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欠史八代とは何だったのか? 其2

1 :日本@名無史さん:2019/03/06(水) 00:39:29.03 .net
議論の続きをどうぞ

前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1547384861/

364 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:10:57.44 .net
>>362-363
>>361

365 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:12:41.74 .net
>>362
>それも最後は安曇は用無しになって、景初のあたりではヒボコ勢が丹後で単独で製鉄を始めて日本で最大の製鉄量を誇る様になり
まーた根拠のない妄想を並べる
3世紀の近江が安曇の植民地なのにその通り道の丹後が独立してると思う方がおかしい
日本海沿岸なんて安曇の巣だよ

包囲される奈良盆地の図
https://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg

366 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:13:44.46 .net
鉄の話は弁韓じゃなくて辰韓では?

ヒボコの渡来した時期は辰韓。今じゃ記紀に倣って新羅の時代ってなってるけどね。
辰韓のヒボコ勢が関係してなきゃ鉄は持ってこれない。

367 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:15:00.48 .net
>>366
>鉄の話は弁韓じゃなくて辰韓では?
ああそうだな失礼

>ヒボコの渡来した時期は辰韓
それは根拠がない

368 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:16:34.49 .net
>>367

>ヒボコの渡来した時期は辰韓
それは根拠がない

そもそも糸(いと)井国造家の出石神社元社家、ヒボコの子孫の神床家の伝承だからな

お前の思い込み(失笑)とはレベルが違う

369 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:21:53.96 .net
>>368
>>360で指摘したとおり記事に書かれてもいないことを捏造したお前の言うことには何一つ説得力が無い

370 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:23:43.13 .net
>>369

お前の主張を裏付ける伝承ですら存在しない
思い込み以外の根拠は示されていないw

新しいネタである「楠木」に触れることは出来たので、相変わらず元気で嘘を垂れ流しているんだなと理解したところだ。

371 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:25:57.96 .net
>>370
伝承なんて不確かなものよりも>>337-338>>341などの考古学的事実のほうが遥かに正確
お前のはただのデマと妄想だ

372 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:31:08.77 .net
「本人たちが辰韓の頃に来たって」言ってるのに、私の妄想って事でクリンチに持ち込む伊都クズww
相も変わらず安定のクズっぷりwww

前回もそう言ってたよな。相変わらずレベルは変わってないようだな。他人様のスレッドにまで出張して臭い唾と息を吐くとはw

お前には何も期待してない。つーか、実世界でも期待もされてないだろ?w

373 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:36:24.24 .net
>>371
論理的な反論ができなくなると草と罵詈雑言しか書けなくなるのは相変わらずのようだな
前回お前が俺に惨敗して逃亡したときにちゃんと敗因を教えてやっただろう
考古学を土台にしないからお前の主張は空疎なのだと

374 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:39:49.01 .net
伝承なんてものは嘘、大げさ、紛らわしいがいくらでも入る余地のあるあやふやなものに過ぎない
考古学の成果と一致してなければ何の根拠にもならない

375 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 01:43:34.64 .net
そもそも伝承をそのまま受け入れていいのなら欠史八代なんて概念は存在しない
記紀という伝承にはっきり書いてあるのだからな
それが考古学の成果と全く一致しないからこそ実際にはいなかったのではないかと考えられているわけだ
バカにはそんなことも理解できないらしい

376 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 02:13:42.83 .net
>>373
お前、逃亡したって?www

前回は、返しの付いた釣り針だかのはなしで、PDFを読んだかどうかの毒まんじゅうを食わせたところで終わってたよな?

そこに、釣り針はあったか?おかしよな?安曇の地名がどうのと吠えてたくせに、そこでは出てなかったよな?ww
まさか惨敗して逃げたとでも思ってたのか?wwwおめでたいな。
一年以上たって、やることと言えば産経の新しい記事に安曇を後出しで憑依させる程度の事だったとはw

安曇族の致命的な処は姓名で分かる。母系にその後出雲から嫁さん貰えてなかったから、卜部氏の分家ですら貰えた「臣姓」が無かったところ。
九州では勢力を伸ばせたけど、その後の全国展開では後発組なんだよ。安曇氏は。
ランク的には九州に地盤を持ってた多氏(多臣氏)以下のランクでしかない

377 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 02:16:42.11 .net
記紀という伝承だってよwww

記紀とは伝承を元に作られた創作物。それが稗田流の伝承と、まとまらなかった帝紀のメモをもとに作られたのが記紀

真実でないことを単純に偽というのなら、記紀ですら偽書なのにww

378 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 02:18:24.83 .net
記紀という伝承を受け入れているから、欠史が生まれているのに頭がおかしいwww
じゃなきゃ倍歴とかそういう話も出てくるかよw

379 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 02:20:11.78 .net
そもそもが、安曇家が伝承を公開してないのに、伊都クズの思い込みが考古学であるという裏付けも考古学的になされていないwww

380 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 13:26:19.33 .net
>>337
>和泉は安曇の植民地だぞw

クリティカルヒット

381 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 13:32:50.57 .net
>>362
>所詮は安曇はヒボコから鉄を恵んでもらってた貿易の中継一族って事でOK?w

海運で勢力が伸ばした点ではその通りだよ。
倭国そのものがそうやって成立したし、天津神(海の神)だって海神族だって、アマテラス(海の王)だって、みんなそう。
中継貿易の利益で成立したのが倭国。
それが海に囲まれた国の宿命。
なんか文句あるなら半島に帰れば?

