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正史『三国志』 二十九巻

1 :世界@名無史さん:2013/11/17(日) 12:47:03.44 O.net
前スレ
正史『三国志』 二十八巻
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1348822974/

2 :世界@名無史さん:2013/11/17(日) 20:46:21.57 0.net
孟徳新書って接要の事だろうか

3 :世界@名無史さん:2013/11/17(日) 21:01:29.18 0.net
>>2
接要は文字通り総集編だから「新」書じゃないっしょ
孟徳新書ではなく「新書」という書籍を著したってことは他の文献に載ってる

ただ全然普及しなかったし、後世の人は難し過ぎワロタwwwって言ってる難解な代物で
演義に出てくるような一回読んで張松が理解し、過去の偉人のツギハギというような簡単な本ではないらしい

4 :世界@名無史さん:2013/11/18(月) 02:26:08.40 0.net
丙子太歳郭嘉大将軍なる神様がいた、関羽に次ぐと思う
http://www.lan27.com/Article/200802/5542.htm

5 :世界@名無史さん:2013/11/19(火) 10:50:13.26 0.net
王沈の魏書に「曹操様は自ら兵法書を著し、諸将はみな『新書』を携えその規範通りに指揮を執った」
とあるのが大本なのかも。

6 :世界@名無史さん:2013/11/21(木) 07:46:16.64 0.net
漢代と三国志時代を分けるものはやはり仏教だと思う

7 :世界@名無史さん:2013/11/21(木) 07:47:49.72 0.net
>>3
低次元なレベルでの難しさだろ

8 :世界@名無史さん:2013/11/21(木) 19:25:05.91 0.net
>>6
後漢時代に経典翻訳始まってるし信者も三国時代では少ないと見ていいだろう
孫権にしてもそこまで導入したか微妙
東晋ならわかるが
まだ道教のほうがこれも漢代とはいえ、張魯や張角のことを考えても分けられると思う

9 :世界@名無史さん:2013/11/21(木) 22:20:21.91 0.net
>>8
三国志読むと数千から万に届きそうな信者を獲得しているのがわかる
寺院も大きく改築をなんども繰り返しているし新興カルトとしては相当な規模になってるよ
道教ほどではないけどもな

10 :世界@名無史さん:2013/11/22(金) 01:24:22.88 0.net
>>9
場所からすると後漢の明帝の弟の時の信者がそのまま続けたんじゃないの?

11 :世界@名無史さん:2013/11/22(金) 12:33:15.93 0.net
道教はあくまで民間だ、それに対して当時の有力階層は何をベースにしているのかが問題だ
私はそれが仏教だと思う曹操や孫権、その他も何らかの形で自己の行動基盤としたんじゃないと思うんだが
記録には残ってないけど、魏や呉にはどことなく仏教の匂いがするんだ

そして劉備が信奉してたのは中国の神話

12 :世界@名無史さん:2013/11/22(金) 21:11:31.68 0.net
三戦に立ててやれよ
向こう過疎ってるし

13 :世界@名無史さん:2013/11/23(土) 01:10:27.37 0.net
>>11
記録も何もそりゃ後漢書見れば仏教が来ていることわかるし
洛陽には胡人が来ているし、後世の仏図澄もきているしな
だが曹操に関しちゃどうみても議郎にいたことからも儒教だし
孫権は高僧伝読めばわかるがたしかに受容はしているが
積極的に信者になったけでもない
>当時の有力階層は何をベースにしているのかが
儒教ですはい終了

14 :世界@名無史さん:2013/11/23(土) 05:05:42.92 0.net
金神が12体鋳造されて董卓が鋳つぶしたんだっけ

15 :世界@名無史さん:2013/11/23(土) 06:46:47.66 0.net
>>13
儒教だったら漢だってそうなわけで区別ができないじゃん
いや、でも漢代は黄老だっけ、だとするなら三国志時代は儒教文化が
花開いた時代だとみていいのか、確かに魏呉は儒教の匂いもするな
とすると晋、南朝も儒教時代でいいのか、儒教を軽視してたっていうけど
それは見せかけだけだな

16 :世界@名無史さん:2013/11/23(土) 06:50:23.17 0.net
ヨーロッパはギリシャ神話時代→キリスト教時代
中国は漢代、(蜀漢まで含むかも)まで神話時代三国志以降儒教時代か

17 :世界@名無史さん:2013/11/23(土) 06:50:45.30 0.net
前提となる知識が偏りすぎててめんどくせえ

18 :世界@名無史さん:2013/11/23(土) 12:09:45.21 0.net
>>16
アフォ

ギリシア神話はギリシアの神話だ
ローマ神話、ガリア神話、ケルト神話色々あるわい

19 :世界@名無史さん:2013/11/23(土) 12:10:51.08 0.net
>>16
戦国時代には普通に三帝に託けた説得術が行われているので
もう既に神話時代ではなく儒教がそれなりに蔓延ってる

20 :世界@名無史さん:2013/11/23(土) 12:18:54.39 0.net
>>16
>中国は漢代、(蜀漢まで含むかも)まで神話時代
どんな脳内説だよw

21 :世界@名無史さん:2013/11/23(土) 12:21:12.17 0.net
>>15
前漢(西漢)と後漢(東漢)をいっしょにするなボケ
竹林の七賢も調べろ
梁の武帝でググレアホ

22 :世界@名無史さん:2013/11/23(土) 16:28:35.73 0.net
>>18
ローマは名前が違うだけでは・・・ケルトガリアはキリスト教に吸収されてるし
>>19
それでも神々の存在が濃厚だったんだよ、漢代まで
>>20
蜀と魏呉はイデオロギー的にも対立していたということを強調したかったのさ
>>21
一緒でいいよ、後漢代は仏教の香りもするだけさ
七賢は儒教と仏教の混交ってことで
梁の武帝を支えていたのは儒教を信奉していたものたちだよ
梁の武帝自身も本質はそれでそれを達磨に見抜かれたんじゃないかな

23 :世界@名無史さん:2013/11/23(土) 17:11:35.90 0.net
>>22
ローマは名前違うだけ?ふざけてんのか?
後から発達したローマがギリシア神話と関係させただけで
ローマとギリシアの神話は別物だ」

それでも神々の存在が濃厚?
あのさあ、だからってそれが国家的な信仰になってるかってのは別だろうが
てかそんなこと言ったら儒教が最強になった後だって民間信仰あるから
神々の存在は濃厚だっての
お前の分類は自分に都合のいいこと言ってるだけだ

>蜀と魏呉はイデオロギー的にも対立していたということを強調したかったのさ
一緒
全部「漢の正当性を自分が受け継いでる」って主張しており
イデオロギー完全に一致してる

24 :世界@名無史さん:2013/11/23(土) 17:22:46.20 0.net
三国時代が儒教文化の花開いた時期ってのは間違い

それなら前漢最盛期の国教化の時点から数えるべき
文化の爛熟で言えば200年間儒教国家やってた後漢は確かに儒教文化の花開いた時期になるが
三国時代はむしろ儒教が廃れ気味な時代だった

儒教の音楽はなくなりかけて杜キによって復古されたが
杜キは他の音楽家に対して俗な音楽ばかりやってないで古い物を学べと叱ってたりするほど
魏晋は総体的に退廃、俗化の時期で儒教文化の隆盛とは程遠い

25 :世界@名無史さん:2013/11/23(土) 17:40:40.11 0.net
>>22
>七賢は儒教と仏教の混交ってことで
どこに仏教の思想があるんだ…
老荘思想だろ…

26 :世界@名無史さん:2013/11/23(土) 17:54:40.87 0.net
>いや、でも漢代は黄老だっけ

すげぇなぁ
法家と道家の鬼っ子が時代の主流扱いかー

27 :世界@名無史さん:2013/11/24(日) 15:15:42.19 0.net
>>23
ローマ神話って具体的に何?
神々は後漢以降は死んだよ、残ったのは道教の神だけだ
魏呉のイデオロギーが儒教に無いというなら後漢、三国・晋、五胡を分けるものは何だ?
これらの時代を区分するものを具体的にあげてみろよ
>>25
七賢は維摩詰と結び付けられたりしている

28 :世界@名無史さん:2013/11/24(日) 15:35:31.11 0.net
素朴な疑問なんだが、なんでイデオロギーで時代区分しようとしてるん?
普通は政権担当一族か史書で区分して、他にやるとしたら経済的観点とかだと思うんだけど
思想で区分しようとしているには、当時の思想を整理しきれてないようだし
一体何がしたいん?

29 :世界@名無史さん:2013/11/24(日) 15:54:10.89 0.net
県令クラスの人事って誰が決めるの?
太守?刺史?朝廷?

30 :世界@名無史さん:2013/11/24(日) 18:48:55.62 0.net
光武帝から霊帝の頃までは郡の太守・丞、県の令・長・丞・尉は天子が任命することになってた

31 :世界@名無史さん:2013/11/24(日) 19:55:40.81 0.net
ありがとうマジか...
中国の県って千以上あるよね
それだけで三千以上も朝廷で選んでたのか

32 :世界@名無史さん:2013/11/25(月) 00:21:09.11 0.net
>>27
七賢が仏教と関連するのって晋の後の時代や〜

33 :世界@名無史さん:2013/11/25(月) 00:29:53.00 0.net
>>27
ローマって建国神話からしてギリシアとまるで違うんだが
ロムルスとレムスの物語からローマは始まる

対応関係になるようにローマ側が設定を作ったけど元は全く別物

34 :世界@名無史さん:2013/11/25(月) 00:34:23.96 0.net
ユピテルとゼウス、ユノーとヘラみたいな関係ってヤツ?

35 :世界@名無史さん:2013/11/25(月) 00:48:10.54 0.net
漢というイデオロギーと儒教は別に対立しない
つうかなんで人間が後付けで考えた時代区分がイデオロギーの区分になつわてるとおもいこんでるんだよ
馬鹿っていうのはすげえな
簡単に思考が倒錯する

36 :世界@名無史さん:2013/11/25(月) 01:18:19.04 0.net
王政ローマって実在したの?

37 :世界@名無史さん:2013/11/25(月) 01:19:36.39 0.net
実在してない根拠ってあんの?

38 :世界@名無史さん:2013/11/25(月) 01:23:13.94 0.net
ロムルスとレムスの実在を疑う、歴代王の存在が史実であるかどうかを疑う
というのはまだ理解できるんだが王政ローマそのものの存在まで疑うというのはさすがにさすがに

39 :世界@名無史さん:2013/11/25(月) 03:17:14.04 0.net
京極夏彦の姑獲鳥の夏に出てきた徳川家康の実在と妖怪の実在みたいな話になってきた

40 :世界@名無史さん:2013/11/25(月) 12:15:44.00 0.net
王政ローマ=夏王朝=邪馬台国

41 :世界@名無史さん:2013/11/25(月) 15:49:28.35 0.net
牧って州長官だけど、その下の郡太守を配下にしているわけでは無いの?

42 :世界@名無史さん:2013/11/25(月) 21:33:41.33 0.net
州牧が郡を直接的に支配してたのか、行政実務を担当する太守を指揮監督する立場にあったのかは
刺史の「行政官化」論とかとも絡むめんどくさい問題ではある
あと>>30の話で全部の県令らを天子が任命したわけでもなくて
郡太守が任命する令がいて守令と呼ばれてた

43 :27:2013/11/27(水) 16:41:11.14 0.net
ロムルスとレムスは歴史であって神話じゃないだろ
馬鹿ってすごいな、こんなことも分かんないのか
大体何で俺がこんなに叩かれなきゃならんのだ?
>>28
その区分は誰が決めたんだ、その主張に科学的根拠は?
俺がイデオロギーというか思想で区分するのはそのほうが分かりやすくなるからだよ
他の地域もこの区分は可能だ、欧州世界ギリシャ神話からキリスト教(あくまでギリシャ神話
何故ならローマに神話なんてないから笑)
中東は多神教からゾロアスターもはさんでイスラム教時代
そもそも俺は最初に行ったよな中国は思想面からすると分かりにくいと
だから俺は仏教だの儒教だの色々持ち出しているだろ
それをことごとく突っぱねやがって
だったらお前らが区分して見ろよ、ほんと2ちゃんねらーを相手にするのは疲れるな

44 :世界@名無史さん:2013/11/27(水) 17:06:40.87 0.net
>>ロムルスとレムスは歴史であって神話じゃないだろ




ええっ!?

45 :世界@名無史さん:2013/11/27(水) 17:30:02.14 0.net
自分が分かりやすくしたいがためだけに既存の時代区分に無理矢理当てはめず
最初からイデオロギーだけで区分すればいい
やってることが倒錯してると自覚してないのか

46 :世界@名無史さん:2013/11/27(水) 19:14:43.20 0.net
中国思想史とアマゾンで検索して
本でも買え

47 :世界@名無史さん:2013/11/27(水) 19:28:29.02 0.net
>>41
後漢の中央政府が機能してた頃は違う。
州牧は太守の監督役でどちらも皇帝の直参。

48 :世界@名無史さん:2013/11/27(水) 21:27:38.99 0.net
分かりやすくなるどころか、判然としないじゃないか
むしろ王朝ごとに区分されてるんだから分かりやすく、それ以上ない区分だと思うのだが
思想の流れがわかりにくいから、分かりにくいそれで区分しろって無茶じゃないか

49 :世界@名無史さん:2013/11/28(木) 23:58:44.29 0.net
思想といっても
後漢時代に神が死んだがどうのこうの意味不明だからな
中国宗教史読んでも理解不能だわ

50 :世界@名無史さん:2013/11/29(金) 00:02:26.31 0.net
後漢から三国は有力な時代区分で言えば古代から中世への移行期間だから
その古代末期に普及し始めた仏教や初期道教に触れるのはありだと思うが…

51 :世界@名無史さん:2013/11/29(金) 04:37:47.54 0.net
ローマでも国教化するまで多神教とキリスト教とマニ教みたいな東方由来の宗教と
ギリシャ哲学とそれを多少ローマ化したものやピタゴラスや新プラトン主義みたいな神秘主義があって
多神教の祭祀の形態も一定していないのに
なぜこう一つの時代が一つの思想だけで塗り込められ手々当たり前だと思ってるんたろ

52 :世界@名無史さん:2013/11/29(金) 12:57:20.09 0.net
ヴァカだから

53 :世界@名無史さん:2013/11/30(土) 16:26:10.68 0.net
漢代まで祀られていた神々のことは呉書を読むとよく出てくる
詳細は不明だがとにかく神々を祀ったと書いてある

ロムルスとレムスはガイアだのゼウスだのに比べれば神話性は低いだろ

>なぜこう一つの時代が一つの思想だけで塗り込められ手々当たり前だと思ってるんたろ
そこら辺はざっくりと見ろよ、大体多神教時代 からキリスト教時代で合ってるだろ

王朝ごとに分けるほうが分かりにくいわ、こんなの中国だけだぞ
あるサイトで中国の文化は五胡で断絶したとあった、
ではその断絶させたものは何だ、ちなみに俺は魏代には断絶したと思ってる
そして俺は漢と魏を断絶させた思想は仏教だと思っている
なぜ老荘ではないかといえば貴んでいたのはどちらも同じだからだ

54 :世界@名無史さん:2013/11/30(土) 16:43:03.34 0.net
神々を祀っだけなら孫呉以降というか現在まであるわ

55 :世界@名無史さん:2013/11/30(土) 16:45:56.78 0.net
>漢と魏を断絶させた思想は仏教
あなたの脳内にしか考えはないようですが根拠は?
後漢時代に仏教がきたのは確かですが…

56 :世界@名無史さん:2013/11/30(土) 16:55:53.37 0.net
民族が変わらない限り文化が滅ぶわけがない

57 :世界@名無史さん:2013/11/30(土) 17:52:57.71 0.net
宗教が文化を断絶させたなんて嘘っぱちだと思ってる
どこの国でも伝わってきた宗教は
その地域の文化と交わってその地域性が出てくる

広範囲で宗教感が統一されてる場合は
常に同じ場所、中央から地方へと聖職者が派遣されて、
なおかつ思想が強制されたり、古い慣習が淘汰された時のみだと思う
そうでなけりゃ箸の上げ方下げ方とかの部分でも地域の伝統は生き残る

そもそもその地域にその宗教を受け入れる文化基盤がない場合は根付かないしな

58 :世界@名無史さん:2013/11/30(土) 18:20:46.90 0.net
自分の頭の悪さに合わせるために無理やり単純化させて別段対立しないものを無理やり対立させてる自覚が無いんだろうか...
思想と宗教がほとんど重なるときもあればそうでない時もあり
時代ごとに断然していたはずだと決めつけてる根拠が「誰かがそう言ってたから」という全く根拠にならないものだとなぜわからないのだろうか

59 :世界@名無史さん:2013/12/01(日) 17:07:16.15 0.net
ハイハイ分かったよもうやめますよ
結局あんた等には時代ごとの文化の違いを論ずるほどの知識も学会とのコネもないんだな
そんな奴らを相手にしてても暖簾に腕押しだったか

時代区分についてだが王朝ごとに分けるだけでなく4つに区分する方法などもあって
まだまだグラつきの多い分野なんだがな、これは本で読んだんだが
秦漢と魏晋南北朝でまとめられてたり唐宋がまとめられたりしてて
その流れに乗るつもりで思想による区分を思いついたんだが
>>57
じゃあローマスレに行って精々キリスト教の擁護でもしてこい
>>58
複雑な事物を単純化して還元するのが学者の使命じゃないのか
>>55
来たのは前漢だよ、根拠はま雰囲気って所かな
魏代にも何点か仏典の翻訳されてるしな

60 :世界@名無史さん:2013/12/01(日) 17:18:07.97 0.net
まだ自分の頭の悪さに気付いてないのか…
馬鹿ってのは怖いな

61 :世界@名無史さん:2013/12/01(日) 17:35:43.21 0.net
素材もろくにないのに印象や空想じゃ区分できないだろという話だ

62 :世界@名無史さん:2013/12/01(日) 17:48:09.31 0.net
歴史を理解するための区分ではなく
理解したつもりになるための区分だな

63 :世界@名無史さん:2013/12/01(日) 18:18:50.87 0.net
よくわからないけど根拠は雰囲気っていう渾身のギャグはスルーしてやるなよ

64 :世界@名無史さん:2013/12/01(日) 19:51:11.39 0.net
孫権に仏教の教えが伝わったり、桓帝のことからしても
仏教が上流にも知られて
初期道教もこの時代に発展してるのは確かだが
劉備がよってるのが神話とか???
魏と漢でそこまでの変化ないもんな…

65 :世界@名無史さん:2013/12/01(日) 21:13:07.68 0.net
学会にコネがあるんならこんな所にいないでそっちで論じてくればいいじゃあないか

66 :世界@名無史さん:2013/12/01(日) 21:24:51.82 0.net
記録には残ってないけど、魏や呉にはどことなく仏教の匂いがするんだ
そして劉備が信奉してたのは中国の神話
来たのは前漢だよ、根拠はま雰囲気って所かな



こんなのが学会に相手されるわけも無いじゃん
出土資料なりがあるならわかるが

67 :世界@名無史さん:2013/12/01(日) 21:30:03.24 0.net
仏教の香りねぇ

呉はまあともかく魏なんて音楽的に美しいからってだけで
曹植が仏教音楽を好んでた以外にまともに仏教関連のことあったっけ?

あ、そういえば北方謙三三国志では曹操が仏教教団をスパイ組織として活躍させてたね
お話だけどさ

68 :世界@名無史さん:2013/12/01(日) 21:43:14.66 0.net
高僧伝によると洛陽に胡人がきて仏教広めてるよ
魏の洛陽の法時が来てる
ただ249ー254年に来たが
仏法はあるが教風はさっぱり振るわず僧侶も剃髪してるだけとも書かれている

逆に言えば僧侶はいたってことでもある

69 :世界@名無史さん:2013/12/01(日) 21:47:12.62 0.net
学会にコネw
スネ夫みたいな奴だな

70 :世界@名無史さん:2013/12/01(日) 22:47:11.76 0.net
一応徐州に仏教徒がいたじゃん
サクユウについていかず南下してないのもいるだろ

71 :世界@名無史さん:2013/12/06(金) 08:09:43.28 0.net
文系の学問なんて雰囲気で決めてるようなもんじゃねえか
仏教についても中世中国を席巻する宗教であるし
上限を上げて魏代からにしてもいいと思うが

芸術面においても書道や絵画など視覚芸術が本格的に始まるのは
このころだけどその功績も仏教に帰してもいいと思うんだが

漢と魏も性格は大分違うよ、前者はほがらかだが後者はギスギスしてる
中世以降の中国の暗さは魏が作ったようなものだと思うけど

72 :世界@名無史さん:2013/12/06(金) 09:04:22.93 0.net
私が仏教にこだわるのは中国は五胡以降残念な社会になっていくわけだが
それを五胡のせいにしたくないのだ、中華の暗黒化は魏の仏教導入から
始まっていたと考えたいのだ、(仏教を否定するわけでなくあまりにも高度な精神に触れたが故によって)

欧州だってキリスト教から暗黒化が始まったというし

73 :世界@名無史さん:2013/12/06(金) 09:13:22.14 0.net
装飾や彫刻も視覚芸術じゃないの?篆刻もアートだし、はるか以前から芸術的じゃん
文芸も後漢のほうが形式的で魏代に花開いたって解釈が普通じゃね

74 :世界@名無史さん:2013/12/06(金) 09:43:50.11 0.net
>上限を上げて魏代からにしてもいいと思うが
>中華の暗黒化は魏の仏教導入から
>始まっていたと考えたいのだ

だから根拠出せよ
後漢時代に経典が訳されてきたが、魏で普及というこんきょがまったくない
呉では孫権が支謙を東宮の教育係にしたことからも
それなりに信者がいたかもしれんが

75 :世界@名無史さん:2013/12/06(金) 12:34:04.23 0.net
本格的の基準が全く意味不明なんだが...
魏と西晋でさえ大分雰囲気は違う
具体的に何を暗さと言ってるのかしかもそれが仏教とどう関係してるのか全く説明が無いんだが
というか魏代に於て書道で名を馳せた人に仏教の形跡なんて全然無いんだけど

76 :世界@名無史さん:2013/12/06(金) 13:10:04.39 0.net
>仏教についても中世中国を席巻する宗教であるし
>上限を上げて魏代からにしてもいいと思うが

上限をあげてって何だよw
それなら後漢からだっていいだろw

>芸術面においても書道や絵画など視覚芸術が本格的に始まるのは
>このころだけどその功績も仏教に帰してもいいと思うんだが

意味不明、後漢時代の書聖と呼ばれた張芝や鐘ヨウに仏教の色なんか皆無
こんなんでいいなら

>芸術面においても書道や絵画など視覚芸術が本格的に始まるのは
>このころだけどその功績も道教に帰してもいいと思うんだが

これでも問題ないなw

77 :世界@名無史さん:2013/12/06(金) 15:10:07.34 0.net
うん、後漢からでも良いよ、仏教化は
道教は当時、征伐される側でしょ、文化の主流ではない
儒教も駄目、道教も駄目というなら仏教しか残ってない
後代のことも考えて仏教化は後漢から始まっていたとしたい
しかし推測でしかない、だから曹植に粘ってもらうしかないのだが…
あと私は張芝や鐘ヨウに仏教の色を見てとることができる、

78 :世界@名無史さん:2013/12/06(金) 15:44:39.45 0.net
違う
道教自体が排他されていたのではなく、権力や贅沢に結びつき過ぎて邪教淫祀と見なされたものが弾圧されただけ
つまりカルトを取り締まってただけの話

つうか魏代から老荘の影響力が強くなって儒教との接近が著しくなっているという極一般的な知識を無視してなぜ無理矢理仏教が絶大な影響を持っていたということにしたがる
しかも具体的に何が仏教の影響なのか全く不明のまま

79 :世界@名無史さん:2013/12/06(金) 15:49:51.85 0.net
真面目に相手したって有意義な話になる訳でもないし
みんなで曹操の墓でも探しに行こうぜ

80 :世界@名無史さん:2013/12/06(金) 16:08:03.62 0.net
>あと私は張芝や鐘ヨウに仏教の色を見てとることができる

何に基づいてだwwwwwwwww
せめて当時訳された経典なり仏教の教えから生き方がそれっぽいとか言ってみろ

81 :世界@名無史さん:2013/12/06(金) 16:14:43.59 0.net
歴史学って細分化しているから
中国仏教史からみた三国志と言うのはかなり興味深いんだが
こういう電波君はいらんな

82 :世界@名無史さん:2013/12/06(金) 16:25:31.10 0.net
>中華の暗黒化は魏の仏教導入から
>始まっていたと考えたいのだ

魏に導入したと言うからにはそれを行なった人物
働きかけた人物は誰だ?
呉には康僧会がいて孫権がいた
北魏のように寇謙之が道教を崔浩と結んで、皇帝が信仰したみたいにな

83 :世界@名無史さん:2013/12/08(日) 16:35:03.95 0.net
魏にも康僧鎧等が無量寿経などを漢訳しています
しかしこれだけでは足りませんね、まあ大体私が知りたいのは
漢から五胡の間に何が変質したかなんですけど
私も五胡の乱さえなければこんなに仏教仏教いいませんでしたよ
五胡の乱なんか大したことではないと納得するために、仏教を持ち出したまでのことです

84 :世界@名無史さん:2013/12/08(日) 19:03:50.09 0.net
>>83
もう黙れよ
二度と来んな

85 :世界@名無史さん:2013/12/08(日) 19:45:22.09 0.net
漢・三国・晋・五胡十六国史総合スレ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1324194268/

こっちでやれ
もっとも仏教であれ無理やりそれと結びつけているようではダメすぎ

86 :世界@名無史さん:2013/12/08(日) 22:40:50.64 0.net
やはり、五胡の話はタブーですか
でも西晋の話くらいならいいでしょう?
私は西晋の生み出そうとしていたものが知りたいのです
そしてそれは仏教を解読することにより得られるのではないかと考えたのです

87 :世界@名無史さん:2013/12/08(日) 22:46:07.97 0.net
あと後漢から三国時代は調子に乗りすぎという思いもあって
仏教でくさびを打とうとしたのです、時代そのものが面白くて
登場人物も好感が持てるのばかりで、その上学問芸術的にも
革新期(詩を新しくしたり、書道を生んだり、絵画まで生んだり)
だなどとあまりにも多くのことに首を突っ込みすぎだ
それでそれらの活動が活発化したのは仏教のおかげだと考えたいのです
三国志が面白いのは仏教という新しくそして高度な哲学の刺激を受けたおかげではないだろうかと

88 :世界@名無史さん:2013/12/08(日) 23:00:17.64 0.net
これは新手の釣りなんだ。たとえそうじゃなくても会話にならない。
だからもう絶対反応するなよ。

89 :世界@名無史さん:2013/12/08(日) 23:30:11.79 0.net
宮城谷の三国志のあとがきで仏教について触れられてたけど
曹操親子は庇護するにいたらなかったとあるが別に弾圧したわけでもないんだよな
洛陽にいるから存在自体は両名ともしっるだろうし
魏書釈老志で奇跡見せて曹エイに塔の破壊をやめさせた人がいたんだよな
実際魏としては勢力が無いから放置したんだろうか?

