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正史『三国志』 三十一巻
- 1 :世界@名無史さん:2016/07/15(金) 18:42:59.45 0.net
- 前スレ
正史『三国志』三十巻
http://itest.2ch.net/test/read.cgi/whis/1442543540
- 2 :世界@名無史さん:2016/07/16(土) 00:08:25.55 0.net
- 蔡瑁の姉が黄承彦に嫁ぎ妹が劉表に嫁ぐ
そして黄承彦の娘(黄月英)が諸葛亮に嫁ぐ
つまり蔡瑁(劉表)と諸葛亮は縁者の関係にあたる
- 3 :世界@名無史さん:2016/07/16(土) 01:18:49.17 0.net
- さらにホウ統の一族に諸葛亮の姉が嫁いでるのでホウ統も血縁上その辺と繋がってて
荊州の名士、豪族なんかが血縁で案外結びついてるのがよくわかる
- 4 :世界@名無史さん:2016/07/16(土) 06:17:52.10 0.net
- http://pbs.twimg.com/media/CnTYPFRWIAALm0O.jpg
http://pbs.twimg.com/media/CnTYPDqXEAEVec_.jpg
http://pbs.twimg.com/media/CnTYPFGXEAQlhof.jpg
http://pbs.twimg.com/media/CnTYPEoWIAAgc4k.jpg
http://shanghaiist.com/attachments/shang_shanghaiist/guan_yu1.jpg
http://shanghaiist.com/attachments/shang_shanghaiist/guan_yu2.jpg
http://shanghaiist.com/attachments/shang_shanghaiist/guan_yu3.jpg
http://shanghaiist.com/attachments/shang_shanghaiist/guan_yu4.jpg
http://shanghaiist.com/attachments/shang_shanghaiist/guan_yu5.jpg
- 5 :世界@名無史さん:2016/07/17(日) 18:32:28.27 0.net
- 許昌の乱を名前だけ見て、最初許昌で起こった反乱だと勘違いしたのは俺だけではないはず・・・はずだよな?
- 6 :世界@名無史さん:2016/07/17(日) 22:50:10.40 0.net
- >>5
懐かしい
呉を主体とした呉三国志を読んだときはちょっと混乱したよ
- 7 :世界@名無史さん:2016/07/21(木) 14:42:02.24 0.net
- 眭固伝
黄朗夢
鮑信演義
- 8 :世界@名無史さん:2016/07/28(木) 23:04:48.17 0.net
- >>2,>>3
なぜ諸葛亮の血縁関係は広がっているのに,
相手のほとんどが曹操に仕えたのであろうか。
- 9 :世界@名無史さん:2016/07/29(金) 01:03:05.88 0.net
- 孔明の兄弟が各陣営に分かれているくらいだし
親戚ってだけで劣勢な陣営に身を寄せるなんてことはないかと
- 10 :世界@名無史さん:2016/07/29(金) 02:50:28.45 0.net
- >>8
諸葛亮がその血縁関係を纏め上げる宗族の長じゃないから
- 11 :世界@名無史さん:2016/07/29(金) 10:14:19.67 0.net
- 孟達に殺された諸葛亮の義理の兄はカイ越とカイ良とは同族なんかね
- 12 :世界@名無史さん:2016/08/03(水) 10:14:43.46 0.net
- 三国志の創作作品では諸葛亮のような政治家や周瑜、陸遜、司馬懿のような将軍でも知将系なら軍師で一括りにされがちだけど
正史三国志から見て実際に「軍師」と呼べるような人物はどんくらいいるんだろう カイ良・カイ越は軍師になるだろうか
- 13 :世界@名無史さん:2016/08/03(水) 17:42:00.56 0.net
- 軍師の定義を決めて貰わんと・・・
それこそ武人じゃなくて知略系の将は全て軍師とする考え方もあるしね
- 14 :世界@名無史さん:2016/08/03(水) 18:15:43.88 0.net
- 知略系の将ってのも定義がよくわからんな
- 15 :世界@名無史さん:2016/08/03(水) 20:04:58.74 0.net
- 周瑜、陸遜、司馬懿は演義でも吉川でも横山でも軍師ではないと思うが
- 16 :世界@名無史さん:2016/08/03(水) 20:30:42.01 0.net
- 司馬懿って8日の昼夜兼行軍とかキチガイじみたことやってるから
自身も体力に恵まれてるだろな
- 17 :世界@名無史さん:2016/08/03(水) 20:39:19.71 0.net
- 司馬朗が家族親戚みなでかいと言ってるし
司馬懿はガタイがいいイメージあるな
- 18 :世界@名無史さん:2016/08/04(木) 16:23:42.19 0.net
- 何気に麋芳って君主三人コンプしてるのね
彭城国相(曹操)→南郡太守(劉備)→賀斉配下(孫権)
- 19 :世界@名無史さん:2016/08/06(土) 13:15:30.10 0.net
- 孫権配下の彭城国相のポストは麋芳→劉備→孫権経由で回ってきたのかな
- 20 :世界@名無史さん:2016/08/08(月) 16:09:04.38 0.net
- 地位としての軍師なら、入蜀前後の諸葛亮の地位は軍師中郎将→軍師将軍だな
参謀としての役回りの軍師として触れられたのは荀攸くらいかな?
- 21 :世界@名無史さん:2016/08/10(水) 02:26:30.09 0.net
- 黄氏って蔡瑁の姪だったのか・・・
孔明も劉表政権での出世を見込んで結婚した
可能性もあるのかな?
- 22 :世界@名無史さん:2016/08/10(水) 02:31:27.79 0.net
- >>21
家格の問題もあるんだろうけどその後の劉備政権での諸葛亮の出世考えると
豪族に対して血縁でいうこと聞かすことができる存在となってたであろうことは推測できるし
ある程度はその辺見込んでるだろうね
- 23 :世界@名無史さん:2016/08/10(水) 07:40:32.42 0.net
- 孫氏の場合だと顧氏とか陸氏とか関係微妙なところとも縁戚関係結んでるな
- 24 :世界@名無史さん:2016/08/10(水) 16:14:49.69 0.net
- BC3C末、徐福一行の故郷、江蘇省北部では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。
- 25 :世界@名無史さん:2016/08/10(水) 20:57:46.94 0.net
- つまり孫権はデムパ
- 26 :世界@名無史さん:2016/08/11(木) 00:17:19.69 0.net
- >>13
じゃあ史書に謀主と書かれている人(わかりやすい)
- 27 :世界@名無史さん:2016/08/11(木) 12:15:26.76 0.net
- 仲謀「ん?」
- 28 :世界@名無史さん:2016/08/11(木) 19:21:34.98 0.net
- >>21
それはないだろうな
劉備に劉表から荊州を奪えみたいな進言をしているし
- 29 :世界@名無史さん:2016/08/12(金) 01:24:19.20 0.net
- そういえば、この頃劉備って中山王じゃなく劉表の一族の流れをくむとか自称してたんじゃなかったっけ?
- 30 :世界@名無史さん:2016/08/12(金) 03:29:23.47 0.net
- 蔡瑁って史実では殺されてないよね?
- 31 :世界@名無史さん:2016/08/12(金) 09:12:29.90 0.net
- >>30
降伏後のキャリアで長水校尉とかあるし宮中勤務になったりしてる
曹操の朝廷工作の尖兵役担ってて殺すどころか物凄く信用されてると言った方がいいと思う
- 32 :世界@名無史さん:2016/08/12(金) 10:00:12.94 0.net
- 劉表の次男も宮中の仕事貰ってるな。
- 33 :世界@名無史さん:2016/08/12(金) 10:26:28.17 0.net
- 蔡瑁と曹操は若い頃からの知り合いだしなぁ
- 34 :世界@名無史さん:2016/08/12(金) 11:04:26.23 0.net
- 曹操の昔馴染みといえば許攸、婁圭、劉勲とかが思い浮かぶけどどいつもこいつもろくな最期じゃないな
- 35 :世界@名無史さん:2016/08/12(金) 12:44:23.97 0.net
- 同時代的な目線で言えばありえねーわwwwwwと思うことでも
はるか未来からの創作になれば因果関係とか事実とか多少違ってても気にならないんだろうなあ
三国時代の人間が劉備女とか趙雲女とか呂布女とかみたら、
あのおっさんどもが女とかあえりねーwwwwって爆笑するかも
- 36 :世界@名無史さん:2016/08/12(金) 13:13:32.93 0.net
- 現代でもあり得ない
- 37 :世界@名無史さん:2016/08/12(金) 15:23:05.19 0.net
- BC3C末、徐福一行の故郷、華北では三足土器で炊飯していました。
粗製灰陶で出来ている鬲です。
灰陶を焼く穴窯も、炊飯器の鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルでもあった鼎も土器にも青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の雷文や龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な古代中国の楽器もさっぱり伝わっておりません。
三足やラッパ型の様々な酒器もさっぱり伝わっておりません。
金銀細工や金銀メッキもさっぱり伝わっておりません。
龍などをモチーフにした様々な玉器もさっぱり伝わっておりません。
瓦や箸や傘もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。
瓦屋根の戸建てや木骨泥墻などの住居もさっぱり伝わっておりません。
帯の付いたローブ状の古代中国の服飾も靴もさっぱり伝わっておりません。
徐福どころか古代中国人なんて縄文から弥生を通して一切定着しておりません。
ただ、無知で、馬鹿で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる創作デムパです。
- 38 :世界@名無史さん:2016/08/12(金) 20:11:16.63 0.net
- 一騎当千とか言う漫画ではみんな女体化してるのに何故か曹操だけ高身長イケメンちゃら男キャラになってたな
これはこれで当時の人間からしたらあえりねーwwwwだろうが
- 39 :世界@名無史さん:2016/08/12(金) 20:18:13.35 0.net
- 女体化漫画の話はこの辺で辞めてくれ
スレチだし気持ち悪い
- 40 :世界@名無史さん:2016/08/12(金) 21:57:34.48 0.net
- 蔡瑁の伯母が太尉張温の妻らしいから、
張允は張温の子だったりしないのかな。
とすると蔡瑁と張允は従兄弟同士ということになる。
張温も同じ襄陽人だしね。
- 41 :世界@名無史さん:2016/08/12(金) 23:31:35.96 0.net
- 漢民族同士じゃなくて異民族と血族スクラム組んでた一族っていないの?
馬超のオヤジさんぐらいしか知らないんだけど
- 42 :世界@名無史さん:2016/08/15(月) 21:35:07.31 0.net
- ビルマのパガン朝に孔明廟があったらしいが何でだろ?
南蛮討伐関係?
- 43 :世界@名無史さん:2016/08/15(月) 23:58:39.54 0.net
- 蔡瑁って多分イケメンなんだろうな姉と妹が美人だったんだろう
何進にも同じことが言える
- 44 :世界@名無史さん:2016/08/16(火) 00:18:39.81 0.net
- 袁紹と曹操の宦官論争ってさ
一見すると曹操が正論のように聞こえるけど
よくよく考えれば、君主制と言うものが常に理想的な君主を擁立できるものではない以上袁紹のほうがリスク管理の上では正しくないか
- 45 :世界@名無史さん:2016/08/16(火) 06:31:28.96 0.net
- 宦官がいなくても小姓あがりが側近になって権力をふるった国が
- 46 :世界@名無史さん:2016/08/16(火) 10:06:37.99 O.net
- スレ新記念カキコ。久々来た俺に誰か前スレからの流れを今北産業
- 47 :世界@名無史さん:2016/08/16(火) 20:52:01.81 0.net
- >>44
リスク管理で語るなら「どっちも不正解」
宦官がリスクだから宦官を除去せよ、と言っても
宦官の権力掌握プロセスは皇帝と官僚、豪族という対立構造の隙間に生まれるもので
そちらの解消無しに宦官という制度を排除したら皇帝が官僚と豪族に逼迫されて
その中から権臣が生まれて皇帝が傀儡と化して最終的には王朝が乗っ取られるだけ
袁紹本人はその乗っ取る側の官僚、豪族の立場の識見であってポジトークなんだわな
逆に悪い宦官だけを処罰すればよいというのもこれはこれで
「宦官を常に管理、監視出来てしかも即座に処刑出来るだけの権力が非宦官勢力にある」という
つまり官僚が裁判権含めて常に全てを牛耳る必要がある、という前提が根底にあって
「皇帝の私的空間にいる宦官を官僚が処断してよい」というとんでもねえ思想
根っからの官僚的なポジショントーク
皇帝の私的空間の人事ポストを廃しろって言う袁紹から見ると過激でないだけ
そういう皇帝権に対する掣肘に抗って皇帝というのは自らの手足としての宦官を求めちゃうんだけど
両方とも皇帝の権力を宦官に利用させないためにどうするかという議論で
しかもどうしたら自分の感覚で都合いいかって話しかしてねえんだわ
- 48 :世界@名無史さん:2016/08/16(火) 22:06:28.47 0.net
- >>47
違うだろ、官僚豪族を単純化しすぎ
現実にはそんな皇帝と張り合うような臣下ばかりではないし、宦官に頼らなくても手足となる側近は取り立てられる
別に対立構造がなくても宦官は皇帝の私的空間になる強みを利用して君主に接近できる
どちらかというと宦官が権臣に対して対抗馬になった後漢が異常な例だ。そんなもんなくても世界の君主制はよくやってるし、そんなもんあっても権臣の台頭は防げていない
- 49 :世界@名無史さん:2016/08/16(火) 23:27:07.77 0.net
- >>48
常に単一の理由だけで王朝がどうこうなるってもんでもないのはその通り
しかし中華王朝の政治史においてはそう言った対立構造が頻出してて
最終的な解決って結局しないままに近代化で王朝政治が終了するまで続いたのもまた事実だし
後漢において見れば明確な対立構造がそこにあったということも否定は難しいだろう
臣下が皇帝と張り合わない云々というのは本人たちの意向は関係なく
官僚と皇帝が権力の綱引きをしている構造という話は個々人のミクロな問題ではない
皇帝権が強化されれば官僚機構は弱体化したりその逆もあって
官僚機構は組織防衛に走るし、機関としての皇帝も同様で、常にそれは相克しているという事
- 50 :世界@名無史さん:2016/08/25(木) 11:16:18.76 0.net
- 初心者にも分かりやすい正史三国志
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( ゚∀゚ ) < そうそうそうそうそうそう!
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- 51 :世界@名無史さん:2016/08/27(土) 15:19:47.37 0.net
- 鍾繇の書『薦季直表』に出てくる山陽太守 季直って誰だろ?
- 52 :世界@名無史さん:2016/08/27(土) 19:25:10.72 0.net
- ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
- 53 :世界@名無史さん:2016/08/28(日) 09:43:44.47 0.net
- 移民なんてダメなのは、歴史が証明している
ローマ帝国時代にローマ人は奴隷や兵士育成のために、ゲルマン人を受け入れたが
やがてゲルマン人は権利を主張し、ローマ帝国内に侵入し、ローマ帝国は滅んでしまった
三国志時代の中国の英雄たちは防衛のために、北方の異民族を受け入れたが、その後に待っていたのは、五胡十六国時代と呼ばれる中国が異民族に跋扈された時代だったのだ
ゲルマン人や北方異民族によって、古代ギリシア人やローマ人は滅び、古代漢民族も滅んでしまったのだ
今のイタリア人もギリシア人も中国人も元々は乗っ取った異民族の子孫である
今の日本人が現在のヨーロッパ人や中国人よりも、三国志時代の中国人や古代ローマ人に親しみを感じるのは当然なのである
寛容と人の良さが発展を促したのだが、それこそが付け入る隙間を与えたのだ
このように、移民なんて受け入れるのは亡国に自ら進むことと一緒である
今、日本に移民を進める人間は本当の日本人ではない、敵国のスパイなのだ!!
- 54 :世界@名無史さん:2016/08/28(日) 10:27:19.37 0.net
- 季直は姓は季で名前が直?
- 55 :世界@名無史さん:2016/08/28(日) 13:14:25.29 0.net
- 季は末っ子もしくは四男に付けられる事が多い字だから「季直」という字の可能性もある
- 56 :世界@名無史さん:2016/08/28(日) 13:39:18.02 0.net
- 字の可能性が高いと思う。
読書百遍の故事で知られる董遇の字が季直なんだけど
山陽太守だったかは分からないんだよね。
- 57 :世界@名無史さん:2016/08/28(日) 14:19:00.09 0.net
- >>53
かつて日本が国策で進めた北米・南米へのヤツは移民じゃなくて棄民だからセーフ
- 58 :世界@名無史さん:2016/08/28(日) 14:31:04.95 0.net
- 劉備と言う難民軍団を受け入れた蜀
- 59 :世界@名無史さん:2016/08/28(日) 15:21:35.40 0.net
- 流賊に国を乗っ取られました。蜀!(ショック!)
- 60 :世界@名無史さん:2016/08/28(日) 15:22:03.65 0.net
- 流賊に国を乗っ取られました。蜀!(ショック!)
- 61 :世界@名無史さん:2016/08/28(日) 20:28:40.82 0.net
- >>56
一回曹操の時代に仕えてるのに後に仕えてない時期があるとかとか
どっちかというと官僚肌っぽいところとか家があんま裕福でないっぽいところとか
かなり似てるんだよね
- 62 :世界@名無史さん:2016/08/28(日) 20:42:12.64 0.net
- 薦季直表本文(かわいい文字で書いてある)
臣繇言、臣自遭遇先帝、忝列腹心。爰自建安之初、王師破賊關東。
時年荒穀貴、郡縣殘毀、三軍餽朝不及夕。先帝神略奇計、委任得人、
深山窮谷、民獻米豆、道路不絶、使強敵喪膽。我衆作氣、旬月之間、
廓清蟻聚。當時實用故山陽太守關内侯季直之策、剋期成事、不差豪髮。
先帝賞以封爵、授以據郡。今直罷任、旅食許下。素為廉吏、衣食不充。
臣愚、欲望聖椈^其舊勲、矜其老困、復俾一州、俾圖?報効。直力氣尚壯、
必能夙夜保養人民。臣受國家異恩、不敢雷同。見事不言、干犯宸厳。
臣繇皇恐皇恐、頓首頓首。謹言。
黄初二年八月日司徒東武亭侯臣鍾繇表
- 63 :世界@名無史さん:2016/08/28(日) 20:44:49.47 0.net
- 「今直罷任」「直力氣尚壯」の文から見ると、直は名なのか・・・
- 64 :世界@名無史さん:2016/08/28(日) 21:05:36.57 0.net
- >>63
その辺は後の世の人が「季は姓、直が名」って認識して削られたりしてる可能性もあるから
単純には言えんとは思うがね
- 65 :世界@名無史さん:2016/08/28(日) 21:15:32.40 0.net
- 同時代の鍾繇が書いて拓本が残ってるんだから
文章の改変はないんじゃね?
- 66 :世界@名無史さん:2016/08/28(日) 22:09:43.04 0.net
- >>65
拓本作られたのは宋辺り
- 67 :世界@名無史さん:2016/08/28(日) 22:11:29.43 0.net
- ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
- 68 :世界@名無史さん:2016/08/28(日) 22:26:46.36 0.net
- 字を切り離して二文字目だけで呼ぶってのは
聞いたことないなあ・・・
- 69 :世界@名無史さん:2016/08/28(日) 22:57:35.27 0.net
- >>64
鍾ヨウの書は書の手本として価値が高いもんだから
意図的に文字を消すというのは考えにくくね?
- 70 :世界@名無史さん:2016/08/28(日) 23:52:39.92 0.net
- 削ったり消したりする意味がない。
季氏は前漢の季布が有名で、その後はあんまり
聞かないが、後漢末にもいたんだね。
- 71 :世界@名無史さん:2016/08/29(月) 00:27:16.49 0.net
- 質問なんどけど
司馬氏陳氏荀氏が一族ぐるみで付き合いをしていたと書いてあるのってどこの列伝だっけ
めぼしいところを斜め読みしても見つからない
- 72 :世界@名無史さん:2016/08/29(月) 00:42:05.81 0.net
- >>66
拓本作るのに字を削ったりするか?
- 73 :世界@名無史さん:2016/08/29(月) 01:06:33.80 0.net
- >>71
いつの世代の話?
鍾氏陳氏荀氏なら党錮の中心的存在だし後漢書にも載ってるけど
司馬氏となると晋書の領域になってきそう
今すぐに史料を出せなくて申し訳ないが
- 74 :世界@名無史さん:2016/08/29(月) 01:21:44.05 0.net
- >>73
確かいつの世代か具体的に載ってない記述なんだよね
けど晉書じゃなく三国志の記述だったと思う
確かはいしょうしが引用してる何かで
- 75 :世界@名無史さん:2016/08/29(月) 02:45:47.40 0.net
- >>69>>72
拓本の元になったのは真筆じゃない可能性が高いので
拓本を作る段階で文字を消したのではなく写本を作る段階で削られてる可能性がある
書写した人が割と自分好みに原典から内容を変えてしまうってのは
書籍作りが写本メインだった時代にはよくある話
だからこそ古文書は○○本という形で書籍の異同があるのだし
- 76 :世界@名無史さん:2016/08/29(月) 22:04:32.42 0.net
- 書は絵みたいなもの
- 77 :世界@名無史さん:2016/08/29(月) 22:17:48.89 0.net
- 表に字を書くなんてことが有り得るのかな?
薦季直表という時点で、仮に削られたという見解をとるとしても、少なくとも直は実名の一部だということでしょう。
- 78 :世界@名無史さん:2016/08/29(月) 22:43:07.30 0.net
- 削られていない写しはあるの?
改編の可能性があるってだけで疑ってたたらきりない気もするけど
- 79 :世界@名無史さん:2016/08/29(月) 23:28:50.55 0.net
- >>77
記憶だから完璧ではないけど令や勅だと字表記はあったと思うが
言われてみれば確かに表で字使ってるものは思い浮かばないな
- 80 :世界@名無史さん:2016/08/29(月) 23:29:49.15 0.net
- >>78
拓本が原典扱いになっちゃってるからそれが作られる以前にどうであったかは全くわからない
- 81 :世界@名無史さん:2016/08/30(火) 05:35:29.59 0.net
- 正始石経の一片が台東区の書道博物館にあるようだ・・・
- 82 :世界@名無史さん:2016/08/30(火) 23:11:21.73 0.net
- 古代殷の神であるキが日本の山中で祀られてる事もあるから何の不思議もない
- 83 :世界@名無史さん:2016/09/01(木) 04:30:28.78 0.net
- 字といえば、夏侯惇の息子の夏侯子臧と夏侯子江はなんで名は伝わらずに字だけ残ったんだろ
普通ここまでやるなら名も残るか、もしくは字さえ伝わらないかだと思うんだがな 素人考えやが
- 84 :世界@名無史さん:2016/09/02(金) 00:37:21.72 0.net
- 書かれた時の為政者の名前だったとか?
- 85 :世界@名無史さん:2016/09/03(土) 03:34:45.14 0.net
- リアル司馬懿動画
https://www.youtube.com/watch?v=bHjRORiMl7E
- 86 :世界@名無史さん:2016/09/06(火) 19:32:11.01 0.net
- やっぱこの位できる人間も世の中にはいるよな
司馬懿の首が180度回ることを一例に晋書の記述を荒唐無稽としてる人がいたけど
- 87 :世界@名無史さん:2016/09/06(火) 20:21:41.06 0.net
- でも手を使わなきゃ曲がらないんだな
さすがに蒼天航路の後ろから声をかけられて前向いたままクビを後ろに向けるほどのことは出来ないんだねえ
- 88 :世界@名無史さん:2016/09/07(水) 02:20:41.69 0.net
- 当時、狼顧の体操っていうのがあって健康法とされていたようだな。
司馬懿もそれをやっていて真後ろに振り向けるようになったんじゃないか?
- 89 :世界@名無史さん:2016/09/07(水) 11:58:58.73 0.net
- 五禽戯みたいな?
- 90 :世界@名無史さん:2016/09/07(水) 20:26:01.47 0.net
- >>86
晋書の司馬一族絡みだと司馬師が嫁毒殺した話が悪質過ぎ。
- 91 :世界@名無史さん:2016/09/07(水) 20:30:26.27 0.net
- たしかにな
どうやってそれ知ったんだよと突っ込みたくなる
時代的にその後も夏侯玄と親しく付き合ってるし
- 92 :世界@名無史さん:2016/09/07(水) 20:48:10.64 0.net
- しかも夏候玄処刑されそうになった時に弟の司馬昭が「大兄!夏候玄はオレたちの義理の兄弟!処刑までする事ないだろ!」って反対してんのにね
- 93 :世界@名無史さん:2016/09/09(金) 22:30:50.33 0.net
- 司馬昭は兄が死んで権力握ってから人間変わったから
- 94 :世界@名無史さん:2016/09/09(金) 23:04:33.01 0.net
- 兄が死ぬ前から部下に責任押し付けて殺したりしてるんだよなあ
- 95 :世界@名無史さん:2016/09/10(土) 13:40:16.23 0.net
- 司馬昭「めんどくせ」
- 96 :世界@名無史さん:2016/09/11(日) 09:13:06.00 0.net
- >>94
王義殺しは権力者らしいエピソードで結構好きだ
そういえば鄭小同殺しの時の司馬昭の「寧我負卿,無卿負我」という台詞
曹操の「寧我負人,毋人負我」と被ってるなと思ってたら
両方とも孫盛が書いてたんやね
- 97 :世界@名無史さん:2016/09/11(日) 10:18:33.27 0.net
- 賈充は昭さんに切り捨てられなかったのが不思議
- 98 :世界@名無史さん:2016/09/11(日) 21:09:11.99 0.net
- 賈充は
. -―- . やったッ!! さすがディオ!
/ ヽ
// ', おれたちにできない事を
| { _____ | 平然とやってのけるッ!
(⌒ヽ7´ ``ヒニ¨ヽ
ヽ、..二二二二二二二. -r‐''′ そこにシビれる!
/´ 〉'">、、,,.ィ二¨' {. ヽ _ _ あこがれるゥ!
`r、| ゙._(9,)Y´_(9_l′ ) ( , -'′ `¨¨´ ̄`ヽ、
{(,| `'''7、,. 、 ⌒ |/ニY { \
ヾ| ^'^ ′-、 ,ノr')リ ,ゝ、ー`――-'- ∠,_ ノ
| 「匸匸匚| '"|ィ'( (,ノ,r'゙へ. ̄ ̄,二ニ、゙}了
, ヘー‐- 、 l | /^''⌒| | | ,ゝ )、,>(_9,`!i!}i!ィ_9,) |人
-‐ノ .ヘー‐-ィ ヽ !‐}__,..ノ || /-‐ヽ| -イ,__,.>‐ ハ }
''"//ヽー、 ノヽ∧ `ー一'´ / |′ 丿! , -===- 、 }くー- ..._
//^\ ヾ-、 :| ハ  ̄ / ノ |. { {ハ. V'二'二ソ ノ| | `ヽ
,ノ ヽ,_ ヽノヽ_)ノ:l 'ーー<. / |. ヽヽヽ._ `二¨´ /ノ ノ
/ <^_,.イ `r‐'゙ :::ヽ \ `丶、 |、 \\'ー--‐''"//
\___,/| ! ::::::l、 \ \| \ \ヽ / ノ
のような存在
- 99 :世界@名無史さん:2016/09/11(日) 22:14:03.24 0.net
- 昭さんに悪知恵つけてるの裴秀や荀勗っぽい
- 100 :世界@名無史さん:2016/09/14(水) 03:17:56.46 0.net
- 司馬昭の悪逆非道はマジで少年マンガのラスボスを張れるレベル。
- 101 :世界@名無史さん:2016/09/14(水) 09:49:00.14 0.net
- 陳泰と司馬孚おじさんはまんまラスボスの凶行を諌める側近キャラだしね。
- 102 :世界@名無史さん:2016/09/14(水) 10:38:53.60 0.net
- >>100
石勒乙
- 103 :世界@名無史さん:2016/09/14(水) 12:10:31.47 0.net
- 司馬昭さんは緩急権にも褒められるいい人だよ
- 104 :世界@名無史さん:2016/09/14(水) 12:25:36.80 0.net
- 昭さんの段取りの悪さにアッニも苦笑
- 105 :世界@名無史さん:2016/09/14(水) 13:55:42.99 0.net
- >>100
司馬昭よりも曹操や司馬懿のが酷くね虐殺やってるし
- 106 :世界@名無史さん:2016/09/14(水) 22:54:41.37 0.net
- 曹操や司馬懿はプラスの面も多いからな・・・
まあ司馬昭の陰湿さは確実に司馬懿のDNAだけど。
- 107 :世界@名無史さん:2016/09/15(木) 00:25:59.88 0.net
- 世説新語とかだと昭さん息子の炎同様ボケキャラなのにね。
- 108 :世界@名無史さん:2016/09/15(木) 00:26:22.08 0.net
- ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
- 109 :世界@名無史さん:2016/09/15(木) 00:34:44.39 0.net
- 司馬昭は本人よりも部下が黒いイメージ
本人が黒いのは司馬師
- 110 :世界@名無史さん:2016/09/15(木) 10:01:59.75 0.net
- アッニは親父ですら出し抜くからなぁ
- 111 :世界@名無史さん:2016/09/15(木) 12:25:43.97 0.net
- 司馬師の悪事エピって何?
