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欠史八代とは何だったのか? 其2

1 :日本@名無史さん:2019/03/06(水) 00:39:29.03 .net
議論の続きをどうぞ

前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1547384861/

269 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 15:33:33.50 .net
>>30

八井耳系の多臣氏なんて邪馬台国時代より前には九州に居たからな
九州発って割合に分かってるのは、物部くらいの物。
水稲遺跡は徐福時代よりずーっと前の前10世紀あたりのものが佐賀で出ているし、奈良の御所市では邪馬台国時代より100年前の中西遺跡がある。
紀元前後ではヤマトで製鉄も行われているしね。

畿内政権が出来る前から三島(越智)は奈良湖の開拓をして稲を作ってた
三島氏はよく分かってないが、どうも古い一派は九州に居て、白山信仰を帯びていたようである。
邪馬台国時代以降はヤマトから離れて三島大社のあたりに落ち着いた様子。
二田物部氏、三島氏は越智と関連が強く、白山信仰の中核を成すようになっていった

新潟の二田物部氏の社家はなんと三島氏。代数は130代ほどを数えるという

我々が今まで思ってた以上に、九州とヤマトの文化差は少ないのではというのが最近の研究

そもそもが、先代旧事本紀でも、大和と物部の腹違いの兄弟が婚姻して村雲が生まれている訳だからな。
物量の差はあっても、文化差はさほどなかった、政治機能が並立していたというのは後の魏志倭人伝の一大卒の話にも出てくる様に、理にかなってる

270 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 15:36:24.42 .net
>>32

そう、その二つが戦っていたから、アホどもの議論がいつまでたっても終わらないんだ。
馬鹿どもはお互いが、神武だと主張して譲らないからなw

三角縁神獣鏡も典型例。馬鹿みたいに邪馬台国時代の鏡だって、全部を自分の処に我田引水するから議論が終わらない

271 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 15:40:44.40 .net
>>57

そもそもが、朝鮮人右翼が日本の歴史に首を突っ込むこと自体が穢れ

三国志記とか見てればいいのに

272 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 15:43:54.64 .net
>>91

三船淡海そのものが開化系の物部氏の血が入った人物だからね

273 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 15:50:18.75 .net
>>104

三輪大君説ですか?太田氏ですね。
大物主は三輪の祭神が男神のみになったあとに事代主を大物主に替えたとされます。

今では纏向遺跡と名は代えられましたが、あの遺跡、元々は「太田遺跡」と呼ばれていました
現在でも太田地籍は残っています。

鴨族(タキツ彦)系と、加茂氏は厳密に言うと違うんですが。
鴨族には、タキツ彦系と、事代主系の二つがあります。

274 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 15:55:15.98 .net
>>269
>物量の差はあっても、文化差はさほどなかった、

物量の差を無視してはいけないだろ。
単に畿内が九州の植民地だったことを裏付けているだけ。
物部氏の祖の饒速日は、筑紫の日向で生まれたアマテラスの孫だからね。

275 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 15:58:01.85 .net
>>260

あら太国さんお久しぶり。
「何故100を超えるのかスレ」であのスレ主、撃沈で面白かったですね〜。
あのあとスレ続きませんでしたね。

古事記の神武(磐余彦)は物部氏ですよね〜
神武が出立して、大和に到着したのがウマシマジっていつの間にか書かれてるのに、製作者が何を考えてたかって普通は疑問に思うところですよね〜

276 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 16:12:45.94 .net
>>274

物量の差を考慮に入れるのなら、邪馬台国事件の直前に九州に実用鉄器の生産がピークを迎え、三世紀には衰亡に近いレベルにまで落ちる事を説明しなければなりません。
邪馬台国の景初前後は、丹後が日本一(ヒボコの地盤だったから朝鮮から鉄を持ってこれた)、その後、6世紀には柏崎辺り、新潟が日本一になりますよ。

アマテル神社は元は男神ですよ。アマテラスの話は混ぜると面倒

海部家の祖はホアカリを祖とします。
出雲の旧家の伝承だとニギハヤヒを祖とする家系になり

先代旧事本紀では、アマテルクニヒコホアカリニギハヤヒが同一人物でしょ?

だからヤマトと九州には文化差がないって事になるわけ。同一人物だからね
ニニギはニギハヤヒの投影。磐余彦時代の物部東征と、卑弥呼の時代の崇神あたりを一つに圧縮して朝貢の歴史を消したから便宜上出てくるニギハヤヒの投影
景初は二回目の物部東征だよ
更に記紀はちょっと無理して神功皇后を卑弥呼と偽装するようにざわざわ神功皇后記で魏書を引用している

だから山門なんて邪馬台国でも何でもない。記紀の制作者の思惑通りに動くアホ。

本来の神武
磐余彦の神武(ウマシマジが大和入りしたとなる不自然な記載の時代)
崇神の頃の神武(景初の時代。だからミマキと名を変え、任那あたりに居たのか?と思わせる諡号になった)

この3つが全部同じ時代に起きたように隠されている

277 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 16:22:17.01 .net
>>276
>アマテル神社は元は男神ですよ。アマテラスの話は混ぜると面倒

面倒でもなんでもない。
アマテラスは男王でもなんの問題もない。

>だからヤマトと九州には文化差がないって事になるわけ。同一人物だからね

同一人物論のほとんどはアホ
まとめるから余計にややこしくなる。
文化に差がないのは、どちらの九州出身だからでしょ。
でもそれは倭国の本家が九州で、倭国女王卑弥呼が都した邪馬台国も九州でいいじゃないか。

278 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 16:29:39.20 .net
>>277

>面倒でもなんでもない。
>アマテラスは男王でもなんの問題もない。

いやいや面倒でしょ、アマテルの孫がニギハヤヒなんでしょ?

