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邪馬台国沖縄(琉球)説 Part1

1 :日本@名無史さん:2018/07/31(火) 18:05:41.68 .net
年中生野菜を食べられる温暖な気候、
入れ墨やシャマニズムなどの文化習俗、
記録された距離、方向から想定される位置から考えて、
邪馬台国は沖縄に比定するのが妥当である。

邪馬台国の7つの国を統率した女王の墓域は北谷海底遺跡だった。
狗奴国はテイ[魚是]人が居住する先島諸島の21カ国の最果てにある与那国(海底遺跡)だろう。

侏儒国は小笠原諸島、
裸国、黒歯国はサイパン、グアムと推定される。

沖縄の邪馬台国はその後、地球のプレート活動により水没したが、
度重なる自然災害に危機感わ覚え始めていた邪馬台国はそれに先立って、
豊富な鉄器を持って九州・日向(宮崎)に侵攻して新王朝を建設したものと推測される。

197 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 13:28:07.15 .net
>>190
海底洞窟とは?
http://akihisakitamura.la.coocan.jp/cave.htm

>>170
Ancient DNAを用いた先史時代琉球列島へのイノシシ・家畜ブタ導入に関する動物考古学的研究
https://ir.soken.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=3602&item_no=1&attribute_id=19&file_no=10

198 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 15:29:48.13 .net
>>192
琉球列島のサンゴ礁
http://dges.es.tohoku.ac.jp/iryulab/iryulab/Research7.html
サンゴ礁の分布
https://www.env.go.jp/nature/biodic/coralreefs/reference/mokuji/0102j.pdf

琉球弧の地質と岩石:沖縄島を例として

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejam/70/2/70_I_3/_pdf/-char/ja

東シナ海における地質構造発達史−研究レビュー−

https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/07_05_08.pdf
沖縄トラフ及び南西諸島周辺海域の地質・地球物理学的調査結果?
http://www1.kaiho.mlit.go.jp/GIJUTSUKOKUSAI/KENKYU/report/rhr24/rhr24-02.pdf

阿嘉島、慶留間島の地質とジオツアー
https://okimu.jp/userfiles/files/page/museum/issue/bulletin/hakukiyou10/001.pdf

199 :日本@名無史さん:2018/08/19(日) 15:30:05.51 .net
>>140 >>144
琉球弧の考古学
−南西諸島におけるヒト・モノの交流史−
http://ac.jpn.org/kuroshio/hitomono/index.htm

200 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 12:30:50.30 .net
>>194 >>95
別府湾に残る地震で沈没した瓜生島の伝説とは真実なのか
https://www.jiijiblog.com/uryujimadensetsu/
新・地震学セミナーからの学び 12 瓜生島沈没ー日本のアトランティス物語
http://www.ailab7.com/uryuu.html
(瓜生島考)  豊府聞書記載の地名位置
http://www9.plala.or.jp/chietaku/uryuu.htm

伝説の島 5選! 日本の(沈没した島)アトランティス
https://matome.na●ver.jp/odai/2148117523353417301

日本における水中遺跡調査の歩み(4)
http://www.ariua.org/archaeology/in_japan/steps4/

ケコワの沈没都市 / トルコ
https://tavitt.jp/spot/kekova-adasi/
美しい地中海と険しい山々(南トルコ)
https://www.eurasia.co.jp/blog/kenbunroku/archives/1436
大地震で水没した島、ヴォルドニス島の調査
http://www.trt.net.tr/japanese/wen-hua-yun-shu-guan-guang/2016/02/29/da-di-zhen-deshui-mei-sitadao-vuorudonisudao-nodiao-cha-441280

2005年スマトラ島沖地 ニアス島及びバニャク諸島における地震に伴う海岸線変化
http://www.gsi.go.jp/cais/topics-topic041226-nias.html

海に沈む、干上がる――漁港の街の悲しき今
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/17/051800008/070300007/?P=1

太古の歴史!世界の水中に沈んだ偉大で幻想的な都市。
https://matome.na●ver.jp/odai/2141298369572958901
世界の水中に沈んだ偉大な都市:太古の歴史が今尚、生き続ける海底遺跡
http://japontimes.livedoor.biz/archives/34478543.html

201 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 13:37:26.13 .net
話がトンデモに振れると、人がいなくなるんだよな

まあ、しょうがない

202 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 13:41:30.77 .net
URLやコピペみるためにサイト巡回してるわけじゃないので

203 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 16:41:40.86 .net
一応、沖縄にもアトランティスならぬニライカナイの伝承があるからな
西じゃなくて東の彼方か海底てことだけど
もしかしたら東に千余里離れた倭種の国やら侏儒国のことかも知れないが

204 :日本@名無史さん:2018/08/20(月) 23:44:07.57 .net
倭種國=伊豆諸島
侏儒國=小笠原
裸國黒齒國=マリアナ諸島

205 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 06:59:18.23 .net
>>199
>  琉球弧は海底地形の二大境界線である吐喝嘲(トカラ)海峡(悪石島と小宝島間)と慶良間(ケラマ)海裂(沖縄本島と宮古島の間)
> を境にして、大きく「北琉球」「中琉球」「南琉球」の三つの島弧グループに区分される(木崎・大城1980;町田ほか2001)。

> 4 原史・古代
> (3)中琉球グループ
>  一方、沖縄諸島では貝塚時代後期(約2,200〜1,000年前)に相当し、サンゴ礁の海を生活基盤にした「漁携文化」が発達した。
> 遺跡の立地は主に台地に生活していた人々が、標高約5m〜10m前後の海岸砂丘に集落を形成するようになり、
> 遺跡集中地域が確認され、半島状に海に突き出た地形周辺の砂丘上に立地し、大規模な貝塚も多く形成されている。
> これは眼下のサンゴ礁海が漁携生業の中心であった為で、これらの大貝塚からは大量の大型貝、魚骨に加え、陸産のイノシシ骨も
> 多く出土した。それは狩猟・採取活動が活発に行われた証左でもある。
>
>  住居は砂地に掘っ立て柱を立てた四角形の平地式であった。

> (4)南琉球グループ
>  新石器時代後期(約2,200〜1,000年前)に相当する。不思議なことに、今まで使用していた土器を忘れ「無土器文化」になってしまった。
> こうした現象は、オセアニア地域の一部(ポリネシア)にも認められるが、他に例を見ない珍しい現象である。遺跡は海岸砂丘に立地
> することが多く、集落規模が前期に比べて拡大している。前面に広がるサンゴ礁の海から得られる豊富な食糧資源に支えられて、
> 人口の増加があり漁携活動は頂点に達していた。

206 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 07:01:23.06 .net
弥生時代の住居なんてて掘立小屋だろう
遺跡と言ったって穴があるだけだ
畿内九州の本土のだって、考古学者が発掘調査してるのって、
地面掘り返してここに建物跡を発見したとね
現場写真で、地面に柱跡とされる穴が並んでて淵を石灰でマークしてるやつ
コックリさんの硬貨みたいなもんで、脳内イメージで都合よく掘ってるんじゃないかと
沖縄の場合に至っては弥生集落は海岸砂丘に築かれていた
津波にさらわれたら跡形も残らないだろう穴すらも
さらわれるまでもなく年月を経たら消えてて当然だ
仮に邪馬台国が沖縄だったとしても証拠なんて残ってるわけがない
沖縄に残ってないからこそいまだ邪馬台国論は帰趨するところを知らないんだよ
まして戦災による消失があり、戦後は米軍基地の問題がある
普天間の珊瑚礁埋め立てる連中なんだから、
建設中に見つけても無かったことにして破壊したはずだ
日向串間の王の山古墳も江戸時代に農民が開墾破壊して歴史を失ってる
だが普天間返還されたら跡地から何か出るんじゃないか?


