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国津神嫡流の諏訪氏について語る

1 :日本@名無史さん:2012/09/23(日) 13:16:24.54 .net
天皇家とは天照大神から続く「天津神」の子孫の嫡流である

では「天津神」の対極の存在である「国津神」の嫡流の子孫はどこか?
答は素戔嗚尊―大国主命―健御名方命と続く「諏訪家」である

諏訪家の男系は維持されているのかというと、諏訪大社の大祝家は断絶、大名家も女系になってしまっている

275 :日本@名無史さん:2015/10/10(土) 02:06:09.92 .net
安倍氏だったっけ?元は出雲と同じだとされてるけど、奈良の富家が本家に見放されてアベを名乗ったとされるのだが・・

陰陽のアベとどうかかわってるのかは知らんが、信濃に痕跡は沢山ある
・木曽の新開にある、清博士
・木曽福島にある清明神社
・上松の若宮神社の葛の葉神事(鏡文字で句を書いて最後に星を描く)
たぶんみんな知ってると思う。

更に、辰野病院の近くの諏訪神社。その西に墓地がある。その西に鳥居だけの神社があり清明不動の石碑がある
これは封印か監視を表すのではと。

奈良の出雲氏が山の祭祀から追い出されてダンノダイラに行き、西側にはアベ氏が住んだとされるのだが
神武天皇の碑の周囲に四角い石が7個。福井の土御門の京都からの疎開先のあの石と同じだ

更に拝殿の右にある崇敬会の建物の名前は清明殿

穂高神社と同じく陰陽師は諏訪・出雲の封印に関わっていたと妄想している。

276 :日本@名無史さん:2015/10/10(土) 02:25:17.77 .net
物部守屋氏について調査が終わったので書き込むことにする。

数年前、諏訪の記念館に奈良からの来訪があった。その人は家系図を持っており、何とピタリと一致
物部守屋の二男さんが諏訪に血を残したという伝承はホントだった。

実は物部守屋が滅ぼされなかったのには理由があって、守屋のお姉さんが蘇我のお嫁さんだったから相続する必要があったらしい
一番の拠点は四天王寺だかに上書きされたが、長男は奈良に残り、二男さんがこっちに来たという事

「むらやにいますふつひめ」神社が今も守屋家が守る神社。諏訪にきた宮司さんもまだ存命だよ。御朱印貰うなら今のうち

守屋山の歴史が何度か上書きされているらしいが、奥社の家紋が諏訪梶でない理由、守屋神社が御柱を建てない理由はそこにあるのだろう
諏訪氏や諏訪の守屋家と、出雲の向井家には一定の距離があり、それで諏訪の神様は出雲に10月に行かなくとも良くなったのかもしれない

物部氏は九州から東征して出雲を攻撃したから長い年月と言うのは感慨深い。
今の諏訪の宮司さんは北島家から来ているし、東信の熊野神社は本来は仇敵の八咫烏でありながら周辺の諏訪神社の管理をしている。

277 :日本@名無史さん:2015/11/10(火) 02:30:30.62 .net
縄文時代の首長の家系なの

278 :日本@名無史さん:2015/11/12(木) 12:07:14.64 .net
諏訪の周辺の土は黒ボクでしょうか?

279 :日本@名無史さん:2015/11/24(火) 01:39:42.40 .net
>>278

いわゆる「すくも」と呼ばれる「茅:かや」の堆積物が多いです。

なので隣りの市は茅野市なのです。

280 :日本@名無史さん:2015/11/26(木) 09:13:25.97 .net
うちの裏山掘り返すと石の鏃が沢山出てくるよ

281 :日本@名無史さん:2015/11/26(木) 14:09:54.84 .net
長野県諏訪市にある諏訪大社は光仁帝の宝亀10年(779年)に阿波の多祁御奈刀弥神社から移遷された、
と社伝にあるそうだ。その頃、現在の長野県にある諏訪大社は「南方刀美(みなとみ)神社」と言われており、
阿波からご祭神が移されてきたことが伝えられている。つまり大国主命の息子神である建御名方神は
ここ石井町諏訪に祀られ、ここから各地に広がっていった、ということである。
それにしても観光地として多くの参拝者が訪れる諏訪大社のご祭神が
阿波から移遷された神様だと知っているひとはどれだけいるだろうか。

282 :日本@名無史さん:2015/11/26(木) 14:12:33.00 .net
ほとんど自称ね

283 :日本@名無史さん:2015/11/26(木) 14:13:27.57 .net
自称、成り済まし=寄生という意味だから

284 :日本@名無史さん:2015/11/26(木) 22:44:58.50 .net
下社は神武天皇の弟の家系と聞いたが

285 :日本@名無史さん:2015/11/26(木) 23:01:26.40 .net
御祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)の二柱です。
建御名方神は、大国主神と高志河比売神の御子神で、八坂刀売神は妃神です。
下社には御二柱に併せて御兄神、八重事代主神が祀られています。

式内社「事代主神社」が全国で阿波にだけ(島根にさえ無い)あるように、事代主命は阿波の人物でしょう。
高志河比売神とは、別名・高志沼河姫で、高志(地名)の沼河姫のことです。
この「高志」とは、徳島県板野郡の地名です。

286 :日本@名無史さん:2015/11/27(金) 02:46:31.23 .net
出雲の国譲りのルートって何気に謎だよね

まず、延喜式名なと、南方富の神の社、だったっけ。これは富家の正当を名乗ったという事
と、中央から目を付けられた存在ともとれる

富家伝承だと、出雲帝国は新潟まで伸長してたとあり、母方の血筋をたどり糸魚川から長野に入ったと
松本市山辺はタテミナカタ降臨伝承があるのだが(薄水神社奥社は扉温泉近くにあり)小野神社よりはるか南
辰野病院の諏訪神社は、タテミナカタのおばあさんが葬られている
伊那谷を通らず、塩尻から辰野に行き、岡谷周りで諏訪に入り布陣したという事になると、有賀峠ルートの伝承と若干矛盾する
有賀峠ルートは南下すると「石船渡」釜口水門近くには結界の境を指す「小坂」地名がある
船渡=クナトの大神だから有賀峠ルートも捨て難い

話は変わるが、富家の家紋が×印になり御柱にはその刻印が明治まで刻まれていた
今、御柱にその刻印をしてるのは宇宙飛行士の出身地の村のとある諏訪神社くらいかな

287 :日本@名無史さん:2015/12/25(金) 03:21:25.00 .net
分家だが、男として生まれてるぞ!俺が!

