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欠史八代とは何だったのか? 其2

1 :日本@名無史さん:2019/03/06(水) 00:39:29.03 .net
議論の続きをどうぞ

前スレ
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1547384861/

573 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 12:46:29.00 .net
>>570
〉実際に甕星を討伐したのは武葉槌という織物神ですが、
彼らもこの一族のなかに包摂されるでしょう
懐柔したか説得したか、あるいは騙し討った親戚縁者の一人です

確か、奥さんが下照姫でしたっけ?
そうだとして書きますが、下照姫は出雲の姫です
故に、近くに古い出雲系の神社がある事が多いはずです
タテミナカタが諏訪に入る前に、青木村だか上田氏の生島足島神社に一度落ち着いたとされ、そこから南下して諏訪に向かったとされます
その近く、西側には出雲の古い神様、クナト神、サビ姫、猿田彦(出雲の幸神信仰)を想像させるエリアがあり、こまゆみ岳では下照姫が祀られ、相神としてタテミナカタが鎮座します
出雲事代主系の王宮は神魂神社にあり、かつての王宮の形をそのままにしているそうです
その地域はかつて王庭(オウバ)と呼ばれていました
こまゆみ岳南の地域には現在でも大庭地籍が残っています

574 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 12:47:37.72 .net
で、ちょうど良いところで切ってしまいました

タケハヅチは、出雲伝承によると、物部氏だそうです

575 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 12:50:57.66 .net
>>572
カカゼオではありませんが、天背男という名であれば
太玉の別名だという説もありますね
こうなると太玉が天孫降臨以来の五伴緒だとはとても思えませんが
出雲から大和そして尾張に跨る広域な連合のなかで、
瓊瓊杵尊や神武に協力する勢力が一部いたとしても不思議ではないです
珍彦なども本来東征を手引きするのではなく、磯城を守る立場だったはずですから

576 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 12:58:07.96 .net
>>570
〉国譲りに「先立って」鹿島香取両神の討伐を受けています
国譲りの舞台は出雲、史実上は大和、より古くは博多かもしれないのに、
朝廷の両軍神が国譲りよりも先に関東で星神を討伐しているというから驚きです
これも実際には神武期あるいは崇神期をみるべきです

時系列的に特異点が段々と近づいて来ているのではとww

倭国大乱期の初端はヒボコ族の播磨侵攻に始まりますが、神床家の伝承だと、物部氏が見出しを送って来て、共同で奈良を攻撃しようと持ちかけたのだそうです。
そしたら和歌山で苦戦したのか、そもそも騙そうとしてたのか、ヒボコ族が進軍を開始した際に物部が動かず、単独開戦になってしまい、それが原因で尾張氏や神武の系統の政権にボコボコにされたとあります
それが150〜160年代
その後にフトニの播磨と出雲の進行が始まりました
妻木晩田遺跡は戦場になった場所ですが、その東側に今でも孝霊山があり、陣を張った場所は笹福神社になりました
現在でもフトニの進行ルートは伝承されているそうです

2回目の景初と、倭国大乱期の間が特異点で、圧縮されて一度のエピソードにされています

故に磐余彦が和歌山から入ったのにいつのまにか身バれして、ヤマト入りしたのが物部のウマシマジになると言う不思議な書き方にされました

万世一系からすると、ヤマトがヤマトを攻撃した様な事になっており、変ですが、記紀ではちゃっかり正体が書かれています

577 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 13:05:47.18 .net
子供の頃から言われているのは欠史8代は架空で、崇神が本当の神武ではないか
そう言う説に触れて来ましたが、内情は
・村雲(本来の系図上の神武)
・磐余彦(最初の東征・若山ルート)
・物部イニエ(崇神にされた)

この三人が同時期にいたかの様に書かれています
多臣家は、時代を圧縮して朝貢の事実を消し去り、系図はほぼそのまま自分の男系の先祖を書いていますので、ここでも矛盾が発生します

故に倍暦を使って紀元前660にして、出雲初代の大国主である、管八耳王からを消し去りました
八耳王の奥方であった稲田姫は、須佐男の奥さんだったことにされているはずです

578 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 13:10:40.09 .net
>>575
〉カカゼオではありませんが、天背男という名であれば
太玉の別名だという説もありますね

太玉→忌部氏ですよね
これが、出雲の分家の忌部氏が大陸系の勢力が強まった時に、出自を誤魔化した痕跡なのだそうです

おそらくですが女系の誰かを男系にしてインチキを最小限にしているとは思いますが

出雲の分家が高木神(徐市のお母さん)の男系の子孫になんてなれる訳がありません

579 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 13:12:12.11 .net
> 万世一系からすると、ヤマトがヤマトを攻撃した様な事になっており、変ですが、記紀ではちゃっかり正体が書かれています

説明されていること、すべて把握できていませんが
おおむね、このような印象を抱いています
記紀は正直には書いていませんが、抹消してもいないという感じです

宇摩志麻遅命は神武との問答の後には、越の国あたりを回らされた後
石見に落ち着いていますね。これも一つの国譲りなのかなと
日本海沿岸を回っているのは、そこが一族の地盤で、畿内で起きた地殻変動を
自ら伝えにいったのかもしれないです
出雲はなんだかんだと物部の故地なわけですね

580 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 13:18:02.99 .net
>>575
〉珍彦なども本来東征を手引きするのではなく、磯城を守る立場だったはずですから

おおおww一体何者なのかww

最初の物部東征は、吉備国のせいで瀬戸内海が使えずやむなく四国ルートになったとされます
途中で鹿児島あたり?で土着の隼人族を雇い進軍
紀伊の港で名草軍にやられて上陸を断念和歌山のど田舎ルートになります

で、サバイバルの元日本兵、小野田さんは名草トベの頭部を祀る神社、オコベ神社の社家で、伝承を受け継いでいます

取材時はまだ昭和だったかと。皇室観とは違った話は非常に警戒された時代で、五瀬名前は出しても、絶対に五瀬が物部氏だとは最後まで言いませんでしたが、

戦った相手は珍彦だった

そう発言しています。磯城王朝(村雲や大彦の家系)側に珍彦がいたそうです

581 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 13:30:07.54 .net
>>579
〉説明されていること、すべて把握できていませんが
おおむね、このような印象を抱いています
記紀は正直には書いていませんが、抹消してもいないという感じです

はい、そして、景初の話、魏書の話ですね。

ここでもヤマトがヤマトを攻撃した話にっています。
九州の卑弥呼が朝貢した時。我々はヤマトだと名乗っているからです。
九州勢は、吉備国を通じたルートが使えず、フトニが出雲を攻撃したことにより、出雲ルートの朝貢もできないタイミングを狙って、自分達がヤマトだと名乗って朝貢したのです。
記紀の作者は魏書に目を通した上で、この構図を利用したと考えています。

