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坂東武者の祖、毛野氏族について語ろう(その2)

1 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 22:04:58.71 .net
古の昔、関東から東北にかけて毛人(縄文人)の巨大な日本王国があった

この日本王国は大和朝廷が興るより早く衰退期を迎える
この文明が衰退した原因は急激な気候変動によるものと考えられている

日本王国は衰退の過程で複数の部族に分かれたが、その中で大和朝廷と婚姻関係を結ぶことで
有力豪族となった一族がいた、毛野氏(けぬうじ)族である

毛野氏族は、崇神天皇皇子の豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)の子孫を自称している
が、実際の祖は景行天皇の孫である御諸別命(みもろわけのみこと)のようだ

毛野氏の勢力範囲は、両毛を中心として、常陸西部・武蔵北部に及んだ
この一族は武門に優れ、朝廷の命により東北の蝦夷を討伐し経営、朝鮮半島にも出兵している
勇敢な縄文の血を引く毛野氏族は、後に新田氏や足利氏といった坂東武士の誕生に大きな役割を果たすことになる

このスレはいまだ謎の多い毛野氏族を研究することにより、
「坂東武者1人は、よその武者8人に匹敵する」「武士の本場は坂東(関東)」と言われるほどになった
坂東武者の強さの秘密と幻の日本王国の全貌に迫ろうという壮大なスレである
ふるってご参加ください

247 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 15:42:21.68 .net
まぁとにかくおまえら餅搗け(´・ω・`)

248 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 15:43:43.89 .net
毛野氏過剰評価なんて誰もいない
毛野氏過小評価だけだろ。

関東武士団(清和源氏・桓武平氏)のプロセス
1. 良い文化と歴史(毛野国・毛野氏の武術)を見つける!
2. それが関東武士団(清和源氏・桓武平氏)のものだと嘘をつく
3. その嘘を真実だと主張する!
4. それをずっと主張し続ける

↑まさにこれが日本の中世の歴史。

249 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 15:49:17.35 .net
なんとか氏族は関係ないんだよ
毛野国に来て和歌や短歌じゃなくて武術を学んでそれを生かしたら
毛野氏に恩恵あるんだよ。

フランス人が京都に来て懐石料理を学んでフランスに帰って料理で勲章もらっても
フランス発祥料理にはならないんだよ

”途中で”パクっても伝統は覆りません。

熊本や博多でとんこつラーメン食って、南アフリカに帰って同じものを作って喜ばれても
南アフリカ人の伝統と技にはならんだろ。

「パクること自体の功績」はたいしてないです。
パクリ礼賛主義は小保方が偉大な学者という説と同じだろ。

伝統技術というのは「正しく学べば誰がやっても同じようになる」のが特徴
まさに東国武士団の活躍は、それこそ毛野氏の技術の集大成だな。

250 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 15:51:24.77 .net
>>248
それ自体嘘じゃんね^^;
まずさ
1. 良い文化と歴史(毛野国・毛野氏の武術他多氏族の各種職能技術)を見つける!
2. それが基礎となり、当時の荘園公領制の関係もあって関東武士団(清和源氏・桓武平氏を代弁者とする)が成立
3. 以下省略(嘘がないため)

おまえさ、例えば一次史料とか何に目を通してる?
あとさ、文献学的に誰の研究に触れてる?

客観的にみて、おまえの1〜4の理解こそ嘘で、その嘘を拡散したいから毛野氏を
過剰評価してるって見えちゃうんだけどw
要はさ、やってる事が感情的で逆効果しか生まないんだよね、おまえらの方法だと^^;

251 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 15:55:09.02 .net
まあ東国武士団は恥知らずなのが多いよね。
上野・下野の武家といいつつ、毛野氏の神社を敬うでもなく・・・
木の股から生まれたかのように振る舞うのはね。

252 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 15:55:12.17 .net
>>249
あとおまえの場合は単純杉てかお話にならないレベルになってきてるぞ?^^;
壊れたなんちゃらみたいに、ずっと同じこと多少表現変えて繰り返してるだけだから、
過剰評価批判派には何も効いてないと思うぞ?^^;

253 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 15:59:36.94 .net
畿内を時代によって上回る毛野国の巨大古墳群が見えないんですかね?
関東は毛野氏が有史以来開墾したってのが歴史事実なのに敬うでもなく・・
関東の歴史や豊かな土地や軍事の優勢が沸いて出たかのように振る舞うその仕草

目くらなのかな?
まあいいんだけどさ、恥知らずって死なないと直らないっていうからな。

254 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 16:23:58.89 .net
坂東武者を語るのに北関東に限定してしまう所は、的を得ている。北の旧那須国や下野、常陸を地盤とする那須氏、宇都宮氏、小山氏、足利氏、佐野氏、岩城氏、佐竹氏、江戸氏、結城氏の活躍が目立つ。
南の方の武者は、線香花火のように早々と没落してしまった。
南関東の武者は、理由は何であれ資質に欠けているので論外となっても致し方ない。
不思議なことに上野国を代表する武者は、あまり聞こえてこない。

255 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 16:54:29.90 .net
つまり伊達氏は中村の名もない氏族なら毛野氏でいいし
伊佐氏の分家なら毛野氏になる。

伊達政宗は毛野氏末裔である。

光栄なことだろ。
清和源氏とか藤原なんとかって、あと100年経ったら消えるブランドだよ。
歴史研究が猛烈に進んでいるから、もう「そういう歴史を騙るサギ」は通用しません。

256 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 17:10:49.72 .net
伊勢神宮とか江戸時代になるまで無視されて荒れ果ててたしな。
中世の武士団とかが天皇とかどうでもいいと思ってた=歴史も知らなかった
出雲大社の隆盛も歴史上、今が最高なくらいだろ。
歴史復古ですね。

毛野氏もじきにそうなるよ。どうみてもすさまじい武威を誇る氏族だし。
海外遠征までして関東平野を400年支配した古代豪族って他にいくつあるんだかw
秀吉は失敗してるしな。

257 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 17:21:25.67 .net
もうちょっとウヨクが歴史界教育界を牛耳らないとダメだね
武威とか海外遠征とか支配とか、今の時代では忌避されるキーワードばっかり

258 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 18:11:54.50 .net
毛野氏の番犬時代は、田道の朝鮮出兵で始まり、雅子の白村江の敗北で終わったのが正解でしょう。従って番犬として活躍した期間は約300年。常陸、武蔵、下総は部分的。また那須と白河は管轄外。
大化の改新により国造が世襲制でなくなった後の僻地への国司としての派遣は、島流しの様なものでしょう。 陸奥の地の果てであったり、ほとんど島に近い上総であったり。

259 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 19:09:54.86 .net
伊勢神宮も出雲大社も「まさに豊城入彦命の時代=崇神の記録」な。
毛野氏がどうでもいいなら、伊勢神宮も出雲大社もどうでもよくて騒ぎすぎか?

