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【クラシックの迷宮】 片山杜秀 7 【パンドラの箱】

644 :名無しの笛の踊り:2020/05/26(火) 02:32:29 ID:tR8s073e.net
いまの話を戦後日本の作曲界という具体事例に、私のために結び付けさせていただきますが、
素人耳と愚鈍な頭の私からしても、敗戦直後〜60年代くらいの若手である間宮や芥川や黛や矢代の曲は、
80〜90年代にもう一人前として活躍していた西村や池辺や吉松や細川と比べて、優れているのは明らかなように思います。

そしてこの場合の優れているというのは、これまでの議論から、
「繰り返し聴きとおせる=多少なれ普遍性を持っている」という風に換言できるでしょう。
それ即ちWxgxvI6E氏がいう「普遍主義運動とクラシックへの衝動」の結びつきだと言い切れそうです。

とすると、逆に戦中の諸井三郎や信時や橋本などが、
私の耳に「多少なれ普遍性を持っている」ように聴こえることは、
片山さんがよく持ち出す、石原莞爾の満州国建国の「五族協和」からの「世界最終戦論」みたいに、
「普遍性への志向」が血として流れているからなのかな…
アジアの代表としての日本が、アジア的な秩序によって世界を統治していく、
切実な願いとしての「普遍性」が、音楽に意識的にも無意識的にも反映しているのでしょうね。

戦前は「アジアの代表としての普遍性」、戦後は「国際社会の一員としての普遍性」
視座が180度変わったのにもかかわらず、どちらの音楽も私には格別に聴こえるのは、
どちらも普遍性を志向する作曲家が居たからだと、なんとなく納得しました。

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