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坂東武者の祖、毛野氏族について語ろう(その2)

1 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 22:04:58.71 .net
古の昔、関東から東北にかけて毛人(縄文人)の巨大な日本王国があった

この日本王国は大和朝廷が興るより早く衰退期を迎える
この文明が衰退した原因は急激な気候変動によるものと考えられている

日本王国は衰退の過程で複数の部族に分かれたが、その中で大和朝廷と婚姻関係を結ぶことで
有力豪族となった一族がいた、毛野氏(けぬうじ)族である

毛野氏族は、崇神天皇皇子の豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)の子孫を自称している
が、実際の祖は景行天皇の孫である御諸別命(みもろわけのみこと)のようだ

毛野氏の勢力範囲は、両毛を中心として、常陸西部・武蔵北部に及んだ
この一族は武門に優れ、朝廷の命により東北の蝦夷を討伐し経営、朝鮮半島にも出兵している
勇敢な縄文の血を引く毛野氏族は、後に新田氏や足利氏といった坂東武士の誕生に大きな役割を果たすことになる

このスレはいまだ謎の多い毛野氏族を研究することにより、
「坂東武者1人は、よその武者8人に匹敵する」「武士の本場は坂東(関東)」と言われるほどになった
坂東武者の強さの秘密と幻の日本王国の全貌に迫ろうという壮大なスレである
ふるってご参加ください

109 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 11:51:22.84 .net
>>108
一筋縄では行かなかった結果

一筋縄では行かなくなった結果

110 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 12:49:27.40 .net
>>106
他氏族貶してまーた逆に毛野氏sageやってんのかよw

111 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 13:32:57.71 .net
上毛野、下毛野、武蔵、相模に別れる前の毛野には、太平洋岸から内陸部の上毛野、下毛野に通じる道は幾通りもあって、西から、
1.平塚市の相模川を真っ直ぐ北上する西の国境線ルート。ここは相模国なってしまった。
2.三浦半島城ヶ島ルート。ここは、神津島の黒曜石積み出し基地でもあったが、武蔵国になってしまった。
3.葛西、長島ルート。ここは、古地図で見ると分かりやすいが、将門の本拠地葛飾郡の南端にあたる。
4.船橋、太日川ルート。ここが最重要ルートだ。上毛野の軍港といっても良い。
その他1.霞ヶ浦、美浦村付近。 全国を代表する縄文遺跡である「陸平貝塚」があり、古代の食料基地だった。
その他2.水戸、ひたちなか。那珂川と中臣の中は同じだろう。
鬼怒川の向こうは異国だが、敵対していたわけではなく、交流があった。

112 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 14:13:46.96 .net
>>111
考古学的知見からすると、所謂後の毛野国圏内の古墳というのは
いつ頃より発生しはじめかつ、築造年代的にはいつ頃が最盛期だったのかな?
御教示頂けると有り難い。

113 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 16:21:36.36 .net
「これは今時珍しい掘り出し物ですよ」と口八丁手八丁に話す商人に聞いてくれ。   東国は西国よりも遅く、那珂川西岸の那須国の全方後方墳等の築造は、4世紀後半みたいですよ。
毛野国は、那須国よりも少し遅いのではありませんか。 

114 :112:2014/09/15(月) 17:09:20.99 .net
栃木県真岡市の「大前神社」、この社の祭神は当初から
大己貴命(大国主命)、事代主大神だったのかな?
どなたか同社にj詳しい方の知見・見識を巡りその詳細を
御教示願えたら幸いです。

115 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 18:52:34.59 .net
毛野氏である伊達氏が慶長遣欧使節でスペインと海外交流しようとしたのは
毛野氏の海外へ向けての発展性を示すものだろう。

徳川や北条は国内どころか関東のローカルな活動に止まったただの田舎者。

毛野氏は関東にとどまらない国際的な武士団である。

116 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 19:07:43.27 .net
>>114
神社の祭神はその地域の豪族と関わりがある
=豪族が自分の敬う祭神をかかげるために神社をつくるため

大前神社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%89%8D%E7%A5%9E%E7%A4%BE

芳賀郡周辺の遺構は中村廃寺がある
瓦はあまりみつかってないが、軒丸瓦は単弁・複弁がある典型的な
白鳳時代の瓦で、群馬各地・畿内でも見つかっている。

下野だから下毛野氏が関係しているとみてよい。
毛野氏である宇都宮氏関連ではないかと思うが、
祭神からはアマテラスやオオクニヌシなど「ごくありふれた祭神」しか出ないので
何とも言えない。

後の時代に祭神を「一般的なものに」変えた可能性もあるが
社伝の記録は創建時のことについてはあまり書かれてない。

豪族の解明のために真岡市の歴史を古墳時代から詳しく調べないといけないだろう。
がんばってな。時間があれば六国史を調べておく

117 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 19:18:47.01 .net
>毛野氏は関東にとどまらない国際的な武士団である。

詳しくは武士団の定義からは外れるけどな。

武士は公家=摂関政治ができるときに分離された雑用係で
元は皇武は一体のもの。

たとえば神武や崇神や応神とその兵士どもが武士団かと言われたら「そうじゃない」わけで
神武や応神は武士団の統領でもない。

学者的な定義からは「毛野氏は武士団ではない」
が、「武」に関わる氏族であることは確か、武士団ではないが、武○○?
しかしこれを明確に定義する言葉が日本の史学ではないわけだな。

武力が権力から分離された藤原氏以降=摂関政治時代しか扱わないようになっている。
臨時任命とも違う。

「武士団の前の武士団」をなんというのか分からないし、間違っているが
暫定的に「毛野氏は武士団」としておく。

というか「独立国」とすれば、国家ならば当然国家独自の防衛力=軍事力を内包するわけで
「毛野国は完全な独立国」というのが最も妥当か=独立国でも軍事行動を畿内の政府ととってもおかしくない
=リムパック演習は総勢22ヵ国が参加するが、それぞれが家臣や部下という関係でもない。