木綿原遺跡 もめんばるいせき
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/140087
https://www.odnsym.com/isan/momenbaruiseki.html
沖縄の歴史・文化 沖縄の“縄文・弥生時代” そのT
https://blog.goo.ne.jp/tommz_1938/e/f06db9b0cbc1f53e6aa5329103d4dfa1
沖 縄 諸 島 に お け る農 耕 の 起 源
http://publications.nichibun.ac.jp/region/d/NSH/series/niso/1996-12-27/s001/s018/pdf/article.pdf

207 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 07:24:33.59 .net
辺野古の珊瑚礁埋め立てるような連中なんだから

208 :日本@名無史さん:2018/08/21(火) 17:04:56.59 .net
沖縄本島周辺のサンゴ礁は、辺野古埋め立て云々の前に、
本島の土地開発伴う赤土の海への流入でほぼ壊滅してるんだけどね

人間の幸せ追及の経済開発の前には、珊瑚の保護は軽んじられてきたんだよ

辺野古にはジュゴンはいない
なのに反対運動では、ジュゴンの海を埋めるなとか言い出す

まあ、邪馬台国とは関係ないからこの程度にするけれど、
>>207のような書き込みはたいていは似非

209 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 02:27:38.76 .net
ジュゴンがいないなら連れてくればいい。
畿内説のような国家主義者はアジアの平和を脅かす隣国を脅かす日本を望んでいるのだろうが良識ある市民は平和で隣国に素直に謝罪する日本を望んでいる。

畿内説→大和文化凄い、天皇凄い→俺凄い

畿内説はこのような愚者の信奉する所である。

210 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 11:21:46.24 .net
あーあ、このスレもゴミスレ化したな

211 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 12:39:46.59 .net
>>208
2014/01/28
【琉球新報】防衛局、辺野古埋め立て調査でジュゴン31回確認
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1390886516/
2014/05/22
【基地問題】辺野古沿岸にジュゴン、食跡確認 2年連続
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1400762438/
2014/07/10
【沖縄】ジュゴン食跡、沖縄・辺野古沿岸部で多数発見、近くの島には貴重な鍾乳洞も…「埋め立て事業は中止して環境を保全するべきだ」
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1404947441/
2014/08/17
【沖縄】辺野古沖でジュゴン遊泳 共同通信社ヘリが撮影(画像あり)
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1408282404/
2014/08/20
【沖縄】辺野古沖でジュゴンの遊泳確認、緊迫の普天間移設現場から数キロ…海上警備でジュゴン、辺野古の海草の餌場に近づけず★2
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1408471981/
2014/08/24
【沖縄】絶滅危惧種“ジュゴン” 日本テレビが撮影に成功 辺野古沖 [8/24]
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1408877124/
2017/08/31
【生物】ジュゴン行方不明、専門家は 「工事原因の可能性高い」 沖縄本島北部c2ch.net
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1504175875/
2017/11/17
【沖縄】不明のジュゴンの鳴き音か 辺野古周辺海域で防衛局が8月に採取
https://asahi.2ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1508194807/

2017/09/27
【沖縄】辺野古埋め立て予定地に絶滅危惧種の「オキナワハマサンゴ」などが見つかる [無断転載禁止]c2ch.net [485540869]
https://leia.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1506518430/
2017/10/26
【沖縄】辺野古海域の希少サンゴ 沖縄防衛局が県に移植申請
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1508996314/

212 :日本@名無史さん:2018/08/22(水) 14:05:10.66 .net
>>211
例えば
2017/08/31
【生物】ジュゴン行方不明、専門家は 「工事原因の可能性高い」 沖縄本島北部c2ch.net

「もともといなかった」ジュゴンが「いなくなった」っていうフェイク記事だよ
こんなのを信じてたらバカを見るだけ

213 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 07:28:15.97 .net
>>199
このサイト、コンパクトによくまとめられてるね
読むたびに発見がある
各県ごとに1ページこういうのを作って欲しい

214 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 07:31:08.14 .net
琉球弧の考古学 −南西諸島におけるヒト・モノの交流史−
http://ac.jpn.org/kuroshio/hitomono/index.htm
> 4 原史・古代
>  琉球弧における本土の「弥生時代〜平安時代」(約2,200〜1,000年前)相当期は、中琉球南半の沖縄諸島では「沖縄貝塚時代後期」、
> 南琉球では「新石器時代後期」と呼称される。九州本土の文化は、北琉球や中琉球までは影響を与えたが、南琉球に於いては
> 「琉球王国」が近世期に統一するまで、全く別の文化圏であった。

> (3)中琉球グループ
> こうした集団的・組織的な漁携活動を通して、次第に村を統括する「権力者」(首長)層が出現してきたと考えられている(新田2003)。

> 6.まとめ
> (4)大交易時代の幕開け
> 南琉球(宮古・八重山諸島)との関係:南琉球グループと北琉球グループの島々は、お互いに目視出来ない遠距離にある。
> このことが先史時代〜両地域の文化的関係を疎遠にしていたが、1429年第一尚氏が「琉球王国」を誕生させた後、
> 両地域は初めて一つの政治勢力圏に統合された。

先島の宮古島と沖縄本島の距離は400kmもある
対馬海峡は200kmだ
視認できない区間を航海するのは難事業だ
對海國・一大國が乗船南北市糴と言うが、
宮古島以西(以南)の先島民は古代、沖縄本島には行ってないだろう
イメージとしては琉球諸島は一体的な地域だが、
実際には両者は古代においては完全に別の文化圏になっている
文化圏が違えば国が違うし、集団漁業の影響により権力機構が誕生している。
土地に縛られない漁業採取文化なら抗争も生じやすい
邪馬台国と狗奴国の対立だな

215 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 07:54:54.22 .net
北琉球グループなのか、南九州なんだろうが、種子島って砂鉄が獲れるそうだね
海岸に鉄含有物が浮遊してるようなんだが、
内陸部に産出したものではなく、海底から出たものが漂着したとする説が有力のようだ
3世紀に倭人は弁辰で鉄をとってて通貨の代替としても利用している
魏志倭人伝は邪馬台国で鉄の鏃が使われてることを書いてる
まあむろん、鉄は交易で入手は可能だろうが、
古代製鉄と言えば出雲だが、なぜか種子島の名は挙がらないね
ともかくここに後世における国内統一に決定的な役割を果たした鉄砲が伝来したというのは、
物凄く奇跡的なことだと思う

Essay ★ 17 種子島:共通性と地域性 Letter★ これも種子島・砂鉄
http://geo.sgu.ac.jp/geo_essay/2006/17.html
鉄の歴史を持つ町 
http://www.eonet.ne.jp/~etizenkikou/etizensi2.html
鉄のある町 種子鋏の町「西之表」
http://www.mtlo.co.jp/jp/valueone/metal/nishinoomote/nishinoomote.html
鹿児 島県 ・ 種子 島に お ける 種子 鋏製造の 伝統的技法 に関する調査研究
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180820144447.pdf?id=ART0008565475

閑話休題:種子島までの里程
https://blogs.yahoo.co.jp/rich036kit/15234897.html

216 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 07:56:59.76 .net
>>168-169
「市糴」というのは、米か穀物に限らず、広く「交易」を意味してるという解釈が正しいかもしれない
要は買い物に行くという意味だ

南北市糴(してき) 朝鮮半島と倭を結ぶ「和鉄 (てつ)の道」 8
http://infokkkna.com/ironroad/2011htm/2011iron/11iron08.pdf
> 魏志を読むと「国出鉄、韓、?、倭皆從取之」という記事と一緒に倭人伝 壱岐・対馬の記事の中に「南北市糴」という言
> 葉がでてくる。「糴」を何と読むのか不思議で 読めなかった漢字。「テキ」と読み、「米を買い入れる」ということから
> 「交易」を意味するという。

217 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 12:19:58.62 .net
英雄たちの選択「古代史ミステリー 巨大古墳の国際戦略〜半島危機と倭の五王〜」[字][再]
8/23 (木) 8:00 〜 9:00 (60分)
NHK BSプレミアム(Ch.3)

番組概要
世界遺産推薦が決まった大阪の巨大古墳群。
5世紀中国南朝に使節を送った「倭の五王」たちの時代に作られた。
使節派遣と巨大古墳建造の理由を、東アジアの動乱の中に探る。

番組詳細
巨大古墳からは大量の鉄の武器が見つかっている。
「倭の五王」は鉄で勢力拡大した鉄の王朝だった。
ところが鉄は朝鮮半島南部でしか採れない。...

