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征夷大将軍っていつから源氏だけになったの?
- 183 :日本@名無史さん:2012/06/27(水) 00:47:11.42 .net
- なぜ秀吉は征夷大将軍になれなかったORならなかったのか?
- 184 :日本@名無史さん:2012/06/27(水) 08:24:10.94 .net
- >>183
関白になって公家と武家の融合政権を作ろうと思ったから
征夷大将軍って武家のトップでしかないんだよね
- 185 :日本@名無史さん:2012/06/27(水) 22:03:56.73 .net
- 摂関も公家のトップでしかないけど。
「鎌倉幕府」成立から秀吉までの間に、摂関が公武のトップになった
時期はないね。
- 186 :日本@名無史さん:2012/06/28(木) 00:17:37.01 .net
- まあ秀吉が征夷大将軍になりかったってのは林羅山の嘘だから
- 187 :日本@名無史さん:2012/06/28(木) 12:59:50.40 .net
- 秀吉は天皇になればよかったんだよ
- 188 :日本@名無史さん:2012/06/28(木) 14:50:53.23 .net
- >>185
将軍不在時には摂関がトップでしょ
摂関不在でも将軍が公家のトップに立つことはないが
- 189 :日本@名無史さん:2012/06/28(木) 19:00:03.70 .net
- 室町殿が公武のトップになった事例はあるな。
- 190 :日本@名無史さん:2012/06/28(木) 21:03:23.64 .net
- 足利義満は帝位算奪を考えていたってホンマ?
- 191 :日本@名無史さん:2012/06/28(木) 21:50:29.08 .net
- >>188
将軍が京にいなかったときやら空位だったときやらといろいろ
あるが、摂関が武家のトップに立ったことなどないね。
摂関が「武命に違う」等々の理由で追放、解官されたりといった
事例はあるけど。
- 192 :日本@名無史さん:2012/06/28(木) 22:10:00.96 .net
- >>189
「室町殿」は極官が太政大臣
摂関になったことはなく公家のトップに立ったことはないよ
- 193 :日本@名無史さん:2012/06/28(木) 22:11:02.59 .net
- >>191
豊臣秀吉は摂関でありながら武家のトップだったじゃん
- 194 :日本@名無史さん:2012/06/28(木) 22:23:14.99 .net
- >>192
「室町殿」の権威そのものが摂関を超越していたということだろ?
摂関が無条件にトップでという前提を立てているけど、そもそも
そういう官位を超越した形での摂関の権威そのものが、実力と
伝統以外に裏付けをもたないもの。
将軍家・武家の力と財力に圧倒され、摂関自身が実質的に家
礼として伺候する状態であり、将軍家の意に反するものは公武
問わず解官・追放される状態だった以上、摂関も含めた公家の
上に立っていたと評せざるを得ないだろうね。
- 195 :日本@名無史さん:2012/06/28(木) 23:24:01.24 .net
- >>194
「権威」で話をするなら江戸時代の将軍は摂関はおろか
天皇すら超越してたんだがw
太政大臣が摂関を超越した地位とされたことはないよ
武力を背景に摂関や天皇に疑似させることはできたけど
義満の子は皇太子と同待遇だったしね
- 196 :日本@名無史さん:2012/06/28(木) 23:30:50.19 .net
- >>195
摂関と比べるべきは「将軍」の方だろ?
- 197 :日本@名無史さん:2012/06/28(木) 23:42:17.57 .net
- >>196
摂関が天皇を超えたことがあるの?
- 198 :日本@名無史さん:2012/06/28(木) 23:47:30.72 .net
- >>194
それをいうなら鎌倉幕府の執権は摂関を超越していた
鎌倉時代のただの執権を自称する(朝廷に執権などという官位はないので)
朝廷から見たらただの東武士が摂関を自在に罷免し
天皇を廃帝とし上皇3人を島流しにしてたんだよ?
鎌倉時代以降、幕府が朝廷権力を超越していたことなど教科書レベルの話じゃん
なにも将軍じゃなくてもよかったわけ
執権でも摂関の任命権や天皇の罷免権を持てたわけだし
- 199 :日本@名無史さん:2012/06/28(木) 23:56:25.51 .net
- 得宗権力が確立した後の時期には、得宗が五位、北条他家が四位なんていう
状況が普通になったというな。
それはともかくとして、さすがに執権なり得宗のところに摂関が伺候したり、裾を
取ったりということは起きていないね。
室町将軍のところには年始の挨拶に伺候したり、裾を取らされたり、外出時に
付き従ったり、偏諱を拝領したりというようなことをしているけど。
- 200 :日本@名無史さん:2012/06/29(金) 00:07:13.92 .net
- >>199
任命権・罷免権があっても「権威」とはいえない、
「権威」とは「年始の挨拶に伺候したり、裾を取らされたり、外出時に付き従ったり、偏諱を拝領したり」?
そりゃ、京都にいた室町将軍の特権だわ。
東国にいた江戸幕府将軍に対して摂関は一切そんなことしてないからな。
室町幕府将軍だけが摂関に超越し、江戸幕府将軍は摂関を超越してなかったわけか。
こじつけすぎたな。
- 201 :日本@名無史さん:2012/06/29(金) 06:19:39.73 .net
- 北条氏や足利義満はちょっと例外だと思うけどね
源氏も平氏も元は皇室から出た家系で、先祖をさかのぼれば必ず天皇に辿り着く
だから自分達も天皇の血を引く子孫だというマインドを強く持っていたし
それ故に、天皇に対しても公然を牙を剥く事が出来た
誰か昔の王孫ならぬ(=祖先が天皇家につながらない者がいるだろうか)
これ有名な言葉じゃん
承久の乱の時、帝に背けば天罰が下ると言われ、そう言い返したって有名な逸話だけど
義満にしたって、自分を単に武家の棟梁で源氏長者と考えていたわけでなく
自らも天皇の血を引く子孫で、天皇になる権利を有していると考えていた
まあ実際には源氏の血を引かない徳川家には、そんな権利はなかったけどね
- 202 :日本@名無史さん:2012/06/29(金) 08:31:50.81 .net
- おまえら、
スレタイは嫌いか?
- 203 :日本@名無史さん:2012/06/29(金) 08:54:07.84 .net
- スレタイから脱線する事はどのスレでもよくある事だ
少々の事でガタガタ言うなボケ!!!!
- 204 :日本@名無史さん:2012/06/29(金) 09:01:32.74 .net
- >>201
諸外国では皇帝や王を滅ぼして全く血縁関係のない奴が皇帝や王になっているのだし
別に源平でなくても天皇になどなれただろ
逆に源平は天皇の血を遠い先祖で引いていることを誇りにしていたので
本家本元を滅ぼせなかったんだと思うが
まあ、日本人の3分の2程度が天皇の血をどこかで引いているらしい
そう考えると徳川にしろ信長・秀吉にしろ絶対に天皇の子孫でなかった
保証はどこにもない
- 205 :日本@名無史さん:2012/06/29(金) 14:53:58.81 .net
- >>204
何が言いたいのか全くわからない
>諸外国では皇帝や王を滅ぼして全く血縁関係のない奴が皇帝や王になっているのだし
>別に源平でなくても天皇になどなれただろ
>逆に源平は天皇の血を遠い先祖で引いていることを誇りにしていたので
>本家本元を滅ぼせなかったんだと思うが
前段と後段で内容が矛盾している事すらわからないのか?
日本は天皇家が倒れた歴史を持たない国であり
王家が攻め滅ぼされて王朝交代があった諸外国とは土壌がまるで異なる
承久の乱の時の言葉を見れば、源氏や平氏が自らも皇位継承権があると考えていた事が読み取れるだろう
鎌倉幕府の執権や、将軍足利義満が天皇の権威を超越し、し放題出来たのも、その血ゆえだ
>まあ、日本人の3分の2程度が天皇の血をどこかで引いているらしい
>そう考えると徳川にしろ信長・秀吉にしろ絶対に天皇の子孫でなかった
>保証はどこにもない
源平のようにきちんとした系譜を引き、子孫である事がはっきりしている家柄と
偽系図で源平を称した連中を同列に扱うとは傑作だね
馬鹿なのかあんたは?
- 206 :日本@名無史さん:2012/06/29(金) 15:02:55.67 .net
- せっかくスルーしたのに
- 207 :日本@名無史さん:2012/06/30(土) 01:29:40.57 .net
- スルースキルつけろよ
- 208 :日本@名無史さん:2012/07/02(月) 18:46:53.80 .net
- 【政治】 石原都知事 「東京と大阪をリニアで結び、画期的なマンモス都市に。東京の過度集中を分散」…世界都市サミットでスピーチ
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1341206973/
115 名前:名無しさん@13周年[] 投稿日:2012/07/02(月) 15:16:15.63 ID:uqVrOteyO [1/3]
下品で下劣で臭い大阪人は、東京に来て欲しくない
というのが日本人の正直な気持ちです
133 返信:名無しさん@13周年[] 投稿日:2012/07/02(月) 15:25:24.93 ID:uqVrOteyO [2/3]
>>121 違うよバカだなあw
大阪人は生まれつきなのさw
彼は生まれつき臭くて、下品で下劣なんだ
そして大阪弁はそれらに拍車をかけている。
大阪支店から出向してきた大阪人を、みんなでノイローゼ→鬱に追い込んで
退職させたのは今でも笑い話さ
141 名前:名無しさん@13周年[] 投稿日:2012/07/02(月) 15:32:00.10 ID:uqVrOteyO [3/3]
>>136 違うよバカだなあwww
大阪人というゴキブリ・ダニを殺すのにバルサンを焚いたとしても
誰も非難はしないだろ
おーい大阪人の鬼畜ども 関東には絶対に来んなよwww
- 209 :日本@名無史さん:2012/07/02(月) 21:29:27.31 .net
- >日本は天皇家が倒れた歴史を持たない国であり
王家が攻め滅ぼされて王朝交代があった諸外国とは土壌がまるで異なる
でも古代は謎のアマタラシヒコとか近江天皇の林太郎天皇暗殺とか
天武天皇の近江王朝強奪とか 王朝交代の可能性大だけど?
