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歴史言語学総合 ★3

978 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 08:56:11.12 0.net
>>971
漢語名は金智慧だったようだよ。京大の吉本教授と結婚して日本に帰化して、
今は吉本知恵子と名乗っているらしい。

979 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 09:38:05.69 0.net
>>938
隣に人口比100倍のケベックがあって反対側は海と外国という地勢条件だから、そうなるわな。
ケベックがフランス語単一公用語のようなことしてなけりゃ、速攻でフランス語を公用語から外してるわな

980 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 09:38:23.51 0.net
乾隆帝時代の分家というと、日本では家康の時代の分家(の分家の分家の・・・)が幕末にいたようなもんか。

日本では武家公家問わず家をおこせない息子はたとえ貴種でも結婚せず子を持たないことが多いから、相当する事例はあまりないかなあ。

旧中国では王侯の五六男はそれなりの家産を貰えたのかな?

981 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 09:39:43.89 0.net
>>940
支那人が少なかったからだろ。
どのみち、圧倒的多数派がなくて、バラバラの言語状況だったから。

982 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 10:02:55.44 0.net
>>943
ジャウィー文字のマレー語、がっつり表音表記と活用・語形の変化無しから、英語に切り替わってるシンガポールとか、
キリル文字・突厥ルーンと表記はどっちも表音的で簡単だけれど、発音・言語構造の簡単なテュルク語から複雑なスラブ語に入れ替わったブルガリアとか、
おなじく、ラテン語からギリシャ語に切り替えたビザンチン帝国とか、
ギリシャ語からさらに難儀な構造のアフロアジア語で表記の煩雑なエジプト語に乗り換えたプトレマイオス王朝とか
いっぱいあるしなあ。

983 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 10:06:58.22 0.net
>>974
日本も戦後にまとめて臣籍降下させるまで伏見宮系皇族とか残ってたろ

984 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 10:10:17.79 0.net
>>975
日本の律令時代の姓も同じようなものだろ。同祖集団としての、いっちゃ部族をひとまとめに、氏姓を賜わってる。
紀とか物部とか蘇我とか中臣とかそういうのは、氏であり部族名のようなものだ。

985 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 11:12:56.96 0.net
>>983
それは世襲親王家として皇室本家とは別のイエをおこしてるからな。

中世以降のイエ制度下の日本では、その人たちは伏見宮家という尊貴なイエのメンバーだから偉いんであって、皇孫だから偉いかというとちょっと違う。

986 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 11:14:38.62 0.net
ていうか清朝でもヌルハチホンタイジ時代の分家で世襲親王家ってなかったか?

987 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 12:41:46.88 0.net
>>985
そんなこと言っても、昭和22年まで、7番の博明王から31番の閑院宮春仁王から、伏見宮系の皇族にも皇位継承順位がついてたしなあ。

988 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 13:02:45.00 0.net
>>982 ビザンチン時代のギリシャ語って、書面語としては古典ギリシャ語そのままだったのかな?
コテコテの文語としてのラテン語とコイネー以後のギリシャ語だと、ひょっとしたらラテン語の方が難しかったりして

989 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 13:26:35.81 0.net
何言ってんだ?
コイネー=古典ギリシャ語だろ

990 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 13:29:19.40 0.net
コイネーは70人訳聖書のギリシャ語じゃないの?

991 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 13:36:07.77 0.net
>>982
ブルガリア語に関してはだいぶん活用が単純化したらしいがな
支配者側のテュルクは少数で被支配者のスラヴが大多数ならそれで間を採った訳だ

992 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 15:05:28.19 0.net
>>984
モンゴル、満洲の場合は、「個人名で名乗るのがデフォ」という点があるわけ
古代日本においてカマタリ、エミシ、と名前だけで呼びあっていたのか?
そうでないなら関係ない別の現象だ
ぜんぜん似ていないよ

993 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 15:07:08.93 0.net
>>985
イエ制度と言うからには、血統はつながっていなくてもいいのか
親王家も途中で養子を入れたりして、それでも皇位継承権はあるのか

994 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 15:34:28.91 0.net
>>982>>988
言語の「難しい」「より難しい」は、学習者の母語との相対的な距離で、絶対評価は難しいだろう
ビザンチン帝国臣民にとっては、上位の高官がラテン語を使用していた状態からギリシャ語に切り替え、
ステータスを持っていたラテン語の廃止とともに公用語が「母語に切り替わった」わけで、
相対的には「簡単」になったということだろう
ラテン語を公用に使用していた高官も、その母語はギリシャ語だったのだから
コイネーの構成は古典ギリシャ語のうちアッティカ方言をベースにし、それにマケドニアやスパルタの
ドーリア方言が少し残存した状態だという
ギリシャ語の場合、文明化に比して文字化が早すぎた(ギリシャ文字が精密すぎた)ために、
方言差(主に訛りと綴り)の差がなかなか統一されなかったこと、ヘレニズム期以降のコイネーの成立が画期的だったと言える
言語自体の難しさで言うとギリシャ語とラテン語は五十歩百歩にも見えるが、
ギリシャ語は黄金期(規範の中心となる時代)の前8世紀には名詞の格が主・属・与・対の4つになり、
語順がSVO中心になっていったが(SOVは古いことわざの文体)、
文学上黄金期の共和制時代のラテン語は自由語順ながらSOVが中心、名詞の格では奪格がまだ生きていた
(希・羅とも呼格はあるが文の構造における重要度はあまりない)
格の数そして前置詞の利用度、語順の傾向、定冠詞の使用の有無など、ギリシャ語のほうが先進的、ラテン語は保守的だったと言える

995 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 18:29:29.47 0.net
>>993
臣下から世襲親王家に養子に入った例でもあるんか?

996 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 18:33:04.99 0.net
>>994
>ラテン語を公用に使用していた高官も、その母語はギリシャ語だったのだから
ここ、本当か?

997 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 23:35:40.73 0.net
>>978 やっぱり満州名は本人が意識して名乗らないと持ってないような状態か
一方で本当の清朝末期にもまだ満州名の人がいたみたいだな
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E6%98%9F%E9%98%BF_(%E7%B9%99%E8%AD%AF%E9%80%B2%E5%A3%AB)
>繙譯進士
>一子相伝みたいな制度で満語・満文を伝承する家系があったらしい
家業として満州語のエキスパートだったってことか

998 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 23:39:56.06 0.net
継続用新スレ作りました。

歴史言語学総合 ★4
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/whis/1541168854

999 :世界@名無史さん:2018/11/02(金) 23:48:47.26 0.net
>>997

一子相伝の達人技・・・

・・・人呼んで「満洲の辯」?
なんてね

1000 :世界@名無史さん:2018/11/03(土) 00:39:31.16 0.net
おしまい

1001 :2ch.net投稿限界:Over 1000 Thread
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