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【後期黎朝】黎利について語ろう!【越南】

1 :ベトナムlove:2013/09/13(金) 15:27:45.63 0.net
明の圧政からベトナムを解放した黎利(れいり)〔ベトナム語表記Lê Lợi(レ・ロイ)』〕について語りましょう!

藍山起義から始った十年にわたる対明戦。
阮廌、黎来、阮隻、丁列、陳榴、黎察、劉仁澍など、綺羅星のごとく集まったベトナムの名将たち。
陳智、王通、陳洽、李亮、柳昇、梁銘、李慶、沐晟などの明の討伐軍。
当時のベトナムの民の思いなど、黎利に関することなら大歓迎です!

2 :世界@名無史さん:2013/09/13(金) 17:19:18.64 0.net
また日本ではマイナーなスレが出来たな

確か黎来が黎利の身代りになって死んだんだよな

3 :世界@名無史さん:2013/09/13(金) 19:16:55.21 0.net
文字化けしてるな

4 :世界@名無史さん:2013/09/13(金) 23:14:06.43 i.net
グェンさんとかホーさんに漢字表記を教えてあげると感心される
機会があればレさんにも

5 :エチオピア:2013/09/14(土) 23:17:50.25 0.net
〉〉4わかるわかる。黎とか阮とか陳とか教えてあげると感心されるよな

それはそうと誰か黎利とか阮薦とか黎銀とか黎来とか阮隻のWikipediaベトナム語ページを和訳してくれないかなぁ

6 :世界@名無史さん:2013/09/15(日) 12:58:20.85 0.net
>>5 なかなか難しいだろうね。そもそもベトナム語を完全に和訳できる人が少なそう

7 :世界@名無史さん:2013/09/15(日) 13:55:37.43 0.net
初代と聖宗以外に見るべき皇帝がいない黎朝

8 :世界@名無史さん:2013/09/15(日) 13:57:03.39 0.net
阮福暎の先祖も清化集団だった

9 :世界@名無史さん:2013/09/15(日) 18:47:36.00 0.net
実は明に味方していたベトナム勢力も結構いた

10 :世界@名無史さん:2013/09/15(日) 20:16:11.95 0.net
田中芳樹大先生は、中国様に従順な朝鮮が好き。
中国様に刃向う越南が嫌い。

11 :世界@名無史さん:2013/09/15(日) 22:44:44.08 0.net
聖宗の時代が最盛期なんだっけ?

ヴェトナムのチャンパ攻略の過程がよくわからんな。

12 :世界@名無史さん:2013/09/15(日) 23:01:29.88 0.net
>>5

ウィキのベトナム関連記事は、中国語から訳すしかないなぁ。

13 :世界@名無史さん:2013/09/15(日) 23:06:11.99 0.net
誰か訳して欲しいなぁ・・・ベトナムの友達から黎利の素晴らしさを聞いて興味を持ったけど資料がない罠

永楽帝時代の明に真っ向から逆らったってだけで燃えるよなぁ

14 :世界@名無史さん:2013/09/16(月) 05:41:07.21 0.net
日本でぜんぜん知名度がないのはなぜ?

15 :世界@名無史さん:2013/09/16(月) 09:04:49.58 0.net
左翼が嫌いだからじゃね?

16 :世界@名無史さん:2013/09/16(月) 10:13:12.57 0.net
中国様にはむかうのは「悪」だからな。
ブサヨにとっては。

17 :ベトナムlove:2013/09/16(月) 11:41:05.07 0.net
黎利を主人公にした小説を書きたいんですがお勧めの資料って何か有りますかね?

18 :世界@名無史さん:2013/09/16(月) 13:10:36.54 0.net
>>13
燕賊の晩年のことではあるがね

>>14
燕賊の主力は北方に出兵したということもあり
南はあまり目を向けられにくい

というか日本は東南アジアに目を向ける人が少ない
中国と友好的だったタイやラオスやボルネオも知名度ない

19 :世界@名無史さん:2013/09/16(月) 13:25:13.77 0.net
>>10
キリスト教、モンゴル、満州族もあまり好きじゃなさそうだなあの人

20 :世界@名無史さん:2013/09/16(月) 13:45:44.37 0.net
「我々は1000年戦ってきた、これ以後も戦い続ける」

21 :世界@名無史さん:2013/09/16(月) 21:09:03.45 0.net
「1000年属国の国とは違う」

22 :世界@名無史さん:2013/09/16(月) 21:36:39.35 0.net
あの国も契丹やモンゴルの侵攻と戦ってきた
だがシナ中央部のすぐ横に位置し遊撃隊が身を隠すジャングルも存在しないあの国はベトナム以上に独立を維持するのは困難
モンゴルや日本という脅威もあるなかでは安全保障のためにシナに屈服するのはある程度はやむをえなかった
といっても明から清、清から日本に東亜の覇権が移り行く時代にあってどちらにつくかの選択を誤り亡国の憂き目にあったのも事実だが。。。

23 :世界@名無史さん:2013/09/16(月) 22:05:05.51 0.net
ベトナムを中国から守ったのは「瘴癘」(南方の疫病。ショウレイで一発変換できる!)
だからな。

半島は乾燥気候だから、騎馬民族は一気に蹂躙できた。

24 :世界@名無史さん:2013/09/16(月) 23:32:02.95 0.net
>>22 そう考えると朝鮮は可哀想だな
日本は海が守りベトナムは森林が守ってるけど朝鮮は何も守ってないもんな

25 :世界@名無史さん:2013/09/17(火) 01:26:45.31 0.net
漢人が北上して半島を攻めようとしても、北方遊牧民が南下してきて、半島を制圧するのは難しい
半島を北から制圧できたのは北方遊牧民由来の政権だけ

26 :世界@名無史さん:2013/09/17(火) 14:01:31.03 0.net
じゃあ一時とはいえベトナム(当時のベトナムは今の北半分)征服した
明はやはり勢いがあったんだな

27 :世界@名無史さん:2013/09/17(火) 21:50:55.56 0.net
漢もね。

しかし何故中華世界は五代十国の騒乱でベトナムを手放して以降は
ベトナムを再征服できなかったのか。

28 :世界@名無史さん:2013/09/17(火) 23:53:00.39 0.net
確かに疑問やね

誰か分かる方居るかな?