毛野国が畿内天皇家と軍事行動を取っても全然おかしくないし、「畿内主導」でも東国の独立性は変わらない。

118 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 19:29:33.73 .net
>学者的な定義からは「毛野氏は武士団ではない」
>が、「武」に関わる氏族であることは確か、武士団ではないが、武○○?
>しかしこれを明確に定義する言葉が日本の史学ではないわけだな。

「毛野は独立国」だが、「独立国が日本各地にあった」
とすると「畿内主観の統一国家大和」の観点から外れるからあえて取り扱わないのかもな。
(武士団は出自からして臣従関係が公家以下だったが=それに反発したのが武家政権)

わけのわからない構造の武家政権と違って古代豪族の毛野氏は独立性がかなり認められるので
「独立国で畿内と同盟関係」だったというのがもっとも正確
本質的に主従関係が分断されている。
「そうは言っても家臣が出自ではないか」という反論があるが
豊城入彦命に限っては「そもそも家臣ではない」ので「畿内の並立関係」にある

そもそも豊城は「垂仁の兄」なわけで 長兄優位の後世の価値観からすれば
「畿内は弟の国」だろ。
かつ軍事力についても豊城系統の方が最初から畿内を上回っている
=畿内の反乱の鎮圧をまかされている。

"出自からして家臣ではなく"、"その後も家臣になった覚えはない"。
毛野国が占領されたこともないし畿内に合戦で負けたこともない。
しょぼい合戦で緑野屯倉を渡しただけ=国境紛争があった程度
武士団でもなく家臣でもない。

これを定義する言葉は「毛野国は独立国である」としか言いようがない。

119 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 19:45:50.78 .net
「毛野は独立国」であるので独自の軍事力と指揮権を有する。

畿内が毛野氏に官位を与えることもあるが、
天皇がイギリス大使に勲章を与えたところで、イギリス大使はイギリス王室に属するわけで、イギリス大使が天皇の家臣団なわけではない。
→毛野への官位授与の有無は毛野国の独立性を否定するものではない。

毛野氏は東北遠征に従うこともあるが、「同盟国間の協調軍事行動」とすれば
日米軍事演習くらいのもので、
これも毛野国の独立性を失うことにもつながらない。

結局350から750くらいまでの400年間〜もしくはさらに延長して500年以上
毛野国は倭国の中で独立国として君臨していて、不可侵領域だったと言える。
毛野氏の私領だな。

毛野氏が自力で先住民の関東の縄文人から奪い取った地域で官位や任命と無関係。
この関東の独立国が完全に解体されるのはかなり後の時代になると思われる。

蝦夷や熊襲問題ではないな。
「関東に400年以上独立国が存在した」という問題は後々重要になってくるだろうな

120 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 20:13:42.46 .net
基地外はハンドルつけてくんねーかなー
下らねー与太話はいらねーんだよ

121 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:15:59.40 .net
>>120
あなたは、どのレスを基地外だと感じたのか?
アンカーを付けて、簡潔に理由を書いた方がよいですよ。
でないと反論もできません。
個人叩きになるのは嫌だから、個人的にはハンドルは付けない方が良いと思う。

122 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:19:54.56 .net
なるほど、毛野国は水源も多数のダムによる電力発電もあるわけだな。
即座に南関東の息の根を止める恐ろしい地位にあるわけか。

「東京の水源地を有する」ってすげー優位性だな。
その割に立場が低いのはおかしい。

南関東に何も依存してないどころか、毛野国の資源に南関東すべてが依存しているというのが正しい。
毛野が独立すれば、関東は電気も止まるし、水も止まるのか・・

中東で油田を占拠してるのと同じだな。
奥多摩水系だけではまかなえないはず。

関東は利根川に依存し、利根川は毛野国が制していると。
ふーん。まさに要衝だな。

123 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:21:36.26 .net
>>121
スコットランド独立が盛り上がってるので、
「毛野国独立」をネタにして盛り上がろう!というだけです
そもそも日本史スレなんて所詮すべてネタスレだろ。

「おもしろくない」という批判は受け入れるがw

124 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:25:21.32 .net
毛野氏は四六時中戦争してた武装集団なので、
関東の軍事についてあれこれ考えるのが論外とは思わない。

意外と優位性が多数みつかり、勝てるかもしれないのがおもしろい。
毛野国独立で東京は未曾有宇の大混乱に陥るね。

南関東の圧政を解放するのが北関東=毛野国の使命。秩父困民党の例もある。
隙あらば群馬・栃木は南関東占領を狙うべきだろ。

125 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:28:53.42 .net
・まず南関東への水と電力を遮断する。
・24時間以内に第十二師団の空中輸送力を持って重迫撃砲を輸送し、
練馬駐屯地に向けて進軍する
・練馬を制したら霞ヶ関に進軍する。
・独立を宣言する。

作戦は72時間以内に完了するな。
100年以内に実行されるでしょうね。日本史で次の政変があるとしたら毛野国からだわ・・

126 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:34:14.08 .net
群馬・栃木の第十二旅団はドイツ降下猟兵(ドイツ最強の精兵師団 恐ろしい戦歴を有する)
に匹敵するのでは?