- 210 :日本@名無史さん:2012/07/04(水) 10:39:45.29 .net
- >>163
じゃ、何でw
安倍晴明を祀る神社が、大阪府と京都府にそれぞれ存在しているの?
教えてケロ
共に御神体があり、初代安倍晴明公神社は墓地でもある
掘れば人骨が出てきた筈だ
調べてミソwww
- 211 :日本@名無史さん:2012/07/11(水) 04:34:24.27 .net
- 日本には、触れれば血が出る、死人が出ると言われる世界が三つある。
同和、総連、それに菊の紋所である。
http://%6f%75%6a%79%75%6a%79%75%2e%62%6c%6f%67%31%31%34.fc2.com/blog-entry-43.html
征夷は終わっていない。 蝦夷殺しは続いている。
- 212 :日本@名無史さん:2012/08/06(月) 09:59:52.49 .net
- 九条頼経将軍
- 213 :日本@名無史さん:2012/08/07(火) 20:16:50.80 .net
- >>209
アメタラシヒコは、小野妹子が天皇の名前を問われた時に、
間違って自分の先祖の名前を言ったものだよ。
単純な間違いに過ぎないのだが妙な解釈をする馬鹿が増殖して困ったもんだ。
- 214 :日本@名無史さん:2012/11/03(土) 18:10:13.75 .net
- 松平信光の室
幸手一色氏
一色時家の娘
一色公深→範氏→直氏→氏兼→長兼→時家
- 215 :日本@名無史さん:2012/11/06(火) 22:15:39.39 .net
- 【神奈川】源頼朝を支えた「三浦一族ゆかりの地」を情報発信
…神奈川県がモニターツアー開催へ、地域の歴史文化資産を掘り起こし観光振興
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/femnewsplus/1352197553/
ソース(MSN産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/region/news/121106/kng12110619020007-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/region/news/121106/kng12110619020007-n2.htm
写真=三浦一族の武将が弔われた満昌寺
http://sankei.jp.msn.com/images/news/121106/kng12110619020007-p1.jpg
地図=三浦一族の主なゆかりの地
http://sankei.jp.msn.com/images/news/121106/kng12110619020007-p2.jpg
4 :やまとななしこ:2012/11/06(火) 21:44:02.59 ID:tZbJV+Ao
三浦一族は、『鎌倉源氏五代』のうち、源義朝、義平、頼朝、頼家ら四代は、確かに支えた。
しかし北条系の源実朝は、事実上三浦氏の指令で公暁(頼家子息)が暗殺しているぞ。
河内源氏の中の義朝流は、房総半島や相模が、勢力圏なので三浦氏が支えているが、
義朝流末代5代目の実朝は、執権北条家により擁立されている為に三浦氏とは縁が遠い。
というか敵対関係。
実朝と三浦氏は、キューバ危機のJFKとCIAみたいな関係。
- 216 :日本@名無史さん:2012/11/09(金) 23:38:24.10 .net
- 公暁が実朝暗殺犯だったかについてはとても疑問がある。
実朝暗殺は暗がりの中、しかも同時に源信ら京都からの公家が殺害されている。
公暁は事件直後、外に出歩いた形跡すらないまま、屋敷を北条の兵に囲まれ自害させられている。
事態はこの後、京都の上皇と鎌倉の北条との決戦(承久の乱)という形に発展する。
- 217 :日本@名無史さん:2012/11/11(日) 21:29:46.33 .net
- 黒幕は全部義時
- 218 :日本@名無史さん:2012/12/29(土) 14:34:03.47 .net
- モンゴル初代皇帝は、「源氏」か
http://music.geocities.jp/jphope21/0204/46/305.html
チンギス・カンの発音に、それが表わされていた。
- 219 :日本@名無史さん:2012/12/29(土) 17:15:18.29 .net
- (~)
γ´⌒`ヽ
{i:i:i:i:i:i:i:i:}
( ´・ω・`) 北条義時は、国家のためには、不忠の名をあまんじて受けた。
/ >‐ 、-ヽ すなわち自分の身を犠牲にして、国家のために尽くしたのだ。
/丶ノ、_。.ノ ._。) その苦心は、とても軽々たる小丈夫にはわからない。
. 〈 、〈Y ,ーiー〈ト 頼山陽などは、まだ眼孔が小さいわい。おれも幕府瓦解のときには、
\_ξ ~~~~~~Y せめて義時に笑われないようにと、幾度も心を引き締めたことがあったっけ。
|__/__|
|、,ノ | 、_ノ
- 220 :日本@名無史さん:2013/01/01(火) 10:05:01.37 .net
- やる夫が鎌倉幕府の成立を見るそうです
の北条義時はヘタレだったな
- 221 :日本@名無史さん:2013/01/15(火) 08:05:54.74 .net
- 初心者スマソ。征夷大将軍って蝦夷討伐の官職なんですよね?
坂上田村麻呂は平安時代の人なんだが鎌倉幕府を開く時
にはその役目はあるのかなぞについて。 つまりすでに奥州
は平定されていたのか、頼朝の時に
まだ 蝦夷なぞにも、反攻勢力はあったのか?
- 222 :日本@名無史さん:2013/02/18(月) 05:42:53.04 .net
- 徳川は征夷大将軍
- 223 :日本@名無史さん:2013/02/18(月) 08:52:22.53 .net
- >>221
「大将軍」という地位に「朝廷の軍事最高司令官」という意味合いがあったので
頼朝はこの称号を欲したと言われている。
尚、頼朝に何の大将軍称号を与えるかは議論されたようで、当初、
頼朝が鎌倉に本拠地を置くことから「征東大将軍」が検討されたが
就任後すぐに滅ぼされた木曽義仲が朝廷から受けた称号であることから
縁起が悪いとして征夷大将軍になったらしい
- 224 :日本@名無史さん:2013/02/18(月) 11:53:55.90 .net
- 違うよ
頼朝の場合は先祖の義家が征夷大将軍を望んだにも関わらず
実現できなかったから
先祖の悲願を果たす意味合いもあったからなんだよ
- 225 :日本@名無史さん:2013/02/18(月) 13:03:40.69 .net
- >>224
義家は蝦夷征討(安倍氏は蝦夷)やった人だけど、
頼朝は就任時に蝦夷地を攻めたことはなかったよ
だいたい、征夷大将軍につくことが武家源氏の悲願ならば
同じ義家の子孫である木曽義仲が就任しないのがおかしい
- 226 :日本@名無史さん:2013/02/20(水) 08:16:59.36 .net
- 源経基の征夷副将軍ってほんとなの?
- 227 :日本@名無史さん:2013/02/21(木) 04:25:53.13 .net
- >>1
江戸時代の捏造
現実には違うし
- 228 :日本@名無史さん:2013/03/19(火) 21:58:43.68 .net
- 秀吉が征夷大将軍を望み、それには源氏になる必要があって、
足利義昭に養子縁組を願ったが拒否されて、仕方なく関白に…
とか、まったくの捏造。家康・家光と御用学者林羅山、極悪だな。
- 229 :日本@名無史さん:2013/03/20(水) 01:24:05.83 .net
- 家康が源氏を名乗ったのは、先祖が源氏を名乗っていたこともあるけど、
それよりも、源氏長者を獲得することによって
諸国の源氏を名乗る大名の任官で主導権を握るためだと思う。
藤原氏だと、五摂家ともかぶるから、
藤原氏長者を維持するのは難しいだろうし、
豊臣氏も藤原氏を名乗っていた経緯から、それを避けるためだと思うね。
家康は豊臣氏から独立した存在に徐々に移行しようとしていたから。
- 230 :日本@名無史さん:2013/03/20(水) 01:28:35.48 .net
- 征夷大将軍は令外の官。
真の武門の最高の官職は、左近衛大将、または、右近衛大将。
でも、これらは、朝廷で務めないといけない官位。
一方、征夷大将軍は、朝廷から離れた場所で、幕府を設置できる。
- 231 :日本@名無史さん:2013/03/20(水) 01:44:15.08 .net
- 有職故実の極みだわな
- 232 :日本@名無史さん:2013/03/20(水) 04:41:08.56 .net
- そういえばサザエさんの磯野家も本姓は源氏だったな。
おはぎをたくさん食べて殿様に褒められた磯野藻屑源素太皆。
- 233 :日本@名無史さん:2013/03/20(水) 09:33:31.35 .net
- >>230
頼朝も実朝も左近衛大将または右近衛大将になってたと思うけど?
- 234 :日本@名無史さん:2013/03/20(水) 09:45:14.30 .net
- つーか近衛大将も令外の官だしw
- 235 :日本@名無史さん:2013/03/20(水) 09:59:16.13 .net
- >>228
別に極悪とは思わんけどw、
そういうイメージが流布してるのは徳川氏の思惑なんだろうね。
実際に秀吉は喜連川の姫君を犯して側室にしてるし、
もし、そこに婿入りして足利氏継ぎたい!って言ったら
ホイホイ喜んで継がせてくれただろうけどねえw
- 236 :日本@名無史さん:2013/03/20(水) 10:37:14.71 .net
- >>230
家康も任官してるけど朝廷で務めてないじゃないか
- 237 :日本@名無史さん:2013/03/20(水) 11:07:50.70 .net
- そういえば実朝って、朝廷で大将の職を務めるどころか
鎌倉で生れて、一度も上京してないよね?
鎌倉近辺、せいぜいが伊豆までしか行かない生涯だったんだろか?
それで宋まで行こうとしたんだから無謀すぎるw
- 238 :日本@名無史さん:2013/03/20(水) 12:58:38.30 .net
- 近衛大将は在京してなくてもいい?
