉄器で文明化された蛮族に対抗できたかも知れんが蛮族の
これ以上の南下は無かったかも知れない。

征服者が来るときには各地が混乱してたかどうかは分らんがどちらにしろ中米は
都市国家中心だったから外交とか巧みに利用されて征服されてたと思う。
南米は大規模な国家が生まれてたからどう転ぶか分らんね。
カハマルカの奇襲のように鮮やかに決まれば征服できたかも。

続く(なげーから分けて書くw)

73 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 12:06:14.13 0.net
大小のアンティル諸島なんかはどちらにしろすぐ征服されただろうね。
ヨーロッパには火器があったし。
今の歴史と大筋は変わらなかったかもね。

ポイントはコルテスとピサロは「先住民対先住民」という構図の上で技術的な
イニシアティブを保持し続け先住民を従えていったということだね。
火薬なんかは製造法が先住民に渡らないようにわざわざ本国から輸送してた。

馬とか軍用犬とかも結構活躍してたから鉄以外にも戦闘で重要な働きをするもの
が多かったね。クロスボウとかもそうだ。

74 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 12:14:25.59 0.net
まあでも色々と妄想を書いてみたが征服者が返り討ち食う可能性も十分あるね。
まずコルテスの場合センポアラとトラスカラではほぼ自分の部隊だけで戦ってる。
ここで勝利できなかったらベラクルス建設しただけで終わってた。
多分先住民が鉄器持ってたらスペイン人ももっと大きい部隊を出してきたんだと思うけどね。

南米の場合もそうだけど。
アタワルパを捕らえてから帝国の分裂が始まってるけど皇帝を捕らえなければ
分裂は無かったと思う。(皇位継承以外では国は分裂しなかったと思う)
皇位継承の戦争を上手く利用しても小規模なスペイン人が先住民を支配下におけるかは
疑問だ。

可能性はいくらでもあるからどう転ぶか分らん。

75 :世界@名無史さん:2012/03/09(金) 12:27:54.09 0.net
そもそも論だと面白くないが、鉄鉱石の鉱山が簡単には見つからんのじゃないか。
ノルド人の船団ごときに鉱山技術師がいるとは思えんから、拉致してなんとかもできんわな。
アイスランドに住んでた連中って、鉄材はほとんど貿易で手に入れたものな気もするし。

76 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 12:41:33.75 0.net
鉄鉱山はあるんだけど技術がなかったから実用化されなかったんだよな。
まあ鉱山開発の技術もなかったんだがw

77 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 13:21:28.21 0.net
>>76
なんかこれおかしいなw
鉱山はなかったね。鉄産出できたけど>>75のいうとおり鉱山を見つける技術がないし
開発できる技術もない。
ということだね。

78 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 13:40:59.86 0.net
勢い5になったな。記念になんか書くか。
記念といえばやっぱりあれだ。テンプロ・マヨールだったか?
メシコの大神殿だな。
落成記念にはすげー数の生贄が捧げられた。
数万とかいう記録だか説があるらしいがまあ多くても数百人じゃないかな。
でも3日だかそのくらいぶっ続けで生贄捧げまくってたんだよな。
神官は交代してたけど。
儀式のスピードとかよく分らんから数とか計算してもあんま意味ないか。

大神殿はトラロックとウィツィロポチトリが祀られてた。
それぞれに最高の神官がいてアステカで最も地位の高い神官だったな。

79 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 13:50:40.77 0.net
そういえばテスココのネサワルコヨトルは名前なんだっけ?
忘れたけど偶像のない神を信仰していたとかでも有名だな。
生贄に懐疑的だったとかそんな話だが先住民の信仰は否定していなかった。

なんかカトリック導入後の後付のような気もしないでもないが
ネサワルコヨトルの孫イシュトリルショチトルとかその孫テソソモクとかが
ネサワルコヨトルを含めたテスココの歴史をまとめてたな。

賢君だったとかいう話だがネサワルコヨトルの子供のネサワルピリの存命していた
時期まではテスココはテノチティトランと対等の同盟者だったから賢君だったというのは
否定はできんね。
テノチティトランでなにか困ったことがあったりするとネサワルコヨトルに意見を求めたとか。
代表的なものにネサワルコヨトルの堤防なんてものがテスココ湖にあった。
防潮とか洪水対策と言われているね。
テスココ湖は場所によって濃度の差が大きかったが塩湖だった。

80 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 13:58:14.70 0.net
ネサワルコヨトルってのはテノチティトランがアスカポツァルコに服属していたとき
アスカポツァルコに攻撃されて滅亡寸前だった。
もちろんアステカもテスココを攻撃していたね。

ネサワルコヨトルはほぼ逃げ回っているような状況だったがなんとかテノチティトランと
トラコパンと同盟を組むことに成功したわけだ。
同盟によってアステカ王国(帝国)が誕生した。
反撃に成功して滅亡は免れた上にテノチティトランがアスカポツァルコを滅ぼしたんだよな。

そんなわけでテスココは繁栄した。
テスコトリという植物が繁茂する土地という意味だからテスココとかいう名前なんだと。

81 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 17:12:36.80 0.net
とりあえず明後日までに100目標にするか。

みんなはどんなネタが興味がある?
やっぱり〜は〜と交流があったのかネタか?

んじゃそういうことで生贄ネタ。
ナワ語でトラチトリだったか中米の球技。アステカだとこれに勝つと生贄になった。
生贄捧げる祭りとか限定だろうね。毎回生贄になったらこのスポーツ(?)育たないだろ?

ルールだけど一応コートの横に設置されてる壁についてる輪に
ボールをくぐらせるのが目的だね。
ボールを床に落としたら相手の点数になってしまうんだよな。

ボールが輪の中を通過したらゲームセットだがあまり入らなかったようで制限時間か
点数かでゲームセットしていたようだ。
地方ルールも多くこれがルールだってやつが伝わっていない。

基本的にというか手は使えないがプロテクターが特殊な形をしていたらしく
腰とか腕に付けたプロテクターのようなものでボールを弾いたり足で蹴ったりした。

ボールの材質はゴムだけど軟式野球のボールのように空洞ではなくて中心までゴムが
詰まっていたので勢いがいいボールにぶつかると痛かった。
というかあたりどころが悪くて死ぬ奴もいたな。

アステカやマヤではすげー人気で賭けの対象にもなってた。
この球技は北限は知らないが南限はコスタリカあたりでも見られた。

82 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 17:28:24.44 0.net
ヌエバ・エスパーニャでの某カシケへの尋問

修道士「おめーキリスト教徒なのかよ?」
カシケ「自分ではそう思ってる」
修道士「んじゃ天地を創造したのは誰か言ってみろ」
カシケ「男神のタガマスタードと女神のシポトッバルだろ」
修道士「そんなもんどこから聞いたんだよ?」
カシケ「先祖」

既存の多神教宗教から改宗させるってのは大変だったってわけだ。
元インカ帝国でもそうだが隠れて生贄捧げてたりする事件が頻発してた。

83 :世界@名無史さん:2012/03/09(金) 18:55:53.53 0.net
勝ったら生贄なら負けた方はどうなるんだ?

84 :世界@名無史さん:2012/03/09(金) 19:00:15.99 0.net
そもそも偶像崇拝禁止なのに何故か
中南米の土着の宗教とアフリカから連れて来られた黒人の文化が混ざって
黒いキリスト像みたいなものができるような物か?
あ、でもフィリピンにも黒いキリスト像ってあったような?


85 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 19:04:19.91 0.net
>>83
笑われただけで済んだとかいう話だ。
アステカだと生贄は名誉なことだったから勝利したほうが生贄なんだと。
アステカでも地方都市は記録が残っていなかったりするから全国統一だったかは
分からないね。

もっと前の時代とかのマヤとかだと負けた方が生贄だったとからしいよ。
マヤだと勝ったチームの選手が観客の装飾品とか略奪(?)してよかったとか
そんなルールもあるらしい。略奪というか貰っていい権利を得たんだね。

勝ち負けのどちらが生贄になったかは地域とか時代で変わっていたようだが
テノチティトランでは勝ったほうが生贄だった。

86 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 19:13:29.86 0.net
>>84
宣教をスムースに進められるように土着の宗教の神をキリスト教に取り入れたんだよな。
あとの時代に宣教師が批判されてたね。

サアグンにしても世界を作ったのはテスカトリポカ=創造主(キリスト教の神)
とした上で神をすり替えてこれを浸透させてからテスカトリポカの存在を忘れさせて
最後にはテスカトリポカを悪魔として先住民から既存の宗教の神を捨てさせようと
していたとかそんな計画だったとか。
まあこんな話が出るくらいだからかなり宣教は難航したんだよな。

しょうがないので生贄とかはやめさせた上で先住民の神を許容したおかげで
今のようになったと。

87 :◆TCygujgOWY :2012/03/09(金) 20:26:59.65 0.net
>>84
黒いキリスト像はフィリピンと南米にもあるらしい。
見たことないからよく分らんが顔つきも違うのかなぁ。

88 :世界@名無史さん:2012/03/09(金) 21:23:53.36 0.net
>>71 今のカナダあたりからディネ系(ナバホなど)が南下してきてナワ系の祖先は追われて南下したのかな

89 :世界@名無史さん:2012/03/10(土) 03:35:18.36 0.net
>>81
それって、腰バレーみたいなのとはまた別?
ヒストリーチャンネルだかで現地人がやってたのは、壁の輪にボールくぐらせるって仕様はなかったなぁ。
勝ったほうが生贄ってのはそこでも紹介されてた。ナレーターが誰得やねんって言ってたな。

90 :世界@名無史さん:2012/03/10(土) 08:21:20.00 0.net
テスカトリポカなんか別に何の利益も無い上に生贄を要求する誰得野郎なのに
アステカ人はよくこんなものを熱心に信仰したもんだ。割とマジで。
これなら悪魔のほうがまだマシだぜ。

91 :世界@名無史さん:2012/03/10(土) 09:48:16.27 P.net
40年前に刊行された古い百科事典に「カリブ族の主食は蟹」とか書いてあってオイオイと思ったんだけど
カリブ族の主食ってやっぱしキャッサバorトウモロコシ?

92 :世界@名無史さん:2012/03/10(土) 13:57:41.66 0.net
インカ帝国には、球技は無かったの?

93 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/10(土) 14:07:37.97 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
>>89
腰バレー? 多分それだと思うよ。
壁の輪にボールくぐらせるのは地域によるんじゃないか?
時代により変わっていったりしていたので地方ルールが多いらしい。
>>81だけど足は使えなかったかも。多分間違ったw
肘とか腰中心なんだよな。
でも勝ったほうが生贄ってのはマジで誰得だよなw 買ったやつ涙目だよ。

>>90
テスカトリポカってのは簡単に言うと善悪兼ねてるんだよな。
色んな神の化身だから全知全能だったとかいう話もある。
泥棒の神として盗賊から信仰されていたし奴隷の神として奴隷からも
信仰を集めてた。
奴隷が虐待されるとテスカトリポカの神殿に逃げ込んで庇護を求めたりもした。
テスカトリポカという神を調べてみるとどれだけ重要な神だったかが分かるよ。
とりあえず夜にでも詳しく書いてみるよ。

94 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/10(土) 14:15:27.95 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
>>91
そうだね。キャッサバ、トウモロコシとかイモ類か。
大小アンティル諸島でも食い物は大陸とあんまり変わらなかった。
主食カニってみんな痛風になっちまうよなw

>>92
メソアメリカと同じような球技はなかった。
トラチトリとかウラマだとか呼ばれてるやつ。

違う球技はあったかもしれんがよく分らん。

95 :世界@名無史さん:2012/03/10(土) 20:47:22.71 0.net
>>94
テスカリポカって、聞いてると破壊神でもあるシヴァに似てるように思えるな。
まあ、シヴァは生贄を要求するものではないが。

96 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/11(日) 18:08:30.81 0.net
テスカトリポカってのはトルテカ人が崇拝していた神なんだよな。
神話では一番最初の太陽の時代の支配者だったし
今の第五の世界を造ったときとかに活躍してる。
基本的にはケツアルコアトルと敵対してるが第五の世界を造ったときは共闘した。

トルテカでは宗派対立も起きた。予言で有名なセ・アカトル・トピルツィンは
ケツアルコアトル派でテスカトリポカ派によって追放されたやつ。

アステカでは色んな姿(化身)をもっているとされていてウィツィロポチトリ、シペ・トテック、
ケツアルコアトル、トラロックはみんなテスカトリポカの化身だな。
盗賊とか奴隷の神でもあったけど貴族の守護神でもあった。
誰かに呪いをかけるときにはテスカトリポカに祈ることで呪詛をしていた。

トルテカ人が信仰していたのでアステカも取り入れた。
アステカ族の主神はウィツィロポチトリなのにテスカトリポカの化身とされていたことで
この神の重要性が判る。
テオティワカンでは特に重要視されていなかったようだ。テスカトリポカ自体無かったのかも。

97 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/11(日) 18:13:37.30 0.net
そういえばケツアルコアトルが生贄禁止したとかどうとか言われるが
テオティワカンとかではケツアルコアトルが重要で生贄捧げてたな。

98 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/11(日) 18:29:05.58 0.net
テオティワカンといえばテオティワカンも北方の蛮族に悩まされていたな。
テオティワカンはどの民族が住民だったかもよく分かっていないようだがナワ系では
ないようだね。
アステカ人が発見したときには既に廃墟だったというし蛮族の攻撃とかに続いて
飢饉とかで住民が逃げてしまったのかも知れん。

トルテカなんかは王国は滅びたけど住民はクルワカンにいたし中米各地に逃げた
トルテカ人難民は色んな都市で受け入れてもらえた。
テオティワカンとは違って記録も残ってるからどうなったのか分かってる。
テノチティトランの初代の王もトルテカ系だったな。

99 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/11(日) 22:37:30.72 0.net
そういやあの中米の球技だけど
英語でメソアメリカン・ボールゲームっていうんだと。(そのまんまだがw)

やっぱり遺跡によって輪があるパターンと無いパターンがあるようだ。
コパンやモンテ・アルバンには輪がない。
輪のルールはなんか新しく付け足されたそうだ。

地域や時代によってラケットとかバットも使われた所があるようだ。

100 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/11(日) 22:42:35.74 0.net
この球技だけどタイノ族には似たようなものが伝播していたとの事。

101 :世界@名無史さん:2012/03/11(日) 23:46:05.64 0.net
>>99
あー、そうそう、俺が見たのはコパンのだった。
ルールは腰テニスみたいな感じ(ただしネットはなし)。

102 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/12(月) 00:03:16.44 0.net
Youtube にあった。
ttp://www.youtube.com/watch?v=xnFjsbn36QI
腰しか使ってないしこのルールだとこれすげー難しそうだ。
ここは輪がないね。
なんかラケットとか使いたくなる気持ちが解るw
ttp://www.youtube.com/watch?v=jKvQjgC9sIY
こっちは腰のみで壁に輪があるタイプだね。

ttp://www.youtube.com/watch?v=aNYsPuvKlRY
こっちはアステカルールなんだろうね。
肘使ってるし皆で壁の輪を狙ってる。
片面しか壁がないようだが簡易タイプなんだろうか。

103 :世界@名無史さん:2012/03/12(月) 08:28:38.81 0.net
つーか、なんで腰でタマを打つんだろうな?
蹴る、棒でたたく、腕をつかう、とか地域によらず普遍的に行われているのから外れてるよな。
新大陸は、やっぱオリジナリティあるわ。文化人類学を考えるうえで貴重な場所だよな。

104 :!kab 忍法帖【Lv=10,xxxPT】◆TCygujgOWY :2012/03/12(月) 12:40:08.38 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
>>103
なんか俺のほうが上手いぜー、とか言ってる奴がたくさんいて
段々にルールが厳しくなったんだろうかw
あれだけ普及していたというのに遊びやすさがこれ程欠如してるってのが興味深いね。


このメソアメリカン・ボールゲームだけどウィキペディアの英語版が詳しい。
なんか本家?のスペイン語のよりも記述が詳しいね。
テオティワカンの壁画には棒を使っているバージョンが書かれてるそうだ。
なんかアステカの球技は負けた方が斬首で首が神に捧げられたとか書いてあるぞ。
よく分らんがなんで資料により結果が違ったりしてるんだろうか。
他の地域とか参考にして本書いてる人が多いのか?