288 :日本@名無史さん:2015/12/31(木) 19:20:12.94 .net
阿蘇氏が本来の皇統ですか・・

289 :日本@名無史さん:2015/12/31(木) 19:39:44.16 .net
ナガスネヒコの苗字?地名?も鳥見(とみ)だった。
たしか阿蘇氏の子孫に「富」という文字を含む苗字の子孫がいたと思う。
何か関係や意味があるのでしょうか。

290 :日本@名無史さ:2016/01/02(土) 03:49:18.96 .net
トミのナガスネヒコは男系で言えばスサノオですね。
磯城王朝は大和の富家の分家(磯城冨家)から嫁さんを貰う習慣があったので圧倒的に冨家の血が濃くなったが、あくまで親戚
磯城王朝は結局出雲の一部の土地を侵攻したが、ナガスネヒコが物部にやられた時に何と冨家に助力を依頼
冨家側はヒボコの出雲侵攻を予想しており、助力する力は無いと判断。その際に冨家を名乗る事を禁じ、ナガスネヒコは安倍を名乗る事になった

アベ=正確にはスクナ彦の系統。

ちなみに大和の大神神社の祭祀をやってた(もしくは出雲で捕虜になった)出雲族は後に大神神社の東側に追い出される
そのあとに住み着いたのが阿部家(崇敬会の建物は清明殿・三島由紀夫の由来で曖昧にしている?)

安倍=陰陽っぽいね。後に物部=スサノオ系と血筋的にやり取りがあったのかもね

291 :日本@名無史さん:2016/01/16(土) 00:47:38.20 .net
諏訪氏って実は出自不詳の成り上がりじゃね?

292 :日本@名無史さん:2016/01/16(土) 05:46:05.77 .net
本当具体性ないよなあ、射精エベンキさんって

692 日本@名無史さん sage 2015/12/31(木) 13:52:13.56
>>691
うん、完全論破されても勝利宣言しちゃうような狂人だからね。
確実に明日はそんな書き込みをすると思うよ。

論点がないまま論争するとか、この狂人のアタマの中身は本気で理解不能。
論点がないなら双方の意見が一致しているわけで、そもそも論争自体が存在しないだろうによ。

293 :日本@名無史さん:2016/01/16(土) 07:41:29.15 .net
長野県諏訪市にある諏訪大社は光仁帝の宝亀10年(779年)に阿波の多祁御奈刀弥神社から移遷された、
と社伝にあるそうだ。その頃、現在の長野県にある諏訪大社は「南方刀美(みなとみ)神社」と言われており、
阿波からご祭神が移されてきたことが伝えられている。つまり大国主命の息子神である建御名方神は
ここ石井町諏訪に祀られ、ここから各地に広がっていった、ということである。
それにしても観光地として多くの参拝者が訪れる諏訪大社のご祭神が
阿波から移遷された神様だと知っているひとはどれだけいるだろうか。

御祭神は、建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)の二柱です。
建御名方神は、大国主神と高志河比売神の御子神で、八坂刀売神は妃神です。
下社には御二柱に併せて御兄神、八重事代主神が祀られています。

式内社「事代主神社」が全国で阿波にだけ(島根にさえ無い)あるように、事代主命は阿波の人物でしょう。
高志河比売神とは、別名・高志沼河姫で、高志(地名)の沼河姫のことです。
この「高志」とは、徳島県板野郡の地名です。

294 :日本@名無史さん:2016/01/16(土) 09:17:02.13 .net
諏訪氏が建御名方神の末裔だと名乗りだしたのは
皇別の多氏系の金刺氏への対抗からでしょう?
だから、過去に言っていることが二転三転している。
源氏だと言ってみたり、実は金刺氏の一族と言ってみたり。
建御名方神の末裔でないことは確か。

295 :日本@名無史さん:2016/01/16(土) 21:24:11.17 .net
>>294
その通り
諏訪氏は血統上では源氏になってるでしょ。
源氏の血が入る前は金刺氏。
建御名方神の子孫って話はかなり後になって作られたよね

296 :日本@名無史さん:2016/01/17(日) 00:35:02.21 .net
ひょっとすると
相武国造のほうが建御名方神に近い?

297 :日本@名無史さん:2016/01/17(日) 00:37:08.73 .net
天皇も男系はスサノオだから、天津神も国津神も同祖

298 :日本@名無史さん:2016/01/17(日) 01:00:01.62 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

299 :日本@名無史さん:2016/01/17(日) 01:00:36.25 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

300 :日本@名無史さん:2016/01/17(日) 13:13:48.00 .net
>>295
源氏を名乗ったのは一時的なもので、金刺氏は多氏、阿蘇氏と同族だよ。
諏訪の神が建御名方神になったから建御名方神の子孫を名乗ったけど、元々祀られていたのは縄文の神でしょ。
言うなれば建御名方神は名前を借りているだけ。

301 :○彦[Y-C2e1a2a1/mt-A4-A200G]:2016/01/18(月) 14:09:18.20 .net
諏訪氏系の皆さまGeno2.0でハプログループを調べて見ませんか?
俺は諏訪氏系で名前のハプロが検出されました。
信州では大規模なYハプロ調査は行われていませんが、
俺を含め諏訪氏に繋がる苗字からC2eが検出されてます。

2008年に行われた20都道府県のYハプロ分布は以下になります。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org703282.png

302 :日本@名無史さん:2016/01/19(火) 22:13:32.62 .net
縄文も弥生も関係ないよ。
Y染色体の分岐状況からみて、弥生時代の開始時期は4000年前くらいに
遡れる状況になってきたから。
つまり、西暦57年の奴国王の金印の時代ですら2000年時間が経過している。

303 :日本@名無史さん:2016/01/19(火) 22:28:40.87 .net
>>301
過去の系図に婿養子できた人とかいないか?