- 239 :日本@名無史さん:2013/03/20(水) 13:20:29.39 .net
- >>82
それはそうだすね。御一家衆の養子なら征夷大将軍に正当になれるわけだし。
- 240 :日本@名無史さん:2013/03/20(水) 14:08:12.47 .net
- >>237
そうかなぁ
- 241 :日本@名無史さん:2013/03/20(水) 19:42:42.20 .net
- 本題に戻すと、上でも言われているように徳川が幕府を開いてからの近代の後づけじゃない?
そう考えると、鎌倉幕府で摂関・皇族将軍がいたこととも矛盾しない。
室町幕府以降と考えると、織田・豊臣がなりかけたことに説明がつかない。
だから、徳川幕府ができてから。それと、家綱の死後、摂関家から将軍を迎える計画があったからそれよりも後。
要は、徳川綱吉以降と考えるのが妥当。それで、じゃあ、なぜ摂家将軍じゃあダメなのかという話になって、「征夷大将軍は源氏に限る!」っていう理屈ができたんではあるまいか?
- 242 :日本@名無史さん:2013/03/20(水) 23:26:05.27 .net
- いや>>88読んで尤もだと思った。
本当にそうだったのかどうかは誰も知る由もないが、
確かにどこかの養子に入るのは簡単だったはずで、
それを家康が考えなかったはずもない。
でも入らなかったからには、>>88かどうかは別として、何か理由はあったんだろね。
- 243 :日本@名無史さん:2013/03/21(木) 00:07:45.28 .net
- 源、足利、徳川しか長期政権を作ってないから
源氏だけってにもサンプルが少なすぎるよね
- 244 :日本@名無史さん:2013/03/21(木) 00:35:52.63 .net
- 徳川が源氏ってのもちょっと怪しいからなぁ
徳川が「得川」の末裔を称したのっていつ頃だっけ?
- 245 :日本@名無史さん:2013/03/21(木) 00:38:55.74 .net
- >>243-244
このスレ10回ほど読んで出直してこい
- 246 :日本@名無史さん:2013/03/21(木) 09:36:24.05 .net
- >>241
>摂関家から将軍を迎える計画があったからそれよりも後
っていう部分だが、軽々に首肯はできない。
藤氏が征夷大将軍として幕府を統治したことがある、というのは
前例としては認識されていたはずで、それが綱吉以降変化したとも思われない。
例えば現在の日本で、女性天皇が皇室の伝統に即してどうなのか?って議論と同じで、
基本的には「天皇は男性がなる」もの。
でも、女性天皇の前例があることも、誰もが知っている。
なので、どうしても女性天皇を作り出したい勢力は、それを前例として主張する。
それと同じだろ。
なので、やはり江戸前期には、「征夷大将軍は基本的に源氏がなるもの」という
認識があったとしても、おかしくはない。
- 247 :日本@名無史さん:2013/03/21(木) 23:40:09.20 .net
- 「天皇は男性がなる」というのが明確に決まったのは、皇室典範ができてから。それが現在、女性天皇の論議になるのは後継者がいない、もしくは少ないから。
でも、徳川家には御三家という後継者を立てるための家があり、また、徳川宗家も完全に途絶えたわけではなかった。鎌倉幕府や天皇家とは事情が異なる。
そして、摂関家や皇族から将軍を迎えた後に源氏の家に跡目を返した前例はない。足利氏は実力で将軍の地位を得たのである。
だから、酒井忠清が皇族から将軍を迎えようとしたのは、中継ぎとしての目的ではなくて、以後、将軍を輩出する家を皇族に変えようとしようとしたとみることができる。
したがって、忠清のような考え方が出ているということは、この時点では将軍になれるのは源氏に限定されていなかったと考えられる。
綱吉以降に、源氏に限定するようになったのは、皇族や摂関家ではなくて徳川家こそ将軍を輩出する家であるということを明確にする必要があったから。
そして、朱子学の大義名分論が興隆するに及んで、なぜ天皇家ではなくて幕府が政を行うかという点を、
朝廷の許可なく裁量を認められた将軍→足利以降、将軍は源氏であるのが慣例→将軍は源氏である徳川家でなければならない、という理論を構築したのではあるまいか。
- 248 :日本@名無史さん:2013/03/22(金) 05:54:10.36 .net
- >「天皇は男性がなる」というのが明確に決まったのは、皇室典範ができてから。
今は「明確に決まる」話をしてるんじゃないはず。
征夷大将軍は源氏がなるものと、「明確に」、(皇室典範のような)「明文化された規則として」
決まったことは一度もない。
あくまでも慣例として、「基本的には」源氏がなるもの、という暗黙の了解の話をしてるわけで。
そういう意味でいうと、天皇は「基本的に」男性がなるもの、という慣習は、
古代から現代まで一貫して存在してるわけで、皇室典範云々は関係ない。
> でも、徳川家には御三家という後継者を立てるための家があり、また、徳川宗家も完全に途絶えたわけではなかった。
そうだけど、だから?
>酒井忠清が皇族から将軍を迎えようとしたのは、中継ぎとしての目的ではなくて、以後、将軍を輩出する家を皇族に変えようとしようとしたとみることができる
これは同意するけど、それがどうして
>したがって、忠清のような考え方が出ているということは、この時点では将軍になれるのは源氏に限定されていなかったと考えられる。
てことになるのかがわからん。
中継ぎ云々と、源氏に限定されるとは別の話でしょ?
江戸時代前期に、既に「基本的には」源氏が征夷大将軍になるべきもの、という
意識が人々の中にあった。
しかし酒井忠清は、何らかの理由によって、藤氏将軍の前例にこじつけて、
徳川家以外から将軍を取ろうと思った。ちょうど、今の日本で、女性天皇の前例にならって
女を天皇にしたがる人々がいるのと同様に。
・・・ということでも、おかしくはない。
俺が言っているのは、確実に↑こうだった、といっているのではなく、
そうかもしれない以上、
「将軍位を継ぐのは源氏、という慣例ができたのは綱吉後」と断定するのは早計だ、
って言ってるわけね。
- 249 :日本@名無史さん:2013/03/22(金) 06:07:29.37 .net
- ようは、>>247さんは、
「女性天皇を推す人は、後継難という理由があるわけだが、
酒井忠清当時の将軍家の場合は、他に後継者がいたのだから、
あえて藤氏将軍を推す理由がわからない」
って言いたいのかな??
でもそれだったら、「将軍職は源氏が」云々の慣例があろうがなかろうが、
同じだよ。
仮にそのような慣例が当時の人々に認識されていなかったとしても、
だからって唐突に、有栖川などから将軍を呼んでこようとした、ってのは
やっぱり、どう考えても普通ではないわけで。
そこはそれなりの理由があったに違いない。
例えばそれは、御三家やの面々や館林宰相を見渡して、こいつに幕府を預けたいと思える人がなかった、
というだけのことかもしれない。
そして、そういう理由があるのであれば、慣例を破ってでもそうしたい、と思ったとしても不思議ではない。
- 250 :日本@名無史さん:2013/03/22(金) 07:58:18.74 .net
- 源頼朝が開いた鎌倉幕府(幕府と言う呼称は無かったかも)は僅か三代、実質は二代で源氏の血統は絶えて、
後は平氏の北条家が執政としてズーッと実行支配(北条政権(王朝))。
体裁上、形式的に傀儡、お飾りとして皇族から宮将軍を迎えて慇懃無礼に飼い殺し
(実質的な人質、南京錠耐)。
この(お飾りのお内裏様の)宮将軍が
政権(実質、平氏北条家政権(王朝)。)の権力構造や本質と己の危く脆い立場を弁えずに
権力的、政治的な妙な色気を出すと、、w
- 251 :日本@名無史さん:2013/03/22(金) 09:47:24.16 .net
- 平清盛が藤原氏らの公家から実権掌握して平氏政権が出来して以降、
武家政権が六百有余年に渡り続きますが、
面白い事に天の配剤か奇しくも源氏と平氏が互いに持ち回り的に
平氏、源氏が政権、実権交代を繰り返しています。
- 252 :日本@名無史さん:2013/03/22(金) 10:57:25.59 .net
- >面白い事に天の配剤か奇しくも源氏と平氏が互いに持ち回り的に
>平氏、源氏が政権、実権交代を繰り返しています。
これが言えるのは平家→源家→北条→足利
までで、それ以降はどう見ても、こじつけだがね。
- 253 :日本@名無史さん:2013/03/23(土) 09:29:30.38 .net
- たんなる偶然?
- 254 :日本@名無史さん:2013/03/23(土) 10:00:11.68 .net
- >>253
真面目に質問してみたいのだが、
単なる偶然でなかったら、何であり得るかも知れないと
あなたは考えているの?
- 255 :日本@名無史さん:2013/03/23(土) 16:33:01.28 .net
- 偶然成立したことを後でこじつけた。源平交代思想も同じ。当然江戸時代以降。
- 256 :日本@名無史さん:2013/03/23(土) 17:27:32.87 .net
- >>1
いつからって質問には足利尊氏以降との答えが妥当かな
- 257 :日本@名無史さん:2013/03/23(土) 18:43:16.67 .net
- いま源氏の長者を選ぶとしたら誰?
他にも候補は?
久我誠通氏
社団法人当道音楽会総裁、女優の久我美子兄、旧侯爵久我家の現当主
細川護煕氏
元内閣総理大臣、足利氏支流細川氏、旧細川侯爵家の現当主
実弟は旧公爵近衛家当主
コ川恒孝(松平恒孝)
公益財団法人徳川記念財団初代理事長、徳川宗家現当主
- 258 :日本@名無史さん:2013/03/23(土) 18:44:21.89 .net
- いま源氏の長者を選ぶとしたら誰?
他にも候補は?
久我誠通氏
社団法人当道音楽会総裁、女優の久我美子兄、旧侯爵久我家の現当主
細川護煕氏
元内閣総理大臣、足利氏支流細川氏、旧細川侯爵家の現当主
実弟は旧公爵近衛家当主
コ川恒孝(松平恒孝)
公益財団法人徳川記念財団初代理事長、徳川宗家現当主
- 259 :日本@名無史さん:2013/03/23(土) 18:44:51.61 .net
- いま源氏の長者を選ぶとしたら誰?