『英雄たちの選択「古代史ミステリー 巨大古墳の国際戦略〜半島危機と倭の五王〜」世界遺産推薦が決まった大阪の…』
https://tvpalog.blog.f◆c2.com/bl◆og-entry-491.html

218 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 12:35:30.79 .net
>>217は、沖縄説とは関係なくね?

219 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 20:44:42.98 .net
鉄製品の出土数比較する時、
沖縄だけはぶられるてるね
邪馬台国は鏃を使ってるから、
無視できない要素だ
ただ酸性土壌で腐食消滅するのと貴重なのを再利用するのとで出土数との乖離がある可能性はあるけど
沖縄周辺での鉄産出に関心があるんだが、
近場の種子島の鉄は縄文を滅ぼした喜界島の残骸のようだ

沖縄の天女伝説 K 銘苅川沿いの産鉄遺跡
https://mintun.exblog.jp/21658741/
南島史が塗り替わる
12世紀製鉄炉跡の衝撃歴史新発見 鹿児島県喜界島
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO89843640Y5A720C1000000?channel=DF280120166609
狗奴国の考古学「弥生時代の鉄器は熊本がNO.1」
http://wajinden.com/blog/2015/06/17/%e7%8b%97%e5%a5%b4%e5%9b%bd%e3%81%ae%e8%80%83%e5%8f%a4%e5%ad%a6%e3%80%8c%e5%bc%a5%e7%94%9f%e6%99%82%e4%bb%a3%e3%81%ae%e9%89%84%e5%99%a8%e3%81%af%e7%86%8a%e6%9c%ac%e3%81%8cno-1%e3%80%8d/

220 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 20:45:08.94 .net
弥生時代に製鉄はあった/最古の製鉄遺跡分布図2013年版
https://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55850688.html
弥生時代の鉄鏃・銅鏃の地域別出土数
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page019.html
邪馬台国大研究 13.考古学の成果からみると
http://inoues.net/yamahonpen2.html

221 :日本@名無史さん:2018/08/23(木) 20:46:36.08 .net
研究史からみた 弥生時代の鉄器文化 - 国立歴史民俗博物館
https://www.rekihaku.ac.jp/outline/publication/ronbun/ronbun8/pdf/185007.pdf

222 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 07:03:13.65 .net
伊豆に眠る遺構
   ◆ 撮影・西村純/伊豆半島、林原利明・東京海洋大学非常勤講師
週刊新潮(2018/08/30), 頁:5

グラビア
伊豆沖の初島の沖合の水深20mほどの海底に、
徳川幕府ゆかりの17世紀の遺構が眠ってるそうだ
沈没した交易船の積載物らしい
黒潮に乗って伊豆を経由して航行してる中途のことで、
伊豆は中継地点として重要だったようだ
縄文人だって黒潮に乗っている
もっと探せば古代の何かが見つかる可能性も無きにしも非ずだろう

223 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 07:35:01.80 .net
ここは邪馬台国も時代も関係なく適当なリンクを貼るスレですか?

224 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 07:41:24.71 .net
沖縄本島における米軍基地は、島全体の中の2割弱ある
全体の中には山地や丘陵、森林も多く、
可住面積は5割だ
とりわけ米軍基地の占めてるウェートがかなりでかい
しかも普天間を典型に島の主要部に位置している
これでは考古学研究には制約が大きすぎる
森林部分も自然保護を理由として開発されることがないから、
古代村落があったとしてもその痕跡が発見されることはない
開発済み地域は遺跡なんて破壊し消し去られた後だろう
要は沖縄に関しては、考古学的知見をもってして望む結論を得ることはできない
http://www.pref.okinawa.jp/site/chijiko/kichitai/images/h27honntoubeigunnkititizu.gif

225 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 09:38:26.54 .net
邪馬台国にかこつけて、沖縄の「今」を語りたいだけのパヨクスレになっちゃったな

もともとその気だったのか、過疎ったところで乗っ取られたのか

226 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 10:49:16.75 .net
肯定するにも反論するにも大して論点あるわけじゃないからな
「たしかに言われてみればそうだよな〜」という
薄い反応で無視されるのが通常運転

227 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 14:40:37.91 .net
沖縄説が本気出したら他はみんな吹き飛ばされるからな
気が気じゃないだろお前ら
怖くてしょうがないんだろほんとは
決着がついてしまうんだからな
そしたらお前ら脱け殻に屍になる

228 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 17:12:32.68 .net
本気とやらを出してもいいんだよ?

229 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 17:42:29.86 .net
いつ本気を出すの?

関係ない記事のURLをただダラダラ貼ってるだけじゃん?

230 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 18:42:51.87 .net
つか畿内説も九州説もおなじ論点だらだら繰り言みたいに
繰り返してるだけで特段の進展があるわけじゃないんだけどな。

ただ架空においてる仮説はあんがいもろいところあるから
そこ互いにたたき合うなかで琉球説みたいなのも説得力
出てきたんだから、まったくのムダというわけではない。

231 :日本@名無史さん:2018/08/24(金) 19:08:13.34 .net
>>230
>琉球説みたいなのも説得力
>出てきた

どこに?
【沖縄】不明のジュゴンの鳴き音か 辺野古周辺海域で防衛局が8月に採取  とかのこと?

232 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 01:35:41.19 .net
>>199
> 5.大交易時代への幕開け
>  琉球弧の古代後半〜中世期には、中国、朝鮮半島、九州本土との広汎な対外交易活動が頻繁に展開されていた。
> 中国の正史『階書』流求(国)伝636年によると流求国には「王・小王」が存在し、
> また『日本書紀』によると616年、620年、629年、631年に液玖人が倭国へ来航したことが記されている。
> こうした史書の記述から、当時の琉球弧の各島嶼には「豪族」(首長層)が台頭し、
> 対外交渉を行っていたことが理解される(金武2003a,2003b;上原2003)。

233 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 01:36:24.64 .net
日本史に於いては、沖縄の存在は薩摩が編入したところから始まってるイメージだ
ところが奈良時代推古紀(616年)に掖玖人(屋久島人)が来朝してきて多数が帰化しており、
朝廷側からも田部連を遣使(629年/舒明天皇元年)に出してる
この掖玖というのが屋久島に限らず琉球全域を指してる
この史実には猛烈な違和感を持ってしまうのだが、
琉球が大和朝廷に入貢する理由は、
隋が大業3年(607年/推古天皇15年)以降、琉球に侵攻してきたからだ
(実際には、琉球ではなく台湾への侵攻との説もある)
こうした琉球の機敏な行動様式なら、
かつては邪馬台国として魏に貢納したと想像してもおかしくはない
この時、琉球は朝鮮の3国のような外国扱いだ
しかし騎馬民族説はともかくとして、
記紀では外国である百済を自国史にように描いてて、
ほぼ倭国の一部のようなものだし、
親近なのに百済の王子を人質にとってたり、
一方で、百済から王子が帰化してるケースもある
記紀の記述には往々にしてその意味に表と裏がありがちで、
何気ない一文に深い意味が隠されてることもまた多い。
琉球との関係には単なる朝貢以上の意味があるのではないか

