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征夷大将軍っていつから源氏だけになったの?

1 :日本@名無史さん:2011/12/09(金) 00:09:45.62 .net
いつから源氏じゃないと征夷大将軍になれないってなったの?
鎌倉時代にも摂家から将軍を迎えてるし、
信長を将軍につけようとしたりしてるし。
いつから源氏じゃないと征夷大将軍になれないっていう
不文律ができたのか誰か教えて。

303 :日本@名無史さん:2013/03/30(土) 15:18:35.43 .net
>>301
それでも慣習や慣例が重んじられてたことには変わらないんでね?
豊臣秀吉も関白就任するために近衛家の猶子になってるしさ。
武家が形式的とは言え、皇室を截てたのも皇室の権威という慣例や慣習を蔑ろにしなかったからでしょ。
歴史上皇室の存在や権威を危うくしたのは足利義満と織田信長の二人くらいかな。
つか、そもそもインドと比べる意味も必要もないでしょ。

304 :日本@名無史さん:2013/03/31(日) 01:57:07.83 .net
>>303
何か、言ってることが通じなかったみたいだが・・・

>>300で「日本は慣例とか慣習が重んじられる国柄」って言っているのは
日本が他の国と比べて、より「慣例とか慣習が重んじられる国」だ、って言ってるわけでしょ?
そうでなければ、わざわざ「日本は」なんて言わないわけだから。
で、じゃあ日本が具体的にどこの国と比べて、より「慣習が重んじられる」と考えているのですか?
って聞いているだけなんだけど。
日本よりも明らかにずっと慣習が重んじられる国を挙げろ、って言われたら、未だにカースト制度を色濃く残すインドや、
その他にも色々思いつくけど、って言ってるのであって。
「インドと比べる意味も必要もないでしょ」とか、すまんが何を言いたいのかわからない。必要とかそんなこと話してないし。

・・・って、こういうことを言う理由はね、
よく何かにつけて「日本は・・・」とか言って、あたかも日本が特殊であるかのように言いたがる
(けど、実際には本当に日本がどうなのかなんて知らないし、興味もない)人が多いから、なんよ。

別に「日本は慣例とか慣習が重んじられる国柄」だなんて、本当か嘘かわからない(つーかきっと嘘だが)ようなことを
書く必要は全然なくて、あなただって実は、別に「日本」について論じたいわけじゃないんでしょ?
そしたら単に、「昔は今よりも慣例とか慣習が重んじられていたからね」と書けばすむ話じゃない。

305 :日本@名無史さん:2013/03/31(日) 01:59:36.01 .net
あと
>歴史上皇室の存在や権威を危うくしたのは足利義満と織田信長の二人くらいかな。

これも嘘だなあ。
織田信長はむしろ、困窮して危機的な状態にあった皇室に資金的援助を行い、
滅亡から救った、っていうようなもの。
信長の出現があと50年遅れたら、本当に朝廷は滅んでいたかも知れないわけだからねえ。

あと足利義満は、もし仮に本当に行為簒奪の意図を持っていたとしても、
それは清和源氏として「皇胤である自分が正当に皇位を継承する」という意識であったはずで、
そうである以上、皇室の存在をなくすわけでも、その権威を無視するものでもなく、
逆に皇室の権威を最大限自分のものとしようとする底のものであったはず。

日本史上、皇室の存在を危うくしたのは
蘇我入鹿と、弓削道鏡と、あと太平洋戦争開戦に踏み切った当時の軍部の連中でしょ。

306 :日本@名無史さん:2013/03/31(日) 02:04:06.34 .net
読み返してみて、また>>303さんに理解されないんじゃないか、と心配になったのでw
一応書いておくと、

> それでも慣習や慣例が重んじられてたことには変わらないんでね?