毛野氏の過剰な評価? いままで1300年間過小評価しすぎたもいいとこだ。
あと数十年経ったらこのスレ程度の「毛野氏過剰評価」は「当然の当たり前の評価」に逆転するに1票

というか毛野氏はこれ以上悪くなるはずがないから、もう上がるしかないですね。
関東平野の毛野氏の前は縄文人だから、もう遡れないから「毛野氏が妥当な評価」になる時代も来るな。
邪馬台国だってちょっと前まで国史学のマニア以外には無視されてきたが、今は違う

それと同じ動きが毛野氏で来るでしょう。まあ関東平野の歴史を遡ると毛野氏以外に大豪族はないから当然来るわな。

260 :日本@名無史さん:2014/09/22(月) 19:18:47.13 .net
天皇に明確に刃向かった、どうみても逆賊の将門ですら徳川期や
明治に数度 その後1984年(ついこの前)に再度神田明神になってる。

毛野氏は天皇に完全に従って海外遠征に従った=神功皇后と同時代
わけで、皇室に対して何の問題もないどころか忠臣もいいところ。
畿内の衰退後は前方後円墳を盛んに造営して崇神以来の伝統を維持してる。

今後、毛野氏がとんでもなく礼賛される可能性は大アリだな。
毛野氏否定派は朝日新聞社員になる可能性もあるんだから注意な。
(毛野氏肯定派は大化けする可能性もあるが、毛野氏否定派は今後立場がやばくなると)

どちらにしても毛野氏の評価が下がることはないので(もう底もいいところ)
万馬券になる可能性が非常に高い。

桓武平氏は皇室にとって逆賊だし、清和源氏も結局逆賊だしな。
毛野氏の潜在的なポイント高杉だわ。

261 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 10:55:49.50 .net
>>235
えええっ?平将門は毛野とは全く関係ないって?
そんなことはなかろう。
坂東平氏は母系毛野氏そのものではないのか?

262 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 12:39:16.35 .net
>>261
全然関係ないよ。てか長尾氏まで毛野氏関係者にしたがってるレスがあったけど、
別のレスにある建御名方命系=相武国造or鎌倉別=ヤマトタケル系氏族が女系
つまり将門とかその伯父叔父達同様毛野氏とは殆ど関係なし。
坂東八平氏の祖・平良文系でさえ毛野氏絡みの血統はかなーり薄いよ。
毛野氏を女系としてその地を色濃く反映してるのは秀郷流くらい。

263 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 14:55:15.21 .net
>>262
同意。桓武平氏高望王流で毛野氏族と姻戚関係で結ばれたのは平良文だけと考えていい。
毛野国=紀国説に立つ場合、同地に入部したのは御諸別王で、祭祀の対象として直祖である
豊城入彦命を祀り、それを「吾か紀」(あがき)としたのが、毛野氏祭神の一つである赤城神社
とするのが自然。一方で後の下野国一ノ宮(それが転訛しての)宇都宮・二荒山神社と日光の
二荒山神社は祭神も開祖も異なるとされるが、いずれも後に下毛野氏族と所縁を持つように
なる。

ここで面白いのは、一方の二荒山神社(日光)がその御神体として男体山、女体山を比定している
事実で、これは同じく嘗て「紀国」とされていた筑波国の祭神祭祀対象と同様の現象として認め得る
という点。ただし明確に異なるのが祭神で、筑波山の男体峰は伊弉諾尊、女体峰は伊弉冉尊と
明確されているのでる。加えて、これら両峰を日本武尊、弟橘比売とする説もあり、一般には江戸
以降の民俗伝承とされているが、実に平安期よりそのように比定されていた可能性を指摘する声も
ある。

果たして筑波国造は建許呂命(たけころのみこと)を祖とし、古事記やヲシテ等で知られる「おのころ」
の地が筑波なのである。建許呂命を祖とする氏族群は香取海沿岸を押さえ、また他氏族群と連衡合従
しつつ石背国(福島・浜通り)から相武国(相模国西部)に勢力圏を広げている。

平安期、都から下向した一字名源氏の一族と思われる源護一族は、筑波を拠点に牧等大規模開発
事業を展開しているが、彼らの姻戚氏族は筑波国造の一族であろう。依って高望王系平氏で毛野氏と
姻戚関係を複数結んだのは平良文のみと考えて間違いではない。

264 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 15:07:11.90 .net
確かに高望王の息子の大半は源護の婿になってるよな。
なのに将門の父・良将(良持)は橘氏系の県犬養の婿に、
叔父・良文は兄貴共の没落を当事者として見ているから
(最近の説では将門討伐軍に参加したとされてる)、毛野
含め複数の氏族に種を蒔くが得策って考えたんだろw

265 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 17:44:48.41 .net
>>263
「常陸の嵯峨仁明系源氏の母系士族は筑波国造」

目から鱗だ。この常陸源氏(嵯峨仁明系)の母系が長らくぼやけていて曖昧な感覚から抜けられないままでいた。
筑波国造→嵯峨仁明系源氏→国香流桓武平氏の変遷を辿っているのだな。

266 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 18:53:33.82 .net
>>265
藤原南家出身で、親王任国たる常陸国事実上の長官=常陸介に受領として赴任、そのまま在地武士化した
藤原惟久は、国府所在地の絡みから茨城国造とも関係性を深めていると思われる。と同時に、古代より連衡合従の
関係にあった筑波国造とも深い関係を築いているが、一方で毛野氏とはそのような痕跡が今のところ認められないのも
興味深い。惟久は高望王へ入婿し、そこで一子・為憲をもうける。

承平天慶の乱で将門討伐に加わった(というより、将門が朝敵官符を受けるに至る張本父子)この親子であるが、息子
為憲のその後の昇進・叙位補任及び開発領主としての姿を追うと、実に興味深い物がある。これも古代以来の他氏族
との連衡合従で築いた地等に、その勢力圏及び子孫が扶植している(遠江〜伊豆、相模西部)。

