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坂東武者の祖、毛野氏族について語ろう(その2)

1 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 22:04:58.71 .net
古の昔、関東から東北にかけて毛人(縄文人)の巨大な日本王国があった

この日本王国は大和朝廷が興るより早く衰退期を迎える
この文明が衰退した原因は急激な気候変動によるものと考えられている

日本王国は衰退の過程で複数の部族に分かれたが、その中で大和朝廷と婚姻関係を結ぶことで
有力豪族となった一族がいた、毛野氏(けぬうじ)族である

毛野氏族は、崇神天皇皇子の豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)の子孫を自称している
が、実際の祖は景行天皇の孫である御諸別命(みもろわけのみこと)のようだ

毛野氏の勢力範囲は、両毛を中心として、常陸西部・武蔵北部に及んだ
この一族は武門に優れ、朝廷の命により東北の蝦夷を討伐し経営、朝鮮半島にも出兵している
勇敢な縄文の血を引く毛野氏族は、後に新田氏や足利氏といった坂東武士の誕生に大きな役割を果たすことになる

このスレはいまだ謎の多い毛野氏族を研究することにより、
「坂東武者1人は、よその武者8人に匹敵する」「武士の本場は坂東(関東)」と言われるほどになった
坂東武者の強さの秘密と幻の日本王国の全貌に迫ろうという壮大なスレである
ふるってご参加ください

54 :日本@名無史さん:2014/09/09(火) 23:05:52.79 .net
>>53
どうなんだろうかねぇ……自分は判らなくはないと思う口だが。
そんなオレは基地外様方から氏族丸ごとで誹謗中傷を喰らう足利(源姓)門葉の後裔w

55 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 21:24:57.39 .net
>>50
まずは毛野国が独立して毛野氏直属の軍団をつくってから、南関東を取るんだよ。
東京攻略なんかちょろいよ。

大本営も防衛無理だと判断して長野に基地をつくってたし。

アメリカ海兵隊と互角に戦った毛野国なら問題なく東京は取れます。
練馬駐屯地潰せば勝てる。

第十二旅団(群馬栃木連合)で第一師団(練馬)を倒せばいいだけ

都市部の戦車戦を想定した10式戦車は毛野氏の南下を阻止するために開発されたんだよ。

56 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 21:27:22.01 .net
グンマーとネリマーの戦いがはじまると
勝った方が関東平野を掌握できる。

57 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 21:51:26.12 .net
国内戦は明治十年の西南戦争が最後かと思っていたけれど、そうでもないらしい。武蔵国造の乱で助太刀して負けた怨念を今こそ晴らす時だ。
1500年は永いようで短かった。 いざ出陣。 座間や横須賀にいる外国勢は何方につくのか。 私は、永世中立人間なので高みの見物といくか。

58 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 21:55:12.21 .net
>>56
ネリマーでは無理だ、存在しないw
此処はトシマーを担ぎ奉らんぞ!w

59 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 21:57:30.85 .net
福島の自衛隊はザコだった
すぐに逃げたしな。
敵ではない

練馬も「烏合の衆」だからザコだろ。命をかけて練馬を守ろうとする連中がどれだけいるのか?
静岡の砲兵部隊は市街地戦じゃ使えないし。
けっこう勝率高くて笑える。

ザコしかいない練馬駐屯地を1つ潰せば霞ヶ関を毛野国が取れます。
まあ東京を取ったところで、群馬と栃木が争う内乱になるわけだが・・

60 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 22:01:21.20 .net
群馬と栃木が連合組んで
要するに練馬の陸自を倒せばいいのです

そんなに複雑怪奇なプロセスはいらないです。

命をかけて東京を守ろうとする陸自がそんなにいるとも思えない。
群馬栃木はやばすぎる。
ろくに物資がない太平洋戦争でアメリカの精鋭師団でも勝てなかったんだぞ。
全滅させて撤退させたしな。

硫黄島を守った九州の師団の強さは認めるが九州の師団は練馬にいないから「勝てます」

地方から支援にくるかもしれないが、主要道路をぶっつぶすし、南下速度が速ければ勝てる。

61 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 22:06:46.73 .net
グンマーやネリマーより、ソウマーの平将門の方が強かった

62 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 22:08:49.21 .net
戦場ヶ原と南北朝期の内乱と二連敗しているから、負けた側の敵愾心も爆発寸前なんだろうな。

63 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 22:16:53.48 .net
天狗党にも負けたのか。天狗党には、下野の人間もいた。

64 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 22:27:55.45 .net
>>62
そんな状況下において岩松っちゃんちなオレ気分複雑(´・ω・`)

65 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 23:03:49.85 .net
明治以降にとんでもない内乱起こしたのは
西ク隆盛以外じゃ北関東の連中

警察の手に負えず
「東京鎮台」がでてきたしな

このときグンマーと栃木が同時立ち上がっていれば南関東の明治政府は崩壊したと思われる。

北からの南下速度を確保できるかが重要。

>>61
将門は大手門に首塚がある。つまりあそこは将門の勢力圏だな。
北関東から将門の首塚まで進軍するべきだろう。

66 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 23:05:48.96 .net
>>64
へたれの岩松は去ね
風見鶏が!

67 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 23:15:35.80 .net
>>65
ところが将門の首塚はおそらく崇神帝による四道将軍事蹟にも係るやもしれぬ
出雲系氏族の墳墓跡と見るべきなんよね(´・ω・`)

>>66
ご、ごめそ(´・ω:;.:...

68 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 23:38:52.42 .net
毛野軍団=第12旅団 (陸上自衛隊)
司令部を群馬県榛東村の相馬原駐屯地に置く。

>陸上自衛隊で唯一、空中機動力を高めた即応近代化旅団である。

↑陸自唯一の空中機動力をもって練馬駐屯地を2時間以内に強襲しようぜ!

>また、首都圏の防衛を主任務とする東部方面隊隷下であることから
>4個の普通科連隊の重迫撃砲中隊は2個射撃小隊編制から3個射撃分隊を有する

首都圏防衛しなくていいから 重迫撃砲で逆に首都圏攻めようぜ!

