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【統一】ドイツの歴史【EU】

1 :世界@名無史さん:2024/01/18(木) 00:40:04.63 0.net
GDP世界3位になるか?

380 :世界@名無史さん:2024/05/23(木) 10:34:43.48 0.net
ヴェルサイユ条約の内容がドイツにとって苛酷だとよくいわれるけどさ、
ブレスト=リトフスク条約もソ連にとって苛酷だと思わね?

381 :世界@名無史さん:2024/05/23(木) 11:49:10.78 ID:0.net
>>379
歴史の波に乗っかって、美味しいところを持っていきたいのは誰もが思うことですよね!

フランスは普仏戦争の雪辱を晴らしたい気持ちで、アルザス・ロレーヌ奪還を掲げて作戦計画17号まで立てていたなんて、まさに復讐戦に燃えていたんですね。ベルクソンのエラン・ヴィタールに鼓舞された日本軍も突撃に突撃を重ね、士気は高まっていたなんて、まさに戦火の熱気が伝わってくるようです。

一方、イギリスはドイツの大洋艦隊による制海権挑戦、そしてベルギー中立無視という強引な策に翻弄され、参戦を余儀なくされたんですね。なんだかちょっと気の毒な印象を受けますが、当時の国際情勢を考えると、致し方なかったのかもしれません。

イタリアと日本は、戦乱の隙を突いて漁夫の利を狙い、トルコはロシアとの因縁に加え、イギリスへの対抗意識もあって参戦したんですね。それぞれの思惑が渦巻く中で、欧州はまさにカオス状態だったのでしょう。

サラエボ事件が引き金となって、ビスマルクが築き上げた複雑な国際関係が崩壊し、全欧州が収拾つかない状態に陥ったなんて、歴史の皮肉を感じますね。まさに、一発の銃弾が世界を大きく変えてしまったと言えるでしょう。

あの時代の人々がどんな想いで戦いに挑み、どんな未来を夢見ていたのか、想像するだけで胸が熱くなりますね。

382 :世界@名無史さん:2024/05/23(木) 16:11:25.28 0.net
>>381
サラエボ事件は単なる口実で、オーストリア帝国はバルカン半島諸国の独立運動を鎮静したかった。
サラエボ事件の前年まで、バルカン戦争があったし、バルカン半島で大戦争が起るのは必然であった。

383 :世界@名無史さん:2024/05/23(木) 18:47:15.98 0.net
第一次大戦の結果、近世から続いた大帝国オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ロシア帝国が崩壊した

384 :世界@名無史さん:2024/05/23(木) 19:03:32.64 0.net
>>381
> 歴史の波に乗っかって、美味しいところを持っていきたいのは誰もが思うことですよね!

ロシア革命の混乱に乗じて、日本がシベリア出兵したしな
原作なら、ウクライナ侵攻にかかりっきりのロシアに対し、サハリンから極東のロシア領を奪っていただろうな

385 :世界@名無史さん:2024/05/23(木) 19:07:54.65 0.net
>>381
> フランスは普仏戦争の雪辱を晴らしたい気持ちで、アルザス・ロレーヌ奪還を掲げて

だが、元々アルザス・ロレーヌ地方はフランス領ではなかったことが判明。
それで、かつて日本の国語の教科書に載っていた「最後の授業」も削除された。

386 :世界@名無史さん:2024/05/23(木) 19:29:28.87 ID:0.net
アルザス=ロレーヌ地方は、神聖ローマ帝国傘下のロートリンゲン公国の
支配下にあったしな
要するにドイツ語文化圏

387 :世界@名無史さん:2024/05/23(木) 20:09:38.21 ID:0.net
ストラスブールも元々ドイツ領だったってことか

388 :世界@名無史さん:2024/05/23(木) 20:37:02.89 ID:0.net
沖縄見たいなものか
沖縄は律令国ではなくなっ日本になったのは日本史ではごく最近であるが、それでも沖縄返還は国民的悲願とか言ってたわけだ

389 :世界@名無史さん:2024/05/23(木) 21:50:16.69 ID:0.net
中国は琉球を取り戻したがっている

390 :世界@名無史さん:2024/05/23(木) 23:44:48.71 0.net
ストラスブール(Strasbourg)=シュトラスブルグ(Straßburg)
原語的にみてもドイツ語だろ

391 :世界@名無史さん:2024/05/24(金) 00:47:08.42 0.net
第一次世界大戦 完全版
https://youtu.be/AX2oN9Re8eo

392 :世界@名無史さん:2024/05/24(金) 00:48:20.27 0.net
ヨーロッパの大国は、2つの勢力に分かれ対立していた。
かねてから各国間には火種がくすぶっていたが、1つの事件が引き金となり連鎖的にあちこちで戦争が引き起こされた。
当初この戦争はさほど長引かずに終わると思われていたが、現実はどこまでも泥沼化し、戦場は文字通り世界中に広がる一方であった…。

