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百済・任那・新羅 【南半島総合スレ】

1 :世界@名無史さん:2015/01/29(木) 06:01:32.42 0.net
韓国とは何だったのか。

452 :大倭人なんやら:2016/06/19(日) 18:16:22.06 0.net
http://i.imgur.com/Jz7zklI.jpg

これはさきほど私が完成させた
三国志魏書で言及される順番が地理的関係(一筆書きができる)だと仮定した場合のの三韓と倭の国々全て(+楽浪・帯方郡の県)の予想図だ
何か感想をくれ

なお、この図を作るにあたり以下の先行研究を大いに参考にさせていただいた
先人たちに感謝

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/5420/
http://www.geocities.jp/pikupopodemi/rekisi/index.html

453 :世界@名無史さん:2016/06/19(日) 19:15:23.25 0.net
高句麗の支配民で遊牧民はいない
扶余も沃沮も濊貊も靺鞨も新羅も百済も遊牧民の影響を受けて着物が左衿だったり君主号も遊牧民風だったりするけど
全て農耕民

454 :大倭人なんやら:2016/06/19(日) 19:20:57.30 0.net
『三国志魏書』高句麗伝:「其馬皆小、便登山」

馬は持ってたが別に馬乳酒を作るとかはないだろうな

455 :世界@名無史さん:2016/06/19(日) 19:34:07.54 0.net
「隋書」新羅伝
風俗、刑政、衣服、略與高麗、百濟同。
「新唐書」渤海伝
餘俗與高麗、契丹略等
「隋書」北狄伝
室韋,契丹之類也。其南者為契丹,在北者号室韋

というわけで風習や服装
高句麗=百済=新羅=渤海=契丹=室韋

このうち遊牧民だったのが明白なのは契丹と室韋

456 :世界@名無史さん:2016/06/19(日) 19:42:31.18 0.net
倭国だけ南方系って感じでむしろ狼牙脩(ランカスカ)によく似てる
http://www5.kjclub.com/UploadFile/exc_board_63/2011/08/25/131418989712.jpg

457 :世界@名無史さん:2016/06/19(日) 21:17:36.86 0.net
>>455
>新羅=渤海
それは絶対にない

渤海は高句麗と靺鞨との混合であるし
その等号は時代の経過による文化の変化を全く考慮していない

458 :世界@名無史さん:2016/06/19(日) 21:33:34.52 0.net
気になるのは渤海人は辮髪してたのかなってこと
高句麗はしてたよね

459 :なんとか:2016/06/19(日) 22:08:34.42 0.net
>>458
してません
>>456の右から2番目の高麗國が高句麗な

460 :世界@名無史さん:2016/06/19(日) 23:03:16.50 0.net
してるよ
冠付けてない人はみんなへんてこりんな髪形で描かれてる
http://contents.nahf.or.kr/japanese/item/downloadItemFile.process?fileName=kk_0020140.jpg&levelId=kk_002j_0020_0050_0030&type=middle

契丹人とほぼ同じだけど高句麗は頭頂部は若干残す
http://www.nichuk.com/assets_c/2015/08/%E5%A5%91%E4%B8%B9%E5%A3%81%E7%94%BB-thumb-420x266-9313.jpg

461 :大倭人:2016/06/19(日) 23:05:48.45 0.net
>>460
辮髪よりも我が国の月代を思い起こさせる剃り方だな

462 :世界@名無史さん:2016/06/19(日) 23:54:41.06 0.net
武士のルーツは高句麗なのか?

463 :大倭人:2016/06/20(月) 00:54:43.59 0.net
武士はどうなのか知らないが、金属製の刃物は遼寧式銅剣がルーツということなのであながち大外れとも言い切れない

464 :世界@名無史さん:2016/06/20(月) 20:15:59.84 0.net
時代劇でみれるような月代ができたのは戦国末期からだろ
超最初期の南北朝時代のころは女真族の辮髪の三つ編みないバージョンだった
https://kotobank.jp/image/dictionary/nipponica/media/81306024002364.jpg

465 :世界@名無史さん:2016/06/21(火) 00:06:21.91 0.net
石包丁で髪の毛を剃るのは厳しいものがあると思うんよね
だから東アジアのスキンヘッド文化は遼河文明発祥ってことでいいんじゃねえ?