234 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 01:36:37.18 .net
琉球・沖縄史年表
http://www.ne.jp/asahi/okinawa/hiro/okinawa_history.htm
沖縄琉球年表 琉球・沖縄の歴史
http://www7b.biglobe.ne.jp/~whoyou/nenpyo.htm
69.琉球王国
http://komatsu0513.heteml.jp/ryukyu.html

日本書紀 巻第廿三
http://hjueda.on.coocan.jp/koten/shoki44.htm
舒明天皇(十七)掖玖人の帰化・百済王義慈の王子の豊章を人質に
https://nihonsinwa.com/page/1974.html
九州王朝の滅亡と『日本書紀』の成立 ─朝鮮半島記事の取扱いについて─
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nakamura/nakamur3.html
しまぬゆ1
https://books.google.co.jp/books?id=dN59YX00GvgC&pg=PA20&lpg=PA20
地域と出版: 南方新社の十年を巡って
https://books.google.co.jp/books?id=HhjZkyPla4cC&pg=PA214
屋久島、もっと知りたい人と暮らし編
https://books.google.co.jp/books?id=doT-_Z3Tg8cC&pg=PA93&lpg=PA93
飛耳長目 隋書および元史の「琉球」は台湾、明から「琉球」は沖縄 
https://blogs.yahoo.co.jp/nakamushyh/35404619.html
倭国と日本古代史の謎
https://books.google.co.jp/books?id=UqxqCwAAQBAJ&pg=PA72
「新しい歴史教科書」ーその嘘の構造と歴史的位置ー
〜この教科書から何を学ぶか?〜
「第1章:原始と古代の日本」批判I
http://www4.plala.or.jp/kawa-k/kyoukasyo/1-10.htm

235 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 01:39:21.23 .net
この大業3年(607年)というのは、
本来は百済とともに南朝派である倭国が、
あえて遣隋使を送りだした年だ。小野妹子の派遣である
隋が琉球の王宮を陥落させ多人数を拉致連行した609年に、妹子が帰国している
先進文明の取得が目的とされるが、
対中外交はもっぱら半島情勢をにらんだ理由を持っているとしても、
時期的な関係から、遣隋使の目的には琉球問題があったのではなかろうか?
しかし琉球は当時、倭国の一部ではないのだから、それは遣隋使を出す理由にはなり得ない。
そこに倭国と琉球との解明されざる関係性があるように思える

ところでこの小野妹子というのは、実は蘇我馬子と同一人物ではないかという推論がある
小野妹子は隋で蘇因高と呼ばれたが、蘇我馬子の「蘇」に、いずれも男子名なのに「子」とつく。
妹子の子供は毛人だが、馬子の子の蝦夷と同義語になってる。

ここで隋書倭国伝に「大業三年 其王多利思北孤遣使朝貢」、
「?王姓阿毎字多利思北孤 號阿輩?彌」、「王妻號?彌 後宮有女六七百人 名太子爲利歌彌多弗利」と、
倭国王は妻子のある男王で阿毎多利思北孤(多利思比孤)だとされている
アメタリシヒコというのは小野妹子の氏祖である天足彦国押人命に通じるが、
むろん当時は女帝推古の時代だ
そうすると当時倭国の本当の王は推古ではなかったことになる

236 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 01:50:47.77 .net
丁未の乱(587年)で物部氏を滅ぼして一極体制を確立した馬子は、
592年には”イノシシ”への夢想を理由に崇峻天皇に対して古代唯一の弑逆を実効している

遂には自邸宅を王宮と称したり、国書を編纂し出したりするなど、
専横が極まるようになった馬子は、公然と国王のごとく振る舞い出したのである
この背景に、妹子として渡隋した際、自らを国王と称し、
認知を得て下賜された品、例えば玉壁や黄幢のような物、
あるいは百済に掠取され紛失したものと後世に伝えられた、受領したはずの返書の内容、
それをして印籠のごとく掲げ、倭国の王権を簒奪してしまったのではないだろうか?
隋による琉球への侵攻時にそれがなされているわけである

237 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 01:51:52.00 .net
一部仮説で唱えられている通り、、聖徳太子は架空の人物であり、
蘇我馬子(あるいは入鹿)と同一人物である。
史書に記された倭の五王は、その実態があくまで地方豪族でしかない
よって蘇我馬子が中国に承認された初の統一倭国王だったと言える
それは神代を引き継いだ初代天皇、すなわち神武天皇その人を指している
神武とは、馬子によって王朝が創始されるに至るまでの蘇我氏の来歴を一代記にしたものである
おそらくは蘇我氏が編纂した大王記(天皇記)を範にしたものだろう
以降の欠史八代は物部朝が列挙されたものであるり、
崇神以下、継体より前までの数代は、南朝の宋書倭国伝に記された倭の五王までの地方豪族である。
蘇我王朝を打倒(乙己の変/645年)した天智天武朝以降、
易姓革命を正当化するために創作されたのが大化の改新だ。
蘇我馬子は激しく貶められる一方で、その無視できない巨大な業績は聖徳太子のものと分離され、
名目の天皇には推古という初の女帝があつらえられることとなったのである。


聖徳太子と小野妹子と蘇我氏 No016
https://blog.goo.ne.jp/yoshi_iltuki/e/3b603887fa42e2c93b0c45e5f14c7652
『蘇因高は蘇馬子の音訳?』
http://ggb03124.o.oo7.jp/tondemo/soinko.htm
寄り道・『隋書倭国伝』の阿蘇山についてA
https://blog.goo.ne.jp/go-hot-ai2395/e/fb6adf7e933b63efc97d2af1c3b8a532

238 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 01:52:25.03 .net
この場合の女帝の設定に、
魏志倭人伝の邪馬台国像が念頭には置かれていないだろうか?
女王卑弥呼を弟が補佐する二元政治が行われ、
卑弥呼没後に男王を立てるも大規模騒擾が生じ、
やむなく少女の壱与(台与)に引き継がせた
この時、卑弥呼が魏に使いに出した難升米は漢族だったという指摘もある
おそらく衛氏朝鮮(BC195〜BC100)遺民の、高位の燕(〜BC222)系中国人子孫だろう。
彼は卑弥呼が個人で任用した一代限りの客卿だった、
ゆえに卑弥呼没後の壱与の治世には姿を消している。
しかし難升米が有能なら、人材に限りのあろう邪馬台国では、
後代においても任官されるべき存在ではないか?
難升米は国王でもないのに詔書・黄幢(魏朝の軍旗)を拝領して直接告諭を受けている。
これは難升米が魏の軍隊を動かせるようになったことを意味する。
これにより邪馬台国の王権の簒奪を企てたのが卑弥呼没後の男王たる難升米だったはずだ
ことによれば卑弥呼は難升米に謀殺されたのかも知れない
だが民衆の離反に遭って放逐されてしまったのだ
つまり難升米と蘇我馬子は同じことをやったのである
それはすなわち馬子が難升米の手口を知っていたということに他ならない
であるなら蝦夷(毛人)や入鹿とともに後世に付与された蔑称とおぼしき
馬子の“馬”の字には、特別の意味が込められていると言えよう