- 112 :世界@名無史さん:2016/09/15(木) 14:48:07.06 0.net
- 57 : 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイ 7df8-sMwW)2016/09/14(水) 18:24:14.80 ID:jsGRthJh0
三国志は脳筋と頭でっかちばっかりの時代
両方こなせる将軍クラスの人材が全然いないから領土が増えない、維持できない
出来ない奴に無理矢理やらせて大敗、関羽とか夏侯淵とか夏侯惇とかこんなんばっか
↑
某スレからの転載 司馬懿はいい線行ってるとは言われるけどよく考えたらこんなんばっかだなこの時代
- 113 :世界@名無史さん:2016/09/15(木) 15:47:48.20 0.net
- そういや五胡十六国〜南北朝では政治も軍事もこなせるチート出てくるけど三国志の時代はあまり見掛けない。
杜預ぐらいじゃないかな。軍人としても官僚としても文人としても1流って言えるのは。
なお、保身に関しては今ひとつの模様
- 114 :世界@名無史さん:2016/09/15(木) 16:24:39.41 0.net
- >>112
いやそれ敗因を単純化して無理矢理政治能力の問題にしてるだけだろ
- 115 :世界@名無史さん:2016/09/15(木) 16:36:15.80 0.net
- SB新書
三国志「その後」の真実
http://www.sbcr.jp/products/4797380996.html
孔明没後の知られざる三国志「その後」系譜
孔明没後から三国の滅亡、西晋の興亡までの三国志の「その後」の世界は意外と知られていない。
そこには三国志を凌ぐ壮大なドラマが繰り広げられていた!
実はもっと面白くためになる、知られざる「その後」の世界への誘い――
●意外と知られていない三国志の「その後」
●「その後」を知るほうが、現代の混迷の時代を生き抜くヒントになる!
●三国志研究第一人者による「その後」の三国志・決定版!
■目次:
序 章 三国時代の形成
第一章 秋風五丈原
第二章 三国それぞれの混乱
第三章 三国の統一
第四章 西晉の滅亡と伝説のはじまり
- 116 :世界@名無史さん:2016/09/15(木) 16:48:16.40 0.net
- >>115
その本立ち読みしたけど三国志以降の話って少ししか書いてない
- 117 :世界@名無史さん:2016/09/15(木) 17:45:12.78 0.net
- 日本誕生の原因は司馬一族の糞政治が異民族にパワーを与えたおかげ
- 118 :世界@名無史さん:2016/09/15(木) 19:31:15.62 0.net
- >>116
本の主要テーマは三国志以降ではなく諸葛孔明以降
- 119 :世界@名無史さん:2016/09/16(金) 05:45:10.53 0.net
- >>112
司馬懿は子孫が天下取ってなかったら脳筋の方に分類されてそう
- 120 :世界@名無史さん:2016/09/16(金) 09:18:23.09 0.net
- 頭でっかちでなく文武両道なんだよ、と渡辺御大の本に書いてあったような
- 121 :世界@名無史さん:2016/09/16(金) 10:02:58.50 0.net
- 陸機陸雲の兄弟も八王の乱に巻き込まれなければ文武両道の名将とか言われてたのかね
- 122 :世界@名無史さん:2016/09/16(金) 10:57:35.43 0.net
- 両方こなせる将軍クラスって、いたけどそれより戦だけ強い武将に負けたのを名将扱いしてないだけなんじゃないの
- 123 :世界@名無史さん:2016/09/16(金) 12:37:29.13 0.net
- 単純な戦闘なら脳筋でもいいだろ。
戦略を立てるのは軍師だし。
曹操は知勇兼備だからあそこまで領土を拡大できた。
杜預なんて曹操と同等に戦える器なのか?
- 124 :世界@名無史さん:2016/09/16(金) 13:40:13.15 0.net
- 雇われ社長と創業者では求められるものが別でしょ
- 125 :世界@名無史さん:2016/09/16(金) 21:23:08.67 0.net
- ◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか
経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、
日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。
このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。
この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。
ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。
- 126 :世界@名無史さん:2016/09/20(火) 11:17:12.64 0.net
- 石勒「曹操みてーなカッスの真似とかしたくねーな」
- 127 :世界@名無史さん:2016/09/20(火) 14:49:09.61 0.net
- 三国時代の武将や政治家が他の時代と比べると劣っている(と言われている)のはなんでや
小粒で地味な連中がひしめき合っていたから中国とかではあまり人気がない、とも聞く
例えばそうだなー 戦国時代だと、楽毅、白起、呉起、王翦なんか特に強いって言われてるけど
単に書き方の問題とか?
- 128 :世界@名無史さん:2016/09/20(火) 20:48:16.55 0.net
- 石勒と曹操が同等の戦力で対戦しても石勒が勝つ気がしない・・・
- 129 :世界@名無史さん:2016/09/20(火) 21:19:53.61 0.net
- 実績出してる人に机上の対決シミュしてもなあ
- 130 :世界@名無史さん:2016/09/20(火) 21:29:10.85 0.net
- >>128
石勒は本人より甥の石虎や養子の冉閔の方が凶悪だからね。
個人的には過小評価されてんのは田予と毌丘倹かな
- 131 :世界@名無史さん:2016/09/21(水) 00:32:30.80 0.net
- 石虎や冉閔とか軟弱な晋兵ボコってオラオラしてただけじゃねえの?
- 132 :世界@名無史さん:2016/09/21(水) 13:27:36.69 0.net
- 石虎や冉閔の頃って前趙と抗争してた頃かな。
- 133 :世界@名無史さん:2016/09/21(水) 13:52:38.05 0.net
- 劉コンも祖逖も倒せなかった男が
立場や状況の違いも考慮せず、曹操やら司馬懿やらディスって悦に入ってただけ
案の定魏晋より短命王朝で終わってやんの
- 134 :世界@名無史さん:2016/09/21(水) 14:02:16.33 0.net
- そういや曹操は劉淵にもディスられてたな
- 135 :世界@名無史さん:2016/09/24(土) 16:37:41.53 0.net
- 質問があるんだが
Wikipediaにある桓階の妻は伏氏という記述について、誰かソース知ってる?
- 136 :世界@名無史さん:2016/09/24(土) 19:55:41.59 0.net
- 『山左金石志』の任城太守孫夫人碑に載ってるようだ
「桓階 伏」でググるとでる
wikiなら出典を明記して欲しいねところだが勉強になった
- 137 :世界@名無史さん:2016/09/24(土) 21:51:59.90 0.net
- ホントだ、ありがとう。曹丕何やってんねん
司馬懿の側室の伏氏と関係あるんだろうな
- 138 :世界@名無史さん:2016/09/24(土) 22:13:57.90 0.net
- 文帝様は善意のつもりなんだろうな
- 139 :世界@名無史さん:2016/09/28(水) 21:58:30.51 0.net
- 初歩的な疑問なんだが十二支からどうやって日にちを算定するのか全くわからない
どうなってんだこれ
- 140 :世界@名無史さん:2016/09/30(金) 10:27:43.10 0.net
- 湖北省で、三国時代の「ペア錠前」が公開 - 中国国際放送局
http://japanese.cri.cn/2021/2016/09/29/181s254049.htm
- 141 :世界@名無史さん:2016/10/01(土) 12:18:55.76 0.net
- http://blogs.yahoo.co.jp/tamon19751127/33747132.html
この人が書いてる没年齢って推測だろうけど、曹洪62歳ってちょっと低くない?232年没だから170年生まれってことになるが
曹操に仕える前から県長とかやってたからむしろ古参の中じゃ年長じゃない?とかも言われてるけど
- 142 :世界@名無史さん:2016/10/01(土) 13:06:43.28 0.net
- たしかに20歳で県長になったと考えてもぎりぎりすぎるね
袁紹や曹操ほどエリートでもないからそもそも20歳で令長になれた可能性は低いと思うし
- 143 :世界@名無史さん:2016/10/01(土) 23:22:04.42 0.net
- 曹洪って本家筋じゃないの?
- 144 :世界@名無史さん:2016/10/03(月) 12:01:42.22 0.net
- 本家の人間がわざわざ宦官になる可能性は低いから
曹騰の兄弟の誰かが本家になるだろう、ぐらいしかわからんのじゃないか
- 145 :世界@名無史さん:2016/10/03(月) 20:11:09.23 0.net
- 曹丕嫌いは、曹洪と曹植と甄氏くらいか
- 146 :世界@名無史さん:2016/10/03(月) 22:56:29.12 0.net
- >>143
「伯父」がいる時点で分家筋確定
- 147 :世界@名無史さん:2016/10/04(火) 03:35:51.75 0.net
- 趙雲子龍は全身肝っ玉やのう〜
という台詞はこのスレ的にはどうなんですか?
- 148 :世界@名無史さん:2016/10/04(火) 03:36:15.25 0.net
- 僕は好きとっても好きなんです
- 149 :世界@名無史さん:2016/10/05(水) 16:44:13.09 0.net
- >>145
于禁「」
- 150 :世界@名無史さん:2016/10/05(水) 16:49:55.46 0.net
- 三国志のことなら何でも知っている、
えー、人形劇三国志の解説者島田紳助です
同じく、松本竜介です
- 151 :世界@名無史さん:2016/10/07(金) 02:53:07.76 0.net
- 紳々も竜々も消えたな・・・
- 152 :世界@名無史さん:2016/10/11(火) 00:49:45.27 0.net
- まさか曹操が雑草マニアだとは知らなかったわ。
- 153 :世界@名無史さん:2016/10/11(火) 10:33:16.11 0.net
- 当帰
- 154 :世界@名無史さん:2016/10/14(金) 21:55:00.13 0.net
- 毒をちょっとずつ飲む訓練をしてたんだっけ?
- 155 :世界@名無史さん:2016/10/14(金) 22:03:47.02 0.net
- 野葛の話?
あれ暗殺防止とかじゃねーの?
- 156 :世界@名無史さん:2016/10/14(金) 22:33:09.44 0.net
- 諸葛亮にもなんか草送られてなかったっけ
- 157 :世界@名無史さん:2016/10/20(木) 14:14:45.28 0.net
- なんつーか・・・アレだ、政治家の二世はともかく、武将の二世って残念な奴ばかりだな、三国志は
- 158 :世界@名無史さん:2016/10/20(木) 18:03:38.77 0.net
- 軍事の才能って天賦に依る部分が大きいしな
- 159 :世界@名無史さん:2016/10/21(金) 00:18:43.25 0.net
- 逆に考えるんだ。
一代で出世したヤツはオヤジがしょぼかったんだ。
- 160 :世界@名無史さん:2016/10/21(金) 04:37:07.59 0.net
- 胡遵胡奮
王昶王渾
くらいしか成功例が思い浮かばん
- 161 :世界@名無史さん:2016/10/21(金) 11:45:06.94 0.net
- カクシュンかくヨク
- 162 :世界@名無史さん:2016/10/22(土) 06:09:39.47 0.net
- 陸遜と陸抗は?
- 163 :世界@名無史さん:2016/10/22(土) 08:34:13.50 0.net
- 曹操曹彰
孫堅孫策
とか有名どころでも親子鷹おるやん
- 164 :世界@名無史さん:2016/10/22(土) 21:29:24.48 0.net
- ○○の息子って触れ込みの男子がいっぱい居て、さらに縁故採用も普通なのに
親子で活躍してる例が少ないのは珍しい・・・逆に能力主義なのかも
大体えっお前こんなに子どもいたの?ってくらいいるのに名を残してるのはその内一人か二人だよな
- 165 :世界@名無史さん:2016/10/22(土) 22:06:23.74 0.net
- 武勇で一代で成り上がったヤツの子供はいい身分で育つから
戦場で命かけるような危険なことはしない→武功が少ない
となるんだろう。
- 166 :世界@名無史さん:2016/10/22(土) 22:09:46.85 0.net
- 文欽とか2代目だぞ
- 167 :世界@名無史さん:2016/10/22(土) 22:47:03.53 0.net
- 一般論だろ
- 168 :世界@名無史さん:2016/10/23(日) 11:53:54.80 0.net
- 馬超は?
- 169 :世界@名無史さん:2016/10/23(日) 11:55:45.33 0.net
- 司馬懿は祖父が当時有名な武将
- 170 :世界@名無史さん:2016/10/23(日) 22:26:59.64 0.net
- 司馬防の父の司馬雋は別に事績が伝わってないっぽいけど・・・
- 171 :世界@名無史さん:2016/10/23(日) 23:49:50.07 0.net
- 高祖父と勘違いしてるんだな
あとウィキみたら代々尚書などを排出した家柄とか書かれてるけど
そんな記述あったっけ
世々太守クラスの家柄じゃね
- 172 :世界@名無史さん:2016/10/24(月) 01:54:09.89 0.net
- 皇帝の系譜は盛るもの
- 173 :世界@名無史さん:2016/10/24(月) 05:48:15.68 0.net
- 代々学者の家柄っていうのを何か勘違いした説?
- 174 :世界@名無史さん:2016/10/24(月) 08:12:41.43 0.net
- ウィキペディアの司馬懿の項見たが遺言が演義のになってね?
- 175 :世界@名無史さん:2016/10/25(火) 15:39:44.90 0.net
- そういや皇甫嵩の一族ってどうなったんだっけ
http://m.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/q1361779738
これ見ると息子についてもなんかはっきりしないな 曾孫は官職に就かなかったというが
じゃあ皇甫嵩の子や孫も魏に仕えるといったことはしなかったのか
- 176 :世界@名無史さん:2016/10/25(火) 18:33:30.36 0.net
- ウィキペディアといえば夏侯栄が曹叡の友人と書かれてるけど
曹丕の友人だよな?
- 177 :世界@名無史さん:2016/10/25(火) 18:55:55.11 0.net
- 皇甫嵩 嵩の甥・酈 子・堅寿 孫・不明 曾孫・謐 謐の叔父 謐の子・童霊、方回
確認できる一族はこんなもんだろう あと息子は事跡もはっきりしてるでしょ
皇甫謐は割りと当時から有名なのに伝に父の名が載ってないのは早世なのと仕官してなかったからだろうと思う
- 178 :世界@名無史さん:2016/10/25(火) 20:58:35.37 0.net
- 卑弥呼が魏に使者を送った時の魏の皇帝は誰ですか?
- 179 :世界@名無史さん:2016/10/26(水) 00:03:55.14 0.net
- >>177
訂正&『世説新語』にもっと詳しくあった
皇甫嵩の子・叔献は灞陵令(おそらく堅寿とは別人)。孫・叔侯(謐の父)は孝廉に挙げられてる
- 180 :世界@名無史さん:2016/10/26(水) 12:12:03.94 0.net
- 呉の四姓、顧氏と陸氏は分かりやすいが、張氏は張温が四姓の人だが印象としては徐州の張昭・揚州の張紘の方が強い
あと朱治・朱然(丹楊朱氏)と朱桓・朱拠(呉軍朱氏)がたまにどっちだったか忘れるのは俺だけではないはず・・・はず
- 181 :世界@名無史さん:2016/10/26(水) 21:31:34.64 0.net
- >>178
ソウエイ
- 182 :世界@名無史さん:2016/10/27(木) 06:35:26.93 0.net
- 左慈が曹操を妖術でからかった話ってどうやって生まれたんだろ?
真実の部分も一部あるのかな?
- 183 :世界@名無史さん:2016/10/28(金) 10:24:58.97 0.net
- 弟子の葛玄あたりが喧伝したんじゃないの?
一族に葛洪いるし
- 184 :世界@名無史さん:2016/10/29(土) 07:39:26.99 0.net
- 権力者の暇つぶしに呼ばれたサジが幻術・手品の類を
披露してビックリさせたってとこだろ
- 185 :世界@名無史さん:2016/10/29(土) 11:10:13.51 0.net
- 呉の国にはそういう話多いよね
そういう土地柄なのかな
- 186 :世界@名無史さん:2016/10/30(日) 02:47:53.98 0.net
- 葛玄って左慈の弟子だったんだ・・・
神仙伝読んでみるか。
- 187 :世界@名無史さん:2016/10/31(月) 06:04:20.96 0.net
- 左慈とか于吉って道教の系統なのかね?
- 188 :世界@名無史さん:2016/11/01(火) 19:39:11.16 0.net
- 中文版のウィキの呂伯奢の参考文献に
《三國志》郭嘉傳に曹操と戯志才と呂伯奢の話が載せられてるんだけど、何処出典の話なんだろう
三國志にも集解にもなかった
- 189 :世界@名無史さん:2016/11/01(火) 21:37:45.68 0.net
- >>188
文章を一部コピペしてGoogle先生に聞いてみると
同じ文章書いてる中文サイトいくつか見つかるけど
やっぱり出典わかんないな
生年書いてるサイトまである・・・
- 190 :世界@名無史さん:2016/11/01(火) 21:48:30.30 0.net
- こことか
http://lsw1230795.mysinablog.com/index.php?op=ViewArticle&articleId=1874850
郭嘉伝の記述のとこ、「イク薦嘉。」までは原文通りなんだけど
その後は原文に無いんだよなぁ
混ぜるなよ
- 191 :世界@名無史さん:2016/11/01(火) 22:02:50.19 0.net
- というわけでガセ情報サイトを鵜呑みにして書いちゃったに一票
- 192 :世界@名無史さん:2016/11/02(水) 19:25:24.11 0.net
- wikiに蛇矛は明代の武器とあるけど
晋書読んでたら普通に出てきたんだが
- 193 :世界@名無史さん:2016/11/03(木) 01:17:38.88 0.net
- http://d.hatena.ne.jp/AkaNisin/20140325/1395756418
これか
- 194 :世界@名無史さん:2016/11/03(木) 11:33:00.30 0.net
- http://d.hatena.ne.jp/nagaichi/touch/20080626/p1
確かに「君が劉備 俺が諸葛亮」発言ってどこ出典なんだ 創作にしても出所はどこか分からん
- 195 :世界@名無史さん:2016/11/03(木) 16:51:25.57 0.net
- 符堅王猛コンビと比べると如何にも塩っぱい感じやな
- 196 :世界@名無史さん:2016/11/03(木) 23:34:37.77 0.net
- 自分もなんか読んだ事あるな、田中芳樹?
- 197 :世界@名無史さん:2016/11/04(金) 21:32:33.84 0.net
- 無為自然を尊ぶ道家が仙丹を作って長命を図るとか何か矛盾してるよね。
- 198 :世界@名無史さん:2016/11/04(金) 22:34:45.63 0.net
- 衛生の道はあるも、長生の薬はありませぇん
- 199 :世界@名無史さん:2016/11/14(月) 12:17:06.11 0.net
- 関羽(正史ver)が身に覚えのない子供(関索)や知らないおっさん(周倉)のことを知ったらどんな反応するだろうか。
- 200 :世界@名無史さん:2016/11/17(木) 00:08:39.52 0.net
- 誰か雲南からミャンマーの間にあったという諸葛亮城について調べてくれ。
- 201 :世界@名無史さん:2016/11/17(木) 05:45:28.69 0.net
- 何でお前はいつも他力本願なんだ?
- 202 :世界@名無史さん:2016/11/18(金) 00:31:41.08 0.net
- 違う、これは三国志オタへのミッションなのだ!
- 203 :世界@名無史さん:2016/11/18(金) 08:18:30.21 0.net
- なになに?諸葛亮城ってなぁに?
教えて>>200さん!(棒
- 204 :世界@名無史さん:2016/11/18(金) 15:39:16.31 0.net
- >>199
そいつらより実子が養子になった関平の方が驚くと思うが
- 205 :世界@名無史さん:2016/11/18(金) 17:36:17.83 0.net
- 実子を養子にするってのは、華々しい戦果の無い長男をリストラして
大活躍した嫡子をねじ込むとかそういう類のだと思うんだけど、
関興も関索もそこまでするほどの重要人物じゃなかったよな?
- 206 :世界@名無史さん:2016/11/18(金) 18:50:22.30 0.net
- 関平は字が伝えられていないから
恐らく成人する前に死んだ可能性もあるんだよな
活躍はしたが、まだ若いから演義では養子扱いにしたんじゃないのか?
- 207 :世界@名無史さん:2016/11/18(金) 20:45:50.40 0.net
- 諸葛亮、司馬懿の両名から称賛された黄権
魏延と並ぶ名将と評された呉懿
生きていれば夷陵の大敗も無かったと言われた法正
劉備から忠義と武勇を惜しまれながらも劉璋に殉じた張任
そしてそれらの名士を塩漬けにしてた劉璋・・・
- 208 :世界@名無史さん:2016/11/18(金) 20:54:42.22 0.net
- 劉璋に殉じた張任
- 209 :世界@名無史さん:2016/11/18(金) 22:38:12.23 0.net
- 諸葛亮城は漢の哀牢県の地、ミャンマー国境にほど近い場所にあるようだ。
- 210 :世界@名無史さん:2016/11/19(土) 00:55:36.97 0.net
- 張松「あの」
- 211 :世界@名無史さん:2016/11/19(土) 17:13:13.06 0.net
- 孟達「ただし張松、テメーはダメだ」
- 212 :世界@名無史さん:2016/11/19(土) 18:00:23.12 0.net
- そいつらって全員蜀生まれの蜀育ち?
江南の武官文官は地元民多いけど
- 213 :世界@名無史さん:2016/11/19(土) 20:47:55.27 0.net
- 劉焉自体が下って来た存在だからなぁ
- 214 :世界@名無史さん:2016/11/23(水) 01:59:19.39 0.net
- 花関索
- 215 :世界@名無史さん:2016/11/24(木) 09:49:50.65 0.net
- 関索ってイケメンでモテモテで優秀なオリキャラだから完全にメアリー・スーだよね
- 216 :世界@名無史さん:2016/11/26(土) 05:38:27.89 0.net
- 劉表って豪族なの?
- 217 :世界@名無史さん:2016/11/26(土) 13:52:54.62 0.net
- yesでもありnoでもある
- 218 :世界@名無史さん:2016/11/27(日) 19:49:27.27 0.net
- 劉封って異姓養子ですよね 姓が違う人を養子にするのって当時の見方からしてどうなんですか?
それとも、劉封は多少でも劉姓の人と家の繋がりがあったんですか?(あまり詳しくないです。すいません。)
- 219 :世界@名無史さん:2016/11/28(月) 05:22:07.44 0.net
- 曹操の父
- 220 :世界@名無史さん:2016/11/28(月) 08:43:13.75 0.net
- 珍しいけどたまにある
- 221 :世界@名無史さん:2016/11/28(月) 09:36:13.10 0.net
- 朱然も
- 222 :世界@名無史さん:2016/11/28(月) 11:24:00.17 0.net
- >>218
おそらく劉表の親戚だから政略的な何かもあったんだろ
- 223 :世界@名無史さん:2016/11/28(月) 18:23:44.93 0.net
- メアリー・スーって思春期少女受け狙った悲劇のヒロインキャラのことだから
関索に使うのは大分ズレてる
- 224 :世界@名無史さん:2016/11/28(月) 20:34:36.33 0.net
- >>215が言ってるのは作者の願望背負わせた自己投影キャラってことじゃないの?
いやそれでも結局ズレてるんだけどさ
- 225 :世界@名無史さん:2016/11/29(火) 12:41:36.15 0.net
- >>218
母方が長沙の劉氏、劉備の自称する中山靖王と同じ頃に分岐した一族
- 226 :世界@名無史さん:2016/12/14(水) 01:16:08.24 0.net
- 王匡のwikiで胡母斑が娘婿になってる
妹婿だよね?
- 227 :世界@名無史さん:2016/12/19(月) 00:05:27.89 0.net
- 顔良・文醜は孔融曰く袁紹軍の勇将らしいけど・・・正史三国志にこの二人の具体的な活躍って一切ないわけじゃん?
こんな実績の一切ない奴が筆頭武将なんて、実はこの時から袁紹軍って大した将がいなかったんじゃないのか?
- 228 :世界@名無史さん:2016/12/19(月) 01:13:26.02 0.net
- 張コウ「せやな」
- 229 :世界@名無史さん:2017/01/18(水) 07:19:51.98 O.net
- >>83
亀レスだが、礼記には人の名前を、国号や主の名前、日、月、隠疾(病気)、山、川の名前をつけるのは良くないみたいな記述がある
曹氏は曹嵩(嵩山。本当は別の字だったらしいが)、夏侯氏も夏侯惇次男のボウみたいに礼記のルールを逸脱しかけてるんで、その絡みじゃないかとも思ったり
というか何でそんな名前なんだろう?字でなら子山とか明とか聞くけと
- 230 :世界@名無史さん:2017/01/26(木) 20:11:17.34 0.net
- 正史(ちくまの翻訳)読んで呂蒙が大好きになった。
人気者の関羽殺したせいでこの先永遠にワルモノ扱いなんだろうか。
不憫すぎる…。
- 231 :世界@名無史さん:2017/01/27(金) 00:18:08.18 0.net
- あの国は関羽に踏まれ跪く呂蒙の石像とか作りそうだしな
- 232 :世界@名無史さん:2017/01/27(金) 13:50:47.51 0.net
- 呂蒙は極貧の母子家庭から身を立てて孫策に見いだされた。
張昭の推薦で別部司馬に任じられた。
無学文盲で役人殺しの前科もちにもかかわらず。
主君の勧めで軍中に学問を始めてその読書量は学者も及ばぬほどになった。
江東の2大困ったちゃん、甘寧と虞翻をなにかとかばってあげた。
病を得てからは主君自ら宮殿内に住まわせ介護した。
呂蒙死後、陸遜に語ったところの孫権の評価は、周瑜>呂蒙>魯粛であった。
YDK呂蒙 やればできる子
- 233 :世界@名無史さん:2017/01/27(金) 19:17:26.50 0.net
- 無学だったのに勉強して一時は呉の軍事のトップにまでなったわけだからな
最前線から最高司令官と上から下までを経験して現場も会議室もわかる軍人だ
- 234 :世界@名無史さん:2017/01/27(金) 21:59:28.94 0.net
- 呂蒙は叩き上げの武将だっただけに
スリーキングダムの最期の扱いが酷すぎると感じた
まあスレチだからスルーで
- 235 :世界@名無史さん:2017/01/27(金) 22:25:02.74 0.net
- スリーキングダムは周瑜も扱い酷かった
- 236 :世界@名無史さん:2017/01/27(金) 22:38:57.76 0.net
- スリキンは曹真も結構酷かった
- 237 :世界@名無史さん:2017/01/28(土) 00:06:25.08 0.net
- 暗いって意味の蒙の字が子明ってのは奥深く感じる
- 238 :世界@名無史さん:2017/01/28(土) 09:35:56.84 0.net
- 名と字って関連性もたせたり逆の意味をもたせたりするしな
- 239 :世界@名無史さん:2017/01/28(土) 23:33:35.50 0.net
- >>234
スリキンの呂蒙は周瑜のマネージャー兼付き人から魯粛の付き人になって
介護ばっかしてたよなw
これはきっと、呂蒙が孫権に看病してもらえるってことの複線か?
って勝手に期待してたのに…。
ダークサイドに堕ちた孫権によるまさかの毒殺とは…。
呂蒙、ほんっとにかわいそう。
- 240 :世界@名無史さん:2017/01/29(日) 21:26:35.16 0.net
- >>237
孫権の末子孫亮の字が呂蒙と同じ子明だね
名も字もとにかく明るいw
- 241 :世界@名無史さん:2017/01/31(火) 19:55:07.07 0.net
- >>232
なんでそんなやつを張昭が推薦するわけ?