90 :世界@名無史さん:2013/12/08(日) 23:49:07.59 0.net
>>87
○○だと考えたいので現実もそうなれ、は一番やってはいけないこと

そういう妄想を並べたいなら自分のブログか日記帳でやってろ
まず史料的根拠があって証拠があって、考察に足るだけの材料がある結果として出た話でもないのに
学問板でする書き込みじゃねーよ

91 :世界@名無史さん:2013/12/10(火) 14:48:25.15 0.net
そもそもシナに哲学など存在するわけは無いだろ
シナには現実しかない、現実を超えた現実の背景たる世界などシナには無い

92 :世界@名無史さん:2013/12/10(火) 15:20:23.99 0.net
老荘を信奉するとは何ぞや、仏教を信仰するとは何ぞや
抽象的なものの見方をもっと深く勉強するべし

93 :世界@名無史さん:2013/12/12(木) 00:23:00.00 0.net
はあ、とりあえず仏典をもっと研究した方が良さそうですね
三国志の登場人物達がいかに仏教的原理で生きていたかを証明するために

94 :世界@名無史さん:2013/12/12(木) 00:37:44.93 0.net
今残っている経典と訳が違ってるし
無理やり仏教と行動を結びつくてもろくになことにならんと思うがな

95 :世界@名無史さん:2013/12/12(木) 08:45:44.07 0.net
>>94に同意
戦いの記録の中に仏教の影響による行動を見つけるのは難しいだろう
おそらくこじつけにしかならないだろう

現代の日本人で仏教に傾倒してる人を見ても
説教が仏教の話ばかりだとか、お布施が莫大だとか、葬儀が特徴的だとか、
寺巡りが趣味とか、仏像の写真集を集めてるとか、
そういうレベルの行動以外では行動原理が仏教だと断定できることなんてほぼないしね

物証が少ない以上、影響が確認しやすいのは行動ではなく発言だと思う
手紙や詩や正史の中の言葉の中に
無常観や現世来世に代表されるような特徴的な仏教思想が確認できたら認めるしかない

96 :世界@名無史さん:2013/12/12(木) 17:38:59.83 0.net
曹ヒは怪異に興味を示していたそうですがそれに仏教の影響は?
取敢えず曹沖の話は仏典からのパクリだとかいうのを検証してみます

97 :世界@名無史さん:2013/12/12(木) 17:57:48.77 0.net
かんじざいぼさつ、ふかきはんにゃーはーらーみったーをぎょうじたまいしとき、ごうんはみなくうなりと
しょうけんしたまひ、いっさいのくやくをどしたまへり、しゃりしよ、
しきはくうにことならず、くうはしきにことならず、しきはすなわちこれくうなり、
くうはすなわちこれしきなり、じゅ、そう、ぎょう、しきもまたまたかくのごとし

98 :世界@名無史さん:2013/12/12(木) 18:10:20.85 0.net
魏晋の時代の雰囲気としてはアニメの新世界よりのEDが似ていると思います
年代設定も200年代だし意識していたのかな

99 :世界@名無史さん:2013/12/12(木) 18:45:08.82 0.net
根拠のない事いうアホはもう一生ROMってよ
本当に邪魔だ

100 :世界@名無史さん:2013/12/12(木) 19:35:39.45 0.net
雰囲気がどうとか言う奴は学術系の板に来るな

101 :世界@名無史さん:2013/12/12(木) 20:45:23.26 0.net
正史と言っても
注が作られた劉宋時代には仏教が普及しているから…

102 :世界@名無史さん:2013/12/12(木) 20:47:40.96 0.net
>>95
実際に仏教徒を利用した記述があるサク融や孫権をみても
仏教の考えと結びつけるのはきついもんな

103 :世界@名無史さん:2013/12/12(木) 20:53:40.05 0.net
>>101
なんで基準が注釈なんだよw

104 :世界@名無史さん:2013/12/13(金) 01:56:21.07 0.net
仏教の歴史 その3
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1386845487/

105 :世界@名無史さん:2013/12/13(金) 02:36:35.68 0.net
NHK BSプレミアム 12月18日(水) 21:00-22:00

ザ・プロファイラー「誰かのために生き抜けるか〜諸葛孔明・天才軍師伝説の真実」
http://www4.nhk.or.jp/profiler/

放送概要
戦国ロマン!
知略あふれる軍師・諸葛孔明は、なぜ才能を主君の夢のために捧げ尽くしたのか?自分の夢は何だったのか?
「三国志」の英雄の、はかなく美しく壮絶な生と死。

すべては、あの人の夢のため…。
「三国志」の華麗な軍師・諸葛孔明の知られざる実像に、大河ドラマ「軍師官兵衛」岡田准一と名優・石坂浩二が迫る。
この男に尽くしたい!…孔明を本気にさせた主君・劉備の人間的魅力とは?
「2つの桃で、強い武将を倒す」…謎の歌に隠された、弱者が強者を倒す孔明の秘策とは?
劉備の死後、託された夢を背負って、ボロボロになるまで戦い抜いた壮絶な最期とは?
人生を変える、出会いと感動の物語。

106 :世界@名無史さん:2013/12/17(火) 01:21:55.35 0.net
仏教で言うなら蜀での普及がきになるな
正史は儒者の弟子の陳寿だからあまり期待できんもんな
ただ西域から来ることもあったし
後世だが峨眉山は活動がさかんだったしな

107 :世界@名無史さん:2013/12/23(月) 09:25:03.99 0.net
中国はキリスト教のように徹底して仏教化を進めなかったから
文明間の競争に敗れたのだ

108 :世界@名無史さん:2013/12/28(土) 01:42:03.64 0.net
曹丕が導入した9品中正法の余韻のせいで
胥吏の世襲化を科挙が防ぐことはできなくなったって本当?

109 :世界@名無史さん:2013/12/28(土) 12:08:50.08 0.net
九品中正法以前から人材が官吏になるには
地元の名士の前で功を積んで推挙されるのが
近道だった時点で何とも言えんわ

110 :世界@名無史さん:2013/12/28(土) 22:11:45.09 0.net
胥吏と官吏は別物だぞ…

111 :世界@名無史さん:2014/01/02(木) 23:05:00.36 0.net
九品中正法は官吏の登用法に関するものであって地元の推薦から中央政府主導の登用を狙ったもの
これは実際には果たせず地方有力豪族の貴族化を進めることとなったが
胥吏は地元民間人が無給で徴用されて仕事をするもので別物

官吏は異動があるが胥吏は地元の民間人を採用して再任が繰り返されるため
地元有力者がこのポストを押さえ続け給与が無い分庶民から賄賂を取り続けて憎まれた

112 :世界@名無史さん:2014/01/03(金) 15:23:41.31 0.net
なお中国では科挙の導入によって貴族階級は時間をかけて試験を通じて一掃され
皇帝による直接帝政とも呼ぶべき体制が確立されていくことになる
このため一貫して皇帝は強力な独裁者であり続けた

現代の独裁政権が国内に競合相手を持たず官僚を手足に絶対的な権限を振るうのと似た形式

113 :世界@名無史さん:2014/01/07(火) 06:26:13.95 0.net
そんな見飽きた説はいいから、新しい説を出してくれよ

114 :世界@名無史さん:2014/01/16(木) 23:12:39.80 0.net
宮廷の諍い女見てたら
甄氏と二喬で三大美女とか
甄ケイが曹操の詩を読んでた
あと、周瑜云々

115 :世界@名無史さん:2014/01/17(金) 06:14:42.32 0.net
この時代あたりから女性に優しい時代になるけど
その功績は仏教に帰してもいいんじゃないかな
ローマ帝国でもキリスト教の初期の頃の熱心な信者は女が多かったっていうし

116 :世界@名無史さん:2014/01/17(金) 06:27:54.08 0.net
この何でも仏教君はどうにかならんの?
本当に三国時代から少しずつ受容されているから余計に・・・

117 :世界@名無史さん:2014/01/17(金) 10:03:25.65 0.net
仏教って人の事はどうでもいいから修行しろっていうのが本懐じゃないの?

118 :世界@名無史さん:2014/01/17(金) 15:39:00.65 0.net
>>112
違う。
貴族階級は虐殺されたんだよ。農民反乱や安禄山の変などで。

119 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 06:10:29.07 0.net
>>116
昔の何でも曹操に結び付けられるよりましだろ

120 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 06:13:40.03 0.net
前スレの呉の奇襲さえ無ければ関羽の北伐は成功できたまで話を戻すか

121 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 06:18:24.40 0.net
女の知的水準の向上に仏教が一役買ってることは大いにありうるだろ
それが違うと思うなら別のイデオロギーを提示して見ろよ

122 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 11:43:40.61 0.net
>>120
奇襲w
そんな面白そうな流れあったのか見たかった

123 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 12:23:18.34 0.net
>>120
「北伐の成功」の定義次第かな

北伐の成功が荊州確保ってんならまあ可能性は半々くらい
前線を長江から漢水まで引き上げっていうならほぼ確定だろう

これ以上の戦果が出るとしたら呉の奇襲並の事件が魏に対して起こらないといかんな
魏諷のクーデター成功とか

124 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 13:57:54.07 0.net
関羽の軍は樊城で多少手こずってても包囲は完璧だったんだと
それが呉が裏切ったせいでおじゃん、撤退するはめになったんだと
これ魏書にちゃんと載ってる記述だからなしかも裴松之の註じゃなくて

125 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 16:24:52.45 0.net
呉が裏切る原因を作ったのは関羽なんだけどな。

126 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 16:27:00.35 0.net
樊城攻撃は守りの堅い襄陽を回避していきなり後方を攻撃して孤立させようという奇策
この奇策が一時的に成功したところで襄陽の攻略は容易ではないのに
無傷のままの襄陽が健在な点は無視されることが本当多いな
結局演義の脚色で樊城さえ落とせれば!ってイメージが固定化されてしまっているんだろうけど

127 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 16:49:57.11 0.net
呉から見れば荊州を返さないことがそもそも裏切りだと思うだろうな

128 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 17:33:08.70 0.net
襄陽と樊城てセットみたいなもんだから
対岸である片方が落ちればやばいんじゃないの?

129 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 17:36:11.68 0.net
>>126
近隣の城が落ちたことは
普通に考えれば士気が落ちるし
無傷だろうがあっさり降伏することも考えられると思うよ

130 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 18:42:02.67 0.net
>>129
希望的観測過ぎるだろ、城の規模が違い過ぎる
襄陽ってどれだけ人口いたと思ってるんだ

131 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 19:11:02.83 0.net
樊城まで攻撃に晒されてる時点で漢水の制水権って関羽側にありそうだけど
樊城解放後の魏軍ってどうやって漢水渡ったんだろう?
運河とかで他の河川から水軍引っ張ってきて普通に関羽側の水軍打ち破ったのか
適当な筏とかで渡れる程度だったのか、実は関羽は漢水の制水権を掌握できていなかったのか

132 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 21:54:03.48 0.net
>>126
襄陽は完全包囲状態で関羽撤退以後も包囲は継続されてた挙句
曹操が死ぬ頃になると完全に兵糧も尽き果てて曹仁の戦略判断で一回放棄されてる事忘れてる人も多いな
曹仁が後に取り返すまで、呉に占領されてたんだぞ

133 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 22:00:33.19 0.net
関羽が徐晃に普通に負けた事って、何故か無かった事にされる事が多いよね。

134 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 22:03:53.14 0.net
>>133
普通にではないだろ
お前も勘違いしてるよ

135 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 22:06:05.26 0.net
そこは文ペイだろ

136 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 22:11:57.75 0.net
曹操は徐晃に命じて孫権の裏切り文を包囲されてる友軍にも、関羽軍にも矢文で打ち込んでる

ボロボロだった襄樊は「志氣百倍」といわれる程奮い立ち、これで完全に降伏による落城がなくったし
徐晃側も勝てるってことで燃えるだろう

137 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 22:33:06.45 0.net
>>134

ああすまん、普通じゃなくて壊滅的大敗だった。
関羽軍は自ら入水自殺する者が多数いた程だったらしいからな。

138 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 22:43:56.29 0.net
>>137
普通じゃなくて孫権の裏切りを前提とした勝利だろ
矢文工作とかあるから徐晃も勝てた

それと徐晃伝の記録をそのまま信用もできないな
関羽はその後、軍をまとめて江陵に向かったけど
その時に襄陽の包囲は結局全く緩まなかったことから
包囲軍からそれほど引き抜いた様子がないと判断できる

139 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 23:02:49.88 0.net
>>138
矢文工作程度でボロボロにやられる関羽軍てどんだけ〜
あと孫権の裏切り自体関羽の行動が招いた自業自得だから擁護は不可能だよな

140 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 23:26:35.41 0.net
>>139
何の話をしてるんだ?

今って呉の裏切りがない、と言う前提になった場合
歴史がどう動くかってことを議論してるのに擁護とか、関羽が招いたとか
わけのわからん事言うなよ

矢文工作だけで勝敗が決するわけじゃないけどその後押しにはなってる
徐晃が近くにいても孫権の側面攻撃なければ
下手すると襄樊のどちらかが開城してしまう可能性も有り得たので
関羽が完全に後続分断されたという情報ってのは君の考える以上にでかいよ

141 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 23:36:23.40 0.net
関羽も工作してあのへんの豪族や異民族を寝返らせていたから
樊城のほうが落ちた段階であれば、曹仁も死亡や捕虜になるか逃走しているあとになるということだし
襄陽も動揺して内通が出て終わる可能性も高いと思うわ

142 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 23:49:16.70 0.net
>>140
呉の裏切りがない、って前提があり得ないんだよ。
利害関係考えりゃすぐ分かると思うんだけどな。

143 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 23:52:22.10 0.net
と言うか関羽は呉の兵糧庫襲撃しなきゃならんほど切羽詰まってたんだから、孫権が動かない訳ないわな。
絶好の口実になるんだから。
あり得ないifを前提にするのは意味がない。

144 :世界@名無史さん:2014/01/18(土) 23:56:02.92 0.net
>>142-143
でも今やってるのは呉の裏切りがないって前提での話しなので

何でそういう話をしているところで間違った前提でのレスを繰り返した挙句
それを指摘されるとキレて前提が間違ってるって言い出すんだよ
最初から前提が違うって言えばいいのに

145 :世界@名無史さん:2014/01/19(日) 00:07:34.23 0.net
>>144
あぁすまん、それは悪かった。
そんな関羽側だけに都合の良すぎる話をしてるとは思わなかったんで勘違いしてたわ。

146 :世界@名無史さん:2014/01/19(日) 00:13:07.85 0.net
呉の奇襲ってタイミングは前後するかもしれないけど
それ以前の外交と相互不信の積み重ねでどう考えても避けようがない
ってのはのは俺もそう思う
けど、前提はそれがなければ、関羽はどうなったかということ

理解していただけたら君もこの思考実験に付き合わないか?

147 :世界@名無史さん:2014/01/19(日) 00:30:11.33 0.net
そういう話なら関羽が呉を意識して動くか違うかでまた変わってくるんで何とも言えないな。
不確定要素が多すぎる。

まぁ全てが上手くいって一時的に領有成功したとしても維持は出来ないんじゃないかと思うけど。

148 :世界@名無史さん:2014/01/19(日) 00:47:41.06 0.net
>>147
この当時の蜀は魏で言うところの新城郡を抑えているから
漢水で漢中と新城、襄樊が繋がった状態になってて
維持って相当平易になるはず

149 :世界@名無史さん:2014/01/19(日) 07:09:14.90 0.net
関羽が樊城を攻撃したのは暴動がそこで起こったからだとも
陳寿は書いている

150 :世界@名無史さん:2014/01/19(日) 10:43:03.95 0.net
そもそも呉は裏切ってない説

151 :世界@名無史さん:2014/01/19(日) 11:12:59.06 0.net
たしか樊城で反乱がおきてそれを曹仁がすぐについて鎮圧したんだよな
だとすれば対岸の襄陽の状態も怪しいところだな…

152 :世界@名無史さん:2014/01/19(日) 12:33:02.05 0.net
この時、呉が北進したらどこまで行けたかな?

153 :世界@名無史さん:2014/01/19(日) 16:34:06.18 0.net
魏の勝利を知ってる後世の人間は後知恵で呉が余計なことしなければって思うけど
当時の人からしたら魏は相当動揺しており蜀が独り勝ちしかねない情勢に見えた
呉にとってその蜀軍を助けるような北進は論外だろう

154 :世界@名無史さん:2014/01/19(日) 17:48:55.65 0.net
呉が邪魔しなきゃ関羽が徐晃に勝てた、ってのも怪しいけどな
徐晃だって名将だし、蜀軍は連戦で疲労もあっただろう。兵糧庫襲った経緯から見ても余裕は無かった筈

155 :世界@名無史さん:2014/01/20(月) 03:58:30.69 0.net
>>154
徐晃は名将で北岸の包囲を解くことに成功した、としても
南岸は完全に制水権抑えてる蜀のものだし、制水権奪おうにもでかい水路ないから
史実でも関羽負けてさえ包囲継続されてるから呉が邪魔しなければ
そのまま漢中の劉備と襄陽包囲を継続してる関羽、孤立しないから裏切りもしない孟達の連携があって
結局曹操がどこへ行こうと、曹操の居ないところへ攻撃されて、魏は前線を後退させることになるだろう

156 :世界@名無史さん:2014/01/20(月) 11:55:41.91 0.net
>>155
兵糧持たんだろ。

157 :世界@名無史さん:2014/01/20(月) 13:39:16.94 0.net
ロジスティクが持ちません

158 :世界@名無史さん:2014/01/20(月) 20:31:55.77 0.net
>>156-157
だから漢水での連携が機能するんだが

159 :世界@名無史さん:2014/01/20(月) 23:39:18.68 0.net
本格的に動員をかければ魏のほうが圧倒的なのであって
襄陽確保するには魏が諦めてくれないといけない
漢中と違って中原に近い襄陽を諦めるとは思えないのでどうやってもいずれは奪回される

当時は呉も蜀も数万レベルの動員がせいぜいだったのに洪水と失策が重なり3万を一気に
失った直後に逆襲に転じられる魏の国力は圧倒的すぎる

160 :世界@名無史さん:2014/01/21(火) 01:41:00.91 0.net
中原に近いって、南陽盆地越えて来ないといかんのにか?

3万失った直後に逆襲はできとらんよ
あくまでも呉の助勢があった上に、曹操が直属の軍を大いに割いてやっとできたことだ

161 :世界@名無史さん:2014/01/21(火) 06:41:06.72 0.net
>>153
無理があるな
関羽の北上一つで魏より脅威になるとでも思ってんのかよ

162 :世界@名無史さん:2014/01/21(火) 13:01:26.39 0.net
関羽の北上は後詰が無いから厳しいだろうね。単発ではいずれ国力に勝る魏に押し返される

163 :世界@名無史さん:2014/01/21(火) 13:15:33.57 0.net
漢水の制水権ちゃんと維持できれば、史実で長江を盾に呉が数十年守られたように
関羽も襄陽を守れる可能性ぐらいはあるんじゃなかろうか

164 :世界@名無史さん:2014/01/21(火) 18:07:27.91 0.net
>>162
孟達らがその後詰になるんだよ
もう少し時間あれば何とかなった

だからこそ孫権のここぞという裏切りの見極めは素晴らしかった

165 :世界@名無史さん:2014/01/21(火) 19:52:41.71 0.net
漢水で襄陽と連携とかお花畑すぎて笑えるw

ゲームのやりすぎだろ

166 :世界@名無史さん:2014/01/21(火) 19:58:03.80 0.net
ある程度侵攻が成功すれば曹操側がぐちゃぐちゃになる可能性はあったと思うよ
前線ではない宛や本拠の許・ギョウで反乱起こるくらいだし

167 :世界@名無史さん:2014/01/21(火) 20:09:48.95 0.net
速攻で鎮圧されてるじゃん

168 :世界@名無史さん:2014/01/21(火) 22:45:32.45 0.net
>>165
いや実際劉備は孟達、劉封に漢水沿いを攻略させてるんだが
それも関羽の北上以前に

169 :世界@名無史さん:2014/01/22(水) 20:00:06.23 0.net
>>168
意味不明
孟達は宜都郡(孟達が太守)からおそらくキシ郡(の山中を通って房陵・上庸を攻め取ってる。
資治通鑑を信じるなら、その兵力は4000。少なくはないが、多くもない。

(この4000という数は劉璋が「遣法正将四千人迎先主,前後賂遺以巨億計」劉備の益州入りにあたって荊州に差し向けた兵の数と一致するので正確だろう)

これで二郡を完全制圧するなんて大したものだ。

劉封は漢中攻めに参加しているので、漢中占領後におそらく手勢を持たず(漢中に軍用の船などないし、漢中から上庸への兵站計画も存在しえない)孟達軍に「上から落下傘」している。

なのでこの時点で「漢水の連携」など存在しない。
上庸と房陵は「漢水沿い」だし、その延長線上に漢中も存在する。
おそらく計画では時間をかけて整備していくつもりだったのであろう。
しかし、219年にこれらの拠点はリンクしていない。物理的に無理。

170 :世界@名無史さん:2014/01/22(水) 20:17:41.28 0.net
ぼくが かんがえた りゅうびぐん の だいしんげき

作戦の目的 漢中と襄陽を奪取することで既存の勢力圏の安全を保つことを目的とするとともに、
中原への攻撃拠点を確保すること=防衛から侵攻へ体制を変換したいと思います。
同時に漢中と襄陽を(第一次対魏攻撃の)攻勢限界線とみなし、
その保全のために漢水を利用した物理的防衛ラインを構築するために、その中間地点である房陵・上庸を奪取します。


@漢中を取ります
取りましたか? YES/NO
YES!

A孟達を上庸・房陵へ進撃させます
取りましたか? YES

B(イベント)孟達は新参者でイマイチ信用できないので養子の劉封を上官として派遣します

C関羽に襄陽・樊城を奪わせます

取りましたか? NO

D(イベント)関羽が孟達に援軍を求めましたが無理なので拒否されました

E(イベント)関羽の本拠地が呉に奪われました

F関羽軍は退却中に瓦解しました

GAME OVER

171 :世界@名無史さん:2014/01/22(水) 23:16:25.31 O.net
つまり呉関係なく関羽は去る運命と
呉はそれを縮める手助けと

172 :世界@名無史さん:2014/01/22(水) 23:36:25.57 0.net
>>169
>>164でももう少し時間があれば、って書いた通り
問題があったというのは俺もわかってる

ただし、孟達と劉封に関羽の援護が可能という認識は劉備が示した通り
物理的に無理というほどではない

173 :世界@名無史さん:2014/01/23(木) 18:13:27.09 0.net
んなのいくら時間があっても足りんわ

174 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 01:26:47.93 0.net
せやろか?

175 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 02:06:12.15 0.net
>>173
という事は劉備の支持が間違ってた、ということでおk?

176 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 12:43:45.19 0.net
せやせや

177 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 20:42:07.01 0.net
俺は>>169だが
>>173>>176は他人

178 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 20:58:39.76 0.net
>>172

孟達が増援に物理的に可能かどうかという話をすれば可能だろう。

だが、二郡をたった4000で抑えている孟達が増援の余裕はどれだけあっただろうか?
房陵は孟達が元の房陵太守?祺を殺してはいるが、劉備が任命した新太守のトウホや南郷太守の郭睦もまだ着任していない。
そして上庸にはの申耽・申儀兄弟が一応降伏しているが力を残しているのは明らか。

この状態で4000の内どれだけを増援として繰り出せるだろうか?
各郡に1000を残すなら増援には2000しか出せない。
関羽軍推定30000に対して2000はどれほどの意味があろうだろうかね。
そもそもこの4000の軍は孟達子飼いの軍なので劉封には指揮が不可能。
留守番となるであろう劉封は、敵対する同僚の兵を1000だか2000だか預かって任務責任を果たせると考えないだろう。

179 :世界@名無史さん:2014/01/24(金) 21:14:40.18 0.net
孟達は軍の指揮者としてこう考えるだろう

「自分の任務は房陵・上庸の掌握で成功したのに、計画外の軍事行動でフイにしてたまるか」と。

孟達はとうぜん節鉞などは持っていないが、この当時の知識人の常識として
「一旦軍を預かって外に出たならば王命といえども違えることがある」
という指揮者として当たり前の原理原則が「増援拒否」という判断の後ろにあったはず。

孟達を監軍する役の劉封もたまったものではなかっただろう。
孟達が気前よく兵を残してくれるとは限らないし、増援として意味のない兵力を差し向けても意味がない(どころか自分のせいにされる恐れまである)。




以上の理由から孟達に増援を要求したのが関羽だとすると(俺は情況証拠から関羽説を取る)、孟達の任務を理解しておらず、かなり利己的な話といえる。
もし仮に劉備が命令してそれを拒否したとすると、孟達と劉封は正史に描かれている「曖昧な立場」で収まるわけがなく、命令拒否の時点で明確に処分の対象となっていたと思う。

180 :世界@名無史さん:2014/01/25(土) 13:12:50.83 0.net
荊州では関羽も命令権者という事忘れてるな

181 :世界@名無史さん:2014/01/25(土) 13:50:56.55 0.net
「A>B>C」という序列があったとして

A→B
A→C

Aから上のように命令が下ったとする

A→CにおいてCは完了
A→BにおいてBはその途上

Bは「B>C」という事実を基に

B→C

という新たな命令をCに対して発するが
Cはより上位の「A→C」命令の保全を優先してこれを拒否した

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

こういう風にみると劉備・関羽・孟達の行動に矛盾はない

182 :世界@名無史さん:2014/01/25(土) 14:19:31.21 0.net
だが劉備はBに当たる関羽の命令を聞かなかった事で怒ったよな

183 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 08:53:43.53 0.net
註と原文は区別してくれよ

184 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 09:17:55.47 0.net
日中戦争を見てると日本はほんの数年で華北とそれ以上の領土を確保している
結論、華北支配は容易、曹操は大したことない

185 :世界@名無史さん:2014/01/26(日) 21:05:44.47 0.net
それを安定化させたのとゲリラの巣だったのとで雲泥の差なんだが

186 :世界@名無史さん:2014/01/27(月) 02:36:01.89 0.net
>>182
劉封が魏でいう新城郡の統治に失敗して戻ると関羽助けなかったし、ここでも失敗しやがって
ということで処刑されてるってのは本文の出来事だよ

187 :世界@名無史さん:2014/01/27(月) 10:20:31.63 0.net
ああ劉封に対してね、関羽にかと思ったよ
>>185
更にアメリカとも戦ってたからな

188 :世界@名無史さん:2014/01/29(水) 12:53:05.87 0.net
話がずれてるよ、呉が裏切らなけりゃの話だろ
呉の裏切りについても関羽が100パー悪いことになってるが
ここで陳寿の記述とて完全に信頼できないカードを切ってもいいとおもうが

189 :世界@名無史さん:2014/01/29(水) 22:20:43.13 0.net
呉からすれば、蜀は赤壁と周喩の病を利用して荊州を奪い、益州取ったら返すと言っていたくせに返さない屑
蜀からすれば、呉は蜀が自力で勝ち取り、劉表の息子から受け継いだはずの荊州に意味不明な所有権を主張する屑
蜀が弱小の身だから仕方なく脅迫に屈したふりをしただけなのに何勘違いしてんだ?それより倒さなきゃならない敵は曹操だから同盟してんだろ、と

190 :世界@名無史さん:2014/01/29(水) 22:30:53.25 0.net
>>189
その後、正式に涼州取ったら返却するということが
口約束ではなく条約で確定してるし、呉もそれで納得してるから
返さないクズ、という批判は間違ってるけどな

191 :世界@名無史さん:2014/01/30(木) 00:01:59.07 0.net
孫権はあれでも群雄割拠の時代を勝ち残ってきた男だからな
自国の領土が脅かされても黙って見てるようなお人好しだったら、とっくに消えてるだろう

192 :世界@名無史さん:2014/01/30(木) 00:05:11.76 0.net
呉は裏切ってない
当然な主張し関羽が傲慢だったから自業自得だった

193 :世界@名無史さん:2014/01/30(木) 02:17:31.95 0.net
>>192
そういう主張は三戦板行ってやれ

194 :世界@名無史さん:2014/01/30(木) 23:43:33.86 0.net
へ?

195 :世界@名無史さん:2014/01/31(金) 08:12:30.60 0.net
>>194
クサッ

196 :世界@名無史さん:2014/01/31(金) 12:09:43.46 O.net
>>195
ヤッ!

197 :世界@名無史さん:2014/02/01(土) 01:20:56.90 O.net
関羽っていくつで死んだの?