29 :世界@名無史さん:2013/09/18(水) 10:02:07.19 0.net
ベトナムの内ゲバがひどかったのに、再征服できてないなぁ

確かに謎ではある

30 :世界@名無史さん:2013/09/18(水) 10:15:34.38 i.net
宋以降の中華のヘタレっぷり(実際はそうでもないけどさ)より、
キン族?の覚醒っぷりが気になる

狂犬朱禎は別だけど

31 :世界@名無史さん:2013/09/18(水) 10:38:46.99 i.net
朱棣だな、ゴメン
>>29
莫氏の時も毛伯温に軍を与えときながら、武力介入しなかったしね

32 :世界@名無史さん:2013/09/18(水) 16:34:52.47 0.net
中華の南海方面征服は南方の珍品の輸入にあったからじゃないの。
唐代以降イスラム勢力が交易圏を広州あたりまで伸ばしてきたから、
ベトナムをスルーして貿易できるようになってしまい、ベトナムの重要性が
低下した。ということなのではなかろうか。

33 :世界@名無史さん:2013/09/19(木) 09:38:32.79 0.net
成る程、南方貿易の要所だと云う理由か…

面白い見方だね

34 :世界@名無史さん:2013/09/19(木) 23:07:50.86 i.net
中継地としての魅力が薄くなったのかな?
直接的な産地としては犀角や象牙や香木なんかを要求してたよね

35 :世界@名無史さん:2013/09/20(金) 15:27:42.34 0.net
永楽帝以降の明が越南支配を諦めたのもそれが理由かな?

かなり面白い説だなぁ

36 :世界@名無史さん:2013/09/20(金) 21:44:45.48 i.net
中華思想における柵封と朝貢のシステムは征服のリスクを減らすための方策だったって説があるよね
ベトナムも"昇格"して、中華にとってはいわゆる鶏肋の地になったのかな

37 :世界@名無史さん:2013/09/20(金) 21:57:56.71 0.net
李朝、陳朝、西山朝は北からの進行を退けている
唯一征服されたのは胡朝

ちなみに黎朝も独立後は明に朝貢して
柵封されている。

燕賊が死んだあと、ベトナムをあきらめたのは
直接統治による費用や出血よりも
朝貢させたほうが利益になると思ったからだろう

38 :世界@名無史さん:2013/09/20(金) 23:42:01.78 0.net
ベトナムも唐代の日本と同じように、
中国に対しては臣下としてふるまいつつ、周りの国に対しては皇帝としてふるまったのな

39 :世界@名無史さん:2013/09/20(金) 23:57:29.73 0.net
東南アジアの国の「マンダラ」
とはそういうもの
王は自分だけという考え方

40 :世界@名無史さん:2013/09/21(土) 04:35:05.04 0.net
南ベトナムにあったチャンパとの戦いは長く続いた
最終的に征服が完了したのは
最後の王朝である阮朝の時代
History of the Cham–Vietnamese wars
http://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_Cham-Vietnamese_wars

41 :世界@名無史さん:2013/09/21(土) 08:55:58.06 0.net
チャンパはかなり長命な王朝だよな

42 :世界@名無史さん:2013/09/21(土) 23:22:12.12 0.net
誰か黎銀について教えてー

43 :世界@名無史さん:2013/09/22(日) 20:41:43.22 0.net
とりあえず藍山蜂起初期からの家臣ってことしか知らない

44 :世界@名無史さん:2013/09/23(月) 17:02:33.57 0.net
黎利の前半生について

45 :世界@名無史さん:2013/09/23(月) 18:27:06.25 0.net
南の異民族で反乱をおこしたり独立国家を持った民族はいたけど
独立を達成したのはベトナムぐらいなんだよな
苗も白も少数民族となっている

46 :世界@名無史さん:2013/09/23(月) 18:44:49.56 0.net
タイ・カダイ語族の綺羅星、タイ人とラオス人を忘れちゃだめだろ
雲南を失ってなお消散せず、漢人の及ばぬ地で一旗あげてんだから

47 :世界@名無史さん:2013/09/23(月) 19:28:21.84 0.net
雲南は今は独立していないが
タイやラオスにあたる部分が中国の支配下になったことはあるの?

48 :世界@名無史さん:2013/09/23(月) 19:34:39.35 0.net
第二次世界大戦でのタイでは
雲南にあった南詔はタイ人の王国と認定されて
当時のタイの生徒は歴代南詔王の名前を暗記させられていたそうだが
実際の南詔の支配層は彝族だったそうだね

49 :世界@名無史さん:2013/09/23(月) 19:43:52.57 0.net
シーサンパンナには今でもタイ族が残っている

50 :世界@名無史さん:2013/09/23(月) 20:20:14.08 0.net
蜂起まえの黎利の前半生は謎が多すぎる
英語版のウィキ見てもあまり書いてないし

51 :世界@名無史さん:2013/09/23(月) 21:37:14.56 0.net
その分キングダムにおける李信みたいに創作の余地あるよな

力量ある作家さんに書いてもらったら面白そうな題材のひとつではある

52 :世界@名無史さん:2013/09/23(月) 23:07:38.46 0.net
作り話はいらない

53 :世界@名無史さん:2013/09/26(木) 16:17:15.74 0.net
もし仮に黎利を作品とする場合、どんな構成が面白そうだろうかねぇ

54 :世界@名無史さん:2013/09/26(木) 16:45:11.38 0.net
挙兵時で中年になってるから前線では戦えない
帝位についたのはもう晩年と言っていい歳

55 :世界@名無史さん:2013/09/26(木) 16:49:39.16 0.net
日本人は歴史書と創作物の区別がつかない
坂の上の雲を小説と思ってない人間が大勢いるから
創作と史実を混同する馬鹿が大勢出てしまう

よって作り話はいらない

56 :世界@名無史さん:2013/09/26(木) 18:13:57.36 0.net
この王朝の皇帝が実権を握っていたのは
半分にもみたない
あとは形式的な力しかない

57 :世界@名無史さん:2013/09/26(木) 19:20:48.33 0.net
ありゃ平家物語や太平記みたいなもんだろう
衆は史実を欲しとるわけではないんでな

58 :世界@名無史さん:2013/09/27(金) 17:50:10.79 0.net
坂の上の雲を史実だとおもつってる奴居るの?