流石に昔から朝貢して大陸のお墨付きのあるヤマトを攻撃するとは言えませんから

ただし嘘にはなっていませんでした。
磯城王家には、最初の東征の手打ち、八咫烏の道案内以降、物部氏の血が入りました。
武内宿禰の父親、フツオシマコトが九州側についたからです。
彼は分裂状態に入った磯城王家の、物部の姫系の息子でした

大義名分として九州勢がお家争いとして、ヤマトを名乗れる大義名分があったのです。

582 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 13:32:14.56 .net
>>580
珍彦さんはちゃんと仕事してたんですねw
記紀では変装して香久山に登り、敵軍(磯城軍)呪詛用の埴土を持ち帰るなど
縦横の活躍ぶりですが

583 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 16:12:12.67 .net
>>579

〉出雲はなんだかんだと物部の故地なわけですね

最初の物部東征は、宗教のシンボルである姫巫女を欠いていたため、グダグダになって失敗に終わったとされます。
この時には出雲は攻撃されなかったと伝わります。
2回目の際は、日本海側から、宇佐の兎上王、物部朝倉、タジマノモリの部隊が激戦を繰り広げ、神門家(郷戸家)の拠点の一つ、石見の王宮は占領されました。
そこは物部氏が神社を作り、明治前後には金子氏と名を変えていました。
諏訪の守屋山の麓には、守屋神社がありましたが、2004年、突如として神社の額が変えられます。
物部守屋神社 その神社額を書いたのは、金子氏でした。

出雲の物部に話をする戻します。
魏書の邪馬台国は、戦闘前の卑弥呼から始まります。
豊国の宇佐氏と、物部氏が主体の軍です。
物部本体は、吉備国に真正面から戦闘を仕掛けました。戦闘は8年にも及ぶ、激戦となり、途中で卑弥呼(宇佐の豊玉姫=宇佐津姫)は安芸国で病死します。
粗末な作りの仮埋葬の、墓は魏書にも書かれましたが、仮埋葬は厳島神社との事です。
安芸国には、第一次物部東征でも参加した、物部十千根がいましたが、吉備国を倒したことにより、出雲へのルートが開けました。
そして、松江の東王宮を攻め落とし、そこに駐屯します。

神魂神社の社家は、物部十千根の直径の家です。
秋上氏と名を変えたのは、安芸国から出雲に攻め込んだ事からそう呼ばれる様にったとの事です。

石見と、松江に物部氏の支配する地域がありましたのでバッチリ物部に縁があります。

後年に島根の物部氏は出雲の王家と和解します。

故に、和解の印として神社の千木が変えられました。
神魂神社の千木は、上が物部式の横削ぎ
下が出雲の縦削ぎになっています。
物部神社の千木は、神魂神社と逆で、上が縦削ぎ、下が横削ぎです。

584 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 16:34:42.68 .net
>>562
〉>物部一族がイツセを大将として奈良に向け進軍・・・・・
イツセとは始祖ニギハヤヒのどういう縁者なの?名は五瀬?伊勢津?
奈良を目指した理由は何だったの?

二度にわたる物部氏の東征は、ヤマトの親戚の政権が内輪揉めで分裂状態になった時に行われています。
目的は近しい親戚の利権争い。
利権の拮抗する勢力が分裂すれば、少なくとも残りの半分は漁夫の利にありつけますから。
一度目の分裂は、クニオシヒトの次の代。
フトニと、大彦が勢力を争っていました。
故に、饒速日の投影としてニニギが書かれました。
大彦の時代は倭国大乱期なので二世紀。饒速日とは時代が違います。
物部嫌いの大彦は、物部の姫を娶ることで手打ちにした卑弥呼と、磯城王家に同調せず、物部の銅鏡祭祀を受け入れなかったとされます。
この時代にモモソヒメがいたとされ、弟の太田太根彦との事が記紀に書かれたとされます。
彦五瀬は、二度目の渡来で和名をホアカリから饒速日に変え、市杵島姫を娶って出来た物部氏の系譜です。時期的には7から9台の孫位の物部氏と思われます。

585 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 21:56:06.10 .net
>>547
大国主は違うよ
そこの解釈が間違ってるから多くの人の神話解釈に無理がでてしまう

586 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 22:09:53.57 .net
>>553
スサノオは新羅に行って帰ってきた神であり元は日本の人
その人代における正体は>>444のとおり雷大臣

587 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 22:12:37.04 .net
>>554
大己貴命が大国主と別人という可能性はあるが
少なくとも大国主はそのような大それた人物ではない
人代における彼を見ると日本の歴史上はあまり重要な人物ではない

588 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 22:15:00.77 .net
>>555
>安曇が神功皇后のおこぼれでうまい汁吸っただけの話。
神功を勝たせたのが安曇なわけだが
むしろ安曇のお陰でうまい汁を吸ったのが神功=台与

>全くもってして話にならん妄言だなw根拠なし。
それはこちらのセリフだ
こちらは>>543でソースを示している
根拠がないのは君の妄想話だけだよキナイコシくん

589 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 22:16:56.99 .net
>>559
>少なくともトヨは泰始二年(266)年までは大陸と朝貢の痕跡が認められるから、その時点で伊都チョンの神功皇后説(失笑)はレベルが低い妄言という事になるわな。
ならないが?
神功皇后がその時期の人物というだけのことだ

590 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 22:18:15.50 .net
>>560
>奈良の兵主神社は、本来はイタテヒョウズ神社と言ったらしい
そういえば前回そのソースを聞いたら答えられずに逃亡したよなキナイコシくん
今度はちゃんとソース出せよ

591 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 22:20:00.35 .net
>>564
>二度にわたる物部氏の東征は、親戚同士の覇権争い
その二度にわたる物部氏の東征とやらもまったくソースが無いよね
キナイコシくんお得意のいつもの妄想話

592 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 22:29:24.80 .net
>>565
村雲が神武とか妄想もいいところだな
お前の大好きな国宝の系図にだって天村雲がアメノイタテだと書いてあるだろう
アメノイタテ=射楯大神=五十猛
なのだからその父カゴヤマがスサノオになるのは当然

ホヤ姫についても前回教えてやったよな
相変わらずの痴呆ぶりで


880 :日本@名無史さん :2020/12/23(水) 00:06:55.18
>>759
>もう字も読めなくなっちゃったのかよww
それはこっちのセリフだよ負け犬くん
どちらの系図にも君の主張を裏付けるようなことは一切書かれていません
残念でした

>異母兄弟同士の婚姻、物部氏の穂屋姫の処からやり直し。ちゃんと皆に分かるように説明してね
穂屋姫が物部氏という根拠がまず無いw
まあ夫の天香山命=スサノオが物部の祖だからある意味物部系ではあるが
さてそのホヤ姫だが彌彦神社の摂社・妻戸神社に祀られている
http://www.yahiko-jinjya.or.jp/meguru/setumatusya/index.html
>妻戸神社(つまどじんじゃ) 妃神(ひめがみ)/妻戸大神(つまどのおおかみ)
>(御名 熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと))

