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ローマになぜキリスト教が広まったか

9 :山野野衾 :2018/01/21(日) 19:02:20.09 0.net
同じ民族内でも貴種は神の子孫と言われて差別があり、いわんや異民族は差別されて当然というのに対し、
「人間は全て皆同じマニュアル通りにすることで同じ救いを得られる」という思想の方が、複数の異民族や旧
来の民族で不満の溜まっている階層がまとまりやすかったのでは。
キリスト教しかり、仏教しかり。不本意ながら多様性が高まり、既存の勢力と新来の勢力が妥協せずに押し
合いへしあいしている時にこそ必要な思想でしょう。

南北朝時代の中国では仏教が興隆していましたが、中国に安定した統一王朝があれば、あそこまで盛んに
はなっていなかったかもしれません。
中国内部に居住した異民族に受容されただけではなく、南朝でも周辺の異民族に対する外交文書で仏教の
用語と概念が使用されるなど(日本への仏教公伝もその影響であり、当時の国際情勢による必然)、漢人自
身も外向きになっている時代に仏教が盛んになっていた様に思います。
唐や元は統一王朝でしたが(前者は鮮卑で)異民族による外向きな王朝でした。

多神教のローマは世界帝国で、むしろキリスト教化した時代から分裂していますが(これがキリスト教受容の
不義によるものだという批判に対し、古代からキリスト教聖職者は反論に心をくだいている)、本体が強い状態
でなければ、多神教ではいられなかったのでしょう。
中産階級の受容は、上層に対する反発と成り上がり志向から、正当化を求めたものではないでしょうか。
「同じ人間(とキリスト教が保証)なら、より有能な自分たちが代わりに牛耳を執ってもいいはずだ」と。

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