466 :世界@名無史さん:2016/06/21(火) 00:32:45.84 0.net
>>452
この国名ってみんな中国の史書にあるの?

467 :大倭人なんやら:2016/06/21(火) 00:47:43.81 0.net
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/bakan-kanbun1-gisi.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/sankan-benkan.htm

みんなある
全部で80、韓国が遼河文明と古朝鮮と楽浪郡から直輸入の「進んだ文明」を持っていた頃のまださほど大地を疲弊させてない頃の姿だ

この状態から古代文明によくある土壌流出による食糧生産の弱体化が起きて寒冷化とのダブルパンチで百済滅亡という文明崩壊にまで追い込まれることになる

468 :世界@名無史さん:2016/06/21(火) 01:57:56.87 0.net
朝鮮の大地は縄文時代から酸性土壌だよ

朝鮮が栄えていたのは遊牧と漁業と貿易と製鉄であって
農業では無いよ

469 :世界@名無史さん:2016/06/21(火) 02:04:40.54 0.net
ちょいと待った
昔も今も、旧百済の領域周辺の平野部は穀倉地帯だ
だからこそ比較的小さな領域でも経済力があって三国時代も後三国時代も群雄割拠の一角を占めていた
三国時代末(6世紀初中期)にも、百済の国力そのものはむしろ新羅を圧倒し、軍事的にも大幅な優位に立つ時期が多かった
三国時代末の最終的勝敗要因は、直接的な国力の差よりも、外交戦略の巧拙の差の方がずっと大きい

470 :世界@名無史さん:2016/06/21(火) 02:07:52.67 0.net
おっとごめん、訂正
「三国時代末(6世紀初中期)」じゃなくて、「三国時代末(7世紀初中期)」だな

471 :大倭人なんやら:2016/06/21(火) 02:31:58.94 0.net
>>469
だが昔はもっと栄えていた
なんといっても百済は日本よりも前から行政記録を木簡に記録していた訳で
韓国人の言う古代の誇らしい文明は「ある程度」は本当のことだった

昔の穀倉地帯は土地がまだ肥沃だったから
今の穀倉地帯は日帝が土地を痩せさせない水田を拓いたから
間の時代、それは韓国の暗黒時代、李氏朝鮮時代のあの哀れな姿

旧百済の特に忠清道から全羅北道にかけての平野部は恐ろしく削れていて大量の土砂が海に流れ込んだことがうかがえる
セマングムの最初の干拓に至っては4世紀初頭だといわれており、これは仁徳天皇の難波での土木事業より何十年も早い

早くから拓けたということは、技術革新の進んでいない初歩的で非効率なローテクを連発してボーナスを使い切るということ
漢江、東山江の流域はまだ山から栄養ある土が運ばれてマシだった様だけれども、
錦江の下流は本当にひどい

外交がどうのこうのの裏にも金品をどれだけ差し出せるか、どれだけ豪華な接待を使者に行えるかという財政の善し悪しがあり、
どれだけ食べ物を作れるかも国富に関わる重要な要素だった

中華に近い進んだ西側がやがて遅れた東側に圧倒され逆転される
これは日本でも朝鮮半島でも同じだ

472 :世界@名無史さん:2016/06/21(火) 02:48:20.77 0.net
でも、三国時代の百済末で農業生産力が落ちて国が傾いたのだとすると、
新羅末に(後)百済が名乗りを挙げて実際に数十年もったことが説明できないよ

そもそも義慈王代の中期ごろまで、百済は新羅を圧倒していたんだしさ
最後の10年そこそこで、そんな急に一気に経済力が落ちたとは考えられていないはずだけど

473 :大倭人なんやら:2016/06/21(火) 02:56:57.05 0.net
>>472
わずか36年だ
日本に支援を要請して断られた

百済は倭の支援を大いに受けていたことを忘れてはいけない
新羅が任那に侵攻を初めてから白村江の戦いまで、倭国は決して戻らない傾きゆく天秤に軍事力という重りを乗せ続けて百済の維持を図っていたんだ

474 :世界@名無史さん:2016/06/21(火) 03:09:28.74 0.net
>>473
後百済の場合、日本よりも(五代十国当時の江南の)呉越あたりとの外交で支援を要請してた節があるよ