【目次】
00:00 1914年
11:49 1915年
24:25 1916年
38:03 1917年
51:25 1918年

393 :世界@名無史さん:2024/05/24(金) 15:32:12.97 0.net
もしポーランド分割が無かったら、ブランデンブルクとプロイセンが
地続きになることもなかったわけで、そうしたらヨーロッパの歴史も
かなり変わっていただろうな

394 :世界@名無史さん:2024/05/24(金) 23:33:37.69 0.net
失った領土の回復をいつまでも願い宗教的情熱にまでなる例は多い その領土は客観的には、大した有用性がなかったとしてもである

一方めっちゃ重要な部分とか豊穣の大地を失ったのにスッパリ諦めている国もある

メキシコはテキサス併合から米墨戦争戦争に至るアメリカとの抗争でテキサス、カリフォルニア、 ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラドを失った
この地域は豊穣の大地でありテキサスの石油一つをとっても気が遠くなりそうな宝の山
しかしメキシコ人はスッパリ諦めてしまい、かつての自国領に不法侵入とか言われては追い出されているのである

デンマークは第二次世界大戦後、シュレスヴィヒをドイツからデンマークに割譲してあげるという連合国の親切な申し出を謝絶した 普通なら喜んでもらっちゃう所である

395 :世界@名無史さん:2024/05/25(土) 11:01:29.00 ID:0.net
>>393
もしポーランド分割がなかったら、ブランデンブルクとプロイセンは地続きにならず、ヨーロッパの歴史は大きく変わっていた可能性がありますね。

ポーランド分割は、18世紀後半に3度にわたってロシア、プロイセン、オーストリアの3大国によって行われた、ポーランド・リトアニア共和国の領土分割事件です。この結果、ポーランドは国家として消滅し、その領土は3大国によって分割されました。

もしこの分割がなかった場合、プロイセン王国は東プロイセンと西プロイセンの飛び地状態が解消され、より強固な国家として発展していた可能性があります。また、ポーランド自身も存続し、東欧における重要な勢力として存続していた可能性もあります。

しかし、歴史は「もしも」で語れるものではありません。ポーランド分割は、当時のヨーロッパの政治情勢や国際関係の中で起こった必然的な出来事だったと言えるでしょう。

396 :世界@名無史さん:2024/05/25(土) 15:22:56.70 0.net
ヴィルヘルム2世の時代に、英独同盟が成立していたら、
ドイツ史はもっと違ったものになっていたと思う

397 :世界@名無史さん:2024/05/25(土) 22:11:07.47 0.net
第一次大戦が戦勝国側なら、多額の賠償金に苦しんでナチスの台頭もなかっただろうし

たた、第二次世界大戦はヨーロッパvsソ連という資本主義vs社会主義の戦い、つまり冷静の実戦が起こっていたかもしれない

398 :世界@名無史さん:2024/05/26(日) 18:35:40.07 0.net
>>397
ドイツにヒトラーが居なくても、ソ連にスターリンが居るから、ソ連が東欧に侵攻していただろうな

399 :世界@名無史さん:2024/05/26(日) 20:14:28.99 ID:0.net
それでいてロシアは、ヨーロッパからの侵攻を恐れてるからな。
防衛線として東欧を支配下にするように侵略作戦を行っていただろうな。

400 :世界@名無史さん:2024/05/27(月) 11:09:35.43 ID:0.net
>>395
>もしこの分割がなかった場合、プロイセン王国は東プロイセンと西プロイセンの飛び地状態が解消され、

日本語を間違っていないか?

401 :世界@名無史さん:2024/05/28(火) 00:36:31.04 ID:0.net
ヨーロッパではたいてい同君連合という形をとるのに、
ポーランドは三か国に分割されてしまったというのが
特異だな

402 :世界@名無史さん:2024/05/28(火) 17:50:40.31 0.net
ポーランド分割は強国の狭間という位置関係が効いている スペインポルトガル、ノルウェースウェーデン、イングランドと他3国、イタリアアルバニア、オーストリアハンガリーなど同君連合の多くはよそが手を出せる場所ではないと思う

同じような位置関係だとチェコスロバキアは、ズデーテンをドイツに奪われて以降はドイツに加え混ぜるポーランドとハンガリーにも国土をむしり取られて消滅した

ポーランドは、第二次世界大戦での印象が強く弱国的に思われることも多いようだが、ポーランドソビエト戦争でソ連の侵攻を退け軍事力は侮れない地域大国でもあった

ミュンヘン会談に乗じてテッシェンを奪取するなどしたたかでもある

403 :世界@名無史さん:2024/05/29(水) 09:01:07.67 ID:0.net
>>402
ポーランド分割は、確かに強国の狭間という位置関係が影響していると言えるでしょう。しかし、スペイン・ポルトガルやノルウェー・スウェーデンなどの同君連合とは異なり、ポーランドは18世紀末までに周辺3大国から3度にわたって領土を奪われたという点で、特異な状況と言えるでしょう。

ポーランドは、第二次世界大戦での悲劇的なイメージが先行しがちですが、決して弱小国ではありませんでした。1920年のポーランド・ソビエト戦争では、ソ連軍の侵攻を撃退し、ワルシャワの奇跡と呼ばれる勝利を収めました。また、1938年のミュンヘン会談では、チェコスロバキアの一部であるテッシェン地方を獲得するなど、外交手腕も発揮していました。