59 :世界@名無史さん:2013/09/27(金) 17:52:18.17 0.net
日本人は作り話を見て「史実」を知ったと思いこむ
中国人と欧米人は歴史書や史料を見て史実を知ろうとする

日本人のおかしい所は史実を知ろうとしているのに
それを小説などの作り話に求めてしまう事だ
誰も歴史書や史料を見ようともしない

60 :世界@名無史さん:2013/09/27(金) 17:55:17.53 0.net
黎利以上に黎朝時代の広南王国の南進が面白い
サイゴンも元々はクメール領だった

61 :世界@名無史さん:2013/09/28(土) 22:29:54.17 0.net
ベトナム史を研究している日本人学者もいるんだよね

62 :世界@名無史さん:2013/09/29(日) 10:57:43.27 0.net
広島大の先生でしたっけ?

63 :世界@名無史さん:2013/09/30(月) 00:44:47.85 0.net
1479年、白象事件が起こる。当時、ベトナムのレ・タイン・トン(黎聖宗)
はベトナム史上最強の国家を作ろうとしていた。レ・タイン・トンは
ベトナム南部の大国チャンパ国を平定したあと、
ラーンサーン王国(現在のラオス)へと目を向けた。そんなおり、
絶好の機会が到来した。

サイイナ・チャカパット王の時代(1441−1479)、ケーンターオの領主が
国王に白象を献上した。そのことを聞いたベトナムの王レ・タイン・トンは
「白象を借り受けて国民に見せたい」と申し出たのである。
レ・タイン・トンの真の狙いは侵略の口実探しだった。予期したとおり
神聖なる白象の貸し出しをラーンサーンの王は拒絶する。レ・タイン・トンは
拒絶を受けて、数十万の兵をジャール平原(チャンニン)に送ったのだった。
ジャール平原は凄惨なる殺戮の戦場となった。
このときすさまじい数のラオ人が殺されたが、その多くがじつはモン族だったという。
ベトナム軍はジャール平原を制圧したあと、
ラーンサーン王国の都ルアンパバンへと侵攻した。

http://mikiomiyamoto.bake-neko.net/hmonghistory02.htm

64 :世界@名無史さん:2013/09/30(月) 01:07:01.08 0.net
>>63
そのサイト、なんかモン・クメール語族とタイ・カダイ語族を取り違えてるとこねぇか?
紀元前の段階で、モン・クメール語族はインドシナ半島中に拡がってたと思うんだが・・・
> 中国の「邱北県志」によると、明朝が成立した頃(1368年)、
> 「蛮人(モン族)は貴州省から雲南省に移動し、一部は南進をつづけてラオスの域内に入った」という。
> 15世紀にはインドシナ半島全体にモン族の居住地域が広がっていた。

65 :世界@名無史さん:2013/09/30(月) 12:55:24.36 0.net
黎利と少数民族のかかわりについてピックアップしてみても面白いかもね。誰か知っている方いらっしゃいますか?

66 :世界@名無史さん:2013/09/30(月) 17:38:44.47 0.net
黎利は少数民族の支持を得たんだっけ?

67 :世界@名無史さん:2013/09/30(月) 21:26:55.22 0.net
>>64
あのサイトのモン族てミャオ族の事だよ

68 :世界@名無史さん:2013/09/30(月) 21:39:05.45 0.net
>>67
俺もそう善意の解釈しようかと思ったけど、インドシナ半島全体に広がったというのが無理あると思ってさ
とはいえ、スレチなんでこのへんで止めときます

69 :世界@名無史さん:2013/10/01(火) 12:06:33.61 0.net
インドシナがベトナムラオスカンボジアという意味でなら
まあ間違いと言うわけではない

70 :世界@名無史さん:2013/10/02(水) 03:40:59.95 0.net
ベトナムの山岳は少数民族の住む所であったそうで
そういう所で挙兵したのだから
少数民族と付き合いもあったということだろう

71 :世界@名無史さん:2013/10/02(水) 18:37:10.49 0.net
そう言えば前期黎朝は地味だよな

72 :世界@名無史さん:2013/10/05(土) 17:22:15.56 0.net
>>40
それを見るに
大体ベトナムが勝っているようだが
何がチャンパより優れていた?
兵力か?装備か?戦術か?

73 :世界@名無史さん:2013/10/05(土) 23:45:57.80 0.net
中国に近いから最先端の戦術は導入できたかもね

74 :世界@名無史さん:2013/10/06(日) 00:03:50.24 0.net
グエン・バン・ヒューみたいなやつが大勢いた

75 :世界@名無史さん:2013/10/09(水) 08:09:38.73 0.net
当時の越南の兵装の資料ってあるかな?

76 :世界@名無史さん:2013/10/09(水) 23:35:57.62 0.net
日本にはない
ベトナムに行かないと無理だろうな
日本人はヨーロッパの甲冑や刀剣は大体イメージできる
だけど南アジアの甲冑だとか武器はイメージできない

77 :世界@名無史さん:2013/10/10(木) 22:45:18.01 i.net
南アジアの甲冑だとマハーバーラタあたりの映画衣装だな
ファンタジーなコスプレだけど

東南アジアだとベトナムなんかは漢文史料がありそうなもんだが、意外に見かけないよね

78 :世界@名無史さん:2013/10/10(木) 23:32:07.94 0.net
皮でできたもんじゃないの

79 :世界@名無史さん:2013/10/10(木) 23:41:04.95 i.net
黎利の頃だと金属の札鎧じゃなかった?

80 :世界@名無史さん:2013/10/12(土) 00:26:24.06 0.net
ウィキだと
ラーンサーンの寝返りで負けた事があって
それ聖宗の遠征につながったと書いてあるけど

図書館に置いてあったベトナムの通史書では
ラーンサーンに援助してもらっていたが
それらの事実は
回想録を書いた阮廌たちによって隠されたと
書かれたんだよね
どっちが本当だろうか

81 :世界@名無史さん:2013/10/12(土) 00:44:45.63 0.net
明に逆らって越を支援する利点と理由が当時のラーンサーンにあるのだろうか

82 :世界@名無史さん:2013/10/12(土) 01:23:54.50 0.net
>>77
象兵と火槍はあったそうだ

83 :世界@名無史さん:2013/10/14(月) 16:38:43.54 0.net
成るほど
革製の鎧か金属製の鎧かが気になりますね

84 :世界@名無史さん:2013/10/14(月) 23:56:51.88 0.net
時代がさかのぼるが、李朝(朝鮮じゃないよ)の李常傑ってカッコイイな。

85 :世界@名無史さん:2013/10/15(火) 09:20:13.95 0.net
共産党国家だから
過去の王朝はどう見られているんだろうか

86 :世界@名無史さん:2013/10/16(水) 23:15:03.56 0.net
ベトナムの友達に聞いてみたら、概ね好意的にとらえられているみたいです
特に、陳興道と黎利は独立の英雄としてとらえているみたいです

87 :世界@名無史さん:2013/10/18(金) 13:36:25.00 0.net
阮恵はどう思われている

88 :世界@名無史さん:2013/10/18(金) 20:55:14.90 0.net
聞いときます

89 :世界@名無史さん:2013/10/20(日) 16:39:25.01 0.net
>>83
金属でも青銅レベルだったような

90 :世界@名無史さん:2013/10/20(日) 21:11:55.43 0.net
1400年代に青銅器を使っていたんですか?