つうか>>102の映像を見る限りだと死ぬような打球は飛んでこなそうだw
昔の人はもっと激しかったんだろうかw

105 :世界@名無史さん:2012/03/12(月) 19:02:31.41 0.net
生贄ネタが一番盛り上がっている件w

>>81
20年位前にどっかの番組でみたんだが、日没まで続いて蹴って輪に通すとかいう話だった。
運動量が激しくて参加者がバタバタ死んで行ったそうだ。地方や時代によっていろんなルールが
あったんだろう。

106 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/13(火) 00:53:35.67 0.net
>>105
負けたら死ぬとかだったら皆必死だったんだろうな。
俺は死にたくねぇえええ→過労死とか死んでも死にきれん。
つうかそんなに本気じゃ打球で人死ぬなw

107 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/13(火) 01:03:20.90 0.net
>>99でも書いているがトルテカの影響下の街は輪が付いているようだね。
チチェン・イツァとかウシュマルとか。
テオティワカンのコートは壊れていてよく分からないそうだ。

ナワ系の人間はこんな一発逆転できるようなルールが好きだったんだろうかw

108 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/14(水) 17:18:18.96 0.net
斬首で思い出したけどコルテスがテノチティトラン攻撃してたとき
スペイン人はもちろん馬まで生贄にされてた。
馬も斬首されて首の陳列棚に飾られてたな。絵が残っているね。
マカナは馬の首が落とせるくらい鋭かったとかいう話もある。

アステカ人が初めて馬を見たとき人馬一体の不死身の化物だと想像されてたが
馬が死んだのをアステカ人が見てから恐怖の対象ではなくなった。
獰猛な軍用犬の方が恐ろしかったようだ。

109 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/14(水) 17:25:52.58 0.net
なんかアステカ人は通常の戦闘と生贄確保の戦闘を分けていたようだが
コルテスがテノチティトランを包囲している時でも征服者を生贄にするよう
戦っていたようだ。

コルテス軍の被害が少ないとかコルテスが何回も捕らえられてアステカ兵士に
連れていかれそうなのを味方が救出したとかそんな話が残っているね。
馬も貴重?だったらしくて生贄用にとアステカ兵士から狙われていた。

110 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/14(水) 18:35:29.15 0.net
そういやアステカ人は鉄砲とかクロスボウに苦しめられていたというか
殺傷力が高いから警戒していたがジグザグに走って敵陣に向かっていくことで
射撃のスピードを遅くさせていたね。
やっぱり打つ方も狙って撃っていたのでジグザグに走られると狙いがつけ難かった。

アステカ人はスペイン人と戦うのが恐怖で追い散らされていたとかよく書かれている
けど結構冷静に観察していた人もいたようだ。
アステカには弓矢しか無かったけど射撃の時に狙いをつけ難くするコツとか
知っていた人がいたんだろうね。

チチメカと呼ばれたメキシコ北部の蛮族は弓矢の射撃が上手かったとか
いう記録があるがアステカ人も元々はチチメカだったからそんなノウハウがあったのかも。


111 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/14(水) 18:39:00.65 0.net
チチメカというのは蛮族の代名詞になっているが
犬を連れた人々とかそんな意味があるらしい。
狩猟の際に犬を使っていたそうだ。
比較的中央高原に近いところの蛮族は半農・半狩猟だった。

気候の良し悪しとかで農耕の北限が移動したとか言われてるが
農耕が上手くいかず不作だったり飢饉だったりすると南下が始まったりした。
狩猟だけじゃ足りなかったからなんだろう。
テオティワカン・トルテカなんかは蛮族からの防衛が重要課題だったな。

112 :世界@名無史さん:2012/03/18(日) 18:39:49.23 0.net
何だかんだで、先住民に対して一番効果があったのは天然痘だろうな。
別にスペイン人も意図しなかっただろうけど。

113 :世界@名無史さん:2012/03/19(月) 00:48:18.19 0.net
ヨーロッパでもペストが流行った時とかはバタバタ死んでるし、病気はどうにもならないよね
スペイン人が最初に新大陸に行ったから悲劇が起きたみたいに言われることもあるけど
最初に他のヨーロッパ諸国やイスラム圏、太平洋側から東洋人が来たとしても
同じことが起こったと思うのは自分だけなんだろうか?

114 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/19(月) 14:40:23.44 0.net
>>112
天然痘も強毒性だったらしいね。
弱毒性だったら多分他の病気のほうが脅威だったかも。
ペストやコレラ、はしかなんかも持ち込まれたからね。
征服よりも病気の伝染の方が速かったとか。

>>113
病気も怖かったけどやっぱり植民地支配の過酷さも同じかそれ以上に酷かった。
俺もどの国のやつが来ても大して変わらなかったと思う。
開発されてない鉱山とか大量にあったしね。どの国が来ても同じような結果になったと思う。

115 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/19(月) 14:48:34.40 0.net
まあ当時の新大陸にはたいした投資とかしなくても奪える富があったというわけだね。
主に農園と鉱山だね。
金出さずに奴隷と同じように強制労働させられる先住民は奴隷以上に酷使されてた。

奴隷と違って金出しても解放される権利もなかったしね。
奴隷は法律上は金出せば解放された。
解放されてもそのまま奴隷と同じ生活続けた人も多かったそうだが
先住民はそれも許されなかった。

116 :世界@名無史さん:2012/03/20(火) 01:21:58.55 0.net
これは新大陸だけじゃなくオーストラリアや太平洋の島々にも言える事だけど
どうすればこの悲劇を回避できたんだろうか
現代レベルまで医学が進歩し、人権に対する考え方も進歩してからアメリカに到達
していれば変わったかも知れないけど、大航海時代も経験せずアメリカの資源、
芋とか鉱物もなしに現代レベルにユーラシアのみで到達するのは無理っぽいしな・・・・

117 :世界@名無史さん:2012/03/20(火) 12:08:54.02 0.net
人類の代わりにイルカが知的生物になってたら海とか関係なかっただろ。

118 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/20(火) 13:29:11.97 0.net
>>116
旧大陸とか新大陸がどんな進歩をしていても衝突は必至だから
同じ程度に進歩して対抗させる以外にないと思う。
どう転んでも多数の犠牲者はでるだろうね。

>>117
これか?
ttp://plaza.rakuten.co.jp/kenohaetaikimono/diary/200705220001/

119 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/20(火) 17:04:28.31 0.net
病気の話だけど先住民の間で天然痘とか流行してんのにスペイン人は
平気だったとか先住民の間で神の祟だとかなんだとか言われてたな。

アステカ攻略後に南下した征服者が既に病気が蔓延してる村とか見つけてたな。
事情がよくわからん人間にとっては相当不気味だったと思う。
というか征服者たちも原因がよく分かっていなかったようだ。

120 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/20(火) 17:56:46.35 0.net
そういやアステカ征服の主要メンバーって病気とかかかってなかったな。
クィトラワクくらいか。マリンチェもなんともないようだったし。

あとインカのワイナ・カパックも天然痘説あったな。
良い物食ってたやつらは病気にかかりにくかったんだろうか?

121 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/20(火) 21:23:11.90 0.net
>>120
あれ?マリンチェって天然痘みたいなのにかかったって、
どこかで読んだ気がするんだけど。結構若くして亡くなったみたいだし。

122 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/20(火) 22:38:59.97 0.net
>>121
マジで!?
なんか若く死んだとかいうのは聞いたことがあるが天然痘とかは知らんかった。
晩年の詳細は不明とか書いてあった本は読んだんだが。

123 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/20(火) 22:50:12.70 0.net
>>122
はっきりと天然痘かどうかは分からないけどそういう系の感染症みたいなものと聞いた。
ソースのあやふやな話なので信憑性は保障できないけど。

124 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/20(火) 22:58:57.15 0.net
おお、ありがとう!
まあ若いうちに死ぬくらいだから伝染病とかだったんだろうね。
旧大陸のたくさんの種類の病気持ち込まれたしな。

125 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/20(火) 23:09:46.26 0.net
>>124
多分そうだと思う。後でちゃんとした資料探してみるか。

126 :世界@名無史さん:2012/03/21(水) 12:26:11.11 0.net
一方、新大陸の梅毒が旧大陸で猛威を奮った

127 :世界@名無史さん:2012/03/21(水) 21:20:54.21 0.net
>>116 ニューギニア高地人も最初の外部との接触がずっと早かったら、やはり悲劇的なことが起きてたんだろうか。
白人といきなり接触して人口減少が起きてないのはあそこくらいだな。

128 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/22(木) 16:58:01.40 0.net
>>125
よろしくお願いします。

>>126
他に驚異的な病気がなかったのかが不思議だ。

>>127
確かポルトガル人入ってきたけど大した利用価値がなかったとか。
金鉱とかがあれば悲惨だったろうけど。

129 :世界@名無史さん:2012/03/23(金) 00:06:47.38 0.net
マチュピチュ遺跡に本名? 古文書に「パタジャクタ」
http://sankei.jp.msn.com/world/news/120322/amr12032215250003-n1.htm
スペイン紙パイスなどは22日までに同国の歴史家の調査結果として、
ペルー南部の世界遺産マチュピチュ遺跡(15世紀ごろ)の本当の名称は
「パタジャクタ」だった可能性があると報じた。
ペルーを征服したスペイン人が1551年に書いた古文書に記載があるという。


130 :世界@名無史さん:2012/03/23(金) 01:56:06.03 0.net
ジャはどれで表記されるんだろう。ya?lla?あるいは昔のスペイン語はxが今のポルトガル語のxと同じ音価だったそうだから、
jも今のjの音じゃなくてポルトガル語のと同じなのかな。
もしyaかllaだったら、正しくはパタジャクタじゃなくてパタヤクタかパタリャクタかも

131 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/23(金) 09:21:06.98 0.net
>>128
とりあえずスペイン語版ウィキペディアだと天然痘か何かの病気で死んだみたいなことが書いてある。
スペイン語ちゃんと読める訳でもないしウィキペディアの情報なので断言はできないけど。

132 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/23(金) 11:28:55.77 0.net
>>129-130
英語版のWikipedia にはソース中にある同名のPatallactaが乗っているね。
Lla だからパタヤクタとかパタリャクタでもいいんだろうね。

でも同じ名前2箇所につけるのかな?

>>131
なんか英語版だと死因まで載ってないんだよな。
スペイン語版には確かに天然痘と書いてあるね。
まあ天然痘致死率20〜30%とかいう話だからなぁ。やっぱりこれなんだろう。

133 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/23(金) 14:41:31.16 0.net
>>132
当時のアメリカ大陸の先住民の間には天然痘がだいぶ流行してたから、
マリンチェの場合もおそらくそうなんだろうね。

134 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/23(金) 15:28:30.05 0.net
>>133
やっぱり他のサイトにも天然痘で死去とあるわ。
まあ死亡年については1527〜29年とかバラついてるけど。

135 :オツガイ ◆EAbyJft1LY :2012/03/23(金) 16:35:08.07 0.net
>>134
やっぱりそうなんだ。マリンチェってあまり史料残ってないのかな。
死亡年にも随分ばらつきあるみたいだし。

136 :世界@名無史さん:2012/03/23(金) 16:46:02.17 0.net
【占い】遊びと賭博の系譜【シミュレーション】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1325143584/l50

137 :世界@名無史さん:2012/03/23(金) 23:15:30.41 0.net
【太陽信仰】太陽と人類の関係史【天動説】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1332425520/l50

138 :世界@名無史さん:2012/03/24(土) 03:11:20.25 0.net
>>38
-tzinはナワトル語の敬称の接尾辞な

139 :世界@名無史さん:2012/03/24(土) 03:32:08.24 0.net
""

140 :世界@名無史さん:2012/03/24(土) 06:07:41.87 0.net
>>129
マチュピチュを見るといつも松本の途中にあった塩嶺病院という結核病棟を思い出す。
階段状になり空気の流れを良くして結核患者を療養した。感染症の患者を隔離した
場所ではないか?