198 :世界@名無史さん:2014/02/01(土) 10:11:06.64 0.net
178年3月に関平が生まれたとか、そのへんから換算してみれば

199 :世界@名無史さん:2014/02/01(土) 12:55:21.25 0.net
民間伝承の関平の生年なんかよりは
関羽の活躍時期から考えた方が正史スレとしてまだマシだと思うが

200 :世界@名無史さん:2014/02/02(日) 01:08:16.31 O.net
いや正確な没年齢が知りたいわけじゃない
だいたいの年齢でいいよ
死ぬ頃の肉体的な衰え具合を想像したいだけだから

201 :世界@名無史さん:2014/02/02(日) 13:20:35.92 0.net
だいたいの年齢と言ったって
正史からは劉備の生年±5かそれ以上の幅がある
としか言いようがない

202 :世界@名無史さん:2014/02/02(日) 19:32:53.68 0.net
50~60辺りだろ

203 :世界@名無史さん:2014/02/03(月) 01:03:21.69 O.net
そんな長生きだったのか?
まあ現代でもいくら鍛練してても45すぎたら肉体的にはポンコツもいいとこだからな
そりゃ老害もいいとこだな
肉体的に衰えてくると内面も変化するから自尊心ばかり肥大したただの嫌なゲスジジイだったんだろうな

204 :世界@名無史さん:2014/02/03(月) 01:31:46.48 0.net
呂岱なんて90近くまで現役ですがな

205 :世界@名無史さん:2014/02/03(月) 12:57:55.31 0.net
蜀でも80近い人が愚痴ってるし

206 :世界@名無史さん:2014/02/03(月) 23:54:16.50 O.net
食糧事情や医療がわるかったろうによくそんな生きてたな
うそくせえよな

207 :世界@名無史さん:2014/02/03(月) 23:55:06.60 0.net
だって身分高いし
大将軍だしな

208 :世界@名無史さん:2014/02/04(火) 07:54:13.87 0.net
成年後寿命なんて結構高いものだよ。ゾロアスターの時代でさえ80歳まで生きることを
前提に話をしてるし

209 :世界@名無史さん:2014/02/04(火) 08:00:48.67 0.net
曹操の一族がそうだったように若死にする奴も多いけど
長生きする奴も多いんだよなあ
司馬懿の一族みたいに

210 :世界@名無史さん:2014/02/04(火) 20:11:52.63 0.net
そういや三国では宦官の状態やその養子制度とかどうなってんの?
蜀の黄コウだって、前漢の石顕のように気に入られて政治にも口は出していたけど
逆に言えばその程度と言えるし、彼個人にとどまり宦官全体のことでもないし…

後漢唐明において酷いというのは聞くけど三国では全体としてどんな状態なの?

211 :世界@名無史さん:2014/02/04(火) 21:35:33.84 0.net
蜀以外はたまに宦官の記述がちらほらある程度で大した影響力は持たなかったんだろう
呉についてはよく知らないが
曹丕は彼の政治的傾向から言っておそらくそういう権力の腐敗に繋がるものは抑えた
代わりに中書省が強くなってそれは明帝期に臣下から不満が出るほどになったけど、深刻な対立となるほどじゃない
明帝期が終わると司馬懿と曹爽の政争から司馬一族の執権に移行していくからこれまた宦官が出張る余地が乏しい

212 :世界@名無史さん:2014/02/04(火) 22:42:12.67 0.net
呉は谷利が宦官かもしれないとどこかで読んだけど
どうなんだろ

213 :世界@名無史さん:2014/02/05(水) 15:29:15.72 0.net
>>203
アンチ関羽とかまだ生きてたんだな
三戦帰って盛り上げてこいよ

214 :世界@名無史さん:2014/02/05(水) 16:22:28.41 0.net
>>203みたいなのが暴れ続けた結果三戦は廃墟になったんだから
戻ったところで何の足しにもならないよ

215 :世界@名無史さん:2014/02/05(水) 16:31:00.00 0.net
>>213
2日も前のレスにわざわざ噛み付くなんて三戦でよっぽど虐められたんだね可哀想に
よしよし

216 :世界@名無史さん:2014/02/05(水) 16:54:55.45 0.net
即レスワロタ

217 :世界@名無史さん:2014/02/05(水) 23:16:48.05 O.net
三戦で物足らず中英でも暴れだす関羽厨

218 :世界@名無史さん:2014/02/06(木) 00:12:10.41 O.net
流れを切ってすまんが関羽云々書いたのは俺w
なんか思い入れの強い人がいるんだなぁwキモイw

219 :世界@名無史さん:2014/02/06(木) 01:20:43.00 0.net
関羽信者に三戦の名前はタブーだからなぁ
あっちに居場所がなくなって中英や学問板にまで出張して暴れてるのは知ってたけど

220 :世界@名無史さん:2014/02/06(木) 17:40:37.25 0.net
流れ切ってあれだけど質問。
義兄弟になる場合は、やはり年齢で兄か弟かが決まるんでしょうか?
地位などは関係しないのかな、と。

221 :世界@名無史さん:2014/02/06(木) 20:16:14.22 0.net
ID出ない板で荒れる話題出すな
見ろよこの自演連レスの嵐

222 :世界@名無史さん:2014/02/06(木) 22:04:54.97 0.net
いや、別にいいだろ

223 :世界@名無史さん:2014/02/06(木) 22:53:57.09 O.net
ずっこけ三人組

224 :世界@名無史さん:2014/02/06(木) 22:57:51.93 0.net
正史で義兄弟って誰々がいたっけ

225 :世界@名無史さん:2014/02/07(金) 02:55:08.47 0.net
劉備と孫権かな

226 :世界@名無史さん:2014/02/07(金) 06:40:12.34 0.net
馬騰と韓遂

どっちも生年が分からんが、韓遂が年上なような気はする
韓遂が反乱起こした時(洛陽で官僚経験有り)、馬騰はいち義勇兵だったし
どっちが義兄で義弟かとかは更に分からん

227 :世界@名無史さん:2014/02/07(金) 22:04:14.64 O.net
しかし近代の中国人みてるとどうせこいつらもろくなもんじゃなかったんだろうな

228 :世界@名無史さん:2014/02/07(金) 22:55:35.56 0.net
世界から見たらハラキリ・カミカゼのジャパニーズもろくなもんじゃないぜ

229 :世界@名無史さん:2014/02/08(土) 00:19:37.09 O.net
列強国側のほうがやることがえげつないうえにゲスくね?
ウイルヘルム二世なんて大馬鹿じゃん

230 :世界@名無史さん:2014/02/08(土) 00:41:26.12 0.net
すげーあほな返しだな

231 :世界@名無史さん:2014/02/08(土) 00:42:11.89 O.net
おたがいさま

232 :世界@名無史さん:2014/02/08(土) 01:05:08.62 0.net
いや俺第三者だから

233 :世界@名無史さん:2014/02/08(土) 06:49:36.90 0.net
神風が取り上げられるのって単に航空機だからだよな
100%死ぬ突撃くらい陸なら腐るほどあるのに
空軍だけ目立ってずるい

234 :世界@名無史さん:2014/02/08(土) 20:21:42.79 O.net
あるじゃん 玉砕
山本をはじめ海軍の上層部がアホマヌケぞろいとしかいいようがないのに大陸の陸軍強かったからな
岡村とかモンゴルや金門行った根本とかの話とかフツーにスゲーだろ
日本人には知名度ないけど

235 :世界@名無史さん:2014/02/08(土) 20:34:43.54 O.net
>>228
総力戦だったし勝ったほうはなんとでもいえるからな
アメ公だって病院船や商船沈めたり国際法破りまくりだろ
さんざん略奪や強姦、リンチやってといて綺麗事ならべてなかったことにしてるだけ
おまけに大統領は人種差別者だし
あんなんヒットラーやスターリンと大差ねえ

236 :世界@名無史さん:2014/02/08(土) 21:06:06.21 0.net
まだまだ日米の交流少なくて得体のしれないサルが飛行機で体当たりしてくるような時代にしては
すげえ分別のある行動してたと思うがな
同じだけ危険なモノを持たせるなら当時の日本、ドイツ、ソ連なんかよりはアメリカの方がまだマシ

237 :世界@名無史さん:2014/02/08(土) 21:22:31.96 0.net
2chの各所でアメ叩き増えたね

238 :世界@名無史さん:2014/02/09(日) 00:14:47.92 O.net
叩かれるような国だししゃーないだろ
基本あいつらバカだし

239 :世界@名無史さん:2014/02/09(日) 00:58:43.93 0.net
今までは何をいわれてもケツを舐めてたのにね

240 :世界@名無史さん:2014/02/09(日) 08:38:04.02 O.net
まあ2で吠えてるくらいならいいじゃんよ
昔は板垣大隈みたいにいきなりアメ公に戦争ふっかける馬鹿政治家もいたんだから

241 :世界@名無史さん:2014/02/09(日) 23:20:57.63 0.net
ネットに限らずほとんどの国で不満のぶつけ先は1位自国政府2位アメリカなんじゃね

242 :世界@名無史さん:2014/02/10(月) 00:26:27.22 0.net
それだけアメリカが世界に及ぼしてる影響は大きいってことだな
でもアメリカって好きですか?って言われて臆面もなく好き!
といってくれる人ってアメリカ人とカナダ人くらいしかいなさそうだが
(カナダ人が好きなのかはしらんけど)

243 :世界@名無史さん:2014/02/10(月) 20:56:33.84 O.net
まあ中共よりは嫌いじゃないよw

244 :世界@名無史さん:2014/02/11(火) 23:49:50.03 O.net
中共といえば大虐殺でおなじみだけど考えてみたら中国では昔からやってるな

245 :世界@名無史さん:2014/02/14(金) 03:21:00.01 0.net
京観とか聞くと喜びそうだね君

246 :世界@名無史さん:2014/02/14(金) 08:16:58.11 0.net
ヨーロッパの方が殺しまくってるよ
中国は兵士だけだが西洋は一般人も殺りまくり

247 :世界@名無史さん:2014/02/14(金) 13:19:57.64 O.net
>>246
文革のときも兵士だけだったの?

248 :世界@名無史さん:2014/02/14(金) 17:01:02.65 0.net
確か司馬懿の京観は民間人も入ってるな

249 :世界@名無史さん:2014/02/14(金) 20:20:11.42 0.net
15歳以上の男子全員だね

250 :世界@名無史さん:2014/02/15(土) 01:04:42.13 0.net
戦後だけでも米国が空爆した国は20ヵ国以上
東西両陣営いずれの軍事同盟にも直接属さない国の場合、
実に3割近い国が米国の攻撃を受けた計算になる
また反体制派への武器援助による介入を含めると中立国の約半数が米国に攻撃を受けた経験がある
この好戦性は他に比較するものがない

251 :世界@名無史さん:2014/02/17(月) 13:22:08.89 O.net
アメリカは国じゃないビジネスなんだよ

252 :世界@名無史さん:2014/02/17(月) 21:21:57.96 0.net
趙雲って老将のイメージが強いよね。

253 :世界@名無史さん:2014/02/17(月) 21:56:42.42 0.net
歳とった後しか記録が無い人物ではないから
単なる思い込みだろう

254 :世界@名無史さん:2014/02/17(月) 23:26:25.46 O.net
ぐわんゆうは晩年どんな髪型してたんだろうな?
ハゲだろな

255 :世界@名無史さん:2014/02/18(火) 15:52:28.57 O.net
ぐわんゆうって誰?

256 :世界@名無史さん:2014/02/18(火) 16:36:43.17 0.net
曹操はチビハゲデブの三重苦

257 :世界@名無史さん:2014/02/18(火) 16:41:54.81 0.net
まともな話題ふっても嫌蜀厨の発狂で終わるんだからもうやめようぜ
そもそもここは数少ない蜀ファンの牙城だったのにな
いつからこうなっちまったんだか、患者と呉キ゚ブリは三でホルホルしてろ

258 :世界@名無史さん:2014/02/18(火) 18:00:35.48 0.net
という釣りでした

259 :世界@名無史さん:2014/02/18(火) 19:16:39.79 O.net
テへ ごめんな
きっとあの人のことなんだな
でも俺は悪くない
ほんとにしらなかったからきいただけなんよ

260 :世界@名無史さん:2014/02/18(火) 20:28:32.27 0.net
>>258
三戦行くとこういうのゴロゴロいるから怖い

261 :世界@名無史さん:2014/02/18(火) 23:26:57.06 O.net
俺、メガネッコはいまいちダメなんだよね
だから劉備とかカクとかダメ
カコウエンとかわりと好きだけどしゃべり方が変だよねあれ

262 :世界@名無史さん:2014/02/19(水) 03:28:52.03 0.net
そもそも易姓革命上等な中国で何故長らく蜀漢正当論が受け入れられてきたのだろうか
その後の分裂時代が長すぎたとは言え曹操は異民族をよく抑え、
後の東晋の地盤は江南だったし蜀漢を特別持ち上げる理由に乏しい

263 :世界@名無史さん:2014/02/19(水) 12:36:19.78 O.net
その後支配層が漢民族でなくなったからじゃね

264 :世界@名無史さん:2014/02/19(水) 14:39:14.19 0.net
そのすぐ後の僭主の石ロクですら、曹操と司馬懿はクソとか言われてたしなあ

265 :世界@名無史さん:2014/02/19(水) 16:23:27.18 0.net
>>262
誰でも易姓革命していいという思想じゃないからな
誰もが認める=天下を統一する君主が易姓革命の権利を持ってる
それ以外は本当の意味では正統として認められないから正閏論が色んな時代で起こってる
強くても正統として認められない以上、以前からの王朝の方が正統ということになるから

266 :世界@名無史さん:2014/02/19(水) 20:35:09.36 0.net
正統論なら北朝の流れで来る唐も南朝との正統論で議論してたからね

267 :世界@名無史さん:2014/02/19(水) 20:41:23.38 0.net
司馬家は天下統一して魏は統一してないからね
魏書で僭晋とかつけて元帝は司馬家の人間ではなく牛金の子どもにして正統の晋の血筋のものではないとしてるね

正史三国志も魏書みたいに、島夷孫権伝やら僭漢劉備伝にすれば勘違いする人も少なかっただろうなw

268 :世界@名無史さん:2014/02/19(水) 22:50:06.86 0.net
>>262
漢の命脈が尽きたとは考えなかった人が多かったからだろう
前漢後漢の400年にはそれだけの重みがあったということなのだろう
匈奴の劉淵が弟として漢を復興しようとしてたくらいだしな

269 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 05:30:35.52 0.net
劉裕が漢の復興を全く押し出さなかったのはなぜだろう

270 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 08:31:53.90 O.net
プロパガンダのメリットがなかったから

271 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 10:41:28.02 0.net
劉知遠ですら漢を名乗ったというのに

272 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 16:57:57.48 0.net
ていうか劉備一派なんて所詮コジキみたいなゴロツキ集団で正当性なんて無いに等しいんじゃね?
基本はいじきたない利己主義であちこちフラフラ放浪しながらシノギをさがしてたただのヤグザ

273 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 17:04:11.14 0.net
おう三戦っぽくていいぞそのノリ

274 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 17:23:41.44 0.net
あと諸葛亮
こいつもろくでもねえ
自らはなんもせず呉をそそのかして曹操と争わせるってまんま毛沢東だろw
人材のないのに内部で粛正なんかして自分に権力集中させることに成功してるし
やだやだなにが出師の表だよwwwキモッ

275 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 20:59:02.58 0.net
>>269
劉宋下で書かれた正史後漢書で我らが聖漢とか書いてあるから
漢の意識はあったと思われる

276 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 21:16:10.52 0.net
>>274
「泣いて馬謖を斬る」
「死せる孔明、生せる仲達を走らす」
と名言を作っただけ

277 :世界@名無史さん:2014/02/20(木) 22:05:21.80 O.net
まあこれ書いた奴が
おまえんところ良く書いてやるから米よこせや→キィー!断りやがった!じゃあいいやおまえんとこ無視な!
諸葛亮てめーは俺の身内ころしやがってゆるさねー!悪口書いてやる!
とかいうとても品格のあるお人だからな

278 :世界@名無史さん:2014/02/21(金) 00:44:02.13 0.net
なんでや三顧の礼と七縦七禽もあるやろが!

279 :世界@名無史さん:2014/02/21(金) 10:33:37.04 O.net
諸葛亮の人狩りだな

280 :世界@名無史さん:2014/02/21(金) 14:26:19.33 O.net
素性のあやしいゴロツキが成り上がると劉備のように綺麗事並べ立てたがるんだよな

281 :世界@名無史さん:2014/02/21(金) 14:36:11.28 0.net
その人の姓は朱っていうんじゃないですかねぇ

282 :世界@名無史さん:2014/02/21(金) 19:07:12.37 0.net
素性のあやしいとか曹操の親父のことそこまで悪く言うなよ

283 :世界@名無史さん:2014/02/21(金) 19:48:30.76 0.net
誰だって寄って立つ権威がしっかりしてなかったら
万人受けを狙うしかないだろ

284 :世界@名無史さん:2014/02/21(金) 23:36:08.51 O.net
自分たちが私欲が強く自分に不利益な約束を守らない人種だから綺麗事にあこがれるのか… と一瞬思ったがそんな奴らばっかの社会じゃそれが普通だからそんな内省的なこと考えるわきゃねーなw

285 :世界@名無史さん:2014/02/27(木) 03:41:13.65 0.net
光栄(コーエー KOEI)ソフトウェア全タイトル パッケージ&中身
http://www.youtube.com/watch?v=LZaGXATBp74

この中国は好きなんだよ
現実世界の、現在の中国は嫌い

286 :世界@名無史さん:2014/02/27(木) 08:21:05.40 O.net
戦前から生息してた赤が終戦時から徐々に日本を侵食し角栄くわえこんだあたりから自民にも中華様が入り込んで今に至るんだよなあ
もう日本だめじゃね?
右を見ても左をみても赤ばかりな米の飼い犬
米がやだからって中華様に近づいてなんとかなるとでも思ったのか
チョンと同じことしてどうなるよ
まあ もう手遅れだな…

287 :世界@名無史さん:2014/02/28(金) 21:58:24.13 0.net
>>257
ほれ見ろよ、嫌蜀厨の発狂に加え、ひん曲がったちんこみたいなネトウヨまで
出てきたじゃねえか

ところで中国版のグーグルで検索してたらこんなのが出た
http://tc.wangchao.net.cn/junshi/detail_43592.html
劉備はうお座か

288 :世界@名無史さん:2014/03/01(土) 09:03:40.60 O.net
スタグフレーション突入w日本崩壊のはじまりw劉備?どうでもええw中共が攻めてくるw

289 :世界@名無史さん:2014/03/01(土) 19:34:35.21 O.net
蜀嫌いだの右だの頭悪い発言だな。

290 :世界@名無史さん:2014/03/01(土) 22:54:36.52 0.net
>>275
劉裕とその後(特に文帝期)は分けるべきだろう。禅譲した後に
王莽魏晉桓玄もしなかった先王朝の皇帝を殺害したように劉裕は礼教軽視
の傾向がつよい。

291 :世界@名無史さん:2014/03/01(土) 23:43:45.23 0.net
>>290
それは劉裕と言うより時代の流れじゃないかな?
蕭衍ですら南斉の和帝殺してるしな
のち仏教狂いになったとはいえ、初期は蕭衍は礼教重視だろう
それ自身劉裕からの流れに乗ったと言えるかもしれないけど…
王莽魏晉桓玄はしなかったが劉裕以降は北宋以前まで殺しつづけるわけだし
単に礼教とかそういうわけでもないでしょう

292 :世界@名無史さん:2014/03/01(土) 23:57:19.62 0.net
古代からの話だけどコン刑が屈辱的な意味を持ったり、
華佗伝とかで体を傷つけることを避けたりしてることから考えて古代中国では髪って全く切らなかったの?
あと司馬炎の髪が長いからすごいよって話は、
みんな髪は伸ばしてるけどそこまで普通いかないからすごいって理解で大丈夫?

293 :世界@名無史さん:2014/03/02(日) 04:23:32.88 0.net
>>292
儒教で「身体髪膚」を傷つけないことが孝行の始まりとしてるからでは?

294 :世界@名無史さん:2014/03/02(日) 11:22:38.40 0.net
宮刑に処せられたあとの司馬遷は実際に宦官の仕事に就いたの?

295 :世界@名無史さん:2014/03/02(日) 11:53:40.81 0.net
>>294
当時は宦官の官職だった中書令になっているよ

296 :世界@名無史さん:2014/03/03(月) 11:50:49.47 0.net
>>289
だって本当に蜀嫌いだし、ネトウヨだろ

297 :世界@名無史さん:2014/03/03(月) 23:53:32.38 O.net
>>296
そう思うのなら永遠と回線切れよ
ネットやるんじゃねぇよ

298 :世界@名無史さん:2014/03/04(火) 07:00:35.99 0.net
蜀好きは陰険なネクラでok?

299 :世界@名無史さん:2014/03/04(火) 12:32:23.34 0.net
>>298
ただの馬鹿
>>296見りゃ分かるだろ

300 :世界@名無史さん:2014/03/04(火) 19:11:05.85 0.net
はあ?お前らが回線切れよ、嫌蜀厨は現実にゴロゴロいるが
(本よみゃ分かる患者ばっかりw)まっとうな三国志ファンは少ないからな
その数少ない三国志ファンとの交流を楽しみにしてるんでね
お前ら池沼患者こそ、だから三行けって言ってるだろ
お仲間がゴロゴロいるだろw

301 :世界@名無史さん:2014/03/04(火) 19:14:30.73 0.net
しかし、どうして三国志の研究家は患者が多いんだろうな

302 :世界@名無史さん:2014/03/04(火) 20:45:13.30 0.net
研究家レベルになるとどの陣営云々とか言う人皆無だぞ?

というより史料少ないからどこも満遍なく愛してないと研究捗らないねん

303 :世界@名無史さん:2014/03/04(火) 21:21:42.28 0.net
>>299
なるほど、確かに

304 :世界@名無史さん:2014/03/04(火) 23:32:40.34 O.net
俺は蜀っていうか中国人が嫌い
だから中国人が殺し合う三国志は好きだよ

305 :世界@名無史さん:2014/03/05(水) 00:11:55.89 O.net
蜀好きな奴に偏屈な奴がいるとわかった

306 :世界@名無史さん:2014/03/07(金) 08:21:13.63 0.net
どうでもいいけど
>>302の似非関西弁が気になる

307 :世界@名無史さん:2014/03/07(金) 10:19:28.37 0.net
2chで似非関西弁とか今更過ぎる

308 :世界@名無史さん:2014/03/07(金) 22:36:21.85 0.net
>〜ないねん
ドイツ語とかフィンランド語なのかもしれない

309 :世界@名無史さん:2014/03/10(月) 01:26:11.43 0.net
アホネンというジャンプの選手がフィンランドに居たな

310 :世界@名無史さん:2014/03/10(月) 01:45:08.86 0.net
コスイネンとカタイネンもな

311 :世界@名無史さん:2014/03/10(月) 20:14:27.38 O.net
そうマイナーな人物あげても
ライコネンというF-1ドライバーがいるではないか

312 :世界@名無史さん:2014/03/10(月) 20:17:18.60 O.net
すまん、ハッキネンを忘れてた

313 :世界@名無史さん:2014/03/10(月) 21:40:05.16 0.net
エノッピドゥー、なのねん

314 :世界@名無史さん:2014/03/14(金) 00:41:55.84 0.net
パンおいしいねん

315 :世界@名無史さん:2014/03/15(土) 07:26:04.36 0.net
魏@王道
呉@マニアック
蜀@マンネリ

316 :世界@名無史さん:2014/03/17(月) 23:08:53.01 0.net
魏 AKB
呉 SKE
蜀 乃木坂

317 :世界@名無史さん:2014/03/18(火) 23:10:19.23 O.net
魏「ブライアント(近鉄)」
呉「デストラーデ(西武)」
蜀「ディアズ(ロッテ)」

318 :世界@名無史さん:2014/03/20(木) 21:23:05.75 0.net
ギャンブル三国志
魏/競馬
呉/カジノ
蜀/パチンコ

319 :世界@名無史さん:2014/03/21(金) 01:09:30.95 0.net
もうネタはいいから

320 :世界@名無史さん:2014/03/21(金) 21:55:27.27 O.net
マジネタがないから仕方ない

321 :世界@名無史さん:2014/03/21(金) 21:58:24.22 0.net
ガチで研究のためで結論出るまであんま外に出したくないネタと
もうどうでもいい語り尽くされたネタしかないので誰かの話題に乗っかるしかない俺

322 :世界@名無史さん:2014/03/22(土) 01:22:27.92 0.net
凄い分かる
ほんとにちゃんと独自な考えを持ってることはあんまここで言いたくないんだよな

323 :世界@名無史さん:2014/03/23(日) 16:49:29.96 O.net
中華土人は殺しあって滅亡したらいい
世界のために

324 :世界@名無史さん:2014/03/28(金) 21:07:57.12 0.net
曹操は徐州の民を大量虐殺した英雄
呂蒙は関羽を斬った英雄
周瑜は曹操の兵を焼き払った英雄
陸遜は劉備の兵を焼き払った英雄

蜀には英雄いないなw

325 :世界@名無史さん:2014/03/29(土) 05:46:30.49 0.net
質問なんだけど曹丕の「文章は経国の大業」って言葉
この場合の文章っていうのは現代的な意味の文章と変わりないの?

326 :世界@名無史さん:2014/03/29(土) 12:20:32.96 0.net
文章=今で言う文系全般
法律、経済、勿論文学も含まれる

327 :世界@名無史さん:2014/03/30(日) 00:30:55.72 0.net
もし三国志の人物に仕えるなら誰がいい? 君主以外でもいい。
おれはやっぱり魯粛かな。関係ないが孫権とかがゲーム上の能力高いのには
納得いかないのだが。

328 :世界@名無史さん:2014/03/30(日) 02:04:28.60 0.net
すまん

そういうのはここじゃなくて三戦板行ってやってくれ

329 :世界@名無史さん:2014/03/30(日) 02:32:06.77 0.net
いいじゃん別に過疎ってるんだし。

330 :世界@名無史さん:2014/03/30(日) 08:04:39.60 0.net
三戦板の方が過疎ってるここでやるよりもあなたとお友達になれそうな方が多いですよ

331 :世界@名無史さん:2014/03/30(日) 13:27:06.42 O.net
三戦版?ああっ、誰も寄り付かない化石なってるあの板かw

332 :世界@名無史さん:2014/03/30(日) 15:21:01.17 0.net
関羽信者とかいうのが荒らしまくったせいで、まともに議論できる人がほとんど逃げちゃったからな…

333 :世界@名無史さん:2014/03/30(日) 16:10:52.78 0.net
>>332
長年、気に入らん人様に曹操何ちゃらと難癖付けてたしね
こんな事が続いちゃったから人がいなくなって当たり前
今はコテ馴れ合い板になってるし

334 :世界@名無史さん:2014/03/30(日) 16:21:34.56 0.net
一応三戦板も細々とまともな議論してるスレもあるが活発とは到底言い難いからな
10年くらい前の勢い有った時期からは隔世の感がある

335 :世界@名無史さん:2014/03/30(日) 23:39:50.63 0.net
まともかねぇ

336 :世界@名無史さん:2014/03/31(月) 04:08:55.87 0.net
ジキル博士とハイド氏のハイド氏が眠ってる間程度にはまとも

337 :世界@名無史さん:2014/03/31(月) 22:53:11.65 0.net
微妙すぎるw

338 :世界@名無史さん:2014/04/03(木) 18:01:05.25 0.net
袁術の再評価が一時流行ってたけど、今どういう評価で落ち着いたんだろうか

339 :世界@名無史さん:2014/04/03(木) 23:26:47.26 0.net
忍者もIDもない三戦はやりたい放題だが過疎

340 :世界@名無史さん:2014/04/06(日) 01:07:55.77 0.net
ここも過疎

341 :世界@名無史さん:2014/04/06(日) 01:19:49.64 0.net
袁術みたいなネタキャラ枠からの再評価とかだと良いんだけど
人気や知名度ある人物だとちゃんと正史の文章引用しつつ批評しても
○○信者とか○○厨とかアンチ○○言われて磨り減るからもう三戦板からは俺撤退してるなぁ

曹操を戦争屋、政治は微妙なところも多いって言った時は本当に変なの次から次へと沸いてきたし

342 :世界@名無史さん:2014/04/06(日) 12:31:50.18 0.net
三戦板はポケモン板のようなキャラ萌え板
ピカチュウはネズミだから〜と生物学的な引用をしたところで受け入れられないように
史実の引用は受け入れられない


まあ実際のポケモン板はピカチュウ萌えーかわいいみたいなところじゃないんだけど

343 :世界@名無史さん:2014/04/09(水) 00:30:11.77 O.net
まあ、劉備ってドブネズミみたいなもんだよな
キャラ的には

344 :世界@名無史さん:2014/04/09(水) 00:54:57.12 0.net
え、てっきり手長猿か、兎かと

345 :世界@名無史さん:2014/04/09(水) 20:39:00.05 0.net
三国志ライターで劉備をラオウみたいな奴って言ってるのがいたな

346 :世界@名無史さん:2014/04/09(水) 23:48:40.69 0.net
なぜだか佐村河内と劉備が被る

347 :世界@名無史さん:2014/04/10(木) 07:07:11.51 O.net
関羽はうなぎ犬

348 :世界@名無史さん:2014/04/10(木) 19:47:51.41 O.net
劉備「陳寿よ、ねつ造してまで俺を美化して書いてくれ」
陳寿「しかたねー」
第三者「(゚д゚) ポカーン」

349 :世界@名無史さん:2014/04/11(金) 11:47:41.77 0.net
劉備
161-223
陳寿
233-297

350 :世界@名無史さん:2014/04/12(土) 00:03:15.97 0.net
ゴーストライター劉備

351 :世界@名無史さん:2014/04/16(水) 00:03:32.39 0.net
されど三戦

352 :世界@名無史さん:2014/04/16(水) 12:43:57.15 0.net
発想だけは面白いけど揚州にいるってありえないだろ

353 :世界@名無史さん:2014/04/23(水) 18:51:56.84 0.net
やっぱ三戦はレベル低い

354 :世界@名無史さん:2014/05/01(木) 16:15:35.41 0.net
>>339−340
ここが過疎なのはまぁどうでもいいとして
三戦も過疎っぷりって最近どうなのかな、どんどん酷くなってるのか持ち直してるのか

355 :世界@名無史さん:2014/05/03(土) 13:18:04.58 0.net
>>354
どーでもいいよ、三戦なんて
とっとと閉鎖してしまえ

356 :世界@名無史さん:2014/05/27(火) 05:48:53.37 0.net
張飛ってどんなやつだったのかな
関羽はイメージできるけど張飛はよくわからん

357 :世界@名無史さん:2014/05/27(火) 12:39:20.14 0.net
>>356
酒呑み、豪傑、激情、戦術的な駆け引きは得意、御徒

358 :世界@名無史さん:2014/05/27(火) 23:01:14.37 0.net
酒飲みは違うんじゃ?

