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○○○ヘイシャン・ミュージック●●●

423 :416/411/404/391(再履修者):03/06/22 13:20 ID:1Cyq6Go/.net
ご無沙汰でした。>>417>>422関連で私もちょいと・・・・。

旧ザイールはザイコ・ランガ・ランガ一派の音楽的背景を説明するのに
彼等がロック影響下の世代(=ビートルズの弟分)であるからといった理由を
挙げておくのが適当だとするならば、ハイチのミニ・ジャズ・ムーヴメントも
同じ世代の人々によって成されたものですよね。
いまやザイコ一派の音楽がルンバ・ロック(・・・ロックですかい!)とまで呼ばれるのに、
ギター・バンドとしてのタブー・コンボが10年間弱で終わってしまったり
スカ・シャがミニと言うよりはミディアム・ジャズ(?)といった感じになったのは、
ニューヨークで活動していく上ではラテンやジャズやU.S.ブラック・ミュージックを
取り入れていくのが聴衆の支持を獲得し続けていく最善の道だと考え、
必然として、その音楽に相性の良いホーン・サウンドを補強していったから
・・・なのではないかと思ったのですが、どうでしょう。
それに対して、リンガラ・ポップの聴衆が本国に次いで多い地域のフランスやベルギーでは
米国の諸音楽よりは英国ロックの方が影響が強いはずですから、ロック・ミュージックとしての
ギター・サウンド主体のリンガラ・ポップが支持され続けているのでは・・・・?

なぜ、以上のようなことを考えたかというと、
「レゲエはコンゴレは結構好きですよね。」(>>395)という指摘からです。
米国より英国で支持が強かったはずのレゲエが好まれるぐらいなら、ロックやポップス全般も
米国より英国のものが多く入っているのだろうと思います。
また、フランスでも保守派の年輩諸兄のひんしゅくを買いつつも英国ロックを聴き続ける若者は
多かったはずなので、在欧コンゴレもその風潮を当然受け止めたのでは。
そして、ハイチ音楽が一方的にラテン音楽やジャズに影響を受けていたわけではなく、
実は音楽の里帰り現象だったのだ!と思わせる、以下のハイチ音楽界の重鎮たちの発言。
http://www.beats21.com/ar/A01081903.html
・・・ふむふむ、ジャズが里帰りして、じゃずーになったのだな・・・・。


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