141 :世界@名無史さん:2012/03/24(土) 09:05:08.17 0.net
要は、サナトリウムってことか

142 :世界@名無史さん:2012/03/24(土) 09:27:55.08 0.net
精神病、結核、らい病その他さまざまな病気の人が共同生活した場所ではないか。
不治の病の人の隔離場。

143 :世界@名無史さん:2012/03/24(土) 09:33:42.31 0.net
むしろこっち向きの話題だな。

身障者・狂人・その他特殊な病気の患者の社会史
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1321744208/l50

144 :世界@名無史さん:2012/03/24(土) 09:39:41.88 0.net
すまん。

145 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/24(土) 13:02:01.96 0.net
>>138tzin
ありがとう!なんか長年の謎が解けた気がする。

>>140-142
結核はもともと旧大陸の病気だったから別の病気とかがあったのかな。
まあ若い人の人骨が出てこなかったとかいうから病気とかの隔離に
使われたのだろうけど。

>>143-144
どちらでもいいんじゃね?
どちらかにコピペしてもおkだろうし。

146 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/25(日) 00:24:57.17 0.net
でも>>138tzinの話を聞くとマリンチェがマリンツィンと呼ばれたが
実はコルテスのことをマリンツィンと呼んだ説が納得できる。
アステカ貴族はいくら貴族出身とはいえ奴隷のマリンチェに尊称を
つけるかってのがポイントだな。

まあベルナール・ディアスがドーニャ・マリーナとドーニャという尊称を
付けて呼んでいたからスペイン人には尊重されてたと思うけど。
マリンチェはスペイン語も覚えたトライリンガルだった。

147 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/25(日) 00:31:33.37 0.net
アギラールは救出?地点からみてもユカテク語だったと思うが
マリンチェはタバスコだったからチョンタル語なんだろうな。

どの本でもマヤ語としか書いてないからよく分らんのだが
話は結構通じるもんなんだな。
この両者は地理的には隣接してるがマヤ語では別系統なんだが。

マリンチェはカルメカックで勉強したようだから結構学はあった。

148 :世界@名無史さん:2012/03/25(日) 01:39:28.38 0.net
http://www.slideshare.net/Mitchara/twifull-sapporo-12-sasakinahuatl

ナワトル語は新大陸で一番勢力を持った抱合語だけあって発音も文法もメソアメリカの中では簡略化されてる。
格がない代わりに位置名詞を使う点なんか欧州の言語で格の代わりに前置詞を使うようになったのを思い起こさせる。

149 :世界@名無史さん:2012/03/25(日) 12:07:27.59 0.net
アステカ人は何でアストランから南下してきて、発見したテオティワカンに
そのまま住み着かずにわざわざテスココ湖の小島に都市を築いたの?
廃墟になって数百年経っていたから整備し直しても住めるような状態では
無かったんだろうか?

150 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/25(日) 13:14:48.43 0.net
テオティワカンってテノチティトラン建設前に発見されたんだっけ?
移動のルートが書いてある本があったがどうだったかな、、、、

で住み着かなかった原因だけど多分廃墟だったからだと思うけど。
アステカのようなチチメカは豊かな土地を求めて南下していたから既に廃墟
になっていたテオティワカンには住まなかったと思う。農耕地とか荒れ放題で
すぐには使えなかっただろうし。

テオティワカンに巡礼に行く奴は多かったとかいう話だからこれも影響しているのかも。


151 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/25(日) 13:23:56.00 0.net
アステカ人はテスココ湖南部の沿岸を目指していたと思うんだよな。
クルワカンやテスココ、アスカポツァルコなんかを転々としてた。
もちろん追い出されてたけど更に南下しなかったから元からこの辺が
目的だったのかも知れない。

ただアステカ人も含めて南下してくる蛮族は文明化されて移動やめてしまう
傾向があったからある程度文化を吸収しない限り南下を続けたんだと思う。

各地で戦闘を繰り返して南下し続けたが結局テノチティトランのある島まで
追いやられてしまっていた。

152 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/25(日) 13:32:12.91 0.net
アステカ人が南下していたときは蛮族の一派だったから
各地で厄介者扱いされていたしアステカっていう名前も蔑称だな。

153 :世界@名無史さん:2012/03/25(日) 14:04:59.64 0.net
北方から蛮族が押し寄せてくるのは中国なんかと同じだけど、万里の長城みたいな
対抗策はこの地域の人打ってこなかったの?
まあ中国も明の時代に長城作り直していたけど、女真族に敗れたから
作っても意味が無かったかも知れんけど

154 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/25(日) 15:24:39.96 0.net
トルテカは柵造ってたw 柵が出土してるね。
長城のような大規模のものはなかった。
壁程度のものは作っていた都市もあったが街全体を囲ったりはできなかった。

トラスカラの城壁なんてのもあったがどちらにしろアステカ時代になってからのものだし
対蛮族用というより対アステカ用だったし城壁というより壁。

対コルテス軍の時にはトラスカラ軍は壁を有効利用していなかったようだ。
普通に野戦してた。まあ壁使ってても大砲で打ち壊されただろうけど。
トラスカラの歴史書いてある本に城壁のスケッチ残ってるけどネットで検索してもでてこないや。

155 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/25(日) 15:53:37.23 0.net
蛮族の方も最初から攻撃してくる部族だけではなくただ移住先を求めて南下してくる
グループとかがあって受け入れてる都市もあった。

トゥーラとかは受け入れたりもしてた。
各都市で蛮族を受け入れてたけど段々に人口が多くなりすぎて農業生産が
追いつかなくなるんだよな。
街が混乱してきてそのうち攻撃的な蛮族に攻撃されて防衛しきれず
征服されたとかいうのがトゥーラ滅亡の要因とか言われてる。

そういやアステカでも柵だわ。柵で防衛しようとしてた。というか防衛してた。
平和的な奴は受け入れて攻撃してくる奴は撃退してたってパターンか。
各都市は自治だったから各都市の采配に任されてたけど
軍事的後ろ盾があるからそう簡単には征服されなかったろう。

156 :世界@名無史さん:2012/03/25(日) 19:07:56.79 0.net
しかし、蛮族という存在は北半球なら必ず北から南の方向なんだな。
気候や植生のためなんだろうが、新大陸くらいはイレギュラーな動きを見せてほしかった。

157 :世界@名無史さん:2012/03/25(日) 23:29:32.60 0.net
南半球のアンデス文明はどうだったんだろう
チリのマプチェ族やパタゴニアのテウルチェ族が北上してインカとかに
押し寄せたりしたって話は聞いたことが無いのだが

158 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/26(月) 01:55:34.06 0.net
>>148ztin
言語学とか疎くてすまん。正直よく分らんw
ナワトル語とかマヤ語は残ってるから勉強したいやつは勉強できるのがいいね。

>>156-157
カリブ族はコロンビアから北上して小アンティル諸島へ行ってた。
インカではチャンカ族とかいうのがインカ領に侵入してきてパチャクティに攻略された
んだったか。
南方はワイナ・カパックの時代にチリワノ族が北上してきてた。
後は東の山岳地帯の方からも蛮族が攻めて来たりしてたな。
でも断続的にってのでは無かったようだね。ちょっとアステカとかとは違ってる。


159 :世界@名無史さん:2012/03/27(火) 00:52:42.57 0.net
インカコーラみたいな、アステカコーラってメキシコには無いのかな


160 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/27(火) 02:39:20.82 0.net
>>159
Coming soon, Aztec cola.
ttp://aztecbrewery.com/aztec_soda.html
聞かないよなwアステカコーラ。
上のサイトはビール屋だけど日本へ輸出されないだろうなw

コカは南米原産だけどアステカにもあったようだ。
噛んでたな。飲み物もあったのかな?

今のコーラはメーカーによってだがコーラナッツとかいうアフリカ産の実を使用してるようだね。

そういや俺はコーヒーコーラってのを飲んだことがあるけどいつの間にか消えてたなw
不味かった。
やっぱりコカコーラが一番だ。

161 :世界@名無史さん:2012/03/28(水) 01:30:18.32 0.net
トーテムポール作っていた人たちは南下しなかったのかな


162 : 忍法帖【Lv=16,xxxPT】 !kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/03/28(水) 02:14:01.06 0.net
>>161
南下したのかとか動向は分らんがトーテムポールが分布していたのは
カリフォルニアの北部までとの事。
ユト・アステカ語族の民族にはトーテムポールは伝わっていないようだし
トーテムポールの民族は南下しなかったのか南下を阻まれていたのかだと思う。
でもトーテムポールが伝わっていなかったとかだから文化の交流がなかったのか?
俺は北アメリカとかの民族知らないから悪いんだけどよく分らん。

163 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/04/06(金) 14:59:07.13 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
なんかネタも尽きて厳しくなってきたんだが鎧スレに書いたネタ。

アステカ軍の兵隊とかは服とかに綿を詰め込んでいた。
ジャガーとか鷲の戦士は獣の皮で作った服着てるけどその中に綿を入れてたな。
弓矢対策とからしい。
チュニックのようなものもあったとか。

164 :世界@名無史さん:2012/04/06(金) 16:31:19.43 0.net
そういや、中南米では綿が早くから栽培されてたんだよな。トウモロコシより早いかもしれんくらい。
新旧両大陸に並存していた植物って当然あるんだけど、この手の有用植物では珍しい気がする。
他にはヒョウタンもある、でも綿は加工に手がかかるぶん同様の利用法を思いついたことに感心する。

165 :とてた ◆0Ot7ihccMU :2012/04/07(土) 12:44:08.42 P.net
流石、水さんは博識なのです。

>>161‐162
豊富な漁業資源に依存して、豊富な森林資源の裏付けのある地域限定ですからねえ。
アメリカ西部地域は気候・地勢的にも交流がしやすくないですし。

166 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/04/09(月) 14:40:27.18 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
とてたさん復活ktkr

167 :世界@名無史さん:2012/05/02(水) 00:51:37.97 0.net
今年2012年マヤ暦によると世界が滅亡するとか言い出したのは
誰なんだろうか

168 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/05/02(水) 21:01:59.92 0.net
>>167
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%BC%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%B0%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9
この人らしい。

よく分らんがマヤ人ってのは自分たちが征服されるのはさほど問題視
しなかったんだろうか。
各都市ごとに争ってたのに人類全体の予言とか残すのかな。

169 :世界@名無史さん:2012/05/04(金) 00:23:45.72 0.net
トルテカ帝国は実在するんだろうか?

170 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/05/04(金) 03:55:52.78 0.net
>>169
俺もよく分らんがトルテカが都市国家程度の領域しかなかったのか
それとも広域を支配していたのかってのが焦点なんだよな。
文化の伝播がトルテカの領域拡大と共に進んだのか?って事だね。

実際の所はトルテカが支配していた地域はあまり広くなかったようだ。
テスココ湖周辺くらいだったとか。
トルテカとイツァ族の関連性も確実な事が分かっていとか関係がないとか言われているようだし実際どの程度支配力があったのかも分らんので「帝国」だったかどうか疑問だ。
アステカのように間接支配で文化的影響を与えた地域を支配していたのであれば
帝国といえるんだろうけどナワ系の言語とかの広がりや発掘調査でも裏付けは取れないようだ。

まあ帝国かどうかはわからんけどトルテカってのは都市国家を脱却して
メキシコ各地に文化的な影響も残した強国だったのは確かだ。

文化的な影響だけが先行してしまっていただけで帝国とは呼べなかったのかもね。

171 :世界@名無史さん:2012/05/04(金) 04:25:58.47 0.net
建築様式は国や民族をはるかに超えて広がることがあるからな、ギリシャ様式とかみたく

172 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/05/04(金) 04:38:29.92 0.net
焚書とかされちゃって調査が難しいそうなんだがトルテカ式建築がある
チチェン・イツァはナワ語が残っていないみたいなんだよな。
文化的影響のみだったと言わざるを得ない。

173 :世界@名無史さん:2012/05/06(日) 10:20:54.59 0.net
この地域にテオティワカン崩壊からアステカが出来るまで800年ぐらいの間
帝国と呼べるほどの国家は無かったってこと?

174 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/05/06(日) 13:23:32.42 0.net
テオティワカンは都市の規模はでかいけど都市国家だよ。
トルテカまでは都市国家の時代だったんだよ。
トルテカが帝国かどうかは別として都市国家よりも広い地域を支配した
初めてのメソアメリカの国家だった。

文化的なレベルと国の支配力は別物だってことだね。
マヤにしても都市国家群だったし似たようなもんか。

175 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/05/06(日) 20:45:00.25 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
そういやテオティワカンで思い出したがこの時代テオティワカンに次いで
でかかったのがチョルーラな。
チョルーラは商業が活発だったんだと。
コルテスの虐殺で有名だけど実は有力都市だったわけだ。

176 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/05/07(月) 13:57:57.67 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
そういや商業で思い出したけどトラテロルコだ。
この街はテノチティトランと同じ島の北側にあるんだけどテノチティトラン
と同じメヒコ人の街だったな。商業が活発だった。
テノチティトランに集められた貢物をトラテロルコで売り払ってトラテロルコから
また各地に売られていったんだよな。

属国から集めた貢物をまた属国へ売るっていうシステムがスゴ過ぎw
もちろんテノチティトランの人とかも買っていたけど。
別に押し売りしてたわけじゃないけど各地から商人が集まってきてた。
仕入れ?がタダ(店にとったらタダじゃないけど)だから安かったんだろうか?

177 :世界@名無史さん:2012/05/08(火) 00:11:45.08 0.net
カカオ豆が貨幣代わりになっていた部分もあるとはいえ
ちゃんとした貨幣も発明されてなかったのに商業が活発だったて不思議だな
やっぱこういうのが無いと10万人以上の都市って出来ないのかな
トルテカの首都トゥーラも10万人を超えていたんだろうか?



178 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/05/08(火) 00:34:31.66 0.net
トゥーラ?3万人程度だったとか英語版のウィキペディアにあるね。
10万人超えてる都市って本当に少ないね。
トラテロルコで6万人程度、テオティワカン時代のチョルーラでも2万〜3万人程度だったか。
テオティワカンが12万〜22万くらいの説があったのかな?
テノチティトランで20〜30万だね。

物々交換だったが隊商が各地と交易してたな。
人口との因果関係はよく分らんけど
立地条件が良かったりすれば交易が活発になるんじゃないかな。
それとか特産品が強かったりとかアステカみたいに貢物集めて
各地からそれ目当ての商人呼ぶとか。

179 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/05/08(火) 00:48:09.53 0.net
そういやトゥーラはトゥーラ・ヒココティトランだとかトゥラン、トゥリャンだとか
呼ばれるね。
トルテカはクルワカンとかも支配下にあったから複数の都市を支配していたのは確かなようだね。
王国が滅亡後多数のトルテカ人はクルワカンに移住していったようだし。

クルワカンってのはクワゥテモクが王だったんだよな。アステカの直轄地だったわけだ。
トルテカ人が多かっただろうから重要視してたんだろうね。

180 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/05/08(火) 21:45:36.17 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
そういやクィトラワクっていう都市もあったな。
なんかモクテスマ2世の後の王もクィトラワクだったけどアステカ王になる前は
イスタパラパという都市の王だったな。

181 :世界@名無史さん:2012/05/16(水) 20:17:27.39 P.net
ところでアステカの人達は生贄を捧げないと太陽が滅ぶと思われていたようだけど
スペイン人との戦争で生贄が捧げられなくなった日の
翌日、太陽が昇ってきたのを見てどう思ったんだろう

182 :!kab 忍法帖【Lv=26,xxxPT】◆TCygujgOWY :2012/05/16(水) 20:52:24.11 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
民衆が不安がって征服されても生贄の習慣はなかなか消えなかった。
宣教師とかがどれだけ苦労したことか。
具体的にどのくらいの期間あったのか分からんけど隠れて生贄捧げるのが絶えなかった。