359 :世界@名無史さん:2014/06/03(火) 23:18:18.23 0.net
酒豪ときたら孫権だろう

360 :世界@名無史さん:2014/06/04(水) 11:50:51.47 0.net
酒豪っていくらか飲んでも潰れない人の事じゃないの?
孫権は酔った勢いで問題起こしまくってるだろ

361 :世界@名無史さん:2014/06/04(水) 12:29:39.56 0.net
酒乱

362 :世界@名無史さん:2014/06/13(金) 21:36:19.45 0.net
いくら飲んでも酔い潰れなかった人物というと、盧植や華歆だな。

363 :世界@名無史さん:2014/06/17(火) 21:50:11.26 0.net
>>332
そこからの流れを見ても分かる通りや最初に攻撃をしてきたのはお前らだろクランケ
クズみたいな曹操患者が跋扈したせいで皆もう嫌になって
善良な蜀ファンが消えたんだよ、だから三戦は衰退したんだ
正統な三国志ファン=蜀ファンだからな」

364 :世界@名無史さん:2014/06/17(火) 21:54:06.50 0.net
あといったいいつになったら患者の精神疾患被害妄想は続くんだろうな
魯迅や毛沢東も再評価したし本場の中国じゃもうどうとも思われてねえよ

365 :世界@名無史さん:2014/06/17(火) 22:19:19.00 0.net
あと三国志の話題がつきるのは君主の大半がクズばかりだからだろ
名君ばかりの日本の戦国時代と違ってな
唐卓は暴虐さだけが取り柄のデブ呂布は筋肉馬鹿袁術はただのバカ袁紹劉表はボンクラ呉の三傑論外
こんな連中を相手にしてるんだから曹操も孫氏も活躍できたんだろ

366 :世界@名無史さん:2014/06/18(水) 00:02:24.26 0.net
まあ家康が鼻削ぎ、耳削ぎをやりまくりだった話とかはほとんどの人が知らないからな。

歴女とか言われるライトな歴史好きもそういう話題より忠勝わっしょいだから。

367 :世界@名無史さん:2014/06/18(水) 00:10:08.13 0.net
三国文化のバトンを持たずに疾走した有能なランナー宮城谷氏について
http://togetter.com/li/679947


にゃも @AkaNisin 2014-06-11 07:44:48
@Hiro_Satoh へー...宮城谷さんはあまり三国志に詳しい方ではないのでしょうか?

にゃも @AkaNisin 2014-06-11 08:24:56
@Hiro_Satoh よくいる歴史好きのおじいちゃんですね

にゃも @AkaNisin 2014-06-11 08:36:30
@TAKEUTIMasahiko 宮城谷の名前を貼っとけば、とりあえずファンには売れるという程度の作品なのですか..


にゃも @AkaNisin 2014-06-13 14:13:23
@Hiro_Satoh 僕も『三国志読本』を読みました。感想はひろおさんと同じであります。
それと、本作にように歴史をひたすらに追求するのならば、宮城谷さんは勉強不足だとも感じました「

このスレの住人もこんな意見

368 :世界@名無史さん:2014/06/18(水) 10:02:13.97 0.net
>>363-366の異常な文章見ればどっちがおかしいかなんて一目瞭然なんだけどなw
完全に狂っちゃってるよ関羽信者ってやつはw

369 :世界@名無史さん:2014/06/18(水) 13:57:00.41 0.net
だからそうやって攻撃を仕掛けてきたのはお前らだろっての
いい加減クランケは三逝け三
家康は260年の天下泰平を実現させた男だぞ
数十年しかもたなかった国を作った連中と違ってな
残虐さなら曹操の徐州大虐殺も患者は華麗にスルーしてるしな

370 :世界@名無史さん:2014/06/18(水) 14:01:13.23 0.net
家康の耳削ぎなんて信憑性のない資料なんか信用できるかよ

371 :世界@名無史さん:2014/06/18(水) 16:03:30.05 0.net
そもそも何で急に家康が出てきたのか
意味不明すぎる

372 :世界@名無史さん:2014/06/18(水) 21:58:07.30 0.net
三国志クイズ

三国時代の君主の中で「封禅の儀」を行った人物は誰でしょうか。
資料を見ずに正解できたら立派なマニア。

373 :世界@名無史さん:2014/06/18(水) 23:32:39.99 0.net
たぶん呉の君主だろうなと見当をつけて調べたら孫晧だった
江南の神秘主義流行の芽はこの頃から出始めていたのか、ちょっと勉強になったわ

374 :世界@名無史さん:2014/06/19(木) 15:45:57.06 0.net
孫晧の酷刑て陳寿が現役で活動していた時だから全部、本当なのかね?
陳寿はどうも呉の君主への評価が厳しいんだが。

375 :世界@名無史さん:2014/06/19(木) 18:40:53.06 0.net
碁が嫌いだったっぽい

376 :世界@名無史さん:2014/06/20(金) 01:28:04.86 0.net
曹叡は封禅にびびってたね
魏の正当性に疑ってたところがあったんだろうか

377 :世界@名無史さん:2014/06/20(金) 08:05:07.69 0.net
>>376
漢の武帝は南越などを平定してからやっと行ったことだからな
蜀も呉もあるうちからやるってのは抵抗あるんだろ

378 :世界@名無史さん:2014/06/20(金) 09:31:53.81 0.net
>>363
>正統な三国志ファン=蜀ファン

釣れますか?

379 :世界@名無史さん:2014/06/22(日) 00:20:14.53 0.net
今もパチンコにはNAOMI2姐さん使われてるの?

380 :世界@名無史さん:2014/06/22(日) 23:50:23.77 0.net
丹陽兵って屈強なことに定評があるけどどのくらい強かったんだろう?

381 :世界@名無史さん:2014/06/23(月) 01:01:50.10 0.net
楽々とトイレットペーパーを破るぐらいじゃね?

382 :世界@名無史さん:2014/07/03(木) 11:52:28.88 0.net
それは凄いね

383 :世界@名無史さん:2014/07/07(月) 21:12:07.20 0.net
孫堅は正史読んでるとほぼ完璧超人じゃね

384 :世界@名無史さん:2014/07/07(月) 21:19:17.42 0.net
どこが

あいつは性格悪いって書いてあるだろ

385 :世界@名無史さん:2014/07/07(月) 21:20:32.41 0.net
完璧超人ってネプチューンキングとか性格悪いの多かったからいんじゃね?

386 :世界@名無史さん:2014/07/07(月) 23:48:31.31 0.net
>>375
蜀の遺臣って呉嫌いが多いからな。
まあ蜀をデスるわけにもいかんし、再就職先の魏を叩くのはもっといかんから仕方ないのかもしれんが。
あとハイエナにきたのを死ぬほど恨んでいるっぽい。

日本でいえばアレだけ日本に最低な事やったアメリカよりも、
ハイエナに来たソ連を嫌うようなものではないかと思う。

ソ連の場合は、アメリカに頼まれて参戦したんだけどな。
スターリンはソ連海軍しょぼいし、ノモンハンでかなり苦戦したのもあって日本軍と戦いたくなかったようだし。

387 :世界@名無史さん:2014/07/08(火) 10:34:24.88 0.net
呉は蜀の滅亡を防ぐために牽制の軍を出したりしてるのに、逆怨みもいいとこだな
蜀が呉の為にやった事って何かあるか?

388 :世界@名無史さん:2014/07/08(火) 17:11:38.18 0.net
蜀目線で行くと呉は魏を叩くチャンスなのにやる気ない出兵して負けてすぐ帰るザコな印象

389 :世界@名無史さん:2014/07/08(火) 18:39:02.43 0.net
>>387
羅カン「・・・」

390 :世界@名無史さん:2014/07/08(火) 19:54:29.44 0.net
呉の永安攻めは蜀滅亡後じゃないか。そもそも

391 :世界@名無史さん:2014/07/09(水) 22:55:46.10 0.net
ソ連とやってること同じ

392 :世界@名無史さん:2014/07/15(火) 08:13:39.66 O.net
ま 所詮中国人のやることだからなw

393 :世界@名無史さん:2014/08/12(火) 23:03:15.62 0.net
白帝城は山城?都市?

394 :世界@名無史さん:2014/08/12(火) 23:18:26.03 0.net
劉備は、兵法を知らぬ。七百里にわたって点々と陣営を張るとは、分散された兵力でいざというときどう対処するというのか。

395 :世界@名無史さん:2014/08/13(水) 01:06:53.59 0.net
怒りで一気に滅ぼすには呉の本拠は内陸すぎたな
最前線に呂蒙が出てきてて、呂蒙を撃ち取れたら
まあ目的は果たしたで帰れたかもしれんが
つくづく運命のいたずらやな

396 :世界@名無史さん:2014/08/13(水) 21:55:43.56 0.net
孔明が出陣しなかったのはなぜ?

397 :世界@名無史さん:2014/08/14(木) 00:01:47.23 0.net
天才軍師諸葛亮なら、もう劉備が攻め入って負けるのは分かってるから、
負けるならせめて損害を少なくしようと立ちまわったから

正史なら軍事の責任者じゃなかったからじゃないの

398 :世界@名無史さん:2014/08/15(金) 01:08:03.67 0.net
公孫讃と遼東公孫氏は親戚なのですか?

399 :世界@名無史さん:2014/08/15(金) 01:33:02.81 0.net
親戚ではありません

400 :世界@名無史さん:2014/08/15(金) 06:22:09.30 0.net
日本では古代に導入された弩が廃れた。
製造技術までは習得できなかったせいか?

401 :世界@名無史さん:2014/08/15(金) 06:23:40.63 0.net
方天画戟も青龍堰月刀も日本に伝わっていないのは、原料の鉄が少ない砂鉄だけだったからか?

402 :世界@名無史さん:2014/08/15(金) 06:24:57.33 0.net
木牛流馬は猫車。

403 :世界@名無史さん:2014/08/15(金) 13:00:27.09 0.net
>>400
弩をくみたてるより和弓を馬鹿力でひくほうが楽でしょうが

404 :世界@名無史さん:2014/08/15(金) 14:41:47.53 0.net
>>400
鎌倉武士は大集団による戦闘を基本的にしなかったから複雑な兵器を使わない。

405 :世界@名無史さん:2014/08/15(金) 14:43:46.38 0.net
>>401
2つとも明代の兵器。平地での騎馬戦に向いてる。
日本には騎馬戦がなかったから。

406 :世界@名無史さん:2014/08/16(土) 01:12:56.31 0.net
戦車戦もないしな

407 :世界@名無史さん:2014/08/16(土) 19:17:33.90 0.net
平地が狭いから。

408 :世界@名無史さん:2014/08/17(日) 14:51:28.81 0.net
曹操の死因は脳梗塞でしょうか?

409 :世界@名無史さん:2014/08/17(日) 15:06:20.50 0.net
脳腫瘍じゃないかと個人的に思うけど。
癲癇のような症状があったんじゃないかな。

カエサルやアレキサンダーと同じ感じ

410 :世界@名無史さん:2014/08/17(日) 20:29:57.15 O.net
肺結核という説もあった
210年後半は流行り病で七子の何人かも亡くなっていること、虎痴が血を吐いたことから、頭痛の悪化と流行り病の併発とかね

411 :世界@名無史さん:2014/08/18(月) 02:56:56.18 0.net
古代には中国にも華陀の外科手術があったのに曹操に殺されて消滅したのですか?

412 :世界@名無史さん:2014/08/18(月) 06:09:50.77 0.net
なかったのに、あったことになってんだろ
妖怪とか魑魅魍魎の類

413 :世界@名無史さん:2014/08/18(月) 17:30:30.86 0.net
呉は倭と政治関係があったのですか?

414 :世界@名無史さん:2014/08/18(月) 20:11:40.68 0.net
倭は呉のほうには使者を送らなかったのですか?

415 :世界@名無史さん:2014/08/20(水) 00:30:51.64 0.net
質問なんだけどさ
日本の武士の場合は軍事教練的な側面があるのは有名だけど
三国志の時代の中国もそうなのかな?
とりあえず曹丕が叩かれまくってたのは知ってるけど

416 :世界@名無史さん:2014/08/20(水) 12:34:46.59 O.net
つか何だ、この流れ

417 :世界@名無史さん:2014/08/20(水) 21:25:07.82 0.net
三国志関連のスレや板なんて夏休み中一番触れちゃいけないところだろ
9月までほっとけよ

418 :世界@名無史さん:2014/08/21(木) 04:25:02.22 0.net
>>414
三国時代の呉(江南)は隋唐以後の江南と違って
中原より経済も文化も下の後進地域だぜ
そんな所に使者を送らねえよ

419 :世界@名無史さん:2014/08/21(木) 07:31:57.50 0.net
南朝の劉宋なり普通に使者送ってたんですけど…

420 :世界@名無史さん:2014/08/21(木) 09:47:29.56 0.net
交流があったら孫権が人を攫いに派兵したりしないんじゃないの
もうちょっと方法選ぶでしょ
あれは台湾・沖縄なんだっけ

421 :世界@名無史さん:2014/08/21(木) 19:36:48.12 0.net
倭の五王とは何だったのか…
東晋・安帝に貢物を献ずるから始まって梁の武帝に朝貢してるのにな
日本人の出自の一つとされるのが戦国の呉越なのにな…
つーか呉鏡が日本に来てる時点で何らかの往来はあっただろ

422 :世界@名無史さん:2014/08/21(木) 19:45:43.91 0.net
>>421
呉→公孫淵→倭じゃないの?
鏡を直接送るくらいの交易があれば絶対史書に残るはずだし

423 :世界@名無史さん:2014/08/21(木) 20:46:39.54 0.net
そもそも倭は統一されているわけでもいないし
日本列島にあったどこかの国からか来たんじゃねえの?
そもそも、米作とか長江流域から直接来たんだし
往来がないわけないだろ

424 :世界@名無史さん:2014/08/21(木) 22:51:35.50 0.net
あの、倭の五王は東晋以降で、
三国志の時代なら、卑弥呼や壱与です……

425 :世界@名無史さん:2014/08/21(木) 23:16:26.57 0.net
>三国時代の呉(江南)は隋唐以後の江南と違って
東晋って隋唐より後だったのか

426 :世界@名無史さん:2014/08/22(金) 01:21:28.71 0.net
呉服とか呉音とか紅(=くれ・の・藍あい)という日本語が残っているのだから、倭人が江南と関係なかったなんてことは考えられないが。

427 :世界@名無史さん:2014/08/22(金) 01:24:30.60 0.net
邪馬台国の対立勢力が呉に支援され、邪馬台国が魏に支援されていたのでは?前者の記録は失われたけれど。

428 :世界@名無史さん:2014/08/22(金) 01:26:15.20 0.net
>>418
孫権も本当は地元の習俗に合わせて刺青していたのかも?

429 :世界@名無史さん:2014/08/22(金) 08:13:06.98 0.net
>>428
アメリカの開拓時代に白人たちが先住民の習俗をまねたか?

430 :世界@名無史さん:2014/08/22(金) 22:10:36.07 0.net
>三国時代の呉(江南)は隋唐以後の江南と違って

江南が文化経済で中原を上回るのは五胡十六国で中原が荒廃する一方で
江南地域に大量の漢族が亡命してからだな

どちらにせよ三国時代の江南は後進地帯
当時のジャパンと比較すれば文明国ではあるけどな

431 :世界@名無史さん:2014/08/22(金) 22:22:50.91 0.net
呉って山越討伐に明け暮れてる印象あるし、蛮夷に価値をみない政権だったんじゃね

432 :世界@名無史さん:2014/09/12(金) 01:33:38.24 0.net
折衝校尉ってどんな要職だったのでしょうか。
分かる方できれば教えて頂けませんか?

433 :世界@名無史さん:2014/09/12(金) 07:26:27.12 0.net
校尉で思い出したけど、キョチョ配下で将軍・校尉になったのものはいっぱいいるって
書かれてるけど具体的に名前とか役職出てる人物には誰かいる?
兄のキョテイが振威将軍になってるくらいじゃない?

434 :世界@名無史さん:2014/09/17(水) 23:00:53.36 0.net
Twitterの三国志クラスタって、当然のように費イがクーデターで権力を取っただの劉備が大豪族出身だの語ってるけど、もしそうなら何で三国志にはっきり書かれていないんだっていう。

435 :世界@名無史さん:2014/09/17(水) 23:10:55.72 0.net
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/otaku/12973/1409744522/
このやる夫スレってどうなん?

436 :世界@名無史さん:2014/09/20(土) 13:55:55.04 0.net
>>434
気になるなら自分でツイッター上で聞いてみればいいんでね?

○○という説を提唱している人がいるけどそれって本当?ってここで聞く前に
説を提唱してる本人に当たれる環境あるならそっちで聞いた方が話速いよ

437 :世界@名無史さん:2014/09/21(日) 22:16:40.41 0.net
https://kiss.kokushikan.ac.jp/pages/contents/0/data/1004685/0000/registFile/2187_6525_003_04.pdf
劉備出自考

劉備が皇族としての特典を受けてたことを指摘する山田勝芳氏の研究を紹介してないのは
どうなんかなと思うけど

438 :世界@名無史さん:2014/09/22(月) 12:24:25.48 0.net
読んでないけど、(pdfは重い)
・誰も劉備の出自について追求してない
・大した功績もないうちから左将軍に任命されてる
から少なくとも当時の人達は劉備が皇族である事に疑いを持っていなかったと思うんだよね

もし詐称なら大きな脛傷になるし下手すりゃ罪人
でも敵対勢力でさえその事に触れていない
今には残っていないけど、当時にはそれなりに信頼性の高い証拠があったんだろう。

439 :世界@名無史さん:2014/09/22(月) 14:25:58.87 0.net
左将軍自体は
董旻→袁術→呂布→劉備
と横滑りにとりあえず与えてただけな気がするけどな

ともあれ、引用された論文は荊州以前には皇族を称して無いと指摘する部分は面白いけど
劉表から皇族として特典を受けていたとかはただの想像で論証してないだろ

440 :世界@名無史さん:2014/09/23(火) 01:18:11.17 0.net
日本で発見された赤烏年鏡は呉人がもたらしたものに違いない・・・

441 :世界@名無史さん:2014/09/23(火) 01:44:45.72 0.net
そもそも劉氏かどうかなんか光武帝の出自が景帝からくだると大したことがないように
劉備も似たようなもんでさらに後漢建国から150年たってるんだからそりゃ誰も問題にしないわ

442 :世界@名無史さん:2014/09/23(火) 10:19:03.47 0.net
魏には漢以来の記録とか戸籍とかあるんだし臨邑侯子孫説のがまだ信憑性高いんじゃないかな

まあ朝廷が洛陽から長安に移動してさらに長安から皇帝が逃走する時点で
相当の行政史料は失われてると考える方が正しいか

443 :世界@名無史さん:2014/09/27(土) 05:05:10.57 0.net
家柄は歴代三公の御曹司 袁術>>越えられない壁>>草鞋作りの劉備
ですから。

444 :世界@名無史さん:2014/09/27(土) 08:33:23.96 0.net
何言ってんだ?「家柄」で言ったら皇族のが上に決まってんだろ

ただ当時の社会を見ればその辺の弱小皇族なんかより
袁氏は遥かに権門ってだけで

445 :世界@名無史さん:2014/09/29(月) 22:46:40.95 0.net
いくら皇族の末裔でも、皇族と言えるのは分家して亭侯くらいまでだよ
劉備の家は皇帝を祖にする民(っても豪族ではあっただろうが)でしかない

446 :世界@名無史さん:2014/09/29(月) 23:00:04.90 0.net
皇族といっても後漢からみるとかなり薄いわ
そもそももし前漢王朝が続いてたら
光武帝だって県令の息子程度だからそれから100年たってさらに4,5世代をカウントすれば
劉備なんて傍流の傍流

447 :世界@名無史さん:2014/09/30(火) 00:08:24.91 0.net
>>446
魏の史料では光武帝の兄の子孫扱いだから薄いどころかど本命の血筋

448 :世界@名無史さん:2014/09/30(火) 00:18:33.93 0.net
本命じゃねえよwww
劉邦の兄の劉伯、劉喜の子孫が前漢末期に本命と言ってるようなもんだぞ
景帝→長沙定王劉発→舂陵節侯劉買→鬱林太守劉外→鉅鹿都尉劉回→南頓県令劉欽→光武帝と劉エン

劉エンのときに王だと仮定してもそれから5代経てばしょぼいわな

449 :世界@名無史さん:2014/09/30(火) 00:32:01.45 0.net
まあだが霊帝のときはかなり系譜遡ってるし
袁紹も劉虞を擁立しようとしてる
擁立する側としてはおそらく劉姓と利便性が問題だった

450 :世界@名無史さん:2014/09/30(火) 00:53:15.08 0.net
劉備が夏侯惇を破った博望って張騫が封ぜられたところ?

451 :世界@名無史さん:2014/09/30(火) 08:31:50.86 0.net
>>448
全然違うよ
劉邦は劉邦が旗揚げして後から兄弟がそのおこぼれで出世だけど
劉秀は劉エンが旗揚げしてその一部将として反乱に参加してるから
主客が両者は全く逆の状態

452 :世界@名無史さん:2014/09/30(火) 23:28:48.57 0.net
それが100年以上先に光武帝の子孫より
本命視される理由になるのかよ
結局失敗して更始帝に粛清されたアホw
結局弟によって子どもを王にしたわけだし

453 :世界@名無史さん:2014/10/01(水) 01:23:40.90 0.net
結局担ぎ方によって劉姓の価値は高くも低くもなるってことでいいんですか。

454 :世界@名無史さん:2014/10/01(水) 01:56:36.30 0.net
劉一族は秦に残留した人質が遠祖であった。

455 :世界@名無史さん:2014/10/01(水) 01:57:35.97 0.net
春秋左氏伝

456 :世界@名無史さん:2014/10/01(水) 02:21:51.76 0.net
演技的な解釈だけど、帝の周囲もすげーごたごたしてて
地方で君主やってる由緒正しい皇族が軍閥化してる中で
優秀で忠誠心もありそうな皇族を頼りにしたってのはどうなの

457 :世界@名無史さん:2014/10/01(水) 03:02:04.55 0.net
演技的解釈なら、その頼りにした皇族を鉄砲玉扱いしていて
献帝の周囲もえらく世知辛い対応してるなあと思うわ

458 :世界@名無史さん:2014/10/01(水) 12:15:35.18 0.net
曹雪芹被??是曹操的后裔 -安徽新?-中安在?
http://ah.anhuinews.com/system/2014/09/24/006554293.shtml

459 :世界@名無史さん:2014/10/01(水) 21:25:03.52 0.net
ぶっちゃけ本流とか傍流とか大した問題じゃないわな
劉備にはそれだけの力と利用価値があっただけの話

460 :世界@名無史さん:2014/10/01(水) 21:32:23.87 0.net
>>456
劉表とか劉焉ってそういう存在だがな

もっともどちらも軍閥化しとるけど

461 :世界@名無史さん:2014/10/01(水) 22:30:31.42 0.net
実際詐称しても問題ないだろw
王郎が生きて勢力を保ってれば史書でも成帝の子の劉子輿になるわw
盧芳だって武帝の曾孫・劉文伯になるからある意味どうでもいいわ

462 :世界@名無史さん:2014/10/11(土) 19:00:06.39 0.net
新しく出来た国の国名って、創立者が以前任されてた土地の名前から持ってくるのが普通だけど
袁術の「仲」はどこに由来するんだろうか?

463 :世界@名無史さん:2014/10/11(土) 21:13:32.04 0.net
仲氏 っていうのが謎だよね

464 :世界@名無史さん:2014/10/16(木) 09:19:26.99 0.net
名前や字に「仲」の文字が入ってるのはたまに見るけど(仲達とか)、
「仲」の付く地名ってあまり聞かないな

ふと思ったが当時の豫州ってどういう状況だったんだろう
袁紹、袁術の出身地だけど

465 :世界@名無史さん:2014/10/18(土) 00:38:06.39 0.net
>>462
国の名前は成で国姓が仲氏じゃなかったけ?

466 :世界@名無史さん:2014/10/18(土) 17:25:24.89 0.net
成なんて書かれてないっしょ?

467 :世界@名無史さん:2014/10/18(土) 21:35:16.98 0.net
成の出典出してみろボケナスが

468 :世界@名無史さん:2014/10/18(土) 22:44:23.08 0.net
公孫述の「成」がいろいろあって袁術の国号のようになってしまった
公孫述は新末の群雄。成都に都を置いたから「成」
その「いろいろ」が公孫「述」と袁「術」を読み違えた説や
「仲氏というのは漢家や成家と同じような表現で〜」という解説文を読み違えた説
などを見たことがあるが現在の公式なり有力なりの説は知らない すまん
でも、袁術の国号は成ってのはそこらのタネ本に歴史的事実のように
書かれてた時期があるので、そう思ってる人は少なくないから
普通に説明しとこうよ、と思ったので横やりを入れさせていただくね

469 :世界@名無史さん:2014/10/19(日) 03:00:48.16 0.net
地名由来ではないだろうなあ
寿春近辺は春秋時代だと州来だし
地名由来だった漢・新の前例にしては、袁術が封じられたのは陽テキだから関係ないし

袁氏の始祖、轅濤塗が、別名、轅宣仲だけど、さすがにこれは関係ないだろうし

470 :世界@名無史さん:2014/10/20(月) 11:10:48.07 0.net
仲といえば仲孫氏ぐらいしかないしなぁ

471 :世界@名無史さん:2014/10/25(土) 21:31:41.66 0.net
袁術は結局どういう国家作りたいと思ってたんだろうな
ひたすら暴政敷いた記述しかないんだが

472 :世界@名無史さん:2014/10/25(土) 21:45:29.66 0.net
そら敵側の記述だし、呉側で記述あったっけ、確か息子が呉に行ったんだよね

473 :世界@名無史さん:2014/11/05(水) 18:29:17.99 0.net
劉備政権設立後の蜀って漢中争奪戦や夷陵の戦い、
南方平定や複数回に及ぶ北伐など様々な地域に戦争を仕掛けているけど
もしかして蜀が難治の国だから外敵を求めていたなんて事は無いんですかね?