これは別に反対してないし、むしろ賛成してるわけね。
でもそれは、「日本は」とかそういう問題じゃないだろ、って言ってるわけ。
伝統のある国ならどこだって、慣習も慣例も重んじられますよ、当然だが。

307 :日本@名無史さん:2013/03/31(日) 09:39:45.59 .net
ニホンジンガー、ニホンジンガー

308 :日本@名無史さん:2013/03/31(日) 14:01:32.63 .net
>>306
横レスすまん。
>>303のってさ、日本は普通に慣習とかが重んじられてるってだけで、特別厳しく重んじてるとはしているように見えなかったけど。
それと、おいらもインドが日本より慣習を重んじるってことに意味がないと思うな。
インドほど重んじてないとしてそれが何?
他国と比べる意味がわかんない。
ま、いいや関係ないしね。
ムキになって返レスしなくていいからね、単なる戯れ言だからスルーしてちょーせ。

309 :日本@名無史さん:2013/03/31(日) 14:15:19.80 .net
>>308
> 特別厳しく重んじてるとはしているように見えなかったけど。

厳しくとかそういう問題じゃなく、「日本は」って言ってること自体について
言ってるのだが、わからないかな?

> 他国と比べる意味がわかんない。

これだけ説明しても、わからないとは・・・orz まあ、仕方がない。

> ま、いいや関係ないしね。
> ムキになって返レスしなくていいからね、単なる戯れ言だからスルーしてちょーせ。

関係ないのなら、初めからそんな書き込みやめたらどう?意味ないでしょ。
あなたとは違って、「論理的思考」ってものが大事な人種もいるんだ、ってことは
理解していただいた方がいい。

ムキになって返答したり、煽ったりしないで、スルーしてくれていいからね。

310 :日本@名無史さん:2013/03/31(日) 14:25:06.52 .net
2chって、複数の人の書き込みのふりをすれば
説得力が増すかのように思ってる奴らがよくいるが、あの思考回路は不思議だ

311 :日本@名無史さん:2013/03/31(日) 16:11:37.79 .net
>>303>>308は言ってることも同じだし、
文体も同じなので90%同一人物扱いされても仕方がない。
そこはもう少し気をつけた方がいい

312 :日本@名無史さん:2013/03/31(日) 18:41:01.00 .net
>行為簒奪の意図

足利義満の孫が後小松天皇ジャン。

313 :日本@名無史さん:2013/03/31(日) 19:30:09.44 .net
で、本題に戻すといつから源氏に決まったの?

314 :日本@名無史さん:2013/04/01(月) 00:23:35.96 .net
全然決まってないし

315 :日本@名無史さん:2013/04/01(月) 03:18:56.38 .net
しかし鎌倉期の藤原将軍や宮将軍は養子となって源姓にはなってないんだな?
江戸期にも宮将軍案があったけど実現してたら徳川を名乗らないってことなんかね?

316 :日本@名無史さん:2013/04/01(月) 09:02:42.66 .net
>>315
そこは微妙。鷹司の例もあるから、養子で源姓になってたんじゃまいか
って気もする。
しかし宮様にエセ源氏名乗らせるってどんな極悪人だって気もするがw

317 :日本@名無史さん:2013/04/01(月) 23:39:04.58 .net
>>315
それは、大丈夫でしょ。
鎌倉時代の宮将軍は親王の身分だし、
江戸期に同様のことがあったとして、
もし臣籍降下しても、一世王は源氏だ。

318 :日本@名無史さん:2013/04/03(水) 20:42:06.36 .net
流れ整理しておくと、結論は
1 室町時代頃
2 江戸時代前期頃
3 徳川綱吉頃
の3つでOK?

319 :日本@名無史さん:2013/04/04(木) 04:32:34.90 .net
なんで結論が3つなの?

320 :日本@名無史さん:2013/04/05(金) 20:45:36.27 .net
今までの流れで出てきた結論て3つだけじゃね?