あるいはこの時代、女系的勢力図においては実質的毛野氏包囲網が形成されつつあるも、承平天慶の乱等、秀郷との
姻戚関係により辛うじて下野国圏内を押さえていたのではないだろうか。更には時代が下るにつれ、下野さえ圧迫され
ながらどうにか死守しつつ、吉弥侯氏(吉彦氏)始め出羽等へ進出するよりない状況にあったように考えられる。

267 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 19:48:58.23 .net
>>266
藤原為憲は承平天慶の乱の論功行賞で、他の秀郷や貞盛や春実らと違い、武官職を望まなかったんだよね。為憲本人も子孫も木工助を望みその職に就いた。
従ってこの為憲流藤原子は、本来の意味では兵の家(=軍事貴族)の範疇には入らないらしい。
それが頼朝の頃にはずらりと幕府の要職に就いているのが興味深い。
頼朝や北条氏の思惑が分かるように思う(自家と肩を並べる軍事貴族の系譜の家を嫌った)。

268 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 20:14:45.01 .net
>>267
確かに伊豆の工藤氏、伊東氏等は、平直方流とされる北條氏(阿多見家)同様、武者としては精々「京武者」
的存在で、どちらかと言えば在庁時は国衙吏僚、荘園の本家下司・公文としての色合いが濃厚。つまり仰る通りで、
例えば工藤祐経は兵の家の者と言うより、京下りの大江中原三善等同様、官僚的色合いをも兼帯しているのが興味深い。

269 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 20:31:59.90 .net
職人は血統じゃなくて技術の伝承の系図が別にあるから
血族集団だけ追っても分からないよ。
日本刀の刀工集団の血縁関係や系図なんて何の意味もない。
同じ地域で、同じ作風で、同じ集団に技術伝承を受けたかどうかの大きなくくりがあるだけ。

特殊技術を伴った武者集団の話じゃなくて
氏族の厳密なDNAだけ話題にしたいなら、そんなスレがある。

270 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 20:43:38.43 .net
たんに系図上の武者と言い張ってるだけかもしれず、
それに相応しい技量があるかは合戦してみないと分からない。

厳密な系図が最重要であるならば、それは「セックス」という競技じゃないのかな?
男と女がいればできるし、系図にちゃんと1代ずつ残ります。

そんなの武者ではないな。
那須与一・竹崎季長などの合戦した個人個人の名と、その集団・地域が重要であって、その点と点を繋ぐのが武者の研究。
血族が一切無く、地域も離れていても「戦争してみて相手に実際に身をもって教わる」という技術の伝承もある。

中世な系図絶対主義の延長が、血縁関係だけで威張ってた徳川政権の弓矢も分からない支配層なわけだが

「行った合戦と司令官の名前」が最重要。後はおまけにすぎない。
それが代々ラインでちゃんと繋がっていれば武者集団と言える。
合戦してなければ、ただのセックス集団です。

立派な系図だけではバーベキューしてフェイスブックで日記書いてるのと大差無い。
戦争が最重要。

271 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 20:51:46.27 .net
サッカーチームは監督と選手が親子関係や系図があるわけではない。

別に血縁関係があってもいいが、サッカーで役に立たなければ何の意味もないな。
サッカー選手の書いた小説作品みたいなものだ。

「茨城なら毛野氏と無関係」というわけではない。
戦争は1人じゃできないんであって、敵がいないとゲームにならないからな。
互いに戦争し合うことで、教わることも大量にある。

今の自衛隊は旧日本軍伝統の技術も持つが、アメリカ軍に教わってもいる。
自衛隊とアメリカ軍に血縁関係や先祖代々の系図があるわけではないが、
戦争技術は猛烈に関係している。
そういうことを踏まえた上で系図を見ないとだめだだろ。

272 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 20:59:39.99 .net
さて、問題の平良文=村岡五郎である。
村岡の地は少なくとも三箇所確認されており、一つは現:神奈川県藤沢市、一つは現:埼玉県熊谷市、そして
いま一つは茨城県下妻市である。良文が毛野氏族大野氏へ入婿したのは、熊谷に拠点を構えた時期であろうと
考えて間違いなかろう。ただ、最初に拠点としたのは藤沢のそれであろう。下妻の村岡は、比較的晩年に近い
頃に居館等を構えたのだと思う。

ここで問題となるのは、彼の息子らが何処で生まれたかである。おそらく長男〜三男・忠頼までは熊谷時代、
大野氏居館で生まれている可能性が高い。特に忠頼からは千葉介・上総介系(将門娘入婿産出)、秩父氏・河越氏
系(知々夫国造後裔入婿産出)が毛野氏の血統を享け継いで武士団化している。渋谷氏は忠頼系とされているが
おそらく忠光系統であろう。またその他の三浦氏、長尾氏、鎌倉氏、梶原氏、長江氏等は建御名方命系=相武国造
または鎌倉別=ヤマトタケル系後裔氏族へと入婿して得た忠光系と考えてしくはないと思われる。

村岡五郎と言えば、今昔物語における蓑田源次(源宛)との矢合わせ勝負でも知られるが、仮に実話とするなら両者の
没年から推していずれも晩年、950年頃であろう。宛は武蔵国司として受領赴任していた源仕の子であり、足立郡の
生まれとなるから武蔵竹芝等武蔵国造系を女系母系とする。また彼は後年、源満仲の娘に入婿して一子・綱(渡邊綱)
を得る。同年、二十代にして亡くなり無位無官ではあるが、今昔物語の所載のエピソードからするに、ある一つの事実が
浮かび上がる。

武術・軍事において毛野氏とは無関係な東国武士の存在である。

273 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 21:03:06.55 .net
足利学校
>関東最古の学校
>教育の中心は儒学であったが、易学においても非常に高名であり、また兵学、医学も教えた

下野足利市にあるが、創設者は桓武平氏や源氏が来る前なので
こんなめんどくさいものを作って代々教えていたのは中央任官のものではなく
下毛野氏の可能性がある。

274 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 21:06:09.39 .net
>>269-271
出たよw他氏族貶めて無理矢理毛野持ち上げる基地○がww
古代氏族=同時に職能集団なんてのは皆知ってるわ、アホかwww

275 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 21:07:37.70 .net
なにもややこしいことはないだろ
男系は中央の桓武平氏で女系は土着の豪族(ex:毛野氏とか)だろ
それで何の問題があるんだよ