304 :日本@名無史さん:2016/01/19(火) 22:45:29.50 .net
ふふんw
争いの根本分かったぞw

305 :日本@名無史さん:2016/01/20(水) 05:30:58.21 .net
誰と誰が争っててその根本とは?

306 :○彦[Y-C2e1a2a1/mt-A4-A200G]:2016/01/20(水) 09:11:26.76 .net
>>303
系図上は養子の痕跡は見られないけど、絶対とは言えないですね。
祖父曽祖父といとこ婚なほど閉鎖的な部落(今で言う集落)なので、
養子を入れたとしても同じ部落内ではないかな?

307 :日本@名無史さん:2016/01/23(土) 11:09:50.75 .net
九州の阿蘇を本拠地とする阿蘇氏は、意外と全国へ広がっている。

308 :日本@名無史さん:2016/01/31(日) 21:12:21.64 .net
どなたか教えてください。
名字を神と言います。
私の祖父が生前先祖は長野方面から来たと言っていたらしいのです。
神氏はのちに諏訪に名を変えていますが、今も神氏を名乗っているということはその前に分家していたということでしょうか?
家紋が梶の葉なので諏訪大社とか長野に関係しているのではと思っていますが・・・
室町時代東北討伐をした南部氏の家臣に神がいるのでそこがルーツなのかなとも思っています。
どなたかお力をお貸しいただけると嬉しいです。

309 :日本@名無史さん:2016/01/31(日) 23:50:10.28 .net
>>308
言い伝えレベルしかないなら難しいよ
GENO2.0NEXTで遺伝子鑑定してみれば
上の人みたいにC2eが検出されるかもね

310 :日本@名無史さん:2016/02/01(月) 02:16:56.98 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

311 :日本@名無史さん:2016/02/01(月) 02:17:44.04 .net
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

312 :日本@名無史さん:2016/02/01(月) 11:49:40.88 .net
あなたは40代ロサンゼルス府警新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?

それともいくつですか?huluさん?

それともいくつですか?huluさん?

それともいくつですか?huluさん?

313 :日本@名無史さん:2016/02/04(木) 22:29:47.25 .net
諏訪氏は元は異なる家系だったものも
中世になってから神氏として統合された集団らしい。
だから、同族だと思っていたら、異なる系統だったというのも
珍しくないかもな。
中国の孔子の末裔も同族だと思っていたら
異なる系統が3つだったらしいから。

314 :日本@名無史さん:2016/02/07(日) 00:55:49.63 .net
>>308

諏訪大社は上下に別れているが、宮司家も同じように別れてたっけな
神子氏と金刺氏。金刺氏は出雲の神門家系らしい。神子系は守矢と習合。
ちなみに守屋神社の鳥居額「物部守屋神社」に書いてある名前「従六位物部連比良麿謹書」から、
「物部神社(石見国一之宮)の歴代神職が金子家」である事も添えて置く。現在は他の家が宮司家になっている。

かつて物部(山幸彦)と物部=天孫(海幸彦)にやられた出雲であるが、のちに和解。
美穂神社の千木は物部の横削ぎ、出雲の縦削ぎが両方存在する。
あと、出雲の宿敵であるヒボコの家も神床家である。(実際にはヒボコに嫁をやっただけらしい)
神の字だけでは情報が足りないと思われ。

物部の守屋の系譜は養子に入った時に他の親族も来たらしく、神社の南の部落に守屋性が残っている
守矢の家紋は丸に十。そのことから原始キリスト、失われた十氏族を連想する人が居るのは確か。

315 :日本@名無史さん:2016/02/08(月) 13:38:00.18 .net
>>308
梶の葉紋はまず間違いなく諏訪と関わりがある。
そういや安倍首相の家紋も丸に梶の葉だったな。

316 :日本@名無史さん:2016/02/08(月) 15:15:21.32 .net
>>314
電波を振りまいて一般人を汚染するのはやめなさい。そのうちバチが当たるよw

317 :日本@名無史さん:2016/02/19(金) 02:03:04.76 .net
>>316

ちなみにどの辺が違うと思う?個人的に裏付けとって有る部分もあるから。

318 :日本@名無史さん:2016/05/16(月) 21:17:05.81 .net
>>317

>物部(山幸彦)と物部=天孫(海幸彦)にやられた出雲

山幸彦が物部だという根拠は?

>出雲の宿敵であるヒボコ
>ヒボコに嫁をやった

出典は?

319 :日本@名無史さん:2016/05/20(金) 23:11:03.73 .net
>>318

おお、レスポンスがあった。嬉しいよぉ〜
出展は「出雲と大和のあけぼの」他、出雲の向王家の末裔の書いた本だよ
数十年ぶりだ。徳間の「謎の出雲帝国」以外で出雲王家の証言が本になったのは

一応偽書とされているセンダイクジホンギの内容は知ってる?
アメのホアカリニギハヤヒは同一名で書かれてるから、二人は同一人物論ってのは一般にあるよね?
向家伝承ではその同一人物が徐福になっている。
東征伝説がある二つの一族は共通の証がある事を確認し、手を結ぶよね?