あれ?太陽出てくるじゃん?神官のやろー騙しやがって、、、
ってな感じにはならなかったようだ。

このままじゃ神様が死んじまうからどうにかして生贄捧げないと、、、、、
みたいな感じだったらしい。

183 :世界@名無史さん:2012/05/17(木) 22:00:23.66 0.net
そのまま国が滅んでしまったからさぞや絶望しただろう。

184 :世界@名無史さん:2012/05/18(金) 01:49:21.90 0.net
コルテスに協力してたトラスカラ人とかってアステカ征服後はどうなったの?
先住民の中ではスペイン人に次いで特権階級になれたのだろうか?
マリンチェも最後がよく分からないし・・・・
アステカ崩壊後の方が圧制が酷くなるのは、皮肉だよな

185 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/05/18(金) 10:14:30.00 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
>>183
絶望したか分からんけど民衆がすごく不安がっていたという話は
伝わっているね。
太陽が昇ってこなくなるかも知れないから宣教師とかに隠れて生贄捧げてた。

>>184
トラスカラとかは特権を与えられたけど貴族だけしか恩恵はなかった。
民衆はそのままトラスカラ貴族に支配されていた。
まあ特権もそのうち取り上げられてしまったけどね。

マリンチェについてはコルテスの遠征(場所忘れたけどメキシコ内)に従った
時に自分を売った母親と弟だかに再会したらしい。謝罪する母親を許したとか。
その後子供のマルティンはスペインに送られて他のスペイン人と結婚させられたんだったか。
なんか不幸そうな人生だけど生活水準は一般民衆よりはるかに良かった。

186 :世界@名無史さん:2012/05/19(土) 20:39:35.08 0.net
>>184
改宗後北メキシコの乾燥地帯へ入植させられたと聞いた。

187 :!kab 鹿 ◆TCygujgOWY :2012/05/19(土) 21:22:27.77 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
>>186
おお、なんかそんな事があったんだね。
グァテマラ遠征とかにも協力してたようだが結局は被征服民になってしまったんだな、、、

188 :世界@名無史さん:2012/05/20(日) 08:15:08.43 0.net
【太陽信仰】太陽と人類の関係史【天動説】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1332425520/l50

189 :世界@名無史さん:2012/05/21(月) 02:02:56.51 0.net
>>186-187
北メキシコのどのあたりなんでしようか?
メキシコのソノラ州やチワワ州あたり?
それとも昔はメキシコだったアメリカ南部のカリフォルニア州、テキサス州
あたりなんでしょうか?
入植後もどうなったか気になります・・・
検索しても分からなくて・・・・

190 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/05/21(月) 02:23:47.34 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
>>189
調べてみた。サカテカス州との事。
この移住の背景にはサカテカス鉱山が発見されたことによるチチメカと呼ばれた
スペイン人に敵対した民族がいてそれの懐柔のためだね。
生活物資とかをチチメカへ提供して文明的な生活をおくる見本とかそんな理由で
トラスカラ族が400家族程移住した。
他にチチメカの方はスペイン領へ攻撃しないとかの条件で講和してる。

191 :!kab 水鹿 ◆TCygujgOWY :2012/05/21(月) 14:04:28.70 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
>>190はすまんがなんかよく分らんね。

まあチチメカってのは断続的に南下を続けていて中央高原に住んでたやつらを
攻撃してたんだよな。
その後スペインにアステカが征服されて
サカテカス鉱山が発見された → 当時この辺は人口希薄地帯 →
人とかの往来が盛んになる → 付近に住んでたチチメカに見つかる →
チチメカが攻撃を開始 →スペインと交戦状態になった → 
チチメカが馬とか乗り回しはじめて結構苦戦してた

まあスペインにはチチメカとかを何とかする必要があった。
当時の副王がチチメカを懐柔するために生活物資の提供を条件に講和した。
そのときに文明的な生活の見本としてトラスカラ人をチチメカの居住してるところへ
移住させたわけだ。
400家族を5箇所に分けて移住させた。

その後は知らないけれどまあ段々に待遇も悪くなっていっただろうね。
チチメカ戦争とか呼ばれてるね。1550年〜90年頃の話。

192 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/05/21(月) 14:08:09.99 0 ?2BP(7777) 株優プチ(whis).net
チチメカは農業もやってたけど基本的には狩猟民族だったし
農業に適さない土地に住んでたやつらも多かった。
トラスカラ人が具体的にどんな土地に移住したか分からんけど
>>186のいうとおり乾燥地帯に移住したという話も頷けるね。

193 :世界@名無史さん:2012/05/27(日) 10:20:17.87 0.net
サカテカス州ってメキシコの地図をみると、ちょうど真ん中辺りなんで
あまり北部って感じがしないな
人口希薄地帯って北米はどのあたりまで続いていたんだ?

194 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/05/28(月) 00:53:45.49 0.net
具体的に人口希薄地帯ってのはよく分らんがこの北部ってのは中央高原より北部って
ことだと思うんだよな。
チチメカでも結構な人口がいたようだからそんな連続した地域が人口希薄ではなかったようだけどね。

195 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/06/05(火) 23:17:53.63 0.net
他のスレからのコピペだがゴンサロ・ゲレロについて。

352 名前:世界@名無史さん [sage]: 2012/06/01(金) 10:03:34.21 0
征服期のスペイン人にこんな人もいたんだな。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Gonzalo_Guerrero

1511年パナマから今のドミニカへの航海中難船してユカタン半島に漂着、
乗員の大部分はすぐさま生贄にされたが一部は脱走して別の部族に捕まり奴隷化、
うち二人ゴンサロとアギラルはコルテスの来航まで生き延びたが、
ゴンサロは内戦で頭角を現し武将となり首長の娘と結婚していた。
8年後コルテスは噂で二人の事を知って来て征服に加わるように手紙を寄越し、
アギラルは以後通訳としてコルテスに従ったがゴンサロは
「顔に刺青もあり耳に穴の開いた自分をみて同胞は何と言おうか」
ここの軍隊の長であり妻も子もあるので行かないと同行を断った。

20年近く後、ユカタン半島にスペイン人が征服に来た時
50艘の戦闘カヌーに乗ったマヤ人を引き連れてゴンサロが来援し、火縄銃で撃たれて死んだ。

196 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/06/05(火) 23:22:16.20 0.net
>ゴンサロは内戦で頭角を現し武将となり首長の娘と結婚していた。
アギラールはコルテスに会うまで奴隷のままだったんだが
先住民の戦闘とかには非協力的だったのかも知れないね。

197 :世界@名無史さん:2012/06/06(水) 02:50:57.10 0.net
ポカホンタスみたいな

198 :世界@名無史さん:2012/06/09(土) 01:07:51.66 0.net
こいつらって悲しい連中だよな。
馬も無い、有用な家畜も少ない、麦や米も無い貧乏くじみたいな大陸に移住して
石器だけで頑張って文明築いたのに旧大陸から来た
当時は発展途上国のヨーロッパごときにさえ蹂躙されたんだからな。
原始時代にアメリカ大陸に渡ってしまった時点で負け組になるのが決まってたんだからな。
本当にやるせない。

199 :世界@名無史さん:2012/06/09(土) 09:12:27.41 0.net
大陸にアラスカ経由で渡ってきた1万年前には、馬とかの大型哺乳類は生存してたんだよな
絶滅さえしなければな・・・・・
結局家畜化出来たのはアルパカやリャマぐらいだったと思ったけど
他にどんなのいたっけな

200 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/06/09(土) 22:26:58.32 0.net
>>198
文明が栄えてる時期は無いことにも気付けないってのもなんか悲しいよな。
鉱山開発できないのも痛かった。
征服者の武器奪っても自分で作ることもできないし。

>>199
家畜は犬と七面鳥か。テノチティトランなんかでは各家庭で飼われてた。
チチメカなんかは狩猟犬にしてたし。
絶滅してしまった馬は数も少なかったんだろうね。
旧大陸のようにたくさんいれば騎乗の技術開発されるまでに絶滅しなかったと思う。

201 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/06/09(土) 22:30:04.34 0.net
>>197
ポカホンタスは先住民だったんだっけ?
そういえばピサロが使ってた通訳なんかは先住民だったな。
スペイン語覚えさせて征服に連れていってた。
まあゲレロの場合は逆だからすげー特殊だね。


202 :世界@名無史さん:2012/06/09(土) 23:52:27.79 0.net
旧大陸にはペッカリーもいたのに、なんで家畜化できなかったんだろう。

203 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/06/10(日) 23:38:35.60 0.net
>>202
ごめんペッカリーって動物は知らん。
ただ家畜化できない動物も多いよね。
シマウマなんかは家畜化できないとか言われてるよね。
ビクーニャとかも今は飼育されてるところがあるようだが
植民地時代とかには飼育できないとか言われていたね。

気性が荒いとかストレスがたまるらしいとかそんな理由らしいけど。
柵の中に入れておくと死ぬまで柵に突撃したりとかするとかそんな例が報告されてる。

204 :世界@名無史さん:2012/06/10(日) 23:52:38.11 0.net
ペッカリーは、イノシシによく似た動物だよ。

205 :世界@名無史さん:2012/06/11(月) 00:17:04.06 0.net
ウシ科のアメリカバイソン(バッファロー)も大型哺乳類だけど家畜化できてないよな



206 :世界@名無史さん:2012/06/11(月) 00:53:46.06 0.net
先住民に協力した西洋人映画といえばラストサムライもか

207 :世界@名無史さん:2012/06/11(月) 16:31:10.75 0.net
新大陸のかなり孤立した状態で、文明を立ち上げるまで、独力で発達させた農業システムってホントすごいと思うよ。
とくに、高地で文明を発達させた、インカはすごい。
ジャガイモがすごいってことか。

208 :世界@名無史さん:2012/06/11(月) 20:51:20.84 0.net
カピバラは家畜か出来ても良さそうなもんだけどな

209 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/06/11(月) 21:06:34.86 0.net
>>204
ペッカリーは中南米のどこか分らんがサイーノと呼ばれていたようだ。
マゼランもブラジル沿岸でこのペッカリーを目撃していた。

気性が荒く人を襲うようでペッカリーを狩る際に狩人は木に上ると
ペッカリーが木を噛み始めるから木の上から槍で刺して狩るとのこと。
ヘソのような形の丸い部分が背中にあるのが特徴。
この丸い部分は分泌線だが狩ったあとのペッカリーはこの部分を切り取らないと
すぐに肉が腐るらしい。狩るくらいだから肉は食用になった。味は記録なし。

まあ気性が荒いようなので家畜にはできなそうだ。


210 :世界@名無史さん:2012/06/11(月) 21:19:06.89 0.net
銃・病原菌・鉄では、ペッカリーとシマウマが、なぜユーラシア以外では有用な大型家畜が
作られなかったのかの例として出されていた。

211 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/06/11(月) 21:27:33.33 0.net
>>205
水牛は家畜にできるし家畜化できるんじゃないかな?
先住民の牧畜の技術が未熟で狩猟中心の時代だったところに旧大陸から
普通の牛持ってきたのが原因のような気がする。推測だけど。

>>206
ごめんラストサムライ見たこと無いんだ、、、、
先住民を擁護していた宣教師とかも結局先住民に溶けこまないで
擁護していたしゲレロなんかは相当な覚悟だったんだろうね。

>>207
>>2でも言われているけどマジで偉大な作物だね。
インカ人はチムー帝国の灌漑網を使ったとか言われているが
ジャガイモは畑の高度に合わせて種類を分けてた。
トウモロコシとかジャガイモの品種改良の遅さが原因で旧大陸に
遅れを取ってしまったのが残念なところ。

212 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/06/11(月) 21:34:59.49 0.net
>>208
まあ上でも書いたけど飼育する技術が低かったからかも知れないね。
カピバラと同じ齧歯目のクイについてはアコスタが記録している。
ペルーの山地に生息してた。普通にとっ捕まえて食ってたようだ。
生贄にも使われてたそうだ。

>>210
kwsk
銃・病原菌・鉄は読んでないんだよな。

213 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/06/18(月) 00:40:51.62 0.net
そういやマリンチェやアギラールに注目されがちだけど
コルテス軍の兵士で征服する途中でナワトル語習得したやつもいたんだよな。

214 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/06/21(木) 11:17:34.85 0.net
>>154で壁について書いたけど
テノチティトランの城壁は大砲2回で崩れ落ちたとコルテスの記録にあるね。
どのくらいの範囲が崩れるのかは記録なし。
兵士が突入出来るくらいの範囲はあったようだ。

215 :世界@名無史さん:2012/06/23(土) 10:16:54.49 0.net
ネイティブアメリカンの凄い所は車輪も大型家畜も無いのに
マチュピチュみたいな山奥やテノチティトランみたいな島にも巨大建造物を
造ったことだよね
クスコの城壁なんてカミソリも通らないなんていわれてるし
人力しかないのにね

216 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/06/25(月) 16:28:20.81 0.net
>>215
石とか運ぶのが辛そうだ。
運搬中に石の下敷きになって死人が大量に出てるらしいね。
人力の厳しさが分かる。
石の研磨技術もすごかった。

テノチティトランも城壁や神殿なんかが有名だけど
堤防とか水道とかも作ってた。
石材とかの材料は農作物とか水産資源と交換で湖の外から持ってきたんだよな。

217 :世界@名無史さん:2012/06/28(木) 00:05:50.02 0.net
捏造といわれている水晶ドクロも100年以上かければ、当時のインディオの
技術でも可能っていわれるし、アメリカの地に築いたもののことを考えると
本当に作ったんじゃないかと思うこともあるな



218 :世界@名無史さん:2012/06/30(土) 09:45:27.90 0.net
今日の世界不思議発見でアステカ王国やるぞ

219 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/07/02(月) 03:19:28.32 0.net
>>217
年代測定したら現代に造られたのが分かったんじゃなかったっけ?
本物だったら面白いけどね。技術的なこと以外にも水晶は珍しいし。

>>218
内容どうだった?俺は見れないから良かったら内容とか書いて欲しい。

220 :218:2012/07/02(月) 14:02:56.90 0.net
その1
2006年に出土したトラルテクトリの石彫の紹介から始まって、石彫には1478年の日食と
1502年のアステカ王アウィツォトル死去の年が刻まれており、王が埋葬された大神殿の正面から
トラルテクトリの石彫が発見された所の下に秘密のたて穴があり豪華な埋葬品があったことから
王の遺骨が見つかるかもしれないので慎重に発掘を継続中という話
あと石彫りにはお腹の胎児の部分が無かったので最初から破壊されていたかもといってたな

221 :218:2012/07/02(月) 14:33:47.76 0.net
その2
アステカの人々がテオティワカンを「人が神になる場所」と崇め自らの信仰に取り入れた話から始まり
2003年にケツァルコアトル神殿の側から秘密のたて穴が見つかり、そこから神殿に向かって埋め立てられた
秘密の地下通路も見つかり、現在120mの内50mまで掘り進んでおり、その間には数mごとに石の壁があり
トンネルを塞いでおり壁一層ずつに奉納品が置いてあり、その先には高貴な人物が見つかるかもという話
あと古代人はトンネルを動物の骨で掘り進め、トンネルの中には泥を固める時の古代人の手形が残っていたね、
このトンネルをテレビが写すのは世界で始めてらしいです

222 :218:2012/07/02(月) 14:56:46.29 0.net
その3
生きたアステカの遺跡と言われるメキシコシティ南部のソチミルコの紹介から始まり
アステカから続く浮き草の上に泥をのせて作った畑「チナンパ」で作物を育てる話の後
市場でメキシコ原産の作物を紹介し、メキシコ料理がユネスコの無形文化遺産になったという話
あとトルティーヤにモレソースをつけて食べたりしてました

223 :218:2012/07/02(月) 15:07:39.85 0.net
だいたいこんな話です
あとはメトロポリタン大聖堂の下に眠っている初代大司教の石棺にアステカの神殿にあった
ドクロの彫刻をつけたり、キリスト像の下にも石碑を置いてある事から2つの文化の融合が起こった事とか
スタジオにトラルテクトリの実物大の模型を作って持ってきて紹介してましたね

224 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/07/03(火) 16:50:47.39 0.net
>>220-223
ありがとうございます。俺も見たかったなぁ、、、、
うちでは日本のテレビ見れないんだ、、、

>>220-221
この辺の人秘密の縦穴好きなんだなw
>トンネルの中には泥を固める時の古代人の手形が残っていた
なんかこれ生々しいなw 工事手順が分かりやすそうだ。
でもすごい手の込みようだね。両方共最後に何があるのか楽しみだ。

>>222
紹介されたチナンパは浮き畑タイプなんだね。
モレソースって何?
農作物についての記録とかはよく見るんだけど
料理の記録とかってあんまりないんだよなぁ。

>>223
ドクロの彫刻はテスカトリポカかな。
2つの文化の融合とかは結局既存の宗教は根絶できなかったという
名残なんだろうね。
トラルテクトリの彫像はカエルの形なのかな?