276 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 21:14:04.28 .net
>>273
川上説ですね。律令制下に於ける学生(がくしょう)設置に基づく……これは国策であり、基本的にどの国であれ
どの地方であれ設置されたものではあるが、川上説自体は現在、支持を得ていないようですね。
また、小野篁創立説はほぼ完全に否定されている。信憑性の高い説が現在のところは確定していないようですね。
やはり足利義兼による鑁阿寺創設と時期を同じくする、というのが現時点では穏当な説であろうと考えます。

277 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 21:17:54.53 .net
>>264
その「婿に」というあたり、源護の子供達は既に母系毛野だった証拠だ。
でなければ、他の氏族の婿を容易に受け入れはしない。
平氏から婿を貰うと、誉れ高き源の姓が、息子の代から小汚い平姓に変わってしまうんだよ。男系氏族にとっては切腹ものの恥だ。

278 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 21:30:01.40 .net
>>277
その前後>>263>>264参照してみw
それと自分で書いた文章もっかい読み直してみw
色々突っ込みどころ満載だからwww

279 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 21:31:08.42 .net
>>277
ゴメソ、>>263>>265参照してみw
それと自分で書いた文章もっかい読み直してみw
色々突っ込みどころ満載だからwww

280 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 21:31:18.80 .net
ツッコミ希望。

281 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 21:44:32.44 .net
>>280
まず>>263>>265のレス内容を理解してない点w
>誉れ高き源の姓
はい、源姓も源護は平国香、吉兼、良正らを婿に迎えてますww
>男系氏族にとっては切腹ものの恥だ
この当時は「切腹」を巡る概念(名誉とかそんなん含め)確立してまへんwww

282 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 21:55:01.30 .net
なあだ、ツッコミどころって、そんなことか。
女系と男系の違いも理解していないようだな。

283 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 21:57:11.30 .net
>>282
ほう〜ご高説をば〜www

284 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 21:59:31.49 .net
>>282
無論、招婿婚がどういう形態の物で、それで何がどう相続継承されるか含めて
解説してくれんだよな!www楽しみ〜〜〜〜!wwwww

285 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 23:05:57.76 .net
何時まで経ってもご高説披露してくんねーなーww
そりゃそーだろ、理解してねーの>>282自身だもんなwww
この場合、護の有する格式やら栄誉やらを息子の扶らが相続するわけ
尤も護の場合、常陸大掾(常陸の実質的次官)だが、コイツに
叙位補任するには扶ら息子どもは都との伝も必要だし何なりがある
で、貴種またはさらに官位の高い家の格式・栄誉に与る機会を得るのに
高望の息子らを婿に招いて関係を補強すんだよwコネってヤツだなww
同時に、娘の相続分の土地をそれぞれの婿は財産的バックボーンとするわけw
源護と高望の息子らの場合は、若干格式の高い高望の息子らを婿に入れて
同時に財産・利権の拡充を相互補完して担保しよって関係を結んでるんだよwww
当時の招婿婚つうのは公家だろーが地下人だろーが新興武士層含む
百姓(そーいや昨日だかこの話題も出てたようだったなw)だろーが皆
そうやって家と家との関係を緩めに結んでるんだよw
あ、百姓=農民って概念は秀吉の刀狩り以降に出始め、江戸時代に確立した
見解だかんな、憶えとけよ?www

286 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 23:10:50.14 .net
あ、横着モンが多いみてーだから補完すっけど、
下から5行目以読めば分かんだろーがよ、列挙してない
皇族は基本的に全く別だからな?

287 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 23:39:13.25 .net
まるで見てきたようですね。

288 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 07:07:56.55 .net
その系図最優先で血族優先主義の発想がわからないなー

だって「そんな集団はザコ」だよ。
単純に弱いもん。

毛野氏というのは東国の(血族+技術伝承集団)なんだが。
俺は父親に何一つ教わってないが、いろんな方に教わってるわけで
その門派といえなくもない。
系図最優先だとこれはどうなるの?

「父親から息子へ」というが、その父が武門に何の興味もない酒飲みのアホタレだったらどうなんの?

289 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 07:20:25.88 .net
武芸=流鏑馬とすると
流鏑馬の伝統とか、その地域で伝統として続くもので
流鏑馬のやってた人が引退したり、息子が興味がなければ途絶えるものではない。
系図最優先の間違ったとらえ方は系図すら理解してないんだよ。

地域集団が最初にあるんだが。もちろん系図集団と言い張ることもできるが
そんなのリアルでいたらザコです。
道楽息子・放蕩オヤジであっという間に武門が途絶え最弱のザコになってしまいます。

毛野国はそういうことじゃないからな。

血族集団も系図もあるんだが、それが100でその他が0ではないわけ
血族30 地域70くらいの緩いのが数百年続く系統なんだよ。

江戸時代でいうと、家元制度のなんとか砲術流なんてゴミになってたのと同じ。
例外的に通用した家元制度が将棋・囲碁だろうね。

本因坊とかは、20代続くが親子関係なんて一切関係ない別の系図なのが分かってる。
「最強の棋士」を選定して、そいつを養子にすることで系図に銜えてる

毛野氏は若干これに近い形だろうな。かなり緩い血族集団(村単位がいくつか)のなかから、
「道楽の放蕩のアホタレ」じゃない有望なのを跡目を選定してるだけ。

桓武平氏の系図? 笑えるね。 まあそんな制度あったとしても「ザコ武士団」だろうな。
3代経たずに女遊びするのが伝統技術になるのでは?

290 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 07:50:11.67 .net
系図最優先→徳川幕府を代表する無能のザコ集団
能力最優先→旧日本軍を代表する戦争好きの後先考えない暴力団

毛野氏は系図+能力集団だから長続きした。
ギリシャの民主主義に近いものがあるな。あそこまで大規模ではないが
「関東に学校があった」ことからも師弟教育が系統づけられて
かつ数百人規模で行われていたことを示している。

→それなりに優秀でなければならず=学校なので客観的に毛野氏集団から、そいつが適性評価される
長男だから自動的に家督を継げるとかいう制度ではない。

東国武士団の強さはこうしたバランスのよさにある。
系図最優先のボンクラ集団でもないし、能力・官位最優先の野蛮な集団でもないのが特徴。

291 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 07:52:50.79 .net
その集団を形作った背景の地域集団の風習・文化を詳しく考えるのなんて
文化人類学じゃ当たり前の作業なんだが

いまどき系図だけ(母親止まり)って、頭の中はまだ中世なのかな?