練馬駐屯地のザコどもが第十二旅団の猛攻に耐えられるとは思えない。

127 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:38:21.75 .net
>>121
多分あんたさんのは平気じゃね?どのレスか知らねーけど
>>123-125みてーのがネタにしてもつまんねってかこっからいねや!w

128 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:58:00.10 .net
静岡の第一戦車隊は関東を脱出する避難民が殺到するので
陸路じゃとうてい間に合わないな。

南関東は電気がなくなるので電車も動きません=車両輸送ができない
線路もJRがダイヤを空けるか分からん。
水がなくなるので自衛隊は給水活動に追われ戦力が減る。

そもそも命をかけて南関東なんぞを守ろうとする自衛隊員がどれだけいるのか非常に疑問だわ。
どっちにしろ進行速度が速すぎるからとうてい支援が間に合いませんね。

各地から支援が集まる速度より、群馬から霞ヶ関に到達する速度の方が速い。
練馬は戦うどころか、むしろ寝返るのでは?w もしくは素通りさせるかと。
ある事前準備すれば、いずれにしても救援は線路・道路ともに十分に遮断できる。

群馬・栃木はやれば勝てるんだよな。
やっぱり日本の首都は群馬にすべきだろ。

そもそもザコのくせに威張りすぎなんだよ東京とかは。

東京=練馬で、 群馬が練馬なんかに負けるわけねー

129 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 22:09:02.98 .net
>>123
毛野がスコットランドに似ていると俺も感じた。
しかし、日本の場合は、もう120年前にスコットランドに首都を移してしまったと言うことです。
というか、鎌倉幕府も江戸幕府も毛野の子孫が影で支えていたのです。
イギリスも、首都をロンドンからエディンバラか秋葉原に移せばよいのです。
そうしないと、渡来系のイングランドと、原住民のスコットランドの真の統合はないでしょう。

あと、スコットランドヤードと六波羅探題も似ていると思った。

ネタが嫌いな人、ゴメン。

130 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 22:48:34.05 .net
エジンバラ公が豊城入彦命末孫で
イギリス王室が畿内天皇家とすれば、まさにそんな関係だな。
両君体制だったのに勝手に家臣みたいに扱ってきたのがスコットランド

そんで毛野国は畿内に占領されたことすらない。
スコットランドはスコットランド独立戦争をして負けているが
そもそも毛野国は成立当初から独立国家。畿内の属国や臣下だったことはない。

経済的には東京都民に電気と水を高値で売ればよろしい。
東北からは電気を依存していたが、毛野国からは「電気も水も依存」しているのが南関東。
優位性は非常に高いと言える。

軍事的・地形的・宗教的・歴史的に毛野国の独立は完全に正当性があると言える。
熊谷県を復活させ、栃木と茨城を編入して独立国家になり
東北=毛野氏の伊達氏と連盟を組むべきだろう=これで海もできる。

もちろん軍事行動なんかしないで群馬と栃木と埼玉と茨城の一部が
住民投票をして平和的に毛野国独立宣言を採択するのが最善だろう。

131 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 22:56:26.21 .net
毛野国はイスラム国をめざすもよし
スコットランドの独立を見習うもよし
どちらでもいい

いずれにしてもこれ以上、東京・神奈川による内陸国をバカにする態度はもう許すまじです。
関東平野の覇者は毛野です。
毛野国の今後の参考にするためにもスコットランドを注視だな

最初はネタでやってる内に実現するかもしれない。

132 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 23:29:29.15 .net
地域分断工作の亜種みたいになってきたね。

133 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 23:34:55.51 .net
毛野氏は兵士1万人を輸送できる大量の軍船を持ってたんだが・・
いったいどこに持ってたのかな?

「群馬に外洋船があったのか?」 対馬海峡渡るにはそれなりの船じゃないと無理
多賀城あたり?

うーん分からん。毛野氏は海軍力を持ってるようだが、利根川にでもあったのか?
まあ木ならいくらでもあるからでかい船も作れなくはないけど
利根川をそのまま下ればいいのか。
そんで朝鮮まで行ったのか? なんかすごいな。

134 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 23:39:44.34 .net
歩いて九州までいくと兵糧・物資の輸送に難がある
できれば自前の船が必要。

独自の海軍まで持ってたっぽい毛野氏
伊達氏が外洋船の建造に拘ったのも何か理由があったのか、血筋が船を造らせたのかと。

「山の中の武士団」のはずなのに海軍力まで持っていた毛野氏はおもしろい。
東山道だけではなく舟運のルートも握ってたのかな。

135 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 23:49:15.54 .net
古代の利根川は猛烈に川幅があり、霞ヶ浦につながっている。
直接太平洋から群馬・栃木まで船で遡上できたのでは?
もちろん下ることもできたと。

江戸湾みたいなもので、毛野氏の保有する海軍基地が途中にあったのかもしれない。

136 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 07:04:26.87 .net
宇都宮氏や伊達氏を勝手に毛野氏にしないでくれ。 親族一同の了承は取れているのか。 ?

137 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 08:00:58.88 .net
新田郡徳川剛は下野国であった。明治となり徳川郷は群馬県になった。
従って群馬県民は徳川郷を、「私の愛する憩いの地」としなければならない。ところが一部には、徳川郷を毛嫌いする群馬県民がいるようだ。これは筋違いもいいところ。
そのような人間は、軽薄短小と言わざるを得ない。

138 :112:2014/09/16(火) 09:53:27.42 .net
>>133
毛野氏は越国との関係も一定程度有していた蓋然性も高いですから、
充分可能だったような気も致しますね。

139 :112:2014/09/16(火) 10:02:27.07 .net
>>136
平安後期〜鎌倉初期までは利権絡みもあって公家であれ百姓(この場合皇族や公家、
あるいは各層の私奴婢除く全ての層)であれ招婿婚を基本とし、男系で官位浴典や姓等の
権威を、女系で地盤や財産等の敬称相続を基本としていた事実を無視し、つまらない話題で
スレの無駄遣いをする人達(上の方で基地○扱いされているネタ遊びの人達)が結構いるので
お赦し下さい。