91 :世界@名無史さん:2013/10/23(水) 19:10:20.59 0.net
中国は楚の時代には鉄器を使ってましたよね

92 :世界@名無史さん:2013/10/24(木) 22:50:26.89 0.net
>>10
あの人漢の武帝の小説を書いたとしても登場人物に
「人間の行為の中で何がもっとも卑劣で恥知らずか。それは権力を持った人間が安全な場所に隠れて戦争を賛美し、
他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦場へ送り出すことです。」
とか
岳飛の小説を書いて(もう書いてるが)
岳飛に「懸かっているのはたかだか宋の存亡だ。
個人の自由と権利に比べれば、大した価値のあるものじゃない。」
なんていうような台詞は吐かせないだろうな

93 :世界@名無史さん:2013/10/25(金) 22:54:48.83 0.net
田中芳樹は、チュン姉妹の「反乱を平定」した馬援将軍をマンセーしているからな。
「この時代に侵略という概念は存在しない!」などと言って。

94 :世界@名無史さん:2013/10/26(土) 18:08:18.60 0.net
鉄って高いから

95 :世界@名無史さん:2013/10/27(日) 19:45:37.04 0.net
うわ……田中芳樹って頭おかしくないか?

96 :世界@名無史さん:2013/10/27(日) 20:39:57.10 0.net
>>77
遅レスだけど、冑の遺物なら、写真がある。
http://www.binhdinh-salongcuong.org/GB_DISCUSSION_Armours_Comparative%20Study.html
材質が書いてないのが残念だが、遺物があるということは、さがせばどこかに材質の
情報もあると思われる。中央付近に
Statue of Generalissimo TRẦN Hưng Đạo
Đại-Việt - 1213~1300.
という彫像があるが、見た目は金属には見えないから、やはり皮なのかも。

97 :世界@名無史さん:2013/10/28(月) 13:55:30.01 0.net
ありがとうございます!

98 :世界@名無史さん:2013/10/29(火) 21:14:04.59 0.net
高温湿潤のベトナムで甲冑つけて動くなんて恐ろしいな

99 :世界@名無史さん:2013/10/30(水) 04:17:09.51 0.net
>>87
普通に救国の英雄だよ。
庶民階級出身だから共産党的にも持ち上げやすい。

100 :世界@名無史さん:2013/10/30(水) 04:35:49.77 0.net
>>96どこの地域でもヨロイといえば「革に展性のある
金属をうすーく伸ばして貼り付けた」ものだよ。
逆にそれですごいのは日本の甲冑。複合素材なんだよ、
ものすごく複雑な。木や糸、金属・革を使って
軽く丈夫という今の防弾・防刃チョッキみたいな
鎧を造ってた。

101 :世界@名無史さん:2013/10/30(水) 07:25:48.94 0.net
田中芳樹はアジアで初めて西洋に勝ったのは日本じゃない、
ベトナムだとか言っていたんだけどな。
ベトナムとフランスの植民地戦争で。

いやあの当時のベトナムは清の属国だったからそう言ったのかなw

102 :世界@名無史さん:2013/10/30(水) 16:21:49.01 0.net
>>100
え?そうなの?じゃあこのローマの鎧は?これも下地は皮なの?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Roman_soldier_in_lorica_segmentata_1.jpg

103 :世界@名無史さん:2013/10/30(水) 18:05:20.00 0.net
>>101
黒旗軍の事をよく言っていたことは記憶しているが
ベトナムの事そんな風にいってたの?

104 :世界@名無史さん:2013/10/30(水) 23:47:26.07 0.net
黎利配下の将の話題何か有りますか?

105 :世界@名無史さん:2013/11/06(水) 08:32:18.26 0.net
この時代のベトナムの軍制わかる方いますか?

106 :世界@名無史さん:2013/11/08(金) 04:16:10.60 0.net
八尾隆生『黎初ヴェトナムの政治と社会』に載ってる。
明の衛所制を名前だけ借りた変形バージョン(軍戸がない)。

107 :世界@名無史さん:2013/11/08(金) 08:54:48.45 0.net
ありがとうございます。

108 :世界中で嫌悪され追放されるセックス中毒・児童性虐待民族韓国人:2013/11/08(金) 15:28:18.66 0.net
スイスでは「朝鮮人南韓国人を見たら性欲異常性犯罪者レイプマンと思え」と報道
芸術興行ビザを取得して韓国に入国、売春を強要され性的暴力性侵害を受けてきた
ロシア人女性25人、酒の瓶で殴られ、レイプ民族朝鮮族に性的暴行まで受けたと証言
http://www.hoshusokuhou.com/archives/33309819.html  http://www.freezepage.com/1383549312WOVFBHERMB
http://megalodon.jp/2013-1104-1616-51/www.hoshusokuhou.com/archives/33309819.html
http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/8/3/8328a955.jpg  http://web.archive.org/web/20131104071847/http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/8/3/8328a955.jpg

【世界中で広まる嫌韓・・・朝鮮民族は全世界の嘲笑シンボル】
1.アルゼンチンで追放したい民族第1位に選ばれ、実際に追放される
2.タイでは韓国に絶対に行くなと報道
3.メキシコでは共存できない民族と報道
4.モンゴルでは反韓感情が急激に高まっている
5.フィリピン当局が自国女性に韓国人警戒令」を出した
6.アメリカ政府は1999年、韓国人によるレイプ注意警告を公式に出した
7.経済協力開発機構(OECD)加盟国で初めて「自由言論弾圧監視対象国」に指定
8.台湾人とは犬猿の仲。台湾のタクシーや店ではNo Koreanのステッカーがいたる所に貼ってある
9.小泉首相がサミットの席上で「韓国もG7に入れてはどうだろう」と言った所
「ナイスジョーク」として爆笑されたのは有名な事実
10.フランスの某女優は「韓国人は嘘吐きばかりで嫌いだ」と発言
11.ロシア人ダンサーからは「性奴隷にされて韓国は地獄だった」と苦情
12.スイスでは「韓国人を見たら犯罪者と思え」と報道
13.カンボジア、韓国人男性との結婚を禁止
14.EUからは「韓国は世界最大の偽造品輸出国」と批判

