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坂東武者の祖、毛野氏族について語ろう(その2)
- 1 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 22:04:58.71 .net
- 古の昔、関東から東北にかけて毛人(縄文人)の巨大な日本王国があった
この日本王国は大和朝廷が興るより早く衰退期を迎える
この文明が衰退した原因は急激な気候変動によるものと考えられている
日本王国は衰退の過程で複数の部族に分かれたが、その中で大和朝廷と婚姻関係を結ぶことで
有力豪族となった一族がいた、毛野氏(けぬうじ)族である
毛野氏族は、崇神天皇皇子の豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)の子孫を自称している
が、実際の祖は景行天皇の孫である御諸別命(みもろわけのみこと)のようだ
毛野氏の勢力範囲は、両毛を中心として、常陸西部・武蔵北部に及んだ
この一族は武門に優れ、朝廷の命により東北の蝦夷を討伐し経営、朝鮮半島にも出兵している
勇敢な縄文の血を引く毛野氏族は、後に新田氏や足利氏といった坂東武士の誕生に大きな役割を果たすことになる
このスレはいまだ謎の多い毛野氏族を研究することにより、
「坂東武者1人は、よその武者8人に匹敵する」「武士の本場は坂東(関東)」と言われるほどになった
坂東武者の強さの秘密と幻の日本王国の全貌に迫ろうという壮大なスレである
ふるってご参加ください
- 2 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 22:07:09.07 .net
- 前スレ
坂東武者の祖、毛野氏族について語ろう
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1329022431/l50
- 3 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 22:14:10.01 .net
- 改めて書きます。
684年(天武13)に制定された八色の姓(やくさのはばね)、その5番目、道師(みちのし)、こそ、道の管理、流通や情報伝達をつかさどる毛野に与えられるはずの姓(かばね)だった。
ところが、その直後に起きた白鳳の大地震、つまり、南海トラフ巨大地震と推定される地震で、東国との連絡網が途絶えてしまった。
これが、八色の姓の5番目、道師(みちのし)が賜姓されなかった本当の理由である。
- 4 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 18:09:31.26 .net
- 東山道の新田駅家から東に二駅目くらいに三毳山〈みかもやま〉があり麓には、三鴨駅家があった。
これが一番、毛野国らしい駅家だと思うな。
- 5 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 19:11:30.92 .net
- へえそうなん(・ω・)ノ
まあ米とかを運ぶ流通路はあったみたいだな
- 6 :日本@名無史さん:2014/09/03(水) 21:56:25.45 .net
- 佐野と言えば、犬伏宿と天明宿。
天明の方は鋳物の街だけれど、白村江のころから毛野氏の鎧や兜を作っていたのだろう。
犬伏宿の方は藤原秀郷ゆかりの唐沢城の麓です。
唐沢城からは江戸大火も見えて、それを危険視した徳川幕府は佐野氏を改易し、佐野庄を天領にしたという。
- 7 :日本@名無史さん:2014/09/04(木) 01:05:50.75 .net
- 徳川氏って毛野国から見たらゴミみたいな氏族だよな。
新田氏ですら遙かに新参者なのにそのシッポ以下のシッポですら怪しいという。
武家の祖の八幡神社は応神を祀るが
その応神の朝鮮征伐に参戦してたのが毛野氏じゃん。
八幡神社って毛野氏を崇めてる神社?
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