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邪馬台国沖縄(琉球)説 Part1
- 528 :日本@名無史さん:2019/04/06(土) 14:23:13.29 .net
- 気候や習俗は琉球のそれを記したものが邪馬台国記述に混入したのだと曲解されたものであって奈良のものであるはずなどない、確かに琉球邪馬台国のものだ
都を邪靡堆と称したのは邪馬台国承継の主張であり、阿蘇山は倭国の特筆的な光景を記したものでさしずめ今の霊峰富士であろう
だが自分は必ずしも九州王朝を否定するものではなくその場合でも邪馬台国と当時倭国とは別個のものだ
しかしながらもし王権が九州なら筑紫の東の華夏のごとき秦王国の比定は如何にするか、そしてその東に都となる
それらを自分は吉備、大和とみなしてて
それぞれ吉備廃寺、法隆寺を誇っていたはずだ
ゆえに倭国統一王権が、少なくとも一時的には大和に成立し、よってその名乗りとして遣使がなされたものとみなしており、
王権は九州から大和への移行制圧だとみなしている
その時点においても阿蘇山には特別の信仰が向けられていたはずであり、
言及はそれが反映されたものだと考えられる
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