109 :世界@名無史さん:2013/11/14(木) 07:19:25.14 0.net
此処で嫌韓語るなら、ライダイハンとか、フォンニィ•フォンニャットの虐殺とかを出さないとねー

110 :世界@名無史さん:2013/11/14(木) 10:21:17.88 0.net
明らかに中国人っぽいヤンウェンリーと、
ベトナム人っぽいグエンバンヒューの扱いの差を考えればな。
戦闘だけには強い猪武者みたいな書かれ方だし。

111 :世界@名無史さん:2013/11/14(木) 11:11:47.80 0.net
>>110
建国の父の一人、グエン・キム・ホアがいるじゃないか
アーレ・ハイネセン死後に殖民船団を率いるリーダーになった

112 :世界@名無史さん:2013/11/14(木) 17:42:48.18 0.net
ゲリラ戦はベトナムの基本的戦略かねぇ?

113 :世界@名無史さん:2013/11/14(木) 22:00:06.77 i.net
正規軍の戦い方も中国側から見たらゲリラっぽいから
戦略的な目的で、わざわざ不正規軍として戦ったりはしてなくない?

114 :世界@名無史さん:2013/11/16(土) 00:26:06.66 0.net
成る程、正規軍もゲリラ戦的な戦い方をしているのかな

115 :世界@名無史さん:2013/11/16(土) 02:54:52.63 0.net
ラオスとチャンパとの戦いではゲリラ的な戦いじゃない
阮朝だけどタイやフランスとの戦争でもゲリラな戦いはしていなかった

116 :世界@名無史さん:2013/11/16(土) 04:32:19.37 0.net
田中芳樹が好きじゃないのはモンゴルであってベトナムではない

117 :世界@名無史さん:2013/11/18(月) 05:57:56.80 0.net
田中芳樹はハンガリーとイランとイギリスも好き

118 :世界@名無史さん:2013/11/21(木) 12:32:06.08 0.net
田中芳樹ってサヨク?

119 :世界@名無史さん:2013/11/21(木) 17:07:40.14 0.net
中国の右派

120 :世界@名無史さん:2013/11/21(木) 17:21:58.67 0.net
越は西のタイ民族を蛮族視したが
南のチャンパに対しては対等に見ていたと言う
見ざるを得なかった

121 :世界@名無史さん:2013/11/21(木) 21:34:32.04 0.net
ということは、ベトナム史を見るにはチャンパとタイ民族に対しても目を向けないといけないのか

黎利の時代はどんな関係だったのだろうか?

122 :世界@名無史さん:2013/11/22(金) 10:32:15.55 0.net
上にも書いてあるが
明との戦い中ラーンサーンが寝返って負けた事があったと言うが
土下座外交行ってラーンサーンの援助に多いに頼っていたが
蛮族に頭下げていたなんて事実は隠されたとも言う

123 :世界@名無史さん:2013/11/22(金) 18:09:53.09 0.net
ラーンサーンやアユタヤも越を蛮族していた可能性

124 :世界@名無史さん:2013/11/22(金) 20:26:50.02 0.net
確かに、初期の黎利軍はランサーンの援助無しにはきつそうだよなぁ

125 :世界@名無史さん:2013/12/02(月) 12:45:33.06 0.net
唐代末期だったと思いますが唐の南西に大礼帝国(または大禮?)いうのがあったそうですがベトナム発祥の王朝ですか?

126 :世界@名無史さん:2013/12/02(月) 14:53:35.70 0.net
大礼国は南詔の別称、ゆえに雲南発祥で支配層はチベット・ビルマ語族

127 :世界@名無史さん:2013/12/02(月) 21:46:55.11 0.net
雲南って京族いませんでしたっけ?

128 :世界@名無史さん:2013/12/03(火) 00:38:38.13 0.net
>>116
中国に帰化したモンゴル民族の裏切り者というべきウランフを、
名将のように記しているんだけどな。
いや田中の評価基準だと、偉大なる中国に尽くしたモンゴル人を優遇するのは当然か。

129 :世界@名無史さん:2013/12/08(日) 15:59:34.71 0.net
>>128
実はウランフはトルコ系かもしれんで

130 :世界@名無史さん:2013/12/08(日) 20:06:20.28 0.net
そして田中はドイツにそう興味があるわけではなかった

131 :世界@名無史さん:2013/12/09(月) 12:04:50.76 0.net
ベトナムはどうやってチンギスハンのモンゴル軍を退けたんですか?
日本やインドネシアのように海が障害になっている訳でもないしベトナムってそう強そうな感じしないんだけど

132 :世界@名無史さん:2013/12/09(月) 12:42:13.84 0.net
>>131
デルタ地帯

133 :世界@名無史さん:2013/12/09(月) 14:21:25.76 0.net
デルタ地帯と密林
騎馬の機動力を裂く地形だった

134 :世界@名無史さん:2013/12/09(月) 21:10:39.63 i.net
藤花江とか、中華は学習してるけどモンゴルは学習不足な感じ

135 :世界@名無史さん:2013/12/15(日) 20:47:17.00 0.net
>>124
そうだラオ族が歴史上で果たした役割はもっとよく見られなくてはいけない
ベトナムの西進を阻んだのもラオ族だ
絶好調時のタウングー朝のバインナウンを初めて負かしたのもラオ族だ

136 :世界@名無史さん:2013/12/15(日) 21:52:09.90 0.net
どうも中国だと実態はともかく国名が変わったかどうかが重要らしい

137 :世界@名無史さん:2013/12/15(日) 21:57:34.10 0.net
中国の冊封体制は、実利の部分もあるが、面子の部分もあるから、
国名にもこだわるのかな。