225 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/07/03(火) 17:00:02.48 0.net
トラルテクトリってのは創世神話の神だね。
人間を食おうとしたからテスカトリポカとケツアルコアトルに体を
引き裂かれて天と地になった。

テスカトリポカもやられて左脚だったか?が無くなってしまったので
鏡で代用したからあの姿になったとか。

大地の唸り声はトラルテクトリの人間を求める呻き声とされた。
結構メジャーな神だね。

226 :世界@名無史さん:2012/07/04(水) 00:04:12.17 0.net
>モレソースって何?
 18種類のスパイスとカカオ(チョコレート)を元に作ったもの
 作り方は、たまねぎ、バナナ、アーモンド、唐辛子などを油で揚げ、
それらをペースト状になるまで8時間以上かけてすり潰し、
弱火でゆっくりと煮詰めれば出来上がる
 味は、甘いけどチョコレートほど甘くなく、カレーの様な辛味がある
日本人には、馴染みの無い複雑な味のソースだそうです

227 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/07/09(月) 23:06:00.22 0.net
ありがとうございます。
なんか美味そうだね。俺メキシコ料理食ったこと無いし
一度でいいから食ってみたいわ。

モクテスマ2世の時代というか新大陸にはバナナとか玉ねぎとかも
無かったから昔は違う味だったのかな。

228 :世界@名無史さん:2012/07/13(金) 02:04:16.23 0.net
シパクトリとトラルテクトリの違いがよく分からん

229 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/07/14(土) 00:20:34.13 0.net
>>228
シパクトリはワニだな。暦とかにも使われてるね。

230 :世界@名無史さん:2012/07/14(土) 00:50:42.95 0.net
>>227 アーモンドもなかったな。ネギ科植物くらいはあったんだろうか
アーモンドの代わり(というか本来)に使えそうなものというとヒマワリやカボチャの種かな

231 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/07/15(日) 01:48:34.66 0.net
>>230
ネギ科?よくは知らないけどネギ系統は無いと思うけど。
ナッツ類は落花生とカシューナッツは新大陸原産だね。
落花生はアステカでも食われてたからこっち使ったかもね。

232 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/07/17(火) 16:13:56.06 0.net
Largest Ancient Dam Built by Maya in Central America

ScienceDaily (July 16, 2012) ? Recent excavations, sediment coring and mapping
by a multi-university team led by the University of Cincinnati at the pre-Columbian city of Tikal,
a paramount urban center of the ancient Maya, have identified new landscaping and engineering feats,
including the largest ancient dam built by the Maya of Central America.

That dam -- constructed from cut stone, rubble and earth -- stretched more than 260 feet in length,
stood about 33 feet high and held about 20 million gallons of water in a human-made reservoir.

These findings on ancient Maya water and land-use systems at Tikal,
located in northern Guatemala, are scheduled to appear this week
in the Proceedings of the National Academy of Sciences (PNAS) in an article titled
"Water and Sustainable Land Use at the Ancient Tropical City of Tikal, Guatemala."
The research sheds new light on how the Maya conserved and used their natural resources to support a populous,
highly complex society for over 1,500 years despite environmental challenges, including periodic drought.

http://www.sciencedaily.com/releases/2012/07/120716191443.htm

233 :世界@名無史さん:2012/07/18(水) 00:00:39.06 0.net
>>232
英語が読めないので何を書いているか分からないので
説明してくれると助かります

234 :世界@名無史さん:2012/07/18(水) 00:22:53.02 0.net
ティカル遺跡から古代中米において最大規模のダム遺構が発見されたんだってさ。
石垣や土塁で作られ、260フィート辺、33フィート高、2千万ガロンの貯水ができたっつー話。
人口過密都市を1500年も維持できた理由に光が当てられたかもしれない、だと。

235 :まりーな:2012/07/18(水) 22:30:21.20 0.net
水さんみっけ!

ドーニャ・マリーナ晩年豊かに幸せに暮らしたという本と、豊かだったけど病気で早死にした説があるけどどっちなのかな。
個人的には幸せな長生説をとりたいな。コルテスは他に通訳が出来てもホンジュラスの遠征にも彼女を連れて行ってるから信頼してたんだよね。

236 :世界@名無史さん:2012/07/20(金) 01:35:39.18 0.net
旧大陸の四大文明と違ってメソアメリカと中央アンデスには大河が無いのに
文明が起こったんだよな
このダムって大河の代わりになったてこと?


237 :まりーな:2012/07/20(金) 14:55:04.92 0.net
雨水を溜め込んで使って、流した水をまた溜めて3段くらいにして使ってたって聞いてたけど、
そのため池のダムなのか。川がないから最後まで水を無駄に出来なかったみたいだね。

238 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/07/20(金) 21:02:10.79 0.net
>>233
>>234を参考にしてくれ。
ティカルで見つかったようだけど他の都市でも見つかるかもね。
大きさはプール80個分くらいだったか?

>>235
初代アステカスレにいた人?超お久しぶりです!
ドーニャ・マリーナについては残念ながら早死に説が主流みたいだね。
そのホンジュラス遠征の後別のスペイン人と結婚させられてる。
まあマリンチェがアステカに恨みがあった説を信じれば目的を果たせた
マリンチェはそれなりに満足したんじゃないかなとは思う。

コルテスだけでなく兵隊からも相当信頼されていたようだね。

>>236
このダムはそんなに古くはないよ。
オルメカのサン・ロレンソとかのがずっと古いからこっちでダムとか見つかれば
大河の代わりだとか言われるかも知れないがダムって大河の代わりになり得るのかな?
まあ生活がかかってるから治水のように死活問題になることは確かだろうけど。

>>237
規模は違うけど色んな都市に溜池はあったようだね。
雨水を使うから旱魃に弱いのはしかたが無いようだ。

239 :世界@名無史さん:2012/07/21(土) 20:56:30.22 0.net
NHKでエル・タヒンの腰サッカーやってたぞ。
腰でやる理由は体の他の部位にあたると危険だからだそうだ。最後の方だけ見れたんで、ボール
の材質が何だったかは見逃した。
勝者か敗者のどっちかが生贄になったとのこと。レリーフが残されていてプレーヤーの頭上に神聖
視された兎が彫られていたことから、現地の研究者は参加者は王族や神官だからどうも勝者が生
贄になったと解釈しているそうだ。
遺体はどうも斬首されたらしく、生贄の首から蛇がとびだしている図も紹介された。

240 :世界@名無史さん:2012/07/22(日) 11:22:21.80 0.net
http://mainichi.jp/feature/maisho/news/20120722kei00s00s020000c.html

あの人に会った:青山和夫さん 考古学者

毎日小学生新聞 2012年07月22日


 ◇会あいに行いった人ひと

 ◇林田航治はやしだこうじさん(神奈川県茅ケ崎市立鶴嶺中かながわけんちがさきしりつつるみねちゅう2年ねん)

 ◇木村きむらみうみさん(埼玉県本庄市立本庄西小さいたまけんほんじょうしりつほんじょうにししょう5年ねん)

 「マヤ文明ぶんめい」と聞きいて何なにを思おもい浮うかべますか? ジャングルに突然現とつぜんあらわれる神殿しんでんピラミッド?
 不思議ふしぎな文字もじ? 2012年ねんに世界せかいは終末しゅうまつを迎むかえるというマヤの予言よげん?
 マヤ遺跡いせきに関心かんしんのある学生新聞特派員がくせいしんぶんとくはいん、林田航治はやしだこうじさんと
毎小特派員まいしょうとくはいんの木村きむらみうみさんが、マヤ文明ぶんめいを研究けんきゅうしている考古学者こうこがくしゃ、
青山和夫あおやまかずおさんの研究室けんきゅうしつを訪たずねました。


241 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/07/24(火) 00:53:17.33 0.net


マヤ文明、“夜の太陽の神殿”を発見

グアテマラのジャングルで長年眠っていた神殿がついに姿を現した。
アメリカ、ブラウン大学の考古学者チームは7月19日、「夜の太陽の神殿
(Temple of the Night Sun)」を発見したと発表。サメ、血を飲む人、
ジャガーなどの姿で表現された太陽神の巨大なマスクで装飾されており、
約1600年前には深紅に輝く姿が数キロ先からも見えたという。マヤ文明の
競合する都市国家について新たな手掛かりも得られた。

マヤ文明は現在のグアテマラ、ベリーズ、メキシコのユカタン地域で繁栄。
中央集権化が進んだアステカ帝国やインカ帝国とは異なり、都市国家の
緩やかな集合体だった。

プロジェクト責任者でブラウン大学の考古学者スティーブン・ヒューストン氏は、
「特に重要性の高い都市国家がいくつか存在したという認識が、1990年代以降
高まっていた」と話す。現在のグアテマラにあったエル・ソツ(El Zotz)は小規模だが、
勢力が強かったと見られている。

2010年頃、古代の市街地に近い丘の上で発掘していた考古学者チームが、
高さ13メートルのディアブロ・ピラミッド(Diablo Pyramid)を発見。頂上から王宮と
墓が見つかり、エル・ソツの最初の統治者(西暦350〜400年頃)が葬られていると
考えられている。

ヒューストン氏のチームは同時期に、ディアブロ・ピラミッドの王室の墓の後方で、
「夜の太陽の神殿」につながる最初の手掛かりを探し当てていた。
だが、何世紀も生い茂ったジャングルの下から前例のない芸術作品を発掘したのは、
つい最近のことだった。

つづき
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20120723001

242 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/07/25(水) 15:57:55.57 0.net
>>239
危険だから腰でやるってことはやっぱり死人が出る可能性もあったのかな。
材質は中心までオールゴムだとかいう話だからあんまり弾まなそうだね。

アステカでも生け贄は斬首されてたな。
生け贄に捧げて(心臓もぎ取ってから)斬首したようだ。

>>240
青山和夫?そういや本読んだ覚えがあるな。
タイトルなんだったかな。
メキシコで発掘された車輪つきの玩具の絵が載ってたな。

243 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/07/25(水) 17:52:41.79 0.net
なんか>>242で生け贄について書いて気になったことがある。
上の方でアステカ人がスペイン人の馬も生け贄にしたとか書いたけど
具体的にどうやって生け贄にしたんだろう?
生け贄にしてから斬首はしたようだが。

244 :世界@名無史さん:2012/08/01(水) 21:48:46.03 0.net
テパネカ王国の遺跡を発見、メキシコ
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20120801001&expand#title

>メキシコの首都メキシコシティで、15世紀に滅んだテパネカ(Tepanec)王国の遺跡が発見された。
>現場からは、子ども11人を含む17人分の人骨が出土し、約700年前に全盛期を迎えた王国が
>商業都市を築いていた証拠と考えられている。
>(中略)
>テパネカ王国については考古学的な研究がほとんど進んでいない。
>アリゾナ州立大学(ASU)の人類学者マイケル・スミス氏は、2つの理由を指摘する。
>彼らは「メシーカ(Mexica)」という部族を圧政的に支配していたが、後にメシーカがアステカ帝国に発展、
>テパネカ王国を滅ぼした。「その後アステカは、意図的に歴史からテパネカに関する記述を削除した」。
>また、テパネカの都市は大半がメキシコシティの地下に埋まっており、発掘調査が困難だという。

245 :!kab 水 ◆TCygujgOWY :2012/08/02(木) 10:16:14.42 0.net
アスカポツァルコのことだな。テスココ湖の西岸だったか?にあった。
メキシコ市がでかいのでテスココ湖沿岸の都市は今ではメキシコ市の領域になってるな。

アステカは記述削除だけでなく捏造みたいなこともしてた。
まあテノチティトランがアスカポツァルコに服属していたとかはちゃんと記録に残しているようだけど。

246 :世界@名無史さん:2012/08/07(火) 14:12:12.64 0.net





【サッカー】ロンドン五輪予選 日本、マレーシアに4−0勝利! 酒井宏樹を口火に大迫、原口、齋藤が決める★7



http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1329965884/









247 :世界@名無史さん:2012/08/09(木) 14:11:28.21 0.net
>>43-45で話にでてきた瓢箪の伝播経路のことがここで話題になってるね。
「農耕・酪農・牧畜の歴史・社会史・文化史」 http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1323952793/

383 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2012/07/22(日) 19:14:45.63 0
以前、世界史を題材にしてるクイズ番組で、
「瓢箪は原産がアフリカだが縄文時代には日本列島にも伝わっており、未だ伝播ルートや経緯が未解明な作物」
と言っていたが、その後、何らかの研究成果があったのだろうか?
まさか、縄文人は大陸まで交易に行って瓢箪の種を入手したのだろうか?
史記に出てくる周王朝に来朝した倭人は縄文人だったのだろうか?知ってる人、教えて下さい。