他にも候補は?
久我誠通氏
社団法人当道音楽会総裁、女優の久我美子兄、旧侯爵久我家の現当主
細川護煕氏
元内閣総理大臣、足利氏支流細川氏、旧細川侯爵家の現当主
実弟は旧公爵近衛家当主
コ川恒孝(松平恒孝)
公益財団法人徳川記念財団初代理事長、徳川宗家現当主
- 260 :日本@名無史さん:2013/03/23(土) 18:46:18.29 .net
- いま源氏の長者を選ぶとしたら誰?
他にも候補は?
久我誠通氏
社団法人当道音楽会総裁、女優の久我美子兄、旧侯爵久我家の現当主
細川護煕氏
元内閣総理大臣、足利氏支流細川氏、旧細川侯爵家の現当主
実弟は旧公爵近衛家当主
コ川恒孝(松平恒孝)
公益財団法人徳川記念財団初代理事長、徳川宗家現当主
- 261 :日本@名無史さん:2013/03/23(土) 21:08:04.49 .net
- 岡野論文では久我通久が源氏長者の宝器である安摩面の矢羽を首からかけて
戊辰戦争に出陣しており、正式の宣旨こそないものの源氏長者の地位は
徳川宗家から久我家に返還された・・・としている。
- 262 :日本@名無史さん:2013/03/23(土) 21:09:39.69 .net
- 岡野論文では久我通久が源氏長者の宝器である安摩面の矢羽を首からかけて
戊辰戦争に出陣しており、正式の宣旨こそないものの源氏長者の地位は
徳川宗家から久我家に返還された・・・としている。
- 263 :日本@名無史さん:2013/03/23(土) 21:10:25.22 .net
- 岡野論文では久我通久が源氏長者の宝器である安摩面の矢羽を首からかけて
戊辰戦争に出陣しており、正式の宣旨こそないものの源氏長者の地位は
徳川宗家から久我家に返還された・・・としている。
- 264 :日本@名無史さん:2013/03/23(土) 21:11:36.91 .net
- 岡野論文では久我通久が源氏長者の宝器である安摩面の矢羽を首からかけて
戊辰戦争に出陣しており、正式の宣旨こそないものの源氏長者の地位は
徳川宗家から久我家に返還された・・・としている。
- 265 :日本@名無史さん:2013/03/23(土) 23:37:12.21 .net
- サバの調子が悪いせいか書き込みが重複して変だなw
- 266 :日本@名無史さん:2013/03/24(日) 01:47:05.74 .net
- 池沼が発狂したとオモタw
- 267 :日本@名無史さん:2013/03/24(日) 02:10:24.85 .net
- コ川氏は実は賀茂氏。
久我氏も男系で見たら藤原氏の近衛家の系統に変わっている。
細川氏こそが源氏氏長者じゃね?
公家の村上源氏の男系はそこそこの名家では残ってないだろう?
清和源氏のほうは、源氏家系の細川家に残っている。
- 268 :日本@名無史さん:2013/03/24(日) 10:40:54.44 .net
- まず、源氏長者になるために本当に源氏の男系子孫である必要がないのは
徳川将軍家で証明済み。
その上でマジレスすると、「源氏長者」を何と捉えるのかによる。
「明治維新前まで日本に存在した制度」を「回顧的・懐古的」に、「実態を伴わず」「名目上のみ」
復活させる、というのなら、
(本当は、源氏長者っていう制度は維新前は当然、社会的に意味のあるものとして
制定されていたわけだから、それを実質上の意味なく懐古的に復活させるのは誤りなのだが)
その場合は、久我家当主だろう。
徳川家は維新で敗北したから、源氏長者ってのは変だし、本人がそれを主張しないと思う。
細川氏っていうのも明らかに変。歴史的に細川氏が源氏長者となった例がないのは誰でも知っているし。
もし本当に現代に有効なものとして「源氏長者」って制度を作る、というのなら、
(この場合も、「源氏長者」なる制度が維新後の日本において実質的に有効なものでは有り得ない、
ということ自体はその後の歴史から明らかなわけで、想定に無理があるのだが・・)
その場合、その時代で源氏と称している人の中で、最も大きな権力を
持っている人が源氏長者となる。
細川の殿は既に隠居の身だから、現在の源氏長者は
自民党の甘利大臣あたりだろう。
- 269 :日本@名無史さん:2013/03/24(日) 11:02:45.41 .net
- >>253さんみたいに、源平交代思想みたいなものを
「単なる偶然ではない」とか言いたがる人って、昔から今まで沢山いるわけだが
(だからこそ、まさに源平交代思想というような語が今に残っている)、
そういう人たちが正直なところ、何を主張したいのかが、俺には一度も理解できたことがない。
源平交代に限らず、この種の主張をする人に、「偶然じゃなかったら何なの?」って聞いても
答えが返ってきた試しがないのが不思議。
実際のところ、それは「天命」だと言いたいのだろうか?そしたら、その人は「天」というものが
明確な「意図」を持っていることを本気で信じているのだろうか?その場合、その「天」という概念は一体どういうものなのか?
そもそも何で、その「天」とやらは、源氏と平氏の間で奇妙な遊びをしなくてはならないのか?
そういったことを何も考えずに、ただ単に「偶然とは思えない」とのみ言って、
それで何か歴史について深い洞察を得たかのように考えているのだろう。この人々は。
つまり、実際には、「歴史」がどういうものかについて深く考えた経験が一度もなく、
かつ、それにもかかわらず、自分が深い洞察を得ていると信じたい人のみが
こういう主張をしたがるのだろう、というのが、現在の自分の見解。
- 270 :日本@名無史さん:2013/03/24(日) 12:11:39.88 .net
- 「征夷大将軍は源氏」ってロシアのつるふさの法則と同程度だと思うよ
自然科学を持ち上げたいわけではないけど、法則に関していえば社会科学はその性質上かなりアバウトだし
身も蓋もないこと言うと、人がやることだから状況さえ整えば明日からでも覆るわけで
ちょっとスレチだねすまん
- 271 :日本@名無史さん:2013/03/24(日) 16:48:14.62 .net
- こんな論争が起こるから信長もしくは秀吉はとっとと将軍になってれば良かったんだよ・・。
- 272 :日本@名無史さん:2013/03/24(日) 17:02:33.68 .net
- 秀吉はともかく信長は天皇になろうとしてたんだが……
- 273 :日本@名無史さん:2013/03/24(日) 18:59:43.67 .net
- 大河ドラマ源平交代(自称源平、伝説含む)
八重の桜 源氏(会津松平)
平清盛 平氏
江 平氏(織田氏)
龍馬伝 源氏(坂本龍馬、明智氏)
天地人 平氏(長尾氏、上杉謙信)
篤姫 源氏(島津氏)
風林火山 源氏(武田氏)
巧妙が辻 藤原氏(山内氏)
義経 源氏
- 274 :日本@名無史さん:2013/03/24(日) 19:25:06.85 .net
- 来年の黒田は宇多源氏佐々木氏流か
- 275 :日本@名無史さん:2013/03/24(日) 19:48:36.79 .net
- 源氏も平氏も天皇の子孫なんだから
どうして天皇の子孫と言う事にしないのか?
- 276 :日本@名無史さん:2013/03/24(日) 21:02:38.31 .net
- >>272 それも捏造徳川史観やろ。
- 277 :日本@名無史さん:2013/03/24(日) 22:33:54.39 .net
- >>272
その考えも源平交代論と同じ類のものだぞ
- 278 :日本@名無史さん:2013/03/24(日) 22:46:54.92 .net
- つうか、今の時代に源氏長者なんか実利ないだろ?よほどの歴ヲタしか氏の長者なんか知らないだろうし。
- 279 :日本@名無史さん:2013/03/24(日) 23:04:56.08 .net
- 昔はどういう実利があったのかも、よくわからんけどな
江戸時代とか。
- 280 :日本@名無史さん:2013/03/24(日) 23:07:16.34 .net
- 源氏長者が甘利大臣だったら、藤氏長者は誰よ?
- 281 :日本@名無史さん:2013/03/24(日) 23:22:49.99 .net
- >>280
そこは鷹司神宮大宮司にしとこうよ
- 282 :日本@名無史さん:2013/03/25(月) 00:15:20.32 .net
- それだったら春日大社宮司の花山院弘匡さんでも良くないかい?
- 283 :日本@名無史さん:2013/03/25(月) 00:21:55.14 .net
- >>280
名前から言うと、新藤義孝大臣か?
本人が藤氏を称しているかどうか微妙だがww
- 284 :日本@名無史さん:2013/03/25(月) 00:32:40.57 .net
- >>279
江戸時代は徳川家の独占だったから、源氏長者としての力と統治者としての力を区別することは難しそうね
権威と権力が統合された時代とも考えられる
- 285 :日本@名無史さん:2013/03/25(月) 01:04:55.57 .net
- >>280
五摂家筆頭の近衛忠W氏でもいいけど、
藤裔会会長、平安神宮宮司の九条道弘氏だろうな。
- 286 :日本@名無史さん:2013/03/25(月) 09:22:59.10 .net
- 神主さんとかではなく、実際に政治的力を持った人がなるのが
氏長者。
- 287 :日本@名無史さん:2013/03/25(月) 13:39:10.99 .net
- 平氏の長者てあったの?