292 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 10:26:51.00 .net
>>291
冷静にスレ追っての結論なんだけれど、君が云う「文化人類学的」見地なんて
君がそう捉える反対派もしっかり抑えた上でレスしているよ、習俗習慣、伝承形態、
系図がどうとかって話に矮小化しているのって君ら毛野氏誇大評価組じゃない?

これまでロムって客観的多面的視野に立っての素直なインプレッションね。

反論すべき点には反論出来ないのに、屁理屈で出た上に罵倒語で平氏とか
源氏とか貶すから余計に支持されなくなったり馬鹿にされるんだと思う。
私は君&君と使う表現とか文体がソックリな意見とそれ以外と、あと毛野氏を冷静に
眺めてる意見、過小評価してる意見全部目を通した上で、君と君に類似してる
意見にだけすっごく違和感。

押し付けがましいのと、歴史にも武術武芸、武具の発展の仕方も表面でしか理解
してない、要するに全てに疎いのを棚に上げて、冷静な人、過小評価してる人含め
皆もとっくに、しかも自然にインプットアウトプットしてる「文化人類学」とかって言葉で
屁理屈かましてで誤魔化すのと、恥知らずとか頭の中は中世?とかって鼬の最後っ屁
みたいな悔し紛れな罵倒で勝ったつもりになってるから、このスレに書き込んでる他の
大多数に馬鹿にされてるんだと思うよ? そろそろ気付いた方がいいと思う。
老婆心まで、ね。

293 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 10:58:44.97 .net
>>292
>>288-291辺りは決定的に理解力欠如してっから
言っても分かんないんじゃね?

294 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 12:17:58.04 .net
毛利と吉川です。俺たちも坂東武者だ。忘れないでくれ。
あと、新羅三郎義光だけど、彼は八幡太郎義家の弟。半島の新羅とは無関係。
孫は、佐竹冠者昌義。
ちなみに俺の生家の屋号は、竹ノ花。 カッコいいだろう。力士と間違わないでくれ。

295 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 12:52:30.66 .net
>>292
>>277、あるいは貴方の指摘する方々が決定的に駄目なのは、おそらく一次史料等に当たらず、
にも拘わらず「文化人類学」云々の品詞等をほぼ無理解な状態で使用しているからだと思われる。
例えば>>277は日本紀略等の国史、あるいは貞信公記等、往時日記等の一時史料、及びそれらを
徹底批判しつつ実証研究する文献学的二次史料にすら当たっていないから、例えば
>その「婿に」というあたり、源護の子供達は既に母系毛野だった証拠だ。
と断言してしまう。証拠すらないにも拘わらず。
彼の言う通りであるなら、935年の時点、つまり将門と源扶兄弟が会戦し、揚げ句に護や国香の舘が
焼失、平氏棟梁たる国香横死してしまう時点で秀郷が何らかの介入をしてくるはずである。対将門の
一員として戦闘に加わるか、あるいは両者を調停するために。ところがその痕跡すら認められない。
これはつまり、源護一族や高望王流平氏の一族が、毛野氏とは婚姻等を基盤とする一定の交渉を
殆ど持っていない=毛野氏と無関係であるという、逆の意味における証拠になる。
最早こうなれば、彼らは歴史音痴どころか、の話ではあるまいか?

296 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 16:35:23.77 .net
>>291
それこそさぁ
「いまどき系図だけ(母親止まり)って」
て言うなら、先行する複数のレス読めば解るだろうけど、
軍事技術における職能集団としても毛野氏を過剰評価してる証しじゃんw
久米、大伴の影響を考慮しない「文化人類学」かぁチゴイネwwwwwwww
>>290とか全然証拠もないのに凄い推理能力だ、へぇーこれが文化人類学か( ´,_ゝ`)プッ
お前さ、「家司」と「家礼≒家来」と「家人」の区別つかないだろw
つくんなら説明してみろよ、文化人類学的に説明可能なら簡単な事だよな?
それさえ出来ないで>>290みたいなレスしてるようじゃラノベ作家程度やーそれ以下だぜ?w

297 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 21:52:46.20 .net
要するにこういうことだ。
源氏も平氏も天皇というユダヤ王の男系子孫だから、
源氏を名乗ろうが平氏を名乗ろうが、ユダヤの血を引く同族だった。
源護が高望王の息子を婿養子に迎えたのは、天皇に近い血筋に戻すためだ。
そのために、我が子が養子である高望王の息子の家来とすることを厭わなかった。これは源氏長者とは何かという問題に行き着く。

298 :日本@名無史さん:2014/09/24(水) 23:49:46.07 .net
毛野の諜報機関は、近世に例えれば、満州鉄道の甘粕機関といったところか。
これはと見込んだ子供を引き取って幼少期からスパイとして鍛え上げる。
武術、武器の技術、暗殺術だ。隠密・情報収集に必要な語学、政治情勢等の知識・・
後の世に忍者と呼ばれる集団も毛野の手の者たちの末裔だった。
表向きは満州鉄道という交通や流通を生業としながら、
裏では阿片を販売して資金を調達し、軍部と結び付いて武器を仕入れる死の商人。
おれの持つ毛野のイメージと最も近い。

299 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 00:53:38.06 .net
>>298
それだけの諜報機関を仮に組織・運営しつつ、六腹の名家は都に吸収され地下人として
辛うじて一部が家を残し、東国に残った氏族も下毛野氏族の一部を除き没落……出羽まで
進出した吉彦氏も没落した有様で仮に諜報網も築き得ても束ねる能力を有する人間がいない。
尤も宇都宮系毛野氏が辛うじて……結城氏と頼朝との関係、源家将軍滅亡後の北條氏と関係、
南北朝動乱期の華麗な情勢分析を考えれば束ね・棟梁に相応しいか。神官としての宇都宮
一族も相応しかろう、そのネットワークを以て。

ただし、諜報のみならず破壊機関的役割りを有する氏族となれば、北條得宗家被官(御内人)=
楠木氏、また服部氏氏やらが後々纏め上げた、奈良期私営田保障制度がやがて疲弊化、初期
荘園制が崩壊する過程で逃散した百姓・有徳人(現代風に言えば経営者)らが私奴婢を用い、
朝廷への抵抗含め諜報活動を本格化されている。それは纏めたのが前出得御内人・楠木そして
服部ら。

彼らのそれは、毛野氏のそれらに比べより大規模かつ破壊的でありまた沈潜している。ただ、
どちらがより優れているという議論には直結しない。毛野氏のそれは風魔だとか乱破等に引き継がれ、
江戸にても採用されている。それは楠木・服部らの流れが伊賀・甲賀を形成した事実に虚実である。