孫策にケツでも貸してたんじゃないか
- 242 :世界@名無史さん:2017/02/01(水) 16:37:09.73 0.net
- 地方山賊愚連隊の親分みたいな奴だったんじゃないの
- 243 :世界@名無史さん:2017/02/01(水) 18:03:53.30 0.net
- >>242
それは甘寧だなw
>>241
役人殺しの件は、15〜6歳のころ、義兄(孫策配下)の軍に無理矢理入れてもらった
が、義兄配下の役人からのしつこいパワハラに耐えかねての犯行だった。
おとなしく自首するとおまわりさんがかばってくれて、孫策に引き合わせた。
孫策は呂蒙を気に入って側に仕えさせた、といういきさつ。
孫策から張昭への口添えはもちろんあったんだろうけど、自分の名前を出すからには
張昭自身も呂蒙の素質に見るべきものを感じたんじゃないか。
無知だが胆力と知恵があったんだよ、きっと。
呂蒙の学問が進んだのも、張昭のサポートがあったんじゃなかろうかと推測する。
- 244 :世界@名無史さん:2017/02/05(日) 21:32:18.49 0.net
- >>231
関帝廟には関羽を裏切ったビ芳、傅士仁、カク普が縄目にあってる
屈辱的な像がある、らしい。どこの関帝廟か知らないけど。
- 245 :世界@名無史さん:2017/02/06(月) 00:31:46.09 0.net
- まあ岳飛に対する秦檜の扱いからして関羽死亡に関わった連中もそんな扱いなんだろうなぁ、とは予想してた
- 246 :世界@名無史さん:2017/02/13(月) 14:45:32.81 0.net
- 孫権夫人の藩夫人ってすごいな。
宮中の奴隷部屋(機織り部屋)に入れられてたのに、どういう経緯か
孫権に見染められ、生んだ息子が太子にたてられて皇后にまでなるんだからな。
孫権が危篤になったときは、呂太后が政治の実権を握った事跡を調べさせ、
自分もそれにならおうとする気満々。孫権が死ぬ前に殺されちゃったが。
- 247 :世界@名無史さん:2017/02/16(木) 00:32:43.72 0.net
- 三国時に最も価値ある10人(SHZXGOV)
shzxgov.com/lishi/2017/021…
1、張文遠
2、曹子廉
3、太史子義
4、馬孟起
5、高順
6、趙子龍
7、呂子明
8、于文則
9、郭奉孝
10、張任
- 248 :世界@名無史さん:2017/02/16(木) 00:33:19.59 0.net
- http://www.shzxgov.com/lishi/2017/0215/87165.html
リンク失敗した
- 249 :世界@名無史さん:2017/02/16(木) 22:59:31.28 0.net
- 曹仁と曹洪の区別もつかんのか
- 250 :世界@名無史さん:2017/02/17(金) 16:52:23.94 0.net
- 強い方が曹仁で、ケチな方が曹洪
- 251 :世界@名無史さん:2017/02/17(金) 21:45:46.18 0.net
- 曹仁って三国志ゲーでも他の名称、猛将の影に隠れがちだけど堅実に強い
曹洪はちょっと得意分野が重要だけど地味なパートだったな
- 252 :世界@名無史さん:2017/02/17(金) 21:47:50.82 0.net
- 蒼天の曹仁は異色だったね、急成長キャラだった
- 253 :世界@名無史さん:2017/02/22(水) 19:05:12.45 0.net
- 魏…曹操のカリスマ。ホンダ
呉…世襲と同族経営。トヨタ
蜀…何度もコテンパンに負けてる。マツダ
なるほど
- 254 :世界@名無史さん:2017/02/22(水) 22:52:41.69 0.net
- スズキは!スズキはどうなの!?
- 255 :世界@名無史さん:2017/02/22(水) 22:56:27.58 0.net
- 日産・中島飛行機「・・・」
- 256 :世界@名無史さん:2017/02/23(木) 00:00:34.91 0.net
- 魏…外国から来た社長に簒奪される。日産
- 257 :世界@名無史さん:2017/02/23(木) 00:05:02.76 0.net
- 董卓・呂布…親子喧嘩で存亡の危機。大塚家具
- 258 :世界@名無史さん:2017/02/23(木) 18:46:57.26 O.net
- 蜀書ってなんでこんなに短いの?
- 259 :世界@名無史さん:2017/02/23(木) 18:57:40.05 0.net
- >>258
書くことがないからじゃね?
- 260 :世界@名無史さん:2017/02/23(木) 20:16:37.52 0.net
- 趙雲は老将のイメージが強い。
- 261 :世界@名無史さん:2017/02/24(金) 11:03:03.95 0.net
- 蜀は記録残さなかったんじゃなかったっけ
- 262 :世界@名無史さん:2017/02/24(金) 11:27:23.79 0.net
- 史官を置かなかったし、劉備自体が怪しい存在だからなぁ
最初の頃は臨邑侯劉復の子孫って言ってたけれど、皇帝になる時は中山靖王劉勝の後になってるし
- 263 :世界@名無史さん:2017/02/24(金) 14:42:24.96 O.net
- 出自が怪しいんならなおさら史官置いてもっともらしい
記述しとかないとあかんのにな。
陳寿がオール破棄してしまったのか。
てか、ハイチュウもなげやりな感じに少ない。
- 264 :世界@名無史さん:2017/02/24(金) 15:17:45.47 0.net
- 陳壽は益州で書いてたわけではないっぽいし
蜀時代には無官の身であった者が持ち出されるレベルの史料と
晋で手に入るものを合わせて書いたんじゃないかな
- 265 :世界@名無史さん:2017/02/25(土) 07:57:31.15 0.net
- 陳寿自身、蜀時代は姜維の属官(衛将軍主簿)だったし蜀の名士である譙周の弟子でもあるから資料や取材はその辺がネタ元やからな。
- 266 :世界@名無史さん:2017/03/02(木) 19:33:14.28 0.net
- 孫策って、戦争ばっかやってて26で死んだのに男1女3も子供いるんやな
孫権が娘3人とも豪族に嫁がせてる(陸、朱、顧)
- 267 :世界@名無史さん:2017/03/02(木) 19:33:51.76 0.net
- 上げてしまったスマン
- 268 :世界@名無史さん:2017/03/03(金) 18:29:26.63 0.net
- 孫策が殺しまくった陸氏に嫁ぐのはどんな気持ちだろうな
- 269 :世界@名無史さん:2017/03/04(土) 19:51:11.23 0.net
- 親父がしたことどころか親父の顔さえ知らない可能性もあるかも
むしろ陸一族が複雑だろうな
主君の姪っ子下賜されたら正妻にしなくちゃいけないだろうし
陸遜のもとの名の議から遜(=へりくだる)に変えたその心情を思うと
なんかせつないな
- 270 :世界@名無史さん:2017/03/04(土) 20:43:32.97 0.net
- これで手打ちにしようや?っていうヤクザっぽいやり取りを想像してしまう
- 271 :世界@名無史さん:2017/03/04(土) 20:54:56.44 0.net
- 孫策の孫の陸抗が最後まで勇猛に孫呉を守ったことを思うとなんか胸熱
- 272 :世界@名無史さん:2017/03/12(日) 09:39:19.05 0.net
- 主君も孫策の再来といわれてましたな
- 273 :世界@名無史さん:2017/03/13(月) 14:14:06.70 0.net
- 孫策の風がある、とされるのは孫翊(堅の三男)
- 274 :世界@名無史さん:2017/03/13(月) 15:11:11.53 0.net
- 全盛期の孫策伝説で国が一つ滅びそう
- 275 :世界@名無史さん:2017/03/14(火) 15:54:21.54 0.net
- 孫翊も謎だよな
張昭に後継者候補とされたこともあるらしいし、
若くしてあの呉景の後任の丹陽太守に大抜擢されたと思ったら
突然の暗殺
- 276 :世界@名無史さん:2017/03/14(火) 19:56:11.60 0.net
- 孫翊の暗殺の下手人がその場で殺されたっていうのが、なんかいろいろ
陰謀めいた匂いあるんだよなぁ
裴松之は「呉歴」の注で異説を記してるけど
- 277 :世界@名無史さん:2017/03/20(月) 23:58:28.54 0.net
- 孔明って儒学的素養あったのかな?
科挙の時代だと役人になれなかったりしてw
- 278 :世界@名無史さん:2017/03/21(火) 00:52:32.91 0.net
- 釣りかな?
- 279 :世界@名無史さん:2017/03/21(火) 18:44:48.99 0.net
- 朱然の身長は七尺に満たなかったって陳寿にディスられてるが、
この時代、170cm以下はチビ扱いだったのか?
でかい男ばっかりだと、戦闘用の馬はかわいそうだな。
- 280 :世界@名無史さん:2017/03/21(火) 18:54:55.15 0.net
- あの時代の1尺がどのくらいなんだろうかと思って調べてみたけど結構まちまちだなぁ
七尺に満たずとなると160cm前半位になるんじゃないかな
- 281 :世界@名無史さん:2017/03/21(火) 19:56:33.97 0.net
- 三国時代は23センチぐらいと思ってたけどチビとまではって感じ
- 282 :世界@名無史さん:2017/03/21(火) 20:17:53.43 0.net
- 「七尺に満たなかったが、性格はからりとして云々」と身長の後の記述が
性格の褒め言葉だから、チビだった、とディスってるんだと思った。
23×7=161=チビだったら、現代の(日本人の)感覚に近いな。
墓には本人の遺体も残ってたのかな?だったら、身長も推定できる?
- 283 :世界@名無史さん:2017/03/21(火) 20:20:26.89 0.net
- 墓からの推定だと朱然は169以下じゃなかったっけ?
つか書かれ方は袁紹の體長婦人のが何かアレじゃね?
- 284 :世界@名無史さん:2017/03/21(火) 22:34:22.08 0.net
- 率いられる大将はいかにも強そうな大男の方が頼もしいだろうから
比較的華奢で弱そうに見えたとかあったのかも
- 285 :世界@名無史さん:2017/03/21(火) 23:32:21.90 0.net
- 中国の度量衡の統一ってどの程度信頼性あるものなの?
- 286 :世界@名無史さん:2017/03/22(水) 08:10:10.00 0.net
- 1800年前だったら160pってチビなのかなーって思っちゃうよね
- 287 :世界@名無史さん:2017/03/22(水) 08:52:54.62 0.net
- 当時なら160pは平均だろ
- 288 :世界@名無史さん:2017/03/22(水) 09:54:31.13 0.net
- 曹丕の與王朗書「生きてるときは七尺の肉体をもつが〜」
管輅別伝「人間七尺の体を万物の変化の中に遊ばせ〜」
当時は7尺くらいが平均かもな
- 289 :世界@名無史さん:2017/03/22(水) 12:19:38.69 0.net
- あ、でも7尺に満たないだから150ぐらいだったのかな
- 290 :世界@名無史さん:2017/03/22(水) 12:51:10.55 O.net
- 陳寿「朱然、性格男前だがチビww 袁紹、女みてえwwww」
って感じ?
- 291 :世界@名無史さん:2017/03/22(水) 13:18:33.27 0.net
- 裴松之「平均は8尺くらいじゃね?
それよか陳寿は荀ケさんのイケメン描写カットすんじゃねーよ」
- 292 :世界@名無史さん:2017/03/22(水) 16:44:40.79 0.net
- 太史慈は七尺七寸
- 293 :世界@名無史さん:2017/03/22(水) 17:03:51.17 0.net
- 語呂がいいからって適当に決めてる感じがする
きちんとした身長計なかったら自称だろ?
- 294 :世界@名無史さん:2017/03/22(水) 17:47:27.50 0.net
- 何皇后は7尺1寸
- 295 :世界@名無史さん:2017/03/26(日) 00:52:13.96 0.net
- ここで言うのもアレだが、日経電子版のCMの劉備が
池沼みたいな声としゃべりにされててムカつく。
- 296 :世界@名無史さん:2017/04/02(日) 11:59:31.13 0.net
- 張飛がバビル2世の神谷明さんだっけ
- 297 :世界@名無史さん:2017/04/09(日) 18:10:12.47 0.net
- シャア「日経電子のバーン!」
- 298 :世界@名無史さん:2017/04/15(土) 00:13:41.66 0.net
- 金正恩はリアル孫皓だな。
トランプ司馬炎が杜預と王濬の艦隊に進撃を命じたような状況か。
- 299 :世界@名無史さん:2017/04/15(土) 10:25:16.42 0.net
- 袁術じゃね?
- 300 :世界@名無史さん:2017/04/15(土) 10:27:43.44 0.net
- 孫皓はもっと骨がある感じだな
- 301 :世界@名無史さん:2017/04/15(土) 11:37:29.55 0.net
- 司馬炎はトランプじゃねーだろ
- 302 :世界@名無史さん:2017/04/15(土) 14:37:49.64 0.net
- 立地的にも三代目の僭主という意味でも金正恩は公孫淵に似てると思う
でもトランプは司馬懿ではないなw
- 303 :世界@名無史さん:2017/04/15(土) 21:37:25.48 0.net
- 金正恩の粛清ぶりは孫皓そのものじゃないか。
やたら自信たっぷりで行動が派手なトコも。
- 304 :世界@名無史さん:2017/04/16(日) 09:43:13.19 0.net
- すると安倍は黄皓あたりか
- 305 :世界@名無史さん:2017/04/16(日) 17:34:22.58 0.net
- なにがなんでも安倍総理に文句付けたいキチガイがここにもでるのか
- 306 :世界@名無史さん:2017/04/16(日) 23:25:50.01 0.net
- こんなトコにまでネトサポが来る方が恐いわ
- 307 :世界@名無史さん:2017/04/16(日) 23:42:26.66 0.net
- レッテル貼って自己正当化する前に
支持率とか見ればひたすらケチつけてる奴らがいかに嫌われているかわかるだろうに
悪口しか言わない奴なんて嫌われるのが当たり前だ
- 308 :世界@名無史さん:2017/04/17(月) 00:43:13.00 0.net
- はい板違い
- 309 :世界@名無史さん:2017/04/17(月) 01:06:36.25 0.net
- <丶`Д´>通貨スワップ中断した安倍は許せないニダ
- 310 :世界@名無史さん:2017/04/17(月) 06:13:08.50 0.net
- 夜中に「ニダ」とかつけて2chへ書き込み、親が見たら泣くだろうなあ
- 311 :世界@名無史さん:2017/04/17(月) 09:19:56.34 0.net
- はいはい、時代違いなんで現代の政治家とかに例えるのはやめましょねー
で終了では?
他の人は以降反応しないでね
- 312 :世界@名無史さん:2017/04/17(月) 12:26:52.21 0.net
- 陸抗はよく孫晧に殺されなかったよな
羊祜の件を口実に殺されても不思議じゃない
- 313 :世界@名無史さん:2017/04/17(月) 14:21:30.03 0.net
- 陸凱を殺せなかった孫皓に陸抗を殺せるわけがなくて
軍事においても政治においても孫呉政権が陸家にそれだけ依存していたってこと
- 314 :世界@名無史さん:2017/04/17(月) 15:28:33.25 0.net
- 具体的にどう依存してたんだろ
ここらへんの微妙なパワーバランスを具体的に理解するのがホント難しい
- 315 :世界@名無史さん:2017/04/17(月) 16:29:52.99 0.net
- 力も人望もある部下が最前線で敵と仲良くしてますって報告受けたら、
孫晧じゃなくても、殺そうとするんじゃと思っちゃう
- 316 :世界@名無史さん:2017/04/17(月) 17:15:44.74 0.net
- 孫皓も暴君とよく言われるけど大司馬荊州牧という地位にある陸抗を殺したらどうなるのかわからないほど暗君ではなかったと思うよ
陸抗病死後も荊州の守りは陸抗の息子たちに任せている(任せざるを得なかった)し
- 317 :世界@名無史さん:2017/04/17(月) 17:52:30.42 0.net
- 頭切れないと暴君を続けられないからね
- 318 :世界@名無史さん:2017/04/17(月) 20:11:17.99 0.net
- 陸抗伝読み直したら陸抗の次男、陸景は孫皓の妹を妻としたと書いてあった
つまりは、互いが互いを内心どう思っていたかは別にしても、孫一族と陸一族は沈没寸前になるまで呉越同舟だったんだな
- 319 :世界@名無史さん:2017/04/17(月) 22:26:13.73 0.net
- 呉における陸家自体名門貴族なのに、さらには陸遜も陸抗も有能で、
呉での権勢も高いのにいきなりブチ殺されたりすることあるんかな
- 320 :世界@名無史さん:2017/04/18(火) 11:27:45.74 0.net
- ちょっと話はずれるけど、陸績が孫氏に復讐心を持たなかったのはなぜなんだろう?
学者肌の人間だったから?
陸氏一族と孫氏って、遺恨因縁を封じ込めるために無理矢理婚姻関係重ねてる感が
あるわ
- 321 :世界@名無史さん:2017/04/18(火) 12:39:04.02 0.net
- >>316
ちょっと部下の皮をはいだだけだしな
- 322 :世界@名無史さん:2017/04/18(火) 13:37:51.92 0.net
- >>320
陸績が孫呉政権に仕えたのは年長の陸遜よりも早く、孫策の代の時だった
正史の記述が正しいとしたら陸績はこの時十三歳以下だったと思われる
陸績が自分の意思で仕官したというよりは陸家から孫家に出された人質に近い扱いだったんじゃないかなと思う
孫策が陸康を殺してしまったばかりに、孫家と陸家の付き合いは最初から拗れてしまってるんだよね
- 323 :世界@名無史さん:2017/04/18(火) 13:46:15.54 0.net
- 陸遜は陸遜で自分の大叔父を殺した孫策の娘と結婚している(させられた)し、陸抗はその間から生まれた
陸遜は晩年の孫権に疑われて憤死しているし陸抗は孫皓に警戒されてる中で病没している
孫家と陸家って本当に仲が良いのか悪いのかわからんね
- 324 :世界@名無史さん:2017/04/18(火) 15:41:11.20 0.net
- 呉の豪族たちがなんで孫氏の政権に付き合い続けたのかって言うことに関わる問題だね
- 325 :世界@名無史さん:2017/04/18(火) 16:40:59.55 0.net
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- 326 :世界@名無史さん:2017/04/18(火) 21:51:30.18 0.net
- >>322
陸氏は孫策に征伐された後に袁術に仕えてる
袁術の勢力は単なる群雄の勢力と言うようなものではなく
「袁術帝国」、もしくは「仲帝国」とでも呼ぶべき新興国家としての体を為してたんだと考えてる
劉ヨウが袁術配下として攻めて来た孫策にあれだけ執拗に抵抗したのも
単なる群雄の勢力争いではなく漢対仲という構図が出来てしまったからなんではないかと思う
孫権が帝号を称する段階になってすら「袁術帝国の後継者」として
袁術の娘を皇后にするという発想が呉にはあったのがその傍証と出来ると思う
そこから考えると袁術死後の孫策の猛烈な拡大というのは単純な征服じゃなくて
「袁術帝国」の跡目争いとして既存の袁術帝国の勢力の再糾合となるし
勝者となった孫策に周辺豪族は従う形を取ったという説明が出来ると考えてる
陸績が孫策に仕えるというのは人質というのもあるだろうけど
「袁術帝国」の後継政権と陸氏が孫策を認定したというのもあるのではないだろうか
>>324
元々官界だと江南の人々というのはあまり尊重されて来なかったし
漢初の呉楚の乱以来の反目も感情としては微妙にあったと思う
そこに袁術が新しい国を作った
そして漢に絶望した南方の人々はそこに夢を託して新しい国に喜んで参画して行ったんじゃないかな
袁術の死後も孫氏がそれを繋いで行く事に江南の人々も賭けた、という説明が
「袁術帝国」の存在を補助線として引くとかなり分かり易くなる
袁術の残した帝国というものが残滓のような記録しかないので
推測と想像のツギハギになっちゃうけど、「袁術の作った国」というものは確かにあったと思うんだよね
- 327 :世界@名無史さん:2017/04/18(火) 22:08:13.60 0.net
- 孫策の娘を嫁にやるのが、孫家と陸家の手打ちってことなんだと思うけど
それで陸家から送られてきた陸遜って陸家の秘蔵の若者だったのか、
適当なのを送ってお茶を濁そうと思ったら実は大当たりだったのか気になる
- 328 :世界@名無史さん:2017/04/18(火) 22:11:03.25 0.net
- >>327
地元じゃ若いころから名声は高かったので順当な人選
- 329 :世界@名無史さん:2017/04/18(火) 23:09:56.67 0.net
- >>327
陸康が包囲されて敗死した時に陸一族は半数が餓死したという
陸康の息子(陸績の兄)陸儁、陸康の孫の陸尚は陸康の忠節を認められて郎中として(朝廷に?)出仕することを許された、とあるがおそらく朝廷へ行くまでの道のりで難に遭ったのか、或いは朝廷に着いたものの李カク郭シの争いに巻き込まれたのかその後の音沙汰がない
(陸尚の妻の徐夫人は後に孫権と再婚していることから陸尚が早くに亡くなったのは確実)
あと史書に残る陸遜と同世代と思われる陸一族の人間は陸遜より年少の陸績と陸遜の弟の陸瑁だけ
消去法的推測ではありますが、陸康死後に陸一族を取りまとめる当主となったのが陸遜であったと思われます
- 330 :世界@名無史さん:2017/04/18(火) 23:14:03.52 0.net
- 当主は陸康の末子で陸績では?
陸遜は年長の後見役ではないかな
その後陸績の病死、夷陵での大勝利等を経て陸遜が当主になったっぽいのは確かだけどさ
- 331 :世界@名無史さん:2017/04/19(水) 10:43:30.69 0.net
- 陸家も壊滅状態だったのか
それでも嫁を送って縁を復活させたいくらい力を持ってたというのも凄い
- 332 :世界@名無史さん:2017/04/19(水) 12:44:36.37 0.net
- 陸康が包囲前に親族に故郷に逃がしてるから壊滅は無いでしょ 残った連中が壊滅しただけで
豪族としても顧雍に陸康娘、顧邵に陸駿娘を送れるくらいで家格は落ちてる感じもしないし
- 333 :世界@名無史さん:2017/04/19(水) 12:48:05.84 0.net
- 豪族ってことは陸康等の主だってプレイヤーしてる連中とは別に
本貫地にきっちり残ってる連中が居たってことでしょ
陸績、陸遜もそっちに退避して生き延びてるんだし
- 334 :世界@名無史さん:2017/04/20(木) 08:53:46.78 0.net
- 殺してくれたから陸遜が一族内での地位が向上したのだから孫策は恩人
- 335 :世界@名無史さん:2017/04/20(木) 11:17:24.28 0.net
- 陸遜の父の陸駿は九江郡の都尉だったらしいから、もしかすると孫策の従兄の孫賁が袁術の命令で九江郡の太守周昂を攻撃した時に殺されたのかもしれない
あくまで推測だけれど
- 336 :世界@名無史さん:2017/04/20(木) 19:48:11.59 0.net
- 孫堅が見つけた玉璽は、袁術に渡った後にどこへいったの?
- 337 :世界@名無史さん:2017/04/20(木) 21:46:51.32 0.net
- 袁術の息子だか親族だかが漢王朝へ返したんじゃなかったっけ
- 338 :世界@名無史さん:2017/04/21(金) 00:32:36.80 0.net
- 孫堅が玉璽持ち逃げしたのって史実なの?
ハイショウシ注で忠義を称えられる呼び名を貰っていた人がそんなことするだろうかとか反語してたけど
- 339 :世界@名無史さん:2017/04/21(金) 00:39:19.99 0.net
- 後漢書徐璆伝によると、袁術に捕縛監禁されていた後漢の廷尉徐璆という人が袁術死後、玉璽を見つけて朝廷に返したそうな
でもそもそも孫堅が洛陽で玉璽を手に入れたって話自体が眉唾だろ
孫堅が玉璽を持っていたとしたら、孫堅が敗死した時に玉璽は劉表の手に渡っていたのではないか
- 340 :世界@名無史さん:2017/04/21(金) 02:18:50.19 0.net
- 別に孫堅が肌身離さず持ってた訳じゃないでしょ、そんな危ない事出来る訳がない
- 341 :世界@名無史さん:2017/04/22(土) 17:20:16.86 0.net
- >>336
発見してないから
- 342 :世界@名無史さん:2017/04/22(土) 23:43:30.65 0.net
- だいたい急な遷都とはいえうっかり玉璽を洛陽に置き忘れるなんてことあり得るのかな?責任者は誰だ
皇帝の玉璽を管理していたのって宦官?
- 343 :世界@名無史さん:2017/04/23(日) 01:34:02.61 0.net
- その前は何皇后派の皇帝と宮廷だったわけだし、
聡明の評判が高かったとはいえ献帝は董卓に擁立された偽皇帝とも言える
そんな連中に伝説のアイテムを渡したくないから意図的に隠したってのはまあありえるかなと
- 344 :世界@名無史さん:2017/04/23(日) 11:42:03.86 0.net
- 演義では井戸に落ちてた人が持ってたんじゃなかっけ
- 345 :世界@名無史さん:2017/04/23(日) 21:47:58.54 0.net
- Eテレの100分de名著、5月は陳寿の三国志とりあげるそうだ
- 346 :世界@名無史さん:2017/04/23(日) 22:10:17.11 0.net
- 最近の朝日系文化人は幼稚化しているからなぁ
先日の素粒子には驚いた
どんな珍妙な理屈で『三国志』を北朝鮮擁護に持ち込むのか
今から楽しみだw
- 347 :世界@名無史さん:2017/04/24(月) 19:03:39.62 0.net
- >>345
講師がね
- 348 :世界@名無史さん:2017/04/26(水) 19:54:46.71 0.net
- 100分de名著
公式ページにも来ました。
http://www.nhk.or.jp/meicho/
- 349 :世界@名無史さん:2017/04/28(金) 10:24:03.38 0.net
- 玉璽は孫堅が井戸から見つけたって後漢書徐キュウ伝注
に書いてあるじゃん。
それを疑うなら全部注に書いてあるの疑わないと。
- 350 :世界@名無史さん:2017/04/29(土) 03:46:47.23 0.net
- いや史料批判ってどこが信用出来てどこが信用できないかもちゃんと検討するもんやぞ
- 351 :世界@名無史さん:2017/04/29(土) 07:33:21.61 0.net
- 井戸から見つけたの何が信じられないのか・・・
別に光が立ち上ってたとかは書いてないのに。
袁術が盗んだという本伝の記述も疑うの?
- 352 :世界@名無史さん:2017/04/29(土) 19:41:45.94 0.net
- 今でこそ伝国璽なんて伝説の存在だが范曄が後漢書を書いていた時代には現存していたのかな
- 353 :世界@名無史さん:2017/04/29(土) 21:59:07.60 0.net
- 伝国の玉璽は五代後唐の時代まで残ってたっぽいよ。
後唐が滅んだ際燃えたか消失したらしい。
- 354 :世界@名無史さん:2017/04/29(土) 22:31:15.81 0.net
- 正直ホンモンの玉璽なのか怪しいと思ってたけど
五代の後に玉璽が出てないのを見ると本物だったのかねえ
- 355 :世界@名無史さん:2017/05/01(月) 11:54:45.78 0.net
- しょうもない疑問だけど
太皇太后
って太皇・太后と読むのか太・皇太后と読むのかどっちなん
- 356 :世界@名無史さん:2017/05/01(月) 12:14:11.14 0.net
- 太・皇太后
- 357 :世界@名無史さん:2017/05/01(月) 13:16:24.93 0.net
- 上皇后って呼称はあったのかな
- 358 :世界@名無史さん:2017/05/01(月) 14:06:30.10 0.net
- 生前退位した皇帝は太上皇、太上皇の后は太上皇后なんじゃない?
- 359 :世界@名無史さん:2017/05/02(火) 07:13:24.65 0.net
- >>351
注釈の出典不明な辺り
誰それ曰くじゃなくていきなり玉璽は井戸かためっかったんだよ!ΩΩΩ Ω
みたいな書き方だと胡散臭く感じちゃう
- 360 :世界@名無史さん:2017/05/05(金) 09:55:13.28 0.net
- 別に李賢が自分で作った訳じゃないだろう。
何らかの出典があったが、載せ忘れたんじゃないの?
徐キュウが届けた玉璽が本物認定されたんだから消失して
たのは事実だろうし。
- 361 :世界@名無史さん:2017/05/10(水) 23:49:18.30 0.net
- ■『三国志事典』
http://www.fukkan.com/fk/CartSearchDetail?i_no=68325828&tr=s
――――――――――――――――――――――――――――――――――
【著者】渡邉義浩
【発行】大修館書店
【予価】3,888円(税込み)※予価の為、価格が変更する場合がございます。
【発送時期】2017/05/下旬
『三国志』研究の第一人者による、初めての総合事典。『三国志』を読み、学
び、楽しむための情報を満載!
◇正史『三国志』に伝のある人物440人全員を取り上げ、解説。
◇三国時代の歴史・文化・宗教など、基本事項を網羅。
◇「三顧の礼」「泣いて馬謖を斬る」などの名場面を詳しく紹介。ビジネスや
生き方のヒントとしても役立つ。
◇邪馬台国や卑弥呼でおなじみの「魏志倭人伝」を解説。原文も返り点付きで
全文掲載。
◇索引や年表、資料類も完備。
- 362 :世界@名無史さん:2017/05/12(金) 16:44:12.69 0.net
- ここで言うのもなんやけど実は正史三国志に触れるきっかけになったのが五星戦隊ダイレンジャーなんや すまんな
- 363 :世界@名無史さん:2017/05/13(土) 18:14:35.39 0.net
- どういうことですか
- 364 :世界@名無史さん:2017/05/14(日) 00:15:22.98 0.net
- 三戦板に移住しよう
- 365 :世界@名無史さん:2017/05/15(月) 12:49:12.28 0.net
- 三戦は三戦、中英は中英の空気があるから単純に一方化できない
- 366 :世界@名無史さん:2017/05/15(月) 13:05:04.55 0.net
- 日本人の一般論的に過大・過小評価されてる人達
張角は過小評価されてるのではないだろうか
何も無いところから大勢力作って、政権を揺るがす大反乱を主導した人物ってすげー有能だと思う
- 367 :世界@名無史さん:2017/05/16(火) 00:19:37.69 0.net
- 100分de名著、孫権の回見た。
孫堅から孫策・周瑜への流れを10分もかけて説明するとは思わなかったw
映像はスリキンとレッドクリフ使ってたけど、どっちかに統一した方が良かったんじゃぁ。
- 368 :世界@名無史さん:2017/05/16(火) 05:32:41.00 0.net
- まだ未見だけどアル中とか二宮とかはスルーなんだろうな
- 369 :世界@名無史さん:2017/05/16(火) 14:45:48.81 0.net
- 何キ伝に出てくる、一回しか名前が出てこないのにはっきりと「袁術の謀臣」と書かれている李業(術謀臣李業)
一体何者なんだ・・・想像することしかできないが謎の存在すぎて気になる
- 370 :世界@名無史さん:2017/05/16(火) 23:11:25.60 0.net
- あ、李業だったか
昔、とある小説ネタ考えてた時、韓浩をスカウトをする袁術の使いをそいつにしようと思ったんだけれど
名前思い出せなかったんだよなー、姓は李だというのは覚えてたんだけれど
- 371 :世界@名無史さん:2017/05/17(水) 06:05:24.00 0.net
- 李術ってのもいたなぁ
- 372 :世界@名無史さん:2017/05/19(金) 23:51:18.94 0.net
- 敗者が歴史に名が残ることはないから仕方のないことではあるが袁術麾下の武将たちって出身地も生年も没年もよくわからない奴らばかりだよなぁ
- 373 :世界@名無史さん:2017/05/20(土) 01:39:04.98 0.net
- 孔明は忠義を尽くしたから歴史に残ったが逆に尽くさずに、皇帝になればチャンスはあった
劉家は趙匡胤みたいに、宗家としてきちんと保護する姿勢を見せれば下の者は付いてきただろう
兄貴と通じて呉で革命を起こせば荊州どころか江南も手に入り
天下を取ることは可能だったはずだ
- 374 :世界@名無史さん:2017/05/20(土) 04:45:31.21 0.net
- 三国志において「名士」という概念は渡邉義浩だけが使っているのですか?