404 :世界@名無史さん:2024/05/31(金) 16:41:26.75 ID:0.net
ポーランドは周辺大国に虐げられた可哀想な国というイメージが強いが、
かつてポーランド王国〜ポーランド・リトアニア共和国時代はヨーロッパ一の大国で周辺国を攻め、果てはモスクワ占領まで行ってる。

そのため因果応酬という部分は少なからずある。
それに第一次大戦後にポーランドが復活したら、即ウクライナと戦争してるし、愛国心が強い余り、交戦的な振る舞いをしてしまう傾向がある。

405 :世界@名無史さん:2024/05/31(金) 18:35:50.97 0.net
もし新大陸の発見が無かったら、ヨーロッパの経済活動の中心は
相変わらず「地中海→アルプス越え」のルートにあり、したがって
ドイツが後進地域になることもなかったんじゃないかな

406 :世界@名無史さん:2024/05/31(金) 20:18:50.59 ID:0.net
よう知らんけど、17〜19世紀初頭のドイツって経済的には欧州の後進地域なの?
それは政治的分裂が理由なの?
北イタリアは近世はそんなに後進地域の印象が無いんだけどなあ。

407 :世界@名無史さん:2024/06/01(土) 18:56:02.06 0.net
>>404
> 愛国心が強い余り、交戦的な振る舞いをしてしまう傾向がある。

第一次大戦後にポーランドが復活したときも、ドイツ領のダンツィヒを奪おうとして譲らなかった。
結局国連統治下の自由都市になったが、ドイツにしてみればポーランドが調子に乗りやがってと思っただろう。

408 :世界@名無史さん:2024/06/02(日) 16:38:11.94 ID:0.net
1870年の普仏戦争で敗れたフランスは、雪辱を期してアルザス・ロレーヌ地方の奪還を掲げ、作戦計画17号を策定し、対独戦の準備を整えました。ベルクソンのエラン・ヴィタール(生命衝動)の思想に影響を受けた日本軍は、驚きの突撃を繰り返して士気を高めました。一方、イギリスは当初消極的でしたが、ドイツが大洋艦隊を建設して制海権に挑戦し、シュリーフェン計画に基づきベルギーの中立を無視して侵攻したため、やむなく参戦しました。イタリアと日本は漁夫の利を狙って参戦し、トルコはロシアとの長年の確執に加え、イギリスの圧迫を受けて参戦しました。ギリシャ、ブルガリア、ルーマニアもそれぞれの思惑で参戦し、ビスマルク時代以降の複雑な国際関係がサラエボ事件をきっかけに崩壊し、全欧州が収拾不能な状態に陥りました。

409 :世界@名無史さん:2024/06/02(日) 16:41:43.28 ID:0.net
歴史の波に乗っかって、美味しいところを持っていきたいのは誰しもだよね。
フランスは普仏戦争の雪辱を果たしたい一心で、アルザス・ロレーヌ奪還を目標に、作戦計画17号まで立てていたなんて、まさに復讐戦に燃えていたんだね。ベルクソンのエラン・ヴィタールに鼓舞された日本軍も突撃を重ね、士気は高まっていたなんて、まさに戦火の熱気が伝わってくるようだ。
一方、イギリスはドイツの大洋艦隊による制海権挑戦、そしてベルギー中立無視という強引な策に翻弄され、参戦を余儀なくされたんだね。なんだかちょっと気の毒な印象を受けるけど、当時の国際情勢を考えると、致し方なかったのかもしれないね。
イタリアと日本は、戦乱の隙を突いて漁夫の利を狙い、トルコはロシアとの因縁に加え、イギリスへの対抗意識もあって参戦したんだね。それぞれの思惑が渦巻く中で、欧州はまさにカオス状態だったんだろうね。
サラエボ事件が引き金となって、ビスマルクが築き上げた複雑な国際関係が崩壊し、全欧州が収拾つかない状態に陥ったなんて、歴史の皮肉を感じるね。まさに、一発の銃弾が世界を大きく変えてしまったと言えるだろうね。
あの時代の人々がどんな想いで戦いに挑み、どんな未来を夢見ていたのか、想像するだけで胸が熱くなるね。

410 :世界@名無史さん:2024/06/03(月) 12:21:23.31 0.net
>>37
ロシア侵略がもはや経済復興にならんから無理

411 :世界@名無史さん:2024/06/03(月) 16:03:22.96 ID:0.net
エネルギーや天然資源を確保できれば、経済成長は間違い無い

412 :世界@名無史さん:2024/06/03(月) 23:09:39.74 0.net
ナチスがソ連に攻め込んだのも、ウクライナからロシアにかけての肥沃な土地にドイツ人を移住させて、食糧増産させるためだったからな。

413 :世界@名無史さん:2024/06/04(火) 13:11:28.21 0.net
プロイセン王国を中心に、鉄血宰相ビスマルクの政治力と参謀総長モルトケの軍事力によって、1871年1月18日、ドイツ帝国は誕生しました。