239 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 01:55:04.29 .net
武内宿禰を祖とする蘇我氏は、始祖の蘇我満智が実は百済の高官・木満致と同一人物だとする考えもある
だがそれは蘇我氏を百済系渡来人に位置付けるのが目的であり、真の始祖は蘇我稲目のはずだ。
むしろ木満致に紐づけられるべき者を暗黙裡に蘇我氏に結び付けたとも考えられる。
そのような作為は、蘇我氏が、魏志倭人伝に倭国盟主と記録された邪馬台国の直系子孫となれば、
その統治と強権に正当性が生じてしまうことを嫌ってなされたものである。
馬子の墓と比定される石舞台古墳が、弥生時代に絶えて久しい支石墓(ドルメン)であることも興味深い
従来、それを南洋巨石文明の観点から語ることは少なかったのではないか?
さて難升米とは違って、卑弥呼から壱与の二代に仕えたのが掖邪拘(掖邪狗) であり、
彼が難升米の存在に取って代わっている。
この掖邪狗という名前の意味についてはいろいろ分析されてはいるが、
個人的にはそれが掖玖(屋久島/=琉球全般)に関係しているように思えてならない。

240 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 01:55:22.97 .net
難升米は漢族
http://www.lun.ac/history/wa-3c/nanshoumei.php
伊声耆掖邪狗の正体
https://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/50627250.html
5.「伊聲耆掖邪狗」とは
http://p.booklog.jp/book/112878/page/3064460

沖縄出土滑石混入系土器からみた東シナ海の対外交流
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/1468021/pa063.pdf#page=21
西都原考古博物館で「玉と王権」講演会を聴く
http://kamodoku.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-cf2e.html
邪馬台国は北緯32度付近の宮崎にあった
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1331559630/540-545

241 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 01:56:26.63 .net
〜蘇我氏の直系、韓子と百済は入鹿を逆賊に仕立てるための仇名?〜
https://blogs.yahoo.co.jp/mushipro75/63778641.html
◆蘇我氏の出自
https://blog.goo.ne.jp/himiko239ru/e/0c95423d90c49cce4db0873c3f93a6f6
「入鹿と鎌足」謎と真説
https://books.google.co.jp/books?id=kTxWBAAAQBAJ&pg=PT53

朝鮮半島における支石墓ってどういった影響を持っていたんですか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1175235451
朝鮮半島の倭と日本列島の倭
https://blog.goo.ne.jp/dogs_ear/e/99966d9deb33daa2ab8224cfef65b589

242 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 01:58:51.54 .net
中国統一(589年)以降の隋の対外拡張姿勢による、
琉球、もしくは台湾への示威行為は、おそらく史書に記される以前からその兆候を見せていたはずであり、
琉球人の来朝もまた、史実(612年)より前から発生していたに違いない。
570年以降に倭国との接近を模索した高句麗と蘇我氏との密接な関係は、
歴史的な北朝との結びつきに基づき、中国情勢への対応という共通の利害から生じたものと考えられる。
そのことと、北東アジアでは旧高句麗地域の北朝鮮と宮崎串間にのみ、
玉壁が発掘されていることとは関係しているのかもしれない。
かくして、琉球危機への対応が遣隋使の派遣と蘇我氏の国王即位をもたらし、
百済危機に対応して乙己の変が発生し、白村江敗北後の壬申の乱(672年)は、
倭国それ自身の危機と高句麗危機とに対応した引き起こされたのである。

243 :日本@名無史さん:2018/08/25(土) 02:04:13.81 .net
>>233-242
(>233,235-237,238-239,242)

244 :日本@名無史さん:2018/08/26(日) 11:34:22.68 .net
URL貼り付けの人しか来なくなったね

245 :日本@名無史さん:2018/08/26(日) 14:27:48.88 .net
抜け殻に屍ばかりが転がってるw

246 :日本@名無史さん:2018/08/27(月) 06:12:07.93 .net
沖縄の語源がはっきりしてないね
琉球もまたそうで、元は台湾のことを指してたとも言う
沖縄は沖合いの<な=魚>の場、漁場の意味だとする説もある
日本海側の有力氏族に息長氏があって、
天皇家に后を送り出す外戚氏族としての特質があって、
応神や日本武尊など、ビッグなとこにことごとく絡んでる
てことは脚色用の仮想氏族の線も否定はできないんだが、
天武制定の八色の姓では最上位の真人姓に位置づけられてるのだし、
そこに結び付けることの政治的な要請があると言うことでもある
系図の不明な謎の氏族で、
地盤は近江とされるが吉備播磨にも関してて、
製鉄方面の氏族と考えられてる
近江というからに、継体の出自である
そして卑弥呼に似せて潤色された神功もまた息長氏なのである
とんでも色はあるが、
この息長と沖縄とは語源が同じという説がある
今、蘇我氏=沖縄=神武の仮説に立つと、
物部氏の祖先とされてるニギハヤヒと神武との最終決戦で、
互いを天神と認め合ったことの意味が説明可能にはなる

247 :日本@名無史さん:2018/08/27(月) 19:20:14.13 .net
一応、見に来てはいるけれど、意味のある書き込みがないな

248 :日本@名無史さん:2018/08/28(火) 09:46:15.55 .net
琉球はサンゴや宝玉のこと。この名前自体は明から授けられたものだと
はっきりしてる。ごちゃごちゃ語源など引っくり返す必要はない。中国側からの
名称だ。沖縄は沖縄土着あるいは日本系統からの古称。「ナハ」については
解釈は分かれるが「オキ」についてはおきあい(沖合)の意味だろうとういう
のが通説。

249 :日本@名無史さん:2018/08/28(火) 13:07:41.13 .net
息長という地名が滋賀県にあるけれど、
息長姓の人は全国に10世帯前後のみとみられ、
和歌山と滋賀県に分布してるようだ

先日急逝した沖縄知事が翁長おなが氏。
それと古代の息長氏(いきなが、おきなが、きなが、しなが)とが同じ語源かどうかは不明だ。
翁長は沖縄固有の苗字らしく、琉球読みはウナガ
他にもおぎなが、おおなが、おきなおさ、など10数種類の読み方があるそうである。
村名末に翁長と付く地名がいくつかみられ、それがルーツと考えられる。

なお、奄美大島には蘇刈という地名がある

250 :日本@名無史さん:2018/08/28(火) 13:11:16.82 .net
翁長姓は本土人からは珍しく感じるが沖縄ではメジャー苗字で、
沖縄で数千人が名乗ってるようである

251 :日本@名無史さん:2018/08/28(火) 13:15:52.85 .net
沖縄方言は本土語との音韻対応で
オ段がウ段エ段がイ段になる3母音語だとの指摘がある。

つまりオキナワは沖縄現地ではウチナーなのである。(沖縄方言にキ音はなく全てチに音韻対応している)
本土人を指してヤマトンチュ
沖縄自身はウチナンチュということからもこの語が現代にも生きていることがわかる。

252 :日本@名無史さん:2018/08/28(火) 17:46:27.15 .net
ニギハヤヒに仕えて神武に討ち取られたナガスネヒコも、
沖縄に多い仲宗根という姓に似てるね
沖縄北東部の今帰仁<なきじんそん>という、
観光で有名な古宇利大橋がある村(旧・間切時代)の地名から来てるようだ

253 :日本@名無史さん:2018/08/28(火) 17:48:40.32 .net
旧間切り時代というか、旧間切りから今の市町村区分までずっと続いてる村名のようだ今帰仁村つうのは

254 :日本@名無史さん:2018/08/28(火) 17:50:44.17 .net
そのルーツはともかくとして、長髄彦ナガスネヒコというのは縄文系なのだと思う

255 :日本@名無史さん:2018/08/28(火) 20:06:14.29 .net
>>254 それ沖縄とは無関係では

256 :>113:2018/08/29(水) 01:31:46.88 .net
沖縄県 伊平屋島 クマヤ洞窟(天の岩戸)
http://www.nakamurajunko.com/cn15/pg167.html
伊平屋島 クマヤ洞窟
http://www.okinawainfo.net/iheya/kumaya.htm
伊平屋島
http://www.vill.iheya.okinawa.jp/detail.jsp?id=12532&menuid=4237&funcid=1