正史三国志も持ってない全くの素人考えなんですが・・・。

474 :世界@名無史さん:2014/11/06(木) 00:25:54.14 0.net
魏という正統な外敵がいるのでわざわざ人為的に作り上げる必要はありません。

475 :世界@名無史さん:2014/11/06(木) 00:53:52.06 0.net
天下三分っつったってやっぱり中央の覇権争いだったし、
外敵がどーたら言うほど国は別個に独立してないしょ

476 :世界@名無史さん:2014/11/06(木) 01:01:21.82 0.net
>>475
そもそも、天下三分の計自体が天下統一へのステップですから

477 :世界@名無史さん:2014/11/06(木) 01:17:23.05 0.net
予定してた形とは大きく変わっちゃったけどね
おもに髯のせい

478 :474:2014/11/07(金) 00:09:48.82 0.net
レス有難うございます。
明確な敵国が存在しているのに他に戦争を仕掛ける必要性は有りませんでしたね。
それこそ戦費の負担増で逆に国がバラバラになるかも・・・。

下らない質問にお付き合い頂き感謝です。

479 :世界@名無史さん:2015/01/02(金) 15:50:43.13 0.net
>>434
費禕については個々人の主張する持論が微妙に違うから直接訊いてみるのが一番じゃね?
ただツイッターは酒場の雑談位に思っとくほうが。ずっと前に前フリがあって、それ前提で突然続きが始まる雑談の途中から見てる形になってると思うので当然のように語られてるようには見えるかもね。
 
劉備については大豪族だというのはそれまでの貧乏に対する対抗論上のフカシ込みだろね。大げさに言って見せるという。
世々、州郡に仕えてる家柄で祖父が孝廉に挙げられて父も州郡に仕えてるわけで父が早世しなければもっと好い暮らしが出来たのに位の感覚で見た方がよさげ。
本人や宗族にしてみたら予定外だったのかもしれないけど。その地域の超セレブと比べたら親父が早く亡くなって貧乏になって苦労したという立位置。
劉備出自考は是非読んどくといいかも。ネット上で拾えるし。

ネットの発展の何が凄いかというとこういうのを受益できる所だよなあ。
遅ればせながらあけおめことよろということでスレの皆様ひとつよろしく。では。

480 :世界@名無史さん:2015/01/21(水) 19:53:53.50 0.net
曹操出身の沛国って、当時も徐州の管轄だったんですか?

481 :世界@名無史さん:2015/01/21(水) 22:53:58.11 0.net
>>480
予州だろ

482 :世界@名無史さん:2015/01/22(木) 11:29:35.60 0.net
劉邦が定めた沛の住民への租税賦役免除て曹操の子供時代まで
続いていたの?

483 :世界@名無史さん:2015/01/22(木) 23:45:34.14 0.net
>>482
いい質問ですね

続いていたかもしれませんし
続いていなかったかもしれません

484 :世界@名無史さん:2015/01/23(金) 15:26:10.47 0.net
単純に考えれば王莽の時代にそうならなくなった様にも思うけど

485 :世界@名無史さん:2015/01/23(金) 22:28:29.79 0.net
単純に考えれば光武帝の時代に復活した様にも思うけど

486 :世界@名無史さん:2015/01/25(日) 22:01:38.62 0.net
陳スンシンが死んだね。

487 :世界@名無史さん:2015/01/25(日) 22:44:37.20 0.net
>>482
正解は清の時代まで免税が続いていました。孔子の故郷の曲阜も清の時代まで免税が続いていました。

488 :世界@名無史さん:2015/01/25(日) 22:47:11.42 0.net
正史で認められた皇帝の生まれ故郷は基本的に前王朝を打倒した新王朝といえども永世免税にしなければいけませんでした。

489 :世界@名無史さん:2015/01/26(月) 17:38:55.74 0.net
故郷ってどこまでの範囲なんだろう。
せいぜい村・郷程度かな。

490 :世界@名無史さん:2015/01/27(火) 18:03:40.06 0.net
県ぐらいまでじゃないの?

491 :世界@名無史さん:2015/02/04(水) 23:23:41.84 0.net
劉備と張飛の子孫っているの?

492 :世界@名無史さん:2015/02/05(木) 01:20:21.80 0.net
劉禅の子孫いるなら張飛の娘嫁いでるからいる可能性はあるんじゃね?

493 :世界@名無史さん:2015/02/05(木) 10:38:03.56 0.net
劉禅の子孫なら八王の乱の時に巻き込まれて絶滅しているよ。

494 :世界@名無史さん:2015/02/05(木) 11:10:11.97 0.net
八王の乱で生き残ったのは、劉禅の弟の劉永の一族だけらしい

495 :世界@名無史さん:2015/02/05(木) 11:55:38.94 0.net
張飛の子孫は次男の張紹が魏に降伏した際に列侯になっているから
多分、東晋でも生き残ったと思う。

496 :世界@名無史さん:2015/02/06(金) 21:01:58.15 0.net
http://wakarusangoku.fc2web.com/index.html

497 :世界@名無史さん:2015/02/08(日) 02:50:07.46 0.net
次漢の献帝

498 :世界@名無史さん:2015/02/11(水) 14:29:59.39 0.net
張飛の子孫の本貫ってどこ?タク郡?

499 :世界@名無史さん:2015/02/12(木) 01:05:35.91 0.net
燕人

500 :世界@名無史さん:2015/02/14(土) 23:32:51.72 0.net
>>495
八王の乱で消えてるんじゃないかな。

501 :世界@名無史さん:2015/02/24(火) 01:25:32.89 0.net
なんか建安文学を解説した文で曹植と何晏が友人だったみたいに説明する記述をよく見かけるけど
三国志を読む限り何晏と曹植の関係は伺えないんだが
というか何晏が建安文学の時代に活躍してたかすら怪しいんだが
どっかにそういう史料あるの?

502 :世界@名無史さん:2015/02/26(木) 00:03:16.21 0.net
曹丕に嫌われたからじゃないの

503 :世界@名無史さん:2015/02/26(木) 00:40:57.48 0.net
何晏「仲達殿は詩がヘタですな」

504 :世界@名無史さん:2015/02/26(木) 21:21:27.73 0.net
赤壁前だよ、時間軸は。

505 :世界@名無史さん:2015/02/26(木) 22:46:23.66 0.net
楊修と混同してるに一票

506 :世界@名無史さん:2015/03/16(月) 00:13:48.27 0.net
三国時代って尚書令が実質の行政のトップなの?

507 :世界@名無史さん:2015/03/16(月) 07:57:57.75 0.net
HOUSE MUSIC.

508 :世界@名無史さん:2015/03/17(火) 10:14:02.63 0.net
曹丕時代はおそらく尚書。
曹叡時代は中書。
それ以降は曹爽や司馬氏

509 :世界@名無史さん:2015/03/17(火) 14:14:00.54 0.net
基本的に録尚書事を持つ人間がいりゃそれがトップ
ただ魏は司馬氏が台頭するまでずっと変則的というか、一人に権力が集中することはない

510 :世界@名無史さん:2015/03/17(火) 23:44:12.08 0.net
録尚書事つっても実際に文書行政行うトップは尚書令でしょ?
文書の決裁も録尚書事がやってたのかな?

511 :世界@名無史さん:2015/03/18(水) 00:23:37.25 0.net
詔勅や上書など皇帝の扱う文書(尚書)を取り扱うのが尚書や中書(だから皇帝の決定に影響力を及ぼせる)。
法令や全国へ布告する実際の行政文書を総括したのが丞相や三公(つまり宰相)。
録尚書事は宰相機能の低下を補うものと考えられており、その権限は尚書台に届ける所までで、後漢代ではこれになったからといって権勢家になれるわけではなかった。
録尚書事が権勢家の職となるのは曹操から(袁隗と何進が一瞬だけ頑張ったっぽいが)

512 :世界@名無史さん:2015/03/18(水) 17:05:52.04 0.net
三国時代の三公は文書の総括はしなかったんじゃないかね
録尚書事を兼ねた場合は別として

513 :世界@名無史さん:2015/03/18(水) 17:11:03.63 0.net
魏が三公を置いた当初は、職務がなかったんだよな確か

514 :世界@名無史さん:2015/03/19(木) 17:44:44.41 0.net
前から名誉職じゃなかった?

515 :世界@名無史さん:2015/03/20(金) 20:50:43.43 0.net
尚書台=立法府という考え方で良いですか?

516 :世界@名無史さん:2015/04/03(金) 00:00:01.60 0.net
陳寿さん孔明と直に会ったことあるんだっけか?

517 :世界@名無史さん:2015/04/03(金) 00:58:36.11 0.net
孔明死んだ時にまだ幼児だから、会ってたとしてもしょうもない

518 :世界@名無史さん:2015/04/05(日) 03:59:19.30 0.net
陳寿のオヤジと孔明に因縁があった。

519 :世界@名無史さん:2015/04/06(月) 15:23:03.73 0.net
丁さんの事にしたって、後から出てきた話だしなぁ

520 :世界@名無史さん:2015/04/06(月) 21:16:32.19 0.net
孔明の羽扇・綸巾って道士のスタイル?

521 :世界@名無史さん:2015/04/06(月) 21:21:06.59 0.net
丁氏の件なら、あれって丁儀の一族の話じゃなくて、
呉の丁固のことらしいね

まぁだからと言って、たかりが真実とは思えないんだけど

522 :世界@名無史さん:2015/04/07(火) 22:45:14.41 0.net
>>518
そのわりには孔明のことをそんな貶めて書いたりはしてないな
えらいわ

523 :世界@名無史さん:2015/04/13(月) 03:21:07.84 0.net
太平道・五斗米道って洗礼や懺悔みたいに妙にキリスト教
チックなところがあるよな。
あの異常な信者獲得のスピードと組織結成力もキリスト教っぽい。
当時西域から来た初期のキリスト教徒から張角が影響を受けたり
したことは考えられないだろうか?

524 :世界@名無史さん:2015/04/13(月) 08:44:07.45 0.net
むしろユダヤ教のがありえると思うが

あれは紀元前からずっと中央アジアの交易ルートに乗って世界各地に移動してるし

525 :世界@名無史さん:2015/04/13(月) 23:48:57.17 0.net
まあ、キリスト教もユダヤ教も似たようなもんだから。
安姓の人物は記録に見えるからパルティアから人が
来てたことは確かなんだけどね。

526 :世界@名無史さん:2015/04/14(火) 00:31:24.19 0.net
>>525
4世紀ローマで国教化する以前のキリスト教はそこまで過大評価できねぇよ
あと全然違う

527 :世界@名無史さん:2015/04/14(火) 01:03:18.84 0.net
何がどう違うのか説明してね。

528 :世界@名無史さん:2015/04/14(火) 01:23:56.70 0.net
>>527
戒律の厳しさがダンチ
ユダヤ教の戒律は本当に面倒くさい

キリスト教は結構ゆるゆる、あくまでもユダヤ教と比較するとだが

529 :世界@名無史さん:2015/04/14(火) 01:39:45.51 0.net
ざっくり言ってキリスト教はユダヤ教の一派でしょ。
そういう議論をするスレでもないし。
だが、懺悔ってそもそもユダヤ教にあったかな?

530 :世界@名無史さん:2015/04/14(火) 01:40:51.56 0.net
あるよ

531 :世界@名無史さん:2015/04/14(火) 08:07:41.44 0.net
よそでやれ

532 :世界@名無史さん:2015/04/15(水) 07:45:33.56 0.net
やだ
ここでやる

533 :世界@名無史さん:2015/04/15(水) 12:23:44.80 0.net
しょうがないにゃあ

534 :世界@名無史さん:2015/04/16(木) 00:09:22.50 0.net
キリストの弟子トマスはインドまで布教に来てるからな。
その道中の滞在地で教団的なものもできていた可能性はある。

535 :世界@名無史さん:2015/04/16(木) 09:24:27.92 0.net
よそでやれ

536 :世界@名無史さん:2015/04/17(金) 01:19:24.86 0.net
霊帝の時代は西域から色んなもんが入ってきてたようだからな。
安姓の人物も色々見える。
大秦から来た人物は秦論くらいしか知らないが。

537 :世界@名無史さん:2015/04/17(金) 01:19:55.93 0.net
安敦の使者もいたか・・・

538 :世界@名無史さん:2015/04/18(土) 12:49:13.00 0.net
医者のカダってイラン人だってほんと?

539 :世界@名無史さん:2015/04/18(土) 13:11:27.61 0.net
曹操はローマ人らしいぞ

540 :世界@名無史さん:2015/04/18(土) 20:23:31.74 0.net
劉備が日本人だったらしいぞ!

541 :世界@名無史さん:2015/04/19(日) 03:42:14.40 0.net
華ダがスキタイが愛用していた大麻か阿片から
ヒントを得て麻酔を使用したというのは聞いた
ことがある。

542 :世界@名無史さん:2015/04/19(日) 06:42:45.29 0.net
そんな面倒なヒントより、麻酔いから着想を得たって考えるのが普通だろ

543 :世界@名無史さん:2015/04/19(日) 15:56:58.54 0.net
趙雲というと老将のイメージが強い。

544 :世界@名無史さん:2015/04/19(日) 19:01:54.93 0.net
白髯の老将ってイメージ?

545 :世界@名無史さん:2015/04/19(日) 20:03:41.00 0.net
劉備・関羽・張飛・諸葛亮が死んだ時点でも生き残っているからでしょ。
古参組=老将

546 :世界@名無史さん:2015/04/19(日) 21:02:18.68 0.net
霊帝の時代は西域の文物がかなり入ってきてたからな。
その時代に華ダが麻酔を発明したのは単なる偶然とは
言い切れない。

547 :世界@名無史さん:2015/04/19(日) 23:48:50.96 0.net
諸葛亮より先に死んだろw

548 :世界@名無史さん:2015/04/23(木) 17:45:52.06 0.net
諸葛亮って劉備より20も若いのに、あんまり若いイメージがない。
しかも、なぜか竹中半兵衛とイメージがかぶる。

関羽はインテリで人格者、張飛は猪突猛進の脳筋、趙雲は矍鑠たる老将のイメージ。

549 :世界@名無史さん:2015/04/23(木) 18:14:36.66 0.net
竹中半兵衛自体、若いイメージがない。

550 :世界@名無史さん:2015/04/23(木) 21:19:53.67 0.net
関羽は秦宜禄の嫁さん欲しがったり
人格者のイメージはないわ

551 :世界@名無史さん:2015/04/23(木) 23:53:53.66 0.net
数年前の正月に見たドラマじゃ山本耕史が半兵衛で笑ったわ
こいつは官兵衛だろ

552 :世界@名無史さん:2015/04/26(日) 13:31:45.43 0.net
求賢令により登用された人で、実際に品行が悪くても有能だった人って誰がいます?

553 :世界@名無史さん:2015/04/29(水) 01:45:15.96 0.net
孔明が南方に移住したのって曹操の徐州虐殺が原因だっけ?

554 :世界@名無史さん:2015/04/29(水) 15:45:14.11 0.net
大いにあるとは思うけれど

555 :世界@名無史さん:2015/04/29(水) 20:24:42.78 0.net
>>553
単に叔父さんについていったってだけじゃね?
曹操の虐殺以前に、青徐州の黄巾の蜂起が起きてるから、そっちが原因かも知れないし

556 :世界@名無史さん:2015/04/29(水) 21:14:20.63 0.net
年代的に矛盾はないんだよな。
曹操が政権を握ってるから中央に仕官しようと
しなかったのもうなずける。
劉備が徐州を曹操から守ったりしたからかねて
から親近感を持っていたとも思える。

557 :世界@名無史さん:2015/04/29(水) 22:16:02.06 0.net
王祥が曹操に使えなかったのも徐州虐殺が原因かな?
招聘しても無視してたようだし

558 :世界@名無史さん:2015/04/29(水) 22:25:58.86 0.net
司馬懿一家が避難している間に河内に駐屯して荒らしまくっていたのも曹操さん

559 :世界@名無史さん:2015/04/30(木) 00:43:54.17 0.net
人相を見てもらって評価してもらうのが出世の入り口な世界で
治世の能臣、乱世の姦雄とか評価された人に仕えるのって
儒教イスト的にどうでもいいことなのかな
そうしたら人物評価ってマジでどうでもいいな

560 :世界@名無史さん:2015/04/30(木) 00:47:25.33 0.net
その手の建前論的には仕えてる先は漢であってだな

561 :世界@名無史さん:2015/04/30(木) 00:51:41.23 0.net
ワイも乱交の姦雄

562 :世界@名無史さん:2015/04/30(木) 01:29:41.80 0.net
落ちてないぞ

563 :世界@名無史さん:2015/04/30(木) 02:01:39.34 0.net
荊州に疎開してて、曹操が南征するまで帰郷しなかった連中なんて山ほどいるから
諸葛亮が曹操を避けてたという根拠にはならないように思うが

>>557
継母への孝行のために仕官しなかったってだけだろ
だから至孝と呼ばれるわけで

564 :世界@名無史さん:2015/04/30(木) 02:49:19.05 0.net
徐州人が多く揚州などに逃れたのは、曹操をその主体者の一人とする後漢末の戦乱のせいだとは言える。
が、徐州からの避難民全部を、当時一万やそこらの兵力による二度の出兵での数県を対象にした「徐州虐殺」に帰するのは無理がある
旧日本軍が数日で南京市民30万人殺したというようなもんだ

565 :世界@名無史さん:2015/04/30(木) 03:29:07.86 0.net
南京の例で言えば、人口増えてるのに30万人殺したことになってしまったように、
実態と噂のズレ(まあ意図的にズラすわけだが)によって大きく影響力を伸ばすことができる

566 :世界@名無史さん:2015/04/30(木) 03:58:00.65 0.net
そういうズレの宣伝工作が当時行われたって話が、曹操の徐州虐殺については史料には殆ど無いんだよね。
関中からの避難民が徐州で殺戮されてしまったって話と、曹操の徐州侵攻の当事者で南に逃れたのは笮融くらいか。袁紹の檄文でも触れていない。
呉には北からの避難民がわんさといて独自の記録も残されたのに、曹操と因縁が記録されているのが全然いない。
この程度の確率で、徐州人と言う理由だけで曹操に追い出されたとか恨みを持っているとか結びつけてはいけないよ。

567 :世界@名無史さん:2015/05/01(金) 01:24:22.21 0.net
何か香ばしいのがわいてきたな。

568 :世界@名無史さん:2015/05/01(金) 16:02:12.11 0.net
鶏肋の逸話で曹操の好きな食べ物が鶏肉だと分かる。

余談だが中国で最近、発見された曹操の墓から出土した頭蓋骨には
何者かが破壊した痕跡があったそうだ。

569 :世界@名無史さん:2015/05/01(金) 19:21:36.80 0.net
>>567
屠城文学は古代から連綿と続く支那人の伝統文化だからなあ
我々の価値観に当て嵌めて本気で受け取ってはいけない

570 :世界@名無史さん:2015/05/02(土) 03:53:10.45 0.net
漢→魏→隋の流れで魏が確とした王朝として成立してたら
早々の悪役キャラも無かったのかな

571 :世界@名無史さん:2015/05/02(土) 04:23:52.67 0.net
聖人君子として扱われることはまずないだろ。

572 :世界@名無史さん:2015/05/03(日) 22:00:39.98 0.net
曹操って孔明には軍略でかなわないみたいに
思われがちだけど実際どうなんだろうね。
曹操のが実戦経験値多いし、兵法も極めてるからな。

573 :世界@名無史さん:2015/05/03(日) 23:37:39.20 0.net
>>曹操って孔明には軍略でかなわないみたいに
>>思われがちだけど

え?一体誰がそう思いがちなの?
まるっきり逆だと思うが。

574 :世界@名無史さん:2015/05/04(月) 03:27:54.45 0.net
まるっきり逆とは思わないな
曹操って当時圧倒的な強さを誇ったわけじゃないしなあ

ただ孔明もスーパーマンじゃないし
直接対決はなかったし、どうでもいい

575 :世界@名無史さん:2015/05/04(月) 05:06:34.01 0.net
久々に三戦板に行けと言いたい気分になったわ

576 :世界@名無史さん:2015/05/04(月) 06:40:48.26 0.net
曹操も孔明も一応兵法家だろ?
どちらが上かって議論も別にありだろ。

577 :世界@名無史さん:2015/05/04(月) 06:59:55.69 0.net
>>571
必要な苛烈さだったとまとめられそう

578 :世界@名無史さん:2015/05/04(月) 08:56:53.02 0.net
曹操は産業を興して覇権の準備をした人。
そしてその力で彼の息子が皇帝宣言。曹操が
抑えたとこは日本でいえば東京と九州を結ぶ
東海道産業線みたいな
トコで、それ以外で勢力を起こしていた孫、劉、は
どう考えても敗北が妥当なところだった。

579 :世界@名無史さん:2015/05/04(月) 14:00:50.06 0.net
敗北が妥当だったらさっさと海内統一すりゃよかったんじゃないですかね

580 :世界@名無史さん:2015/05/04(月) 20:39:17.37 0.net
今日NHKで再放送されていた三国志
正史によると孟獲は…

何時から裴松之の注や『華陽国志』が正史になったんだ?
スタッフロールをみていたら、ちらほらと中国人っぽい名前が散見したけど
NHKの劣化は止まらないな

581 :世界@名無史さん:2015/05/04(月) 21:27:15.70 0.net
演義との区別で、史書全般を正史呼びしてるんじゃね?
NHKは劣化もなにも昔から変わらんだけだと思う

そもそも、「正史では」という呼びならわしをやめるようにせねばな
三国志と言ったら正史
演義と言ったら演義

そうせにゃならん
だいたい演義だってもはや読まれてないだろ

582 :世界@名無史さん:2015/05/04(月) 21:33:13.66 0.net
三国志周辺だけ正史の意味が違うのよねw

583 :世界@名無史さん:2015/05/04(月) 22:11:53.30 0.net
>NHKは劣化もなにも昔から変わらん

半年・一年のスパンでしかかんがえられないのか、十年単位かは人それぞれだからなw

八十年代、三国志がテーマなら守屋氏の監修が多かったし、
九十年代まではモンゴルの支配地域に朝鮮半島は含まれていた。

584 :世界@名無史さん:2015/05/06(水) 01:22:01.25 0.net
最近の番組でも孔明が赤壁で曹操に矢を射掛けさせたとか
史実みたいに言ってたからな。

585 :世界@名無史さん:2015/05/06(水) 22:05:01.35 0.net
「演技では〜」「正史では〜」と言い換えているのだから、「演技」と言えば問題ない話なのに間違えるのは、
基本的な素養のない者しか制作に携わっていないということだろうし、
穿って言うと、スタッフの中にいる中国人が「三国志のことに日本人が口をだすな」と、知識もないのに大きな声と態度で仕切っちゃったんだろうね。

586 :世界@名無史さん:2015/05/06(水) 22:22:24.62 0.net
演「義」

587 :世界@名無史さん:2015/05/06(水) 23:41:23.88 0.net
いやでも、番組中に渡邊氏とか出てたんだけど。
事前に確認してもらわなかったのかね?

588 :世界@名無史さん:2015/05/06(水) 23:52:03.79 0.net
学者は監修に名前出さない限りそういうのはしない

ワンカットいくらで名前とコメント出して終わり

589 :世界@名無史さん:2015/05/07(木) 03:26:58.47 0.net
何か内容を公認してるみたいでイヤだなw

590 :世界@名無史さん:2015/05/12(火) 01:25:37.49 0.net
渡邊さんと言えば郷里社会って言葉よく使うけど、
三国志+郷里社会で検索したら150件くらいしか出てこないな
まだ一般にはあまり浸透してないのかな
渡邊氏の本結構流行ってるっぽいけど

591 :世界@名無史さん:2015/05/12(火) 03:54:35.28 0.net
流行ってるというか、三国志検定で自分の本を試験問題の資料扱いにしてるから
三国志ファンで検定受けるような熱心な人はかなりそれで渡邊説に取り込まれてる

592 :世界@名無史さん:2015/05/12(火) 04:03:43.37 0.net
それはイタいわ。

593 :世界@名無史さん:2015/05/14(木) 15:48:15.41 0.net
田中芳樹も言っているけど、日本人はとにかく中国史=三国志(演義補整)

594 :世界@名無史さん:2015/05/19(火) 15:43:29.71 0.net
故事成語も強いけど断片的だな

595 :世界@名無史さん:2015/05/19(火) 20:58:04.18 0.net
田中芳樹がこれ絶対面白いとドヤ顔で翻訳した隋唐演義や岳飛伝は酷い出来だった
三国志を日本人に広めた吉川英治くらいの仕事やってから言えっての

596 :世界@名無史さん:2015/05/19(火) 21:21:05.34 0.net
どっちも皇なつきのイラストがすばらしかっただろうが!
出来が酷いってのは訳がか?物語がつまらんのは訳者のせいにはできんだろ
せっかくの良い素材をきちんと消化して作品に仕上げない姿勢を言ってるのなら、同意である
実際おもしろい読ませる作品ではなかったね、興味深くはあっても
別の人の封神演義の訳も微妙に感じたわ、講談ベースが俺はダメかもしれん

597 :世界@名無史さん:2015/05/19(火) 22:14:58.43 0.net
三国志はなんだかんだで演義作者の羅貫中の手腕が凄まじいからね

598 :世界@名無史さん:2015/05/19(火) 23:49:40.93 0.net
つ三国志平話

599 :世界@名無史さん:2015/05/20(水) 08:33:15.68 0.net
青州兵って精鋭扱いされてるけど、戦功の記録ってある?
ウキンに罰せられたとかその程度で、ただ精鋭ってことにして
黄巾を骨抜きにした屯田兵じゃないの?

600 :世界@名無史さん:2015/05/21(木) 08:10:59.18 0.net
精鋭扱いされてたか?

601 :世界@名無史さん:2015/05/21(木) 23:57:07.23 0.net
呂布の騎兵にあっさり蹴散らされていたっけ
強弱の前に自前の兵っていうのが意味あったんだと思う

602 :世界@名無史さん:2015/05/22(金) 00:14:28.44 0.net
魏武の強、これより始まる

603 :世界@名無史さん:2015/05/22(金) 01:13:26.87 0.net
そりゃ自前じゃ数千人の兵維持すると資金がパンクするような奴が
何らかの信仰的契約があるとは思われるが飯さえ食わせれば
ほぼ無償で働く数万から数十万の人間手に入れて
しかもちょうどその時期にそいつらを何とか食わすだけの地盤を運良く手に入れてんだから
そりゃ魏武の強も始まるわいな

604 :世界@名無史さん:2015/05/22(金) 13:53:44.50 0.net
そうだなー真の精鋭職業軍人を育成する前の自由に使える持ち駒だからな
あとは自勢力の兵とは言っても配下の小領主の駒だろ?

605 :世界@名無史さん:2015/06/11(木) 03:55:29.39 0.net
曹操が司徒・司空・太尉を止めて丞相・御史大夫の
前漢の官制に戻したのは何故だろう?

606 :世界@名無史さん:2015/06/11(木) 05:48:51.53 0.net
権力の集中では?
三公はなんだかんだでほぼ同格の大臣がいることになるから
仮にどれかを自分で抑えても官位的な同格が居ることになる
一人で全部抑えるってのはさすがに見た目悪いし他の二つの職掌は名目的に自分の権限の範疇ではない
専横し難いだろ

影響力によって他二つに自分の息の掛かった人間をきっちり送り込むとかで
実質的独裁は出来るかもしれないが、曹操は朝廷の完全な掌握って死ぬ寸前でも出来て無いので
下手すると献帝とその取り巻きによって邪魔されるかもしれん
万が一劉備や孫権がもし領土的に伸びてくるとそっちに別の二つを与えられたらとか考えるとな
軍事で追い詰められ始めたところで朝廷のコントロールを失うと名目でも詰む

607 :世界@名無史さん:2015/06/11(木) 10:27:20.17 0.net
董卓が三公より上の地位に就こうとしたのとまあ発想としては同じやな

608 :世界@名無史さん:2015/06/11(木) 10:44:25.04 0.net
丞相を自称し始める

赤壁で大敗する

恥ずかしすぎて常人の感性なら生きてられない

609 :世界@名無史さん:2015/06/11(木) 11:56:21.68 0.net
>>606
>三公はなんだかんだでほぼ同格の大臣がいることになるから
太尉はずっと不在だし、司徒はクビにしたからそれは違うだろう

体制変更で自分の力を見せつけるってのが大きいだろう
単に権限拡大なら、大将軍に就任でも良かった

あと、晋代には三公に加えて丞相が並置されたり廃止されたりを繰り返すが
やはり丞相ってのは特別な職と認識されているから、その辺もあるんじゃないだろうか

610 :世界@名無史さん:2015/06/11(木) 12:02:46.97 0.net
太尉はずっと空位だったのも曹操の圧力?
復活御史大夫は10年位チ慮が独占状態。

611 :世界@名無史さん:2015/06/11(木) 12:15:26.39 0.net
漢朝の御史大夫と、魏王国の御史大夫が並置されてる期間があると思うけど
その辺のことが俺は良く分かっていない
袁渙伝のこれはどう考えたらよいのか

>魏國初建,為郎中令,行御史大夫事。

612 :世界@名無史さん:2015/06/11(木) 12:37:31.88 0.net
世の中には丞相になれなかった白頭翁もいるんですよ!