- 288 :日本@名無史さん:2013/03/25(月) 15:36:37.48 .net
- 神主さんいうてもいろいろや。
実際の話、同族の会である藤裔会や清和源氏同族会の会長が現在の長者ちゅーことになるわな。
- 289 :日本@名無史さん:2013/03/25(月) 17:47:13.13 .net
- > 清和源氏同族会
これは明確にダメだろ。
源氏って言っても村上源氏宇多源氏嵯峨源氏正親町源氏いろいろある。
> 同族の会の会長
これも違う気がする。
氏長者は宣旨をもって定められる権威をもつもので、私的な会合の代表者とは違う。
氏長者と同族の会の会長を比べるのは、あくまでも部分的な類推に過ぎない。
- 290 :日本@名無史さん:2013/03/26(火) 18:01:07.60 .net
- 征夷大将軍は元々は臨時の役職で常時は鎮守府が担当していた
で頼朝が清盛みたいに軍事公卿になった失敗を見て征夷大将軍を家人の棟梁としての名目で拝領したのが始まりだな
坂上田村麻呂は当初は副将軍だったな
- 291 :日本@名無史さん:2013/03/26(火) 20:12:00.51 .net
- 頼朝は軍事公卿になりたくなかったのか・・・
- 292 :日本@名無史さん:2013/03/27(水) 01:52:04.43 .net
- >>1
別にそうと決まったわけではない。
たまたま足利将軍家が源氏の流れを汲んでいて、それが約200年15代と続いたこと、
鎌倉・室町と源氏の将軍が幕府を開いたこと、
これ等を慣例として徳川家康が江戸に幕府を開く権威付けに利用し、それが更なる慣例として積み重なっただけ。
明治以降「征夷大将軍」という官職が廃止されたため、尊氏以降源氏(自称も含め)のみが将軍職を歴任したという結果が残り、征夷大将軍=源氏というイメージが出来た。
ついでにいえば源氏と並び武家の棟梁の家門とされる平氏から征夷大将軍職を担った者がいないのも誤解の原因かな。
- 293 :日本@名無史さん:2013/03/27(水) 07:11:12.24 .net
- 最初から鎮守府将軍が源氏ばっかりだったのも誤解される理由かもよ。
- 294 :日本@名無史さん:2013/03/27(水) 09:51:59.47 .net
- 征夷大将軍なんていったら中国人の日本人討伐みたいな名称だもんなw
本当に昔これ使ってたの?日本書記なんかの捏造みたいに別の理由でも
ありそうだが
- 295 :日本@名無史さん:2013/03/27(水) 11:09:17.26 .net
- あこがれたのは単に名前の響きだろ
あんまり難しい事まで考えるな
- 296 :日本@名無史さん:2013/03/27(水) 14:59:32.43 .net
- >>292
源氏長者をググれば>>1が偶然だと分かるよね。
- 297 :日本@名無史さん:2013/03/27(水) 15:31:39.44 .net
- >>293
鎮守府将軍も源氏以外いるよ。
一時河内源氏の嫡流が歴任したけど、源氏以降清原氏や、奥州藤原氏、建武時代には公卿の北畠氏が着任しているよ。
- 298 :日本@名無史さん:2013/03/28(木) 04:12:47.36 .net
- >>294
元々は蝦夷(今の東北地方あたり)に攻め入る臨時職とかじゃなかったんだっけ
それこそ坂上田村麻呂とかのころには実態があったのでは
- 299 :日本@名無史さん:2013/03/28(木) 07:33:46.14 .net
- >一時河内源氏の嫡流が歴任した
この時代でイメージが定着してしまったとか?
- 300 :日本@名無史さん:2013/03/28(木) 14:25:29.09 .net
- >>299
良くも悪くも日本は慣例とか慣習が重んじられる国柄だからね。
藤原摂関家がいい例だよ。
江戸以降の五摂家も藤原の家系だし。
征夷大将軍や鎮守府将軍が源氏というイメージはこの摂関家の例に準えて後世の歴史家が作ったものなんだよね。
- 301 :日本@名無史さん:2013/03/28(木) 23:34:34.14 .net
- 長い歴史のある国で、日本に比べて明らかに
「慣習とか慣例が重んじられない」国って、例えばどこだろう?
インドとかに比べれば、日本ははるかに、慣習が重んじられない国だと思うけど。
- 302 :日本@名無史さん:2013/03/29(金) 15:22:55.11 .net
- ダメリカ
- 303 :日本@名無史さん:2013/03/30(土) 15:18:35.43 .net
- >>301
それでも慣習や慣例が重んじられてたことには変わらないんでね?
豊臣秀吉も関白就任するために近衛家の猶子になってるしさ。
武家が形式的とは言え、皇室を截てたのも皇室の権威という慣例や慣習を蔑ろにしなかったからでしょ。
歴史上皇室の存在や権威を危うくしたのは足利義満と織田信長の二人くらいかな。
つか、そもそもインドと比べる意味も必要もないでしょ。
- 304 :日本@名無史さん:2013/03/31(日) 01:57:07.83 .net
- >>303
何か、言ってることが通じなかったみたいだが・・・
>>300で「日本は慣例とか慣習が重んじられる国柄」って言っているのは
日本が他の国と比べて、より「慣例とか慣習が重んじられる国」だ、って言ってるわけでしょ?
そうでなければ、わざわざ「日本は」なんて言わないわけだから。
で、じゃあ日本が具体的にどこの国と比べて、より「慣習が重んじられる」と考えているのですか?
って聞いているだけなんだけど。
日本よりも明らかにずっと慣習が重んじられる国を挙げろ、って言われたら、未だにカースト制度を色濃く残すインドや、
その他にも色々思いつくけど、って言ってるのであって。
「インドと比べる意味も必要もないでしょ」とか、すまんが何を言いたいのかわからない。必要とかそんなこと話してないし。
・・・って、こういうことを言う理由はね、
よく何かにつけて「日本は・・・」とか言って、あたかも日本が特殊であるかのように言いたがる
(けど、実際には本当に日本がどうなのかなんて知らないし、興味もない)人が多いから、なんよ。
別に「日本は慣例とか慣習が重んじられる国柄」だなんて、本当か嘘かわからない(つーかきっと嘘だが)ようなことを
書く必要は全然なくて、あなただって実は、別に「日本」について論じたいわけじゃないんでしょ?
そしたら単に、「昔は今よりも慣例とか慣習が重んじられていたからね」と書けばすむ話じゃない。
- 305 :日本@名無史さん:2013/03/31(日) 01:59:36.01 .net
- あと
>歴史上皇室の存在や権威を危うくしたのは足利義満と織田信長の二人くらいかな。
これも嘘だなあ。
織田信長はむしろ、困窮して危機的な状態にあった皇室に資金的援助を行い、
滅亡から救った、っていうようなもの。
信長の出現があと50年遅れたら、本当に朝廷は滅んでいたかも知れないわけだからねえ。
あと足利義満は、もし仮に本当に行為簒奪の意図を持っていたとしても、
それは清和源氏として「皇胤である自分が正当に皇位を継承する」という意識であったはずで、
そうである以上、皇室の存在をなくすわけでも、その権威を無視するものでもなく、
逆に皇室の権威を最大限自分のものとしようとする底のものであったはず。
日本史上、皇室の存在を危うくしたのは
蘇我入鹿と、弓削道鏡と、あと太平洋戦争開戦に踏み切った当時の軍部の連中でしょ。
- 306 :日本@名無史さん:2013/03/31(日) 02:04:06.34 .net
- 読み返してみて、また>>303さんに理解されないんじゃないか、と心配になったのでw
一応書いておくと、
> それでも慣習や慣例が重んじられてたことには変わらないんでね?
これは別に反対してないし、むしろ賛成してるわけね。
でもそれは、「日本は」とかそういう問題じゃないだろ、って言ってるわけ。
伝統のある国ならどこだって、慣習も慣例も重んじられますよ、当然だが。
- 307 :日本@名無史さん:2013/03/31(日) 09:39:45.59 .net
- ニホンジンガー、ニホンジンガー
- 308 :日本@名無史さん:2013/03/31(日) 14:01:32.63 .net
- >>306
横レスすまん。
>>303のってさ、日本は普通に慣習とかが重んじられてるってだけで、特別厳しく重んじてるとはしているように見えなかったけど。
それと、おいらもインドが日本より慣習を重んじるってことに意味がないと思うな。
インドほど重んじてないとしてそれが何?
他国と比べる意味がわかんない。
ま、いいや関係ないしね。
ムキになって返レスしなくていいからね、単なる戯れ言だからスルーしてちょーせ。
- 309 :日本@名無史さん:2013/03/31(日) 14:15:19.80 .net
- >>308
> 特別厳しく重んじてるとはしているように見えなかったけど。
厳しくとかそういう問題じゃなく、「日本は」って言ってること自体について
言ってるのだが、わからないかな?
> 他国と比べる意味がわかんない。
これだけ説明しても、わからないとは・・・orz まあ、仕方がない。
> ま、いいや関係ないしね。
> ムキになって返レスしなくていいからね、単なる戯れ言だからスルーしてちょーせ。
関係ないのなら、初めからそんな書き込みやめたらどう?意味ないでしょ。
あなたとは違って、「論理的思考」ってものが大事な人種もいるんだ、ってことは
理解していただいた方がいい。
ムキになって返答したり、煽ったりしないで、スルーしてくれていいからね。
- 310 :日本@名無史さん:2013/03/31(日) 14:25:06.52 .net
- 2chって、複数の人の書き込みのふりをすれば
説得力が増すかのように思ってる奴らがよくいるが、あの思考回路は不思議だ
- 311 :日本@名無史さん:2013/03/31(日) 16:11:37.79 .net
- >>303と>>308は言ってることも同じだし、
文体も同じなので90%同一人物扱いされても仕方がない。
そこはもう少し気をつけた方がいい
- 312 :日本@名無史さん:2013/03/31(日) 18:41:01.00 .net
- >行為簒奪の意図
足利義満の孫が後小松天皇ジャン。
- 313 :日本@名無史さん:2013/03/31(日) 19:30:09.44 .net
- で、本題に戻すといつから源氏に決まったの?
- 314 :日本@名無史さん:2013/04/01(月) 00:23:35.96 .net
- 全然決まってないし
- 315 :日本@名無史さん:2013/04/01(月) 03:18:56.38 .net
- しかし鎌倉期の藤原将軍や宮将軍は養子となって源姓にはなってないんだな?
江戸期にも宮将軍案があったけど実現してたら徳川を名乗らないってことなんかね?
