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邪馬台国沖縄(琉球)説 Part1

1 :日本@名無史さん:2018/07/31(火) 18:05:41.68 .net
年中生野菜を食べられる温暖な気候、
入れ墨やシャマニズムなどの文化習俗、
記録された距離、方向から想定される位置から考えて、
邪馬台国は沖縄に比定するのが妥当である。

邪馬台国の7つの国を統率した女王の墓域は北谷海底遺跡だった。
狗奴国はテイ[魚是]人が居住する先島諸島の21カ国の最果てにある与那国(海底遺跡)だろう。

侏儒国は小笠原諸島、
裸国、黒歯国はサイパン、グアムと推定される。

沖縄の邪馬台国はその後、地球のプレート活動により水没したが、
度重なる自然災害に危機感わ覚え始めていた邪馬台国はそれに先立って、
豊富な鉄器を持って九州・日向(宮崎)に侵攻して新王朝を建設したものと推測される。

81 :日本@名無史さん:2018/08/10(金) 21:06:03.00 .net
>>80 その辺は全て説明可能
 >>6 偽装の結果
 >>8 水没による消失(邪馬台国名も)

82 :日本@名無史さん:2018/08/10(金) 21:24:57.26 .net
>>81
>水没による消失(邪馬台国名も)

おいおい、ここまでトンデモだとは思わなかったよ

83 :日本@名無史さん:2018/08/10(金) 22:01:58.32 .net
>>82
とんでもも何も、
本来移籍年代的に無理だったのが、
水没遺跡が年代一致で俄然変わってきたとの話なんだが
個人的には南海トラフの3連動地震の延長上に、
宮崎沖から南西諸島沖にも発生して、
大地震で地形が水没するなり、
大津波で文明一時消失途絶の可能性もあると見てる
実際、縄文文化か鬼界カルデラの自然現象により消滅したのだから

84 :日本@名無史さん:2018/08/10(金) 22:06:10.88 .net
そういうこともあったかもしれないが、邪馬台国ではない。

85 :日本@名無史さん:2018/08/11(土) 01:25:50.67 .net
有史以降に地震の津波まるかぶりで島民全滅した島もあるものな。とはいえ沖縄本島より
巨大な島が「水没」してしまったというのは海底地形図から考えても想定しなくていいレベルの
トンデモ説

86 :日本@名無史さん:2018/08/11(土) 01:28:18.40 .net
素直に読めば琉球だし、おれも琉球説がなぜ有力でないのかが不思議でしょうがないんだが
「海底にしずんだ巨大文明」を主張するのなら、まず見つけてから言えと。トロイアは見つけて
ようやく科学の遡上に上ったんだよ。くちさきだけでペラペラ証明しようとせず先ず見つけろと。

87 :日本@名無史さん:2018/08/11(土) 01:45:40.50 .net
誰も島まるごと沈んだなんて言ってないだろ
島の一部が沈んだと言ってる
北谷沖海底遺跡および与那国海底遺跡がそれだ
沈まなくても、東日本震災では東北の沿岸部が大津波でさらわれている
歴史的には南海トラフ地震により、30m超の大津波に襲われる高知県は壊滅を繰り返す宿命にあるとされているし、
三重県や、かつては海だった河内泉州も襲われてきたろう、そして宮崎日向だって危うい
静岡にある弥生の登呂遺跡などは大津波に滅ぼされた痕跡を残している
沖縄で同様のことが無かったとなぜ言えるのか?
僕らはいつも、今確かにあるものだけを持ってして過去を語りがちだ
だが過去の大事な何かが失われ隠されたままであるのなら、
欠落した事物を元にして語られる過去に真実味がないのも当然だろう


2013年9月03日
南海トラフ地震で世界遺産・三保の松原と登呂遺跡が消滅する!(週プレNEWS) 
http://www.asy●ura2.com/13/jisin19/msg/261.html

2013/10/15
南海大地震で高知県は沈んでなくなりますか?
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12114998337
確かに高知県の一部は宝永、安政、昭和の南海トラフの地震によって沈降してきた。古くは白鳳や康和の南海トラフ地震でも
田畑の海没の記録がある。だから、その叔父さんの言うことも一部は正しい。
実際には安田と野根を結ぶ線より南東側の室戸岬側が隆起し、それより北西側の高知や須崎などが沈降するのだが。
その変異は最大でも1〜2m程度です。足摺岬は昭和や安政では隆起したが宝永では沈降したらしい。

高知県では684年に、かつて53万石あった土佐の地が白鳳地震で一気に海没しそのために現在24万石になってしまった。
現在の土佐湾の湾曲はその時の名残だ、という愉快な口碑が残っていますが、尾ひれはひれ付けば話はここまで大きくなって
しまうという好例です。

9−2 中国・四国地方の地殻変動
http://cais.gsi.go.jp/KAIHOU/report/kaihou79/09_02.pdf

88 :日本@名無史さん:2018/08/11(土) 02:25:52.82 .net
沖縄の過去の大地震・大津波
http://seis.sci.u-ryukyu.ac.jp/index.php/earthquakes_tsunamis/histricalearthquake_tsunais_okinawa/
沖縄の歴史地震
http://seis.sci.u-ryukyu.ac.jp/hazard/large-eq/history.html
1771年八重山地震津波(明和の大津波)
1771年明和津波(八重山地震津波)はマグニチュード8の海溝型巨大地震であった
http://seis.sci.u-ryukyu.ac.jp/hazard/EQ/1771yaeyama2/1771tsunami_2.html

琉球列島における津波災害
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ejgeo/5/1/5_1_50/_pdf/-char/ja

2017年5月31日
巨大津波、石垣島へ過去4回襲来 600年間隔で発生か 地層に痕跡
http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/99957
2017年12月4日
八重山諸島の大津波、600年間隔か 琉球大など研究
https://www.asahi.com/articles/ASKD45HX3KD4ULBJ006.html
2018年1月4日
沖縄・先島諸島
大津波、過去二千数百年に4回 頻度解明へ 石垣島地層調査
https://mainichi.jp/articles/20180104/dde/041/040/060000c
2018.2.9
沖縄を襲った4回の大津波、石垣島に運ばれてきた1000トンの岩
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/180209/soc1802090003-n1.html

2016年9月26 日
沖縄近海で震度5弱。日本の歴史上一番大きな津波が起きていた! 辺野古は大丈夫か?
http://www.as●yura2.com/15/jisin21/msg/630.html

89 :日本@名無史さん:2018/08/11(土) 02:28:42.36 .net
この発生周期と痕跡が、
卑弥呼の時代(200年代)以降に、
大津波が沖縄を襲っていることが分かる


2017年12月09日
高さ30m!「八重山地震」級の巨大津波 600年毎に4回発生 沖縄県
https://www.hazardlab.jp/know/topics/detail/2/2/22988.html
 堆積物のうち、3つは石灰質の砂が堆積した地層で、最も新しい地層は1771年の八重山津波によるものだった。
放射性炭素年代測定法で調べた結果、それ以外は、西暦1330?1030年ごろに起きた津波の堆積物と、
700?280年ごろの津波で運ばれた石の塊で、
最古のものは紀元前750年から西暦700年にかけて発生した津波の堆積物であることが判明した。

90 :日本@名無史さん:2018/08/11(土) 14:06:22.12 .net
沈んだ云々が琉球説を台無しにしてるんだよ
沈んだっつーなら見つけてから言え

「みつけられなかったので存在しなかったとはいえない。よって存在した」
これがトンデモの標準理論。みつけられなかったのなら何も言うな。

91 :日本@名無史さん:2018/08/11(土) 15:22:13.05 .net
だから与那国沖合い他にいくつも沈んでるのが見つかってるだろ
上の映像>>8見てみろよ

92 :日本@名無史さん:2018/08/11(土) 15:23:28.60 .net
一番下のyoutubeのやつな

93 :日本@名無史さん:2018/08/11(土) 15:49:50.96 .net
沖縄は沈下して台湾は隆起してるそうだ
沖縄は昔は今よりもっと大きかったのかもしれない

94 :日本@名無史さん:2018/08/11(土) 15:54:44.29 .net
探掘してから言えっつってんだよ
文明らしきものなど火星にだってあるわ

95 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 12:26:36.51 .net
上から、
粟国島沖海底地形、北谷沖海底地形、慶良間諸島沖海底地形、宮古島沖海底地形
http://fast-uploader.com/transfer/7089599601096.png

https://www.youtube.com/watch?v=xYt_-OOXeg4 >>8

96 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 12:27:52.01 .net
沖縄の海底遺跡(1)沖縄本島の南西にある与那国島の遺跡について
http://www.okinawainfo.net/iseki.htm
http://www.okinawainfo.net/images00/zentaimap.gif
http://www.okinawainfo.net/donan3.jpg
http://www.okinawainfo.net/donan2.jpg
http://www.okinawainfo.net/r1.jpg
http://www.okinawainfo.net/r2.jpg

97 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 12:28:07.64 .net
沖縄の海底遺跡(2)沖縄与那国島の遺跡と環太平洋地域の遺跡の関連
http://www.okinawainfo.net/iseki2.htm
http://www.okinawainfo.net/nannmata2.jpg
ナンマタール遺跡

 与那国、数年前からちょっと有名になっています。
なぜかといえば、すぐそばの海底に人間が手を加えて作ったとおぼしき遺跡が発見されたからです。

  また、遺跡付近のサンニヌ台と言うところにも同じような石の建造物が見られ、加工された跡が見られる事から、
これも含めた大掛かりな構造物があったと思われます。 ここだけでなく、慶良間近海、北谷近海、粟国近海などでも
人工物と思われる構造物が発見され、話題になりました。 どこも、そんなに深海ではなく、5〜20mくらいの所だそうで
同じ時期に水没したと考えられます。