>文化に差がないのは、どちらの九州出身だからでしょ。

いんや、ここがアレなんだけど、スサノオ。
徐市とスサノオだけは、二度日本に来ている。
一度目は和名、ホアカリ、出雲の五十猛海岸辺りに到着
二度目は和名ニギハヤヒを名乗り、九州に。出雲の分家の宗像家と組んだ

だから記紀でもスサノオは三女神と近い位置に書かれている。
大陸にスサノオの正体がバレても大丈夫なように「女系の先祖」としけ書かれるほどに注意が払われている

文化に差が無いのは、二度日本に来ているから

海幸彦と山幸彦は実は本当に腹違いの家だったからだよ。隼人なんて海幸彦と何の関係もない、宇佐族とかと一緒の昔からの九州の土着の一族

279 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 16:34:54.12 .net
>>277

>邪馬台国も九州でいいじゃないか。

難しいのはココなんですよ。
二回目の東征が卑弥呼の時代。正に東征を伺える記述になってるでしょ?

つまり、邪馬台国は九州に大量の兵隊が集結している訳だ。
で、九州がヤマトに進軍し、もぬけの殻になった。

西都原に集結した軍勢は、宇佐八幡を経由し、瀬戸内海の吉備国と正面からぶつかった。そしてマガネ吹くと言われるほどの鉄器の国家である吉備国を倒し、大和に流れ込んだ

記紀ではどういう形に書いたかと言えば、「大和が大和を攻撃したように」なってるわけでしょ。
そのまんま書いてあるよ。

磐余彦が神武なのに、到着したのが物部氏のウマシマジ。

そのまんま、大和が大和を攻撃したように書いてある。

大陸を誤魔化して日本の独自性を主張しようとしたのが記紀

だから、日本国民から見たら何を細工したのかは分かるように書いてある

280 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 16:38:51.73 .net
つまり、「大和は既にあったけど、集結した軍隊もヤマトとして書かれて神武になってる」わけだ。

邪馬台国なんて国としての実体のない、西都原に集結した軍隊の事を差している。
便宜上の存在だから、後の解釈によって九州にも奈良にも受け取れるんですよ。

しいて言うのであれば、都万国が邪馬台国。(あくまで大陸の魏書からみたらだけど)

281 :太国 :2022/02/02(水) 16:41:43.11 .net
アマテラスは男ではない。女性だよ。
これは秀真伝の盲象。

282 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 16:49:35.94 .net
>>278
>いやいや面倒でしょ、アマテルの孫がニギハヤヒなんでしょ?

男王の孫。

>>278
>海幸彦と山幸彦は実は本当に腹違いの家だったからだよ。隼人なんて海幸彦と何の関係もない、宇佐族とかと一緒の昔からの九州の土着の一族

土着で済ますなよ。
それも元を辿れば筑紫の日向の生まれなんだよ。

283 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 16:51:56.90 .net
>>279

言っていることがわけわからん。
神武が敗走して東征したのなら、勝った側の勢力が九州に残るじゃないか。
記紀は悔しいから何も書かないだろうけど。

神武とウマシマジを混ぜている理由もよくわからない。

284 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 16:53:04.07 .net
>>280
>しいて言うのであれば、都万国が邪馬台国。

投馬国と邪馬台国が同じとか、意味わからんわ。
もう黙っていたら?

285 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 16:54:00.50 .net
ヤマトが大和を攻撃する構図は、きちんと魏書にも書かれている。

九州の卑弥呼が、朝貢の際に、大和を名乗ってる訳でしょ?

「一人の人物から端を発している」お家騒動だったから、お互いが正当なヤマトを名乗っただけの話。

ヤマトとは畿内のヤマトだけど、九州勢も血筋の大義名分があったから、ヤマトと名乗れたというだけの話

じゃなきゃ、既に昔から朝貢しているヤマトをブチ倒しに行きますなんて九州勢が大陸に名乗れるわけないじゃん

伊都は、昔から大宰府と一緒で、首都がそこにあるように見せかけて本土を防衛するための二重構造
日本府と同じ
だから一大卒と書かれるようになった。

安曇は大した役割の存在ではない。畿内の政権の親戚として伊都の長官やってただけ

286 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 16:55:37.25 .net
>>282

男系の方が渡来者だったなんて一番記紀で隠したい事じゃんwww

287 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 16:57:23.83 .net
>>283
>神武とウマシマジを混ぜている理由もよくわからない。

それは記紀に聞きましょうね?w
到着したのがウマシマジと書いてあるわけでしょ?
五瀬が毒矢でやられて、どの兄弟かは分からないけど大和までは入り込んだわけだ

古事記の方だったっけか?

288 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 17:00:47.45 .net
>>283

>神武が敗走して東征したのなら、勝った側の勢力が九州に残るじゃないか。
>記紀は悔しいから何も書かないだろうけど。

記紀が悔しいと書いた理由は九州の歴史に対してという意味ですか?www意味が分かりませぬ

垂仁のあとに景行天皇が九州をボコボコにしますが、それだと筋が通りませんね

東征が成功して、天皇が手のひら返しで九州を攻撃ですか。普通なら実家と仲良くするのでは?