321 :日本@名無史さん:2013/04/05(金) 23:29:11.73 .net
それは結論じゃなくて、議論の途中ってやつだな

322 :日本@名無史さん:2013/04/06(土) 14:07:35.38 .net
>>315
頼経は春日大社で占ったら
源氏に変えたらダメと出たとかだった

323 :日本@名無史さん:2013/04/09(火) 10:50:11.48 .net
>>313
そんな決まりはないで終了。
源氏の流れを汲む足利将軍家と源氏を自称した徳川将軍家がそれぞれ15代に亘り世襲したから、それを源氏の独占と勘違いした後世の歴史家が決めつけただけなんよ。

324 :日本@名無史さん:2013/04/09(火) 13:24:00.70 .net
征夷大将軍の資格は

× 特定の源氏のみ。

○ 姓は問わない。無姓の皇族・臣下でも就任可能。

325 :日本@名無史さん:2013/04/09(火) 17:40:12.76 .net
>>304
日本は慣例とか慣習が重んじられる国柄だと、慣例で言われてるのさ

どこと比べてとかじゃなく、慣例。

326 :日本@名無史さん:2013/04/17(水) 12:58:48.86 .net
源氏だけとか言い出したのは足利尊氏だよ
幕府継承問題の時にだれでも継げるならとっく北条が継いでる
なんで継げてないの?平氏だからでしょ!って論法でやり込めたっていうね・・・
まぁ実際源氏宗家が絶えた後は親王が着いたりしてるから関係ないんだけど
ここらへんが尊氏の上手いところっていうか

327 :日本@名無史さん:2013/04/17(水) 14:24:24.87 .net
尊氏はそんな事言ってませんよ

328 :日本@名無史さん:2013/04/17(水) 15:42:10.06 .net
>>327
最近の本で岡野友彦氏が書いた北畠親房の本があって、その中に書かれてたんだよね
尊氏自身が言った、と思うんだけどニュアンス的には>>326の通り

329 :日本@名無史さん:2013/06/09(日) 16:19:18.68 .net
エリザベス1世と徳川家康

http://music.geocities.jp/jphope21/0203/37/252.html

エリザベス1世が死去した日に徳川家康が征夷大将軍に就任していた。

330 :日本@名無史さん:2013/06/11(火) 19:35:29.34 .net
>>326>>328
足利尊氏はそんなこと言ってない。
なんかおかしいと思ったら…
岡野氏はその著書「北畠親房」の中で、
・当時は80年間親王将軍が続いていた。80年と言えばほぼ生きている人間が入れ替わる。
当時の人は親王将軍しか知らない人ばかりで、征夷大将軍は親王が任じられるのが当たり前、という認識だった。
・北畠親房はその著書「神皇正統記」で足利尊氏の出自を「家人の列」(鎌倉幕府の家来である御家人)
と何度か書いている。当時、都の人に尊氏が身分の高い人だという意識は全くなかった。
ことをあげて、当時征夷大将軍と言えば親王がなるものであり、
足利程度がなれるものだとは思われていなかった。
幕府御家人にすぎない足利尊氏がなれるくらいなら北条氏がとっくの昔になっていた(これは岡野氏の意見)と言っている。

331 :日本@名無史さん:2013/06/11(火) 22:18:34.02 .net
これは参考にならないんだろうか。
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/personal/kazuto/geni.htm

あと、頼経が将軍になる時に源氏になるべきかどうか
春日大社に聞きに行った話もあったな。

332 :日本@名無史さん:2013/06/12(水) 08:57:45.13 .net
>>331
「源威集」の作者とされる結城直光は、足利尊氏・義詮・義満に仕えた家臣。
主君である足利一門を讃えるために東国から兵を起こして幕府を起こした足利尊氏を
同様に東国で兵を起こし幕府を開いた源頼朝に例えたのは不思議ではない。
重要なのは、「源威集」が室町幕府成立後に書かれていること。
成立は14世紀後半とされ、室町幕府安定期に幕府権威高揚のために家臣に書かせたと考えられる。