有名なポナペ島のナンマタール遺跡をはじめ、太平洋の西南域にかけての古代巨石文化は、共通点の多いもの のようです。
 パラオ諸島の最大の島、バベルダオブ島には、アケズと呼ばれている巨大石造テラス状の人工の丘が多数存在します。
有史以前の用途不明の遺跡で、与那国の海底遺跡と外観が良く似ています。

 南太平洋にあるポナペ島には、無数の人工島と、縦横に走る運河があり、玄武岩質の石柱を組み合わせた
石造都市の遺跡があります。 一本の柱が5トンから60トンもある石柱で、どのようにして作られたかは今もって不明です。
ここの周辺の海底には遺跡は続いていて、古くからの言伝へでは、それは、神々の都であるとされています。
 実際、近年になって珊瑚に覆われた街路や石門が海底から発見されてい ます。 この付近、半径2400キロ以内の
島々には、人工が5万人足らずしかなく、彼等がこれを集まって作ったと考えるのは不可能です。
ということは、ここももっと昔に海面がより低い位置にあり、陸地がもっと広くて組織的に動員できる文明があったと
考えざるおえないのではないでしょうか。

98 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 12:28:23.28 .net
沖縄の海底遺跡(3)他の沖縄にある海底遺跡との関連
http://www.okinawainfo.net/iseki3.htm
http://www.okinawainfo.net/isekikerma1.jpg
http://www.okinawainfo.net/isekikerama2.jpg
http://www.okinawainfo.net/isekicyatan.jpg
 与那国の海底遺跡のほかにも、沖縄近海では常識的に考えれば人工物だろうと思われるポイントが、いくつも発見されています。
 右はケラマ諸島近海で発見された、ストーンサークル状の遺跡と言われているものの中心にある、センターサークルと
言われている物。 直径、高さ共に約3メートルもあるものです。
ここを中心にして、四方に道状のくぼみが何十メートルも伸び、その先には拝むための祠と思われるもの、鏡岩状のもの
(これで、ぴんと思い当たるものがある人はかなりの超古代史マニア. )ピラミット状の岩などがあり、道の行き先に階段状のものも。
 この他にも、北谷の沖合いにもピラミット状の石造物と思われるポイントがあります。

 粟国島近海にも人工物と思われるポイントが発見されているし、宮古には地上に支えになる石柱とその上に乗る大きな石とで
出来ている構造物で、飛鳥の石舞台など世界各地に点在していると同じようなドルメン(弥生時代に稲作と共に大陸から伝わって
きたとされているのが通説)が有ります。
地元ではおっぱい山といわれている所に、アガームイ、イリムイと言われている森にそれが残されているという事です。
 これらは紀元前後の建造らしいと言われていますが、定かではありません。


沖縄の海底遺跡(エピローグ)他の沖縄にある海底遺跡との関連
http://www.okinawainfo.net/iseki4.htm
http://www.okinawainfo.net/iseki2005-3.jpg
http://www.okinawainfo.net/iseki2005-2.jpg

99 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 15:02:09.82 .net
 締めくくり的にまとめるなら、 この琉球弧が、2〜3千年くらい昔に今よりもっと隆起していたとしたら、
歴史が、そして地学が改められなくてはいけなくなるでしょう。

  しかし、先史時代の巨石文明は世界各地に点在していて、学者たちを困らせています。
ポナペ島のナンマタール遺跡、グアムのラットストーン、そして、沖縄海底の遺跡。
きっと元は同じ文明のものだったのでは無いでしょうか。

 太平洋岸に有る各島々の石造遺跡との関連性も、それらの神話の共通性と共に研究されるべき課題ではないかなーと思うのですが…。

100 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 15:21:39.00 .net
ポナペ島(ポンペイ島)
http://www.kai-enterprise.net/project/pohnpei/index.html
http://www.kai-enterprise.net/project/pohnpei/image/PnpMap632.gif
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%82%A4%E5%B3%B6

【衝撃】ついに太平洋のド真ん中にアトランティス大陸の痕跡を発見か!? 謎だらけの人工海上島「ナンマトル」が首都だった可能性
http://tocana.jp/2017/11/post_15013_entry.html
幻のアトランティスか?遠く離れた離島に古代都市が発見される(ポンペイ島)
http://karapaia.com/archives/52248724.html
ポンペイ島の海上遺跡 “ナン・マドール” が秘境すぎる…
https://matome.na●ver.jp/odai/2140927955058511701

ナン・マドールの歴史と伝説
https://www.legendaryhawaii.com/micro/p06
【ナンマドールとは】
ミクロネシア連邦の主島、ポンペイ(ポナペ)島の東南に、ナン・マドール(現地語でナンマトル)という古代の巨石海上遺跡があります。
その広さは70haにも及び(東京ディズニーランドが84ha)玄武岩で作られた大小92の人工島で構成されています。(下記参照)
https://www.legendaryhawaii.com/sites/all/themes/hi/images/micro/mic0501.jpg
https://www.legendaryhawaii.com/sites/all/themes/hi/images/micro/mic0502.jpg
https://www.legendaryhawaii.com/sites/all/themes/hi/images/micro/mic0503.jpg

【雑学記事】太平洋に浮かぶ謎の海上遺跡「ナンマトル」についてまとめてみた!
https://edmm.jp/46507/
https://pbs.twimg.com/media/DKZlwdNWAAIdY2d.jpg
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8d/Map_FM-Nan_Madol_ja.png
Images From Above Reveal An Ancient City In The Middle Of The Ocean
https://www.youtube.com/watch?v=u4iAvpPaJwg

101 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 15:22:19.46 .net
太平洋に浮かぶ謎の島「ナンマトル」、紀元後1世紀に造られた可能性が浮上
https://switch-news.com/science/%E5%A4%AA%E5%B9%B3%E6%B4%8B%E3%81%AB%E6%B5%AE%E3%81%8B%E3%81%B6%E8%AC%8E%E3%81%AE%E5%B3%B6%E3%80%8C%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%AB%E3%80%8D%E3%80%81%E7%B4%80%E5%85%83%E5%BE%8C1%E4%B8%96/
ナンマトルの正確な建設時期がわかる記録は見つかっていない。しかし驚くべきことに研究者らは、
これまで紀元後1180年から1200年とされてきた建設時期が紀元後1世紀から2世紀まで遡る可能性があるとしている。

       ---------------------------------------------------

ナンマトル(Nan Madol[注釈 1])は、ミクロネシア連邦のポンペイ州に残る人工島群の総称であり、後述するように、
その考古遺跡の規模はオセアニア最大とさえ言われる。人工島が築かれ始めたのは西暦500年頃からだが、
ポンペイ島全土を支配する王朝(シャウテレウル王朝)が成立した1000年頃から建設が本格化し、
盛期を迎えた1200年頃から1500年(または1600年)頃までに多数の巨石記念物が作り上げられていった。
人工島は玄武岩の枠の内側をサンゴや砂で埋めて造ったもので、100以上とされる人工島は互いに水路で隔てられており、
その景観は「太平洋のヴェニス」[3][4][5]、「南海(南洋)のヴェニス」[6][7][8]、「ミクロネシアのアンコールワット」[9]などとも呼ばれる。
人工島の上に築かれた巨石記念物群は王や祭司者の住居のほか、墓所、儀式の場、工房など様々な役割をもっており、
その大きさも様々である。巨石記念物群は数トンから数十トンにもなる玄武岩柱を積み上げたもので、
どのような技術を使ったのかは解明されていない。レラ遺跡などのミクロネシア連邦の他の遺跡、
さらには広くポリネシア等の遺跡との関連性についても研究が進められているが、明らかになっている点は限られる。

102 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 15:22:44.24 .net
ナンマトル#竜宮城
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%88%E3%83%AB#%E7%AB%9C%E5%AE%AE%E5%9F%8E
ナンマトルは、日本の御伽噺『浦島太郎』に出てくる竜宮城のモデルとされることもある。
地元の名士マサオ・ハドレイをはじめとする古老たちは、海底に沈んだ聖なる都市カーニムェイショの伝説と、
竜宮城伝説の類似性を指摘した[199][200]。
ほかにも、近くの海底深くに巨大な石柱が眠っているという伝説や、ナンマトル近くの島の古称が「ウラノシマ」だという伝説、
北方から東洋人らしき漁師が漂着して長期滞在した伝説などもあるという[201]。

その一方、そうした類似性については、20世紀前半の日本の委任統治領だった時代に、
日本からもたらされた浦島太郎伝説がポンペイ島の伝説に混入したとも言われている[202]。
また、20世紀末以降には日本のテレビ番組でも複数回取り上げられたが、そうした番組の取材も、
地元民の伝承に影響を与えた可能性が指摘されている[203]。

なお、地元民がカーニムェイショと呼ぶ近海には、水深15 m ほどの海底に規則的に並んだ五本の柱らしき構造物が確認できる[204]。
ただし、泥土の流入や造礁サンゴ等の付着により、人工物とは断定できない状態である[204]。

103 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 15:40:42.22 .net
ラッテ・ストーン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B3
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/43/Latte1.jpg
グアムの首都ハガニャのラッテ・ストーン公園にあるもの

ラッテ・ストーン (Latte stone) とは、グアム、サイパンなどマリアナ諸島に見られるサンゴ石でできた石柱群である。

9世紀から17世紀にかけて作られたチャモロ人の古代チャモロ文化の遺跡である。古代のマリアナ諸島の王「タガ」にちなみ、
タガ・ストーン (Taga stone) と呼ばれることもある。北マリアナ諸島の旗にも描かれている。


ラッテ・ストーン公園
http://guam-saipan.com/guam/latte.html
http://guam-saipan.com/guam/images/latte2.jpg
http://guam-saipan.com/guam/images/latte3.jpg
http://guam-saipan.com/guam/images/latte5.jpg
グアムの首都であるハガニアに位置しているラッテ・ストーンで有名な公園です。ラッテ・ストーンとはサンゴ石でできた
こけし状の石柱のことで、ここの公園には全部で8つの石柱が2列に並んで配置されています。
グアム以外にもサイパンやロタなどといったマリアナ諸島にて発見されています。