289 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 17:02:07.77 .net
>>282

竜宮伝承は、九州というよりは、福井辺りの日本海側で広がる伝承で、九州にはその一部しかありませんよ

290 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 17:14:04.92 .net
>>286

天照は筑紫の生まれであり、渡来人ではないぞ?
話の前提が妄想だらけで話が通じないなあ。

291 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 17:14:36.81 .net
>>287
>到着したのがウマシマジと書いてあるわけでしょ?

どこに書いてある?
その前提が誰にも理解不能。

292 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 17:16:04.95 .net
>>284

この動画面白いですよ〜
https://www.youtube.com/watch?v=H9RcFp7PrRw

西軍側の軍隊が集結したのは生目古墳群とか都万神社があったあたりとされています
三角縁神獣鏡が現在では国産説が言われ始めていますが、それとも矛盾しませんよ。
何故ひむか、宮崎に日向伝承が生まれたのか?

それは物部イニエ、物部イクメが魏書の卑弥呼と関係しているから。

そもそもが東軍側、畿内側の鏡でしたからね。あの鏡は出土状況からしても東征してない

生目古墳群は、イクメの子孫の物部大タラシヒコが作ったとされる。
九州に攻め込んだからね

今でも都万神社って、西都原地籍のあたりにあるんじゃね?

293 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 17:16:38.63 .net
>>288
>垂仁のあとに景行天皇が九州をボコボコにしますが、それだと筋が通りませんね

ここも読み違えている。
景行が荒らしたけど、結局は筑紫の女王の手のひらで使われていた。

>東征が成功して、天皇が手のひら返しで九州を攻撃ですか。普通なら実家と仲良くするのでは?

異母兄弟を政敵として倒す家系ですよ。
遠い親戚なんて、仲良くするわけがない。

294 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 17:17:13.90 .net
>>289
福井だという根拠は?

295 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 17:19:45.42 .net
まあ、越も香椎あたりにいた博多湾沿岸の国が東征したのどから、どうでもいいか。
伝承も持っていったのかもしれないし。
要するに、筑紫からの東征は何度もあった。
それを、あれとこれは同じかもしれないと邪推するのは、無駄なこと。

296 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 17:33:38.74 .net
>>293

>異母兄弟を政敵として倒す家系ですよ。
>遠い親戚なんて、仲良くするわけがない。

おお、それそれ、まさにそれですよ。
海幸彦(尾張家、海部家)と、山幸彦(物部家)は、親戚で勢力争いをしたという事ですよ〜

物部東征によって、ヤマトの出雲系は土蜘蛛にされ、九州の反攻勢力(宇佐家=豊家)は土雲に落とし込まれました。

297 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 17:35:22.43 .net
>>293

>景行が荒らしたけど、結局は筑紫の女王の手のひらで使われていた。

そのころすでに女王様は居ません。
神功皇后はその次の代、成務以降の人物

298 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 17:36:37.90 .net
>>294

籠神社

299 :太国 :2022/02/02(水) 17:46:33.52 .net
>>275
あいつは在日だろう?

300 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 17:51:12.89 .net
>>296
>海幸彦(尾張家、海部家)と、山幸彦(物部家)は、親戚で勢力争いをしたという事ですよ〜

海幸彦よ山幸彦の関係が、尾張家と物部家の関係に似ているのはそうなのだろうけど、同じということではない。
歴史は繰り返しているというだけ。
日向国の都万神社が海幸彦の国ですよ。
隼人の祖先は公式にも海幸彦とされていたはず。

301 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 17:51:54.31 .net
>>295

>伝承も持っていったのかもしれないし。

おお〜、確かに伝承というのは侮れませんね。
天孫降臨だって、飛騨にもありますし、本当に伝承というものは子孫が先祖の偉業の検証のために移動する事は十分に考えられますね。

高天原は、記紀の制作開始時ではヤマトだったらしく、タキツ彦系の鴨族の地盤だったあたり、高天彦神社の西側当たりの平らな大地には今でも高天原の木だか石塔がありますしね。

302 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 17:52:56.63 .net
>>297
>そのころすでに女王様は居ません。
>神功皇后はその次の代、成務以降の人物

神功皇后の2代前、景行の時に、三種の神器を掲げて景行を迎えた筑紫の梟師、神夏磯姫がいます。
景行は結局、神夏磯姫が言うままに政敵を討伐しました。

303 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 17:53:28.57 .net
>>298

竜宮とは関係ないですね。
饒速日の宮の一つ。

304 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 18:03:01.13 .net
>>300

>隼人の祖先は公式にも海幸彦とされていたはず。

その割に冷や飯ぐらい過ぎませんか?隼人族は。

隼人族は、最初の東征、五瀬軍の際に、吉備国を避けて四国ルートから紀伊國に上陸する作戦の際に、九州で仲間にしたという伝承があります。
しかし、名草軍に撃退されて和歌山ルートに切り替わったとされます。
これは、サバイバルで有名な小野田さんの実家、名草の頭部を祀る、オコベ神社の伝承でもあります。
五瀬が死んだあと、残った二人のうちどちらかが大和入りしたのか記紀の制作者は分からなかったらしく、ウマシマジを創作
それであんな記述になったらしい

景行帝は九州で亡くなり、西都原の地に葬られ、その墳墓は西都原古墳群の男狭穂塚であるそうです。
「大和は 国のまほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和し 麗し」は、記紀の制作者、柿本人麻呂が作った歌だそうです。

西都原が海幸彦の土地なら、山幸彦(生目を祀る物部氏の聖地)が、山幸彦(物部)にボコボコにされた構図になってしまいませんですか?