また、藤原頼経は2代将軍源頼家の娘源鞠子(竹御所)の婿養子として将軍についた。
婿養子というからには頼経を先代源氏と養子縁組するべきかという議論があった。
しかし、幕府内では幕府権威高揚のために、武家源氏よりもはるかに身分の高い摂家藤原氏を
将軍に担ぐべきだという意見となり、頼経は藤原姓のまま征夷大将軍に就任することになった。
藤原氏出身の征夷大将軍はそれまでいなかったため(それまでの征夷大将軍は大伴氏・坂上氏・文屋氏・源氏)
幕府が藤原氏の氏神春日大社に使者を派遣し認可を受けてはいる。
尚、源頼朝が征夷大将軍になる際に氏神の許可を取った話は見えない。

333 :日本@名無史さん:2013/06/13(木) 20:27:32.08 .net
>>330
少なくない東国の人間が
「親王将軍は借り物、源氏が俺たちの王」と考えていたとか。
天皇家の代わりに、天皇家より歴史のある孔氏を持って来られても、
日本人にとっては自分たちの王とは思えないように。

334 :日本@名無史さん:2013/06/13(木) 22:42:52.79 .net
>>333
東国では源氏が自分たちの王なら源氏ではない
北条氏が鎌倉幕府の実権を握れないでしょ?
鎌倉時代の足利氏は北条氏から代々正室を迎え入れて北条に従っている
一御家人(将軍や執権、得宗らに仕える家臣の一人)に過ぎなかったんだから。

335 :日本@名無史さん:2013/06/14(金) 15:42:14.41 .net
>>334
正統性がなくても権力を握ってる例なんて幾らでもあるだろ
結局力のある方に皆靡く

336 :日本@名無史さん:2013/06/15(土) 15:58:44.90 .net
>>335
北条に力があったから正統性がなくても権力を握っていたとして
当時の東国の人が源氏が俺たちの王だと言っている史料がない
鎌倉時代に足利が鎌倉幕府の王だと周囲の御家人たちから讃えられていた事実もない
根拠がないよ

337 :日本@名無史さん:2013/06/17(月) 22:13:05.05 .net
自分たちの利権を守ってくれるならば誰でもいいんだろ
だから北条を受け入れたし、北条を討つのに協力したんだろ

338 :日本@名無史さん:2013/06/24(月) 16:57:02.34 .net
>>337
それなら結局「親王将軍は借り物、源氏が俺たちの王」なんて誰も思ってないじゃん。
北条が利権を守ってくれるなら北条が俺たちの王だし、
足利が利権を守ってくれるなら足利が俺たちの王だ。
親王将軍がいても利権を守ってくれる北条を担いでたってことでしょ。
氏族など関係ない。

339 :日本@名無史さん:2013/06/29(土) 13:34:37.29 .net
なぜ朝廷から独立を目指したのに、
朝廷から王を迎えるんだ

340 :日本@名無史さん:2013/06/29(土) 18:15:47.43 .net
1はいいことに気が付いたが徳川の頃だね。
例外を認めさせるのは大変だが、
過去に実績があれば強引にでも話を勧められる。
その理由で源氏を持って来た。
足利の頃は北条執権全盛期に対して過去の将軍職を持って来た。
強いて言うならその時から。

341 :日本@名無史さん:2013/06/29(土) 18:20:17.84 .net
将軍が武家の棟梁なんて決まりは後付け。
足利がいなけりゃ歴史の1ページにも残らなかったかもしれない。
その足利も中央集権としては非常に弱い。
織豊が京復興を行わなければ事実すら風化していたかもしれない。

342 :日本@名無史さん:2013/06/29(土) 19:37:32.41 .net
結局「将軍は源氏に限る」の初出ってなんなの?