今日に至るまで様々な説が発表されてきましたが、最も有力とされているのが、何らかの建造物の土台として使われていたという説です。
高床式建物の土台として使われていたと思われる様子がインドネシアのボロブドゥール遺跡に描かれていたという裏付けがあります。
このほか、墓石や宗教施設であったなどといった説が発表されています。

104 :日本@名無史さん:2018/08/12(日) 15:41:32.63 .net
ラッテストーンの謎を知ると、もっとグアムが楽しくなる!
みんなもラッテストーンを探してみよう!!
http://weekly.visitguam.jp/2011/10/post-230.html
チャモロ文化を代表する遺跡といえば、巨石「ラッテストーン(Latte Stone)」。ハガニア地区にある「ラッテストーン公園
(Latte Stone Park)」はガイドブックで必ず紹介され、多くのツーリストが訪れます。

こけしのようなユニークな形をしたラッテストーンは、9世紀から15世紀の「ラッテ期」と呼ばれる時代に数多く作られた巨石遺跡です。
元々チャモロ人は文字を持たない民族なので、ラッテストーンが何のために作られ、どのように利用されてきたのか記述は残っておらず、
今だに謎の多い不思議な遺跡です。 しかし古代チャモロ社会においては、石は生活に欠かせない必需品であり、
調理器具やフィッシング道具など様々な形に削られ利用されてきました。そしてラッテストーンは、高床式住居の土台として
使われていたというのが有力な説です。
理由の1つとしては、ラッテストーンは必ず8基や10基が長方形に並んだ形で発見されていること。
人々はその上に家を建て、暮らしていたと言われています。それを裏付けるように、1565年にメキシコからフィリピンへ向かう
スペイン船の乗組員がマリアナ諸島に立ち寄った際、当時のチャモロ人の家屋の様子を次のように書き残しています。
「彼らの家々は高く、上手に建てられ耐久性も高い。それらは地面から人ひとり分の高さの大きな石の柱の上に建てられていて、
その上に床が敷かれている・・・」

もう1つの理由は、ラッテストーンの周辺から発掘された遺跡です。古代チャモロ社会では、亡くなった家族は家の敷地内に
埋葬していました。ラッテストーン周辺からは人骨や装飾品などの埋葬品が、数多く発見されているのです。 グアムでは先祖の霊を
「タオタオモナ(TAOTAOMO' NA)」と呼び、人々から崇められています。ラッテストーンにもそのタオタオモナが宿っているとして、
今でも恐れおおく、近づこうとしない人もいるようです。

105 :104:2018/08/12(日) 15:42:02.12 .net
さて、初めに「チャモロ文化を代表する遺跡といえば、巨石ラッテストーン」と紹介しましたが、ラッテストーンはグアム特有の文化
ではなく、グアム島と北マリアナ諸島(サイパン島、ロタ島、テニアン島、パガン島など)の文化です。巨石遺跡は世界各国に
残されていますが、ラッテストーンが発見されたのはグアム島、サイパン島、ロタ島、テニアン島、パガン島のみ。
発見されたものの中で最も高いのはテニアン島で発見されたもので、約5mもあるそうですよ。

しかしグアムには、もっともっと大きなラッテストーンが登場しています。ガバナージョセフフローレスメモリアルパーク
(イパオビーチパーク)に建設中のラッテストーンがそれです。まだ1基しかありませんが、これから来春までに10基完成させ、
その上に住居も作る予定だそうですよ。

http://weekly.visitguam.jp/2011/10/14/lattestone002.jpg
ホテル・ニッコー・グアムの敷地内で発掘されたラッテストーン。8基きれいに並んでいるのを、ホテル入り口付近で見ることができます。

http://weekly.visitguam.jp/2011/10/14/lattestone003.jpg
ガンビーチ北側にある「グアム カルチャー&エコ パーク(Guam Culture & Eco Park)」では
500年前の古代チャモロ人の暮らしを再現しています。

http://weekly.visitguam.jp/2011/10/14/lattestone005.jpg
この週末、「第24回 グアム・ミクロネシア・アイランド・フェア(24th Guam Micronesia Island Fair)」が行われる
ガバナージョセフフローレスメモリアルパーク(イパオビーチパーク)に登場した巨大なラッテストーン。

http://weekly.visitguam.jp/2011/10/14/lattestone006.jpg
これが来春の完成イメージ。「タサ(TASA)」と呼ばれるグループにより進められているこのプロジェクト。

106 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 11:42:13.83 .net
>>40
仮に一年中、あるいは数年滞在したなら食文化は詳細に把握できたろう
だが倭人伝にあっては、
伊都国以降に米食の紹介がない
以前の記述でも良田なく欲を満たせておらず、
倭人はもっぱら魚介、海藻類で食を賄っている
酒を飲んでるから米を産してるやも知れないが食用とは思われない
弥生の稲作社会ならまずその社会を形作る稲田や米食にこそ着目し穀高について記載するはずだ
ところが邪馬台国では野菜にのみ言及するに過ぎない
以前からの記載も併せれば、
漁労採集社会と見なすのが自然である
シャーマンの呪術支配も含めれば、
その姿は弥生より縄文の方が近い
であるのになぜその位置を推定しようと吉野ヶ里だの大和の弥生稲作遺跡にその解を求めるのだろうか?
むしろ稲作北限界を超えた先の東北青森のイタコ文化にでも着目するべきではなかろうか?

107 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 12:04:19.82 .net
稲栽培の記述はあるが、
それはカラムシ、養蚕の並びであって、
稲藁の繊維取得が主目的と考えられる
死者が出ると服する期間肉を避ける
牛馬羊はいないとされ、猿とキジあり肉食への言及があるゆえ、ウサギ肉などか
食器に関しては竹で編んだり木をくり貫いた物で土器が出て来ない
刺青文化は狩猟民に対獣の威嚇偽装目的だろうし、
弥生社会を思わせるものは認めがたい

108 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 13:30:53.00 .net
入墨は太平洋海洋文化の典型だものね。朝鮮や北方からの文化ではあきらかにない

109 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 14:35:33.15 .net
>>108
>入墨は太平洋海洋文化の典型だものね。朝鮮や北方からの文化ではあきらかにない

でも、黥面土器の出土分布は、そうはなっていない
https://blog.goo.ne.jp/mryanagi_1947/e/15acdfdc3e26523e94d1352a14ad6412

110 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 14:42:35.36 .net
年中生野菜を食するとする
本来、コメもまた野菜だ
コメは煮るか蒸さないと食べられない
コメを食べる習慣があるなら野菜も煮るはずだ
その方が食材が増えるからである
例えば芋類が典型だ
そして土器の記述がなく木器や編み器の使用が確認できる
これらはそれ単独では蒸し物料理も無理で火力料理には適さない
一方で魚介食や肉食である事実がある
魚介は生が可能だとしても、獣肉は無理だろう
魚や肉は串刺しにして炉端にしたり、火の上に渡して焼いて食べていたのではないかと推測できる
つまりコメや野菜を煮るための道具の存在が証明されていない
温暖ゆえに年中多彩収穫が可能で、保存の必要性が無かったため、
道具の革新と発展がなかったのではないか?
それは海南島との間に使用道具の差違がないとの記述に対応していると思われる
こうした実情は、この社会が決して弥生のそれではないことを示している
弥生の稲作文化は道具を伴ってこそ普及し発展するものである

111 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 17:36:15.12 .net
2017/01/25
【考古】沖縄に東北地方の縄文土器 2千年以上前、広域交流か
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1485354284/

112 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 17:50:52.54 .net
沖縄には古代稲作の痕跡が認められない
邪馬台国の周辺が豊穣な米作社会であるなら、中心部たるところが米作でないはずもないが、
魏志倭人伝では、壱岐や対馬における稲作が紹介されてるが、食文化の主たる扱いにはなってないのだから、
邪馬台国もまた同様であったと考えることは可能だ
沖縄は米作は可能だが、盛んではなく、水源と地形に原因があるようだ
その事実は、倭人伝が邪馬台国における米作を無視し去っていることの理由にもなる
確かに「難升米」の表記に「米」が使用されているが、邪馬台国では飲酒文化が盛んだったため、
酒造上の、従って宗教上の重要性があったことが反映されたにすぎないと説明できる

113 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 18:00:12.29 .net
一方で、「有無する所は儋耳・朱崖(海南島)と同じ」
ここで海南島では歴史的に米作は行われてきたのかということが問題になってくる
どうも海南島の先住民が百越に由来するリー族で、今日にも米・粥、竹筒飯が伝統食となってるのだから、
邪馬台国でも米を作ってたろうとなってくる


沖縄の稲作文化
https://kazu0103.ti-da.net/e3917983.html
沖縄、稲作ルーツ巡り
https://komenana.com/%E6%B2%96%E7%B8%84-%E7%A8%B2%E4%BD%9C%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%84/
沖縄の稲作の歴史は、玉城の受水・走水が発祥の地とされているのですが、
弥生時代の稲作の遺構は確認されていないそうです。
中国の古文書には、『伊平屋は米を産する最も佳なり』とあり、
8世紀には既に米を生産していたようです。。

現代沖縄の米農家事情
http://hougen.sa●kura.ne.jp/hidaka/okinawa/2007/2_08.pdf

沖縄で稲作が盛んでない理由は
なぜでしょうか。1日中温暖であるのにと個人的には思います。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/7316598.html
No.8ベストアンサー
 沖縄の農家の方に伺ったことがありますが、No.7の方のお答えの通りでした。県産米として売ってますが、美味しいとは聞かないです。
 また、水田にできるような場所が限定されることも理由だと思います。隆起サンゴ礁の台地では水が得にくいというか
地下に浸透してしまうため、数少ない川の下流域くらいしか適地がないと思いますね。与那国には川があるので水田ありました。
ある程度高い山がある島には川もあり水田がある。テーブル状の地形の島は水が得にくく水田がない。
特に夏は台風が来なければ雨が降らないので、稲作向きの気候や地形ではないのでしょうね。