300 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 01:05:03.57 .net
虚実 ×
如実 ○

301 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 08:25:15.99 .net
坂東武者について語る(解説する)のが相応しいのは作家なのか。 ?
そうではあるまい。それでは誰が最も相応しいのか。現在の秋田県知事ではないだろうか。決して司馬遼太郎ではない。氏は南北朝以前には関心もないし地縁も血縁もなかった。
野球を語る(解説する)のに相応しいのは二宮清純ではなくプロ野球経験者であろう。今が旬なのは、田中将大や山本昌ではないか。どこからラノベ作家が出てくるのか意味不明。
勇み足か。 宇都宮氏は毛野氏ではない。文章からは二荒山神社を敵に回して今後は生きていくんだという決意表明も感じられない。地に足も付いていない。

302 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 12:14:48.11 .net
>>301
はてさて、秋田県知事(父系は和井内)に一体、坂東武者の何を語り得るというのか? 先ず
その根拠をば。
プロ野球現役選手に何を解説し得るのか? 経験者のみの外は語るに非ずとはとんだ視野狭窄(失笑)
宇都宮氏が毛野氏ではないと!? その根拠をば。

以下の蛇足は主語すら明確でない駄文。日本人とは思えぬ記綴法含め「地に足が付いていない」
のは寧ろ貴君では?

何しろ酷い文章だ。ラノベ以下、や、まともな比喩や暗喩すら伴わぬ抽象文。小学生幼稚園児であれ
より一層具体性に彩られた根拠を以て発言し得るであろう。

303 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 14:17:47.69 .net
物事には、順番というものがある。まず、立派な職業であるラノベ作家が何故登場したのかの事由を釈明すべきであろう。
表現手法の得意な分野は人それぞれである。私の暇つぶしに描いた作品は第11回日本の自然を描く展のカタログに載っている。機会があったら見てくれ。
文章の方はカラキシ駄目だったなあ。9歳の時に次の短歌で賞状を受け取ったのが一度あるのみだ。 季語がないと批判されたよ。 ここの坂東武者では、登場回数二位だけど。

          白い煙もくもく上がれどこまでも雲のそばまで太陽までも

304 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 14:38:01.27 .net
・ラノベ作家を巡り
仰る通り立派な職業である。かつ彼らの多くが扱う世界観は「ファンタジイ」である。
つまりラノベ作家以下とは「ファンタジイ」としてすら成立していない、かような暗喩である。
ご理解頂けであろうか?

305 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 14:39:02.48 .net
所用にて聊か留守をするゆえ小一時間ばかり失礼。

306 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 15:15:33.46 .net
さて、存外早く用も済んだゆえ続きをば。
貴君曰く「物事には、順番というものがある」と言うなら、寧ろ302に答えて猶、問うが本来の筋
というもの。

なればラノベ釈明を求める以前に302への返答をば求める。

307 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 16:23:38.04 .net
>>303はお忙しいのかな? とまれ一つ申し上げておくなれば、>>296等がラノベ程度やそれ以下
という表現を用いるのも、小生極めて得心が行く。律令制下にあって、各国衙乃至国分寺等に設置
された教育機関を足利学校と騙る輩あり、基本的な史学用語を知らずに理解しようとする物だから
齟齬を来す以前に論理破綻を引き起こす輩然り、引いては日ユ同祖論まで持ち出す挙句を眺め
思うは、小生も>>296等と同じく、此処には歴史も比較文化学も、況して文化人類学もなく、あるのは
只の「ファンタジイ」のみ。読むに値する声、学ぶに値する声も多々あるが、荒唐無稽に過ぎる声も
少なからず。こと毛野氏をやおら賞賛する類は一層のこと客観的多面的に多くを眺めるが肝要で
あろう。小生これにて、リード・オンリイ・メンバーへと戻らせて頂く。

308 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 16:31:29.65 .net
「ファンタジィ」としてすらとは何だ。フィクションは、ノンフィクションよりも下等だとでも言いたいのか。坂東武者について語るのは、ノンフィクションの世界である。
思い上がるな。ピカソの抽象画や芥川の蜘蛛の糸が劣るわけではあるまい。ノンフィクションNO1ではないぞ。
今までにレッドカードを出されたことは何度あるんだ。 絵なんか見てもどんな作品が素晴らしいのか分からねえだろうな。 

309 :307:2014/09/25(木) 16:39:10.31 .net
>>308
貴君は何方かが斯様に表現されていた「鼬の最後っ屁」を吹かすより能がないのかね?
感情論、具体性を一切欠く主観、異なる事象――ピカソや芥川等を引いて話を摩り替えつつ
足許すら危うい自らを省みずただ悦に入る。貴君は愚かだ、余りに愚か過ぎる。答えられず、
此方が所用で落ちた途端にこれでは「坂東武者」を語るに落ちる卑怯者。貴君こそ卑怯者の
鑑と云えよう。さらば、愚者よ。

310 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 17:20:36.13 .net
志が低すぎる。語る相手ではない。一度、どこかの山寺にでも行って座禅でも組んできた方が良いのではないか。誰が見ても賢者の言葉ではないぞ。自ら最初にラノベ作家を持ち出したいる。

311 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 17:32:49.70 .net
>>310
傍から見てるモンだけどやっぱ順番違わね?
ラノベどうこうの前に質問してるみたいじゃん。302の場合。
てか文体とか違うから別人だと思うけど、あなた308擁護してんの?
だったらやっぱ307っぽい人の書き込みの方が筋通ってんだけど・・・
あなたの方が志低いよ、文体的に301、303っぽいけどおかしくね?

312 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 17:38:27.49 .net
だな、どう見ても>>301>>303>>310が同一人物だったら筋違いは相手じゃないだろw
てかもしかして上の3スレと>>308って同一人物だったりしてwww
あれだよ、ジサクジエーン(・∀・)ってヤツ?(pgr

313 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 20:40:04.19 .net
オレもそう思うけどさ、>>301には悪いけどどっちにしても宇都宮氏は下毛野氏の本流中の
本流だろ結果的にはさ。
北家道兼流は仮冒だろ。尊卑分脈は結構間違い多いし、宗円とこの記述は簡単過ぎるし。
中原氏も違うと思う。元々大谷寺の別当か何かで、前九年の役の功績で一宮の二荒山神社
別当にもなったんだろ?
一宮の方は豊城入彦命を祭ってるし、日光の方は今や出雲系になっちゃってるけど、元は
祭神も違ったんじゃない?
ま〜何だろ…宗円て下毛野氏にとっての良照(安倍頼良→安倍頼任の弟で安倍氏の祭祀
仏事責任者)みたいな存在で、それが頭角を現して名族になったんじゃないかな?