305 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 18:06:20.76 .net
>>299

>あいつは在日だろう?

ガちもんの朝鮮右翼の気がしますよね。
神武陵の近くの被差別地域に詳しいことと言い、ちょっと闇が深そうですよね。
どう考えても、物部系の神武、嫌われて奈良から追い出された物部氏系の陵墓ですもん、アレ。

元から居た村雲系(神武)の尾張家の地盤であんなに差別されるはずがありません。
加茂氏も阿部氏も結局畿内に地盤を持ったままですものね

306 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 18:15:43.68 .net
>>302

日向では御刀媛を娶ったのでは?
それが後の日向国造家になりました。

九州の反攻勢力=土雲の本家とも言える竹田の一族をことごとく滅ぼした景行帝は、おそらくですが宮崎に至り、物部本来の地盤、西都(現在の西都原)にて自らの王国としたのではないでしょうか

男狭穂塚古墳の前方部は、後の時代につくられたものであり、もとは円墳に近い帆立貝式の古墳であったと考えられています。

奈良のホケノ山古墳は、本来は、豊家を表す、豊家山古墳と書くのだそうです。
そう、大神神社は、トヨの墓の伝承をもっています。あれもホタテ貝型の弥生式墳墓。正式には古墳扱いされない物です。

箸墓古墳も、実は前方後円墳に改造されたのが江戸時代という話があります。
あれも、本来は同じホタテ貝型こふんであったと。

もとは、高市古墳と言って、纏向遺跡と同じで全く違う名前で呼ばれていました。
古図が伝わっていますが、何と円墳として書かれています。

この伝承を伝える説では、トヨは、イクメ〜大タラシヒコの時代の人物とされています。

307 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 18:17:55.02 .net
>>304
>西都原が海幸彦の土地なら、山幸彦(生目を祀る物部氏の聖地)が、山幸彦(物部)にボコボコにされた構図になってしまいませんですか?

言っていることがよくわからないけど、矛盾が生じるなら、あなたの立てている物部氏についての仮説に問題があるのでしょう。
山幸彦の聖地は、山幸彦本人を祭る糸島の高祖神社ですよ。
ここが邪馬台国の中心地でもあります。
そこから出発した神武の末裔であるところの景行が、分家である海幸彦の投馬国を叩いても、当時の価値観からすれば問題ないですね。

308 :太国 :2022/02/02(水) 18:21:26.81 .net
>>305
なかなか自説を曲げて間違いだと知る者って少ないです。
いったん自説に確信をもてば三つ子の魂百までというか、変えようとしないで
ほとんどのそういう人は頑張ります。
やつもそのようで卑弥呼が紀に公開されてるのを鋭く指摘しても隠匿だとか
一時言い張ってました。w

だからスレから消えても自説を固守してるだろう考えていましたが、
稀に書きこんでて、変わった点は帥升=スサノオ説の部分だけ書かなくなり、
他の部分はまだ正しいと思っていたようで主張してました。
帥升に日神も月神も五男三女神も一緒にいたという資料は
ないだろうと突くと、罵声を言ってきましたが、おや? この点
だけはおかしいと奴は思うようになったと思いますが・・・?
それ以来ここだけは書きこんでないようです。

なかなか書きこみ者は自説はすてませんよ。w

309 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 18:26:02.35 .net
>>306
>日向では御刀媛を娶ったのでは?

景行天皇は、九州のあちこちの女性首長を自分のものにしました。
その子供は80人を越え、日本書紀編纂時にはすでにその大半がどうなったかわからなくなったとあります。
ただ、さすがに筑紫の女王であった神夏磯姫がその中に含まれるかどうかはわかりません。
なお、神功皇后が倒した田油津姫は、その神夏磯姫の末裔だそうです(おさらく孫)。
神功皇后は、景行天皇の孫の仲哀天皇や、その皇子達も亡きものとしていますので、
もし田油津姫が神夏磯姫と景行天皇の孫であれば、神功皇后は景行天皇の血筋を文字通り根絶やしにしようとしていたのかもしれません。

310 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 18:26:20.59 .net
>>303

>竜宮とは関係ないですね。
>饒速日の宮の一つ。

二度来日していますから、当然に子孫が作った拠点です。

海部氏(分家)と、尾張氏(本家)は、村雲(本来の神武)の家系で、二回目の物部東征で最終的に山城国に逃げ込みました。
そのころ、ヒボコ族はボコボコにされ、海部氏は本来の故郷に復帰できたのです。

尾張氏は、本来の神武の象徴、村雲の剣を持っています。これは銅剣。
三代目の沼川耳(磯城津彦王=安寧)からは折り合いが悪くなってしまい、王家二派銅剣を渡さなくなってしまったそうです。

対して、景初時期では、すでに中国の炭素量を調整できる製鉄法と、朝鮮半島の磁鉄鉱を組み合わせる現在の鋼に近い素材による武器の製造が可能になった時代。
つまり草薙の剣は鉄剣

飛騨の水無神社には、天孫降臨伝承があり、現在でも祭神は物部の影響を受けていません。
本来の尾張氏、出雲の神様です。

故に、熱田の草薙の剣が、戦時中に水無神社に疎開されました。
それは本来の血筋を表しています。

311 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 18:28:32.57 .net
ああ、日本書紀が景行天皇の末裔は多すぎて追いきれないとしたのは、神功皇后が倒した田油津姫が景行天皇の孫であることをしらばっくれるためだったかもしれない。