出雲の王族にはそれに関する伝承がきちんと残ってるって事だよ。
山幸彦と海幸彦の血族が結婚してアメノ村雲が生まれた。一般に言う神武だが
伝承によればその6代前からの神武と出雲は争ってたらしいね

因みに富のナガスネヒコは正確には冨が付くが、母系で三代続けて出雲から嫁が行ってるだけなので正確には出雲系ではない。

320 :日本@名無史さん:2016/05/20(金) 23:21:18.71 .net
金刺氏についてはその後勉強したらどうも天武系の指示でこっち来た人らしいね
どうりで今回地震で倒壊した阿蘇神社との関係が話されている訳だ

つまり700年代に下社は出来たのだが、上社から別れた訳ではないらしい
阿智村には古い家系があって、もともと諏訪の監視の最前線がその一族の住んでた阿智との事
だからあんな山奥に天孫の伝承、恵那山があるのだろう。
「坂の上の田村麻呂が参拝したらご利益ありました=諏訪神社→俺様天皇、これからは信濃の国全体で諏訪神社を普請しなさい」ではなく、実際にはワサビの大王様を穂高と共同で挟撃した事が原因で手打ちがあったのかもしれない

タケミナカタが連れてきた神様は御舟様=クナトの大神であって自分自身ではない

日本全国に仏教、修験道が一気に広まった600〜700年代に神様が変わったのかもね
主祭神を変えるにあたって阿波から諏訪神社を勧請した伝承って本当かもね

321 :日本@名無史さん:2016/05/20(金) 23:25:04.91 .net
私が裏をとったのは物部神社関連。出雲の○浜神社まで行って宮司さんにも話聞いたよ

322 :日本@名無史さん:2016/05/22(日) 09:05:42.06 .net
金刺氏と仲直りしたん?(・ω・)

323 :日本@名無史さん:2016/05/28(土) 02:28:08.04 .net
金刺氏関しましては金刺親王=天皇家の親族説と、阿蘇神社(まだ調査不足)系の二つの伝承がありますね
知人が温泉寺の関係の人で、御柱にも乗る人なんですが、ご先祖はかつて偉い人と一緒にこっちに来たらしいです

いきなり金刺氏単独で下社勢力を形成したとなれば氏子さんたちが良く従ったと、相当のカリスマの持ち主という事になりますが
集団移住があって、上社対抗の組織(出雲に対する千家国造家による祭祀乗っ取りのように)が形成されたとなると腑に落ちますね

金刺氏は結局武田と組んだ事が引き金となり、上社系の大祝家、惣領家により大幅に勢力を落とします。確かお家断絶も大祝家よりも早かったかと
上社系も結局、大祝家=お坊さん=神仏習合系と惣領系、落ち延びて高遠家になった元大祝家で三つ巴の戦いになり勢力を落とします

一度断絶して武田家により大祝家の傍流から党首が出たと記憶しています

明治の廃仏毀釈により政府の尖兵として諏訪に来たのは、何と三代前の出雲王族の口伝の伝承者である冨村雄氏です。
一時は隆盛を誇り出雲と同じ神有月まで存在した諏訪ですが、出雲王家とどのような事情があったのかはまだ分からないことが多いです

324 :日本@名無史さん:2016/05/28(土) 02:31:58.44 .net
タケミナカタさんは、その後千葉の方に行ったという伝承もありますね。

氷川神社、香取神宮、鹿島神宮。この位置から昔戦いがあったと推定されています。
どなたかご存知の方いらっしゃいますか?

325 :日本@名無史さん:2016/06/03(金) 00:41:34.24 .net
イザナミ(幸姫→後のアラハバキ)、イザナギ(サイノカミ)=道祖神は、出雲の王族も言及してるけど

ミシャグジ=サイノカミ説もあるんですな。

その仮定で行くと、糸魚川を経由して上田のイクシマタルシマ神社に入ってきた時はサイノカミを奉じてた(これは出雲口伝の本にも出ている。そもそも自分を祭る筈がない)
790年代に征夷大将軍がやってきて、ワサビの大王様を成敗した
桓武天皇がこれからは国を挙げて奉仕するようにと決め、親戚の金刺親王を常駐し、下社を新たに建てた
同じく780年代にタテミナカタの諏訪神社が阿波から勧請されたという伝承(東山道の麻績は忌部氏に近い地名)
奥様の八坂の姫は安曇(一説によると諏訪の監視役)の王族とも言われてる

つまりはだ、ミシャグジをタテミナカタが成敗したのではなく、一度天皇系が長野を平定して、それを隠して比喩にしたという事も考えられる
でなければ前宮の祭神がタテミナカタではなく八坂姫である説明がつかん気がする

遺跡的にも一度諏訪は青銅器よりも先に鉄器が入ってきている
その後、祭祀と深い関係がある青銅器の時代に上書きされているちょっと珍しい地域なんだそうだ
600年代後半から700年代の間に相当の出来事が日本中で起きたのではないか?

326 :日本@名無史さん:2016/06/06(月) 01:02:07.34 .net
杵築大社。そう、出雲大社は当初は地名で呼ばれ明治になってから出雲の名を関する事になった

700年代当初、大宝律令により国の造制度は廃止され、大領が中央から任命された。
しかしながら、大領は次に命じられない限り元国造家は失職の可能性があった。
よって、天のホヒ家(千家)が向家と宝筋に依頼し、共同運営の神社を条件付きで作る事になった
710年の平城京完成から実に6年で杵築大社は完成。(古事記は712年完成)
資金の殆どは向家。資材と人足は神門家が出したため、本殿の所有は神門という形でスタート

主祭神が大国主になった理由は三屋神社から遷座された事によるとの事。神紋が二重亀甲に剣花角になったのはそれが理由
六角で囲われる神社の神紋で、オウ六社以外にこの紋を持つのはあの近辺では出雲大社のみである。
出雲大社の外に向かっての表紋は、明治時代に変えられたが元々は「大」という字。これは元々の出雲王家の神社である熊野大社と同じである。
出雲大社の鳥居を入って右側に「宝物館」がある。あそこに、伊勢と一緒で神様が使われる調度類は先祖ごとに変わるのだが、その代ごとに展示してあります。その箱に螺鈿(貝細工)
があり、神紋も書かれている

327 :日本@名無史さん:2016/06/06(月) 01:36:17.91 .net
出雲大社の大国主の封印説、怨霊説はどうして出来たのか?
798年に国造・群領分離令により正式に国造職は廃止となった。
天のホヒは物部と組んで出雲を滅ぼしたから荒御霊を恐れる風潮があったらしい。