314 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 20:46:09.88 .net
ところで上毛野氏は没落しちゃったん?(´・ω・`)

315 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 20:48:29.17 .net
毛野は諜報活動を任務とする組織だから、毛野の正体がばれそうになれば、スレの流れを妨害、論旨を曲げることなど容易い。
煽られても、冷静に真実のみを追求する態度が大事だ。

316 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 20:57:28.42 .net
>>314
実は、毛野の情報網は今も健在だ。
毛野の工作員は、古代の毛野の支配地域、および、域外の主要拠点に今も住んでいる。
その内どのくらいの人が、自分の出自を理解し、いざ鎌倉と言うときに出仕できるかわからない。
しかし、毛野をまとめる人物が現れれば、事情は変わってくる。

317 :日本@名無史さん:2014/09/25(木) 21:00:02.50 .net
wwwwwww

318 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 12:55:13.69 .net
「いざ鎌倉」

「いざ鎌倉を滅ぼせ」だったな。

319 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 13:10:49.87 .net
毛野国って、世界史で見てもとんでもなくすさまじく古い王家だからな。
フランス最古の王室のフランク王国より古い

毛野国は王国なんだよ。王族の末裔がいるはず、今は農民かもしれないがいるはず。
そいつが王国復活の呪文を唱えると・・

リーテラトバリタウルス

320 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 13:16:16.38 .net
>>319
後皇室より新しいけどな

321 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 17:52:15.32 .net
今宵も焼き鳥で一杯といくか。やっぱり飛んでいるは鳥は、身が締まっていて歯ごたえが違うなあ。
流石に古代はカスミ網や鳥もちなど使わずに自前の弓矢で取ってきたんだろうな。 鷹狩が興隆するまでは。
俺は弓矢とか作ったことないなあ。  杉鉄砲はあるけれど。杉鉄砲の原理は紙鉄砲と同じ。空気圧で飛ばす。
直径3,4ミリの杉のみが入る篠を採取する、次に節から4、5センチの所で切断する。節側に竹ひごを一本固定する。
空洞の方は筒になる。筒の方の先端部分に杉の実を押し込めるように竹ひごの長さを確認してから、ひごを切断する。
杉鉄砲の完成である。だけど、これでは百舌鳥さえ捕れねえだろう。
矢という物は、武者が独自に作ったに違いない。先端部分を除いて。先端は、何処かの村の鍛冶屋だろう。
漁具、農具を含めて鍛冶屋に一任だ。だけど、それ以外は武者仕事。 あんた、何処かで篠を採取したことある。 ?

322 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 18:09:43.29 .net
弓矢なんて武者戦闘員に関係なく世界中何処にでもある
アホか

323 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 18:22:47.43 .net
弓矢があるだけでは雉はとれまい。
石が転がっているだけでは、チャボもとれまい。
私の兄は石をぶつけてチャボを取ってきた。
技能技術が重要だ。  白河軍団のホームページを開くと弓矢をかざしているぞ。
弓矢について語るのは、坂東武者の根幹部分になるのではないか。武者の動体視力を含めて。
飛んでいる鳥の飛行曲線から鳥の判別が出来ないようでは、いっぱしの坂東武者にはなれねえだろうな。

324 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 18:38:04.01 .net
>>322
このヘンな書き方のクセある人(ヘンなスペース入れたり、ヘンな場所に?とか入れたり)、
読解力ないんじゃねぇの?
昨日の遣り取り見てても、明らかに自分に非があるのに相手のせいにしてたし。

325 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 18:48:02.18 .net
読解力のない俺でも、文芸春秋社の企画出版ものパスしたぞ。パスするのは一か月に一人位かなあ。俺のは、200頁の単行本だった。
貴殿も興味があるのであれは頑張ってくれ。

326 :日本@名無史さん:2014/09/26(金) 23:57:40.99 .net
オビシャ行事とは、 年頭に行われる弓神事。各戸の世帯主がムラの氏神や小祠に集まり、神事の後、決められた人、あるいは参加者全員で弓を射る。
オビシャは、主として関東地方の各村落で行われる春の行事です。 弓矢で的を射ることにより、その年の吉凶を占う行事で、「歩射」「弓 ぶち」などとも呼ばれ、五穀豊穣、家内安全、無病息災、 厄除開運を祈念するお祭り です。
毛野の支配地域と、このオビシャ行事が行われる地域とは一致する。

327 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 03:43:42.71 .net
常陸から下野にかけての一大丘陵地帯である中村の地は別名≪伊佐の荘園≫と呼ばれていた。

328 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 09:14:31.24 .net
つながってはいねえだろう、下野の方は中村荘。常陸は伊佐荘。共に中村と呼ばれていた。あるいは、かつてはつながっていたのだろうか。
下野中村荘の城館跡は、東西414メートル、南北486メートル。周囲の空堀は、幅8メートルで深さ5乃至9メートルであった。
伊達常陸入道念西という方は確かにいたようである。この方の出自が気になる。子息らは奥州征伐に参戦して活躍したようである。
三軍に別れた一つである東海道軍のトップ2の大将軍は、千葉常胤と八田知家。 念西の子息らは奥州での活躍により伊達郡を与えられた。
はっきりとしないのは、念西の出自だけだな。

それと変な文章だけから人を判断しないでくれ。44、45の東京奠都と81の諸生軍は私の文章。あと前回の光圀による那須国造碑の再建ほか。

329 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 10:08:05.55 .net
藤原北家山蔭流・常陸介藤原実宗の子孫だよ(招婿婚)。
伊達(陸奥)と中村(下野)と伊佐(常陸)は三家ともに南北朝時代に南朝方として北朝勢力と激しく戦っている。
三家の共同歩調ぶりは、“そうするのが当たり前”と言わんばかりで、まるで三つ子の兄弟かのようだ。
三家が同族である証拠だろう。

330 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 10:40:34.45 .net
三家が同族なのは分かる。念西が常陸平氏の出なのか、はたまた毛野氏なのか。様々あって確定していないようだ。その辺が気になるのです。
それと南北朝期の三兄弟であるならば、二対一位にわかれるのが自然でしょう。