312 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 18:44:42.01 .net
>>309

>神功皇后は、景行天皇の孫の仲哀天皇や、その皇子達も亡きものとしていますので、

おお〜、確かに若くして亡くなっていますから、そいう考えもあるのですね

対して、宇佐氏の伝承は面白いですよね。神功皇后は武内宿祢に拉致され、捕らわれていたことになっています。
出雲の旧家と違って独自性が強い伝承を今に伝えています。

卑弥呼は、豊国の宇佐氏出身、豊玉姫との事ですよ。
今でも宇佐神宮の姫の神は、宗像三女神に隠されていますが、景初の戦闘で安芸の国で東征中に亡くなった彼女は厳島神社で仮埋葬の後に遺骨を宇佐神宮戻されているそうです。
宇佐氏の伝承だと、宇佐津姫になっているはずですよ。(宇佐津姫は物部との手打ちの為に差し出された伝承があったと記憶)
この姫と、イニエが二回目の東征計画を立て、もうワンチャン狙ったらしいですね。

313 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 18:47:53.88 .net
>>309
姫の段が宗像三女神になっているのは、厳島神社で宗像三女神が祀られているので都合がよかったのでしょう。
一説によると、宇佐市は出雲の分家の宗像氏と習合していたとの伝承があります。
奈良の太陽の女神に対して、月神を奉じていたようですね。

伊勢神宮は本来は、伊雑宮の天照(太陽)。内宮のカガセオ(物部道教の北斗七星)、下宮の月神だったと言われています。
たしかそれを主張して事件になってましたっけ

下宮に関しては分かりやすくて、今でも「トヨ受大神」になっています。
山代の籠神社が、ちょっと頭巡らせて社稷神とトヨを上手く使って後世に仕掛けをしたらしいですね。

今でも、唯一、内宮と下宮の両方の元宮とされているのが籠神社だったはずですよ。


整理しますと、三輪山では太陽信仰がありました。それで大神神社が元伊勢
で、面白いことに超至近距離の摂社、檜原神社も元伊勢wwwwあれは実は月神の方の元伊勢なのです。

困ったことに、それだと、出雲の旧家や宇佐氏も言う、九州都万の卑弥呼が何の姫巫女だったという事になりますが
景初の方の卑弥呼は月神の卑弥呼だったとの事です。

トヨは、最終的にイクメに暗殺され、その場所は伊勢の近くの椿大社だったとされ、今でも関係した名前のトヨに神社が境内にあるはずです。
最終的に亡骸は、ヤマトに運ばれ、豊家山古墳になったとされ、大神神社に伝説が残ってます。

ま、伝承なんで何とでもできるのでしょうが。そんな説が最近人気が出てきている訳です

314 :太国 :2022/02/02(水) 18:52:56.24 .net
伊支馬って垂仁ではない。

315 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 18:53:03.06 .net
>>307

おっほん、弟である山幸彦が兄の海幸彦を圧倒する話ではありませんでしたっけwww

316 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 18:54:41.96 .net
>>312
>卑弥呼は、豊国の宇佐氏出身、豊玉姫との事ですよ。

その説は10世紀より前の文献では確認できないそうですよ。

317 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 18:57:34.46 .net
>>315

そうですよ。
結果として、筑紫の王権を継承したのは山幸彦だったのです。
糸島の高祖神社の祭神は彦火火出見、すなわち山幸彦です。
そして、彦火火出見は山幸彦の孫の神武の諡でもあります。
筑紫の日向の高千穂宮とは、高祖神社、そしてそれを囲む怡土城のことだったのです。

318 :太国 :2022/02/02(水) 18:58:51.47 .net
豊玉媛は神武より前の女性だろ。
卑弥呼は崇神の代だから別人。

319 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 19:01:39.12 .net
>>313

豊の名は、あちこちで使われます。
なので、名前が使われていたからといってそこにいたとは限りません。

320 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 19:02:37.53 .net
トヨは、椿大社で暗殺された事により、社で信仰されていたサルタヒコの妻、ウズメに替えられたとの事です。

さて、記紀の制作者である、柿本人麻呂ってしれっと書きましたが、古事記は稗田阿礼の伝承を文章にしたとありますね。

柿本人麻呂の実家は、綾部家と言って大陸の渡来者の家系でした。母親は、海部に関してゆかりの深い天皇
幼少期に大海と名乗った人物の乳母をしていました。母親は海部家に出入りする人物だったのです。
その乳母の仕事がなくなり、柿本家から世話されたのが、語り部の仕事。

延喜式には、神社の名前だけではなく、いくつかの語り部の家に関して記述があることはあまり知られていません。
その一つが、「稗田流」ウズメの系統の口伝でした。

すくなくとも古事記は、ウズメ系、トヨの伝承をベースに書かれているのですよ。
柿本人麻呂は、母親の仕事をそのまま暗記で記憶してしまい、利発さが買われて都に移住していきました。

321 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 19:04:20.47 .net
>>317

じゃあ日向の西都原の山幸彦を攻撃したらおかしくないですか?