>(御名 熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと))
>(御名 熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと))
>(御名 熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと))

実に分かりやすいことに、夫と同じウマシの美称がついているw
やはり天香山命=スサノオの正体が追放された甘美内宿禰という俺の推論は正しいようだ
またしても俺の主張を裏付けてくれてありがとうw

593 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 22:32:04.10 .net
>>567
>邪馬台国事件以降のトヨの朝貢の歴史が明らかに年代がハッキリ大陸の歴史に書かれているのに、後の時代の神功皇后を絡めてくるところ。
だから神功が後の時代であるという根拠がゼロなんだが
根拠がないと言われているのに「これが根拠だ!」と出せないから君は負け犬なんだよキナイコシくん

>8代以上前のイソタケルと神功皇后を同時に登場させて、イミフな伊都と安曇の話を混ぜてくるんだよね
それが嘘なのは>>446より明らか
ハイ論破

594 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 22:52:19.77 .net
講釈師、見て来たようなウソをつき

全く根拠が無いのに断定的なことばかり言うキナイコシくんの書き込みにはこの言葉がよく似合う

595 :太国 :2022/02/13(日) 23:11:37.17 .net
神功はほぼ4世紀後半の女性で、若いころはもう少し前。
卑弥呼よりは後代。

596 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 23:13:27.82 .net
>>595
何度も言うがそんな根拠は無い

597 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 23:24:23.33 .net
例えば神功の時代に贈られたとされる七支刀の銘文には
「泰■四年(■は判読不能)」
と年号が彫られている

普通に解釈すれば西晋の「泰始四年」(268年)なわけだが120年ずれ説では東晋の「太和四年」(369年)だと言い張っている
だが泰■と彫られている以上文字の異なる太和とするのは無理のある解釈だ
国同士の贈り物の銘文なのに音が同じだから別の字を使ったというのも全くの無理筋である.

そもそも文字を彫る場所が狭すぎたり材質が硬く加工困難な場合に難字を簡単な字に置き換えることは考えられても
もともと平易な文字である「太」をわざわざより画数が多く複雑な「泰」に変えたというのは無理がありすぎる

598 :太国 :2022/02/13(日) 23:26:50.19 .net
根拠はあるぜ。
崇神のころがほぼ卑弥呼の年代なのさ。
それを紀の編者らは時代を間違えて卑弥呼を神功の代に編入したのだ。
なぜ間違えたか?
それは編者らの720年ころの時代と違い、崇神前後の時代は倍暦行使を
してたからそれを知らずに編者らは1年365日余の考えで神功に間違って
入れちゃったのさ。

崇神当時は主に2倍、3倍暦をやっていて1年が半年とかだったから、
神功の代は後代に実年代が行くのだ。

599 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 23:30:34.88 .net
>>598
それは根拠ではなく君の想像だね

600 :太国 :2022/02/13(日) 23:35:38.69 .net
>>599
想像じゃないよ、一例だがこれを見い。【紀の欠史八代間の立太子、即位、崩御、立后等の日数統計表】

1日 4  15日 0  29日 0
2日 2  16日 0  30日 0
3日 3  17日 0
4日 3  18日 0
5日 6  19日 0
6日 3  20日 0
7日 2  21日 0
8日 3  22日 0
9日 3  23日 0
10日 1   24日 0
11日 4   25日 0
12日 3   26日 0
13日 3   27日 0
14日 7   28日 0

ことごとく月前半の2週間に収まっているぜ。当時八代の場合、
1ヵ月が現今の半月だったのさ。

601 :日本@名無史さん:2022/02/13(日) 23:49:12.08 .net
神功皇后の年代は、広開土王碑も援用できる
応神や仁徳のことであってもそうそうズレはしない

七枝刀のことは分からんな
作ってすぐ送ったのかどうかも不明だし
百済の元号ではないなら、作って寄越したのではなく
保管していた宝物として渡したのだろうし

602 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 02:22:15.98 .net
>>590

>>奈良の兵主神社は、本来はイタテヒョウズ神社と言ったらしい

は?お前もう忘れちゃったの?出自は明らかにしたが、五十猛が居るのかどうかが問題になったんだろ
お前がここで一番レベルが低いんだから口のきき方には気を付けろデコ助w

603 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 02:25:11.25 .net
>>596

お前のトヨ説より数段マシな考え方。
そもそもお前の言ってる事は全て根拠なしw
自分で「ほぼ確実と言える」とか画像ファイル作って遊んでるだけ

604 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 02:28:48.14 .net
>>588

コトバンクとか色々あるが、決定されてるなんてソースは一切ない

605 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 02:32:06.37 .net
>>589

>ならないが?
神功皇后がその時期の人物というだけのことだ

頭がおかしいww
成中津彦あたりの物部政権の人物がトヨと同年代のはずがねぇーだろw
それこそ根拠なし
さすが伊都チョンw

606 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 02:37:50.27 .net
>>592

穂屋姫の母親って市杵嶋姫だろ。もうその辺で察しろアホがww

607 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 02:44:08.57 .net
そもそもが播磨の射楯兵主神社の兵主神は穴師坐兵主神社から分遷されたもの。
http://kamnavi.jp/as/yamanobe/anasi.htm

最初に穴師に建てられた時は、現在言われている景行天皇の時代よりもっと古い。
射楯の尾張氏が建てた神社。三輪山の西方に蚩尤を祀ったのが源流。

おまえは臭い口を動かす前に、手を動かせw

608 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 02:48:47.39 .net
物部氏の祖って、饒速日とイチキシマヒメだろ。五十猛は物部氏の祖ではない。
イタテの一族は、尾張氏。海部氏。

海幸彦と山幸彦が兄弟になるのは始祖が同一人物だから。

609 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 03:04:55.03 .net
>>575

珍彦ですが、五十猛(大年彦、カゴヤマ)と大屋姫との間の子に、タカクラジが居ます。
紀伊國国造家になるんですが、160年代の当主が珍彦。ヤマトを守る側なわけです。

つまり、イタテの一族、尾張家(村雲)と同格の家なんですよね。
武内宿祢は、出雲、尾張家、物部家の全ての血が入った人物で、血筋的には非常に重んじられていました。
武内太田根は、東征が終わった際には負けた東軍側についていたため、最終的に出雲に逃げ込んで王家に守られます。
蘇我臣家、石川臣家、平群臣家などは、出雲が武内宿祢を守ったことによりつながった家になります。
現在の皇室は臣系の系譜という事になります。

