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洋書・読み終えた本の感想スレ・雑談あり 1

544 :名無しさん@英語勉強中 (アウアウエーT Sa52-A3qO):2020/05/26(火) 10:15:01 ID:N0slBzZJa.net
>>541
自分も下に書いた以上に詳しくないから、あとはネットとかで調べてくれたらいいと思う。

明治初期の炭鉱には重罪人が刑罰として働いていた。例えば幌内炭鉱では常時1000名の
囚人が空知集治監から送り込まれた。全坑夫の8割を占めたというから恐ろしい。
彼等は10時間以上の坑内労働を強いられ、あるときは腰に綱をつけられてガス検知のため
モルモット代わりに坑内深く吊り下げられたりした。一般は一日40銭、囚人は18銭の賃金、
「囚徒は固より暴戻の悪徒なれば其苦役に堪えず・・斃れ死して其人員を減少するは監獄費
支出の困難を告げる今日において万止むを得ざる政策なり・・」とか。
明治からの物価は7000倍と考えると、40銭は28万円、18銭は18万円だ。
(森永卓郎監修「明治・大正・昭和・平成・物価の文化史事典(展望社)」は昔の小説や記録を
読むうえで有益だ。)
自分は、福岡県荒尾市にある産業世界遺産の三池炭鉱を見学したことがあるが、抗夫は
大型エレベーターで地下に送られ一日坑内で過ごしたそうだ。その大型エレベーター、地下に
下降する時は一瞬、無重力状態になるほどのスピードだった。視察に来た文士が気絶した
そうだ。昭和の閉山まで働いていた人がボランティアで案内してくれた。

戦前は、炭鉱労働は危険で過酷だから他の労働者の賃金より高くしなければ坑夫は集まら
なかったが、多少高くても堪えられないね。松坂慶子さんのお父さんは戦争末期、生活苦から
朝鮮半島から日本に渡って高島炭鉱の軍艦島で働いた経験を「娘、松坂慶子への遺言
(1993年)」の中で語っている。最初は高島炭鉱で耐えられず脱出して、彷徨の末筑豊炭鉱で
職を得て・・・。この本は今となっては貴重な歴史証言だが、処分してしまって後悔している。

イギリスでは、女子や子供の労働は「The Act of 1842 forbade the employment of women
and children underground in coal mines.」でようやく禁止された。

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