- 316 :日本@名無史さん:2013/04/01(月) 09:02:42.66 .net
- >>315
そこは微妙。鷹司の例もあるから、養子で源姓になってたんじゃまいか
って気もする。
しかし宮様にエセ源氏名乗らせるってどんな極悪人だって気もするがw
- 317 :日本@名無史さん:2013/04/01(月) 23:39:04.58 .net
- >>315
それは、大丈夫でしょ。
鎌倉時代の宮将軍は親王の身分だし、
江戸期に同様のことがあったとして、
もし臣籍降下しても、一世王は源氏だ。
- 318 :日本@名無史さん:2013/04/03(水) 20:42:06.36 .net
- 流れ整理しておくと、結論は
1 室町時代頃
2 江戸時代前期頃
3 徳川綱吉頃
の3つでOK?
- 319 :日本@名無史さん:2013/04/04(木) 04:32:34.90 .net
- なんで結論が3つなの?
- 320 :日本@名無史さん:2013/04/05(金) 20:45:36.27 .net
- 今までの流れで出てきた結論て3つだけじゃね?
- 321 :日本@名無史さん:2013/04/05(金) 23:29:11.73 .net
- それは結論じゃなくて、議論の途中ってやつだな
- 322 :日本@名無史さん:2013/04/06(土) 14:07:35.38 .net
- >>315
頼経は春日大社で占ったら
源氏に変えたらダメと出たとかだった
- 323 :日本@名無史さん:2013/04/09(火) 10:50:11.48 .net
- >>313
そんな決まりはないで終了。
源氏の流れを汲む足利将軍家と源氏を自称した徳川将軍家がそれぞれ15代に亘り世襲したから、それを源氏の独占と勘違いした後世の歴史家が決めつけただけなんよ。
- 324 :日本@名無史さん:2013/04/09(火) 13:24:00.70 .net
- 征夷大将軍の資格は
× 特定の源氏のみ。
○ 姓は問わない。無姓の皇族・臣下でも就任可能。
- 325 :日本@名無史さん:2013/04/09(火) 17:40:12.76 .net
- >>304
日本は慣例とか慣習が重んじられる国柄だと、慣例で言われてるのさ
どこと比べてとかじゃなく、慣例。
- 326 :日本@名無史さん:2013/04/17(水) 12:58:48.86 .net
- 源氏だけとか言い出したのは足利尊氏だよ
幕府継承問題の時にだれでも継げるならとっく北条が継いでる
なんで継げてないの?平氏だからでしょ!って論法でやり込めたっていうね・・・
まぁ実際源氏宗家が絶えた後は親王が着いたりしてるから関係ないんだけど
ここらへんが尊氏の上手いところっていうか
- 327 :日本@名無史さん:2013/04/17(水) 14:24:24.87 .net
- 尊氏はそんな事言ってませんよ
- 328 :日本@名無史さん:2013/04/17(水) 15:42:10.06 .net
- >>327
最近の本で岡野友彦氏が書いた北畠親房の本があって、その中に書かれてたんだよね
尊氏自身が言った、と思うんだけどニュアンス的には>>326の通り
- 329 :日本@名無史さん:2013/06/09(日) 16:19:18.68 .net
- エリザベス1世と徳川家康
http://music.geocities.jp/jphope21/0203/37/252.html
エリザベス1世が死去した日に徳川家康が征夷大将軍に就任していた。
- 330 :日本@名無史さん:2013/06/11(火) 19:35:29.34 .net
- >>326>>328
足利尊氏はそんなこと言ってない。
なんかおかしいと思ったら…
岡野氏はその著書「北畠親房」の中で、
・当時は80年間親王将軍が続いていた。80年と言えばほぼ生きている人間が入れ替わる。
当時の人は親王将軍しか知らない人ばかりで、征夷大将軍は親王が任じられるのが当たり前、という認識だった。
・北畠親房はその著書「神皇正統記」で足利尊氏の出自を「家人の列」(鎌倉幕府の家来である御家人)
と何度か書いている。当時、都の人に尊氏が身分の高い人だという意識は全くなかった。
ことをあげて、当時征夷大将軍と言えば親王がなるものであり、
足利程度がなれるものだとは思われていなかった。
幕府御家人にすぎない足利尊氏がなれるくらいなら北条氏がとっくの昔になっていた(これは岡野氏の意見)と言っている。
- 331 :日本@名無史さん:2013/06/11(火) 22:18:34.02 .net
- これは参考にならないんだろうか。
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/personal/kazuto/geni.htm
あと、頼経が将軍になる時に源氏になるべきかどうか
春日大社に聞きに行った話もあったな。
- 332 :日本@名無史さん:2013/06/12(水) 08:57:45.13 .net
- >>331
「源威集」の作者とされる結城直光は、足利尊氏・義詮・義満に仕えた家臣。
主君である足利一門を讃えるために東国から兵を起こして幕府を起こした足利尊氏を
同様に東国で兵を起こし幕府を開いた源頼朝に例えたのは不思議ではない。
重要なのは、「源威集」が室町幕府成立後に書かれていること。
成立は14世紀後半とされ、室町幕府安定期に幕府権威高揚のために家臣に書かせたと考えられる。
また、藤原頼経は2代将軍源頼家の娘源鞠子(竹御所)の婿養子として将軍についた。
婿養子というからには頼経を先代源氏と養子縁組するべきかという議論があった。
しかし、幕府内では幕府権威高揚のために、武家源氏よりもはるかに身分の高い摂家藤原氏を
将軍に担ぐべきだという意見となり、頼経は藤原姓のまま征夷大将軍に就任することになった。
藤原氏出身の征夷大将軍はそれまでいなかったため(それまでの征夷大将軍は大伴氏・坂上氏・文屋氏・源氏)
幕府が藤原氏の氏神春日大社に使者を派遣し認可を受けてはいる。
尚、源頼朝が征夷大将軍になる際に氏神の許可を取った話は見えない。
- 333 :日本@名無史さん:2013/06/13(木) 20:27:32.08 .net
- >>330
少なくない東国の人間が
「親王将軍は借り物、源氏が俺たちの王」と考えていたとか。
天皇家の代わりに、天皇家より歴史のある孔氏を持って来られても、
日本人にとっては自分たちの王とは思えないように。
- 334 :日本@名無史さん:2013/06/13(木) 22:42:52.79 .net
- >>333
東国では源氏が自分たちの王なら源氏ではない
北条氏が鎌倉幕府の実権を握れないでしょ?
鎌倉時代の足利氏は北条氏から代々正室を迎え入れて北条に従っている
一御家人(将軍や執権、得宗らに仕える家臣の一人)に過ぎなかったんだから。
- 335 :日本@名無史さん:2013/06/14(金) 15:42:14.41 .net
- >>334
正統性がなくても権力を握ってる例なんて幾らでもあるだろ
結局力のある方に皆靡く
- 336 :日本@名無史さん:2013/06/15(土) 15:58:44.90 .net
- >>335
北条に力があったから正統性がなくても権力を握っていたとして
当時の東国の人が源氏が俺たちの王だと言っている史料がない
鎌倉時代に足利が鎌倉幕府の王だと周囲の御家人たちから讃えられていた事実もない
根拠がないよ
- 337 :日本@名無史さん:2013/06/17(月) 22:13:05.05 .net
- 自分たちの利権を守ってくれるならば誰でもいいんだろ
だから北条を受け入れたし、北条を討つのに協力したんだろ
- 338 :日本@名無史さん:2013/06/24(月) 16:57:02.34 .net
- >>337
それなら結局「親王将軍は借り物、源氏が俺たちの王」なんて誰も思ってないじゃん。
北条が利権を守ってくれるなら北条が俺たちの王だし、
足利が利権を守ってくれるなら足利が俺たちの王だ。
親王将軍がいても利権を守ってくれる北条を担いでたってことでしょ。
氏族など関係ない。
- 339 :日本@名無史さん:2013/06/29(土) 13:34:37.29 .net
- なぜ朝廷から独立を目指したのに、
朝廷から王を迎えるんだ
- 340 :日本@名無史さん:2013/06/29(土) 18:15:47.43 .net
- 1はいいことに気が付いたが徳川の頃だね。
例外を認めさせるのは大変だが、
過去に実績があれば強引にでも話を勧められる。
その理由で源氏を持って来た。
足利の頃は北条執権全盛期に対して過去の将軍職を持って来た。
強いて言うならその時から。
- 341 :日本@名無史さん:2013/06/29(土) 18:20:17.84 .net
- 将軍が武家の棟梁なんて決まりは後付け。
足利がいなけりゃ歴史の1ページにも残らなかったかもしれない。
その足利も中央集権としては非常に弱い。
織豊が京復興を行わなければ事実すら風化していたかもしれない。
- 342 :日本@名無史さん:2013/06/29(土) 19:37:32.41 .net
- 結局「将軍は源氏に限る」の初出ってなんなの?
- 343 :日本@名無史さん:2013/06/29(土) 23:53:12.19 .net
- 中華皇帝の文書じゃない
- 344 :日本@名無史さん:2013/06/30(日) 15:12:20.64 .net
- すぐ摂家、親王将軍を得意げに出す人って…
なんだかなあ、
- 345 :日本@名無史さん:2013/07/01(月) NY:AN:NY.AN .net
- けど事実だし…
- 346 :日本@名無史さん:2013/07/01(月) NY:AN:NY.AN .net
- 281
- 347 :日本@名無史さん:2013/07/01(月) NY:AN:NY.AN .net
- すいません。ミスです。
- 348 :日本@名無史さん:2013/07/10(水) NY:AN:NY.AN .net
- まあ足利からだろうな
その後の徳川で規定化した感じだが
それより鎮守府将軍だの中国史にでてくる安東大将軍、征東大将軍だのの
記述の方が面白いw
過去の日本への侵略を示しているのかもしれんな
もっと研究するのでてきた方がいいかもしれんな
- 349 :日本@名無史さん:2013/07/10(水) NY:AN:NY.AN .net
- 朝日だのマスコミの自意識のなさをみればやつらの意識がどこにあるかってのが分かる感じよな
- 350 :日本@名無史さん:2013/11/21(木) 19:48:18.33 .net
- >>316
親王が臣籍降下したら源氏になるわけだから、エセ源氏ではないだろう。
>>317
実際、鎌倉後期に惟康親王は臣下に下って、源惟康として将軍になってるから、
源氏将軍と言えなくもない。
ただし、幕府が惟康を都に送り返すために皇籍に戻して、親王宣下を受けさせている。
頼朝直系でなくても、源氏が将軍=鎌倉殿であることに北条氏は脅威を感じていたんだろうか?