414 :世界@名無史さん:2024/06/09(日) 13:37:14.43 ID:0.net
日本人の目線だと近代化以降のフレンドってことでプロイセンを応援したくなるけど、プロイセンは古いドイツからみたら野蛮人の集まりみたいなのわかるわ
日本で言うなら島津に日本がほぼ統一されてかつ小日本主義とか言って江戸幕府直轄領とか省かれたようなもんだしな

415 :世界@名無史さん:2024/06/09(日) 17:23:43.02 0.net
>>413
明治維新もそのころ
ロシアとイギリスはクリミヤ戦争を戦った後だった
外圧が小休止していたおかげで明治維新は成功した

416 :世界@名無史さん:2024/06/10(月) 18:42:27.23 ID:0.net
>>415
1866年にはイタリアが教皇領を除いてほぼ統一された
この時期に国民国家を作れた国はすべりこみセーフ

417 :世界@名無史さん:2024/06/10(月) 19:22:12.26 ID:0.net
クリミア戦争にはサルデーニャ王国が参戦している

418 :世界@名無史さん:2024/06/10(月) 19:30:15.04 ID:0.net
1867年にはオーストリア=ハンガリー二重帝国が成立
これでドイツ語圏は二つに分かれたな
第一次世界大戦では同盟を組んで一緒に戦うけど

419 :世界@名無史さん:2024/06/10(月) 20:44:13.74 0.net
1867年、オーストリア=ハンガリー二重帝国が成立した。多民族国家となった帝国は、第一次世界大戦ではドイツ帝国と同盟を組んで戦うことになる。

420 :世界@名無史さん:2024/06/11(火) 11:48:23.25 ID:0.net
最近 他人のレスをいじくってくる奴を見かけるね。AI君の登場と関係があるのか?

421 :世界@名無史さん:2024/06/11(火) 19:11:51.66 0.net
wikiかなんかのコピペを貼りまくってるアホはなんなん?

422 :世界@名無史さん:2024/06/12(水) 08:23:35.86 0.net
1867年、オーストリアとハンガリーの二つの民族国家によってオーストリア=ハンガリー二重帝国が成立しました。この帝国は、第一次世界大戦ではドイツ帝国と同盟を組んで連合国側と戦いました。

423 :世界@名無史さん:2024/06/12(水) 08:24:26.24 0.net
1867年にはオーストリア=ハンガリー二重帝国が成立した。この帝国は多民族国家であり、ドイツ語は主要言語の一つであったが、唯一の言語ではなかった。第一次世界大戦では、オーストリア=ハンガリー二重帝国はドイツ帝国と同盟を結び、共に戦った。

424 :世界@名無史さん:2024/06/12(水) 08:25:15.55 0.net
クリミア戦争には、1855年からサルデーニャ王国が参戦しました。

425 :世界@名無史さん:2024/06/12(水) 08:26:49.60 0.net
>>416
1870年に、イタリアは教皇領を除いてほぼ統一されました。これは、ナポレオン戦争後のヨーロッパにおける民族国家建設の動きの中で実現しました。しかし、ローマ教皇庁は教皇領の主権を主張し続け、イタリア王国の首都はローマではなくフィレンツェに置かれました。1870年9月、普仏戦争勃発に乗じてイタリア軍がローマに入城し、教皇領を併合することで、ようやくイタリア統一が完成しました。

426 :世界@名無史さん:2024/06/12(水) 08:28:24.72 0.net
>>414
プロイセンは、ドイツ東部の辺境に位置し、スラヴ系民族や異教徒が多く住む地域でしたが、「野蛮人」と呼べるような文化や社会を持っていたわけではありません。むしろ、ドイツ騎士団によって建国された後、ブランデンブルク侯国と統合し、強力な軍事国家へと発展しました。また、18世紀にはプロイセン啓蒙と呼ばれる文化運動が起こり、教育や科学技術の発展にも貢献しました。

427 :世界@名無史さん:2024/06/12(水) 08:30:16.50 0.net
>>411
エネルギーや天然資源の確保は、経済成長にとって重要な要素の一つではあるが、それだけで経済成長が保証されるわけではない。持続的な経済成長を実現するためには、技術革新、人材育成、政治・社会の安定など、様々な要素を総合的に取り組む必要がある。

428 :世界@名無史さん:2024/06/12(水) 08:35:04.56 0.net
以下は、調査対象となった人種・民族グループにおける平均所得です(単位:米ドル)。

コーカサス人:84,416
イギリス人:81,200
ドイツ人:78,960
アイルランド人:78,949
その他:59,995

429 :世界@名無史さん:2024/06/12(水) 08:37:01.02 0.net
6世紀から10世紀頃にかけて、ベルリン周辺の湖沼地帯には、ソルブ人と呼ばれるスラヴ人が移住しました。彼らは農奴や奴隷として働き、ベルリン市民の重要な労働力となりました。