クマヤ洞窟
https://project311.jp/1566.html
https://project311.jp/wp-content/uploads/2016/06/kumayadokutu.jpg
https://www.okinawastory.jp/spot/30000074
https://www.okinawastory.jp/cache_image/user/3121789/zzzzz_zzzzz_744_496_keep_7a347f47e402169b699d25fcd1ce6ccc3bfa9f12.jpg
https://www.okinawastory.jp/cache_image/user/3121789/zzzzz_zzzzz_744_496_keep_fcac141c4e385d0c602e7d37ab6738962e898e2a.jpg

沖縄の天の岩戸伝説、クマヤ洞窟の風景 - 沖縄県伊平屋村
https://www.youtube.com/watch?v=y_czSOgqk2c
https://www.youtube.com/watch?v=zAyueuOfiz8
https://www.youtube.com/watch?v=srQua8ICf-k
クマヤ洞窟(伊平屋)
https://www.youtube.com/watch?v=5JxrvuE6L_I
https://www.youtube.com/watch?v=7qgzyur45as
https://www.youtube.com/watch?v=5Tf1Sb-60dk
https://www.youtube.com/watch?v=zHUeFx_FRUE

257 :日本@名無史さん:2018/08/29(水) 01:32:12.92 .net
伊平屋島 クマヤー洞窟 天の岩戸開き
https://www.youtube.com/watch?v=kitvVVCj1cU
2010年3月21日 沖縄〜春分の日のお祈り(天岩戸にて1)
https://www.youtube.com/watch?v=lDicOIogj3c

伊平屋島1話 神武天皇がお生まれになった場所
https://www.youtube.com/watch?v=AVP6OeV8POI

沖縄県の伊平屋村へようこそ
https://www.youtube.com/watch?v=4Bh-vbLNONE

258 :日本@名無史さん:2018/08/29(水) 01:32:33.10 .net
天岩戸神社 “岩戸神話”の聖地を巡る|たびらい宮崎
http://www.tabirai.net/sightseeing/tatsujin/0000540.aspx
http://www.tabirai.net/sightseeing/tatsujin/img/0000540/tat_col_3.jpg?uid=20180827130946
仰慕ケ窟(ぎょうぼがいわや)

天岩戸神社、天照大神から光の祝福!!
https://www.youtube.com/watch?v=nmxGmTRMXD8
高千穂の天の岩戸は偽物では?
https://www.youtube.com/watch?v=hdeeE9uwq8U

259 :日本@名無史さん:2018/08/29(水) 01:41:39.31 .net
http://www.tabirai.net/sightseeing/tatsujin/img/0000540/tat_col_3.jpg
仰慕ケ窟(ぎょうぼがいわや)

高千穂へ 紅葉と雲海と夜神楽を求めて一泊旅行
https://www.jalan.net/travel-journal/000074368/
https://www.jalan.net/jalan/images/ryotei/0/007436/XL/000074368241018000000A001.jpg

ぎょうぼがいわやの写真素材
https://pixta.jp/tags/%E3%81%8E%E3%82%87%E3%81%86%E3%81%BC%E3%81%8C%E3%81%84%E3%82%8F%E3%82%84

天岩戸神社・天の安川原・「仰慕窟」(ぎょうぼがいわや)
http://www.geocities.jp/jh5ozi/index/onsen/amanoiwato/amanoiwato.htm

260 :日本@名無史さん:2018/08/29(水) 04:00:49.08 .net
江戸時代に藤貞幹と上田秋成が本居宣長と論争してる
貞幹は神武年代を否定し、神武が太伯の末裔で、恵平也(伊平屋)の生まれ、
天の岩戸はクマヤ洞窟としてる

このうち、神武の在位繰り下げは当然だし、
太伯の末裔というのは、弥生倭人が百越ルーツとする観点からは間違いとも言えない。
天の岩戸も、宮崎の仰慕ケ窟よりは確かに伊平屋のクマヤ洞窟だ

神武の母・玉依姫は、海宮(あまみ)の玉依彦の娘で、
この海宮が伊平屋だとするが、そこは奄美と言うならわかるが

261 :日本@名無史さん:2018/08/29(水) 04:08:48.98 .net
伊平屋島は伊平屋伊是名諸島に属している
仲宗根の地名の今帰仁村のある、沖縄北東の東シナ海に突き出た本部半島の沖合だ
そして本部半島と伊平屋島の間にあるのが伊是名島

これが伊邪那岐・伊邪那美と同音じゃないか
論争が江戸時代からとすれば、
神話にかこつけて後から命名した可能性も否定はできないが

伊平屋伊是名諸島というのは伊平屋と伊是名を含む7つの島からなってて「伊平屋の七離れ」と言われてるそうだが、
伊邪那岐・伊邪那美は神世七代の中に入ってる


伊是名村 - 伊是名島
http://vill.izena.okinawa.jp/izena/intro
http://vill.izena.okinawa.jp/izena/wp-content/themes/izena/images/map_izena.jpg

伊平屋村データ > 歴史  由緒ある島・伊平屋
http://www.vill.iheya.okinawa.jp/detail.jsp?id=12547&menuid=4251&funcid=1

質問(Question)
神武天皇の母(母方の親戚)が沖縄の人だったということについて書いてある資料を見たい。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000104319

262 :日本@名無史さん:2018/08/29(水) 04:19:19.22 .net
訂正
> 沖縄北西の〜本部半島の沖合・・

263 :日本@名無史さん:2018/08/29(水) 18:23:25.63 .net
このスレ、500まで届くかな?

264 :日本@名無史さん:2018/08/30(木) 13:53:33.80 .net
那覇というのはもともと島だったそうだ
海を埋め立てて本島とドッキングさせたんだってよ
嘘みたいなほんとの話だ
東京も大阪も元は湿地だったのを埋め立てたんだから似たようなもんだろうけど

265 :日本@名無史さん:2018/08/30(木) 13:57:09.53 .net
へーそれは初耳だな

266 :日本@名無史さん:2018/08/30(木) 13:59:44.74 .net
wikipediaに普通にのってたわ。こういうのは意識して読まないと
スルーしちゃうな。

267 :日本@名無史さん:2018/08/31(金) 18:35:25.28 .net
>>264
>那覇というのはもともと島だったそうだ

何をもって「那覇」とするのかってのもあるけれどね
ウィキペディアを読むと「那覇は国場川河口の港」で、
その河口にいくつも島があったということみたい

港町が那覇で、島まで含めて埋め立てって港湾整備したということなら、
那覇が島だったというのも少し違う気がする

まあ、ウィキペディアの記事以上のことは知らないから、
うるさいことを言うつもりはないけれど

268 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 07:41:52.01 .net
藤貞幹はスサノオノミコトを新羅国王だと言って激しく非難された。
確かにスサノオは新羅に逗留後に日本に来てるからそう受け取るのは自然ではある
むしろ貞幹の思考の柔軟性は当時として驚くべきほどだが、
新羅から倭国に向かう動きが、渡来人固有だという認識は、
根本から錯覚であるケースも多いだろうとは思う

新羅(もしくは意富加羅)からアメノヒボコ[天日槍/天之日矛](都怒我阿羅斯等)が
日本にやってきたことを記紀が紹介してる
播磨から淡路、近江、若狭を経て但馬に定着しているが、いずれも神武の東遷ルートに関係しており、、
定住地に選んだ但馬はおそらく鉄の運搬中継地に適すると考えたと思われる

都怒我阿羅斯等は「角がある人」の意味に解されてるが、
元は新羅の官職名の「角干(カッカン)」と名前(アリシト=敬称)を足したものを
和語読みしたものと考えれば、それは百官名であって、言わばニックネームだ
蘇那曷叱智というのも同名別音である
いずれも同一のエピソードを指してると見られてる。
新羅系と思われて、しかし天日槍は歴然と和名である