475 :大倭人なんやら:2016/06/21(火) 03:18:27.84 0.net
いずれにしろ36年という一世代の年月は後継者問題に揺れる時期であり
政権の継続年数としてごく自然で納得のいく長さだ

実際、後百済の創始者甄萱は息子たち2人によって別の息子1人を殺され、高麗に投降する羽目になった

476 :世界@名無史さん:2016/06/21(火) 19:20:47.62 0.net
いくら土地が肥沃だったとしても唐に目をつけられた時点でおしまいだよ
日本列島と韓国がすっぽり入る規模の四川平野を有していた陳ですら隋にはかなわなかったのに
九州程度の大きさしかない百済ごときがどうこうできる相手ではない

477 :世界@名無史さん:2016/06/21(火) 19:30:18.32 0.net
http://blog.livedoor.jp/kaikaihanno/archives/45894640.html
>東京を含む関東平野。
>面積は1万6000km平方メートル。
>日本最大の平野であり、外国(全羅道)の湖南平野の面積1200km平方メートルの約14倍ある。
>忠清南北道を合わせた土地が平野だと思えばいい。

関東平野の14分の1とかちぃっっっさ

478 :世界@名無史さん:2016/06/21(火) 20:02:54.28 0.net
>>408
スレが荒れそうなネタなので申し訳ないが、どうしても引っかかるんだよ。
そこでいう、「馬韓系の在地貴族(豪族)」って、一体何者なんだろうな?

「百済南遷前の、今の全羅道域」について、韓国国定史観による政治的事情から、
日本人の考古学研究者も含めて、みんな、奥歯に物が挟まったような記述をするから、
話がクリアに見えてこない。

百済南遷前の時期において、全羅南道および慶尚南道西半分の領域には、
どうも、真正の倭人(おそらく九州人)の、組織的入植があったように思えるんだよ。
記紀の欽明朝の記述は、ホラ吹きとは思えない具体性を持っている。
日本府の存在ガーという話とは別問題として、大和朝廷の進出のスタイルとして、
あれだけの具体的進出をしたのなら、東北地方南部と同じく、農民込みでの入植と考えるのが自然。
東北への入植は、関東系豪族が関東の農民を引き連れていたことが、土器の分析から明らかになっている。
同じように、西南の豪族が九州の農民を引き連れて海峡を渡ったとしか、思えないんだよな。
この仮説の成否を、一次資料にあたって考えてみるんだが、研究者がごにょるので、どうもわからない。

479 :大倭人なんやら:2016/06/21(火) 20:30:18.27 0.net
>真正の倭人(おそらく九州人)の、組織的入植

スサノオだな
根の堅洲国は百済
KaTaSuはKuDaRa、子音の調音点が同じだから同源

紀伊半島の呼邑(コオフ/コイフ/コブ?)国から来たスサノオのモデルとなった倭人の権力者が
馬韓地域の熊成峯=熊津に立って古蒲(コボ/カバ/コバ?)国を作った

そして倭人の権力者たちは「投馬→出雲(イヅモ)」や「躬臣→伊丹(イタミ)・和泉(イヅミ)」や「采女(ウネメ)」と同源の言葉で「主(ニリム)」と呼ばれるようになった
それが三韓の中の「臣」「占」「冉」「兒林」「臨」「如来」「如湛」のつく国々
これらの文字は全部「ニリム」または「トモ」の音写・転訛の音写・意訳と考えられる

480 :世界@名無史さん:2016/06/21(火) 20:37:42.71 0.net
隋書によると沙氏、燕氏、氏、解氏、貞氏、國氏、木氏があったとされているけど
このうち沙氏、燕氏など熊津を本拠地とした勢力でおそらく馬韓系とされる

481 :世界@名無史さん:2016/06/21(火) 20:44:03.23 0.net
百済に倭系官僚がいたのは間違いないが「書紀」で確認できる限りでは
いずれも5品レベルの奈率が多く百済や馬韓系より下位に位置付けられたと考えられる
実際隋書にあげられた大姓八氏のなかに倭系は一つも入ってない