343 :日本@名無史さん:2013/06/29(土) 23:53:12.19 .net
中華皇帝の文書じゃない

344 :日本@名無史さん:2013/06/30(日) 15:12:20.64 .net
すぐ摂家、親王将軍を得意げに出す人って…
なんだかなあ、

345 :日本@名無史さん:2013/07/01(月) NY:AN:NY.AN .net
けど事実だし…

346 :日本@名無史さん:2013/07/01(月) NY:AN:NY.AN .net
281

347 :日本@名無史さん:2013/07/01(月) NY:AN:NY.AN .net
すいません。ミスです。

348 :日本@名無史さん:2013/07/10(水) NY:AN:NY.AN .net
まあ足利からだろうな
その後の徳川で規定化した感じだが
それより鎮守府将軍だの中国史にでてくる安東大将軍、征東大将軍だのの
記述の方が面白いw
過去の日本への侵略を示しているのかもしれんな
もっと研究するのでてきた方がいいかもしれんな

349 :日本@名無史さん:2013/07/10(水) NY:AN:NY.AN .net
朝日だのマスコミの自意識のなさをみればやつらの意識がどこにあるかってのが分かる感じよな

350 :日本@名無史さん:2013/11/21(木) 19:48:18.33 .net
>>316
親王が臣籍降下したら源氏になるわけだから、エセ源氏ではないだろう。
>>317
実際、鎌倉後期に惟康親王は臣下に下って、源惟康として将軍になってるから、
源氏将軍と言えなくもない。
ただし、幕府が惟康を都に送り返すために皇籍に戻して、親王宣下を受けさせている。
頼朝直系でなくても、源氏が将軍=鎌倉殿であることに北条氏は脅威を感じていたんだろうか?

351 :日本@名無史さん:2013/11/21(木) 19:54:13.47 .net
>>350
源惟康は源氏を名乗りはしたが後嵯峨源氏

鎌倉幕府開幕から3代続いた源氏将軍は清和源氏だから
こちらとは養子縁組してないってことじゃ?

352 :日本@名無史さん:2013/11/21(木) 21:36:18.47 .net
征夷大将軍は、初めは臨時の官で
、軍隊の最高官と同時に臨時の行政官でもあった。
しかし人を害するというのを穢れとして嫌った公家によって軍隊は廃止、警察のような組織だけになってしまった
しかし地方では、争いがたえず武士が発生リーダーとして地方官として来た皇族を持ってきた。
平氏は貴族化したが、清和源氏は本分を守り武門の棟梁として将軍となりそれが慣例となった。
武士がついてこれる家柄それが清和源氏であった

353 :日本@名無史さん:2013/11/21(木) 22:35:57.12 .net
> 人を害するというのを穢れとして嫌った公家
私闘のレベルまで考えれば、奈良、平安期の貴族も
普通に殺し合いをやっているけど。
中下級貴族だけでなく、公卿レベルも含めてね。

354 :日本@名無史さん:2013/11/25(月) 22:23:12.93 .net
もともとは坂上氏・文室氏などが任官しているので、源氏とは関係ない。
源頼朝以降は摂家・親王が任官しているので、源氏というよりも、
「それ相応の家格の人が鎌倉殿になる、将軍任官」ということだっただろう。
足利政権では「尊氏の子孫が室町殿を世襲、将軍任官」ということで、
源氏だからというのではないのではないか。

355 :日本@名無史さん:2013/11/28(木) 18:44:58.13 .net
>>350
だよなあ
清和源氏じゃないけど、まぎれもなく源氏ではある。決してエセ源氏というわけじゃないよなあ

この時期の段階では、征夷大将軍は清和源氏に限るという風習・前例なんて成立してないわけだし。

鎌倉殿でなくても、大塔宮も親王将軍として征夷大将軍になってるし。

>>352
貴族化したと言われる平氏政権だが、平氏が創出した組織構造やら政策のいくつかは鎌倉幕府も踏襲してるんだよな
武家政権が確立する前の試行錯誤段階とみた方がいいんじゃないのかな