沖縄(おきなわ)のお米の生産量(せいさんりょう)は、なぜ少ないのですか。:農林水産省
http://www.maff.go.jp/j/heya/kodomo_sodan/0205/04.html
3.かんばつ(長い間雨がふらないこと)がひんぱんにあり、大きい川もないため、水不足になりやすく
多くの水を必要とする稲作(いなさく)がやりにくかった。

114 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 18:10:16.92 .net
食文化自体は後年になって漢族が分割統治目的で入植させた苗族の影響を受けた可能性はあろうが、
ルーツが長江流域民の百越なのだから元からの米食民だと考えざるを得ない
邪馬台国とは文身(入れ墨)やシャマニズムなどの文化宗教上の共通点が多く、同じ母系氏族社会である


海南島
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E5%8D%97%E5%B3%B6
古来から黎族(リー族)、苗族(ミャオ族)、壮族(チワン族)など少数民族が住む。

北部が温帯気候、南部が熱帯気候に属する。
海南島は降水量に十分恵まれている。年降水量は1,500ミリ・メートル以上、東部では2,000 - 2,800ミリ・メートルに達するので、
水稲・さとうきび・落花生などの栽培に適し、水稲は1年3作である。

海南島の歴史
http://vrai2.blog.f●c2.com/bl●og-entry-759.html
元々は黎族や苗族の島だった。では黎族の起源はというと越族。
これは揚子江(長江)以南、ベトナムあたりの広大な地域に住んでいた民族だ。
その起源をさらにたどると浙江省の海岸部に住んでいた民族らしく、
浙江省といえば上海の南側。これが漢民族に圧迫されて南へ、南へと移動し
ついには海南島に閉じ込められた。中国の黎族の90%がここに住むと言う。

中国史を見ると越という国が登場するが、祖先は、この越を構成していた民族らしい。
ただ、越の名前だけが民族名として残っているが、百越として長江南岸を
長く支配していた。その流れの呉や楚も同系列の民族。
始皇帝を滅ぼした漢の劉邦と楚の項羽だが、最後に劉邦が項羽を破り漢をたて、漢民族が拡大した。
これが逆だったら、中国の歴史は大きく違ったものになってた。
その後も、三国志では江南には同じ民族の呉王朝がたっていて、決して少数民族出などなかったはずだ。
ベトナムあたりが核心的利益は譲れないと、長江南岸までの領有権を主張したら良い。
越民族の今は1億1000万人、ほぼ日本の人口程度。
占領政策があったにせよ、いかに漢民族が繁殖力の強い民族かがわかる。

115 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 18:10:56.03 .net
リー族
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%BC%E6%97%8F
黎族(リー族)は中国の少数民族のひとつ。その約90%以上が海南島に住む。

歴史
百越の分枝駱越(中国語版)が秦・漢以前の時代に移住したことに始まるという。同じく駱越に起源を持つ民族に水族がある。

信仰・文化
「鬼神」と呼ばれる精霊的存在へのアニミズム信仰を持ち、旧暦3月3日「三月三」と呼ばれる豊穣を祈る祭礼を行う。
粥など米類を主食とするが、特色のある料理として、竹筒に米を入れて作る竹筒飯などがある。


海南島の歴史
http://www.kainantou.com/history.php
国家としての記録は、秦の始皇帝時代に秦の統治下にあったことが明らかになっています。
流刑地、役人の左遷の地として利用されていました。
また、日本に渡航しようとした鑑真が流れ着いたことも有名です。
三国時代には呉に属し、これが海南島内の歴史として最も古い記述となります。
漢民族が軍事侵略した当時、原住民のリ族がすでに海南島に居住していたことが明らかになっています。
このリ族は今日の海南島には70万人の人口を持ち、海南島内の最大の少数民族となっています。
その後、中国の歴代王朝の支配を受けながら発展していきます。
16世紀から17世紀にかけて
おもに福建省から多くの漢民族が移民し、リ族は山岳部へと追いやられることになりました。
その後、18世紀に入り圧政を受けていたリ族は、漢民族に対して反乱をおこします。
ところが漢族はこれに対抗させるために傭兵としてミャオ族を本土から連れて来て戦わせました。

116 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 18:13:26.24 .net
歴史-海南島の基本情報-??海南
http://jp.explorehainan.com/jp/realize/lishi.shtml
5000年以上前の新石器時代、長江以南で生活していた百越人の一支族、駱越人が、丸木舟や竹の筏に乗り始めて
無人の海南島に上陸し、母系氏族社会を作りあげました。これが黎(リー)族の祖先であり、当然海南島で最も早く
生活した人々ということになります。

2000年以上前に秦の始皇帝が中国を統一した後、海南島は国境として広西象郡の管轄下に置かれました。
この後の厳しい歳月において、中央政府の海南島管理体制はしばしば変化し、制度を設立して官員を派遣して管理したり、
大陸の郡県に隷属させて辺境に置いたり、「リー族」の?首に父系氏族社会方式での統治を委任したりしました。

海南島の漁民たちは、1000年以上前に南海諸島に居住し始めました。

海南島の歴史と先住民
http://yazumichio.blog.f●c2.com/bl●og-entry-780.html
晋の武帝の時(280年)、珠崖郡は、大陸の合浦州(現広西省)に合併される。南朝宋の文帝の時(431年)、珠崖は、
珠崖郡となり広東省徐聞県(海南島へ伸びた合浦郡の雷州半島)の統治となる。 梁の武帝の時(535〜546年)、
廃された?耳の場所に崖州が設置される。明の始め、イスラム商人がこの島にやってきて回族となり、
同じころ黎(リー)族の反乱を鎮圧するため、広東から苗族が兵として海南島に駐留、そのまま住みついた。
現在の海南島には、黎族(リー族)、苗族(ミャオ族)、壮族(チワン族)、回族などの少数民族が住む。

海南島の歴史と先住民(2)
http://yazumichio.blog.f●c2.com/bl●og-entry-781.html
リー族の言語は、シナ・チベット語族に分類されている。彼らには入れ墨の習慣がある。先祖とされる古代の「百越」の人々も
鯨面・文身をしていた。魏誌倭人伝に書かれた倭人と同じ習慣である。女性は十代前半から入れ墨を始め、
完成すると結婚できる習慣があった。リー族には紀元前の春秋時代から機織りを行っていた記録があり、
早くから木綿生産を始めた人々とされている。主食は米、サツマイモ、トウモロコシ。漁業や家畜の飼育、野生植物の
採取も行っていた。宗教は先祖崇拝や自然界の精霊信仰であった。

117 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 18:38:52.03 .net
ただし道具の共通点>113というのは、

「種禾稻紵麻 蠶桑 緝績出細紵?緜 其地無牛馬虎豹羊鵲 兵用矛盾木弓 木弓短下長上 竹箭或鐵鏃或骨鏃 所有無與?耳朱崖同」

あくまで兵器や狩猟道具の共通点であって、耕作や炊事道具の共通点を語ってはいない

また、「難升米」で”米”字を使ってはいるが>112、
難升米は中国から送られ邪馬台国に帰属していた漢族だとの説もある

難升米は漢族
http://www.lun.ac/history/wa-3c/nanshoumei.php


それに、同時に派遣されてた「都市牛利」には”牛”が使われてるが、
上記引用した通り、邪馬台国には牛はいない。

こうしたことから、
魏志倭人伝に紹介された倭国とは、
米作は行われているがさほど盛んではなく、
むしろ海洋漁労民としての性格こそがその主たる特徴であるという認識に重心が置かれており、
その理由は、本来的な倭国の中心部である北部九州から畿内までは扱われず、
倭国中心部は回避されて、その周辺部の島嶼を巡った様子を紹介してるのに過ぎないためだと考えられる

118 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 18:39:41.82 .net
百越
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E8%B6%8A
百越(ひゃくえつ)または越族(えつぞく)は、古代中国大陸の南方、主に江南と呼ばれる長江以南から現在のベトナム北部にいたる
広大な地域に住んでいた、越諸族の総称。越、越人、粤(えつ)とも呼ぶ。日本の明治から昭和期には、かつて中国南部から
ベトナムにかけて存在した南越国から南越族とも表記された。

文化面では、稲作、断髪、黥面(入墨)など、百越と倭人の類似点が中国の歴史書に見受けられる。現代の中国では廃れた
なれずし(熟鮓)は、百越の間にも存在しており、古い時代に長江下流域から日本に伝播したと考えられている[2]。

『魏志倭人伝』について考える(28)
http://yazumichio.blog.f●c2.com/bl●og-entry-789.html
越の国が滅ぼされてできた百越の民と同様の目にあった倭人は、中国南方や東南アジアの各地もしくは半島や列島に
移動し(逃げ)たのであろう。そのような従順な民族に対して、中国の中原を制覇した周・秦・漢など大国の人々は
「倭」という漢字を用いたのかもしれない。鳥越憲三郎氏の説では「日本列島に稲作をもたらした弥生人が『倭人』で、
その『倭』の古音は『ヲ=wo』で、『越』と倭人の『倭』とは、ともに上古音で『wo』といい、越人も同じく断髪・文身あった。
古代豪族 越智氏は『オチ』と発音される。越(wo)の発音が日本に伝わっている。」