- 375 :世界@名無史さん:2017/05/20(土) 08:06:56.90 0.net
- >>374
んなこた無い
- 376 :世界@名無史さん:2017/05/20(土) 12:23:11.71 0.net
- >>373
無理言うな
- 377 :世界@名無史さん:2017/05/20(土) 12:46:39.42 0.net
- >>373
趙匡胤のそれは、当時の王朝は前王朝根絶やしがデフォだから評価されてるんであって
デフォになる前の三国時代とは比較できんよ
- 378 :世界@名無史さん:2017/05/20(土) 13:23:53.33 0.net
- デフォにしたのが宋の劉裕なんだよな・・・
ただ魏がデフォにしてもおかしくない
- 379 :世界@名無史さん:2017/05/20(土) 14:26:29.17 0.net
- 魏がやったら支持ガタ落ちだし無理だろ
- 380 :世界@名無史さん:2017/05/20(土) 18:31:21.94 0.net
- >>373
むしろ孔明は呉の尖兵として荊州で派閥作りやってたように見えるんだよなぁ
劉表と距離を置く水鏡グループ入りしたり、サイボウに近い黄承彦に婿入りしたり、
怪しげな流れ者の将軍と昵懇になった上、後継者争いに負けかけてた劉キにも接触してる
- 381 :世界@名無史さん:2017/05/20(土) 20:18:21.20 0.net
- 孔明の兵法って史実だとどんな感じなの?
孫呉の兵法に基づいたもの?
- 382 :世界@名無史さん:2017/05/20(土) 20:54:39.52 0.net
- >>380
諸葛亮呉の間者というか諸葛瑾のエージェント説は面白い着眼点とは思うけど
諸葛亮が本当にエージェントだったとしたら
赤壁直前まで孫権は当初曹操と昵懇だったという点を反映して
もっと親曹操の派閥作りしてないとおかしいと思う
当時の劉表が反曹操だったという事から考えても
親孫を大前提として親曹な勢力を糾合するべきで
劉備取り込みなんて一番無理ある行動を成功させてるのが変
しかも劉備に兵力を蓄えさせる提案までして入り込んでその兵力でもって
許昌にほど近い葉まで攻め寄せてるのでエージェントどころか足を引っ張っちゃってる
- 383 :世界@名無史さん:2017/05/20(土) 23:59:22.14 0.net
- 呉の視点から見れば
そもそもなぜ諸葛亮を使おうという気になるのか
- 384 :世界@名無史さん:2017/05/21(日) 00:38:49.72 0.net
- 諸葛瑾が、弟のひきこもりをなんとかしたかったから、とか?
- 385 :世界@名無史さん:2017/05/21(日) 00:50:59.84 0.net
- 孔明はトップとしては器が小さいよね
- 386 :世界@名無史さん:2017/05/21(日) 01:14:00.60 0.net
- 晴耕雨読は引きこもりどころか普通に外で農業に従事しとるやろw
- 387 :世界@名無史さん:2017/05/21(日) 01:41:32.37 0.net
- >>385
つうか、蜀書に伝が立ってる人をひとつひとつ検証してくとキチガイが多すぎるって結論に至るな
陳寿が意図的に曲筆していたのを差し引いても
諸葛亮だけでなく蒋琬や費禕も持て余していたんだもの
能力のわりにプライドばかり高い人材を宥めすかして使いこなした苦労を思うと、劉備か曹操クラスの器でなければ蜀で諸葛亮以上の成果を挙げることはできなかったと思う
- 388 :世界@名無史さん:2017/05/21(日) 04:00:36.11 0.net
- 農事に勤しんでるのによくニート扱いされるよな
- 389 :世界@名無史さん:2017/05/21(日) 10:58:00.66 0.net
- 諸葛亮と曹操との手紙のやり取りがどんなのだったのか気になる
- 390 :世界@名無史さん:2017/05/21(日) 20:03:49.01 0.net
- 諸葛亮伝には兄の瑾の名前はずいぶん後ろにならないと出てこないんだな
- 391 :世界@名無史さん:2017/05/21(日) 22:33:45.83 0.net
- 諸葛瑾伝にも孫策没後に孫権の姉婿の推挙で孫権に仕えたってあるだけで前歴は謎だよね
呉書には若い頃に京師で遊学していたってあるけど時期的に董卓専横の混乱期と丸かぶりしてるし
どういう経緯で揚州に流れ着いたのか、何故諸葛亮ら一族と行動を共にして荊州に移住しなかったのか、行動が謎
- 392 :世界@名無史さん:2017/05/24(水) 06:09:18.22 0.net
- 華キンとか鄭泰あたりにくっついてきたとか
- 393 :世界@名無史さん:2017/05/29(月) 00:49:00.77 0.net
- 呉書は韋昭のコピペとか言われてるけど、韋曜伝は陳寿が書いたんだよね?
- 394 :世界@名無史さん:2017/05/29(月) 05:17:41.55 0.net
- 呉のであきらかに原典が違ってそうなのは陳寿自作っぽいな
- 395 :世界@名無史さん:2017/05/30(火) 01:01:39.74 0.net
- 陶謙討伐の曹操の詔ってどの部分に載ってる?
- 396 :世界@名無史さん:2017/05/30(火) 22:10:10.12 0.net
- >>395
陶謙伝の呉書からの注釈部分かな?
裴松之先生は、曹操と陶謙が争ってた時に、曹操には帝に詔勅を出させる権力はないだろ!と否定的だけど
- 397 :世界@名無史さん:2017/05/31(水) 07:26:09.54 0.net
- >>396
袁紹は勝手に詔書出してたって言われてたんじゃなかったけ
つまり
- 398 :世界@名無史さん:2017/05/31(水) 08:37:05.49 0.net
- よく公孫サンって劉虞殺害したことで人望失ったとか言うけどさ
対外的には帝位僭称した大逆無道の存在なんだから
むしろ処刑した公孫サンを誉めたりせんのかったんかいな
- 399 :世界@名無史さん:2017/05/31(水) 09:57:53.19 0.net
- 劉虞が公孫サン殺そうとしたのは確かだから自衛っていえば自衛なんだけどね
あと劉虞は帝位僭称してない、その時点の袁術と同様に長安政権側の人間だよ
- 400 :世界@名無史さん:2017/05/31(水) 10:10:27.71 0.net
- 袁紹のプロパガンダ?
- 401 :世界@名無史さん:2017/05/31(水) 12:22:10.80 0.net
- 橋瑁「三公の公文書見つけました」
- 402 :世界@名無史さん:2017/05/31(水) 12:25:59.07 0.net
- 袁紹は勝手に勅書作ってたから誰の勅書って事にしてたかって考えると
劉虞を勝手に祭り上げてた可能性はあるんだけど確定ではないからな
- 403 :世界@名無史さん:2017/05/31(水) 15:17:02.49 0.net
- 袁紹は劉虞に皇帝に奉り上げようとしたが拒絶され、そのあと領尚書事として官爵の任免をするように頼んでるけどこれも断られてる(公孫瓚伝)
劉虞の立場からすると最初から傀儡にする気満々の袁紹に協力する謂れもないわな
- 404 :世界@名無史さん:2017/05/31(水) 17:58:10.26 0.net
- 公孫瓚「そもそも董卓が暴れるすきを作ったのって袁紹のせいじゃん・・・」
- 405 :世界@名無史さん:2017/05/31(水) 18:39:25.61 0.net
- 袁家は漢王朝のことはどうでもいいんだね…(・´з`・)
- 406 :世界@名無史さん:2017/06/01(木) 00:19:19.37 0.net
- この頃に天帝の姓が劉から張に変わるとか、帝舜の子孫が帝位につくとか、漢に代わるは当塗高なんて予言が溢れたら勘違いする人も出てくる
- 407 :世界@名無史さん:2017/06/01(木) 00:49:36.57 0.net
- 袁家の人間が四世三公の名家なんて威張ってられたのも漢王朝の権威があってのこと
後世の人間の後知恵に過ぎないかもしれないが、袁紹や袁術が積極的に漢王朝の権威を守ろうとしなかったことは結果的に致命的な失策に繋がってしまったと言わざるを得ない
- 408 :世界@名無史さん:2017/06/01(木) 11:38:21.67 0.net
- 一時は大勢力として君臨したわけで、袁家は知らんが袁紹には王者の器があったと考えていいんじゃないだろうか
皇帝だけすげ変わった第二漢帝国でしょ袁紹が作りたかったのは
- 409 :世界@名無史さん:2017/06/01(木) 20:26:42.90 0.net
- 袁紹が10年たらずでいち郡太守から河北四州を傘下に収める大勢力になったことを過小評価するつもりはないけど、でも曹操と違う時代に生まれてたら天下を取れた程の器ではないとも思う
袁紹の評価って難しいね
- 410 :世界@名無史さん:2017/06/01(木) 21:24:25.52 0.net
- 青年期、十常侍に抗い、党錮の禁の犠牲者を助けんと世直しのごとく暗躍
宦官一掃という誰もが夢見てもなし得るわけがないと思っていた義挙を実現
自らを取り込もうとする梟雄董卓に一括し、無官の身で出奔しながら関東軍盟主に衰退
自らを妾服と罵る弟の決裂
韓プク、公孫瓚、曹操みな袁紹に敵対すると内部分裂を起こして崩壊していく王道
北の遊牧民すら懐ける度量
若くして、信念を違えども友として、部下として慈しんだ曹操との決戦
どう見ても主人公だね
- 411 :世界@名無史さん:2017/06/01(木) 22:24:51.36 0.net
- もちつけ 誤字ばっかやぞ
- 412 :世界@名無史さん:2017/06/02(金) 00:46:00.88 0.net
- >>409
まあなんていうか優秀だけど、乱世を一気に終息させて帝王になるようなとびぬけたエネルギーがないよな
周囲に天才が一人もいなかったら地味ーに全土統一した可能性はあるけど
大国の乱世って思いもよらなかった英傑が突然出てくるからそれには勝てない感が強い
- 413 :世界@名無史さん:2017/06/02(金) 01:01:04.15 0.net
- 後漢書じゃ二袁は普通に強キャラやからな
- 414 :世界@名無史さん:2017/06/02(金) 02:31:08.83 0.net
- 群雄ってのがまず異常な存在だからね。
袁家は代々中央で大臣を務めた。
袁紹が朝廷でそのまま出世してたらどうなったかだな。
- 415 :世界@名無史さん:2017/06/02(金) 08:33:10.57 O.net
- 董卓は、何進が十常侍に討たれ、城外に二十万の西涼軍で
すぐさま洛陽を占領したが、暴政が故すぐ追討軍が結集
した。追討後力をつけたのは曹操。百万の軍勢は平原を
縦横無尽に駆け回り 十年のちに中国
の三分の一を支配した。董卓追討軍後の 戦果のメリットは
李確、郭巴を打ち破り洛陽、長安をいち早く占領し帝
陳留王を得た事。哀紹、哀術という強大勢力に引かなかっ
たワケ。
- 416 :世界@名無史さん:2017/06/02(金) 08:39:07.34 0.net
- >>414
袁術陛下は確か二十代で太守やってたはず。
- 417 :世界@名無史さん:2017/06/03(土) 06:25:24.84 0.net
- 袁紹は乱世でこそ輝く器じゃないかな
宦官との折り合いが最悪すぎるからいずれ中央からははじきだされてただろ
- 418 :世界@名無史さん:2017/06/03(土) 14:53:11.56 0.net
- 世が乱れた時に伝統と進取性を併せ持った袁紹が宦官を放逐する程度で終われば中興の祖と称えられた
戦国の時代になるとタケノコのように生えてくる位も名声も無い有能の士を使いこなす度量が無かった
袁紹が産まれてくるのが遅かったな、トウコの禁あたりで活躍してれば漢帝国のその後も袁紹の運命も変わってたかも
- 419 :世界@名無史さん:2017/06/04(日) 11:09:59.19 0.net
- 西園七校尉で軍の中央集権化をめざしたのが何進・袁紹だと思う
皇帝や宦官サイドの横槍でだいぶ骨抜きになってはいるけど
- 420 :世界@名無史さん:2017/06/04(日) 12:46:46.07 0.net
- 蹇碩:宦官
趙融:太鼓腹
曹操:宦官の孫
鮑鴻:横領で獄死
淳于瓊:鼻削ぎ
馮芳:袁術の義父
夏牟:?
- 421 :世界@名無史さん:2017/06/04(日) 15:23:46.81 0.net
- 淳于瓊は
「俺も昔はよう、袁紹や曹操とタメだったのに・・・」って烏巣で酒浸りなイメージ
- 422 :世界@名無史さん:2017/06/07(水) 21:26:28.78 0.net
- 西園七校尉って何か活躍の機会あったの?
- 423 :世界@名無史さん:2017/06/07(水) 21:57:43.89 0.net
- 西園八校尉ね
下軍校尉の鮑鴻が豫州の黄巾討伐に派遣されたんだけど討伐後に兵糧を横領したのが発覚して獄死してる
西園八校尉はその後特に出番もなく霊帝の崩御とともに一年足らずで自然消滅した
- 424 :世界@名無史さん:2017/06/08(木) 01:00:13.53 0.net
- もともと霊帝が私財を投げ打って無上将軍として立つという話だったからなー
- 425 :世界@名無史さん:2017/06/08(木) 09:05:06.91 0.net
- 最初、西園軍って中央軍構想かなんかかと思ってたけど霊帝の私兵だったぽいんだよな
霊帝崩御でなんの意味もなくなって、後で実権握る董卓の私兵に再編されちゃったようだし
- 426 :世界@名無史さん:2017/06/08(木) 12:45:01.16 0.net
- >>425
私兵っていうかさ、そもそも中央軍って皇帝の直属であることが大前提だろ
大将軍(外戚)にフリーハンドで指揮権を委ねたらどうぞクーデターを起こして下さいって言っているようなものだぞ
- 427 :世界@名無史さん:2017/06/08(木) 14:04:12.71 0.net
- そうだ八校尉だった、素で間違えてたw
- 428 :世界@名無史さん:2017/06/08(木) 16:10:07.65 0.net
- >>426
ところがその従来整備されてた漢王朝の近衛と中央軍は
有力豪族子弟のキャリアのための踏み台にしかなっておらず
しかも構造上は朝廷と外戚挟んでて皇帝直属でもなくなってたわけで
本来君主は最高位の指揮官であったはずなのに
皇帝が無上将軍として指揮官を兼ねる形にして
わざわざ従来の指揮系統から切り離して作ってるのは
これは新規の中央軍編成ではなく、皇帝の私兵を作った、と表現する方が合ってるかなと
- 429 :世界@名無史さん:2017/06/08(木) 18:40:32.20 0.net
- 曹操政権になってから太尉が任命されなくなったのはなんでだろ
- 430 :世界@名無史さん:2017/06/08(木) 22:13:35.76 0.net
- >>428
なるほどありがとう
勉強になりました
- 431 :世界@名無史さん:2017/06/09(金) 18:45:52.01 0.net
- 漢王朝の場合皇帝の真の親衛隊は宦官だからね。
- 432 :世界@名無史さん:2017/06/09(金) 20:05:30.39 0.net
- 宦官って男性器の無いナヨナヨしたオカマ野郎みたいに思われてるけど、皇帝の近侍ともなれば武芸の修練者や軍略に明るい者も混じってたりするんだろうな
- 433 :世界@名無史さん:2017/06/09(金) 20:23:40.53 0.net
- そら宋代には髭も生えてる童貫やら、正体は蛙の楊ゼンなんかもいますから
- 434 :世界@名無史さん:2017/06/09(金) 21:04:20.02 0.net
- 八校尉は蹇碩以外、何進の腹心じゃねえの?
- 435 :世界@名無史さん:2017/06/09(金) 23:06:23.13 0.net
- 夏牟が夏ツの一族の可能性が
- 436 :世界@名無史さん:2017/06/10(土) 09:23:05.45 0.net
- 和帝の腹心の鄭衆とかは軍略や謀略も長けてるやろな
- 437 :世界@名無史さん:2017/06/10(土) 20:20:43.26 0.net
- 八校尉は霊帝の改革っていうより
皇帝の政治意欲を引き出して宦官から引き離したい何進の思惑と、無上将軍ごっこがやりたい霊帝の欲求が合致しただけのように見えるけどな
さほど私兵が必要になってないし
私兵として捉えると謎な人選だし
- 438 :世界@名無史さん:2017/06/11(日) 00:13:55.72 0.net
- >>437
宦官と官僚両方の顔の効く曹操
反宦官ながら袁基と別流で官僚たちへの牽制役も期待できる同世代の袁紹とか
かなり両睨みな人選だと思うよ
加えて皇帝の私的な召使である宦官の蹇碩を一番上の席次として置き
私兵色を相当色濃く打ち出してると思うんだがな
私兵が必要になってないということはないでしょう
後漢後期は豪族の軍に地位を与えて懐柔しつつ使い倒す対応をしてるけど
自分の軍隊無けりゃ最終的にはそういう軍閥に食われるだけなの皆わかってるはずだし
- 439 :世界@名無史さん:2017/06/11(日) 00:59:44.41 0.net
- >>438
いやいや、そもそも私兵で何のためにそういう睨みを効かせる必要あるんだ
むしろ結局は豪族に骨抜きされてしまうじゃないか
どういう意味で軍閥と言う表現を使っているのか分からないが
官軍としてまとめあげられない限り豪族の軍なんて弱小で別に巨大な連合なんて気づいてないでしょ
自分の軍隊というけど大将軍を通じて反乱軍なんて普通に潰せるでしょ
革命を警戒しての軍制改革って言う解釈はかなり飛躍してるように思う
- 440 :世界@名無史さん:2017/06/11(日) 01:07:49.14 0.net
- 軍閥なんてそもそもあったのか?
州牧や郡太守が独自に兵を動かすようになったのは、
董卓が朝廷を牛耳るようになってからじゃないの?
- 441 :世界@名無史さん:2017/06/11(日) 14:24:21.75 0.net
- >>439-440
>>438の下二段見てくれ
あと西園軍は豪族に骨抜きにされるもなにも作ってすぐに霊帝が死んで
董卓に吸収されてるから豪族に骨抜きされたことなんてないよ
- 442 :世界@名無史さん:2017/06/11(日) 14:37:39.13 0.net
- 豪族の軍って具体例で言うとどれ?
黄巾の乱以前でお願い。
- 443 :世界@名無史さん:2017/06/11(日) 15:14:59.13 0.net
- いや。そもそも西園軍がどうなったかって具体的に不明じゃ
吸収されたのは何進の軍でしょ
董卓が入洛した頃には袁紹ももう西園八校尉じゃないしまともに存続してたのかすら謎でしょ
- 444 :世界@名無史さん:2017/06/11(日) 15:39:36.72 0.net
- 西園八校尉がどのようにして解散したのかイマイチよくわからないが霊帝死後、大将軍何進と元帥蹇碩が帝の後継を巡って対立して、蹇碩が何進を暗殺しようとして逆に返り討ちになった辺りで体をなしてなかったと考えていいのかな
そのすぐ後に何進が十常侍に暗殺されて、虎賁中郎将袁紹がその報復に宦官勢力を全て粛清して、最終的な勝利者になったのが董卓なんだから訳がわからねえ
- 445 :世界@名無史さん:2017/06/11(日) 16:00:08.46 0.net
- 董卓が宮中の兵力集めに工夫しているように重要な要素のはずではあるんだけどね
- 446 :世界@名無史さん:2017/06/11(日) 16:29:25.30 0.net
- >>442
以前て
以後に統治乱れまくってるところに導入された西園軍語るのに
- 447 :世界@名無史さん:2017/06/11(日) 22:07:14.78 0.net
- 西園軍って豪族の軍なの?
軍閥と呼べる豪族の軍について教えて・・・
- 448 :世界@名無史さん:2017/06/11(日) 23:14:19.39 0.net
- 西園軍の兵は張楊や毌丘コクや劉備が并州や丹陽で募兵した兵士が主力なんじゃない?
劉備は赴任中に下ヒで黄巾軍に出くわして任地まで行かなかったようだが
軍閥がそれに結びつくのかは知らん
そもそもどういう流れなんだよ
- 449 :世界@名無史さん:2017/06/12(月) 01:45:37.28 0.net
- 西園八校尉の指揮権は蹇碩が握ってたようだね。
他は何進派閥のような気がしていたが・・・
- 450 :世界@名無史さん:2017/06/12(月) 01:54:07.91 0.net
- >>443
宦官死んで趙融が失脚した後って袁紹が筆頭になってて
董卓が袁紹を部下に引き込んでるってことはそこに吸収されてるでしょ
その後曹操と袁紹、淳于瓊が身一つで逃亡してる
行動が不明な人々はキーパーソンじゃないから行動が残ってないのだろうし
結局この逃亡した人々の行動で完全に西園軍が宙に浮いてる形になったから
董卓が吸収以外の消滅理由がないと思うのだけど
- 451 :世界@名無史さん:2017/06/17(土) 16:18:25.72 0.net
- 董卓に軍権持ってかれたからさすがの袁紹も身一つで逃亡か
その後の曹操や袁術の逃亡の理由はまた別のところにありそうだが
- 452 :世界@名無史さん:2017/06/19(月) 03:28:52.72 0.net
- 董卓が私兵をバックにやりたい放題したからな。
何進の死後、中央の軍隊は誰が引き継いだんだろ?
車騎将軍は何苗の後誰が継いだんだっけ?
- 453 :世界@名無史さん:2017/06/19(月) 11:46:02.06 0.net
- 董承?
- 454 :世界@名無史さん:2017/06/19(月) 12:06:46.94 0.net
- 当時董卓は私兵の数が大したことなかったので手持ちの3000を夜に城門の外に出しては
朝に董卓の部下、続々増援!ってのを連日繰り返して大兵力がいるって誤魔化してたから
私兵をバックにというのは正しくもあり正しくもなし
- 455 :世界@名無史さん:2017/06/19(月) 12:19:09.60 0.net
- 何苗
↓
皇甫嵩
↓
董承
こう?
- 456 :世界@名無史さん:2017/06/19(月) 12:34:29.49 0.net
- 董卓も涙ぐましい努力してたんだなあ
「董卓様の部下が続々と到着しておられるが、宮殿に入っていった兵は出てこないのう」
- 457 :世界@名無史さん:2017/06/19(月) 17:42:44.64 0.net
- >>455
皇甫嵩って黄巾の乱の後に車騎将軍に昇進してなかったっけ?
- 458 :世界@名無史さん:2017/06/19(月) 17:53:59.41 0.net
- 曹操って呂布を一時撃退したあと袁紹からの援助の申し出断ってるけど
あれって言うほど断る必要かったかな
- 459 :世界@名無史さん:2017/06/19(月) 20:18:38.23 0.net
- >>432
>皇帝の近侍ともなれば武芸の修練者や軍略に明るい者も混じってたりするんだろうな
軍略はともかく武芸は無理だろ
類宦官症の人のサイトがググれば見つかると思うけど女に腕相撲で負けるほど脆弱と書かれてるし
十常侍も戦闘は全部配下の兵に任せてるだろ
- 460 :世界@名無史さん:2017/06/19(月) 23:04:20.36 0.net
- 類宦官症で参考にできるのは幼少時に去勢された場合じゃね?
成人後に去勢された場合だとあまり参考にならなさそう
- 461 :世界@名無史さん:2017/06/20(火) 01:45:13.43 0.net
- 武人として鍛えた高名な武士を去勢して近侍にするのって色々とやばくねーか
- 462 :世界@名無史さん:2017/06/20(火) 18:36:33.71 0.net
- >>458
袁紹は張バクとはなあなあで済ませたがってたようにも見える
東郡太守の人選とか
- 463 :世界@名無史さん:2017/06/21(水) 21:04:04.42 0.net
- >>461
現代の倫理観からしたらいろいろやべーと思うけれどw
それでもいくら男子禁制の後宮とはいえ、帝や妃の護衛や宮内の警備の需要はあるだろう
日本の大奥にも別式女のような武芸を担当する女官がいたようにさ
- 464 :世界@名無史さん:2017/06/22(木) 00:42:33.11 0.net
- 需要はあるだろうけど、武士として名を売るために厳しい鍛練に耐えてきた奴が
腐刑受けて宦官になりたがるだろうか?という
そういう人を無理やり宦官にしたら普通に恨みで寝首かかれそう
- 465 :世界@名無史さん:2017/06/22(木) 07:05:52.91 0.net
- 死刑になるところを腐刑で済んだなら我慢もできるだろ
- 466 :世界@名無史さん:2017/06/22(木) 15:50:04.04 0.net
- 戦争捕虜とか冊封国からの生口とか
そういうルートから宦官になる例もあるね
- 467 :世界@名無史さん:2017/06/24(土) 13:00:11.01 0.net
- 曹操が中国で有能でも人気がないのは
中国で人気出るのに大きな要因となる悲劇が曹操には足りないし
しかも三国志では一番の英雄だけど結局覇王になってない
もっと有能は他の時代にいくらでもいるしなって感じじゃね
チビの不細工なのもつらい
日本人って三国志を、演義や正史を元にした横山三国志やら吉川三国志で知ってるから
曹操をまず乱世の奸雄というか有能な奴としてみてるけど
中国人って場面場面を切り取って劇にした京劇とか講談で知るからな
そこで描かれる曹操は常に卑怯でズルいやつで、そのイメージがまあ強い
変な話だけど、日本のゲームやマンガというメディアを通じて
初めて三国時代の流れを知ったという中国人も多い
- 468 :世界@名無史さん:2017/06/24(土) 19:10:36.05 0.net
- >>463
>日本の大奥にも別式女のような武芸を担当する女官がいたようにさ
中国でも後宮の護衛は女官が行うのが普通だけどね
孫武が呉王から宮女の訓練を承ったとか石虎が女官に弓術を習わしたとかいくらでも伝わってるだろ
>>466
>戦争捕虜とか冊封国からの生口とか
こういう場合は普通は子どもが献上されるのが普通
「大越史記」でも中国がたびたび攻めてきては多くの幼男が宦官として金陵に連行されたという記述がある
朝鮮や琉球も宦官を貢いでるけど何れも子ども
通常、大人で宦官になるのは刑罰を受けた者か自宮した場合
- 469 :世界@名無史さん:2017/06/25(日) 11:11:08.02 0.net
- それは全然女官を護衛に使う普通の証明になっていないような
- 470 :世界@名無史さん:2017/06/25(日) 15:34:52.27 0.net
- つうか秦漢の頃は女にも戌兵の役があったろ
労役も課せられていたし
実際に漢代の長城から出土した兵員名簿にも女の名前がでてるし
- 471 :世界@名無史さん:2017/06/25(日) 16:31:20.69 0.net
- 孫武のアレがガチ訓練ということになってるでござる
んなアホな
- 472 :世界@名無史さん:2017/06/26(月) 03:27:42.29 0.net
- 孟姜女涙目
- 473 :世界@名無史さん:2017/06/28(水) 00:07:33.59 0.net
- 女の兵士とか扱いが面倒だし、男と一緒の軍隊生活なんて送れないだろ。
体力もないしな。
衛生兵とか慰安婦じゃないの?