霞ヶ関は3日くらいで攻略できると思うわ。

69 :日本@名無史さん:2014/09/11(木) 23:45:15.08 .net
畿内は後方基地 「女子供がいる場所」
前線基地が東国

将軍・元帥は前線にいるもんだ。

皇族は安全地帯で昼寝していることに威厳があるのではなく
ローマ皇帝アントニヌスのように戦場で戦うべきであって
最前線で鼻水たらして泣いてた上毛野田道こそ真の皇族だろう。
応神以外じゃ畿内の偉い王様はろくに戦ってないのがねー。
戦国時代も応仁の乱もほったらかしで何してたの?

まあ毛野氏は女までも男を蹴っ飛ばして無理矢理戦わせてたわけで(上毛野形名妻)
サイヤ人みたいなのが毛野氏だな。

崇神は垂仁はアホの子だと思ってたのかもしれん。
「仁」ってw 要するに無能ってことだろ
豊城入彦命の末孫は生まれも育ちもガチな戦闘集団で崇神の真の後継だな。

70 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 19:35:28.89 .net
武力と権威が一体になって口だけ番長じゃなくて
実際に戦地で将軍として戦死しているなど、血も流している。

まさに皇室のあるべき姿だなー
指揮官だけじゃなくて率いる兵士も精強揃い

畿内の皇族も今の東京の皇族も軍隊の指揮監督権がないわけで
後鳥羽・後醍醐・明治・大正・昭和天皇も無理だった皇族将軍だな。

部隊を直接率いて勝利して天下を治めた唯一の例は天武くらいか。
天武はまあまあ認める。 雄略は何したかそもそも分からん。
あと神武か崇神だな
応神とは互角か。負けてはない。

神武・崇神>>毛野氏・応神>>天武・百済王>>天智>>その他なんらかの戦乱との直接関わりあった天皇>>何の指揮権もない置物

99%の天皇より普通に蝦夷の方がすごいのでは? 指揮権があったしな。 蝦夷の将軍は置物じゃないよな。

71 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 19:50:31.18 .net
継体もすごいよな。おそらく継体自身が直接なんらかの軍事行動をして
畿内を征服している。継体も天武クラスか。

磐井(毛野氏?)の九州勢も軍事行動の独立した指揮権があったようだ。
天智もまあまあだが、「負けた」から天武より劣るな。
毛野氏も何度も負けているので、天智よりすごいとは限らないが
長期間活動しているのでプラスだな。

神武崇神応神継体天武の合計で畿内が優勢だが=軍事行動を指揮してるので
結局 毛野氏と同時代。

そういった権威と武が一体になったのは700年以前という・・
その後は抜け殻のようなのが皇族と。
そもそも最前線にいかないと情勢も分からないのでは?

ミッドウェーやガダルカナルに皇族が行って、戦死するなり必死で報告するなりしてれば
もう少し太平洋戦争はまともだったのでは?
皇族独自の情報ルートすらないというのが・・
それで戦争を始めるか終わるかをまともに判断できるのかなと。

やはり「直接指揮」をしている皇族が歴代最上位ランクというのは間違ってないな。
野山をかけるわけで、情勢を良くも悪くも理解しているし、
それだけでどっかの氏族の傀儡じゃなくて天皇独自の情報網と指揮系統があったということ。

作戦に失敗したら死ぬわけで、作戦の責任も体で十分とっている。

72 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 19:53:58.60 .net
イギリス王室も皇太子が戦場にいかされるよな。
イギリス王室にも何の権威もないけど、やっぱり皇族と武力は分離しちゃだめだと思うわ。

自分で見ないとやっぱりわからないだろ情勢が。兵士の声も聞けるし。
象徴天皇でも置物はよくないな。今の皇太子はひどいw

73 :日本@名無史さん:2014/09/12(金) 21:14:05.44 .net
このスレ、ネタスレ化してきてんなw

74 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 06:40:21.97 .net
伊達氏は毛野氏なんだな。
毛野国の境界付近の氏族だったらしい。

出自は常陸国伊佐郡、あるいは下野国中村荘と伝えられる
伊達氏は伊佐氏が祖か

その伊佐氏は
>従来は藤原氏の藤原北家山蔭流とされてきたが、毛野氏とする説も提唱されている。

と書かれている。
藤原でも源氏でも平氏でもなければ毛野氏だろうな。
それ以外の氏族もあるが、それもここら辺の氏族の源流はどうせ毛野氏になる。

伊達政宗は毛野氏らしい。

75 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 06:44:27.49 .net
こうして見ていくと、伊達氏の先の伊佐中村氏と宇都宮・八田氏とは、遠く遡ると同族同祖の関係にあって、実際には下毛野一族の車持君氏ないしは韓矢田部造氏から
出自したものではないかとみられる。ともに藤原姓を称し、名前に宗や綱の字が多く見えるという共通点もあげられる。
以上、伊達氏の遠祖について、多角度から見てきたが、資料が乏しく断定はできないものの、多くの関係者からみて、
毛野氏族の出とみるのが比較的自然な模様である

伊達家臣の)只木氏は下野国足利郡只木村、いま足利市東端部の多田木に起ったといわれる。

系図スレでも伊達氏=毛野氏説が有力

なるほど伊達氏は毛野氏なのか・・

76 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 08:18:48.97 .net
伊達政宗は、近世においても活躍した人。出自が分からないのであれば不詳というのが適切である。
宇都宮氏の綱という文字は、縄綱や藤綱の藤の方からきているのではないか。?
毛野氏というのは、ご立派氏族名である。実際に毛野氏であるならば、何故それを隠匿して公明正大に藤原氏であることを喧伝するのか理由が分からない。
毛野氏は、藤原上野国司を殺害しているのである。殺害した相手の苗字を名乗るのも奇妙と言わざるを得ない。藤原宗円と毛野氏が同族とは思えない。

77 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 08:47:01.32 .net
将棋というのは、面白い嗜みである。日本の将棋は、中国将棋とは違うらしい。チェスとも違う。生け捕りにした敵兵を、直ぐに自陣に組み入れられる。
日本で改良された将棋にモデルはいるのであろうか。自分なり源平合戦を参考に考えてみた。ちなみに俺、奨励会員と一度一戦を交えて勝っているんだ。

王将 一人 文字通り王で将軍。頼朝。家康。足利義満(自ら日本の王であることを表明した)
飛車 一人 牛若丸
角  一人 那須与一。屋島の戦いは立派であった。
金将 二人 大勢いて甲乙つけがたい。
銀将 二人 同上。癖のある梶原景時などは適切か。
桂馬 二人 忍者のような動き。服部半蔵が目に浮かぶ。
香車 二人 武蔵坊弁慶等。
歩  九人 名無しの権兵衛。源平合戦当時は騎馬軍団中心か。