613 :世界@名無史さん:2015/06/11(木) 12:38:10.98 0.net
>>609
実力的には確かに他の三公クビにできたりするかもしれんけど
ただ、制度変更せんと結局どっかのタイミングで官位を上手く使った曹操への妨害工作の危険が
変更後の制度よりは存在していることが推測されるってことで

614 :世界@名無史さん:2015/06/11(木) 14:47:53.38 0.net
>復活御史大夫は10年位チ慮が独占状態

この人、殆ど曹操のイエスマンっぽい気が
曹操としても都合がよかった様な

615 :世界@名無史さん:2015/06/11(木) 14:52:59.60 0.net
まあ曹操は献帝を奉戴してすぐに大粛清やってるから
イエスマン以外が高官になれるわけがない

616 :世界@名無史さん:2015/06/11(木) 19:08:23.64 0.net
丞相になったのは先祖と称する曹参がそうだからじゃないのか?

617 :世界@名無史さん:2015/06/11(木) 20:27:43.07 0.net
曹参って丞相だったか?相国じゃなかったか?

618 :世界@名無史さん:2015/06/12(金) 00:31:49.65 0.net
丞相ですが?

619 :世界@名無史さん:2015/06/12(金) 00:56:22.42 0.net
相国という階級は漢創設の功臣である蕭何と曹参、呂雉の甥である呂産が就任し
クーデターで呂産が誅殺され以後300年以上永久欠番のような扱いであった。

620 :世界@名無史さん:2015/06/12(金) 21:16:34.26 0.net
歩兵の曹操と騎兵の呂布
この二人が手を組めば天下統一も容易かっただろうに
やはり劉備はこの二人が手を組むのを恐れたんだろうな

621 :世界@名無史さん:2015/06/12(金) 21:33:49.53 0.net
呂布に夏侯淵みたいなことやらせても地方で自立するだけだろう

622 :世界@名無史さん:2015/06/13(土) 07:04:56.77 0.net
夏侯淵って魏武軍策令で、元から戦が下手で白地将軍って呼ばれたって
書かれてるけど西部方面軍の大将にそんな人材すえるかね。

白地=バカとかダメって意味らしいけど当時もそんな意味だったのかな。

623 :世界@名無史さん:2015/06/13(土) 16:47:12.30 0.net
張邈や劉備に裏切られた曹操は、一族や姻戚の夏侯氏を重用するしかなかったわけだが
夏侯惇も曹洪もビミョーだった
しかし戦線拡大する頃になったら夏侯淵が活躍し始めて期待したんだろう

624 :世界@名無史さん:2015/06/13(土) 17:01:47.73 0.net
なぜかwikipediaで諸葛誕が家系図上で諸葛亮の(族弟でなく)弟にされてる・・・

625 :世界@名無史さん:2015/06/13(土) 17:25:11.75 0.net
そりゃウィキなんてウソだらけだからなw

626 :世界@名無史さん:2015/06/13(土) 17:37:55.39 0.net
諸葛誕のページに典拠があった

>『歴代神仙通鑑』。実際には、諸葛珪は諸葛亮が幼い時に亡くなっており(帝京大学教授の尾崎康が引用する『九路本儒学刊十七史』
>(元の大徳10年刊行の池州路儒学刊本)によると、諸葛珪の没年は187年と記されている。)、
>また諸葛誕は諸葛玄、諸葛瑾、諸葛亮、諸葛均らと共に後漢末の戦乱を避けて揚州に移り住んでないので、
>諸葛誕が諸葛珪の近親である可能性は低い。

しかしこんな説を諸葛亮のページの系図に反映させるのは間違いだろう
清代の『諸葛忠武侯文集』やらの説話に応じて諸葛懐やら諸葛質やらと言った人物も系図に収められているが
これもダメだ
この二人は個別のページまで設けられているが、『諸葛忠武侯文集』のページ作ってそこでやれや

627 :世界@名無史さん:2015/06/14(日) 04:02:47.75 0.net
三国時代の墓って曹操・朱然以外に発見されてる?

628 :世界@名無史さん:2015/06/14(日) 05:36:59.80 0.net
されてるが破壊されたものもある

629 :世界@名無史さん:2015/06/14(日) 12:07:40.66 0.net
魏延の事か・・、魏延の事かーーっ!

630 :世界@名無史さん:2015/06/14(日) 12:13:52.15 0.net
張飛の墓もダムに沈んだんだっけ?

631 :世界@名無史さん:2015/06/14(日) 12:54:15.83 0.net
張飛のされこうべは楊貴妃のされこうべといっしょに野ざらし

632 :世界@名無史さん:2015/06/14(日) 14:33:49.56 0.net
>>630
三峡ダムに沈んだのは張飛の墓じゃなくて廟な。

633 :世界@名無史さん:2015/06/16(火) 21:42:07.86 0.net
>>627
曹休とか司馬師とか司馬昭とか

634 :世界@名無史さん:2015/06/16(火) 22:44:36.07 0.net
曹操のって本当に曹操の墓なの?

635 :世界@名無史さん:2015/06/17(水) 02:21:38.95 0.net
曹操って本当に曹操の墓なの?

636 :世界@名無史さん:2015/06/17(水) 10:04:01.15 0.net
2ちゃんで名無しが保証したからといってそれを信じるのかい、君は。

637 :世界@名無史さん:2015/06/17(水) 10:17:02.17 0.net
ワシの墓は72まであるぞ

638 :世界@名無史さん:2015/06/18(木) 06:45:07.99 0.net
これは曹操が幼少の頃の墓、
これは落陽北部尉の頃の墓、
これは献帝奉戴した頃の墓、
これは官渡の戦いの頃の墓、
これは赤壁の戦いの頃の…

639 :世界@名無史さん:2015/06/19(金) 18:35:02.63 0.net
爺さんは12の時に日本兵に殺された

的な話の盛り方はもしかして伝統なのかねえ

640 :世界@名無史さん:2015/06/19(金) 19:45:12.62 0.net
>>639
吹いたwwwwww

641 :世界@名無史さん:2015/06/19(金) 21:03:28.93 0.net
12歳で死んだ少年を、弟の子が継いだのかも知れんしなあ

642 :世界@名無史さん:2015/06/19(金) 21:07:57.93 0.net
曹休墓と比べて曹操の墓って規模とか構造とかどうなん?

643 :世界@名無史さん:2015/06/20(土) 23:22:35.21 0.net
夏侯淵の墓とか立ち入り禁止だっけ

644 :世界@名無史さん:2015/06/25(木) 03:34:05.99 0.net
曹操はさんざん人の墓ほじくり返して財宝奪ったからなあ。
自分はそうなりたくないから薄葬令出したんだろうけど。

645 :世界@名無史さん:2015/06/25(木) 10:31:56.02 0.net
董卓は金神像12体を鋳つぶして銅銭にしたらしいけれど
これって仏像なんかな?

646 :世界@名無史さん:2015/06/25(木) 10:50:34.05 0.net
あれは始皇帝のときに造られたものだから、仏教関係ないと思われ。

647 :世界@名無史さん:2015/06/25(木) 19:12:34.91 0.net
桓帝が仏崇めたし
仏像もあったかもな

648 :世界@名無史さん:2015/06/29(月) 00:11:15.70 0.net
魏の時代以降の皇帝陵って盗掘を恐れて土盛りとかしなかったのかな?
漢の皇帝陵はいまでもしっかり残ってるのがあるのに。

649 :世界@名無史さん:2015/06/29(月) 00:14:03.72 0.net
盗掘を恐れて(動員力不足)

650 :世界@名無史さん:2015/06/29(月) 19:20:59.09 0.net
>>462-469
趣味板のレスで恐縮だが、国号:仲の由来に「仲漢」説を挙げてみる
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1172850500/482

482 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/28(日) 19:36:57.32 ID:xymepKlo0
袁術の立てた王朝も「漢」だったという可能性はないのかな。
蜀漢が自称したのは「季漢」(末っ子の漢、すなわち季漢)だったらしいが、字の法則で
「伯or孟(長男)」「仲(次男)」「叔(三男)」「季(四男or末子)」「幼(五男or末子)」。
袁術の称した王朝は「仲」、これも「次男の漢」という意味では?

651 :世界@名無史さん:2015/06/29(月) 19:45:07.43 0.net
>>650
そうでない可能性のが高い
典略によると「代漢者當塗高也」を根拠としての即位だから「漢に代わる者」は漢ではないし
袁術は自らを土徳であるとして火徳の漢が終った事、そしてその天命を受けるのが己であると宣言してる

652 :世界@名無史さん:2015/06/29(月) 20:34:14.96 0.net
仲漢じゃなくて単純に漢王朝の弟分の新設王朝という意味で仲だとしても
漢王朝に弓引いての僭称にも関わらずその漢王朝を長兄格とみなすなんて
新設王朝の幕開けを狙うにしてはいささかネーミングが謙虚すぎるような

653 :世界@名無史さん:2015/06/29(月) 20:57:41.23 0.net
仲なんて地名はないよね?

654 :世界@名無史さん:2015/06/29(月) 22:10:24.06 0.net
劉備の方も僭称者の袁術の国名を受けて季にするようなことも無い気がするな〜
仲漢であろうとなかろうと季漢は変わらなかったと思う
面白い説ではあるけど

655 :世界@名無史さん:2015/06/29(月) 23:21:14.46 0.net
>>652
その説自体は無いとは思うが、漢王朝に弓引いてっていうのは違うよ、少なくとも袁術にとっては
袁術の立場は漢王朝の打倒ではなく、天命の尽きた漢王朝から平和裏に帝位を譲られたということになっているはずだから

656 :世界@名無史さん:2015/06/30(火) 00:02:10.78 0.net
>蜀漢が自称したのは「季漢」(末っ子の漢、すなわち季漢)だったらしいが、

これってなんか根拠あるの?

657 :世界@名無史さん:2015/06/30(火) 00:06:36.05 0.net
「季漢」も後世の史称だよ。当たり前だけど。
だいたい何が悲しうて、劉備が末っ子の漢なんて自称する必要があるんだ。

658 :世界@名無史さん:2015/06/30(火) 00:11:40.82 0.net
あーっと、楊戲が既に言ってたな。「季漢輔臣賛」

659 :世界@名無史さん:2015/06/30(火) 00:11:51.55 0.net
まあ一応、季漢輔臣贊ってのはあるけど
集解だと、昭烈帝まで含んでるのに「輔臣贊」ってタイトルはありえねーって言われてるね

660 :世界@名無史さん:2015/06/30(火) 00:18:27.77 0.net
>>657
漢王朝の正当な、最後の後継者だということを強調
末っ子と名乗ることで他が漢王朝名乗ることへの牽制

ゴジラファイナルウォーズと同じで、仮に後続作品が出ようが
ゴジラvsデストロイアという高名な「ザ・最終作」の存在があろうが
その名前の響きのおかげで最終作だということを強調できる

661 :世界@名無史さん:2015/06/30(火) 01:28:39.19 0.net
ムハンマドの言う最後の預言者かはたまた
霊幻道士 最後の霊戦か

662 :世界@名無史さん:2015/06/30(火) 06:38:34.45 0.net
むしろファイナルファンタジー

663 :世界@名無史さん:2015/06/30(火) 10:40:52.33 0.net
ラストハルマゲドン

664 :世界@名無史さん:2015/06/30(火) 17:52:53.55 0.net
>>652
漢王朝の後継王朝アピールという面で見れば、
仲が漢を長兄と見なしたようなネーミングだというのも
それほど謙虚すぎる姿勢でもないと思うがな。
火→土にしても漢王朝(火)が前提にある理屈だし。

もし「仲」が次男的な意味なら、後継アピールとして理にかなってそうだし
土地柄に縛られない概念重視の国号とも見れる。
未禅譲なら土地由来の国号名乗るよりよっぽどいいのでは。

665 :世界@名無史さん:2015/06/30(火) 19:00:32.30 0.net
魏は禅譲という形で漢王朝の後継者アピールして
蜀は季漢(季=末子)という形で漢の後継者+最終作をアピールして
仲は次男、すなわち漢の次なる王朝ということで後継者アピール

漢無しの「仲」だけで次男のイメージとか通じたんだろうか
「季漢」は漢が付くからわからんでもないけど

666 :世界@名無史さん:2015/06/30(火) 19:22:26.45 0.net
日本の天命は尽きた!これからはワシがこの真なる国家だ!
とか言って国名「次」とかだとカッコいいかどうかは別としてまあなんとなくわかるな

日本でもガソリンの次の燃料としてガイアックスを考えて、
それを供給するスタンドがエピオンとかギリシア語で次を意味するネーミングにしたことあったしなんとなく通じるんじゃないか

667 :世界@名無史さん:2015/06/30(火) 19:38:49.01 0.net
「この書物の八十七頁の三行目の五番目の文字はと………はい、『仲』にございます!」
「なかなか良いではないか、それにしよう…決定!」

668 :世界@名無史さん:2015/07/01(水) 02:10:42.98 0.net
曹操の封じられた魏公は建安19年3月に諸侯王より上位にされたらしいけど
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%BC%A2%E3%81%AE%E8%AB%B8%E4%BE%AF%E7%8E%8B%E4%B8%80%E8%A6%A7
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12115970032
こっちでは魏王は諸侯王扱いされてるけど、どういうことなんだろう?
これが間違ってて魏王も魏公の諸侯王より上位なのを継承してたのか
それとも魏公→魏王はいわば諸侯王より上を返上して諸侯王と同格にされた「降格」だったのか

669 :世界@名無史さん:2015/07/01(水) 04:03:51.63 0.net
間違ってるも何もお前が王号と位階を混同してるだけだろ
しかも根拠がwikiの分類とかギャグかよ

670 :世界@名無史さん:2015/07/01(水) 04:32:54.62 0.net
>>669
>>668のどこを読んだら王号と位階を混同してるってことになるのか不明

魏公=諸侯王より上
魏王=諸侯王扱い
なのが???って話だよ

671 :世界@名無史さん:2015/07/01(水) 04:59:45.10 0.net
諸侯王より上という位階との問題と
公と王という形式的な称号の問題混同して頓珍漢な自説かましだしただけだろ
しかもなぜかwikiの分類を根拠に歴史を語り始める池沼ぶり

672 :世界@名無史さん:2015/07/01(水) 05:21:46.01 0.net
>>671
だから混同してないだろ
魏公が諸侯王より上とされてるのに上2つのページでは魏王が諸侯王にされてたりで
ページが間違ってるのか魏王も魏公の諸侯王上位なのは続いてるのかって話

だいたいここのページの間違ってるのかなって例に出しただけで
そのwikiらのページを根拠にした覚えは無いんだが
ギャグかましてる池沼はお前の方だろクズ

673 :世界@名無史さん:2015/07/01(水) 05:29:28.87 0.net
というか混同してないからこそ
>魏公は建安19年3月に諸侯王より上位に
ってのがレス中にあるんだろ、読解力なさすぎ
混同してたらそもそもこんな文載せてないだろ

674 :世界@名無史さん:2015/07/01(水) 05:47:53.16 0.net
話しが見えない

675 :世界@名無史さん:2015/07/01(水) 08:48:23.11 0.net
横からスマンが、
「三月,天子使魏公位在諸侯王上,改授金璽,赤?、遠遊冠」のところな。
これは献帝が曹操を諸侯王より上の「僭越」な扱いをせざるをえなかっただけで、爵制は何ら変更されていないと思うぞ。

676 :世界@名無史さん:2015/07/01(水) 09:04:22.17 0.net
>>668
疑問があるならwikipediaではなくせめて原資料を当たれ
話はそれからだろ

677 :世界@名無史さん:2015/07/01(水) 21:41:48.30 0.net
原資料を前提にしての原資料にはない解釈に関する質問だから
原資料も糞もないと思うが

678 :世界@名無史さん:2015/07/01(水) 21:54:13.29 0.net
>>651
あーそうか失礼
代漢者(ryが頭からすっぽり抜けてた
次男はともかく少なくとも漢の可能性はないな

そういえば袁術の国号が成と誤解された部分の公孫述の話もあったけど
その公孫述も「代漢者當塗高也」を持ち出してたね

679 :世界@名無史さん:2015/07/01(水) 23:43:15.76 0.net
三国時代に最も西に行った人って誰?

680 :世界@名無史さん:2015/07/01(水) 23:45:43.38 0.net
どこを起点にしての西なのか、「人」として何をカウントするのか

681 :世界@名無史さん:2015/07/02(木) 01:44:50.78 0.net
めんどくせえなあ。
中国を起点にして名前のある人物だよ。

682 :世界@名無史さん:2015/07/02(木) 02:43:14.53 0.net
>>646
始皇帝の時代に室利房というインド人が来て
怪しんだ始皇帝に捕らえられたが、夜中に金人
が現れて戸を破って解放したという話がある。

683 :世界@名無史さん:2015/07/02(木) 06:20:45.39 0.net
秦の王族貴族は殺人鬼項羽によって皆殺しにされたというのが事実に近いのかな?
劉邦の漢軍に動員されたのは、山の少数民族のような連中だろう。
王一族、李一族が秦将軍の子孫というのも、唐王室など六朝貴族の権威付けのための嘘っぽい。

684 :世界@名無史さん:2015/07/02(木) 06:23:02.49 0.net
>>641
12で子をつくることはまったく不可能というわけではないよ
漏れは12で近所の13の女の子をやたから。

685 :世界@名無史さん:2015/07/02(木) 07:35:12.92 0.net
>>681
「中国」とはどこのこと?

三国時代の中国って言うと中原周辺くらいの意味しかないんだが

686 :世界@名無史さん:2015/07/02(木) 07:51:43.53 0.net
>>683
李広が李信の子孫というのは史記に書いてあることなんだけど、
唐王朝ってのはタイムマシンで歴史を改竄できるのか?

687 :世界@名無史さん:2015/07/02(木) 09:07:50.86 0.net
そもそも葦原中国とは神代の御代に端を発し伊耶那岐命伊邪那岐命なる神々国を産み神を産みて固め成し以下略

688 :世界@名無史さん:2015/07/02(木) 09:25:58.40 0.net
六朝って北朝含まないだろ。

689 :世界@名無史さん:2015/07/02(木) 11:24:27.55 0.net
>>685
>>681になんか相手にしなくていいと思うが

>三国時代の中国って言うと中原周辺くらいの意味しかないんだが
これは違うな
四夷との対比として中国って言葉が何度も三国志に出てくるので

690 :世界@名無史さん:2015/07/02(木) 12:34:12.41 0.net
お中元に鹿を追う

691 :世界@名無史さん:2015/07/02(木) 13:58:27.00 0.net
>>689
そっちは地理ではなく観念としての中国だな
呉が江南なのに対して魏を中国と呼んでるし
地理的には中原周辺が当時の人の地理的な概念としての中国

692 :世界@名無史さん:2015/07/02(木) 18:53:01.13 0.net
経度を中心にして最も西方なのか、相対的に西ってことなのかってことだよな
例えば江東らへんに住んでたけど成都までいったのを最も西に行った人にするのかどーかとかそんなん

693 :世界@名無史さん:2015/07/03(金) 22:35:01.71 0.net
素直にシルクロードと言ったら?
三国時代にシルクロードを西に行った漢人の記録はない。
というか、よほどのことがないかぎり漢人の公人が西をはるばる旅行なんかしない。

694 :世界@名無史さん:2015/07/03(金) 23:18:25.36 0.net
漢人の僧朱士行がホータンまで行ってるのは知ってるよ。
他はいるかね?

695 :世界@名無史さん:2015/07/04(土) 00:55:33.67 0.net
仲王朝
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%B2%E7%8E%8B%E6%9C%9D

>袁術の厚い信頼を受けた紀霊
>紀霊が滅亡まで一貫して司徒(丞相)を務めて
>内政的には安定していたと言われる
>「第四の三国志」とも称される

ホントにガセばっかだなウィキペディアって・・・







はぁ・・・

696 :世界@名無史さん:2015/07/04(土) 02:31:57.19 0.net
ソースの提示を要求すれば?

697 :世界@名無史さん:2015/07/04(土) 02:32:53.28 0.net
なにが悲しくて仲王朝のページなんか作ってるんですかね…

698 :世界@名無史さん:2015/07/04(土) 03:54:37.63 0.net
荀イクって宦官の娘を娶ってたんだな

699 :世界@名無史さん:2015/07/04(土) 21:48:22.51 0.net
>>692
揚げ足取りみたいな書き込みはいいから
知ってるなら誰か挙げてくれよ。

700 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 06:02:52.57 0.net
>>699
だからお前が何を基準にして最も西へ行った人を認定しようとしてるのか聞いてんだろ
西へ行くの基準とその起算点をどう捉えてるかわからんと返答もできんわ

701 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 06:49:30.07 0.net
陸路は玉門関からで、海路は海南島から西でしょ?

702 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 07:44:40.29 0.net
「俺が知ってる範囲では誰々がどこどこまで行ってるけど、それより西方に行った人はいますか?」
とでも質問すればいいんじゃないかな

703 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 10:26:06.40 0.net
どうせどこを起点にしても知らないんだろ。
じゃあ、朝鮮半島を起点にして一番西に長く移動したのは
誰なんですか〜?
別に倭国でもいいけどw

704 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 11:16:29.52 0.net
半島出身者に限定しない、且つ半島を移動範囲に含んだことがあるという定義の個人だとカン丘倹じゃね?

705 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 11:22:44.89 0.net
そんなもん一番西に行った人物として知りたい対象に
なる訳ない。
むしろ一番東に行った人物じゃねえかw

706 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 11:23:22.62 0.net
ああ、倭国への使者がいるから一番東ではないな。

707 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 14:22:50.84 0.net
> 西へ行くの基準とその起算点をどう捉えてるかわからんと返答もできんわ
揚げ足取りにすらなっていないと思うんだが、面白いと思って書いているのかね?

708 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 14:32:13.75 0.net
最初の質問が漠然としていてどう答えていいのかよく分からんという反応なんだから
質問者がその辺はっきりさせればいいだけの話なんじゃね

709 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 15:01:05.73 0.net
> 相対的に西ってことなのかってことだよな
これを「最も西に行った」と表現するのは、日本語として一般的な用法ではないな。

710 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 15:30:49.17 0.net
>>709
普通はその基準がコンテクストから読み取れるように会話なり文章になってて
「最も○○なのは」で相対評価をしてるんだよ

上のはその基準がないので基準はどうなってるのかって聞いてるんだけど
わかってもらえたかな?

711 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 15:45:19.95 0.net
日本語で「最も西に行った人」と書いてある場合、経度で判断するのが普通だな。
誰かさんの言葉を使えば
>経度を中心にして最も西方なのか、
が近いか。もっとも、経度を中心にしてなんていう言い回しは日本語には存在しないが。

712 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 15:46:26.12 0.net
おそらく、西域とか涼州とか長安とか洛陽のどれかを起点に西って言いたかったんだろうなー
でも西域と洛陽でも色々変わってくるし、難しいなー

713 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 15:53:06.04 0.net
>>711
そういうこと言ってんじゃねーよ
起算点がどこかって言ってんだよ
例えば個別の都市名なり地域名なりあるだろ

あと「人」の基準も聞いてるのにそれも答えない
漢人なの?非漢人もカウントするの?
それともまた別の基準?どうなってんだよ

714 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 15:58:39.59 0.net
起点バカは条件をどう設定してもどうせ答えなんか知らないだろ。
だったら黙ってろよw

715 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 16:02:17.47 0.net
いや基準がわからんと返答のしようがないから聞いてるんだが
条件次第で色々変わるだろ

洛陽基準だと洛陽に行った事のない蜀出身者とかはカウントできないしな

716 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 16:08:11.71 0.net
いや、もういいからw

717 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 17:19:06.30 0.net
西とか知らんなあ
曹丕の時代に西域と通じてからそのあとどうなったっけ

718 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 19:14:09.05 0.net
全米で最も西に行った者のうちの1人

719 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 20:02:06.74 0.net
洛陽人が西域まで行ったっつったらおーずいぶん西まで行ったねえって感じだけど
南蛮の奴がインドに行ったことあってもへーって感じ
馬氏とかももっと西まで行ったかも

720 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 20:50:00.12 0.net
質問者が馬鹿だと思ったら、それに構ってる奴はもっとウザかったでござるの巻

721 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 21:28:44.23 0.net
だいたい荒れる時ってキチガイとそれに絡むキチガイがセットで暴れるからな

722 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 21:43:29.61 0.net
孫皓「せやな」

723 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 21:59:43.18 0.net
もう大秦王安敦の使者でいいじゃん
少なくともローマまで行った計算になる

724 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 22:03:31.81 0.net
西から来たやつを一番西に行ったと言ってるヤツはバカ。

725 :世界@名無史さん:2015/07/05(日) 22:17:40.35 0.net
今はいいのさすべてを忘れて♪

726 :世界@名無史さん:2015/07/06(月) 09:18:38.58 0.net
>>724
基準がなけりゃそういう事も可能だけどな

727 :世界@名無史さん:2015/07/06(月) 10:15:50.65 0.net
>>721
それが実は同一人物ということが多い

728 :世界@名無史さん:2015/07/06(月) 10:19:29.88 0.net
同一人物かどうかは知らんけど次からは質問する人は丁寧に質問してねってのが理解されるといいんだが

729 :世界@名無史さん:2015/07/06(月) 15:05:07.81 0.net
>>721
十常侍と何進派と董卓ですね、わかります><

730 :世界@名無史さん:2015/07/06(月) 22:49:26.90 0.net
>>728
何上から目線で言ってんだw

731 :世界@名無史さん:2015/07/06(月) 23:50:57.18 0.net
> 基準がなけりゃそういう事も可能だけどな
気の利いたことを言っているつもりなのかな。

732 :世界@名無史さん:2015/07/12(日) 18:33:15.16 0.net
ククク…
もめろもめろ…

733 :世界@名無史さん:2015/07/19(日) 01:54:44.57 0.net
で、三国時代に一番西に行ったのは誰なの?

734 :世界@名無史さん:2015/07/19(日) 13:33:51.41 0.net
三国時代と言っても後漢末含んでカウントしてる人もいればそうでない人もいるし
貴方の考えている三国時代とは西暦で言うとどっからどこまでの期間?
で、西というのはどこから見て西?
図形的に地球はほぼ球だから一番西へ行った人ってのは基準の東側にある存在ということになるな
「中華圏から西方に移動するという経路を採った人物で」とかそういう限定するってことでいいんかね?

735 :世界@名無史さん:2015/07/19(日) 15:45:07.59 0.net
三国時代なんて中国にしかないだろ。
ましてこのスレで・・・
察しろよ。

736 :世界@名無史さん:2015/07/19(日) 16:08:53.63 0.net
ブリテン舐めんなよ

737 :世界@名無史さん:2015/07/19(日) 21:08:10.91 0.net
>>735
その三国時代のカウント開始はどっから?
後漢滅亡から?曹操が朝廷抑えてから?関東諸侯大反乱?董卓の台頭?何進の暗殺?黄巾の乱?
党錮の禁?西羌の乱?どの辺?