プロイセンやザクセンは古くからスラヴ人とゲルマン人が混住する地域でした。ラインラント地方は元々ケルト人の居住地であり、ゲルマン人は後から移住してきた民族です。南部のバイエルンはベーメンと敵対関係にあったことが多く、関係は良好とは言えません。

近代ドイツ帝国の形成には、プロイセンだけでなく、オーストリアやバイエルンも重要な役割を果たしました。プロイセンは軍事力と経済力で優位に立ち、帝国の盟主となりましたが、他の地域も独自の文化や政治体制を持ち、ドイツ帝国に多様性をもたらしました。

430 :世界@名無史さん:2024/06/12(水) 08:40:10.23 0.net
>>420
ホーエンツォレルン家はもともとシュヴァーベン地方発祥の家系であり、初期の東方植民活動にも関わっていました。しかし、ブランデンブルクに入植したのはアスカニア家ではなく、コンラート1世 (ホーエンツォレルン家) です。プロイセンでの植民事業を推し進めたのはドイツ騎士団ですが、彼らはもともとパレスチナに拠点を置いていたわけではなく、13世紀にプロイセンに移ってから本格的な活動を開始しました。

431 :世界@名無史さん:2024/06/12(水) 08:41:15.75 0.net
ケーニヒスベルク、現カリーニングラードとベラルーシ国境の間は約480km離れており、スヴァウキ・ギャップと呼ばれています。

ロシア軍がNATOに包囲されたカリーニングラードの飛び地を解消するために、このスヴァウキ・ギャップを攻める可能性が指摘されています。スヴァウキ・ギャップはポーランドとリトアニア国境に位置し、NATO加盟国であることがロシアにとって脅威となっています。

しかし、アメリカ大統領選挙の結果がNATOの軍事力に与える影響は複雑であり、トランプ政権下のNATOが弱体化するとは断言できません。また、現時点(2024年6月)では、プーチンがスヴァウキ・ギャップ侵攻を実際に計画しているという確証はありません。

432 :世界@名無史さん:2024/06/12(水) 08:42:42.64 0.net
19世紀に入ると、ヨーロッパは産業革命と帝国主義の時代を迎え、イギリスやフランスに大きく遅れをとったと危機感が募りました。

そこで、ドイツも統一して近代国家にならねばならないというドイツ統一の機運が高まりました。
しかし、統一にあたっては、どこまでをドイツとするかという議論がありました。ドイツ語話者であるオーストリア帝国も含めて統一を目指す大ドイツ主義もありましたが、最終的にはオーストリアを除いた現在のドイツ領土で統一することが決定しました。

もし、この時オーストリア=ハンガリー帝国まで含めてドイツ統一が実現していたならば、その後の近代ヨーロッパ史は大きく異なっていた可能性があります。

433 :世界@名無史さん:2024/06/14(金) 11:55:23.51 0.net
ミュンヘン

434 :世界@名無史さん:2024/06/14(金) 22:11:08.14 0.net
ヘッセン

435 :世界@名無史さん:2024/06/15(土) 15:44:52.12 ID:0.net
1940年にドイツ軍がパリを占領したとき、高級ブランドや
オートクチュールのメゾンをベルリンとウィーンに移転させ、
パリに代えてこの二都市をヨーロッパの中心にしようと計画したが、
いかにも田舎者の発想というか、文化というものがわかってないよな

436 :世界@名無史さん:2024/06/17(月) 14:09:38.53 0.net
不思議なドイツ語

ライン川  der Rhein 男性名詞
エルベ川 die Elbe  女性名詞
ドナウ川 die Donau 女性名詞

なお、川 der Fruss は男性名詞

437 :世界@名無史さん:2024/06/18(火) 18:37:32.68 0.net
>>435
ドイツ軍がパリ占領後に高級ブランドやメゾンをベルリンとウィーンに移転させようとしたのは、いかにも田舎者の発想というか、文化というものがわかっていないよな、って思うよね。

当時のベルリンやウィーンは、確かに政治的、経済的な重要都市ではあったかもしれない。しかし、パリが長年培ってきた文化的な洗練度や芸術的な雰囲気には、到底及ぶべくもない。

そもそも、文化や流行なんてものは、命令でどうにかできるものではない。人々の自然な交流や自由な発想の中から生まれてくるものなのだから。

ベルリンやウィーンに移転されたとしても、ブランドやメゾンは本来の魅力を失い、単なる飾り物になってしまっただろう。

結局、ドイツ軍の計画は失敗に終わり、戦後にはパリは再びヨーロッパ文化の中心地としてその地位を確立した。

歴史を見ても、文化を力で支配しようとしたものは、ことごとく失敗しているよね。

438 :世界@名無史さん:2024/06/18(火) 18:41:05.75 0.net
>>432
19世紀、ヨーロッパは産業革命と帝国主義の波に飲み込まれ、イギリスやフランスに大きく遅れをとったドイツ。そんな危機感から、ドイツ統一の機運が高まったのは当然の流れだったよな。

でも、統一にあたっては色々と議論があったわけだ。どこまでをドイツとするか、って問題だよ。ドイツ語話者であるオーストリア帝国も含めて統一を目指す大ドイツ主義もあったようだが、最終的には現在のドイツ領土で統一されることになった。

俺としては、オーストリア=ハンガリー帝国まで含めた大ドイツ統一の方が、歴史的に見て面白いと思うんだ。もしそうなっていたら、近代ヨーロッパ史はどんな風になっていたろうか?