78 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 09:45:40.23 .net
>>76
網野用語になっちまうが「荘園公領制」が発達する過程で
毛野氏が時代について行けず没落=ブランドとしても価値が
下がってきたからだろうな
出羽の吉彦氏のような名乗りの変化もあったりするし

79 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 10:19:02.98 .net
★【群馬】国内初の骨製小札 6世紀初め渋川の金井東裏遺跡

六世紀初め(古墳時代)の火山灰層からよろいを着けた男性の骨が出土した渋川市の
金井東裏(かないひがしうら)遺跡で、動物の骨でつくられた小札(こざね)と呼ばれる
短冊状の板が新たに見つかったことが二十日、県埋蔵文化財調査事業団の調査で分かった。

数十枚が連結された状態で、よろいの一部か付属品とみられる。事業団によると、骨製小札が
見つかったのは国内で初めて。同日、県の検討委員会で報告した。

骨製小札は、一枚が縦六・六センチ、横約三センチ、厚さ数ミリ。一段あたり十数枚が、
三段にとじられていた。男性の骨の出土場所近くで、巻かれた状態で見つかった別の
鉄製よろいの内部にあった。

韓国で四世紀の骨製小札が出土した例があるとされ、今回の小札は穴の開け方から、
韓国の技術を用いて日本でつくられた可能性が高いという。

事業団の右島和夫理事は「材質から考えて、防具としての機能よりも視覚的なアピールが
重視されたのではないか。遺跡の意義を東アジアの枠組みで考える必要性が高まった」
と話している。また、男性がつけていたよろいは羽織った状態だったことも、
CTスキャンを使った調査で新たに分かった。

東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20131221/CK2013122102000174.html
渋川市の金井東裏遺跡で見つかった骨製小札(県埋蔵文化財調査事業団提供)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20131221/images/PK2013122102100058_size0.jpg

80 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 11:56:33.27 .net
但木土佐殿には気の毒であった

81 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 15:19:19.16 .net
奥羽越列藩同盟には水戸藩の市川三左衛門率いる保守門閥の諸生派も与して慶応四年春から越後方面で本格的な戦闘を開始していた。一部は佐渡に渡って軍資金を求めたが果たせなかった。
やがて水戸城が手薄なことを知った市川等と長岡藩約百名を加えた総勢五百余名は、会津の陥落直前に、「勝機到来ぞ、今こそ手薄な水戸城を奪還して佐幕の兵を関東に挙げようではないか」
と叫びながら南下していった。長岡藩兵は銚子から、願わくは仙台に向かう意向だった。しかし銚子では、飛び地として高崎藩兵が護衛していた。もっともこの時には、仙台藩は、すでに新政府軍に
降服していた。長岡藩兵も白旗を挙げる。 なおも水戸藩諸生軍は、抵抗を続けようとしたが八日市場あたりで壊滅した。しかしここでも市川三左衛門は逃走。今の東京都港区三田の娘の嫁ぎ先で
ある宝生院や剣術指南役宅などに潜んでいたか、やがて水戸藩関係者によって逮捕されてしまった。    宝生院には都々一坊扇歌の妻の墓所でもあった。

82 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 15:35:33.61 .net
北島 秀朝(きたじま ひでとも)旧姓・益子。
益子氏の本姓は、下野宇都宮氏を支えた紀清両党の紀氏だ。
その子孫が出雲国造家北島家の養子となり、東京遷宮に関わった。
下野宇都宮氏と言えば、祟神天皇、豊城入彦、下毛野氏の流れを汲む東国の支配者の正統。
古代の神武東遷も出雲の国譲りによるもので、裏のそのまた裏で日本を動かしているのは出雲国造家なのだ。

83 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 16:26:43.54 .net
北島家の養子になったのは事実、しかし京都には、既に北島家は無かった。これは岩倉具視の権謀術策か。あるいは当時、名前を変えるとは護身のためであった。単純に、その理由と思える。
元、東山道軍大監察の北島の妻は、江戸は浅草下平右衛門町三番地の松岡蒼造の妹である。最早、旧家としての北島家の痕跡は何もない。

84 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 16:46:01.83 .net
北島は、源頼朝や藤原秀郷に憧れていて秀朝というカッコいい名前にしたのであろうか。何となく気になる。

85 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 18:56:49.08 .net
>>79
毛野氏は百済を支配してたのに何をいまさら・・

左翼のせいで毛野氏の朝鮮の300年統治が教科書に書かれなくなって残念だね。
徳川や秀吉すらやってないし、源氏も平氏もやったことがない海外遠征・海外統治を
毛野氏はやってたわけで

毛野氏を過小評価しすぎた時代は終わるべきだろう。
「レベルが違う」氏族です。

86 :日本@名無史さん:2014/09/13(土) 22:54:50.73 .net
パクリ
http://livedoor.blogimg.jp/inumenken/imgs/b/a/ba83a44f.jpg

パクラレ
http://livedoor.blogimg.jp/inumenken/imgs/4/9/499d2b9b.jpg

パクリ。ひきこもりのバカ。足立区に住んでいるそうだ。
http://inumenken.blog.jp/archives/11704718.html

87 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 07:07:37.26 .net
前橋から霞ヶ浦の西側 筑波山までの平野部が毛野氏の領地かな。
霞ヶ浦から千葉の下側ラインは違う。

これだけの平野部というと名古屋平野全域
大阪・奈良・滋賀の平野部全域と互角以上

平野面積だけ見ても古代毛野氏には恐ろしいまでの軍事力があったと思われる。

88 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 07:11:56.39 .net
畿内が信長 東国が家康の関係でもないな
信長はいざとなれば家康を滅ぼせるが

防衛側が有利なことを考えると
毛野氏を滅ぼすのは畿内全力+名古屋でも軍事的に不可能でしょう。

畿内と東国の関係は思った以上に緊張感があったのでは?
というか、毛野氏は滅ぼせないわけで、独立地域だなこれは。

日本はアメリカを滅ぼせないし、アメリカはできるが、
両国は同盟してるのと同じようなもんか
パワーバランスがおもしろいな。

89 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 07:18:20.15 .net
崇神が「豊城は今後 東国を治めよ」
と言ったのは文字通りそうなってたわけで

