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欠史八代とは何だったのか? 其2

1028 :日本@名無史さん:2022/02/28(月) 03:59:42.68 .net
辰韓の王家から末子相続の為に追い出されたヒボコは、代11代大国主の代、神門家の速甕之建沢谷地乃身の時代に渡来した
出雲の八重垣の掟を守ることを拒否したヒボコは定住場所の提供を出雲に拒否され、出石神社の近くで海上生活を送ることになった。

尾張氏で言えば3代大君磯城津彦の頃
磯城登美家で言えば、建ミカズチの頃
海部で言えば笠津彦の頃
紀元後100年頃

そこからヒボコの代数を並べても倭国大乱期にはちょっと代数のずれがある
村雲を1世孫として系図を書いてみる

3天乃日矛→4多遅摩母呂須久→5多遅摩斐泥→6(多遅摩毛利、多遅摩比多可)→7葛城高額比売(母系)→8神功皇后
息長家暫定 7息長宿祢王→8神功皇后

息長家はヒコイマスの系統で、丹波道主→ヒバス姫の腹違いの系統
9開化(尾張+物部)→10ヒコイマス→11山代大筒木真若王→12メンドクサ→13息長宿祢王

ヒボコの系図は、少なくとも13-8で、5代くらい欠損していることが分かる。

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