>>353
貴族と武士が完全に分離して役割分担が明瞭になったのは室町時代に入ってからだよな
南北朝時代までは武士っぽい貴族もいた。

まあ、伊勢の北畠氏やら、戦国時代の土佐一条氏なんかも、武士っぽい貴族には違いないが。

356 :日本@名無史さん:2013/12/14(土) 15:44:24.99 .net
幕府=御家人連合体制
平家=中央集権体制

対外侵略したがるのは平家。家康は秀吉のせいで明との国交恢復は
出来なかったが、朝鮮とは何とか通じた。

357 :日本@名無史さん:2013/12/15(日) 15:28:35.30 .net
まあ、トンデモ説、満載だな。

358 :日本@名無史さん:2013/12/15(日) 18:37:48.83 .net
世の中が不安定化すると仮冒平家が元気になるだけだろ。

359 :日本@名無史さん:2013/12/16(月) 00:14:02.25 .net
仮冒平家が我が世の春を謳歌せん時代に書かれた日本史とか
あんまり読みたくない。

360 :日本@名無史さん:2014/01/31(金) 21:12:10.35 .net
尊氏が北条から取り返し徳川が習った、つー総意があったんだろね。

終了。

361 :日本@名無史さん:2014/02/01(土) 09:07:27.74 .net
平家みたいに公達になる気は有りませんの中で一番由緒格式のある家柄と考えられて家系図買われたんだろ

362 :日本@名無史さん:2014/02/01(土) 09:12:25.82 .net
そう言えば征夷大将軍になる際に天皇が裏切んなよって源氏姓くれるんだったw

363 :日本@名無史さん:2014/02/01(土) 20:35:02.57 .net
現代日本において最低最悪の鬼畜団体
それは『池田豚作真理教』である

364 :日本@名無史さん:2014/02/02(日) 03:44:10.74 .net
>>350
ごめん自分>>316だが、臣籍降下して源氏と将軍職を賜るのなら別に問題ないわけ。
鎌倉期の宮将軍みたいな。

>>316で言ったのは、もし単なる臣籍降下(つまり「後西院源氏」みたいな)ではなく、
近衛信尋が近衛家を嗣いだみたいに、徳川将軍家の後を嗣ぐ形で源姓になったとしたら、
それはやっぱり宮様にニセ源氏を名乗らせることになるでしょ、ってこと。

なので普通に考えれば「徳川家幸」とかではなく、「源幸仁」として新たに将軍家を興すことになると思うんだが、
そしたら残された他の徳川一門は、自分たちの家格が下がるように思うだろうから、問題あるだろうなあ、と。

まあ所詮は有り得ないIFだね。

365 :日本@名無史さん:2014/02/02(日) 03:49:52.39 .net
新たに将軍家を興すとしたら御三家や連枝は将軍家の血族ではないことに
なってしまうから、それは有り得ない。
もし本当にやろうとしたら、宮様だろうが誰だろうが徳川の偽源氏を名乗らせるしかない。

366 :日本@名無史さん:2014/02/02(日) 17:07:08.61 .net
>>364
そしたら近衛信尋は、偽近衛なのか?

367 :日本@名無史さん:2014/02/03(月) 02:42:45.54 .net
>>366
なんでそうなるの?
近衛家は正当な藤原氏の摂関家だから、近衛家を嗣いだ信尋は正当な藤原氏。
徳川将軍家は偽源氏だから、もし皇族が徳川家を嗣いだとしたら、その人は偽源氏。

368 :日本@名無史さん:2014/02/04(火) 02:07:19.49 .net
この場合の源氏は清和源氏だけ?

369 :日本@名無史さん:2014/02/04(火) 19:32:59.71 .net
養子になっても改姓はしないという方法は?
つまり姓は無姓(王氏)、苗字は徳川みたいな

370 :日本@名無史さん:2014/02/06(木) 15:11:15.24 .net
>>369
そもそも無氏無姓の王氏が名字を持った例はあるのだろうか。
例えば白川家は源氏の間はともかく、源氏を廃して王号を称している間はどう名乗っていたのだろう。
白川宮とでも称していたのか、白川神祇伯何某王と氏が有るものと同じような名乗りをしていたのか。

371 :日本@名無史さん:2014/02/06(木) 17:02:53.14 .net
>>361
頼朝と清盛の時代はそうだったけど、足利将軍家は完全に公家化してたな。

372 :日本@名無史さん:2014/02/07(金) 01:02:31.64 .net
「完全に公家化」はしてないだろ・・・
確かに貴族ではあっったが、武家であって、公家ではない。
本人の意識もそうだし、周りの視線もそう。

373 :日本@名無史さん:2014/02/07(金) 22:54:57.53 .net
では北条氏が平氏でなく源氏の傍流だったら、幕府を簒奪して将軍になってたてか?