畿内の支配権認定とかでもなんでもなく、純粋に独立地域と化していたようだ。
毛野氏は朝臣にすぎないが、52朝臣の中では完全に別格だな。

筆頭家老ですらないな、「同盟してやっている」だけの関係。
末期の秀吉政権の中での家康と同じポジションか。もっとすごいか。

畿内政権が日本すべての軍事力を動員すれば理論上は毛野氏を滅ぼせるが
天智が九州に無視されたように、地方が必ずしも畿内の天皇に完全に従い、
十分な兵力を出兵できるとは思えず。

秀吉と家康の関係よりひどいかも・・

畿内に東山道直結でけっこう近いから毛野氏側からの侵攻は可能なのな。
関ヶ原をいつでもおこせたのが毛野氏か。

90 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 07:25:26.55 .net
戦争するには理由がいるから
必ずしも軍事力が畿内より数倍あるからといって勝てるわけではないが。
(なんで戦うの?と家臣に疑われる)

いつでも畿内を滅ぼせる毛野氏だったが=武田信玄の比ではない
たまたまやらなかっただけですね。

300回くらい畿内を滅ぼせる可能性はあったのでは? 逆はないけどな

91 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 09:34:48.58 .net
毛野は部族ではないので毛野氏は滅ぼせない。
当時の毛野はトヨタと三菱商事と日本郵便と専売公社とセブンイレブンを合わせたような東日本を牛耳る巨大組織だった。
つまり、武器や農具など鉄製品、海産物や塩と酒といった必需品の生産、物流に加え、通信、小売まで支配する巨大コンツェルンだ。
しかも、関東の主要道路沿いには毛野の拠点が2、3キロ毎に置かれていたし、関東以外にも支店網があった。
中仙道や東海道の主要宿、そして近江に一大拠点があったし、遠く九州、任那(恐らく、木浦付近)にも広がっていた。
白村江の戦では5万の兵を動員する力はあったが、政治、軍地面では表だつことを嫌ったようだ。
毛野には総帥はおらず、重要事項は合議で決めており、中央集権ではなく、アメーバーのような有機体組織だったのだ。
東国の六腹と呼ばれる有力氏族も、毛野を構成する大親分の一人にすぎなかったし、毛野が長い歴史の中で培ってきた習慣を無視するものは徹底的に排除された。
徳川家康は、毛野の伝統や既得権を認めることで東国の政治や軍事面での支配を認められたのだ。
つまり、士農工商は徳川の支配下にあるけれど、それ以外の 穢多(えた)、非人は浅草団左衛門等の 穢多頭や各地の大親分、
僧侶は各寺院、神官は各寺院が支配する権利の二重構造があったのだ。

92 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 09:56:54.17 .net
海なし県の群馬+海なし県の栃木+海なし県の埼玉

海なし毛野国

毛野国は海を確保すべく、海を求めて南下政策をすべきだろう

93 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 09:57:34.29 .net
邪悪な海あり県を軍事力で平定すべき。

94 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 10:03:22.22 .net
奈良の崇神
近江の毛野氏
群馬栃木の毛野氏

たった8県しかない海なし県をまたがって生息している

海のない8つの県
http://www.benricho.org/chimei/nairikuken/

まるで海を狂犬病の犬のように恐れていたような毛野氏だな。

でもいざとなったら朝鮮を平定している。
よく分からんが、海なし県>>>海あり県らしい。

海に面した地域は邪悪な県民性を発揮するのかもしれない。

95 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 11:17:29.22 .net
>>94
長野や山梨、甲斐武田や上杉も殿様はともかく主要な将は毛野の血を引くものたちだろう。
上杉は、その後やはり盆地の米沢に移った。
盆地好きの伝統はヤマトタケルの頃にすでにあった。

倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠 (やまこも)れる 倭しうるはし

これは縄文人の生活に適した場所だったと言うことで、海賊に襲われないし、大津波も来ない。
長く1万2千年も続いたのは盆地の気候が比較的安定していたからでもある。
そして毛野の居住地は、更に古い旧石器時代の集落跡とも重なりそうだ。

96 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 11:23:03.26 .net
>>60
なぜ硫黄島を守ったのが九州?
鹿児島の硫黄島(いおうじま)と東京の硫黄島(いおうとう)を
取り違えていないか?

97 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 13:24:11.45 .net
バングラディッシュは雨季になると国土の60%が水に覆われる。高台だけが浮き島のように取り残され、人々はそこで暮らす。
学校も船の中にあって、高台の島に子供達を迎えに行って授業をし、学校が退ければ島々に送り届ける。
関東平野の渡良瀬川周辺も河川工事が進む前は同じような風景だったと思われる。
毛野は雨季にも水没しない狭い高台に暮らしていて、古代の道路も住居跡も舌状台地と呼ばれる長く突き出した固い地層の上に作られた。

↓バングラディッシュの雨季 、水煙湧く土地

http://ord.yahoo.co.jp/o/image/_ylt=A3JvcouvFhVURi8ApIiU3uV7/SIG=131ivuiop/EXP=1410754607/**http%3a//image.space.rakuten.co.jp/lg01/48/0000316848/67/img462ac8fczikczj.jpeg

↓東京亀戸の大洪水、近世

http://www.pocketbooks-japan.com/images/products/w0001-5000/w4076.jpg

98 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 17:42:17.46 .net
日本の首都は群馬か奈良にすべきだろ
毛野氏は海外遠征しまくったせいか、
海外からの侵略にも怯えていて
それで内陸部を重視してたわけだな。

「沿岸部がやられている間に対策をうてる」からな!