オーストリア=ハンガリー帝国は多民族国家で、様々な文化が混在していた。それが統一ドイツにどう影響を与えていたのか、想像するだけでワクワクするぜ。

もしかしたら、第一次世界大戦は起こらなかったかもしれないし、起こったとしても全く別の結末を迎えていたかもしれない。

439 :世界@名無史さん:2024/06/18(火) 18:50:19.32 0.net
その場合ハンガリーは独立するんじゃないんだろうか 北ドイツ連邦側も異民族は入れたくないだろう 
ゲルマン系ならともかくハンガリー人やスラブ人は

440 :世界@名無史さん:2024/06/18(火) 20:39:52.27 0.net
>>429
ソルブ人の言語ってまだ話されてるんですかね?
プロイセンって、本当に強い国だったんですね。
ドイツって、昔から統一国家だったイメージがあったけど、そうじゃないんですね。
今度はオーストリアやバイエルンの歴史も調べてみようかな。

441 :世界@名無史さん:2024/06/19(水) 02:07:31.61 0.net
>>440
ソルブ語は現在も存続してる言語
中心的使用地域はザクセン州東部、それからブランデンブルク州南東部

442 :世界@名無史さん:2024/06/19(水) 07:24:48.19 0.net
19世紀のドイツで、「異教的なイタリア・ルネサンス」に対して
「キリスト教精神にあふれるドイツ中世」という理想像が掲げられ、
デューラーはそのシンボルとなった

でもデューラー自身はイタリア・ルネサンス受容を生涯の課題と
していたんだよな…

443 :世界@名無史さん:2024/06/20(木) 23:16:03.68 0.net
ドイツって、なんか18世紀末まで中世という印象がする。近世が無い国。

444 :世界@名無史さん:2024/06/21(金) 00:24:06.80 0.net
暗いね。ドイツのフォークロアとキリスト教の融合した暗さ。

ヴィンケルマンがギリシャ古典美術を持ち込んでドイツの文化は明るくなったようだ。

ゲーテはかなりヴィンケルマンの影響を受けてる。

445 :世界@名無史さん:2024/06/21(金) 00:30:35.57 0.net
中世はカトリック教徒の支配だから、宗教改革でプロテスタントが比較的早く広まったドイツは文化的には中世では無いんだよね
その意味で神聖でもローマでもない帝国と言われる所以

446 :世界@名無史さん:2024/06/21(金) 00:38:56.34 0.net
ドイツの暗さはどこから来るのか。森の民だからか。

ギリシャローマ文明後、キリスト教とともにヨーロッパに内証的な深さをもたらしたとはいえるんだろうけど。

447 :世界@名無史さん:2024/06/21(金) 13:21:08.91 0.net
隣国フランスが古代ローマに傾倒していたから、ドイツは
ギリシャに傾倒した

448 :世界@名無史さん:2024/06/21(金) 13:25:18.05 0.net
実際ドイツは暗い 冬のバルト海はまさに冬の日本海側と同じ だからドイツ人はバカンスに地中海を目指す

449 :世界@名無史さん:2024/06/21(金) 13:56:31.70 0.net
オランダ・イギリス・フランスなどが近世にどんどん発展して
いったのに対し、ドイツは凍り付いた感じだな
領邦単位の政治がずっと続いていた

450 :世界@名無史さん:2024/06/21(金) 15:42:07.66 0.net
ハンザ同盟が大航海時代にうまく乗れてればな

451 :世界@名無史さん:2024/06/21(金) 17:25:48.80 0.net
かつてヨーロッパ経済の中枢地域に属していたドイツは、
ウェストファリア条約で海への出口も外国に制せられ、
「大西洋世界の後背地」になってしまった

452 :世界@名無史さん:2024/06/21(金) 20:50:40.92 ID:0.net
かつてはハンザ同盟の海だったバルト海でも、スウェーデン、
ロシアといった新興国の前にドイツの影はうすくなってしまう

453 :世界@名無史さん:2024/06/21(金) 21:20:24.75 ID:0.net
ケーニヒスベルクやダンチヒを失い、東欧が共産圏になってさらにバルト海沿岸が落ちぶれた

454 :世界@名無史さん:2024/06/21(金) 22:37:21.53 ID:0.net
国際政治や経済の中心は大西洋沿岸諸国へ、
そしてやがてはアメリカ合衆国へと移っていく

455 :世界@名無史さん:2024/06/21(金) 23:01:14.55 0.net
>>446
ドイツの暗さは森のせいだよ。バルト海は関係ない。中世の森だ。
ラインラントや南西部は明るい。ブランデンブルグもそう。
バイエルンやチューリンゲンから来る暗さだ。そして東プロイセンが持つ非ドイツ臭。
暗い。後進的。英仏伊西蘭のような洗練さ、スラブのような鈍重さとも異なるドイツの色。
本当のドイツは統一前にある。1871年 ドイツ帝国は誕生し、同時にドイツは滅んだのだ。