384 自分:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2012/07/22(日) 20:28:29.78 0
>383
縄文時代の日本列島どころか、メキシコとペルーでもトウモロコシと同時期(前5〜6千年)の栽培が確認されている。
このへんの原因考察については以下がわりと詳しいかも。

栽培植物の起源と伝播 No2 最古の栽培植物、ヒョウタンの不思議
http://blog.goo.ne.jp/tetsuo_shiga/e/d79f5e1e684074982b08da1e24174aae#comment-list

387 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 15:56:15.26 0
瓢箪に関しちゃ、アフリカからグレートジャーニーはじめた人類が、
常に携帯していたごく初期の栽培植物じゃないだろうか?
食用にもなるし道具にもなるから、瓢箪水筒や道具としてだけじゃなく種子も携行してたと思う。

390 自分返信:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2012/07/23(月) 19:17:44.58 0
>387
アメリカ大陸にまで至ったことについては、>>384のサイトのように別の考えが必要だろうね
シベリア〜北米寒冷地でおそらく数千年、瓢箪の栽培をしつつ生きた種子を携行し続けるのは厳しそう

248 :世界@名無史さん:2012/08/12(日) 02:08:25.89 0.net
【考古】メキシコ南部で紀元650〜850年ごろのサポテク文明のピラミッドを新たに発掘 動物と球戯場の壁画 意図的な破壊
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1344703510/


249 :世界@名無史さん:2012/08/20(月) 21:45:51.33 0.net
これホント?アステカめっちゃ怖いやん

61 名前: 世界@名無史さん 投稿日: 2012/06/29(金) 22:46:23.57 0
古代アステカの「ウエイ・ミクカイルウイトル(死者の大祭)」

生贄になる奴隷の手足を縛り火の中に投げ込む

焼け死ぬ直前に引きずり出す

心臓を黒曜石のナイフで抉る

世界史で一番怖い生贄の儀式だわ

250 :◆TCygujgOWY :2012/08/20(月) 22:38:35.55 0.net
>>249
素っ裸にしてから火の中に入れられたな。
火かき棒で火の中から引きずり出されてから心臓もぎ取られる。
心臓は偶像に向かって投げられるがこれが合図になって
少年達による柱登り競争が始まる。柱の上には穀物で作られた偶像と
神器?というか神の武器のレプリカがあってこれをとったやつが褒美貰えた。

公衆の面前で素っ裸にされた上超熱い火かき棒で体触られて
その上この生贄は前座。こんなにひでーのは珍しい。

251 :世界@名無史さん:2012/10/06(土) 20:59:32.87 0.net
古代マヤ、ワカ王国の女王の墓を発見

ttp://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20121005002&expand#title



252 :世界@名無史さん:2012/10/07(日) 02:20:54.91 0.net
>>249
野蛮人だってことにしたかったからでっち上げられたとかはないのか

253 :◆TCygujgOWY :2013/05/18(土) 21:59:22.26 0.net
http://pbs.twimg.com/media/BKhLBzICAAEYA3u.jpg
これスゲーなw

254 :世界@名無史さん:2013/06/23(日) 23:36:42.69 0.net
過疎ってるな

255 :世界@名無史さん:2013/06/26(水) 13:32:22.54 0.net
>>253
人間には不可能な技術が使われてる可能性があります
まず一日や二日でできるものではありませんし
いったいいつの間に作られたものなのか調査が必要になるかと思われます

地域性から考えて、誰にも知れず、長く保存がきくとは思えませんが
この奇跡は宇宙人説が濃厚なのではないかという見解です

256 :世界@名無史さん:2013/10/09(水) 22:35:42.80 0.net
どっかで>>195のゴンサロ・ゲレロとソックリな話をきいた覚えがあると思ったら、
史記「呉太伯傳」だったわ・・・太公望の長男で、呉の始祖になったとされる太伯の伝

三男の弟に後を継がせるため荊蛮の地へと自ら出奔し、後年になって周の者が迎えに来た際、
「髪を切り全身に刺青を彫って、自分たちは中華へ帰るに相応しくない人物だ」としてこれを断った

場所と時代が違えど、似たような境遇になる人がいるもんだねぇ・・・・
なお、「呉太伯傳」における刺青の習俗と倭人のそれとに共通性が感じられたため、
倭人が呉の末流という誤解が後漢代以降に生じたという、ちょっと日本人にも関わりのあるお話

257 :世界@名無史さん:2014/03/08(土) 19:15:13.69 0.net
NHK教育を見て44073倍賢くコンピュータ
http://hayabusa2.2ch.net/test/read.cgi/liveetv/1394273260/

258 :世界@名無史さん:2014/03/10(月) 01:29:38.54 0.net
>>256 太伯と現地妻の間の子孫が...

259 :世界@名無史さん:2014/03/10(月) 09:44:05.61 0.net
何をどう勘違いしたのかしらんが
太伯は太公望の息子なんかじゃない。周文王の祖父の兄だ。時代も違う。
それにあれは聖人譚だぞ

260 :世界@名無史さん:2014/05/20(火) 23:47:18.56 0.net
>>27
海洋交易ルートの話を詳しく聞かせて下さいな
ずっと気になってた

261 :◆2pd14RulNQ :2014/06/12(木) 01:15:07.84 0.net
>>260
すまんが詳しく話せるほどよく知らない。
インカはイースター島まで行ってた説とかあるらしいけどあの船じゃ遠洋出れなそう。
海流にうまく乗れないと海の藻屑になりそうだ。
アステカはカヌーだし。

沿岸では船があったような記録があったと思うけど交易に使えるようなでかい船なんて
なかったから大規模な交易はできないと思うんだよな。

>>27にもあるけど
>アステカ征服後に南下した征服者がアステカを滅ぼしたことをネタに
>降伏を勧めていたがパナマに到達する前にこのネタが通用しなくなったとかの
>記録があるね。
逆にインカ帝国の話も出てこない。直通の海洋交易ルートがあったから中間地点の人は
インカアステカ両方を知らなかったということなんだろうか?

でも交易ルートがあれば征服者が征服に利用したと思うけどアステカ攻略後は陸路で
攻略に出てたし有名な交易ルートではなかったのかな。
それとも征服者に伝わらなかっただけなんだろうか。
キープみたいに知ってるやつはみんな死んでロストテクノロジーになったとかもあり得るのかな。

つうかアステカもインカも港町とかってあったのかな?

262 :世界@名無史さん:2014/06/12(木) 03:49:21.95 0.net
>>261
ご丁寧にどうもありがとう


オルメカ以来の威信財を交易する貿易ルートがあったことは知られていて
アフリカみたいに海岸が使えないわけでもない
さらには船に使うのに十分な木材まであるのに
海上交易を利用しなかったのは謎でしょうがないのです。
まぁ、アステカ人が海にいかないのはしょうがない気がするけど。

ところで海産物の利用はどの程度だったんだろうか?


ちなみにイースター島の話は、たぶんポリネシア人と新大陸の繋がりの話だと思うんだけど
ニワトリに関しては諸説ありそうで微妙だけど、芋の方はたぶんあったと思う。
向こうは筋金入りの海洋民族なんで、あまり不思議ではない。

263 :世界@名無史さん:2014/06/16(月) 11:40:10.20 0.net
NHK西村サミーアルゼンチン光金沖縄海焼きそば ニューヨークビデオ反省会ファミレス深夜ランチおしゃべり問題

NHK西村サミーアルゼンチン光金沖縄海焼きそば ニューヨークビデオ反省会ファミレス深夜ランチおしゃべり問題

NHK西村サミーアルゼンチン光金沖縄海焼きそば ニューヨークビデオ反省会ファミレス深夜ランチおしゃべり問題

264 :世界@名無史さん:2014/06/17(火) 00:14:33.10 0.net
>>70
俺もifやるなら、新大陸では
環カリブ海文明圏と
青銅交易が行われ無かったことだな。

これが達成されていれば旧大陸との差は
時間的なものだけだったと思うんだが。

265 :世界@名無史さん:2014/06/21(土) 01:49:26.36 0.net
>>174
やっぱりトルテカが最初の帝国になるのかな
マヤは内部抗争やってたけど統一王権はできなかったんだよね

そもそも戦争が生贄収集が目的だったりして国土経営には興味が無かったんだろうか、、、

266 :世界@名無史さん:2014/06/21(土) 20:31:37.60 0.net
テオティワカンのアトラトル・カウアックがマヤを征服したというのは何だったんだ?

267 :世界@名無史さん:2014/06/22(日) 15:25:09.48 0.net
【遺伝学】メキシコの人々には驚異的な遺伝的多様性がある
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1402957186/1

1 名前:Cancer ★@転載は禁止[] 投稿日:2014/06/17(火) 07:19:46.40 ID:???
メキシコの人々は驚異的な遺伝的多様性を見せる

Lizzie Wade, June 12, 2014 - 2:00pm

科学者たちはメキシコの土着グループ間の遺伝的関係をマッピングし驚異的な多様性を発見した。
http://news.sciencemag.org/sites/default/files/styles/thumb_article_l/public/sn-mexico.jpg

カンザス州とカリフォルニア州の人々がドイツ人と日本人より互いに遺伝的に遠いことを
想像してほしい。初のメキシコにおけるヒトの遺伝的多様性の微細スケール研究によって、
それぐらい著しい遺伝的多様性がメキシコ内にあることが分かった。この局所的多様性の
研究はこの国のいろいろな土着民の歴史をたどれるようにし、世界中に住むメキシコ人の
子孫のための診断ツールと治療法の開発をうながすだろう。

チームは「メキシコの全ての遺伝的多様性の青写真」を作るという「もの凄い仕事」を
やった、とカリフォルニア大学ロサンジェルス校の集団遺伝学者、ボグダン・パサニュク
(Bogdan Pasaniuc)は話した(彼は研究に関与していない)。

(省略)

>>2以降につづく

ソース:ScienceNOW(June 12)
People from Mexico show stunning amount of genetic diversity
http://news.sciencemag.org/biology/2014/06/people-mexico-show-stunning-amount-genetic-diversity

(省略)

268 :世界@名無史さん:2014/06/22(日) 15:26:48.90 0.net
【遺伝学】メキシコの人々には驚異的な遺伝的多様性がある
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1402957186/2

2 名前:Cancer ★@転載は禁止[] 投稿日:2014/06/17(火) 07:20:00.07 ID:???
>>1からのつづき

その疑問に答えるため、チームはメキシコ国立ゲノム医学研究所と共同研究した。長年に
わたってメスティーソの遺伝的データを集めてきた研究所だ。意外なことに、メキシコの
メスティーソは近隣の土着民と同じ「稀な」多様体を持つ傾向があった。メスティーソの
ゲノムは「土着グループによく追跡できるため、メスティーソにおける遺伝的多様性を
[土着民の]祖先について推測するのに使えた」とパサニュクは話した。たとえば、マヤ人
祖先の強い遺伝子マーカーは現在ユカタン半島と現在のベラクルス州にあるメキシコ湾
沿岸の北部に住む人々のゲノムにもはっきり現れた。これはコロンブス以前のマヤ人の
交易あるいは移住ルートを反映すると考えられる。「これらの集団がやってきたことの
歴史的理解を与えてくれる」とスタンフォードのブスタマンテ・グループのポスドク、
クリストファ・ジヌー(Christopher Gignoux)は話した。

(省略)

おわり

269 :世界@名無史さん:2014/06/26(木) 23:19:58.30 0.net
もっと時代が進んだら、メソアメリカ文明はアメリカ合衆国領に、
アンデス文明はアルゼンチンやブラジルに波及してましたかね?

270 :世界@名無史さん:2014/06/27(金) 00:18:42.16 0.net
>>269
ブラジルへの波及はコースが限られてそうなイメージがあるなぁ。

271 :世界@名無史さん:2014/06/27(金) 22:51:36.84 O.net
アンデス文明とそのアルゼンチンやらブラジルの文明の関係は
エジプト文明とヨーロッパ文明の関係みたいなものになりそう

272 :世界@名無史さん:2014/06/28(土) 00:08:34.10 0.net
マジレスすると気候の違う場所へは同じ文明は波及しない

近いオーストラリアにはマサッカル人が農業を行うこともできずただ交易目的に沿岸部で野営する程度であったのに対し
遠いマダガスカルにはボルネオ島からはるばる稲作を携えて移住ができたように

南北アメリカ大陸間は限られた作物だけが何千年もの品種改良を重ねてやっと行き来できただけに過ぎない

273 :世界@名無史さん:2014/06/28(土) 00:54:48.63 O.net
>>272

でもヨーロッパ文明は北に波及、
ベトナムは北の中国から文明を受容

274 :世界@名無史さん:2014/06/28(土) 01:19:53.84 0.net
>>273
どっちも気候の違いから統一しきれずに南北に分裂したじゃん

275 :世界@名無史さん:2014/06/28(土) 01:44:21.07 O.net
でも文明の波及はあり得る

276 :世界@名無史さん:2014/06/28(土) 02:08:50.38 0.net
文明が育ちえないところを挟んだ文明の波及はないんだよなあ

まず国家が作られるには富が蓄積や分業体制ができないといけない
全員が働いてやっと生きられるほどの厳しい気候の土地ではそれができない

パナマ地峡付近のジャングルだって首長社会がやっとで国家は生まれず、マヤ文明が南へ伝播していくこともなかった
マヤ文明は拡大するどころか、痩せた土地を無理に耕作したために衰退していってしまった

277 :世界@名無史さん:2014/06/28(土) 11:37:56.13 0.net
この間ふしぎ発見で、パナマで黄金細工が多数見つかってるってやってたな
コロンビアのチブチャ文化の影響かな。コロンビアは惜しかったな。白人が来なかったらあと300年くらいすれば「国家」と言える体制まで移行してたかな

278 :世界@名無史さん:2014/06/28(土) 12:01:42.21 O.net
>>271
北米大陸はアステカからアルゴンキンへ

279 :世界@名無史さん:2014/06/28(土) 21:12:30.22 0.net
マヤは漆喰までは使えてたんだから
ローマ的にコンクリートなんかに発展したりはしなかったのかな?

炭は使ってたんだろうか?

280 :世界@名無史さん:2014/07/02(水) 21:56:10.63 0.net
「ミシシッピ文化」の項を見ると、
途中から北米インディアンの文化は衰退した?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%B7%E3%83%83%E3%83%94%E6%96%87%E5%8C%96

281 :世界@名無史さん:2014/09/11(木) 23:56:31.50 0.net
>>269
なんでマヤ文明は
何千年も北進しなかったんだろうか
アステカだってちょっと北に延びた程度だろ?

