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【クラシックの迷宮】 片山杜秀 7 【パンドラの箱】

626 :名無しの笛の踊り:2020/05/26(火) 00:31:41 ID:WxgxvI6E.net
>>625
受難曲があれだけの評価をオーソドックスやカトリックでも受けるのは彼が極めてエキュメニカルな人間だったからだとおもいます
彼が生きた時代のドイツのルーテル派は哲学ではライプニッツからカントに代表されるように極めてエキュメニカル的です
逆にモーツアルトやベートーヴェンが持つ普遍性も、モーツァルトは理神論的な結社と関係があり、逆にベートーヴェンはカトリックでありながら同時にほかの宗教にも並々ならぬ関心を抱いていました
それらはどれも教会の統合と普遍性の方向に向かっている証だとおもいます
19世紀までの大作曲家はほとんどカトリックであるか理神論やエキュメニズムのような協会の統一運動に近い位置にいた人が非常に多い

また異民族の要素を入れずに作曲が可能なのは国民国家が教会の権力を上回って以降ほとんど不可能だと思います
まして、国民国家間の戦争をあつかうならまったく不可能と言っていいと思います
もしそこにオルタナティブがあるとすれば、セリー音楽のようなもはや通常のメロディを超越したところにある音楽です
しかしセリー音楽を志すこと自体がすでに自民族的であることを捨てようとすることですから、やはり国民国家を超えようとする普遍的な意思は変わらない、あるいはその意思がよりラディカルに表れているとおもいます

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