そういう人達に限って上記基本を押さえていないので、他にも他氏族を徒に貶める向きも
ありますので、併せてお赦し下さい。

本当に詰まらないスレになりましたね。では、仕事へ。

140 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 10:48:17.09 .net
母系制、或いは双系制などと言われますね。
伊達氏も宇都宮氏も招婿婚によって藤原氏から婿を入れている蓋然性はかなり高いと思います。
南関東の桓武平氏諸氏、
北関東の秀郷流藤原氏諸氏、
武蔵や常陸の嵯峨・仁明系源氏諸氏など、
他の豪族がみな、元は国造やその後裔たる郡司階層などの在地豪族を基層(母系氏族)にして、
そこに国司や押領使などとして赴任してきた主に「源平藤橘」を中心とする中央貴族が婿入りして成立した氏族であると考えられる中で、上記二氏だけがその対象外であると考える方が不自然ですので。

141 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 18:25:07.65 .net
舞踊に荒らされてる方がま〜だマシ
それくらい程度の低い糞スレ(笑)

142 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 19:06:23.37 .net
藤原兼房  妻  源高雅娘
        子  兼仲  左大臣家少輔  静範  円範  宗円
藤原宗円  妻  益子氏娘
        子  宗綱 (頼朝の乳母である寒河尼の父)、他
前九年の役の後に八幡太郎義家が下野国司になると、ほぼ同時に宗円は宇都宮二荒山神社の検校職になった。
さらに常陸国八田(今の茨城県下館市)に所領を得た。
これには八幡太郎義家の後ろ盾や紀勢両党からの支援があったであろうことは間違いない。
世間体もあるし、日もまだ浅い藤原上野国司を殺害した一族からの支援など受けていないのではないだろうか。
遅かれ早かれ毛野氏は宇都宮二荒山神社への出入り禁止になったであろう。頼朝なら、そう決断するに違いない。

143 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 19:14:50.85 .net
舞踊婆

144 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 19:19:35.04 .net
益子氏は確か紀清両党(紀氏)でしたよね。
そうであるなら、毛野氏が出入り禁止含め排除されたとは言い難いような気もするのですが、どうでしょうか?

145 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 19:54:38.50 .net
八幡太郎義家の何代か前の者は、関白藤原道兼の家人だったのである。
藤原上野国司と敵対したのは、痛手であったような気がするのです。

146 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 19:59:58.58 .net
ぶよってまだいるの?

147 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 20:05:29.29 .net
いるよ。名前伏せていつもかきこんでんじゃん

148 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 20:17:19.04 .net
>>147
まだいるんだw
さんきゅ。
どのあたりのスレ?自分最近あまり史板に来ないんで。

149 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 21:54:06.18 .net
毛野は母系社会だから、婿を入れて生ませた子に家を継がせた。
そうすることで、次の代から入り婿の姓を名乗ることができた。
藤原、平、源。母系毛野は、いつの時代にもこの手口で当時の最大勢力に取り入ってきた。
豊城入彦は、崇神天皇の第1皇子であり、母は荒河戸畔の娘・遠津年魚眼眼妙媛だから母系は毛野と同族の紀氏。
その上、豊城入彦は垂仁天皇の異母兄という立場でもあり、イリ王朝から入婿を迎えることで毛野は天下を佐治する立場に立てるはずだった。

ところが、それを快く思わない勢力があった。
そのため、豊城樹入彦、子-八綱田、孫 -彦狭島王と3代に渡って入国を拒まれ、三世孫 -御諸別王が初めて毛野国に入国することになる。

続く

150 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 22:38:26.13 .net
>>149
>毛野は母系社会だから

毛野に限らず古代の氏族社会はみなそう。

151 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 01:07:57.60 .net
>>150
>毛野に限らず古代の氏族社会はみなそう。

ソースプリーズ

152 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 02:11:36.42 .net
>>151
常識だろ?
野口実さんの本読んでも、高橋昌明さんの本読んでも、下向龍彦さんの本読んでもみんな書いてあるわ。
お前なに読んでんの?

153 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 07:03:27.97 .net
>>152
あれだね、>>151は招婿婚って言葉すら知らなさそうだねw
そういう類がこのスレを玩具にして糞スレ化させてんだろな(ノД`)アチャー

154 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 02:56:36.49 .net
「藤原氏ガー」
って騙してきたが、

これだけ情報が広がってくると
藤原氏なんてただの馬の骨で、毛野氏こそが皇族だったのがよく分かるな。

藤原氏はいまやfacebookで適当なこと言ってるバカに見える。
それらの摂関家の権威なんて笑えてくるな。馬の骨の末裔でしかないわ。

もちろん天皇家の正当性についてはノーコメントだが、「藤原氏は出自が卑しい氏族」ってのがモロバレしてきた時代ですね。
毛野氏は初代天皇崇神の末裔で、応神系統が絶え、継体系統がやや怪しく、蘇我氏や物部の「汚染=入れ替わり?」の可能性を考慮すると

純系皇族は毛野氏の可能性が高いわ。

155 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 07:49:37.32 .net
藤原氏が馬なら貴殿は鹿だ。二人合わせて仲良く○○だ。  来週からヤンマー農機のコマーシャルに出てくれ。

156 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 09:49:16.15 .net
崇神期までに出てない氏族は部落民みたいなもんだな。
またそれ以前の氏族はツチグモ族だったんだろ。

崇神以前が確定できない以上、
崇神の直後が超えられない血統の最上ランクと言える

・神武東征の家臣→神武の系統ではないのであくまで「家臣の最上ランク」止まり
・神武の血統=崇神の血統なので同じ。差はない


神武ー崇神の系統で応神までが第一ランクとすると
「応神系統は断絶してしまった」ので、崇神系統の豊城入彦命が第一ランクを引き継ぐ最上ランクに交代する。

応神系統から劣るのが継体系統で、「畿内のなんとか氏族は継体以下」なのが確定してしまったので=そうじゃなきゃそいつが継体になってるはず。
かなり早い段階でなんらかの戦乱が畿内に起こっており、畿内での第一ランクの血統は断絶したのが確定しているので