119 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 18:40:51.23 .net
長江文明を引き継ぐ越族(=百越)
http://yazumichio.blog.f●c2.com/bl●og-entry-794.html
百越は大きく分けて、楚系(中流域)、越系・呉系(下流域)、巴蜀(上流域)になる。さらに、広い意味での越人は、
雲南省の少数民族、ベトナム、ラオス、カンボジア、タイヤミャンマーの北部、台湾や海南島の先住民も、長江流域から
台湾に逃げ込んだものと考えられている。もちろん、越人の中には、長江流域にとどまり、漢民族と同化した人たちも多い。
今では、中国少数民族といわれる独自の文化を維持する人たちを除けば、漢族と同化したと考えられている。
周代の春秋時代には、楚、呉、越の国を構成する。秦の始皇帝の中国統一で、秦帝国の支配下に置かれた。
漢代になると、混乱のどさくさに紛れて、秦の将軍であった「趙佗」が南越国を建て、約90年後に漢の武帝に滅ぼされる。
中国の?江(福建省)周辺の?越王「無諸」が秦に対して反乱を起こし、後に劉邦に属した。漢は無諸を?越王に封じ、
東冶がその都となった。
漢の勢いが衰え、北方からの異民族に圧迫されるようになった漢族は、徐々に南下した。この時、越人は漢族と混じる人々と、
同化できずに内陸の高地、海岸から避難する人々に分かれた。呉越戦争や秦の統一の戦いで逃げ出した人の一部が、
直接あるいは間接的に日本列島に渡来した。この人たちが弥生人であり、倭人である。
広い意味の習俗において、稲作、住居、断髪、鯨面(入墨)など、倭人は越人の一部であることは、ほぼ間違いないであろう。
現代の漢族には残らなかった熟鮓(なれずし)や納豆は、越族の末裔といわれる雲南の少数民族に残る。
長江から直接あるいは中国沿岸や韓半島を経由して、弥生時代に日本に渡ってきたと考えられる。

120 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 18:42:51.29 .net
長江文明を引き継ぐ越族(2) 
http://yazumichio.blog.f●c2.com/bl●og-entry-854.html

121 :120:2018/08/13(月) 18:43:29.16 .net
長江文明は始めから稲作が中心であり、畑作中心の黄河文明との違いからどちらの農耕も独自の経緯で発展したものと見られる。
長江文明の発見から稲(ジャポニカ米)の原産が長江中流域とほぼ確定され、稲作の発祥もここと見られる。
日本の稲作もここが源流と見られる。
中流域の屈家嶺文化(紀元前3000年? - 紀元前2500年?)・下流域の良渚文化(りょうしょぶんか、紀元前3300年? - 紀元前2200年?)
の時代を最盛期として、後は衰退し、中流域では黄河流域の二里頭文化が移植されている。黄河流域の人々により征服された結果
と考えられ、黄帝と神農や蚩尤の対立などの伝説は、黄河文明と長江文明の勢力争いに元があると考えられる。
河姆渡遺跡からは玉で作られた玉器や漆器などが発見されており、また呉城文化(紀元前1400年? - 紀元前1000年?)からは
磁器が発見されている。中国文化の重要な一翼を担うこれらの文物の源流がここから出たのではないかとする説もある。
これらが後の楚・呉・越に繋がったと考えられるが、どのような流れをたどって繋がるのかは未だ解らない。

122 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 18:54:07.35 .net
弥生人が百越の子孫だとしても、
琉球人は縄文人の子孫だし、九州南部から南西諸島民はいずれも百越とは関係がない
もちろん台湾先住民もポリネシア民も、フィリピンなど東南アジアの一部民も
これらはオーストロネシア語族であって、百越ではない
つまりは邪馬台国に示された文化習俗の特徴は>>117
種族のルーツではなく、地理的地政上の共通点や文化交流の結果として生じているはずである


台湾原住民
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E5%8E%9F%E4%BD%8F%E6%B0%91
台湾原住民族の言語
オーストロネシア語族(マレー・ポリネシア語族)に属する諸言語を話している。
このことから、台湾原住民族はもともとインドネシア・フィリピン方面から渡ってきた民族であろうとする説もあるが、
台湾原住民諸語がオーストロネシア語族の祖形を保持しており、考古学的にも新石器文化は
台湾からフィリピン、インドネシア方面へ拡大しているため、オーストロネシア語族は台湾から南下し、
太平洋各地に拡散したとする説が有力である。

台湾原住民族の風習
台湾原住民族にとって、入れ墨は通過儀礼の一つである。顔面や体に入れ墨を彫ることにより、大人社会への仲間入りを認められる。

123 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 18:59:39.56 .net
もうちょっと、要点をまとめてくれないかな?

124 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 19:09:00.60 .net
>>117 追加
他の官名に「伊支馬」「弥馬升」「弥馬獲支」
だが邪馬台国に”馬”はいない

125 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 19:24:47.28 .net
コピペ貼りまくったらかえって読んでもらえなくなるよ。
掲示板というものの性質をちゃんと理解して投稿してくれ。

126 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 19:26:41.48 .net
>>124
>だが邪馬台国に”馬”はいない

それ、大陸側の当て字の表音文字だから、馬がいるかどうかとは関係がない

127 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 19:30:42.76 .net
>>126
124のレスは、「難升米」の”米”は稲作の”米”論への反論

128 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 19:33:28.28 .net
>>123
つまりね、じゃあまとめよう

魏志倭人伝の記述を分析してゆくと、壱岐や対馬で耕作はしている
田を耕してる。だが耕すのは畑であって稲田ではないのでは?とは思うが、
稲田だとしてもいいだろう。だが、それでは食うに足りずに倭人は海産物を食べてるのだとしてる

邪馬台国も同様だ
そこには一言も米を食ってるとは書いてない
稲田の存在への言及は、衣料などの原料目的で栽培してることと、
酒造(の原料)により間接的に言及してるのみで、食料はあくまで魚介と生野菜と肉とのみだ

もし弥生時代の倭国を訪問してその社会的特質を記すならば、
真っ先に米作に触れるはずなのにそうではないことから、
その社会は倭国の中心ではなく周辺部だとみなされる
このことは、邪馬台国を、米作に適してるようで適してない沖縄に定めることに有利な事実だと言える

そして類似性を指摘するのに持ち出した海南島民は、
そのルーツが百越ならば、
当時の海南島は米作社会だったろう
であるならなにより耕作炊事道具の共通点が指摘されるはずだが、
一致してるとしたのはあくまで戦闘・狩猟用道具である


邪馬台国の入れ墨の起源は漁労にあったと記述されている

「今、倭の水人は沈没して魚、蛤を捕るを好み、文身は、亦、以って大魚、水禽を厭(はら)う。後、稍(しだい)に以って飾と為る。」

入れ墨文化は百越、台湾、邪馬台国、ポリネシアと拡がっている
入れ墨の共通点は、民族の壁を通り越して、南方の太平洋文化の特質となっている
沖縄の邪馬台国の果てに侏儒国、裸国、黒歯国と言った記述は、
そうした広汎な海洋文明間の交流に由来した情報だと推測できる

129 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 19:55:35.38 .net
>>127
>124のレスは、「難升米」の”米”は稲作の”米”論への反論

どういう理解だ?
「難升米」の”米”しかない、というのは、
魏志倭人伝に米を食べているという直接の記述はないという意味だぞ

130 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 19:55:47.89 .net
仮に邪馬台国が沖縄だとして、
どのようにして酒を造ったのか、
米を炊く蒸すところからだが、道具がない
だが>>111で青森亀ケ岡式縄文土器が発掘されている
縄文文化圏の超遠距離海上交易によるものだろう
それ以来続く交易ルートから炊飯道具を入手したのではなかろうか?

縄文よりは進んだ集権社会だが、弥生のような耕作社会よりは狩猟採集社会に近い、
関連項目として入れ墨やお歯黒などが出てくるのなら、
邪馬台国はいわゆる「照葉樹林文化」という別個のカテゴリーの観点から分析されるべきではなかろうか?

131 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 19:59:28.33 .net
>>129
直接の記述はないが、高位の者に”米”と付けてるからには米作りしてる社会のはずだとの論理が成り立つが、
牛や馬など存在しないものの文字を使ってるのはなんでか、
よって米と書いてても米作りしてたとは言えないと反論したんだよ

132 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 20:06:56.30 .net
海南島民は百越だから米を作ってたろう
弥生人は百越なんだから米作ってて当然なのに、
邪馬台国民は必ずしも米を作ってない
これは邪馬台国民が百越弥生系ではないからだ
文身などの南方海洋民特有性を持ちながらも種族を異にしている

133 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 20:22:23.87 .net
>>131
>高位の者に”米”と付けてるからには米作りしてる社会のはずだ

おい、倭人は漢字を知らないし、自分の名前を漢字で付けたりしないぞ
大陸側の当て字の表音文字だから、米を食べてたかどうかとは関係がない

134 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 20:23:44.83 .net
>>133
中国はそうやって何かとその特徴と関連付けた当て字をあえてすることが多いだろ

135 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 20:28:53.11 .net
>>134
米の特徴のある人ってどんな人だ?w

136 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 20:38:51.96 .net
>>135
東〔魚是〕(テイ)人@ー倭国と東〔魚是〕国
https://35546864.at.webry.info/201105/article_4.html
「東〔魚是〕人」(東?人)の〔魚是〕の文字です。

*是→「ティ」、と読むときは、「ふち」「さかい」「はし」という意味につかいます。
つまり、「一番端っこ」というときに使われる文字ということになります。

そこで、「東是人」となれば、“東の一番端っこの民族”という意味となります。・・が、この場合は違います。
「是」の文字にサカナ(魚)偏が付いているのです。

このナゾを古田氏は解いたのです。それは・・・、「高句麗」の中の「麗」の文字についてです。
三世紀「魏志」の中では全て、この「麗」の文字を使っています。
ところが、宋の時代となると違ってくるのです。
「高句麗」の「麗」の文字が、五世紀の『宋書』の中では「驪」と、馬偏の付いた文字に変化して使われているのです。
これには、歴史的な由来があるのです。

(元嘉十六年〔439〕)太祖、北闘せんと欲し、lに詔して馬を送らしむ。l、馬八百匹を献ず。・・・・・・・・・・・(『宋書』高句驪伝) 
〔注、「l」は、高句麗王(長寿王)の次の王の名です〕
つまり、「l」王のとき、馬が特産物として宋王朝に献上されたことを述べているのであり、その特産物の馬に因んで、
「高句麗」の「麗」の字に馬偏を付けて、書類上の記載時には「高句驪」という名の国名に取り替えて使っていたのです。