- 351 :日本@名無史さん:2013/11/21(木) 19:54:13.47 .net
- >>350
源惟康は源氏を名乗りはしたが後嵯峨源氏
鎌倉幕府開幕から3代続いた源氏将軍は清和源氏だから
こちらとは養子縁組してないってことじゃ?
- 352 :日本@名無史さん:2013/11/21(木) 21:36:18.47 .net
- 征夷大将軍は、初めは臨時の官で
、軍隊の最高官と同時に臨時の行政官でもあった。
しかし人を害するというのを穢れとして嫌った公家によって軍隊は廃止、警察のような組織だけになってしまった
しかし地方では、争いがたえず武士が発生リーダーとして地方官として来た皇族を持ってきた。
平氏は貴族化したが、清和源氏は本分を守り武門の棟梁として将軍となりそれが慣例となった。
武士がついてこれる家柄それが清和源氏であった
- 353 :日本@名無史さん:2013/11/21(木) 22:35:57.12 .net
- > 人を害するというのを穢れとして嫌った公家
私闘のレベルまで考えれば、奈良、平安期の貴族も
普通に殺し合いをやっているけど。
中下級貴族だけでなく、公卿レベルも含めてね。
- 354 :日本@名無史さん:2013/11/25(月) 22:23:12.93 .net
- もともとは坂上氏・文室氏などが任官しているので、源氏とは関係ない。
源頼朝以降は摂家・親王が任官しているので、源氏というよりも、
「それ相応の家格の人が鎌倉殿になる、将軍任官」ということだっただろう。
足利政権では「尊氏の子孫が室町殿を世襲、将軍任官」ということで、
源氏だからというのではないのではないか。
- 355 :日本@名無史さん:2013/11/28(木) 18:44:58.13 .net
- >>350
だよなあ
清和源氏じゃないけど、まぎれもなく源氏ではある。決してエセ源氏というわけじゃないよなあ
この時期の段階では、征夷大将軍は清和源氏に限るという風習・前例なんて成立してないわけだし。
鎌倉殿でなくても、大塔宮も親王将軍として征夷大将軍になってるし。
>>352
貴族化したと言われる平氏政権だが、平氏が創出した組織構造やら政策のいくつかは鎌倉幕府も踏襲してるんだよな
武家政権が確立する前の試行錯誤段階とみた方がいいんじゃないのかな
>>353
貴族と武士が完全に分離して役割分担が明瞭になったのは室町時代に入ってからだよな
南北朝時代までは武士っぽい貴族もいた。
まあ、伊勢の北畠氏やら、戦国時代の土佐一条氏なんかも、武士っぽい貴族には違いないが。
- 356 :日本@名無史さん:2013/12/14(土) 15:44:24.99 .net
- 幕府=御家人連合体制
平家=中央集権体制
対外侵略したがるのは平家。家康は秀吉のせいで明との国交恢復は
出来なかったが、朝鮮とは何とか通じた。
- 357 :日本@名無史さん:2013/12/15(日) 15:28:35.30 .net
- まあ、トンデモ説、満載だな。
- 358 :日本@名無史さん:2013/12/15(日) 18:37:48.83 .net
- 世の中が不安定化すると仮冒平家が元気になるだけだろ。
- 359 :日本@名無史さん:2013/12/16(月) 00:14:02.25 .net
- 仮冒平家が我が世の春を謳歌せん時代に書かれた日本史とか
あんまり読みたくない。
- 360 :日本@名無史さん:2014/01/31(金) 21:12:10.35 .net
- 尊氏が北条から取り返し徳川が習った、つー総意があったんだろね。
終了。
- 361 :日本@名無史さん:2014/02/01(土) 09:07:27.74 .net
- 平家みたいに公達になる気は有りませんの中で一番由緒格式のある家柄と考えられて家系図買われたんだろ
- 362 :日本@名無史さん:2014/02/01(土) 09:12:25.82 .net
- そう言えば征夷大将軍になる際に天皇が裏切んなよって源氏姓くれるんだったw
- 363 :日本@名無史さん:2014/02/01(土) 20:35:02.57 .net
- 現代日本において最低最悪の鬼畜団体
それは『池田豚作真理教』である
- 364 :日本@名無史さん:2014/02/02(日) 03:44:10.74 .net
- >>350
ごめん自分>>316だが、臣籍降下して源氏と将軍職を賜るのなら別に問題ないわけ。
鎌倉期の宮将軍みたいな。
>>316で言ったのは、もし単なる臣籍降下(つまり「後西院源氏」みたいな)ではなく、
近衛信尋が近衛家を嗣いだみたいに、徳川将軍家の後を嗣ぐ形で源姓になったとしたら、
それはやっぱり宮様にニセ源氏を名乗らせることになるでしょ、ってこと。
なので普通に考えれば「徳川家幸」とかではなく、「源幸仁」として新たに将軍家を興すことになると思うんだが、
そしたら残された他の徳川一門は、自分たちの家格が下がるように思うだろうから、問題あるだろうなあ、と。
まあ所詮は有り得ないIFだね。
- 365 :日本@名無史さん:2014/02/02(日) 03:49:52.39 .net
- 新たに将軍家を興すとしたら御三家や連枝は将軍家の血族ではないことに
なってしまうから、それは有り得ない。
もし本当にやろうとしたら、宮様だろうが誰だろうが徳川の偽源氏を名乗らせるしかない。
- 366 :日本@名無史さん:2014/02/02(日) 17:07:08.61 .net
- >>364
そしたら近衛信尋は、偽近衛なのか?
- 367 :日本@名無史さん:2014/02/03(月) 02:42:45.54 .net
- >>366
なんでそうなるの?
近衛家は正当な藤原氏の摂関家だから、近衛家を嗣いだ信尋は正当な藤原氏。
徳川将軍家は偽源氏だから、もし皇族が徳川家を嗣いだとしたら、その人は偽源氏。
- 368 :日本@名無史さん:2014/02/04(火) 02:07:19.49 .net
- この場合の源氏は清和源氏だけ?
- 369 :日本@名無史さん:2014/02/04(火) 19:32:59.71 .net
- 養子になっても改姓はしないという方法は?
つまり姓は無姓(王氏)、苗字は徳川みたいな
- 370 :日本@名無史さん:2014/02/06(木) 15:11:15.24 .net
- >>369
そもそも無氏無姓の王氏が名字を持った例はあるのだろうか。
例えば白川家は源氏の間はともかく、源氏を廃して王号を称している間はどう名乗っていたのだろう。
白川宮とでも称していたのか、白川神祇伯何某王と氏が有るものと同じような名乗りをしていたのか。
- 371 :日本@名無史さん:2014/02/06(木) 17:02:53.14 .net
- >>361
頼朝と清盛の時代はそうだったけど、足利将軍家は完全に公家化してたな。
- 372 :日本@名無史さん:2014/02/07(金) 01:02:31.64 .net
- 「完全に公家化」はしてないだろ・・・
確かに貴族ではあっったが、武家であって、公家ではない。
本人の意識もそうだし、周りの視線もそう。
- 373 :日本@名無史さん:2014/02/07(金) 22:54:57.53 .net
- では北条氏が平氏でなく源氏の傍流だったら、幕府を簒奪して将軍になってたてか?
- 374 :日本@名無史さん:2014/06/08(日) 11:48:07.13 .net
- 東京電機大学中学校 評判 万引きS君
http://i.imgur.com/G34ssbf.jpg
稲城SSS 評判 稲城サッカースポーツ少年団
http://i.imgur.com/G34ssbf.jpg
稲城市立向陽台小学校評判Y子
http://i.imgur.com/G34ssbf.jpg
- 375 :日本@名無史さん:2014/06/10(火) 00:36:50.40 .net
- 征夷大将軍は清和源氏だけ、と本当に決まったのは(決まったことがあるとしたら、だが)江戸時代に入ってからだな
鎌倉時代や建武政権期には親王将軍だっているし、戦国期に平氏の子孫と自称した信長に将軍宣下をする可能性だってあった
源氏長者は、賜姓源氏に属する貴族のうちで最も高位高官のものという意味で、清和源氏の源氏長者は足利義満以後だろ
それ以前の源氏長者は清和源氏からは出てないだろ
- 376 :日本@名無史さん:2014/12/07(日) 11:55:23.97 .net
- 足利家が15代に亘って将軍を独占したから既成事実化したんだろう
- 377 :日本@名無史さん:2014/12/07(日) 12:03:31.93 .net
- 376
征夷大将軍は神格化したのは江戸時代じゃねえの?