374 :日本@名無史さん:2014/06/08(日) 11:48:07.13 .net
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375 :日本@名無史さん:2014/06/10(火) 00:36:50.40 .net
征夷大将軍は清和源氏だけ、と本当に決まったのは(決まったことがあるとしたら、だが)江戸時代に入ってからだな

鎌倉時代や建武政権期には親王将軍だっているし、戦国期に平氏の子孫と自称した信長に将軍宣下をする可能性だってあった


源氏長者は、賜姓源氏に属する貴族のうちで最も高位高官のものという意味で、清和源氏の源氏長者は足利義満以後だろ
それ以前の源氏長者は清和源氏からは出てないだろ

376 :日本@名無史さん:2014/12/07(日) 11:55:23.97 .net
足利家が15代に亘って将軍を独占したから既成事実化したんだろう

377 :日本@名無史さん:2014/12/07(日) 12:03:31.93 .net
376
征夷大将軍は神格化したのは江戸時代じゃねえの?

いつまで痴呆ぶってるんだよ?分かってやってんじゃねえのかお前ら

378 :日本@名無史さん:2014/12/07(日) 12:06:25.36 .net
足利将軍って言ったって島津はじめ九州の大名は従ってないし
奥州や関東だって将軍の権力外だぞ

379 :日本@名無史さん:2014/12/07(日) 13:00:39.49 .net
室町時代中期(義満以後、15世紀末頃まで?)になると、格式という形で色々な秩序化、序列化が進んで、
将軍の地位・権威が確立してるからな。

といっても、軍事的に対立した敵対者に対して殲滅や処刑という形を取れず、
領地削減なり役職剥奪なりの形でしか処罰できてない、軍事的には弱い権力とも言えるんだが。

応酬とか関東とか九州は、いちおう幕府の出先機関の支配下にあったのは事実だよ。
その出先機関自体が幕府に敵対する事例が少なくなかったり、幕府に対し自立的で服従してなかったりするけどな。

将軍の地位を清和源氏が独占する体制自体は江戸時代になってから確立したんじゃね。

もっとも、松平氏が清和源氏の出身という系図そのものは疑わしいんで、
室町時代にこれが確立してなかったんなら偽系図を作った意図が不明瞭になる気はするが……
まあ、松平氏の中で自家が源氏だと言い張ろうとし始めたのが家康じゃなくその祖父、清康の時だったって事を考えれば、
松平氏が清和源氏の一門だと主張したことそのものは将軍職と無関係だったとは言えるだろうしな、よくわからんよ

380 :日本@名無史さん:2014/12/09(火) 00:00:06.95 .net
それどころか松平氏で源氏を称し始めたのは
家康の祖父の祖父の祖父の信光だという話もあるからな

381 :日本@名無史さん:2014/12/09(火) 15:32:12.40 .net
>>380
信光あたりになると、実在したという点以外のほとんどが史実じゃなくて伝説だろ

382 :日本@名無史さん:2014/12/09(火) 21:51:00.73 .net
>>381
せやろか(伊勢貞親関係の書状、日記や三河の寺院の古記録見ながら)

383 :日本@名無史さん:2015/01/22(木) 20:41:26.17 ID:8Xd1CEYQT
あれ、ずっと徳川は平家方だと思ってたが違ったか。
織田は平家だよな。

384 :日本@名無史さん:2015/01/23(金) 20:46:19.89 ID:q8Lr3ljbV
>>379
うん?大給松平氏のことを言ってるのか?