出雲系が多い関東系、例えば秩父国造等もこれに習ったと考えられるが、その際に記紀などに出てくる神に軒並み変更し恭順の意を表した
それに従わない勢力が征夷大将軍により平定される。
一応伝承によれば806年に信濃の八面大王を平定。

つまりは、その近辺で下社が作られ、御柱神事が始まったという事なら、御柱はタケミナカタもしくは出雲の血筋を封印するという意味が仮説として挙げられる事になる
死体、黒不浄を好む鉄の神様の炉の周りの四本の柱説もあるが、一応公式には遷宮御柱祭は天武天皇の時からとなっているので

因みに、当初はサイノカミ三神を祭っていた熊野大社は現在では素戔嗚が祭神になっている。宮司は何と千家。本来の向家でも、熊野家でもない。
一時ガクエン寺の所有になった出雲大社が寺と縁を切るきっかけになったのは出雲大社が素戔嗚を祀ろうとしたためらしい

彼らホヒにしていれば素戔嗚(向家文書だと、徐福の和名。除猛とも言う)を祭る事は悲願であったろうからね。
祭祀が大庭から杵築に移った事が古事記では国譲りに比喩されたとされる。

では守矢とタケミナカタの戦いは何の比喩であったのだろうか?

328 :日本@名無史さん:2016/06/06(月) 02:23:02.63 .net
監視用に下社作るとき上社から不満出んかったんやろか?(・ω・)

329 :日本@名無史さん:2016/06/15(水) 03:00:44.08 .net
実際にはある説があって

守矢氏が元々の出雲系の住民。そして今でいう諏訪族が後から入り込んで旧出雲を併呑し、出雲出身を偽装した説
ミシャグジ様=サイノカミ=クナトの大神なら元々の出雲の系譜。
出雲は海を渡って本州北から南下し、出雲に居ついたとされる。つまり旧出雲系は最初から諏訪に居たのではないか?

桓武天皇は数々の呪詛に怯え、京に都を作るにあたっても相当の仕掛けをしたようだ
八坂の奥さんは突然出てきた神様で一説によると穂高の党首の妹との事である。
前宮の祭神がどういう訳か八坂の姫。天皇が作ったとも言える下社も八坂。
穂高の隠された任務は諏訪の監視という事だから、ここでも出雲を千家が乗っ取っとり、自分たちが元から居た出雲大社とした様な構図を妄想することが出来る。
船渡=クナトの大神を消し、阿波からタケミナカタを持ってきて、安曇の力で封印した。

元出雲を平定し、出雲と天孫を逆にした。だから、鉄と藤でいつでも確認が出来る様に比喩としたのではないか?
伊勢津彦も結局は国譲りになり、信濃に逃げ込んだ。出雲の系譜も、最後の天孫との国譲りが諏訪で起きたのではないか?

封印には同じ血が居る。だから出雲から流れてきた阿蘇の血が必要だったのだろう。阿蘇の系譜の中に安曇氏がある。宗像家は出雲の親戚だからね

330 :日本@名無史さん:2016/06/15(水) 03:16:47.33 .net
出雲大社が716年完成。古事記は712年完成。この時間差の中で出雲大社の祭神が大国主の尊になった

古事記とともに各地の歴史や伝承を集め風土記を編纂させる動きがあったのだが、当初、千家果安は素戔嗚を祭神としようとして
出雲風土記でも万端の準備をして素戔嗚を大国主の舅という事ににしていた
それが編纂係の太安万侶にバレてしまい、やむなく大国主=八千鉾を勧請したんだとさ。
上社の神庭で三つ鳥居があった事が最近分かったけど、三つ鳥居は大神神社と同じでサイノカミの象徴

諏訪でも同じ偽装で神を上書きするためにタケミナカタを持ってきたのかもしれない

331 :日本@名無史さん:2016/06/16(木) 01:40:05.84 .net
ミシャグジ=クナトの大神であるが、東日本地方の濃密な分布は、出雲族国造の分布とほぼ一致する気がする
併せて諏訪神社の東晋地方の分布も諏訪地方より多い

出雲系国造は記紀に合わせて祭神名を変更。タケミナカタの兄妹のミホススミの命は美穂津姫となり、父である事代主=八重波津身を弔うために出雲に残った美穂関の美穂神社ですら例外ではない
千家の勢力は大きなもので、ホヒの系譜を偽装して家系図を改ざんした家もあった。木曾地方は大社教の影響が大きく、何処とも知れぬ処から各家に配られる大黒様、恵比寿様の絵には千家の花押があるのでびっくりする

出雲族のトテームは蛇であり、龍蛇族とも言われていたが、ミシャグジ神は諏訪地方では特に諏訪の蛇神であるソソウ神と習合されたためか白蛇の姿をしているともいわれており、建御名方神や洩矢神(モレヤ神)と同一視されることもある[10]。
諏訪地方に於いては太古の昔からのミシャグジ信仰に後から来た建御名方神が習合、同一視されるに到ったともいわれるが、元々諏訪地方の土着神だったミシャグジ神が記紀神話に取り入れられて建御名方神になったという説もある[11]。WIKIより

諏訪族には口伝は無く、出雲王家と守矢家には口伝があった。AD200年代には出雲で国譲り。文字は無かった時代である

332 :日本@名無史さん:2016/06/16(木) 01:58:09.06 .net
ここのHPは実に興味深い。私程度の仮説になら既に到達している様である。
ttp://www.geocities.jp/mb1527/N3-09-2higasinihon.html

阿智神社は上古信濃国開拓の三大古族即ち「諏訪神社を中心とする諏訪族」と「穂高神社を中心とする安曇族とともに国の南端に位置して開拓にあたった阿智族」の中心をなす神社とし
てその祖先を祭り、「先代旧事本紀」に八意思兼命その児 表春命と共に信濃国に天降り阿智祝部(はふりべ)の祖となるとあり