こういう裏表のある体制を西欧史学流に用語や制度理解をするのは
なかなか難しい。。。。

138 :136:2013/12/15(日) 22:57:28.15 0.net
ごめん誤爆した。

139 :世界@名無史さん:2013/12/17(火) 04:06:46.53 0.net
>>131
基本的にずーっと逃げ回っていた。
で、ここぞというときに反撃してそれが成功した。

140 :世界@名無史さん:2013/12/17(火) 20:39:19.37 0.net
インドシナ戦争みたい

141 :世界@名無史さん:2013/12/17(火) 20:59:58.42 0.net
戦力が上の相手とのただしい戦い方だ

142 :世界@名無史さん:2013/12/19(木) 20:52:07.77 0.net
最後は清に亡命したと言う黎朝の皇族だが
子孫は今でもいるんだろうか
ハプロタイプ調べれば
黎利のハプロタイプも知れるかもしれん

143 :世界@名無史さん:2013/12/24(火) 23:11:03.50 0.net
歴史的に、ベトナムは戦力が上の相手とばかり戦っているのは気のせいだろうか?
このスレの黎利然り、陳興道然り、胡志明然り、皆不利な状況から工夫して勝利している気がする

144 :世界@名無史さん:2013/12/25(水) 00:12:56.65 0.net
珍しくも胡の時は
北の国との関係が良好だった

145 :世界@名無史さん:2013/12/25(水) 00:29:42.19 0.net
漢民族と争う事が多いから

146 :世界@名無史さん:2013/12/26(木) 21:36:27.87 0.net
ただし胡の死後に中国と関係悪化、と

147 :世界@名無史さん:2013/12/26(木) 22:26:24.91 0.net
あまり注目されていないが
タイとも関係が悪化している

148 :世界@名無史さん:2013/12/28(土) 02:33:57.62 0.net
五代十国のビンや南漢が残っていたら、
それもベトナムみたいに中国とは別の民族の国家とみなされていただろうか。
王は中国人だが、それは李朝陳朝と同じだし。

149 :世界@名無史さん:2013/12/28(土) 09:36:32.64 0.net
李朝陳朝の王は中国人だったのか?李朝陳朝は「ベトナム民族王朝」と理解していた。

150 :世界@名無史さん:2013/12/28(土) 11:44:07.09 O.net
>>149
少なくとも先祖は。
ベトナム人は皆最初から中国風の名前だから
中国系かベトナム系かわかりにくいが。

151 :世界@名無史さん:2013/12/28(土) 20:08:38.06 0.net
ベトナム人独特の名字って何だろうか?

152 :世界@名無史さん:2013/12/30(月) 11:29:58.37 O.net
>>151
見当たらないな

153 :世界@名無史さん:2013/12/30(月) 17:18:41.64 O.net
南方民族の中でベトナムが独立したのも、
ベトナム以外が独立できなかったのも
偶然の賜物

ただ、Wikipedia見たら、
李朝の前の丁朝では「大瞿越」と名乗っていたらしい
“瞿”はベトナム語らしい

154 :世界@名無史さん:2013/12/30(月) 19:44:24.88 0.net
クメール民族はどうだったのだろうか?
確かクメール王朝は巨大な王朝だったよな?

155 :世界@名無史さん:2013/12/31(火) 20:43:52.31 0.net
最後はタイとベトナムの植民地になっていた

156 :世界@名無史さん:2013/12/31(火) 21:59:48.14 0.net
ラオスのベトナム感情の如何

157 :世界@名無史さん:2013/12/31(火) 23:04:47.97 0.net
唐の時代に、
蜀や福建には大量の漢民族が流入したらしいから、
それでベトナムとはちがうようになったか?

158 :世界@名無史さん:2014/01/01(水) 11:49:39.80 O.net
ミャオ族の国家が欲しかった

159 :世界@名無史さん:2014/01/01(水) 20:34:20.35 0.net
雲南も独立していてもおかしくなかった

160 :世界@名無史さん:2014/01/01(水) 21:42:06.80 O.net
>>159
ベトナムよりずっと先に自前の国家があっただけに残念。
ベトナムと違い、
民族的に多様過ぎてまとまりきれ無かったか?
で、元と明に屈服したと。

161 :世界@名無史さん:2014/01/03(金) 02:07:11.29 O.net
>>158
初期の楚とか

162 :世界@名無史さん:2014/01/06(月) 22:18:58.74 0.net
>>160
銀と茶があったのが致命的だったんじゃないかな
中華がどうしても欲しいものだから
イラクは石油が有ったから人道を名目に攻撃されたけど
もっとひどい体制の北朝鮮は何の資源も無いから攻撃されないし

163 :世界@名無史さん:2014/01/06(月) 22:58:19.77 O.net
>>162
変に交通の要所だったのも悪かった。
で、皮肉にも今は辺境に。

164 :世界@名無史さん:2014/01/08(水) 19:55:24.79 0.net
朝鮮と言いベトナムと言い、
柵封国は王の衣装や王宮が完全に中国風になるのがいただけないな。
日本だったら(もとは中国伝来とはいえ)アレンジが進むんだが。

165 :世界@名無史さん:2014/01/08(水) 20:20:30.05 0.net
柵封国は継続的に使節往来やらでむこうの朝廷と接するからどうしてもな
菅原道真以降の日本は、清盛・時宗・義満・秀吉のときにちょこっと接点もった程度だ

166 :世界@名無史さん:2014/01/08(水) 20:47:46.58 0.net
アオザイとかを見るに、
ベトナムは朝鮮よりさらに中国に近い気がする。
「どーせうちらは属国だから」という朝鮮と違い、
ベトナムは「東南アジアにおける中華帝国」を目指していたからこそ、
余計に中国らしくあるようにしたのかも。

167 :世界@名無史さん:2014/01/09(木) 17:05:26.46 0.net
>>143
チャンパをはじめ、ラオスやカンボジアとかとも戦争してる。

168 :世界@名無史さん:2014/01/09(木) 19:15:15.54 O.net
>>166
よりによって、満州族の服をコピーするとはなんか皮肉やな

169 :世界@名無史さん:2014/01/14(火) 21:39:27.01 0.net
成るほど、ベトナムは日本と同じく独自の中華秩序を築き上げようとした、って考えられるということ?
東アジアで、中国とはまた違った支配体制を作ろうとした日本と、東南アジアで違った支配体制を作ろうとしたベトナム、っていう対比はどうだろうか?