610 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 03:05:54.99 .net
>>600

太国さん、伊都チョンにマジで返しても絶対に理解なんて出来ませんよ?w
そもそもが理解力がないですから

611 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 03:40:17.71 .net
海部氏の本系図と、勘注系図
尾張氏と、物部氏の両方の血を引く海部氏の神社、籠神社の系図はそのまま読んではダメなところがある。母系と父系を曖昧にしている。

現在言われている皇室の天孫降臨は「ニニギノ命が」「筑紫の日向の高千穂峰」に降臨する。
海部家では「ニニギノ命の兄弟」である「ホアカリノ命(別名ニギハヤヒ)」が丹波に降臨する。(丹後は丹波と言われていた)
その後河内国にも降臨し、また丹波に戻ってくる。(第二次物部東征後)

ニギハヤヒと言えば物部氏の始祖であり、神武東征より先に河内国に降臨し大和地方を支配した豪族とされ、しかも「神武とニギハヤヒが同族であったということが日本書紀にも記されている。」
つまり海部氏の系図に書かれていることは、記紀では省略されている神武の曾祖父ニニギの兄弟であるニギハヤヒの降臨伝ということになる。
つまりいじってある系図という事。

尾張家:ホアカリ(最初に出雲に入り、神門家の八千鉾からタカテルヒメを娶り、その後に名乗った和名)→五十猛→村雲

物部家:ニギハヤヒ(国譲り事件後に逃げ出し、今度は九州に渡来。宗像のイチキシマヒメを娶り、その後に名乗った和名)→彦ホホデミ→(その後系図不明)→ナギサタケウガヤフキアエズ

穂屋姫は、ホホデミの妹で物部家

海部の系図は村雲(タケイタテ)をうまく隠している系図になる

そんでもって先代旧事本紀
天香語山命めのかごやまのみことは、「異腹の妹の穂屋姫ほやひめを妻として」一男をお生みになった。
饒速日尊の孫・天村雲命あめのむらくものみこと[またの名を天五多手あめのいたて]。
ここまでかけば出雲伝承が無くともホアカリと饒速日をうまく交代させている事が分かるんじゃなかろうか。

本紀も海部系図も、あるていど記紀に服属してヤバい処は隠している。

612 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 03:49:26.09 .net
海部氏系図は、ホアカリの次をホホデミに入れ替えて、村雲を物部氏の後という、一見、誰が見てもおかしな系図にしてあるわけだ。
こうやって家を守ってきたのだろう。

新撰姓氏録にしか存在しない安曇氏の系図もそれにより修正が加わる事になる。タケイタテの命の立ち位置によって解釈がどうにでもなる立ち位置であることが分かる。
籠神社では、安曇は親戚と言ってるが、具体的中身は言及していない。
場合によっては物部氏の分家になってしまうかもしれないのが安曇氏

613 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 03:59:37.06 .net
旧事本紀、海部氏系図、出雲伝承の要旨はこれ

ホアカリと饒速日が同一人物で、更に五十猛とカゴヤマが同一人物。

物部氏と、尾張氏が腹違いの家系で
尾張氏と紀伊家が腹違いの家系

武内宿祢が全ての血が入ったのは、物部の血が入った開化の息子であるフツオシマコトが紀伊家から奥さん貰ってるから。

614 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 08:53:23.68 .net
東征前の磯城は福岡の阿志岐だな、太宰府のすぐ近くの

アマテラス=安寧天皇とすると
「安寧天皇は磯城県主の館で産まれた」
「アマテラスは筑紫の(略)の檍原で産まれた」
この2つは同じ場所を表している

檍原(あわきはら)は檍という木の生えている原ではなく淡き原、淡しき原で淡水の湿地だろう
淡しき原が阿志岐になり磯城になった
そして葦原とも呼ばれた

アマテラス=安寧天皇の母の父は今の太宰府辺りの王でイザナギ=綏靖天皇の協力者だったのだろう
イザナギ=綏靖天皇=大国主(1代目)とするとスサノオ(1代目)が磯城県主の祖なのかもしれない

615 :太国 :2022/02/14(月) 09:38:30.48 .net
アマテラス≠安寧天皇

アマテラスは女性で安寧天皇は男性でして、等号は成立しません。
前者は年代が後者よりもっと上代です。

616 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 12:01:02.65 .net
>>614
〉イザナギ=綏靖天皇=大国主(1代目)とするとスサノオ(1代目)が磯城県主の祖なのかもしれない

須佐男=ホアカリ=饒速日になるわけですから、そうとも言える構図にはなります。

しかし、五十猛=カゴヤマなので、イタテの一族が磯城県主に近いということになります

しかし、母系と父系の操作により曖昧が発生します。
県主の置かれた時期により、尾張家なのか、母系の出雲の分家の登美家になるのか解釈が変わるのです

617 :太国 :2022/02/14(月) 12:14:49.66 .net
イザナギ≠綏靖天皇≠大国主(1代目)

618 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 12:24:52.05 .net
籠神社が、物部氏のホホデミを系図に入れたのは、山幸彦が勝ったからかもしれませんね。

二代目綏靖天皇=沼川耳(渟名川耳)
三代目安寧天皇=玉手看

これは明らかになっているのに、ギリギリの線で村雲が隠されている構図は、単独の旧家だけで行われているものではないと言う事ではなかろうか

二代目の方は出雲の母系の尊重で、事代主の別の奥さん、タテミナカタの母親、ヌナガワ姫から取った名前で、多々良五十鈴姫から見ればヌナガワ姫は腹違いの母になる。

ちなみに3代目は磯城津彦とも言われるので、一応、磯城はヤマトで良さそうなイメージではないかと

619 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 12:48:31.37 .net
本来は九州に地盤を作らなかった五十猛
古事記には山として書かれ、人物としては登場しないカゴヤマ
記紀では山幸彦として弟の家系として書かれ、勝者になった物部氏
丹後国庁に出した欠落だらけの本系図
一応隠したフリをして、口伝にせず文字で書き残した勘注系図
尾張氏の分家の海部氏が始祖からの系譜を残した事情

記紀は万世一系で、欠史8代を書いたが、記紀の方針に反しない、最悪バレても死罪は免れる系譜を残したと考えられる。
景初の物部政権樹立を隠し、万世一系に反しないやり方は、母型の先祖、物部氏の彦ホホデミ、五十猛から見たら異母兄弟を男系父にすげ替えれば、あれま、記紀の勝者が自分達にできる。
神武さえ隠せば良いと言うことになる。

そして神功皇后記で、磯良を出せば、五十猛を粗略に扱わずに済む。九州に入れ替えた事にすれば良い、と言う事になる。

籠神社は記紀の先をついて最大限の権威が高まる系図を秘密として保持して来た可能性がある。

620 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 12:56:15.12 .net
>>619
訂正
籠神社は記紀の先をついて
籠神社は記紀の隙をついて

