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ギリシア風に無知と偏見に満ちた歴史を記述するスレ

77 :世界@名無史さん:2012/04/19(木) 17:42:59.13 0.net
神話ではかつてプロメーテウスが、ゼウスから火を盗んで人間に教えたことを今に伝えているが、
ならば、人間に火を得る前 我々の先祖はどのような暮らしをしてきたのだろう?
老人は他愛の無いことを考えるものだが、私もその一人であり、こういったことに思いを馳せずにはいられないのだ。

私は、そういった夢想の導きとなる話を知っている。
はるか遠くの異郷には、プロメーテウスの恵みがもたらされず、未だ火の使い方を知らない人々がいるという。
彼らは火がないので金も銀も青銅も持たない。それどころか矢も盾もないので、戦争はもっぱら石と木の棒だけで行われるらしい。

戦争と言っても殺し合いではない。彼らは命をかけるに値する、名誉や国や富もまた持たないからだ。
ちょうど牡牛が争うとき、角をぶつけあっても突き刺したりはしないように、痛めつけられた相手が逃げるだけで決着をつける。
彼らの争いも牛のように単純だ。部族の代表がひとりずつ前に出て、石を投げてぶつけるか、その石を棍棒で打ち返して投げたものを痛めつけるかで勝負を決める。

石を投げる部族と打ち返す部族が交互に役割を変えならが争うが、
臆病な蛮族らしく、多くの場合は石を投げても敵には当たらず、また打ち返そうとしても石には当たらない。
故に決着はなかなかつくことはなく、だらだらと退屈な争いを続けている。
稀に、投げた石が人に当たることがあるが、そうなると当てられた者は敵の部族の奴隷となることとされ、すごすごと敵の陣営に歩いて行く。
また打ち返した石が敵に当たらない場合も同様で、彼らも奴隷となるべく自ら敵の群れに行くが、この時は味方の罵りを恐れて素早く敵の部族の中へ逃げていく。
ただし、打ち返した石が誰も届かないほど遠くに飛べば敵の石を無くした勇者として讃えられ、自分の陣営に歓迎される。
結局、ただの奴隷の交換会のようなもので、殺しあうどころか痛めつけ合うことすらまともに出来ない茶番の戦争なのだ。

闘いの場には多くの人間が集まるが、そのほとんどは傍観して自分の部族を煽るだけである。
このような児戯でも、下等な人々は痛みを恐れて戦いに加わらず、ただ勇気のある数人だけが争いに参加する。
多くの場合、十代の血気盛んな若者だけが戦いに興じるが、その多くは奴隷でありその証として髪を短く刈り込まている。

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