毛野しか第一ランクは残っていない=継体は応神系統ということだが、参考記録に留まる。

藤原祖の中臣氏がいくら偉かろうが、「家臣の中で」止まりで
いくら家臣ががんばっても皇族にはなれない。=信長ががんばっても天皇になれない。

つまり血統的には毛野氏が日本史史上最上位ランクとして残っているわけだな。
これ以降はとくに断絶してないので(断絶したという記録もない)
かなり長期間、天皇家の最初期の第一ランクの血統が東国の毛野氏で受け継がれていたと言える。

157 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 10:03:49.26 .net
継体系統の血筋と毛野氏の血筋はどちらが上かと言えば
毛野の方が互角かそれ以上だったと言える。

ただし「地理的な意味合いで」畿内に近かった継体の方が畿内を支配することになっただけ。
またしても西国と東国の並列論が成立するわけだな。

毛野氏から天皇を出しても全然おかしくないくらいの血筋。
ただ、なんというか「新しいものがすばらしい」というスマホ理論的な意味での選択が
継体系統を天皇にしたと言える。
応神末孫>>>崇神末孫 というのは間違った考えだなー 今なら完全におかしいと思うはず。

でもまあ間違ってはないので、
応神を崇拝するなら、豊城入彦命系統は「応神の部下」にあたってしまうので 皇族>>>家臣という関係が成立したため

でも「途中の母がだれだろうが父系のみ最優先で5代すっとばす」ことが許されるなら
東国で畿内の母親と関係が薄くなった毛野氏も同じく「父系では崇神末孫」なので互角と言える。
つまり

豊城入彦命系統は 「崇神末孫+応神臣下」というブランドであり
「応神末孫ではなくそれ以降の臣下」
「神武の臣下」よりはブランドが高いが

「応神末孫」には若干劣るブランドと言える。あと東国なのでこれも減点対象と言えるが

欧州では血統が断絶した場合はフランスやスペイン、その他遠隔地から
「血統を再注文して取り寄せる」ことがよくあったため、東国からは天皇がでないという論理は成立しないと思う。

遠隔地から血統を取り寄せると、東国の政治介入がはじまり、戦乱の元となるのを警戒したのかもしれない。
軍事力では東国>>畿内だから血統まで入れると完全に畿内が東国に平定されて畿内の在来豪族が一掃される危険性がある。

158 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 10:16:56.75 .net
断絶が発生したときに、東国毛野氏ではなく
やや勢力が薄いが「畿内が滅ぼされることはない」
微妙なスタンスの近江の王族の末孫を畿内が採用したのは
政治的とも言える。

血統的にはかなり悩んだはずでしょ。
問題は東国が軍事力が強すぎたこと。
これを継体を選んだ畿内の勢力はかなり警戒したのだろうと思う。
ここら辺の葛藤はイングランド王とスペイン王フェリペ2世や
フランス王との王位争奪戦でも理解できる話。

イングランド・フランス二重王国 wikipedia
>ヘンリー5世の息子であるヘンリー6世はイングランドとフランスの両国王となった

>ヘンリー6世はヘンリー5世の唯一の子であり後継者であった。
>彼は1421年12月6日、ウィンザー城で誕生し、1422年8月31日、生後9ヶ月で父の死によりイングランド王位を、
>1422年10月には母方の祖父であるシャルル6世の死により、1420年のトロワ条約に従ってフランス王位を継いだ。

イングランド=畿内
フランス=毛野国
とすると血統論争が分かりやすい。血統理論ではフランス王の血筋を輸入しなければならないが
そうすると血筋だけではなく、フランスからの政治介入も生まれるので=最悪 それを理由にフランスにイングランドが支配される。

というのが継体天皇の真相でしょうね。20年間の空白は畿内の混乱を示している。
もちろん東国毛野氏を天皇家として迎え入れれば済む話だが
それだと畿内の豪族が一掃される恐怖があったんだろうな。
断絶が長引くのもやばいので、小集団でしかない近江・北陸の継体をしょうがなく選んだと。

159 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 10:23:09.21 .net
ここら辺はおもしろいですね。
継体天皇になったのは東国毛野氏がかなり関係している。

もっと積極的な意味で毛野氏が関わっていた可能性もありますね。
毛野氏は応神末孫ではないが、崇神末孫で、畿内とパワーバランスが拮抗・逆転するくらいの超大国だったと。

こんな恐ろしいお目付役の毛野氏がいなければむしろ天皇家はかなり早くに断絶していたのでは? とも思う。

160 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 10:33:24.40 .net
継体天皇が応神末孫ではなく別の氏族の僭称だという主張もあるが>継体新王朝論
「そんなことしやがったら毛野氏がぶち切れて武装侵略して畿内を焼け野原にした」
可能性が高いです。完全に皇族とは別の氏族の王の国になったら、毛野氏は不可侵条約を維持する理由もなくなるからな。
そこまで東国と西国は全面的な戦乱にはなってないようなので、やはり継体は皇族(の末孫)というのはかなり確実になる。

このように毛野氏は畿内に常時圧力をかけられる地位だったので
東国の軍事力は畿内の政治にもかなり影響していたように見える。

畿内の政治を左右した中心氏族は
物部・蘇我・毛野氏だろ。毛野氏をもっと教科書でやるべきだな。

161 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 11:18:12.20 .net
小中高で使用されている教科書に毛野氏の毛の字も掲載されていない理由を知りたい方も若干いるのではないか。ある小学生の質問、これってモヤシ(毛野氏)と読むのですか。?