382 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 13:55:47.71 .net
箸墓古墳が卑弥呼の墓ならば、卑弥呼の正体は、崇神天皇の父方の大叔母。
卑弥呼共立の切欠になったのが、魏志倭人伝に記されている倭国大乱。
となると、欠史八代の時期と倭国大乱の時期が同時期になる。
つまり、欠史八代の時期に、
倭国では歴年に渡って王位継承争いが起こっていたことになる。

383 :太国 :2022/02/03(木) 14:00:47.58 .net
欠史八代間で皇位争いなんかまあないな。

孝霊天皇が吉備行幸したのは倭国大乱が畿内の西方でおこってたので、
視察に行ったわけさ。日野郡誌に孝霊行幸の詳細が載ってるようだ。

384 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 14:02:38.25 .net
>>382
>箸墓古墳が卑弥呼の墓ならば、卑弥呼の正体は、崇神天皇の父方の大叔母。

前提にそもそも根拠がないので無意味

385 :太国 :2022/02/03(木) 14:06:37.30 .net
卑弥呼と百襲媛はほぼ同時代の女性。

卑弥呼は九州に百襲媛は畿内にいた人物。

386 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 16:56:52.70 .net
イザナギ=綏靖天皇
アマテラス(卑弥呼)=安寧天皇
オシホミミ=懿徳天皇
ニニギ=孝昭天皇
山幸彦=孝安天皇=神武天皇
ヒコナギサ=孝霊天皇

ここまでは同一人(神)物で確定なのよね
ここから崇神天皇までが謎

387 :太国 :2022/02/03(木) 17:48:56.54 .net
>>386
すぐ松沢病院に急行しろ。

388 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 22:58:38.19 .net
>>376
>前回は、返しの付いた釣り針だかのはなしで、PDFを読んだかどうかの毒まんじゅうを食わせたところで終わってたよな?
いや全然
pdfを呼んでなかったのはお前の方でしたというのを暴いてやって大恥かいたお前が泣きながら逃げたところで終わってたよ
逃亡したのはお前だお前

>安曇族の致命的な処は姓名で分かる。母系にその後出雲から嫁さん貰えてなかったから、卜部氏の分家ですら貰えた「臣姓」が無かったところ。
本当にバカなんだな
安曇の連姓は神武東征以前からの皇室の家臣であることを示していると前回も教えてやったはずだが

https://kotobank.jp/word/氏-34455
>日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
>臣姓豪族は皇別すなわち天皇の後裔(こうえい)と称するのが一般であり、連姓豪族は神別すなわち神代の昔から皇祖の神々に奉仕した
>神の後裔と称しているが、これは江戸時代における外様(とざま)大名と譜代(ふだい)大名との違いにも比せられる。
>すなわち、臣姓豪族は天皇家と連合して大和政権を構成した有力豪族、連姓豪族は大和政権の盟主としての天皇家の地位、
>実力の向上に伴って頭角を現した家政機関のおもだった役人あがりであり、その家政機関が拡大改組されて大和政権の中枢機関となったのである。

神代の昔から皇祖に仕えた、つまり神武東征に付き従った元々の皇室の臣下が連の姓を与えられている
たとえば北部九州が本拠地の安曇氏が連姓、これは皇室が九州起源であることの根拠となるわけだ

名目上の地位は臣の方が高いことになっているがそれは共立以前は皇室と並ぶ立場の王だったから
だが、天皇がより頼みとしたのは昔からの家臣である連の方だ
上記引用で比されている江戸時代でも、外様の加賀藩なんかはどの譜代大名よりも石高は高かったが
高位の幕閣には譜代大名しかなれなかったわけで将軍が本当に頼みとしたのは譜代大名だった

389 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 23:00:18.32 .net
>>377
記紀ですら嘘が書いてあるのにお前が盲信する伝承に嘘が入っていない根拠などなにもない
バカのお前はまた自爆したようだな

390 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 23:01:24.00 .net
>>378
記紀を受け入れてりゃ欠史八代は実在としなきゃいけないわけだが
考古学とまったく合わないから実在が疑われているんだよ知恵遅れくん

391 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 23:04:07.91 .net
>>379
安曇の伝承なんて日本各地に残りまくっているわけだが
一族の伝承なんて自分らに都合のいい嘘が盛り込まれている可能性が高くて一番眉唾なやつだぞ
やっぱりキナイコシくんは頭がおかしいままだな

392 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 23:04:42.84 .net
>>380
事実の指摘は彼にとって致命傷だったようだね

393 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 23:10:31.33 .net
弥生時代には既に日本海沿岸も大阪湾岸も北部九州の海人族の進出を受けているのは考古学的に明らか
現実と向き合えないキナイコシくんは生涯真実に近づくことのできない負け犬の一生を送るしかない
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/a2.jpg

394 :日本@名無史さん:2022/02/03(木) 23:42:04.32 .net
産まれた年代を大まかに考えると
150年イザナギ=綏靖天皇
170年アマテラス(卑弥呼)=安寧天皇
190年オシホミミ=懿徳天皇
210年ニニギ=孝昭天皇
230年山幸彦=孝安天皇=神武天皇
250年ヒコナギサ=孝霊天皇

崇神天皇は孝霊天皇の子供世代じゃないとおかしいんだよなあ

395 :日本@名無史さん:2022/02/04(金) 10:04:30.57 .net
伊都チョンがドヤ顔で吠えた楠木だが、どう考えても大彦や三島の神木なんだよねーw

