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【消印】ヤフオク使用済切手・古封筒【郵便史】

1 :名無しのコレクター(オイコラミネオ MM96-rPPJ):2017/02/23(木) 19:41:07.89 ID:6d34F10bM.net
切手スレでは使用済、消印、カバー、郵便史には興味ないので余所で。。。
という意見が多いようなので、立てました。
マニアック過ぎて大して人がいると思いませんので、これだけに話題を限定しません。
何でもご自由に。
3行で纏めきれない蘊蓄を傾けるも結構。
ジャパンやタカハシなど冊子体オークションの話も結構。
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951 :名無しのコレクター :2018/05/11(金) 17:42:36.21 ID:aBZlY/fiM.net
手彫龍500文、和桜2銭赤貼 書留 不統一印 大垣検査済、栃木県宛。
三月三十一日/大垣駅郵便所 角型朱印、「書留」朱印、「別段至急」朱印。
https://page.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/c648339551
切手も封筒も虫食い無数。
中の手紙に明治6年3月3(0?)日の書き込み。したがって、大垣は明治6年3月31日の差出。

952 :名無しのコレクター :2018/05/11(金) 18:37:10.03 ID:KLpFWvhS0.net
>>951
不勉強なことばかりでわからない点が多数御座います。

一、中の書状の日付が三月三十? となっているとはいえ、同日の30日ではなく、31日に大垣に差し出されるというのはどう特定されるのでしょうか。
一、封書の包み紙に押されている消印に、中央の「東京」の外周に「四」らしきものが見えますが、この外周部分は何が記載されますでしょうか。当時は鉄路も無く、東海道なり中山道なりでいったん東京に運搬するしかなかった、というのは理解できます。
一、なぜ龍文500文に、手彫り桜二銭が加貼されているのでしょうか。銭単位の龍銭と手彫り桜との組み合わせでもなく、時期的にも通貨制度の面でも飛躍がある組み合わせかと見受けられます。

953 :名無しのコレクター :2018/05/11(金) 20:36:56.85 ID:ibqGdw1i0.net
(´・ω・`)手彫りとか桜とか一切わからんド素人が見た限りの印象です。。掲示板汚しで失礼。。。
>>951のブツ、「なんとなく、新しい匂いがする希ガス。。」
>>952さんの御質問の内容さえわからんド素人の戯言で失礼しました。。。

954 :名無しのコレクター :2018/05/11(金) 21:28:46.84 ID:o1quwV080.net
>>951 じゃないが

>>952
1873年(明治6年)3月30日は日曜日
書留は郵便局差出だから月曜日の31日差出だと思う
ちなみに新暦は明治5年(1872年)からの使用です
当時郵便局が日曜日開いていたかどうかまではわからんが、おそらく明治時代じゃ日曜日やってない可能性高いだろうな
すまないが、明治期の郵便局開局時間の資料まで持ち合わせてないので推測だ

二重丸型日付印といって、中が局名周囲は日付
また「午前」「午後」や「イ、ロ、ハ」など便名が記載されている

明治5年より新貨条例の公布で銭単位に改められ
48文を半銭、100文を1銭、200文を2銭、500文を5銭と改められ使用されました。
おそらく5銭切手として残った切手を貼り付けたんじゃないかと推定されますが
手彫り切手の専門じゃないので済まんがそれ以上は詳しく分らない
手彫り専門の人だったらもう少しウンチク語れるのかもしらんがね

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