269 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 07:42:23.36 .net
日本の古代史理解では、倭国と百済王家との密接な関係を重点に置いて考えるから、
新羅との関係も同様の方向性で認識してしまいがちだ
しかし新羅の建国史を読むと、倭人がそこに深く関与してることが分かる
日本側の新撰姓氏録においては、神武天皇の姉・稲飯命が新羅王朝の祖であるとされている。

朴氏初代の朴赫居世に仕えた倭人・瓠公(最高官位・大輔)は朴赫居世と同一人物と考えられてるし(朴=瓠[ひさご/瓢箪])、
朴赫居世は国号を徐羅伐(ソラボル)と定めたが、ヨナバルと読んだら沖縄の与那原がちらついてしまう。

昔氏始祖の脱解尼師今は倭国の東北一千里の多婆那国出身の倭人だ
金氏始祖の金閼智(あっち)は神話上の人物だろうが、瓠公が拾ってきてる。
「閼智」は知恵者(小さい子の意味とも)で、アリシトと同じ敬称的意味。

瓢箪は干ぴょうの原料で、食用のユウガオが今日の日本では栃木県が生産の中心だが
沖縄でもよく食されてる野菜で、生でも炒めても食べるそうだ

瓠公は腰に瓢箪をぶら下げてたからそう呼ばれたが、
瓢箪を浮きにしていかだにくくりつけてたのかとも思ったが、
真水を入れる携行容器に瓢箪が最適だと言うことだろう
ポリネシアの東部では長い航海に活用してて、特にハワイでは文化上の重要素材としても利用されてきた
南洋文化としての瓢箪が縄文文化圏に伝わってきたからか、
日本海側の福井や琵琶湖の縄文遺構から瓢箪の種が発掘されている

270 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 07:42:51.85 .net
三国史記の言う、倭国東北一千里(400km)の多婆那がどこを指してるのかも重要なテーマだ
但馬、丹波、玉名(肥後)などが候補になってるが、
倭国の起点をどこに置くかが問題で、
大和に置くなら東北地方になってしまうし、福岡に置いたら能登半島に飛んでしまう
海流を読んで、海に流した時に加羅から慶州に辿り着くことも条件に挙げなければならない
まさに邪馬台国の所在論争さながらの難しさで今なお決着がついてない
仮に起点を沖縄に置いたてみたらどうだろう?
種子島(多禰)が候補に入るし、射程を延ばせば日向、無理すれば玉名も入る
しかし倭国を沖縄邪馬台国と考えるなら魏志倭人伝の知見の流用なのだから、
距離は短里にすべきで、すると奄美になるが、奄美のどこを探してもタバナという地名がない
しかし三国遺事では龍城国(ワナ国)とされてる。奄美には龍郷町という地があるのである(大和村もあるが)。
また、三国史記には母の国が女(ヨ)国だと記されている。まさに卑弥呼の国ではないか。
奄美から船で流せば黒潮に乗って対馬に流れ、対馬から東鮮暖流により、加羅、慶州へと流れてくれるのである
近代に入ってからでも丸木船に乗った沖縄の漁民が黒潮で対馬まで漁に来てたという証言があるから
それはごく自然な現象だと言える
奄美から玉名を経て慶州に漂着したか、
奄美から慶州を経て但馬へと向かう定型的な航路を通っただったということではないか?

271 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 07:43:11.64 .net
中国の山海経に「蓋国は鉅燕(きょえん)の南、倭の北に在り。倭は燕に属す」とある。
BC300年頃で、この倭というのはおそらく縄文倭を意味してると思われるが、
縄文交易ルートは、沖縄から朝鮮半島を経て糸魚川へと続く広範囲の経済文化圏を形成していて、
古代から、瓢箪に飲料水を詰めて、縄文人が日本海ルートで航行していていた歴史が、
その後の裏日本の交易ルートにずっと生きていたということだと考えられるわけなのだ
その時、沖縄から裏日本への最短航路は、一旦朝鮮半島を経由し、その東海岸から海流に乗って
出雲や越への漂着するというルートだったように思われるのだ
そのルートで、遼寧文明が山陰や近江にもたらされたと考えられる

弁辰の鉄は倭国の死活的戦略物資だったが、それをサウジアラビアの石油に例えるなら、
糸魚川の翡翠や沖縄の貝(夜行貝・子安貝)は工芸品はもとより、殷では通貨として利用されており、
南アフリカのダイヤモンドや金に相当する価値を持っていたと言える。
そのたえ中国北朝、高句麗、新羅、沖縄の提携網において、沖縄の占めた地位は大きかったはずで
その文脈において考えてみて初めて、新羅の建国主体に倭人がいることの意味が理解されてくるはずだ
辰韓地域は元、秦や燕の遺民からなる寄せ集めゆえに、外部権力に依存して統一を図ることになったのだろう

その後に百越が朝鮮南西部や九州・瀬戸内に弥生文化を確立し中国南朝と結びついてゆく中、
日本海文化圏はそれと併存しながら一貫して先進文化地域だったと考えられる

272 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 07:46:24.62 .net
こうして一口に言って新羅王家や高官と言えど、その実態は倭人であることが十分考え得るわけで、
スサノオが高天原を追われ、新羅を経由して出雲に定着したこともまた天之日矛と同じ足跡にあたるわけである。
天之日矛/都怒我阿羅斯等(蘇那曷叱智)の話に戻ると、
日本海側の有力氏族に、皇室との外戚関係に特質のある息長オキナガ氏という氏族があるが、
それが沖縄・翁長と同一語源でないかという推測が可能である一方で、
これをソナガと読んだらどうだろうか?
蘇那曷叱智の音に通じてくるし、ソ(ナ)ガ=蘇我でもある
蘇我氏=小野妹子とすれば、その始祖は天足彦国押人命で、当時の倭国王は阿毎多利思北孤
蘇我氏もまた、息長と同様、皇室に嫁がせて姻戚関係を構築することに努めた氏族である。
ここから、蘇我=都怒我(蘇那曷)=息長、天=阿毎となる。
蘇我氏(のちの石川氏)や息長は後世に創作された氏であって、
当時は存在しなかったはずだ。
彼らの真の姓は「天(アマ)」である。
ではその「天」姓は何に由来して生まれたのかでだ。
天武の時代には既に「海見」「阿麻弥」としてその名が残されている「奄美」ではなかろうか?
奄美開闢神話の女神・阿摩弥姑(アマミコ)に由来するとも言われるが、
これが琉球のアマミキヨ(アマミク)と同一だとされている
語源はオーストロネシア語のアマン(やどかり)だという説もある。

273 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 08:21:54.93 .net
>>272
>ここから、蘇我=都怒我(蘇那曷)=息長、天=阿毎となる。
>蘇我氏(のちの石川氏)や息長は後世に創作された氏であって、
>当時は存在しなかったはずだ。
>彼らの真の姓は「天(アマ)」である。

ほうほうと思って読んでいたが、この辺りでトンデモだと確認した。
あれこれを後世の創作と呼ぶのは、大抵が何かを誤魔化している。
そして、姓がアマというのは、天皇家そのもののことだ。

274 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 08:26:10.45 .net
>>273
天皇に姓はないことになってるわけだが
それに蘇我氏は簒奪によって天皇になっている
なった事実を後世に消されただけだ

275 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 08:29:45.79 .net
もちろん、本当はあるんだが、出してないだけだという考えもあり得る
だが、出さないでいるのだとするのなら、それは出せないからだ
出すと不都合があるからずっと隠してたということになる
そういう姓として考え得る姓があることは確かだが、
少なくとも天皇の姓がアマならそれを隠す理由などどこにもない

276 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 08:47:09.89 .net
沖縄=高天原が前提になってくる
その上で蘇我氏が天(アマ)氏であり、神武が蘇我氏であるのなら、
まさしくそれが天孫天神建国神話の原点になる
仮説と呼ぶべきか妄想にすぎないかは別として