九州にあったら全て伊都の朝鮮人w

日本さん三島の一つは樹齢3,000年、幹周17mで日本最古の楠がある

安曇なんてカスw

三島鴨神社は大彦が、三嶋大社は大彦の息子・ヌナカワワケが創建した。
三島は初代神武朝の母系の先祖だからね

396 :日本@名無史さん:2022/02/04(金) 13:33:12.80 .net
>>387
まだこれはまともな方で、伊都チョンのスレッドなんて、クニクルが朝鮮人だなんていう奴が湧いてるからカオスですよw

397 :日本@名無史さん:2022/02/04(金) 14:21:14.78 .net
伊都チョンは、チョンだから、本来の神話の高天原が何処かと書いてある書物を知らないらしい

安曇など、所詮は連、大連止まりの一族
一応、帝紀編纂メンバーには選ばれてるけど、書かれている序列を見れば、上家野未満の低いランク

398 :日本@名無史さん:2022/02/04(金) 18:44:05.30 .net
神武天皇の子に神八井耳がいるがこの神が崇神天皇の父親か祖父なのかもな

山幸彦=孝安天皇=神武天皇が東征した後畿内を支配したのがヒコナギサ=孝霊天皇やその子孝元天皇
九州で女王台与=豊玉姫の跡を継いだのが神八井耳、その子or孫が崇神天皇

本家の子を分家が養子に迎えた形かな

399 :日本@名無史さん:2022/02/04(金) 18:44:05.30 .net
神武天皇の子に神八井耳がいるがこの神が崇神天皇の父親か祖父なのかもな

山幸彦=孝安天皇=神武天皇が東征した後畿内を支配したのがヒコナギサ=孝霊天皇やその子孝元天皇
九州で女王台与=豊玉姫の跡を継いだのが神八井耳、その子or孫が崇神天皇

本家の子を分家が養子に迎えた形かな

400 :日本@名無史さん:2022/02/05(土) 12:51:58.56 .net
奈良の御所近くの中西遺跡は異質な遺跡で、前3世紀の水稲遺跡として有名。
この時代考証はちょっと難しい。

太国さんの考証で倍率を採用すると、神武が確か後2世紀、147年ごろでしたっけ?
出雲伝承だと、丹後から天香具山と名を変えた大年彦こと、五十猛が息子の叢雲を伴って奈良に移住したのが前2世紀とされ、中西遺跡は更に100年ほど古い遺跡

国譲り事件以降、出雲の事代主系の子であるクシヒカタが母方の摂津豪族三島家と組んで奈良湖の開拓をおこなったとされる。
さて、三島とはということになるのだが、臣姓をもらって居ないのに破格の扱いになっている。(山代國の賀茂神社)
実はこの一族は、九州の越智一族の可能性が高く、宇佐の伝承公開している宇佐の公康さんの書籍にも出て来る。
豊国の宇佐家と争った越智家は、豊玉姫とイニエの息子である豊彦に嫁を出して手打ちになっている。

実は、大田遺跡(纏向遺跡)の南側が御所駅で、その東あたりが今でも越智地積になっている。

摂津の高槻市の三島の拠点は現座では小字くらいの規模に縮小になっていて、御所の越智地積が三島家のルーつの指定になっている。
奈良で大乱があって、散り散りになるが、三島大社の社家は越智氏

その三嶋の神社にあるのがちょっとオーバーだが、現在失われている樹齢3000年を数えるとされた楠木なんだよね

伊都チョンはなんの根拠もなく安曇と結びつけるが、海部の親戚に過ぎない安曇が、徐福渡来以前にあの地に楠を持ってくることは不可能なんだよねー

401 :日本@名無史さん:2022/02/05(土) 13:05:58.89 .net
越智氏はその後、日本海側と、東海側に展開していく。
新潟の弥彦神社は、その手前、出雲崎の近くで二田物部氏と別れ、現在の弥彦山に落ち着いたとされているが、弥彦神社の社家は高橋家
大彦系なんだよね。
現在の二田物部神社は5つの家で管理していたが、何と三島姓。過去には越智氏を名乗っていた時期がある。
代数はなんと130代。2000年の歴史があると伝世されている。(宮司さんと直接会った)
三島家は、大彦の敗退と関係していて、二世紀、180年代には琵琶湖周辺から撤退したという伝承があるので、2000年クラスの伝承になってもおかしくはない。
大彦は、本来の名前を「中曽大根彦」といい、それが二つに分けられ、長髄彦と大彦に分けられ、記紀に書かれている。
敗退した大彦は、出雲王家の手引きで北陸に豪族を紹介されたと伝承があり、受け皿が三島家(越智)になった可能性が高い。
前出のように、イクメ(垂仁)と宇佐津姫の子である豊彦は、男系で言えば物部豊彦の子孫であるので、物部姓を名乗れる。
二田物部を祀る神社は日本に一つ、もしくは2つしか存在しない。
東海の方面は、安倍を継承した息子のヌナガワワケが展開していった地域で、それで大彦系とヌナガワワケ系の三島神社が建てられたことになる。

402 :伊都国女王:2022/02/05(土) 13:07:48.50 .net
安曇にこだわっているのは別人だよん
私が推しているのも三島なので、興味深く読んでますよ

403 :日本@名無史さん:2022/02/05(土) 13:19:27.25 .net
おそらくだが、三島神社には、他にも古い楠木がご神木になっている場所があると思われます。

そういや、伊都チョンが楠があるから安曇のはずニダって吠えてたけど、ナーンのバックボーンもないんだよねw

大彦の分家には、布瀬、布施、布勢氏があるが、布瀬神社は、新潟から長野県犀川近辺。
今でも小布施の地名がある。
一方、越智神社も重層を形成していて、長野県に越智神社がある。
規模が大きいのは大彦移住あと、福井からの日本海側で、今でも越智山越智神社が残っている。
そこから中興の祖が出て、白山信仰に繋がっていく。