482 :世界@名無史さん:2016/06/21(火) 21:12:59.37 0.net
>>481
百済って、本来は「京畿道王国」なんだよね。全羅道はおろか、忠清道王国ですらない。
こいつが、高句麗の圧迫を受けて「南遷する」んだよ。
記紀を素直に読むなら、この「転がり込んできた百済」に対して、
倭国(大和政権)が、全羅南道を分け与えて恩に着せるという外交を取る。
これが、恩に着せたのかただの売国なのかで、倭国朝廷は大論争になる。
実際には、「恩に着せた効果」はあったようで、百済は倭国に全面従属するようになる。
代わりに、倭国は百済に対して、庇護の義務を負うようになる。
これが、7世紀の中大兄の、全く訳の分からない、自滅的外交政策の伏線となる。
この問題は、南遷後の百済の重臣リストをみていても、わからないと思う。
日本のGHQ占領下の歴代内閣を見ても、閣僚にアメリカ人は出てこないのと同じ。

なお、記紀を否定するというのなら、この限りではなくなるけどね。

483 :世界@名無史さん:2016/06/21(火) 21:35:52.18 0.net
>>482
横からレスするけど、
日本書紀そのものが、内容全体としては、
旧百済系の人達が編纂に大幅に関わったと充分考えられるくらいに百済万歳路線の記述になってるわけでさ。
日本書紀を完全否定するつもりは全く無いし、むしろ極めて重要な文献だと思うけど、
その一方で、それこそ三国史記とか隋書とか旧唐書とか新唐書とかと突き合わせた読み込みをしてみないことには
実態と乖離した解釈に陥りかねないよ。

百済に日系の移住者が或る程度住んでいたとしても、それが即、全て大和朝廷の命によるものかと考えたら、それってどうなんだろうかと。
(そもそも、大和朝廷が送った軍が白村江で壊滅的な惨敗を喫した後になってから、天智天皇はその危機を逆手に取る形で集権化を進めていってるでしょ。)
たとえば九州や中国地方の在地豪族の関係での移住とか、或いはそういった勢力内での争いから逃れて移住したというグループがいたって不思議ではないんだしさ。

484 :世界@名無史さん:2016/06/21(火) 21:45:10.50 0.net
>>480
解氏とかについては、漢城時代から三国史記に登場する家門だから扶余系だったと見られてるね。
熊津遷都後に解氏と他の貴族の間での強烈な争いが起こったあたり、
全体的な流れとして、首都の南遷に伴って扶余系から韓系への実権の移行が進んでいった感じだね。

485 :世界@名無史さん:2016/06/21(火) 23:09:44.82 0.net
>>484
その韓系とやらは何を指してるの?

486 :世界@名無史さん:2016/06/21(火) 23:23:29.83 0.net
百済と馬韓が二重並列的に存在したのは間違いないと思うが
宋書倭国伝の倭王武の称号でも百済と慕韓が別個の存在として分けて記されているし

>>483
書記で確認できる倭系百済官人は物部、許勢、紀の中央の三氏と信濃の科野氏のみで
やはり大和王権の意向によるものと考えるのが妥当かと

487 :世界@名無史さん:2016/06/21(火) 23:29:03.01 0.net
扶余系は百済が慰仇台に率いられた建国当初からいた連中で
韓系はそれ以降に百済に支配された馬韓系勢力のこと

488 :世界@名無史さん:2016/06/22(水) 00:00:47.43 0.net
馬韓に居たその他大勢をまとめて韓系と呼んでいるわけですね

489 :世界@名無史さん:2016/06/22(水) 01:24:14.53 0.net
その他大勢をまとめてっていうわけじゃなくて、
(扶余系ではない)敢て言えば現在の韓国語に比較的近い言語を使っていた集団が韓系かと

490 :世界@名無史さん:2016/06/22(水) 01:28:45.09 0.net
>>486

>物部、許勢、紀の中央の三氏
この記録って書紀のどこだっけ

「信濃の科野氏」とあるけど、たしかこれは音写の当て字だよね
しかもいつどういう事情で百済に行ったかは全く不明だから、即断はできないような

491 :世界@名無史さん:2016/06/22(水) 19:33:14.53 0.net
「紀」に見える百済の官位を帯びた倭人は以下の9人しかいない

紀臣彌麻 奈率
物部連用奇多 奈率
許勢奇麻 奈率
物部歌非 奈率
物部奇非 奈率
科野次酒 徳率
科野新羅 奈率
物部烏等 奈率
物部莫奇武連 達率

物部莫奇武連だけやったら位階が高く東方の方領を任されていたが他は奈率がほとんど
科野次酒は内臣だったというわりに来歴はよくわからん
同じ東国系の佐伯連と行動を共にしていた形跡がある