331 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 10:58:26.23 .net
自分もそう思うけどね→二対一
けど多くの家が、南朝方だ、武家方だ言ってもその思想面から入れ込んでというわけではあまりなく、政治的判断によって南北それぞれに与しているのに対して、この朝宗流の三家は真から南朝方の思想に一体化して南朝方に与している節が伺えるんだよ。
武士には当たり前な打算的なものより、ある意味、宗教戦争に近いものを感じる。
それから、本当は毛野氏か、常陸平氏かなんて問うのは大して意味のあることとは思わない。
地方豪族というものは、その時々で暫時中央から血を入れていくわけだから、何世代も重ねる内に一門も分かれて、それぞれに招婿していく。
だから敢えて言えば「すべて正しい」。
招婿婚とはそういうもの。

332 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 11:11:45.49 .net
あと三家が堅固に一体化してるのは、本領が陸奥と、常陸、下野ということでそれぞれが「程良い」距離にあるからかもね。
同一地区だと惣領家と庶家とで利権争いが発生して、「惣領家が南朝ならうちは北朝に付く」みたいになるが。
まあ伊佐と中村は至近だけどね…

333 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 12:03:36.27 .net
北条政子も毛野のようだ。
源氏の御曹司頼朝を婿に貰って天下を取ったら、婿の一族はポイ捨て。源氏の正統は、結局は北条氏自身が滅ぼしたのだ。
招婿婚なんてものはいつの時代もこんなものだ。源氏も平家も藤原氏も種馬というより、嫁の実家の会社の雇われ社長でしかなかった。
これは、近江毛野の伝統で、母系社会では、姉が家を継いで、娘がいなかった家に妹が嫁入りする。
すると、妹の家の娘は、母系で繋がった一族で、両家の女酋長同士は姉妹、同じ腹から生まれた女族ということになる。
東国の六腹と呼ばれた豪族も、男系ではなく同じ腹(母方の祖母、祖祖母が同じ)という関係だろう。

毛野にはいにしえの昔から夜這いの風習があり、父は誰かわからない中で、確かな血脈として何万年もの間受け継がれてきた旧石器時代からの狩猟系土着民の伝統だろう。

334 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 12:26:35.93 .net
このスレはたまにウソ情報を尤もらしくしれっと織り込んでくるヤツがいるから困るからなぁ。
北條政子の生年は1157年頃とされるから、その母は伊東氏の娘か足立遠元の娘だろうから、
近江毛野の血は入っていないはず。伊東氏は藤原為憲(母系背景は筑波又は茨城国造)、
その後の血の入り方も近江毛野混入の余地はないし、足立なら武蔵氏(竹芝)系統、
これも毛野氏の血は良文系等知々夫国造経由で上毛野氏の血が僅かに入る程度のはず。
>>333
てことでソースあるなら頼む。時政の場合は直方流ほぼ確定の京武者系だし、地下人化
した毛野(近江毛野氏含め)血が入る余地ゼロでは決してないであろうから、それも結局は
ソース次第だけど。

335 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 12:34:57.22 .net
それと源氏の正統は摂津源氏系統ね。北條も毛野も関係なし。

336 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 12:37:56.35 .net
>>334-335
ていうか北条とか毛野とか源氏とか以前に>>333が招婿婚を全く理解していない件w

337 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 13:14:28.31 .net
その、伊東氏も毛野と言うことだろうな。

338 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 13:17:43.14 .net
というより、女族である毛野を男系の論理、つまり、「氏」や「家」で語ろうとすること自体無理があることに気づいていないようだな。

339 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 13:37:38.04 .net
>>337
伊東に毛野の血は入ってねーよ、アホか

340 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 13:39:14.60 .net
>>338
文化人類学的に日本において「女族」という概念は既に存在していない。
誰かが昨日一昨日辺り書いてたファンタジーもいいとこだわw

341 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 13:50:30.70 .net
>>338
というより、母系制と採っていた古代氏族社会を鎌倉〜室町以降の論理、つまり、「氏」や「家」を無視してで語ろうとすること自体、比較文化学的、文化人類学的に無理があることに気づいていないようだな。
※だからソースを提示出来ずに伊東を毛野と言ったり、北条政子を毛野と言ったりするのだろう。

342 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 17:20:38.88 .net
家系図には男系は記されているが、女系は、直径男子の生母がどこの氏の女かくらいしか記録には残らない。
そういう仕組みを男系氏族である源氏や平家や藤原氏が持ち込んだことで、女系毛野の痕跡はことごとく消えた。
従って、あなたが望むような証拠とやらは残ってはいない。
しかし、坂東平氏や北条氏などの土着の豪族の行動様式を見ると、女系で繋がっているからではないかと考えざるを得ない場面に出くわす。
記録にあるものだけが歴史を動かしているわけではないのではなかろうか?

343 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 17:31:39.05 .net
>>342
ここ数日来の書き込み遡ってさ、改めて読み返した方がいいと思うよ?
此処の毛野氏系に懐疑的な書き手はあんたのその程度の書き込み(認識)なんさ織り込み
済みで様々な可能性に言及したり示唆したりしているから。
※同時に、父系母系双系問わず、毛野氏系と思われる氏族に関しては懐疑的な類でも
毛野氏であるって書いてるから。自分の都合の良い思い込みで判断分析しちゃダメだよw

344 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 17:34:55.18 .net
大陸の方では、矢の鏃に毒を塗り付けていたそうな。しかし日本では、ほとんど聞かない。
もし塗っていれば、かすり傷でも致命傷になる。このような禁じ手を決めるのに毛野氏は関与しているのですか。?

345 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 17:36:27.69 .net
>>342
あと
>土着の豪族の行動様式を見ると、女系で繋がっているからではないかと考えざるを得ない場面
にあっても互いに攻撃試しあい、一方が他方を滅亡に追い遣るなんて枚挙に暇もないからw
行動原理の背景なんて様々だし、社会的変化に伴う要因が大きく作用する場合もあるんだよw
眺め方が単純杉w

346 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 17:38:57.07 .net
>>344
殆ど(というか全く)関係ないと思う、文化人類学的にw
そうする文明文化を持つ種族が来なかったか、居たとしても淘汰されたってだけの話。

347 :日本@名無史さん:2014/09/27(土) 18:09:59.43 .net
元寇の乱で上陸したものが用いている。どっかで読んだような気がするな。その一時は超大国になったモンゴル国は今でもあるよな。
人類による毒の発見は何時ごろか知りませんが、毛野氏は古墳時代初頭には、朝鮮出兵をしている訳ですから気になることでしょう。

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