安曇?プッw後発組で、穂高神社を確保するが、6世紀以前には遡れない。
都でやらかして地方に飛ばされた以降の拠点が穂高

神功皇后の際に船を出したらしく、記紀ではそこからの記述なので、4世紀に三韓征伐の勝馬に乗った事によって勢力を増し、各地に拠点を作ったらしい。
それまでは小さな拠点しかなく、鉄器の入手も遅れたと思われ、古い時代と思われる出雲の安曇地域には目を見張るような鉄器は産出されない。

紀元前の出雲の大国主6代のオミツヌの時代には既に新潟上越近辺までは勢力があったと思われ、それが協力者、三島一族の様なのである。
これが国引き神話として書かれている。

なお、高橋家は、稲荷山鉄剣だったっけ?大彦分家としてタカヒシワケ(高橋家)が書かれている。
弥彦神社は物部系の神社ではない。カゴヤマを祀る、叢雲系(本来の神武)の神社。

尚、紀伊家は、最初の妻、大屋姫系の子孫で、のちにカゴヤマから遠ざけられ不遇になったとされる
それが理由かどうかは不明だが、紀伊家は五十猛を祀る一族で、叢雲の家(尾張家、海部家)とは一線を画している

404 :日本@名無史さん:2022/02/05(土) 13:31:13.16 .net
大彦と長髄彦が同一人物であるという話はトンデモ説であり、まず受け入れられることは不可能と思われます。

しかし、ヌナガワワケ系の阿部の地域、塩釜神社には細々と蘇我氏による伝承があり、同一人物説が書かれてます
そそれと、伊雑宮事件の、先代旧事本紀大成経の一部にも、同一説に触れられています。(結構なタブーと思われます)

故に、古文書が記紀の影響を受け服属している内容かどうかは、長髄彦がニニギに切られる話が最初にきているかどうかで判別できます。
先代旧事本紀ですら、記紀に服属して書かれていることがわかります。

塩釜神社は豊彦を守ったらしい諏訪の千鹿頭神を祀っていたツツコワケ神社から一宮が移転していて
未だに別格の扱いを受けています。

後に、武内ソツヒコと神功皇后との間の子が死んで、密かに呼び寄せられたとされる上州の上家野の竹葉瀬君は、越智の神社のルートを通って奈良に行ったのではという説があります。

405 :日本@名無史さん:2022/02/05(土) 13:39:37.27 .net
故に、帝紀の編纂メンバーに上家野の家系が呼び寄せられ、皇族と同じ序列で上位に書かれる事になりました。

豊国の宇佐と、越智は近い血筋の家系で、月神を奉じていた様です。

越智に注目されている方がいらっしゃるので一つプレゼント


宇佐神宮の元宮、大元神社の正覚寺登山口に向かう途中、「左用之神」という場所があります。
そこは古代の祭祀場所と思われ、出雲の大神、幸神を祀る神社ですが、そこに白山神社があります。

そこの神社額にはなんと「三嶋宮」の額が掲げられていますよ。

九州は、二世紀までは完全な物部王国ですが、古くは徐福とらい以前は、隼人族、ウサ族、越智、宗像(オミツヌの分家サワケが始祖)の王国でした。
水沼君は、物部が入ってからの一族の様です。

406 :日本@名無史さん:2022/02/05(土) 14:27:09.36 .net
最初は二田物部神社と三島家を別に考えていましたが、古代豪族集覧で、三島家の系統が二つあり手詰まりになっていました。
しかし、宇佐の公康さんの伝承を当てはめるのなら、三島、大三島には、物部系と国押人系(今ちょっとうる覚え)の二つの系統があってもおかしくはない事になります。
物部イニエと宇佐津媛の子が、トヨの兄である豊彦(豊来入彦、豊鋤入彦)であれば、物部系の三島家(宇佐の豊彦から見れば子孫にあたる)の協力を受けられるわけで
信頼できるルートが、協力関係になってもらえるか不明な、大彦や建南方のエリアの中でも存在していた事になります

竹葉瀬君は、上越の出雲系の神社、居多神社の助力を得たという説があります。
現在でも、あの地域は五智地積になっています。三島っぽい地積ですね。(ちょっとフィルターかかってるかも)

407 :日本@名無史さん:2022/02/05(土) 14:44:03.69 .net
綏靖か
水星の背の君
ありゃ、こうなると、マグダラがナザレのヨセフになるか?
違うか、やはり、天父と天母がご夫妻か。
ちょっと、3が魔に入られてるから計算しにくい
富嶽、京、pc9801以上計算して

408 :太国 :2022/02/05(土) 14:46:50.17 .net
>>400
神武天皇の即位は西暦元年の辛酉だったんですよ。
147年よりもう少し以前ですよ。崩御は西暦26年です。

147年は孝安の代の半ばあたりですね。

409 :日本@名無史さん:2022/02/05(土) 14:56:41.49 .net
応仁の乱か・・・富嶽、京使えば、
首謀者でるんじゃないか?答えが。
それと、首謀者達の居星。
天魔中城・・・
天魔は城の中・・・
色々居るな
天魔中宮
紀子悠仁眞子千鶴子?

410 :日本@名無史さん:2022/02/05(土) 15:15:29.52 .net
サウジアラビア国王毛はどういう出自だろう?
パキスタン???