- 474 :世界@名無史さん:2017/06/28(水) 00:18:45.84 0.net
- >>473
趙の平原君が邯鄲包囲された時に李同が提案で
「今君誠能令夫人以下編於士卒之閨vとか言ってて
意外に中原近辺だと女性兵士が抵抗なく受け入れられてた可能性はある
- 475 :世界@名無史さん:2017/06/28(水) 19:28:10.60 0.net
- 墨子とか商君書といって兵法書みると女は女だけで別に一軍を作って壮男軍とは混じらぬようにせよ
なんて書いてある
墨子 号令篇
諸男女有守於城上者,什、六弩、四兵。丁女子、老少,人一矛。(中略)女子到大軍,令行者男子行左,女子行右,無並行,皆就其守,不從令者斬。
商君書 兵守篇
壯男為一軍,壯女為一軍(略)壯男過壯女之軍
>>473
ウェイトリフティング部だった時の記憶だけどさぁ女子のトップクラスは自分より階級上の男子の記録抜いたりするんだぜ
訓練次第では兵士として十分役に立つ人材もいくらでもいると思うし思うし武器もたせたら余計関係ないと思う
呂布や関羽でも女4〜5人に四方から槍で突かれたらイチコロよ
- 476 :世界@名無史さん:2017/06/28(水) 23:45:08.85 0.net
- 秦軍にも女部隊とかいたんか?
キングダムの作者が喜びそうなネタだな。
防衛戦は総力戦だから女も戦わざるを得ないだろうね。
- 477 :世界@名無史さん:2017/06/29(木) 00:40:13.95 0.net
- 史記の平津侯主父列傳 に「秦禍北構於胡,南掛於越,宿兵無用之地,進而不得退。行十餘年,丁男被甲,丁女轉輸」
ってあるな
つうか商君書も墨子も秦でまとめられたものでしょ
- 478 :世界@名無史さん:2017/06/29(木) 01:39:33.21 0.net
- 後宮物語
- 479 :世界@名無史さん:2017/06/29(木) 02:15:09.71 0.net
- 秦漢以外だとどのくらい普遍的だったのかようわからん
- 480 :世界@名無史さん:2017/06/29(木) 14:29:56.98 0.net
- 一般的なら兵馬俑に女兵士とかいるだろ。
- 481 :世界@名無史さん:2017/06/29(木) 20:15:33.18 0.net
- >>480
あれは皇帝の近侍や直属軍がモデルのはずなので、郡兵と一緒に考えるとちょっとズレるんじゃねえかな
- 482 :世界@名無史さん:2017/06/30(金) 00:58:54.53 0.net
- ちくま学芸文庫の正史三国志を読んだのですが、
当方、高校生で、大学では東洋史を学びたいと思っています。
そんな私がこの次に読むべき本は何でしょうか?
おすすめがあれば教えてください。ちなみに曹操が好きです。
また、専門的に三国志を学ぶ上で三国志集解は避けて通れないものだと、
三国志で卒論を書いた高校の先生に聞いたのですが、本当ですか?
三国志集解という本は調べても日本語訳は出ていないですし、
私には白文を読む能力はありません。大学へ行けば知識がついて読めるようになるものなのでしょうか?
- 483 :世界@名無史さん:2017/06/30(金) 01:08:43.60 0.net
- おなじちくま学芸文庫の史記と漢書でもよんでください
集解ぐらい読めて当然ですし
東洋史やるなら現地の語学も必要です
外国語の学習と同じで辞書もって努力してください
>大学へ行けば知識がついて読めるようになるものなのでしょうか?
読めません。英語本が大学入って読めるわけがないのといっしょです
- 484 :世界@名無史さん:2017/06/30(金) 01:12:08.75 0.net
- 曹操が好きなら
曹操―三国志の奸雄 (講談社学術文庫) 文庫 ? 1996/3
竹田 晃 (著) でも読んでください
- 485 :世界@名無史さん:2017/06/30(金) 01:15:25.46 0.net
- >私には白文を読む能力はありません
あとなら東洋史なんか日本語の本だけ読んで趣味にして
法学部か経営商学部で学んだほうが就職にいいでしょう
研究するなら読めて当然ですので
- 486 :世界@名無史さん:2017/06/30(金) 01:43:38.20 0.net
- >>482
大学行けば白文読めるようになるかっていう意識だと一生ならない
高校生なら受験でも有利に働く局面もあるだろうし本気なら今からガッツリやっておけよ
大学入試で出る問題程度なら満点取れる程度の漢文読解力は東洋史で食おうと思うなら必須に近い
専門でやってこうとするなら他にいくらでも身に付けるべき言語やスキルが存在するから
漢文読む能力なんて最低限度のものは高校時代にやっとかないと時間足りなくなるぞ
今読めない自覚あるなら猶更、今学習しとかないと後悔するからな、本当だぞ
そういう意識で今から勉強できないなら上で書いてくれてる人がいるように歴史は趣味に留めた方がいい
史学なんて金にならない学問やっても卒業したらクソニートか教員か
クッソどうでもいい三流企業を何十何百と回って内定を求めるゾンビになるだけだからな
歴史が好きで集まった史学科で学業で勝ち抜き、自分の席を勝ち取るにはそれくらいしないとダメだし
席が無けりゃ卒業後本気で路頭に迷うんだってことを肝に銘じてくれよ
- 487 :世界@名無史さん:2017/06/30(金) 07:06:07.15 0.net
- 皆さん叱咤激励ありがとうございます。目が冷めました。
高校時代に白文を読めるように頑張って勉強します。
やはり、東洋史を大学で学びたいですから。
史記はもう読んであるので、漢書と曹操三国志の奸雄も読んでみます。
- 488 :世界@名無史さん:2017/06/30(金) 14:37:46.91 0.net
- 曹操なら石井仁の「魏の武帝」もいいんじゃない?
- 489 :世界@名無史さん:2017/06/30(金) 15:01:08.52 0.net
- 大学卒業した後の心配もされてるからな
よほどの覚悟が必要だよ
- 490 :世界@名無史さん:2017/06/30(金) 17:10:54.63 0.net
- 少子化だし大丈夫じゃね?
むしろ助言してるヤツのがやばそう。
- 491 :世界@名無史さん:2017/06/30(金) 17:43:51.37 0.net
- 研究者の席って20代から60代までの分厚い層が奪い合ってるのに
どうして少子化だからと言って安閑としていられようか
- 492 :世界@名無史さん:2017/06/30(金) 17:51:50.76 0.net
- 少子化→学生数の減少→教育に必要な教員数の減少
少子化進行中はライバルの減少よりもポストの減少の方が深刻
さらに文系(文学部&教育学部)軽視で学部再編する大学が出てきてて状況がさらに悪化中
- 493 :世界@名無史さん:2017/06/30(金) 18:05:59.91 0.net
- 日本史はそれでも国内に博物館とか研究所ポストあるけど
東洋史なんてそれもねぇからなぁ
- 494 :世界@名無史さん:2017/06/30(金) 21:52:34.66 0.net
- 少子化だから史学科卒でも一般企業に就職しやすいって意味だよw
- 495 :世界@名無史さん:2017/07/01(土) 12:27:28.72 0.net
- 研究者目指してる人に対してそれって慰めにもならんけどな
- 496 :世界@名無史さん:2017/07/01(土) 12:37:57.66 0.net
- 高校生の時に白文読めないのは問題じゃないよ
就職とかは絶望的になることと、「曹操が好きだから」みたいな意識だと後に行けば行くほど辛い事だらけになっていく事の方が問題
- 497 :世界@名無史さん:2017/07/01(土) 16:37:11.30 0.net
- もともとお金になることじゃないからなぁ
小説や漫画にしてひと山当てるでもしない限り
そっちも割りと飽和状態だし
- 498 :世界@名無史さん:2017/07/01(土) 17:35:19.59 0.net
- 曹操好きと劉備好きってどっちが出世しそう?
- 499 :世界@名無史さん:2017/07/01(土) 18:39:18.24 0.net
- 好きってだけで何が解るというのかね
- 500 :世界@名無史さん:2017/07/01(土) 22:35:33.16 0.net
- 横山三国志読んだから劉備好き
蒼天読んだから曹操好き
それだけでは何も
- 501 :世界@名無史さん:2017/07/01(土) 22:46:05.58 0.net
- 途中まではまともな叱責だったのに
段々ただの陰湿な嫌味になってるじゃねえか
- 502 :世界@名無史さん:2017/07/02(日) 00:02:19.10 0.net
- >>501
最初の方で言ってることの方がおかしいと思うが
- 503 :世界@名無史さん:2017/07/05(水) 12:52:55.59 0.net
- 横山光輝の漫画読んで適当にやっときゃok
- 504 :世界@名無史さん:2017/07/05(水) 15:32:16.36 0.net
- むむむ
- 505 :世界@名無史さん:2017/07/06(木) 00:35:08.20 0.net
- 話を戻してすまんが、女兵士を率いていたのは女将軍だったのかな?
男だと、同僚からからかわれたりすんのかな?
ハーレム気分を味わってたりすんのかな?
- 506 :世界@名無史さん:2017/07/06(木) 19:42:50.20 0.net
- 殷の婦好とか西周代の金石文では女でも兵を率いて戦功をあげて報償されるようなことがしばしばあったようだが
春秋時代になるとなくなるので全部隊の指揮をとるような将軍は普通は男なのでは
卒長や伯長とか末端の下士官は女がやってたかもしれんけど
- 507 :世界@名無史さん:2017/07/06(木) 21:07:03.70 0.net
- 漢代の女将軍なんて徴姉妹くらいしか知らんわ・・・
- 508 :世界@名無史さん:2017/07/06(木) 21:21:26.38 0.net
- 官僚の時代になったら、女をきちんと教育して将軍にするプロセスを持ってないと使えないよな
- 509 :世界@名無史さん:2017/07/06(木) 21:29:04.60 0.net
- 将軍つうか女酋長だろ徴姉妹
- 510 :世界@名無史さん:2017/07/07(金) 01:38:37.24 0.net
- 県の有力者の妻だろ?
郡県を攻め落としてから王を称してる。
- 511 :世界@名無史さん:2017/07/07(金) 06:04:54.54 0.net
- >>508
儒教下であるわけないだろ
- 512 :世界@名無史さん:2017/07/07(金) 11:37:51.80 0.net
- 秦良玉「・・・」
- 513 :世界@名無史さん:2017/07/07(金) 16:16:50.68 0.net
- 彼女は非漢人じゃなかったっけ
- 514 :世界@名無史さん:2017/07/07(金) 20:08:46.11 0.net
- >>513
苗族だよね。
- 515 :世界@名無史さん:2017/08/08(火) 02:42:21.11 0.net
- 何この過疎・・・
- 516 :世界@名無史さん:2017/08/11(金) 08:58:02.29 0.net
- 宦官って霊帝の時は目立つけど
その後の魏、蜀、呉にもいたんですか?
- 517 :世界@名無史さん:2017/08/11(金) 10:01:01.29 0.net
- いた
- 518 :世界@名無史さん:2017/08/11(金) 21:01:23.73 0.net
- 演義で宦官にされた呉の人がいましたね
- 519 :世界@名無史さん:2017/08/12(土) 03:04:18.07 0.net
- 魏晋の宦官はあんまり有名なのいないね。
- 520 :世界@名無史さん:2017/08/12(土) 08:44:58.11 0.net
- 黄皓の名前が挙がらないとは。
- 521 :世界@名無史さん:2017/08/12(土) 09:54:16.52 0.net
- 知名度があるのは黄皓だけか
後漢の後期の悪い印象が強いから魏晋では出世しないようにされたか
- 522 :世界@名無史さん:2017/08/12(土) 13:03:19.88 0.net
- 蜀は漢の伝統を引き継ぐために宦官も引き継いだ
って一般論でよく言われる
- 523 :世界@名無史さん:2017/08/12(土) 13:52:25.29 0.net
- >>522
宦官引き継がない方がおかしいんやで
- 524 :世界@名無史さん:2017/08/12(土) 16:36:53.71 0.net
- 後漢の宦官vs豪族の抗争は魏晋南朝の貴族制樹立で豪族の勝利
- 525 :世界@名無史さん:2017/08/12(土) 18:36:44.56 0.net
- 貴族は朱全忠にぶっ殺されて宦官が勝利だろ
- 526 :世界@名無史さん:2017/08/12(土) 23:13:07.79 0.net
- 宦官が居なかった王朝なんてない
- 527 :世界@名無史さん:2017/08/13(日) 01:06:51.66 0.net
- すれ違いだけど五胡十六国の異民族王朝にも宦官はいたんだろうか
- 528 :世界@名無史さん:2017/08/14(月) 01:07:03.63 0.net
- つ南漢
- 529 :世界@名無史さん:2017/08/26(土) 20:45:29.15 0.net
- 皇帝と後宮と宦官はワンセットみたいなもんまし
- 530 :世界@名無史さん:2017/09/17(日) 02:04:34.50 0.net
- 孔明と司馬懿って若い頃は特に接点ないよね?
- 531 :世界@名無史さん:2017/09/17(日) 06:37:03.85 0.net
- ない
- 532 :世界@名無史さん:2017/09/17(日) 10:41:40.05 0.net
- 黄権は快男児です
- 533 :世界@名無史さん:2017/09/17(日) 10:58:34.23 0.net
- 黄権が快男児との手紙を書いたころの司馬懿は若く見積もっても40代中盤
- 534 :世界@名無史さん:2017/09/17(日) 11:49:46.75 0.net
- 二人をよく知るのは黄権だけか
- 535 :世界@名無史さん:2017/09/17(日) 11:57:13.06 0.net
- 司馬懿と諸葛亮は顔合せたことないし
- 536 :世界@名無史さん:2017/09/17(日) 12:19:10.02 0.net
- 曹操と諸葛亮も手紙のやり取りしてたよね
- 537 :世界@名無史さん:2017/09/17(日) 12:22:13.17 0.net
- >>536
いつの話?
- 538 :世界@名無史さん:2017/09/17(日) 18:30:07.93 0.net
- >>82
キって鬼?
- 539 :世界@名無史さん:2017/09/17(日) 21:38:15.61 0.net
- 趙雲は老将のイメージが強い。
- 540 :世界@名無史さん:2017/09/18(月) 10:14:24.63 0.net
- >>537
いつ頃かは知らないけれど、鶏舌香五斤ありがとうの手紙が曹操から諸葛亮に送られてる
- 541 :世界@名無史さん:2017/09/18(月) 14:01:20.34 0.net
- 鶏舌香は老人の口臭をごまかす香だから、「口臭いジジイ早く引退しろよ」っていう諸葛亮からのメッセージだったんだろ
- 542 :世界@名無史さん:2017/09/18(月) 14:11:59.68 0.net
- >>541
諸葛亮ごとき若造が何程のことあらんかと曹操の激怒する姿が見えてくるわ
- 543 :世界@名無史さん:2017/09/18(月) 15:17:14.14 0.net
- 趙雲は味が十分に染みたのり弁がぎっしり詰まった四角いアルマイトの弁当を食ってるイメージ
- 544 :世界@名無史さん:2017/09/18(月) 18:38:27.92 0.net
- お前ら趙雲を何だと思ってるんだ
- 545 :世界@名無史さん:2017/09/18(月) 19:51:46.39 0.net
- 山田太郎
- 546 :世界@名無史さん:2017/09/18(月) 19:59:04.33 0.net
- >>538
キっていうのは殷の甲骨文に出てくる最高神、杖を持った一本足の猿の象形とされる
後に帝俊、派生して五帝の帝コクや舜、さらに派生して楽正(音楽を司る)后キになる。
後世になるとただの一歩足の動物になり、黄帝が蚩尤を破るためにつくった太鼓の皮にされたりしてる。
孔子と弟子の問答に、どうしてキは一足なりって書いてあるんでしょう?と弟子が聞いたところ
孔子は「優れた人物は一人でも足りるという意味(決して一本足の事ではない)」と怪力乱神を語らない孔子の性格を表現される話としてよく使われる。
- 547 :世界@名無史さん:2017/09/20(水) 07:11:44.11 0.net
- 趙雲はジジイすぎる
- 548 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 19:32:04.47 0.net
- >>53
孫権は日本列島を襲って倭人を拉致して兵員補充をした。
- 549 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 19:38:35.73 0.net
- 台湾だろ
日本へはこれなかった
- 550 :世界@名無史さん:2017/10/12(木) 23:01:34.92 0.net
- 澶洲とは日本のことで朝鮮式山城はその時に日本人が造ったもの!
朝鮮人は関係ない!!って強弁するネトウヨおばちゃんが日本史板で暴れてて鬱陶しかったな
たとえ日本だったとしても「澶洲者所在絶遠不可往来 」って明記されてるから意味ないんだが
- 551 :世界@名無史さん:2017/10/13(金) 01:16:09.20 0.net
- 兵員だっけ?まぁ人口が増えれば兵員も増えるんだろうけど
失った兵のほうが多くて補充にならなかったかと
- 552 :世界@名無史さん:2017/10/14(土) 04:26:13.02 0.net
- >>526
つ東方帝国ヤ〜マ〜ト〜
- 553 :世界@名無史さん:2017/10/15(日) 00:02:25.63 0.net
- 日本出土の赤烏年鏡は明らかに呉からもたらされたもの。
- 554 :世界@名無史さん:2017/10/15(日) 03:54:34.65 0.net
- 金石文は文書よりも信用できる
- 555 :世界@名無史さん:2017/10/15(日) 07:02:43.38 0.net
- 作られた時期と渡来の時期って一緒なの?
- 556 :世界@名無史さん:2017/10/15(日) 17:07:58.03 0.net
- 赤烏年鏡は呉から公孫経由で入って来たものとされている
そもそも三国時代に東シナ海つっきるほどの航海技術ないし
- 557 :世界@名無史さん:2017/10/15(日) 17:27:47.22 0.net
- 普通に朝鮮半島東南から最短距離で日本に来れるだろ。
400年以上前に徐福も来てるしな。
- 558 :世界@名無史さん:2017/10/15(日) 18:03:09.89 0.net
- 元寇成功できなかったモンゴル帝国は呉以下だぬ
- 559 :世界@名無史さん:2017/10/15(日) 18:52:32.45 0.net
- >>557
徐福が日本に来たとか言うのは俗説
更に言うと当時の朝鮮半島南部は馬韓が支配して帯方郡と抗争を繰り広げていたから猶更無理
- 560 :世界@名無史さん:2017/10/15(日) 19:01:46.57 0.net
- つうかそもそも鳥居原狐塚古墳は5世紀と呉が滅んでから200年近く後のものだから
普通に半島からの伝来品だろ
邊津鏡と辺津鏡という前漢代と後漢代の鏡があるんだが
これも古事記によると新羅のアメノヒボコからの伝来品
- 561 :世界@名無史さん:2017/10/15(日) 22:40:00.90 0.net
- 徐福の船に乗っていたとか言う少年たちはその後どうなったんだろうな
徐福が楽しんだのだろうか
- 562 :世界@名無史さん:2017/10/16(月) 00:45:30.73 0.net
- 徐福は行く行く詐欺野郎で、出航せずに港でうだうだしてたのが
始皇帝にばれて大目玉食らったんだよ
そのあとまもなく始皇帝が死んじゃって話はうやむや
徐福は丸儲けw
あの始皇帝がよくその場で殺さんかったと思うよ
- 563 :世界@名無史さん:2017/10/16(月) 02:52:48.97 0.net
- 帯方郡って魏じゃねえの?
その前は公孫氏だけど、別に馬韓と呉が敵対する理由はないっしょ。
韓半島東南は辰韓じゃなかったっけ?
- 564 :世界@名無史さん:2017/10/17(火) 13:00:44.29 0.net
- 普通に敵対しまくってるが
帯方郡はもともと公孫康が戦乱で韓に逃れていた遺民をたきつけて
侵略して置いた郡だし仲良くできるわけないんだが
- 565 :世界@名無史さん:2017/11/04(土) 20:39:46.67 0.net
- 魏が滅ぼしたって書いてあるのは馬韓という解釈が一般的なの?
- 566 :世界@名無史さん:2017/11/10(金) 00:09:06.74 0.net
- どこをどう読んだらそんな頓珍漢な解釈が出てくるんだ
- 567 :世界@名無史さん:2017/11/17(金) 18:00:44.42 0.net
- 潘濬って文官より武官としての才能が高いよな
- 568 :世界@名無史さん:2017/11/17(金) 22:46:42.57 0.net
- 西成高速鉄道(西安~成都)が開業するけど
所有時間が16時間から3時間に短縮されるそうだ
日帰りで北伐できるねw
- 569 :世界@名無史さん:2017/11/18(土) 01:06:25.54 0.net
- 木牛号流馬号
- 570 :世界@名無史さん:2017/11/18(土) 02:07:04.78 0.net
- 西成ってw
大阪かと思った
- 571 :世界@名無史さん:2017/11/18(土) 12:13:31.18 0.net
- >>562
代わりがいないからな
- 572 :世界@名無史さん:2017/11/19(日) 06:24:13.78 0.net
- 中国の高速鉄道とか怖くて乗れん・・・
- 573 :世界@名無史さん:2017/11/21(火) 22:57:46.01 0.net
- 孔明の南蛮討伐の専門家の研究とか無いの?
- 574 :世界@名無史さん:2017/11/21(火) 23:00:35.10 0.net
- >>556
赤烏(238- 251)年号の鏡が238年に攻め滅ぼされた公孫氏経由で
渡来とかあり得なくね?
- 575 :世界@名無史さん:2017/12/10(日) 18:20:27.95 0.net
- 教えてください
孫権の長男の孫登の教育係だったという支謙の伝は三国志にはないようですが、
(伝どころか一言も言及されてない)彼の伝が読める書物はなんでしょうか
和訳本はあるのでしょうか?
また、孫権はなぜ仏教僧を教育係にしたのでしょうか?
よろしくお願いします<(_ _)>
- 576 :世界@名無史さん:2017/12/10(日) 18:39:20.52 0.net
- 高僧伝読むしかないんじゃないの?
- 577 :世界@名無史さん:2017/12/10(日) 23:53:36.81 0.net
- wikiを見ると上の方が書いているとおり「高僧伝」巻1に載っているみたいですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E8%AC%99
で、高僧伝のwikiによると岩波で完訳も出ているようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%83%A7%E4%BC%9D
- 578 :世界@名無史さん:2017/12/11(月) 00:14:37.28 0.net
- >>576-577
ありがとうございます。
密林で見たらびっくりするほどの値段だったので、図書館で探してみます。
なぜ、呉書には支謙が登場しないのでしょうね?
捜神記や世説新語にも出てこないですよね。
- 579 :世界@名無史さん:2017/12/11(月) 22:45:15.53 0.net
- >呉書に伝がない理由
支謙の功績は、呉の家臣としてよりも、訳教によるものだから、
順番が劣後してしまったのでは?
一言くらい言及があっても良さそうなものだけど、孫登の教師というだけなら、
その他大勢のうちの一人になってしまったのかも。
>呉と仏教
三国時代の仏教というと、地域も近い悪名高いサク融が思い浮かびますが、
それくらいしか分からん。
孫権としては仏教の専門知識ではなく、単に博学なところに期待したのかも。
- 580 :世界@名無史さん:2017/12/12(火) 00:37:18.43 0.net
- 江東は怪異の国だし
- 581 :世界@名無史さん:2017/12/12(火) 02:15:35.48 0.net
- ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%A2%81%E9%AB%98%E5%83%A7%E5%82%B3
原文で読めるならこれどうぞ
- 582 :世界@名無史さん:2017/12/12(火) 11:23:31.27 0.net
- 維基文庫の漢字のいい加減さはひどいな
- 583 :世界@名無史さん:2017/12/12(火) 22:51:09.47 0.net
- >>579
孫登が太子になったのは221年、支謙が訳経作業を始めたのが222年で、
ほぼかぶってるんですよね。孫登の教師といっても、訳経作業の片手間程度の
ものだったかも知れませんね。孫登には是儀や陸遜がそばについてましたし。
孫権はスピリチュアルwなものに興味示す人だから、仏教にも関心あったんでしょうね。
>>581
ちうごく語読めませんがありがとうございます。
康僧会って、あの孫晧と対話した記録が残ってるんですね。こちらにも興味湧きました。
- 584 :世界@名無史さん:2017/12/12(火) 23:29:54.53 0.net
- 于吉みたいな怪しいヤツに洗脳されるよりマシって感じじゃね?
- 585 :世界@名無史さん:2017/12/13(水) 17:54:38.31 0.net
- 曹叡って本当に曹丕の子どもだったのか
自分は袁熙の子ども説の方が後々考えると納得してしまう
生年の謎に加え
曹丕の死の直前まで皇太子宣言をハッキリと明言しなかった
曹丕が実母のスウ氏何故か殺してるし
スウ氏に曹丕がやった事を曹叡は郭皇后にやり返してるし
曹叡自身その後の暴走もあるし(大宮殿増設など)
自分の出生にまつわる真実を知ってしまった曹叡が自暴自棄になったのかのも
- 586 :世界@名無史さん:2017/12/13(水) 19:26:16.78 0.net
- >>585
そもそもあいつ長男じゃないな
あざなに仲って入ってるから
- 587 :世界@名無史さん:2017/12/13(水) 20:01:32.36 0.net
- 誕生日といえば卞氏や曹髦のもおかしいな
少帝弁は後漢書と資治通鑑で生年が違うんだっけ?
- 588 :世界@名無史さん:2017/12/13(水) 22:10:35.50 0.net
- 曹昂が死ななかったら、曹操の次に魏のリーダーになったのって曹昂だったのだろうか
- 589 :世界@名無史さん:2017/12/13(水) 22:13:32.00 0.net
- 曹沖
- 590 :世界@名無史さん:2017/12/13(水) 22:22:50.60 0.net
- >>589
曹丕でも危ういのに、曹昂がいるのに曹沖を後継者にしたら袁紹死後真っ青の大混乱が起こるだろう
- 591 :世界@名無史さん:2017/12/14(木) 00:43:30.40 0.net
- なんだかんだ曹植みたいに後継げない気がするなあ
10代前半の弟は可愛くても後半以降になるとライバルになるって生々しいな
- 592 :世界@名無史さん:2017/12/14(木) 02:37:53.78 0.net
- 曹芳って本当に曹叡の子どもだったのか
- 593 :世界@名無史さん:2017/12/14(木) 02:54:46.56 0.net
- 曹芳は養子
- 594 :世界@名無史さん:2017/12/14(木) 06:31:26.65 0.net
- 曹沖に跡を継いで欲しかったと一番強く望んでたのは案外曹丕かもと
誄や追贈や逸話から思う
- 595 :世界@名無史さん:2017/12/14(木) 06:47:23.73 0.net
- >>585
鄴が包囲されていた時期を考えると袁熙の子説は無理がある
- 596 :世界@名無史さん:2017/12/14(木) 11:20:50.65 0.net
- 呂蒙は荊州侵攻で魯粛の三分の計を危うくしたといわれるが蜀を魏の牽制役に封じ込めたという意味ではむしろそれを完成したといえる
- 597 :世界@名無史さん:2017/12/15(金) 18:35:08.64 0.net
- 魯粛は後継者指名してないよね。
魯粛の賛同者がいなかった(つくれなかった)のが大きいのかな。
孫権は荊州問題以降は劉備に対して悪感情しか抱いてなかったし。
- 598 :世界@名無史さん:2017/12/15(金) 19:56:10.39 0.net
- >>596
誰がそんなこと言ってるの?
魯粛の戦略ってそこまで劉備に融和的じゃないよ?
- 599 :世界@名無史さん:2017/12/15(金) 21:53:14.06 0.net
- 魯粛って正史でもお人好しなの?
- 600 :世界@名無史さん:2017/12/15(金) 23:35:55.81 0.net
- クソ腹黒
- 601 :世界@名無史さん:2017/12/16(土) 00:13:28.99 0.net
- むしろ赤裸々腹黒
- 602 :世界@名無史さん:2017/12/16(土) 01:09:04.03 0.net
- 自分の陣営のことしか考えない近視眼的な人間じゃなくて
劉備ってそれなりの軍雄を上手く使って呉の援護させようって戦略立ててたんだろう
だからどうしても孫家陣営の中じゃ劉備よりって立ち位置になるんじゃない
- 603 :世界@名無史さん:2017/12/16(土) 12:47:12.67 0.net
- そもそも劉備を対立軸にして親劉備、反劉備という見方で魯粛を分析するのがどうかと思う
- 604 :世界@名無史さん:2017/12/16(土) 16:08:10.82 0.net
- 孔明の三分の計は最終的には三番目の漢による再統一だからな
だから三分自体が目的の呉としては当然に蜀から中原への最短コースを塞ぐ必要がある
そして外来政権の蜀漢としては名分的にも北伐を繰り返さねばならない
台湾に逃げた国民党政権が大陸光復を唱え続けたのと同じに
- 605 :世界@名無史さん:2017/12/17(日) 11:10:39.30 0.net
- >>603
蜀漢正統の演義からすれば親劉備ですら問題にならないからな
それこそ服劉備でなければ褒めるに値しないって
途中の三者会談で孔明が魯粛に孫権などさっさと劉備に降伏して引っ込んでれば良いんだと暴言する場面はまさに作者の本音だろう
- 606 :世界@名無史さん:2017/12/17(日) 22:08:08.37 0.net
- 劉備の死後に結ばれた新たな蜀呉同盟の最大眼目は蜀の荊州放棄
これによって隆中対は不可能となり以後の蜀漢政権は益州での政権維持自体が目的となる
- 607 :世界@名無史さん:2017/12/19(火) 02:18:29.66 0.net
- 演義の魯粛嫌い
正史の魯粛好き
- 608 :世界@名無史さん:2017/12/19(火) 19:08:43.97 0.net
- 演義の魯粛嫌いなんてないやろ
演義でも正史でも魯粛は諸葛亮の大恩人
- 609 :世界@名無史さん:2017/12/19(火) 19:23:45.98 0.net
- 演義の魯粛って、読者の劉備ひいきを外せば
劉備に肩入れし過ぎて呉に数々の負債を作っただけのおっさんだからな
周瑜と呂蒙に挟まれていつ死んだのかすらわからないレベル
- 610 :世界@名無史さん:2017/12/19(火) 23:45:53.36 0.net
- 昔学習漫画の周瑜がチビのヒゲのおっさんにされてたのには笑った。
- 611 :世界@名無史さん:2017/12/20(水) 13:25:39.30 0.net
- 呉は統一ではなくあくまで江東割拠主義だからな
いわば初期の東国政権としての鎌倉幕府みたいな物で
だから魯粛は三分の時点で皇帝を名乗れと孫権に勧めた
- 612 :世界@名無史さん:2017/12/23(土) 17:58:38.60 0.net
- 正史の霊帝って今じゃ再評価進んでる見たいだけど献帝はどうなのかな
演義じゃ初期は小帝との対比で持ち上げられてるけど結局のところ中の下?