あと一応言っとくと朝鮮半島にも三国時代はあるよ
数世紀に及ぶ結構長いのが

738 :世界@名無史さん:2015/07/19(日) 21:38:57.83 0.net
まあ、定義なんてどうでもいいんだよ。
お前が三国時代と思う時代の人物でかまわんよ。
別にこんなトコで回答が得たい訳じゃない。
スレが過疎ってたから書き込んだだけだし。

739 :世界@名無史さん:2015/07/20(月) 03:44:44.50 0.net
大月氏王波調に親魏大月氏王の金印を授けに行った
使者はクシャン朝の首都ペシャワルまで行ってる可能性
はあるな。

740 :世界@名無史さん:2015/07/20(月) 10:24:38.50 0.net
クソみてーな話題でスレ消費するくらいなら過疎ってた方がマシ
アホの相手する奴も同罪じゃ

741 :世界@名無史さん:2015/07/20(月) 11:14:45.02 0.net
>>740
じゃあ、お前がクソじゃない話題振れば?
お前がそう思ってる話題も実はクソかも知れないけどw

742 :世界@名無史さん:2015/07/20(月) 11:19:40.30 0.net
魏に西域長史っていなかったのか?
検索でも出てこないが・・・

743 :世界@名無史さん:2015/07/20(月) 15:39:23.44 0.net
三国時代(魏成立〜呉滅亡)で、一番大きなクソをしたのは誰ですか?

744 :世界@名無史さん:2015/07/20(月) 16:37:10.41 0.net
甘寧だろ。

745 :世界@名無史さん:2015/07/20(月) 18:38:00.82 0.net
そいつはい甘寧

746 :世界@名無史さん:2015/07/20(月) 20:24:28.97 0.net
自分は許チョか董卓だと思う

747 :世界@名無史さん:2015/07/20(月) 21:57:18.90 0.net
孫権の時代にローマの商人秦論が流れ着いて
その帰国を送って行った男女数十人がいたが、
皆途中で死んだらしい。
どこまで行ったかは不明。秦論はローマに
帰ったらしいが、どうしてその情報が孫権に
伝わったのかもよく分からない。

748 :世界@名無史さん:2015/07/21(火) 12:26:50.07 0.net
「プラズマですね。」

749 :世界@名無史さん:2015/07/22(水) 00:44:59.67 0.net
魏略に出てくる大秦方面の国は実際に行った人物が
いるんだろうな。
実は甘英の記録を基にしてるだけかも知れないが。

750 :世界@名無史さん:2015/07/22(水) 23:38:23.01 0.net
魏略に出てくる大秦は賢者が王となると書いてあるから
五賢帝時代っぽいんだよな。

751 :世界@名無史さん:2015/07/23(木) 00:23:55.38 0.net
滅加伊霊改撒って珍走団の名前みたいだよね

752 :足利神丞:2015/07/23(木) 14:14:34.65 0.net
魅力って ムズイ 徳は簡単。 知力 武力も だが
日本人の方が有利かな。

753 :世界@名無史さん:2015/07/26(日) 01:52:00.38 0.net
三戦板へどうぞ。

754 :世界@名無史さん:2015/07/27(月) 11:47:18.94 0.net
ローマ=漢
ガリア=倭
カエサル=曹操

755 :世界@名無史さん:2015/07/27(月) 12:28:34.87 0.net
魏がいつ倭を支配下に置いたのかと小1時間

756 :世界@名無史さん:2015/07/27(月) 20:58:57.62 0.net
霊帝は胡俗好みだったから一攫千金を求めて
西域に旅立った商人はいっぱいいた気がする。

757 :世界@名無史さん:2015/07/29(水) 16:36:10.16 0.net
竹林の七賢にもいろいろ居て、曹操と親しかったり政権に関与して首相にまでなった人もいるんだね

758 :世界@名無史さん:2015/07/29(水) 17:11:47.04 0.net
曹操と親しかったりって誰?

759 :世界@名無史さん:2015/07/29(水) 17:43:13.82 0.net
建安七子とごっちゃになってるのだろうな

760 :世界@名無史さん:2015/07/29(水) 19:25:22.17 0.net
そもそも曹操生前って曹操自身が漢における首相じゃね

761 :世界@名無史さん:2015/07/29(水) 22:48:24.46 0.net
竹林の七賢
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E6%9E%97%E3%81%AE%E4%B8%83%E8%B3%A2

>当時の陰惨な状況では奔放な言動は死の危険があり、事実、嵆康は讒言により死刑に処せられている。
>彼らの俗世から超越した言動は、悪意と偽善に満ちた社会に対する慷慨(憤り)と、
>その意図の韜晦(目くらまし)であり、当時の知識人の精一杯で命がけの批判表明と賞される。

なんかこれも無茶苦茶な記事だな
魏末はともかく、晋初で処刑になった奴なんてろくにいない
なにが批判表明だってのw

>>760
曹操は生前に魏公、魏王になっていて、魏にも首相はいるよ

762 :世界@名無史さん:2015/07/29(水) 23:05:15.94 0.net
親が七子で子が七賢だったりするしな。

763 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 00:16:08.39 0.net
焚書坑儒辺りも過剰に悪く言われ過ぎな気がする

764 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 00:57:27.73 0.net
それは悪いだろw

765 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 01:01:54.64 0.net
帝国成立期の不満分子の粛清としては小規模だし焼いたのも一部でしかないけどな
その後の土木工事連発はちょっと庇う気になれないけど

766 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 08:43:27.59 0.net
>>761
魏は漢の中の自治体やから

県知事の補佐官は「首相」ではない

767 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 09:36:13.06 0.net
http://kanae.2ch.net/test/read.cgi/rcomic/1437316091/
>>761>>807
最古のDQNネームは三国志人物で、注釈者にも馬鹿にされてる
三国志ファンにもあまり知られてない

これって誰のことを指してるの?

768 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 12:12:33.07 0.net
>>766
魏王国には王太子もいるし、尚書令もいるし、相国もいる
これは県知事の補佐官ってレベルじゃないよ

>>767
たぶん孫休の息子のことだろ
孫休が新たに漢字を創出して名付け、裴松之に馬鹿にされてる
DQNネームというより、漢字オタネームだな

769 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 12:45:23.06 0.net
>>768
ああ、魏は漢の中の自治体の一つって方は認めてくれるんだ
じゃあ、魏の官僚は「首相」にはなれないね

首相ってのは国家における最高幹部のことだから、
魏という漢の一部の中の行政府の長は首相ではない

770 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 12:54:03.20 0.net
帝国内の王国は自治体の一つでかたずけていいのか?

771 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 13:22:50.95 0.net
魏が漢から独立して立って事でもない限り魏が単なる自治体だろうとそうでなかろうと
どうしようもなく魏の官僚が「首相」になるこたあないな

772 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 13:51:49.14 0.net
魏が漢の自治体だなんて誰も認めてねーよ
魏は国家だよ
孫権だって魏の曹丕により呉王に任命され、宰相をおいた
それを首相と呼ぶかどうかは言葉のあやで、どっちでもいい
呉王国には丞相がいるし、魏王国には相国がいる
漢から出向した役人がその地位についてるわけじゃない

773 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 14:00:35.21 0.net
>四年夏五月,丞相孫邵卒。
>志林曰:吳之創基,邵為首相,史無其傳,竊常怪之。

呉王国の丞相孫邵は三国志註「志林」で首相と表記されている
三国志で首相という言葉が出てくるのはここだけ
王国の宰相を首相と呼ぶことに問題なしと言ってよい
孫権が皇帝に即位するのは孫邵の死後数年しての話

774 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 14:07:04.74 0.net
註じゃなくて注だ

775 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 14:52:22.08 0.net
>>772
漢と魏は魏呉の関係とまるでちゃいますんでね

776 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 15:45:50.79 0.net
>>761
これ前から思ってたわ
鐘会の讒言をむりやりこじつけて暗黒時代扱いするってひどすぎだろ
他のやつは基本厚遇されてるのに

777 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 15:48:20.51 0.net
漢魏と魏呉の関係がどう違うか説明しないと話にならんよね
魏は独自の社稷と宗廟を持ち、尚書、侍中、六卿を設置
その後、卿を増設し、さらに相国まで置いた
この大臣たちは魏の臣下
魏公の時点で漢の諸王よりランクが上
魏は単なる漢内部の自治体とか地方行政府とかそんなレベルではない

778 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 15:49:32.60 0.net
領域もかなりでかいしなあ

779 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 15:55:10.54 0.net
>>776
クーデターや軍令違反で処刑された奴はいるけど
基本的には貴族同士が馴れ合ってた、ゆるい時代だよね
晋代だと清談グループの方がメジャーで、その系統の人間がガンガン出世してて
むしろ老荘思想の方がよっぽど「偽善社会の体現」w
基本的に金持ちの道楽だし

三国時代って分裂の時代だけど、それぞれの国家は秩序だってて
後漢末や西晋末とは比べても理性的な時代だしね
ひどいのは呉の240年代以降くらいだな

780 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 16:14:58.29 0.net
>>777
魏から呉王に任命されて云々言うけどそれ以前も独立状態
元号も建安延康使ってみたり、数年後もまた独立
魏公、魏王は別に漢から独立したこたぁ一回もなし

関係性がまるで違う

781 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 16:25:04.73 0.net
実情は漢が魏の軒先借りてたんだけどな

782 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 16:32:49.92 0.net
>>780
それ言うなら漢はお飾りで、曹操なんて漢の役人を独断で任免する権利まで与えられている
んで皇后まで処刑されるようなのが実情
その魏が漢の一地方行政府だって?

783 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 17:27:01.78 0.net
そりゃ魏の持ち主が漢の丞相だもの
漢魏がそもそも対抗する存在って発想がある時点でおかしいよ

784 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 17:50:10.93 0.net
対抗って発想がどこにあった?

785 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 18:18:20.21 0.net
魏には漢帝国と同レベルの官僚機構が存在してるんだから
そのトップは魏の首相と呼びんでいい

州牧に仕える別駕従事を首相と呼んだらそりゃおかしいけど

786 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 18:24:02.12 0.net
>>782
丞相としての権限がなんだって?
皇后処刑は曹操暗殺未遂事件の関連でだし

787 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 18:29:06.51 0.net
>>785
いや全然ダメ
構造上漢が魏の上にあるんで漢の丞相が首相になる
曹操生前の魏は漢の下部組織なので魏には首相はいないということになる

788 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 18:39:34.77 0.net
>皇后処刑は曹操暗殺未遂事件の関連でだし

アホかw
皇后の方が臣下より偉いに決まってるだろw

789 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 18:42:30.90 0.net
個人てきに論点自体はわりにどうでもいいんだけど
別に>>787が決める事でも許可をえる必要もないのになんだかなぁ

790 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 18:47:38.81 0.net
>>787
>構造上漢が魏の上にあるんで漢の丞相が首相になる
それは漢の首相だろ
魏は漢とは別の国家であり、下部組織ではない
その証拠に、独自の社稷を持つことを許された
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E7%A8%B7

791 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 18:51:26.08 0.net
名目はどうあれ、力関係なんてその時によって変わるだろ

792 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 18:57:49.09 0.net
>>790
社稷は祭祀の許可であって別の国になる許可じゃねぇよ

793 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:01:40.97 0.net
>>792
別の国じゃないなら、別に社稷を建立する必要はない

794 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:02:47.84 0.net
夏侯惇が漢の伏波将軍から、魏の前將軍に遷ることで魏の臣下になったのは有名な話
曹操存命時の話だよ

二十四年,太祖軍於摩陂,召惇常與同載,特見親重,出入臥內,諸將莫得比也。拜前將軍,
〈魏書曰:時諸將皆受魏官號,惇獨漢官,乃上疏自陳不當不臣之禮。
太祖曰:「吾聞太上師臣,其次友臣。夫臣者,貴コ之人也,區區之魏,而臣足以屈君乎?」惇固請,乃拜為前將軍。

795 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:06:41.30 0.net
>>794
それが何か?

漢が上位にいるけど漢の命令系統から外れるのと国家として別になるのは全く別の話
証拠は元号、魏は漢の元号を用いた

796 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:08:32.73 0.net
元号が同じなら下部組織って根拠がないw

797 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:13:50.52 0.net
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8A%E5%B0%81

>冊封国には毎年の朝貢、中国の元号・暦(正朔)を使用することなどが義務付けられ、

冊封国が中国と同じ元号を用いていても、その冊封国が中国の下部組織とはならない
あくまでも別の国であり、別の官僚組織をもつ

798 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:14:37.74 0.net
>>796
根拠がないと思ってるなら本気でおめでたいな

孫権が魏の元号の使用停止をして独自元号を制定したかってことの意味も
まるでわかってないってことになるが大丈夫か?

799 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:16:30.19 0.net
>>797
魏は冊封国ではないから関係ない話だな

後漢末の魏国が冊封ってどっからひねり出したウルトラCだよ

800 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:18:18.72 0.net
>>788
ならば暗殺ではなく、もっと大々的に逆賊曹操への征討令が下されるものでは。
あの当時、献帝派の勢力がどれ程いたものか。

801 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:22:08.13 0.net
偉いかどうかで言えば偉いのは皇后

ただし権力持ってんのは曹操
これは偉さじゃなくて職掌の問題

平時の皇后って後宮内以外だとそんなに権力振るえる場がないような

802 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:30:10.21 0.net
>>798
だから元号が同じなら下部組織って根拠を言ってみろって

803 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:31:26.36 0.net
>>800
皇后や皇太子ってのは皇帝と並ぶ「至尊」
曹操討伐なんて大々的にやったら皇后どころか皇帝まで殺されるわな

804 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:33:54.50 0.net
>>802
じゃあ元号が同じで違う国だったというのを例示してみろ
冊封国がそうだから、なんて超ウルトラCはいらないんで

805 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:39:31.74 0.net
>>804
つまり元号なら下部組織って根拠はまったく示せないってことね

>じゃあ元号が同じで違う国だったというのを例示してみろ
魏と呉

806 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:41:36.41 0.net
>>805
だから呉はその間魏の臣下で別の国どころか、魏を天子さまーと仰いでるわけですな

荊州牧だし見事に下部組織

807 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:41:58.05 0.net
前燕も東晋の元号を長いこと用いている

808 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:43:25.50 0.net
>>806
その間も全然言うこと聞いてないんですけどw

809 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:44:04.39 0.net
>>806
荊州牧?
納税でもしてたんですか?
下部組織じゃねーじゃん
肩書きくれてやっただけで

810 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:44:07.46 0.net
後漢と魏の関係とは全く違うもん持ち出して同じって言うのやめたら?

811 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:48:27.67 0.net
>>810
東晋と前燕のことを言ってるのか?
どう違うって言いたいんだろう

812 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:52:19.24 0.net
>>811
前燕は鮮卑だし、そもそも晋の中から出来た国ってわけじゃあないな
魏は漢の制度に則って漢人の曹操が地位を得て漢の中で爵位と封土を得ていった

813 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:54:17.08 0.net
>>808-809
言う事聞く聞かない、ちゃんと納税するしないって話じゃないからね
それは単に力関係の問題

漢魏の話は組織の話
そこを混同してるのが間違い

814 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:55:41.92 0.net
>>813
力関係っていうなら、皇后までぶっ殺してる曹操なんてまさに良い例だろ
そして独自の社稷や組織を保持している
これを下部組織とは呼べない

815 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:57:45.10 0.net
>>812
慕容鮮卑は晋に臣従しており、元帝が東晋の皇帝に即位するときに勧進したメンバーなんだが?
西晋時代から晋の制度にのっとって爵位を封土を得ているんだが?

816 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 19:59:51.55 0.net
>>814
下部組織が上位の組織の急所を掴んで牛耳るなんてのはよくある話
それと組織や団体の位置を混同してはいけない

>>815
そうだね
でもその前身も晋の中の国ではないね

817 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 20:15:56.39 0.net
王に封じるってその王領の中で独立採算してな、って意味だから
税金納めるってこたないんじゃないかな?

818 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 20:22:20.65 0.net
>>803
すまない、意味が違うんです。
献帝派に力があれば反董卓連合も二袁の争いも無く、曹操の中央進出の出汁にもされてないってこと。
諸侯は別の皇帝擁立しようとしたり、自ら皇帝になろうとしていたわけで。
もしくは中央なんて意に介さずと。

819 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 20:23:20.43 0.net
これ、わざとずらしてやってんのかな
それとも天然に双方の頭が悪いんだろうか

820 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 20:26:11.45 0.net
そんなことより孔融についてかたろうぜ!
こいつ南に結構広い人脈もってんな
処刑理由もあながち嘘ではないか

821 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 20:37:50.71 0.net
何でこんなにスレ伸びてんだ。
ちょっと前は知力とか武力とかいうレスしか
つかなかったのに・・・

822 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 20:43:42.46 0.net
>>819
すまない、きっと己の頭が悪いのです、10年くらいROMってたほうがよいですかね><

823 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 20:47:24.39 0.net
ああ言うと孔融、なんつってwwwww

824 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 22:14:28.00 0.net
>>816
>でもその前身も晋の中の国ではないね
前燕のこと?
前燕が「晋の中の国」でないなら、魏だって「漢の中の国」ではあるまい
華北に石氏政権、巴蜀に李氏政権が誕生して分断されたけど
涼州と張氏(前涼)と遼東半島の慕容鮮卑(前燕)は晋に臣従している
前涼は元号は西晋のものを継続して使用したが、外交使節を東晋に送り続けている
前燕は元号は東晋のものを使用し、外交使節を東晋に送り続けている

825 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 22:25:29.16 0.net
>>824
いや漢の中の国だよ
どうして漢の中の国でないと言えると思ってるの?
明快な記録を出してもらおうじゃないか

>前燕は元号は東晋のものを使用し、外交使節を東晋に送り続けている
外交使節送ってるってことは外国だろ
魏が「外交使節」を漢に送ったことはねぇw

826 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 22:38:39.81 0.net
漢人官僚が出世して魏公になったのと塞外民族が服従して官位や爵位受けてるのを同列視してる奴は本気なのかな

827 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 23:07:24.71 0.net
>>825
訂正する
「遣使」している

>いや漢の中の国だよ
じゃあ前燕が「晋の中の国」でない根拠をしてくれ

>>826
慕容鮮卑が塞外民族って根拠はなーに?

828 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 23:10:33.39 0.net
>>826
もうひとつ
>漢人官僚が出世して魏公になった
魏公ところか王にまでなってるんだが
異姓で王になったのは後漢で曹操が初でしょ
まるで普通の出世のように言わないでもらいたい

829 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 23:42:54.01 0.net
> 孫休が新たに漢字を創出して名付け、裴松之に馬鹿にされてる
余談だけど、後代だと避諱の弊害を避けるために、皇帝の方がわざわざ新しい漢字を作って改名したりという例もあるね。

830 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 23:46:13.34 0.net
裴松之の孫休への負のバイアスが掛かった発言ではあるよね
そこまで言うことないよねって

831 :世界@名無史さん:2015/07/30(木) 23:48:42.91 0.net
>>827
前燕の前身である鮮卑は漢人とは違うし鮮卑が漢人の国そのままになったこともなし
単に服属してた塞外民族に官位とか与えてるだけな

>>828
誰も普通の出世とも言ってないんだけどな
そもそもそんなの基礎知識だから書かないだけだよ
何を主張したいのか知らんけど思い込みで俺の主張もしてないことを批判されても困るもんだな

832 :世界@名無史さん:2015/07/31(金) 00:07:24.06 0.net
>>831
>前燕の前身である鮮卑
意味不明
慕容廆は西晋に降伏し、塞内に居住している
その後、慕容廆は遼東の兵乱を鎮圧し、明確に勤皇の態度を示し
その幕僚となったのは漢人の名士たちなわけ

漢人と異民族とで二分する発想の時点で、なんか壮大な勘違いしちゃってるんだろうけど

833 :世界@名無史さん:2015/07/31(金) 00:09:42.75 0.net
いや勘違いしてるのは君だよ

前燕が単に漢人に服属した鮮卑から出来た国と
漢人官僚が漢のシステム乗っ取って終いには漢魏革命を起こしたものと同列視してるんだからな

834 :世界@名無史さん:2015/07/31(金) 00:13:42.99 0.net
>漢人官僚が漢のシステム乗っ取って
え?
慕容鮮卑もまったく同じなんだけど?

835 :世界@名無史さん:2015/07/31(金) 00:23:12.36 0.net
>>834
全然違いますな

曹操は漢人の人、鮮卑ではない

836 :世界@名無史さん:2015/07/31(金) 00:36:55.78 0.net
漢人官僚と鮮卑人官僚になんの違いがあるんだよw
国民国家の時代でもないのにw
ハーフとかクォーターの場合はどうすんだ

慕容廆が求心力をもったのは、幽平二州および、河北から兵乱を逃れてきた漢人が頼ったことによる
これは曹操が兗州牧に担がれたのとなにも違わない
「鮮卑からできた国」ってのが認識の誤り
慕容廆のブレーンなんて全部が漢人なのに

時二京傾覆,幽、冀淪陷,廆刑政修明,虛懷引納,流亡士庶多繈負歸之。
廆乃立郡以統流人,冀州人為冀陽郡,豫州人為成周郡,青州人為營丘郡,並州人為唐國郡。
於是推舉賢才,委以庶政,
以河東裴嶷、代郡魯昌、北平陽耽為謀主,
北海逢羨、廣平遊邃、北平西方虔、渤海封抽、西河宋奭、河東裴開為股肱,
渤海封弈、平原宋該、安定皇甫岌、蘭陵繆ト以文章才俊任居樞要,
會稽硃左車、太山胡毋翼、魯國孔纂以舊コ清重引為賓友,
平原劉贊儒學該通,引為東庠祭酒,其世子皝率國胄束修受業焉。

837 :世界@名無史さん:2015/07/31(金) 00:48:11.85 0.net
>>836
服属した塞外民族が国乗っ取るのってローマ帝国で言えばスティリコとかオドアケルだろ
曹操はローマ帝国で言えば軍人皇帝時代の地方軍閥から権力者になり上がった人間だから
全く赴きが違う

838 :世界@名無史さん:2015/07/31(金) 00:54:04.07 0.net
>>837
>服属した塞外民族が国乗っ取るのって
慕容氏がどこの国を乗っ取ったって?

839 :世界@名無史さん:2015/07/31(金) 01:34:55.12 0.net
>>838
はて?華北の占領は違うのかね?

840 :世界@名無史さん:2015/07/31(金) 01:44:19.60 0.net
>>839
元号の話から前燕を例示してるわけ
前燕が東晋から王位や公位を得ていた時代の話
およそ30年間
華北の占領はそのあとで、その頃には慕容氏は帝号を称してるわけ
しかも占領したのは後趙の遺領だし

曹操の話してるところに「曹芳はー」とか言いだすくらい無茶苦茶だわ

841 :世界@名無史さん:2015/07/31(金) 02:37:25.81 0.net
>>840
前燕が元号使ってるのは服属してるからだろ
それこそ上で誰かが出した冊封そのもの

842 :世界@名無史さん:2015/07/31(金) 02:41:09.67 0.net
わからないようだからもう一回言っとくけど官僚が軍閥化、台頭してった後漢末と
官僚でもなんでもなく塞外民族が服属してから徐々に力を蓄えて国が成立するのは全く違うことだからな?

それを元号の使用のみでもって同じと並列化して
逆に元号の使用が後漢末期において三国で持つ意味を勘違いしている
成立過程が違う王朝を持ち出されても比較にならないからな?

843 :世界@名無史さん:2015/07/31(金) 16:51:46.13 0.net
え、じゃあ具体的にどの国を成立過程が同じと見なして比較考証してるの?

844 :世界@名無史さん:2015/07/31(金) 17:39:43.65 0.net
曹操って「官僚が軍閥化」じゃないよ
無官の身で兵を集めて旗揚げ
その後、兗州牧を自称し、朝廷の任命した刺史を撃退

>>843
彼は自分の理論の根拠を何も示していないからね
「魏は漢の下部組織だ、魏の相国は魏の宰相とは呼べない、下部組織の補佐官である」
そう言い続けてるだけ
薩摩藩の家老は家老とは呼べない、江戸幕府の下部組織の補佐官である、みたいな理屈w

845 :世界@名無史さん:2015/07/31(金) 18:08:24.78 0.net
江戸幕府は天皇の部下である
老中は下部組織の補佐官である

846 :世界@名無史さん:2015/07/31(金) 19:07:12.14 0.net
暑いのに延々とどうでもいいことで議論しないで・・・

847 :世界@名無史さん:2015/07/31(金) 19:35:44.25 0.net
涙腺崩壊 号泣
http://power-of-nature.blue/cmyhl/

848 :世界@名無史さん:2015/07/31(金) 22:35:20.04 0.net
趙雲は老将のイメージが強い。

849 :世界@名無史さん:2015/07/31(金) 22:41:29.73 0.net
別に強くない

850 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 01:27:33.75 0.net
趙雲の子孫っているの?
有名人とか出してたりする?

851 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 09:17:05.76 0.net
>>844
無官だったのは旗揚げ当初からしばらくの間
何度か退職してるけど経歴は官僚畑を歩いてるし
途中から官僚に復帰して以降はずっと官職にある

同じ封建でも江戸幕府はフューダリズム的な封建制で中国の歴史における封建とは全く違うからな
全然違うものを同一視しても意味ないよ

852 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 11:35:25.98 0.net
元官僚が自力で兵力集めて武装蜂起
朝廷の任命した刺史を排撃
これを官僚とは呼べません

853 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 11:40:05.69 0.net
>>851
>同じ封建でも江戸幕府はフューダリズム的な封建制で中国の歴史における封建とは全く違うからな
まったく違うっていう根拠を示してね

854 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 11:45:03.35 0.net
どうでもいいことというかこの議論がどうでもいいんだよ
国会の答弁級に噛みあってないし面白みも何もない

形式を言い張る奴とそれに無駄に絡む奴
どっちも阿呆過ぎる

855 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 12:34:50.80 0.net
しかし他に話すこともないんだよな
まあ曹操がどこまで朝廷に対して自立していたかっていう方向に持ってくなら面白いと思うけど

856 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 13:00:20.66 0.net
曹操が魏公に就任した際の曹操(および朝廷)の有効支配領域の人口がおよそ3000万
これは永和5年(140年)の記録(後漢書)
それに対して曹操が封建された10郡がおよそ650万くらい
人口の増減はあるとして、地域による人口比率に大きな変化なしと考えれば
全体の1/5強が封土だったことになる

857 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 13:08:27.16 0.net
しかし、曹操が魏公になる前から露骨にそんな広大な行政区画作ってるのに
忠臣曹操が何も知らずにやむを得ず皇帝の顕彰を受けた解釈とか無理ありすぎだろ

858 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 13:24:22.42 0.net
どうでもいいが、魏の初代相国って誰だっけ

859 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 13:30:20.88 0.net
しょうよう

860 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 13:35:00.98 0.net
>>858
君と余だ

861 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 15:49:53.56 0.net
>>853
では同じものであるという証明をどうぞ

違いが知りたければ貴方の大好きなwikipediaでも見るといいでしょう
完結にまとまってますよ

862 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 16:23:18.24 0.net
つまり違うって根拠が示せないわけやね

863 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 16:36:40.56 0.net
司馬懿って招聘されてから黄門侍郎にされているんだけど
この時期黄門侍郎って何やってたんだろ

864 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 16:49:27.62 0.net
魏王に近侍してメッセンジャーボーイ掛かり

865 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 17:39:35.42 0.net
>>862
いいえ、示しましたよ

それを見て、同じであるという反論がなければ違うと言う事になりますね
続きは同じという事を証明してからにしてください

866 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 18:04:23.95 0.net
>>865
どこにも示してねーww
ウィキかどっかに書いてあるなら引用しろ

867 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 18:39:37.25 0.net
>>866
なにがわからないんだ、馬鹿じゃないのだろうか。
俺が違うって言ってるから違うんだろうが!

868 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 18:49:21.90 0.net
安保絡みで酔っ払いが喧嘩してるような流れだな

869 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 19:21:27.42 0.net
九品中正について質問です
中正役の人は何を基準に官位を定めたのでしょうか?
また中正はどのような地位の人がなれたんですか?官位を決めるということは皇帝でしょうか?