411 :太国 :2022/02/05(土) 15:23:57.81 .net
千夜一夜にも載ってないんじゃないかな?
いまバートン盤の第二十八夜を読んでる。このへんは手を失くした若者の
話の羅列。

412 :太国 :2022/02/05(土) 15:25:28.57 .net
×バートン盤
〇バートン版

413 :日本@名無史さん:2022/02/05(土) 15:32:34.23 .net
法政八王子は?
とにかく八王子か・・・
だれだろう、、、

414 :日本@名無史さん:2022/02/05(土) 15:45:47.01 .net
十二支の龍国
竜串
足摺岬か
パース
考えたな・・・

415 :日本@名無史さん:2022/02/05(土) 16:33:23.97 .net
うぉっほん、間違えちゃった。

物部イニエ(崇神)と後妻の宇佐津姫(宇佐八幡の豊玉姫)との間の息子が、豊彦。
イクメ(垂仁)は、豊彦の腹違いの兄弟とのことです。

前妻のアタ津媛は、サクヤヒメに替えられたとされます。

阿智一族と、越智一族の関係は全くと言っていいほど手がかりがありません。関係があるのか、親戚なのか、全くの無関係なのかも分かりません。
九州の歴史は謎が多いです。

416 :日本@名無史さん:2022/02/05(土) 17:22:55.39 .net
>>408
あっ、しまった、神武は紀元前後でしたっけ。そうすると。
うる覚えですみません。

417 :日本@名無史さん:2022/02/05(土) 20:17:27.79 .net
神武は2世紀末ですよ。
卑弥呼の前の男王70〜80年が日向三代ですよ。

418 :太国 :2022/02/05(土) 20:40:50.84 .net
神武は紀元前後だよ。

2世紀末なら180〜200年ころだというわけだ。

八幡愚童訓に

 黄龍2年=開化48年=230年

とある。

神武から開化までの年代を考えると年数が少なすぎておかしく不合理だ。
つまり2世紀末ではない。

419 :日本@名無史さん:2022/02/05(土) 21:04:55.32 .net
八幡愚童訓は元寇撃退に対する恩賞目当ての書物だそうだな。
神武について信頼すべき根拠にはならないと考えるが?

420 :太国 :2022/02/05(土) 21:19:47.29 .net
>>419
オマエのいうその見解が果たしてその通りか、どこに根拠があるのか?

いいか、10年位前の千葉考古班の年代測定機器での箸墓年代が

  240〜260年

で、これにも童訓のいう年代は合致している。このことはオマエのいう信用
落とす主張は落としたいためのオマエの都合で、なっちゃねえということさ。w

この測定から百襲媛と卑弥呼とはほぼ同年代の人物だったとなるのさ。
ここで卑弥呼は九州、媛は畿内の女性だったとはっきりする。

機械は正確だからな。童訓と精密年代機器のつり合いは整合している。
同機器が童訓のいう年代とコチラの主張年代がおかしくないことを助力
している。

つまり 崇神元年=237年=景初元年 は正しい。

237年は童訓の 黄龍2年=230年=開化48年 と7年差であって、
崇神年代の初期だと判明する。

421 :日本@名無史さん:2022/02/05(土) 23:41:57.86 .net
神武天皇は年代の違う2人の人物を1人に纏めて初代天皇として設定されてるんだよ

1人目の神武は綏靖天皇=イザナギの父親で初代天皇とされた人物(100年代)
2人目の神武は孝安天皇=山幸彦で東征を行った人物(200年代)

だから年代を知ろうとする時は初代という設定と東征を行ったという事績を分けて考えないといけない

因みに崇神天皇は大彦の世代から考えて300年前後の人物と思われる

422 :日本@名無史さん:2022/02/05(土) 23:46:56.59 .net
上記だとまるで綏靖天皇が神武みたいな書き方になったけど「綏靖天皇=イザナギ」の父親という意味ね

423 :太国 :2022/02/06(日) 08:09:39.78 .net
>>421
松沢病院に行く支度をせい。

424 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 08:15:37.94 .net
>>421
綏靖天皇は海幸彦かもしれないね

425 :太国 :2022/02/06(日) 08:21:40.21 .net
違うよ。

426 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 08:26:44.59 .net
>>425
その理由を述べてみろよ

427 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 08:29:22.00 .net
大陸と半島と中臣藤原の三極企策といたところだろう

428 :太国 :2022/02/06(日) 08:32:37.52 .net
記紀は探偵小説じゃねえ。探偵小説だとそういうのがけっこうあるだろう。

いいか、海幸彦って神代の人物だ。
綏靖はもう神代ではねえよ。2代目の天皇だ。

オマエも松沢病院に行きたいのか?w

429 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 08:33:46.14 .net
北魏、高句麗、新羅だろう。
普通に考えればいい。

430 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 08:35:25.64 .net
>>428
お前がそう言うから、綏靖天皇が初代ってバレてしまったではないか。
田倭獣。

431 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 08:35:54.02 .net
田和獣か。

432 :太国 :2022/02/06(日) 08:40:10.58 .net
>>430
神国日本の辞書に「神武」以外の初代天皇はねえ。

ま〜だ探偵小説の脳内でいるのか? うははははは・・・・・

まあオマエはアーカム・アサイラム入院がふさわしい。ww

433 :太国 :2022/02/06(日) 08:44:06.47 .net
それは水木しげる氏の漫画に出てくるのか?