621 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 13:05:36.67 .net
籠神社は、本来、御蔭から分かれた分家になるはずなのに、ホホデミを入れる事によって、自分が本家、海部王朝に見せかけているわけだ。

本来の神武の家系は尾張家。熱田を作り、本来の皇室の剣、銅剣である叢雲の剣を保持してきた家。
大彦は先にも書いたが、中曽大根彦で、長髄彦と大彦に分けられたが、180年代には物部氏に抗しきれず琵琶湖周辺から撤退した際に、阿部を名乗った。
大彦は、物部氏の血が入っていない、純粋な尾張家。本来の神武の家系。
クニクルの代までは生きていたと考えられ、クニクルの息子にされているが、本来はフトニと同じ頃、クニオシヒトの次代の王子だったそうな。
王室から別れると子供に「別」の字が入るようで
奈良から追い出されて正統から外れた景行の息子にも別の字がついてた気がする。

622 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 13:10:43.66 .net
イタテの一族は、尾張氏と海部氏になる。
海部氏は、神功皇后期に、征伐で船を出したらしく、その頃に部民、海部を貰っている。

記紀成立前に、海になっている訳だ。

これが本来の海幸彦。山幸彦と海幸彦は本当に兄弟だった訳だ

623 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 14:59:01.55 .net
>>588
>むしろ安曇のお陰でうまい汁を吸ったのが神功=台与

神功皇后と壹與は100年ほど差があるよ。

624 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 15:02:21.30 .net
>>601
>百済の元号ではないなら、作って寄越したのではなく
>保管していた宝物として渡したのだろうし

百済も倭も中国の属国だったから、中国の年号を使っただけ。
日本独自の年号は大化の改新を待たなくては行けないことになっている。

625 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 15:08:41.36 .net
>>611
>つまり海部氏の系図に書かれていることは、記紀では省略されている神武の曾祖父ニニギの兄弟であるニギハヤヒの降臨伝ということになる。
>つまりいじってある系図という事。

どうしてそういう話になるのかサッパリわからん。
あなたの話し方は、よく知られた話と、あなただけが知っている話と、あなたが推定した話が同列に同じ調子で語られているため、わかりにくい。

626 :太国 :2022/02/14(月) 15:16:13.40 .net
>>624
倭は中国の属国ではない。
それは中国はそう見るだろうが、日本はそんなことは思ってない。

中国の五惑星の国旗より日本の太陽の旭日旗のほうが格上だ。

星の旗より太陽の旗のほうが上位なんだよ。

それは向こうのいい点は日本も使う。

太陽系では太陽が5惑星を従える。その逆はねえ。

想い知れ。

627 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 15:45:54.95 .net
>>625
とりあえず、饒速日は一般的な物部氏の祖神になっていますよ。
コトバンクしてみて下さい

https://kotobank.jp/word/饒速日命-591173

対して、籠神社、海部氏は物部氏として見られているかどうか

部民が別なのに。それは違うでしょと言う事になる

さほど一般的な疑問を外れる範疇の話ではないですよ

出雲伝承ではカゴヤマの前がホアカリになっているだけです。
あと、イソタケルがカゴヤマと同一人物になっていると言う点のみです。

ホアカリと、饒速日が同一人物なのは先代旧事本紀にも出ている事項ですから

628 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 17:54:15.78 .net
◆シン日本神代古代史◆

「高天原=邪馬台国=福岡」説の初論者(おそらく)は、益田謙三『赤裸々の神代』(大正8年)

・高天原=邪馬台国=福岡
・天照大神の生誕地は筑紫の日向
・天照大神=卑弥呼+台与

古墳時代(宋書倭国伝)は朝鮮半島の事を、日本書紀(神代上)では沖ノ島の事を「海の北」と記している。
これは、天孫族が九州北部にいた頃の名残である。

沖ノ島・大島・宗像の三女神は、天照大神の命令で天孫を助ける為に、天降った。
↓↓↓↓↓↓
・天孫(族)降臨地=対馬国・壱岐国・伊都国
天孫(族)ニニギ命=邪馬台国系の代官一族

ニニギ命の名前=アメ「ニキ」シクニ「ニキ」シアマツ「ヒコヒコ」ホノニ「ニギ」ノ命
邪馬台国から伊都国へ派遣されたの代官名は「爾支ニキ」
対馬国と壱岐国の代官名は「卑狗ヒコ」

日向三代は邪馬台国の代官の系統なので、独立した存在とは言えないから、天皇とは認定されなかった。

神武天孫族が畿内に独立国を成立させた。
その後継が、高天原=邪馬台国と勢力争いになった。
そして十代崇神天皇の御代に、かつて祖先が属していたた高天原=邪馬台国を制圧してしまった。

※欠史八代は天孫族と高天原=邪馬台国との争いの歴史なので、古事記・日本書記の記述はカットされた。

・・・なので、天照大神=卑弥呼・台与に祟られる事となった。

崇神天皇は祟りを鎮める為に、
ニニギが台与から授かった、ヤタの鏡を地元神と一緒に宮中で祀ったが、祟りが収まらないので場所を替えて祀った。

そして後に、ヤタの鏡は倭姫に託された。
それが、伊勢の神宮の由来である。

629 :太国 :2022/02/14(月) 17:59:52.78 .net
天照大神≠卑弥呼・台与

630 :太国 :2022/02/14(月) 18:02:12.49 .net
高天原≠女王国

631 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 22:18:08.86 .net
>>600
そういうのを調べているあたりは根拠ゼロのキナイコシくんより好感が持てるが
残念ながらもっと大前提を見落としている

長い間文字のなかった倭国では記紀が記されるまで数百年間口伝のみの時代があったわけだ
口伝口承といえば聞こえがいいがやってることは壮大な伝言ゲームである
何日に起きた出来事かなんて正確に伝わるわけがあるまい

632 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 22:19:42.63 .net
>>601
広開土王碑のどこにも神功なんて出てこないし倭の総大将が女だとも記されていない
そもそも三韓征伐では倭が勝ったわけだが広開土王碑には倭を撃退したと書いてある
全く関係ないものを援用するのは妄想と変わりがない

633 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 22:20:32.12 .net
>>602
結局今回もソースは出せませんと
相変わらず痛々しい負け犬ぶりだなキナイコシくんw

634 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 22:21:22.56 .net
>>603
違うと言いたいならちゃんと根拠を持って反論すればいいだけのこと
それが出来ない時点でお前は負け犬なんだよキナイコシくん

635 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 22:22:25.42 .net
>>604
引用できないならソースが無いとしか言いようがないな

636 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 22:24:19.37 .net
>>605
>成中津彦あたりの物部政権の人物
まずそれに何も根拠が無いわけだが
それがいつの時代かという根拠もね