170 :世界@名無史さん:2014/01/14(火) 22:36:23.16 O.net
>>169
日本だって、唐風文化を本格的に取り入れた時は
蝦夷を中国での北方民族になぞらえてたな。

171 :世界@名無史さん:2014/02/05(水) 00:14:10.95 0.net
後期黎朝の発足時、阮淦が黎寧を見つけだし、ラオスで擁立したのか。
それとも鄭惟悛らが黎寧を擁立し、阮淦が合流したのか、どっち?
その証拠となる書物も教えてくれると助かる

172 :世界@名無史さん:2014/02/06(木) 23:11:48.39 0.net
なぜ数ある南方民族のうち
ベトナムだけが自前の国家を築けたのかというのは結構不思議

173 :世界@名無史さん:2014/02/11(火) 15:29:47.06 0.net
クメール民族はどうなん?

174 :世界@名無史さん:2014/02/11(火) 17:57:01.91 0.net
現中国領内にいた南方民族って意味なのでは
だいぶ遅くなってからだが、タイ族/ラーオ族やビルマ族は南進してうまくいったな

175 :世界@名無史さん:2014/03/20(木) 22:45:37.10 0.net
台湾も別国家だが、
アレは単なる中国人同士の仲間割れだしな。
ビン南人の国家とかですらない。

176 :世界@名無史さん:2014/03/30(日) 16:17:54.26 0.net
南詔や大理という独立国のあった雲南が中国に併合されてしまったのに、
長年、中国王朝の直轄地だった北部ヴェトナムが独立できたのは興味深い。

177 :世界@名無史さん:2014/04/10(木) 22:17:16.06 0.net
ベトナム人に固有名は残っているのだろうか?
中国人とは明確に別民族であるにもかかわらず、
歴史に初めて出てきた時点ですでに
「呉氏」とかそんな感じだから、
独自性がイマイチ分かりにくい

178 :世界@名無史さん:2014/04/20(日) 13:50:14.38 0.net
チベットやウイグルよりも
よほど中国領になっていてもおかしくない地域

179 :世界@名無史さん:2014/04/20(日) 16:11:22.23 0.net
2千年前の独立運動の英雄だったチュン(徴)姉妹の時点で、
既に徴側・徴弐だからな。
固有名なんて、かなり早い時点で失われてそうだな。

その頃は朝鮮半島ですら、固有名だったのに。

180 :世界@名無史さん:2014/04/20(日) 17:05:39.37 0.net
俺は固有名詞に無理やり漢字をあてていたと思っていた

181 :世界@名無史さん:2014/04/20(日) 18:57:43.95 0.net
伝承レベルじゃない史料上の人物で一番古いは、前漢・武帝時代に南越国の丞相だった呂嘉かな
南越国自体は始皇帝が派遣した中原人が興した王朝だけど、この丞相は帰順現地民の系譜
国の実質スタートが中原人王朝からとなると、固有文化を後代に残すのはなかなか難しそうだ

182 :世界@名無史さん:2014/04/20(日) 18:58:37.62 0.net
ちなみにベトナム人の姓、人数順トップ15
No.1 阮 ・・・以下、陳 黎 範 黄 潘 武 ケ 裴 杜 胡 呉 楊 李 金

183 :世界@名無史さん:2014/04/20(日) 22:34:07.41 0.net
>>181
南越国ってベトナムか?
>>182
範じゃなくて范じゃね

184 :世界@名無史さん:2014/04/20(日) 23:32:45.90 0.net
>>183
4分の3くらいは今の広東省と広西壮族自治区で、南西側の領土がベトナム北部(交趾郡と九真郡)
とはいえ、ベトナム(というか主民族のキン族)の歴史は先史時代・伝説時代を除くと南越国から書き起こすのが普通
首都も広州だしベトナムとイコールだとは到底いえないが、後に続く彼らの歴史がそこから始まってるということなんでしょう

185 :世界@名無史さん:2014/04/22(火) 05:54:40.84 0.net
>>179
百済はともかく今の韓民族に繋がる新羅は既に漢名だったと思う。

186 :世界@名無史さん:2014/04/22(火) 12:42:22.82 O.net
いや、新羅の人名や官職名は独自名じゃなかったか?
朝鮮もベトナムも、
むしろ中国(唐や南漢)から独立した後で
何でも積極的に中国風に変更している。

187 :世界@名無史さん:2014/04/22(火) 14:00:06.32 0.net
>>183
范だろうね、俺が参照したのではなぜか異体字の範のほうで記載されてたけど

188 :世界@名無史さん:2014/04/22(火) 19:42:35.43 O.net
日本が明治期に西洋に対抗するために西洋化したのと似てる

189 :世界@名無史さん:2014/04/23(水) 02:01:46.30 0.net
白村江の時の新羅の名前を見ると中国っぽいが

190 :世界@名無史さん:2014/04/28(月) 23:20:54.35 0.net
>>184
どうも唐時代に大規模な移民が行われるまで、
福建も異民族が多数だったようで。
広東、広西はもっとだったでしょう。
そのころまではベトナムとあまり条件は変わらなかったのかも。
庶民の言葉なんか中国語と全く違う言葉だったかも。

191 :世界@名無史さん:2014/05/02(金) 09:24:38.90 0.net
『大越史記全書』では、干支―自国年号の順でしるされ、さらにその下に割注の形で中国年号が挿入される。
『大南寔録前編』では年号が干支のほかに越・中二つの元号が併記されている。
またどちらもが、中国皇帝を「皇帝」「帝」と書く一方で、自国ベトナムの君主も「皇帝」「帝」あるいは「上」と記す。
どちらもが「勅」や「詔」や「諭」を発する。
そしてベトナムの皇帝は中国皇帝とおなじく、「朕」と称する。
これだけで、ベトナムが冊封体制を便法としか見ていなかったことがわかる。

さらにいえば、冊封体制を成り立たせている伝統中国(王朝時代中国)の華夷思想(いわゆる中華思想)をすら、認めていないことがわかる。
冊封体制もしくは華夷思想においては、皇帝とは中国(=天下宇宙の中心の意)にただ一人しかいないからである。二人いたら世界が崩壊してしまう。
このことについては、ベトナムとならんで伝統中国の代表的な三属国とされる朝鮮と琉球は律儀にこの建前を守った。
彼等は冊封されたとおりに「王」を名乗りそれを国内でも通した。
それをベトナムは、中国に対してのみ王として臣下の礼を取ったが、国内およびその他の国(東南アジア諸国)に対しては、「皇帝」としてふるまった。