今日やるぞ。コロナ禍で・・・。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/157685

434 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 09:23:51.33 .net
箸墓古墳の被葬者はモモソ姫命。モモソ姫命は崇神天皇の父方の大叔母にあたり、
系図的にみたら、彼女は欠史八代の終盤の人物。
卑弥呼の正体がモモソ姫命ならば、卑弥呼共立の切欠になった倭国大乱は、
欠史八代と同時期の出来事ということになる。

435 :太国 :2022/02/06(日) 10:20:58.08 .net
卑弥呼は百襲媛とほぼ同時代の人物。
前者は九州に、後者は畿内の女性。

大乱は孝霊の代のころ。

436 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 10:26:56.43 .net
>>435
いやいや、卑弥呼=百襲姫命は同一人物。
狗奴国の男王の卑弥弓呼は、百襲姫命の甥の武埴安彦命。

437 :太国 :2022/02/06(日) 10:36:06.85 .net
別人さ。
前方後円墳の箸墓で卑弥呼のわけがねえ。
おまけに南下するのに東方へ行ってる禁を平気で犯している。w

438 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 12:42:49.68 .net
>>395
>日本さん三島の一つは樹齢3,000年、幹周17mで日本最古の楠がある
それは乎知命御手植の楠を記紀伝承にあわせて2600年前としたから
それより古い木を3000年としただけできちんと測定した数字ではないぞw

実際には乎知命御手植の楠は幹周11mしかなくとても樹齢2600年などとはいえない
本州最古のクスノキは熱海の阿豆佐和気神社の大クスで幹周/23. 9mだが樹齢は2000年にすぎない
そんな小さな木が3000年級とは片腹痛い
http://www.tree-flower.jp/22/kinomiya_jinja/kinomiya_jinja_kusu.htm

439 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 12:44:45.27 .net
>>397
連姓こそ天皇の最も頼みとした譜代の臣だと>>388で教えてやっただろう
そうやって学習能力ゼロだから君はいつも敗者になるんだよキナイコシくん

440 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 12:49:48.72 .net
>>400
ちょっとどころじゃなく大げさなのは>>438のとおり
瀬戸内海をも支配していた安曇が当時は海沿いだった池上曽根遺跡にやってくるのはごく普通のこと
その後も同族が大和地方の支配者になっている安曇が特別な存在として扱われていたのは明白
お前が無知なだけ


719 :名無しさん@1周年 :2020/03/27(金) 02:31:02.90 ID:wEfaFCG90
弥生時代には瀬戸内海の制海権は北部九州の安曇たち海人族が握っていた
この状況で畿内が中国と独自に外交するのも九州に攻め入るのも不可能
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/a2.jpg

ちなみにヤマト王権の中枢である大和地方の支配者、倭国造は安曇の同族
ここから考えても北部九州が東遷してヤマト王権になったことはあり得ても逆は無い

倭国造
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%9B%BD%E9%80%A0
> 倭国造(やまとのくにのみやつこ・やまとこくぞう)は、後世の大倭国(大和国)中央部にあたる領域を支配した国造。
>
> 氏族
> 倭氏(やまとうじ、姓は直)で、国名の変遷とともに氏族名も変わった(大倭氏/おおやまとうじ・大養徳氏・大和氏など)。
> 天武天皇10年(681年)に倭竜麻呂が連姓に、12年に一族が連に、14年に忌寸姓に、さらに奈良時代には大和長岡と水守が宿禰に昇格した。
> 一般に綿積豊玉彦の孫とされ、神別の地祇に類別される。また八木氏や安曇氏と同族とされる、海人族の一族。

441 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 12:57:46.51 .net
>>403
天村雲命の別名はアメノイタテであり射楯神ことイソタケルだ
そのイソタケルが伊都国王家なのは前回散々教えてやっただろ痴呆

https://i.imgur.com/l9G4Wk2.jpg

442 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 13:30:38.61 .net
村雲の父は天児屋根だ
だが村雲の父は天香久山命であり、その父は饒速日であるという系図もある
加えて五十猛と村雲が同一神なら、素戔嗚尊と天児屋根が同じであり、
この父が饒速日になってしまう。天児屋根の父は武御雷だから
饒速日と武御雷が同じに?

443 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 15:04:39.91 .net
>>442
アメノコヤネは村雲本人だよ
なぜそういう世代の混同が起きるかというとイソタケルというのが伊都国王が代々名乗る称号であってただ一人の人物ではないから
X代目イソタケルがいるわけ

イソタケルとはどういう意味かを考えてみるといい
クマソの王がクマソタケルで、出雲の王がイズモタケルだ
ならばイソタケルは当然イソ国の王を意味すると分かるだろう
伊都国の旧称がイソ国であるのは五十迹手のエピソードに書かれている

444 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 15:36:51.23 .net
7 :日本@名無史さん :2020/12/02(水) 02:16:52.49
http://hero1945.livedoor.biz/archives/50514719.html
> (曽根崎神社の概要)
> ・ 住所:上対馬町五根緒(ゴニョウ)字平山188番地
> ・ 社号:「対州神社誌」では「氏神曾根山房」。「大帳」に古くは曽根崎神社とある。
> ・ 祭神:五十猛命(イソタケルノミコト)(大小神社帳)→阿曇磯武良→阿曇磯良
> ・ 五十猛(イソタケル)は磯良の別称、磯武良(イソタケラ)と云われる。
>  同じ五根緒村にある「大明神」の祭神が、「磯良」となっており、浜久須村の霹靂神社(熊野三所権現)の由緒で「明細帳」に、
>  「神功皇后の御時雷大臣命、安曇磯武良を新羅に遣せられ、雷大臣命彼土の女を娶り一男を産む。名づけて日本大臣の命と云ふ。
>  新羅より本邦に皈(カエ)り給ふとき、雷大臣日本大臣は州の上県郡浜久須村に揚り玉へり。磯武良は同郡五根緒村に揚れり。
>  各其古跡たる故、神祠を建祭れり。雷大臣日本大臣を霹靂神社と称し、磯武良を五根緒浦神社と称す。」
>
> と、あることから、当社の祭神、五十猛はやはり磯武良と同一とするのが妥当である。