- 613 :世界@名無史さん:2017/12/24(日) 13:49:10.54 0.net
- 献帝の時点では既に後漢政権は実質崩壊しており比較は出来ない
- 614 :世界@名無史さん:2017/12/24(日) 16:27:48.16 0.net
- 劉備応援して前面に出し弾避けにするってのは悪くないと思う
- 615 :世界@名無史さん:2017/12/25(月) 01:31:00.78 0.net
- 献帝の墓の場所がわかるの?
- 616 :世界@名無史さん:2017/12/25(月) 20:22:02.37 0.net
- 漢愍帝陵
http://www.geocities.jp/tairikuryoyuu/sangoku2001/kyosyo-kogai7.htm
- 617 :世界@名無史さん:2017/12/26(火) 22:57:02.81 0.net
- >>614
劉備を対魏の前線に出すんなら合肥戦に駆り出してやればよかったのに
まさかそこから丹陽や蘆江の領地をかすめ取ったりはできないでしょ
劉埼が死んだ時点で荊州から引き離しとけばなぁ
- 618 :世界@名無史さん:2017/12/27(水) 02:11:16.79 0.net
- 劉備が、今の状態で呉の庇護下に入ったら一生飼い殺しだって判断して距離を保ったなら流石の嗅覚だな
呉よりはるかに強かった袁紹の元には身を寄せて、劉表の元にも入ったのに
- 619 :世界@名無史さん:2017/12/27(水) 22:20:44.93 0.net
- 霊帝の再評価って何?
無上将軍になったこととか?
- 620 :世界@名無史さん:2017/12/28(木) 00:27:15.79 0.net
- 軍隊を再編成したって事じゃなかったっけ
- 621 :世界@名無史さん:2017/12/28(木) 00:33:46.44 0.net
- 霊帝は商人ごっこをしたり面白いオッサンというイメージ。
- 622 :世界@名無史さん:2017/12/31(日) 23:18:31.10 0.net
- >>618
孔明のおかげもあるかな
- 623 :世界@名無史さん:2018/01/01(月) 14:20:15.99 0.net
- 袁家を滅ぼした時点で曹操は中原を制したといえるんですか?
- 624 :世界@名無史さん:2018/01/05(金) 06:48:35.57 0.net
- 袁家を滅ぼした直後の話ならば、三輔はまだ馬騰韓遂ら関中軍閥がのさばってるし司隷校尉鍾ヨウも司州を完全に掌握しているとは言い難いし、厳密に言うのなら中原を制したと言えるほどではなかったのかも
徐州青州も昌稀とか曹操に反抗的な勢力を滅ぼして統治は臧覇らに丸投げしてるような状態だし
- 625 :世界@名無史さん:2018/01/05(金) 10:14:00.77 0.net
- 政治的には荊州侵攻前が、中原を制し終わったから南進を開始したんじゃないかなって思えるけど
- 626 :世界@名無史さん:2018/01/05(金) 11:00:55.74 0.net
- >>574
だよな。当時は朝鮮半島南部も倭国の領土なんだから、そこから日本列島に持ち込まれている。
- 627 :世界@名無史さん:2018/01/05(金) 11:01:22.26 0.net
- 河首平漢王:ん?
- 628 :世界@名無史さん:2018/01/08(月) 02:26:48.42 0.net
- やっぱカリスマってのが一番身につけるの難しいよな。
- 629 :世界@名無史さん:2018/01/10(水) 11:16:52.13 0.net
- >>628
劉備はもとからカリスマがあったと思うけど
中原をさまよって、さらにカリスマがついたと思う
- 630 :世界@名無史さん:2018/01/17(水) 22:10:53.43 0.net
- 公孫サンって、演義のイメージで勝手にいい人かと思ってた
正史読んだら頭おかしい人で正直ショック
- 631 :世界@名無史さん:2018/01/17(水) 23:18:38.27 0.net
- 人望のあった劉虞を殺すくらい時勢を読めてなかったらしいなそのおかげで袁紹に簡単にボコされた
演義では劉備様のお友達ってことと、作者お気に入りの趙雲の最初の飼い主ってことですげー優遇されてる
コーエー三国志だとまあまあ能力高めにされる
- 632 :世界@名無史さん:2018/01/18(木) 00:40:35.07 0.net
- あと白馬陣が少年漫画っぽくてグッとくる
- 633 :世界@名無史さん:2018/01/18(木) 09:33:09.35 0.net
- 武器をくっつけるとか格好よくない?
- 634 :世界@名無史さん:2018/01/27(土) 17:16:42.76 0.net
- 劉備絡みで演義序盤の補正入ってる人物と言えば陶謙もだよなあ
- 635 :世界@名無史さん:2018/01/28(日) 14:54:28.59 0.net
- どうなんだろ?史料を追っていくと陶謙はどうにも評価が難しい気がするんだよね
過去の経歴をみると寒門の出身ながら清廉で剛直な官僚として順当に出世しているのだけれど
徐州牧に就任して以降は子飼いの小人官吏を重用して地元の不評を買っていただの、地元の名士を僻地に左遷しただの、天子を自称する妖賊とつるんでただの、取ってつけたような悪評が並べられている
それは正当な評価なのか、徐州虐殺の後ろめたさを軽減させたい曹操さんサイドのネガキャンなのか、個人的に判断できないんだよね
同じことは公孫瓚あたりにも言えるけれど
- 636 :世界@名無史さん:2018/01/28(日) 19:30:40.01 0.net
- 陶謙って、孫策を敵視してたし張昭や呂範を獄に繋いだこともあったし、
呉側から見てもディスっていい人物じゃないかと思うんだけど、
なぜか張昭は哀悼の辞の中で陶謙を持ち上げてるという…
- 637 :世界@名無史さん:2018/01/30(火) 07:50:09.38 0.net
- 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
NSYGR
- 638 :世界@名無史さん:2018/01/31(水) 08:53:49.41 0.net
- >>635
非常に興味深い話だ
- 639 :世界@名無史さん:2018/01/31(水) 12:09:58.76 0.net
- 孫策を敵視する人物は呉の内部にも結構いるのでは
表に出すかどうかは別として
- 640 :世界@名無史さん:2018/01/31(水) 12:28:56.89 0.net
- 陶謙は孫策というより、孫策のバックの袁術を敵視してたんだろう
- 641 :世界@名無史さん:2018/02/03(土) 01:50:13.63 0.net
- 孔明って平和な世ならどんな人生を歩んだんだろうな?
普通に一族のコネで中央の官吏となり、うまくいけば
二千石ってトコか?
- 642 :世界@名無史さん:2018/02/03(土) 10:10:55.46 0.net
- 腐敗した中央にはつかえねーぜ晴耕雨読タイプだから仕えなかったんじゃないの?
という疑問が割と抜けない
- 643 :世界@名無史さん:2018/02/03(土) 14:16:42.37 0.net
- 二千石は家柄からして別にそこまで出世じゃないな。
九卿くらいまでは行けたか。
- 644 :世界@名無史さん:2018/02/03(土) 20:27:42.11 0.net
- 嫁と二人で発明に明け暮れ、後漢書の方技伝に載せてもらえるのを目標に日々励む
- 645 :世界@名無史さん:2018/02/03(土) 21:30:50.09 0.net
- 徐州のアレを経由しない孔明が
その後どういう人生を指向するのかいまいち想像できん
- 646 :世界@名無史さん:2018/02/03(土) 21:37:14.01 0.net
- >>643
父諸葛珪は泰山の郡丞、叔父諸葛玄は袁術の元で(?)豫章郡の太守、その他の親族は前漢代の諸葛豊まで遡るまで目ぼしい人材なし
瑯琊諸葛氏は簡単に孝廉や茂才で推挙される程の名族ではなかったと思う
諸葛瑾は若い頃京師に遊学に出ていたらしいから相応の教育を受けさせる蓄えはあっただろうけれど
- 647 :世界@名無史さん:2018/02/04(日) 17:42:28.60 0.net
- 茂才って学識による推挙じゃないの?
家柄関係あるの?
- 648 :世界@名無史さん:2018/02/04(日) 19:51:38.91 0.net
- >>647
むしろ家柄のほうが大事だろ
仲間内で推挙しあうんだから
- 649 :世界@名無史さん:2018/02/04(日) 20:24:28.98 0.net
- 茂才は州刺史による推挙、孝廉は郡太守による推挙、でよかったはずだよね?
これらは郷里の評判、郷論を元に選考されるから各人の実力や品行そのものよりも家柄や学問の師匠の格が重視される選考になりがちだったと聞いた
- 650 :世界@名無史さん:2018/02/04(日) 20:57:45.69 0.net
- 孔明の学問の師匠って誰?
水鏡先生じゃないよね?
- 651 :世界@名無史さん:2018/02/04(日) 21:07:07.24 0.net
- 独学じゃない?
鄭玄は190-196年ぐらいまで徐州にいた頃があったみたいだけれど
- 652 :世界@名無史さん:2018/02/05(月) 02:13:00.63 0.net
- 荊州の晴耕雨読族みたいなのってみんな相互に教え合ってるんじゃないの?議論って形かもしれないけど
司馬徽もなんかのことでは諸葛亮に教えたこととかあると思う
- 653 :世界@名無史さん:2018/02/05(月) 10:19:09.81 0.net
- 司馬徽と孔明って5才くらいしか離れてなくね?
- 654 :世界@名無史さん:2018/02/05(月) 21:35:30.37 0.net
- 孔明はあんまり経書の学に打ち込んでなかった気がする
- 655 :世界@名無史さん:2018/02/06(火) 11:47:27.29 0.net
- 風を読むんだから野タタラの関係者だよね
- 656 :世界@名無史さん:2018/02/06(火) 12:42:05.82 0.net
- 占いは独学じゃ無理だろう
占学者に習ったはず
- 657 :世界@名無史さん:2018/02/06(火) 16:40:18.05 0.net
- 正史に風を読んだ記述があるのか?
- 658 :世界@名無史さん:2018/02/06(火) 19:52:58.26 0.net
- 中国人って予定調和好きなのかな
なんか爺さんとかのエライ人が若者の今後を予言して果たしてその通りになった(美談)っての多い気がする
予見できない未来を見通したエピソードって中国式嘘松なんだなと
- 659 :世界@名無史さん:2018/02/06(火) 23:51:53.03 0.net
- 風占いは呉にいるし
- 660 :世界@名無史さん:2018/02/07(水) 01:20:51.05 0.net
- 曹操とか馬超って長子は長子でも庶長子の噂もあるみたいだけどどうなんだろう
- 661 :世界@名無史さん:2018/02/07(水) 07:13:48.17 0.net
- あざなの「孟」の字は庶長子を示すらしいな
董卓の兄貴の董擢(字は孟高)や陳留太守張邈(字は孟卓)なんかも庶長子だったのだろう
他に誰かいたっけ
- 662 :世界@名無史さん:2018/02/07(水) 07:42:11.31 0.net
- >>661
それは理念だから当てはまる人もいれば当てはまらない人もいる
- 663 :世界@名無史さん:2018/02/07(水) 08:09:10.40 0.net
- まあ嫡男、正夫人って概念自体が曖昧だからな
後付けで嫡男、正夫人に昇格、或いは嫡男、正夫人から庶子、側室に降格することもあるだろう
庶子に生まれたとされている公孫瓚も字は孟珪ではなく伯珪だ
- 664 :世界@名無史さん:2018/02/07(水) 08:26:27.15 0.net
- でも、曹操は詩文「善哉行」の中で自らの半生を、賤しい身分に生まれ孤独に苦しみ両親からの愛情に乏しく身が裂ける思いをした(意訳)と述懐しているし、はっきりと庶子の生まれと明言していないが、恵まれた少年時代を過ごしたわけではなかったのはガチっぽい
- 665 :世界@名無史さん:2018/02/07(水) 08:33:14.93 0.net
- まあ宦官の家に産まれたからだと思うけどね
- 666 :世界@名無史さん:2018/02/07(水) 12:01:48.32 0.net
- 宗家以外だと長男でも孟なんて法則があるわけでもないのかね
- 667 :世界@名無史さん:2018/02/07(水) 22:05:03.33 0.net
- 叔父さんをてんかんの振りして騙した話もあるし
曹操なんて基本的に子供のころからやりたい放題だよ
宦官の家に生まれた俺って苦労人でかわいそーってアピールしてるだけw
- 668 :世界@名無史さん:2018/02/07(水) 22:22:48.48 0.net
- あれは曹瞞伝のエピソードだろ、どれだけ信憑性があるんだろな
ところで曹操の叔父って何者なんだろうか?
- 669 :世界@名無史さん:2018/02/07(水) 22:28:57.96 0.net
- 他の正史だと
島夷 劉裕伝 とか最初から叩きが入ってるけど
あれ見るとああこれそういうもんなんだwってわかるけど
三国志や史記あたりだとあんまり感じられないのかね
- 670 :世界@名無史さん:2018/02/07(水) 23:40:05.99 0.net
- 曹洪の父?
- 671 :世界@名無史さん:2018/02/08(木) 20:31:55.76 0.net
- https://i.imgur.com/2R9oUFQ.jpg
205 名前:名無し
なんでも女性化すれば良いもんでも無いと思うな
207 名前:名無し
せやな
http://i.imgur.com/DpnTGmx.jpg
- 672 :世界@名無史さん:2018/02/09(金) 00:13:00.48 0.net
- 曹丕の息子の曹協って、劉協が皇帝やってる時には
そんなん名付けられないだろうから魏朝成立後に生まれたんだろうけど、
仮にも自身に禅譲した皇帝の名を息子に付けるって
当時のモラル的に問題なかったんやろか
- 673 :世界@名無史さん:2018/02/09(金) 17:24:21.73 0.net
- 陶謙の配下に曹宏ってのがいて(曹豹の親族だろうか?)、王允にも王宏っていう兄がいて、両方とも霊帝劉宏と諱が被っている
これが問題にされなかったのかはわからないし当時は避諱という概念がどれだけ浸透していたのかはわからない
案外皇帝に諱が被ってても不問にされていたのかも
- 674 :世界@名無史さん:2018/02/09(金) 20:33:13.91 0.net
- >>673
ふたりとも霊帝より先に生まれたんじゃね?
- 675 :世界@名無史さん:2018/02/09(金) 21:01:46.26 0.net
- >>674
でも孟達みたいに劉備の叔父とあざなが被ってるから改めたって例もあるし
案外ガバガバだったのかも
- 676 :世界@名無史さん:2018/02/09(金) 21:07:02.71 0.net
- 王朗と張昭が議論してます
- 677 :世界@名無史さん:2018/02/09(金) 21:11:07.06 0.net
- 韋曜「」
- 678 :世界@名無史さん:2018/02/10(土) 10:23:24.28 0.net
- >>675
改名が伝わってない人は、仕方がないからわかっている範囲で書いたんじゃないかな。
- 679 :世界@名無史さん:2018/02/10(土) 11:18:54.76 0.net
- 法で定めてない限りはモラルの範囲内ってことなんじゃない
戦乱の時代だからモラル破り気にしない人も出るしそれをとがめて
とばっちり食うのも割に合わないし
不遜な乱暴者はやりたい放題
- 680 :世界@名無史さん:2018/02/10(土) 16:33:27.46 0.net
- 献帝ならともかく霊帝のときに戦乱だからってのは違わないか?
即位から黄巾まで16年あるぞ
- 681 :世界@名無史さん:2018/02/10(土) 18:38:58.27 0.net
- 霊帝の時代は宦官の専横と本人のやる気のなさが下々にまで伝播してモラル崩壊
モラル崩壊の一端で諱かぶりがする者が現れたとか?
- 682 :世界@名無史さん:2018/02/11(日) 02:04:40.15 0.net
- 王允の一族がその手のモラル崩壊起こすとは思えん
- 683 :世界@名無史さん:2018/02/13(火) 22:48:09.98 0.net
- 呉壹も宣帝・司馬懿への避諱で実の名は呉懿だってのは
本当なのかどうか
- 684 :世界@名無史さん:2018/02/13(火) 23:23:26.73 0.net
- 邪馬壹国
- 685 :世界@名無史さん:2018/02/13(火) 23:58:26.34 0.net
- 司馬懿や司馬昭は三国志本文中で避諱されてる形跡があるけれど司馬師はされてないのは何故だろう
軍師将軍とか出師表とか普通に使われてるよな
- 686 :世界@名無史さん:2018/02/14(水) 19:57:28.84 0.net
- >>685
張昭とか胡昭とかも普通に使われている
- 687 :世界@名無史さん:2018/02/15(木) 05:43:10.20 0.net
- 呉壹は華陽国志では呉懿と書かれる。
張壹は後漢書では張懿と書かれる。
だからといって呉壹は呉懿が正しいとは限らない。華陽国志も後漢書の編纂者が、これは司馬懿の諱を避けたと思い込んで改めただけかもしれない。
- 688 :世界@名無史さん:2018/02/15(木) 09:33:59.75 0.net
- 呉懿とかいうよく分からんけどとにかく凄かったらしい武将
- 689 :世界@名無史さん:2018/02/15(木) 09:43:10.67 0.net
- 呉懿のつっぱりはいらんですよ
言葉の意味はよく分からんがとにかく凄い武将だ
- 690 :世界@名無史さん:2018/02/15(木) 10:52:24.60 0.net
- 呉懿は確かに謎が多い…実績もあって皇帝の外威っていう地位なのに正史に伝が無いのは妙な勘繰りを入れてしまう
伝を残すにはなにか不都合な点があったのかなあ
- 691 :世界@名無史さん:2018/02/15(木) 12:16:00.83 0.net
- ・諸葛亮に警戒されてあまり要所を任せてもらえなかった
・外戚呉氏が古参組から嫌われてた
・伝が紛失した
・陳氏との確執
・呉漢の子孫という理由で実は益州人に嫌われてた
- 692 :世界@名無史さん:2018/02/15(木) 22:58:00.08 0.net
- 「失其行事,故不為傳。」
って言ってるけどその割に季漢輔臣賛への補足ではちゃんと姓名字、本貫、来歴、魏延と共に挙げた戦功、
官位・爵位に没年まで書いてあるんだよな陳壽。
短いといや短いが蜀志なら黃忠伝や尹默伝の文字数を見ると十分伝は立てられそうに思えるんだが、後どんな事績が足りなかったのだろう。
それとも>>691みたいな別に理由があってそれの言い訳にしただけなのか。
- 693 :世界@名無史さん:2018/02/15(木) 23:14:29.12 0.net
- >>692
張コウに対しても事績がよくわからんって書いてるし根本的にあちこちの資料が足りないんでは
- 694 :世界@名無史さん:2018/02/16(金) 12:00:03.09 0.net
- 史官を置かない蜀が悪い
- 695 :世界@名無史さん:2018/02/16(金) 12:25:52.40 0.net
- 置かなかったのか孔明が置かせなかったのか
その意味でも史官の意味は大きそうだが
- 696 :世界@名無史さん:2018/02/16(金) 13:58:16.85 0.net
- 呉懿の子孫が陳寿への賄賂を怠ったんだろうな
- 697 :世界@名無史さん:2018/02/16(金) 14:37:54.92 0.net
- ポジション的に盛られているだけで
実はそれほどでもなかったとか
- 698 :世界@名無史さん:2018/02/16(金) 15:41:12.54 0.net
- >>>694>>695
後主伝に気象の記録が残ってるから史官がいなかったというのは諸葛亮時代の約10年間という可能性もあるがね
- 699 :世界@名無史さん:2018/02/16(金) 16:40:05.47 0.net
- 陳寿自身、蜀漢の東観秘書郎、史官だったんじゃなかったっけ
なんで蜀は史官を置かなかったなんて嘘ついたんだろう
- 700 :世界@名無史さん:2018/02/16(金) 16:48:16.97 0.net
- だから諸葛亮時代だけの話なんだろ
- 701 :世界@名無史さん:2018/02/17(土) 15:29:50.34 0.net
- だから孔明はなぜ史官を置かなかったのかが問題になる
- 702 :世界@名無史さん:2018/02/17(土) 16:20:24.21 0.net
- 陳寿は父親が孔明に処刑されてるし
孔明の息子に虐められていたから恨みがあるんだよ
体裁を整えるために時々は孔明を褒めてるけど
- 703 :世界@名無史さん:2018/02/17(土) 17:38:17.98 0.net
- 晋書陳寿伝によると、陳寿は蜀漢に仕え黄皓に屈しようとせずに左遷され、その後父親の喪中に婢女に丸薬を作らせていたことが不孝として失脚している
時系列に直すと、諸葛亮の死(西暦234年)→陳寿仕官(時期不明)→黄皓の専横(董允が死んだ西暦246年以降)→陳寿の左遷(時期不明)→陳寿の父親の死(時期不明)→陳寿の失脚(時期不明)ということになる
俗に言われてるような陳寿の父親が諸葛亮に処刑されたっていう説はこれで見るとまったく根拠のない出鱈目だと思う
陳寿が諸葛亮の評価に辛いのは北伐反対論者だった師匠の譙周の影響だったのでは?
- 704 :世界@名無史さん:2018/02/17(土) 18:00:15.62 0.net
- 連弩ってベルセルクのガッツが装備してるようなヤツ?
- 705 :世界@名無史さん:2018/02/17(土) 19:10:13.96 0.net
- 本当かどうかは別として
普書で陳寿の父親がされたというのは
コン刑(断髪の刑)だから別に矛盾はしない。
個人的には陳寿の評価は客観的だと思ってる。
- 706 :世界@名無史さん:2018/02/17(土) 19:19:17.83 0.net
- 晋書は「壽父為馬謖參軍」
と書くが参軍は馬謖なので
よく知らない人が書いていると判断すべき
- 707 :世界@名無史さん:2018/02/17(土) 19:28:36.02 0.net
- 参軍って何人いるの?
馬謖擁護してる人物に参軍李?がいるけど
- 708 :世界@名無史さん:2018/02/17(土) 21:01:47.44 0.net
- >>707
定員はないよ
- 709 :世界@名無史さん:2018/02/17(土) 22:47:53.71 0.net
- 陳壽が最初に就いたのは衛將軍主簿らしいけど
この衛將軍とは姜維(247〜256)なのか
それとも諸葛瞻(261〜263)なのか
はたまた記録に残ってない第三の人物なのか。
- 710 :世界@名無史さん:2018/02/18(日) 00:35:48.53 0.net
- 陳寿の諸葛亮評は辛いか?
妥当だろう
- 711 :世界@名無史さん:2018/02/18(日) 20:03:38.10 0.net
- なみの諸葛亮ファンじゃ、晋全盛期に『諸葛亮集』とか出せないし
宣帝・司馬懿さまに「天下の奇才」と言わせられないよ
- 712 :世界@名無史さん:2018/02/19(月) 17:29:33.35 0.net
- 関羽のフィグマ買う?
- 713 :世界@名無史さん:2018/02/19(月) 23:50:29.45 0.net
- >>710
全面礼賛以外は全て誹謗にするのが孔明信者
南宋の朱子なんか悪いのは全部劉備のせいに
- 714 :世界@名無史さん:2018/02/23(金) 11:37:02.92 0.net
- >>712
もう持ってるから買わない
- 715 :世界@名無史さん:2018/02/25(日) 14:54:52.06 0.net
- 三国志群雄録
正史三國志群雄銘銘傳
コレって両方共坂口和澄著だけど
内容的には似通ってるの?
- 716 :世界@名無史さん:2018/03/05(月) 22:07:56.15 0.net
- 劉備と高誘が仲良かったっていう話ってどっかにのってる?
- 717 :世界@名無史さん:2018/03/06(火) 07:23:59.48 0.net
- >>715
正史三國志群雄銘銘傳こっちだけでよい
もう一個のはこの中から抜粋してるようなもん
- 718 :世界@名無史さん:2018/03/08(木) 14:43:14.42 0.net
- 渡邉義浩の名士論って一般的な考えかたなの?
- 719 :世界@名無史さん:2018/03/22(木) 21:44:27.68 0.net
- >>718
井ノ口哲也氏の書評,津田資久氏の書評,村田哲也氏の論文(書評が主)を読めば,
渡邉氏の学術的態度に対する周囲の評価が見えてくると思います。
- 720 :世界@名無史さん:2018/03/24(土) 05:42:51.74 0.net
- 渡邉義浩氏って中国大河ドラマのThree Kingdomsやレッドクリフの日本語訳をやっていたんだよな
- 721 :世界@名無史さん:2018/03/24(土) 07:24:46.20 0.net
- レッドクリフは監修だな
訳してたのはいつものおばさん
レッドクリフの副音声で渡邉が解説してたけど
めっちゃ面白かった
この人の授業受けてみたと思った
- 722 :世界@名無史さん:2018/03/28(水) 07:28:05.90 0.net
- 坂口和澄
渡辺精一
渡邉義浩
資料本はここらの漁ってたら十分?
- 723 :世界@名無史さん:2018/03/28(水) 10:22:28.46 0.net
- 来ましたね
三国志 曹操(そうそう)の遺骨と断定
https://hongkong-bs.com/topics/20180327/
- 724 :世界@名無史さん:2018/03/28(水) 10:26:08.73 0.net
- 劉夫人も報われた
- 725 :世界@名無史さん:2018/03/28(水) 11:52:14.69 0.net
- なんかさ、曹操の子孫のDNAサンプルを調査する研究ってあったじゃない?
そっちの方と照合したり裏取りは取れてるのかなぁ?
- 726 :世界@名無史さん:2018/03/28(水) 13:39:14.61 0.net
- 裏取りといっても遺骨の方じゃなくて
子孫の方の検証になりそう
- 727 :世界@名無史さん:2018/03/28(水) 15:35:48.40 0.net
- 結局夏侯氏と曹氏の関係は何なんだろうな
- 728 :世界@名無史さん:2018/03/28(水) 15:54:52.33 0.net
- 曹操の父、夏侯氏からの養子説の出典は曹瞞伝や魏晋世語だし史料的評価の低いゴシップもどきだから無視してもいいんじゃね?
そうなると何故曹操が夏侯惇を常に武官筆頭格として厚遇し続けたのかがわからなくなるが
- 729 :世界@名無史さん:2018/03/28(水) 22:42:32.59 0.net
- >>723
曹操の墓に盗掘された形跡、その理由はー
中国メディア
https://news.biglobe.ne.jp/international/0328/rec_180328_5306771558.html
- 730 :世界@名無史さん:2018/03/28(水) 22:59:02.52 0.net
- 因みに
曹操の墓は「西高穴2号墓」と呼ばれ
遺体の無い「西高穴1号墓」は張繍の戦争で亡くなってしまい、最後まで死体が発見出来なかった
曹昂の墓ではないのか
と推測されています
http://m.51.ca/info/news/china/2018-03/633393.html
- 731 :世界@名無史さん:2018/03/28(水) 23:28:33.05 0.net
- 衣冠墓だっていう話だよね
典韋の墓はまだ残ってるんだろうか
- 732 :世界@名無史さん:2018/03/29(木) 01:03:31.23 0.net
- >>728
曹家夏侯家卞家が通婚を重ね合った連合組織だったからでは
曹操の旗揚げ時の夏侯家の首魁が惇だったと
後に気に入っていた淵の優遇が始まるけど
- 733 :世界@名無史さん:2018/03/29(木) 12:58:36.07 0.net
- なんか報道がおかしい事になってるな
- 734 :世界@名無史さん:2018/03/29(木) 23:05:51.50 0.net
- 墓の上に立ってた建物って、やっぱり関羽に降伏した于禁の絵があったんかなぁ
- 735 :世界@名無史さん:2018/04/01(日) 07:09:39.28 0.net
- http://www.youtube.com/watch?v=C5a5ZomA4CY
- 736 :世界@名無史さん:2018/04/07(土) 13:37:27.97 0.net
- >>718
発想の原型は程cの故事にある「民の望」を集めうる人間という事なんだろうな
- 737 :世界@名無史さん:2018/04/10(火) 23:22:30.02 0.net
- こんなところで言うのも何だが、曹操の声を野沢雅子にする
日経って頭おかしいのか?