282 :世界@名無史さん:2014/09/11(木) 23:59:56.26 0.net
カヌーに乗って、ジャガイモを南米の各地に広める民族がいてほしかった

283 :世界@名無史さん:2014/09/12(金) 00:03:59.71 0.net
>>281
ジャングルと冷涼な高原地帯とでは全く暮らし向きが異なる
延びようがない

284 :世界@名無史さん:2014/09/12(金) 00:10:11.15 0.net
現在の西欧文化は
あっという間に広まって
在地の文化を瞬時に駆逐したというのに。
両極端すぎるわ。

285 :世界@名無史さん:2014/09/12(金) 00:22:58.75 0.net
宗教を布教する目的があったら、
気候が違っても
ヨーロッパの北方十字軍や北欧への布教みたいに
伸びたかもしれない

286 :世界@名無史さん:2014/09/12(金) 02:44:40.12 0.net
だがトウモロコシはメキシコから南米に伝わった

287 :世界@名無史さん:2014/09/12(金) 18:58:59.45 0.net
>>281
ミシシッピ流域には一応伝播はしていた。

288 :世界@名無史さん:2014/09/13(土) 01:29:53.59 0.net
作物とかだけな
マヤ語族自体はワステカが北限だな

289 :世界@名無史さん:2014/09/13(土) 20:10:08.87 O.net
マヤの狭さはシュメールとかクレタ文明とか夏とかに通じるな

290 :世界@名無史さん:2014/09/13(土) 20:18:06.71 O.net
 ___ _
  ヽo,´-'─ 、 ♪
   r, "~~~~"ヽ
   i. ,'ノレノレ!レ〉    ☆ 日本のカクブソウは絶対に必須です ☆
 __ '!从.゚ ヮ゚ノル   総務省の『憲法改正国民投票法』のURLです。
 ゝン〈(つY_i(つ http://www.soumu.go.jp/senkyo/kokumin_touhyou/index.html
  `,.く,§_,_,ゝ,
   ~i_ンイノ

291 :世界@名無史さん:2014/09/13(土) 20:19:11.86 0.net
>>289 何もできなくて.....夏

292 :世界@名無史さん:2014/09/13(土) 20:26:31.81 0.net
ああいう、都市国家的なものが並立してしまう状態ってのは、
武具の未発達かなにかで1都市が他を圧倒することができないせいなのかな?

293 :世界@名無史さん:2014/09/13(土) 22:21:46.90 O.net
アステカとインカは
アッシリアや周みたいなもんかな

294 :世界@名無史さん:2014/09/17(水) 01:22:54.79 0.net
>>289

クレタは東地中海で広まって広範囲に交易してたのに
マヤが海を利用した交易をしなかったのが信じられない

海辺に面した要塞もあったから海賊まで居たみたいなのに、、、

295 :世界@名無史さん:2014/09/17(水) 01:40:27.64 O.net
>>294
カリブ海文明とかできそう

296 :世界@名無史さん:2014/09/17(水) 18:44:11.69 0.net
海を渡ってマヤ人と交易していたカリブ族アラワク族を銃や疫病で一網打尽にしたコロンブスニキのぐう畜ぶりときたらwwwwww

297 :世界@名無史さん:2014/09/21(日) 11:29:52.82 0.net
>>293
インカは周に近くても、生贄狩りのアステカは商に近いだろ
>>292
イタリアが統一したのが19世紀であることを考えると、イタイベ鬼畜に滅ぼされず、
一強勢力が現れなかった場合、あそこは今でも複雑な統治関係になっているだろうな
まあ現在まで続いてたらマヤ共同体=MUになっているかも知れない

298 :世界@名無史さん:2014/09/21(日) 20:57:33.60 0.net
今でも狩猟採集民には未接触の民族がいるというのに、なんで文明は孤立したまま存続できなかったんだろう
まあ文明だから、外部の目に触れるほど広がってたんだろうけど

299 :世界@名無史さん:2014/09/21(日) 21:27:10.52 0.net
外部との交流があるからこそ文明は生じるんやで
人間は一人では何もできへん弱い動物や

300 :世界@名無史さん:2014/09/22(月) 02:01:02.01 O.net
>>297
馬や鉄が無いから余計に統一や拡大が遅れるな

301 :世界@名無史さん:2014/09/23(火) 10:32:10.46 O.net
ロンゴロンゴ文字がペルーに持ち込まれたら、
とか考えたがロンゴロンゴ文字は最近のものだったか。
なら普通にマヤから伝わる方が有りそうやな

302 :世界@名無史さん:2014/09/23(火) 10:45:06.34 0.net
>>301
文字は中米ではアステカでもマヤでも使われていたよ。
南米ではインカのキープが文字的要素を持っていたとされているが、
他にも文字らしきものはあったようだ。

303 :世界@名無史さん:2014/09/23(火) 12:59:51.98 O.net
文字無しにしてはインカの巨大さは驚異

304 :世界@名無史さん:2014/09/24(水) 21:44:49.31 O.net
>>300
馬が普及した結果、アステカの文明が北米に広がるならいいが、
北米インディアンが遊牧騎馬民族になって
アステカやマヤを襲うとかなら最悪

305 :世界@名無史さん:2014/09/24(水) 22:46:17.81 0.net
ま、そもそもアステカ自身が騎乗動物なしの北方蛮族ですから

306 :世界@名無史さん:2014/09/24(水) 23:43:10.88 0.net
>>296
海の砦はアラワク族の襲撃から身を守るためだったんだろうか?
あいつら乱暴っぽいからなぁ

でもそしたらかなり新しいのかも

307 :世界@名無史さん:2014/09/25(木) 04:23:28.31 0.net
>>304 更新世に滅びた北米の馬って、現存する種だとどれに近いんだろう
まさかシマウマとか....

308 :世界@名無史さん:2014/09/25(木) 14:08:37.60 0.net
>>307
いやいやいや
普通に考えて現存唯一の野生馬であるモウコノウマ(プルジェワリスキーウマ)だろ!?

309 :世界@名無史さん:2014/09/26(金) 22:21:43.62 O.net
ポリネシア人の集団がインカに仕えれば面白いな

310 :世界@名無史さん:2014/09/27(土) 02:29:39.04 0.net
ケチュア語の発音が簡略化されそう

311 :世界@名無史さん:2014/09/27(土) 23:31:12.39 0.net
交易はしてるし、文化伝播のネットワークもあったのに
なぜ船を使わなかったんだろう、、、


古代アメリカのカカオは宝石に匹敵?
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20110330001

312 :世界@名無史さん:2014/09/27(土) 23:35:35.66 0.net
>>289
ちなみにシュメールの交易範囲も相当広くて
少なくとも古代4第文明のうちの3つとは繋がっていて
もしかしたら中華とも交易ネットワークが接続していた可能性もあるかも

313 :世界@名無史さん:2014/09/28(日) 00:48:53.62 O.net
ポリネシア人の簡略ケチュア語は南米の共通語になりそう

314 :世界@名無史さん:2014/09/28(日) 13:07:51.48 0.net
>>311
カヌーを使った交易は行われていたよ。

315 :世界@名無史さん:2014/09/28(日) 20:15:11.86 0.net
>>313 qで表される音はkに、完全に開音節言語に

316 :世界@名無史さん:2014/09/28(日) 21:45:54.14 O.net
北米では同様にポリネシア人の喋る簡略マヤ語か簡略ナワトル語が共通語に
またポリネシア人によりマヤ文字がインカに。

317 :世界@名無史さん:2014/09/29(月) 01:13:29.93 0.net
妄想はいい加減にしる!

318 :世界@名無史さん:2014/09/29(月) 20:18:14.98 O.net
とりあえずインカへの文字導入と
中米での生贄廃止を!!

319 :世界@名無史さん:2014/09/29(月) 22:28:31.20 0.net
インカの正式国名が簡略ケチュア語で
Tawanatina Su'iu とかになるのか

320 :世界@名無史さん:2014/09/30(火) 00:52:14.83 0.net
もしもしがこんなところにいる・・・
言動とIDで特定されちゃうよ(´・ω・`)

321 :世界@名無史さん:2014/09/30(火) 22:13:15.38 0.net
インカとアステカが出来るまでの
アメリカ大陸の文明って本当に進歩が見られないな

322 :世界@名無史さん:2014/10/01(水) 20:04:08.16 O.net
ポリネシア人は
インカからの影響をもとにモアイを作ったのでは

323 :◆2pd14RulNQ :2014/10/03(金) 23:35:23.82 0.net
>>281
北からナワ系蛮族が押し寄せてきてたから難しかったんじゃないか
オトミも南に追いやられてたし

>>286
インカの暦もマヤ起源だったよね

>>292
何都市か征服してたやついなかったっけ?
武器というより人口とか生産力に問題があったのかも

>>294
ユカタン半島沿岸は海上交易やってたみたいだね
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/dc/Map_of_Putun_trade_route_and_terminal-classc_or_early_postclassic_maya_sites.jpg

>>304
>>305の言う通りアステカ人自体北米の方からの南下組だったし
馬があったらアステカ人自体が遊牧騎馬民族になってたと思う

>>307-308
考古学の本見ても馬としか書いてなかった
Wikipediaが詳しかった「馬の進化」のエクウスのところ

324 :世界@名無史さん:2014/10/04(土) 14:08:41.70 0.net
>>307>>308
これからするに結構びみょー


研究者、70万年前の古代馬の化石からDNAを抽出・馬の進化の歴史を解明することに成功
http://www.sciencenewsline.jp/articles/2013062622490028.html

University of Albertaの研究者、Duane Froeseはユーコンの永久凍土で大きなサイズの馬の化石を発見し、
それを見つけるや否や、それがどれほど重要なものが直ぐに悟った。
そして、今、この馬の進化の歴史を覆すことになる大発見に関わる論文を「Nature」を通じて発表した。

アラスカのユーコンや、シベリアで、10万年前の氷河期に氷河に覆われなかった地域で良く発見される馬の化石とは異なり、
この化石のサイズは現代の馬とほぼ同じサイズをしていた。
Froeseはこれまでにも地質年代的にもっと古い地層から似たようなサイズの馬の化石を見つけたことがあった。
しかし、今回発見されたものほど、良い保存状態のものはこれまでに発見されたことはなかった。

Froese と同僚の研究者は、発見された地層から採取された火山灰を分析することにより、
この化石は70万年前のものだということを突き止めた。
また、化石を詳細に分析することにより、化石には血液性蛋白質が残されており、
この蛋白質を解析することにより古代の馬のDNAの断片を検出することにも成功した。

研究の結果、この馬は、現代の馬とモンゴル草原にいる現存する最後の野生の馬「モウコノウマ」(Przewalski's Wild Horse)の両方の遺伝的特性を持っていることが判った。
70万年前の馬のDNAと、別のところで発見された4万3000年前の馬のDNA、そして、6頭の現代の馬と1頭のロバのDNAを比較分析することにより、
研究チームはまた、馬は、時代を経過するにしたがって高速で変異していったことも突き止めた。

325 :世界@名無史さん:2014/10/04(土) 18:46:21.98 0.net
ロバやシマウマよりは家畜馬に近いようだな。
>馬は、時代を経過するにしたがって高速で変異していった
でも一本指になってからの進化なんて体格の大型化くらいしかなさそうだけど。まさかヒラコテリウムとかからの進化の流れのことか?

326 :世界@名無史さん:2014/10/04(土) 20:14:04.29 0.net
Amerhippus亜属に属する種は南米だけで10種以上、アメリカやメキシコに何種かいた
ウマと同じくエクウス系統
種が多かったから変異が速かったと言われたんだと思う

327 :世界@名無史さん:2014/10/04(土) 20:23:11.49 0.net
アメリカ大陸に居たエクウスは比較的小型のものが想定されていたはず。
この話は70万年程度の進化の話だろうね。

ちなみに同じサイトにあったんだが、
人間が広めた家畜馬の特性は「乗り心地」らしいww

328 :世界@名無史さん:2014/10/05(日) 11:18:50.20 0.net
>>314>>323

そうすると結局、カヌーによる河川と近沿岸交易はやってたけど
船を利用した海洋交易はできなかったのか。

これは、造船技術の未熟によるものなんだろうか
それとも地中海みたいな内海でなければ海洋交易は発展しないのか??

でも、先にでているラピタ人たちはカヌーで遠外洋を渡ってるというのに、、、

329 :世界@名無史さん:2014/10/05(日) 16:15:38.13 0.net
マレー・ポリネシア系の作る双胴船とアメリカ原住民の作るカヌーやイカダでは全くレベルが違い過ぎて比較にならないと思うんですが

330 :世界@名無史さん:2014/10/06(月) 11:57:58.16 0.net
>>327
北米のエクウススコッティの亜種には今のウマより大きい物もいたそうだ
新大陸でのエクウスは350万年前くらいから枝分かれしていった

サラブレッドも従順さなどが重要視されたそうだし、乗り心地は重要そうだね
人間に都合の良い動物というのが重要なんだろう

>>328
逆かも知れないね。マヤ地域の商品は中央高原では珍重される物が多く、
交易相手に不自由しなかっただろうから、航海技術が発達しなかったのかも知れない
タイノ族やカリブ族もカヌーしかないのに積極的に島嶼部へ進出していた

331 :世界@名無史さん:2014/10/07(火) 00:17:33.88 0.net
>>329
使える材料にはそんなに差がなさそうなのに
アウトリガーカヌーみたいな小発明に至らなかったのが不思議なんだよ

>>330
へー、さすが発祥の地だけあって多様性に富んでるんだね
乗り心地のほうはケツが痛かったんだろうなww
そういえば鐙や鞍もちょっとしたものなのに意外と発明が遅いね

332 :世界@名無史さん:2014/10/07(火) 00:24:26.90 0.net
>>330
うーん、島嶼部と大陸だと、既存の資源に差があって当然なので
完全に大陸が主で、島が従にならざるを得ないのかなぁ

そういえば新大陸はシェルマネーって使われなかったのかな?
結構、世界最初の機軸通貨だったりするんだが

333 :世界@名無史さん:2014/10/07(火) 22:08:50.09 O.net
インカとポリネシア人が接触すれば
双方にとってとてつもない利益を生むはず

334 :世界@名無史さん:2014/10/07(火) 22:21:50.16 0.net
電話で恥ずかしい投稿すんのはいいかげんやめろや

335 :世界@名無史さん:2014/10/17(金) 23:04:00.03 0.net
>>332
メキシコではカカオは相場があったよね
生活必需品から奴隷までなんでも交換できた

336 :世界@名無史さん:2014/10/18(土) 01:55:56.98 0.net
>>329
そもそも新大陸にポリネシア人級の外洋航海民族って出現してたっけ。
長距離航海ってあまり聞かないし。

新大陸で長距離航海用といったらエスキモーやアレウトの皮張りの
カヤックやウミアックを推したいね。

337 :世界@名無史さん:2014/10/18(土) 11:27:37.70 0.net
アメリカ大陸の海岸線は遠洋航海技術の発展には向かない
アフリカのサブサハラの海岸線はもっと向かない