162 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 11:38:15.07 .net
毛野氏を貶すのも瘋的理屈だが、毛野氏こそなんて宣う一部諸兄も瘋理屈になりかけているのをお忘れなきよう。
先ずは毛野氏の本来的発祥、皇統と磯城県主等周辺氏族から拡がる姻戚ネットワーク、その渦中で毛野氏が如何なる
途を辿って東山道圏、香取海圏、出羽方面へと進出したのか、一方でなぜ後の東海道行政圏内に入る相模の方がより
古い古墳等文明が拡散しているか、また最終的に香取海南岸地域を出雲系、あるいは物部系に押さえられてしまったのか、

冷静に氏族としての毛野氏を語るが有意義と思われるのだが、如何?

163 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 12:03:29.62 .net
筑紫とか毛野とか、キミ姓の国造は皇位継承権がないだけで
江戸時代の将軍家でいえば御三家とヒラ親藩の間ぐらいの存在だろうね

164 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 12:57:27.94 .net
>>163 ところがこのスレの少なくない毛野氏過剰評価組はそう考えず、一部は御三家の水戸家(将軍位叙任資格なし、定府)程度は力があったと思い込み、
一部は尾張家、紀伊家程度に思い込み、更に拗らせた手合いはファンタジーの世界の住人――厨ニ病的暗黒面にさえ堕している始末。そういう体だから
スコットランド独立という時事問題と単純に結びつける巫山戯たお遊びを始めたり、根拠不明意味不明の他氏族侮辱を吐いて恥じない輩すら出る始末。

真面目に毛野氏及びその周辺を論じる人々だけがこのスレに残る良い手立てはない物かと真剣に悩む昨今。

165 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 14:27:59.69 .net
御三家とヒラ親藩の間ですぐに思いつくのは、会津松平家。似ているような似ていないような。会津は食料自給率が、ほぼ100%。水力発電所もある。今直ぐにでも独立出来るのではないでしょうか。

166 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 21:17:48.22 .net
毛野の祖を祟神天皇の第一子豊城入彦に求めようとすると大きな錯覚に陥る。
実は、毛野にとっては、祟神の子豊城入彦も高望王の子 平国香も、藤原秀郷も、招婿婚の相手つまり婿殿にすぎず、
姑に反抗しない男の方が好まれたのだ。将門は最悪だったのだろう。。
毛野は、畿内の大王家から良き種を貰うことで子孫の繁栄を果たしたのだ。

167 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 21:33:57.51 .net
まだ確証はないが、徳川幕府も毛野に入婿することで、江戸に幕府を開くことができた。それが徳川秀忠とお江。
お江は、近江八幡をに勢力を置く浅井長政の三女で、母は織田信秀の娘・市(織田信長の妹)。いわゆる浅井三姉妹の一人で、長姉の淀殿(茶々)は豊臣秀吉側室、次姉・常高院(初)は京極高次正室。
最初の婚姻相手は佐治一成だが、秀吉によって離縁させられる。2度目の婚姻相手は秀吉の甥・豊臣秀勝で、娘の完子が生まれたが死別。3度目の婚姻相手が後に江戸幕府第2代将軍となる徳川秀忠である。
つまり、近江毛野の浅井の娘を嫁にすることが、天下を取るための条件だったことがわかる。

168 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 22:05:42.14 .net
毛野氏:崇神末孫・応神時は軍団長=皇族の最上位ランク



藤原氏<こいつ何したの?

>藤原氏祖の中臣鎌足:すなわち「私は軍略で貢献できなかった」と嘆いているのである。
武力はカス。自分で認めてます。藤原氏は武力は何もない。武力で貢献してない
「天武の末孫ですらないし、天武の部下でもない」。天武系統断絶で天智政権になったために
のし上がっただけじゃん。

やっぱり藤原氏祖の鎌足を見ても

毛野氏>>>>>>馬の骨の藤原氏は確定です

崇神・応神は「別格」なんです。天武や天智はそれに勝るわけがない。
崇神・応神両方に関与した毛野氏は日本史史上最上位の出自を持つ皇族が確定。

169 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 22:41:03.16 .net
藤原秀郷    武
藤原定家    文
藤原道長    娘
その他藤原氏 官
今日でも大奥の人々に影響を与えているのではないでしょうか。毛野氏の比ではない。

170 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 22:41:10.21 .net
藤原氏がどんなに優秀かは
「藤原氏子孫だけになった」平安時代以降にはっきりと表れるわけですね

「私には武が分からない」とか言ってた藤原鎌足の子孫が繁栄することは
まさに皇族がその後(武力が分からない天皇家になって)武家に負けて没落することを確定してしまったのである。

むしろ逆臣では?
まだ物部の方がマシだったわ。

171 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 22:43:12.27 .net
たいそう優秀で、文官でしかなく武力軽視の藤原家によって
天皇家は平安時代以降完全に没落してしまったのである。

藤原の子孫の近衛も戦争さっぱりのクズだったし。
本当に藤原氏はすばらしい家系ですこと。

172 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 22:45:36.95 .net
まあそういう意味で東国=毛野氏の子孫関連だとすれば

武家を犬くらいにしか思ってない公家のアホを
東国出身の武士団がその後圧倒して主従逆転させてしまうことはおもしろいですね。

藤原氏には負けたが、武の毛野氏は勝ったのである。
勝負には負けたが試合には勝った。

173 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 22:47:21.57 .net
○試合(官位競争)に負けたが勝負(武家と公家の争い)には勝った。
のミス

174 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 22:51:31.19 .net
まーた他氏族侮辱で毛野氏に悪印象を与えようとしているヴァカは抛っておくとして。
>>167
現状、信頼し得る諸史料や研究(鈴木真年等)からするに、浅井氏の場合は物部連
もしくは浅井直(あたい)とする蓋然性が高く、下毛野氏関連との結び付きを求める場合、
美濃における毛野氏の事蹟と保食神等の祭祀を巡って考慮する必要があると思う。
ということで、自分は正親町三条等、藤姓を仮冒する浅井氏を古代浅井氏まで下って
眺める場合、毛野氏との関係性はほぼないと考えているわけですが如何でしょうかねぇ。