もっとも、さすがに琉球の中山世鑑(17世紀作)を持ち出して天孫氏王統は記紀の天孫族なりなどとは、
荒唐無稽すぎて誰も言い出したりはしないけど

277 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 09:19:03.93 .net
完全版 天皇家の謎
https://books.google.co.jp/books?id=LLhVBAAAQBAJ&pg=PT47&lpg=PT47#v=onepage&q&f=false
 つまり、天皇家は日本にひとつしかない特別な「家」だから、「姓」や「氏」などで他者と判別する必要はない、というのである。
 では、昔から一度も姓をもったことはなかったのだろうか?
 たとえば、中国は歴史書『宋書』には、「秋七月甲辰、安東将軍倭国王倭濟、安東大将軍に進号す」との記述がある。
ここには「倭国王である倭濟」――つまり、「倭」という姓を名乗っているのだ。
さらにいえば、推古以前の「天皇の」名前、「大王」がもともとの姓だったのではないか、という指摘もあるようだ。
 確かに、最初から天皇家だけが唯一無二だったという説明は受け入れがたい。
天皇家の姓は、勝ち抜き、国家の支配者となる過程で失われた――そう考えるべきなのだろう。

278 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 09:25:44.56 .net
高句麗の王姓「高」、新羅の「金」、百済の「余」
これらはいずれも国名や民族名を仮の姓に利用しただけで、本来的な姓ではない
日本の天皇家がこれにならうなら、
天皇家の仮の姓は「倭」もしくは「日」ということになる
「倭」は蔑称で、日本に改名したのは7世紀だからね
すると「日」だなんて、今さらもういいやということになったのでは?

279 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 09:25:56.04 .net
>>274
天皇家に姓がなくなるのは後世のこと。
隋書にはおう姓はアマとあるし、記紀でも多くの王族が「天の〜」とある。

280 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 09:28:03.40 .net
古来は、王姓とその国邑の名はそもそも一致するものだった。
それだけのこと。

281 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 09:28:35.47 .net
>>279
後世に、などというのは大抵が何かを誤魔化している。
なお、隋書では推古天皇時の男王で破綻してるから

282 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 09:31:19.88 .net
古代において、大王、大連、大臣らの間にどれだけの格差があったかは定かではない。
乙巳の変の前に蘇我蝦夷が国記を編纂していたのは、蘇我家が王家として機能していたことを意味する。
物部氏もアマテラスの直系の、大和においては神武より古い王統であり、倭王として列せられるべきだろう。
天皇家が最高位というのは、8世紀以降の創作かもしれない。

283 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 09:31:52.03 .net
>>281
破綻しているのは、記紀の方。

284 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 09:36:56.83 .net
>>279
古代だと後から付けてるケースが多いのでは
つまり、天孫天神という概念が導入されたから、
それに準ずる方式で命名してゆくと

285 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 10:52:05.27 .net
そうでもないだろう。
天孫は天孫なんだろう。
ただ、当時は絶対的優位かどうかわからないということ。
記紀は創作による足し算ではなく、都合の悪いことを書かないという引き算で歴史を歪曲しているように思える。

286 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 11:05:12.92 .net
【福島が羨む、地元愛】 辺野古で立ち上がった県民  <安室奈美恵>  国民的人気ナンバーワン歌姫
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1535767009/l50


薩長に屈した会津と琉球、200年たって大差がでた。

287 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 12:01:39.58 .net
天之日矛は貢物を納めて、定住する先を探したいと各地を見分して、
近江を回って但馬に落ち着いた
その名からして自明だが、明らかに戦闘士の名前そのものだ
彼は、瀬戸内から河内、大和へと侵攻する計画の神武を、
武器の供給と補給の体制を構築する後方支援部隊の指導者であり、
諜報工作員である。
使者の懐に小刀を忍ばせていたことが露見して、
神社に奉納を強いられるも、消失して淡路で発見されたという逸話を加えることで、
書紀はその素性を知らしめている
近江の琵琶湖から淀川水系を利用することを想定したが、
但馬から播磨、そして淡路へのルートを選択した
淡路には大規模な製鉄遺構が発見されている
それは神武が利用した武器庫であり侵攻のための前衛基地である
もちろん天之日矛は人物ではなく、渡来集団の総称にすぎないという見方もある
それはどちらでも同じことだ。
問題はなぜその天之日矛は、天神でもないのに「天」と名乗っているのかだ
理由は単純で、最初から天氏だったからだ
天神でもないのに天氏の者があるなら、
天神すなわち皇族は皆、天を名乗らせるしかないではないか

288 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 12:17:02.42 .net
鉄は古代、至高の戦略物資だ
ゆえに製鉄氏族と目される息長氏≒天之日矛の役割は重責だったと言える
日本神話ではアマテラスより上位になる最高神の一人、
タカミムスビ(高皇産霊尊)の表記に含まれる”高霊”の字が、
大伽耶国の地にある高霊を指してるとして、
ゆえにそこをして高天原だとする愚論を唱えた者がいるが、
仮にタカミムスビが高霊の地神であるとするなら、
それはその地が倭国が供給を依存する鉄の産地だからこそ神聖視されるということだ

>>220-221
製鉄の重要性(古代史の復元)
http://www.geocities.jp/mb1527/N3-05-3tekki.html

289 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 12:34:39.68 .net
倭人伝に見る日本人(縄文、弥生時代): 東邦異聞録
http://sundaymorning10.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-ad8e.html
3.文献は語る −中国正史の前に−
http://inoues.net/yamahonpen5.html

290 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 19:02:21.90 .net
やたら、鉄が、鉄が、って言う人が多いけれど、
弥生時代に鉄を使っていないところなんて逆にないと思うんだが?

291 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 20:55:09.48 .net
纒向とかいう田舎があってね、鉄が見つからないんだってさ。
そこが卑弥呼の王都だなんて夢見ている狂信者もいるらしいけど。

292 :日本@名無史さん:2018/09/01(土) 22:13:56.75 .net
鉄は九州が押さえているから巻向には鉄がないとか言う人がいるけれど
その向こう側の1世紀の登呂遺跡で鉄を使っていなかったと考えている人はいない

293 :日本@名無史さん:2018/09/02(日) 07:19:42.94 .net
纒向が屈指の後進地域だったというだけ。
真空地帯だったから次世代においては何もないところで開発が進んだかもしれないが、3世紀においてはただの辺境。

294 :日本@名無史さん:2018/09/02(日) 07:37:43.11 .net
>>294
>真空地帯だったから次世代においては何もないところで開発が進んだかもしれないが

その理解でいいよ
卑弥呼の共立に伴い、倭国で初めて「何もなかったところに計画都市を造った」のが
纒向遺跡なんだから

開発が進んだ次世代っていうのが、既に3世紀半ばに訪れている状況だよ

295 :日本@名無史さん:2018/09/02(日) 07:39:02.36 .net
>>294
>纒向遺跡なんだから

その纒向が辺境の後進地域だったという話なのだけれど?

296 :日本@名無史さん:2018/09/02(日) 09:23:36.40 .net
纒向は開発計画が頓挫した未来都市だろ
頓挫したからには国家存亡の危機に直面したからに他ならない
4世紀初頭の頓挫となれば、古墳時代の勃興と同時なんだからその意味は大きい
それはその後の支配層の変更に直結してくる
だいいち纒向からは大陸との交易品の遺物が出て来ない
魏に朝貢してるのだから何かしら大陸由来の物がないとおかしい
それに邪馬台国特産のはずの絹も出てこない
そこは邪馬台国とは何の関係もない場所だ

297 :日本@名無史さん:2018/09/02(日) 11:14:44.28 .net
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と単粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は単粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

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