いつまで痴呆ぶってるんだよ?分かってやってんじゃねえのかお前ら
- 378 :日本@名無史さん:2014/12/07(日) 12:06:25.36 .net
- 足利将軍って言ったって島津はじめ九州の大名は従ってないし
奥州や関東だって将軍の権力外だぞ
- 379 :日本@名無史さん:2014/12/07(日) 13:00:39.49 .net
- 室町時代中期(義満以後、15世紀末頃まで?)になると、格式という形で色々な秩序化、序列化が進んで、
将軍の地位・権威が確立してるからな。
といっても、軍事的に対立した敵対者に対して殲滅や処刑という形を取れず、
領地削減なり役職剥奪なりの形でしか処罰できてない、軍事的には弱い権力とも言えるんだが。
応酬とか関東とか九州は、いちおう幕府の出先機関の支配下にあったのは事実だよ。
その出先機関自体が幕府に敵対する事例が少なくなかったり、幕府に対し自立的で服従してなかったりするけどな。
将軍の地位を清和源氏が独占する体制自体は江戸時代になってから確立したんじゃね。
もっとも、松平氏が清和源氏の出身という系図そのものは疑わしいんで、
室町時代にこれが確立してなかったんなら偽系図を作った意図が不明瞭になる気はするが……
まあ、松平氏の中で自家が源氏だと言い張ろうとし始めたのが家康じゃなくその祖父、清康の時だったって事を考えれば、
松平氏が清和源氏の一門だと主張したことそのものは将軍職と無関係だったとは言えるだろうしな、よくわからんよ
- 380 :日本@名無史さん:2014/12/09(火) 00:00:06.95 .net
- それどころか松平氏で源氏を称し始めたのは
家康の祖父の祖父の祖父の信光だという話もあるからな
- 381 :日本@名無史さん:2014/12/09(火) 15:32:12.40 .net
- >>380
信光あたりになると、実在したという点以外のほとんどが史実じゃなくて伝説だろ
- 382 :日本@名無史さん:2014/12/09(火) 21:51:00.73 .net
- >>381
せやろか(伊勢貞親関係の書状、日記や三河の寺院の古記録見ながら)
- 383 :日本@名無史さん:2015/01/22(木) 20:41:26.17 ID:8Xd1CEYQT
- あれ、ずっと徳川は平家方だと思ってたが違ったか。
織田は平家だよな。
- 384 :日本@名無史さん:2015/01/23(金) 20:46:19.89 ID:q8Lr3ljbV
- >>379
うん?大給松平氏のことを言ってるのか?
- 385 :日本@名無史さん:2015/07/21(火) 21:49:34.04 .net
- 頼経も頼朝の妹の曾孫という関係から擁立されてるから源氏の血は入ってる
- 386 :日本@名無史さん:2015/07/22(水) 17:10:46.26 .net
- >>1
足利義満から
- 387 :日本@名無史さん:2015/07/22(水) 22:04:25.38 .net
- >>385
母系で少しでも源氏の血が入っていれば姓が何でもいいならかなり範囲は広くなるな
親王将軍はどうする?
>>386
織田信長の三職推認が史実ならそれ以降も
源氏じゃなくてもよかったんだろ
- 388 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 00:07:50.11 .net
- まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
- 389 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 00:08:23.37 .net
- まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
- 390 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 00:44:16.29 .net
- 残念ながら女系は源氏の本姓賜れない
- 391 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 07:40:18.71 .net
- 朝廷の認識→別に誰でもいい
武士の認識→源氏の血統こそが正当な征夷大将軍
- 392 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 10:54:13.25 .net
- 親王将軍もほとんど頼朝の妹の子孫
- 393 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 14:31:56.99 .net
- >>391 曲がりなりにも清和源氏の血を引いていない征夷大将軍って、大伴弟麻呂
と坂上田村麻呂だけ。
- 394 :日本@名無史さん:2015/08/10(月) 17:57:40.83 .net
- >>375
実朝が右大臣になった時、実朝が一瞬「源氏長者」になったりしないの?
右大臣より上って、なかなかいないと思うんだけど
- 395 :日本@名無史さん:2015/08/10(月) 19:47:20.08 .net
- 右大臣より上の源氏はいなかったがなったりしない。
- 396 :日本@名無史さん:2016/04/24(日) 05:15:01.77 .net
- 木曽義仲
ttps://www.youtube.com/watch?v=i7z51xX833g
- 397 :日本@名無史さん:2016/04/24(日) 13:57:22.80 .net
- >>376 義栄は14代に入れていいだろうか?
- 398 :日本@名無史さん:2016/04/24(日) 15:53:19.73 .net
- 幕末から明治初期
ラスト源氏長者 久我建通(明治朝廷)
ラスト権征夷大将軍 伊達慶邦(東武北方政権)
有終の美は公家源氏と伊達男モノノフで飾った
- 399 :日本@名無史さん:2016/04/25(月) 16:43:19.81 .net
- >>57
ヒュペルボレアスって東北地方限定なのか?w
日本全部ヒュペルボレアスじゃねーの?
- 400 :日本@名無史さん:2016/04/25(月) 16:59:25.05 .net
- >>1
正直根元に呪術があるんじゃねーか?
実は夷が源の元でそれ自身に征夷大将軍を名乗らせる的なとか?
- 401 :日本@名無史さん:2016/05/28(土) 20:31:38.31 .net
- >>394
氏長者と官位の上下は無関係だよ。
藤原氏の氏の長者は摂関家から出るが、長者の摂関家の上位に清華家出身の太政大臣がいるとかしょっちゅう。
- 402 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 14:21:29.72 .net
- 坂上田村麻呂―坂上春子―葛井親王―棟貞王―棟貞王の娘―貞純親王―源経基―源満仲
清和源氏は何気に外孫から坂上田村麻呂の血が入ってるんだよね。
源満仲が摂津守になって多田政所を置いたときに、坂上頼次を摂津介にして山本荘司として任命して多田政所の警備をさせてる。
源頼光に使えた坂上季猛が卜部季武のモデルらしいし、軍記物でも鬼切は田村麻呂から頼光に渡ったり。
征夷大将軍が源氏の専売特許になるまでに、坂上氏から武門を継承するようなプロパガンダはしてたのかなと。
でも坂上尚親の時に先祖の武功で平姓を賜ってたりするのがなんとも。
- 403 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 16:34:46.30 .net
- 征夷大将軍の夷は実は東北というより地中海小アジアのアーシラト・バアルの討伐だったとか
- 404 :日本@名無史さん:2016/11/12(土) 16:52:16.61 .net
- 坂上って、崇峻天皇殺しの東漢氏でしょ?
- 405 :日本@名無史さん:2016/11/12(土) 20:55:28.74 .net
- 私は創価の会員でした。
すぐ隣に防衛省の背広組の官舎があるのですが、
自分の家の窓にUSB接続のwebカメラを貼り付けて、そこの動画を撮影し続け、
学会本部に送っていました。
別に大したものは写っていません。ゴミだしとか奥さんが子供を遊ばせている所とか。
官舎が老朽化して使われなくなってから、
今まで法人税(うちは自営業です)をほぼ払わなくても済んでいたのが、
もう守ってやれないのでこれからは満額申告するように言われました。
納得がいかないと言うと、君は自業自得で餓鬼地獄へ落ちるから、
朝夕に南無妙法蓮華経と三千回ずつ唱えあげて心をきれいにしなさいと言われ
馬鹿らしくなって脱会しました。
それ以来、どこへ行くにもぞろ目ナンバーの車につけまわされたり大変な日々です。
全部自分の出来心が招いた事で、どこに訴えるわけにもいかないのですが、
なんとかあの人たちと縁を切った上で、新しい始まりを迎える方法はないんだろうか。
- 406 :日本@名無史さん:2016/11/13(日) 18:01:32.67 .net
- §3.山本荘司 - 歴史の小径
ttp://www.ninohenosato.com/%EF%BC%93-%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E8%8D%98%E5%8F%B8/
これ見ると、結局は清和源氏と坂上氏がズブズブの関係ってオチじゃない?
征夷大将軍の権威の拠り所が坂上氏嫡流からの守護弓になってる
最前線での軍事指揮権を利用して武家の頂点に立つなら、別に征夷大将軍なんて古いものを引っ張って来なくてもいいわけだし
>>404
東漢駒が実行犯で、坂上駒子と同一とされてるな
あれも後に天武天皇が坂上氏の七つの不可として、東漢氏の過去の大罪を責めて赦した直後に、東漢氏の中で坂上氏だけ何故か優遇してる
結果的に坂上田村麻呂に繋がるのよね
- 407 :日本@名無史さん:2017/07/11(火) 13:10:32.52 .net
- ageませう。
- 408 :日本@名無史さん:2017/10/28(土) 16:26:39.29 .net
- 清和源氏の長男直系『貴族』は居ませんか?京都とか居ないの?自分は福山だけど
返事下さい。
- 409 :日本@名無史さん:2018/01/01(月) 18:27:56.13 .net
- げ
- 410 :日本@名無史さん:2018/01/30(火) 14:39:03.54 .net
- 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
MU2YF
- 411 :日本@名無史さん:2018/02/22(木) 02:10:53.40 .net
- それ日本史の虚構だからな
史実の源氏はクズチンピラで頼朝系も足利系もガチクズだった
でガチクズなのに「源氏英雄神話」を作った糞に過ぎないんだよ。リアル日本史は足利にいたるまで源氏はガチクズだっただけ
- 412 :日本@名無史さん:2018/02/22(木) 15:41:07.11 .net
- 理由もなしにガチクズとかチンピラって書かれても…
- 413 :日本@名無史さん:2018/05/27(日) 22:46:15.43 .net
- age
- 414 :日本@名無史さん:2018/07/12(木) 15:19:30.20 .net
- とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
I0N
- 415 :日本@名無史さん:2018/11/23(金) 22:48:57.96 .net
- http://www.yosensha.co.jp/book/b355846.html
足利義満以来
- 416 :日本@名無史さん:2019/01/02(水) 20:56:22.79 .net
- 岡野友彦氏著「源氏長者 武家政権の系譜」(吉川弘文館)が全てを解明してくれましたね。
- 417 :日本@名無史さん:2019/02/09(土) 03:46:12.65 .net
- 歴代征夷大将軍は
坂上氏、大伴氏、源氏、皇族、藤原氏だけ?
皇族以外では4氏だけ?
- 418 :日本@名無史さん:2019/04/13(土) 20:26:54.75 .net
- >>408
陽成天皇がやらかしたからねえ、中央での出世は早々に
あきらめたからこそ逆に地方で活躍できたわけで。
- 419 :日本@名無史さん:2019/04/14(日) 00:05:27.07 .net
- 廃嫡された陽成の同族清和源氏より宇多源氏、村上源氏のが家格は圧倒的
- 420 :日本@名無史さん:2019/04/14(日) 01:44:12.48 .net
- でも村上源氏って成りすましが多いんでしょ
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