フィリピンやインドネシアの多島海で遠洋航海技術は発展した
地中海でも同様だった

カリブ海ではダメだった

338 :世界@名無史さん:2014/10/19(日) 00:36:59.57 0.net
マヤの中心地ユカタン半島に大きな川がなかったのも影響してるんだろうか?
間違いなく重要な交易路になる訳だし

339 :世界@名無史さん:2014/10/19(日) 00:39:23.65 0.net
アマゾン文明があったら…
ネグロ川を経由してオリノコ水系へ連絡できるし、河口からカリブ海へも出られる。
つくづくもったいなかった。

340 :世界@名無史さん:2014/10/19(日) 00:47:48.40 0.net
>>292

これはたぶん単純で
輸送と補給の限界にすぐに直面するからだろうなぁ

大型家畜の不在と、ジャングルのせいで道路&車輪の組合せもできないし。
あとは川が無いのも影響してるんだろうな。

341 :世界@名無史さん:2014/10/19(日) 07:00:18.34 0.net
その逆に河川による移動手段に恵まれていたロシアはあのように巨大な領土を得るに至った訳だ

342 :世界@名無史さん:2014/10/19(日) 10:56:57.62 0.net
ブラジルの首都が遷都先に内陸のブラジリアを選んだ理由の一つに
アマゾン水系とパラナ水系との分水嶺だったという立地も関係しているかもしれないね。
ロシア帝国が連水陸路に城塞都市を建設しながら東進を進めたように、
たとえばトゥピ系・アラワク系インディオがカヌーで水運物流網を四方に拡げ…と妄想は果てしなく膨張w

343 :世界@名無史さん:2014/10/19(日) 15:12:20.54 0.net
>>339>>342
ジャングル大帝国は成立するんだろうかww

>>340
とは言いながらも、インカやアステカは
山岳地形にも関わらず広域地域を武力制圧したんだよね
マヤだけ不可能ってこともないのかもしれないなぁ

344 :世界@名無史さん:2014/10/24(金) 00:28:12.09 0.net
マヤでも盛時の覇権国家は何万km2かはあったようだしそれなりには広がれるようだな

345 :世界@名無史さん:2014/10/25(土) 22:40:36.48 0.net
キューバ島とユカタン半島の間に人の往来がなかったのが悔やまれるなあ。
カリブ海の島々に分布する球戯場はベネズエラ沿岸経由の伝播だしな。

346 :世界@名無史さん:2014/10/26(日) 21:17:47.20 0.net
>>332

いまNHKでやってるテオティワカンの地下トンネルでは
ヒスイと巻貝(カリブ海産)が見つかったらしい。


ヒスイは威信財だから貝も同じだったんだろうか?

347 :世界@名無史さん:2014/10/27(月) 23:34:10.40 0.net
>>332
北米大陸でシェルマネーといえばツノガイ。輪切りにしてビーズ状にしたり、
刻まずに穴をあけてすだれ状に編んだり。もと西海岸沿岸の交易用だったが、
ロッキーを越えて大平原のインディアンにも装身具として身に着けられたのは見覚えある人も多いはず。

南米大陸だとやはり太平洋岸のムユ(スポンディルス)貝かな。
やはり長距離交易を介して南北に広く流通したみたいだね。

348 :世界@名無史さん:2014/10/29(水) 20:43:47.47 0.net
>>347
ありがとう!
こういう話が聞きたかった

349 :世界@名無史さん:2014/11/03(月) 22:50:33.50 0.net
ほら貝が出てきて日本とも交流があったとかにならないかな

350 :世界@名無史さん:2014/11/03(月) 23:09:50.18 0.net
これ系の話か?

380 自分:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2014/10/29(水) 00:14:19.28 0
先コロンブス期の新大陸到達でちょこっとググってみたら、英語Wikiに独立項目あんのな
http://en.wikipedia.org/wiki/Pre-Columbian_trans-oceanic_contact

その中でちょっと面白かったのが、米国の研究者に日本人が到達してると考えてる人たちがいて、
それがそれなりにマトモな研究者であるらしいこと・・・・以下3タイプ
1. 中期縄文人 → バルディビア文化人(エクアドル) ※土器の類似性など
2. 中世日本人 → ズニ族(ニューメキシコ) ※和訳関連本あり http://www.amazon.co.jp//dp/4480088342
3. 一般論 → 近世〜近代に漂流日本人が黒潮に乗ってバカスカ到達してんだから、その前からあったろ的な

351 :世界@名無史さん:2014/11/04(火) 01:11:59.72 0.net
ズニ族ではないけど、ナバホ族の姓に「ナカイ」ってあるんだよな
http://www.herschelfreemanagency.com/r_carlos/RCNakai2.jpg
ナバホ族の「中居さん」
http://www.ancestry.com/name-origin?surname=Nakai
ナバホの名前で「メキシコから来た者」の意。とのことだが

352 :世界@名無史さん:2014/11/10(月) 23:02:23.34 0.net
>>347

ここにも「ちきゅう温暖化」の影響が!!!
しかし、こういう形でプレミアが付くのもおもさいな

http://www.h6.dion.ne.jp/~andes/lecture/2012_07T_odaira.html


アンデスにおける供物の歴史と現在:ムユの事例
講師:大平秀一(東海大学教授)

2012年7月21日(土)
東京外国語大学本郷サテライトにて

 ムユ(スポンディルス)の生息域は、暖流の影響下にあるエクアドル海岸部と考えられてきました。先住民社会において、その儀礼的意味・使用が現在にまで継承されていることは、周知の通りです。
 2001年〜2012年、計3回にわたって、ムユの獲得をめぐる民族誌的調査を実施しました。

得られた知見によれば、ムユの生息域は、ペルー北海岸にいたっており、ペルー北部海岸から容易にアクセス可能なゾーンには、ムユが豊富に生息している漁場も認められます。
したがって、サランゴやサンタエレナ周辺域を中心としたエクアドル海岸部を「輸出地」と捉えたこれまでの議論は、再考を要することになります。
 ムユは生後しばらくして岩礁に固く付着し、その後動くことはなく、エル・ニーニョ現象下で、ペルーでムユが採取されたという見解も否定されます。
 アンデス地域の先史文化博物館の多くには、スペイン侵入以前における遠方航海という、いわば壮大なロマンを伴う学説の影響を受け、ムユを扱った展示表象が認められます。
その影響もあって、アンデス各地の民芸品店では、ムユを加工した装身具類が多く販売されています。

その需要が拡大して、ムユが比較的高額で売買されるため、エクアドル海岸部では乱獲が進み、2009年には無期限の禁漁対象種に指定されることとなりました。
しかし、観光客の多いペルーにおける需要に変化はなく、不法採取も一部で認められます。

加えて、生きた貝の採取が困難となった現在では、ペルーの仲介人から「コンチャ・デ・ワカス」(遺跡出土の貝)が求められ、
エクアドル海岸部の遺跡で盗掘がなされ、出土した大量のムユが売買されるという現象も生じています。

353 :世界@名無史さん:2014/11/26(水) 01:04:53.12 0.net
>>330
そのくらいの年代だとちょうどパナマ地峡が形成される頃なんじゃないかと思うんだが
新たな淘汰圧がやってくると分岐が進むんだろうか

354 :とてた ◆QG5e8yyI32 :2014/12/28(日) 19:22:57.19 0.net
>>333
一応、ポリネシア人がクマラ(サツマイモ)を得て、
南米にニワトリを残したという「相互利益」はありました。

355 :世界@名無史さん:2015/01/17(土) 11:59:58.84 0.net
>>328

トリンギット社会はロッキー山脈のと
海の物産などを交易していたようだ

http://www.kyoto-up.or.jp/jp/authorsessay01.html

356 :世界@名無史さん:2015/01/17(土) 21:55:44.60 0.net
>>355
以前「世界・ふしぎ発見!」でカナディアンロッキーがテーマの回で触れたことがあったな。
四角く箱詰めにして乾燥させたコンブ「ケルプケーキ」を紐でしばって山岳民族に売ったそうな。
海のミネラルも摂取できる貴重な食材なので結構高値で取引されたとも。

357 :世界@名無史さん:2015/01/18(日) 00:55:11.45 0.net
>>356
へー、なるほどなるど

そういえば新大陸は塩の交易ルートはどうなってたんだろう

358 :世界@名無史さん:2015/01/18(日) 17:27:42.30 ID:40AoiHAA0.net
「南北アメリカに旧大陸に匹敵する文明があったら」


という過去スレを発見したんだけどおもしろかった
ちょうど鉄・病原菌・銃が出たころでみんなのワクワク感が伝わってくるね

359 :世界@名無史さん:2015/01/18(日) 23:22:40.33 ID:xu3yS89W0.net
パート4まで続いた長寿スレだよね。 <南北アメリカに旧大陸〜

コロンブス到達あたりで止まっちゃってるんだよね。
続編復活してほしいけど語り部さん残っていないかもなあ・・・

360 :世界@名無史さん:2015/01/21(水) 21:24:11.52 0.net
>>359
やっとパート1を読み終わった

コロンブス以降は関連項目が多すぎてさすがに大変だろうねぇ

361 :世界@名無史さん:2015/03/12(木) 00:47:21.28 0.net
とりあえず配管図がわからなかったので全て妄想ですまそう

http://news.mynavi.jp/column/blueorigin/002/

362 :世界@名無史さん:2015/03/16(月) 05:51:00.55 0.net
レプティリアン
https://www.youtube.com/watch?v=nfvYMRAAyeY&list=LLddBwVdo9Zx0F1OoWYEMpkQ

363 :世界@名無史さん:2015/03/21(土) 22:41:20.62 0.net
>>358-360
とてたさんが作ってくれたまとめサイトもあるね

架空歴史世界 〜南北アメリカに旧大陸に匹敵する文明があったら〜
http://book.geocities.jp/totetatta/america/america.htm

364 :世界@名無史さん:2015/05/16(土) 21:36:00.92 0.net
クスコやマチュピチュと比較してビルカバンバの存在感の無さ

365 :世界@名無史さん:2015/05/30(土) 00:04:23.54 0.net
アンデス文明と比較してモホス・マラジョアラなど
アマゾン文明の存在感の無さ

おいしい落花生やパイナップルは誰が作出したのかとw

366 :世界@名無史さん:2015/06/04(木) 17:13:06.98 O.net
>>358
南アメリカと北アメリカにそれぞれ旧大陸の四つの文化圏に匹敵する文化圏を樹立したい
欲を言えば、
アフリカ(ネグロイド)とオセアニア(オーストラロイド)にも

367 :世界@名無史さん:2015/06/04(木) 20:34:39.62 0.net
>>358のスレはパート1から4まで立ったが、
実在したメソアメリカ文明とアンデス文明以外で登場したのが
ミシシッピ流域文明だったね。
国家成立まで達しないままスレ落ちしちゃったものも含めると、
北から順に:
@環ベーリング海文化圏(主体民族はエスキモーとアレウト)
A北米北西海岸文化圏(アラスカ南東部からカリフォルニアの沿海部)
Bコロラド高原文化圏(史実でプエブロ住居が建つ一帯ね。東西交易の要衝)
中米をとばして:
Cコロンビア高地(パナマ地峡とアンデス山地とカリブ海を結ぶ大動脈ゆえ)
Dアマゾン文化圏(いわゆるモホ文明とかね。大規模土木文明出土中だし)
Eパラナ川〜パンパ平原(大河と草原の組み合わせで農耕民とガウチョ遊牧民の確執発生?)

誰かパート5建ててくれ〜

368 :世界@名無史さん:2015/06/04(木) 20:36:30.59 0.net
いけね、あと
F環カリブ海文化圏(西インド諸島に海洋交易ルート発生し北米と南米を直結)
も補足ね。

369 :世界@名無史さん:2015/06/04(木) 21:34:31.84 0.net
>>366
オーストラリアは砂漠だらけなので地形をいじる必要がある
面積はそのままでも、大きく内側を削って地中海みたいにし
(”⊂”みたいな形)、
削った土を島にして東側にばらまく

370 :世界@名無史さん:2015/06/06(土) 21:30:41.70 0.net
ウユニ塩湖の塩は3000年前から
キャラバン隊によって各地に運ばれていた
というのはほんとかな?

371 :世界@名無史さん:2015/06/06(土) 22:39:52.58 0.net
さてはさっきの「世界・ふしぎ発見!」見てた一人だなw

塩はリャマの背にでも縛って運ばせていたんだろうか。

372 :世界@名無史さん:2015/06/07(日) 22:17:39.42 0.net
ウユニの塩にはリャマさん由来成分も含まれておりますw
絶対あの上を移動してる時にリャマがうんこやしっこも塩湖にしてそう

373 :世界@名無史さん:2015/06/07(日) 22:40:05.48 0.net
こういうのって
遺跡から塩が発見されて
それがウユニの成分と一致したから?

そんなに長いこと塩が残ってるもんなんだろうか

374 :世界@名無史さん:2015/06/07(日) 23:25:28.52 0.net
ナスカ平原に地上絵が残るほどの気候ならばありえるかも。

375 :世界@名無史さん:2015/11/29(日) 17:33:01.83 0.net
塩に含まれる元素の同位体分析

財団法人ソルト・サイエンス研究財団助成研究報告集2005
「同位体分析による塩の原産国の判別」
ホウ素で岩塩か海塩かを識別が可能。原産国までの判別は出来ず。

ウユニならリチウムが多いので、
リチウムにおける同位体分析では圧倒的に大きいので識別できるんじゃないか?

海塩じゃない程度の精度でしかないような気もするが。よくわからん。

376 :世界@名無史さん:2016/07/05(火) 02:10:08.78 0.net
無職
https://archive.li/30pcF
>無職な自分の日曜をスネークに演じさせてみました。
>週末のアリオ詣での渋滞は祭りです。

ハゲ
http://i.imgur.com/X1Bu6eI.jpg

統失
http://www.nicochart.jp/watch/sm25353803
>ウインカーをなかなか出さないドライバーに短時間のうちに2度遭遇したのでキレてみました。
>集団ストーカーかただのばかか知りませんが、ウインカーは適切につかってほしいもんです。

377 :世界@名無史さん:2016/07/27(水) 19:06:43.61 0.net
http://www.4gamer.net/games/342/G034279/20160726051/
シドマイヤーズ シヴィライゼーション VIで
アステカが使えるぞQ!

モンテスマ1 なんて 世界史板でもこのスレ住民でないと
とっさに思い出さないのでは?

378 :世界@名無史さん:2016/07/28(木) 00:06:14.35 0.net
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

379 :世界@名無史さん:2016/12/26(月) 17:50:39.61 ID:KGc1Dgi5C
>>367

「もしもミシシッピ文明圏があったら」
ttp://mint.2ch.net/test/read.cgi/whis/1467218271/

総レス数 379
152 KB
掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200