・・・・・古田氏は、ここからヒントを得たのです・・・・・。「是」に「魚」偏を付けて〔魚是〕という文字の創出へ・・・、と。
つまり、「漢」の時代から、この特産物に因んだ名前の付け方に由来していた・・・、のだ!・・・、と。

「東〔魚是〕人」の意味とは・・・、
““列島に住む「倭人」の隣の一番東の端っこに住む、魚を献上してきた民族””に対して、「東〔魚是〕人」と名付けていた、ということです。

東〔魚是〕人Aー鯷〔魚是〕(テイ)と銅鐸
https://35546864.at.webry.info/201106/article_1.html
金印の「倭人」と銅鐸の東魚是*(とうてい)人」
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku13/yamaic33.html

137 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 20:57:05.62 .net
>>122 >>132
台湾先住民には入れ墨文化があるが、彼らは山岳民族で米は作らない
入れ墨をしてるタイヤル族というのは首狩り族で山岳地域の焼き畑狩猟民
一番多いアミ族は米を作る一方で漁業や畜産も。母系氏族だが入れ墨の習慣はないようだ。


台湾の原住民族 - 台北駐大阪経済文化弁事処
https://www.roc-taiwan.org/jposa_ja/post/169.html

2018年4月17日
台湾 先住民の入れ墨文化「紋面」消滅へ 映像などで保存
https://mainichi.jp/articles/20180418/k00/00m/030/081000c
>  【苗栗(台湾北部)福岡静哉】台湾で、先住民族が成人の証しに顔に入れ墨を施す無形文化遺産「紋面」の保持者が
> 90代の2人だけとなり、消滅の危機にひんしている。
>
>  行政院によると、紋面は台湾北部のタイヤル族、セデック族などが受け継いできた伝統。男性は狩猟、女性は…

138 :日本@名無史さん:2018/08/13(月) 20:58:06.29 .net
なお、アミ族が米を作るようになったのはいつからなのかは不明だ

139 :日本@名無史さん:2018/08/14(火) 00:36:09.60 .net
魏志倭人伝は女王の名に卑の文字をあてつけて用い、
国名には邪の文字を押し付けている
だがそこには牛も馬もいないとし、米にも言及がないのに、
なぜ国名や人名にはあえて牛や馬や米の文字を使用しているのだろうか?

140 :日本@名無史さん:2018/08/14(火) 00:38:06.93 .net
縄文人というのはアイヌ人と共通祖先をもつ北方系種族とように思われて、
アイヌ人はあくまで縄文系が北方のオホーツク民と混血した者なのであって、
やはり縄文人は南方に出自し、マレーシアなどの南方系種族ということになってきてる
であれば、縄文系の沖縄民が太平洋海洋文明的特質を持ってるのは当然で、
それは倭人伝の邪馬台国の記述に示された特徴にも通じている

2011/12/05
【人類】アイヌ・沖縄同系論 研究進む祖先の歩み
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1323033748/
2012/10/31
【社会】日本列島に住むヒトの集団の中では、北海道のアイヌは本土日本人よりも琉球人と近縁性が高い
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1351688582/
2014/09/18
【国内】沖縄人ルーツ「日本由来」 南方系説を否定 ★2
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1410968500/
2018/07/13
【人類学】縄文人、ラオス・マレーシアにルーツ? ゲノム配列解読[07/11]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1531460749/256,260,272

141 :日本@名無史さん:2018/08/14(火) 00:44:05.87 .net
百越は長江文明の継承者だが、
稲作は収穫高に優れて人口増産に適し、集落社会の急速の発展に結びつく
そのための灌漑を通じて社会の統制は強化されるも、
農作業に労力と時間を拘束される労働集約型の欠点がある
稲作に適した水資源の豊富な地域は大河や沿岸部に位置し、
蛋白の摂取のためには漁業とセットの産業構造となる
漁業もまた、漁師を長期間海洋に送りだすため人員を拘束される欠点がある
こうして稲作漁労社会は、農業に漁業に人を縛られて戦闘要員に事欠くことになる
一方、漢族は北方文化の黄河文明の民だ
畑作は、畑に種を撒けば勝手に作物が育ってくれる
近場の草原に家畜を放せば数人で放牧が可能で人手を要しない
魚類は痛みを感じないから下処理に気苦労は不要で、必要な道具は鋭利であるだけでよい
だが家畜の食用化のための屠殺には、その抵抗を圧し潰すほどの凶器と狂気が必要だ
それは対人攻撃にも通じる強靭さを涵養するだろう
耕作に関してもぬかるんだ稲田より、乾燥した畑の方が開墾掘削のために農機具に破壊力が必要だ
要するに稲作漁労民よりも、畑作牧畜民の方が戦闘に有利な社会なのである
戦闘力に秀でた彼らは、収穫倍率の高さからより繁栄している稲作社会に嫉妬してその富を奪いにゆくだろう
今日では火器の発達により戦闘における肉弾的な対決が不要になって、
戦闘的な気質や日常の仕事道具の特質が直接の戦闘力を分けることはなくなったがかつてはそうだった
それゆえ百越は漢族に敗れ去ったし、敗れ去ったものが華夏の外縁部に存している
倭人の主要部族もまたその一つだろう
倭国に渡った百越の子孫が築いたであろう弥生社会はその後にどういう未来を迎えたのだろうか?

142 :日本@名無史さん:2018/08/14(火) 03:02:01.24 .net
>>136
東〔魚是〕(テイ)人というのはその所在するところが未確定だが、
魚を献上する漁獲に優れた民だと想像がつく
近年は中国との尖閣紛争に乗じて、
台湾が尖閣周辺の暫定水域への出漁をゴリ押ししてきて、
結果、領有権を棚上げして入漁を認めることになった
尖閣周辺は石油ガスが埋蔵されてるからプランクトンやエビがいて、
際だって魚が豊富だから漁民は喉から手が出るほど出漁したいエリアとなっている
魚是人を20数島の先島諸島の民と位置付けるならば、
そこに尖閣諸島が含まれる以上、漁業に特徴を持つ部族であるとの解釈に符合することになる
また、邪馬台国が沖縄の漁猟社会を指してるのだとすれば、
狗奴国との激しい対立の構図は、漁場を巡る争いだったのではないかと想像できてくる
もっとも古代には漁船に冷凍設備がないのだから、遠くの尖閣海域から沖縄まで
腐らせずに漁獲物を持ち帰ることは困難だったろうが、
より近海の漁場に限っても争いは絶えなかったはずだ
近年でも日本が韓国との間で抱えている竹島領有権問題はその発端が李ラインの設定にあり、
日本統治時代の竹島周辺海域での漁業権益継続を狙う韓国の横暴が背景だった
尖閣問題も発端は石油ではなく、漁業権を原点として複雑化している
アイルランドとイギリスとの間のタラ戦争も有名である
好漁場を巡る紛争が、周辺の島や岩礁の支配権の争いとなり、
やがては共同体や国家間の戦争へと発展することは自然の成り行きだろう

143 :日本@名無史さん:2018/08/14(火) 03:03:10.64 .net
2015/01/15
【国際】日台漁業協定、ルール議論で平行線 現行ルールでは台湾のために「操業自粛」を余儀なくされ、日本側に不満募る [転載禁止](c)2ch.net
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1421247728/
2015/12/10
【漁業】台湾のサンマ水揚げ量、今年は去年の半分程度 [無断転載禁止]c2ch.net
http://potato.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1449714535/24-25

2016/04/29
【SAPIO】台湾の「尖閣抗議団」が反日ではない理由…漁民は領土問題とは無関係[4/29]
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1461912955/1-2,76-77
http://log●soku.com/r/news4plus/1461912955/1-2,76-77

2018/04/05
【釜山水産業界】 「韓日漁業協定妥結を待っていたら漁民は死んでしまう」★2 [04/05]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1522895934/
【韓国】 日本との漁業協定 今月内に妥結しないなら「決断」=韓国閣僚 [04/05]
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1522901851/

2018.6.7
難航する漁業協定交渉に焦る韓国、「EEZを引き直せ」とは正気か?
https://www.zakzak.co.jp/soc/news/180607/soc1806070005-n1.html

144 :日本@名無史さん:2018/08/14(火) 04:15:09.57 .net
2014/09/18
【国内】沖縄人ルーツ「日本由来」 南方系説を否定 ★2
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/ne●wsplus/1410968500/
> 琉球列島内で見ると、沖縄諸島と宮古諸島の集団は遺伝的な距離が比較的離れており、
> 八重山諸島の集団が中間に位置していることも判明した。


位置関係は北から沖縄諸島、宮古諸島、八重山諸島の配列なのに、
なぜ沖縄と宮古の中間に八重山なのだろうか?
もともと八重山先住民が別種で、沖縄が八重山民を追い立てて代わりに入植した結果と考えれば、
八重山先住民が東[魚是]人の中心だったと見なし得る
彼らはまさに倭国の東の端に位置し、尖閣近くの好漁場に面している
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/8/88/Okinawa_pref3-1.png/800px-Okinawa_pref3-1.png


2013年09月13日
日台漁業協定は豊穣の海を争いと混迷の海にしている
http://maesato5688.ti-da.net/e5313746.html
http://img05.ti-da.net/usr/m/a/e/maesato5688/%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E6%BC%81%E8%88%B9%E8%A1%9D%E7%AA%81.jpg
2016年3月5日
操業ルール現状維持 日台漁業協定、八重山・三角水域で一致せず
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-233214.html
https://030b46df30379e0bf930783bea7c8649.cdnext.stream.ne.jp/archives/002/201603/large-6e463951fe0622484f1cc3bcb698d313.jpg
2018/3/18
日台漁業協定 操業見直し 八重山北方 漁船間隔7キロ 4〜7月、試験的に実施
https://this.kiji.is/347870653858219105
https://nordot-res.cloudinary.com/t_size_m/ch/images/347931052507087969/origin_1.jpg
2764 中国は見る(1505) 日台漁業協定調印
http://henmi42.cocolog-nifty.com/yijianyeye/2013/04/post-3ed0.html
http://henmi42.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2013/04/11/000.jpg