>>446に書いたとおり本来は神代の存在であるはずの五十猛(スサノオの子、天照大神の甥)が実際には人代の五十迹手と同一人物である
https://i.imgur.com/l9G4Wk2.jpg

この時点でもう君の妄想は崩壊しているんだよキナイコシくん

637 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 22:26:28.56 .net
>>606
察しろなんていうのは自分で何も説明できない負け犬の戯言だよキナイコシくんw

638 :太国 :2022/02/14(月) 22:34:08.68 .net
オーストリアとオーストラリアは同一の国でない。別の国名。

平城天皇と平成天皇とは別人。

武烈天皇と崇峻天皇はいずれもワカサザキというが、これも別人。

等号は殆ど成立しない。

639 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 22:35:20.62 .net
>>607
>そもそもが播磨の射楯兵主神社の兵主神は穴師坐兵主神社から分遷されたもの。
もともとイタテ神だけだった播磨に奈良の兵主神社から分遷したのなら
奈良の方にイタテ神が祀られてるわけないじゃん
つまり穴師坐兵主神社がもともとは射楯兵主神社だったというのは嘘だということだね
自分で自分の嘘を証明するとはさすがキナイコシくんは愚かだなぁw

640 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 22:38:47.16 .net
>>608
その饒速日=天火明の息子である天香語山命がスサノオで孫である天村雲命=アメノイタテがイタテ神こと五十猛だよ
だから物部の祖であってる

尾張や海部は>>539のとおり同じ系統の一族

641 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 22:42:43.36 .net
>>609
五十猛はカゴヤマではなく天村雲命
珍彦は倭国造の祖とする系図があり>>444にある
カゴヤマ=雷大臣の息子である日本(ヤマト)大臣にあたる
つまり村雲の異母弟だ

642 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 22:46:05.79 .net
>>611
>饒速日尊の孫・天村雲命あめのむらくものみこと[またの名を天五多手あめのいたて]
そこをちゃんと認識しているのなら
天村雲命=イタテ神=五十猛

ゆえにその父カゴヤマがスサノオだって分かるだろうに

643 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 22:48:25.90 .net
>>613
>>642

644 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 22:55:02.76 .net
>>623
その根拠がないと言っている
>>450,597のように逆の根拠ならある

645 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 22:56:56.70 .net
>>624
そう中国の元号だ
そして近い時代で泰■四年に対応する中国の元号は西晋の「泰始四年」(268年)だけ
つまり神功はこの頃の人ということになる

646 :太国 :2022/02/14(月) 22:57:10.89 .net
等号連発は盲象の増幅。

647 :日本@名無史さん:2022/02/14(月) 22:58:58.43 .net
>>638
残念だが>>636の図を見れば分かる通りそんな音だけの共通点ではない
称号や事績まで一致しており同一人物と見るほか無い

648 :太国 :2022/02/14(月) 23:03:21.30 .net
皇紀909〜911年が

 実年代の 369年=太和4年 :神功崩御の6年前。

649 :太国 :2022/02/14(月) 23:10:17.25 .net
>>647
確かに例外はある。

年代が確実に同じかね?

一致してれば可能性は広がるがね。ただ難しいぞ。

一致してれば点検してやるぜ。

飛鳥昭雄さんは神武は崇神だとか崇神は応神dだとか本に書いていたが、
こんなんでは盲象。

650 :日本@名無史さん:2022/02/15(火) 03:04:24.55 .net
>>642

イタテ神=五十猛であってるだろうが、村雲は別人だよ。
父親の名前を貰っただけの別名

因みに、五十猛も、徐市の父親、猛からみたら祖父に相当する人物から名前を貰ってる。
祖父の名は、徐猛

名前の音感が似てるからって稚拙に同一人物扱いって、それこそ根拠がない。

651 :日本@名無史さん:2022/02/15(火) 03:22:08.32 .net
>>633

奈良のイタテ兵頭神社の話は、吉田大洋とかの本にもなってるよ。
大元出版の本以外にもきちんと書かれている。

ただし、いきなりイタテ兵頭神社と出てくるので、一般的なネットで拾える第三者的な裏付けが私には確認できなかっただけ。
出雲の歴史の伝承者の本だけじゃなく少数だけど本にはなってる。
蚩尤をまつる神社に、本来入らないはずのヒボコが居るはずだと、先代の宮司に直談判して確認しに行ってるエピソードが書かれている。
ヒボコは明治期に徹底的に隠され、白髭神社などはタテミナカタなどに上書きされている事が多い

播磨のイタテヒョウズは、風土記にもある様に朝鮮系の一族が大和のイタテ一族に追い出され、そこで両神が一緒になったという話が出てくる

重要なのは、イタテの一族が朝鮮ではなく、中国の蚩尤を祀ったいう事。

652 :日本@名無史さん:2022/02/15(火) 03:25:09.55 .net
そんなことより、伊都チョン

楠木=すなわち安曇の根拠を出せよw

安曇族のシンボルツリーでも何でもないぞ?wお前、穂高神社とか行ったことあんのか?w
あそこは元々は出雲系で夫婦道祖神があった場所。
安曇の後は物部に乗っ取られた場所だぞ?w

653 :日本@名無史さん:2022/02/15(火) 03:26:59.96 .net
>>637

お前の作った五十猛の同一性の「確実と言える」の画像よりは数段ましだがなw

654 :太国 :2022/02/15(火) 08:16:41.73 .net
昔TVで「忍者石川五右衛門」というTV映画をやったが、この最後のほうは
伊賀の百地三太夫がどんでん返しで甲賀の藤林長門守であったというその正体を
発現する。

日本古代史はこのようなエンタメとか探偵小説推理小説の類ではない。
まず等号は成立しない。

だが、こういうことは稀だが少しはあることも確かだ。

元の成吉思汗は源義経だ。これは例外で等号成立する。

655 :日本@名無史さん:2022/02/15(火) 10:56:48.31 .net
>>632
>三韓征伐では倭が勝ったわけだが・・・・・
W三韓征伐Wとか戦前の『紀』記事盲信皇国史観のカビの生えた用語を
持ち出すとは戦前の皇国教育を受けた不老長寿ご老人か?
神功皇后が征伐したというW三韓Wとは高句麗のほかは何という国々とお考えか?
『紀』は倭が勝ったと主張しほぼ同時代に造立された高句麗広開土王碑碑文では
倭は撃退されたとの主張だが倭が勝ったに賛同されるんだね?
且つその倭とはヤマト王権政体であるにも賛同されるんだね?