安曇磯武良(イソタケラ)が上陸した対馬の五根緒村に彼を祀る神社を作ったと記録があり
そこには現在もイソタケルを祀る神社が現存している
当時何代目なのかは不明だがスサノオの御子神イソタケルとはこのときの磯武良のこと
そして彼とともに新羅に行って帰ってきたというのはスサノオが高天原を追放されたあと新羅に行って埴土舟で帰ってきたというエピソードと完全一致しているので
雷大臣=スサノオということになる
当時の外洋航海は非常に危険で雷大臣ほどの高官が自ら行くのは異例のことゆえ記録に残ったのだろう

445 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 15:47:37.51 .net
>>442
なので天児屋根=五十猛=安曇磯武良なので
その父である武御雷=スサノオ=雷大臣=先代のイソタケル

これが八幡愚童訓で鹿島神宮の武御雷が安曇磯良と同一神とされている理由であり
天児屋根命とも同一視されている理由なわけ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%9B%87%E7%A3%AF%E8%89%AF
> また、『八幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。
> 『磯良ト申スハ筑前国鹿ノ島明神之御事也 常陸国鹿嶋大明神大和国春日大明神 是皆一躰分身 同躰異名以坐ス
>  安曇磯良ト申ス志賀海大明神 磯良ハ春日大社似祀奉斎 天児屋根命以同神』(愚童訓より)

446 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 15:58:01.80 .net
なぜ人代の人物である雷大臣や安曇磯武良と神話の神が同一人物なのか疑問に思う人もいるだろう
それは神話(神代)というものが人代の出来事の写し絵に過ぎないから

人代の出来事に表現にアレンジを加えて大昔の出来事としてループして書かれているというのが神代の正体
これこそ記紀神話を読み解く上で最も肝心なポイントであり
同時に俺が神話に触れるのが気が重い理由である
ここを徹底追及してしまうと日本の神話に対する幻想が根本からぶち砕かれてしまうのだ
それをどこまでやるべきか俺自身迷っている


425 :日本@名無史さん :2021/01/16(土) 03:22:48.20
魏志倭人伝スレより
せっかく作ったからこっちにも貼っておこう
https://i.imgur.com/hLZdESM.jpeg

読み解くための前提知識として、神代は人代の実在の人物を遠い過去に投影した影絵のようなものだということを知っておく必要がある
例えば、本来は神代の存在であるはずの五十猛(スサノオの子、天照大神の甥)が実際には人代の五十迹手と同一人物である
https://i.imgur.com/l9G4Wk2.jpg

447 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 16:21:44.44 .net
ではなぜスサノオ=武御雷=雷大臣の事績はここまでバラバラに別人のものとされてしまったのか
それは政敵・武内宿禰=ツクヨミとの関係に理由がある
武内宿禰は書紀によると300年も生きたことになっており、明らかに一人の人物ではなく
複数の人間の事績を習合したものである
これは武内宿禰を大和朝廷最大の功臣とするために複数の人間の功績を一人にまとめ上げたものと考えられる

そしてその武内宿禰の最大の政敵が弟の甘美内宿禰であり、彼は武内とは逆に功績を最小に見せかけるために
事績を複数の別人のものとしてバラバラに分割されてしまった
その結果が>>446のような大勢に分割された事績の記録となったわけである

448 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 16:25:59.24 .net
それが欠史とどう関係する?
個人的に欠史の政権は天津彦根の流れと見ているが(その祖は素戔嗚尊)
これが天照大神の甥というなら、やはり天照大神が本筋であり
神武あるいは崇神がこれを主張しえたのか?

449 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 16:48:26.44 .net
三輪政権の淵源は葛城地区にあり、饒速日はその北・生駒回りだから大和入りのルートが違う
それでも両者がまったくの他人とも思えない
葛城は、武内宿禰の出自であるはもちろんのこと、「欠史の天皇が宮を置いた」場所であり、
神武の大和入りの際、おそらくここから(饒速日の息子である?)高倉下が?霊剣を持参し、
稲作の最大の遺跡が出、これを担ったのは鴨族で、大物主や事代主の子らと呼ばれている
そしておそらくは同族である三島鴨と通婚して上に揚げる子らを得ている
古くは高尾張と呼ばれる地区があり、海部氏や尾張氏はここから丹後や東海へ広がった
葛城とはそういう場所だ

450 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 17:28:28.09 .net
>>448
俺は正直三貴子の謎を解いたあたりでもうお腹いっぱいなので個人的にはあまりその先まで掘り下げたくないのだが
ただ>>446に書いたとおり神代が人代と同一エピソードのループに過ぎないということは記紀の年代論に大きな影響を与えるので欠史について知りたい人にとっては関係大ありだろう
スサノオが雷大臣でツクヨミが武内宿禰ということはアマテラスの人代モデルは神功皇后ってことだからな
そうなれば神武は実はアマテラス=神功よりも後の時代の人物ということになる

神功皇后紀の期間の長さや日中の記録の相違(中国側では卑弥呼と台与の二人の女王が記録されているが日本側には古代の女帝は神功一人しか記録がない)
を考えると、神功皇后も武内宿禰同様に二人分の事績をまとめたものだと考えられる
それが神話においては天照大神の岩戸隠れと岩戸開きのエピソードの元となったのだろう
つまり岩戸隠れが卑弥呼の死であり岩戸開きは台与の即位にあたる