492 :世界@名無史さん:2016/06/22(水) 22:14:20.04 0.net
475です。
熊津自体は忠清道で、(韓国公定史観の干渉を受ける前の)日本側旧通説においても、
古墳期の倭人進出の北限(より更に若干北)にあたるから、
この地域の在地豪族が、倭国と無関係だとしても、それは当たり前だと思うんだ。
「馬韓系云々」というのが、忠清道の土豪首長だというのなら、>>408には特に疑問点はないよ。
全羅道?と読めたから、ひっかかったのであってw

古墳期の倭人の進出の痕跡は、全羅南道と慶尚南道西部に集中していて、北上に手こずった形跡がある。
多分、倭人の農法が気候に合わなかったのだろう。仙台付近で北上がストップした東北地方の事例とよく似ている。

結局、最後の最後まで、百済は全羅道を完全な地盤に出来なかったのだ、とするなら、
それはそれで筋の通った議論ではないかと思う。
ただ、アルシタリ、オコシタリ、ムレなどと(日本側で)訓ずるあの地域が、
いったいどんなエスニック的状況に置かれていたのかは、興味深いところではある。

493 :大倭なんやら人:2016/06/28(火) 22:01:51.26 0.net
http://i.imgur.com/MovtBYn.jpg
比定した三韓の国名を倭系(赤)・韓系(青)・倭韓共通(紫)・どちらでもない(黄)に塗り分けた図
なお「臣」は百済語「ニリム」の意訳、「イヅモ」「イヅミ」「イタミ」などの同系で倭系由来だとみて赤に塗った

思った通り倭人は帯方郡までの足掛かりを作るかのように南から西に向かって北上している

494 :世界@名無史さん:2016/06/29(水) 15:52:04.35 0.net
【ゲスウヨ】  ハイ、予告通り、欧米から経済崩壊、最後のトドメは、バカウヨの望む中国からの・・・ではなく、日本からの株式大暴落www(笑)  【カスウヨ】



マイト レーヤの出現のタイミング

近い将来、欧米で株式市場が破綻すれば、マイト レーヤは直ちに出て来られるでしょう。崩壊によって生じる現実感覚が、マイト レーヤが待っておられる要素の一つです。


最初になくなるのは世界の株式市場でしょう。

差し迫る株式市場の暴落は、他の人々が飢えている間にお金を儲けることの結果です。かれらは自分の財産を隠し、犯罪的雰囲気さえも創出しています。
彼らはただ座って待っているだけです。世界を餌にして生きており、何も還元しません。 来るべき株式市場の崩壊は必然的に多くの失業者を出すでしょう。


日本から始まる世界的株式市場の大暴落

ウォールストリートの大暴落(1997年)につながったプロセスが、いま日本におけるプロセスの中に写し出されており、再び株式市場の暴落につながるでしょう。
終いには政府にも支えることができなくなり、どん底に落ちていきます。日本がアメリカ国債の25%を引き出すと世界経済が破綻し、マイト レーヤは出現するでしょう。
彼は日本人ではありませんが、日本語で話すでしょう。彼は、非常に物静かなやり方で話します。彼の最初の控えめな態度に混乱してはなりません。
非常に間もなくマイト レーヤを、テレビで見るでしょう。マイト レーヤは毎日テレビに現れ、質問に答えるでしょう。彼は「匿名」で働いております。
マイト レーヤが公に現れるにつれてUFOが、とてつもない数で姿を表すでしょう。


日本国民はどう対処すればいいのか。

新しい政権は民意を反映し、適切な食糧、住宅の供給、健康管理、教育が最も重要な責任となるでしょう。そして最後に防衛です。
抑制のない成長に基づく現在の経済の終焉を見るでしょう。自由貿易はよくありません。物は需要がある場所で生産されるべきだからです。
民衆の指導者は職業的政治家ではない人々から見つかるのです。国民の意志を裏切ることは、極端な場合、自殺や殺人にまでつながります。(安倍ちゃんサヨナラ笑)