322 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 19:13:42.46 .net
>>319
>豊の名は、あちこちで使われます。

その通り。そして伊都も同じですよ。

元々は朝鮮に近い音感とされ、いとし、出石、ヒボコ系を思われる土地ですからね。
ヒボコの家系は現在でも続いていて神床氏といいますが、元々は糸井国造家で「いと」が入っています。
出雲旧家と神床家には共通の伝承があって、最初の東征の前にヒボコは播磨に進軍しますが、物部氏に騙され単独開戦になってしまい、敗れ去ります。
その際に、淡路島と「伊都」に逃げ込んだとされ、伝承を裏付けるように、ごっさかいと遺跡が邪馬台国時代より前に存在するわけです
そして、あの遺跡に同時に作用できるのがヒボコ族。あの一族なら伊都から釣り針持ってこれますね。

応神天皇=上毛野説にもあるように、トヨの兄弟の豊彦が上州から神功皇后に呼び寄せられ、応仁となったという話に、越智神社の地名、日本海側を通ったという話まであるくらいですが
当然に豊の地名が点在します。
豊田市もそうですし、「熱海や安曇など、それこそ同じ論理」でしょうね。

323 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 19:14:54.79 .net
>>316

なんでしたっけ、最近になって、宮司家が伝承の断絶を怖れて本にしてましたよね。
そんな昔の話がベースになっている訳ではないですよ。

324 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 19:19:00.97 .net
>>314

イニエが崇神
イクメが垂仁って事に、旧家の歴史ではなっていますね。

豊玉姫のご主人がイニエで、実際にはお年寄りだったので、先に死んでしまい、二回目の東征が開始される前に九州で無くなってしまったそうな。
なので、記紀が系図を誤魔化す際には、近親婚や変な手順になってて、崇神のあたりで辺な事になってたはずですよ

325 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 19:21:35.26 .net
>>317

>筑紫の王権を継承したのは山幸彦だったのです。

いや、それどころではなく、みちのく(信州から奥)を除く、日本統一を成し遂げたのが、山幸彦=物部氏だったわけでございますが。

326 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 19:44:40.38 .net
そんな複雑に考える事ないぞ
単に各家の系図や伝承の整合性を取ろうとしたら八代多くなっただけなんよ
山幸彦と海幸彦で家系が別れたのが原因だとは思うけど

327 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 19:47:08.56 .net
>>308

帥升=スサノオ説は傑作の思い込みでしたねww
それと先代旧事本紀とか、浅間神社とかの伝承をもとに系図を独自で作り出してドヤってしてましたが
そもそもが旧事本紀は、「山幸彦海幸彦の先祖が同一人物説」なので、自分で矛盾を垂れ流して唾を飛ばされてましたよね。


あと、傑作なのが中国式発音の「ピンイン」www

卑弥呼のWIKIにピンインとか書き込んだの、あのアホじゃありませんかね。ww
普通、和名を自己紹介されて、ピンインで歴史書に記載しますかね?嫌がらせですかね、大陸の史書ってのはwww

328 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 20:06:11.83 .net
>>309

>もし田油津姫が神夏磯姫と景行天皇の孫であれば、神功皇后は景行天皇の血筋を文字通り根絶やしにしようとしていたのかもしれません。

これを暫く咀嚼してたら、「ジワジワ来まして」

確かに神功皇后期から暫くは、「物部氏が圧迫された」と伝承の本にも確かに出ているのです。
しかし、その伝承の本は「実は神功皇后は、成務の奥さんで、成務とは朝鮮征伐に反対され離縁した、実は死別ではない」とあるんです。
仮にですが、成務の奥さんであれば、物部氏系の奥さんという事になります。
ただ、物部氏は豊家を裏切ってしまい、九州からは総スカン。
実質副王の加茂氏より貢物が少なく、ヤマトの出雲系からも「古墳に奴隷を生き埋めにして叫ばしたり」がトドメとなってものすごく嫌われ
垂仁イクメの次のワカタラシの播磨国に宮をうつし、政権は短命に終わります。
皇后が次に頼ったのが、仲哀で、実は九州だかの豪族だったそうです。(実は中臣氏なので中津彦王にされた)
地元では今でも伝承が残っており、みやこ町と香春町の境が仲哀峠となっているはずです。
中臣氏は、元は関東の鹿島の元神官、卜部家の分家
後年に中臣になる前は、実は、元々は「中津臣」と呼ばれていました。

おそらくですが、神功皇后が出雲系に近い一族と協力関係になった事で、物部氏が圧迫されるようになっても矛盾が生じないという事になったのかもしれませんね。

329 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 20:38:34.23 .net
たしか、記紀の神功皇后の印象操作にはもうひとつあって、確か、妹に豊の字をあててませんでしたっけ?

父方の息長家は摂津に地盤があって、月神を信仰
神功皇后の母方にヒボコの血筋

月神=豊国の宇佐や、豊家とするのなら、親和性は高く、トヨ名を挿入しても誰も違和感を持たないと考えられます。

330 :太国 :2022/02/02(水) 20:39:53.36 .net
>>324
伊支馬は垂仁ではない。
オーストラリアはオーストリアではない。
平城天皇は平成天皇ではない。
似てるから同一人にするのは早計すぎる。

バットマンに登場のバット・ガールとバット・ウーマンは別人だ。w

331 :太国 :2022/02/02(水) 20:53:42.31 .net
>>327
中国式発音の書きこみとえらく日本が中国に土下座したなどと書きこんでたから、
奴は在日中国人だろうと思ってましたよ。
昨今中華という国には増長していて、上華(ジョーカー)になってるんですよ。
それでアメリカ(バットマン)がなんとかしようと苦心してるということで、
こういう状況を知ってて、やつは日本を中国が従えるのだと本気で
想っているようで、それをこちらはぎゃふんとさせたものです。
訊いたところによると来日したのか李鵬が日本は将来中国の属国になると
言ってたようですが、五惑星の国旗の国に太陽の国旗(旭日旗)の日本が
属国になることは絶対ないですよ。逆です。天文学でも太陽が五惑星を従え
てるわけで、この逆はないということです。