175 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 22:54:58.35 .net
多くの武将は源氏と藤原氏ではないのか。毛野氏がいるとすれば、せいぜい足軽クラスか。それ以下の荷物運びかも。

176 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 22:59:38.49 .net
>>175
女系で毛野氏の地盤や利権を受け継いだ家は数多ありますよ、殊に
秀郷流の家等の場合。

当時の承継相続を巡って調べてみると宜しいと思います。
(ちなみに後三年の役のキーパーソンたる出羽の豪族・吉彦秀武は
毛野氏族になります)

177 :日本@名無史さん:2014/09/18(木) 23:04:10.74 .net
           |
            |  彡⌒ミ
           \ (´・ω・`)また毛野話してる
             (|   |)::::
              (γ /:::::::
               し \:::
                  \

178 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 01:02:16.89 .net
「私は武力は苦手ですぅー」
って泣きべそかいてるのが、あらゆる公家の祖(事実上)の藤原鎌足です

こういうヘタレ氏族が天皇家と合体したことにより、
天皇家は武力ダメダメになり際限なく形骸化していったわけだな。

179 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 01:05:43.65 .net
蘇我や物部はアホだったがキングオブヘタレの藤原氏よりは100倍マシ

公家が武家をバカにして犬呼ばわりしたのは
軍事からきしの、武を誇った崇神・応神とは一切無関係の出自からして卑しい藤原氏が祖だったため。

180 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 01:08:26.99 .net
調略や血縁戦略が軍事より劣るとは必ずしも言い切れないが

全然かっこよくもないし、尊敬もしないよね
ずるがしこいひねくれものの詐欺師集団にしか見えない。

自分が死にもしない安全なポジションから偉そうに命令するだけの公家をどう尊敬しろというのかな?

181 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 01:14:21.02 .net
戦場で鼻水垂らしながら戦死した上毛野田道の方がずっとかっこいいと思います。

「戦場で戦死」は最上位の尊敬に値するわ。
同じく戦場で戦死した
リチャード1世
リチャード3世 (イングランド王)と同じだな。

クソの藤原氏とはわけがちがうのが毛野氏です。

182 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 02:11:09.39 .net
藤原の事実上の氏祖は車持(毛野)氏の不比等なんだけどね。
つまり藤原氏を貶めることは毛野を貶めていることになるわけだ。
もはや統失君には何を言っても無駄なんだろうが。

183 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 08:48:59.76 .net
「私は武力は苦手ですぅー」で最近では、東山道軍大軍艦を務めながら戦後には、「私は軍務は苦手だから」と言って宮内庁に移られた北島の盟友香川恵三が思い出される。
香川敬三は宮内庁において確かな足跡を残された。 素晴らしいではないか。駄目人間扱いされる筋ではない。武門に生を受けて他の道に進んだ者も数多い。
西行    遊行上人として名高い。 
雪舟    日本最高峰。絵ばかり描いているので柱に縛り付けられた。それでもなおかつ悔し涙で廊下に生きているような鼠を描いた。坊主は追い払おうと空振りした。
芭蕉    知らない人はいない。多くの旅人は跡を追う。 
何れの方も教科書に大々的に名前が載っているのではないか。 白村江の戦は教科書には載っているけれども、指揮官である上毛野雅子の記載はあったかなあ。?
偏狭的な武門至上主義は誤りである。 これが世間の正しい評価だ。

184 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 11:03:42.58 .net
>>182
ほんまこのKitty Guyな嵐クソはどうにかならんかねw
おまえさんの書いた通りで、藤原不比等は車持氏の血統も享受してるってのにw
しかも香取海湾口部を出雲系氏族と共に要衝として押さえていた鎌足=中臣氏を
「出自からして卑しい」とか、トンデモ歴史オンチだったりでもうねとww
>>178-181、テメー(テメーら)のことだよwww

185 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 14:08:18.14 .net
>>181
キミ、文明文化や固有性――その差異についてまるで理解していないようだね。
そんなキミに一体全体、毛野氏の「何が」語れるのかな?
否、毛野氏どころか古代史や古代氏姓制度、その中にあっての大王家(神武天皇の血統)の位置づけand so on.....
毛筋程も理解していないようだし理解する用意もないようだね。キミには毛野氏を語る資格はないと考えて強ち間違いではなさそうだね。

186 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 14:47:35.08 .net
>>185
多分ソイツ、神武東征とか崇神天皇による四道将軍派遣、豊城入彦命の実態についても
まるっきり知らないってか知ったか扱いてるだけだと思うよ

187 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 14:53:34.43 .net
>>185
あ、それとソイツ、プランタジネー(プランタジネット朝)のリチャード獅子心王についても
ヨーク朝のリチャードV世についても知ったか扱いてるだけ思う(pgr

188 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 14:58:07.77 .net
>>187
そもそもイングランド史も、偶に絡ませてるのがいるがスコットランド時事問題も、どっちもスレチ

189 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 23:07:42.73 .net
>>183
>偏狭的な武門至上主義は誤りである。 これが世間の正しい評価だ。
蓋し! 正に言い得て妙! その通りであります!