495 :なにゃら:2016/07/05(火) 03:21:17.99 0.net
http://nihonsinwa.com/page/1681.html
>上部奈率物部烏(シャウホウナソチモノノベノカク)

ほほう
百済語でカラスのことを「カク」というのか

百済語と新羅語じゃ違いがあるから起源とまでは言えんけど
朝鮮語だとカラスは「까마귀 kkamagui」だから
「カク kak」と「까 kka」とで元が一緒なんかも

496 :世界@名無史さん:2016/07/14(木) 20:27:55.22 0.net
日羅も結構な高官じゃなかったっけ

497 :世界@名無史さん:2016/07/15(金) 00:47:13.99 0.net
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

498 :世界@名無史さん:2016/09/01(木) 23:39:17.05 0.net
太古の中国に発祥した辰国は、前一千年紀に亘って燕山山脈の南→燕山山脈の北→遼西→遼東→朝鮮半島という経路を辿って移動し、鏡と銅剣に代表される特徴的な青銅器文化を開花させました。
倭とは弥生中期初頭に時の辰王家であった 「安冕辰沄(あめしう)氏」の分派が北部九州に建てた国です。
「韓」〔の語〕は本来、辰国の領地を意味する普通名詞であり、南部朝鮮半島(朝鮮半島南半部)を指す固有名詞ではありません。
かつて南部朝鮮半島に韓族という種族は存在しませんでした。
南部朝鮮半島は多くの日本人の祖先となった人々の故地であり、百済・新羅の東北アジア系騎馬民勢力の南下侵入を許す迄、濊族や孔列文土器人〔の流れを汲む集団〕や「辰族」や倭人などのフィールド(活動領域)でした。
古代朝鮮半島の文化をなんでも今日の朝鮮民族の祖先の文化とするのは誤りです。細形銅剣を代表とする朝鮮半島の東北アジア系青銅器文化は「安冕辰沄氏」の辰国の文化であり、日本人の祖先となった人々の文化です。
また、古代の朝鮮半島から渡来して日本人の祖先となった人々を今日の朝鮮民族と同系とするのも誤りです。
朝鮮民族の形成要素が朝鮮半島に出揃うのは、百済や新羅の後を追って高句麗が南下する紀元4世紀を待たねばならず、その形成が本格化するのは統一新羅の成立(676)を受けての紀元8世紀以降となります。
「白村江の戦い」(663)を境に朝鮮半島の均質化(標準化)が進み、朝鮮半島は次第に朝鮮民族の国となっていきます。中国正史に記述された紀元3世紀以前の古韓の歴史は辰国の歴史であり、日本人の祖先となった人々の歴史であるといえるのではないでしょうか。
そう理解すると、『魏志』や『後漢書』の韓伝に記述された古韓の文化や習俗は、もっと身近に感じられるはずです。
辰国精神文化の神髄ともいえる「鏡:日神体(かかみ)」を「日神(かか)」の御神体とする祭儀は脈々と受け継がれ、我が国においては今日なお、その流れを汲む祭祀が奉斎され、人々の暮らしと心情に深く根ざしています。
日本は辰国の遺風を伝える唯一の国であり、日本人の精神文化において、辰国はその残映を鮮やかに放ち続けているといえましょう。

499 :世界@名無史さん:2016/12/29(木) 05:24:01.13 0.net
東京よりホワイトハウスへ打電:

古代、中国の朝鮮半島の乗っ取り方法。

新羅は、朝鮮半島内の中国人地域。送り込んだわけではなく、中国から逃げて来た人達が住んでいた。

中国は新羅と組んで、高句麗・百済を滅ぼす。内と外からの攻撃。

現在、日本国内に中国人が急増しています。中国は長期的視野のある国です。

沖縄について。日本の人口は減っていますが、沖縄の人口は増えています。

どのタイプが入り込んでいるのか、日本政府に確認を求めて下さるよう申し上げます。

日本政府は、バトル・オブ・リバティー(リバティーのスペル、忘れた)に協力すると思います。

500 :世界@名無史さん:2016/12/29(木) 06:33:28.55 0.net
>>499
池沼の方?

501 :世界@名無史さん:2017/06/11(日) 13:57:03.37 0.net
【突拍子もない】文在寅大統領の「伽耶史復元」指示、韓国学界からは批判の声[6/11] [無断転載禁止]©2ch.net
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