456 :世界@名無史さん:2024/06/21(金) 23:42:18.53 0.net
クラーナハやグリューネヴァルトの絵画を見ると、
イタリア・ルネサンスの作品とは対照的だな

457 :世界@名無史さん:2024/06/22(土) 00:30:29.97 0.net
>>455
暗いのは気候のせい
イタリアや南仏、スペインの地中海沿岸と比べれば、明らかに違う

ロシアが暗いのも気候のせい

458 :世界@名無史さん:2024/06/22(土) 08:43:56.72 ID:0.net
1938年、ヒトラーは少年時代を過ごしたオーストリアの古都
リンツに、世界一の総統美術館を作る計画を立てた
これによりナチス・ドイツの美術品略奪が始まる
ちなみに彼は、美術アカデミーに入学できずに浮浪者同然の
生活を送っていたウィーンに対しては敵意を抱いていたとか

459 :世界@名無史さん:2024/06/22(土) 13:53:44.26 ID:0.net
ドイツが森の国というの正しいが、フランスもかつては森に覆われていた。
それが大開墾運動で木を伐採しまくって、畑に変えて農業国になった。
その証拠にゴシック聖堂の起源はフランスにある。

460 :世界@名無史さん:2024/06/22(土) 22:23:16.31 0.net
イタリアやフランスでは古典主義が何度も現れるが、
ドイツでは美術史で新古典主義といわれるものが
最初の古典主義なんだよな

461 :世界@名無史さん:2024/06/23(日) 01:02:34.37 0.net
統一教会が植民地支配する日本。このダンジョンのクリア方法?簡単だよ。
日本を共産主義かもしくはナチスにする。共産主義の場合は靖国神社という無能戦犯を
祭った悪の枢軸に参拝する反日右翼や反日資本家を文化大革命のごとく抹殺していく社
会の実現。愛国心をもつものは即処刑する。無能を美化を愛国とかってヤクザと右翼と一
部の資本家がやっているからだね。政権自体は共産党以外は人にあらず。しかしこれはナチ
スでも自民でも江戸幕府でも同じだ。スターリン式。次にナチスを選んだ場合。ナチスは人
種をピンポイントで攻撃する。攻撃目標はY染色体でO2bという朝鮮人と同じものが検出
された個体の抹殺からミトコンドリアで帰化チョンの遺伝子が一定以上の値をもった個体を
抹殺する。T4作戦をなぞり盲目的な愛国だの文字通り靖国に参拝する無能者やそれに追随
するものを精神薄弱者、右翼やヤクザのいいなり、次の世代の日本人にふさわしくないとし
て処分を行う。この辺は共産主義よりもっと精査するので文化大革命ほどアバウトな虐
殺にはならない。共産主義に比べ犠牲は10分の1くらいになる。ナチスによる体制を強化す
るため国産資本家の援助が始まる。より民族的により人種的に、だだからソフトバンクやパ
ソナなど同和帰化チョンの会社を排撃し国民教育としてそうしたものの排撃にわたる。また
日本人を人種改良するために一重を生まれづらくさせ高身長で顔立ちが整った男女が生まれ
やすくする研究を行い見た目のデザイン化にも力を入れていく。盲目的な愛国は堕落の象徴
でありそのような働く無能をテスト形式で見つけては処刑して回る。多くのそうした旧世
代の日本人はより駆逐されより先鋭化された改良型日本人が作り出される。日本人改と名付け
られる。日本人改により人種の先鋭化研究を加速させる。AIや無人機などはそうした改良を
繰り返された日本人改によってよりバグが少なくより精度の高いものになる。

462 :世界@名無史さん:2024/06/23(日) 01:02:49.80 0.net
同じくして旧世
代の遺物と化した朝鮮同和系の旧日本人や帰化人への弾圧がより鮮明になる。国際社会におけ
る立場を保ちながらも自国内のアファーマティブアクションを排撃するための外交による支援
を同時に展開する。これは中国がウイグル弾圧しながらも武力をちらつかせ平和とナイフの2
面を用意することに似る。日本人改はこの問題を潜在的な隣国の半島の反国家勢力に対する正
義と自衛のための闘争とし周辺国の理解を務める。そのために靖国戦犯やその支援者徳川な
ど旧世代日本人の抹殺が同時に行われる。

463 :世界@名無史さん:2024/06/23(日) 13:15:31.29 ID:0.net
今だけです。
https://i.imgur.com/FTVv5wO.jpg

464 :世界@名無史さん:2024/06/23(日) 14:23:05.80 0.net
>>463
こんなにお得なのがあるとは知らなかった

465 :世界@名無史さん:2024/06/24(月) 15:50:48.27 0.net
ヒトラーは美術品好きだったけど、スラヴ美術には興味がなく、
ソ連ではドイツ軍は教会やイコンもお構いなしに破壊していった
キエフやスモレンスクの美術館を裸にし、エカテリーナ宮殿の
「琥珀の部屋」の、豪華な琥珀のパネルや調度品も略奪した