- 738 :世界@名無史さん:2018/04/10(火) 23:52:32.25 0.net
- おかしいから日経なんですよ
- 739 :世界@名無史さん:2018/04/15(日) 11:38:15.48 0.net
- 趙雲には老将のイメージがある
- 740 :世界@名無史さん:2018/04/15(日) 13:45:48.15 0.net
- 趙雲にはペヤングのイメージがある
- 741 :世界@名無史さん:2018/04/15(日) 17:59:02.61 0.net
- 趙雲はドカベンのイメージがある
- 742 :世界@名無史さん:2018/04/15(日) 18:08:49.56 0.net
- 趙雲はスズメ蜂のイメージがある
- 743 :世界@名無史さん:2018/04/16(月) 14:07:58.84 0.net
- 趙雲=イケメン路線を始めたのって誰?
- 744 :世界@名無史さん:2018/04/16(月) 15:11:25.21 0.net
- 羅漢中
- 745 :世界@名無史さん:2018/04/16(月) 17:33:27.07 0.net
- 趙雲は老将のイメージだよね
- 746 :世界@名無史さん:2018/04/16(月) 21:40:16.03 0.net
- 光栄のSLGでバランス型は美形とか言われてた
- 747 :世界@名無史さん:2018/04/16(月) 21:43:29.57 0.net
- 逆じゃないのか
趙雲なんかは人気あるからって知力や政治も高めに設定されてるし
- 748 :世界@名無史さん:2018/04/16(月) 21:57:14.73 0.net
- 趙雲より黄忠・廖化が老将のイメージだな
- 749 :世界@名無史さん:2018/04/16(月) 22:19:16.92 0.net
- 司馬懿なんかも老将のイメージあるな
- 750 :世界@名無史さん:2018/04/16(月) 22:20:31.02 0.net
- 厳顔も爺
- 751 :世界@名無史さん:2018/04/16(月) 22:27:31.33 0.net
- 意外と老兵のイメージがない張任
- 752 :世界@名無史さん:2018/04/16(月) 23:40:14.90 0.net
- >>748‐750
そのへん、みんな演義の影響ってんだから凄い
- 753 :世界@名無史さん:2018/04/17(火) 00:03:45.15 0.net
- 司馬懿の老けイメージはボケた芝居のせいだろ
- 754 :世界@名無史さん:2018/04/17(火) 06:57:02.23 0.net
- 趙雲って字面からして爺くさい
- 755 :世界@名無史さん:2018/04/17(火) 07:13:35.38 0.net
- 趙雲それは君が見た光
- 756 :世界@名無史さん:2018/04/17(火) 08:10:07.04 0.net
- 僕が見た希望
趙雲 それはふれあいの心 幸せの趙い雲
趙雲
- 757 :世界@名無史さん:2018/04/17(火) 08:19:42.06 0.net
- 怒ったり恥じたりしてすぐ死ぬやつ多すぎだろ
なんて病気何コレ
- 758 :世界@名無史さん:2018/04/17(火) 09:50:17.44 0.net
- おこり(瘧)
- 759 :世界@名無史さん:2018/04/17(火) 13:10:35.80 0.net
- やたら怒って自殺する奴らが近隣にいるじゃないか
- 760 :世界@名無史さん:2018/04/19(木) 00:55:27.20 0.net
- >>757
ただの脳溢血
- 761 :世界@名無史さん:2018/04/19(木) 07:36:56.44 0.net
- 悲しみのあまり数日後に死んだ
- 762 :世界@名無史さん:2018/04/20(金) 13:49:37.08 0.net
- 曹操の墓が見つかって
本当の身長って割り出せないのかね〜
史実じゃ低かったみたいだけど
- 763 :世界@名無史さん:2018/04/20(金) 16:25:31.53 0.net
- その辺のことは「曹操墓の真相」って本に詳しく書いてあったはず
- 764 :世界@名無史さん:2018/04/21(土) 22:11:59.89 0.net
- 曹操クローンを作っても現代の食糧事情だと
すっかり大きく育ってしまいそう。
- 765 :世界@名無史さん:2018/04/21(土) 23:24:43.31 0.net
- 三国時代言うても親が官位を金で買えるくらい裕福なんだから、食糧事情はいいほうじゃないの?
- 766 :世界@名無史さん:2018/04/22(日) 00:29:51.98 0.net
- 程イクとか孔明とか無駄にでかいからな。
- 767 :世界@名無史さん:2018/04/22(日) 00:56:35.48 0.net
- 少年期から青年期にかけて父親と死に別れたり故郷が曹操に荒らされたり叔父に従って揚州の僻地まで行って叔父まで殺されたり荊州まで逃げ延びたり満足に食えない時期が多かっただろうに
諸葛亮もよく大きく育ったものだ
- 768 :世界@名無史さん:2018/04/22(日) 01:06:52.15 0.net
- 程イクは何を混ぜて食ってたのかを聞いてはいけない
- 769 :世界@名無史さん:2018/04/22(日) 07:14:40.64 0.net
- 司馬懿の爺さんの司馬儁も縦横にでかかったらしいね
- 770 :世界@名無史さん:2018/04/22(日) 12:23:52.94 0.net
- でかいと言えば許?
- 771 :世界@名無史さん:2018/04/22(日) 12:43:27.95 0.net
- 満寵や司馬懿の家は体がでかい家系だったっぽいね
- 772 :世界@名無史さん:2018/04/22(日) 13:25:11.69 0.net
- 司馬朗は童子郎(天才少年枠?)で官界入りしたけどデカいせいで年齢詐称を疑われたんだとか
- 773 :世界@名無史さん:2018/04/22(日) 17:17:55.27 0.net
- 低身長がモテる時代など存在しないのだな
- 774 :世界@名無史さん:2018/04/22(日) 19:43:46.34 0.net
- 手のひらに乗るほど小さな女性がモテた時代はあったかと
- 775 :世界@名無史さん:2018/04/22(日) 19:56:24.26 0.net
- 袁紹は身長が婦人なみだけど威厳がある立派な風貌
- 776 :世界@名無史さん:2018/04/23(月) 12:00:55.78 0.net
- >>773
それはそれで需要がある
だが一番重要なのは結局顔
- 777 :世界@名無史さん:2018/04/24(火) 07:41:04.97 0.net
- 阪神以外打ってないと言われてるけど
他でもきちんと長打でてるんだよな岡本
対東亰 11-3 二塁打2
対横浜 18-4 二塁打3
対広島 *9-2 二塁打1 本塁打1
対中日 12-3 二塁打1
計 50-12 二塁打7 本塁打1
- 778 :世界@名無史さん:2018/04/30(月) 02:08:06.50 0.net
- >>767
まるであっちこっち放浪したみたいな書き方だけど
袁術系政治家の子弟として管理しやすい場所を移動しただけで困窮しちゃいないだろう
姉や弟もぴんぴんしてんだし
- 779 :世界@名無史さん:2018/05/06(日) 15:08:01.77 0.net
- 三国志が面白いのは赤壁まで
- 780 :世界@名無史さん:2018/05/06(日) 19:23:37.02 0.net
- 俺は諸葛亮没後の234年以降も好きなんだが
- 781 :世界@名無史さん:2018/05/06(日) 19:46:27.30 0.net
- 合肥と定軍山も面白いぞ
- 782 :世界@名無史さん:2018/05/06(日) 22:46:51.58 0.net
- >>780
同意。あの各陣営、人材不足のなかで奮闘する様は泣ける。
- 783 :世界@名無史さん:2018/05/06(日) 22:47:19.22 0.net
- >>779
まだまだけつが青いな。
- 784 :世界@名無史さん:2018/05/06(日) 23:17:17.62 0.net
- 孫亮全夫人,全尚女也。
注)呉録曰:亮妻惠解有容色,居候官,呉平乃歸,永寧中卒。
↑これの「惠解」の訳なんだけど、ちくまでは「頭がよく」としてるんだけど、名前が「惠解」とは取れないのかな
- 785 :世界@名無史さん:2018/05/06(日) 23:57:42.19 0.net
- >>784
wikipediaの全皇后の項目の脚注にその事について書いてあるな
諱ともとれるし形容詞ともとれる
どっちが正しいのかわからん
- 786 :世界@名無史さん:2018/05/07(月) 00:31:18.23 0.net
- 居候してたんかと思った
- 787 :世界@名無史さん:2018/05/07(月) 00:42:51.96 0.net
- 三国志末期の祭りの後みたいな雰囲気好き、まあほとんど演義なんだけどさ
人材も国力も無い中で姜維や陸遜、陸抗などの末期の名将が奮闘するのは割と涙出る
大坂の陣の豊臣方武将みたいな感じ
- 788 :世界@名無史さん:2018/05/07(月) 01:14:26.81 0.net
- 俺も序盤の群雄割拠が好きだわ
ゲームでも中原制圧した辺りでつまらなくなってきてもう一度やり直す
- 789 :世界@名無史さん:2018/05/07(月) 20:45:47.39 0.net
- それぞれに面白いイベントあって晋の統一までずっと好きなんだがなぁ
- 790 :世界@名無史さん:2018/05/07(月) 20:46:58.74 0.net
- あと晋の統一からも八王からの数百年の大乱コンボが待ってるし
俺の大好きな遊牧民の時代とか一杯あるし
大陸史は大体面白い説
- 791 :世界@名無史さん:2018/05/08(火) 02:12:50.31 0.net
- 唐突だけど曹操の祖父曹騰の弟(兄?)で河間国相の時に汚職で摘発されたという曹鼎と、曹洪の伯父で尚書令の曹鼎と、曹休の祖父で呉郡太守の曹鼎、これらの人は同一人物なのでしょうか?
仮に別人だとしたら遺伝子鑑定の結果、曹操の子孫とDNAが一致したという曹鼎はどの人なんでしょうか?
- 792 :世界@名無史さん:2018/05/08(火) 23:48:02.35 0.net
- >>784
確かに名前とも思える、面白いね
しかし1800年も経つと固有名詞なのかただの文章なのかよく分からなくなるのが悲しい。
>>791
石井先生の著書だと同一人物になってるんだっけ?
でも
「曹操の祖父の兄弟」「曹洪の伯父」「曹休の祖父」
って世代がずれてないか?という気が……。
荀ケ荀攸のように兄弟が沢山いれば年齢差は無くなるって気もして結局何とも言えないけど。
- 793 :世界@名無史さん:2018/05/09(水) 02:03:45.31 0.net
- 曹休が避難先の呉郡太守の祖父の絵を見て泣いたというだけで名前不詳じゃね
曹休が曹騰の兄弟の孫なら同世代の曹操からすると族子扱いではなく従弟か族弟ぐらいでは
一方で曹操と曹鼎と遺伝子が一致という部分を考えるなら
曹嵩の父が曹鼎で兄弟の曹騰の養子となったというシンプルな話なのでは
- 794 :世界@名無史さん:2018/05/09(水) 22:25:40.89 0.net
- >>785
wikiの形容詞の用例は割と納得できるし、
よくよく考えてみれば二字名って珍しい部類なんだから名前じゃない可能性の方が高そうに思う。
- 795 :世界@名無史さん:2018/05/09(水) 23:06:22.59 0.net
- まあ孫魯班とか孫魯育とか歩練師とか張春華とか王元姫とか賈南風などの例を見ると少なくとも三国時代後期には女性の諱には二名の禁が適用されてないように思えるんだな
歩練師以降の例は諱なのか字なのかはっきりわかんないけど孫魯班、孫魯育には大虎、小虎って字が別にあることはわかってるし
- 796 :世界@名無史さん:2018/05/09(水) 23:40:56.93 0.net
- 娘の字に大虎小虎って、孫権何も考えてないだろw
- 797 :世界@名無史さん:2018/05/10(木) 01:53:13.09 0.net
- 後漢末は鄭玄のように飛ばしている人間だと孫に二字つけだすしなあ
- 798 :世界@名無史さん:2018/05/10(木) 12:50:10.08 0.net
- お前は虎、虎になるんだ
- 799 :世界@名無史さん:2018/05/10(木) 20:01:40.01 0.net
- 陸鬱生
- 800 :世界@名無史さん:2018/05/10(木) 21:23:39.72 0.net
- 呉の女性ばっかりね
- 801 :世界@名無史さん:2018/05/10(木) 21:34:26.55 0.net
- 呉はなんか女性の発言力が強いよね
徐棍の母親(孫堅妹)とか「船が足りないのなら葦で筏を作ればいいじゃない」って戦にまで口出ししてるし
- 802 :世界@名無史さん:2018/05/10(木) 21:45:29.74 0.net
- そーゆー話を家庭内でする旦那のほうが厄介であるな
- 803 :世界@名無史さん:2018/05/10(木) 22:17:38.60 0.net
- 孫策「有益な口出しはウェルカムです」
- 804 :世界@名無史さん:2018/05/11(金) 16:25:18.06 0.net
- >>800
早くから漢の徳が失われていたということさ
- 805 :世界@名無史さん:2018/05/12(土) 23:05:26.44 0.net
- >>781
定軍山となれば当然に法正
劉備と孔明の関係の一筋縄でのいかなさの意味でも
- 806 :世界@名無史さん:2018/05/13(日) 00:40:14.96 ID:HE1MdcLwc
- 法正とかいう過大評価
少ない業績のなかで失敗が少ないだけ
- 807 :世界@名無史さん:2018/05/13(日) 11:29:53.67 0.net
- 定軍山の一番の功績は誰?
黄権?法正?黄忠?
- 808 :世界@名無史さん:2018/05/13(日) 14:21:14.22 0.net
- 戦後、漢中太守に抜擢された魏延なんじゃね?
具体的にどんな戦功があったのかわからないけどさ
- 809 :世界@名無史さん:2018/05/13(日) 14:43:51.58 ID:HE1MdcLwc
- 魏延って定軍山で参戦したっけ
素直に史書を読むと黄権なんじゃね?
- 810 :世界@名無史さん:2018/05/13(日) 17:41:55.86 0.net
- >>807
普通に劉備では
劉備が張コウをボコって夏侯淵が予備を救援に差し向けたところで
黄忠の襲撃が成功したんだから
- 811 :世界@名無史さん:2018/05/13(日) 19:20:52.90 ID:HE1MdcLwc
- 論功行賞して誰が一番かってこときいてるんじゃないの?
- 812 :世界@名無史さん:2018/05/14(月) 21:19:02.64 0.net
- 孔明「法考直が健在だったなら、よく主上を抑えて東征せずに済ませたであろうし、 たとえ東征しても、きっと危険を避けえたであろうに」
- 813 :世界@名無史さん:2018/05/24(木) 23:21:47.57 0.net
- 定軍山って何でそんな名前なの?
- 814 :世界@名無史さん:2018/05/25(金) 00:03:03.23 0.net
- 兵糧基地にしてたから
- 815 :世界@名無史さん:2018/05/25(金) 00:13:16.71 0.net
- >>774
ないない
何故なら中国では女も体が大きいければ大きいほど徳が高く立派だとされるから
何皇后もわざわざ正史に身長が高かったことが記されているのもそのため
- 816 :世界@名無史さん:2018/05/25(金) 11:19:40.37 0.net
- 今だっておっぱいが大きくてセクシーな女性が人気ということになっているが
一方で貧乳童顔スレンダーの子どもっぽい女を好む人もいるわけで
んで後者の趣味はあまりおおっぴらにできない
- 817 :世界@名無史さん:2018/05/25(金) 12:45:10.21 0.net
- 渡辺直美をセクシーと感じる人もいるみたいだからな
- 818 :世界@名無史さん:2018/05/26(土) 17:31:21.30 0.net
- >>774はモスラとかダンバインの話かと思った
- 819 :世界@名無史さん:2018/05/27(日) 00:58:27.36 0.net
- 外来の蜀漢政権ってのは要するに台湾の中華民国みたいなもんか
- 820 :世界@名無史さん:2018/06/01(金) 17:28:52.43 0.net
- クンニがしたいです
- 821 :世界@名無史さん:2018/06/03(日) 15:50:47.23 0.net
- てst
- 822 :世界@名無史さん:2018/06/09(土) 13:56:25.26 0.net
- 蜀正統論をもってしても正当化し切れない入蜀時の騙まし討ち
南宋の朱子があれは劉備のせいで孔明の意思ではないとしたが単なる贔屓というだけでなく君主と士大夫は本質的に対等という意識も伺えそうで興味深い
少なくとも家臣は主君の泥を被るべきという意識は見えない
- 823 :世界@名無史さん:2018/06/09(土) 14:38:02.64 0.net
- 物の見方はいろいろあるから正統論云々について深く踏み込むのもなんだけど、そもそもを云うならば劉焉は朝廷に任命された益州牧にすぎず、巴蜀は江夏劉氏の封土ではなく、劉璋が益州牧を世襲する正統性自体が無いんじゃないの?
それを踏まえると劉備の入蜀は、益州別駕張松ら益州豪族が法正、孟達ら扶風人士と組んで仕掛けたクーデターであり、劉備は「たまたま」盟主として担ぎ上げられた御輿に過ぎないとも言えなくもない
- 824 :世界@名無史さん:2018/06/10(日) 00:12:49.72 0.net
- その三人がその後にどうなっていったかも面白いんだよな
とにかく劉焉親子の政権は現地の支持が強く劉備でも平定に二年を費やしてるし
- 825 :世界@名無史さん:2018/06/10(日) 00:33:51.07 0.net
- そういや劉備にしろ劉焉親子も
白帝城にあった公孫述由来のもの破壊しなかったのって
公孫述に人気があったからかな
破壊されたの明代だったし
李雄が劉玄尊重したのと同じ感覚かな
- 826 :世界@名無史さん:2018/06/10(日) 01:09:40.41 0.net
- ばかにするなよ
台湾は製造業ででかい方よをリードしていた時期があるだろ
- 827 :世界@名無史さん:2018/06/10(日) 12:22:23.45 0.net
- はっきりいって荊州失陥後の蜀漢は中原への道も塞がれ益州での政権を維持するだけで精一杯の状況だったんだよな
だから南征だけでなく北伐ですらもいわばその負担を減らすための資源獲得と政治的パフォーマンスに過ぎなかった
- 828 :世界@名無史さん:2018/06/12(火) 03:03:23.14 0.net
- >>824
お前、劉二牧伝読めよ・・・
益州どんだけ荒れてると思ってんだよ
支持なんか全然強くねぇし、平定に時間掛かるのって
劉焉、劉璋の統治云々と関係なく、その後の諸葛亮時代見てもわかるように
現地勢力がそもそも従わない+強いんだよ
>>825
人気より何より余力もないのに破壊する意味あるか?
しかも後漢末に破壊しなきゃ!ってなるようだったらそもそも後漢初期〜盛期にやっとるだろ
あんまアホなこと言うなよ
- 829 :世界@名無史さん:2018/06/12(火) 18:44:29.69 0.net
- でも面白いこじつけじゃん
諸葛亮が北伐の際に子午道を使わなかったのは王莽が整備した道だから、みたいな
- 830 :世界@名無史さん:2018/06/12(火) 20:34:12.01 0.net
- いやそれなら王莽云々って発言残るでしょ
- 831 :世界@名無史さん:2018/06/12(火) 20:40:02.26 0.net
- おー
- 832 :世界@名無史さん:2018/06/12(火) 20:41:25.68 0.net
- Oh もう・・・王・・・もう・・・王莽・・・
- 833 :世界@名無史さん:2018/06/12(火) 20:49:26.14 0.net
- 誰が何を言ったかって史書の中でも特に信憑性が怪しい部分じゃね?
- 834 :世界@名無史さん:2018/06/13(水) 04:04:47.80 0.net
- >>833
そうでもない
上奏文、勅書なんかは公式文書の引き写しだと考えられるし
- 835 :世界@名無史さん:2018/06/16(土) 23:32:25.55 0.net
- >>828
劉焉親子の基盤はこちらも外来の東州兵だったんだよな
要するに地元にしてみれば所詮は外省人同士の戦いに過ぎない
それも含めて孔明が如何に地元豪族を支持を苦労して取り付けていったのかも重要なわけだが
- 836 :世界@名無史さん:2018/06/17(日) 05:11:21.71 0.net
- 外省人の意味わかってる?
- 837 :世界@名無史さん:2018/06/17(日) 09:23:05.91 0.net
- じゃあ外州人とでもするか
とにかく後の台湾でも蒋介石が漢賊不両立を唱えていたし
大陸反攻と漢室光復も似たスローガン
もっとも入蜀がすんなりいかなかったため龐統を失い荊州の本軍の多くを呼び寄せねばならずそれが後の荊州失陥にまでつながるわけだが
- 838 :世界@名無史さん:2018/06/18(月) 12:58:23.45 0.net
- ホウ統生前から荊州軍呼び寄せしてるから時系列おかしいぞ
劉循率いる劉璋軍主力を劉備が1年抑え込んでる間に
益州に入り込んだ張飛ら率いる別動隊が各地を制圧してったんだから
「すんなり行かなかった」ってどうかと思うよ
むしろ1年で一州を完全にもぎ取ってるのは三国時代では結構早い方
- 839 :世界@名無史さん:2018/06/18(月) 16:58:29.26 0.net
- 演義では龐統を失った後に増援を呼んだ事になってるからその辺りの違いが面白い
そもそも最初から増援を呼ぶ計画があったのかどうかも含めて
いずれにしてもその結果として荊州方面の戦力が大きく減ったのに違いはない
- 840 :世界@名無史さん:2018/06/21(木) 02:49:53.96 0.net
- 劉循対策はしなきゃいけないだろうし
予定内の第二陣という気がしないでもないな
- 841 :世界@名無史さん:2018/06/23(土) 10:17:10.46 0.net
- 劉備の入蜀って蜀漢側の資料を見ると降伏者が相次いで出てすんなりいけたように思えるけど、同じ時期に漢中に偵察?に行った呂岱が劉備軍の敗退を予想していたり、同じ時期に魏国領内に劉備が死んだって誤情報が流れていたり、侵攻当初は相当苦戦していた様子も伺える
- 842 :世界@名無史さん:2018/06/23(土) 11:38:38.86 0.net
- 増援の派遣は益州の早期平定に役立ったろうがそれまでの本拠である西南荊州の防衛という観点としてはどうだったんだろうな
成都陥落後にはいくらかでも戻せたのか否か
その後の関羽の北進攻も絡めていろいろと気になる
- 843 :世界@名無史さん:2018/06/23(土) 15:16:11.34 0.net
- >>842
だから孟達が西から荊州を支えられるように宜都郡入りしてる
- 844 :世界@名無史さん:2018/06/24(日) 13:01:20.63 0.net
- たったそれだけ?
後の事を考えればまさに色々な意味で運命の人事だったわけだがどうして新参の孟達でなければならなかったかも気になる
- 845 :世界@名無史さん:2018/06/24(日) 13:16:19.31 0.net
- 現にホウトウが死んだり、張任殺したりしてる時点ですんなりとは行ってないよな
- 846 :世界@名無史さん:2018/06/24(日) 13:46:37.86 0.net
- 横山光輝なんか張任の忠義を最大級に描いているよな
- 847 :世界@名無史さん:2018/06/24(日) 15:14:31.29 0.net
- >>844
人事見たら劉備が他にバックアップ用意してたのわかるようになってんだから
さすがにちょっと調べてから書き込もうか
無知なのはしょうがないにしても回答に対して「たったそれだけ?」とかいくら何でも失礼だよ
- 848 :世界@名無史さん:2018/06/24(日) 15:49:57.46 0.net
- 呉は呂岱のときも丁奉とのときも悉く蜀介入に失敗してんな
- 849 :世界@名無史さん:2018/06/24(日) 20:25:44.51 0.net
- 卓膺「」
- 850 :世界@名無史さん:2018/06/24(日) 20:35:05.25 0.net
- >>849
特に事績のない奴は黙ってて
- 851 :世界@名無史さん:2018/06/24(日) 23:20:08.58 0.net
- >>847
孟達のサボタージュで機能しなくなるバックアップなんてその程度でしかなかったってことだろ
それ以上一体何を知る必要がある?
- 852 :世界@名無史さん:2018/06/24(日) 23:59:54.05 0.net
- >>851
孟達って関羽の動きに呼応して宜都から長躯して房陵、上庸を見事確保して
荊北西部方面から関羽に掛かる圧力を止めるサポートしてますけど……
- 853 :世界@名無史さん:2018/06/28(木) 00:45:20.52 0.net
- 片山晋呉は親が三国志好きみたいだな・・・
- 854 :世界@名無史さん:2018/07/01(日) 13:34:48.61 0.net
- >>852
そして最後の最後に見殺し
- 855 :世界@名無史さん:2018/07/01(日) 13:36:41.92 0.net
- 関羽が進みすぎなんだよ
- 856 :世界@名無史さん:2018/07/01(日) 13:59:04.32 0.net
- 【脱バカウヨ】 脱ポチ、脱ヒバク、脱アホノミクス、脱レイプもみ消し、マ人トレーヤへと繋げていこう
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1530412077/l50
- 857 :世界@名無史さん:2018/07/01(日) 14:45:23.61 0.net
- >>854
寧ろ動いてたら荊州どころか蜀も危なかったんだよなぁ
- 858 :世界@名無史さん:2018/07/01(日) 14:49:22.89 0.net
- 関羽完全に頭おかしい
- 859 :世界@名無史さん:2018/07/01(日) 20:07:07.61 0.net
- 陸遜が仮病で任地を離れた呂蒙の後任として陸口の督となったのが、関羽が于禁を捕えた建安二十四年八月以降
そこから三ヶ月あまりで呉は公安、南郡を陥して宜都郡を陥したのが十一月
更に房陵、南郷を降伏させその月のうちに麦城で関羽を捕えている
関羽の首が曹操に届けられたのが十二月
呉の荊州攻略が迅速すぎて孟達には上庸を堅守する以上のことは出来なかったはずだ
むしろ孟達を逆恨みする劉備の方がおかしいと思うのは俺だけだろうか
- 860 :世界@名無史さん:2018/07/01(日) 22:16:15.99 0.net
- 身近な人間が殺されたら判断もおかしくなるのは道理だと思う
- 861 :世界@名無史さん:2018/07/02(月) 12:04:08.20 0.net
- >>859を読んで呂蒙の軍略の才と実行力半端ないと思いました。
- 862 :世界@名無史さん:2018/07/02(月) 12:43:03.96 0.net
- 蒼天航路で鼻血バカみたいに描かれていたのが納得いかない
- 863 :世界@名無史さん:2018/07/03(火) 07:37:37.84 0.net
- 見事な電撃戦なのとそれを許す防衛力の低下ぶりが際立つね
- 864 :世界@名無史さん:2018/07/03(火) 12:53:33.74 0.net
- 呉書呉主伝によるとこの歳の荊州では疫病が蔓延していたらしく、孫権は荊州を獲った後にすぐに租税の免除を宣言している
呂蒙が孫権に医術の心得がある虞翻を戦に参軍させることを願い出たのも、呂蒙が南郡を獲った後に疾病者に医薬を給付したのもそれを踏まえた処置だったのだろう
麋芳、士仁らがほとんど抵抗することなく呉に降ったのも、もしかしたら疫病の影響で兵たちが満足に戦える状態でなかったのかもしれない
- 865 :世界@名無史さん:2018/07/04(水) 04:43:08.87 0.net
- ということは呂蒙はひょっとして南郡で罹患したのが死因か
- 866 :世界@名無史さん:2018/07/04(水) 12:23:59.79 0.net
- ありえるー
- 867 :世界@名無史さん:2018/07/04(水) 19:04:17.99 0.net
- 安倍を三国志の人物に例えると誰?
- 868 :世界@名無史さん:2018/07/04(水) 22:23:01.53 0.net
- 曹萌
- 869 :世界@名無史さん:2018/07/12(木) 09:52:59.23 0.net
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- 870 :世界@名無史さん:2018/07/16(月) 21:54:16.80 0.net
- 劉邦と劉備ってどっちが優秀なの?
- 871 :世界@名無史さん:2018/07/16(月) 22:08:45.12 0.net
- 劉秀
- 872 :世界@名無史さん:2018/07/17(火) 00:29:21.04 0.net
- 劉邦なら法正がいなくても孔明で止められたかもな
- 873 :世界@名無史さん:2018/07/17(火) 01:42:02.67 0.net
- 蕭何「張良どのが引退されてなかったら主上の匈奴討伐を止めてくださっただろう、或いは討伐は止められなかったとしても冒頓単于に敗れることはなかっただろうに…」
- 874 :世界@名無史さん:2018/07/17(火) 09:01:19.69 0.net
- 冒頓戦はともかく荊州回復はあそこで動かないと不可能だし
劉備の信用を得られず良策のない諸葛亮が駄目なだけだろう
- 875 :世界@名無史さん:2018/07/17(火) 09:54:09.67 0.net
- 潘濬があの後も蜀にいたら何処まで出世出来たんだろうか?それとも干されて閑職に押し込められて終わりだろうか?