日本の土下座外交をうるさく奴は主張しており、いずれ土俵で土つくのは
中国だと折伏したのです。チャンコ料理は土つかせるチャンコロ料理であって、
あの国はいずれこてんこてんに茶色の土がついて泣く運命が数十年後に
待ってるんですよ。チャイナはナイチャで泣いちゃう時が来るんです。

332 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 21:29:37.57 .net
>>321

西都原は海幸彦だって。
日向の名前は両者で分けたのかもしれないが、公式には日向国は景行天皇が命名した。

333 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 21:33:19.88 .net
>>328

武内宿禰ほどこへいったのかw
応神の実父は武内宿禰なんですけど

334 :太国 :2022/02/02(水) 21:38:24.59 .net
×応神の実父は武内宿禰
〇応神の実父は仲哀天皇

335 :日本@名無史さん:2022/02/02(水) 21:47:22.36 .net
>>334

記紀編纂者に騙されているよw

336 :太国 :2022/02/02(水) 21:53:07.20 .net
>>335
記紀でなくても、古史古伝も仲哀になってるぜ。武内大臣が父だと書かれて
るのはないはずだ。日本古代史は探偵小説推理小説ではない。
出鱈目盲象は書きこむな。

337 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 00:11:34.14 .net
>>268
和泉は安曇の植民地だぞw
その証拠に池上曽根遺跡から樹齢700年のクスノキを使用した井戸が見つかっている

クスノキ林の自生北限は福岡県とされている
この大木は安曇が九州から運んできたものだ

http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/163881
>天然紀念物調査報告(植物之部)第八輯 六六頁 参照
>樟 Cinnamomum Camphora Nees. et Ebrm. ハ立花山麓ヨリ山腹ニ亘リ大ナル純林ヲ成シ巨樹多シ、
>樟原始林トシテ代表的ナルノミナラズ同樹林ノ北限地帶トシテ最モ著シキモノナリ
>立花山々麓から山腹に亘るクスノキの純林でその原始林として代表的であるばかりでなく、自生北限に属するものとして最も価値の高いものである。

338 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 00:22:04.57 .net
クスノキ樹林の自生北限が福岡ということは本州のクスノキは人が持ち込んだものということになる
そして九州には樹齢3000年のクスノキがあるのに対して本州には2000年より古いクスノキは無い
http://www.kyoboku.com/jurei/

1世紀の池上曽根遺跡の時点で樹齢700年ということは約2700年前に芽吹いた木ということになるから
そのようなクスノキは本州には無い
間違いなく九州から持ってきたものである

339 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 00:23:42.91 .net
>>337

なるほど植民地ですか
まるで朝鮮の様ですねw(失笑)

340 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 00:25:49.08 .net
>>339
畿内が朝鮮に似ているなんて本当のことを言うなよ
かわいそうだろ

341 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 00:28:06.68 .net
卑弥呼の3世紀ともなれば既に九州の安曇は近江まで制圧していた
頑強に抵抗していたのは山に囲まれた奈良盆地内だけで沿岸部はとっくに占領されていたわけだ


9 :日本@名無史さん :2022/01/27(木) 23:21:46.26
220 :日本@名無史さん :2020/10/01(木) 00:05:02.26
>>302
事実を述べられるのがよほど都合が悪いようだねキナイコシ君w

まあそれはそうだろう
3世紀までには安曇は既に近江まで進出して畿内を包囲しつつあったのだから
その安曇が卑弥呼の腹心である伊都国の民ならば畿内説は絶望だもんな
でも君の都合で歴史の真実を曲げることはできないんだよ
諦めて現実と向き合いなさい

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B6%E5%B8%82
> 高島市(たかしまし)は、滋賀県の西部、琵琶湖北西に位置する市。市の面積は県下一である。
>
> 古代の弥生時代の3世紀以前に古代日本を代表する有力氏族である安曇族が定着した。
> 高島の一級河川の安曇川の名称は安曇族に由来する。県名の滋賀県も安曇族に由来すると言われている。(滋賀郡の郡名の由来を参照)


包囲される奈良盆地の図
https://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg

342 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 00:30:09.32 .net
>>333

応仁の実父は不明でしょ(失笑)竹葉瀬にすり替えられたのだから。

武内宿祢は景初の時代が初代で、神功皇后の頃は武内ソツ彦の頃でしょ。

343 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 00:33:14.75 .net
伊都チョンの過去の発言を見れば、最近の産経の「和泉市で最古の仿製鏡が出た」件については、「後出しジャンケン」で色々付け加えてるだけなのが分かるからなー

344 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 00:34:38.19 .net
>>337

安曇は八井耳系統の植民地ですがなにかww

345 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 00:39:56.78 .net
和泉市の遺跡が、紀元前後って話なのに、後出しの「3世紀定着の安曇が」植民地にしてましたってwwww

クソだな、相変わらずの伊都チョン。自分のスレッドで書き込んでいればいいものを。

346 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 00:45:33.51 .net
>>344
そういう根拠の無い妄想はいいからw

347 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 00:46:54.98 .net
>>345
和泉市がいつ近江になったんだよw
3世紀以前は近江の話、クスノキの存在から池上曽根遺跡が九州傘下とわかるのは1世紀の話
全く別の話題なのも理解できないほどバカなお前は負け続けるしかないんだよw