385 :日本@名無史さん:2015/07/21(火) 21:49:34.04 .net
頼経も頼朝の妹の曾孫という関係から擁立されてるから源氏の血は入ってる

386 :日本@名無史さん:2015/07/22(水) 17:10:46.26 .net
>>1
足利義満から

387 :日本@名無史さん:2015/07/22(水) 22:04:25.38 .net
>>385
母系で少しでも源氏の血が入っていれば姓が何でもいいならかなり範囲は広くなるな
親王将軍はどうする?

>>386
織田信長の三職推認が史実ならそれ以降も
源氏じゃなくてもよかったんだろ

388 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 00:07:50.11 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

389 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 00:08:23.37 .net
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

390 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 00:44:16.29 .net
残念ながら女系は源氏の本姓賜れない

391 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 07:40:18.71 .net
朝廷の認識→別に誰でもいい
武士の認識→源氏の血統こそが正当な征夷大将軍

392 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 10:54:13.25 .net
親王将軍もほとんど頼朝の妹の子孫

393 :日本@名無史さん:2015/07/23(木) 14:31:56.99 .net
>>391 曲がりなりにも清和源氏の血を引いていない征夷大将軍って、大伴弟麻呂
と坂上田村麻呂だけ。

394 :日本@名無史さん:2015/08/10(月) 17:57:40.83 .net
>>375
実朝が右大臣になった時、実朝が一瞬「源氏長者」になったりしないの?
右大臣より上って、なかなかいないと思うんだけど

395 :日本@名無史さん:2015/08/10(月) 19:47:20.08 .net
右大臣より上の源氏はいなかったがなったりしない。

396 :日本@名無史さん:2016/04/24(日) 05:15:01.77 .net
木曽義仲
ttps://www.youtube.com/watch?v=i7z51xX833g

397 :日本@名無史さん:2016/04/24(日) 13:57:22.80 .net
>>376 義栄は14代に入れていいだろうか?

398 :日本@名無史さん:2016/04/24(日) 15:53:19.73 .net
幕末から明治初期


ラスト源氏長者    久我建通(明治朝廷)

ラスト権征夷大将軍  伊達慶邦(東武北方政権)


有終の美は公家源氏と伊達男モノノフで飾った

  

399 :日本@名無史さん:2016/04/25(月) 16:43:19.81 .net
>>57
ヒュペルボレアスって東北地方限定なのか?w
日本全部ヒュペルボレアスじゃねーの?

400 :日本@名無史さん:2016/04/25(月) 16:59:25.05 .net
>>1
正直根元に呪術があるんじゃねーか?

実は夷が源の元でそれ自身に征夷大将軍を名乗らせる的なとか?

401 :日本@名無史さん:2016/05/28(土) 20:31:38.31 .net
>>394
氏長者と官位の上下は無関係だよ。
藤原氏の氏の長者は摂関家から出るが、長者の摂関家の上位に清華家出身の太政大臣がいるとかしょっちゅう。

402 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 14:21:29.72 .net
坂上田村麻呂―坂上春子―葛井親王―棟貞王―棟貞王の娘―貞純親王―源経基―源満仲

清和源氏は何気に外孫から坂上田村麻呂の血が入ってるんだよね。
源満仲が摂津守になって多田政所を置いたときに、坂上頼次を摂津介にして山本荘司として任命して多田政所の警備をさせてる。
源頼光に使えた坂上季猛が卜部季武のモデルらしいし、軍記物でも鬼切は田村麻呂から頼光に渡ったり。
征夷大将軍が源氏の専売特許になるまでに、坂上氏から武門を継承するようなプロパガンダはしてたのかなと。

でも坂上尚親の時に先祖の武功で平姓を賜ってたりするのがなんとも。

403 :日本@名無史さん:2016/11/06(日) 16:34:46.30 .net
征夷大将軍の夷は実は東北というより地中海小アジアのアーシラト・バアルの討伐だったとか

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