ここのページを「建御名方」で検索して反転させると読みやすい。
抜粋
「甲斐国の開拓が軌道に乗った時、饒速日尊(海幸彦+山幸彦=物部合流→天孫)が次に進んだのは、信濃国である。信濃国は後に越国を統治していたはずの建御名方命がやってきて
開拓を行っている。建御名方命がやってくる前に諏訪大社の位置には事代主命がいたようで、建御名方命は事代主命から統治権を譲り受けているようである。信濃国には謎が多く、まず、神社の実態をそのまま示すことにする。」

つまり、出雲族と諏訪族なのか、諏訪族を偽装した「天孫」と諏訪族なのかは解らんが国譲りがここでも起きたという事は確かな事であるようだ。最後の仕上げの国譲りは天孫がやったという事が書かれている

国造、大領と時代を経る中で徐々に諏訪の力は削がれていったようである。信濃の国は穂高神社(神紋が菊)と阿智によって監視から支配に変わったのかもしれない
これなら冨村雄氏が廃仏毀釈に乗り込んできた時にためらいが無かった理由にもなるかもしれない

さて、スレタイに対する返答ではあるが、国津神の嫡流って、国譲りを考えない場合、事代主=出雲族と思われる
諏訪族に関しては記紀の様な改竄があり、諏訪族=出雲(タテミナカタ)とは限らない、となる

333 :日本@名無史さん:2016/06/16(木) 02:27:33.98 .net
向家文書では、タテミナカタは、八代目スクナ彦の八重波津身の息子である
それが諏訪まで行った。手長足長族を平らげたとあるが、それがソノウ神の事かもしれない

つまり、守屋家そのものが本来のタテミナカタであり、信濃で起こった最後の国譲りによって、タテミナカタを祭る代わりにサイノカミ信仰を捨てさせ恭順を要求した
そんな気がするね。
古代の鉄は「水辺の鉄」(赤鉄鉱、褐鉄鉱)。本州北から南下したクナト族は出雲で川砂の砂鉄を発見した。そして出雲の元になったイズメ国を作った

国譲りが古代鉄が破れ、藤(原)に敗れた比喩だとすれば作成年代からしても私の後付け妄想も満更ではないかもしれない
出雲の嫁を三代貰った葛城王朝も安倍となって奥州に逃れ、嫡流は前九年の役で滅んだが、阿部の系譜は津軽にまで及んでいる。
伊勢津彦も東北まで逃れたのだが、事代主の縁を頼ったのではないのか?

結局物部氏も蘇我氏にやられ、出雲王家と物部は和解して美穂神社、カモス神社を作ったが、秋田にまで物部氏は及んでいるからね

辰野の信濃の国二宮である小野神社は諏訪系。隣の弥彦神社は隠されてはいるが弥彦は物部のゆかりの名前

334 :日本@名無史さん:2016/06/26(日) 21:08:50.21 .net
太古から出雲に伝わるとされる出雲地伝酒。
通常の日本酒は酸性。出雲地伝酒は大量の木灰を加え、微アルカリ性。
灰持酒(あくもちしゅ)と呼ばれ、熊本、宮崎、鹿児島で見られる。温暖な気候による酸敗を防ぐため。

個人的には出雲より先に熊本があったと思う。
「関裕二説は、蘇我は素鵞で出雲」で、葛城襲津彦は蘇我氏の祖先武内宿禰の子で、
関裕二は「襲は熊襲の襲」という説を紹介していた。

武内宿禰は熊襲で、神武・阿蘇氏の末裔ではないか。蘇我氏は武内宿禰の子孫で、
神武・阿蘇氏の末裔ということになる。
だから出雲に灰持酒があり、太古から出雲に伝わるとされるのではないか。

335 :日本@名無史さん:2016/06/28(火) 16:00:53.98 .net
NHKスペシャル見てここに辿り着いて最初から見たんだけど
家康の松平が大田田根子の末裔なら
神君家康の神君は「みわのきみ」と読んでも
強ち間違いではないのか?と思った

336 :日本@名無史さん:2016/06/28(火) 16:10:24.92 .net
出雲大社真裏のスサノオを祀る祠が素鵞社。

337 :日本@名無史さん:2016/06/28(火) 18:45:54.17 .net
黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!


赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。


それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。

台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。

赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。

gm遺伝子
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/001Gmidensi_1/asiaandjp.gmidennshi.nobunnpu.jpg 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:64a812ccf8e4a0c33443d7cecf6a78f3)


338 :日本@名無史さん:2016/07/05(火) 14:43:58.59 .net
>>335
神君=三輪君だもんね。

339 :日本@名無史さん:2016/07/05(火) 14:46:05.84 .net
>>335
神君で三輪君=大物主神→意富多多泥古だからそうかもね。

340 :日本@名無史さん:2016/07/06(水) 06:09:58.55 .net
名古屋の大須に三輪神社があるんだけど
そこに江戸時代には徳川の弓の訓練場があった
で、その界隈が矢場町なった
そして、大須には大直禰子神社もある

341 :日本@名無史さん:2016/07/06(水) 21:50:17.84 .net
三河、尾張、美濃には加茂

342 :日本@名無史さん:2016/07/06(水) 21:52:05.28 .net
三河、尾張、美濃には加茂郡がある

三輪姓が多いのもこの地域

343 :日本@名無史さん:2016/07/09(土) 21:10:29.89 .net
現在でも、皇室における新嘗祭(にいなめさい)では、古代の製法で醸造した白酒(しろき)、黒酒(くろき)という二種類の酒が供えられる。
黒酒とは、白濁した白酒に、久佐木と呼ばれる草を蒸し焼きにし、その灰をまぜこんで黒くした酒である。
これは、黒みがかった古代米で造った古代の酒の色を伝承していくための工夫の結果であろうと考えられている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%85%92%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2#.E6.9C.9D.E5.BB.B7.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E9.85.92.E9.80.A0.E3.82.8A

『延喜式』によれば、白酒は神田で採れた米で醸造した酒をそのまま濾したもの、
黒酒は白酒に常山木の根の焼灰を加えて黒く着色した酒(灰持酒)であると記載されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%85%92