656 :日本@名無史さん:2022/02/15(火) 11:11:42.10 .net
>>626
>倭は中国の属国ではない。
>それは中国はそう見るだろうが、日本はそんなことは思ってない。

倭人は季節を違わずまめに朝貢してくると書いてあったのはどの書だったのか。
完全な属国です。

657 :日本@名無史さん:2022/02/15(火) 11:14:44.44 .net
>>632
>そもそも三韓征伐では倭が勝ったわけだが広開土王碑には倭を撃退したと書いてある

神功皇后も、勝ったわりには、その後で朝鮮半島を支配した話がサッパリ出てこない。
互いに自分都合が良い部分だけ書いているのかもしれない。
少なくとも、卑弥呼の時代に倭が帯方郡に侵攻したなどという記録はない。

658 :太国 :2022/02/15(火) 11:25:06.61 .net
>>656
属国ではねえ。もってのほかだ。
大陸を立ててるだけで、あたかも白鵬が子供に負けて当時の中華に華を
もたせてるだけのことよ。

土付きの土下座は本気をだせば、子供らが白鵬に勝てるわけもねえ。ww

チャンコロを得界の土俵で土つかせるからちゃんこ料理っていうのだよ。

倭とは数字でいえば〇つまり0の意味であって、邪馬1国は世界最上の
1位の金メダル格の国家であり、倭はプラチナ格の国家だ。

シナ(4〜7)は3位にもならない4位〜7位の丹の水銀国家で
あって、神国日本とは比較にならにほど格下国家だ。習ががんばっても
神国日本を属国にはできない。

図体はでかいチャイルド(茶色土)土つき国家がシナなのだ。

それゆえ神国日本は全世界の別格の天帝直轄の格上国家であって黄金の国
のジパングであり、神州は萬邦無比の國體を誇るのだ。

https://www.youtube.com/watch?v=lD42cb6XJ0U

659 :太国 :2022/02/15(火) 11:26:29.08 .net
×得界の土俵で
〇世界の土俵で

660 :日本@名無史さん:2022/02/15(火) 13:18:15.52 .net
彦五十狭芹彦命について考えてみた
別名は吉備津彦で桃太郎のモデルだが、本名の彦五十狭芹彦という名は五十猛と須勢理姫を合体させたものに思える

父親は孝霊天皇、母親は絙某姉だが絙某姉は和知津美命の娘で祖父は安寧天皇の子の磯城津彦だ
不思議なのは孝霊天皇の皇后は絙某姉ではなく磯城県主の娘で、絙某姉は安寧天皇の曾孫なのに磯城県主より下の身分と言うことになってしまう
男子がいないなら皇太子を産んだ妃が皇后で不思議は無いが絙某姉は彦五十狭芹彦を産んでいる
何故彦五十狭芹彦は皇太子になれなかったのか?

もしかしたら絙某姉が嫁いだのが一世代ズレていて実際は孝安天皇の皇后であり押媛と同一人物なのでは無いだろうか

この関係をアマテラス=安寧天皇〜山幸彦=神武天皇=孝安天皇に当てはめると
磯城津彦=大国主、和知津美命=天足彦国押人命=事代主、絙某姉=押媛=五十鈴姫となり彦五十狭芹彦という名も大国主由来として理解できる

そして彦五十狭芹彦はヒコナギサ=孝霊天皇の兄弟と言うことになるが、神八井耳=彦五十狭芹彦か、または孝霊天皇=ヒコナギサ=彦五十狭芹彦という可能性もある
もしかしたら桃太郎は孝霊天皇だったのかもしれない…?

661 :太国 :2022/02/15(火) 13:33:09.79 .net
アマテラス≠安寧天皇

山幸彦≠神武天皇≠孝安天皇

662 :日本@名無史さん:2022/02/15(火) 14:18:49.16 .net
伊都ちゃんの言う通りタテイタツが五十猛であると言う構図は、海部氏の二つの系図と、新撰姓氏録のみで擦り合わせた場合にしか成立しない

さらに、五十猛が分家の海部の家の人間という事になり、分家の海部が安曇を名乗ったと言う変な話になる。

海部の本系図では、カゴヤマと村雲が飛ばされ、大和宿禰になっている。合わせたのもが以下の通り

勘注系図 火明命(ニギハヤヒ)ー香語山ー村雲

出雲伝承では、カゴヤマが二人の姫を娶り、片方が珍彦、紀伊家になるとあるので、確かに二人の子供がいる。大和宿禰と珍彦。

しかし、先代旧事本紀が入ると矛盾が生じる。
タテイタツが村雲になるからだ。

じゃあ、振魂がカゴヤマかと言うと、海部氏系図では彦ホホデミがカゴヤマになってしまう。

さらに、伊都チョンの言う通りになると、紀元前後のイソタケルが、神功皇后期の安曇磯良と同じになり、もう出鱈目である
それを指摘されても一切理解できないようである。
それを踏まえての安曇氏系譜の理解をしなければならない

出雲伝承と、海部の伝承で、ホアカリと饒速日は同一人物で、先代旧事本紀とも矛盾しない

村雲と安曇が隠す対象という事になるのかもしれない

663 :日本@名無史さん:2022/02/16(水) 14:02:04.43 .net
>>658
日本の古代史に水銀からアプローチする研究って、意外に成果少ないんですよね

神社のお水取り神事は、水銀の精錬と言う話もあります

664 :日本@名無史さん:2022/02/16(水) 14:04:57.65 .net
>>656
まあ、黄色の属国旗を8本もらって邪馬台国事件勃発ですから、その時点で属国旗ですわな。流石に。

朝貢してただけならまだしも

665 :太国 :2022/02/16(水) 14:20:53.85 .net
西の皇帝より東の天皇のほうが上位だ。西の横綱より東の横綱の方が上位だ。

白鵬が土俵で中国のチュルドレン(中流土連)に故意に負けて華を持たせて
るわけで、本気を出したら軽く白鵬が勝つ。チャンコロ料理だ。
本気を出させられてこてんこてんに元国を造った日本人に中国が天下を
とられたのがその元の時代さ。

神国日本と大陸とは格がちがうんだからな。w

5惑星の中国国旗より太陽の旗:旭日旗のほうが上位なのだ。

それゆえ黄金の国ジパングたる全世界での金メダル国家神国日本は
天帝の直轄地であって天帝が全世界での第1位を教示する邪馬1国を
置いた格上国家であるゆえ、神国日本は萬邦無比の國體を誇るのだ。

そして全世界の統帥権は大元帥陛下にある。

https://www.youtube.com/watch?v=o-Y2KeYf0I4

666 :日本@名無史さん:2022/02/16(水) 22:19:24.51 .net
当時の一年は今の半年に当たるから、初期の天皇在位期間は記述の半分の年数で数えないといけない
っていう書き込みが見当たらない気がするけど、この事実は案外流布してない?