870 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 19:54:21.55 0.net
まず正史三国志全8巻(ちくま学芸文庫)を買って読め
で、次に宮崎市定の『九品官人法の研究』でも読んだらどうか

871 :世界@名無史さん:2015/08/01(土) 19:59:31.12 0.net
「俺が違うって言ってるから違うんだろうが!」

872 :世界@名無史さん:2015/08/02(日) 01:26:50.16 0.net
俺が曹操でも孔融は切るな
あいつウザい

873 :世界@名無史さん:2015/08/02(日) 07:45:07.27 0.net
ああ言えばこう言う奴だからな

874 :世界@名無史さん:2015/08/02(日) 08:34:30.56 0.net
あーゆーとこーゆー
−−・−−

875 :世界@名無史さん:2015/08/03(月) 20:01:42.03 0.net
>>870
8冊もあるのかよ
ちくま学芸文庫何冊か持ってるけど注がめちゃくちゃ多いよね、三国志もやっぱり同じ?
あと三国志だけじゃなく正史全部全訳すればいいのに

876 :世界@名無史さん:2015/08/03(月) 20:12:45.57 0.net
裴松之の注が無いと寂しいぞ

877 :世界@名無史さん:2015/08/03(月) 21:00:39.55 0.net
>>870>>875
先に宮崎先生の本を読む方がいいような…

あと三国志もちくまの8冊読めってのもちょっとハードル上げ過ぎぃ
魏書だけで十分じゃね?

878 :世界@名無史さん:2015/08/03(月) 21:18:32.51 0.net
蜀書とかはよっぽど運がないと店頭にならんでないゾ
中古か通販に頼るしかない

879 :世界@名無史さん:2015/08/03(月) 22:05:16.21 0.net
図書館で借りろ。

880 :世界@名無史さん:2015/08/04(火) 01:07:34.22 0.net
というか何のために九品中正について知りたいと思ったのか

>>875
裴松之の注は本文に組み込まれていて読みやすいし
ちくま側の注はたいしてないから
読みにくいとかはないと思うよ

881 :世界@名無史さん:2015/08/04(火) 10:47:37.99 0.net
後漢書校注の文庫版出ないかなぁ

882 :世界@名無史さん:2015/08/06(木) 10:51:41.19 0.net
一時期、宋史を田中芳樹が翻訳して出す予定だったけど
岳飛伝書いた後に興味なくして放置。

883 :世界@名無史さん:2015/08/08(土) 13:27:13.64 0.net
魏延って反骨反骨言われるけど、他のやつよりも何だかんだで最後まで
蜀に忠実に仕えていたよね

884 :世界@名無史さん:2015/08/08(土) 14:21:56.27 0.net
劉備の人を目を見る目はかなり確かだな

885 :世界@名無史さん:2015/08/08(土) 19:54:47.77 0.net
山に登ろう

886 :世界@名無史さん:2015/08/08(土) 20:18:17.44 O.net
>>881
岩波から出てたハードカバーのは高かったね〜
途中で挫折し売っ払った

887 :世界@名無史さん:2015/08/08(土) 20:21:25.10 0.net
>>885
登山家さんチッスチッスwwwwww

888 :世界@名無史さん:2015/08/08(土) 20:47:31.18 0.net
山頂布陣とか言うだけで馬謖乙とか言って愚策扱いしてる奴らこそ二代目馬謖だよな
事象をそのまま暗記してるだけだから何が問題で何が有利なのかを理解していない
正に生兵法とはそなたのためにある言葉

889 :世界@名無史さん:2015/08/08(土) 20:54:18.05 0.net
>>888
登山家さんチッスチッスwwwwww

890 :世界@名無史さん:2015/08/08(土) 21:43:36.69 0.net
泣いて馬良を斬る

891 :世界@名無史さん:2015/08/08(土) 22:12:10.08 0.net
>>884
麋芳、士仁とか廖立とか見てると
劉備の人材登用も万能ではないと思う

曹操みたいに重用してた人間を切り捨てるほど愚かではないが

892 :世界@名無史さん:2015/08/08(土) 22:30:57.71 0.net
山頂に布陣して、水攻めをされても逆劇で勝利した楠木正成

893 :世界@名無史さん:2015/08/08(土) 22:39:11.59 0.net
>>882
それ『楊家将演義』の間違いじゃないか?
『宋史』の翻訳なんて尋常な労力じゃ不可能。
全訳すればちくまの『正史三国志』の10倍近い分量になるぞ。

894 :世界@名無史さん:2015/08/09(日) 00:35:44.49 0.net
正史より先に資治通鑑の全訳を文庫で出せばいいんだよ
書き下し文でも可

895 :世界@名無史さん:2015/08/09(日) 00:40:02.02 0.net
資治通鑑なんて文庫何冊分だw

896 :世界@名無史さん:2015/08/09(日) 00:51:15.06 0.net
読んでない著者の友人が名作だよ!っていうくらいの巻数になるだろうな

897 :世界@名無史さん:2015/08/09(日) 00:56:47.17 0.net
文庫じゃないけど全31冊+索引1冊らしい。
まだ2巻までしかでてないけど。
ttp://www.geocities.jp/wtbdh192/html/about.html

898 :世界@名無史さん:2015/08/09(日) 01:21:38.00 0.net
司馬光は資治通鑑294巻を書き上げたが、それでも色々削ってるらしいね
友人が訪ねたら倉2棟分の草稿があったというがそこまでではないにしてもすごい量だったのかね

899 :世界@名無史さん:2015/08/09(日) 01:28:24.75 0.net
そういえば、楊家将演義の完訳が今年の6月に出たね、田中先生ではなく岡崎由美先生の

900 :世界@名無史さん:2015/08/09(日) 02:13:19.70 0.net
魏延は凄いお
説明するのが面倒なぐらい凄いお

901 :世界@名無史さん:2015/08/09(日) 17:27:24.07 0.net
>>897
1冊5000円かい
ちょっと興味あるくらいの人間は誰も読まないだろうな

902 :世界@名無史さん:2015/08/09(日) 17:48:15.06 0.net
岡崎文夫だったかが、史記を語る著作の中で自分が一番完成度の高いと思う歴史書として『資治通鑑』と『漢書』を挙げていたよ

903 :世界@名無史さん:2015/08/10(月) 15:14:46.70 0.net
姜維・夏侯覇「蜀にこないで魏のままでいりゃー良かったな^q^;;;」

904 :世界@名無史さん:2015/08/10(月) 15:26:10.34 0.net
夏侯覇が魏に残留して司馬懿に許されても
司馬師の代に夏侯玄に連座する気がする

905 :世界@名無史さん:2015/08/11(火) 00:18:03.98 0.net
糜芳って実は劉備に殺されてないんだな。
まあ、義兄弟だし、普通殺さないよね。

906 :世界@名無史さん:2015/08/11(火) 01:06:21.51 0.net
そもそも蜀に帰還できてない
呉で将軍やって以降末路不明だし

907 :世界@名無史さん:2015/08/11(火) 01:13:23.87 0.net
演義は関羽びいきのあまり糜芳斬首のエピを入れたのかな。

908 :世界@名無史さん:2015/08/11(火) 11:28:49.59 0.net
将軍の船のお通りだーいっ

909 :世界@名無史さん:2015/08/11(火) 12:41:39.84 0.net
蜀の没落って関羽死亡からどんどん急降下してった感じなんだよな
そう考えると、蜀統一してから安定していた時期がないというな

あと、蜀統一以降、優良な武将が蜀に出てきてないのも不思議だ

910 :世界@名無史さん:2015/08/11(火) 14:48:16.91 0.net
虞翻は自ら士仁を降伏させておいて、連鎖的に降伏した
糜芳には嫌がらせをするという・・・

911 :世界@名無史さん:2015/08/11(火) 15:03:17.35 0.net
>>909
新たな人材が表に出てくるのって成長してる時じゃないかな
逼塞してるとチャンスも少ないし上詰まってるし

埋もれたままじゃ記録の残しようもないしな

912 :世界@名無史さん:2015/08/11(火) 20:08:19.93 0.net
関羽の死の直前くらいが蜀の黄金時代だったのは間違いない
それ以降は失っていく人材に対して得る人材が力不足に感じられる
最も、活躍する機会が無かったからコーエー三国志的な意味で能力低めに思う将も多いのだろうが…

913 :世界@名無史さん:2015/08/11(火) 21:05:35.05 0.net
>蜀の没落って関羽死亡からどんどん急降下してった感じなんだよな

関羽死後に帝国になって40年ほど存続してるんだから
急降下もクソもないだろ

>あと、蜀統一以降、優良な武将が蜀に出てきてないのも不思議だ
蜀統一とはいつのことなのか

914 :世界@名無史さん:2015/08/11(火) 21:10:11.51 0.net
まぁ、関羽の死以降は、魏も呉も目立った人材出て着てないしね
陸遜は以前から呉にいたし、姜維が少し目立つくらいか?

915 :世界@名無史さん:2015/08/11(火) 21:23:45.19 0.net
外国に名声が伝わっているような記述があるのは
朱然と司馬懿かな

916 :世界@名無史さん:2015/08/11(火) 22:41:17.41 0.net
915とか916はゲームしか知らないんだろうか

917 :世界@名無史さん:2015/08/11(火) 22:41:54.25 0.net
大規模な領土の取り合いが起こらなくなったとはいえ、優秀な武将が出てこない、は酷いような
馬忠、張嶷、張翼、羅憲とかパッと思いつくだけでこれくらいいるし
呉なんて陸抗をスルーなのは何故なのかと問いかけたくなる

918 :世界@名無史さん:2015/08/11(火) 23:03:46.79 0.net
蒋エン・費イ・董允「諸葛亮ばっかり目立っててずるい」

919 :世界@名無史さん:2015/08/11(火) 23:18:03.73 0.net
それはある

920 :世界@名無史さん:2015/08/11(火) 23:49:45.76 0.net
楊儀「俺俺」

921 :世界@名無史さん:2015/08/12(水) 00:00:02.07 0.net
>>920
費イ「いい加減にしないと殺す」

922 :世界@名無史さん:2015/08/12(水) 00:47:42.76 0.net
いつのまにか死んじゃってた馬超さんカワイソス

923 :世界@名無史さん:2015/08/12(水) 10:26:47.42 0.net
黄忠「せやな」
厳顔「せやせや」

924 :世界@名無史さん:2015/08/13(木) 12:56:54.37 0.net
>>909,912
その事について、吉川英治が最後のあとがきで多少自分なりの解釈を書いてたな
孔明の人となりについてのところ

925 :世界@名無史さん:2015/08/16(日) 13:10:35.21 0.net
毎回思うけど、?統が生き残っていたら蜀のその後も結構違ったのかな
孔明は安心して北伐出来るし、劉禅の心配もない

そもそも孔明が入蜀した時に、荊州を関羽の代わりに守れる、もしくは
補佐出来たかもしれないんだよな

926 :世界@名無史さん:2015/08/16(日) 14:28:22.31 0.net
むしろ諸葛亮は安心して蜀の経営に専念できて、北伐はホウトウがやってくれる
張遼あたりを劉備が得てた方がでかかった気がするんだけど

927 :世界@名無史さん:2015/08/16(日) 18:10:04.78 0.net
精子『3P志』

928 :世界@名無史さん:2015/08/16(日) 18:46:58.03 0.net
ホウ統が北伐を推し進める人間だったかはよくわかんないし
法正当たりなら

929 :世界@名無史さん:2015/08/16(日) 20:12:46.25 0.net
時折感じるコーエー臭

930 :世界@名無史さん:2015/08/16(日) 21:50:30.36 0.net
ホウ統は周瑜の遺体を運ぶ程度には呉の人間と懇意だったみたいだし
長生きして荊州に居れば入蜀以降の歴史が変わってたかもね

931 :世界@名無史さん:2015/08/17(月) 01:55:09.69 0.net
ホウ統のおちんちん舐めたい

932 :世界@名無史さん:2015/08/17(月) 06:57:05.80 0.net
>>924
そういう史学に基かない小説家の見解をこのスレでやる意味はあんのか?
単なる板違いだから三戦行けよ

933 :世界@名無史さん:2015/08/18(火) 12:56:30.85 0.net
過疎スレで何顔真っ赤になってんだ?

934 :世界@名無史さん:2015/08/21(金) 21:15:47.65 0.net
建安七子の良さが分からないんだが
建安七子以前の詩に比べて単に下手くそに感じてしまうんだが
魅力や凄さがわかる人教えてくれ

935 :世界@名無史さん:2015/08/21(金) 23:00:48.22 0.net
>>933
過疎かどうかは関係ない。おまえこそただの煽り

936 :世界@名無史さん:2015/08/22(土) 20:54:44.88 0.net
まあ孔明は北伐以外には実戦経験殆どないからな。しかも北伐は単に出陣しま
した、ってだけで。
龐統は蜀での経験を積んだから、北伐やらせれば孔明よりはマシと思われる。

937 :世界@名無史さん:2015/08/22(土) 22:33:40.09 0.net
>>925
呉の奴等が荊州なんていう目先の利益に囚われてなけりゃね…
本当の敵、大きな利益が見えていなかった

938 :世界@名無史さん:2015/08/22(土) 22:44:31.93 0.net
あんだけ舐めた態度続ければ呉がぶちきれてもしょうがないけどなー
まあ、荊州を奪った時点での呉の国家戦略がほとんどノープランに近い状態だったのは同意するが

939 :世界@名無史さん:2015/08/22(土) 22:52:36.04 0.net
>>936
諸葛亮は益州侵攻も南征もやってるだろ
それこそ龐統なんて戦死しただけの経験しかないだろw

>>938
舐めた態度もなにも、荊州分割でひと段落したろ
そのあとに呉は魏に降伏しちゃってるんだから話にならん

940 :世界@名無史さん:2015/08/23(日) 01:13:32.08 0.net
>>939
益州侵攻?
ああ、荊州軍を益州まで運んだやつかw
運送屋の仕事ですな。実際の平定作戦は法正ですね。

南征はやったらしいな。半年ほど。直ぐに反乱が起きてますがw

龐統なんて戦死しただけの経験しかない。
あなたはアホか?龐統が生きていたら、との仮定の話をしてるんですがね。
生きてりゃいろいろ経験するでしょが。

941 :世界@名無史さん:2015/08/23(日) 05:47:57.94 0.net
>>940
ちゃんと正史読めよ

部隊長として軍を率いて各地の平定してるからな?
この時援軍の総大将は張飛、独立行動する部隊を率いてるのが諸葛亮、趙雲

942 :世界@名無史さん:2015/08/23(日) 08:04:36.65 0.net
「歴史にifをうんたら〜」って能書きやるのはやはりこの場合無粋かと思うので愚考を。

ホウトウ死なない=代打の必要は無い、とすると

リュウビあたりはケイシュウの押さえとして関羽中心では(あの性格からすれば)あまりに
縦、横ともに協調できない、関羽の孤立は避けられない、一州は保ち得ない、って事態にいずれなるのは予想可能かと。

しかし関羽を差し置いて外に適役は無く、かと言ってケイシュウは兵家必争の地。
キープ万全が絶対。
だとするとリュウビとしては、入蜀後のごっちゃの状態から司法行政内閣一通りぴっしり、
内閣の人選もぴっしり、決めるまでぐらいは所轄量も蜀に来てもらう。
でその後は、ほっとくと対人関係バランスに不安要素たっぷり残ってるケイシュウ絶対キープの為に
ヘルプとして所轄量を関羽と一緒に残す。

「ヘルプ」としてだけど勿論建前は関羽がケイシュウの親分だけど、本音は所轄量が管理。
本人と面と向かって会合しなければならんような何事かが無い限り、
基本所轄量は関羽とセットでケイシュウの押さえに置いておく。

関羽暴走がこじれてリュウビは下痢死にする事はなくなり、
リュウビは臨終の枕元で穏やかに所轄量に
「俺が死んだ後もどうか仲良くやってくれよ。気難しい人材ばかりで揃えてゴメンな。
だけどみんな一癖あるやつばっかだけど、それぞれ本当に有能だから。ほんじゃ。」と昇天。

ひとつの時代が終わった。
今やショカツリョウの胸中は、遺ったバカ息子に変な虫がつかんよう管理すること。
お家を完全に守りきる事。

その一心に、人生を捧げるのだった。。

と言うわけで、ハングリー&パンク精神に欠けた、安定したコウメイさんになってしまい、
「誰がどう見ても無茶だってw」と言われてしまうような連年の北伐も、行われずに済む、わけでした。 ジャン♪

943 :世界@名無史さん:2015/08/23(日) 08:52:56.17 0.net
関羽は暴走じゃなくて劉備の命令だから
そもそも諸葛亮の隆中対に見るように荊州からの北上戦略は劉備軍の規定路線だし

if云々言う前に基本事項抑えてない妄想って歴史関連の板でやる意味あんの?

944 :世界@名無史さん:2015/08/23(日) 12:45:53.45 0.net
ホウ統はスペランカー

945 :世界@名無史さん:2015/08/23(日) 14:05:01.39 0.net
>>943
妄想が書きたくてどうしようもなかった!すまなかった!反省しとる!!

946 :世界@名無史さん:2015/08/23(日) 21:38:50.39 0.net
関羽は荊州の総司令官でも何でもないkら名ぁ

947 :世界@名無史さん:2015/08/24(月) 20:04:59.53 0.net
戦時は総司令官なのでは?潘濬は司令官ではないでしょ

948 :世界@名無史さん:2015/08/24(月) 22:06:51.14 0.net
劉備軍の古参を処刑できるぐらいの権限はあるんじゃないの?

949 :世界@名無史さん:2015/08/25(火) 09:40:52.96 0.net
言葉の選び方の問題じゃないかね
荊州に関するあらゆる権限があるというわけじゃないという感じだけど、
「荊州の」総司令官 と書かれると
歴史上ではガリア遠征時のカエサルや対ソ戦でのマンシュタインのような軍司令も総司令官と書く場合があるからね

950 :世界@名無史さん:2015/08/25(火) 12:37:48.96 0.net
関羽は当時、董督荊州事・盪寇将軍・襄陽太守で荊州に対する
ある程度の監督権を保持してると考えられるのだが
肝心の軍事専断権を示すとされる節を貰うのは
曹仁を樊城に囲んだ後で、仮節前将軍となってから

「総司令官」という程現場において超越的な立場を持てなかったと見るべきで
劉備という総監督が居る上での現場監督的な立場だったというのが妥当なところだろう

951 :世界@名無史さん:2015/09/05(土) 10:44:04.17 0.net
あがった後下がるます

952 :世界@名無史さん:2015/09/05(土) 22:40:08.90 0.net
江南って本当に孫権が開発したんですか?だとしたら江南は後の文化の粋になるからかなり重要人物なんじゃあ?
それ以前は楚国とかあったけど本格的には孫権以後なんですか?

953 :世界@名無史さん:2015/09/06(日) 00:20:08.83 0.net
部曲数万人を率いて劉備に帰順した雷緒ってどういう
待遇を受けたの?

954 :世界@名無史さん:2015/09/06(日) 14:25:25.91 0.net
>>952
戦国時代の楚は淮水の南岸くらいまでで長江南岸は呉や越の領域だし、併呑されてからも開発は明らかに遅れていた

955 :世界@名無史さん:2015/09/06(日) 19:52:59.17 0.net
>>953
雷同に改名して陰平で戦死したよ(ウソ)

956 :世界@名無史さん:2015/09/06(日) 19:53:49.27 0.net
雷薄→雷緒→雷同という転生説

957 :世界@名無史さん:2015/09/06(日) 22:30:14.46 0.net
部曲数万人ってすごいな。

ところで劉備が帝位についた直後と、
所轄量死亡直後の頃の蜀最大動員可能兵士数はそれぞれどれくらいなのだろう?

自分的には
前者は8万、後者は3万ほどかと思うのだが

958 :世界@名無史さん:2015/09/06(日) 23:36:36.52 0.net
根拠がないな

夷陵の戦いに4万遠征軍動員してるから
劉備全盛期トータルで8万ってのはまあ妥当な数字と思うが
諸葛亮時代も3万って程劣るもんでもないだろう

959 :世界@名無史さん:2015/09/07(月) 04:33:58.71 0.net
どうだろうな。
蜀錦や鉄器の輸出が大きいけど収入としては。
いい資料が見当たらない。

所轄量時代の蜀って10人に1人が軍属っていうのは聞いた事あるけど。

960 :世界@名無史さん:2015/09/07(月) 22:36:53.94 0.net
沙摩柯が5万の部族を率いて参戦したという演技ジョーク

961 :世界@名無史さん:2015/09/07(月) 23:14:00.58 0.net
雷緒ってホントに雷薄と同一人説あったんだ。
陳蘭と行動をともにしていたらしい。
袁術を裏切った後、盗賊団化していたのかな・・・
劉備に帰順したのは数万口だから、兵士の家族も入って
たのかも。

962 :世界@名無史さん:2015/09/07(月) 23:35:26.92 0.net
袁術を裏切ってから一万人も隠れたられたのかな?

963 :世界@名無史さん:2015/09/07(月) 23:44:36.64 0.net
一度曹操に帰順して離反し、夏侯淵にボコられて
劉備に降ったっぽい。
その後は荊州失陥とともに呉に寝返ったりしてそう。

964 :世界@名無史さん:2015/09/08(火) 09:52:01.45 0.net
定住しないでウロウロさまよってるのが数万とか怖すぎるよな
こいつらが一気に襲ってきたらいくら領主の軍隊が居てもどうにもならない

965 :世界@名無史さん:2015/09/08(火) 17:13:14.00 0.net
そういう時代だったんだな。
今のシリアなんかを重ねるといいのかも。

華北から難民が溢れて放浪、ときに武装化して荘園を襲う。

966 :世界@名無史さん:2015/09/08(火) 22:55:44.50 0.net
>>962
大別山で画像検索するといいよ

967 :世界@名無史さん:2015/09/08(火) 23:09:13.24 0.net
袁術を裏切り曹操を裏切った軍隊が万単位で身を寄せてきても
手放しでは喜べないよな〜。
前線に置いておくのも何となくおっかないから管理も難しい。
俸給や住居も用意してやんないといけないし。

968 :世界@名無史さん:2015/09/08(火) 23:52:53.49 0.net
別に曹操は裏切ってないんじゃね?

969 :世界@名無史さん:2015/09/08(火) 23:59:09.35 0.net
そのつもりは無いにしても劉備もすぐに宿り木変えてきた奴だしなぁ
志は違っても意外に気はあったかもしれない

970 :世界@名無史さん:2015/09/09(水) 01:05:52.08 0.net
相方の陳蘭は孫権と結んで曹操に対抗したが、
209年に張遼に敗れて殺されてるね。

971 :世界@名無史さん:2015/09/09(水) 10:14:06.36 0.net
数万の配下がいる時点で既に諸侯だからな
諸侯は部下のことも考えなきゃいけないからすぐ裏切る

972 :世界@名無史さん:2015/09/09(水) 11:05:11.51 0.net
流浪してもそれだけの配下が付いてくるって時点で相当な人物だったんだろうな

973 :世界@名無史さん:2015/09/09(水) 12:27:15.16 0.net
劉備についていく事が決め手だったんじゃないの

974 :世界@名無史さん:2015/09/12(土) 22:07:16.91 0.net
思えば雷緒の人生は時代がそうさせたとはいえ
裏切りの人生であった

975 :世界@名無史さん:2015/09/16(水) 20:36:00.80 0.net
青州兵って精鋭扱いだけど具体的にそれを示すエピソードってあるの?

個人的に体よく使うための方便な気がするんだけど。

それとも動かせるのが青州兵くらいしかいなかったから、わざわざ精鋭として

扱うことができなかったとか?

976 :世界@名無史さん:2015/09/17(木) 00:12:21.06 0.net
丹陽の兵は強いってよく聞くけどね

977 :世界@名無史さん:2015/09/17(木) 13:58:20.78 0.net
従軍経験が多いから強いんだろう

978 :世界@名無史さん:2015/09/17(木) 15:40:42.65 0.net
他の群雄は軍閥になれるくらい、領地と兵士を持っていたけど
曹操って特に兵が少なかったからありがたかったんじゃなかったっけ

979 :世界@名無史さん:2015/09/18(金) 11:33:17.01 O.net
次スレ
正史『三国志』 三十巻 [転載禁止]H2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1442543540/

980 :世界@名無史さん:2015/09/18(金) 13:38:31.43 0.net
魏武の強、これよりはじまる

981 :世界@名無史さん:2015/09/19(土) 00:10:19.96 0.net
青州なんて黄巾の乱の時もそんな激戦地じゃないし
大して精強な兵がいたとは思えない。

982 :世界@名無史さん:2015/09/19(土) 02:56:19.17 O.net
陳寿の蜀びいきって例えばどんな?

983 :世界@名無史さん:2015/09/19(土) 08:48:39.07 0.net
先主後主孫権

984 :世界@名無史さん:2015/09/19(土) 09:35:19.66 0.net
>>981
青州兵が精強とは思えないというのは同意するが

>黄巾の乱の時もそんな激戦地じゃないし
黄巾の乱って184年の一発だけじゃないからな
192年の青徐黄巾の乱では、任城国相の鄭遂、兗州刺史の劉岱、済北国相の鮑信が戦死した。
激戦と言っていいと思うが

985 :世界@名無史さん:2015/09/19(土) 10:41:47.84 0.net
>>981
焦和:せやな^^

986 :世界@名無史さん:2015/09/19(土) 10:48:57.94 0.net
て言うか結局青州兵の実数ってどれくらいなん
魏武が死んだ時にみんな帰った、って
青州兵が大兵力なら曹丕いきなり弱体化じゃん

987 :世界@名無史さん:2015/09/19(土) 16:07:57.23 0.net
言うてソウヒの時代の魏の大都市と人口抱える地方はおしなべてほぼ全て現代で言う募兵制、ボランティアアーミー。
30万と号するアシガルさん達が居なくなっても大して痛くはない。

魏の国力をもっても軍事に関しては募兵制でやっと軍事費の予算が間に合うかなって状態。
地域紛争に依って私兵として暮らしを立ててた六尺兄貴の存在はそう珍しくない乱世中の乱世の過渡期。
食ってくために手っ取り早いのは、やっぱあそこしかない!っちゅて今日も明日も部曲志願のオヤジ、ワカモノの類が絶えない。

988 :世界@名無史さん:2015/09/19(土) 16:12:26.08 O.net
魏は曹丕の時代より曹叡の時代のほうが強かったよな

989 :世界@名無史さん:2015/09/19(土) 19:55:37.43 0.net
青州の賊って劉備の寡兵にボコられてるくらいだから弱いだろ。
張角の時みたいな組織化も行なわれてないだろうし。

990 :世界@名無史さん:2015/09/19(土) 19:56:31.49 0.net
だいたい青州黄巾って曹操と戦った時には応劭とかにやられた後の敗残兵だよな
漁夫の利を得て上手く使えたラッキーボーイが曹操

991 :世界@名無史さん:2015/09/19(土) 20:30:22.59 0.net
劉備はふつうに戦闘は強いでしょ

992 :世界@名無史さん:2015/09/19(土) 22:22:20.91 0.net
超一流には勝てないけどね
劉邦と一緒かもしれない

993 :世界@名無史さん:2015/09/19(土) 23:13:48.79 0.net
張コウが超一流でないというのであれば、まあ超一流には勝てないね

994 :世界@名無史さん:2015/09/19(土) 23:29:34.24 0.net
劉備って盧植に師事してるけど、兵法とかは学んでないだろ。
いや、あの時代兵法とか学べる塾もあったのかな?

995 :世界@名無史さん:2015/09/19(土) 23:34:58.12 0.net
>>994
「兵法を学んだ」って記録のある人ほぼいないぞ?
曹操くらいじゃね?

996 :世界@名無史さん:2015/09/20(日) 00:07:09.24 0.net
軍人の教育には兵法必須だが、必ず教える人間はいたと思う。

997 :世界@名無史さん:2015/09/20(日) 09:07:44.88 0.net
習ってもそれをいかせるかどうかは別問題だが。

998 :世界@名無史さん:2015/09/20(日) 10:04:23.10 0.net
劉備は曹操に赤壁と漢中で勝ってるんだが、超一流って誰なのさ
陸遜?
満寵に勝てなかった陸遜?

999 :世界@名無史さん:2015/09/20(日) 10:56:30.18 0.net
赤壁は孫権の勝利というべきだろ。劉備が戦って勝ったとは言い難い。

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