466 :世界@名無史さん:2024/06/24(月) 16:13:05.25 0.net
ヒトラーの趣味は偏ってる

ロシア出身のシャガールやカンディンスキーなんて退廃芸術展行きだろうな
印象派も、それ以降のパリ派もシュールレアリスムも野獣派も全部嫌いじゃないの
ワイマール共和国で盛んだったダダイズムやバウハウスのモダニズムも趣味じゃないらしいし

467 :世界@名無史さん:2024/06/24(月) 17:22:42.38 0.net
ヒトラーが好きだったのは、世界に冠たるドイツ民族の美術のほか、
近縁のオランダやフランドルの美術だった

468 :世界@名無史さん:2024/06/24(月) 18:28:57.56 ID:0.net
>>463
なにげに職人動画が面白いよな

469 :世界@名無史さん:2024/06/24(月) 23:50:33.26 ID:0.net
そりゃヒトラー自身画家を目指して美大を受けたくらいだからな

470 :世界@名無史さん:2024/06/25(火) 10:52:47.45 ID:0.net
ヘルマン・ゲーリングも美術品好きで、彼の夢もやはり、
自分の名を冠した美術館を作り、それを国家に寄贈することだった
彼はヒトラーを出し抜いて優品を入手し、ベルリン郊外の私邸に
運び込んでいた

471 :世界@名無史さん:2024/06/26(水) 22:40:04.12 0.net
ヒトラーの絵ってDAIGOの歌のようだな

472 :世界@名無史さん:2024/06/27(木) 01:11:09.53 0.net
伝統的な写実的な風景画家を目指した

だから印象派やその後の抽象画は伝統を蔑ろにした、退廃芸術として嫌った

473 :世界@名無史さん:2024/06/27(木) 07:57:48.38 0.net
ナチ時代の芸術は大したことはないな

しかし制服、兵器にはある種の美がある

474 :世界@名無史さん:2024/06/27(木) 14:15:32.17 ID:0.net
>>473
優秀なドイツ軍は皆から憧れる存在でなればならないというヒトラーの考えの下、
デザイナーに頼んでカッコいい制服を作らせた。

確かにナチスドイツの制服のカッコよさは際立つ。

475 :世界@名無史さん:2024/06/27(木) 15:12:00.43 0.net
第二次世界大戦では、ソ連側も「奪われたら奪い返せ!」とばかり、
大量の美術品を略奪していったな

476 :世界@名無史さん:2024/06/27(木) 18:17:18.71 ID:0.net
ドイツの「父なる川」ライン川沿いに堂々たる姿で佇むシュパイヤー大聖堂は、神聖ローマ帝国皇帝コンラート2世が1030年、繁栄の極みにあったこの地に自身の墓所として建設を命じました。そして、孫のハインリヒ4世治世下の1061年に献堂式が行われました。

全長133メートルを誇る大聖堂は、世界最大級のロマネスク建築の教会として、神聖ローマ皇帝の権威を象徴するかのように、4本の塔が天空にそびえ立っています。

赤い砂岩で造られた大聖堂は、平面図を見るとキリスト教の十字架の形をしています。その地下には、ドイツ最大級といわれるクリプタ(地下聖堂)があり、コンラート2世をはじめ、歴代の皇帝や皇后たちが眠っています。

「カイザードーム(皇帝大聖堂)」と呼ばれ、創建後幾世紀にもわたって神聖ローマ帝国の象徴として君臨し続けたシュパイヤー大聖堂でしたが、17世紀にフランスの侵攻を受け、ルイ14世の兵士たちによって焼かれ、無残な姿に変貌してしまいました。その後、18世紀に修復されたものの、再びフランス軍によって破壊され、19世紀に再度修復が行われました。そして1961年、本格的な修復によって創建当時の姿を取り戻したシュパイヤー大聖堂は、ライン川のほとりの丘に再び甦りました。

度重なる破壊を受けながらも、その都度修復や再建が繰り返されてきたシュパイヤー大聖堂は、創建当時の様式をよく残したロマネスク建築として、1981年に世界遺産に登録されました。荘厳な建築美はもちろんのこと、その再生の歴史に思いを馳せると、感慨もひとしおでしょう。

477 :世界@名無史さん:2024/06/27(木) 19:50:21.80 0.net
ヒトラーもよく絵画の遠近法出来ないのに美大受けようとしたな

478 :世界@名無史さん:2024/06/28(金) 11:48:24.05 0.net
フランスの接収された松方コレクションは日本に返還されたのだろうか

479 :世界@名無史さん:2024/06/28(金) 14:48:27.49 ID:0.net
ナチスがユダヤ人から巻き上げた財産は、ドイツ敗戦のどさくさに紛れて、スイス銀行がかっさらった

480 :世界@名無史さん:2024/06/28(金) 14:49:35.07 ID:0.net
スイスはイメージ良い印象を持つが、その実はかなり悪どいことやってる

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