東京が首都なんて韓国の首都を釜山にするような愚かな行為ってことだな。
一瞬でやられるじゃん。

バカ徳川様は海に面したところを首都にしたくせに
海からの侵略で一発で終わるとかマヌケもいいところ

毛野氏は海外遠征の経験が豊富なので、海に面した地域の防衛の脆弱性をよく理解してたと。
やっぱり毛野氏は総合的に徳川より遙かに上だな。

99 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 20:20:41.36 .net
歴史街道を行く  群馬編
私が初め群馬の地に足を踏み入れたのは、平成二年頃の社内旅行であった。サファリーパークという動物園に行くことになった。車の中から見る百獣の王ライオンは少し眠そうな感じはしたものの野迫力満点であった。
旅行から戻るとテレビや新聞で飼育員がライオンの餌食になってしまったという報道があった。ライオンの前では油断大敵であると肝に銘じた。  そのころであろうか、東京は目黒駅西口の中華料理店で昼食を取った
ところ、カウンターの隣の席では、何処かで見かけたことがあるよう方がごく普通のラーメンを頬張られていた。私も何か麺類を注文している。食事を終えて店から出ると同僚から、あの方は司馬遼太郎だと教えられた。
何でも近くの杉野女子大で教鞭を執られていたということで同僚な話では、「時々、この辺にも出没される」ということであった。私は、いききなり十か所位の歴史街道を行く旅をおえたような気分になったものである。

100 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 20:58:23.08 .net
海なし県の方が外的の侵略に対して防衛できる

・そもそも都市部が海から遠いので地理的に何もしなくてもある程度の防衛になる。艦砲射撃も不可能
・「海は恐ろしいもの」という発想の下で、海をそもそもの侵略者とみなしている

海有り県は海があまりに目の前すぎて、「海は海水浴をして楽しむもの」という間違った判断をしてしまう。
→海有り県ほど海岸線の防衛に関して完全に無頓着(徳川幕府は江戸湾にありながら、黒船までお台場防衛を一切してこなかった)

海がない内陸部では「海は邪悪なおそろしいもの」という「正しい判断」をしているので
防衛ラインを内陸部の山間部にひきやすく、それ自体が外的の侵略に対して絶大な効果がある
→黒船なにそれ? 見えないしw

この「海はおそろしい未知なるもの」という内陸人特有の発想が
ペリリュー島の防衛に向いていたのであろう。

フィリピン・サイパンで海岸線で無様に玉砕したのに対して
内陸人はそもそも「海は怖い」ので山城を築こうとする習性があり
「海は楽しむもの、おもしろいもの」という誤った発想の連中が負けまくるのに対して
アメリカに対して内陸人は唯一猛攻を行い、イーブンに持ち込めたのである。

海なし県こそ首都に向いているのはこのため。
・そもそも津波なんて赤城山までこない
・外人が侵略してきても「沿岸部の尊い犠牲」によって時間を稼げるので 防衛ラインを構築できる。

海あり県の発想は海外からの侵略に対して非常に脆弱なのは津波被害をみても分かる。

101 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 21:01:04.97 .net
海あり県の県民性はマヌケで無様の連続であり、任せられない。
日本の首都は今後群馬・栃木にすべき。

千葉や神奈川や東京は海外からの攻撃にやられやすいので
「やられ地帯」でしかないので内陸部に首都を遷都すべきだろう。

102 :日本@名無史さん:2014/09/14(日) 22:15:56.53 .net
平成になったばかりの頃に首都機能の移転先は、那須地方が有望ということで、どこかの役所まで行って、取り纏められた資料を受け取ったりしたもんだ。
当時の青島都知事は、首都機能の移転には断固反対しますと頑張られていたので。私は、「首都機能の移転には賛成します」という葉書を送付したところ、
青島都知事の直筆で、「貴重なご意見有難うございます。今後の都政にご参考にいたします」という返書が届いて驚いたことがある。

103 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 07:52:09.36 .net
スコットランドが独立するかもしれない
毛野国も独立しよう!

104 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 07:53:32.30 .net
群馬・栃木・埼玉は連合を組んで独立すべき。

秩父一揆程度ではなく独立運動をすべきだろ。
日本の首都を群馬にしない限り、毛野国独立を撤回することはできない。

105 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 08:51:14.20 .net
群馬は100%ない。榛名山や浅間山が火が噴きそうだ。阿蘇や桜島のある九州もない。
那須と筑波周辺の争いとなるであろう。

106 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 10:03:32.26 .net
内陸の山の中の毛野氏の方が徳川よりも海外に行きまくってるのがおもしろいなー

家康は「朝鮮にも東北にすら行ってない」
家康は「中国軍と戦ったこともないし、東北で戦ったこともない」

鎌倉北条の活動範囲はごく狭いし、元寇で戦ったのは九州・西国の武士団であって
元寇で東国が何してたのか分からん。
偉そうに命令してただけでは?

時宗が九州で戦ったわけでもないしな。口だけ番長で九州が戦って血を流したわけだろ。

海すらない内陸の毛野氏の方が活動範囲が徳川や北条氏より遙かに広いのがおもしろい。

107 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 11:07:46.21 .net
毛野国は、香取海に面していたのではないか。

108 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 11:48:36.66 .net
確かに香取海勢力(鹿島、香取両神宮を奉祭)と、両毛の勢力(つまり元は毛野氏に源流)とは古くから繋がりがあるっぽいな。
鎌足は鹿島の出だし、息子の不平等は毛野(車持)氏が母系氏族だ。
また、藤原秀郷は母が鹿島氏(大中臣貞忠に比定する説あり)。
将門の与党に藤原玄明というのがいて、別名が鹿島玄明とも名乗っていた。玄明もその名と根拠地から、母系氏族はおそらく鹿島神宮宮司家・大中臣氏の一族であり、秀郷とは母系で同族の関係にあったのだろう。
さらに、その秀郷の父・藤原村雄の娘(つまり秀郷の姉妹)が、常陸平氏・平国香と婚姻している史料がある。つまりこれによると秀郷と貞盛は従兄弟同士ということになる。
平将門の乱はこれらの姻戚関係が複雑に絡み合い、土地の利権関係などが一筋縄では行かなかった結果起こったものなんだろうな。
さらに、上で誰かも述べているように、伊達氏も、常陸と毛野に跨る前史を有しているようだ。

109 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 11:51:22.84 .net
>>108
一筋縄では行かなかった結果

一筋縄では行かなくなった結果

110 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 12:49:27.40 .net
>>106
他氏族貶してまーた逆に毛野氏sageやってんのかよw

111 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 13:32:57.71 .net
上毛野、下毛野、武蔵、相模に別れる前の毛野には、太平洋岸から内陸部の上毛野、下毛野に通じる道は幾通りもあって、西から、
1.平塚市の相模川を真っ直ぐ北上する西の国境線ルート。ここは相模国なってしまった。
2.三浦半島城ヶ島ルート。ここは、神津島の黒曜石積み出し基地でもあったが、武蔵国になってしまった。
3.葛西、長島ルート。ここは、古地図で見ると分かりやすいが、将門の本拠地葛飾郡の南端にあたる。
4.船橋、太日川ルート。ここが最重要ルートだ。上毛野の軍港といっても良い。
その他1.霞ヶ浦、美浦村付近。 全国を代表する縄文遺跡である「陸平貝塚」があり、古代の食料基地だった。
その他2.水戸、ひたちなか。那珂川と中臣の中は同じだろう。
鬼怒川の向こうは異国だが、敵対していたわけではなく、交流があった。