348 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 00:48:55.08 .net
そもそも5世紀にたたら製鉄が始まるまでは鉄原料は半島からの輸入品とされている
壱岐対馬航路を抑えている北部九州の傘下に入らなければ鉄原料を入手することなどできなかったんだよ

349 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 00:49:42.84 .net
そういや、あの伊都チョン、雷大臣と安曇磯良と五十猛が同時期で、4世紀の人間だとか吠えてたよなww

それなのに紀元前後の話が最近ニュースになったとたん、クリンチに持ち込んで、意味不明の楠木のはなしをしているとはwww
楠木は安曇専用ザクだったとはこれまた珍説wwww

そもそも欠史八代の話題と九州ド田舎の長官の安曇が何の関係が?w
誰も呼んでないだろww

350 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 00:53:09.47 .net
>>348

あの和泉の遺跡は、製鉄遺跡でもあるだろ
よく読んだら?www

脊髄反射で何でもかんでも安曇を憑依させて妄言を吠える前に、畿内で製鉄があったと公式に認められたんだよ
頭おかしいのか?w

野ダタラの歴史は5世紀どころではない

おお、伊都チョンの架空の安曇国家なら別なんだろうがなw

351 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 00:53:35.21 .net
>>349
論理的に反論できなくなったからって草生やさなくてもいいぞ
欠史八代と関係ないって、それは>>268のアホに言えよ

352 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 00:55:17.39 .net
ああ、そういえば、もうひとりの伊都チョンにそっくりな奴は、和泉の遺跡を「物部氏」の拠点って言ってたなw

353 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 00:56:36.47 .net
>>350
>あの和泉の遺跡は、製鉄遺跡でもあるだろよく読んだら?www

https://www.sankei.com/article/20211028-75RGI6VFHFO65IYKHWI27P7DQM/
>また竪穴住居の中には、中央部に炭や焼け土、通風用の溝を残したものがあり、鉄を加工した工房とみられる。
鉄を加工したとしか書いてないわけだが
製鉄を行っていたなんてどこにも書かれていない
お前がよく読めアホ

354 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 00:56:43.20 .net
>>351

で?どうでもいい安曇の話と欠史八代の話は?
何か関係でも?

355 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 00:58:03.49 .net
>>354
>>268は完全なる誤りだと証明してやっただけのことだがそれが何か?

356 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 00:59:59.62 .net
>>353

お前、竪穴式住居で、自宅レベルの大きさの建物で挑戦の磁鉄鉱石から鉄を精練できるって思ってるのか?
お前はアホなのか?w

何でもかんでも安曇wwww
その実態は、ヒボコの方が地名からしても投影が強い場所w

357 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:01:56.74 .net
>>356
魏志韓伝に弁韓では銭のように鉄を使うと書いてあるだろう
現地で鉄鉱石から鉄を取り出してから倭に持ってきてたんだよアホ

358 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:04:11.43 .net
一般に鉄器の普及に関しては、ヤマトは比較的置き去りにされてきて、3世紀になるまでは穴が開いたようになっていたと言われている。

それなのに、和泉(磁鉄鉱ではなく砂鉄)の遺跡の話に食いついたアホ、伊都チョン

実用鉄器の製鉄が行われたとされる時代の理論調整の前に、とにかく安曇を推したくて歴史憑依ww

359 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:05:28.91 .net
>>357

なるほど、安曇氏は、ヒボコから鉄を恵んでもらってたとw

360 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:05:30.70 .net
>>358
>和泉(磁鉄鉱ではなく砂鉄)
どこにも書いてないことを勝手に捏造するクズ
所詮お前は負け犬なんだよ

361 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:07:51.16 .net
>>359
そんな妄想を書き込まれてもね
弁韓から鉄の供給を受けているのは楽浪郡や帯方郡もそうだと書いてあるわけだが

362 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:08:37.81 .net
所詮は安曇はヒボコから鉄を恵んでもらってた貿易の中継一族って事でOK?w

それも最後は安曇は用無しになって、景初のあたりではヒボコ勢が丹後で単独で製鉄を始めて日本で最大の製鉄量を誇る様になり、九州は中抜きされて、製鉄が廃れ、衰亡に向かったとwww

363 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:09:55.89 .net
安曇が単独で朝鮮に乗り込んで、そこを植民地にして鉄を運ばせてたわけでもあるまいに(失笑)

364 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:10:57.44 .net
>>362-363
>>361

365 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:12:41.74 .net
>>362
>それも最後は安曇は用無しになって、景初のあたりではヒボコ勢が丹後で単独で製鉄を始めて日本で最大の製鉄量を誇る様になり
まーた根拠のない妄想を並べる
3世紀の近江が安曇の植民地なのにその通り道の丹後が独立してると思う方がおかしい
日本海沿岸なんて安曇の巣だよ

包囲される奈良盆地の図
https://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg

366 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:13:44.46 .net
鉄の話は弁韓じゃなくて辰韓では?

ヒボコの渡来した時期は辰韓。今じゃ記紀に倣って新羅の時代ってなってるけどね。
辰韓のヒボコ勢が関係してなきゃ鉄は持ってこれない。

367 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:15:00.48 .net
>>366
>鉄の話は弁韓じゃなくて辰韓では?
ああそうだな失礼

>ヒボコの渡来した時期は辰韓
それは根拠がない

368 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:16:34.49 .net
>>367

>ヒボコの渡来した時期は辰韓
それは根拠がない

そもそも糸(いと)井国造家の出石神社元社家、ヒボコの子孫の神床家の伝承だからな

お前の思い込み(失笑)とはレベルが違う

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