145 :日本@名無史さん:2018/08/14(火) 10:11:22.68 .net
なんだかこのスレは迷走しているね

146 :日本@名無史さん:2018/08/14(火) 10:40:35.08 .net
沖縄、宮古、八重山でDNAに差違があってそれが2000年前以前からだとすると、南西諸島は単一種族ではなかったことになる
海に隔絶された近場の閉鎖社会同士でそうであるなら、元来は彼らは異文化異種だったわけだ
先島か、そのうちの宮古か八重山がテイ人だったという想定が現実味を帯びてくる

147 :日本@名無史さん:2018/08/14(火) 10:53:06.67 .net
それだけ近場で似た地勢環境にありながらも異種を維持し、その後の交流をもおそらく忌避してのか不均衡な混合に留まったのなら、
その理由は不服従や対立だったと考えざるを得ない
沖縄と先島は敵対関係にあったはずだ
それを邪馬台国と狗奴国との抗争になぞらえることが可能だろう
先島が台湾から南越を経て南朝に通じてたなら、沖縄は難儀を強いられながらも九州から対馬、半島を経て北朝に繋がりを求めよう

148 :日本@名無史さん:2018/08/14(火) 12:03:02.32 .net
>139
記紀が蘇我氏に馬子以下、嫌みな名付をした風に、
貶める意味を込めて国名や人名に動物名などを入れるも、
難升米については教養ある漢族の出自だから免れたという解釈に至った

149 :日本@名無史さん:2018/08/14(火) 12:32:33.54 .net
>>148
>教養ある漢族の出自だから免れたという解釈に至った

いや、>>148の解釈は、歴史の真実と何の関係もないから
「教養ある漢族の出自」って、どこから出てきた?

150 :日本@名無史さん:2018/08/14(火) 19:21:50.08 .net
>>149
難升米は外交官のような存在だろ
中国に貢納するのに独自のつてがあり、中国語が理解できて漢字が読めたはずでナチュラル未開社会人には無理
 >>117
卑しい者が支配してる邪な国にはない物で名付けてる
牛馬がいない、だからお前が牛、お前は馬を名乗らす、みたいな
でも漢族の難升米は大事な米にしてやる、そう言う当て字だと想像してる

151 :日本@名無史さん:2018/08/14(火) 19:23:07.95 .net
だから邪馬台国は米をほとんど産出してなかったと考える

152 :日本@名無史さん:2018/08/14(火) 19:24:59.30 .net
だいいち名前自体が米が取れないの意味じゃないの?

153 :日本@名無史さん:2018/08/14(火) 20:23:35.88 .net
それと蘇我氏も馬だの鹿だのと、
でも稲目は米なんだな

154 :日本@名無史さん:2018/08/15(水) 10:52:41.58 .net
難升米が、魏志倭人伝を引用している日本書紀の神功紀では難斗米に変わる不思議

155 :日本@名無史さん:2018/08/15(水) 19:13:53.95 .net
琉球説は、もう打ち止めか
早かったな

156 :日本@名無史さん:2018/08/15(水) 23:26:37.26 .net
>>154
1斗=10升だ
日本側は米の量を10倍に増やしたことになる
これは倭人伝の命名の意図するところを理解してそれを屈辱に感じ、
意固地に増産したためである
それでも今日において斗米=僅かの量、僅かの給料の意味となっている
邪馬台国は米を獲れない、
それは古来より公然たる国際常識だったと言える

157 :日本@名無史さん:2018/08/15(水) 23:57:50.53 .net
ナシメじゃなくてナトメじゃないの?

158 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 07:24:44.57 .net
沖縄でも米は穫れるんだがな

>>156は、沖縄説を批判する立場なのか?

159 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 14:28:11.61 .net
>>158
弥生時代を論じてるだぜ >>113

160 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 18:04:11.34 .net
>>159
対馬や壱岐に比べれば島も大きいし、当時の人口分くらいの米は取れると思うけれど?
まあ、7万戸は無理だろうけれど

161 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 18:13:48.39 .net
>>160
じゃあダメじゃん

162 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 18:57:28.71 .net
>>161
私は、沖縄は無理だと思ってるんだけれど、
魏志倭人伝には米作、水田稲作のことは書いてないから、
米があまり取れない沖縄がばっちし条件に当てはまるって言ってる人がいるんだよ
>>156とか

163 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 19:38:01.28 .net
7万人じゃなくて7万戸だもんな。実数だと仮定すれば
30万人くらいの大都市になる。

164 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 19:45:05.87 .net
福岡しかない。

165 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 20:59:42.80 .net
>>164
沖縄説のスレまで来てそれかよw
九州説は本当に自己中で、しかも頭が悪い

166 :日本@名無史さん:2018/08/16(木) 21:06:46.28 .net
沖縄の可能性も検討しに覗いてみたが、やはり福岡ということに考え至った次第。
いつも福岡前提でいるわけではない。

167 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 02:33:23.51 .net
>>160
8世紀沖縄のコメの主生産地が伊平屋だと言うんだぜ中国の史書では>>113
そしてそれ以前の生産記録はなく、
遺跡にもない
古代沖縄はほぼコメを作ってないはず

168 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 09:56:30.38 .net
古代日本人の発音と大陸の漢字
https://blog.goo.ne.jp/ikejun_2007/e/82afb37ed34da5470bd46acc3285fec1
魏志倭人伝に登場する人物(難升米と牛利)
https://blog.goo.ne.jp/ikejun_2007/e/9c7f8699954773b744dae556c8a342ae

このサイトの考察には同意できない部分がある
漢字は自己申告ではなく、中国側に一方的な当て字だろうし、
の地位やその後の足跡についても>>117の、
難升米は漢族 http://www.lun.ac/history/wa-3c/nanshoumei.php
の理解の方が妥当だと思う

ともあれ、普通の文字適用であれば、
「奴斯目」あたりが妥当ではないか?

それが”米”を含む「難升米」にしたことには相応の意味が込められたはずで、
これは對海國で<無良田食海物自活 乗船南北市糴>、
一大國で<差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴>の

「田に不足して「市糴」してる、との記述に対応したもののはず
この「田」や「市糴」について、
以下のサイトでは、

魏志倭人伝(原文、書き下し文、現代語訳)
http://www.eonet.ne.jp/~temb/16/gishi_wajin/wajin.htm
<田んぼ(稲田)に不足して、南北の国に米を買い入れに行ってる>と翻訳している

ただ、中国語では”田”=畑および稲作田の両義性があるのだから畑を意味してる可能性があるし、
”糴”に関しても、日本では一般的に米の買い入れを意味することが多いが、
厳密には穀物全般を対象にしてるのではないか?
であれば、正当な解釈は
<良い畑がない、やや畑があるのだがいくら耕しても食料を満たせず、やむなく南北に赴いて穀物を買い入れている>
という理解もあり得るのではなかろうか?

169 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 09:58:43.96 .net
熟語の読み・一字訓読(その335):糴 糶
https://blog.goo.ne.jp/syuusyuu9701/e/4e02d38de27068ee4982cb38488b0e15
<糴:テキ、か(う)、かいよね、いりよね>
<糶:チョウ、う(る)、うりよね、だしよね、せり>

糴:テキ、か(う)、かいよね、いりよね
意味 :@かう。穀物を買い入れること。「糴糶(テキチョウ)」 Aかいよね。買い入れた米。いりよね。対)@A糶(チョウ)
大見出し:〈糴取(せどり)〉:同業者間の売買の仲介をして手数料を取ること。また、その人。「競取・糶取」とも書く。

糶:チョウ、うりよね、う(る)、せり *「だしよね」の訓掲載ナシ。
意味:@うりよね。売りに出す米。だしよね。また、穀物を売り出すこと。対)糴(テキ) Aせり。せりうり。競売。
下つき:糴糶(テキチョウ)
大見出し:〈糶取(せどり)〉:同業者間の売買の仲介をして手数料を取ること。また、その人。「競取・糴取」とも書く。
      糶(せり):@多くの買い手に値段をつけさせ、最高値の人に品物を売る方法。せり売り。競売。「・・・に掛ける」
            A競争すること。せり合いをすること。「競り」とも書く。
      糶市(せりいち):せり売りの市。売り主が複数の買い手に価格のせり合いをさせる市。「競り市」とも書く
      糶売(チョウバイ):@米を売ること。売り米(よね)。 Aせり売りすること。競売。

=主として大字源から=
<糴>
糴価(テキカ):買い入れる米の値段。
糴穀(テキコク):穀物を買い入れること。
糴糶(テキチョウ)穀物を買うことと、売ること。
糴買(テキバイ):穀物を買うこと。
市糴(シテキ):穀物を買い上げる

<糶>
糶糴(チョウテキ):@穀物の売り買い。糴糶。 A売り出す米と買い入れる米。
糶米(チョウベイ):米を売ること。
販糶(ハンチョウ):米を売り出す。
市糶(シチョウ):市場に売り出す米

170 :日本@名無史さん:2018/08/17(金) 10:09:57.63 .net
邪馬台国が常食にしていた肉というのは豚だったのではいか?今日でも沖縄では豚料理が有名だ
また、弥生人は米は炊いて食べてたようで、
炊いて料理する習慣があるなら、野菜は生ではなく同じ様に炊いて食べるはずではないか?
そう考えれば、生野菜を常食にしていた邪馬台国では米は食べてなかったと考えるのが妥当だろう


弥生時代の人もコメを炊いて食べていた
http://best-times.jp/articles/-/1483
 当時の生産力は高くなかったという意見もあるが、中期以降の西日本の平野部では1日に必要なカロリーの半分程度は十分に満たしていたという試算がなりたつ。