190 :日本@名無史さん:2014/09/19(金) 23:30:33.92 .net
結果的には東国とか東北とかでに毛野氏は時代の趨勢に追いつけず
ほんの一握り(宇都宮氏等)を残して吸収合併されたような感じ?・・・
どっちにしても試合にも勝負にも負けてるじゃん・・・

191 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 06:50:31.32 .net
何故、一握りの群馬県民は、宇都宮氏にこだわるのだろうか。
どうせなら上野の武将を選択してくれ。

192 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 07:42:30.22 .net
スコットランドの平将門も討伐されてしまった。特定個人はいないようだが。
ヘタレの藤原秀郷が勝ったのも、結局は独立に不安を覚える消極的な独立反対派に押しきられたのだろうな。
文化的にも経済的にも勝る畿内勢力から独立すると、毛野のような流通や金融で飯を食っている氏族は大打撃を受けるから、心情的には賛成でも、いざとなると引いちゃったのだろう。
しかし、東国武士団の不満は根強く蓄積していって、後の鎌倉幕府成立に繋がるのです。
いい国作ろうスコットランド。

193 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 07:58:49.77 .net
「いい国作ろう」とは、頼朝の台詞ではないのか。貴殿は頼朝派ですか。?

194 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 08:09:54.99 .net
まーたヴァカが湧いて来た 笑

195 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 11:11:42.55 .net
スコットランドの話をするとすぐこれだ。やな奴。
しかし、スコットランドも、バスク地方やカタルーニャ地方も、毛野の同じ石器時代からの原住民の国。
独立して国土を回復する権利がある。黙っちゃおれないのです。

↓バスク自治区の旗

http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/5e/696c8627c82245fa95dcd2c1b9ee41c3.png

↓スコットランドの旗

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/cc/Flags_of_the_Union_Jack_jp.png

国旗を見ればわかるように、新住民に併合された歴史を持つのがわかる。

関係ないが、武田信玄軍旗も張っておこう。

http://www.suwakougei.com/katana/gunki/602/takeda602_02.jpg

196 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 12:23:26.79 .net
スレ違い
しかも遺伝子工学的に原住民とか間違いも甚だしい
スコットランドネタかます以前にノルマン・コンクエストから勉強し直して来い!

197 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 12:23:51.01 .net
スコッチはまじで助かった。
独立が決まってたら、ウェールズ、カタルーニャ、バスク、コルシカ、フランドル、ケベックとその余波が半端なかった。
そして日本では沖縄と、もしかしたら北海道にも波及するところだった。
もちろん、国を弱めたい売国奴側の先導によってだけどね。

198 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 12:31:33.34 .net
>原住民とか間違いも甚だしい
これはちょっと言いすぎじゃ?^^;
>>197
同意
まあでもスレチはスレチだなw

199 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 12:45:43.72 .net
民族自決は世界の趨勢、止めようとすれば、却って火に油を注ぐことになる。
毛野族も一致団結して毛野国再興に向けて立ち上がろうではないか。
しかし、ここで一番問題なのは、毛野の人々は独立心が強く団結するのが好きではないことだ。
みんな自分の判断で、好き勝手に戦うものだから局地戦では勝っても、総力戦となると押し切られてしまう。 まあ、各人自立心があることが、異民族に支配されることなく、政権が変わろうが自分らしく生られた由縁なのだが。

200 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 12:53:21.03 .net
おふざけもほどほどに。
そも毛野氏族はほぼ完璧に混淆=吸収合併されたも同然だから。
ま、グンマーは確かにちょいほり深めてか縄文系が多いが(オレも父系源義康流で数百年来のグンマー族)、
女系含め辿ると池田氏がいたり非・毛野系武蔵七党系がいたりで、帰属意識は「日本人」のそれしかないわ。

201 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 13:09:38.60 .net
やはりまた内紛かよ。
やれ池田朝臣だ、大野東人日の子孫だ、武蔵七党だ、新羅の羊太夫だ、 高麗若光の末だといって仲間割れを始める。
これでは、統制のとれた徳川軍に対抗できるはずがない。吸収合併されて当然。

202 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 13:15:45.09 .net
徳川軍に対抗とかいう発想がそもそもナンセンス
てかネタに走り過ぎなんだよw

203 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 13:23:14.43 .net
結局、元は渡来系だった氏族も、母系の毛野の土豪から嫁を貰ったり、紹婿婚を繰り返しているうちに、すっかり毛野に毒されてしまっている。
関東地方のかかあ天下の家は全ては毛野氏の母系と見て良いだろう。

204 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 14:25:10.45 .net
徳川家康の故郷は、松平郷ではなく毛野国新田郡徳川郷。 遊行僧徳阿弥は、ここから旅に出た。
知らない人もいるのだから、地元有志代表で誰か徳川郷を紹介してもらえないかなあ。

205 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 15:58:32.00 .net
>>203
そりゃ上野東半分と下野、常陸下総の一部だけだろw
後は出羽と陸奥南部くらい

206 :日本@名無史さん:2014/09/20(土) 16:14:47.15 .net
>>205
上野国西部や上総匝瑳、武蔵南西部等、意外と物部がしぶとかったりするからなw
それと知々夫国造
鍵を握るは村岡五郎こと平良文かw

207 :日本@名無史さん:2014/09/21(日) 01:03:47.44 .net
高望王は高望みせず、たいして有力ではない東国の豪族に婿入りさせているから、
その子孫は、毛野だったり、物部だったり、後に兄弟や叔父と戦う火種になった。

208 :日本@名無史さん:2014/09/21(日) 05:21:06.55 .net
地図みたら関東平野は群馬・栃木・茨城でほぼ大部分だね。
これらが独立していたと考えればいい。

そんでわずかの面積の南関東はほとんど湿地帯だらけ。
江戸時代直前まで漁村がちらほらある程度。

今でこそ名古屋と威張ってるが、尾張や東海は不毛のやせた土地で、ろくな石高はなかった。
古代の毛野国がどれだけの圧力だったかは想像以上のもののはず。
それが血族集団でほとんど内乱もなく統一した軍事行動を取っていたわけだな。

日本で独立すべき地域があるとすれば毛野氏直轄領の毛野国一帯だろうね。
蝦夷ははっきりとした勢力図が残ってないので、独立はムリだろう。
蝦夷は王がいたかも分からない。

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