112 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 14:13:46.96 .net
>>111
考古学的知見からすると、所謂後の毛野国圏内の古墳というのは
いつ頃より発生しはじめかつ、築造年代的にはいつ頃が最盛期だったのかな?
御教示頂けると有り難い。

113 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 16:21:36.36 .net
「これは今時珍しい掘り出し物ですよ」と口八丁手八丁に話す商人に聞いてくれ。   東国は西国よりも遅く、那珂川西岸の那須国の全方後方墳等の築造は、4世紀後半みたいですよ。
毛野国は、那須国よりも少し遅いのではありませんか。 

114 :112:2014/09/15(月) 17:09:20.99 .net
栃木県真岡市の「大前神社」、この社の祭神は当初から
大己貴命(大国主命)、事代主大神だったのかな?
どなたか同社にj詳しい方の知見・見識を巡りその詳細を
御教示願えたら幸いです。

115 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 18:52:34.59 .net
毛野氏である伊達氏が慶長遣欧使節でスペインと海外交流しようとしたのは
毛野氏の海外へ向けての発展性を示すものだろう。

徳川や北条は国内どころか関東のローカルな活動に止まったただの田舎者。

毛野氏は関東にとどまらない国際的な武士団である。

116 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 19:07:43.27 .net
>>114
神社の祭神はその地域の豪族と関わりがある
=豪族が自分の敬う祭神をかかげるために神社をつくるため

大前神社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%89%8D%E7%A5%9E%E7%A4%BE

芳賀郡周辺の遺構は中村廃寺がある
瓦はあまりみつかってないが、軒丸瓦は単弁・複弁がある典型的な
白鳳時代の瓦で、群馬各地・畿内でも見つかっている。

下野だから下毛野氏が関係しているとみてよい。
毛野氏である宇都宮氏関連ではないかと思うが、
祭神からはアマテラスやオオクニヌシなど「ごくありふれた祭神」しか出ないので
何とも言えない。

後の時代に祭神を「一般的なものに」変えた可能性もあるが
社伝の記録は創建時のことについてはあまり書かれてない。

豪族の解明のために真岡市の歴史を古墳時代から詳しく調べないといけないだろう。
がんばってな。時間があれば六国史を調べておく

117 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 19:18:47.01 .net
>毛野氏は関東にとどまらない国際的な武士団である。

詳しくは武士団の定義からは外れるけどな。

武士は公家=摂関政治ができるときに分離された雑用係で
元は皇武は一体のもの。

たとえば神武や崇神や応神とその兵士どもが武士団かと言われたら「そうじゃない」わけで
神武や応神は武士団の統領でもない。

学者的な定義からは「毛野氏は武士団ではない」
が、「武」に関わる氏族であることは確か、武士団ではないが、武○○?
しかしこれを明確に定義する言葉が日本の史学ではないわけだな。

武力が権力から分離された藤原氏以降=摂関政治時代しか扱わないようになっている。
臨時任命とも違う。

「武士団の前の武士団」をなんというのか分からないし、間違っているが
暫定的に「毛野氏は武士団」としておく。

というか「独立国」とすれば、国家ならば当然国家独自の防衛力=軍事力を内包するわけで
「毛野国は完全な独立国」というのが最も妥当か=独立国でも軍事行動を畿内の政府ととってもおかしくない
=リムパック演習は総勢22ヵ国が参加するが、それぞれが家臣や部下という関係でもない。

毛野国が畿内天皇家と軍事行動を取っても全然おかしくないし、「畿内主導」でも東国の独立性は変わらない。

118 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 19:29:33.73 .net
>学者的な定義からは「毛野氏は武士団ではない」
>が、「武」に関わる氏族であることは確か、武士団ではないが、武○○?
>しかしこれを明確に定義する言葉が日本の史学ではないわけだな。

「毛野は独立国」だが、「独立国が日本各地にあった」
とすると「畿内主観の統一国家大和」の観点から外れるからあえて取り扱わないのかもな。
(武士団は出自からして臣従関係が公家以下だったが=それに反発したのが武家政権)

わけのわからない構造の武家政権と違って古代豪族の毛野氏は独立性がかなり認められるので
「独立国で畿内と同盟関係」だったというのがもっとも正確
本質的に主従関係が分断されている。
「そうは言っても家臣が出自ではないか」という反論があるが
豊城入彦命に限っては「そもそも家臣ではない」ので「畿内の並立関係」にある

そもそも豊城は「垂仁の兄」なわけで 長兄優位の後世の価値観からすれば
「畿内は弟の国」だろ。
かつ軍事力についても豊城系統の方が最初から畿内を上回っている
=畿内の反乱の鎮圧をまかされている。

"出自からして家臣ではなく"、"その後も家臣になった覚えはない"。
毛野国が占領されたこともないし畿内に合戦で負けたこともない。
しょぼい合戦で緑野屯倉を渡しただけ=国境紛争があった程度
武士団でもなく家臣でもない。

これを定義する言葉は「毛野国は独立国である」としか言いようがない。

119 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 19:45:50.78 .net
「毛野は独立国」であるので独自の軍事力と指揮権を有する。

畿内が毛野氏に官位を与えることもあるが、
天皇がイギリス大使に勲章を与えたところで、イギリス大使はイギリス王室に属するわけで、イギリス大使が天皇の家臣団なわけではない。
→毛野への官位授与の有無は毛野国の独立性を否定するものではない。

毛野氏は東北遠征に従うこともあるが、「同盟国間の協調軍事行動」とすれば
日米軍事演習くらいのもので、
これも毛野国の独立性を失うことにもつながらない。

結局350から750くらいまでの400年間〜もしくはさらに延長して500年以上
毛野国は倭国の中で独立国として君臨していて、不可侵領域だったと言える。
毛野氏の私領だな。

毛野氏が自力で先住民の関東の縄文人から奪い取った地域で官位や任命と無関係。
この関東の独立国が完全に解体されるのはかなり後の時代になると思われる。

蝦夷や熊襲問題ではないな。
「関東に400年以上独立国が存在した」という問題は後々重要になってくるだろうな

120 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 20:13:42.46 .net
基地外はハンドルつけてくんねーかなー
下らねー与太話はいらねーんだよ