 また、倭人伝には「牛馬なし」と記されるが、家畜のブタの存在が明らかになった。…餌が与えられることによって、頭骨や歯に違い
がみられ、歯槽膿漏が増える。発見された骨にこうした特徴がみられることや、若い個体が多いという年齢構成から家畜のブタが
飼育されていたことがわかる。 

 イヌも猟犬としてだけでなく、食用にもされた。長崎県壱岐(いき)の原(はる)の辻(つじ)遺跡は一支(いき)国の中心集落であるが、
肉を取るため解体された骨が大量に出土している。 

…土器に残ったススやコゲの痕跡と出土品を比較して、…
弥生時代はコメを蒸して食べたのではなく、現在と同じように炊いて食べることが一般的であったことがわかった。

 また、古人骨に残るタンパク質(コラーゲン)の炭素と窒素の同位体(アイソトープ)の比率を分析することで、…
この手法を用いて、北部九州の弥生人がコメを含む植物質食料で8割近いカロリーを満たしていた結果が得られている。


・クリ、ドングリは縄文時代からの伝統食だが、弥生時代になっても各地から出土している。
コメの不作をカバーするものとして重要だった。
・漁でとっていたのはカキやアサリ、ハマグリ、タイ、サワラ、スズキ、コイ、フナなど。
海に近い集落だけでなく内陸の遺跡でも、貴重なタンパク源として魚介類が食された。
・狩猟ではイノシシ、シカ、野鳥などを獲物としていた。猟犬を使って弓矢でイノシシを狩る絵が銅鐸に見られる。
家畜のブタの飼育も導入された。

171 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 07:05:34.10 .net
>>93 >>87 >>99
>>95
>>88-89
世界最速の大隆起!うごめく台湾の大地が生み出す大奇観!〜『グレートネイチャー』
https://www.youtube.com/watch?v=bEwWCXxaVR4
> 900万年から600万年前、フィリピン海がプレートがユーラシアプレートに衝突して
> 堆積物を剥ぎ取るようにして持ち上げ始めた。その堆積物が海上に姿を現したもの、それが台湾。
> 今もフィリピン海プレートは年7cmという猛烈なスピードで移動している。

体感!グレートネイチャー 「“怪速”!大隆起の絶景〜美麗島 台湾〜」
https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2016067378SA000/index.html
驚き!地球!グレートネイチャー選「美麗島 台湾 世界最速の大隆起!」
http://www4.nhk.or.jp/greatnature/x/2018-08-16/10/2485/2170065/
8/16 (Thu) 12:00 〜 12:30 (30分)
NHK BSプレミアム(Ch.3)

番組概要
「美麗島」と呼ばれる台湾では二つのプレートが地上で衝突、世界最速の隆起が起こっている。
断崖絶壁の大理石峡谷、月世界、朝日に染まる玉山など絶景・奇観が続々登場。

番組詳細
“美麗島”の別名で知られる台湾。その名の通り、大地には絶景・奇観が続く。
標高差千メートルの断崖絶壁、大理石の大峡谷、“月世界”と呼ばれる不思議な泥の山並み。
そして朝日に輝く最高峰・玉山。こうした絶景の誕生には、「世界最速の大隆起」「地表でのプレート大衝突」という
台湾にしかない独特の地殻変動がかかわっていた。

172 :171:2018/08/18(土) 07:06:16.32 .net
台南台地の高速隆起 (1±0.5cm / 年 ?) に関連する最近の研究動向  杉山雄一
https://unit.aist.go.jp/ievg/katsudo/ievg_news/afrc_news/no.20.pdf#page=6
 台湾南西部の台南台地については,’96 〜 ’98 年の InSAR データから,約 1.5cm / 年という非常に大きな隆起速度が
報告されている.地質学的なデータからも,0.5 cm / 年程度の大きな隆起速度が報告されているが,台湾では InSAR による
隆起速度が地質学的な long-term の隆起速度の 3 倍あることが注目さ れている.


富士山より高い!台湾の最高峰「玉山」登山にチャレンジ
https://www.travel.co.jp/guide/article/6246/
玉山の旧名は「新高山」。日本の台湾統治時代に測量をしたら、富士山(3776m)より高い山であることが分かったので、
「新しく見つかった高い山」=「新高山」というわけです。標高は3952m!

皆さんの台湾のイメージと違うかもしれませんが、台湾における3,000m峰の数はなんと200座以上!
日本は21座ですから、いかに台湾が「山国」かわかると思います。
写真のようにこれらの高山が連なる姿を見下ろせるのが、玉山なのです。

173 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 07:06:36.60 .net
>>95 >>98
与那国島海底遺跡|ダイビングサービスMARLIN与那国島
https://yonagunidiving.com/iseki/

沖縄与那国海底遺跡博物館、海底地形尺図
海底遺跡ポイント尺図及び深度図
http://www.yonaguni.jp/pointo-chizu.htm

沖縄与那国海底遺跡博物館、海底遺跡の調査、遺跡様地形研究資料・第1
木村教授、新嵩:「与那国島海底遺跡の遺跡様地形の調査・研究」
http://www.yonaguni.jp/iasekiyouchikei-kenkyu-siryou.htm

174 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 07:13:38.94 .net
>>171-173
台湾は年1.5cmというハイペースで隆起しているという。
これはフィリピンプレートが北西方向に年7cmのスピードでユーラシアプレートに衝突し、
年3〜5cmずつ沈み込んでいる地殻変動の結果だ。
この衝突と沈み込みにより海上に押し上げられているのが台湾なのだ。
フィリピンプレートは年3cm〜5cm、北西方向に沈み込んでいる。
ちなみに太平洋プレートは西北西に年8〜10cmの沈み込みである。
これらはいずれも大地震の発生サイクルを作り出す原動力ともなっている。
年3cmを100年継続して3mに、年10cmを40年継続して4mに達すると大地震のリスクが高まってくる。
しかしその地震で解放される歪みは一部分にすぎず、
更に年月を経て、全解放をもたらす破局的な大地震がもたらされている。
こうして隆起し続ける台湾では、標高3952mの玉山が背を伸ばし続け、
今や我が霊峰富士(3776m)をも上回ってることはけしからん話ではある。
あの決して登ってはならないニイタカヤマノボレの旧・新高山のことだ。
それどころか、あの小さな島の台湾には3000m級の高山が数百もと、まるで砂利のように転がっているのだ。
それほどこの地域の地殻変動は劇的な効果を残している。

175 :174:2018/08/18(土) 07:14:39.64 .net
仮に台湾の隆起することの反対給付が沖縄の沈下であると考えてみよう。
むろん、地殻変動がもたらす物理的な関係性がそのような単純なものであるわけはないにしても、
年1.5cmのペースは2000年換算でで30mに相当してるのだから、周辺への影響は無視できない。
そちょうどそれと釣り合うように、沖縄の海底遺跡の水深は、概ね20〜30mと確認されているのだ。
仮に遺跡が確かに地上から水没したのだとしたら、
それは台湾の山脈が背を伸ばすように、平均的、持続的に、ゆるやかに沈下して行ったのではなく、
周期的破断のような方式で、地の底が抜けるように突如として沈下することを繰り返してきたはずだ。
その周期性の裏付けが600年間隔と推定されている琉球列島への大津波の痕跡である。
1771年の明和の八重山大津波はM8巨大地震の副産物である。
かくして長い年月をかけて積み上げられた文明が、賽の河原のごとく、一瞬のうちに消失することになった。
繰り返された大地震津波は、かつて280年〜700年の間にも発生してることが確認されている。
であれば、沖縄海底遺跡群がその際に水没したという可能性を否定することはできまい。
沖縄の海底に沈む遺構に残された矢穴や鍾乳洞は、それが確かにかつて地上にあったことを示している。
今我々がその遺構に遭遇して驚嘆する時、彼らもまた、かつて王宮として栄華を誇った時代を振り返り、
自身を愛でた地上の主との数千年ぶりの邂逅を懐かしく思っていることだろう。

176 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 10:53:44.91 .net
>>175
>仮に台湾の隆起することの反対給付が沖縄の沈下であると考えてみよう。
>むろん、地殻変動がもたらす物理的な関係性がそのような単純なものであるわけはないにしても

沖縄もフィリピン海プレートに押されて隆起する側だよ
いい加減なことを書くとますますトンデモにしかならない

177 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 12:08:01.56 .net
>>176
しかし東シナ海の大陸棚は琉球孤の東で窪んでるよね
沖縄トラフのことだよ
押されてただ隆起するだけならへこむはずがない
ある時、受ける力を分散するために蛇腹のようにうねりを作り出して、
隆起と沈下とを重ね合わせにする構造を作り出す
日本列島もまた東南から押し上げられるも、北方に日本海、中腹に瀬戸内海という窪みを抱えている

178 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 12:09:00.34 .net
> の西で窪んでるよね

179 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 12:21:42.27 .net
>>170
土地の食文化はその地域性に由来するもので歴史的なものだ
鯨と違ってイルカ食は日本人に馴染みはないが、和歌山の太地町のそれは国際的な論争を呼んでいる
今では食べなくなった鯨は縄文以来の伝統だった
壱岐での犬食痕跡は現在との繋がりを持たないが、それは鯨と同じで代替があって絶えたものだ
だが近場の韓国では今でも犬食で鳴らしている
かつて食してたのはゆえあってのことだろう
だから沖縄が豚料理に特色を持つことは地理的伝統的であり、
関西が豚の関東と比較して牛が主流であることもまた古代からの歴史的な因果を持っている
きっと沖縄にあったろう邪馬台国は豚を常食にしていたに違いない

180 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 13:22:40.91 .net
2018/08/14
【お江戸の人らは稗や粟を食べてはるらしいどすなぁ】江戸時代の毛髪分析で食生活判明 上方人は江戸っ子より米を多く食べていた可能性
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1534241043/

181 :日本@名無史さん:2018/08/18(土) 16:51:11.61 .net
http://geo-scape.com/okinawatikei/

沖縄の海岸線は白砂のビーチしかないイメージだが、実際は地盤の隆起にともなう険しい海食崖が圧倒的に多い。

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