これだと皇紀が短縮することになるけど、古代の一年の数え方について説明してる方によると「皇紀についてはずっと続いてる物だから今更調節する必要はなし」とのこと

余談だけど、天孫降臨にある「韓国」を「かんこく」と読む説は時空をねじ曲げすぎ
反日主義者の屁理屈を除外すれば、どう考えたって韓国岳を指す韓国(からくに)なのに
記紀が編纂される以前に韓国(かんこく)と呼ばれる国があった訳がないのに、戦後のGHQ史観により記紀以前に存在しなかった概念が記紀に記されてることにするんだから共産主義者はデタラメすぎ
戦後の”アカ”デミズムは公職追放後に共産主義者を投入しまくったGHQの工作によって共産主義のマルクス主義が幅を利かせてたから、日本の歴史を否定できるなら何でもよかったんだろうな
今の武漢ウイルス騒動も脅威論を正当化する言説は全てが屁理屈だけど、脅威論だけが政府に取り上げられて、無数の証拠が提示されてる非脅威論は国民の耳に届かないよう情報工作されてるし
なにげに自民党もGHQによって極秘に実行されてたプレスコードを未だに守ってるんだよね

文部科学省は未だに歴史改竄主義のGHQ史観、マルクス主義と近隣諸国条項で国史を改竄
それ以外についても、実は文部科学省は反日工作機関なんじゃないのかと思うことがしばしば
長すぎる余談は以上です

667 :太国 :2022/02/16(水) 22:34:44.05 .net
左党を舐め過ぎてるやつがいるからさ。象牙の塔に多いのさ。
たらふく舐めて歯の禊祓いの歯磨きの励行を怠ると648(ムシバ;ロシヤ)
になっちゃうのさ。
舐めるのはいま殆どの食品に左党が入っていて使わない訳にはいかないから、
歯を磨いて危険歯層の思想脳労にならないよう餌舐める質と象牙質等を
冒されないよう注意してなめればいい。
歯科医主義はいいとして強酸糖は歯本主義を崩壊させる危険歯層だから、
徹底して強酸糖を出さないよう増やさないよう心掛けるべきだ。

放置しとくと歯が痛くなる歯イタ土臭いの危機に至るから、注意だ。
中国は虫歯の虫国になっていて歯イタ土臭いになっているのさ。

古代当時は2倍暦等を行使してたのさ。

668 :日本@名無史さん:2022/02/16(水) 22:38:39.00 .net
>>649
まず大前提として記紀の年代が疑わしいということを忘れちゃいかんよ
例えば葛城襲津彦が新羅から帰ってこないので的戸田宿禰に救援させているが
的戸田宿禰は葛城襲津彦の子孫ということになっている
先祖のピンチを救うために子孫が駆けつけるなんてバック・トゥ・ザ・フューチャーなことをやらかしてる記紀の年代を真に受けてどうする

葛城襲津彦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E5%9F%8E%E8%A5%B2%E6%B4%A5%E5%BD%A6
> 応神天皇16年8月条
> 天皇は襲津彦が帰国しないのは新羅が妨げるせいだとし、平群木菟宿禰(へぐりのつく)と的戸田宿禰(いくはのとだ)に精兵を授けて加羅に派遣した。
> 新羅王は愕然として罪に服し、弓月の民を率いて襲津彦と共に日本に来た。

的戸田宿禰
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%84%E6%88%B8%E7%94%B0%E5%AE%BF%E7%A6%B0
> 『古事記』孝元天皇段では、的氏は葛城長江曾都毘古(かずらき の ながえ の そつびこ)の(かずらき の ながえ の そつびこ)の子孫となっている。
> 「曾都毘古」は『日本書紀』では「襲津彦」となっており、襲津彦の子孫としては、他に玉江氏・生江氏・阿芸那氏がある[2]。

669 :日本@名無史さん:2022/02/16(水) 22:46:58.60 .net
>>650
残念だが神話を見ればはっきり分かる
五十猛は父親のスサノオが高天原(九州)を追放されて新羅に行ったときに同行して日本への帰還時も同行している
つまりスサノオと五十猛は親子で旅をしたわけだ
スサノオがその父イザナギと旅をした話など存在しない

新潟の弥彦神社では主祭神がカゴヤマでその第一子をアメノイタネとしている
このアメノイタネがアメノイタテこと五十猛なのは明らかだからその父カゴヤマはスサノオだ
日本海を親子旅したのはスサノオと五十猛の親子なのだからな

>徐市の父親、猛からみたら祖父に相当する人物から名前を貰ってる。
徐市なんてそれこそまったく関係ない
何も根拠の無い話

670 :日本@名無史さん:2022/02/16(水) 22:49:49.58 .net
>>651
>奈良のイタテ兵頭神社の話は、吉田大洋とかの本にもなってるよ。
引用してみてくれ
悪いが今までの経緯からして信用できない

>播磨のイタテヒョウズは、風土記にもある様に朝鮮系の一族が大和のイタテ一族に追い出され、そこで両神が一緒になったという話が出てくる
朝鮮は関係ない
五十猛=安曇磯武良が朝鮮帰りだからそういう誤解が生まれたのだろう

671 :日本@名無史さん:2022/02/16(水) 23:01:22.00 .net
>>652
>楠木=すなわち安曇の根拠を出せよw

全国にクスノキを植えて回ったのは五十猛=安曇磯武良で
そうしろと命じたのはスサノオだぞ
そんなことも知らずに噛み付いてきたのか?

https://spiritualjapan.net/11561/
> 日本書紀 第八段 第五節
> ある書によると、
> 素戔嗚尊は「韓国の島には金銀がある。もし我が子が治める国に浮寶(船)が無ければ良くないだろう」と言い、
> 髯を抜き散らすと、杉の木になった。また、胸の毛を抜き散らすと、檜になった。尻の毛は、艨iまき)になった。眉の毛は、櫲樟(くす)になった。
> そして、用途を定めた。
> 杉と櫲樟の二つの樹木は浮寶(船)とせよ。
> 檜は宮殿を作る木材とせよ。
> 艪ヘ人民の奥津棄戸(おきつすたへ:棺桶)の材料とせよ。
> また、多くの食用の木の種は、皆で播いて育てなさい。
> 素戔嗚尊の子を五十猛神と言い、妹を大屋津姫命(おほやつひめのみこと)、次が柧津姫命(つまつひめのみこと)と言う。
> この三柱の神も、樹木の種を国中に蒔いた。

クスノキは舟の材料に使えと用途まで指定してある

672 :日本@名無史さん:2022/02/16(水) 23:02:23.51 .net
>>653
論理的に反論できませんってことね
いつもの負け犬の遠吠え乙

673 :日本@名無史さん:2022/02/16(水) 23:04:38.38 .net
>>655
>『紀』は倭が勝ったと主張しほぼ同時代に造立された高句麗広開土王碑碑文では
同時代ではないと言っているわけだが日本語の通じない方かな?
反論したければまず>>597に論理的な反論をしてからにしろよ

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