どちらにせよ劉備が生きてる内(呉と和解するまで)は風当たりが強いだろうが
- 876 :世界@名無史さん:2018/07/17(火) 11:48:12.39 0.net
- >>875
潘シュンが荊州治中従事だった時点で義兄の蒋琬は什県令、潘シュンの方が出世コースにいたように思える
蒋琬が諸葛亮に気に入られて異例の抜擢を受けたのを考慮しても同じとはいかなくても近いくらいの出世ができたのでは?
- 877 :世界@名無史さん:2018/07/17(火) 12:51:48.75 0.net
- 潘濬みたいな有能かつ節度のある幕僚がいたら諸葛亮の寿命がもう少し延びたかも
どちらにせよ蜀の文官は性格になんがあるやつ多いな
- 878 :世界@名無史さん:2018/07/17(火) 13:29:07.43 0.net
- 呂壱絶対殺すマンさんは有能かつ清廉の士だけど節度のあるというにはちと過激な性格をしているわ
その清廉さが酒色を好む劉禅とぶつからないとは限らない
- 879 :世界@名無史さん:2018/07/17(火) 18:32:49.99 0.net
- >>877
諸葛亮が劉備死後に政権の中心を獲得したとするなら
?義がもう一人できるだけじゃないかね
- 880 :世界@名無史さん:2018/07/17(火) 21:14:20.28 0.net
- 呉懿って何者だったのかな
・劉備の外戚
・魏延と並んで推される優れた武将
・尚且つ、「非常に剛毅な人物であり、博愛の心を持っていた。」と人望も申し分ない。
ホントに記実が焼け落ちたんですかねえ
- 881 :世界@名無史さん:2018/07/18(水) 09:50:41.41 0.net
- 後継に列伝を立てるほどじゃなかったけどしっかり出世した族弟の呉班がいるから
実際は呉匡没後に呉一族の代表になっただけでの人で、特に事績がなかっただけなんじゃないかな
書くことないのでふわっとした美辞麗句とかー伝焼け落ちたわーで誤魔化しただけで
- 882 :世界@名無史さん:2018/07/18(水) 12:23:59.00 0.net
- 呉懿の妹の呉氏が劉備に嫁いだ経緯もよくわからんよな
劉備本人が同族である劉璋の兄の未亡人を娶るのは礼教に反するとしてこの縁談に乗り気ではなかったのに、法正が晋の文公が甥の未亡人を娶った例もあると強引に説得してこの縁談をまとめている
政略結婚ありきの縁談だったってことなんだろうけど、つまりそこまでして懐柔しなければならないくらい呉懿ら呉一族が蜀領内で力を持っていたということになるんだろうか
- 883 :世界@名無史さん:2018/07/18(水) 12:30:35.72 0.net
- 劉璋の兄の未亡人が呉懿の妹なの?
- 884 :世界@名無史さん:2018/07/18(水) 12:45:25.46 0.net
- >>883
穆皇后呉氏はそう
呉匡の最期が伝わっていないけど、呉一族が劉焉を頼って益州入りした時もいたんじゃなかなあと
武官やっていた呉匡とその一族の力は外部から来た劉焉には頼りになっただろうし
そこから呉懿の妹を息子の嫁に迎えることによる強固な結びつきと政権の安定化を目指しただろうというのが推測しやすい
- 885 :世界@名無史さん:2018/07/20(金) 08:26:12.47 0.net
- 結構な高齢嫁よな
- 886 :世界@名無史さん:2018/07/21(土) 01:50:22.05 0.net
- >>885
昔は親子程に歳の離れた兄弟姉妹も珍しくない
三国時代の結婚観に関して鍾ヨウと鍾会の母だった後妻の関係でちょっと触れられてるが
地位ある男性はヤモメであることがよくないとして常に後添えを娶るように勧められるという話
呉懿の父親もそういう結婚をしていた場合、ある程度若い妹が呉懿に居た可能性は全くもって否定できない
- 887 :世界@名無史さん:2018/07/21(土) 11:06:11.04 0.net
- 劉焉存命中の婚姻なので劉備が回収した時に年齢がいっているのは確かだろう
- 888 :世界@名無史さん:2018/07/21(土) 13:04:42.11 0.net
- 劉備の子女とその母ってどんな感じ?
- 889 :学術:2018/07/21(土) 16:12:46.16 0.net
- 政権を獲得するより新しい仕事に就いた方がかぶらずあらゆる面で
礼儀正しかったのでは。
- 890 :学術:2018/07/21(土) 16:15:28.68 0.net
- 男二人並んでいないのが優秀。
- 891 :世界@名無史さん:2018/07/21(土) 17:06:35.11 0.net
- 長坂の戦いで捕まった娘は
- 892 :世界@名無史さん:2018/07/21(土) 17:52:49.96 0.net
- 結構劉備の子供は死んでそうだよな
家族見捨ててよく逃亡してたから捕まって殺されてそう
- 893 :世界@名無史さん:2018/07/21(土) 17:57:30.27 0.net
- 一回目の徐州失陥で妻子消滅、二回目は関羽降伏で生存
長坂で娘消滅
本拠地を失うとこうもなろうって感じだね
- 894 :世界@名無史さん:2018/07/22(日) 00:51:43.15 0.net
- 「子はまた産ませればいい」
- 895 :世界@名無史さん:2018/07/22(日) 10:26:53.30 0.net
- 「国はまた作れば良い」
こんな考えだから何回も同じ歴史を繰り返す
- 896 :世界@名無史さん:2018/07/25(水) 19:21:15.59 0.net
- かんていだに渡辺崋山の描いた魯粛像が出てたんだが三国志好きだつたのかね?
見事な絵だったので他にもあれば見てみたい。
- 897 :世界@名無史さん:2018/07/26(木) 00:14:37.08 0.net
- 関羽と張飛は蜀創業の時代ではまぎれもなく英雄だったのは確か、ただ晩年の体制維持
特に大軍統率のカードとしては人格的にも器量的にも欠落点が多かっただけ
その欠点が事件として表れてしまったのが関羽の荊州喪失事件
張飛にいたっては昇進こそすれ実質的には田舎町の閬中に左遷だからね
- 898 :世界@名無史さん:2018/07/26(木) 01:48:00.57 0.net
- そういう思い込みで語るのよくないと思うよ
両方に対する指摘それぞれ間違ってる
関羽の敗戦って劉備のミスが目立つし張飛が任された場所って
益州の田舎どころか最重要拠点の一つだし
- 899 :世界@名無史さん:2018/07/26(木) 09:02:09.74 0.net
- 入蜀後の展開としては
荊州は関羽、諸葛亮
取り立ての蜀は劉備、張松、法正に呉一族
漢中方面進出に張飛、龐統的な人材配置をイメージしてたんだろうか
そうだとすると入蜀時に張松、龐統を失い法正も早くに亡くし軍事戦略、行政指導が諸葛亮がほぼ全部しないといけない時点で苦しいわね
- 900 :世界@名無史さん:2018/07/26(木) 12:21:55.69 0.net
- 武官より優秀な文官がいなくなるのが辛いんだよなあ
- 901 :世界@名無史さん:2018/07/26(木) 12:27:47.26 0.net
- >>896
かんていだって何だ・・・
鑑定団と打ちたかった。
- 902 :学術:2018/07/26(木) 14:56:28.76 0.net
- 北、東より南西にスペースが広大。劉家の勝ちだろうね。
- 903 :世界@名無史さん:2018/07/27(金) 16:15:33.83 0.net
- >>900
優秀な文官ならいくらでもいただろう
諸葛亮が彼らの権限を奪って独裁体制を構築していっただけ
- 904 :世界@名無史さん:2018/07/29(日) 02:09:03.36 0.net
- >>903
その独裁者の腰巾着の一人が晩年に実働部隊の魏延を謀殺に追いやって蜀の滅亡が規定路線に入った
蜀の末期は本当に酷い終り方
- 905 :世界@名無史さん:2018/07/29(日) 12:59:23.58 0.net
- 魏延の死が蜀の滅亡につながるとか重度の魏延オタでも言わないと思うw
- 906 :世界@名無史さん:2018/07/29(日) 14:53:46.16 0.net
- 猛将の子で父を超える猛将っている?
- 907 :世界@名無史さん:2018/07/29(日) 14:57:41.23 0.net
- 文欽の子文俶
- 908 :世界@名無史さん:2018/07/29(日) 15:27:22.24 0.net
- 猛将の定義は?
- 909 :世界@名無史さん:2018/07/29(日) 15:40:05.06 0.net
- 武力90以上だろ
- 910 :世界@名無史さん:2018/07/29(日) 16:27:20.03 0.net
- 軍権の継承がほとんどできないから二代続けて活躍は難しいでしょう
孫策だって孫堅軍団解体から孫家の代表が従兄に行ったりしてもう一度自分で組織した所あるし
- 911 :世界@名無史さん:2018/07/29(日) 16:39:45.54 0.net
- 北伐せずに勝手に魏は自滅したのを待ってれば良かったのにな
もしかしたら魏の皇族が蜀を頼ったかもしれんのに
- 912 :世界@名無史さん:2018/07/29(日) 17:41:31.35 0.net
- 馬超?
- 913 :世界@名無史さん:2018/07/30(月) 14:22:55.36 0.net
- 馬騰の子、馬超 文欽の子、文鴦 孫堅の子、孫策
この辺は猛将っぽい
名将具合では親父に負けてるあたりうーんって
- 914 :世界@名無史さん:2018/07/30(月) 15:26:43.03 0.net
- 孫策は曹操との早期対立避けたり豪族の懐柔と討伐を使い分けてかなり巧みだと思うけどな
馬超は親の代より遥かに曹操の力が強くて辺境でやれる外交の選択肢少なくなってたし
- 915 :世界@名無史さん:2018/07/30(月) 16:18:23.13 0.net
- 蜀って今の四川でしょ?
「蒸し暑い」って描写あったっけ?
- 916 :世界@名無史さん:2018/07/30(月) 19:27:00.14 0.net
- 四川も広いけど四川盆地は1月でも10℃を超えて7月も30℃になる場所
蜀犬日に吠ゆという慣用句でもわかるように雲っていることが多い高温多湿の地域
だからこそ稲作が二毛作とか可能で生産力が非常に高い
三国時代は気温が下がって変化はしていたと思うけど
- 917 :世界@名無史さん:2018/07/30(月) 22:49:42.15 0.net
- >>906
朝倉家臣の真柄父子?
- 918 :世界@名無史さん:2018/07/30(月) 23:09:54.51 0.net
- >>906
凌操の子の凌統
- 919 :世界@名無史さん:2018/07/31(火) 10:14:54.07 0.net
- 福嶋正成→北条綱成→北条氏繁
- 920 :世界@名無史さん:2018/07/31(火) 16:29:46.60 0.net
- というか馬騰は猛将でいいのか?
派閥領袖としては馬騰と馬超にそこまで大きく違いはないようにも思う
曹操戦を考えると馬超のほうがやはり上でいいのでは
文欽文鴦は文鴦の方が上でしょう。文欽は武勇あったとはあるけど匹夫で小者止まりという印象を受ける
孫堅孫策はどちらも猛将で間違いないけど、911が言うように孫策のほうが巧で上だと思う
これは強引一手の方針のせいで最終的に袁術の部将におさまらざるを得なかった父の反省点を受けてのものだろう
- 921 :世界@名無史さん:2018/07/31(火) 20:17:24.93 0.net
- 何が猛将だとか共有できるものも提示しないでただイメージだけでどうこうやってるのは
さすがに三戦板行ってやっておくんなさい
ここは世界史板という学問板ですぜ
- 922 :世界@名無史さん:2018/07/31(火) 22:58:15.02 0.net
- まともに動いている三国志スレはもはやここだけだけどな
- 923 :世界@名無史さん:2018/08/01(水) 10:33:16.56 0.net
- >>911
司馬氏の乗っ取りは蜀攻略の功績が大きいし
北伐しなかったら国力の差がより大きくなるだけじゃ?
- 924 :世界@名無史さん:2018/08/01(水) 13:06:53.71 0.net
- >>921
学問的に猛将の定義って何?
- 925 :世界@名無史さん:2018/08/01(水) 18:03:56.92 0.net
- 学問レベルの書き込みなんて実はほとんどないけどな
- 926 :世界@名無史さん:2018/08/01(水) 23:54:50.44 0.net
- 三国志好きだからこんな元も子もない事言うのやだけど
戦乱の時代の個々の戦士の評価ほど信憑性の無いものは無いんだよね
勝った者が改ざんするから
昔話じゃない、現代においても何も変わらない
ナチスよりひどい市民虐殺をしたアメリカの正義がまさに今まかり通ってるのと同じ
ナチスは悪でアメリカが正義と見事に刷り込んだ、勝てば歴史も作れるんだよ
歴史はそういうものだと思いながら考察するといつの時代のものも実に面白い
- 927 :世界@名無史さん:2018/08/02(木) 16:21:42.93 0.net
- 長文で語らずともみんな正史ってそういうもんだって認識してるよ
- 928 :世界@名無史さん:2018/08/03(金) 01:11:07.85 0.net
- 歴史書に書いてあることを鵜呑みにせずに行間を読むことも大事だけれど、自分が信じたくないからといって史書にある史実を無視することは編纂者に対する冒涜だと思うんだよね
- 929 :世界@名無史さん:2018/08/03(金) 01:17:01.67 0.net
- >>924
知らんから上で猛将の定義って何?って言ってるんだよ
- 930 :世界@名無史さん:2018/08/03(金) 08:49:25.87 0.net
- 学問板なのに定義を人任せとか無いわ
- 931 :世界@名無史さん:2018/08/03(金) 12:45:38.71 0.net
- 何言ってんだ?
猛将がどうこうって言ってる奴がいるから何を定義として猛将どうこう言ってんだ?って話だろ
猛将云々言い出した奴がまずどういう基準で猛将だと言ってるか説明する責任があるよ
- 932 :世界@名無史さん:2018/08/03(金) 13:05:44.49 0.net
- どうせ定義しても武将の評価で意見が割れるから不毛
- 933 :世界@名無史さん:2018/08/03(金) 13:06:48.05 0.net
- 名将ならもっと一般的な理解あるけど
猛将となると性格由来か?
- 934 :世界@名無史さん:2018/08/03(金) 13:39:27.28 0.net
- 普通に話が進んでいたのに、何故わざわざ定義どうこう言って場の空気を悪くするかね
一人の理解不足な人間が辺り構わず周りに迷惑をかけるいい例だな
- 935 :世界@名無史さん:2018/08/03(金) 13:46:16.90 0.net
- 半可通が陥りやすい状態だね
自分だけは学があるんだって思い込んで空気読めないレスをしてしまう
お前程度の学はみんなあって、その上でのある意味遊びをしているってのが理解できていない
- 936 :世界@名無史さん:2018/08/03(金) 13:51:14.20 0.net
- 学問板なのに定義が曖昧な言葉を曖昧なままにしておいて場の空気とか言い出すのはどうよ
- 937 :世界@名無史さん:2018/08/03(金) 14:24:09.21 0.net
- >>933
今度は名将の定義を聞いてくるぞ
- 938 :世界@名無史さん:2018/08/03(金) 14:40:34.32 0.net
- >>936
目くじら立てて騒いでるのが君だけという事実に、まず目を向けよう
自分の中で定義できてないなら話の腰を折るべきではない
- 939 :世界@名無史さん:2018/08/03(金) 15:31:57.43 0.net
- じゃあ巨根てのは長さ何センチ以上、カリ首周り何センチ以上なんだよ?
ろうあい
- 940 :世界@名無史さん:2018/08/03(金) 15:49:39.28 0.net
- お前の中での学問って巨根の定義なの?
他人の会話に文句ばかり言うくらいなら>>935を100回読んだ方が有意義だぞ
- 941 :世界@名無史さん:2018/08/03(金) 16:48:52.48 0.net
- >>906の話題があらかた終わってるので、もうこの話はヤメヤメ
- 942 :世界@名無史さん:2018/08/03(金) 18:01:58.24 0.net
- >>846
あれは吉川英治の原作まんまの描写でしょ
- 943 :世界@名無史さん:2018/08/03(金) 18:25:04.98 0.net
- 孟嘗君!?
- 944 :世界@名無史さん:2018/08/03(金) 19:51:44.24 0.net
- >>938
逆でしょ
相手から「貴方の会話のソレは何?」と問われて応えられないようだったら討論にもならん
ただ言いたい事を言いに来てるだけならそれこそ三戦行ってやれ、って話だわ
- 945 :世界@名無史さん:2018/08/03(金) 22:18:53.52 0.net
- 夏休みらしいといえばらしいんでしょうか
不毛な言い争いだけどスレが伸びないよりはいいのか…?
- 946 :世界@名無史さん:2018/08/04(土) 00:37:14.22 0.net
- >>944
聞かれたことに何でも答えてもらえると思った?
頼むから最低限の教養くらい身につけてから来てくれ
ここは学問板なんだから
- 947 :世界@名無史さん:2018/08/04(土) 02:41:59.43 0.net
- >>946
猛将という辞書的にはふわっとした意味しかない単語を持ち出すんだから
どういった定義で猛将認定してるかってのは聞かれたら答えるとかそういうレベルの話じゃないよ
「一般名詞だけど意味や定義がはっきりしてないもの」に関しては
使った人が自分で使ってる意味がどのようなものかちゃんと答えないと
そもそも討論ならんでしょ、定義の提示は義務と言っていい
名士ってなんですかって言われたら名士論で売ってる先生とかは即座に定義出すでしょ
- 948 :世界@名無史さん:2018/08/05(日) 19:09:56.05 0.net
- めんどくセー 別に話に参加しなくていいから
- 949 :世界@名無史さん:2018/08/05(日) 20:15:09.49 0.net
- 気楽に抜こうぜ
- 950 :世界@名無史さん:2018/08/05(日) 21:57:02.60 0.net
- 三國志トリビア
司馬懿は孔明に命を助けられたことがある by高士伝
- 951 :世界@名無史さん:2018/08/05(日) 23:32:03.91 0.net
- >>948
自分が話題にしたものも説明できない、面倒臭いっていうなら
それこそ世界史板じゃなくて三戦行けばいいよ
- 952 :世界@名無史さん:2018/08/05(日) 23:35:07.38 0.net
- >>950
孔明違い
- 953 :世界@名無史さん:2018/08/06(月) 00:46:42.95 0.net
- そういえばさ、司馬懿さん家の三男坊とか孫権さん家の末息子とか諸葛亮にちなんで命名されたのかなとか
三国時代の諱ってどのように名付けられるのかよくわかんないけど、現代では珍しくない友人や恩人や尊敬する人物にちなんで名付けられるような事例ってあるのだろうか?
- 954 :世界@名無史さん:2018/08/06(月) 17:29:43.84 0.net
- 尊敬してる場合はむしろ避けるだろ
古代とか敵国の人間は別だろうけど
- 955 :世界@名無史さん:2018/08/06(月) 18:29:53.63 0.net
- 例えば龐統士元の士とは男、元とは最初のと言う意味になるから日本風に言うと「太郎」みたいなもん。
その程度のもんじゃないの?
- 956 :世界@名無史さん:2018/08/06(月) 20:29:28.39 0.net
- WOWOWで「司馬懿 軍師連盟」やっているが司馬懿が曹操に狼顧の相を見せてしまうシーンが
凄みがあって良かった。 司馬懿ファン必見のドラマ w
- 957 :世界@名無史さん:2018/08/06(月) 22:13:08.98 0.net
- 司馬懿は軍師じゃないじゃん
- 958 :世界@名無史さん:2018/08/06(月) 22:16:45.43 0.net
- >>953
時期的にそれは無い
つか司馬亮みたいなバカなんか作らなければよかったのに
- 959 :世界@名無史さん:2018/08/06(月) 22:44:30.54 0.net
- >>953
日本人の場合、先祖や親から一字取って付けたりするものだけど、
中国はむしろ諱がかぶらないように注意するもんだぞ。
呉の丞相の顧雍は、師匠の蔡邕から名前をもらったけど、同じ漢字は避けてる。
- 960 :世界@名無史さん:2018/08/06(月) 23:12:02.82 0.net
- 司馬亮と司馬倫はいらない子
- 961 :世界@名無史さん:2018/08/06(月) 23:33:54.23 0.net
- でも之はいいんだろ
王羲之 王献之
- 962 :世界@名無史さん:2018/08/07(火) 00:05:37.10 0.net
- 大儒と呼んでも差し支えない博識な蔡ヨウの字は「伯カイ」で、父の字が「伯直」だから伯仲叔季は被ってもセーフ
他にも元、子、士あたりはセーフかもしれないし、「之」みたいなあまり意味がない字もセーフかもしれない
- 963 :世界@名無史さん:2018/08/07(火) 00:10:28.44 0.net
- 王義之は王正の諱を避けて正月を初月と書いてるよな
- 964 :世界@名無史さん:2018/08/07(火) 00:13:51.89 0.net
- >>959
孫奐の子と孫覇の子は「孫壱」、孫奐の弟と孫和の子は「孫謙」
後生まれである二宮の命名はガバガバ てか宗室内ぐらいちゃんと管理しろ
- 965 :世界@名無史さん:2018/08/07(火) 16:52:22.73 0.net
- >>962
一瞬犬儒に見えた
- 966 :世界@名無史さん:2018/08/08(水) 02:22:16.92 0.net
- 司馬一族って日本に渡来した人もいるんやな
大昔で子孫がいるかどうかわからんけど
- 967 :世界@名無史さん:2018/08/08(水) 19:53:37.19 0.net
- 司馬達等のこと?
- 968 :世界@名無史さん:2018/08/08(水) 23:36:15.60 0.net
- 征夷大将軍「漢の霊帝の子孫です」
- 969 :世界@名無史さん:2018/08/10(金) 03:01:07.18 0.net
- >>967
そうそう、wikiの受け売りで悪いけど
司馬達等は南梁の人と言われる。日本に渡来。飛鳥時代の人物。孫に鞍作鳥(止利仏師)
・・・だそうだ
- 970 :世界@名無史さん:2018/08/10(金) 12:32:26.21 0.net
- 止利仏師の祖先て司馬家なのか!知らなかった。
- 971 :世界@名無史さん:2018/08/10(金) 14:41:53.23 0.net
- 河内温県の司馬氏だけが司馬氏ではないし
別系統だったりするんじゃないの?
- 972 :世界@名無史さん:2018/08/10(金) 19:35:09.13 0.net
- 司馬遷とも同祖なんだっけ?
- 973 :世界@名無史さん:2018/08/10(金) 20:06:22.11 0.net
- 司馬遷とか司馬相如とは違う系統
- 974 :世界@名無史さん:2018/08/11(土) 14:33:21.09 0.net
- 司馬についた家が名乗っちゃうし違う血筋だらけだよな
- 975 :世界@名無史さん:2018/08/11(土) 18:01:07.36 0.net
- カーペンターさんみたいなものか
- 976 :世界@名無史さん:2018/08/11(土) 18:03:20.27 0.net
- 公孫さんとかな
- 977 :世界@名無史さん:2018/08/11(土) 19:00:42.48 0.net
- 公孫さんさん
- 978 :世界@名無史さん:2018/08/12(日) 07:32:10.75 0.net
- 勝手に名乗るとかあるのか・・・そういう時代だし仕方ないのか、系統調査も厄介だね
関羽も本人で血統は途絶えてるんだよね、関平の子孫はいそうだけど
- 979 :世界@名無史さん:2018/08/12(日) 10:17:46.36 0.net
- 裴松之先生は蜀記はデタラメばかり!と断じていたけど、龐会が関羽の子孫を皆殺しにしたって話も別のところで事実誤認が見られたり信憑性に薄いと思うんですけどね
- 980 :世界@名無史さん:2018/08/12(日) 10:39:53.11 0.net
- それでも裴注が無ければ後の演義も無かったろうな
それにしてもせっかくの劉氏なのに「漢」でなく「宋」を名乗ったという点にこの時期は「漢」の価値も無くなっていたという事か
- 981 :世界@名無史さん:2018/08/12(日) 13:45:27.18 0.net
- >>980
結局のところ後漢末期は官民の関係が最悪で、官の統制が取れない結果数百年の内乱を招いたわけで
民衆もだんだんその事実を冷静に咀嚼して解釈していったんじゃないかな
要するに民意の変化ってやつね「よく考えたらやっぱ漢てダメだったよな」ってね
無価値というよりむしろ再度名乗ってもデメリットになるムードがあったからだと思う
劉氏にとってこれ以上無いネームバリューだもん、無価値化してるくらいなら価値あるものに俺がする勢いで名乗ったんじゃないかな
それ以上の何か障害があったんだよ
- 982 :世界@名無史さん:2018/08/12(日) 13:55:07.48 0.net
- 思えば西晋後の「漢」も途中から「趙」に変えてたし
- 983 :世界@名無史さん:2018/08/12(日) 14:00:28.17 0.net
- 逆パターン(成→漢)もあるけど場所の問題なんかね
- 984 :世界@名無史さん:2018/08/12(日) 23:49:29.63 0.net
- 蜀漢が再統一できなかったのも大きかったか
- 985 :世界@名無史さん:2018/08/13(月) 01:18:17.30 0.net
- 最初の領地の名前から決まるんじゃないの?
- 986 :世界@名無史さん:2018/08/13(月) 03:05:30.76 0.net
- 後漢みたいに国号をそのまま継いでもいい
- 987 :世界@名無史さん:2018/08/13(月) 06:17:04.80 0.net
- 後漢も蜀漢も正式にはあくまで漢
- 988 :世界@名無史さん:2018/08/13(月) 16:35:45.80 0.net
- 問題の多かった時代の国号を名乗る弊害として、対外的にも大きい障害をもたらすと思う
むしろこっちのほうが深刻だろうね
「件の時代の政権を支持してる」「体質は変わらないのでは」「また何かあったら困る」「あまり大きい交易(交渉)は控えよう」
果ては西欧諸国にまで通じるシルクロードを抱えた貿易の盛んな国でもあったわけで
周辺国の疑心暗鬼を膨張させ交渉や経済にも大きい影響があったと容易に想像がつく
プライドだけでは飯は食えないってやつだね
中途で号を変えたような国の背景はまさにこういう事例が後発的に起こったんじゃないかな
- 989 :世界@名無史さん:2018/08/13(月) 22:13:34.54 0.net
- >>981
官民の関係が最悪なわけないじゃない
そもそも「世論」を作るのは民じゃなくて士大夫層だよ
- 990 :世界@名無史さん:2018/09/02(日) 00:58:12.62 0.net
- >>978
関平で思い出したけど彼の字が伝わっていなんだよな
若くして死んだから字が無かったと何かの資料で読んだけど
どうなんだろ?
馬岱の字も伝わっていないのが気になる
- 991 :世界@名無史さん:2018/09/02(日) 08:30:58.92 0.net
- 逆に字しか知られてない人っている?
女性の名前があだ名残ってないから、小説ゲームではほとんど捏造してるのは知ってるけど
- 992 :世界@名無史さん:2018/09/02(日) 11:43:18.71 0.net
- 馬岱の字は伯瞻って説が現在では有力
馬超が孟起なんだけど、本流は馬岱の系譜だったりするのかな
- 993 :世界@名無史さん:2018/09/02(日) 14:55:54.59 0.net
- 馬岱字伯瞻って清代にいきなり現れる記述だからなぁ
どこまで信じていいかは眉に唾しないと
- 994 :世界@名無史さん:2018/09/02(日) 14:56:43.20 0.net
- 夏侯子臧 夏侯子江
- 995 :世界@名無史さん:2018/09/02(日) 17:52:27.31 0.net
- シコースキーみたいな
- 996 :世界@名無史さん:2018/09/02(日) 23:51:44.30 0.net
- >>992
馬騰の一族自体が馬援後裔を自称しているだけのふわっとした集団だからどっちが本流も何もないだろう
後漢末の馬援一族の代表は馬融、馬日?達だし
- 997 :世界@名無史さん:2018/09/03(月) 11:05:44.29 0.net
- 劉岱「字がないとは岱四天王の恥さらしめ」
劉岱「やつは最も小物」
文岱「」
- 998 :世界@名無史さん:2018/09/04(火) 20:03:12.00 0.net
- つか、この時代って誰もが字を持ってたの?
士大夫じゃなくて賊出身なのに字あったり、結構有名なのに字伝わってないとか、
昔は○○だったけど変えたとか。
本名を呼ぶのは失礼だから字で呼ぶていう割に、結構適当だよね。
- 999 :世界@名無史さん:2018/09/05(水) 12:19:49.84 0.net
- 記録に残る人間のが少数派だしそれらも常に氏名字が全部揃って残ってるとは限らない
- 1000 :世界@名無史さん:2018/09/05(水) 16:24:07.42 0.net
- 次スレどうする?
- 1001 :世界@名無史さん:2018/09/06(木) 07:48:09.02 0.net
- 正史『三国志』 三十二巻
ttps://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1536187646/
立てといた
- 1002 :世界@名無史さん:2018/09/06(木) 11:13:12.33 0.net
- >>1001
乙
- 1003 :世界@名無史さん:2018/09/06(木) 18:26:21.07 0.net
- 1000
- 1004 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
- 2ch.netからのレス数が1000に到達しました。
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