灰持酒(あくもちしゅ)熊本、宮崎、鹿児島で見られる。温暖な気候による酸敗を防ぐため。微アルカリ性。

本来の天皇家が、多氏・阿蘇氏だったため、現在でも、皇室に黒酒(くろき)という灰持酒(あくもちしゅ)があるのではないか。

阿蘇氏は多氏や火君、大分国造と同じく神武天皇の第二子神八井耳命を祖と称している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E8%98%87%E6%B0%8F

344 :日本@名無史さん:2016/07/09(土) 21:46:25.92 .net
蘇我は素鵞で出雲で、蘇我氏の祖先武内宿禰は熊襲で、神武・阿蘇氏の末裔なら、諏訪氏の祖先が建御名方神
であり、同時に阿蘇氏であるという2つの伝承が成り立つかもしれない。

345 :日本@名無史さん:2016/07/10(日) 02:37:06.60 .net
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

346 :日本@名無史さん:2016/07/22(金) 15:03:13.57 .net
出雲に国なんかなかった、と決めつけられていたことで、出雲族の研究が進んでいないそうですね。

347 :日本@名無史さん:2016/10/17(月) 08:29:24.02 .net
Y染色体研究で諏訪と出雲繋がりが証明されたようだね
http://m.blog.naver.com/rlarladudtnr/220717031444

348 :日本@名無史さん:2016/10/17(月) 15:35:26.79 .net
鳥取・青谷上寺地遺跡「弥生中期末}BC1、隼人の盾出土。
熊襲特徴の渦巻き紋2個、下部に複数の山形紋、赤色顔料で塗られている。
大隅半島ではこの紋様の棺桶飾りで死者を供養する風習が最近まで続いていた。
この紋様は浙江省や雲南省などや南部少数民族でみられる。

349 :日本@名無史さん:2016/10/17(月) 20:21:13.03 .net
>>348
考古学的証拠は分子人類学の登場によって、仮説が補完されるか、覆されるかでしか無くなった
今盛んに古代人骨から核ゲノム解行ってるから、そう遠くないうちに、熊襲や隼人、出雲、諏訪の関係性が明らかになるでしょう。
中国なんかは周遺跡の人骨から支配層のハプロが判明して、現漢民族と繋がりが薄いことを公表した。
清いと感心したけど、日本は皇室の硬い扉を開けるか疑問ではあるね。

350 :日本@名無史さん:2016/10/25(火) 16:41:02.41 .net
ハインリッヒ・ハーラーの「チベットの七年」の中で、家を新築するとき、材料の太い丸太を、
なぜか、車を使わず、人々の手を煩わせて、地面を引きずってくるとあり、これは、
長野県の諏訪大社の御柱立てと全く同じであり、チベットの風習なのである。神に人の誠意を伝えるには、
風習として、車で運ぶわけにはいかないのである。
このように、日本の文化や風習は、神々とともにチベットからもたらされた。言語もそうである。

351 :日本@名無史さん:2016/12/28(水) 01:07:03.57 .net
ここがアマテラス皇族さえも敵わない、
わが国における、
真の王族のスレか・・・


>>3
>天皇家の対極が諏訪家とはあまり知られてない

(知られてない)
んじゃない

「知らせていない」
「知らせるべきものか、と妨げられてきた」


伊勢神宮はじめアマテラス軍門の神社、
日本仏教、
旧公家、
薩長藩閥、
全ての権威も資産も、そして現存する人脈や権力が
ぶっ壊れるからな

彼らが今更逆賊に没落するのを甘受するわけがない

352 :日本@名無史さん:2016/12/28(水) 01:08:50.53 .net
>>6-7
証明されたら、
簒奪不敬をオオクニヌシに働いた今の王朝は、
用済み廃朝だな

>>16 >>22 >>25
文献や物証で証明できないなら
キミの妄想レベルだな

三輪氏もオオクニヌシの直系

>>33
記紀の基本

前提条件も知らない人が
この高尚なスレに参加したらダメだよ

353 :日本@名無史さん:2016/12/28(水) 01:17:08.11 .net
>>349
楽観しすぎ

家系を各代逐一完全復元できるくらい
氏族当時の本人遺骨を現物で採集できないと
遺伝子なんか当てにならん

古代どころか
足利義満の墓さえ不明なんだぜ

遺伝子傾向がーなんて
血液型占いくらい眉唾すぎて
草生えますわwww

354 :日本@名無史さん:2016/12/28(水) 01:48:42.10 .net
>>351
「地方王族」な。

355 :日本@名無史さん:2016/12/28(水) 22:36:52.45 .net
>>354
皇族も元々
「九州地方王族」だな
全国を暴力で虐殺した野蛮軍団

やっぱり、三輪諏訪氏こそ
正統王朝

356 :日本@名無史さん:2016/12/28(水) 23:07:32.89 .net
>>355
元々地方王族でも律令国家の天皇になった時点で日本の正統。
三輪諏訪なんちゃらは郷土史レベルで話してくださいな。

357 :日本@名無史さん:2017/01/03(火) 00:21:16.63 .net
>>356
強盗信者おつ

簒奪に正統もヘッタクレもねえよ

アマテラスは強盗のチンピラ・邪神、
オオクニヌシこそ古式ゆかしき正統

全ては先行王朝こそ正義なり

358 :日本@名無史さん:2017/01/22(日) 20:48:44.38 .net
建御名方神はかなり恐れられた神だったのだろう。
立派な社の四隅に御柱を立てて、結界を作って封じ込めている。
フォッサマグナ近くの大地震で建御名方神が暴れているという
伝説でもあったのではないか。

359 :日本@名無史さん:2017/02/05(日) 21:35:26.36 .net
>>350
魏略・晋書・梁書に、倭人は、周の太伯の子孫。姓は姫。木氏はその末裔。
呉を作り、越に敗れ、船で日本へ逃げた。紀元前473。倭の5王はその末裔。
たぶん九州王朝系。だから漢字の音読みの1番古いものは、呉音。それ以前、
縄文時代に日本語は確立していたから、訓読みがあって、日本語の基盤。
周の始祖の母は姜原という女神。姜は羌と同じで、東北チベット人の西戎。
巨人の足跡を踏んで妊娠。鹿児島、宮崎、愛知、岐阜、富山、静岡などあちこちに、巨人伝説。
捨てるつもりだったが、鳥獣が保護するので、棄(き)と名付け育てる。
犬戎は西戎の一部族でチベット人。南西諸島から南九州、千葉まで、犬祖伝説。苗族などに先祖の一人は犬という伝承。
狗奴国、狛犬とも関係あるだろう。江南の細長い人骨は北方系ではなく、チベット。
数詞は日本語とチベット語でほぼ同じ。

360 :日本@名無史さん:2017/02/06(月) 07:30:13.52 .net
>>359
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?


