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坂東武者の祖、毛野氏族について語ろう(その2)

1 :日本@名無史さん:2014/09/02(火) 22:04:58.71 .net
古の昔、関東から東北にかけて毛人(縄文人)の巨大な日本王国があった

この日本王国は大和朝廷が興るより早く衰退期を迎える
この文明が衰退した原因は急激な気候変動によるものと考えられている

日本王国は衰退の過程で複数の部族に分かれたが、その中で大和朝廷と婚姻関係を結ぶことで
有力豪族となった一族がいた、毛野氏(けぬうじ)族である

毛野氏族は、崇神天皇皇子の豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)の子孫を自称している
が、実際の祖は景行天皇の孫である御諸別命(みもろわけのみこと)のようだ

毛野氏の勢力範囲は、両毛を中心として、常陸西部・武蔵北部に及んだ
この一族は武門に優れ、朝廷の命により東北の蝦夷を討伐し経営、朝鮮半島にも出兵している
勇敢な縄文の血を引く毛野氏族は、後に新田氏や足利氏といった坂東武士の誕生に大きな役割を果たすことになる

このスレはいまだ謎の多い毛野氏族を研究することにより、
「坂東武者1人は、よその武者8人に匹敵する」「武士の本場は坂東(関東)」と言われるほどになった
坂東武者の強さの秘密と幻の日本王国の全貌に迫ろうという壮大なスレである
ふるってご参加ください

902 :日本@名無史さん:2018/01/16(火) 13:43:14.79 .net
>>901
正確には「こうずけ」ではなく「こうづけ」な
どうでもいいけど

903 :日本@名無史さん:2018/01/30(火) 14:14:23.84 .net
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

M1BRM

904 :日本@名無史さん:2018/02/17(土) 12:31:25.83 .net
>>875
この下毛野氏後裔説のある宇都宮氏のことか?
236 :日本@名無史さん:2006/05/18(木) 19:26:48
・・・下野国の宇都宮氏は、藤原氏北家の藤原道兼の後裔の藤原宗円を祖とするとされるが、
下毛野氏子孫説ほかがある。
このように、藤原、源の子孫の系譜を持ちながらも、古代氏族の子孫説のある氏は意外と多い。
これは、藤原氏の者が、下毛野氏の娘に子種を孕ませたということだろう。
子供は、母親の家である下毛野氏の方で育てるため、下毛野氏の家の子となる。
しかし、藤原氏の種だから氏の血筋の上では藤原氏の子になる。
下毛野氏としては藤原氏と結びつくことが有利と判断し、その子の父の藤原氏を、
その子を基点にして祖にし、 藤原氏後裔の系譜を・・・・・・・・・・・
【紀伴菅江在】 マイナー氏姓 【マケルナ源平藤橘ニ】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1137830191/236-

905 :日本@名無史さん:2018/02/27(火) 23:42:49.29 .net
紀氏とかかわりが深い

906 :日本@名無史さん:2018/03/20(火) 21:43:43.04 .net
大野東人は日本史上の武人の中で最強だと思う

907 :日本@名無史さん:2018/03/24(土) 17:00:37.27 .net
那須国大野村から出た大熨氏。この方は毛野氏系なのですか。

908 :日本@名無史さん:2018/03/27(火) 20:26:31.24 .net
>>892
毛野氏が関東全域を支配していたのは、間違いないだろうね。
南関東の人は北関東のなまりを小バカにしていたけど、本来は関東全域で北関東の方言が
話されていたと思う。
もしかしたら、北関東の方言が日本の共通語になっていたかも知れない。

909 :日本@名無史さん:2018/07/12(木) 16:10:30.48 .net
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A08

910 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 19:38:29.29 .net
>>897
>高崎前橋の中心エリアに太田が対抗する構図は面白いね
>太田天神山古墳の巨大さ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ふーん、高崎前橋地域と太田地域それぞれにどのような勢力が
盤踞していたと推されるのですか?

911 :日本@名無史さん:2018/12/24(月) 19:27:49.57 .net
「太田地域」とか言ってる時点で勉強不足だな
あそこは治水がやっかいでほとんど水浸しの不毛の土地
大昔からあるわりに遺跡がほとんど残ってないのは、全部洪水で流されてるため。
実際 郡衙跡も存在してない

広大な土地がいまでこそ広がってて「太田地域」と思ってしまうのだが
ちょっと古い地図ですら水浸しの湖になってる
ちょうど京都の巨大湖の巨椋池(つい以前の1933まで巨大な湖が京都南部に広がってた)
と似たような場所。

高低差のない平野部=「昔は湿地帯」が多い
逆に非常に利用しずらい土地と言える(いつ洪水で流されるか分からないので 農業にも住居にも向かない
大河の中の三角州の中で生活するようなもので非常に危険)
もしくは完全な水没地帯だった可能性がある。

つまり昔になるほど「太田地域」など存在してないので、
「太田地域」と「前橋高崎地域の対立」というのもまったく見当違いと言える。
太田天神古墳がちょっと成立がおかしすぎるだけ。
戦前のスバル工場のすぐ東側ですら湿地帯だったらしく
山を削って埋め立てている。非常に地盤がない地域が太田駅周辺。

古代に太田天神古墳は確かにあるが、「太田地区」は存在してない

912 :日本@名無史さん:2019/03/21(木) 14:36:37.24 .net
>>118
>>学者的な定義からは「毛野氏は武士団ではない」
>>が、「武」に関わる氏族であることは確か、武士団ではないが、武○○?
>>しかしこれを明確に定義する言葉が日本の史学ではないわけだな。

>「毛野は独立国」だが、「独立国が日本各地にあった」
>とすると「畿内主観の統一国家大和」の観点から外れるからあえて取り扱わないのかもな。
>(武士団は出自からして臣従関係が公家以下だったが=それに反発したのが武家政権)

>わけのわからない構造の武家政権と違って古代豪族の毛野氏は独立性がかなり認められるので
>「独立国で畿内と同盟関係」だったというのがもっとも正確
>本質的に主従関係が分断されている。
>「そうは言っても家臣が出自ではないか」という反論があるが
>豊城入彦命に限っては「そもそも家臣ではない」ので「畿内の並立関係」にある

>そもそも豊城は「垂仁の兄」なわけで 長兄優位の後世の価値観からすれば
>「畿内は弟の国」だろ。
>かつ軍事力についても豊城系統の方が最初から畿内を上回っている
>=畿内の反乱の鎮圧をまかされている。

>"出自からして家臣ではなく"、"その後も家臣になった覚えはない"。
>毛野国が占領されたこともないし畿内に合戦で負けたこともない。
>しょぼい合戦で緑野屯倉を渡しただけ=国境紛争があった程度
>武士団でもなく家臣でもない。

>これを定義する言葉は「毛野国は独立国である」としか言いようがない。
あああ

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