121 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:15:59.40 .net
>>120
あなたは、どのレスを基地外だと感じたのか?
アンカーを付けて、簡潔に理由を書いた方がよいですよ。
でないと反論もできません。
個人叩きになるのは嫌だから、個人的にはハンドルは付けない方が良いと思う。

122 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:19:54.56 .net
なるほど、毛野国は水源も多数のダムによる電力発電もあるわけだな。
即座に南関東の息の根を止める恐ろしい地位にあるわけか。

「東京の水源地を有する」ってすげー優位性だな。
その割に立場が低いのはおかしい。

南関東に何も依存してないどころか、毛野国の資源に南関東すべてが依存しているというのが正しい。
毛野が独立すれば、関東は電気も止まるし、水も止まるのか・・

中東で油田を占拠してるのと同じだな。
奥多摩水系だけではまかなえないはず。

関東は利根川に依存し、利根川は毛野国が制していると。
ふーん。まさに要衝だな。

123 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:21:36.26 .net
>>121
スコットランド独立が盛り上がってるので、
「毛野国独立」をネタにして盛り上がろう!というだけです
そもそも日本史スレなんて所詮すべてネタスレだろ。

「おもしろくない」という批判は受け入れるがw

124 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:25:21.32 .net
毛野氏は四六時中戦争してた武装集団なので、
関東の軍事についてあれこれ考えるのが論外とは思わない。

意外と優位性が多数みつかり、勝てるかもしれないのがおもしろい。
毛野国独立で東京は未曾有宇の大混乱に陥るね。

南関東の圧政を解放するのが北関東=毛野国の使命。秩父困民党の例もある。
隙あらば群馬・栃木は南関東占領を狙うべきだろ。

125 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:28:53.42 .net
・まず南関東への水と電力を遮断する。
・24時間以内に第十二師団の空中輸送力を持って重迫撃砲を輸送し、
練馬駐屯地に向けて進軍する
・練馬を制したら霞ヶ関に進軍する。
・独立を宣言する。

作戦は72時間以内に完了するな。
100年以内に実行されるでしょうね。日本史で次の政変があるとしたら毛野国からだわ・・

126 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:34:14.08 .net
群馬・栃木の第十二旅団はドイツ降下猟兵(ドイツ最強の精兵師団 恐ろしい戦歴を有する)
に匹敵するのでは?

練馬駐屯地のザコどもが第十二旅団の猛攻に耐えられるとは思えない。

127 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:38:21.75 .net
>>121
多分あんたさんのは平気じゃね?どのレスか知らねーけど
>>123-125みてーのがネタにしてもつまんねってかこっからいねや!w

128 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 21:58:00.10 .net
静岡の第一戦車隊は関東を脱出する避難民が殺到するので
陸路じゃとうてい間に合わないな。

南関東は電気がなくなるので電車も動きません=車両輸送ができない
線路もJRがダイヤを空けるか分からん。
水がなくなるので自衛隊は給水活動に追われ戦力が減る。

そもそも命をかけて南関東なんぞを守ろうとする自衛隊員がどれだけいるのか非常に疑問だわ。
どっちにしろ進行速度が速すぎるからとうてい支援が間に合いませんね。

各地から支援が集まる速度より、群馬から霞ヶ関に到達する速度の方が速い。
練馬は戦うどころか、むしろ寝返るのでは?w もしくは素通りさせるかと。
ある事前準備すれば、いずれにしても救援は線路・道路ともに十分に遮断できる。

群馬・栃木はやれば勝てるんだよな。
やっぱり日本の首都は群馬にすべきだろ。

そもそもザコのくせに威張りすぎなんだよ東京とかは。

東京=練馬で、 群馬が練馬なんかに負けるわけねー

129 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 22:09:02.98 .net
>>123
毛野がスコットランドに似ていると俺も感じた。
しかし、日本の場合は、もう120年前にスコットランドに首都を移してしまったと言うことです。
というか、鎌倉幕府も江戸幕府も毛野の子孫が影で支えていたのです。
イギリスも、首都をロンドンからエディンバラか秋葉原に移せばよいのです。
そうしないと、渡来系のイングランドと、原住民のスコットランドの真の統合はないでしょう。

あと、スコットランドヤードと六波羅探題も似ていると思った。

ネタが嫌いな人、ゴメン。

130 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 22:48:34.05 .net
エジンバラ公が豊城入彦命末孫で
イギリス王室が畿内天皇家とすれば、まさにそんな関係だな。
両君体制だったのに勝手に家臣みたいに扱ってきたのがスコットランド

そんで毛野国は畿内に占領されたことすらない。
スコットランドはスコットランド独立戦争をして負けているが
そもそも毛野国は成立当初から独立国家。畿内の属国や臣下だったことはない。

経済的には東京都民に電気と水を高値で売ればよろしい。
東北からは電気を依存していたが、毛野国からは「電気も水も依存」しているのが南関東。
優位性は非常に高いと言える。

軍事的・地形的・宗教的・歴史的に毛野国の独立は完全に正当性があると言える。
熊谷県を復活させ、栃木と茨城を編入して独立国家になり
東北=毛野氏の伊達氏と連盟を組むべきだろう=これで海もできる。

もちろん軍事行動なんかしないで群馬と栃木と埼玉と茨城の一部が
住民投票をして平和的に毛野国独立宣言を採択するのが最善だろう。

131 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 22:56:26.21 .net
毛野国はイスラム国をめざすもよし
スコットランドの独立を見習うもよし
どちらでもいい

いずれにしてもこれ以上、東京・神奈川による内陸国をバカにする態度はもう許すまじです。
関東平野の覇者は毛野です。
毛野国の今後の参考にするためにもスコットランドを注視だな

最初はネタでやってる内に実現するかもしれない。

132 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 23:29:29.15 .net
地域分断工作の亜種みたいになってきたね。

133 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 23:34:55.51 .net
毛野氏は兵士1万人を輸送できる大量の軍船を持ってたんだが・・
いったいどこに持ってたのかな?

「群馬に外洋船があったのか?」 対馬海峡渡るにはそれなりの船じゃないと無理
多賀城あたり?