台湾のクッサイ汚らしいブタ広鼻に突顎、巨大タラコ唇をしたボルネオニグロを帯びたハッカク臭いブタ顔ブタ原人の汚物の方。

361 :日本@名無史さん:2017/02/06(月) 14:24:40.83 .net
チベット人を起点基準にする必要はないのよ

362 :日本@名無史さん:2017/02/07(火) 22:26:07.93 .net
>>359
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?


早く答えろよ台湾のブタ顔汚物。

363 :日本@名無史さん:2017/02/08(水) 15:24:48.55 .net
>>359
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?


さっさと答えろよ華南ブタ原人が祖先の台湾ブタの方。

364 :日本@名無史さん:2017/02/08(水) 19:29:57.10 .net
>>359
エヴァ初号機は巨人の犬。
「論衡」に紀元前11世紀周朝二代目・成王の時、「倭人が暢草(大麻)を貢した」とある。
「貢」は国レヴェルの交渉があった時のみ適用。ここに書かれた倭人は縄文人のこと。
縄文時代、すでに国があった。この倭人が周人だとすると、周人が周人に朝貢したことになり、おかしい。
植物の知識に長けた森の民は幻覚作用のある植物を利用して、長江の神獣人面文様や、
アンデスのランソン像、縄文の火焔式土器を生んだ。チャビン遺跡には、コカインを鼻から吸う
人頭像がいくつもある。
日本では、福井県三方町にある鳥浜貝塚から、紀元前8000年頃の「麻縄」が発掘されています。
紀元前8000年、いまから約1万年前。 和紙は「麻紙」とも呼ばれていました。楮紙より麻紙が古い。
神社のお札を大麻というのは、もともと本物の大麻で、縄文時代からのもの、という説がある。

365 :日本@名無史さん:2017/02/08(水) 19:37:19.92 .net
>>364
倭人の内容は、時代により、変化した。

366 :日本@名無史さん:2017/02/08(水) 23:48:26.25 .net
だから朝鮮系や朝鮮と違って倭系呼称を中共は煽り言葉に誘導しないのよ

367 :日本@名無史さん:2017/02/09(木) 20:51:49.13 .net
>>359
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?

 

はよ答えんかい台湾のブタとボルネオ原人の合いの子みたいな顔面の方。

368 :日本@名無史さん:2017/02/10(金) 16:12:04.92 .net
>>359
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?


早く答えんかいブタブタしい顔をしたタイワネシアのハノイ方。

369 :日本@名無史さん:2017/02/11(土) 20:07:08.53 .net
>>359
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?



さっさと答えんかい台湾のブタ広鼻に巨大タラコ唇のベトナムくさいブタ顔の方。

370 :日本@名無史さん:2017/02/12(日) 17:16:11.71 .net
>>359
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?



早く答えろよ台湾のブタみたいな顔をした東南アジアの方。

371 :日本@名無史さん:2017/02/12(日) 19:52:59.10 .net
>>359
チベットのカンバ族の服装は弥生時代と同じ。頭髪は左右に分け、紐で結び、垂らしている。
筒袖の着物は前合わせ。ズボンは太く長い。フェルト製の長靴は、つま先が持ち上がっている。
チベット系のイ族は面長で長身、髭が薄く、四肢が長い。チベット系の特徴。
騎馬民族を黒イ族、水田稲作民を白イ族という。同じイ族だが、黒イが白イを奴隷にした。
そうではない白イもいる。イ族の2千年前の銅製の家は急勾配の屋根、千木、高床式。
鹿児島県鹿屋市に、正月に、飼い犬に、床の間で、最初のご飯を食べさせる慣習があった。
イ族では、新米を最初に食べるのは、犬。ヤオ族などに、犬が稲を運んだという神話。狛犬と関係。
伊都国、倭国、邪馬壹国などのイはイ族のイ。にほんは呉音。

372 :日本@名無史さん:2017/02/12(日) 19:53:48.87 .net
>>371
もともと日本の馬は南方からの小型馬。沖縄、奄美、壱岐、対馬、長野、千葉などで出土。
蒙古からの中型馬は平安以降。騎馬文化はチベットの黒イ族から。
朝鮮語で馬はmal、満州語とモンゴル語はmorinとr音があるが、
日本語にはない。中国語のmaの借用だから。馬は中国から直接きた。
「韓伝」に馬韓は牛馬に乗ることを知らず 屠殺するとある。

373 :日本@名無史さん:2017/02/14(火) 16:29:10.23 .net
>>359
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?



はよ答えてみいブタみたいな顔したベトナム人みたいな台湾の方。

374 :日本@名無史さん:2017/02/15(水) 21:23:56.12 .net
>>359
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?



詐欺だから何も答えられない台湾の淡褐色ブタ広鼻巨大タラコ唇華南ブタゴリラw

375 :日本@名無史さん:2017/02/16(木) 15:09:32.85 .net
>>359
で、呉の王族が日本に逃げたという大嘘狂言詐欺を証明する証拠遺跡とその証拠文物、とりわけ生活痕たる証拠土器・石器と、そんな悪質極まりない詐欺を垂れ流している悪徳考古学者の氏名と所属団体は?



さっさと答えんかい台湾のクッサイ汚らしい醜悪極まるベトナムがかったブタ顔土人の方。

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