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フィリピンの歴史 2
- 856 :世界@名無史さん:2021/11/23(火) 05:02:41.67 0.net
- 戦犯釈放尽力の画家に注目 加納莞蕾、教科書に掲載
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE1213C0S1A810C2000000/
キリノ元大統領は戦中、日本軍に妻と子ども3人を殺害された。莞蕾は書簡で「悲しみと怒りと憎しみの深さをはかることはできない」
と元大統領に寄り添った。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1467446926/808
変見自在/偽りの教科書
http://hyakka.seesaa.net/article/477998627.html
敵前逃亡を強いられたマッカーサーのマニラ奪回攻略戦は昭和20年2月5日に始まった。
その前日、日本軍側から人道的申し入れがあった。
マニラ市北部、古い歴史を持つサントーマス大の構内に英米民間人3700人が収容されている。
マニラ占領時に敵性市民として収容された市民たちで、このまま市街戦が始まれば銃砲火の巻き添えを食う。
両軍の話し合いがつき、日本側警備兵65人の後方退去と収容者の解放が粛々と行われた。
市街が二個大隊ほどの日本軍と70万人の現地人だけになると、米軍は翌日から凄まじい艦砲射撃を始めた。
それに先立つペリリュー、サイパン攻略では7000トンの爆弾が降り注がれたが、マニラ市にはそれを遥かに上回る
爆弾が降った。
市街は瓦礫と化し、多くの市民が死に、日本軍の抵抗は2週間で終わった。マニラは制圧された。
日本はその半年後の8月15日に降伏した。
GHQは9月15日、「日本軍はマニラ攻略時に市民10万人を殺した」と日本の新聞に書かせた。
当時はまともだった朝日新聞は「生き証人も捕虜もいる。その嘘を検証しようじゃないか」と書いたら直ちに廃刊を
通告された。
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