2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

坂東武者の祖、毛野氏族について語ろう(その2)

266 :日本@名無史さん:2014/09/23(火) 18:53:33.82 .net
>>265
藤原南家出身で、親王任国たる常陸国事実上の長官=常陸介に受領として赴任、そのまま在地武士化した
藤原惟久は、国府所在地の絡みから茨城国造とも関係性を深めていると思われる。と同時に、古代より連衡合従の
関係にあった筑波国造とも深い関係を築いているが、一方で毛野氏とはそのような痕跡が今のところ認められないのも
興味深い。惟久は高望王へ入婿し、そこで一子・為憲をもうける。

承平天慶の乱で将門討伐に加わった(というより、将門が朝敵官符を受けるに至る張本父子)この親子であるが、息子
為憲のその後の昇進・叙位補任及び開発領主としての姿を追うと、実に興味深い物がある。これも古代以来の他氏族
との連衡合従で築いた地等に、その勢力圏及び子孫が扶植している(遠江〜伊豆、相模西部)。

あるいはこの時代、女系的勢力図においては実質的毛野氏包囲網が形成されつつあるも、承平天慶の乱等、秀郷との
姻戚関係により辛うじて下野国圏内を押さえていたのではないだろうか。更には時代が下るにつれ、下野さえ圧迫され
ながらどうにか死守しつつ、吉弥侯氏(吉彦氏)始め出羽等へ進出するよりない状況にあったように考えられる。

総レス数 912
372 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver.24052200