192 :世界@名無史さん:2014/05/02(金) 10:07:58.51 O.net
中国の真似して皇帝名乗りたがるのは
別に不思議でもなんでもない

193 :世界@名無史さん:2014/05/06(火) 10:20:28.82 0.net
オーストロアジア語族の国はレアキャラ

194 :世界@名無史さん:2014/05/06(火) 16:50:54.57 O.net
>>193
カンボジアもあるから大してレアでもない

195 :世界@名無史さん:2014/05/06(火) 17:24:10.21 0.net
前近代における中国との外交上の距離感の大きさは、

日本>>>越南>>琉球>>朝鮮 

くらいの感じだったのかな。

196 :世界@名無史さん:2014/05/09(金) 22:06:49.02 0.net
事実上独立していると言う
ワ州独立軍が治めている
ワ族もオーストロアジア語族

197 :世界@名無史さん:2014/05/10(土) 09:23:15.58 0.net
ミャンマー少数民族を敵に回し過ぎィ

カレン解放軍 (KLA)
カレン民族連合解放戦線 (KPULF)
カヤー新国土革命評議会 (KNLRC)
ワ軍マハ派
モン解放戦線 (MLF)
民族民主戦線 (NDF)
ビルマ連邦国民連合政府 (CNGUB)
パーオ・シャン州独立党 (PSSIP)
パウラン国家革命軍 (PSLO)
シャン国革命軍 (SURA)
シャン国軍 (SUA)
パーオ連合組織 (UPO)

198 :世界@名無史さん:2014/05/13(火) 19:02:39.53 0.net
フランスが来なければ
カンボジアと言う国は
全てベトナム領になっていたかもしれない

199 :世界@名無史さん:2014/05/17(土) 02:55:10.46 0.net
いや、タイ領だろ。

200 :世界@名無史さん:2014/05/31(土) 10:04:47.44 0.net
>>191
でも日本も独自年号を持って天皇を名乗っていたけど
それもあくまで「中華文明圏」内での自立だけどね。
律義にずっと中国の古典から年号を引っ張っている
ベトナムは知らんが

201 :世界@名無史さん:2014/05/31(土) 11:49:58.41 0.net
>>200
漢字を使い続けてる以上、「中華文明圏」だわなw

202 :世界@名無史さん:2014/05/31(土) 13:20:17.71 0.net
>>200
ほれ、越南の元号だ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7%E4%B8%80%E8%A6%A7_%28%E3%83%99%E3%83%88%E3%83%8A%E3%83%A0%29

203 :世界@名無史さん:2014/07/03(木) 12:13:25.20 O.net
台湾にもベトナムみたいに中国の影響があれば
それをもとに文明化できたかな

204 :世界@名無史さん:2014/07/03(木) 18:53:09.80 0.net
台湾って福建省の真向かいで、琉球や日本よりずっと本土に近いのに、
なんで中国文明が伝わらなかったんだろう?

205 :世界@名無史さん:2014/07/03(木) 21:41:58.07 0.net
南方に拠点を置いた王朝とか、
でかい個人向けの別荘でもかまわんから作ってくれたらな。
そしたらそれがスプリトみたいに原住民に使用されて、
都市に発展して・・・みたいな。

206 :世界@名無史さん:2014/07/03(木) 22:20:38.52 0.net
泉州みたいに、わりと早くから栄えてた港湾都市が対岸にあるんだがなぁ
ま、150Km以上の海峡ってのはハードルとしては結構高いけど・・・香辛料とか目ぼしい特産品がありゃのう

207 :世界@名無史さん:2014/07/04(金) 18:37:23.79 0.net
琉球土人と高砂族、どこで差がついた?

208 :世界@名無史さん:2014/07/04(金) 21:22:49.63 0.net
琉球人は中世(グスク時代)に南九州から来た日本人が主体のようです。
遺骨が全く変わるし、現に琉球語も日本語族。
つまり、残念ながらそこで断絶している。

209 :世界@名無史さん:2014/07/04(金) 23:34:51.26 0.net
琉球王は源為朝の子孫なるぞ

これは伝説としても、日本本土と琉球諸島のヒトとモノの往来を物語るのではないか

210 :世界@名無史さん:2014/07/04(金) 23:41:56.45 0.net
平家の落ち武者説とかなかったっけ?

211 :世界@名無史さん:2014/07/04(金) 23:55:41.25 0.net
確たる証拠は全くないが、沖縄の平良(たいら)姓は平家末裔とかなんとか

212 :世界@名無史さん:2014/07/05(土) 01:13:25.83 0.net
宮古島には、良懐親王を祀っている地域があるらしいから、
南北朝時代にも南朝勢力の残党が流れてきてそう

213 :世界@名無史さん:2014/07/05(土) 08:40:41.77 O.net
グスク時代より前は
八重山だけはオーストロネシア系の言語、
他は先住民語(縄文語?)と推測されてます

214 :世界@名無史さん:2014/07/05(土) 19:02:47.79 0.net
モノだけで言語をかたってもねえ

215 :世界@名無史さん:2014/07/05(土) 21:19:25.40 0.net
オーストロネシア系の台湾先住民に特徴的なYハプロタイプがO1a
沖縄全体じゃ1.2%しかなくて日本の平均より少ないみたいだけど、八重山限定だとグンと比率が上がるの?

216 :世界@名無史さん:2014/07/05(土) 21:37:21.67 O.net
>>215
いや多分先グスク時代

217 :世界@名無史さん:2014/07/05(土) 23:16:34.41 0.net
いや、土器です判断してるんだろ
沖縄本土とかは縄文土器だが八重山はポリネシア土器だろ

218 :世界@名無史さん:2014/07/05(土) 23:30:56.60 0.net
つまりオーストロネシア系の先住民はほぼ全滅、または元々血統をろくに残せないほどの少数しかいなくて、
グスク時代かそのちょい前に沖縄本島から縄文系の人々が移住してきたのだ、というお話と理解してよい?

219 :世界@名無史さん:2014/07/06(日) 00:09:39.79 0.net
いや

・先グスク時代:
 八重山はオーストロネシア系文化、沖縄本土などは縄文系

・グスク時代以降:
 ともに日本人(新モンゴロイド)に取って代わられる

220 :世界@名無史さん:2014/10/21(火) 12:41:40.17 0.net
>>200
意味わからない
現在の全ての独立国は欧米文化圏での自立か?

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