このことは宮中に伝わる阿知女作法にヒントがある
アチメとは安曇磯良を指すと言われているが、その鎮魂の歌の中に
「とよひるめかみたまほす」というフレーズが出てくる
トヨヒルメ神とは天照大神のことと解釈されているが神話上は安曇磯良と天照大神に直接の関わりはない
安曇磯良に対して玉を欲したのは三韓征伐時の神功皇后であり干珠満珠の2つの玉を磯良から授かり征伐に成功したと伝わっている
このトヨヒルメ=神功皇后が台与であろう
ただ上記の通り神功が神代におけるアマテラスのモデル人物なのでトヨヒルメを天照大神というのも全くの的外れというわけではない

451 :太国 :2022/02/06(日) 17:38:47.78 .net
>>436

いやいや、どちらも外れで別人だよ。
南下すんのに東方の畿内に女王がいたわけがない。
南を東に替えるとは文書偽造の論。
円墳なのに前方後円墳もあってねえ。これも文書偽造的イカ様論。

崇神当時九州に卑弥呼がいて畿内に百襲媛がいたのさ。

方位を強引に変え墓形も強引に返えて合ってるとはならない。
全部オマエの盲象のインチキ論。w

452 :太国 :2022/02/06(日) 17:43:15.26 .net
×強引に返えて
〇強引に変えて

453 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 17:43:17.50 .net
>>450
阿知女作法とは鎮魂祭のそれだろうから、物部も上記の交錯した
人間関係の中に入ってしまうな。当然上祖である饒速日も
武御雷と饒速日、そして素戔嗚尊がブリンクするのか興味深い
高天原の神々だといえばそれまでだが

五十猛のことは私も気になっていた
最終的に和歌山に鎮まった五十猛の「いさおし(の神)」という称号が
指摘の通り何故か五十迹手として仲哀記に出てくるからね

神代の記述は人代の投射であるという読みは心得ておきたい

454 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 17:53:17.02 .net
>>446
>人代の出来事に表現にアレンジを加えて大昔の出来事としてループして書かれているというのが神代の正体

この仮説のもとで混乱が生まれるなら、仮説そのものに誤りがあるのだろう。

455 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 17:54:56.78 .net
>>454
別に混乱は生まれていないよ
アレルギーを起こして拒絶反応を起こす人がいるだけ

456 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 17:58:28.24 .net
混乱といえば混乱かもしれんが
上祖の名を継げるのは本家筋だけだという話もあってな
神々が様々な別名を持つのは氏族の広がりとほぼ同じ意味なのだ

457 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 19:11:56.04 .net
日本書紀や古事記を素直に時系列に読めば、だいたい、分かるだろうよ?
記紀の信用できない部分って、年代の部分が殆どだから。
なぜなら、上古代の日本は、今とは暦の数え方が違っていたし、
また、西暦8世紀には、過去の暦や年代の具体的なことは忘れ去られていたけど、
特に日本書紀の場合、中国との外交で相手側に提出しないといけないのだが、
その場合、ちゃんとした編年体で書かれた歴史書を出さないと国際的に低くみられるので
無理して、年代を書かないといけなかったから。

458 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 19:15:02.63 .net
神武天皇の10代の後が崇神天皇なんだけど、
ネットとかで見たら、よく、わざわざ、なんで、この二人を
一つの人物を表したものみたいな面倒くさい解釈にしないといけないんだよ。

459 :太国 :2022/02/06(日) 19:18:33.79 .net
年代のどこが信用できないというのか?

神武以後は年代どころか月日も殆ど書かれている。
無理してるなら欠史八代の欠の部分を無理にうんと書くだろうが。
そこが殆どないんだから、無理せず何らかの事由で省いたわけさ。

460 :太国 :2022/02/06(日) 19:25:50.13 .net
二人の人物をよっぽどの合いがない限り同一人だとしちゃだめだ。
まれにはあるがね。

小説だとたとえば「忍者石川五右衛門」で藤林長門守を百々地三太夫とか
でどんでん返しの同一人物になる。古代史は小説じゃあない。
神武が崇神だとか卑弥呼が百襲媛に決め込むのは奴らのいかれた盲象。

461 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 21:16:10.69 .net
>>460
>二人の人物をよっぽどの合いがない限り同一人だとしちゃだめだ。

その通りだ。
古代史には似たような人物、似たような展開が繰り返し出てくることもあるが、そのような記述を意識的にするのは、日本の文化だ。
源氏物語あたりでも、昔の人物や事柄にちなむエピソードは出てくる。
藤壺と紫の上が似ていても、同一人物なわけはない。
山幸彦と海幸彦、大山祇と綿津見、大国主(陸の神)とアマテラス(海の王)、あげたらきりがない。

462 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 22:02:42.86 .net
>大国主(陸の神)とアマテラス(海の王)
残念だがそれ違うんだよなぁ

463 :日本@名無史さん:2022/02/06(日) 22:05:33.49 .net
初めは「(大和の)初代王は九州から東征してきた」とだけ伝わってたんだろうな

それとは別にイザナギなど九州にいた先祖まで含めた正しい系図も伝えられていた
後に歴代天皇を設定する際「初代」という伝承の為にイザナギの前に神武天皇が置かれ、イザナギは2代目の綏靖天皇とされた
更に「九州から東征してきた」という伝承の為に九州にいたヒコナギサ以前の先祖が歴代天皇から分離され、ヒコナギサの子が神武天皇という事になった

つまり神武天皇を境に神代と人代が別れているのは「初代である事」と「東征した事」を両立させる為だった

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