うーん分からん。毛野氏は海軍力を持ってるようだが、利根川にでもあったのか?
まあ木ならいくらでもあるからでかい船も作れなくはないけど
利根川をそのまま下ればいいのか。
そんで朝鮮まで行ったのか? なんかすごいな。

134 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 23:39:44.34 .net
歩いて九州までいくと兵糧・物資の輸送に難がある
できれば自前の船が必要。

独自の海軍まで持ってたっぽい毛野氏
伊達氏が外洋船の建造に拘ったのも何か理由があったのか、血筋が船を造らせたのかと。

「山の中の武士団」のはずなのに海軍力まで持っていた毛野氏はおもしろい。
東山道だけではなく舟運のルートも握ってたのかな。

135 :日本@名無史さん:2014/09/15(月) 23:49:15.54 .net
古代の利根川は猛烈に川幅があり、霞ヶ浦につながっている。
直接太平洋から群馬・栃木まで船で遡上できたのでは?
もちろん下ることもできたと。

江戸湾みたいなもので、毛野氏の保有する海軍基地が途中にあったのかもしれない。

136 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 07:04:26.87 .net
宇都宮氏や伊達氏を勝手に毛野氏にしないでくれ。 親族一同の了承は取れているのか。 ?

137 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 08:00:58.88 .net
新田郡徳川剛は下野国であった。明治となり徳川郷は群馬県になった。
従って群馬県民は徳川郷を、「私の愛する憩いの地」としなければならない。ところが一部には、徳川郷を毛嫌いする群馬県民がいるようだ。これは筋違いもいいところ。
そのような人間は、軽薄短小と言わざるを得ない。

138 :112:2014/09/16(火) 09:53:27.42 .net
>>133
毛野氏は越国との関係も一定程度有していた蓋然性も高いですから、
充分可能だったような気も致しますね。

139 :112:2014/09/16(火) 10:02:27.07 .net
>>136
平安後期〜鎌倉初期までは利権絡みもあって公家であれ百姓(この場合皇族や公家、
あるいは各層の私奴婢除く全ての層)であれ招婿婚を基本とし、男系で官位浴典や姓等の
権威を、女系で地盤や財産等の敬称相続を基本としていた事実を無視し、つまらない話題で
スレの無駄遣いをする人達(上の方で基地○扱いされているネタ遊びの人達)が結構いるので
お赦し下さい。

そういう人達に限って上記基本を押さえていないので、他にも他氏族を徒に貶める向きも
ありますので、併せてお赦し下さい。

本当に詰まらないスレになりましたね。では、仕事へ。

140 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 10:48:17.09 .net
母系制、或いは双系制などと言われますね。
伊達氏も宇都宮氏も招婿婚によって藤原氏から婿を入れている蓋然性はかなり高いと思います。
南関東の桓武平氏諸氏、
北関東の秀郷流藤原氏諸氏、
武蔵や常陸の嵯峨・仁明系源氏諸氏など、
他の豪族がみな、元は国造やその後裔たる郡司階層などの在地豪族を基層(母系氏族)にして、
そこに国司や押領使などとして赴任してきた主に「源平藤橘」を中心とする中央貴族が婿入りして成立した氏族であると考えられる中で、上記二氏だけがその対象外であると考える方が不自然ですので。

141 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 18:25:07.65 .net
舞踊に荒らされてる方がま〜だマシ
それくらい程度の低い糞スレ(笑)

142 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 19:06:23.37 .net
藤原兼房  妻  源高雅娘
        子  兼仲  左大臣家少輔  静範  円範  宗円
藤原宗円  妻  益子氏娘
        子  宗綱 (頼朝の乳母である寒河尼の父)、他
前九年の役の後に八幡太郎義家が下野国司になると、ほぼ同時に宗円は宇都宮二荒山神社の検校職になった。
さらに常陸国八田(今の茨城県下館市)に所領を得た。
これには八幡太郎義家の後ろ盾や紀勢両党からの支援があったであろうことは間違いない。
世間体もあるし、日もまだ浅い藤原上野国司を殺害した一族からの支援など受けていないのではないだろうか。
遅かれ早かれ毛野氏は宇都宮二荒山神社への出入り禁止になったであろう。頼朝なら、そう決断するに違いない。

143 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 19:14:50.85 .net
舞踊婆

144 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 19:19:35.04 .net
益子氏は確か紀清両党(紀氏)でしたよね。
そうであるなら、毛野氏が出入り禁止含め排除されたとは言い難いような気もするのですが、どうでしょうか?

145 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 19:54:38.50 .net
八幡太郎義家の何代か前の者は、関白藤原道兼の家人だったのである。
藤原上野国司と敵対したのは、痛手であったような気がするのです。

146 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 19:59:58.58 .net
ぶよってまだいるの?

147 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 20:05:29.29 .net
いるよ。名前伏せていつもかきこんでんじゃん

148 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 20:17:19.04 .net
>>147
まだいるんだw
さんきゅ。
どのあたりのスレ?自分最近あまり史板に来ないんで。

149 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 21:54:06.18 .net
毛野は母系社会だから、婿を入れて生ませた子に家を継がせた。
そうすることで、次の代から入り婿の姓を名乗ることができた。
藤原、平、源。母系毛野は、いつの時代にもこの手口で当時の最大勢力に取り入ってきた。
豊城入彦は、崇神天皇の第1皇子であり、母は荒河戸畔の娘・遠津年魚眼眼妙媛だから母系は毛野と同族の紀氏。
その上、豊城入彦は垂仁天皇の異母兄という立場でもあり、イリ王朝から入婿を迎えることで毛野は天下を佐治する立場に立てるはずだった。

ところが、それを快く思わない勢力があった。
そのため、豊城樹入彦、子-八綱田、孫 -彦狭島王と3代に渡って入国を拒まれ、三世孫 -御諸別王が初めて毛野国に入国することになる。

続く

150 :日本@名無史さん:2014/09/16(火) 22:38:26.13 .net
>>149
>毛野は母系社会だから

毛野に限らず古代の氏族社会はみなそう。

151 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 01:07:57.60 .net
>>150
>毛野に限らず古代の氏族社会はみなそう。

ソースプリーズ

152 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 02:11:36.42 .net
>>151
常識だろ?
野口実さんの本読んでも、高橋昌明さんの本読んでも、下向龍彦さんの本読んでもみんな書いてあるわ。
お前なに読んでんの?

153 :日本@名無史さん:2014/09/17(水) 07:03:27.97 .net
>>152
あれだね、>>151は招婿婚って言葉すら知らなさそうだねw
そういう類がこのスレを玩具にして糞スレ化させてんだろな(ノД`)アチャー

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